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コピーライター→映像製作会社ロボット→広告代理店ビデオプロモーション→再びコピーライター(フリーランス)。 メディアとコンテンツの未来を切り拓くコミュニケーションをデザインします。講演・執筆依頼もお気軽に!

ソーシャルテレビ構想が次々出てくる!〜マルチスクリーン型放送研究会〜

本を出してブログ書いてTwitterやFacebookでウロチョロしていると、いろんな方と出会う。本を出したのは去年の7月だったのだけど、まだまだ「こないだ読みましたよ」と言ってもらえたりして。出版ってそういうところ面白いね。

先週お会いした方から教わったのが、マルチスクリーン型放送研究会、というもの。去年の12月に出来立てのほやほやの研究会だそうで、関西キー局を中心にいろんな事業体の会社が参加している。

マルチスクリーン型放送とはなんでしょう?この図を見てみよう。

マルチスクリーン型放送の概念図

まず、これは”研究会”で研究している最中で、まだ実現できているわけではないのでご注意を。

これはこのところ、このブログで何度も書いている”ソーシャルテレビ”のひとつの形式だ。放送を見ながらタブレット端末で別の画面を見せ、”ながら視聴”を楽しんでもらおうというもの。

それはいまだってできる、って?そうだと言えばそうだけど、このシステムの場合もっとリアルタイムで、番組内容に即した内容をタブレットに送り届けることができる。

なぜならば、このシステムではタブレットに情報を”放送”するからだ。

うん、そこがこのシステム最大のポイント。テレビ受像機用の放送とは別に、番組の”関連情報”を受信ルータに送信し、そのルータからWiFiでタブレットにその内容を送信する。

この場合、いくつものメリットがある。まず、この場合は”関連情報”を番組側、放送局の側が送る。だから、番組の内容にかなり添った内容にできるわけ。そしてさらに、通信とちがって大勢が殺到してもトラフィックのことを気にしなくていい。

テレビは一度にたくさんの人が見る。だから、例えばWEBで”関連情報”を届けようとすると、あんまり大量の人が来ちゃうとサーバーが混んだりしかねない。

でもこのシステムの場合はその心配がないわけ。”放送”だからね。

うーん、新しい。画期的だ。そんなことを、関西でこっそり、コツコツはじめている。うんむむむ。

イノベーションは周縁から起こると、よく言われる。ひょっとしたらこれも、その大きな事例になるのかもしれない。

もっと言うと、関西に限らないよね。関西よりももっと”周縁”は日本中にあるのだから。ローカル局からも新たな仕組み作りは起こるのかもしれない。

そう考えると、ワクワクしてくる。面白いことは、これからもまだまだ起こりそうだ。そして、それを引き起こすのは、あなたなのかもしれないね。

NHKがどんどんソーシャル化している件について

NEWS WEB 24(1月12日深夜)

昨日の夜のこと。いつものように「BIZスポ」を見終わって、そのあとの「時事公論」も見るともなく見て、さらに何となくチャンネルをそのままにしていたら、またニュース番組がはじまった。ん?またですかい?ところがそのニュース番組、画面の中に津田大介さんがいるではないか。

おや?ネット情報の番組かな?・・・いや、ニュース番組だ。逃亡中の犯罪者について報道している。

そして、画面の下に何かコメント的な文章が・・・ほほお。これは、つぶやき、ではないか。黒い帯の上に、明らかにツイッターのつぶやきが表示されている。

さらに後半では、視聴者のつぶやきを、写真のように大きく表示したりして。ううーん、これはつまり、ソーシャルテレビだわ。

ソーシャルテレビをどう実現するのが早いか、という議論がある。テレビがスマートテレビ化し、番組画面の横にツイッターを表示するやり方が考えられる。テレビの画面ではなく手元のスマートフォンやタブレットで別の画面にツイッターを表示する手法もある。前者を1画面方式、後者を2画面方式と呼ぶ。これは、野村総研の山崎秀夫さんに教わった分類。

2画面方式の方が、すでに普及しているiPhoneなどを活用すればいいので、話が早いんじゃないか、という考え方が主流を占めているのが現状。

ところが、NHKはそんな議論を軽々超えて、自ら1画面方式の放送をしている。別ウィンドウでツイッターを表示する、なんてまだるっこしいことしなくても、番組映像の中にツイッターを表示させればいいんでね?そう言われている気分だ。

NHKのソーシャルテレビ番組は、実は今週もうひとつ放送された。「おやすみ日本」という実験的な番組だ。

おやすみ日本 1月9日深夜0時50分から

宮藤官九郎を中心にした出演者が、視聴者を眠らせます、という番組。「眠いいね!」ボタンが納得のいくだけ押されたら、その時点で放送終了という冒険企画だ。

「眠いいね!」ボタンとは、テレビのリモコンについている青ボタンのことだ。これを押すと、「ぼくは眠たくなったよ」という意思表明になる。

その時点で双方向のソーシャルテレビだと言えるのだけど、それだけではなかった。番組に寄せられるつぶやきを表示するのだ。この場合は、画面の中ではなく、リモコンの”dボタン”を押すと出てくるサブ画面上にツイッターを表示している。それが上の写真ね。

つまりこの写真は、番組の画面、ではなくて、番組放送中にボタンを押して呼び出してこうなったのだ。へー、と思った。データ放送でこんなこともできちゃうんだ。

これも1画面方式ということになる。なんだ、テレビをスマートテレビにしなくても、放送側でソーシャルテレビできちゃうんだなあ。

それにしても、このところのNHKの大胆ぶりはどう?いま、いちばん新しいことやるのはNHKになっちゃった。ソーシャル関係以外でもいろんな取り組みをしているしね。

いちばん真面目で保守的なテレビ局だった気がするけど、いまやちがう。もっとも革新的なことをやっているかもしれない。やるなあNHK!

ソーシャルテレビはもちろん、NHK以外でも、放送局によるもの以外でも、どんどん、ぐいぐい出てくるだろう。2012年は、どうやら騒がしいことになりそうだぞ!

”メディアについて語り合う!Facebookページ”境塾”はこちらです!

雑誌・調査情報(2012年1−2)に原稿を書いたよ


この写真は、「調査情報」という名前の雑誌の最新号だ。11月末の記事に書いた通り、ぼくは原稿依頼を受けたのだけど、それが掲載されている。

前にも書いたけどもう一度書くと、この雑誌はTBSメディア総研が出版している。テレビ局が”総研”を持っているのも珍しいし、こういうメディア研究に関する雑誌を出しているのも他にはない(はず)。そういうところはTBSらしいなと思う。

ぼくはこの雑誌の存在を原稿依頼をいただくまで知らなかった。失礼千万だね。テレビに関するメディア論の本を出しているくせに、不勉強だった。

さてこの号の特集は「テレビドック」とある。リード文を引用すると・・・

放送開始以来、「還暦」まであと1年の今、ドックに入れてメディカルチェックをしてみよう。

そういう企画意図だ。今野勉さんによる総論的な文章を皮切りに、テレビの現状を様々な角度から”チェック”している。そうそうたる論者ぞろいで、その中に加えてもらえるなんて光栄というか、気恥ずかしいというか。

去年の4月にここでとりあげた『メディアと日本人』の著者である橋元さんも原稿を書いている。もちろん、メディア調査をもとにした記事だ。後半で書いておられることは、ぼくが書いたことに近くて共感できた。

小林恭子さんの英国テレビ界のレポートも面白かった。アメリカの情報はまだ伝わるけど、イギリスは全然よくわかんないしね。メディア環境が国によってずいぶんちがうことがあらためてよくわかった。

書き手の中でぼくをもっともキンチョーさせたのは、今野勉さんだ。『お前はただの現在にすぎない』の著者でもある。この本についても、ぼくは少し前に書いている。ぼくのテレビ論の土台の基礎みたいなものを形成してくれた本だ。

1969年の本で、80年代前半、大学生の頃に古本屋で買ったのをよく憶えている。その当時すでに、探さないと手に入らない伝説の書籍だったのだ。読み込むと、テレビというものと、こんなに真摯に、ある意味では魂を削るように、向き合っている人たちがいるんだと感心した。そして「現在に過ぎない」という言葉を重たく受けとめた。

そんな、大学時代に神の言葉のように受けとめた本を書いた人と、同じ雑誌にぼくが原稿を書いているとは!キンチョーしちゃうよ。

「現在に過ぎない」ことには、メディアの根本的な意義があると思う。どれだけ現在であることが可能なのか、そこをどこまで極められるかが、メディアの存在価値を決定してしまう。だからソーシャルは(ネットではなくソーシャルね)今後もっと発展するし、テレビはまだ価値を持ち続けるし、紙媒体は相当存在が危ぶまれる。

それから、”どういう範囲のコミュニティにとって”の現在なのか、も重要だ。これまでは”日本という範囲”にとっての現在であれば問題なかった。それは期せずして(でも決して偶然ではなく)国家と同じ範囲だった。だから”マスメディア”だったしマスでなければならなかった。

これからは、そういうわけでもないでもない、ということになってしまう。そこがなんだか話がややこしいところだ。

あー、っと、雑誌の紹介だけするつもりが、脱線というか深入りというか、しちゃった。つづきはまた次回ね。

そうそう、「調査情報」は普通の書店にはあまり置いてないので、大きな書店かFujisan.co.jpで「調査情報」を検索して・・・というかこのリンクをクリックしてネット通販で買ってね!もちろん、このブログの読者ならメディア論に興味あるよね?買ってくれるよね?ね?ね?・・・ね!でっへっへ・・・

若い世代の声の受皿って、意外になかった〜「新世代が解く!ニッポンのジレンマ」を観て〜

前回の記事で紹介したNHK Eテレの「新世代が解く!ニッポンのジレンマ」を連休中に観たよ。その番組はどんなものなの?って人はNHKのこのサイトを見ればだいたいわかるでしょう。1970年以降生まれの気鋭の論者が12人集まって、現代の課題を多角的に論じ合う。

若者版”朝まで生テレビ”みたいなものだけど、あれよりずっと知的で上品だ。それに何と言っても論点がコンテンポラリーだ。

議論の中身も面白かったのだけど、大まかに言えば、旧来型の価値観へのアンチテーゼだ。付和雷同的に画一的なライフスタイルと人生を送っていればよかったこれまでの時代が終わっているのに、新しい理念も制度もまったく築こうとして来なかったこの国への不満を提示している。もはや国家や企業に頼っていても仕方ないのだと、社会的にも生活面でも認識しないといけない。そのあたりはこのブログでうだうだ書きなぐってきたぼくの感覚も同じなので大いに共感した。

中間共同体が必要ではないか、という話も何度か出てきて、それこそマスメディアとは別にミドルメディアが必要なのだ、というメディア論と重なる考え方だと思った。

最後にそれぞれが感想を述べたのだけど、みんなが”この番組を通じてつながりあえたこと”に強く感動していると言っていた。松岡由希子さんという、MBAも持ってる経営学に通じたライターの方が感動して少し涙していた。こんなすごいキャリアの、ぼくなんかが議論したら圧倒されそうな女性が、感涙している姿にぼくも感動した。

ひとりじゃないんだ。このもやもやは、みんなと分かち合えるものだったんだ。

それが彼女の涙のもとなんだろう。じーんとしながら、へえー、とも思った。

ぼくは、いまの若い人(ぼくより一回り以下の人たち)は上手につながっているものと思っていた。それこそ、ソーシャルメディアなんかを駆使して、とっくに共感しあい、知見を共有しあい、コミュニティを形成して伸び伸びやっているんだと思っていた。

そっか、みんなそんなに器用なわけないよね。基本は、みんな不器用だし、孤独だし、だからこそ、ソーシャルでつながれることにワクワクしてるんだもんね。

それからもうひとつ、彼女の涙を見て、気づいたことがある。

こういう番組はなかった、ってこと。若い人のオピニオンをまとめあげるような番組はなかった。たぶん雑誌はあったのかも。でも、”マスメディア”としては初めてだったんじゃないかな。そこはたぶん、かなり重要なことだと思う。

若い人の声をまとめあげる受皿がなかったんだ。意外に盲点でもあるんじゃないかな。なぜなかったのかな。わかんないけど。

テレビや新聞が集約する”オピニオン”は、長らくオジサンのものだった。週末にやるニュースまとめ系番組だってそうでしょ。ずっと、この20年間ぐらい同じメンバーだったりとかね。

いま、こういう若い意見を集約する”場”って大切だと思う。それこそ”コミュニティ”を形成しないといけないんじゃないか。それが、旧来型理念・価値観へのカウンターパートになるかもしれない。

成人の日の朝日新聞の社説に「成人の日に―尾崎豊を知っているか」という文章が出て、ネット上で変に話題になっていた。あちこちで馬鹿にされまくっていたから読んだ人もいるだろう。

ほんとうに情けない文章で、ここではあえて批評もしないけど、いまのマスメディアで展開されている論のメインの主はああいう人たちだ。別にそういう人たちもいていいけど、20年前に亡くなったミュージシャンを題材に若者に説教する世代(ぼくも世代としてはそっちに近いのだけど)の声は聞こえても、若い世代の声は聞こえない。それがいまのマスメディアの現状だとするなら、この番組は、続きが必要だろう。それはたんに、この討論会をまたやるべきだ、という意味ではなく、あそこでとりあげられた課題にひとつひとつ切り込んでいく、ということだ。

若い声の受皿を、テレビがつくること、マスメディアの中にそういう場があり、コミュニティの核にしていくこと。これはかなり時代的な意味があると思うなあ・・・

日本はオジサン社会なんだわ〜新世代が解く!ニッポンのジレンマ〜


元旦の夜、福岡の実家でだらだら酔っぱらっていたらNHK(Eテレの方)で面白い番組をやっていた。「新世代が解く!ニッポンのジレンマ」という座談会番組。ほほー、こりゃおもろいなーと興奮しながら見たんだけど、何しろ酔っぱらってたので途中で寝てしまった。

そしたら再放送があるんだって。反響が大きかったんだろうね。この週末、8日(日)の午前1時20分から(つまり土曜の夜中遅くってこと)同じくEテレで放送するそうだ。

もうとにかく、これ絶対観た方がいいってば!

12人の論客がいい。「新・週刊フジテレビ批評」でぼくも知った宇野常寛氏、チームラボ(いま変に話題だけど)代表の猪子寿之氏、『若者はなぜ三年で会社を辞めるか』で知られる城繁幸氏などなど。そして司会はBIZスポの堀潤だ!ジョブズが亡くなった時、ぼくに街角インタビューしたあのキャスター!

討論のテーマは多岐に渡っていたけど、うまく構成してあってわかりやすく議論を整理しながら進めている。朝生みたいにプロレスショーみたいな討論じゃない。

番組の中ですごく印象的だったのが、猪子氏が何度も「我々はマイノリティだから・・・」と言ってたことだ。それを見ていたぼくの姉(1957年生まれ)が「あ、そうなの?そういう認識は言われんとわからんねえ。年取ったもんはみんなわからんちゃない?」と言った。

年配層は、若者がマイノリティだという発想がない、と言いたかったようだ。実際、そうなんだろう。若者の人口が少ない、という状況は想像だにしてないだろう。

会社に入った時、男尊女卑というけど、男性でも若者は女性同様肩身が狭く一人前と認められてないんだと知った。男性社会じゃなくてオジサン社会なんだなと受けとめた。男性と女性の違いは、男性は十数年我慢していればオジサンになれて支配する側になれる、という点なのだ。

でも結果的には、ぼくらの世代は”支配する側”には回れなかった。その頃には支配もへったくれもない経済状況になっていたからだ。その上、ぼくらが若い頃のオジサンたちはあいかわらず威張っていてぼくたちはへいこらしてきた。

だからぼくのようなアラフィフ世代でも、”70年以降生まれの方限定です”というこの番組にもかろうじて共感できる。

ずいぶん前に似たようなことを書いたけど、ぼくらの世代、つまり団塊の世代に追随しようとしてそれさえできなかった情けない世代は、ホントの革命は起こせないのではないかと思う。せめてぼくらより若い世代が世の中の仕組みを根本から変えるために暴れるのを、バックアップしてあげることしかできないのではないか。でもそれはそれですごく重要なロールなのだと思う。

なーんて気持ちで、ぼくはもう一回この再放送を見ようと思う。うん、あなたもきっと、観るといいと思うなあ!

メディアを変えるのは、ぼくたちの意志だと思う。謹賀新年2012


1月1日付の記事で新年のご挨拶は書いたのだけど、何しろほとんど年賀状を出さないので、あらためてここで年賀状の代わりなことをしておこうというのが今回の企画意図。

上はそのわずかに書いた年賀状(しかも今日投函した(^_^ゞ)に使ったビジュアル。へたくそなデザインをしてコピーめいたひとことを添えてみた。

クリスマス連休に家族を連れてスカイツリーを見に行ったのでその時に撮った写真を使ってみた。コピーは「メディアを変えるのはスカイツリーみたいな施設もだけど、結局はそれを使うぼくたちの意志だよね」ってことを言っている。あ、そんな説明しなくてもわかるか。

メディアを変えるのは人間に決まってるけど、いま起こっているのはこれまでのメディアの変化とずいぶんちがう。

マスメディアの既得権益をネットが突き崩しつつある。でも”いま起こっていること”はさらにそれとも少しちがう。ネットが登場し浸透しただけでは”変わる”わけではなかった。先行者利益だけがあったにすぎず、いまからYahoo!を超えるポータルサイトはつくれないだろう。

つまりネットの登場はメディアを作る場所をほぼ無限大に拡張した。でも無限大の場所にメディアを新たに作るのはかなり体力が必要だ。そうすると、やっぱり体力のある者がメディアを握ることになる。

ソーシャルメディアはそういうこととまったく次元が違う。誰でも変化に参加できる。変化を引き起こすことができる。そしてそこに”共感”などの力があれば信じられないほどの伝搬力を持って世の中に伝わる。言葉の壁さえ乗り越えられれば世界中に伝わる可能性もある。

ここで重要なのは、必ずしも体力勝負ではない、ということだ。そこがこれまでのメディアの作り方、捉え方とまったくちがう。だからと言って何の努力もいらないというわけでもない。必要なものは”意志”だ。

この点こそが、何とも言えない不思議なポイントだと思う。インターネットで様々なプログラミングやテクノロジーが生まれては消えていった末に、いちばん重要な要素が”人間の意志”だった。それが2011年までの結論なのだ。

よーく考えたら不思議で神秘的ではないだろうか。何万行ものコードが書かれたとしても、それにパワーを吹き込むのは、”意志”なのだ。

そっか、ぼくがソーシャルメディアの登場に興奮し、希望を感じとっているのも、そこなんだろうな。

というわけで、2012年がいよいよ始動!今年もまた、いろんな出会いがあるんだろうな。楽しみだね!

2012年のはじめに・・・ソーシャルテレビ推進宣言!

みなさん、あけましておめでとうございます。

ぼくは年賀状無精ですごく少ない人数にしか年賀状を出さないので、届いてないぞ、って人も、ここでの挨拶でご容赦ください。

さて元旦、2012年最初の記事だってことで、必要以上に肩に力の入ったことを書こう。

思えばこの数年、大晦日や年明けの記事でぼくは漠然と”変わろう”とか”はじめよう”とかアジテーションを書いてきた。でもその中身は意外に曖昧でもやもやとしていて、明確に”これ”をやると言えるものではなかった。でも今年は、きわめてはっきりとした”これ”をやると宣言するよ。

なぜならば、メディアコンテンツ界の混迷にようやく方向性が見えてきたから。やばいぞあぶないぞとか、変わるぞはじまるぞとか、ずっとそんな”予兆”的な状況だったのに対し、2011年ははっきりと”はじまった”感があるからだ。

このところ書いてきたように、テレビとネットの新しい姿がくっきりしてきた。そのキーワードはソーシャルだ。バルス祭りが顕著だったように、テレビとネットはソーシャルで融合することができたのだ。

だから、今年は、その流れをもっともっと、ぐいぐいっと加速させるために頑張ろうと思う。”ソーシャルテレビ”というものを推進する活動をどんどん展開したい。

ソーシャルテレビ推進宣言だ!

このブログを通じたメッセージでも、境塾などの活動でも、そして各種メディアなどの出演や取材を通じてでも、「ソーシャルテレビ進めましょう!」とことあるごとに発言していこうと思う。

それだけでなく、さらに具体的なこともやってみたい。団体を作ろうと思うんだ。名称は、そうねえ、”ソーシャルテレビ推進協議会”みたいなことかな?

団体といっても業界団体みたいに明確な組織ではないことにしたい。事務局だけははっきり存在している。それは、ぼく自身だ。

そして大事だと思ってるのは、会社単位での入会ではなく、個人単位で入ってもらえるようにしたい。所属会社などは明らかにしてもらうけど、その会社ではなく、個人の意志と責任で参加してもらうのだ。そして「協議会」というのは、研究会よりもう少しだけお仕事よりなムードにしたい、でもあくまで個人として”協議”に参加する、という感じ。

そうした上で、この会から世の中にメッセージをしていきたい。要望とか、提言とか、していきたいのだ。”ソーシャルテレビを推進していくためには、こんなことが必要ですよ、みんなで取り組んだ方がいいですよ、てなことを言っていきたい。

ああぼくは、こんなことをやるべきなんだな、というひとつの答えがこれです。大きな組織に所属していない、でも本なんかも出しちゃって小さな範囲だけど発言すれば耳を傾けてもらえる環境はできてきていて、イベントやるといろんな方面の皆さんと知りあってハブ的な役割も果たせるみたい。そんなぼくだからこそ、この”推進協議会”ができるし、やるべきなんじゃないかと考えたの。

どお?面白そうでしょ?

今月のうちにもう少し具体的な要項的なことを整えたいと思ってます。

そんなぼくとあなたの2012年に、乞うご期待だね!

Play Back 2012 〜下半期:すべてがすごい勢いで動き出した!〜

2011年を振り返る上半期篇を月曜日に書いたら、仕事納めも終わっちゃって、もう除夜の寝さえ聞こえてきそうなほど年末も押し迫ってきた。下半期篇をとっとと書かないと、年を越せないね。さっそく、7月からいこう。

7月
●ビデオプロモーション入社
また少しちがうsakaiosamuになるのでありんす
●『テレビは生き残れるのか』出版
刷り上がったぞ!『テレビは生き残れるのか』16日発売!
●第三回リアル境塾「アナログ停波まつり」
第三回リアル境塾を終えて〜やるべきことは、はっきりしてきた!〜

7月はアナログ停波。テレビ放送50数年の歴史の中で大きなターニングポイントだった。そしてぼくにとっても人生の中での転機を迎えた。ロボットを辞め、ビデオプロモーションに入社。そして初の著作を出版した。24日のアナログ停波当日には、山崎秀夫さん、志村一隆さんをゲストにお招きして境塾のイベントを行った。慌ただしい一ヶ月だったなあ。

8月
●「新・週刊フジテレビ批評」出演
「テレビは生き残れるのか」と言いつつ、テレビ出演で盛り上がる
●フジテレビ抗議デモ
ネットはなぜマスメディアに腹を立てるの?

初めて出版したら、初めてテレビ出演をした。その依頼はTwitter経由だったし、もともと注目していたプロデューサー福原伸治さんからのコンタクトだった。そういった顛末もソーシャル時代ならではだなあ。そして韓流問題を発端にしたフジテレビ抗議デモ。その主張は脈絡ないけど、ネット住民がテレビにはっきり反旗を翻した象徴的な出来事だと思う。この対立を乗り越えたところに何かが生まれると思うなあ。

9月
●hulu日本でVODサービスを開始
Huluで映画とドラマ見放題!VOD市場の破壊というか創造というか・・・
●広島RCCラジオ出演
http://sakaiosamu.com/2011/0907080018/
●映画『モテキ』ヒット
日本映画は生き残れるのか〜モテキのヒットは何かの予兆か?〜

2011年はVOD元年と言っていいと思う。その象徴がhuluの日本でのサービス開始だ。定額制はひとつのキーワードになるだろう。広島のラジオ局から著作に関して出演の依頼があった。これもTwitter経由。そこにはラジオの可能性の一端がかいま見えると思う。そしてテレビ東京で夜中に放送していたドラマ「モテキ」が映画になって大ヒット。これも新しい現象だと思う。

10月
●スティーブ・ジョブズ逝去
製品にメッセージを感じることなんて、もう二度とないんだろうね・・・
●第一回BAR境塾〜tuneTVとテレBing〜
BAR境塾「ソーシャルテレビをアプリで語る」楽しかったよ!
●スマートテレビ研究会に参加
スマートテレビ研究会、盛り上がってきたぞ!
●第四回リアル境塾 福原伸治氏をゲストに開催
”中間”にイノベーションが生まれる〜第四回リアル境塾レポート〜

11月はイベント満載。デジタルハリウッドでやっているリアル境塾には、ぼくを番組に呼んでくれた「新・週刊フジテレビ批評」の福原さんを逆にぼくがゲストに招いた。一方、Bar境塾と称してアプリに関するトークショーを開催。何気なくやってみたんだけど、いま思えばけっこう重要な催しだった。それから、慶応大学メディアデザイン科主催のスマートテレビ研究会にお声がけいただき、その後も参加している。
でもこの月でなんと言っても大きな出来事は、ジョブズが亡くなったことだ。ぼくもショックを受けたが、世の中が大きな衝撃を受けたのは驚きだ。そんなに大きな存在になっていたんだなあ。

11月
●ニコニコ動画、YouTubeとテレビ局の連携進む
テレビはネットをどんどん利用しよう!〜YouTube、ニコ動との連携進む〜
●JapanTimes取材
The Japan Timesからニコニコ動画についてインタビューされたって話

今年後半の動きで突出していたのがニコニコ動画だ。大げさに言うと毎週何らかのニュースが届いた。そしてテレビ局をはじめオールドメディアとの連携が次々に展開された。8月のフジテレビ抗議デモと対比させると面白いのだが、テレビとネットは反目しあいながら手を結びはじめている。その方がトクだからであり、その方が面白いからだ。
JapanTimesから取材を受けた。小さな範囲だけど、メディアの中で知られるようになってきたかな。

12月
●バルス!祭り
バルス!〜テレビとソーシャルの幸福な瞬間〜
12月はなんと言ってもバルス祭りだろう。なんだそりゃって人は上のリンクから記事を読んでみて。2011年の結論がそこにあると言っても過言ではないと思う。アナログ停波と若者のテレビ離れが露呈した今年、悩んできたテレビとネットはバルス祭りで融合点を見いだしたのだ。

そうだ、テレビとネットは、放送と通信は長らく、融合が必要だと叫ばれてきた。でもちっとも融合しなかった。それどころか、反発しあうばかりだった。その頂点が8月のフジテレビ抗議デモだった。でも糸口は見つかった。バルス祭りが教えてくれた。バルスとは、天空の城ラピュタを崩壊させるおそるべき呪文だが、同時にテレビとネットが融合する素敵な呪文でもあったのだ。

こうして振り返ってみると、2011年は苦しくつらい一年ではあったが、光明が見いだせた一年でもあった。1月にFacebookが盛り上がり、12月にバルス祭りで締めるなんてよくできたストーリーになっている。そんな中、境塾の活動を始めて本を出版した、ぼくにとっても新しい道が見えた素晴らしい一年だった。

来年は、はっきりやろうと思っていることがある。それは最初の記事で明確にするよ。楽しみだね、2012年。きっといろんな動きが加速する。あなたもスピードあげないと、追いつけないかもよ!

Play Back 2011 〜上半期:振り返れば、すべてがはじまっていた〜

さあいよいよ今年も最終週。みなさん、もうお仕事よりも気分はすっかり休暇だと思う。もちろん、ぼくもだ!

そしてこの一年をクリエイティブビジネス論としても、振り返っておかなきゃね。今年はホントに、メディア界も、この国も、そしてぼく自身もいろいろあって、激動の一年だった。月ごとにトピックを並べていくよ。それぞれの項目とセットのブログ記事も紹介していこう。”⇒”のあとがそれで、その記事にリンクがはってあるので読んでみて。

1月
●CESでスマートテレビ注目
グッバイ・コンピュータ、ハロー・ニューTV!
●ジャスミン革命
ソーシャルメディアがひっくり返すのは「近代」なのかもしれない
●映画『ソーシャルネットワーク』公開
起業ってロックンロールなのかもしれない
●Facebookページ”境塾”始動!
Facebookでファンページをつくってみた(正確にはつくってもらった)

前の年の12月に冗談半分で設立が宣言された”境塾”がついにFBページで立ち上がってしまったのが1月。そればかりか、スマートテレビが急浮上したりFacebookが急に普及しはじめたり、この一年のトレンドが基本的に出そろっている。まあ世の中、うまくしたもんだ。

2月
●週刊東洋経済『テレビ新世紀』
「テレビ新世紀」=池田信夫+志村一隆+池田信夫+α
●Facebook定着
Facebook経過報告〜面白くって、でも不思議〜
●そめけんUstに干場先生と出演し対談
2月1日21時から、そめけんUst番組に出演します

2月には、Facebookがすっかりぼくの生活の中で定着し、それまでTwitterでやりとりしてきた皆さんともいつの間にかFacebook上にそっくり引っ越した感がある。それから、干場先生と一緒にUstream番組に初めて出演した。2回やったんだけど、最初の時はえらく緊張したのを思い出すなあ。

3月
●東日本大震災
この終末が終わると、ぼくたちは何かをはじめられるのだろうか
 美しいウソの時代は、もう終わったんだね

3月はもちろん震災に尽きる。このブログもその日まで快調に書き飛ばしてきたのが、11日以降はぐっと更新頻度が減った。何を書いていいのかわからなかった。そんな中、上に挙げた2つの記事は振り絞るように書いた内容で、けっこう多くの人に読んでもらえたようだ。
広告が震災後に大きく変化したのは、その後に実感した。もうきらびやかなCMはどこにもない。それは、ぼくたちの未来が明るくなくなったからだとも言える。でも別の意味での明るさは見いだせるのかもしれないし、見いださないといけないのだろう。

4月
●ソーシャルメディアが話題の中心に?
ソーシャルメディアがマスメディアになってきた?
 ぼくらなりの「ずっとウソだった」を唄ってみよう
●高円寺反原発デモ
新しい政治の季節がはじまろうとしている

4月は震災の余波から抜け出せずにいて、でもそんな中でメディアとの新しい関係ができてきたりした。それから反原発デモはかなりびっくりすべき出来事だと思う。政治的な行動を若い人たちがするというのは安田講堂以来なんじゃないだろうか。新しい政治の季節、というのはあながち大げさではないと思う。

5月
●第一回リアル境塾開催
「第一回・リアル境塾」セルフレビュー1「プラットフォームとモジュールと」

5月はもう、これにつきる。ついに境塾としてイベントを開催したのだ。しかも、ゲストは佐々木俊尚さん。いま思えば、よくやったもんだ。これを一回やってから、”人を集める催し”をやることがつかめたし、そんなに大げさに考えなくても大丈夫だな、という心持ちになった。なんでもとにかく、やってみることだね。それもこれも、日ごろTwitterやFacebookでやりとりしている仲間のみんなのおかげ、なんだな!

6月
●第回リアル境塾・少人数でディスカッション
報告:「第二回リアル境塾」盛り上がらないはずはなかった
●ロボット退社
普通じゃないから、アタラシイ方を選ぼう

6月はロボットを退社した。2006年から丸5年間お世話になったしいろんな勉強になった。辞めることに決めたのは、アタラシイ方を選ぶことにしたから。ぼくはいつもそうなんだよね。どうしても、アタラシイ方を選んじゃう。2011年は激動の年だったけど、ぼく個人の人生にとってもそうだった。どんどん変わっていく自分。決して軽々やってるわけじゃなくて、いつもドキドキしちゃうんだよ。でも、ドキドキする方を選ぶのは、なんなんだろう?

一気に一年分を書こうと思ってたんだけど、なかなか長くなっちゃったので、二回にわけることにした。続きは下半期篇で。頑張ってできるだけすぐ書くから、待っててね!

ソーシャルテレビ花盛り〜tuneTV&コレミタ、そしてみるぞう踊るコラボ!

年末でドタバタと仕事してたりするもんで、なかなか更新できなかった。その間にいろんなことがあった。ソーシャルテレビな出来事もいっぱいあったよ!

まずはここで何度か紹介してきたヒットアプリtuneTVがバージョンアップ。その中身についてはこのリンクからリリースを読んでもらえればわかる。いちばん大きいのは、番組に”チェックイン”できるようになったことだ。

ソーシャルテレビアプリにとって今後、チェックインの概念はすごく重要になるだろう。チェックインの向こう側にはいろんな可能性が広がる。視聴者の側にとって、だけでなく、番組を送り出す側にも「見ながらこんなことやって!」という番組連動ができるようになるかもしれない。

一方、セカイカメラの頓智ドットがandroid用に開発したコレミタがiPhone版も出した。コレミタについてはここからダウンロードしてもらうのがいちばんだよ。簡単に説明すると、番組ごとに”トピック”と称して会議室的な空間をつくれる。例えばドラマを見ていて特定の女優だけについて話したければ、そういうトピックを立てればいい。そのトピックに興味がある人たちだけと会話できるのだ。

このコレミタのプロモーション目的を兼ねた実験イベントが20日の夜にあった。開発チームの方から声をかけていただいて、ぼくも実験に参加した。20日の19時から23時まで、チャンネルを渡り歩きながら、みんなでコレミタを使っておしゃべりしようというもの。フルタイムで参加できなかったけど、20時ごろからずーっといろんな番組でしゃべった。だらだらと、でも時にはまじめに会話を交わした。ユーザーが増えてきたら、面白いアプリに育っていきそうだ。

それから、ここで前に紹介したみるぞう。twitterでホットになってるチャンネルが色でわかるアプリだ。このみるぞうは先日記事にしたバルス祭りの時につぶやきをグラフ化する特設サイトをつくっていた。そして今度は踊る大捜査線とのコラボサイトを立ち上げている。

24日の午後14時55分から、フジテレビで『踊る大捜査線 the Movie』1作目が放送される。その際に、それ専用のつぶやきスペースが設置してあり、さらに踊るスタッフのつぶやきだけが見れるスペースもある。かなり凝った仕組みになっている。どんな状態になるのか、スタッフとファンのかけあい的なやりとりが見られるのか、かなり楽しみだ。

そんなこんなで、あちこちでソーシャルテレビが花を開かせている。ちょっと面白い状況だね。まさに『テレビは生き残れるのか』で書いたり、境塾でみんなと話し合ったりしてきたことが、どんどん形になりはじめている。

この動き、見逃せないよ。ついていかなきゃ、遅れちゃうぞ!

金回りがよくて不真面目な時代と、どん詰まりだけど真面目な時代と、どっちがいい?

土曜日にSundayLABという社会人の勉強会に呼んでもらって講演をした。

SundayLABが何かについてはこのリンクを押してもらえばよくわかると思う。数名の中心メンバーの方々がいて、月に一回程度、その時々でいろんな分野の人に声をかけて講演をしてもらう。今回は『テレビは生き残れるのか』を読んでくれてぼくに声がかかったのだけど、別に何か本を出した人に限らず、何らかの活動をしている人、場合によってはメンバーの誰かが話すこともあるそうだ。

テーマもメディアの話に限らず、教育関連だったり社会問題についてだったり、様々。震災後にはメンバー有志で被災地にボランティアで行ったりしたそうだ。社会人の勉強会というと、へたをすると何かお仕事につなげようという下心ありありな集まりなものも多いけど、SundayLABにはまったくそういう匂いがない。いい意味でピュアなのだ。

中心になっているのは30代後半の皆さんで、1999年に起ち上がったそうなので、もう12年間続けているそうだ。よくそんなに続くものだなあ。

ぼくの講演は「テレビというビジネスモデルの絶望と希望」と題して、本に書いたことをある側面から切り出したようなもので、メディアコンテンツ業界の人じゃないと面白くないかなあと危惧もしたけど、皆さん熱心に聞いてくれた。

彼らがはじめたタイミングではネットはまだ始まったばかりだったし、ソーシャルメディアなんか当然なかった。でも彼らの活動はソーシャルだなあと思ったんだな。そういう意味では、いまの空気を先取りした活動だったのかもしれない。

彼らは20代の頃、この勉強会を始めたわけだけど、ぼくは自分の20代の頃を思い返した。なーんか全然ちがうよなー。

ぼくはいわゆるバブル世代で、大学に入って東京に出てきて就職して大人になった、というのがぴったし80年代だった。87年に就職して新人類とか言われつつ、93年にフリーランスになったらどうも景気が悪くなっていて、「あれはバブルというものだったらしい」と言われるようになった。

日本経済のピークと自分の若者時代が重なっていた。

そしてぼくは、80年代の空気が嫌いだった。いつもどこか納得できない、うっ屈した日々を過ごしていた。その悶々とした空気から脱出するにはコピーライターとして賞をとってフリーになるしかない!とシャカリキにコピーを書いていた。

広告代理店にいたのだけど、真面目な話がしにくかった。西麻布に新しくできたイタリアンの店の話とかができないと同僚と話ができなかった。クリスマスにはガールフレンドを名のあるホテルへ食事に連れて行かないとまずい、という世の中だった。

政治とか経済とか社会問題とか、そんな話題はご法度だった。しらけちゃうよ。そんな小難しい話。そんな中でぼくは、何を話せばいいのかわからなかった。

あとで、あのころはバブル時代という、きわめてリッチな時代だったのだと知った。でも自分自身はちっともリッチではなかった。確かに実家に帰ると親戚の話題がNTTの株価になっていてびっくりしたりはした。でもB級代理店の若造は安月給だった。ボーナスを前借りできる制度があってぼくは毎月借りていた。だからボーナスはいくらも残らなかった。

当時の中年世代は金回りが良かったようだ。マンションを転売したらすごい値段になったと上司が喜んでいた。それから、会社の金が使い放題だった。経費と称していろんな金が落とせた。でもそれができるのは売上を持っている営業マンだった。それから、CMプランナーも予算を持っていた。コピーライターはお金にかかわることが全くなく、だから会社の金も使いようがなかった。ぼくはとにかくひたすら、毎日深夜までコピーを書いていた。

ほんとうにつまらない時代だったと思う。

よかったのは、つまらないと感じていたので、とにかくコピーを書くしかなかったことだろうか。

いまの若い人は、会社の金だって使えないだろうし、経済的には20年前よりそうとうしんどいだろう。それに日本という国のどん詰まり感といったらないだろう。希望がこれっぽちも持てない国で成人してしまうのはさぞ切ないと思う。

でも、どうなんだろう。

経済的にいいのは、精神的にはいいのだろうか。会社の金で遊べるより、手弁当で勉強会をやる方が何百倍もいいと思う。それが受け入れられるいまの時代の空気は、ぼくは素直にうらやましい。

80年代にぼくたちは、希望を持っていたように見えて、幻想しか持ってなかった。そして心のどこかで、それが幻想だと気付いていたんじゃないだろうか。

いまは希望が持てない。でも希望が持てない状態というのは、希望を見つけ出そうと、希望をなんとか産み出そうと頑張る。それこそがぼんものの希望なのではないだろうか。NTTの株価がすごいとか、マンションがすごい値段で売れたとか、そんなことに希望はない。そして実際にその希望は幻だった。

ぼくはもう若者ではないけれど、いまの時代を面白がっている。ああ、やっとこういう世の中になったな!と明るく受け止めている。つまりぼくも、80年代よりもいま、希望を持っている。

ぼくにできることが、ありそうだぞ。いまならぼくも、世の中を変えることに加担できそうだ。

ああ面白い。うん、素晴らしい!

そんな気持ちにSundayLABはあらためてしてくれた。うん、みなさん、ありがとうね!次回はぼくもひとりの参加者としてお邪魔しますよ!

バルス!それはまた起こりえるか?〜ソーシャルテレビの可能性〜

さて前回の記事の続きだよ。前回のを読んでないって人は、ここクリックして前回から読んでね。まあ簡単にまとめておくと、12月9日夜の日本テレビでの『天空の城ラピュタ』放送の際、クライマックスで”バルス”という呪文を映画と一緒にネット上で唱える”祭り”が起こって楽しかった、という話。

テレビとネットが手に手をとってエンタテイメントを楽しむ、幸福な瞬間だったと思う。

うん幸福だ、幸福だ。こういうことがこれから頻繁に起こるんだろうね。・・・とは言えないかもしれない。かなり特殊な出来事だったんじゃないだろうか。

まず、おじさんにとって不思議だったことがある。なぜ他ならぬラピュタでこんなに盛り上がるのか?

これはある30代前半女子に聞いたのだけど、いま30代前半から20代の若者たちにとって「ラピュタ」という映画は特別な思い入れがあるのだそうだ。

何今さら言ってんの?そんなことも知らなかったのに”バルス!”とかブログに書いてたわけ?・・・なーんてごうごうと非難の嵐が聞こえてきそうだ。いやー、おじさんホントに知らなかったよ、ラピュタがそれほど特別な映画だったなんて。

その女子が言うには、「見ろ!人がゴミのようだ」とか「目が!目がーーー!」といったムスカのセリフを、友達との会話の中で使って遊んだりしたそうだ。何かそう言う、”いじくりまわす”対象としてラピュタが機能していたらしい。(ああ、また”らしい”とか書くと、んなことも知らんのかボケ!とかなじられそうだなあ)

でもこの話は、ぼくと同世代、つまりラピュタを大人になってから見た人には、ええー?!そうなの?と言いたくなる話だと思う。だって、なんでラピュタなの?

だって宮崎アニメの代表作といえば『風の谷のナウシカ』じゃないの?ナウシカだって王蟲とか巨神兵とか、いじりがいありそうな題材いっぱいあるし。

それに、ナウシカ、ラピュタまで宮崎アニメは劇場でさほどヒットしなかった。『魔女の宅急便』『紅の豚』あたりからはっきりヒットメイカーになって、影響力もがぜん増したはず。それなのに、ラピュタなの?

いまひとつまだ理解しきれてはいないけど、どうやらラピュタには幸福な偶然がいくつも重なっているみたいなのだ。宮崎アニメはどれも盛んに日本テレビで何度も放送されていて、ラピュタも先日の放送で13回目だ。劇場で観れなかった人も、テレビで繰り返し観ている。

いまの若い人たちが子供の頃、つまり90年代に何度も何度も放送され、さらにVHSが根づいた頃だったのでお友達の誰かのお家に集まってはまた何度も見たのだろう。

そして、普通の生まれの少年が主人公で、彼の元に空から女の子が降ってくる。それが子供心を湧かせたのだろう。魔女でも豚でもなく、地球が滅びたあとでもなく、わりと自分たちに近しい世界で、自分たちみたいな少年少女が活躍する大活劇。それが突き刺さってきたんだろうね。

大学生の頃に劇場で観て、「ラピュタは宮崎アニメの中でも社会的メッセージは薄いが、飛行して空の上を目指す宮崎世界の・・・」なーんて蓮見重彦先生の真似して語ってたぼくの世代はダメなんだ。ラピュタにとって正統な観客じゃないんだね。

小学生たちがたまたまビルに昇ると下を見ながら「見ろ!人がゴミのようだ」とか、プールのあとに目薬を差しては「目が!目がーーー!」と叫んで友達と笑いあってる様子を想像して、ぼくは笑っちゃった。ぼくも子供だったらやりそうだなと。

そんな子供時代を過ごした人々が大人になり、ネットを操るようになったら、日本テレビでのラピュタの放送のたびにみんなでネット上で盛り上がるのも無理はないってもんだ。つまり、こないだの”バルス祭り”は、ソーシャルメディアのユーザー世代ど真ん中の若者たち=ラピュタ大好き世代だったからこそ起こりえた、まれに見る幸福な現象だったってわけだ。

ということはね・・・ラピュタでバルス祭りやるのは楽しいし幸福でいいんだけど、だからって今後のソーシャルとテレビの関係は万万歳で、同じようなことがどんどん起こるかって言うと、そんな簡単じゃないぜ、ってことなんだ。あそこまでの盛り上がりをもたらす題材って、ちょっとやそっとじゃないのかもしれない。

それからね、あの盛り上がりって、もう何度も見てる人同士だから起こるわけでね。コンテンツの二次使用どころか三次四次使用だからこそ起こりえた。もっと言うと、何度も視聴できる、クオリティも高いし多くの人に愛されてきたコンテンツだから。そんなの、宮崎アニメ以外でありうるだろうか?あとはスターウォーズぐらいかな?

ここのところは、もう少し考えておきたいので、間を置かずにまた続き書くからね、チェックしとこうね・・・