新しい政治の季節がはじまろうとしている

この日曜日は東京都民として、東京都知事選挙に行った。で、たぶんこうなっちゃうんだろうなあ、という結果が早速出た。

予想はしていたので驚きはしなかったけど、やっぱりがっかりした。

この結果についてここで分析するほどの知識も見識もないので、ここではやめておくね。でも、なんでだろうなー、と思った。だってぼくのまわり(というか、TwitterやFacebookで接している人たち)は今回の当選者を支持しているとは思えなくて、じゃあ誰が入れたんだろう、と思うじゃないすか。

なんか、こういう結果でよかったんだろうか、もっと何かできることあったんじゃないか、と感じた。

そう言えば、この日曜日は反原発デモが高円寺で行われたそうだ。1万5千人も集まったんだって。

こんな感じだったらしいよ。(というか、ちょっと検索すればいっぱい記事が出てくるけどね)

ぼくも行けばよかったかなあとか、なんだかいい感じのデモだったんだなあとか。

生まれてこの方、デモなんて参加したことなかった。皆さんだって、そうでしょ?ぼくの世代(60年代前半生まれ)はとくに、無関心だといわれた。無関心だけじゃなくて、無気力で無責任でもあって、三無主義だとまで言われた世代なんだぜ。シラけ世代とも言われたなあ。情けないだろう。

学生時代、飲みに行くと団塊の世代のおっさん(とは言え、当時30代前半!)たちに、「おれたちの学生時代は機動隊に石投げてたんだ。お前らはどうしてそうおとなしいんだ?」とバカにされた。バカにされたらぼくは素直に、劣等感を持ってしまった。ぼくは本質的に、そんな三無主義世代の中にあって、政治的なこと考える少年だったんでね。

政治的な少年だったけど、政治的な運動には参加しなかった。80年代になっても政治運動に参加してる連中は、ぶっちゃけダサかった。ズレてた。カッコ悪かった。

キャンパスに行くと立て看板があって、とにかく現政権の批判が書いてあった。ぼくにはその内容より、立て看板の独特の書体がもうキモかった。

そうやって結局はぼくも政治からは縁遠い青年になっていき、バブルがやって来た。80年代後半はもう「政治のこととか小難しいこと言いっこなしにしようぜ!」という感じだった。

90年代になって日本新党が誕生し、細川政権が世の中変えるかも、と一瞬思った。盛り上がりかけたら、細川さんがあっさり辞めちゃった。脱力。もう政治には何も期待しないし、政治に関わろうとも思わないね。細川さんの責任は大きいと思う。

そうやって、ずーっと政治的な行動はしないまま生きてきた。そこへ大震災と原発事故だ。・・・おれったら、なにやってたんだ?いやちがうな、何もしなかったのはどういうことだ?こうなるまでほったらかしてたのは、政治じゃない。政治をほったらかしてたおれの責任なんだよ。

ぼくだけじゃないね、そう感じてるの。みんなだよね。だから、デモが行われた。このデモはもう、学生の頃にキモかった立て看板の文字の色はない。もっとカジュアルで、入りやすい空気だ。普通に暮らしていて、「おかしいよね、まずいよな」と感じたらそのまんま行動に移す感覚。

干場先生は学生時代、普通にデモに参加していたそうだ。60年安保の頃だ。樺美智子が国会前で亡くなったとか、そういう時代の話。60年代は若者は政治にとやかく言うのが普通だった。70年までそうだった。安田講堂の攻防と連合赤軍事件で一気に政治の季節は終わった。

それから40年だ。40年ぶりに、若者の政治の季節がはじまろうとしているのかもしれない。そう言えば2011年はそもそも、ジャスミン革命で政権が倒れたんだった。すっかり忘れてたし、あの頃は「遠い国ではソーシャルメディアが革命に寄与してるんだ、へえー」とまったく他人事だった。いまは、都知事選がこんな結果になるなら、ソーシャルメディアで何かできたんじゃないか、などと考えている。

この震災は多くのものをぼくらから奪い、どん底にたたき落とした。でもぼくたちは、いま、何かを勝ち取ったのかもしれない。何か、大事なことを、思い知ったのかもしれない。目覚めようとしている。いい年こいたぼくも、含めてね・・・

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