若い世代の声の受皿って、意外になかった〜「新世代が解く!ニッポンのジレンマ」を観て〜

前回の記事で紹介したNHK Eテレの「新世代が解く!ニッポンのジレンマ」を連休中に観たよ。その番組はどんなものなの?って人はNHKのこのサイトを見ればだいたいわかるでしょう。1970年以降生まれの気鋭の論者が12人集まって、現代の課題を多角的に論じ合う。

若者版”朝まで生テレビ”みたいなものだけど、あれよりずっと知的で上品だ。それに何と言っても論点がコンテンポラリーだ。

議論の中身も面白かったのだけど、大まかに言えば、旧来型の価値観へのアンチテーゼだ。付和雷同的に画一的なライフスタイルと人生を送っていればよかったこれまでの時代が終わっているのに、新しい理念も制度もまったく築こうとして来なかったこの国への不満を提示している。もはや国家や企業に頼っていても仕方ないのだと、社会的にも生活面でも認識しないといけない。そのあたりはこのブログでうだうだ書きなぐってきたぼくの感覚も同じなので大いに共感した。

中間共同体が必要ではないか、という話も何度か出てきて、それこそマスメディアとは別にミドルメディアが必要なのだ、というメディア論と重なる考え方だと思った。

最後にそれぞれが感想を述べたのだけど、みんなが”この番組を通じてつながりあえたこと”に強く感動していると言っていた。松岡由希子さんという、MBAも持ってる経営学に通じたライターの方が感動して少し涙していた。こんなすごいキャリアの、ぼくなんかが議論したら圧倒されそうな女性が、感涙している姿にぼくも感動した。

ひとりじゃないんだ。このもやもやは、みんなと分かち合えるものだったんだ。

それが彼女の涙のもとなんだろう。じーんとしながら、へえー、とも思った。

ぼくは、いまの若い人(ぼくより一回り以下の人たち)は上手につながっているものと思っていた。それこそ、ソーシャルメディアなんかを駆使して、とっくに共感しあい、知見を共有しあい、コミュニティを形成して伸び伸びやっているんだと思っていた。

そっか、みんなそんなに器用なわけないよね。基本は、みんな不器用だし、孤独だし、だからこそ、ソーシャルでつながれることにワクワクしてるんだもんね。

それからもうひとつ、彼女の涙を見て、気づいたことがある。

こういう番組はなかった、ってこと。若い人のオピニオンをまとめあげるような番組はなかった。たぶん雑誌はあったのかも。でも、”マスメディア”としては初めてだったんじゃないかな。そこはたぶん、かなり重要なことだと思う。

若い人の声をまとめあげる受皿がなかったんだ。意外に盲点でもあるんじゃないかな。なぜなかったのかな。わかんないけど。

テレビや新聞が集約する”オピニオン”は、長らくオジサンのものだった。週末にやるニュースまとめ系番組だってそうでしょ。ずっと、この20年間ぐらい同じメンバーだったりとかね。

いま、こういう若い意見を集約する”場”って大切だと思う。それこそ”コミュニティ”を形成しないといけないんじゃないか。それが、旧来型理念・価値観へのカウンターパートになるかもしれない。

成人の日の朝日新聞の社説に「成人の日に―尾崎豊を知っているか」という文章が出て、ネット上で変に話題になっていた。あちこちで馬鹿にされまくっていたから読んだ人もいるだろう。

ほんとうに情けない文章で、ここではあえて批評もしないけど、いまのマスメディアで展開されている論のメインの主はああいう人たちだ。別にそういう人たちもいていいけど、20年前に亡くなったミュージシャンを題材に若者に説教する世代(ぼくも世代としてはそっちに近いのだけど)の声は聞こえても、若い世代の声は聞こえない。それがいまのマスメディアの現状だとするなら、この番組は、続きが必要だろう。それはたんに、この討論会をまたやるべきだ、という意味ではなく、あそこでとりあげられた課題にひとつひとつ切り込んでいく、ということだ。

若い声の受皿を、テレビがつくること、マスメディアの中にそういう場があり、コミュニティの核にしていくこと。これはかなり時代的な意味があると思うなあ・・・

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