「テレビは生き残れるのか」と言いつつ、テレビ出演で盛り上がる

「新・週刊フジテレビ批評」に出演してきたぞ。いろんな意味で面白い体験だった。

意外に緊張はしなかったけど、ボルテージは上がってたと思う。スタッフのみなさんと打合せしたことがいざ本番では5割ぐらいしか反映できてなかった。しゃべりすぎだろ、おれ、みたいな。

ちょっとだけふれるつもりで出した話題を、いつまでもしゃべるおれ。別のおれが、おいおいもうその話題は切り上げろよ、と言ってるんだけど、しゃべってるおれは止まらない、てな感覚。いったいしゃべってるのはどのおれだ?

まあそんな感じですっかり高揚してしまった。あとで録画を見て恥ずかしくなっちまったよ。白髪多いなあとか。身体動かして落ち着きないなあとか。ホンット、テレビに出るって恥ずかしいね。

Twitterでおなじみの仲間たちや、この度はじめてTweetを交わした人など、ソーシャル上も盛り上がってた。「見てる?」「見てるよー!」てな感じで。

ところで、この高揚感と盛り上がり、よーく考えるとおっかしな状況だ。

だって今回ぼくは「テレビは生き残れるのか」という本を出版し、出演の際のテーマもまさにこの本の書名通りで放送された。

そしてこの本では、テレビを批判しているわけではないのだけど、そのメディアパワーがどんどん薄れているね、と書いている。

おんや?どこかに矛盾がありませんかい、境さん?

メディアパワーが薄れているはずのテレビに出演するってんで、ソーシャル仲間と一緒に高揚して盛り上がってるじゃありませんかい?なーんだい!テレビのメディアパワーの力強さを体現してるってもんじゃないの!いったい薄れてるって言えるわけ?

いや、面目ないっす!まったくおっしゃる通り!やっぱすごいっす、テレビって。

例えば、福岡の実家の母親(80歳)が電話してきた。「あんた、テレビに出たのね!」「どうしてわかったと?」「千葉のおばちゃんが偶然見とったんよ」なるほどなー。「週刊フジテレビ批評」は関東ローカルなので、実家の母親にはDVDを送ってびっくりさせましょうと妻が言ってたのだけど、親戚がたまたま見て先に知ったのだった。

その大騒ぎっぷりがまた、テレビのパワーを物語っているよね。

本の中でもぼくは、テレビは今後も重要な存在になるとも書いている。パワーダウンは否めないが、マスメディアの代表として生き残っていくのだと。だからまちがったこと書いたわけではない。ただ、パワーダウンするにしても、もともとのパワーがいかに大きいものか、今回で思い知った気がする。

だからこそ、テレビはもっと頑張れるし、何かができる場であり続けるのだろう。テレビという巨大な樹があり、そのまわりにソーシャルという小さな芽が、たっくさん育ちはじめている。大樹と、たくさんの小さな芽がどんな生態系をつくりあげていくのか。

あ、それ実際につくるの、ぼくだわ。何しろこの度、メディア・ストラテジストというテキトーにつくった職種を、テレビで公言しちゃったからね。メディアを戦略しないとね。

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