この終末が終わると、ぼくたちは何かをはじめられるのだろうか

地震の週末が明けてから、世の中はゴタゴタ。会社からは、自宅勤務も認めるよ、との指示。打合せも次々延期になったので、15日火曜日は家で作業をした。それなりにやるべきことはあったし、自宅は作業に徹するにはいい環境。意外なほど作業が進んでかえってよかったかな、なんて思っていた。

夕方、用事があって息子と自由が丘に出かけた。ほんとは日中はデスクに向きあってないといけないんだろうけど、ま、そこは、ね。

自由が丘はいつも休日に行く。大勢の人々、家族連れや若いカップル、初老の夫婦など老若男女あらゆる人々でごった返す街だ。明るくて伸びやかでおしゃれな、ぽかぽかとした空気の元気な街。でもこの日は、閑散としている。そうか、平日の自由が丘ってこんなもんなのか。いつも賑わっている街だと勝手なイメージを持ってしまっていたのだな。

休日だと満車で停められない東急ストアの駐車場に行ってみると、あっさりあいていた。妻から米を買ってきてほしいと頼まれていたのだ。店内に入ると、びっくりした。ちょうど改装工事中で1階の食料品売場しか営業していない。改装のために大きく建物が覆われているのがまずいつもとちがうムードを醸し出している。

それだけではない。店内が暗いのだ。節電のため、陳列棚の蛍光灯がついていない。そしてその陳列棚はかなり空きスペースが目立つ。商品が少ないのだ。自由が丘東急ストアのこんな状態は初めて見た。暗い。照明が消えているから暗いだけではなく、空気が暗いのだ。自由が丘に”暗い”なんて似合わない、想像しがたい言葉なのに。

買い物は帰りにすることにして、息子とDoCoMoショップに向かう。ケータイを風呂に落としてしまったので、交換できるか聞きに行くのだ。

息子が「パパ、あれ!」と指を差す。自由が丘は、東横線と大井町線が交差している駅だ。高架の上に東横線のホームがあるのだが、電車がその高架上に停車している。そして電気が消えている。その上、どうも動き出す気配がない。

「動かないの?」と聞くので、「うーん、東横線は動いているはずだけどなあ」と答えにならないことを答えた。

在京の人ならご存知と思うが、各私鉄が動いていたり、動かなかったり、時間指定で動いてたりする中、東急線は比較的どの路線も多少本数を減らす程度の運行だった。東横線は普通に動いているはずだ。

でもなぜか、駅のホームから動かない。

明るい賑やかなはずの自由が丘が、なんだかどよーんと暗い街に変貌している中、駅のホームで動かない電車。この日はやや寒く、雲も重たい天気もあって、風景がグレーの絵の具で描かれた絵のようにぼくには見えた。

なぜだかわからないが、HGウェルズの『宇宙戦争』を思い出した。

子供の頃、”世界文学全集”という全24巻ぐらいの全集があって、ぼくはかなり読み倒した。その中に『宇宙戦争』もあった。ぼくはこの小説に大いに触発された。タコみたいな火星人が、タコみたいなロボット兵器に乗って地球人を殺戮する衝撃的な小説だった。

数年前のトム・クルーズ主演スピルバーグ監督の映画版は、相当脚色もしてあるけれど、実は原作の持つムードに忠実な内容だ。終盤で地球の微生物にやられたロボット兵器がどよーんと動き回って倒れるシーンがあるが、原作にもほぼ同じシーンがある。自らが焼き尽くした地球の街を、うら〜、などと呻きながらタコ型ロボットが歩くのだ。そのくだりにぼくは、子供ながら”終末感”めいた気分を感じとったものだ。

その『宇宙戦争』のラスト近くの場面を、自由が丘の動かない電車と重ねていたのだ。あの電車は、うら〜、と呻いて動き回るタコ型ロボットなのだ。なぜかぼくにはそう思えた。

ケータイは知らない間にそういうサービスに入っていたようで、別の機種に安価で交換できることになった。その手続きで1時間半ほどかかってしまった。帰りに東急ストアで買い物をした。

さっきは”空きが目立つ”と表現した商品棚が、1時間半後には”商品がほとんどない”状態に変貌していた。この短時間の間に大勢がたくさん買い物をしたのだ。妻に頼まれた米も牛乳も納豆もない。でも駐車場割引の目標3000円のために、頼まれてもいないバナナだの鯖だのチョコレートだの冷凍ピラフだのを買いながら、この買い物は何だっけ?ああそうだ、タコ型ロボットが町を焼き尽くそうとしているから、家で待つ妻と娘のために、息子とともに買い出しに来たんだっけ。なぜかぼくの頭の中ではそんなことになってしまった。

今回のこの地震は、日本にとって大いなる”終末”なのだなあ。

まずあの津波は、ありえない、信じられない出来事だった。モンスターか、宇宙人が持ってきたロボット兵器で破壊されたのだ、と説明された方がまだ理解できるのではないか。あの破壊を、”海の波”が引き起こすなんて、そんなこと、誰が想像できただろうか?道路の上に大きな漁船がどーんと鎮座していたり、病院の屋根の上にクルマがのっかっている。そんな光景はサルバトール・ダリだって思い描けなかったろう。

その地震から数日、数百キロ離れた首都圏では電車が動かずパニックだ。よーく考えたらとても奇妙なことじゃないだろうか?停電したから電車が動かないのではない。停電しそうだから計画的に停電させると発表され、だったら電車の本数減らしますとなった。そのおかげで何十万何百万人が通勤で苦労し、駅に長い列ができる。電車に乗るまで1時間かかったりする。これってやっぱり、おかしな話ではないだろうか?必然的なようで、合理的ではない。

もっと合理的なやり方はあったはずだが、ぼくがここで書き留めておきたいのはそういうことでもないのだ。

これはおそらく、終末なのだ。何か大きな節目なのではないか?この一件のまえとあとでは、ぼくたちは何か大きく変わっている気がする。

この”終末状態”はいつか終わるのだとは思う。でも、この期間を過ごしたぼくらは、前とはちがう生活感覚に変貌しているのだと思う。前はやらなかったことが当たり前になるとか、当然のようにやってたことをやらなくなるとか、そんな変化がぼくらに起こる気がするんだ。

それはどんなことなのか、まだわからない。でもぼくたちはまちがいなく、この数日で少しずつメタモルフォーゼしている。知らない間に脱皮している。

脱皮したあと、華やかに舞う蝶になるのか、小地味な蛾にでもなるのか、よくわからない。それはぼくたちの意志次第、なのかな?・・・

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