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コピーライター→映像製作会社ロボット→広告代理店ビデオプロモーション→再びコピーライター(フリーランス)。 メディアとコンテンツの未来を切り拓くコミュニケーションをデザインします。講演・執筆依頼もお気軽に!

昭和を解決できないまま、平成が終わった~令和を迎えた昭和世代の責任~

昭和を解決できないまま
私たちは昭和が残した課題を、何一つ解決できていない
この連休中に元号が変わった。平成が終わり令和という新しい時代に入ったことは素直によろこびたいと思う。だが少々、テレビをはじめとするメディアははしゃぎすぎていたようにも感じた。昭和が終わり平成に変わる時の重苦しさ、喪に服してないと非国民扱いされかねない空気よりずっといいが、ここまで浮かれるものかという気もする。それは特に私が昭和世代だからかもしれない。何もできないまま平成が終わってしまったことに、焦りのようなものが胸の中で疼くせいだ。

私は1987年に社会人になった。2年後に平成になり、その後結婚し息子と娘が生まれ、二人とも成人になった。つまり平成はほとんど私が大人として過ごした期間だった。大人としての主要期間が丸々平成だったのだ。だから平成という時代に責任を感じる。いや、令和という時代を迎えて平成が終わる時、その平成に対する自責の念が湧いてきたのだ。ああ、何もできなかった。何も変わらないまま平成が終わってしまう責任の一端を、間違いなく私は負っている。昭和世代はみんなそう言えると思う。

ここで言う昭和世代とは、平成の大半を大人として過ごした人びとだ。私より上の人はみんなそうだし、2000年あたりまでに社会人になった人はみんな昭和世代と規定できるだろう。年齢でいうと今、40歳以上の人たちだ。そこに入る人は、あなたも私も、平成に責任がある。

平成への責任とは何か。私が考えるのは、昭和の課題を解決できなかったことだ。30年間も時間があったのに、前の時代の良くないところを良くできなかった。ほとんど手付かずでそのままになっている。そのことを、平成が終わって今さら悔いているのだ。なんとも情けないことだと思う。

日本の会社、という諸悪の根源
昭和の良くなかったところとは何か、それについては5年ほど前に書いたブログ「日本人の普通は、実は昭和の普通に過ぎない」を読んでもらえるとわかりやすい。
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このビジュアルを上の画像と対比してもらえばわかる通り、この時の続きを今書いている。シリーズメッセージ、のようなことだ。
この時書いたのは、日本が抱える問題はほとんど昭和に源があるということだ。もっともポイントとなるのが、戦時体制の話だ。

日本の社会構造を形成する制度のほとんどは、戦時中にできたものだった。そのルーツをたどると、当時できたばかりのソビエト連邦の社会主義に行き着く。日本の戦後の制度は、ソ連の社会主義をベースにした独特の不思議な制度で戦争遂行のためにできたものだ。それがGHQが来ても手付かずのまま残った。日本という国は戦後に民主的に生まれ変わったように見えて、本質は戦時体制のまま続いて、高度成長の時代に経済的勝利をもたらした。大まかにそんなことが書かれている。

それは経済学者・野口悠紀雄氏の「1940年体制」に書かれていることだ。私は1995年にこの本に巡り合ってようやく、高校生の頃からこの国に感じていた澱みの原因がわかった。

戦時体制の根幹は、そして私が感じていた澱みを生み出しているのは、日本の会社制度に集約されている。資本主義を体現しているはずの株式会社制度は、日本ではまるで社会主義のシステムのように機能してきたのだ。終身雇用と会社別組合と、銀行による間接金融。この3つが組み合わさって日本独特の、資本主義のようで社会主義的な株式会社の制度が成立している。

ここではその問題点をわかりやすく終身雇用に絞って論じていきたい。終身雇用を事実上絶対ルールにしてしまった日本の会社という独特の制度、組織のあり方こそが、私が言う昭和が残した課題だ。

国と個人の間に会社が入り、個人の面倒を見る不思議
経営者は従業員の雇用に責任を持つ。これは当然と言えば当然かもしれない。だが日本では、雇用に責任を持ち続けねばならない。一度採用したら、定年まで面倒を見るのが義務であり、その責任を放棄すると非人間扱いされる。それに司法の判例でも、簡単に従業員を辞めさせることはできない。これは従業員に対して優しいようで、同時に主体性を奪っている。

私はコピーライターとして31歳の時にフリーランスになった。退社してよくわかったのだが、日本の会社員は税金と社会保険の面倒を全て会社に任せきっているのだ。源泉徴収とは世界的に行われている制度ではない。給料から会社があらかじめ税金を払うという大きなお世話が、日本では会社の義務だ。この源泉徴収制度も、1940年体制、戦時中にできた制度の一つだ。国家が税金を徴収しやすくするために会社に徴収させる奇妙な制度だ。ただ源泉徴収制度は日本だけではない。

日本だけの奇妙極まれる制度が、年末調整だ。源泉徴収で大雑把に徴収した税金が、個々人の状況に合わせて払い過ぎた分を返してくれる。その計算もやるのは個人ではなく会社だ。かくて会社員は自分がいくら税金を払っているかも、なぜその金額なのかも知る機会がない。そんな制度で国民主権が成立するのか疑わしくないだろうか。

この年末調整が象徴するように、日本では国と個人の間に会社が入ってくる。会社を通して国は個人を把握し、個人は福利厚生を受ける。この時点でおかしなことだと私は思う。

ただ、受け取りようによっては、会社が個人がなすべき計算を肩代わりしてくれる良い制度とも言える。だが終身雇用のもっと大きな罪は他にある。社会が変化に対応できないのだ。それこそが平成への悔恨であり、この30年で変わるべきだったポイントだ。

終身雇用が、産業の新陳代謝にブレーキをかけている

日本には今、再編が必要な産業がいくつもある。全産業で再編が必要と言ってもいいくらいだと思う。だが誰がどう見ても、内部の人びとも今のままでは行き詰まるとわかっているのに、再編は進まない。再編にはどうしても痛みを伴う必要があるからだ。その痛みを、日本の株式会社は負えないのだ。雇用を守る義務があるせいだ。そして再編が必要な会社の従業員たちも「今のままじゃいけない。うちの業界は変わるべきだ。ただしおれの雇用は守ってくれ」と平気で考えている。そんな従業員たちに責任を感じている社長は、自分が大ナタを振るって社員に恨まれるのは嫌だから、率先して再編に足を踏み出さない。

かくて、このままじゃダメなのがわかっているのに、誰も何も変えられないまま月日が過ぎていく。目端の利く若手社員は少しずつ歯が抜けるように辞めていくが、40代以上は身動きができない。終身雇用が続く限り、今いる会社が続けばいいと乞い願うだけだ。

これこそが昭和が残してしまった課題だ。そして平成で私たちはそれを解決できなかった。ずるずる先延ばしにしただけだ。

終身雇用が生んでしまう正社員と非正規という「身分」
終身雇用がもたらす問題には、もっと個人レベルのこともあり、そちらの方がより大きな問題かもしれない。終身雇用は新卒一括採用とセットだ。だから大学卒業時に「正社員」になれないと、一生なれない。これも日本人の精神性に大きな影響をもたらしていると思う。レールを一度外れてしまうと、もう戻れないのだ。新卒時に景気が悪いとたくさんの人びとが生涯非正規でしか働けない。こんなおかしな社会はないと思う。だからようやく今、就職氷河期の時代に正社員になれなかった人たちのことが問題として浮上している。

そもそも終身雇用だから正社員と非正規社員という不思議な身分のようなものができてしまう。新卒時に入った人は定年まで正社員でいられる。入れなかった人はずーっと非正規社員。封建社会と変わらない身分差別が平気で起こっている。レールさえ外れなければ人生安泰。だからこそ、レールを外れないような生き方になる。またレールから外れた人に猛烈に厳しい態度に出る。互いにチェックし合うような傾向も、終身雇用がもたらしているのではないか。

終身雇用により、家庭生活も縛られるし女性の社会進出の妨げにもなっている。これはまた長くなるので、別の稿で書きたいと思う。

昭和世代は残りの人生で昭和を解決する義務がある
長々と呪詛のような事ばかり書いてしまったが、私が言いたいのはここからだ。昭和の課題を平成で解決できなかったことに、昭和世代の私たちは責任がある。私のプライベートに絡めて言うと、私は私の子どもたちのために、昭和の課題を解決する責任があると思っている。子どもたちは成人したが、それでおしまいではなく、子どもたちのためにできること、なすべきことを私たちはやるべきなのだ。

一つには、各業界の再編を推進するのだ。それぞれの業界のあるべき姿を具体的なものにし、そこに向かって業界が進んでいくサポートをする。もう、自分がいる会社の利益とか、自分自身の雇用とか、そんな小さなことにこだわっている場合ではない。10年後20年後のあるべき像をイメージし、そこに向かってみんなを押していくのだ。

「あるべき像」はすでにわかっているはずだ。ただそこに至るには多くの痛みを伴う。自分自身も痛い思いをするかもしれない。だがちょっとだけズルいことを言うようだが、改革を推し進めた者は、あとでいい目にあうはずだ。敵も作るだろうが、味方の方がずっと多くできて共に動いてくれるものだ。だから恐れることはあまりない。

それに「痛み」と言っても、死ぬようなことではないし、収入が多少減っても意外にやっていけるもの。実は大して痛くもないのだ。何より、自分が痛い思いをすることで、子どもたちの行く末が明るくなると思えば、どうってこともないだろう。

もう一つの問題点、正社員と非正規社員の身分差別や、それに伴う個人のあり方、生き方の方は解決の道筋は難しい。またここで書かなかった家庭生活や女性の社会進出の問題はもっとハードルがありそうだ。ただ、若い世代を見ていると、すでに軽やかに歩いているように見える。若い世代はそもそも、終身雇用などアテにしてないのだと思う。だから自然と解決に向かっているのかもしれない。ただ昭和世代はそれを黙ってぼーっと見ているのではなく、少しでも手助けになるようなことをしてあげたいものだ。それでいいんだ!と力強く促してあげるだけでもずいぶん違うだろう。

私にとっての平成が大人として過ごした時代だったのと同じく、私の子どもたちにとって令和がそうなるのだろう。彼らが心豊かに令和の時代を生きていけるよう、できることをやらねばと思う。

昭和世代が平成にやり残したこと。解決すべきだったことを、これから少しずつこのブログで書いていきたい。私にとりあえずできる、やり方だ。時々気にして読んでもらえればうれしい。

※この記事はアートディレクター・上田豪氏と、5年前にシリーズで続けていた試み。記事を書いて挿し絵的にビジュアルをつくるのではなく、見出しコピーだけを書いたものに上田氏がビジュアルをつけて言葉とともにひとつの表現として完成させたもの。それをもとにあらためて本文を書く、というやり方をしている。ビジュアルを作成してもらうことで、ブログ記事の訴求力と伝播力が強くなる。コトバとビジュアルが組み合わさって起こる化学反応を示している。5年ぶりにまたやってみた。続きもやってみたいと考えている。

コピーライター/メディアコンサルタント
境 治
sakaiosamu62@gmail.com
@sakaiosamu

「アベンジャーズ」や「ゲーム・オブ・スローンズ」を日本は作りだせるのか〜SSKセミナー【令和時代の日本のコンテンツ輸出】〜

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あらためて思い知ったハリウッドシリーズ大作の奥行きとスケールの大きさ
連休中に映画館で「アベンジャーズ/エンドゲーム」を観た。ご存知の通り、マーベルコミックのヒーローが総動員されて壮大な戦いを繰り広げるハリウッド大作だ。「アベンジャーズ」とタイトルについたシリーズとして4作目、それぞれのヒーローが主役の関連作品まで含めると22作目。上映時間も3時間と、かなり見応えある作品で楽しめた。

私は実は、このシリーズを見くびっていて、これまで見ないで来た。ヒーローが全員集合するなんて馬鹿みたいに思えたからだ。最初のを観てないと次のがわからなくなるので、前作から見るのがめんどくさかったのもある。今回は、異様に盛り上がっているので「おさえておく」気になったのと、テレビ朝日が最初の「アベンジャーズ」を放送したのも刺激になった。「エンドゲーム」は前作の「インフィニティウォー」と繋がった物語だというので、それは配信サービスで事前に見ておいた。

馬鹿にしてたくせに見たらハマってしまい、この10連休は関連作品の制覇に取り組んだ。見れば見るほど、キャラクターの奥行きや、関係性も理解できて「あの場面であいつが言ったセリフは、この作品に伏線があったのか」などと感心したりした。

一方、私は「ゲーム・オブ・スローンズ」というテレビドラマシリーズにもハマっている。アメリカのケーブルチャンネルHBO製作で、中世のイギリスをモデルにした架空の世界で七つの王国が繰り広げる壮大な戦いが描かれる。何十人もの主要キャラクターが登場し、次々に殺され物語を退場していく。ドラゴンや魔法、氷のゾンビも登場しファンタジーの要素も強い。見応えがありすぎてたまらないドラマだ。こちらも、これまで7章が放送され、最終章が今放送中。日本ではスターチャンネルで放送されている。私はこの「ゲースロ」を娘に勧められて見るようになり、最新作が見たくてスターチャンネルに契約した。huluの契約者なら7章まで視聴できるので、興味ある方は見てもらうといいと思う。

ハリウッド大作の巨額の製作費をカバーする、世界という市場
「アベンジャーズ」も「ゲーム・オブ・スローンズ」も、見ればわかるが莫大な製作費をかけている。「アベンジャーズ」第1作目だけで2億2千万ドルだったと聞く。「ゲースロ」は1話に1千万ドルかけているとの噂だ。ハリウッドの普通の映画やドラマと比べて格段に高い。なぜそこまで予算をかけられるのか。答えはシンプルで、莫大な利益が出るからだ。「アベンジャーズ」第1作目はアメリカ国内だけで6億2千万ドル、世界全体ではその倍以上、15億ドルの興行収入を稼いだ。興行収入がそのまま製作側に入るわけではないが、仮に劇場や配給が10億ドル持っていったとしても5億ドル戻る。2億ドルが5億ドルになって返ってくるなんて普通の金融商品ではあり得ないだろう。だからアベンジャーズシリーズはメリルリンチの資金調達でスタートしたそうだ。莫大なリターンを想定して融資を受けられるから巨額の製作費がかけられる。

ここで注意したいのは、自国市場だけでは6億ドルだったことだ。2億が6億になればいいように見えて、劇場や配給会社の取り分を考えると金融的には旨みが今ひとつ薄いことになるだろう。メリルリンチも融資の二の足を踏んだかもしれない。だが世界興行で15億ドルになるなら話は別だ。この原稿のポイントはそこだ。スケールの大きなハリウッド巨編は、世界市場があるから製作できるのだ。自国市場だけでは、アベンジャーズは地球を出ることはできなかった。彼らが宇宙でのびのび戦えたのは、世界の映画ファンのおかげだったのだ。

テレビドラマも同じことだろう。資料がなく詳しい数字はわからないが、HBOのドラマシリーズは世界各国で見ることができる。だから壮大なファンタジーを映像化できるわけだ。自国市場だけではドラゴンも空を飛べず、魔法は効かなかっただろう。私のスターチャンネルへの契約料が、巡り巡ってドラゴンを飛ばせているのだ。

ひるがえって、我が日本の映画やドラマはどうだろう。宇宙や魔法どころか、日本の小さな世界から出ることはない。しかも、警視庁や弁護士事務所、東京の会社や家庭が舞台だ。”壮大な”世界に出ることは決してない。何故ならば日本の映画やドラマは、世界で市場を作れていないからだ。

放送コンテンツの海外展開は業界のホットイシュー
映像コンテンツ産業が世界市場に出ていないことへの苛立ちは、霞が関でも感じているようだ。2018年6月に提出された規制改革推進会議の第3次答申の中でも、「グローバル展開・コンテンツの利活用」の項目が設けられ、「放送コンテンツの海外展開の支援」が求められた。そうだ、上述の通り、日本の映画やドラマは海外に展開できていない。ハリウッドのように世界市場を確立できていないのだ。

ただ、この方面にある程度アンテナを張ってきた私としては、進んでいないというより、ようやく進みはじめたように受け止めている。佛教大学の大場吾郎教授の労作「テレビ番組海外展開60年史」を読むと、日本のテレビ局は60年代には早くも海外展開に緒をつけていたことや、実は90年代には展開が開けそうな状況だったことがわかる。だが2000年代以降、なぜか進捗は止まった。

それが近年、あらためて海外展開が盛り上がる空気が漂っている。いろんな要素がありそうだ。長らく日本の放送に関与する人びとが「配信」に理解がなかったのが、さすがにビジネスのアウトプットとして意識するようになったこと。海外展開というとパッケージ販売と思いがちだがフォーマット販売やリメイク権販売など多様なビジネスも広がってきたこと。そして実際に”売れた”事例が出てきて、業界内でも知られるようになっていることもある。さらに今、ローカル局も事業目標の一つとして海外展開を掲げるようになり、うまくいった事例も見受けられるようになったのも大きいだろう。海外展開は、キー局ローカル局を問わず、放送業界のホットイシューになっているのだ。

とは言えまだまだ、放送コンテンツの海外展開について、知られていないことの方が多いだろう。どこに課題があり、どうすれば乗り越えられるのか。それを共有することは放送業界の喫緊の課題と言っていい。

海外展開の知見が豊富なメンバーによるセミナーを5月29日に開催!
そこで私は、SSK新社会システム研究所の企画として、放送コンテンツの海外展開をテーマにしたセミナーを立案した。以前からお付き合いもある、3名のパネリストを迎えて海外展開に関する知見を披露してもらう。また4月にカンヌでMIPCOMが開催された直後でもあり、そこでの最新動向もお聞きしたい。さらには、この秋にDisneyとAppleがそれぞれ新たなSVODサービスをスタートする中、配信市場の第2ステージが訪れることでどんな変化が起こるかも議題にしたい。そしてもし可能なら、放送コンテンツの海外展開の日本の成功モデルはどんな形かも議論から見出したいと考えている。

SSKセミナー申し込み

パネリストは以下のお三方だ。
佛教大学 社会学部教授 大場吾郎氏
TBSテレビ メディアビジネス局 海外販売事業部 担当部長 杉山真喜人氏
日本テレビ 海外ビジネス推進室海外事業部 次長 西山美樹子氏
大場教授は先述の著書をはじめ、このテーマを長らく研究しているが、実は以前は日本テレビの社員だった。内側の視点も持つ研究者としてその意見は貴重だと思う。杉山氏は何と言ってもTBSの「SASUKE」を世界中に売ってきたベテラン。フォーマット販売の分野を切り開いてきた第一人者だ。西山氏は番組制作の現場を経て、近年の日本テレビの海外展開をリードしてきた。「Mother」「Woman」などのリメイク権をトルコなどに販売し、新しい手法とルートの開拓に成功している。

杉山氏や西山氏などの活躍を遠くから見てきた私としては、日本のコンテンツの海外展開は進んでいると力強い実感を持っている。同時に、まだまだ課題も多く乗り越えるべきハードルの高さも見知ってきた。ただ、ここ数年で目に見えて実績が上がっているように思う。数字ではまだ小さいかもしれないが、耳に入る具体的な良い情報が増えているのだ。日本のコンテンツは今、確実に世界市場に踏み出していると思う。それを広げていく一助に、このセミナーがなればいいという思いだ。興味ある方はぜひ以下のリンクから申し込んでもらいたい。そしてあなた自身の活動に役立ててもらえればこんなにうれしいことはない。
セミナー申し込みページはこちら→SSKセミナー「【令和時代の日本のコンテンツ輸出】テレビ局海外展開の最新動向と将来像」

日本発の「アベンジャーズ」が、「ゲーム・オブ・スローンズ」が近い将来、世界中の人びとを楽しませる日が来ると私は信じている。一歩一歩進めば、決して絵空事ではないと思うのだ。

 
 
 
 
 

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ミドルファネルの喪失、という広告の大問題

ファネル
ファネルとは「漏斗」のことだ。広告コミュニケーションを組み立てる上で、まず商品を認知させ、興味関心を持ってもらい、比較検討してくれて、購入にいたるよう設計をする。初めは広い間口から徐々に人数が絞られていく逆三角形が漏斗のようなので、ファネルと呼ばれる。パーチェス(購買)ファネルとか、マーケティングファネルとか、様々に呼ばれるが基本構造はどの呼び方をされても同じだろう。

上の図のように、一昔前のマスメディア時代は主にテレビが認知の役割、新聞雑誌が真ん中の興味関心、比較検討を受け持ち、最後に店頭で購入する、と解釈できた。クルマで言うと、テレビCMでプリウスというクルマがありハイブリッド車という発想なのかと認知し、新聞広告でその考え方や構造を知り、クルマ雑誌の広告でもっと具体的なスペックを知り、販売店に出かけて購入する。そんな流れになる。すべての商品ですべてのケースがこうなるわけではないし、その間にパブリシティも微妙に関与するので実際はもっと複雑だが、簡易化すればこうなる。基本的な考え方と思っていいだろう。

ところがこのファネルが今、崩壊している。具体的には、ファネルの真ん中が消し飛んでいる。そのことを「ミドルファネルが失われている」との言い方で最近表現されているようだ。

というのは、新聞と雑誌の紙媒体が前より読まれなくなり、広告コミュニケーションから外されているのだ。昔は新製品発売時にテレビスポットを打ち始め、その当日に新聞15段広告を打ち、それ以降各雑誌に広告が出る、というのが常識だった。でも今は新聞雑誌の読者が激減してしまった。もうコミュニケーション設計の中にファネルの真ん中がなくなってしまったのだ。
ミドルファネル喪失

ところが、ここが大問題なのだが、このミドルファネルの喪失を多くの企業が真剣に気にしてこなかった。この10年間ほどかけて進行したこの「喪失」を、他の手法で埋めることなく、何の対策も講じられないまま企業も広告業界もやってきてしまった。今になってようやく多くの人びとが気づき、話題に上るようになってきたのだ。

ミドルファネルがないままだと何が問題だろう。もちろん、認知と購入だけで済むこともままある。100円程度でスーパーなどでたくさん売られる食品や飲料などはないならないでいいのかもしれない。実際、新しいビールが出たのをテレビCMで知って近所のスーパーに置いてあれば、一度飲んでみるかと手を伸ばすかもしれない。それでいいなら、それでいい。

ただ、その手の商品もミドルファネルがないままだとコモディティ化してしまう懸念はある。ペットボトルのお茶で「おーいお茶」と「生茶」と「伊右衛門」と、どれにしようか真剣に悩む人は少ないのではないか。「どれでもいいか」とぞんざいに選んでしまうだろう。「どんなブランドか」興味関心を引くプロセスがなくなってしまったからだ。

2年前の春、クルマを買い換えた。それまでムダに外車に乗ってたのを、息子も免許を取ったし国産のハイブリッド車にしようと思った。ところが、テレビCMでいくつかの車種の認知は頭にあったものの、比べて選べるほどそれぞれの車種のことを知らない。そこでネットでいろいろ検索することになる。だがあまりにも情報が溢れていて、かえってわからなくなってしまった。10年前までなら、ある程度の車種の知識やイメージは自然と頭に入っていた。新聞雑誌広告を通して見るともなく見ていたからだ。自然にメディアを読んでいると接触するのが広告の効果だ。だが今の私に、テレビCM以上にクルマの情報に接する機会は皆無になっていたのだ。ネットで検索したら途端にあらゆるメーカーのクルマのバナー広告がしつこく出てきて嫌になった。今の広告コミュニケーションは自然と買いたくなる流れができていないどころか、嫌いになるために設計されているとさえ言える。

ミドルファネルが失われていることを、最初に指摘したのは私の知る限り、JIAA日本インタラクティブ広告協会が作成した「ネイティブ広告ハンドブック」だった。当時の騒動も含めてそのことを書いたブログ記事がこれだ。
「ネイティブ広告ハンドブック」はライターなら読み込んだほうがいい。それがなぜかを解説しておく

2016年11月に書いたものだが、今もハンドブックのURLは生きているのでぜひ読んでもらうといい。「態度変容」もキーワードで、今の広告の課題が理解できる。

さて「失われたミドルファネル」はどうやって埋めるべきか。一つの答えがネイティブ広告なのだが、私が新著「爆発的ヒットは”想い”から生まれる」で書いているのは「情報発信とSNSによるコミュニティ」という回答だ。

ミドルファネルにコミュニティ

とりわけ新しいことを言っているわけではない。今はテレビCMを展開することと、SNSやネット媒体で話題作りを行うことが並行して行われていると思う。ただ、コミュニティ形成と定義して、ファネルの真ん中に置くことがポイントだと考えている。ネットでの話題作りをどう役割づけするか。ネットで話題を作ると商品に注目が集まるから、という程度では見誤るのではないだろうか。その話題作り、商品への注目集めを、ファネルの中で捉えることで、見えてくるものがある。最たるものが予算だ。新聞雑誌をミドルファネルに置いていた時代は、テレビの予算の半分以上を使っていたはずだ。ということは、今も「ネットでの話題作り」に新聞雑誌に投じていたのと同じくらい予算を割いてもいいはずだ。

ところが、ネットでの施策はなぜか大きな予算投下に躊躇する。「でもネットでそんなに?」と腰が引ける。ネットには大きな予算を使うものではない、という根拠のない常識が蔓延してしまったからだ。先日取材した、ある成功例を持つ企業のマーケティング部門の方は、「テレビと同額をネットに使います。新聞雑誌はゼロです」と言い切っていた。

私が今、皆さんに大きな声で言いたいのはミドルファネルの喪失を、コミュニティ形成で埋めるべきということと、そこに過去の新聞雑誌くらいの予算を投じるべきだ、ということだ。

そんなことを話すセミナーが4月16日に開催される。日本マーケティング協会の主催で、前半は私が上のような講演をし、後半では電通メディアイノベーションラボ統括の奥律哉氏をゲストに、インテージ深田航志氏をモデレーターにディスカッションを行う。もし興味あったら来てください。ちとお高いけど、連絡くれれば会員価格で参加できるようにします。

20190416big
→日本マーケティング協会:4/16「境治氏出版記念セミナー」申し込みサイト

 
 
 
 
 

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「爆発的ヒットは”想い”から生まれる」に込めた想いは広がるだろうか

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2月に発売された拙著「爆発的ヒットは”想い”から生まれる」。順調に売れているようである。ただし私のお友達の間では。ありがたいことに、Facebookでつながっているみなさんが「買いました」と書店の陳列や手元に置いた写真を投稿してくださっている。うれしい。いくら感謝してもしたりない。

では一般に売れているかというと、まだよくわからない。というより、まだ大して売れてはいないようだ。それはそうで、私は出版界ではさほど有名ではないし、この本も狭い範囲といえば狭い範囲に向けた内容で、例えば80代後半の私の母が読んでもさっぱりわからないだろう。年齢の問題ではなく、エンタメやヒット現象、そしてマーケティングに興味がないと何のことやら、という本だ。だからどこの書店も、入っていきなりドーン!と、でもなく、ビジネスコーナーの奥の「マーケティング」と表示された棚に、今はまだ出たばかりだし大和書房の出版社としての実績もあるのでそこそこ目立つ感じで置かれている。本の「置かれ方」が大事で、うまく狙っている層に引っかかってもらえるように「置かれる」ことを作るときに考えねばならないのだ。

狙い通り置かれたとしても、やはりプロモーションしないと売れない。私の本はある面、どうプロモーションしたら物が売れるか、ということもテーマにしている。だったら自分の本のプロモーションもここに書いた通りにうまくできないと恥ずかしい。自分の本に書いたことの信憑性は、自分の本を売ることで証明する必要があるのだ。くうう。大変だなあ。

そしてこの本で書いたのは、想いを伝えろ、さすればヒットにつながるのだ、的なことだ。ずいぶん乱暴なことを書いたものだが、そうするとそれを実証するには、想いを伝える必要がある。

というわけで、想いを直接みなさんに伝えるべくイベントを続々企画中だ。ここに示したのが、そのリスト。
イベントリスト

一つずつ説明していこう。

●3月8日 「でじめ会」@大阪P-Cube
「でじめ会」とは関西の新聞社やテレビ局の人びとを中心に、「デジタルメディア関西の会」という、言ってみれば旧メディアの人たちがネットのことを学ぼうという勉強会らしい。だから基本的にはメディア関係者向けなのだが、そうじゃなきゃダメということではないそうなので、入会するかは置いといて行ってみたいという方はこちらへ→事務局メールアドレス
そういう場なので、本の話とともに「いまテレビメディアが迎えているパラダイムシフト」についても話します。そっちも重要。つまりそのあたりにも興味ないとつまらないかも。
ちなみに事務局のP-Cubeの取締役、池田由利子さんとは相澤冬樹との関係で知り合った方。そっちの話は長くなるのでまた別の回に。

●3月9日大阪ジュンク堂本店 Yahoo!ニュース個人フェア記念トークイベント
これはちょっと面白い趣旨のイベント。私はYahoo!ニュースで個人として記事を発信している。その「Yahoo!ニュース個人」がこの3月に書店との提携強化策として東京・関西の丸善とジュンク堂にオーサー専用の棚を設置するという。私に限らず、Yahoo!ニュースに書く人には著書を持つ書き手も多いので、その著作がずらりと並ぶのだろう。
その一環で、大阪ジュンク堂でトークイベントをやってくれる。新著を出したばかりの私にも声をかけてくれたというわけだ。
大阪を愛する身としては願ってもない話で、一も二もなくお受けしたのだが、考えてみると大阪で私を知る人は業界外ではいないだろう。その上、書店の一角かと思ったら”堂島アバンザの6階C会議室”での開催だそうだ。会議室?来てくれるのかなあ。
そんな不安におののく私をかわいそうだと思ってくれる関西の方、ぜひいらしてください。本を買った人にはサインすることになってます。
詳しくはこちらを読んでね。→ジュンク堂の告知ページ
ちなみにサインは、ちゃんとしたものを作ってある。正確にいうと作ってもらった。

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「署名ドットコム」というサービスで、意外に安価で作ってもらえる。これをせっせと練習して書くのだが、なかなかこの通りに書けない。まあ大阪に行くまでにはさらに練習するので、はい、頑張ります!すでに買った方も参加できるイベント(だと思う)ので、とにかくみなさん来てください。よろしくねー!

●3月14日 二子玉川蔦屋書店トークイベント ゲスト:「カメラを止めるな!」プロデューサー市橋浩治氏
あのおしゃれスペース蔦屋書店の二子玉川店でトークイベントをやらせてくれるというので、「カメ止め」プロデューサー市橋氏をゲストにお招きすることにした。ちょうど「カメ止め」も日本アカデミー賞からのAbemaTVでのスピンオフからの金曜ロードショーでの放送へと再び加熱すること間違い無いので、その熱も冷めやらぬうちにイベントができてナイスなタイミングだ。
市橋氏には前にもセミナーに来てもらっている。その時は業界向けのセミナーだったので割と真面目にヒット分析をした。実はその時にうかがった話をかなり本に入れ込んでいる。「カメ止め」のヒットの実際は、市橋氏への取材なしではまとめられなかっただろう。
このイベントでは、本に書いたことよりさらに掘り下げ、「想い」についてうかがおうと思っているが、正直内容は当日までわからないかな?
イベント紹介はこちら→蔦屋書店のイベントページ

というところでエネルギーが尽きたので、イベント紹介前半はここまで。次回に後半の解説をする。後半もまた面白そうだなあ!

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「爆発的ヒットは”想い”から生まれる」はなぜ”想い”をタイトルに使ったか

書店

私の新著「爆発的ヒットは”想い”から生まれる」がいよいよ、この週末から店頭に並びはじめた。昨日2月22日には友人が丸の内の丸善本店に置かれていたと報告してくれたので、勇んで目視確認しに行って撮ったのが上の写真だ。平積みなのはありがたいが、奥の列なのは切ない。なぜか手前に積まれた別の書籍の上に一冊だけ置かれていたのは何だろう。手にとってみたけどやめた人がいた直後だったのか。さらに切ない気持ちになった。手にとったら買ってくれよお。

まあとにかく、大きな書店にちゃんと置かれているのだからいいじゃないかと自分を慰め、私の本の戦況を見守ろうと思う。

ちなみにTwitter上では実物より一足先に私の本が誕生していた。
本アカウント

こんな感じで頑張ってツイートしている。もちろん私ではなくこの本の編集者が中の人なのだが、「私の本」と呼んで私とは別人格として扱っている。よかったらフォローしてあげてください。→「爆発的ヒットは・・・」のTwitterアカウント

さてこの本の中身だが、ざっくり言えばヒットコンテンツの分析だ。「逃げるは恥だが役に立つ」「おげんさんといっしょ」「おっさんずラブ」といったテレビ番組と、「君の名は。」「この世界の片隅に」「カメラを止めるな!」などの映画について、”なぜヒットしたのか”を考察している。Twitterでこう拡散されたとか、プロモーションでこんなことやったとか、現象と手法を見ていっている。制作に携わったプロデューサーにインタビューしたり、Twitterやメディアデータをエム・データや角川アスキー総研に解析してもらったり、そんなことから見えてきたことを書いている。Yahoo!でこの3年間ほど、記事にしてきた内容をもとに新たに書き起こして書籍化した。

そして何より参考になったのが、それぞれのコンテンツのファンのツイートだ。そのドラマの、映画の、何に惹かれたのか、どこを愛しているのか、ツイートを見ることでよく理解できた。さらには、Yahoo!で書いた記事で「教えてください」と呼びかけ、多くのファンが熱心に教えてくれたことも、ヒットの解明に大いに役立った。面白いことに、ファンというと作品を愛しすぎて冷静に見えなくなっていそうだが、少なくともここで取り上げたコンテンツのファンたちは、自分たちを客観的に見て自身を分析して教えてくれた。そういう冷静な視点を持つ人たちだからこそ私の問いかけに応じてくれたというのもあるだろう。

この本のタイトルは実は、そんな風にツイートを寄せてくれたことにインスピレーションをもらって考えたものだ。ああ、”想い”なんだな。作り手と受け手の間で”想い”を共有しているんだな。ネットとSNSでそれがものすごいスピードでできるようになった。だからこそ爆発するようにヒットが生まれるようになったんだ。「君の名は。」「この世界の片隅に」がヒットした2016年あたりから出てきた”想い”の通じ合いが、2018年の「おっさんずラブ」や「カメラを止めるな!」では当たり前になったのだと思う。だから例えば今年の映画のヒット作は「カメ止め」に限らず「ボヘミアン・ラプソディ」や「劇場版コード・ブルー」でも同様なSNSの盛り上がり、”想い”の交錯が起こったのだ。

おっさんずラブ通じ合い
それがもっともわかりやすく観察できたのが、「おっさんずラブ」だった。つまり本のタイトルは直接的には、「おっさんずラブ」から発想したものだ。このドラマは「同性愛に誰ひとり拒否反応を示さない、人が人を好きになることの素晴らしさを認め合うピュアな世界」を描いたファンタジー。そのことを私はTwitter上で自らを”OL民”と呼ぶファンの方々から教わった。そしてほとんど同じことをプロデューサーの貴島彩理氏がインタビューで述べていた。同じ”想い”をドラマを通じて共有し、ネット記事やSNSで確認した。そこに”爆発的ヒット”のエネルギーがあったのだと思う。

そこでこの本には、「参考文献」ならぬ「参考ツイート」のページを設けた。本を書くにあたり特に参考にさせてもらったツイートを巻末に掲載したのだ。参考になったツイートはもっとあったのだが、ページの都合もありこの6つに絞らせてもらった。もちろん掲載にはOKいただいている。
ツイートページ

「うあ」さん、「はなっぽ@牧春牧」さん、「ミズノ」さん、「誠」さん、「拓郎」さん、「minako」さん、あらためてありがとうございました!

さてこの「爆発的ヒットは”想い”から生まれた」は、爆発的でなくてもいいのでヒットと呼べる書籍にしたい。何しろこれまで私は3冊の本を世に出しているのだが、情けないことに一度も増刷の経験がないのだ。「重版出来!」と叫んでみたい!

ということで、これから頑張ってこの本を”布教”すべく、あちこちで講演だの対談だのトークショーだので行脚する予定だ。詳細が決まりつつあるので、またこのブログでお伝えしたい。よかったら会場でお会いしましょう。そして私に生まれて初めての「重版出来!」の気持ちを味あわせてくださーい!

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ブログはお金にならない。だから強い。〜久々の出版を機に、久々にブログを書く〜

書影
2月21日に新著が出る。「拡張するテレビ」を出版したのが2016年8月だったので、2年半ぶりだ。

そしてこのブログもずいぶん書いてなかったので久しぶりだ。いちばん最後に書いたのは2018年の1月だったがこれは年賀状みたいなもの。その前は2017年4月でセミナー告知用に書いたもの。その前もセミナー告知で、普通にブログを書いたのは2年ぶりじゃきかない。用がなきゃ来なくなった実家みたいになってしまった。

今回も新著発売の告知のために久しぶりに書いているのだが、これを機に「ブログを再開」しようと考えている。ブログがメディアコンサルタント境治の原点だし、いまブログに戻るべき、ブログがやっぱり大事じゃないかと考えているからだ。

ぼくがぼくとして、ぼくらしく書ける場所
ブログをあまり書かなくなったのはなぜか。私はいま、MediaBorderという自分で運営する有料メディアで書いている。これは「テレビとネットの横断業界誌」と標榜し、その分野に興味がある読者に向けて記事を書くことになる。一方でYahoo!ニュース個人にも不定期で書いており、こちらはもちろん誰でも読めるメディアだ。

他に宣伝会議のWEBメディアAdverTimesに不定期連載を持っており、放送業界誌GALACでも毎月連載している。これは紙媒体。

ブログを書かなくなった理由の第一が、これらを書いているとブログへのエネルギーがなくなったからだ。特にMediaBorderを2015年7月に立ち上げてからはめっきり減ってしまった。これまでブログに書いていたような業界の動きとそれについての私見をそっちで書くようになったからだ。

MediaBorderは大した金額ではないがお金になっている。それに購読者限定のメディアだからクローズドな形。だからとっておきのネタを書ける。

とはいえ、お金をとっているのだからいい加減なことも書けない。Yahoo!はものすごく多くに読まれるので、こちらも迂闊なことは書けない。業界誌はもちろん、専門家として書いているのでちゃんとしたことを書く。

気がつくと、気楽に書ける場がなくなってしまった。ブログを始めた頃は、実にのびのびと書いていた。思いついたことをどんどん書いていた。文体もフランクな口語調で、だからこそ読みやすいと言われたもんだ。自由に書いていた。

ブログだけの頃から比べると、今はずいぶん神経をとがらせて書くようになった。そんなに大した著名人でもないのに、書くたびにハラハラしている。誰かに誤解されたらどうしようとか、炎上したらイヤだなあとか、間違った情報を載せてないよねと何度もチェックしたりする。ビクビクしながら書くようになってしまった。

ブログでは一人称を「ぼく」にしていた。50代のおっさんのくせにぼくもないだろうが、ぼくがぼくとして個人的に書いている気分からすると、ぼくだった。でも今はほとんど「私」で書いている。さっきも「私」を使っていた。ぼくで書くのを躊躇してしまったのだ。

だからブログをまた書こうと思ったのだ。誰にも迷惑がかからないし、経済的リスクもまったくない、ぼくがぼくとしてぼくらしく書ける場として、ブログは大事だったんだなあ。そこに気づいたからだ。

ブログなら炎上しない、わけではない。ブログなら間違った情報載せても大丈夫、でもない。でもずいぶん気楽だ。有料メディアや莫大なリーチのあるメディア、専門誌ではネクタイぐらい締めないとまずいのだが、ブログは普段着でいい。パジャマでも許される。もちろん間違ったことは書かないけどね。そういう場所が、逆に今、ぼくには必要だったのだ。お、やっとぼくと書けたぞ。そう、こうして書きながらブログを書くときの気分を、自分に取り戻そうとしているんだ。

ブログはお金にならない。書く延長線上にお金もついてくる
お金が儲かるんじゃないかとブログを立ち上げる人がまだいるので驚く。もうとっくにそんなタイミングは過ぎてると思う。それにお金儲けを目的にしたブログなんかやめたほうがいい。同じエネルギーを別のことに注いだほうがずっとお金になるだろう。そういうことではないんだよ。

ぼくがなぜブログを立ち上げてそれが何にどう繋がったかも新著「爆発的ヒットは”想い”から生まれる」に書いたのでここでは詳しく書かない。でもこのタイトルに添って言えば、何か”想い”がない人はブログなんて書かないほうがいい。逆に何かの想いを持つ人がいればブログを書くといい。書いても儲かりはしないけど、いろんな”いいこと”が起こる。それはお金になることもある。でも大半はお金にならないだろう。でも、”いいこと”だ。

単純に同じ想いを持つ人に出会える。書いた人の想いに共感したり触発された人が何かコンタクトしてくれる。Twitterで話しかけてきたり、メールで連絡をくれたりする。そのうち「お会いしましょう!」と直接顔をあわせることも出てくる。それが素晴らしいんだ。それがブログを書き続ける価値になる。

それって素敵だなあ!そう思えれば、ブログをやってみるといい。絶対いい。でも「なんだお金が儲かるわけでもないのか」。そう思ってしまうなら、ブログなんかやめて真面目に働いたほうがいい。アフィリエイトだかなんだかで情報商材を売る怪しいブロガーに成り下がるのが平気な、志の低い、誇りを持っていない人はそういうブログをやればいいけど、そんなの長続きなんかしないに決まっている。

ぼくが新著を出せるのは、ブログの延長線上の話だ。ブログが直接お金にならなくても、本を出すことでお金になることも出てくる、という話だ。

ただし、本を出したって夢の印税生活なんか待ってはいない。ぼくはこれまで3冊の本を出したけど、いずれも初版で終わってしまった。3千冊とか4千冊とか5千冊とか、そんなもんかな。計算してもらえば大したことない金額なのはわかるだろう。

もちろん本を出すからには売りたい。新著には「今度こそ重版出来だ!」との夢も込めている。でもきれいごとじゃなく、お金は目的じゃないんだ。

ブログはお金になんかなりはしない。でも、だからこそ強いんだ。そしてブログを書き続けたからこそ、Yahoo!ニュース個人で書けるようになったし、そこで書いた一連の記事から今度の本「爆発的ヒットは”想い”から生まれる」が出せることになった。風が吹けば桶屋が儲かる。ブログを書けば儲かる・・・かどうかではなく、本を出すくらいはできる。そうやって自分の”想い”を発信しているといろんな出会いがあるってこと。それって面白そう!と思う人は、ブログを書いてみるといい。書き続ければ、きっといいことが起こると思うよ。

※筆者が発行する「テレビとネットの横断業界誌Media Border」では、放送と通信の融合の最新の話題をお届けしています。月額660円(税別)。最初の2カ月はお試しとして課金されないので、興味あればご登録を。同テーマの勉強会への参加もしていただけます。→「テレビとネットの横断業界誌 Media Border」はこちら。購読は「読者登録する」ボタンを押す。

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In 2018, May The People Be With You〜私たちのフォースは、私たちの周りの人びとがくれる〜

nengajou

2018年、私は”人びと”のためになることを目標にしたい
上の画像は、はがきで出した年賀状だ。ここであらためて新年のご挨拶をする皆さんに、はがきと同じメッセージをお届けしたい。

英語としてどうなのかは知らないが、May The People Be With You.とはもちろん、スターウォーズの有名な言い回し”May The Force Be With You.”からとっている。「フォースと共にあれ」と字幕には出てくる。ということは、「人びとと共にあれ」と訳せばいいのだろうか。ただそれより、ここで皆さんに伝えたいのは、PeopleこそがForceなのだということだ。人びと、あなたの周りにいる家族や友人知人、仕事仲間、あるいは地域社会、日本という国も含めて自分が関わる人びとこそが自分を超越する力になるのだとメッセージしているつもりだ。

20代のころは、自分ひとりで生きていると思っていた。だから仕事での達成感こそが生きる意味だと感じていた。結婚して子どもができて、”自分ひとりで”に”家族と一緒に”も加わったと思うようになったが、ある日気づくと、まるっきり家族のために生きていることに気づいた。自分のために生きることはほとんどどうでもいいことになり、家族がいるからこそ自分は生き続けることができるし、そこから力も湧いてくる。そうか、若いころ自分ひとりで生きていたつもりだったのは、ここにたどり着く通過点に過ぎなかったのだなと思うようになった。そう思ったら余計に自分の力が増したような気がした。

その子どもたちが育っていき、もうすぐ私の手を離れる。だから家族のために生きる時代は終わるのだろうか。そんなことはないことにも最近思い至るようになった。むしろ、子どもたちの未来のためにまだまだ生きねばならない。そして子どもたちの未来のためとは、家族を取り巻く多くの人びとのためだと考えるようにもなった。だって子どもたちだって自分の力だけでは幸せになれない。生きていけないのだから。

彼らがこの先、たくさんの人びとと巡りあい、助け合って生きていくことになる。そのためには、人びとが健やかに暮らせる世の中でなければならないだろう。

ところが世の中はどうだろう。健やかに暮らせるだろうか。むしろ不安ばかりが広がっている。大人の諸君、これは我々の責任だ!

少子化という現象がまさにそうだ。我々が若いころから、少子化へ向かっていることはみんなわかっていた。私もわかっていた。あなたもわかっていたはずだ。なのに我々は何ら具体的な対策を講じてこなかった。政治や行政のせいにしているだけで、こうしたら少子化を止められるという策を自分では打ち出せないままだった。ずるずると二十年間が過ぎ、私の子どもたちが成人したのに、彼らに「人口が急激に減る社会」しか用意してあげられなかった。我々はなんというダメな大人だろうか。

だから私は、これから”人びと”を考えていこうと思う。我々がまだできること、子どもたちのために少しでもこのおかしな世の中を変えていけるよう、具体的な策を考え、実行にまで持っていきたい。

そんなことを恥ずかしげもなくあちこちに書き、恥ずかしげもなく世の中に呼びかけていきたいと考えている。

電通総研フェローの立場を、めいっぱい利用しようと思う
なぜ選んでもらえたのか自分でも不思議だが、この1月から「電通総研フェロー」としての活動がはじまる。下記のリリースを読んでもわかりにくいと思うが、この電通総研フェローというのは、あくまで外部の有識者(私が有識者か?)としての参加であり、電通の一員になることではない。
→「電通リリース:2018年1月、電通総研が新しいミッションのもと船出」

ここで誤解のないようはっきり説明しておきたいのだが、電通総研フェローになったからとて、電通という会社のために発言を変えるつもりはない。契約上、情報発信する際は肩書きに「電通総研フェロー」と加えることになるのだが、だからと言って”電通寄りの発言”になる必要はないと説明されている。

あけすけに書いてしまうと、私が書いた文章が電通のどこかの部署の人物の気に障ったとしても、訂正を求められることはない。そう言われている。お話をいただいた時に光栄と思いつつも、真っ先に確認したのがこの点で、思ったことを自由に書けなくなるのは私の存在意義が無くなるのでそのようなことがないことをお受けする条件としたのだった。プレミーティングの場でも山本社長がそのことを明言してくださって驚きつつも頼もしく思った。

新しい電通総研のミッションは、リリースにある通りだ。「よい社会におけるメディアの信頼性と社会的役割」と「人口減少社会におけるマーケティング活動と企業活動のあり方」。この2つのテーマが、当面の大きな意味の議題となる。一見、壮大で茫洋としているようにも見える。だが私は自分に都合よくこのテーマを読み替えている。

最初の「メディアの信頼性と社会的役割」は、正直言って少し前まで気にしていなかったことだが、WELQの件以来むしろメディアを考える際の最重要テーマになってきた。そして、メディアをメディア足らしめる要素こそが、信頼性と社会性ではないかといまは考えている。今の私にとってはタイムリーで正面から取組めるテーマだ。

2つ目の「人口減少社会におけるマーケティング活動」は最初は戸惑った。あまり考えたことがないテーマだったからだ。だが人口減少社会とは少子化社会のことだ。それは私がサブで取組んできた保育と社会のことと強い関係性がある。だから私は2つ目のテーマを「少子化を食い止めるマーケティング」と読み替えることにした。

そしてこの2つのテーマは関係ないようで非常につながった話でもあるはずだと感じている。まだ整理がつかないのでうまく説明できないが、それを世の中にプレゼンテーションできるようにするのも、電通総研フェローとして活動する意義ではないかと思う。

そうしたら上に書いた、恥ずかしげもない「人びとのため、世の中を変えるため」というこれからの目標とつながる話になる。

私が子どもたちの未来のために「人びとのためになること」に取組む、その何よりの場にできるかもしれない。いや、ぜひともそうしたいと思うのだ。そう考えると電通総研への参加は、私にとって好都合のお話であり、だからこそめいっぱい利用させてもらうつもりだ。本当に世の中を変えるための何かを、メンバーの方々の力もお借りして頑張って生み出したいと思う。

もう一度、ブログを書こうと思う
上に書いたようなことの象徴として、今年はまたブログを頑張って書こうと思う。

この二年間ほどは、自分が運営する有料WEBマガジンと、Yahoo!個人で書くことにほとんどのエネルギーを費やしてきた。もちろん宣伝会議のWEBメディア「Advertimes」での連載と、放送懇談会が発刊する「GALAC」の連載も続けてきた。すると、ブログをほとんど書かなくなっていた。

それだけ、情報発信の場とサイクル、使い分けを整えられたからだが、いつの間にか気軽にのびのび文章を書けなくなっている。前は思ったことがあればすぐに文章にしていたものだが、いまは「ちょっと待てよ」などと考えてしまう。このことを文章にしてしまうと、あっちからこんなこと言われるかもしれない。ネットではこういうことを書くと炎上しかねない。Yahoo!でこんなこと書いていいのか。こんなこと書いたら宣伝会議に迷惑がかからないか。コンプライアンスを気にする必要のない立場をせっかく持てたのに自分で放棄してしまっていた。

だが私が”メディアコンサルタント”などという得体のしれない肩書きでここまでやって来れたのは、自由に書いてきたからだ。優れた洞察を書いてきたからでもなく、誰も知らない最新の知識を文章にしていたわけでもない。思ったことをそのまま言葉にしてきたからだと思うのだ。テレビ局や代理店、いや小さな会社でも組織に所属していると書けないことが、私には書ける。その自由は、私にとってもっとも大事なことだったはずだ。自ら放棄しかけていた自由を取り戻すために、定期的にまたこのブログで文章を書こうと思う。

もちろん今まで通り、いや今までにも増して、不要な争いを巻き起こすような書き方はしないでいようとも思う。今のネットにはささくれ立った言葉があまりにも飛び交っている。本来は解決へ導けるはずだった言論も、言い方ひとつで逆にあらぬ方向へ世の中をかき乱してしまうこともある。本人にそのつもりがなかったとしても、そうなってしまったのなら、やはりそれは書く者の力不足と言わざるをえない。そのポイントは、誰かをすぐに悪者にしないことだと私は考えている。悪者が見えるとわかりやすいように見えて、実は本質を見えなくしてしまう。これは保育園への反対の声などを取材して痛感したことだ。大声のボリュームに隠れて聞こえない小さな声を聞くことは、物事の本当の姿を描く際にとても重要だ。ネットからの情報だけであいつが悪者だと決めつけるようなことは絶対に避けねばならない。

そんなことも含めて、いままで以上にのびのびと、でもいままで以上に注意を払ってブログを書いていこうと思う。またおつきあいいただければうれしい。

ではみなさん、ご一緒に2018年を楽しく実り多き年にしましょう!

境 治(コピーライター/メディアコンサルタント/電通総研フェロー)

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【赤ちゃんにやさしい国へ】ママたちの覚悟が、少女たちの心を解きほどいた〜貴船原少女苑を取材して〜

catch

赤ちゃんを学校などに派遣する「赤ちゃん先生プロジェクト」
「赤ちゃんにきびしい国で、赤ちゃんが増えるはずがない」と題したブログを書いて以来、保育について取材するようになった。その端緒が「赤ちゃん先生プロジェクト」の取材。これまでに三つの記事を書いている。2014年の記事だからもう三年も経った。

お母さんはメディアになり、赤ちゃんは先生になる〜赤ちゃん先生プロジェクト〜

そこでは私たちの未来が作られていた〜赤ちゃん先生プロジェクト見学記〜

赤ちゃんを通じた男女の出会いは、いちばん自然かもしれない〜赤ちゃん婚活パーティ〜

赤ちゃん先生プロジェクトはその名の通り、赤ちゃんを先生として学校や老人施設に派遣する活動だ。ママたちは講師となって、子どもたちやお年寄りに赤ちゃんと触れ合ってもらう小一時間のイベントを行う。シンプルな企画だが、少子化で赤ちゃんと実際に接する機会が薄れた子どもたちに、赤ちゃんの存在の大きさや可愛さ、世話の大変さを体験する貴重な機会になる。お年寄りには忘れかけていた赤ちゃんの柔らかさや愛おしさを思い出してもらい、エネルギーをあげることができる。そしてママたちは育児生活の孤独から解放され、社会とのつながりを実感できるのだ。単純なようで様々な効果をもたらす奥深い意義がある。

この赤ちゃん先生はNPO法人「ママの働き方応援隊」が運営する活動だ。提唱したのが恵夕喜子さんで、最初の取材以来いろいろ教えていただいている。その恵さんから久しぶりに連絡があった。この10月末に広島で、女子少年院での赤ちゃん先生があるので取材しないか、というお誘いだった。

女子少年院での赤ちゃん先生プロジェクトを取材しに広島へ
恵さんからのお話ならとすぐさまスケジュールを整理してお受けした。だが女子少年院での赤ちゃん先生というのは少々戸惑う。今回初めての試みだそうで、心配もしてしまう。ただ全3回のプログラムのうち2回まで済んで、最後の回を取材する話だ。2回目まで順調に進んだと聞いたので、安心して広島に出かけた。

ママの働き方応援隊・広島東校代表の高田裕美さんが迎えに来てくれ、広島市街からクルマで訪問地の貴船原少女苑に向かった。賑やかな市街地を離れて山の中の道を走る。ちょうど台風が通り過ぎたばかりで、よく晴れた青空を眺めながら東へと向かった。40分ほど走ると、目的地に着いた。女子少年院と聞くと物々しい建物をイメージしてしまうが、実際には公民館のような何の変哲もない明るい施設だった。ちなみに少年院にはとくに名称に決まりがなく、ここでは少女苑という名称にしたと聞いた。

P1040775

法務教官の肩書きを持つ少年院の方から簡単に注意事項などの説明を受ける。制服を来ているものの柔らかな物腰の方々で、“少年院の教官”という重たさはない。携帯電話が持ち込めないなど多少の制限はあったが、とくに普通の取材と変わらない雰囲気で案内された。通されたのは学校の教室のような場所で、机とイスをうしろに片づけてシートが敷かれていた。その上にジャージ姿の女の子たちが座っている。

少年院にいる女の子というと、学園ドラマの不良少女のような風体を想像してしまうが、まったく普通の子たちだった。何らか犯罪に関与してしまった女の子たちなのだろうが、そんなイメージからはほど遠く、逆にまじめそうな子たちに思えた。

いつも通りはじまった赤ちゃんとの触れ合い
茶髪の子もいるが、とくに黒く染めろなどの強制的な指導はないそうだ。人権侵害になるので、そんなことはしないのだと教官の方が笑いながら言う。下手な学校のほうがよほど不条理な規則で縛られるのではないだろうか。

P1040784 (1)

小学校での開催時と同じように、まず赤ちゃん先生を連れたママ講師たちが前に登場。それぞれ自己紹介をした。そしてひとりひとりと赤ちゃん先生が握手を交わして回る。すでに場が和んでいる。やがて2〜3名の少女たちのグループに一組ずつの赤ちゃん先生とママ講師が座り、赤ちゃんと触れ合う。もう3回目だからか、お互いになじんでいる様子だ。もちろんイヤイヤをするご機嫌斜めな赤ちゃんもいるが、少女たちがあやしたりもしている。その様子は、近所の赤ちゃんの相手をする普通の女の子たちと何ら変わりはない。

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自らの体験をあけすけに語り出したママたち
小学校での取材とちがったのが、その次だ。各グループでママ講師たちが少女たちに話をし始めたのだ。どうやら自分の個人的経験を話しているようだ。しかもかなりつぶさに事細かに語っている。少しずつ聞こえてきてわかったのだが、けっこうヘビーな内容だ。わざわざ用意していたシートに細かく書かれたことをていねいに説明している。仕事で失敗したことや、離婚の経験を打ち明けるママ講師もいる。中には途中で涙をポロポロ流しながら話すママもいた。

「失敗してもいいんだよ」というタイトルで個人的経験を語る時間として設定されているとのことだが、そんなに深刻な失敗談を会って三回目の少女たちに話すとはと、聞いていてハラハラしてしまった。その本気が伝わっているのか、少女たちも真剣な面持ちで聞き入っている。先輩たちが本気で何かを伝えようとしていると、少女たちも受けとめているのだろうと感じた。

P1040812

やがて終わりの時間がやって来た。11時に始まって50分間程度のほんの短い触れ合いだった。だがとても濃密な時間だったように思える。

最後に赤ちゃん先生とママ講師が再び前に並んでお別れの挨拶をする。涙ぐみながら、もう一度みんなに会いたくて今日も来たのだと語るママ講師。お互いに名残り惜しそうだ。三回目だけを見ている私にはわからないが、これまでに血の繋がった親戚のような関係ができていたのではないか。見ていると切なくなってきた。少女たちのほうはどう感じているのだろう。彼女たちに話しかけることは禁じられていたので、そこは確かめられないまま、催しは終わった。

少女たちの心をほぐした赤ちゃん先生とママ講師
終了後に高田さんから、少女たちが寄せた二回目までの感想を読ませてもらった。そこに書いてあることは衝撃だった。「最初は参加するのが嫌だった」と書いている子がいた。少女たちの中には、ここに来るまでに妊娠や出産で辛い経験をした子がいるのだ。赤ちゃんに会うと、そんな悲しい過去を思い出すから嫌だったと書かれていた。だが実際に赤ちゃんに会うことで、頑なな心がほどけてその可愛らしさや楽しさに浸ることができたらしい。前向きな気持ちになれた、ということだと受けとめた。

実際、ママ講師たちも最初から少女たちと打ち解けあえたわけではないそうだ。一回目はピーンと緊張の糸が張りつめ、どう話せばいいのかわからなかった。うつむくばかりで話そうともしない子もいた。だが赤ちゃんの無垢さがそれをほぐしたのだ。

三回目でママ講師が自分の経験を話すのも途中で決めたことで、二回目までで少女たちの悲しい過去をかいま見たママたちが、自分たちも思い切って経験を赤裸々に語ろうと決めたのだそうだ。びっしり埋まったシートを見て、そんな過去があったと互いに知って驚いたほどだったという。

少女たちの張りつめた心を溶かそうと、ママ講師たちが本気になったのだ。だから泣き出すほどのキツイ過去をさらけ出す気になり、お別れが名残惜しくなった。1時間ずつ、たった3時間の触れ合いが、赤ちゃんを介在させることで濃密な時間になり、互いの心のガードを外すことができたのだと思う。

赤ちゃん先生とママ講師が、もしここにいる少女たちと、ともに暮らす存在だったら、と私は想像した。もっとたがいに距離の近い、小さなコミュニティでともに暮らしていたとしたら、そして少女たちが罪に問われるような行動に走る前に赤ちゃんやママと触れ合っていたら。彼女たちは手前で思いとどまったのかもしれない。私たちがいまよりもっと小さくて距離の近いコミュニティで暮らしていた頃は、きっと少女の一時期のささくれ立った心も包み込むことができていたのではないだろうか。そこに赤ちゃんがいることが何より、少女たちのブレーキになっていたのではないか。

赤ちゃんはただ幼き存在であるだけでなく、幼き存在だからこそコミュニティの中で重要な役割を果たしていたのかもしれない。赤ちゃんの社会的な存在意義というものをもっと我々は認識すべきなのだろう。赤ちゃん先生を取材するたびに感じてきたそのことを、女子少年院の今回の取材でさらに強くはっきり認識することができた。赤ちゃんとママが本来持っていたそんなパワーを、現代社会がもっと生かすことを考えるべきなのだと思った。

赤ちゃん先生が少女たちの更生に効く可能性
貴船原少女苑での赤ちゃん先生の導入は、実は教官の中に育休中にこの活動に参加した方がいて、提案したことによるそうだ。小学生やお年寄りに赤ちゃん先生がもたらす影響を体験して、少女たちの更生にも役立つかもしれないと考えたのだそうだ。その効能を知っていたからにせよ、よく提案したものだと思うし、受け入れた上司の皆さんもよく認めたものだと感じた。

そんな教官たちの思いに応えて、ママ講師たちも奮起し、自分をさらけ出してくれた。だからきっと、少女たちの胸に思いが届き、今後の更生に寄与するのではないかと思う。だからと言って赤ちゃんをママたちが女子少年院に連れて行きさえすればいい、ということでもないだろう。今回の実施についても、当然ながら最初はママたちも戸惑ったという。迷ったうえで、それでもやってみようと思ったからこそ、そして初回に少女たちの頑なな気持ちを感じとったからこそ、ママたちは覚悟を持ってプログラムに臨んだ。さらけ出す必要のない経験をあえて少女たちに伝えた。その覚悟が、少女たちの心を解きほぐした。

赤ちゃんを通して、女性同士が自分をさらけ出すことができた。そのことの大切さも含めて共有できれば、他の場所でもうまくいくのではないだろうか。今回の貴船原少女苑での体験が、全国の女子少年院にも広がるといいと思う。
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赤ちゃんは先生になり、ママはメディアになる。赤ちゃん先生プロジェクトを最初に取材した記事で私はそう書いた。広島の町外れにある少女少年院で、またそのことを確認できた。このメディアのパワーは、もっともっと強くなっていきそうだ。

※このブログを書籍にまとめた『赤ちゃんにきびしい国で、赤ちゃんが増えるはずがない』(三輪舎・刊)発売中です。

→取り扱い書店はこちら <三輪舎・扱い書店リスト>
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コンテンツ産業はガラパゴス化しかねない。ではどうしたらいいのか?

xipangu
一年ほど前に、私はYahoo!でこのような記事を書いた。

「このままでは日本のコンテンツ産業もガラパゴス化してしまう(2016/4/4 Yahoo!ニュース個人)

中国で映画や映像配信の市場が急増しているが日本の映像コンテンツは海外への販売網や流通体制がほとんどできてないこと。国内市場は少子高齢化で縮むばかりであること。今後は配信権とセットじゃないと映像コンテンツは商談が成立しないことを書いたものだ。

この”嘆き”のような記事は、ある会社の海外販売担当の方から聞かせていただいた強い危機感に押されて書いたものだ。そして実は、昔映像製作会社ロボットにいた時にも痛感したことだ。2008年にロボット製作、加藤久仁生監督による「つみきのいえ」がアカデミー賞を獲得したのだが、海外からものすごい数のコンタクトがあったのにほとんどお金にできなかったのだ。いきなり世界中から「この素晴らしいアニメーションを我が国で配給するなら私たちにお任せを!」と言われても、本当にこの会社に任せていいものかと、大切な作品だけに悩んでしまった。自分たちでは判断できないが、誰に頼ればいいかもわからず、途方に暮れてしまったのだ。普段から海外とのパイプを維持していないと、海外セールスなんてできないと当時実感した。

この記事を受ける形で、元日本テレビの佛教大学教授・大場吾郎氏がこんなブログを書いている。

「テレビ番組のガラパゴス化にはワケがある」

大場氏とは普段から交流があるので、意見交換のように記事を交わし合った感じだ。しかしこれを読んで知ったことがいっぱいあって、とにかく驚いたのは、日本のコンテンツは昔の方がずっと海外に積極的だったし売れてもいたことだ。むしろこの十年くらい閉鎖的になっている。

一方、Yahoo!に前から気になる記事を書いている女性がいた。テレビ業界ジャーナリストとして多方面のメディアで記事を配信している長谷川朋子氏。特に日本のテレビ番組の海外展開については世界中を飛び歩いて取材している。たまたまある会で同席し、あちらも私の存在を気に留めてくれていたようで、盛り上がった。直接話して、あらためて海外展開についての知見の広さ、そこから見えて来たオピニオンもお持ちだとわかった。

そんな長谷川さんから、フジテレビの国際開発局にいる久保田哲史氏を紹介してもらった。ドラマ制作のディレクターをやっていたが、ひょんなことから中国の映像業界と接点ができて、だったら自分でやってやろうと今の部署に移籍して活動している。日本のドラマは、海外製作をエネルギーに活性化できるはずと信じて頑張っている。

そんなお三方をお迎えしてセミナーをやりたいと思いついた。日本の映像業界は海外展開について消極的だったと思う。だが、ハリウッドの強さは世界を市場にできていることだ。日本の市場規模は世界第二位だったのが中国に抜かれて3位に下がった。そこそこの規模であることがこれまで続けられた大きな要素だが、中途半端な規模だから予算もかけられないし産業として物足りない。現場が疲弊してもカバーできる収益が生み出せない。まさにガラパゴス化している。もはや世界に出なければ先はないのではないか。逆に言えば世界に大きなチャンスがあるということだ。前向きになって勇躍する意思を今こそ持つべきだと考えていた。

北米に売れない。アジアはお金にならない。そんな愚痴はもう昔の話で、今こそチャンスなのだと思う。

そんな期待を裏付け、勇気を掻き立てられるようなセミナーにしたいと思う。

5月12日、14時から、ぜひ参加してください。

申し込みは、こちらから→SSK新社会システム研究所・セミナー申し込みページ

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広告指標としての「視聴質」は成立するか?〜3/17セミナー「TV meets Data」〜

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クリエイティブビジネス論と題したこのブログだが、ソーシャルメディアとテレビの連携性、言葉でいうと「ソーシャルテレビ」については一貫してテーマの一つにしてきた。試しに「ツイッター検索すると、出てくる出てくる、何十ページもの記事がほじくり出されてきた。

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キリがないのでこの辺にしておこう。とにかくソーシャルテレビについてはずっと考えてきた。

その動機の大きな一つが、「視聴質」だった。

おそらく少しでもテレビについて考えたことがある人なら概念として聞いたことはあるだろう。だが実体はなく、幻のような言葉だ。

視聴率が「人数」の指標であるのに対し、視聴質は「品質」つまり「いい番組かどうか」の指標だ。だが例えば自動車がスピードだの燃費だの”質”に関わる数値がいろいろ出せるのに対し、テレビ番組についてはそれが難しい。

もちろん視聴率だって立派に「いい番組かどうか」を表してもいる。「半沢直樹」にしろ「家政婦のミタ」にしろ面白かったしだからこそ歴史に残る視聴率を叩き出した。「逃げるは恥だが役に立つ」がグイグイ視聴率をあげたのも、面白さの証だろう。

だがもう少し普通の番組、日常的なテレビ視聴における”質”は測りにくくなっている。昔と比べると番組の人気を視聴率がダイレクトに示すと言いづらくなっている。

一つのポイントとして、視聴率は世帯で測る。例えば私が子どもの頃、70年代は人気番組は家族全員で見ていた。ホームドラマ「ありがとう」「時間ですよ」も、円谷プロの巨大ヒーロー「ウルトラマン」も、アニメも歌番組も、家族揃って見ていたものだ。つい10年ほど前まではおおよそそんな感じだったのではないか。だが今は、テレビ番組はターゲットが別々になってしまった。ドラマは登場人物の世代で見る人が分かれる。11時台のニュースはお父さんが見るのだろう。若者は深夜アニメを見る。どんな番組かまったく知らないものが人によって広がってしまった。

「世帯視聴率」とはひところは「その世帯が見ている」状況のことだったが、今は「その世帯の誰かが見ている」状況を示す数値になったのだ。

私は先週、Yahoo!にこんな記事を書いた。

「視聴率では月9史上最低記録の「明日婚」、ネット配信では最高記録更新中」

視聴率だけじゃなくていいのではないか。そんなちょっとした主張だった。大きな反響があり、中には共感してくれたあるテレビ局の方がメールをくれたりした。

ソーシャルテレビを重要テーマとして意識し、自分でも番組に関するツイートを分析してみたのも、そこから「視聴質」のヒントが見えてくるのではないか、との期待だった。「感情分析」と称して、ドラマについてのつぶやきの”気持ち”を数値化してみたりした。

感情分析についての記事

散々あれこれやってみて、わかったのは、わからないことだった。ツイッターを分析しても、「視聴質」に至る道筋はわからない。見えてこない。

敬愛する遠藤諭氏が主席研究員を務める、角川アスキー総研という会社がある。遠藤氏とも仲良くさせていただいているが、要職にある吉川栄治氏はエンタメとツイッターの関係をここ数年分析してきている。

私が顧問研究員の肩書きでお手伝いしているエム・データ社とアスキー総研が共催でセミナーイベントを開催することになった。何を成果として披露するかの打合せの中で、ある時吉川氏が見せてくれたデータ。

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考え方としてはこうだ。ある番組(この場合は「逃げ恥」)についてのツイートを収集する。そのツイートの主が、その番組のCM枠に出稿した企業と商品名をツイートした数を調べる。それが番組視聴の前と後でどう動いたかを割り出す。

実際、「逃げ恥」についてツイートした人の中には、番組中のCMについてつぶやいた人がかなりいるのだ。その変化は、ブランドによってかなり違う。典型的なのは、主演の新垣結衣がタレントとして出ているCMについては大量のツイートがあった。視聴後に、大きく増えているのだ。

吉川氏が見せてくれたデータに一同色めき立った。中でも私はちょっと興奮してしまったと言っていいほどだ。ああ!これは視聴質かもしれない!

番組の良い悪いをツイッターから見出そうとしてきたのだが、根本的に違ったのだ。視聴率はあくまで広告指標だ。ツイッターからも広告効果が見出せれば視聴質と呼べるかもしれない。吉川氏が示してくれたのは、まさにそういう捉え方だった。

言われてみると、気に入って見ている番組はCM中もテンションが高いままでいることが多い。”トイレタイム”になることもあるが、物語の展開におののきながらみることもよくある。CMに出演者が出てくると強く反応するしツイートすることもある。「逃げ恥」ではドラマの中の場面のように日産ジュークのCMに大谷亮平が出てきたが、これは格好のツイートの対象だし、商品を欲しくもなる気がする。

そういう効果を、ツイッターの分析から見出せるかもしれない。そこで共催セミナーでは、そのデータを掘り下げて披露することになった。

3月17日に角川のビル内にある神楽座という素敵な劇場空間で開催するので興味があれば下のリンクからどうぞ。

セミナー「TV meets Data」の遠藤さんによる紹介記事

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セミナー申し込みサイト

言っておくとこのセミナーですべてが明らかになり「視聴質」として発表するわけではなく、このデータは今後研究を重ねて数回に分けてみなさんに成果をお披露目していく形になると思う。

とはいえ、視聴質への見果てぬ夢がひょっとしたらこの先に具体化するかもしれない。数年間考えてきたことの道筋が見えてきたのは私として大変にうれしいことだ。と、楽しみにしつつ、今晩も「カルテット」を見るのだった。

※筆者が発行する「テレビとネットの横断業界誌Media Border」では、放送と通信の融合の最新の話題をお届けしています。月額660円(税別)。最初の2カ月はお試しとして課金されないので、興味あればご登録を。同テーマの勉強会への参加もしていただけます。→「テレビとネットの横断業界誌 Media Border」はこちら。購読は「読者登録する」ボタンを押す。

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「ネイティブ広告ハンドブック」はライターなら読み込んだほうがいい。それがなぜかを解説しておく

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ネイティブ広告ハンドブックは、JIAAが会員社に配布するために作成された
11月9日から10日にかけて「ネイティブ広告ハンドブック」について、とても残念な盛り上がりがソーシャルメディア上で展開された。とくに10日はヨッピー氏のブログが多くの人に拡散されたことで「祭り」状態になり、やじ馬根性で参加した人びとも含め盛大なことになった。

私はここで、誰がどう言ったからどこがいいだの悪いだのを書くつもりはない。ただとにかく、この騒動が原因でなぜか多くの人がこのハンドブックを、馬鹿にしていると言っていいレベルまで揶揄しているのが残念でたまらない。私はJIAAの人間ではないが、この団体がネイティブ広告について地道に努力してきたことを遠目で見てきた者として、みなさんに伝わっていない事実と考えを書いておきたい。

まずJIAAはインターネット広告に関する業界団体だ。そのWEBサイトを見ればどんな団体かがわかると思う。
→JIAA WEBサイト

会員社は電通や博報堂のような総合代理店からサイバーエージェントなどのネット専業代理店、そしてヤフーのようなWEBのプラットフォーム事業者、新聞社、雑誌社、ハフィントンポストなどのWEBメディアといったところだろう。広告主企業は入っていないので、ネットでビジネスを行う代理店とメディアの団体と言っていい。

そのJIAAはこの二年間に渡りネイティブ広告を研究してきた。その成果は、時折開催するセミナーで会員社に共有している。そのプロセスはこのページで公開されている。
→JIAA「ネイティブ広告に関する活動」

私は取材と称してセミナーに潜り込ませてもらい、できる限り参加してきた。ネイティブ広告はこの二、三年で急浮上した概念で、事例や実績が少ない段階から多少発展したこれまでの間、日本での研究の最先端をJIAAは走ってきた。そして研究するメンバーは、講談社の長崎亘宏氏をはじめ、手弁当で作業を進めてきている。言ってみればボランティアだ。

今年の10月19日のセミナーでは、これまでの研究のまとめ的な場として様々な成果が発表された。同時に、成果をいったん、冊子にまとめて会員社に配布することが告げられた。セミナー参加者には当日配られたので、私も会員でもないのに受け取ることができた。冊子は会員社に配布されるとともに、会員社以外でも広告に関係する企業なら読めるように後日PDFでWEBに置かれることも告知された。

何しろ手弁当で、書き手は広告関係の人たちだがライターではない。別の職種の人びとだ。だが成果をきちんと理解できる文章にまとめてくれている。読む対象は、会員社もしくは非会員社でも広告業界の人びとになる。専門用語が自然と多くなっているが、配布の対象者ならもちろんわかる単語ばかりだ。知らない単語があったら自分で調べるだろう。そういう種類の文章だ。

さて、ここで私が残念に思っているのは、こうした経緯はまったく知らされないまま、この「ネイティブ広告ハンドブック」の存在が拡散されてしまったことだ。あくまで会員社に、紙で配布するために作成された。PDF化は二次的なものだし印刷して紙で読む前提だ。読む対象は広告業界のネイティブ広告に関心を持つ人間だ。それなのに、「スマホだと読めない」とか「読みにくい」とか「消費者も読めたほうがいい」とか、まったく筋違いのツイートがどんどん拡散されていった。なんと馬鹿馬鹿しく、無意味な現象だったろうか。

この冊子を、業界外の人間が読みにくいというのは、批判にも何もなってない。意味がないのだ。文章が下手だとか難解だとかのツイートもたくさん見た。プロのライターではない人びとが手弁当で書いた文章を、「下手」とののしる的外れぶりと言ったらない。それに読みにくいと私はまったく思わない。下手でもない。論文調なのは、ハンドブックとして、できるだけ正確に書こうとしているからだ。勘違いにもほどがある言葉が、このハンドブックに浴びせられる様子を、私は本当に見ていられなかった。事情も知ろうともしないでみんながけなしてる流れに乗ってひたすらけなす。それこそが上から目線だ。書いたのは、当然実績ある方々ではあるが、重鎮たちとか、先人たちとか、そういうことではない。私たちの仲間だ。仲間が業界のために業務時間外でがんばってくれた成果を、まったく関係ない人びとがやーいと囃しながら揶揄する。しかも大きな見当違いをしている。壮大なる馬鹿馬鹿しさに、私は一日中あきれ返っていた。

お金をきちんと稼げるようになりたいライターは、この冊子を熟読したほうがいい
もうひとつ、残念なことがある。この冊子は、広告業界向けに書かれたものだ。だがWEBでメディア運営やコンテンツ制作に携わる人びと、中でもライターを生業としている人は、読んだほうがいい。自分は広告業界に関係ない。そう感じている人も、ライターなら読んだほうがいい。いずれ関係する可能性が高いからだ。

私は80年代からコピーライターをやってきたロートルだ。そして最近はWEBを中心にライターも生業としている。いくつか連載を持ち、原稿を依頼されることもあり、Yahoo!個人でも書いている。つまり、両方の立場がわかる。

90年代までは、広告の文章を作成するコピーライターと、雑誌などに原稿を書くライターは、まったくちがう世界でやってきた。接することが少なかったし、仕事のやり方も全然ちがった。

それが00年代になりWEBが活性化するとその垣根がやや下がった。そしてこれから、ネイティブ広告が活発になればなるほど、いよいよ垣根がなくなるだろう。現にいま、起こっていると思うが、ライターに広告としての原稿作成の依頼が出てくる。それがネイティブ広告だ。

ハンドブックにある「スポンサードコンテンツ」もしくは「ブランドコンテンツ」と分類される広告では、テキストが非常に重要になる。こうしたネイティブ広告をライターが依頼されるようになるだろう。そして、傾向としてはふだんWEBメディアから記事として原稿を依頼されるより、企業の広告予算から広告として依頼される原稿のほうが、おおむねギャランティが高い。だから、ネイティブ広告についてライターは学んでおいたほうがいいのだ。

あんなめんどくさい冊子なんか読まなくたって原稿なんか書けるよ。企業からの依頼だってできるさ。そう思うだろうし、そうだと思う。だが、広告としての理屈、その原稿がどういう役割を持つかなど、理論的な側面を知っておいたほうがいい。ハンドブックにはそうしたことが書いてあるのだ。

理屈を知ると何がいいのだろう。スポンサーの意見に理論的に答えたり、全体のクリエイティブをディレクションできるようになる。企業や代理店から信頼され、頼りにされるとギャラがもっと上がる可能性が出てくる。ディレクションもできれば確実に上げられる。

また、広告として原稿を作成すると、企業側や代理店が、こちらの意図しない指示や要望を出してくることが多い。そういうことに対して「なぜこの方がいいか」を説明できる。論理は立場を時に凌駕する。スポンサー企業に言われたことをただ鵜呑みにするより、「いえ、この原稿の役割はかくかくしかじかなので、このままのほうがいいのです。」と言えた方が信用される。

書くことさえできれば楽しいんだ、変な理屈を学ぶのはカッコ悪いよ。それで通せるならそれでもいいが、往々にしていずれ損をする。ギャラが上がらなかったり、いつまでも不本意な要求を受け入れざるをえなかったりする。だったら学ぶべきことを吸収した方がいいだろう。

「祭り」の波に乗ってみんなと一緒になってハンドブックに石を投げて喜んだライターのみなさんは、そういう将来収入を増やすチャンスを自分で断ってしまったようなものだ。

ネイティブ広告の役割と、広告のミッシングリンク
さらに突っ込んだことを書くと、この冊子でもっとも大事な部分と感じたのがP28-31だ。もう疲れてきたのでいずれこってり書くが、簡単に言うとまずネイティブ広告の役割として「コンテンツが介在することによる態度変容」がある。これまでのネット広告は、すでに購入意向のある人に対するターゲティングだ。「あ、そうそう、これ欲しかったんだよね」とバナーを押して購入に至る。

ネイティブ広告はそうではなく、潜在層に対してコンテンツを見せることで「あれ、このブランドいい感じな気がしてきた」と態度変容を起こさせて購入に導く。こうして書くと、あれ?広告ってそもそもそういう役割だったよね、と気づく。
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それがミッシングリンクの話につながる。下のファネルを見てもらおう。(パーチェスファネルなどと検索すればファネルが何かはわかる)テレビCMなど主にマスメディアによる「認知」のあと、本来は「理解」「好意度向上」などのプロセスが必要だった。その上でバナーから購入にたどり着くはずだ。CMで知ったからっていきなり買わない、という話だ。

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ところがいま、真ん中の理解、好意度の部分が失われていた。なぜならば、新聞や雑誌の広告が前はその役割を果たしていたのに、いまやそれらがネットに吸い込まれており、新聞広告、雑誌広告で理解させたり好意度を上げたりができない。そこをミッシングリンクと冊子では言っている。

この部分は重要で、ここにいま気づくことは、オールドアドマンこそ必要だと思う。意外にみんなわかってないようだ。

そしてこれを考え合わせると、ミッシングリンクの部分をネイティブ広告で埋める際、クリエイティビティが求められることに気づく。そこには新しいクリエイターの舞台があるかもしれないのだ。

WEBで書くライターにとってもチャンスかもしれない。だって、態度変容をうながすコンテンツが必要なのだ。面白かったり、素敵だったり、時には知的だったり、そういうコンテンツを制作できるなら、楽しいじゃないか。そういう野心も、ネイティブ広告は乗せていけるのだ。

さて、いまからでも遅くはない。昨日は祭りに乗っかって、読みにくいだのマウンティングだのとからかったネイティブ広告ハンドブックを、ライターのあなたなら読んでみよう。一度読んでわからなかったら二度三度、わからない単語は調べたり人に聞いたりして理解できるまで読み込もう。そして、WEB広告を楽しくしてほしい。未開の世界だからこそ、荒野をお花畑に変えられるかもしれない。
→JIAAネイティブ広告ハンドブック2017PDF

それにしても、今回感じたのは、人と人の間にあるミッシングリンクだ。広告業界とWEBの世界の間も上の図同様すっぽり抜け落ちており、埋まらないかに思える。このミッシングリンクこそ、ネイティブ広告が埋めるのかもしれないが、そんな日が来るのだろうかと不安になった。

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スマホ動画は裏通りの解放区か?未来のメインストリームか?〜セミナー「スマホ動画の最前線」のお知らせ〜


スマホ動画がいま、何かと面白い。映像メディアを考える者としては、いよいよ注目すべき舞台になってきた。

まずAbemaTVは何なのか、どうなのか、という議論はホットだ。テレビ界隈でもネット界隈でも注目されている。初めて見た時、スマホ上でテレビが視聴できることにかなり驚いた。

もちろんいままでだって、スマホ上でテレビを見るように動画を見ることはできた。だが、スマホ独自に制作された動画は、どうしてもネット動画だった。テレビとは違うにおい、違う出演者、違う作り方、違う予算規模。何から何までネットだった。ところがAbemaTVの番組は明らかにテレビ番組だ。出演者も作り方も、そして画面から漂う予算感覚もテレビだ。テレビのにおいの番組をネットで見ることがこんなに新鮮とは思わなかった。

一方、テレビのゴールデンタイムの番組と比べるとそれはそれで違う。明らかに若者向けに、ドタバタとざっくばらんに作っているのも感じられた。また、テレビでは取りあげにくい題材を、テレビより長くじっくり取りあげることも多い。その意味では、夜8時頃から堂々と、深夜番組っぽい感覚で放送している。

ゴールデンタイムの地上波の番組は今や、おばさんくさい。旅行だの温泉だの、健康だのお掃除だのをとりあげる。若者からすると、“自分たちの“話題と思えないだろう。だから8時からでも若者の解放区めいた空気を帯びている。

メジャー感が必要だと、AbemaTVのコンセプトを作った藤田晋氏は言っていた。メディアと言える存在になるためにはメジャー感が欠かせないのだと。

そうすると、これからAbemaTVは舵取りをはっきりさせる局面が出てくるのではないだろうか。深夜の解放区みたいな空気を保ったままで「メジャー」なメディアになれるのか。そこは議論になるのだと私は思う。

スマホ動画はそういう、裏通りかメインストリームか、どっちをめざすことになるのか。これは映像メディア論のひとつの焦点になるだろう。だが論点はそこだけではない。

タテ型かヨコ型か、というシンプルな形式の話もあるだろう。ライブ配信が急激に増えている中、そこにどう対処する彼の問題もある。分散型メディアの話が出てきた中で、動画メディアなりの分散のさせ方も論点のひとつだ。そして何より、マネタイズ。広告メディアとしてどんなメニューを用意するのかは、最大の課題かもしれない。

11月14日に、セミナーを開催することになった。「スマホ動画の最前線」と題して、いま書いたような問題を議論してもらう。登壇するのは、AbemaTVの執行責任者である、サイバーエージェント取締役・卜部宏樹氏。C Channelの編集のリーダーシップを担ってきたHint代表取締役・山崎ひとみ氏。スマートニュースで動画広告を仕掛けるディレクター・松浦茂樹氏。

お三方にそれぞれ、スマホで見られる動画の傾向などをプレゼンテーションしてもらい、後半はホットなトピックをネタにディスカッションしていただく。まさにスマホ動画の最前線にいるお三方なら、生き生きした議論を繰り広げてくれるだろう。

ご興味あれば、ぜひご参加いただければと思う。

■SSK新社会システム研究所セミナー
【新しいコミュニケーショントレンドは分散型?ライブ?】
スマホ動画の最前線
~AbemaTV/C CHANNEL/Smartnewsから見える未来像~

11月14日(月) 14時〜16時30分
●パネリスト
(株)サイバーエージェント 取締役/(株)AbemaTV 取締役副社長 卜部 宏樹 氏
メディアプロデューサー/HINT,inc. 代表取締役 山崎 ひとみ 氏
スマートニュース(株) メディアコミュニケーション担当ディレクター 松浦 茂樹 氏
●企画・モデレーター
メディアコンサルタント 境 治

お申し込みは、こちら→SSKセミナー申し込みページ

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