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sakaiosamu について

コピーライター→映像製作会社ロボット→広告代理店ビデオプロモーション→再びコピーライター(フリーランス)。 メディアとコンテンツの未来を切り拓くコミュニケーションをデザインします。講演・執筆依頼もお気軽に!

「爆発的ヒットは”想い”から生まれる」に込めた想いは広がるだろうか

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2月に発売された拙著「爆発的ヒットは”想い”から生まれる」。順調に売れているようである。ただし私のお友達の間では。ありがたいことに、Facebookでつながっているみなさんが「買いました」と書店の陳列や手元に置いた写真を投稿してくださっている。うれしい。いくら感謝してもしたりない。

では一般に売れているかというと、まだよくわからない。というより、まだ大して売れてはいないようだ。それはそうで、私は出版界ではさほど有名ではないし、この本も狭い範囲といえば狭い範囲に向けた内容で、例えば80代後半の私の母が読んでもさっぱりわからないだろう。年齢の問題ではなく、エンタメやヒット現象、そしてマーケティングに興味がないと何のことやら、という本だ。だからどこの書店も、入っていきなりドーン!と、でもなく、ビジネスコーナーの奥の「マーケティング」と表示された棚に、今はまだ出たばかりだし大和書房の出版社としての実績もあるのでそこそこ目立つ感じで置かれている。本の「置かれ方」が大事で、うまく狙っている層に引っかかってもらえるように「置かれる」ことを作るときに考えねばならないのだ。

狙い通り置かれたとしても、やはりプロモーションしないと売れない。私の本はある面、どうプロモーションしたら物が売れるか、ということもテーマにしている。だったら自分の本のプロモーションもここに書いた通りにうまくできないと恥ずかしい。自分の本に書いたことの信憑性は、自分の本を売ることで証明する必要があるのだ。くうう。大変だなあ。

そしてこの本で書いたのは、想いを伝えろ、さすればヒットにつながるのだ、的なことだ。ずいぶん乱暴なことを書いたものだが、そうするとそれを実証するには、想いを伝える必要がある。

というわけで、想いを直接みなさんに伝えるべくイベントを続々企画中だ。ここに示したのが、そのリスト。
イベントリスト

一つずつ説明していこう。

●3月8日 「でじめ会」@大阪P-Cube
「でじめ会」とは関西の新聞社やテレビ局の人びとを中心に、「デジタルメディア関西の会」という、言ってみれば旧メディアの人たちがネットのことを学ぼうという勉強会らしい。だから基本的にはメディア関係者向けなのだが、そうじゃなきゃダメということではないそうなので、入会するかは置いといて行ってみたいという方はこちらへ→事務局メールアドレス
そういう場なので、本の話とともに「いまテレビメディアが迎えているパラダイムシフト」についても話します。そっちも重要。つまりそのあたりにも興味ないとつまらないかも。
ちなみに事務局のP-Cubeの取締役、池田由利子さんとは相澤冬樹との関係で知り合った方。そっちの話は長くなるのでまた別の回に。

●3月9日大阪ジュンク堂本店 Yahoo!ニュース個人フェア記念トークイベント
これはちょっと面白い趣旨のイベント。私はYahoo!ニュースで個人として記事を発信している。その「Yahoo!ニュース個人」がこの3月に書店との提携強化策として東京・関西の丸善とジュンク堂にオーサー専用の棚を設置するという。私に限らず、Yahoo!ニュースに書く人には著書を持つ書き手も多いので、その著作がずらりと並ぶのだろう。
その一環で、大阪ジュンク堂でトークイベントをやってくれる。新著を出したばかりの私にも声をかけてくれたというわけだ。
大阪を愛する身としては願ってもない話で、一も二もなくお受けしたのだが、考えてみると大阪で私を知る人は業界外ではいないだろう。その上、書店の一角かと思ったら”堂島アバンザの6階C会議室”での開催だそうだ。会議室?来てくれるのかなあ。
そんな不安におののく私をかわいそうだと思ってくれる関西の方、ぜひいらしてください。本を買った人にはサインすることになってます。
詳しくはこちらを読んでね。→ジュンク堂の告知ページ
ちなみにサインは、ちゃんとしたものを作ってある。正確にいうと作ってもらった。

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「署名ドットコム」というサービスで、意外に安価で作ってもらえる。これをせっせと練習して書くのだが、なかなかこの通りに書けない。まあ大阪に行くまでにはさらに練習するので、はい、頑張ります!すでに買った方も参加できるイベント(だと思う)ので、とにかくみなさん来てください。よろしくねー!

●3月14日 二子玉川蔦屋書店トークイベント ゲスト:「カメラを止めるな!」プロデューサー市橋浩治氏
あのおしゃれスペース蔦屋書店の二子玉川店でトークイベントをやらせてくれるというので、「カメ止め」プロデューサー市橋氏をゲストにお招きすることにした。ちょうど「カメ止め」も日本アカデミー賞からのAbemaTVでのスピンオフからの金曜ロードショーでの放送へと再び加熱すること間違い無いので、その熱も冷めやらぬうちにイベントができてナイスなタイミングだ。
市橋氏には前にもセミナーに来てもらっている。その時は業界向けのセミナーだったので割と真面目にヒット分析をした。実はその時にうかがった話をかなり本に入れ込んでいる。「カメ止め」のヒットの実際は、市橋氏への取材なしではまとめられなかっただろう。
このイベントでは、本に書いたことよりさらに掘り下げ、「想い」についてうかがおうと思っているが、正直内容は当日までわからないかな?
イベント紹介はこちら→蔦屋書店のイベントページ

というところでエネルギーが尽きたので、イベント紹介前半はここまで。次回に後半の解説をする。後半もまた面白そうだなあ!

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「爆発的ヒットは”想い”から生まれる」はなぜ”想い”をタイトルに使ったか

書店

私の新著「爆発的ヒットは”想い”から生まれる」がいよいよ、この週末から店頭に並びはじめた。昨日2月22日には友人が丸の内の丸善本店に置かれていたと報告してくれたので、勇んで目視確認しに行って撮ったのが上の写真だ。平積みなのはありがたいが、奥の列なのは切ない。なぜか手前に積まれた別の書籍の上に一冊だけ置かれていたのは何だろう。手にとってみたけどやめた人がいた直後だったのか。さらに切ない気持ちになった。手にとったら買ってくれよお。

まあとにかく、大きな書店にちゃんと置かれているのだからいいじゃないかと自分を慰め、私の本の戦況を見守ろうと思う。

ちなみにTwitter上では実物より一足先に私の本が誕生していた。
本アカウント

こんな感じで頑張ってツイートしている。もちろん私ではなくこの本の編集者が中の人なのだが、「私の本」と呼んで私とは別人格として扱っている。よかったらフォローしてあげてください。→「爆発的ヒットは・・・」のTwitterアカウント

さてこの本の中身だが、ざっくり言えばヒットコンテンツの分析だ。「逃げるは恥だが役に立つ」「おげんさんといっしょ」「おっさんずラブ」といったテレビ番組と、「君の名は。」「この世界の片隅に」「カメラを止めるな!」などの映画について、”なぜヒットしたのか”を考察している。Twitterでこう拡散されたとか、プロモーションでこんなことやったとか、現象と手法を見ていっている。制作に携わったプロデューサーにインタビューしたり、Twitterやメディアデータをエム・データや角川アスキー総研に解析してもらったり、そんなことから見えてきたことを書いている。Yahoo!でこの3年間ほど、記事にしてきた内容をもとに新たに書き起こして書籍化した。

そして何より参考になったのが、それぞれのコンテンツのファンのツイートだ。そのドラマの、映画の、何に惹かれたのか、どこを愛しているのか、ツイートを見ることでよく理解できた。さらには、Yahoo!で書いた記事で「教えてください」と呼びかけ、多くのファンが熱心に教えてくれたことも、ヒットの解明に大いに役立った。面白いことに、ファンというと作品を愛しすぎて冷静に見えなくなっていそうだが、少なくともここで取り上げたコンテンツのファンたちは、自分たちを客観的に見て自身を分析して教えてくれた。そういう冷静な視点を持つ人たちだからこそ私の問いかけに応じてくれたというのもあるだろう。

この本のタイトルは実は、そんな風にツイートを寄せてくれたことにインスピレーションをもらって考えたものだ。ああ、”想い”なんだな。作り手と受け手の間で”想い”を共有しているんだな。ネットとSNSでそれがものすごいスピードでできるようになった。だからこそ爆発するようにヒットが生まれるようになったんだ。「君の名は。」「この世界の片隅に」がヒットした2016年あたりから出てきた”想い”の通じ合いが、2018年の「おっさんずラブ」や「カメラを止めるな!」では当たり前になったのだと思う。だから例えば今年の映画のヒット作は「カメ止め」に限らず「ボヘミアン・ラプソディ」や「劇場版コード・ブルー」でも同様なSNSの盛り上がり、”想い”の交錯が起こったのだ。

おっさんずラブ通じ合い
それがもっともわかりやすく観察できたのが、「おっさんずラブ」だった。つまり本のタイトルは直接的には、「おっさんずラブ」から発想したものだ。このドラマは「同性愛に誰ひとり拒否反応を示さない、人が人を好きになることの素晴らしさを認め合うピュアな世界」を描いたファンタジー。そのことを私はTwitter上で自らを”OL民”と呼ぶファンの方々から教わった。そしてほとんど同じことをプロデューサーの貴島彩理氏がインタビューで述べていた。同じ”想い”をドラマを通じて共有し、ネット記事やSNSで確認した。そこに”爆発的ヒット”のエネルギーがあったのだと思う。

そこでこの本には、「参考文献」ならぬ「参考ツイート」のページを設けた。本を書くにあたり特に参考にさせてもらったツイートを巻末に掲載したのだ。参考になったツイートはもっとあったのだが、ページの都合もありこの6つに絞らせてもらった。もちろん掲載にはOKいただいている。
ツイートページ

「うあ」さん、「はなっぽ@牧春牧」さん、「ミズノ」さん、「誠」さん、「拓郎」さん、「minako」さん、あらためてありがとうございました!

さてこの「爆発的ヒットは”想い”から生まれた」は、爆発的でなくてもいいのでヒットと呼べる書籍にしたい。何しろこれまで私は3冊の本を世に出しているのだが、情けないことに一度も増刷の経験がないのだ。「重版出来!」と叫んでみたい!

ということで、これから頑張ってこの本を”布教”すべく、あちこちで講演だの対談だのトークショーだので行脚する予定だ。詳細が決まりつつあるので、またこのブログでお伝えしたい。よかったら会場でお会いしましょう。そして私に生まれて初めての「重版出来!」の気持ちを味あわせてくださーい!

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ブログはお金にならない。だから強い。〜久々の出版を機に、久々にブログを書く〜

書影
2月21日に新著が出る。「拡張するテレビ」を出版したのが2016年8月だったので、2年半ぶりだ。

そしてこのブログもずいぶん書いてなかったので久しぶりだ。いちばん最後に書いたのは2018年の1月だったがこれは年賀状みたいなもの。その前は2017年4月でセミナー告知用に書いたもの。その前もセミナー告知で、普通にブログを書いたのは2年ぶりじゃきかない。用がなきゃ来なくなった実家みたいになってしまった。

今回も新著発売の告知のために久しぶりに書いているのだが、これを機に「ブログを再開」しようと考えている。ブログがメディアコンサルタント境治の原点だし、いまブログに戻るべき、ブログがやっぱり大事じゃないかと考えているからだ。

ぼくがぼくとして、ぼくらしく書ける場所
ブログをあまり書かなくなったのはなぜか。私はいま、MediaBorderという自分で運営する有料メディアで書いている。これは「テレビとネットの横断業界誌」と標榜し、その分野に興味がある読者に向けて記事を書くことになる。一方でYahoo!ニュース個人にも不定期で書いており、こちらはもちろん誰でも読めるメディアだ。

他に宣伝会議のWEBメディアAdverTimesに不定期連載を持っており、放送業界誌GALACでも毎月連載している。これは紙媒体。

ブログを書かなくなった理由の第一が、これらを書いているとブログへのエネルギーがなくなったからだ。特にMediaBorderを2015年7月に立ち上げてからはめっきり減ってしまった。これまでブログに書いていたような業界の動きとそれについての私見をそっちで書くようになったからだ。

MediaBorderは大した金額ではないがお金になっている。それに購読者限定のメディアだからクローズドな形。だからとっておきのネタを書ける。

とはいえ、お金をとっているのだからいい加減なことも書けない。Yahoo!はものすごく多くに読まれるので、こちらも迂闊なことは書けない。業界誌はもちろん、専門家として書いているのでちゃんとしたことを書く。

気がつくと、気楽に書ける場がなくなってしまった。ブログを始めた頃は、実にのびのびと書いていた。思いついたことをどんどん書いていた。文体もフランクな口語調で、だからこそ読みやすいと言われたもんだ。自由に書いていた。

ブログだけの頃から比べると、今はずいぶん神経をとがらせて書くようになった。そんなに大した著名人でもないのに、書くたびにハラハラしている。誰かに誤解されたらどうしようとか、炎上したらイヤだなあとか、間違った情報を載せてないよねと何度もチェックしたりする。ビクビクしながら書くようになってしまった。

ブログでは一人称を「ぼく」にしていた。50代のおっさんのくせにぼくもないだろうが、ぼくがぼくとして個人的に書いている気分からすると、ぼくだった。でも今はほとんど「私」で書いている。さっきも「私」を使っていた。ぼくで書くのを躊躇してしまったのだ。

だからブログをまた書こうと思ったのだ。誰にも迷惑がかからないし、経済的リスクもまったくない、ぼくがぼくとしてぼくらしく書ける場として、ブログは大事だったんだなあ。そこに気づいたからだ。

ブログなら炎上しない、わけではない。ブログなら間違った情報載せても大丈夫、でもない。でもずいぶん気楽だ。有料メディアや莫大なリーチのあるメディア、専門誌ではネクタイぐらい締めないとまずいのだが、ブログは普段着でいい。パジャマでも許される。もちろん間違ったことは書かないけどね。そういう場所が、逆に今、ぼくには必要だったのだ。お、やっとぼくと書けたぞ。そう、こうして書きながらブログを書くときの気分を、自分に取り戻そうとしているんだ。

ブログはお金にならない。書く延長線上にお金もついてくる
お金が儲かるんじゃないかとブログを立ち上げる人がまだいるので驚く。もうとっくにそんなタイミングは過ぎてると思う。それにお金儲けを目的にしたブログなんかやめたほうがいい。同じエネルギーを別のことに注いだほうがずっとお金になるだろう。そういうことではないんだよ。

ぼくがなぜブログを立ち上げてそれが何にどう繋がったかも新著「爆発的ヒットは”想い”から生まれる」に書いたのでここでは詳しく書かない。でもこのタイトルに添って言えば、何か”想い”がない人はブログなんて書かないほうがいい。逆に何かの想いを持つ人がいればブログを書くといい。書いても儲かりはしないけど、いろんな”いいこと”が起こる。それはお金になることもある。でも大半はお金にならないだろう。でも、”いいこと”だ。

単純に同じ想いを持つ人に出会える。書いた人の想いに共感したり触発された人が何かコンタクトしてくれる。Twitterで話しかけてきたり、メールで連絡をくれたりする。そのうち「お会いしましょう!」と直接顔をあわせることも出てくる。それが素晴らしいんだ。それがブログを書き続ける価値になる。

それって素敵だなあ!そう思えれば、ブログをやってみるといい。絶対いい。でも「なんだお金が儲かるわけでもないのか」。そう思ってしまうなら、ブログなんかやめて真面目に働いたほうがいい。アフィリエイトだかなんだかで情報商材を売る怪しいブロガーに成り下がるのが平気な、志の低い、誇りを持っていない人はそういうブログをやればいいけど、そんなの長続きなんかしないに決まっている。

ぼくが新著を出せるのは、ブログの延長線上の話だ。ブログが直接お金にならなくても、本を出すことでお金になることも出てくる、という話だ。

ただし、本を出したって夢の印税生活なんか待ってはいない。ぼくはこれまで3冊の本を出したけど、いずれも初版で終わってしまった。3千冊とか4千冊とか5千冊とか、そんなもんかな。計算してもらえば大したことない金額なのはわかるだろう。

もちろん本を出すからには売りたい。新著には「今度こそ重版出来だ!」との夢も込めている。でもきれいごとじゃなく、お金は目的じゃないんだ。

ブログはお金になんかなりはしない。でも、だからこそ強いんだ。そしてブログを書き続けたからこそ、Yahoo!ニュース個人で書けるようになったし、そこで書いた一連の記事から今度の本「爆発的ヒットは”想い”から生まれる」が出せることになった。風が吹けば桶屋が儲かる。ブログを書けば儲かる・・・かどうかではなく、本を出すくらいはできる。そうやって自分の”想い”を発信しているといろんな出会いがあるってこと。それって面白そう!と思う人は、ブログを書いてみるといい。書き続ければ、きっといいことが起こると思うよ。

※筆者が発行する「テレビとネットの横断業界誌Media Border」では、放送と通信の融合の最新の話題をお届けしています。月額660円(税別)。最初の2カ月はお試しとして課金されないので、興味あればご登録を。同テーマの勉強会への参加もしていただけます。→「テレビとネットの横断業界誌 Media Border」はこちら。購読は「読者登録する」ボタンを押す。

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In 2018, May The People Be With You〜私たちのフォースは、私たちの周りの人びとがくれる〜

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2018年、私は”人びと”のためになることを目標にしたい
上の画像は、はがきで出した年賀状だ。ここであらためて新年のご挨拶をする皆さんに、はがきと同じメッセージをお届けしたい。

英語としてどうなのかは知らないが、May The People Be With You.とはもちろん、スターウォーズの有名な言い回し”May The Force Be With You.”からとっている。「フォースと共にあれ」と字幕には出てくる。ということは、「人びとと共にあれ」と訳せばいいのだろうか。ただそれより、ここで皆さんに伝えたいのは、PeopleこそがForceなのだということだ。人びと、あなたの周りにいる家族や友人知人、仕事仲間、あるいは地域社会、日本という国も含めて自分が関わる人びとこそが自分を超越する力になるのだとメッセージしているつもりだ。

20代のころは、自分ひとりで生きていると思っていた。だから仕事での達成感こそが生きる意味だと感じていた。結婚して子どもができて、”自分ひとりで”に”家族と一緒に”も加わったと思うようになったが、ある日気づくと、まるっきり家族のために生きていることに気づいた。自分のために生きることはほとんどどうでもいいことになり、家族がいるからこそ自分は生き続けることができるし、そこから力も湧いてくる。そうか、若いころ自分ひとりで生きていたつもりだったのは、ここにたどり着く通過点に過ぎなかったのだなと思うようになった。そう思ったら余計に自分の力が増したような気がした。

その子どもたちが育っていき、もうすぐ私の手を離れる。だから家族のために生きる時代は終わるのだろうか。そんなことはないことにも最近思い至るようになった。むしろ、子どもたちの未来のためにまだまだ生きねばならない。そして子どもたちの未来のためとは、家族を取り巻く多くの人びとのためだと考えるようにもなった。だって子どもたちだって自分の力だけでは幸せになれない。生きていけないのだから。

彼らがこの先、たくさんの人びとと巡りあい、助け合って生きていくことになる。そのためには、人びとが健やかに暮らせる世の中でなければならないだろう。

ところが世の中はどうだろう。健やかに暮らせるだろうか。むしろ不安ばかりが広がっている。大人の諸君、これは我々の責任だ!

少子化という現象がまさにそうだ。我々が若いころから、少子化へ向かっていることはみんなわかっていた。私もわかっていた。あなたもわかっていたはずだ。なのに我々は何ら具体的な対策を講じてこなかった。政治や行政のせいにしているだけで、こうしたら少子化を止められるという策を自分では打ち出せないままだった。ずるずると二十年間が過ぎ、私の子どもたちが成人したのに、彼らに「人口が急激に減る社会」しか用意してあげられなかった。我々はなんというダメな大人だろうか。

だから私は、これから”人びと”を考えていこうと思う。我々がまだできること、子どもたちのために少しでもこのおかしな世の中を変えていけるよう、具体的な策を考え、実行にまで持っていきたい。

そんなことを恥ずかしげもなくあちこちに書き、恥ずかしげもなく世の中に呼びかけていきたいと考えている。

電通総研フェローの立場を、めいっぱい利用しようと思う
なぜ選んでもらえたのか自分でも不思議だが、この1月から「電通総研フェロー」としての活動がはじまる。下記のリリースを読んでもわかりにくいと思うが、この電通総研フェローというのは、あくまで外部の有識者(私が有識者か?)としての参加であり、電通の一員になることではない。
→「電通リリース:2018年1月、電通総研が新しいミッションのもと船出」

ここで誤解のないようはっきり説明しておきたいのだが、電通総研フェローになったからとて、電通という会社のために発言を変えるつもりはない。契約上、情報発信する際は肩書きに「電通総研フェロー」と加えることになるのだが、だからと言って”電通寄りの発言”になる必要はないと説明されている。

あけすけに書いてしまうと、私が書いた文章が電通のどこかの部署の人物の気に障ったとしても、訂正を求められることはない。そう言われている。お話をいただいた時に光栄と思いつつも、真っ先に確認したのがこの点で、思ったことを自由に書けなくなるのは私の存在意義が無くなるのでそのようなことがないことをお受けする条件としたのだった。プレミーティングの場でも山本社長がそのことを明言してくださって驚きつつも頼もしく思った。

新しい電通総研のミッションは、リリースにある通りだ。「よい社会におけるメディアの信頼性と社会的役割」と「人口減少社会におけるマーケティング活動と企業活動のあり方」。この2つのテーマが、当面の大きな意味の議題となる。一見、壮大で茫洋としているようにも見える。だが私は自分に都合よくこのテーマを読み替えている。

最初の「メディアの信頼性と社会的役割」は、正直言って少し前まで気にしていなかったことだが、WELQの件以来むしろメディアを考える際の最重要テーマになってきた。そして、メディアをメディア足らしめる要素こそが、信頼性と社会性ではないかといまは考えている。今の私にとってはタイムリーで正面から取組めるテーマだ。

2つ目の「人口減少社会におけるマーケティング活動」は最初は戸惑った。あまり考えたことがないテーマだったからだ。だが人口減少社会とは少子化社会のことだ。それは私がサブで取組んできた保育と社会のことと強い関係性がある。だから私は2つ目のテーマを「少子化を食い止めるマーケティング」と読み替えることにした。

そしてこの2つのテーマは関係ないようで非常につながった話でもあるはずだと感じている。まだ整理がつかないのでうまく説明できないが、それを世の中にプレゼンテーションできるようにするのも、電通総研フェローとして活動する意義ではないかと思う。

そうしたら上に書いた、恥ずかしげもない「人びとのため、世の中を変えるため」というこれからの目標とつながる話になる。

私が子どもたちの未来のために「人びとのためになること」に取組む、その何よりの場にできるかもしれない。いや、ぜひともそうしたいと思うのだ。そう考えると電通総研への参加は、私にとって好都合のお話であり、だからこそめいっぱい利用させてもらうつもりだ。本当に世の中を変えるための何かを、メンバーの方々の力もお借りして頑張って生み出したいと思う。

もう一度、ブログを書こうと思う
上に書いたようなことの象徴として、今年はまたブログを頑張って書こうと思う。

この二年間ほどは、自分が運営する有料WEBマガジンと、Yahoo!個人で書くことにほとんどのエネルギーを費やしてきた。もちろん宣伝会議のWEBメディア「Advertimes」での連載と、放送懇談会が発刊する「GALAC」の連載も続けてきた。すると、ブログをほとんど書かなくなっていた。

それだけ、情報発信の場とサイクル、使い分けを整えられたからだが、いつの間にか気軽にのびのび文章を書けなくなっている。前は思ったことがあればすぐに文章にしていたものだが、いまは「ちょっと待てよ」などと考えてしまう。このことを文章にしてしまうと、あっちからこんなこと言われるかもしれない。ネットではこういうことを書くと炎上しかねない。Yahoo!でこんなこと書いていいのか。こんなこと書いたら宣伝会議に迷惑がかからないか。コンプライアンスを気にする必要のない立場をせっかく持てたのに自分で放棄してしまっていた。

だが私が”メディアコンサルタント”などという得体のしれない肩書きでここまでやって来れたのは、自由に書いてきたからだ。優れた洞察を書いてきたからでもなく、誰も知らない最新の知識を文章にしていたわけでもない。思ったことをそのまま言葉にしてきたからだと思うのだ。テレビ局や代理店、いや小さな会社でも組織に所属していると書けないことが、私には書ける。その自由は、私にとってもっとも大事なことだったはずだ。自ら放棄しかけていた自由を取り戻すために、定期的にまたこのブログで文章を書こうと思う。

もちろん今まで通り、いや今までにも増して、不要な争いを巻き起こすような書き方はしないでいようとも思う。今のネットにはささくれ立った言葉があまりにも飛び交っている。本来は解決へ導けるはずだった言論も、言い方ひとつで逆にあらぬ方向へ世の中をかき乱してしまうこともある。本人にそのつもりがなかったとしても、そうなってしまったのなら、やはりそれは書く者の力不足と言わざるをえない。そのポイントは、誰かをすぐに悪者にしないことだと私は考えている。悪者が見えるとわかりやすいように見えて、実は本質を見えなくしてしまう。これは保育園への反対の声などを取材して痛感したことだ。大声のボリュームに隠れて聞こえない小さな声を聞くことは、物事の本当の姿を描く際にとても重要だ。ネットからの情報だけであいつが悪者だと決めつけるようなことは絶対に避けねばならない。

そんなことも含めて、いままで以上にのびのびと、でもいままで以上に注意を払ってブログを書いていこうと思う。またおつきあいいただければうれしい。

ではみなさん、ご一緒に2018年を楽しく実り多き年にしましょう!

境 治(コピーライター/メディアコンサルタント/電通総研フェロー)

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【赤ちゃんにやさしい国へ】ママたちの覚悟が、少女たちの心を解きほどいた〜貴船原少女苑を取材して〜

catch

赤ちゃんを学校などに派遣する「赤ちゃん先生プロジェクト」
「赤ちゃんにきびしい国で、赤ちゃんが増えるはずがない」と題したブログを書いて以来、保育について取材するようになった。その端緒が「赤ちゃん先生プロジェクト」の取材。これまでに三つの記事を書いている。2014年の記事だからもう三年も経った。

お母さんはメディアになり、赤ちゃんは先生になる〜赤ちゃん先生プロジェクト〜

そこでは私たちの未来が作られていた〜赤ちゃん先生プロジェクト見学記〜

赤ちゃんを通じた男女の出会いは、いちばん自然かもしれない〜赤ちゃん婚活パーティ〜

赤ちゃん先生プロジェクトはその名の通り、赤ちゃんを先生として学校や老人施設に派遣する活動だ。ママたちは講師となって、子どもたちやお年寄りに赤ちゃんと触れ合ってもらう小一時間のイベントを行う。シンプルな企画だが、少子化で赤ちゃんと実際に接する機会が薄れた子どもたちに、赤ちゃんの存在の大きさや可愛さ、世話の大変さを体験する貴重な機会になる。お年寄りには忘れかけていた赤ちゃんの柔らかさや愛おしさを思い出してもらい、エネルギーをあげることができる。そしてママたちは育児生活の孤独から解放され、社会とのつながりを実感できるのだ。単純なようで様々な効果をもたらす奥深い意義がある。

この赤ちゃん先生はNPO法人「ママの働き方応援隊」が運営する活動だ。提唱したのが恵夕喜子さんで、最初の取材以来いろいろ教えていただいている。その恵さんから久しぶりに連絡があった。この10月末に広島で、女子少年院での赤ちゃん先生があるので取材しないか、というお誘いだった。

女子少年院での赤ちゃん先生プロジェクトを取材しに広島へ
恵さんからのお話ならとすぐさまスケジュールを整理してお受けした。だが女子少年院での赤ちゃん先生というのは少々戸惑う。今回初めての試みだそうで、心配もしてしまう。ただ全3回のプログラムのうち2回まで済んで、最後の回を取材する話だ。2回目まで順調に進んだと聞いたので、安心して広島に出かけた。

ママの働き方応援隊・広島東校代表の高田裕美さんが迎えに来てくれ、広島市街からクルマで訪問地の貴船原少女苑に向かった。賑やかな市街地を離れて山の中の道を走る。ちょうど台風が通り過ぎたばかりで、よく晴れた青空を眺めながら東へと向かった。40分ほど走ると、目的地に着いた。女子少年院と聞くと物々しい建物をイメージしてしまうが、実際には公民館のような何の変哲もない明るい施設だった。ちなみに少年院にはとくに名称に決まりがなく、ここでは少女苑という名称にしたと聞いた。

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法務教官の肩書きを持つ少年院の方から簡単に注意事項などの説明を受ける。制服を来ているものの柔らかな物腰の方々で、“少年院の教官”という重たさはない。携帯電話が持ち込めないなど多少の制限はあったが、とくに普通の取材と変わらない雰囲気で案内された。通されたのは学校の教室のような場所で、机とイスをうしろに片づけてシートが敷かれていた。その上にジャージ姿の女の子たちが座っている。

少年院にいる女の子というと、学園ドラマの不良少女のような風体を想像してしまうが、まったく普通の子たちだった。何らか犯罪に関与してしまった女の子たちなのだろうが、そんなイメージからはほど遠く、逆にまじめそうな子たちに思えた。

いつも通りはじまった赤ちゃんとの触れ合い
茶髪の子もいるが、とくに黒く染めろなどの強制的な指導はないそうだ。人権侵害になるので、そんなことはしないのだと教官の方が笑いながら言う。下手な学校のほうがよほど不条理な規則で縛られるのではないだろうか。

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小学校での開催時と同じように、まず赤ちゃん先生を連れたママ講師たちが前に登場。それぞれ自己紹介をした。そしてひとりひとりと赤ちゃん先生が握手を交わして回る。すでに場が和んでいる。やがて2〜3名の少女たちのグループに一組ずつの赤ちゃん先生とママ講師が座り、赤ちゃんと触れ合う。もう3回目だからか、お互いになじんでいる様子だ。もちろんイヤイヤをするご機嫌斜めな赤ちゃんもいるが、少女たちがあやしたりもしている。その様子は、近所の赤ちゃんの相手をする普通の女の子たちと何ら変わりはない。

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自らの体験をあけすけに語り出したママたち
小学校での取材とちがったのが、その次だ。各グループでママ講師たちが少女たちに話をし始めたのだ。どうやら自分の個人的経験を話しているようだ。しかもかなりつぶさに事細かに語っている。少しずつ聞こえてきてわかったのだが、けっこうヘビーな内容だ。わざわざ用意していたシートに細かく書かれたことをていねいに説明している。仕事で失敗したことや、離婚の経験を打ち明けるママ講師もいる。中には途中で涙をポロポロ流しながら話すママもいた。

「失敗してもいいんだよ」というタイトルで個人的経験を語る時間として設定されているとのことだが、そんなに深刻な失敗談を会って三回目の少女たちに話すとはと、聞いていてハラハラしてしまった。その本気が伝わっているのか、少女たちも真剣な面持ちで聞き入っている。先輩たちが本気で何かを伝えようとしていると、少女たちも受けとめているのだろうと感じた。

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やがて終わりの時間がやって来た。11時に始まって50分間程度のほんの短い触れ合いだった。だがとても濃密な時間だったように思える。

最後に赤ちゃん先生とママ講師が再び前に並んでお別れの挨拶をする。涙ぐみながら、もう一度みんなに会いたくて今日も来たのだと語るママ講師。お互いに名残り惜しそうだ。三回目だけを見ている私にはわからないが、これまでに血の繋がった親戚のような関係ができていたのではないか。見ていると切なくなってきた。少女たちのほうはどう感じているのだろう。彼女たちに話しかけることは禁じられていたので、そこは確かめられないまま、催しは終わった。

少女たちの心をほぐした赤ちゃん先生とママ講師
終了後に高田さんから、少女たちが寄せた二回目までの感想を読ませてもらった。そこに書いてあることは衝撃だった。「最初は参加するのが嫌だった」と書いている子がいた。少女たちの中には、ここに来るまでに妊娠や出産で辛い経験をした子がいるのだ。赤ちゃんに会うと、そんな悲しい過去を思い出すから嫌だったと書かれていた。だが実際に赤ちゃんに会うことで、頑なな心がほどけてその可愛らしさや楽しさに浸ることができたらしい。前向きな気持ちになれた、ということだと受けとめた。

実際、ママ講師たちも最初から少女たちと打ち解けあえたわけではないそうだ。一回目はピーンと緊張の糸が張りつめ、どう話せばいいのかわからなかった。うつむくばかりで話そうともしない子もいた。だが赤ちゃんの無垢さがそれをほぐしたのだ。

三回目でママ講師が自分の経験を話すのも途中で決めたことで、二回目までで少女たちの悲しい過去をかいま見たママたちが、自分たちも思い切って経験を赤裸々に語ろうと決めたのだそうだ。びっしり埋まったシートを見て、そんな過去があったと互いに知って驚いたほどだったという。

少女たちの張りつめた心を溶かそうと、ママ講師たちが本気になったのだ。だから泣き出すほどのキツイ過去をさらけ出す気になり、お別れが名残惜しくなった。1時間ずつ、たった3時間の触れ合いが、赤ちゃんを介在させることで濃密な時間になり、互いの心のガードを外すことができたのだと思う。

赤ちゃん先生とママ講師が、もしここにいる少女たちと、ともに暮らす存在だったら、と私は想像した。もっとたがいに距離の近い、小さなコミュニティでともに暮らしていたとしたら、そして少女たちが罪に問われるような行動に走る前に赤ちゃんやママと触れ合っていたら。彼女たちは手前で思いとどまったのかもしれない。私たちがいまよりもっと小さくて距離の近いコミュニティで暮らしていた頃は、きっと少女の一時期のささくれ立った心も包み込むことができていたのではないだろうか。そこに赤ちゃんがいることが何より、少女たちのブレーキになっていたのではないか。

赤ちゃんはただ幼き存在であるだけでなく、幼き存在だからこそコミュニティの中で重要な役割を果たしていたのかもしれない。赤ちゃんの社会的な存在意義というものをもっと我々は認識すべきなのだろう。赤ちゃん先生を取材するたびに感じてきたそのことを、女子少年院の今回の取材でさらに強くはっきり認識することができた。赤ちゃんとママが本来持っていたそんなパワーを、現代社会がもっと生かすことを考えるべきなのだと思った。

赤ちゃん先生が少女たちの更生に効く可能性
貴船原少女苑での赤ちゃん先生の導入は、実は教官の中に育休中にこの活動に参加した方がいて、提案したことによるそうだ。小学生やお年寄りに赤ちゃん先生がもたらす影響を体験して、少女たちの更生にも役立つかもしれないと考えたのだそうだ。その効能を知っていたからにせよ、よく提案したものだと思うし、受け入れた上司の皆さんもよく認めたものだと感じた。

そんな教官たちの思いに応えて、ママ講師たちも奮起し、自分をさらけ出してくれた。だからきっと、少女たちの胸に思いが届き、今後の更生に寄与するのではないかと思う。だからと言って赤ちゃんをママたちが女子少年院に連れて行きさえすればいい、ということでもないだろう。今回の実施についても、当然ながら最初はママたちも戸惑ったという。迷ったうえで、それでもやってみようと思ったからこそ、そして初回に少女たちの頑なな気持ちを感じとったからこそ、ママたちは覚悟を持ってプログラムに臨んだ。さらけ出す必要のない経験をあえて少女たちに伝えた。その覚悟が、少女たちの心を解きほぐした。

赤ちゃんを通して、女性同士が自分をさらけ出すことができた。そのことの大切さも含めて共有できれば、他の場所でもうまくいくのではないだろうか。今回の貴船原少女苑での体験が、全国の女子少年院にも広がるといいと思う。
P1040792

赤ちゃんは先生になり、ママはメディアになる。赤ちゃん先生プロジェクトを最初に取材した記事で私はそう書いた。広島の町外れにある少女少年院で、またそのことを確認できた。このメディアのパワーは、もっともっと強くなっていきそうだ。

※このブログを書籍にまとめた『赤ちゃんにきびしい国で、赤ちゃんが増えるはずがない』(三輪舎・刊)発売中です。

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コンテンツ産業はガラパゴス化しかねない。ではどうしたらいいのか?

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一年ほど前に、私はYahoo!でこのような記事を書いた。

「このままでは日本のコンテンツ産業もガラパゴス化してしまう(2016/4/4 Yahoo!ニュース個人)

中国で映画や映像配信の市場が急増しているが日本の映像コンテンツは海外への販売網や流通体制がほとんどできてないこと。国内市場は少子高齢化で縮むばかりであること。今後は配信権とセットじゃないと映像コンテンツは商談が成立しないことを書いたものだ。

この”嘆き”のような記事は、ある会社の海外販売担当の方から聞かせていただいた強い危機感に押されて書いたものだ。そして実は、昔映像製作会社ロボットにいた時にも痛感したことだ。2008年にロボット製作、加藤久仁生監督による「つみきのいえ」がアカデミー賞を獲得したのだが、海外からものすごい数のコンタクトがあったのにほとんどお金にできなかったのだ。いきなり世界中から「この素晴らしいアニメーションを我が国で配給するなら私たちにお任せを!」と言われても、本当にこの会社に任せていいものかと、大切な作品だけに悩んでしまった。自分たちでは判断できないが、誰に頼ればいいかもわからず、途方に暮れてしまったのだ。普段から海外とのパイプを維持していないと、海外セールスなんてできないと当時実感した。

この記事を受ける形で、元日本テレビの佛教大学教授・大場吾郎氏がこんなブログを書いている。

「テレビ番組のガラパゴス化にはワケがある」

大場氏とは普段から交流があるので、意見交換のように記事を交わし合った感じだ。しかしこれを読んで知ったことがいっぱいあって、とにかく驚いたのは、日本のコンテンツは昔の方がずっと海外に積極的だったし売れてもいたことだ。むしろこの十年くらい閉鎖的になっている。

一方、Yahoo!に前から気になる記事を書いている女性がいた。テレビ業界ジャーナリストとして多方面のメディアで記事を配信している長谷川朋子氏。特に日本のテレビ番組の海外展開については世界中を飛び歩いて取材している。たまたまある会で同席し、あちらも私の存在を気に留めてくれていたようで、盛り上がった。直接話して、あらためて海外展開についての知見の広さ、そこから見えて来たオピニオンもお持ちだとわかった。

そんな長谷川さんから、フジテレビの国際開発局にいる久保田哲史氏を紹介してもらった。ドラマ制作のディレクターをやっていたが、ひょんなことから中国の映像業界と接点ができて、だったら自分でやってやろうと今の部署に移籍して活動している。日本のドラマは、海外製作をエネルギーに活性化できるはずと信じて頑張っている。

そんなお三方をお迎えしてセミナーをやりたいと思いついた。日本の映像業界は海外展開について消極的だったと思う。だが、ハリウッドの強さは世界を市場にできていることだ。日本の市場規模は世界第二位だったのが中国に抜かれて3位に下がった。そこそこの規模であることがこれまで続けられた大きな要素だが、中途半端な規模だから予算もかけられないし産業として物足りない。現場が疲弊してもカバーできる収益が生み出せない。まさにガラパゴス化している。もはや世界に出なければ先はないのではないか。逆に言えば世界に大きなチャンスがあるということだ。前向きになって勇躍する意思を今こそ持つべきだと考えていた。

北米に売れない。アジアはお金にならない。そんな愚痴はもう昔の話で、今こそチャンスなのだと思う。

そんな期待を裏付け、勇気を掻き立てられるようなセミナーにしたいと思う。

5月12日、14時から、ぜひ参加してください。

申し込みは、こちらから→SSK新社会システム研究所・セミナー申し込みページ

※筆者が発行する「テレビとネットの横断業界誌Media Border」では、放送と通信の融合の最新の話題をお届けしています。月額660円(税別)。最初の2カ月はお試しとして課金されないので、興味あればご登録を。同テーマの勉強会への参加もしていただけます。→「テレビとネットの横断業界誌 Media Border」はこちら。購読は「読者登録する」ボタンを押す。

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広告指標としての「視聴質」は成立するか?〜3/17セミナー「TV meets Data」〜

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クリエイティブビジネス論と題したこのブログだが、ソーシャルメディアとテレビの連携性、言葉でいうと「ソーシャルテレビ」については一貫してテーマの一つにしてきた。試しに「ツイッター検索すると、出てくる出てくる、何十ページもの記事がほじくり出されてきた。

検索結果1
検索結果2
検索結果3
検索結果4
検索結果5

キリがないのでこの辺にしておこう。とにかくソーシャルテレビについてはずっと考えてきた。

その動機の大きな一つが、「視聴質」だった。

おそらく少しでもテレビについて考えたことがある人なら概念として聞いたことはあるだろう。だが実体はなく、幻のような言葉だ。

視聴率が「人数」の指標であるのに対し、視聴質は「品質」つまり「いい番組かどうか」の指標だ。だが例えば自動車がスピードだの燃費だの”質”に関わる数値がいろいろ出せるのに対し、テレビ番組についてはそれが難しい。

もちろん視聴率だって立派に「いい番組かどうか」を表してもいる。「半沢直樹」にしろ「家政婦のミタ」にしろ面白かったしだからこそ歴史に残る視聴率を叩き出した。「逃げるは恥だが役に立つ」がグイグイ視聴率をあげたのも、面白さの証だろう。

だがもう少し普通の番組、日常的なテレビ視聴における”質”は測りにくくなっている。昔と比べると番組の人気を視聴率がダイレクトに示すと言いづらくなっている。

一つのポイントとして、視聴率は世帯で測る。例えば私が子どもの頃、70年代は人気番組は家族全員で見ていた。ホームドラマ「ありがとう」「時間ですよ」も、円谷プロの巨大ヒーロー「ウルトラマン」も、アニメも歌番組も、家族揃って見ていたものだ。つい10年ほど前まではおおよそそんな感じだったのではないか。だが今は、テレビ番組はターゲットが別々になってしまった。ドラマは登場人物の世代で見る人が分かれる。11時台のニュースはお父さんが見るのだろう。若者は深夜アニメを見る。どんな番組かまったく知らないものが人によって広がってしまった。

「世帯視聴率」とはひところは「その世帯が見ている」状況のことだったが、今は「その世帯の誰かが見ている」状況を示す数値になったのだ。

私は先週、Yahoo!にこんな記事を書いた。

「視聴率では月9史上最低記録の「明日婚」、ネット配信では最高記録更新中」

視聴率だけじゃなくていいのではないか。そんなちょっとした主張だった。大きな反響があり、中には共感してくれたあるテレビ局の方がメールをくれたりした。

ソーシャルテレビを重要テーマとして意識し、自分でも番組に関するツイートを分析してみたのも、そこから「視聴質」のヒントが見えてくるのではないか、との期待だった。「感情分析」と称して、ドラマについてのつぶやきの”気持ち”を数値化してみたりした。

感情分析についての記事

散々あれこれやってみて、わかったのは、わからないことだった。ツイッターを分析しても、「視聴質」に至る道筋はわからない。見えてこない。

敬愛する遠藤諭氏が主席研究員を務める、角川アスキー総研という会社がある。遠藤氏とも仲良くさせていただいているが、要職にある吉川栄治氏はエンタメとツイッターの関係をここ数年分析してきている。

私が顧問研究員の肩書きでお手伝いしているエム・データ社とアスキー総研が共催でセミナーイベントを開催することになった。何を成果として披露するかの打合せの中で、ある時吉川氏が見せてくれたデータ。

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考え方としてはこうだ。ある番組(この場合は「逃げ恥」)についてのツイートを収集する。そのツイートの主が、その番組のCM枠に出稿した企業と商品名をツイートした数を調べる。それが番組視聴の前と後でどう動いたかを割り出す。

実際、「逃げ恥」についてツイートした人の中には、番組中のCMについてつぶやいた人がかなりいるのだ。その変化は、ブランドによってかなり違う。典型的なのは、主演の新垣結衣がタレントとして出ているCMについては大量のツイートがあった。視聴後に、大きく増えているのだ。

吉川氏が見せてくれたデータに一同色めき立った。中でも私はちょっと興奮してしまったと言っていいほどだ。ああ!これは視聴質かもしれない!

番組の良い悪いをツイッターから見出そうとしてきたのだが、根本的に違ったのだ。視聴率はあくまで広告指標だ。ツイッターからも広告効果が見出せれば視聴質と呼べるかもしれない。吉川氏が示してくれたのは、まさにそういう捉え方だった。

言われてみると、気に入って見ている番組はCM中もテンションが高いままでいることが多い。”トイレタイム”になることもあるが、物語の展開におののきながらみることもよくある。CMに出演者が出てくると強く反応するしツイートすることもある。「逃げ恥」ではドラマの中の場面のように日産ジュークのCMに大谷亮平が出てきたが、これは格好のツイートの対象だし、商品を欲しくもなる気がする。

そういう効果を、ツイッターの分析から見出せるかもしれない。そこで共催セミナーでは、そのデータを掘り下げて披露することになった。

3月17日に角川のビル内にある神楽座という素敵な劇場空間で開催するので興味があれば下のリンクからどうぞ。

セミナー「TV meets Data」の遠藤さんによる紹介記事

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セミナー申し込みサイト

言っておくとこのセミナーですべてが明らかになり「視聴質」として発表するわけではなく、このデータは今後研究を重ねて数回に分けてみなさんに成果をお披露目していく形になると思う。

とはいえ、視聴質への見果てぬ夢がひょっとしたらこの先に具体化するかもしれない。数年間考えてきたことの道筋が見えてきたのは私として大変にうれしいことだ。と、楽しみにしつつ、今晩も「カルテット」を見るのだった。

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「ネイティブ広告ハンドブック」はライターなら読み込んだほうがいい。それがなぜかを解説しておく

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ネイティブ広告ハンドブックは、JIAAが会員社に配布するために作成された
11月9日から10日にかけて「ネイティブ広告ハンドブック」について、とても残念な盛り上がりがソーシャルメディア上で展開された。とくに10日はヨッピー氏のブログが多くの人に拡散されたことで「祭り」状態になり、やじ馬根性で参加した人びとも含め盛大なことになった。

私はここで、誰がどう言ったからどこがいいだの悪いだのを書くつもりはない。ただとにかく、この騒動が原因でなぜか多くの人がこのハンドブックを、馬鹿にしていると言っていいレベルまで揶揄しているのが残念でたまらない。私はJIAAの人間ではないが、この団体がネイティブ広告について地道に努力してきたことを遠目で見てきた者として、みなさんに伝わっていない事実と考えを書いておきたい。

まずJIAAはインターネット広告に関する業界団体だ。そのWEBサイトを見ればどんな団体かがわかると思う。
→JIAA WEBサイト

会員社は電通や博報堂のような総合代理店からサイバーエージェントなどのネット専業代理店、そしてヤフーのようなWEBのプラットフォーム事業者、新聞社、雑誌社、ハフィントンポストなどのWEBメディアといったところだろう。広告主企業は入っていないので、ネットでビジネスを行う代理店とメディアの団体と言っていい。

そのJIAAはこの二年間に渡りネイティブ広告を研究してきた。その成果は、時折開催するセミナーで会員社に共有している。そのプロセスはこのページで公開されている。
→JIAA「ネイティブ広告に関する活動」

私は取材と称してセミナーに潜り込ませてもらい、できる限り参加してきた。ネイティブ広告はこの二、三年で急浮上した概念で、事例や実績が少ない段階から多少発展したこれまでの間、日本での研究の最先端をJIAAは走ってきた。そして研究するメンバーは、講談社の長崎亘宏氏をはじめ、手弁当で作業を進めてきている。言ってみればボランティアだ。

今年の10月19日のセミナーでは、これまでの研究のまとめ的な場として様々な成果が発表された。同時に、成果をいったん、冊子にまとめて会員社に配布することが告げられた。セミナー参加者には当日配られたので、私も会員でもないのに受け取ることができた。冊子は会員社に配布されるとともに、会員社以外でも広告に関係する企業なら読めるように後日PDFでWEBに置かれることも告知された。

何しろ手弁当で、書き手は広告関係の人たちだがライターではない。別の職種の人びとだ。だが成果をきちんと理解できる文章にまとめてくれている。読む対象は、会員社もしくは非会員社でも広告業界の人びとになる。専門用語が自然と多くなっているが、配布の対象者ならもちろんわかる単語ばかりだ。知らない単語があったら自分で調べるだろう。そういう種類の文章だ。

さて、ここで私が残念に思っているのは、こうした経緯はまったく知らされないまま、この「ネイティブ広告ハンドブック」の存在が拡散されてしまったことだ。あくまで会員社に、紙で配布するために作成された。PDF化は二次的なものだし印刷して紙で読む前提だ。読む対象は広告業界のネイティブ広告に関心を持つ人間だ。それなのに、「スマホだと読めない」とか「読みにくい」とか「消費者も読めたほうがいい」とか、まったく筋違いのツイートがどんどん拡散されていった。なんと馬鹿馬鹿しく、無意味な現象だったろうか。

この冊子を、業界外の人間が読みにくいというのは、批判にも何もなってない。意味がないのだ。文章が下手だとか難解だとかのツイートもたくさん見た。プロのライターではない人びとが手弁当で書いた文章を、「下手」とののしる的外れぶりと言ったらない。それに読みにくいと私はまったく思わない。下手でもない。論文調なのは、ハンドブックとして、できるだけ正確に書こうとしているからだ。勘違いにもほどがある言葉が、このハンドブックに浴びせられる様子を、私は本当に見ていられなかった。事情も知ろうともしないでみんながけなしてる流れに乗ってひたすらけなす。それこそが上から目線だ。書いたのは、当然実績ある方々ではあるが、重鎮たちとか、先人たちとか、そういうことではない。私たちの仲間だ。仲間が業界のために業務時間外でがんばってくれた成果を、まったく関係ない人びとがやーいと囃しながら揶揄する。しかも大きな見当違いをしている。壮大なる馬鹿馬鹿しさに、私は一日中あきれ返っていた。

お金をきちんと稼げるようになりたいライターは、この冊子を熟読したほうがいい
もうひとつ、残念なことがある。この冊子は、広告業界向けに書かれたものだ。だがWEBでメディア運営やコンテンツ制作に携わる人びと、中でもライターを生業としている人は、読んだほうがいい。自分は広告業界に関係ない。そう感じている人も、ライターなら読んだほうがいい。いずれ関係する可能性が高いからだ。

私は80年代からコピーライターをやってきたロートルだ。そして最近はWEBを中心にライターも生業としている。いくつか連載を持ち、原稿を依頼されることもあり、Yahoo!個人でも書いている。つまり、両方の立場がわかる。

90年代までは、広告の文章を作成するコピーライターと、雑誌などに原稿を書くライターは、まったくちがう世界でやってきた。接することが少なかったし、仕事のやり方も全然ちがった。

それが00年代になりWEBが活性化するとその垣根がやや下がった。そしてこれから、ネイティブ広告が活発になればなるほど、いよいよ垣根がなくなるだろう。現にいま、起こっていると思うが、ライターに広告としての原稿作成の依頼が出てくる。それがネイティブ広告だ。

ハンドブックにある「スポンサードコンテンツ」もしくは「ブランドコンテンツ」と分類される広告では、テキストが非常に重要になる。こうしたネイティブ広告をライターが依頼されるようになるだろう。そして、傾向としてはふだんWEBメディアから記事として原稿を依頼されるより、企業の広告予算から広告として依頼される原稿のほうが、おおむねギャランティが高い。だから、ネイティブ広告についてライターは学んでおいたほうがいいのだ。

あんなめんどくさい冊子なんか読まなくたって原稿なんか書けるよ。企業からの依頼だってできるさ。そう思うだろうし、そうだと思う。だが、広告としての理屈、その原稿がどういう役割を持つかなど、理論的な側面を知っておいたほうがいい。ハンドブックにはそうしたことが書いてあるのだ。

理屈を知ると何がいいのだろう。スポンサーの意見に理論的に答えたり、全体のクリエイティブをディレクションできるようになる。企業や代理店から信頼され、頼りにされるとギャラがもっと上がる可能性が出てくる。ディレクションもできれば確実に上げられる。

また、広告として原稿を作成すると、企業側や代理店が、こちらの意図しない指示や要望を出してくることが多い。そういうことに対して「なぜこの方がいいか」を説明できる。論理は立場を時に凌駕する。スポンサー企業に言われたことをただ鵜呑みにするより、「いえ、この原稿の役割はかくかくしかじかなので、このままのほうがいいのです。」と言えた方が信用される。

書くことさえできれば楽しいんだ、変な理屈を学ぶのはカッコ悪いよ。それで通せるならそれでもいいが、往々にしていずれ損をする。ギャラが上がらなかったり、いつまでも不本意な要求を受け入れざるをえなかったりする。だったら学ぶべきことを吸収した方がいいだろう。

「祭り」の波に乗ってみんなと一緒になってハンドブックに石を投げて喜んだライターのみなさんは、そういう将来収入を増やすチャンスを自分で断ってしまったようなものだ。

ネイティブ広告の役割と、広告のミッシングリンク
さらに突っ込んだことを書くと、この冊子でもっとも大事な部分と感じたのがP28-31だ。もう疲れてきたのでいずれこってり書くが、簡単に言うとまずネイティブ広告の役割として「コンテンツが介在することによる態度変容」がある。これまでのネット広告は、すでに購入意向のある人に対するターゲティングだ。「あ、そうそう、これ欲しかったんだよね」とバナーを押して購入に至る。

ネイティブ広告はそうではなく、潜在層に対してコンテンツを見せることで「あれ、このブランドいい感じな気がしてきた」と態度変容を起こさせて購入に導く。こうして書くと、あれ?広告ってそもそもそういう役割だったよね、と気づく。
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それがミッシングリンクの話につながる。下のファネルを見てもらおう。(パーチェスファネルなどと検索すればファネルが何かはわかる)テレビCMなど主にマスメディアによる「認知」のあと、本来は「理解」「好意度向上」などのプロセスが必要だった。その上でバナーから購入にたどり着くはずだ。CMで知ったからっていきなり買わない、という話だ。

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ところがいま、真ん中の理解、好意度の部分が失われていた。なぜならば、新聞や雑誌の広告が前はその役割を果たしていたのに、いまやそれらがネットに吸い込まれており、新聞広告、雑誌広告で理解させたり好意度を上げたりができない。そこをミッシングリンクと冊子では言っている。

この部分は重要で、ここにいま気づくことは、オールドアドマンこそ必要だと思う。意外にみんなわかってないようだ。

そしてこれを考え合わせると、ミッシングリンクの部分をネイティブ広告で埋める際、クリエイティビティが求められることに気づく。そこには新しいクリエイターの舞台があるかもしれないのだ。

WEBで書くライターにとってもチャンスかもしれない。だって、態度変容をうながすコンテンツが必要なのだ。面白かったり、素敵だったり、時には知的だったり、そういうコンテンツを制作できるなら、楽しいじゃないか。そういう野心も、ネイティブ広告は乗せていけるのだ。

さて、いまからでも遅くはない。昨日は祭りに乗っかって、読みにくいだのマウンティングだのとからかったネイティブ広告ハンドブックを、ライターのあなたなら読んでみよう。一度読んでわからなかったら二度三度、わからない単語は調べたり人に聞いたりして理解できるまで読み込もう。そして、WEB広告を楽しくしてほしい。未開の世界だからこそ、荒野をお花畑に変えられるかもしれない。
→JIAAネイティブ広告ハンドブック2017PDF

それにしても、今回感じたのは、人と人の間にあるミッシングリンクだ。広告業界とWEBの世界の間も上の図同様すっぽり抜け落ちており、埋まらないかに思える。このミッシングリンクこそ、ネイティブ広告が埋めるのかもしれないが、そんな日が来るのだろうかと不安になった。

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スマホ動画は裏通りの解放区か?未来のメインストリームか?〜セミナー「スマホ動画の最前線」のお知らせ〜


スマホ動画がいま、何かと面白い。映像メディアを考える者としては、いよいよ注目すべき舞台になってきた。

まずAbemaTVは何なのか、どうなのか、という議論はホットだ。テレビ界隈でもネット界隈でも注目されている。初めて見た時、スマホ上でテレビが視聴できることにかなり驚いた。

もちろんいままでだって、スマホ上でテレビを見るように動画を見ることはできた。だが、スマホ独自に制作された動画は、どうしてもネット動画だった。テレビとは違うにおい、違う出演者、違う作り方、違う予算規模。何から何までネットだった。ところがAbemaTVの番組は明らかにテレビ番組だ。出演者も作り方も、そして画面から漂う予算感覚もテレビだ。テレビのにおいの番組をネットで見ることがこんなに新鮮とは思わなかった。

一方、テレビのゴールデンタイムの番組と比べるとそれはそれで違う。明らかに若者向けに、ドタバタとざっくばらんに作っているのも感じられた。また、テレビでは取りあげにくい題材を、テレビより長くじっくり取りあげることも多い。その意味では、夜8時頃から堂々と、深夜番組っぽい感覚で放送している。

ゴールデンタイムの地上波の番組は今や、おばさんくさい。旅行だの温泉だの、健康だのお掃除だのをとりあげる。若者からすると、“自分たちの“話題と思えないだろう。だから8時からでも若者の解放区めいた空気を帯びている。

メジャー感が必要だと、AbemaTVのコンセプトを作った藤田晋氏は言っていた。メディアと言える存在になるためにはメジャー感が欠かせないのだと。

そうすると、これからAbemaTVは舵取りをはっきりさせる局面が出てくるのではないだろうか。深夜の解放区みたいな空気を保ったままで「メジャー」なメディアになれるのか。そこは議論になるのだと私は思う。

スマホ動画はそういう、裏通りかメインストリームか、どっちをめざすことになるのか。これは映像メディア論のひとつの焦点になるだろう。だが論点はそこだけではない。

タテ型かヨコ型か、というシンプルな形式の話もあるだろう。ライブ配信が急激に増えている中、そこにどう対処する彼の問題もある。分散型メディアの話が出てきた中で、動画メディアなりの分散のさせ方も論点のひとつだ。そして何より、マネタイズ。広告メディアとしてどんなメニューを用意するのかは、最大の課題かもしれない。

11月14日に、セミナーを開催することになった。「スマホ動画の最前線」と題して、いま書いたような問題を議論してもらう。登壇するのは、AbemaTVの執行責任者である、サイバーエージェント取締役・卜部宏樹氏。C Channelの編集のリーダーシップを担ってきたHint代表取締役・山崎ひとみ氏。スマートニュースで動画広告を仕掛けるディレクター・松浦茂樹氏。

お三方にそれぞれ、スマホで見られる動画の傾向などをプレゼンテーションしてもらい、後半はホットなトピックをネタにディスカッションしていただく。まさにスマホ動画の最前線にいるお三方なら、生き生きした議論を繰り広げてくれるだろう。

ご興味あれば、ぜひご参加いただければと思う。

■SSK新社会システム研究所セミナー
【新しいコミュニケーショントレンドは分散型?ライブ?】
スマホ動画の最前線
~AbemaTV/C CHANNEL/Smartnewsから見える未来像~

11月14日(月) 14時〜16時30分
●パネリスト
(株)サイバーエージェント 取締役/(株)AbemaTV 取締役副社長 卜部 宏樹 氏
メディアプロデューサー/HINT,inc. 代表取締役 山崎 ひとみ 氏
スマートニュース(株) メディアコミュニケーション担当ディレクター 松浦 茂樹 氏
●企画・モデレーター
メディアコンサルタント 境 治

お申し込みは、こちら→SSKセミナー申し込みページ

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「拡張するテレビ 拡張するサカイ」10月23日、若い人たちと話したいので、イベントやります@下北沢B&B

このブログはもともと、「クリエイティブビジネス論」と題してメディアやコンテンツの今後や最新動向を語るものだった。ところが3月からYahoo!個人で書くようになり、考えたことはそっちで記事にするようになってしまっている。

テレビの話題が中心だが、8月9月は映画のことを書いた。『シン・ゴジラ』に驚愕し、製作委員会の議論に憤り、『君の名は。』の大ヒットに興奮し。ひと通り並べてみよう。

●日本のスクラップ&ビルド、東宝映画のスクラップ&ビルド『シン・ゴジラ』
●東宝はなぜ『#シン・ゴジラ』を庵野秀明氏に託したか~東宝 取締役映画調整部長・市川南氏インタビュー~
●『#シン・ゴジラ』をネタに製作委員会方式の良し悪しを問うのは不毛だ
●『#シン・ゴジラ』ついに60億越え!ヒットに導いたのは、観客ひとりひとりなのだと思う
●製作委員会方式を議論するなら映画ビジネスがどれだけリスキーか知っておこう
●『君の名は。』のメガヒットは製作委員会とみんなのツイートがもたらした
●ライブを見るように映画を見る?!~『#シン・ゴジラ』発声可能上映が示した映画の新しい可能性~
●『#君の名は。』新海誠を信じぬいた男~コミックス・ウェーブ・フィルム代表 川口典孝氏インタビュー~
●『君の名は。』のメガヒットは、テレビの延長線上にはなかった

我ながらよくこんなに書いたもんだ。この2カ月間は本当に映画のことだらけになっていた。

テレビのことは、かなり”業界向け”に書いている。当然、読者はテレビ関係の方々が中心で、だいたいは中年だ。現場から少し離れた立場で見て気になってきたことと、私が書いていることが一致するからだと思う。また業界の若い人は忙しくてブログなんぞ読む暇もないのもあるだろう。

それがこの2カ月、映画のことを中心に書いたら、どうやら若い人たちが読んでくれたようだ。とくにtwitterでいままでにない反応があった。製作委員会方式の記事は、若い人たちの間でかなり悪いイメージが蔓延していたようで気になったのもあるだろう。

中にはメールをくれて、自分の考えを書いてくれる人もいた。卒業制作でかくかくしかじかなことを論文にしようと思うのだが、どう思うか。大学生の息子がいるので、なんとなく捨て置けず直にお会いすることにした。中村巴さんという、慶應大学の環境情報学部の学生さんだった。素朴に思ったことを言ったら、参考になったと感激してくれた。こちらとしても、若い人でメディアやコンテンツに興味がある人と話せていろいろ学びがあった。そういう若い人もいるんだなあ。

日本のコンテンツ産業には、いろんな人材がこれから必要だ。直接的な作り手はもちろんだが、むしろこの国に欠けているのは大きな意味でのプロデューサーだ。これまでとちがい、特定のメディアの立場ではなく、メディアの垣根を越えたビジネス構築ができる人が求められるはずだ。もちろん、何よりコンテンツを愛している人じゃないと。中村巴さんと会えて、そういう意志を持つ若者もいるんだなあと心強い気持ちになった。

そんなところへ、下北沢B&Bから連絡をもらい、最近本を出したのなら発刊イベントやりませんかと誘ってくれた。前に一度、ゲストとして呼ばれてやったことがある。

だったら、若い人と話したいなーと思った。新著は『拡張するテレビ』なのだけど、「広告と動画とコンテンツビジネスの未来 」というサブタイトルもついていて、テレビに限らず映像全体の話を書いたつもりだ。そしてこの本では映画のことは書かなかった。でもいま、逆に映画界が気になっている。

テレビを入口に、映画のことまで話を広げる、会場の皆さんからも意見や質問をどんどん言ってもらうイベントにしよう。ということで、以下のような概要で開催することになった。知りあったばかりの中村巴さんにMC役をやってもらい、会場の皆さんと私の間をつないでもらうことにした。若い人が意見を言いやすい空気がつくれるんじゃないかと。

「拡張するテレビ 拡張するサカイ」
出演 _ 境治(コピーライター/メディアコンサルタント)

    中村巴(慶應義塾大学)
時間 _ 15:00~17:00 (14:30開場)
場所 _ 本屋B&B
世田谷区北沢2-12-4 第2マツヤビル2F
入場料 _ 1500yen + 1 drink order
お申し込みはこちら→B&Bイベントページ

ということで、よかったら来てください。

とくにねえ、製作委員会方式について誤解が本当に多くて、その話はひとつ軸にするつもり。
この機にB&Bでぜひ本も買ってくださいね!

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子育ては助け合い。だから保育園も公園も同じく必要だ〜9.23久我山東原公園で保育園建設工事がはじまる〜

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杉並区で公園が転用される問題がついに終盤へ
私はこのブログで、杉並区の公園を保育園に転用する問題を書いてきた。5月末に説明会の模様がテレビでも報じられ、「保育園に反対するエゴな住民たち」という取りあげられ方をしてきた。私は、公園を簡単に潰してはいけないという考えで取材し記事を書いてきた。

公園の代わりの場所が、公園の代わりになっていない。〜杉並区の保育園問題(1)〜
公園を守る法律は、守られているのか。議決の条件は、守られているのか。〜杉並区の保育園問題(2)
足りないところに足さないで、足りてるところに足そうとしている。〜杉並区の保育園問題(3)

この問題についてひょっとして多くの人びとは「反対運動が起こり保育園の建設が止まっている」と誤解しているようだが、実際にはどんなに公園を守ってと住民たちが声を上げても計画は着々と進んでいる。すでに更地化は完了し、9月23日から保育園の建設がはじまるそうだ。どう意見を言っても何も通らないのだという無力感にさいなまれてしまう。

この問題について、あらためて訴えたいことが2つある。できればじっくり最後まで読んで欲しい。

都市公園法第16条「みだりに都市公園を廃止してはならない」
公園は法律上どうなっているのだろうか。公園を規定する法律として「都市公園法」がある。その第16条には、こう書いてあるのだ。

「公園管理者は、次に掲げる場合のほか、みだりに都市公園の区域の全部又は一部について都市公園を廃止してはならない。」これは「都市公園の保存」とタイトルがついており、公園は基本的に守られるべきものだとはっきり書いてあるということだ。公園は基本的に、転用してはならないのだ。

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ところが、「次に掲げる場合のほか」とあり、例外事項が示されている。そのひとつにこうある。「一  都市公園の区域内において都市計画法 の規定により公園及び緑地以外の施設に係る都市計画事業が施行される場合その他公益上特別の必要がある場合」これは、一見はっきりしている項目のようでまったく曖昧なことしか書いていない。前半はともかく、最後に「その他公益上特別の必要がある場合」となっている。このひとことで、前半の文章の意味もなくなっている。「公益上特別の必要」があるなら、都市計画事業でなくても廃止していい、ということになってしまうのだ。結果的に、いい加減な法律に思えてしまう。「都市公園の保存」とあるが、どうとでも解釈できる抜け道を用意してしまっているのだ。これだと、どれだけ多くの人が大事に使っている公園でも、行政が「公益上必要なので」といつでも廃止できてしまうではないか。

それを気にしたのか、過去に問題が発生したからか、国土交通省はこんな補足文書を出している。
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ひとつは国交省の「都市公園法運用指針」だ。そこには、公益上必要がある場合とは何か、客観性を確保しつつ慎重に行う必要がある、と書かれている。これまたわかりにくいのだが、さらにそれを解説する文書もあった。「都市公園法解説」によると「あらかじめ公聴会を開く」ことが好ましい、とある。公園の転用は関係者でちゃんと話し合うべきだとはっきり言っている。言っているが、「好ましい」で終わっている。国交省が、法律だけでは心配だと用意した文書なのだろうが、いかんせん、何の拘束力もない。ここまで文書を作ったのならいっそ法律を改定すればすっきりするのに、なぜかこうした補足文書があるだけだ。でも二重三重に存在している。

法的拘束力がなくても、杉並区も行政であるからにはこの文書は配慮すべきだし、本来は議会で議論すべきだろう。だがこのあたりの事実が実際どうだったのかは、過去に住民説明会で質問に出たり私も取材の際に聞いたりしたのだが、いつも曖昧な答で終わる。ただ少なくとも、国交省とやりとりしたのはまちがいない。

いずれにせよ、結果として国交省がわざわざ文書を用意して「公聴会を開くのが好ましいですよ」とアドバイスしているのに、杉並区はそうしなかった。そこだけはまちがいないし、私企業ならまだしも地方自治体としては大いに疑問だ。

一方で、法律のほうが曖昧になっているので、法的には杉並区が正しい、ということになってしまう。国交省の補足文書は法の前では何の役にも立たない。杉並区は国交省に問い合せたと言っていたが「進めてもいいですよね?」と言われたら国交省に止める権限もないので何も言わないだろう。だったら問い合せたのは何のためだったのか?疑問だけが残るし、強引に進めたと言えると思う。

法的に問題がないとは言え、この曖昧な都市公園法をもとに、ある意味すり抜けた形で進めたことが、まず訴えておきたい点だ。

子育ては地域で助け合うもの。そのためには保育園も公園も欠かせない
杉並区の問題を話していると、「公園を守りたいのはエゴだ」という人が多い。それを聞くと私は驚く。私の認識では、都市部での子育てに公園は必須の設備であり、保育園とどちらが優先されるべきかは答えのない命題でしかない。保育園が急きょ必要だという時に、公園が候補に挙がること事態が大きな誤りだと私は思う。

その説明の前に、もうひとつイビツに感じていることを書いておきたい。いま、あまりにも認可保育園がフィーチャーされすぎている。それが問題を複雑にし、長引かせていると思う。

例えば、久我山とは別にもうひとつ廃止になってしまう向井公園には無認可保育園の子どもたちが遊びに来ていた。あの子たちはもう遊び場がなくなるのだ。代わりに用意された代替地は、保育園児が遊ぶにはあまりにひどい場所でとてもじゃないが使えないだろう。

また、久我山東原公園が来年できるので、閉園を予定している無認可保育園があるそうだ。本末転倒ではないだろうか。保育園が足りないから増やすのに、新たにできると閉園してしまうのだ。

それは、認可保育園があまりにも有利な保育園だからだ。施設もいいし、料金も安い。認可保育園ができればできるほど、無認可はなくなっていくのだ。

それでいいのだろうか。それはおかしくないだろうか。

私は前に、様々な保育活動を取材し、ブログに書いた。このブログで探してもらえればいくらでも出てくる。自主保育、共同保育、預けあいサービスなどなど。保育のやり方を自分たちなりに模索し続けているグループはたくさんある。それらは、やろうと思えば自分たちでもできるのだ。共同保育は中でもはじめやすいと思う。一緒に子育てしたい親たちが集まって、保育士を雇うのだ。ただ、ふさわしい場所を探すのが大変なのと、料金の問題が出てくる。

多様に存在する保育のやり方を先輩のママとパパたちが模索し確立しているのに、それが知られていないことのほうがもったいないと思う。共同保育にともに取り組んだ人びとは、そのことを宝物のように語る。なにしろ、疑似的な大きな家族になるので、卒業したあともずっと関係が続くのだ。親戚がいなかった東京で、親類ができるのだから楽しいだろう。しかも信頼しあっている。

杉並区でいちばん感じたのは、この点だ。田中区長ははりきって保育園を増やそうとしている。そのこと自体は素晴らしい。だが、それだけが解決なのだろうか。認可保育園のシステムは、全員が入れるようになるまで、ずーっと不公平が続くのだ。入れなかった人は高い料金で認証や無認可に通わせることになる。無認可の経営者は補助金がないうえに、認可が増えると閉園に追い込まれる。
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いまの現状を図にしてみた。いま世論が目覚めて、何かあると「保育園が足りない!つくれ!」と叫ぶ。そしてそれは、公園などより優先事項になってしまっている。話題にならなかったころに比べるとずっといいとは思う。だがいま、極端に走ってもいる。認可保育園だけが必要性を言われて、その影で無認可がなくなることに誰も興味を持っていない。公園なんか要らないのだと決めつけて、公園を守りたい久我山の人びとは世間から総攻撃を受けている。

そうなのだろうか。いまの空気は100%正しいだろうか。

私は、こう考えている。
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基本的な考え方は、保育園建設を行政に求めるのではなく、地域社会みんなで子どもを育てる環境とはどんなものか、にある。

認可だけでなく、認証も無認可も、あっていいはずだ。また、小規模保育、自主保育や共同保育も選択肢にあればいい。(そうなるとバウチャー制度が必要になるが、ここでは詳しくふれない)もちろん幼稚園も今後も必要だろう(子ども園になるべきかもしれないが)学童だってちゃんと整備しないと、これから都内各地で今度は「学童が足りない!」となりかねない。(実はすでに起こっているが表面化してないだけだ)

こうした子育ての多様なあり方、考え方があり、それらをベースから支えるのが実は公園だ。児童館も入るだろう。公園は、子育て環境のターミナルなのだ。公園があってはじめて、子育てがその地域のものになる。久我山東原公園でも、運動を起こすお年寄りたちは保育園ができるとうるさいから声をあげているのではない。公園で遊ぶ子どもたちのほうがずっと騒がしいのだ。あのお年寄りたちは、公園で元気に遊ぶ子どもたちがいとおしいから声を上げたのだ。それは、ニュース映像から伝わってこないだろう。

私がこういう図を描くのは、まさに私自身が子どもたちを二十年ほど育ててきて、地域の人びとの交流があって救われたからだ。子育てに積極的に参加してたとは言えないが、公園に連れて行き、他の親たちやお年寄りとちょっとした交流が大きな精神的支えになった。何より、私の妻は私の知らない地元ネットワークをしっかり持っており、そのおかげで健やかに子育てができたのだと思う。若い親たちが子どもをないがしろにする事件が起こると、それは彼ら自身が悪いにせよ、彼らが地域とつながっていたらまたちがったんじゃないかと想像する。

子育てにはコミュニティが必要。それはどれくらい感じているかはそれぞれだろうが、人類の営みとして必然のことなのだ。そのコミュニティの核になるのが、公園だ。都市部でよそ者同士がたがいに助け合いながら子育てをする、ターミナルなのだ。

杉並区の姿勢には、こうした視点がないように思える。それどころか、児童館や学童を廃止して新しい施設に再編することも発表したそうだ。それは、上の図のような多様性を確保するのと逆に、統合に統合を重ねる発想に私には見える。杉並区の行く末は、どうなるのだろうか。

ここで何を書こうとも、9月23日、久我山東原公園では保育園建設がはじまってしまう。そのことをどう受けとめればいいのか、いま私にはわからない。

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境 治
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足りないところに足さないで、足りてるところに足そうとしている。〜杉並区の保育園問題(3)

杉並区の「公園を保育園に転用する計画」についてこのブログで2回記事を書いてきた。お盆も明けたので続きを書こうと思う。過去二回の記事はこちらだ。

公園の代わりの場所が、公園の代わりになっていない。〜杉並区の保育園問題(1)〜
公園を守る法律は、守られているのか。議決の条件は、守られているのか。〜杉並区の保育園問題(2)

天国だった公園が、無残な姿になってしまった
さて8月に入り公園の一部が閉鎖されて工事が始まったことはすでに伝えてきた。今週はついに、木の伐採がはじまったと聞いて行ってみた。こういう状態だ。
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成長した木が切られている姿は無残な気持ちにさせられる。久我山東原公園はさほど大きな面積ではないが、木が生い茂っていることで十分な憩いを人びとに与えていた。実際反対側を見ると、茂った木がこの猛暑でも木陰を提供してくれ、水の流れで幼い子どもたちが楽しげに遊んでいる。
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樹木がどれだけ大切な存在か、一目瞭然だ。同じ公園が、中央の区切りで、憩いの水辺空間と無残に木が切られて黙々と工事が進む空間とに分かれている。
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まるで、天国と地獄だ。ボールで遊んだり駆け回ったりする小学生たちの姿はもうない。彼らは遊ぶ場所を失ってしまった。代替地にも行ってみたが誰一人遊んでいない。「遊び場」とは名ばかりで、一本の木もなく子どもたちを迎えてくれる空間ではないのだ。

問題が多い、杉並区の緊急対策
さてこれまでの二回の記事で、このプランの問題点を指摘してきた。公園の保育園への転用は、代替地の確保が条件だったのに、代替地が子どもたちが遊ぶ場所としてあまりにも不適格である点。また都市公園法には公園の廃止は基本的にしてはならないとあること、さらに杉並区議会でこの計画が議決される際には住民の理解が欠かせないと各会派が条件を付けていたことを指摘した。杉並区長は、民主主義のルールに沿って進んでいることに反対するのはおかしいと強く言っていたが、本当にルールにのっとっていると言えるかあやしいと言わざるをえない。

そして今回は、杉並区のプランが本当に待機児童に悩む区民のニーズに対応できるのかを考えたい。

その前に、今回の「緊急事態宣言」をおさらいしておこう。詳しくは、杉並区の該当ページを読めば書いてある。(→杉並区の「待機児童解消緊急対策」)

緊急対策は2回に渡って出されている。一回目の対策を行っても、さらに560名の待機児童が来年4月に出てくることがわかった。そこで緊急対策第2弾を出したのだが、その中に久我山東原公園(久我山地区)、向井公園(下井草地区)も入っていたのだ。この案の発表が5月13日で、5月18日の区議会で計画が承認された。緊急対策なので急いで決めたわけだが、急ぎすぎて不備が見受けられるのだ。

緊急対策は、地区別にみるとバラバラ
それを指摘しているのは、住民たちの活動グループ「久我山の子どもと地域を守る会」だ。その会のブログで以下のような問題点をあぶり出している。杉並区が発表しているデータから、実に丁寧に数字を出しわかりやすい地図を描いてくれているのだ。

まずこの図を見てもらいたい。
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これは、計画の中で来年4月に開園することになっている保育園を示したものだ。認可保育園は色が付いた○印で示している。紫が当初からの整備計画にあったもの。オレンジが緊急対策第一弾の保育園。そして赤が今回問題となる緊急対策第二弾で予定されている保育園だ。また△は、小規模保育を示している。
各地区に入っている数字は、緊急対策第二弾が必要になった560名の内訳だ。

これを見ると一目瞭然なのが、地区によって保育園が急増するところと、増えないところがあることだ。久我山・高井戸地区は、来年300名規模で保育園が新設される。井草地区に至っては500名弱分の保育園ができる。一方、中央線沿線は新設保育園はほとんどない。

さらに、各地区の数字は緊急対策第二弾で必要になった数なので、赤い丸の保育園の数字と照らし合わせる必要がある。すると、久我山・高井戸地区は70名の待機児童に対し200名分の保育園ができる。井草地区は40名の不足に対し320名分が新設される。

一方、永福・下高井戸地区は60名分不足するのに対策第二弾はなし。方南・和泉地区も同様だ。中央線沿いも南北西荻地区、荻窪南、阿佐ケ谷、高円寺の各地区は緊急対策第二弾でそれぞれたくさんの不足が出るのに、新設保育園はゼロだ。荻窪北に100名分できるだけ。

これも「守る会」のブログにわかりやすい図がある。合計560名の不足に対し、緊急対策第二弾で新設される保育園はどれだけ補えるのかを地区ごとに示している。

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ひと目でわかる通り、赤い地区と青い地区の差が極端だ。極端すぎると言っていいだろう。0%だらけなのだ。そして久我山・高井戸地区は193%、井草地区はなんと530%。どう見ても増やしすぎだ。これで「対策」と言えるのだろうか。

地区によっては新設保育園に通えない
これについて杉並区は、自分が住むのと違う地区の保育園も希望リストに入れてくれていい、と言っているらしい。だがこの地図を見ると、そんなこと言われても、と誰しも感じるだろう。荻窪に住む人が、井草地区の保育園に預けて西武新宿線で通勤するだろうか?高円寺の人なんか、どこに預けろと言うのかと、途方に暮れるだろう。

永福・下高井戸地区や、方南・和泉地区の人は井の頭線で久我山駅か富士見丘駅まで行って子どもを預けて、また富士見丘駅から会社に行くのだろうか。それは現実的ではない。最低でも30分余計に通勤時間が増える。会社に少しでも近い杉並区なら、送り迎えの時間を考えても育児と会社を両立できると考えていたのに。だったらもっと遠いところに住めばよかった。そう感じるのではないだろうか。

私は杉並区長に取材して、区の職員の方たちとも話をした。決していい加減な人たちではない。この対策案も、一所懸命みんなで考えただろうと信じてはいる。だがこの計画は、ずさんと言わざるをえないと私は思う。来年4月に待機児童をゼロにしたい。その気持ちは真面目なものだっただろう。だが結果としては、住民のためになる案だとは言えないと思う。このプランを元に、待機児童をなくすためにこんなに保育園を増やしたと言われても、自分の地区にできないなら意味がない、と区民は考えるのではないか。560名を数字上埋めただけで、現実的に”対策”になっているとは到底思えない。

慌てた結果、出てきた不備
なぜずさんなプランになってしまったのか。理由ははっきりしていると思う。急ぎすぎたからだ。

取材してわかったのは、杉並区の行政の人びとも区議会議員たちも、そもそも今年、待機児童がゼロになるつもりだったことだ。みんなそう信じていた。待機児童問題が解決すればやっとあの問題にもこの課題にも取り組める。そんな空気だったようだ。ところが、年明けからまず今年もゼロにならないことがわかってきて、さらに来年グンと増えることもわかってきた。しかも実際の人数は4月にならないとはっきりしない。ようやく見えた数字が、ゼロどころか560名とこれまで減らしたはずがまた大きく増えてしまう。

なんとかしなきゃ!来年こそゼロにしたい!その思いが先走ったのではないか。

とにかく待機児童をゼロにする、来年4月にはする。そのためにはどんなことでもする。そんな焦りが、苛立ちが、今回の計画になった。公園だって保育園同様だいじな施設だ。その視点が、(おそらくわかってはいたが)吹き飛んでしまった。見ないようにしてしまった。公園を入れてしまっただけでなく、地区による偏りも気づかなかった。気づかなかったと思うことにした。そうやって一度決めてしまったので、行政も議会も意地になっているように思える。

行政も議会も、現場を見て考え直すべき
私は杉並区の行政の皆さんも、議員の皆さんも、そして田中区長にも、あらためて言いたい。いま、止める勇気を持ってください。来年4月、きっと後悔してしまうから。待機児童を抱える区民も、もちろん助かる人もいるだろうが、そんな遠い保育園に入れと言われても、という人が続出する。若い夫婦の皆さんが喜んでくれると思ったプランのはずが、がっかりする人がたくさん出てしまう。そのうえに、東原公園と向井公園それぞれの地域の人びとに大きな禍根を残してしまう。

せめて、いま工事中の公園を見に行ってほしい。立派に育った樹木をいま切り倒す意味は何だろう。その木陰があるおかげで子どもたちは汗を拭いて身体の火照りを冷まし、それを見守るお年寄りたちに微笑みをもたらし、幼い子どもたちは蝉の抜け殻の不思議と出会うことができた。子育て中のお母さんたちも公園の樹木があるからこそ、安心して子どもたちを送り出すことができた。そんなやさしさを静かにたたえていた樹木を、切り倒すことにどんな意味があるのだろう。考えてみてほしいのだ。

無残に伐採した樹木の跡に、立派な保育園を建てたはずなのに、結局は待機児童が解消できないとしたら。同じ地区にたくさん作るより、こちらの地区につくってほしかった。そんな風にがっかりされたら、いったい何をやっていたんだ、と来年思わないだろうか。これはセンチメンタリズムで言っているのではない。公園の都市における機能を、樹木が住宅地を潤す効果を、もう一度考えてほしい。

AERAでも取り上げられた杉並区の問題
ところで、今週号のAERAに掲載されているジャーナリスト小林美希氏の記事で、この問題を扱っている。6月以来、孤軍奮闘しているような気分だったので、メジャーなメディアに東原公園が登場したことは大いに励みになる。
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この問題はテレビでよく報道されてきたが、活字メディアできちんと取材した記事は初めてだと思う。もちろん、荒れた説明会だけを取材して書かれた記事はあったが、そこだけ興味本位で記事にしても本質は見えてこない。小林氏の記事はこれまでのプロセスをきちんと調べて住民の声にも耳を傾けていた。

この問題はちゃんと調べるといろいろ疑問が湧いてくる。テレビで報じられる際も、きちんと取材した局は杉並区側に疑問を投げかけている。ただ、どうしても説明会で強く主張する住民の姿が映像で流れると、”エゴ”として受け取られがちなのだ。読者の皆さんも、ぜひ他の記事も読んで、イメージに流されずに受けとめてください。似た問題は、あなたの近くでも起こるかもしれない。別の大義が押し寄せることで、あなたが大事にしてきたことが奪われる可能性は誰にでも起こる。この例を知るとそう感じてしまうのだ。

この問題は、まだまだ追っていきたい。

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