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コピーライター→映像製作会社ロボット→広告代理店ビデオプロモーション→再びコピーライター(フリーランス)。 メディアとコンテンツの未来を切り拓くコミュニケーションをデザインします。講演・執筆依頼もお気軽に!

【赤ちゃんにやさしい国へ】ママたちの覚悟が、少女たちの心を解きほどいた〜貴船原少女苑を取材して〜

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赤ちゃんを学校などに派遣する「赤ちゃん先生プロジェクト」
「赤ちゃんにきびしい国で、赤ちゃんが増えるはずがない」と題したブログを書いて以来、保育について取材するようになった。その端緒が「赤ちゃん先生プロジェクト」の取材。これまでに三つの記事を書いている。2014年の記事だからもう三年も経った。

お母さんはメディアになり、赤ちゃんは先生になる〜赤ちゃん先生プロジェクト〜

そこでは私たちの未来が作られていた〜赤ちゃん先生プロジェクト見学記〜

赤ちゃんを通じた男女の出会いは、いちばん自然かもしれない〜赤ちゃん婚活パーティ〜

赤ちゃん先生プロジェクトはその名の通り、赤ちゃんを先生として学校や老人施設に派遣する活動だ。ママたちは講師となって、子どもたちやお年寄りに赤ちゃんと触れ合ってもらう小一時間のイベントを行う。シンプルな企画だが、少子化で赤ちゃんと実際に接する機会が薄れた子どもたちに、赤ちゃんの存在の大きさや可愛さ、世話の大変さを体験する貴重な機会になる。お年寄りには忘れかけていた赤ちゃんの柔らかさや愛おしさを思い出してもらい、エネルギーをあげることができる。そしてママたちは育児生活の孤独から解放され、社会とのつながりを実感できるのだ。単純なようで様々な効果をもたらす奥深い意義がある。

この赤ちゃん先生はNPO法人「ママの働き方応援隊」が運営する活動だ。提唱したのが恵夕喜子さんで、最初の取材以来いろいろ教えていただいている。その恵さんから久しぶりに連絡があった。この10月末に広島で、女子少年院での赤ちゃん先生があるので取材しないか、というお誘いだった。

女子少年院での赤ちゃん先生プロジェクトを取材しに広島へ
恵さんからのお話ならとすぐさまスケジュールを整理してお受けした。だが女子少年院での赤ちゃん先生というのは少々戸惑う。今回初めての試みだそうで、心配もしてしまう。ただ全3回のプログラムのうち2回まで済んで、最後の回を取材する話だ。2回目まで順調に進んだと聞いたので、安心して広島に出かけた。

ママの働き方応援隊・広島東校代表の高田裕美さんが迎えに来てくれ、広島市街からクルマで訪問地の貴船原少女苑に向かった。賑やかな市街地を離れて山の中の道を走る。ちょうど台風が通り過ぎたばかりで、よく晴れた青空を眺めながら東へと向かった。40分ほど走ると、目的地に着いた。女子少年院と聞くと物々しい建物をイメージしてしまうが、実際には公民館のような何の変哲もない明るい施設だった。ちなみに少年院にはとくに名称に決まりがなく、ここでは少女苑という名称にしたと聞いた。

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法務教官の肩書きを持つ少年院の方から簡単に注意事項などの説明を受ける。制服を来ているものの柔らかな物腰の方々で、“少年院の教官”という重たさはない。携帯電話が持ち込めないなど多少の制限はあったが、とくに普通の取材と変わらない雰囲気で案内された。通されたのは学校の教室のような場所で、机とイスをうしろに片づけてシートが敷かれていた。その上にジャージ姿の女の子たちが座っている。

少年院にいる女の子というと、学園ドラマの不良少女のような風体を想像してしまうが、まったく普通の子たちだった。何らか犯罪に関与してしまった女の子たちなのだろうが、そんなイメージからはほど遠く、逆にまじめそうな子たちに思えた。

いつも通りはじまった赤ちゃんとの触れ合い
茶髪の子もいるが、とくに黒く染めろなどの強制的な指導はないそうだ。人権侵害になるので、そんなことはしないのだと教官の方が笑いながら言う。下手な学校のほうがよほど不条理な規則で縛られるのではないだろうか。

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小学校での開催時と同じように、まず赤ちゃん先生を連れたママ講師たちが前に登場。それぞれ自己紹介をした。そしてひとりひとりと赤ちゃん先生が握手を交わして回る。すでに場が和んでいる。やがて2〜3名の少女たちのグループに一組ずつの赤ちゃん先生とママ講師が座り、赤ちゃんと触れ合う。もう3回目だからか、お互いになじんでいる様子だ。もちろんイヤイヤをするご機嫌斜めな赤ちゃんもいるが、少女たちがあやしたりもしている。その様子は、近所の赤ちゃんの相手をする普通の女の子たちと何ら変わりはない。

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自らの体験をあけすけに語り出したママたち
小学校での取材とちがったのが、その次だ。各グループでママ講師たちが少女たちに話をし始めたのだ。どうやら自分の個人的経験を話しているようだ。しかもかなりつぶさに事細かに語っている。少しずつ聞こえてきてわかったのだが、けっこうヘビーな内容だ。わざわざ用意していたシートに細かく書かれたことをていねいに説明している。仕事で失敗したことや、離婚の経験を打ち明けるママ講師もいる。中には途中で涙をポロポロ流しながら話すママもいた。

「失敗してもいいんだよ」というタイトルで個人的経験を語る時間として設定されているとのことだが、そんなに深刻な失敗談を会って三回目の少女たちに話すとはと、聞いていてハラハラしてしまった。その本気が伝わっているのか、少女たちも真剣な面持ちで聞き入っている。先輩たちが本気で何かを伝えようとしていると、少女たちも受けとめているのだろうと感じた。

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やがて終わりの時間がやって来た。11時に始まって50分間程度のほんの短い触れ合いだった。だがとても濃密な時間だったように思える。

最後に赤ちゃん先生とママ講師が再び前に並んでお別れの挨拶をする。涙ぐみながら、もう一度みんなに会いたくて今日も来たのだと語るママ講師。お互いに名残り惜しそうだ。三回目だけを見ている私にはわからないが、これまでに血の繋がった親戚のような関係ができていたのではないか。見ていると切なくなってきた。少女たちのほうはどう感じているのだろう。彼女たちに話しかけることは禁じられていたので、そこは確かめられないまま、催しは終わった。

少女たちの心をほぐした赤ちゃん先生とママ講師
終了後に高田さんから、少女たちが寄せた二回目までの感想を読ませてもらった。そこに書いてあることは衝撃だった。「最初は参加するのが嫌だった」と書いている子がいた。少女たちの中には、ここに来るまでに妊娠や出産で辛い経験をした子がいるのだ。赤ちゃんに会うと、そんな悲しい過去を思い出すから嫌だったと書かれていた。だが実際に赤ちゃんに会うことで、頑なな心がほどけてその可愛らしさや楽しさに浸ることができたらしい。前向きな気持ちになれた、ということだと受けとめた。

実際、ママ講師たちも最初から少女たちと打ち解けあえたわけではないそうだ。一回目はピーンと緊張の糸が張りつめ、どう話せばいいのかわからなかった。うつむくばかりで話そうともしない子もいた。だが赤ちゃんの無垢さがそれをほぐしたのだ。

三回目でママ講師が自分の経験を話すのも途中で決めたことで、二回目までで少女たちの悲しい過去をかいま見たママたちが、自分たちも思い切って経験を赤裸々に語ろうと決めたのだそうだ。びっしり埋まったシートを見て、そんな過去があったと互いに知って驚いたほどだったという。

少女たちの張りつめた心を溶かそうと、ママ講師たちが本気になったのだ。だから泣き出すほどのキツイ過去をさらけ出す気になり、お別れが名残惜しくなった。1時間ずつ、たった3時間の触れ合いが、赤ちゃんを介在させることで濃密な時間になり、互いの心のガードを外すことができたのだと思う。

赤ちゃん先生とママ講師が、もしここにいる少女たちと、ともに暮らす存在だったら、と私は想像した。もっとたがいに距離の近い、小さなコミュニティでともに暮らしていたとしたら、そして少女たちが罪に問われるような行動に走る前に赤ちゃんやママと触れ合っていたら。彼女たちは手前で思いとどまったのかもしれない。私たちがいまよりもっと小さくて距離の近いコミュニティで暮らしていた頃は、きっと少女の一時期のささくれ立った心も包み込むことができていたのではないだろうか。そこに赤ちゃんがいることが何より、少女たちのブレーキになっていたのではないか。

赤ちゃんはただ幼き存在であるだけでなく、幼き存在だからこそコミュニティの中で重要な役割を果たしていたのかもしれない。赤ちゃんの社会的な存在意義というものをもっと我々は認識すべきなのだろう。赤ちゃん先生を取材するたびに感じてきたそのことを、女子少年院の今回の取材でさらに強くはっきり認識することができた。赤ちゃんとママが本来持っていたそんなパワーを、現代社会がもっと生かすことを考えるべきなのだと思った。

赤ちゃん先生が少女たちの更生に効く可能性
貴船原少女苑での赤ちゃん先生の導入は、実は教官の中に育休中にこの活動に参加した方がいて、提案したことによるそうだ。小学生やお年寄りに赤ちゃん先生がもたらす影響を体験して、少女たちの更生にも役立つかもしれないと考えたのだそうだ。その効能を知っていたからにせよ、よく提案したものだと思うし、受け入れた上司の皆さんもよく認めたものだと感じた。

そんな教官たちの思いに応えて、ママ講師たちも奮起し、自分をさらけ出してくれた。だからきっと、少女たちの胸に思いが届き、今後の更生に寄与するのではないかと思う。だからと言って赤ちゃんをママたちが女子少年院に連れて行きさえすればいい、ということでもないだろう。今回の実施についても、当然ながら最初はママたちも戸惑ったという。迷ったうえで、それでもやってみようと思ったからこそ、そして初回に少女たちの頑なな気持ちを感じとったからこそ、ママたちは覚悟を持ってプログラムに臨んだ。さらけ出す必要のない経験をあえて少女たちに伝えた。その覚悟が、少女たちの心を解きほぐした。

赤ちゃんを通して、女性同士が自分をさらけ出すことができた。そのことの大切さも含めて共有できれば、他の場所でもうまくいくのではないだろうか。今回の貴船原少女苑での体験が、全国の女子少年院にも広がるといいと思う。
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赤ちゃんは先生になり、ママはメディアになる。赤ちゃん先生プロジェクトを最初に取材した記事で私はそう書いた。広島の町外れにある少女少年院で、またそのことを確認できた。このメディアのパワーは、もっともっと強くなっていきそうだ。

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境 治
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コンテンツ産業はガラパゴス化しかねない。ではどうしたらいいのか?

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一年ほど前に、私はYahoo!でこのような記事を書いた。

「このままでは日本のコンテンツ産業もガラパゴス化してしまう(2016/4/4 Yahoo!ニュース個人)

中国で映画や映像配信の市場が急増しているが日本の映像コンテンツは海外への販売網や流通体制がほとんどできてないこと。国内市場は少子高齢化で縮むばかりであること。今後は配信権とセットじゃないと映像コンテンツは商談が成立しないことを書いたものだ。

この”嘆き”のような記事は、ある会社の海外販売担当の方から聞かせていただいた強い危機感に押されて書いたものだ。そして実は、昔映像製作会社ロボットにいた時にも痛感したことだ。2008年にロボット製作、加藤久仁生監督による「つみきのいえ」がアカデミー賞を獲得したのだが、海外からものすごい数のコンタクトがあったのにほとんどお金にできなかったのだ。いきなり世界中から「この素晴らしいアニメーションを我が国で配給するなら私たちにお任せを!」と言われても、本当にこの会社に任せていいものかと、大切な作品だけに悩んでしまった。自分たちでは判断できないが、誰に頼ればいいかもわからず、途方に暮れてしまったのだ。普段から海外とのパイプを維持していないと、海外セールスなんてできないと当時実感した。

この記事を受ける形で、元日本テレビの佛教大学教授・大場吾郎氏がこんなブログを書いている。

「テレビ番組のガラパゴス化にはワケがある」

大場氏とは普段から交流があるので、意見交換のように記事を交わし合った感じだ。しかしこれを読んで知ったことがいっぱいあって、とにかく驚いたのは、日本のコンテンツは昔の方がずっと海外に積極的だったし売れてもいたことだ。むしろこの十年くらい閉鎖的になっている。

一方、Yahoo!に前から気になる記事を書いている女性がいた。テレビ業界ジャーナリストとして多方面のメディアで記事を配信している長谷川朋子氏。特に日本のテレビ番組の海外展開については世界中を飛び歩いて取材している。たまたまある会で同席し、あちらも私の存在を気に留めてくれていたようで、盛り上がった。直接話して、あらためて海外展開についての知見の広さ、そこから見えて来たオピニオンもお持ちだとわかった。

そんな長谷川さんから、フジテレビの国際開発局にいる久保田哲史氏を紹介してもらった。ドラマ制作のディレクターをやっていたが、ひょんなことから中国の映像業界と接点ができて、だったら自分でやってやろうと今の部署に移籍して活動している。日本のドラマは、海外製作をエネルギーに活性化できるはずと信じて頑張っている。

そんなお三方をお迎えしてセミナーをやりたいと思いついた。日本の映像業界は海外展開について消極的だったと思う。だが、ハリウッドの強さは世界を市場にできていることだ。日本の市場規模は世界第二位だったのが中国に抜かれて3位に下がった。そこそこの規模であることがこれまで続けられた大きな要素だが、中途半端な規模だから予算もかけられないし産業として物足りない。現場が疲弊してもカバーできる収益が生み出せない。まさにガラパゴス化している。もはや世界に出なければ先はないのではないか。逆に言えば世界に大きなチャンスがあるということだ。前向きになって勇躍する意思を今こそ持つべきだと考えていた。

北米に売れない。アジアはお金にならない。そんな愚痴はもう昔の話で、今こそチャンスなのだと思う。

そんな期待を裏付け、勇気を掻き立てられるようなセミナーにしたいと思う。

5月12日、14時から、ぜひ参加してください。

申し込みは、こちらから→SSK新社会システム研究所・セミナー申し込みページ

※筆者が発行する「テレビとネットの横断業界誌Media Border」では、放送と通信の融合の最新の話題をお届けしています。月額660円(税別)。最初の2カ月はお試しとして課金されないので、興味あればご登録を。同テーマの勉強会への参加もしていただけます。→「テレビとネットの横断業界誌 Media Border」はこちら。購読は「読者登録する」ボタンを押す。

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広告指標としての「視聴質」は成立するか?〜3/17セミナー「TV meets Data」〜

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クリエイティブビジネス論と題したこのブログだが、ソーシャルメディアとテレビの連携性、言葉でいうと「ソーシャルテレビ」については一貫してテーマの一つにしてきた。試しに「ツイッター検索すると、出てくる出てくる、何十ページもの記事がほじくり出されてきた。

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キリがないのでこの辺にしておこう。とにかくソーシャルテレビについてはずっと考えてきた。

その動機の大きな一つが、「視聴質」だった。

おそらく少しでもテレビについて考えたことがある人なら概念として聞いたことはあるだろう。だが実体はなく、幻のような言葉だ。

視聴率が「人数」の指標であるのに対し、視聴質は「品質」つまり「いい番組かどうか」の指標だ。だが例えば自動車がスピードだの燃費だの”質”に関わる数値がいろいろ出せるのに対し、テレビ番組についてはそれが難しい。

もちろん視聴率だって立派に「いい番組かどうか」を表してもいる。「半沢直樹」にしろ「家政婦のミタ」にしろ面白かったしだからこそ歴史に残る視聴率を叩き出した。「逃げるは恥だが役に立つ」がグイグイ視聴率をあげたのも、面白さの証だろう。

だがもう少し普通の番組、日常的なテレビ視聴における”質”は測りにくくなっている。昔と比べると番組の人気を視聴率がダイレクトに示すと言いづらくなっている。

一つのポイントとして、視聴率は世帯で測る。例えば私が子どもの頃、70年代は人気番組は家族全員で見ていた。ホームドラマ「ありがとう」「時間ですよ」も、円谷プロの巨大ヒーロー「ウルトラマン」も、アニメも歌番組も、家族揃って見ていたものだ。つい10年ほど前まではおおよそそんな感じだったのではないか。だが今は、テレビ番組はターゲットが別々になってしまった。ドラマは登場人物の世代で見る人が分かれる。11時台のニュースはお父さんが見るのだろう。若者は深夜アニメを見る。どんな番組かまったく知らないものが人によって広がってしまった。

「世帯視聴率」とはひところは「その世帯が見ている」状況のことだったが、今は「その世帯の誰かが見ている」状況を示す数値になったのだ。

私は先週、Yahoo!にこんな記事を書いた。

「視聴率では月9史上最低記録の「明日婚」、ネット配信では最高記録更新中」

視聴率だけじゃなくていいのではないか。そんなちょっとした主張だった。大きな反響があり、中には共感してくれたあるテレビ局の方がメールをくれたりした。

ソーシャルテレビを重要テーマとして意識し、自分でも番組に関するツイートを分析してみたのも、そこから「視聴質」のヒントが見えてくるのではないか、との期待だった。「感情分析」と称して、ドラマについてのつぶやきの”気持ち”を数値化してみたりした。

感情分析についての記事

散々あれこれやってみて、わかったのは、わからないことだった。ツイッターを分析しても、「視聴質」に至る道筋はわからない。見えてこない。

敬愛する遠藤諭氏が主席研究員を務める、角川アスキー総研という会社がある。遠藤氏とも仲良くさせていただいているが、要職にある吉川栄治氏はエンタメとツイッターの関係をここ数年分析してきている。

私が顧問研究員の肩書きでお手伝いしているエム・データ社とアスキー総研が共催でセミナーイベントを開催することになった。何を成果として披露するかの打合せの中で、ある時吉川氏が見せてくれたデータ。

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考え方としてはこうだ。ある番組(この場合は「逃げ恥」)についてのツイートを収集する。そのツイートの主が、その番組のCM枠に出稿した企業と商品名をツイートした数を調べる。それが番組視聴の前と後でどう動いたかを割り出す。

実際、「逃げ恥」についてツイートした人の中には、番組中のCMについてつぶやいた人がかなりいるのだ。その変化は、ブランドによってかなり違う。典型的なのは、主演の新垣結衣がタレントとして出ているCMについては大量のツイートがあった。視聴後に、大きく増えているのだ。

吉川氏が見せてくれたデータに一同色めき立った。中でも私はちょっと興奮してしまったと言っていいほどだ。ああ!これは視聴質かもしれない!

番組の良い悪いをツイッターから見出そうとしてきたのだが、根本的に違ったのだ。視聴率はあくまで広告指標だ。ツイッターからも広告効果が見出せれば視聴質と呼べるかもしれない。吉川氏が示してくれたのは、まさにそういう捉え方だった。

言われてみると、気に入って見ている番組はCM中もテンションが高いままでいることが多い。”トイレタイム”になることもあるが、物語の展開におののきながらみることもよくある。CMに出演者が出てくると強く反応するしツイートすることもある。「逃げ恥」ではドラマの中の場面のように日産ジュークのCMに大谷亮平が出てきたが、これは格好のツイートの対象だし、商品を欲しくもなる気がする。

そういう効果を、ツイッターの分析から見出せるかもしれない。そこで共催セミナーでは、そのデータを掘り下げて披露することになった。

3月17日に角川のビル内にある神楽座という素敵な劇場空間で開催するので興味があれば下のリンクからどうぞ。

セミナー「TV meets Data」の遠藤さんによる紹介記事

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セミナー申し込みサイト

言っておくとこのセミナーですべてが明らかになり「視聴質」として発表するわけではなく、このデータは今後研究を重ねて数回に分けてみなさんに成果をお披露目していく形になると思う。

とはいえ、視聴質への見果てぬ夢がひょっとしたらこの先に具体化するかもしれない。数年間考えてきたことの道筋が見えてきたのは私として大変にうれしいことだ。と、楽しみにしつつ、今晩も「カルテット」を見るのだった。

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「ネイティブ広告ハンドブック」はライターなら読み込んだほうがいい。それがなぜかを解説しておく

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ネイティブ広告ハンドブックは、JIAAが会員社に配布するために作成された
11月9日から10日にかけて「ネイティブ広告ハンドブック」について、とても残念な盛り上がりがソーシャルメディア上で展開された。とくに10日はヨッピー氏のブログが多くの人に拡散されたことで「祭り」状態になり、やじ馬根性で参加した人びとも含め盛大なことになった。

私はここで、誰がどう言ったからどこがいいだの悪いだのを書くつもりはない。ただとにかく、この騒動が原因でなぜか多くの人がこのハンドブックを、馬鹿にしていると言っていいレベルまで揶揄しているのが残念でたまらない。私はJIAAの人間ではないが、この団体がネイティブ広告について地道に努力してきたことを遠目で見てきた者として、みなさんに伝わっていない事実と考えを書いておきたい。

まずJIAAはインターネット広告に関する業界団体だ。そのWEBサイトを見ればどんな団体かがわかると思う。
→JIAA WEBサイト

会員社は電通や博報堂のような総合代理店からサイバーエージェントなどのネット専業代理店、そしてヤフーのようなWEBのプラットフォーム事業者、新聞社、雑誌社、ハフィントンポストなどのWEBメディアといったところだろう。広告主企業は入っていないので、ネットでビジネスを行う代理店とメディアの団体と言っていい。

そのJIAAはこの二年間に渡りネイティブ広告を研究してきた。その成果は、時折開催するセミナーで会員社に共有している。そのプロセスはこのページで公開されている。
→JIAA「ネイティブ広告に関する活動」

私は取材と称してセミナーに潜り込ませてもらい、できる限り参加してきた。ネイティブ広告はこの二、三年で急浮上した概念で、事例や実績が少ない段階から多少発展したこれまでの間、日本での研究の最先端をJIAAは走ってきた。そして研究するメンバーは、講談社の長崎亘宏氏をはじめ、手弁当で作業を進めてきている。言ってみればボランティアだ。

今年の10月19日のセミナーでは、これまでの研究のまとめ的な場として様々な成果が発表された。同時に、成果をいったん、冊子にまとめて会員社に配布することが告げられた。セミナー参加者には当日配られたので、私も会員でもないのに受け取ることができた。冊子は会員社に配布されるとともに、会員社以外でも広告に関係する企業なら読めるように後日PDFでWEBに置かれることも告知された。

何しろ手弁当で、書き手は広告関係の人たちだがライターではない。別の職種の人びとだ。だが成果をきちんと理解できる文章にまとめてくれている。読む対象は、会員社もしくは非会員社でも広告業界の人びとになる。専門用語が自然と多くなっているが、配布の対象者ならもちろんわかる単語ばかりだ。知らない単語があったら自分で調べるだろう。そういう種類の文章だ。

さて、ここで私が残念に思っているのは、こうした経緯はまったく知らされないまま、この「ネイティブ広告ハンドブック」の存在が拡散されてしまったことだ。あくまで会員社に、紙で配布するために作成された。PDF化は二次的なものだし印刷して紙で読む前提だ。読む対象は広告業界のネイティブ広告に関心を持つ人間だ。それなのに、「スマホだと読めない」とか「読みにくい」とか「消費者も読めたほうがいい」とか、まったく筋違いのツイートがどんどん拡散されていった。なんと馬鹿馬鹿しく、無意味な現象だったろうか。

この冊子を、業界外の人間が読みにくいというのは、批判にも何もなってない。意味がないのだ。文章が下手だとか難解だとかのツイートもたくさん見た。プロのライターではない人びとが手弁当で書いた文章を、「下手」とののしる的外れぶりと言ったらない。それに読みにくいと私はまったく思わない。下手でもない。論文調なのは、ハンドブックとして、できるだけ正確に書こうとしているからだ。勘違いにもほどがある言葉が、このハンドブックに浴びせられる様子を、私は本当に見ていられなかった。事情も知ろうともしないでみんながけなしてる流れに乗ってひたすらけなす。それこそが上から目線だ。書いたのは、当然実績ある方々ではあるが、重鎮たちとか、先人たちとか、そういうことではない。私たちの仲間だ。仲間が業界のために業務時間外でがんばってくれた成果を、まったく関係ない人びとがやーいと囃しながら揶揄する。しかも大きな見当違いをしている。壮大なる馬鹿馬鹿しさに、私は一日中あきれ返っていた。

お金をきちんと稼げるようになりたいライターは、この冊子を熟読したほうがいい
もうひとつ、残念なことがある。この冊子は、広告業界向けに書かれたものだ。だがWEBでメディア運営やコンテンツ制作に携わる人びと、中でもライターを生業としている人は、読んだほうがいい。自分は広告業界に関係ない。そう感じている人も、ライターなら読んだほうがいい。いずれ関係する可能性が高いからだ。

私は80年代からコピーライターをやってきたロートルだ。そして最近はWEBを中心にライターも生業としている。いくつか連載を持ち、原稿を依頼されることもあり、Yahoo!個人でも書いている。つまり、両方の立場がわかる。

90年代までは、広告の文章を作成するコピーライターと、雑誌などに原稿を書くライターは、まったくちがう世界でやってきた。接することが少なかったし、仕事のやり方も全然ちがった。

それが00年代になりWEBが活性化するとその垣根がやや下がった。そしてこれから、ネイティブ広告が活発になればなるほど、いよいよ垣根がなくなるだろう。現にいま、起こっていると思うが、ライターに広告としての原稿作成の依頼が出てくる。それがネイティブ広告だ。

ハンドブックにある「スポンサードコンテンツ」もしくは「ブランドコンテンツ」と分類される広告では、テキストが非常に重要になる。こうしたネイティブ広告をライターが依頼されるようになるだろう。そして、傾向としてはふだんWEBメディアから記事として原稿を依頼されるより、企業の広告予算から広告として依頼される原稿のほうが、おおむねギャランティが高い。だから、ネイティブ広告についてライターは学んでおいたほうがいいのだ。

あんなめんどくさい冊子なんか読まなくたって原稿なんか書けるよ。企業からの依頼だってできるさ。そう思うだろうし、そうだと思う。だが、広告としての理屈、その原稿がどういう役割を持つかなど、理論的な側面を知っておいたほうがいい。ハンドブックにはそうしたことが書いてあるのだ。

理屈を知ると何がいいのだろう。スポンサーの意見に理論的に答えたり、全体のクリエイティブをディレクションできるようになる。企業や代理店から信頼され、頼りにされるとギャラがもっと上がる可能性が出てくる。ディレクションもできれば確実に上げられる。

また、広告として原稿を作成すると、企業側や代理店が、こちらの意図しない指示や要望を出してくることが多い。そういうことに対して「なぜこの方がいいか」を説明できる。論理は立場を時に凌駕する。スポンサー企業に言われたことをただ鵜呑みにするより、「いえ、この原稿の役割はかくかくしかじかなので、このままのほうがいいのです。」と言えた方が信用される。

書くことさえできれば楽しいんだ、変な理屈を学ぶのはカッコ悪いよ。それで通せるならそれでもいいが、往々にしていずれ損をする。ギャラが上がらなかったり、いつまでも不本意な要求を受け入れざるをえなかったりする。だったら学ぶべきことを吸収した方がいいだろう。

「祭り」の波に乗ってみんなと一緒になってハンドブックに石を投げて喜んだライターのみなさんは、そういう将来収入を増やすチャンスを自分で断ってしまったようなものだ。

ネイティブ広告の役割と、広告のミッシングリンク
さらに突っ込んだことを書くと、この冊子でもっとも大事な部分と感じたのがP28-31だ。もう疲れてきたのでいずれこってり書くが、簡単に言うとまずネイティブ広告の役割として「コンテンツが介在することによる態度変容」がある。これまでのネット広告は、すでに購入意向のある人に対するターゲティングだ。「あ、そうそう、これ欲しかったんだよね」とバナーを押して購入に至る。

ネイティブ広告はそうではなく、潜在層に対してコンテンツを見せることで「あれ、このブランドいい感じな気がしてきた」と態度変容を起こさせて購入に導く。こうして書くと、あれ?広告ってそもそもそういう役割だったよね、と気づく。
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それがミッシングリンクの話につながる。下のファネルを見てもらおう。(パーチェスファネルなどと検索すればファネルが何かはわかる)テレビCMなど主にマスメディアによる「認知」のあと、本来は「理解」「好意度向上」などのプロセスが必要だった。その上でバナーから購入にたどり着くはずだ。CMで知ったからっていきなり買わない、という話だ。

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ところがいま、真ん中の理解、好意度の部分が失われていた。なぜならば、新聞や雑誌の広告が前はその役割を果たしていたのに、いまやそれらがネットに吸い込まれており、新聞広告、雑誌広告で理解させたり好意度を上げたりができない。そこをミッシングリンクと冊子では言っている。

この部分は重要で、ここにいま気づくことは、オールドアドマンこそ必要だと思う。意外にみんなわかってないようだ。

そしてこれを考え合わせると、ミッシングリンクの部分をネイティブ広告で埋める際、クリエイティビティが求められることに気づく。そこには新しいクリエイターの舞台があるかもしれないのだ。

WEBで書くライターにとってもチャンスかもしれない。だって、態度変容をうながすコンテンツが必要なのだ。面白かったり、素敵だったり、時には知的だったり、そういうコンテンツを制作できるなら、楽しいじゃないか。そういう野心も、ネイティブ広告は乗せていけるのだ。

さて、いまからでも遅くはない。昨日は祭りに乗っかって、読みにくいだのマウンティングだのとからかったネイティブ広告ハンドブックを、ライターのあなたなら読んでみよう。一度読んでわからなかったら二度三度、わからない単語は調べたり人に聞いたりして理解できるまで読み込もう。そして、WEB広告を楽しくしてほしい。未開の世界だからこそ、荒野をお花畑に変えられるかもしれない。
→JIAAネイティブ広告ハンドブック2017PDF

それにしても、今回感じたのは、人と人の間にあるミッシングリンクだ。広告業界とWEBの世界の間も上の図同様すっぽり抜け落ちており、埋まらないかに思える。このミッシングリンクこそ、ネイティブ広告が埋めるのかもしれないが、そんな日が来るのだろうかと不安になった。

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スマホ動画は裏通りの解放区か?未来のメインストリームか?〜セミナー「スマホ動画の最前線」のお知らせ〜


スマホ動画がいま、何かと面白い。映像メディアを考える者としては、いよいよ注目すべき舞台になってきた。

まずAbemaTVは何なのか、どうなのか、という議論はホットだ。テレビ界隈でもネット界隈でも注目されている。初めて見た時、スマホ上でテレビが視聴できることにかなり驚いた。

もちろんいままでだって、スマホ上でテレビを見るように動画を見ることはできた。だが、スマホ独自に制作された動画は、どうしてもネット動画だった。テレビとは違うにおい、違う出演者、違う作り方、違う予算規模。何から何までネットだった。ところがAbemaTVの番組は明らかにテレビ番組だ。出演者も作り方も、そして画面から漂う予算感覚もテレビだ。テレビのにおいの番組をネットで見ることがこんなに新鮮とは思わなかった。

一方、テレビのゴールデンタイムの番組と比べるとそれはそれで違う。明らかに若者向けに、ドタバタとざっくばらんに作っているのも感じられた。また、テレビでは取りあげにくい題材を、テレビより長くじっくり取りあげることも多い。その意味では、夜8時頃から堂々と、深夜番組っぽい感覚で放送している。

ゴールデンタイムの地上波の番組は今や、おばさんくさい。旅行だの温泉だの、健康だのお掃除だのをとりあげる。若者からすると、“自分たちの“話題と思えないだろう。だから8時からでも若者の解放区めいた空気を帯びている。

メジャー感が必要だと、AbemaTVのコンセプトを作った藤田晋氏は言っていた。メディアと言える存在になるためにはメジャー感が欠かせないのだと。

そうすると、これからAbemaTVは舵取りをはっきりさせる局面が出てくるのではないだろうか。深夜の解放区みたいな空気を保ったままで「メジャー」なメディアになれるのか。そこは議論になるのだと私は思う。

スマホ動画はそういう、裏通りかメインストリームか、どっちをめざすことになるのか。これは映像メディア論のひとつの焦点になるだろう。だが論点はそこだけではない。

タテ型かヨコ型か、というシンプルな形式の話もあるだろう。ライブ配信が急激に増えている中、そこにどう対処する彼の問題もある。分散型メディアの話が出てきた中で、動画メディアなりの分散のさせ方も論点のひとつだ。そして何より、マネタイズ。広告メディアとしてどんなメニューを用意するのかは、最大の課題かもしれない。

11月14日に、セミナーを開催することになった。「スマホ動画の最前線」と題して、いま書いたような問題を議論してもらう。登壇するのは、AbemaTVの執行責任者である、サイバーエージェント取締役・卜部宏樹氏。C Channelの編集のリーダーシップを担ってきたHint代表取締役・山崎ひとみ氏。スマートニュースで動画広告を仕掛けるディレクター・松浦茂樹氏。

お三方にそれぞれ、スマホで見られる動画の傾向などをプレゼンテーションしてもらい、後半はホットなトピックをネタにディスカッションしていただく。まさにスマホ動画の最前線にいるお三方なら、生き生きした議論を繰り広げてくれるだろう。

ご興味あれば、ぜひご参加いただければと思う。

■SSK新社会システム研究所セミナー
【新しいコミュニケーショントレンドは分散型?ライブ?】
スマホ動画の最前線
~AbemaTV/C CHANNEL/Smartnewsから見える未来像~

11月14日(月) 14時〜16時30分
●パネリスト
(株)サイバーエージェント 取締役/(株)AbemaTV 取締役副社長 卜部 宏樹 氏
メディアプロデューサー/HINT,inc. 代表取締役 山崎 ひとみ 氏
スマートニュース(株) メディアコミュニケーション担当ディレクター 松浦 茂樹 氏
●企画・モデレーター
メディアコンサルタント 境 治

お申し込みは、こちら→SSKセミナー申し込みページ

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「拡張するテレビ 拡張するサカイ」10月23日、若い人たちと話したいので、イベントやります@下北沢B&B

このブログはもともと、「クリエイティブビジネス論」と題してメディアやコンテンツの今後や最新動向を語るものだった。ところが3月からYahoo!個人で書くようになり、考えたことはそっちで記事にするようになってしまっている。

テレビの話題が中心だが、8月9月は映画のことを書いた。『シン・ゴジラ』に驚愕し、製作委員会の議論に憤り、『君の名は。』の大ヒットに興奮し。ひと通り並べてみよう。

●日本のスクラップ&ビルド、東宝映画のスクラップ&ビルド『シン・ゴジラ』
●東宝はなぜ『#シン・ゴジラ』を庵野秀明氏に託したか~東宝 取締役映画調整部長・市川南氏インタビュー~
●『#シン・ゴジラ』をネタに製作委員会方式の良し悪しを問うのは不毛だ
●『#シン・ゴジラ』ついに60億越え!ヒットに導いたのは、観客ひとりひとりなのだと思う
●製作委員会方式を議論するなら映画ビジネスがどれだけリスキーか知っておこう
●『君の名は。』のメガヒットは製作委員会とみんなのツイートがもたらした
●ライブを見るように映画を見る?!~『#シン・ゴジラ』発声可能上映が示した映画の新しい可能性~
●『#君の名は。』新海誠を信じぬいた男~コミックス・ウェーブ・フィルム代表 川口典孝氏インタビュー~
●『君の名は。』のメガヒットは、テレビの延長線上にはなかった

我ながらよくこんなに書いたもんだ。この2カ月間は本当に映画のことだらけになっていた。

テレビのことは、かなり”業界向け”に書いている。当然、読者はテレビ関係の方々が中心で、だいたいは中年だ。現場から少し離れた立場で見て気になってきたことと、私が書いていることが一致するからだと思う。また業界の若い人は忙しくてブログなんぞ読む暇もないのもあるだろう。

それがこの2カ月、映画のことを中心に書いたら、どうやら若い人たちが読んでくれたようだ。とくにtwitterでいままでにない反応があった。製作委員会方式の記事は、若い人たちの間でかなり悪いイメージが蔓延していたようで気になったのもあるだろう。

中にはメールをくれて、自分の考えを書いてくれる人もいた。卒業制作でかくかくしかじかなことを論文にしようと思うのだが、どう思うか。大学生の息子がいるので、なんとなく捨て置けず直にお会いすることにした。中村巴さんという、慶應大学の環境情報学部の学生さんだった。素朴に思ったことを言ったら、参考になったと感激してくれた。こちらとしても、若い人でメディアやコンテンツに興味がある人と話せていろいろ学びがあった。そういう若い人もいるんだなあ。

日本のコンテンツ産業には、いろんな人材がこれから必要だ。直接的な作り手はもちろんだが、むしろこの国に欠けているのは大きな意味でのプロデューサーだ。これまでとちがい、特定のメディアの立場ではなく、メディアの垣根を越えたビジネス構築ができる人が求められるはずだ。もちろん、何よりコンテンツを愛している人じゃないと。中村巴さんと会えて、そういう意志を持つ若者もいるんだなあと心強い気持ちになった。

そんなところへ、下北沢B&Bから連絡をもらい、最近本を出したのなら発刊イベントやりませんかと誘ってくれた。前に一度、ゲストとして呼ばれてやったことがある。

だったら、若い人と話したいなーと思った。新著は『拡張するテレビ』なのだけど、「広告と動画とコンテンツビジネスの未来 」というサブタイトルもついていて、テレビに限らず映像全体の話を書いたつもりだ。そしてこの本では映画のことは書かなかった。でもいま、逆に映画界が気になっている。

テレビを入口に、映画のことまで話を広げる、会場の皆さんからも意見や質問をどんどん言ってもらうイベントにしよう。ということで、以下のような概要で開催することになった。知りあったばかりの中村巴さんにMC役をやってもらい、会場の皆さんと私の間をつないでもらうことにした。若い人が意見を言いやすい空気がつくれるんじゃないかと。

「拡張するテレビ 拡張するサカイ」
出演 _ 境治(コピーライター/メディアコンサルタント)

    中村巴(慶應義塾大学)
時間 _ 15:00~17:00 (14:30開場)
場所 _ 本屋B&B
世田谷区北沢2-12-4 第2マツヤビル2F
入場料 _ 1500yen + 1 drink order
お申し込みはこちら→B&Bイベントページ

ということで、よかったら来てください。

とくにねえ、製作委員会方式について誤解が本当に多くて、その話はひとつ軸にするつもり。
この機にB&Bでぜひ本も買ってくださいね!

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子育ては助け合い。だから保育園も公園も同じく必要だ〜9.23久我山東原公園で保育園建設工事がはじまる〜

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杉並区で公園が転用される問題がついに終盤へ
私はこのブログで、杉並区の公園を保育園に転用する問題を書いてきた。5月末に説明会の模様がテレビでも報じられ、「保育園に反対するエゴな住民たち」という取りあげられ方をしてきた。私は、公園を簡単に潰してはいけないという考えで取材し記事を書いてきた。

公園の代わりの場所が、公園の代わりになっていない。〜杉並区の保育園問題(1)〜
公園を守る法律は、守られているのか。議決の条件は、守られているのか。〜杉並区の保育園問題(2)
足りないところに足さないで、足りてるところに足そうとしている。〜杉並区の保育園問題(3)

この問題についてひょっとして多くの人びとは「反対運動が起こり保育園の建設が止まっている」と誤解しているようだが、実際にはどんなに公園を守ってと住民たちが声を上げても計画は着々と進んでいる。すでに更地化は完了し、9月23日から保育園の建設がはじまるそうだ。どう意見を言っても何も通らないのだという無力感にさいなまれてしまう。

この問題について、あらためて訴えたいことが2つある。できればじっくり最後まで読んで欲しい。

都市公園法第16条「みだりに都市公園を廃止してはならない」
公園は法律上どうなっているのだろうか。公園を規定する法律として「都市公園法」がある。その第16条には、こう書いてあるのだ。

「公園管理者は、次に掲げる場合のほか、みだりに都市公園の区域の全部又は一部について都市公園を廃止してはならない。」これは「都市公園の保存」とタイトルがついており、公園は基本的に守られるべきものだとはっきり書いてあるということだ。公園は基本的に、転用してはならないのだ。

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ところが、「次に掲げる場合のほか」とあり、例外事項が示されている。そのひとつにこうある。「一  都市公園の区域内において都市計画法 の規定により公園及び緑地以外の施設に係る都市計画事業が施行される場合その他公益上特別の必要がある場合」これは、一見はっきりしている項目のようでまったく曖昧なことしか書いていない。前半はともかく、最後に「その他公益上特別の必要がある場合」となっている。このひとことで、前半の文章の意味もなくなっている。「公益上特別の必要」があるなら、都市計画事業でなくても廃止していい、ということになってしまうのだ。結果的に、いい加減な法律に思えてしまう。「都市公園の保存」とあるが、どうとでも解釈できる抜け道を用意してしまっているのだ。これだと、どれだけ多くの人が大事に使っている公園でも、行政が「公益上必要なので」といつでも廃止できてしまうではないか。

それを気にしたのか、過去に問題が発生したからか、国土交通省はこんな補足文書を出している。
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ひとつは国交省の「都市公園法運用指針」だ。そこには、公益上必要がある場合とは何か、客観性を確保しつつ慎重に行う必要がある、と書かれている。これまたわかりにくいのだが、さらにそれを解説する文書もあった。「都市公園法解説」によると「あらかじめ公聴会を開く」ことが好ましい、とある。公園の転用は関係者でちゃんと話し合うべきだとはっきり言っている。言っているが、「好ましい」で終わっている。国交省が、法律だけでは心配だと用意した文書なのだろうが、いかんせん、何の拘束力もない。ここまで文書を作ったのならいっそ法律を改定すればすっきりするのに、なぜかこうした補足文書があるだけだ。でも二重三重に存在している。

法的拘束力がなくても、杉並区も行政であるからにはこの文書は配慮すべきだし、本来は議会で議論すべきだろう。だがこのあたりの事実が実際どうだったのかは、過去に住民説明会で質問に出たり私も取材の際に聞いたりしたのだが、いつも曖昧な答で終わる。ただ少なくとも、国交省とやりとりしたのはまちがいない。

いずれにせよ、結果として国交省がわざわざ文書を用意して「公聴会を開くのが好ましいですよ」とアドバイスしているのに、杉並区はそうしなかった。そこだけはまちがいないし、私企業ならまだしも地方自治体としては大いに疑問だ。

一方で、法律のほうが曖昧になっているので、法的には杉並区が正しい、ということになってしまう。国交省の補足文書は法の前では何の役にも立たない。杉並区は国交省に問い合せたと言っていたが「進めてもいいですよね?」と言われたら国交省に止める権限もないので何も言わないだろう。だったら問い合せたのは何のためだったのか?疑問だけが残るし、強引に進めたと言えると思う。

法的に問題がないとは言え、この曖昧な都市公園法をもとに、ある意味すり抜けた形で進めたことが、まず訴えておきたい点だ。

子育ては地域で助け合うもの。そのためには保育園も公園も欠かせない
杉並区の問題を話していると、「公園を守りたいのはエゴだ」という人が多い。それを聞くと私は驚く。私の認識では、都市部での子育てに公園は必須の設備であり、保育園とどちらが優先されるべきかは答えのない命題でしかない。保育園が急きょ必要だという時に、公園が候補に挙がること事態が大きな誤りだと私は思う。

その説明の前に、もうひとつイビツに感じていることを書いておきたい。いま、あまりにも認可保育園がフィーチャーされすぎている。それが問題を複雑にし、長引かせていると思う。

例えば、久我山とは別にもうひとつ廃止になってしまう向井公園には無認可保育園の子どもたちが遊びに来ていた。あの子たちはもう遊び場がなくなるのだ。代わりに用意された代替地は、保育園児が遊ぶにはあまりにひどい場所でとてもじゃないが使えないだろう。

また、久我山東原公園が来年できるので、閉園を予定している無認可保育園があるそうだ。本末転倒ではないだろうか。保育園が足りないから増やすのに、新たにできると閉園してしまうのだ。

それは、認可保育園があまりにも有利な保育園だからだ。施設もいいし、料金も安い。認可保育園ができればできるほど、無認可はなくなっていくのだ。

それでいいのだろうか。それはおかしくないだろうか。

私は前に、様々な保育活動を取材し、ブログに書いた。このブログで探してもらえればいくらでも出てくる。自主保育、共同保育、預けあいサービスなどなど。保育のやり方を自分たちなりに模索し続けているグループはたくさんある。それらは、やろうと思えば自分たちでもできるのだ。共同保育は中でもはじめやすいと思う。一緒に子育てしたい親たちが集まって、保育士を雇うのだ。ただ、ふさわしい場所を探すのが大変なのと、料金の問題が出てくる。

多様に存在する保育のやり方を先輩のママとパパたちが模索し確立しているのに、それが知られていないことのほうがもったいないと思う。共同保育にともに取り組んだ人びとは、そのことを宝物のように語る。なにしろ、疑似的な大きな家族になるので、卒業したあともずっと関係が続くのだ。親戚がいなかった東京で、親類ができるのだから楽しいだろう。しかも信頼しあっている。

杉並区でいちばん感じたのは、この点だ。田中区長ははりきって保育園を増やそうとしている。そのこと自体は素晴らしい。だが、それだけが解決なのだろうか。認可保育園のシステムは、全員が入れるようになるまで、ずーっと不公平が続くのだ。入れなかった人は高い料金で認証や無認可に通わせることになる。無認可の経営者は補助金がないうえに、認可が増えると閉園に追い込まれる。
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いまの現状を図にしてみた。いま世論が目覚めて、何かあると「保育園が足りない!つくれ!」と叫ぶ。そしてそれは、公園などより優先事項になってしまっている。話題にならなかったころに比べるとずっといいとは思う。だがいま、極端に走ってもいる。認可保育園だけが必要性を言われて、その影で無認可がなくなることに誰も興味を持っていない。公園なんか要らないのだと決めつけて、公園を守りたい久我山の人びとは世間から総攻撃を受けている。

そうなのだろうか。いまの空気は100%正しいだろうか。

私は、こう考えている。
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基本的な考え方は、保育園建設を行政に求めるのではなく、地域社会みんなで子どもを育てる環境とはどんなものか、にある。

認可だけでなく、認証も無認可も、あっていいはずだ。また、小規模保育、自主保育や共同保育も選択肢にあればいい。(そうなるとバウチャー制度が必要になるが、ここでは詳しくふれない)もちろん幼稚園も今後も必要だろう(子ども園になるべきかもしれないが)学童だってちゃんと整備しないと、これから都内各地で今度は「学童が足りない!」となりかねない。(実はすでに起こっているが表面化してないだけだ)

こうした子育ての多様なあり方、考え方があり、それらをベースから支えるのが実は公園だ。児童館も入るだろう。公園は、子育て環境のターミナルなのだ。公園があってはじめて、子育てがその地域のものになる。久我山東原公園でも、運動を起こすお年寄りたちは保育園ができるとうるさいから声をあげているのではない。公園で遊ぶ子どもたちのほうがずっと騒がしいのだ。あのお年寄りたちは、公園で元気に遊ぶ子どもたちがいとおしいから声を上げたのだ。それは、ニュース映像から伝わってこないだろう。

私がこういう図を描くのは、まさに私自身が子どもたちを二十年ほど育ててきて、地域の人びとの交流があって救われたからだ。子育てに積極的に参加してたとは言えないが、公園に連れて行き、他の親たちやお年寄りとちょっとした交流が大きな精神的支えになった。何より、私の妻は私の知らない地元ネットワークをしっかり持っており、そのおかげで健やかに子育てができたのだと思う。若い親たちが子どもをないがしろにする事件が起こると、それは彼ら自身が悪いにせよ、彼らが地域とつながっていたらまたちがったんじゃないかと想像する。

子育てにはコミュニティが必要。それはどれくらい感じているかはそれぞれだろうが、人類の営みとして必然のことなのだ。そのコミュニティの核になるのが、公園だ。都市部でよそ者同士がたがいに助け合いながら子育てをする、ターミナルなのだ。

杉並区の姿勢には、こうした視点がないように思える。それどころか、児童館や学童を廃止して新しい施設に再編することも発表したそうだ。それは、上の図のような多様性を確保するのと逆に、統合に統合を重ねる発想に私には見える。杉並区の行く末は、どうなるのだろうか。

ここで何を書こうとも、9月23日、久我山東原公園では保育園建設がはじまってしまう。そのことをどう受けとめればいいのか、いま私にはわからない。

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足りないところに足さないで、足りてるところに足そうとしている。〜杉並区の保育園問題(3)

杉並区の「公園を保育園に転用する計画」についてこのブログで2回記事を書いてきた。お盆も明けたので続きを書こうと思う。過去二回の記事はこちらだ。

公園の代わりの場所が、公園の代わりになっていない。〜杉並区の保育園問題(1)〜
公園を守る法律は、守られているのか。議決の条件は、守られているのか。〜杉並区の保育園問題(2)

天国だった公園が、無残な姿になってしまった
さて8月に入り公園の一部が閉鎖されて工事が始まったことはすでに伝えてきた。今週はついに、木の伐採がはじまったと聞いて行ってみた。こういう状態だ。
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成長した木が切られている姿は無残な気持ちにさせられる。久我山東原公園はさほど大きな面積ではないが、木が生い茂っていることで十分な憩いを人びとに与えていた。実際反対側を見ると、茂った木がこの猛暑でも木陰を提供してくれ、水の流れで幼い子どもたちが楽しげに遊んでいる。
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樹木がどれだけ大切な存在か、一目瞭然だ。同じ公園が、中央の区切りで、憩いの水辺空間と無残に木が切られて黙々と工事が進む空間とに分かれている。
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まるで、天国と地獄だ。ボールで遊んだり駆け回ったりする小学生たちの姿はもうない。彼らは遊ぶ場所を失ってしまった。代替地にも行ってみたが誰一人遊んでいない。「遊び場」とは名ばかりで、一本の木もなく子どもたちを迎えてくれる空間ではないのだ。

問題が多い、杉並区の緊急対策
さてこれまでの二回の記事で、このプランの問題点を指摘してきた。公園の保育園への転用は、代替地の確保が条件だったのに、代替地が子どもたちが遊ぶ場所としてあまりにも不適格である点。また都市公園法には公園の廃止は基本的にしてはならないとあること、さらに杉並区議会でこの計画が議決される際には住民の理解が欠かせないと各会派が条件を付けていたことを指摘した。杉並区長は、民主主義のルールに沿って進んでいることに反対するのはおかしいと強く言っていたが、本当にルールにのっとっていると言えるかあやしいと言わざるをえない。

そして今回は、杉並区のプランが本当に待機児童に悩む区民のニーズに対応できるのかを考えたい。

その前に、今回の「緊急事態宣言」をおさらいしておこう。詳しくは、杉並区の該当ページを読めば書いてある。(→杉並区の「待機児童解消緊急対策」)

緊急対策は2回に渡って出されている。一回目の対策を行っても、さらに560名の待機児童が来年4月に出てくることがわかった。そこで緊急対策第2弾を出したのだが、その中に久我山東原公園(久我山地区)、向井公園(下井草地区)も入っていたのだ。この案の発表が5月13日で、5月18日の区議会で計画が承認された。緊急対策なので急いで決めたわけだが、急ぎすぎて不備が見受けられるのだ。

緊急対策は、地区別にみるとバラバラ
それを指摘しているのは、住民たちの活動グループ「久我山の子どもと地域を守る会」だ。その会のブログで以下のような問題点をあぶり出している。杉並区が発表しているデータから、実に丁寧に数字を出しわかりやすい地図を描いてくれているのだ。

まずこの図を見てもらいたい。
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これは、計画の中で来年4月に開園することになっている保育園を示したものだ。認可保育園は色が付いた○印で示している。紫が当初からの整備計画にあったもの。オレンジが緊急対策第一弾の保育園。そして赤が今回問題となる緊急対策第二弾で予定されている保育園だ。また△は、小規模保育を示している。
各地区に入っている数字は、緊急対策第二弾が必要になった560名の内訳だ。

これを見ると一目瞭然なのが、地区によって保育園が急増するところと、増えないところがあることだ。久我山・高井戸地区は、来年300名規模で保育園が新設される。井草地区に至っては500名弱分の保育園ができる。一方、中央線沿線は新設保育園はほとんどない。

さらに、各地区の数字は緊急対策第二弾で必要になった数なので、赤い丸の保育園の数字と照らし合わせる必要がある。すると、久我山・高井戸地区は70名の待機児童に対し200名分の保育園ができる。井草地区は40名の不足に対し320名分が新設される。

一方、永福・下高井戸地区は60名分不足するのに対策第二弾はなし。方南・和泉地区も同様だ。中央線沿いも南北西荻地区、荻窪南、阿佐ケ谷、高円寺の各地区は緊急対策第二弾でそれぞれたくさんの不足が出るのに、新設保育園はゼロだ。荻窪北に100名分できるだけ。

これも「守る会」のブログにわかりやすい図がある。合計560名の不足に対し、緊急対策第二弾で新設される保育園はどれだけ補えるのかを地区ごとに示している。

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ひと目でわかる通り、赤い地区と青い地区の差が極端だ。極端すぎると言っていいだろう。0%だらけなのだ。そして久我山・高井戸地区は193%、井草地区はなんと530%。どう見ても増やしすぎだ。これで「対策」と言えるのだろうか。

地区によっては新設保育園に通えない
これについて杉並区は、自分が住むのと違う地区の保育園も希望リストに入れてくれていい、と言っているらしい。だがこの地図を見ると、そんなこと言われても、と誰しも感じるだろう。荻窪に住む人が、井草地区の保育園に預けて西武新宿線で通勤するだろうか?高円寺の人なんか、どこに預けろと言うのかと、途方に暮れるだろう。

永福・下高井戸地区や、方南・和泉地区の人は井の頭線で久我山駅か富士見丘駅まで行って子どもを預けて、また富士見丘駅から会社に行くのだろうか。それは現実的ではない。最低でも30分余計に通勤時間が増える。会社に少しでも近い杉並区なら、送り迎えの時間を考えても育児と会社を両立できると考えていたのに。だったらもっと遠いところに住めばよかった。そう感じるのではないだろうか。

私は杉並区長に取材して、区の職員の方たちとも話をした。決していい加減な人たちではない。この対策案も、一所懸命みんなで考えただろうと信じてはいる。だがこの計画は、ずさんと言わざるをえないと私は思う。来年4月に待機児童をゼロにしたい。その気持ちは真面目なものだっただろう。だが結果としては、住民のためになる案だとは言えないと思う。このプランを元に、待機児童をなくすためにこんなに保育園を増やしたと言われても、自分の地区にできないなら意味がない、と区民は考えるのではないか。560名を数字上埋めただけで、現実的に”対策”になっているとは到底思えない。

慌てた結果、出てきた不備
なぜずさんなプランになってしまったのか。理由ははっきりしていると思う。急ぎすぎたからだ。

取材してわかったのは、杉並区の行政の人びとも区議会議員たちも、そもそも今年、待機児童がゼロになるつもりだったことだ。みんなそう信じていた。待機児童問題が解決すればやっとあの問題にもこの課題にも取り組める。そんな空気だったようだ。ところが、年明けからまず今年もゼロにならないことがわかってきて、さらに来年グンと増えることもわかってきた。しかも実際の人数は4月にならないとはっきりしない。ようやく見えた数字が、ゼロどころか560名とこれまで減らしたはずがまた大きく増えてしまう。

なんとかしなきゃ!来年こそゼロにしたい!その思いが先走ったのではないか。

とにかく待機児童をゼロにする、来年4月にはする。そのためにはどんなことでもする。そんな焦りが、苛立ちが、今回の計画になった。公園だって保育園同様だいじな施設だ。その視点が、(おそらくわかってはいたが)吹き飛んでしまった。見ないようにしてしまった。公園を入れてしまっただけでなく、地区による偏りも気づかなかった。気づかなかったと思うことにした。そうやって一度決めてしまったので、行政も議会も意地になっているように思える。

行政も議会も、現場を見て考え直すべき
私は杉並区の行政の皆さんも、議員の皆さんも、そして田中区長にも、あらためて言いたい。いま、止める勇気を持ってください。来年4月、きっと後悔してしまうから。待機児童を抱える区民も、もちろん助かる人もいるだろうが、そんな遠い保育園に入れと言われても、という人が続出する。若い夫婦の皆さんが喜んでくれると思ったプランのはずが、がっかりする人がたくさん出てしまう。そのうえに、東原公園と向井公園それぞれの地域の人びとに大きな禍根を残してしまう。

せめて、いま工事中の公園を見に行ってほしい。立派に育った樹木をいま切り倒す意味は何だろう。その木陰があるおかげで子どもたちは汗を拭いて身体の火照りを冷まし、それを見守るお年寄りたちに微笑みをもたらし、幼い子どもたちは蝉の抜け殻の不思議と出会うことができた。子育て中のお母さんたちも公園の樹木があるからこそ、安心して子どもたちを送り出すことができた。そんなやさしさを静かにたたえていた樹木を、切り倒すことにどんな意味があるのだろう。考えてみてほしいのだ。

無残に伐採した樹木の跡に、立派な保育園を建てたはずなのに、結局は待機児童が解消できないとしたら。同じ地区にたくさん作るより、こちらの地区につくってほしかった。そんな風にがっかりされたら、いったい何をやっていたんだ、と来年思わないだろうか。これはセンチメンタリズムで言っているのではない。公園の都市における機能を、樹木が住宅地を潤す効果を、もう一度考えてほしい。

AERAでも取り上げられた杉並区の問題
ところで、今週号のAERAに掲載されているジャーナリスト小林美希氏の記事で、この問題を扱っている。6月以来、孤軍奮闘しているような気分だったので、メジャーなメディアに東原公園が登場したことは大いに励みになる。
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この問題はテレビでよく報道されてきたが、活字メディアできちんと取材した記事は初めてだと思う。もちろん、荒れた説明会だけを取材して書かれた記事はあったが、そこだけ興味本位で記事にしても本質は見えてこない。小林氏の記事はこれまでのプロセスをきちんと調べて住民の声にも耳を傾けていた。

この問題はちゃんと調べるといろいろ疑問が湧いてくる。テレビで報じられる際も、きちんと取材した局は杉並区側に疑問を投げかけている。ただ、どうしても説明会で強く主張する住民の姿が映像で流れると、”エゴ”として受け取られがちなのだ。読者の皆さんも、ぜひ他の記事も読んで、イメージに流されずに受けとめてください。似た問題は、あなたの近くでも起こるかもしれない。別の大義が押し寄せることで、あなたが大事にしてきたことが奪われる可能性は誰にでも起こる。この例を知るとそう感じてしまうのだ。

この問題は、まだまだ追っていきたい。

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公園を守る法律は、守られているのか。議決の条件は、守られているのか。〜杉並区の保育園問題(2)

公園の工事は、着々と進行している
昨日の記事「公園の代わりの場所が、公園の代わりになっていない。〜杉並区の保育園問題(1)〜」の続きを書いていきたい。その前に、昨日の記事を読んだ方からメールをいただいた。8月8日の向井公園の様子を写真に撮って送ってくれたのだ。

向井0808_2

前回説明した通り、向井公園は奥にネットで覆われた運動場がある。ネットがあるので安心してボール遊びができたのだ。近所の保育園の子どもたちもそこでボール遊びをするのだが、この写真ではネットが取りはずされている。あの子たちもがっかりしていることだろう。考えると本当に切ない。

この工事を進めるのは、もちろん正当な決定プロセスにのっとっている。田中区長もインタビューした時に言っていた。民主主義の手続きを経て進めていることだと。

確かに行政として立てたプランを議会が承認している。その議員は選挙で選ばれた人たちだ。正しい進め方だ。

だが私は、本当に正当な進め方といえるのか、今日の記事で疑問を投げかけたいと思う。

疑問1:この計画は、都市公園法に添っているのか?
まず、公園はそもそも、法律上どんな存在なのだろう。ちゃんと規定があるのだ。「都市公園法」という法律がある。公園は「たんなる子どもの遊び場」ではない。様々な役割を都市の中で求められている重要な施設であり、だからこそ都市公園法によりバックアップされているのだ。この点はまず重要なことなので、認識してほしい。

さてその都市公園法には「都市公園の保存」と題された条文がある。第十六条だ。

第十六条  公園管理者は、次に掲げる場合のほか、みだりに都市公園の区域の全部又は一部について都市公園を廃止してはならない。

この条文の構造に注意してほしい。「次に掲げる場合のほか、みだりに・・・廃止してはならない」のだ。つまり都市公園は基本的に廃止してはならない、というのが都市公園法の基本精神なのだ。「全部または一部について」なので、向井公園のように全部廃止されるのも、久我山東原公園のように40%廃止されるのも、基本的に”してはならない”ことなのだ。

ただし「次に掲げる場合」は例外だとしている。それはどんなことだろう。十六条はこう続いている。

一  都市公園の区域内において都市計画法 の規定により公園及び緑地以外の施設に係る都市計画事業が施行される場合その他公益上特別の必要がある場合
二  廃止される都市公園に代わるべき都市公園が設置される場合
三  公園管理者がその土地物件に係る権原を借受けにより取得した都市公園について、当該貸借契約の終了又は解除によりその権原が消滅した場合

後ろから見ていこう。「三」はようするに土地を借りていた場合の話で、杉並区の今回のケースは関係ない。「二」は代わりに公園が設置される場合だ。これは気になる。杉並区は向井公園と東原公園の代替地を用意している。だが「代わるべき都市公園」とは言えないだろう。実際、昨日の写真にもあった通り、「遊び場」とあり、「公園」とは表示されていない。

そして「一」だが、これは微妙な文章だと思う。まず「都市計画法の規定により公園及び緑地以外の施設に係る都市計画事業が施行される場合」とある。都市計画法とは、まさしく都市計画のための法律で、市街地をどう開発するか、どこを住宅地にしてどこを商業地にするかという計画ということだろう。であれば、大きなグラウンドデザインを構築する際の、ということで、どうやら保育園をつくる、という単発の話はあてはまりそうにない。

さらにそのあと「その他公益上特別の必要がある場合」とある。保育園への転用が認められるとしたら、ここにあたるかどうか、という議論が必要だろう。ものすごく微妙だと思う。少なくとも、調査や議論が必要なことだと言えるのではないだろうか。

さらに、だ。この都市公園法には国土交通省都市局が平成24年に出した「運用指針」がある。WEBで誰でも読むことができるので見てもらうといい。→国土交通省都市局「都市公園法運用指針」のリンク

この指針の17ページから19ページにかけて「都市公園の保存規定について(法第十六条関係)」というパートがある。まさしく、いま挙げた第十六条についての解説部分だ。その最初の部分にはこうある。

都市における緑とオープンスペースは、人々の憩いとレクリエーションの場となるほか、都市景観の向上、都市環境の改善、災害時の避難場所等として機能するなど多様な機能を有しており、緑とオープンスペースの中核となる都市公園の積極的な整備を図るとともに都市住民の貴重な資産としてその存続を図ることが必要である。
このような趣旨から、法第16条に都市公園の保存規定が設けられ、従来は「都市計画事業が施行される場合その他公益上特別の必要がある場合」や「廃止される都市公園に代わるべき都市公園が設置される場合」を除き、みだりに都市公園の区域の全部又は一部について都市公園を廃止してはならないとされてきたところである。

なぜ第十六条があるのかをわざわざ書いているのだ。このあとは、「三」の賃借契約の部分が加わった理由を説明している。そして最後にこういう部分もある。

(参考「公益上特別の必要がある場合」について)
「公益上特別の必要がある場合」とは、その区域を都市公園の用に供しておくよりも、他の施設のために利用することの方が公益上より重要と判断される場合のことである。その判断に当たっては客観性を確保しつつ慎重に行う必要がある。

さっきの「公益上特別の必要」について解説している。これを読むと、公益上より重要と判断される場合は、廃止してもいい、ということだ。だから保育園への転用もありだろう。ただしだ。「判断に当たっては客観性を確保しつつ慎重に行う必要がある」のだ。議論をし尽くすべきだと受けとめていいだろう。

今回の判断は、「客観性を確保」して「慎重に行う」ことをきちんとやっただろうか。やったと言えるだろうか。

疑問2:公園の廃止を慎重に議論したのか?
今回の緊急対策第二弾で公園の保育園転用が計画された。そのプロセスとしては・・・
5月10日 区議会臨時会告示。区議会議員に対象地区を正式通知
5月13日 区長記者会見 計画の具体案を公表
5月18日 区議会臨時会で審議。緊急対策のための予算を可決
(出典:杉並区議会議員・松尾ゆり氏のブログより→「わくわくの日々:杉並区の保育園問題についての要約」。松尾氏は一貫して公園の転用に疑問を投げかけている)

向井公園と久我山東原公園が計画に含まれていることが5月10日に議員に対して通知され、それから一週間で臨時議会が開催されて行政側の案が可決された。

このプロセスは、客観性を確保し、慎重に判断されたと言えるだろうか。

少なくとも、公園以外の候補地と、公園とは分けて議論すべきなのではないだろうか。だって公園は上に述べたような保存規定があるのだから。基本的に廃止してはいけないし、公益上必要がある場合も慎重に判断すべきだと書いてあるのだ。資材置き場のような候補地と、法律で保存規定がある公園を、一緒に議論する、そのこと自体が大変おかしなことではないか。議会での決定がルールだと田中区長は言っていたが、そもそもの都市公園法のルールに基づいて議論を進めていたと言えるのだろうか。もしそうじゃないようなら、この決定はルール通りとは言えないと私は考える。

ではどのように議会で議論されたのか。杉並区のWEBサイトにはちゃんと議事録のアーカイブがある。だが5月の臨時議会の議事録がずーっとあがってなかった。時間がかかるのだろう。それがようやくあがっていたので読んでみた。

疑問3:議決の際についた条件は守られているのか?
18日の臨時議会の前に、総務財政委員会が17日に開催されており、緊急対策については事実上、この委員会で議論が済んで、その結果に追従する形で議会承認が出ている。実質的な議論を委員会で行うのは国会と同じでそのことは問題ではない。

臨時議会で、委員会での各会派の意見を報告している。その概要をここで紹介しよう。(→出典は杉並区議会アーカイブ・このページの「5月18日-09号」)

日本共産党杉並区議弾の委員・自民無所属クラブの委員・美しい杉並の委員はいずれも反対している。言い方に違いはあるが、やはり住民への説明なしに先に決めてしまうことには賛成できない、というのが理由だ。

他の会派は、賛成している。ただしそれぞれ、意見を言い添えている。

杉並区議会自由民主党の委員→賛成 ただし、説明責任を果たし、住民との合意形成を図ることが重要である。もし合意形成に至らない場合は、緊急対策の見直しも含め、柔軟な対応が必要である

杉並区議会公明党の委員→賛成 ただし、保育園建設への賛否という二項対立ではなく、住民との信頼関係を構築し、意見や要望を吸い上げ、検討するよう努めること

区民フォーラムみらいの委員→賛成 ただし、公園の転用に利用者の抵抗があることも当然であり、地域の要望に耳を傾け、代替地が必要であれば検討することや、今ある資源を限りなく有効活用し、将来を見据えた対策を講じることなどを求める

いのち・平和クラブの委員→賛成 ただし、今回計画にある公園を残してほしいという意見についてもしっかりと向き合い、粘り強く話し合いを進め、地域全体で子育てのできる環境づくりに努めることを求める

賛成の会派も、条件を付けているのだ。ようするに、住民の理解を得ないと賛成できないと言っている。自由民主党の委員はもっとはっきりと、住民との合意形成が必要であり、それに至らなければ見直しも、とまで言っている。

どの会派も非常にまっとうなことを言っている。都市公園法を持ち出さなくとも、公園が住民にとってどれだけ大事な施設か、どの会派もよくわかっているのだ。だから慎重に事を進め、住民との合意や理解が欠かせないとしたうえでの賛成だと言っている。

だが現状、どうだろうか?7月25日の説明会についてYahoo!に書いたが、説明会の体をなしておらず、合意形成はまったくできていない信頼関係は崩壊し地域の要望に耳を傾けてなどいないし、公園を残してほしいという意見にしっかりと向き合っても粘り強く話しあってもいない

こうして条件を付けて賛成した杉並区議会の各会派のみなさんは、現状をどうとらえているのだろうか。賛成する代わりにつけた条件がいま、まったく満たされたいないのは何しろテレビで報道もされているのだから、区議の皆さんが知らないはずはない。ネット上では事情をよく知らない人びとが、杉並区の住民はエゴ丸出しだなどと批判し、住民たちが苦しんでいるのが見えないのだろうか。どうして事態をほったらかしているのだろう。

杉並区側も、議会で各会派からつけられた条件を満たしていないのに、工事を進めるのはどういう辻褄になるのだろう。進めるなら、少なくとも住民の理解を得るために何度でも説明会を開くべきではないのだろうか。

民主主義のルールで決まったのだから従うべきだ、と田中区長は言っていた。だが都市公園法という重大なルールに沿っていると言えないように私には思える。国交省とも何らかのやりとりはしたと思うのだが、どういう話が交わされたのかも明らかにすべきだと思う。現状を見ると、都市公園法と進め方の間には整合性がとれてないようにしか見えない。

そしてまた、議会で賛成を得た際の条件を満たしていないようにしか思えない。「承認を得た」のはまちがいないが、各会派が一様に住民の理解を条件としている。だが私が見た説明会は、理解を得ようとの意志は感じられなかった。だから住民たちが強く反発し紛糾したのだ。議会での話を尊重した進め方には到底感じられない。

こういう状況をかんがみるに、いますぐ工事を止めるか、再度説明会を開いて住民の理解を得る努力をすべきだ。ルール通りと言うなら、そうしないといけないのではないだろうか。

今回は言わば「ルール編」だ。次回は「検証編」をまた書こうと思う。

昨日も書いたが、保育園と公園の二者択一は矛盾している。都市公園法になぜ保存規定があるのか、みなさんも公園の価値をもう一度考えてもらえればと思う。

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公園の代わりの場所が、公園の代わりになっていない。〜杉並区の保育園問題(1)〜

杉並区の公園転用は、他の保育園反対と一緒にできない
5月末以来、杉並区の公園を保育園に転用する問題を追ってきた。Yahoo!に書いてきた記事を読んでもらうと、これまでの概要がわかるので、この記事の最後にリンクを置いておく。詳しく知りたい人は読んでほしい。

久我山東原公園に関する、5月30日の4時間にも及んだ説明会がニュースで放送され話題になった。保育園が必要なのは十分理解しているが公園を潰さないでほしいというのが住民側の主張だが、杉並区側は突如判明した来春予測される560名の待機児童のためにはどうしても必要だし議会でも通ったことだという説明。7月後半にも説明会が行われたが紛糾した。

私はこれまで、保育園を増やすべきだとの考え方にたち、首都圏の各地で起こる反対運動を取材し忸怩たる想いでいた。だが杉並区のこの件は、公園の転用だ。他の反対運動と一緒くたにできないし、公園はむしろ保育園同様、子育てに欠かせないインフラだと思っている。見逃せない案件だととらえ、ここまで事態を追ってきた。

8月1日に公園は閉鎖され、代替地が整えられた
杉並区は住民から異論が出ようと予定通り進めていき、8月1日には公園が閉鎖され、工事が始まっている。どんな様子か気になっていたが、平日はなかなか行けない。7日の日曜日になってようやく行って写真を撮ってきた。それを見せながら、現状を解説したい。

今回の公園を保育園に転用する問題は、5月に杉並区が緊急対策宣言を出し、区が保有する11カ所の土地に保育園をつくる計画の中に4カ所の公園が入っていたことで起こった。公園を利用する親たちから沸き起こった異議に対し、杉並区は代替地を確保するとしていた。とくに反対の声が多かった下井草の向井公園と、久我山の久我山東原公園に、代替地が確保された。

向井公園の代替地は、あまりにも無雑作な空間だった
まず向井公園に行ってみた。日曜日だったので工事は何もしていなかった。工事が始まったとは言え中はほぼ手付かずで、まだ公園として使える空間の入口が閉ざされ、蝉の声は賑やかだがさびしい場所となっていた。
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奥にはネットが張られた場所があり、安心してボール遊びができるのだが、もう使えない。私が前に来た時には、近所の保育園の子どもたちがボールを楽しげに蹴っていた。あの子たちも、もうこの公園は使えないのだ。
P1030472

同じブロックに代替地があるので行ってみた。前に来た時は草ぼーぼーの空き地だったが、整地されている。
P1030483
これ、代替地というが、代替できていないと私は感じた。とくにこの猛暑の中、ここで子どもが遊ぶはずがない。熱中症になるに決まっている場所だ。向井公園をやさしく覆っていた木陰はここにはひとつもない。平らで無機的な地面があるだけで、あとは申し訳程度の遮光された場所があるだけ。
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さあここで遊んでください。そんな気持ちは微塵も感じられない。約束通り、代替地を用意したからこれでいいでしょ、遊べるでしょ、日陰も水飲み場もちゃんとあるからいいでしょ。そんな風にしか見えない。代替地を用意すると聞いていたので、あの空き地もそれなりに整備するのだろうと思っていたのだが、これはちょっとびっくりした。向井公園に来ていた保育園の子どもたちは、ここは絶対使わないだろう。保育園を建てるために、別の保育園を困らせるのは矛盾がある気がする。

久我山東原公園の代替地は、代替地になっていない
次に、電車を乗り継いで久我山にも行ってみた。こちらは5月末と7月末に説明会の様子がテレビで報道されて話題になったところだ。駅から歩いて5分ほどの井の頭線沿いにある、代替地に行ってみた。前に来た時はまだ草が生い茂っていて、線路のすぐそばにあるし、住宅にも接している。久我山東原公園は子どもたちがボール遊びをしていたのだが、その代替地という意味ではここでボールを蹴ると、線路に入りかねないし住宅の壁にもぶつかりそうだ。そこをどうするのか気になっていた。

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なかなかわかりにくいと思うが、こんな風にいちおう整備されていた。線路よりずいぶん手前に金網が張られている。住宅も網で囲われている。これならボール遊びもできるでしょ、という考え方なのだろう。だがそもそも、この場所は地面の高低が均されておらず金網があろうがなかろうがボール遊びはできない。下井草同様申し訳程度の日陰しかなく、猛暑の中誰も遊ばないだろう。

「はいはい」と杉並区が言ってるかのようだ、「はいはい、あんたたちが代替地はどうしたというから、用意しましたけど何か?」そう言われているような感覚に陥る。

P1030489
「遊び場111番」とある。ちなみに下井草のほうも「遊び場112番」の看板があった。公園ではない、という意味だろう。それに「代替広場を開放するまでの暫定開放」というわかりにくいことが書かれている。

この土地は京王電鉄の所有で、もともと緊急計画第一弾で保育園予定地になっていた場所だ。ところが京王側の事情で保育園にできなくなったらしい。そこで東原公園の代替地に急きょなった。一年間しか契約できていないので、ややこしい表記になっているのだろう。

保育園の予定地が、公園に保育園を建てるための代替地になっている。なんだかわかりにくいし、だったら京王電鉄にお願いし倒してここを保育園にできないのだろうかと考えたくなるだろう。

久我山東原公園にも行ってみた。ここは公園の40%を保育園に使い、60%は残る。40%の部分は平たくて運動しやすい場所だった。ボール遊びもみんなしていた。60%の部分は岩がつまれ小川のように水が流れている憩いの空間だ。運動ができる空間と憩いの空間が接しており、さほど広くはないが完成度の高い公園だ。このあたりには公園がないので22年前に住民たちからの願いで作られたのだ。みんなの要望がうまく形になっている。

P1030499

60%の憩いの空間側から40%のほうをみたのが上の写真だ。60%残ると言われるとよさそうだが、40%がなくなると60%の部分もかなり価値が薄れる。それはそうだ。両方あるからいい公園だったのだから。

P1030507

囲われた中を見ると、こんな状態。もう何か壊されたようだ。近いうちに、立派に育った木も切ったり枝を切ったりするらしい。

向井公園も、久我山東原公園も、代替地は申し訳程度のものだった。保育園転用の計画をぐりぐり進めるために、とにかく作ったといったところ。形だけ整えたと言っていいのではないだろうか。私はこれは大きな問題だと思う。

「都市公園法」によると、公園は簡単には転用できないはず
というのは、公園はそもそも簡単に転用できるものではないのだ。都市公園法という法律がある。法律があるという時点で、公園というものが重要な存在でありだからこそ法律で規定されているのだと認識すべきだろう。その第十六条「都市公園の保存」という箇所を読むと、今回の杉並区の判断と進め方にいろいろ懸念を感じてしまう。そして議会でどんな議論があって承認されたかも気になるところだ。

この都市公園法について、そして議会での議論について、さらに記事にしていくつもりなので、続きを待ってほしい。

少なくとも言っておきたいのは、「公園より保育園のほうが大事に決まっているだろう」とか「子どもの遊び場ごときより待機児童で悩んでいる親の悩みのほうが深刻だ」とするのは早計ではないか、ということだ。公園と保育園は優劣などつけられない。どちらも子育てをサポートする重要なインフラなのだ。そういった考え方も、追い追い書いていきたいと思う。

私は、この杉並区の公園転用の問題は、平成の日本にとってかなり重要度の高い案件だととらえている。いろんな課題を象徴していると思うのだ。

※参考記事
杉並区の保育園問題。公園転用への反対は住民のエゴではない。
杉並区の保育園問題。転用に直面した公園で出会った3人の人物。
杉並区の保育園問題。もうひとつの現場、井草地区では住民による代替案が提示されている。
杉並区の保育園問題。『TVタックル』で言えなかったこと~公園とは町そのもの~。
杉並区の保育園問題。田中区長の話を聞いて、地方自治と民主主義の難しさを感じた
杉並区の保育園問題で、説明会紛糾。公園も、働く母親に必要なインフラなのに

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8月1日発売『拡張するテレビ 広告と動画とコンテンツビジネスの未来』はこんなに欲張りな中身だ

kakucho
8月1日に、私の新著が世に出る。いや、いままさに最終作業中なので、出るはずだ。少し不安になってAmazonを見てみると、ちゃんと載っていて「予約注文」ボタンもついていたのでほぼ間違いないと思う。

ということで、少しでも興味ある方はぜひ、「予約注文」のボタンを押してください。お願いします。すがりつくようにお願いしたい。というのは、この予約注文が多いかどうかがひとつ、その書籍のその後を担う要素らしいのだ。いまやそういうことになっているのだ。Amazonの予約が私の新著の命運を握っている。つまりあなたが私の命運を握っている。ここはぜひ、ポチッと押しちゃってください。

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さて『拡張するテレビ』はどんな本なのか。目次をざっと紹介しよう。

序章 テレビは拡張している
第1章 SVOD二年目、第二幕
第2章 テレビ番組のネット配信
第3章 テレビ視聴の変化と新しい視聴計測
第4章 二度目の動画広告元年
第5章 新しい映像配信サービスはテレビに取って代わるのか?
第6章 ソーシャルテレビ再び
現場レポート サカイオサムという分散型メディア
第7章 今後のテレビビジネスと映像コンテンツ産業
第8章 広告コミュニケーションの新しい姿

こうして目次を並べてみると、欲張りな本だなあと思う。領域が広すぎてどの業界の人が読めばいいかわからないかもしれない。でも言ってみれば、そういう本なのだ。もはやテレビ放送の話だけとか、ネットの映像サービスの話だけとか、広告業界の話だけとか、そんな風に分けて語っている場合ではない。”映像”を軸にすると、関わる世界は大きく広がり分野を分けたり限定してはもはや語れないのだと思う。

その広がりこそが、「拡張するテレビ」なのだ。ここでいうテレビはつまり、第一義的にはテレビ局やテレビ番組のことだが、広義にはすべての映像文化の話でもある。映像は今やすべてのメディアに偏在し、しかも大きな存在になりつつあるのだ。

だからこの本は、テレビ放送に関わる人やオールドメディア全般に関わる人にとっての話題だけでなく、ネット側で映像に関わったりネットからテレビ界にアプローチしている人の話でもあるし、マーケティング領域から広告手段としての映像を考える人の話でもあるし、なんと言っても映像を日々制作する人たちのためにも書いている。

広告にもテレビにも映画にもネット映像にも、作り手の側として関わってきたので、横断的に見られてるのは私くらいしかいないぞ!という自負もあったりするし。

もう少し本の構成を解説すると、第1章第2章は、この二年間で起こってきた大きく新しい潮流について取材してきたことをまとめている。正直、この部分は知ってる人からするとあらためて読むまでもないよ、と思われてしまうかもしれない。だがそうした動きを断片的に見てきた人には、起こった事柄をこの機に整理してもらえると思う。もちろんはじめてちゃんと知る人には、わかりやすくまとめられているつもりだ。

第3章は前半で、テレビと人びとの関係の大きな変化を書いている。この部分は”考察”に当たる部分だ。テレビはつまらなくなったから若者が離れちゃった、という印象論ではなく、時代の流れの中で”テレビ放送”が難しくなっていることを描き出している。そのうえで、視聴測定も変わろうとしていることをレポートした。この章は、第7章の前振り的な役割もある。

第4章は、実は第8章とセットになっている。動画広告の最前線を取材したものだが、動画広告というより、広告コミュニケーション全体の最新事例をレポートしている。観念的に言われていたことがついに具現化しはじめているという話だ。

第5章は「ソーシャルテレビ」をキーワードに、テレビとネットの接点としてのtwitterやセカンドスクリーンアプリについて紹介している。私が運営する勉強会・ソーシャルテレビ推進会議の運営を通じて、参加者のみなさんから得た情報の数々だ。

現場レポート・サカイオサムという分散型メディア、といういささか文脈不明なパートがある。私自身がこの5年間でどのようにコミュニケーションの形をつくってきたかを振り返っている。計算してやったわけでもないのにコミュニケーションの”仕組み”めいたものができ上がった。そしてそれは企業やメディアのコミュニケーションと相似形なのではないか、という話で、あとの2つの章の前振り的なパートになっている。

第7章、第8章は将来像の提示だ。テレビ局もしくは映像コンテンツ全般は今後どう考えるべきかを示したのが第7章。そして企業はどんなコミュニケーションをとればいいかを私なりに模索したのが第8章だ。どちらも、その最前線にいる人からするとなにを理屈ばっか悠長に語っているんだ、と腹を立てるかもしれない。だが少なくとも大きな流れとしてはこうなるはずだ、というコンセプトをまとめたつもりだ。そして7章と8章は強い関係性もあると思う。ひとつの考え方として、ぜひ読んでもらいたい、この本の最重要パートだ。

この本は、宣伝会議の新しいシリーズ「実践と応用シリーズ」の第二弾として出版される。学習参考書のようなシリーズ名だが、実際宣伝会議としても「これから何年間でも読んで参考にしてもらえるシリーズ」という考え方で出版していくのだそうだ。だから私も、メディアを読み解く「参考書」にしてもらえるように、できるだけ取材で得た情報を盛り込み、そのうえでの考察を書いている。”なんとなく”書かれたメディア論にはしていないつもりだ。事実こうで、今後こうなるはず、という地に足のついた内容になったと思う。

8月1日の発売に向けて、このブログで盛り上げていきたい。あなたが「予約注文」ボタンを押したくなるよう、できるだけ日を置かず更新していくつもりだ。いやもちろん、いますぐ押したいなと思ったら、押してもらってかまいませんとも。ご遠慮なく、ぜひ!

スクリーンショット 2016-07-06 10.39.06

※筆者が発行する「テレビとネットの横断業界誌Media Border」では、放送と通信の融合の最新の話題をお届けしています。月額660円(税別)。最初の2カ月はお試しとして課金されないので、興味あればご登録を。同テーマの勉強会への参加もしていただけます。→「テレビとネットの横断業界誌 Media Border」はこちら。購読は「読者登録する」ボタンを押す。

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NewsPicksと話した件と、TokyoFMに呼ばれた件と、保育園問題に七転八倒するおっさんの愚痴

NewsPicksに抗議した件、NewsPicksとは決着したんだけど、前々回の記事にコメントをしてくれた方が、なぜあそこまで激怒したのかわかりにくいかも、と書いていたので、そこを少しは説明しておこうと思う。その方は読み込んでわかってくれてるみたいけど、あらためておっさんが少し年下の友人に語るようなつもりで書いてみようかな、と。そういう文体のほうがわかりやすいだろうと思うんだよね。ただこの文章、8000字以上あってものすごく長いので、ヒマで仕方ない時にでも読んでほしいんだけど。

その前に、月曜日にNewsPicksに行って、火曜日に東京FMの番組に出たこともさらっと書いておくわ。

NewsPicksでは、代表の梅田優祐氏と編集長の佐々木紀彦氏が迎えてくれた。うちのサービスで不愉快な思いをさせてしまい申し訳なかった、と言ってくれてね。彼らは自ら記事を作っているので、自分で作った記事を自分のサービス上でユーザーにいろいろ言われることも多いし、運営についても強い意見をたくさんもらうので、気持ちわかります、ということみたいだ。記事を書くぼくらのような人間は大事にしたいし支援になればと思っているので、ライターが不愉快になってしまうのは本意ではないんだって。

いろんなことを話したんだけど、とにかく彼らもこのところコメントによって生じる”空気”について悩んでいたとのこと。そしてね、ここがポイントだなあと思ったのが、当初梅田さんは運営側がコメントについて関与すべきではない、という方針だったんだって。いわゆる市場原理のように、自然にあるべき姿に落ち着くはずだ、と。ところがある時期から、そうも言えなくなってきた。運営が関与しないといいコミュニティになっていかないと考えるようになった。そう、NewsPicksはプラットフォームでありコミュニティでもあるんだよね。ドライなプラットフォームのつもりだったけど、いまや人間味あふれるコミュニティになった。それはいいことだけど、そうなると運営がコミュニティに関与すべきだとわかった。

ぼくが抗議した関連では規約の7条、5と6が修正したところ。5では、経済に関係ないような記事について「当社の判断により」削除することもある、となっている。6では、誹謗中傷などの通報があった場合にコメントを削除することがある、と変更している。

大きな方向転換だよね。コメントを削除するってかなりのことだよ。ぼくはびっくりした。自然に落ち着くはずと考えていた方針から、180度変わった。これはぼくの抗議の前から準備していたものだって。だからぼくの抗議はわかりやすい事例にたまたまなったんだろうね。規約変更後に、すでにいくつか通報があり、コメント削除はさっそく行っているらしい。

ぼくからは、土曜日の梅田さんのアナウンスはよかったし、ユーザーもすごく評価しているねと言った。そこはコミュニティ運営で重要な点で、中心人物が「こう使ってほしい」とみんなに伝えるのはコミュニティを強く導く。学生の頃かじった宗教学の話をしたんだけど、宗教の構成要素は3つあって、教祖と教団と、あとは教典なんだって。これは人間の集団どれにでも応用できる。NewsPicksにとって教典に当たるのが梅田さんのアナウンスだ。前はよくああいうアナウンスをしていたのに最近そう言えばしていなかった、と彼らも言っていた。梅田さんが、個々の要素について、なぜそうしたかをこれからどんどんアナウンスしていくと、ユーザーも、そうかそのためにこのサービスはあるのか、と意外に率直に認めるものだと思う。いいコミュニティになっていくといいよね。

東京FMの「タイムライン」という番組に出た話もしておくとね。この番組は前にも二三回呼んでもらっていて、本業のメディアコンサルタントとして、テレビやネットの世界で起こっている新しい動きを解説する役割だった。それが今回は「渦中の人」としての出演だったので、不思議な気分。

週ごとにキャスターがいて、火曜日は隔週で古谷経衡氏。政治も含めてハードな題材を扱う著述家。お若くてキュートな顔立ちなので扱う題材とのギャップが面白い。

古谷さんはYahoo!でも書いているので探してみるといいと思う。そしてNewsPicksではあんまりなかったけど、あちこちの記事でいろんな思いをしてきたそうだ。

「渦中の人」とは言え、もう抗議は取り下げたあとだったので、展開についてぼくが報告する進行になった。「批判」と「侮辱」はどうちがうのか、などぼくとして大事だと思う点を話せた。

古谷さんが教えてくれたんだけど、彼は実際に原告として法廷で争って和解に至った件があったんだって。詳しく口外しないことが和解の条件なので詳細は言えない。扱う題材がハードなので、案件としてもそうとうハードなんだろうね。

「言論活動をしていると、法律で守るしかないですからね」実感を込めていっていた。そう、本当にみんなね、不用意なことを言っていないかどうかよく考えたほうがいい。実際に法律であらそうことはあるんだから。

放送内容はアーカイブで一週間後まで聞けるから興味あったら。PCじゃないとだめなんだけど。
→東京FM『タイムライン』(右側にアーカイブがある)

さてなんでぼくがあそこまで怒ったのか。説明し尽くせないけど、できるだけ説明したいと思う。

ぼくはたまたま、ふと思ったこととして「赤ちゃんにきびしい国で、赤ちゃんが増えるはずがない」と題したブログを書いた。信じられないアクセスがあり、メールなどもいっぱいもらった。まずその時のことを「一発当てた」と三上という男が言っているわけだけど、ぼくのブログは広告を入れていなくて、ここがアクセス数がどんだけ多くてもお金にはならない。それから、18万いいね!は転載先のハフィントンポストでのことだけど、そこにも何の金銭的やり取りもない。だからあの時のことを「一発当てた」と表現するのは違うわけ。

なぜ広告を入れないかというと、個人ブログで広告で得られる収入なんてたかが知れてるから。もちろん高い収入を得ている人もいるだろうけど、それはもっと前からやってた一握りの人びとだしね。それより、画面がいい感じにならないことのほうがぼくは嫌だ。

余計なことをいうと、著名ブロガーの真似をして、稼ぐためにブログはじめてる人をけっこう見かけるけど、意味がないからやめたほうがいいよ。たぶん労力に見合った収入は得られないから。ブログを書く意味はそんなところにはなくて、純粋に自分の情報発信が大きく広がること。

話を戻して、18万いいね!があってから、孤独な子育てに悩んでいたママさんからものすごくいっぱいメールをもらった。ぼくはこの突然の嵐のような出来事に当惑したんだけど、メールの中に昔仕事した女性がいて、いまこんな子育てを仲間としてますとある。興味を持って行ってみた。そこから、子育ての形を模索する活動がたくさんあることを知って、どんどん取材して書いていった。それをひとつの書籍にまとめたってわけ。

書籍になんでするかわかる?ブログを通じて世の中に発信するのにはどこか限界があるの。まとまった文章を手に取って読んでもらうことにはネットでの発信とは違う価値があり、書店の場でブログ同様にメッセージを発信できるわけ。違う形で世の中に問題提議できる。でもね、いくつか出版社に持っていったんだけど、売れるとは思えない、という反応。売らなきゃいけないからね、いま本は本当に売れないから。ふだんメディアがどうしたとか言ってるおっさんが、育児について語るなんて、その時点でわかりにくいって言われた。

そしたら、出版社を立ち上げたばかりという青年がやってきて、あなたの本を出したい!というわけ。えー?!初めての出版で書店に本を置けるの?と思ったけど、彼にほだされてそこで出すことにした。それが三輪舎。

いちいち本のPRしやがって、と三上という男は思ったらしい。でもね、あの本は本当に売れてないの。それでも著者は刷った分印税はもらう。出版社は売り切らないといかんわけ。だから著者は出版社に対する責任として、本をアピールしないといけないんだよ。

そしてそのあと、たまたま知った保育園反対運動が気になって、またたまたま自宅の近くなので行ってみた。保育園側も行政側も反対運動側も、みんな取材させてくれたから、話を聞いては記事にしていった。この時はまたプレジデントウーマンオンラインで連載やる?って話もあったので、そこで書いたの。

とくに反対側はどんな主張があるのか、フラットな気持ちで取材していった。でも聞けば聞くほど、反対するスジが通ってないなあと思った。それをできるだけフラットな書き方で書いたつもり。でも、そのあとは会ってくれなくなった。そして久々に説明会が開かれるというので見学に行ったら、こないだまで取材に応じてくれた反対側の人たちが「マスコミは呼ばないんじゃないですか?でも記者がいますよね!どういうことでしょう!」と言い出した。記者っておれ?って感じなんだけど、仕方ないらしく、退出させられた。

こういう記事を書いていると、メールをもらうようになる。「保活中の者ですが、私の町に保育園の計画があり期待していたら猛烈な反対運動が起こっています。アドバイスいただけませんでしょうか」そんな相談が来るわけ。相談されたら会うでしょ、おじさんが若い人にアドバイスとか言われたら。

それで説明会に行ってまた追い出されたりとかね、そうしながらもだんだん、いろんなことがわかってきた。反対運動が起こるメカニズムみたいなものがね、少しずつ見えてきたのよ。・・・でもね、どうしたらいいかはわからない。

地元を刺激するのはよくないらしいと学んだので、できるだけ一般論としてブログに書いたりするわけ。でもそれが何になってるんだろう?わからないなと悩みながら書くわけ。そしてまた別の説明会に行ってまた追い出されたりするわけ。何やってんだおれ、と途方に暮れるわけ。

市川市のママさんからもメールもらったの。現地にも行ってみたよ。反対の看板掲げている家が並んでた。その写真も撮った。PV稼ぎたきゃその写真のっければいいよね、でもそれだとこじらせるだけかも。だから少し様子を見ようと思って書かなかった。とにかく、署名運動をしてはどうでしょう、てな、大したアドバイスになってないようなことを言った。

そんな最中に、「保育園落ちた日本死ね」からはじまる”運動”が巻き起こった。すごいすごい!と思ったね。当事者が強烈なメッセージを発信したからだよね。こういうことも起こるんだとびっくりした。それに続いて「保育園落ちたの私だ」とつなげていく人たちも現れて、ぼくはちょうど3月からYahoo!ニュースで書くことになったので、取材して書いたらものすごいPV数になった。そうかあ、こういう風にムーブメント起こせるんだなあと、少しやり方わかった気がした。政治の問題にもなって、社会が保育園の問題に向き合うようになった。

ところが、4月になって市川市のママさんから連絡をもらった。計画が中止になった、と。ガーン!やっと世間が保育園の問題に目を向けるようになったのに、行政も事業者もその風を受けてもう少し粘ればいいのに。

連絡をもらって一週間ぐらいしてから毎日新聞が市川市の件を記事にした。なーんだよ、いまさら、と思ってたら、それで火がついてまた保育園問題に世間の目が向かった。反対運動について賛否両論巻き起こった。へー!そうなるんだ。議論になったことに驚いた。

うーん、だったら、書けばよかったかもしれない。相談された段階で、現地行って撮った写真使って、記事書いてもよかったのかもしれない。いや、でもわからないんだよね。たんに話をややこしくするだけかもしれないし。でもいまは何らか、書くべきだったんじゃないかと思ってる。

とにかく、反対運動にスポットライトが当たってよかったな、と思ってたら、熊本の地震でこの問題から世間の目が離れてしまった。それは仕方ないかもしれないけど、マスメディアも、人びとも、簡単に忘れるんだなあと思った。

そんな中に、iRONNAから寄稿の依頼があったの。これ言うと失礼だけど、実は前にもメディア論のほうで依頼もらったことあって、断っちゃったの。このメディア、自分に合わないなーと思ったから。大きくわけると保守論壇だからね。別にぼくはリベラルだとも思ってないけど。思想的に色がついたら困るなと。

でも依頼の内容は、市川市の件を受けて保育園反対運動について、だったの。あ、そうかと思った。これまで書いても書いても、肝心なところに届いてないなと思ってた。iRONNAは、編集部に聞いてみるとやっぱり年配層が高いんだって。だったら、そういう人たち向けにそもそものところから書くことにはかなり意義があるんじゃないか。反対しそうな人たちに、なぜ反対しないほうがいいか、少しでもわかってもらえるんじゃないか。だから書いたの。

そういう目的だから、いちからくどくどと説明したわけ。自分がおっさんなのになんでこういう問題にかかわっているかも、書く必要があったわけ。おれ、あんたら同様普通のおっさんだけど、こんな経緯で関わってんだよね。そこを書くことで、読む側のおっさんらも、自分のことに引き寄せてくれないか、という文章だったの。

iRONNAに原稿が出て、どんな読まれ方してるかすごい気になった。果たして年配層がどれくらい読んだのか。Twitter検索するけど、つぶやき見てもよくわからないよね。ただとにかく、好意的に受けとめる声が多いのはわかった。「いいね!」も5000もついたしね。そこはよかったな。でも狙いはまた違うんだけど。つぶやき見ていってもわからない。そうしているうちに、思わずNewsPicksに入っちゃった。いかん、まずい、どうせ嫌な思いするだけだとっとと出よう。でもコメント見ていくとなんだここの人たちもネガティブなこと言うだけじゃないんだ。なにしろぼくはすっかりそういうイメージ持ってるんでね。ふむふむ、と。批判的なこと書いてる人もいたけど、一理あったりして。なるほどね、なんて思ってたら、三上のあのコメントが出てきた。

その時の気分ね、松田優作だった。「なんじゃ、こらー!?」いつの間にかよくわからない相手に刺されてるわけ。批判でもない。中身と関係なく、ただただこき下ろすためだけに書かれた言葉。けなすにしても、毒づくにしても、時として言葉は美しかったり知性が光ったりすることもある。でもなんだこれ?何でもないよこれ。なんだかわけわかんない。「いいね18万の一発屋」って全然意味わかんないけど、侮辱する意志だけははっきりとくっきりと伝わってくる。あのコメントをいままた思い出しても血が沸騰しはじめる。卑劣だよ、あの言葉は。

何か言ってやりたい。リアルな場なら、胸ぐらつかんで、お前なんだその言い方は!って怒鳴りつけるだろう。でもNewsPicksは何もできないんだよ。ただPCの前でわなわなするしかない。

どうしようか、何すればいいか。しばらくわからなかった。一晩おいたと思うんだけど、ふと気づいた。Twitter連携してるかも!検索したら出てきた。三上俊輔という男。話しかけた。「誹謗中傷になっている」というこちらに対し「二番煎じだと思いました。お会いしてお話しますか?」という返事。は????なんだこいつ。「二番煎じ」などとさらに追い討ちをかけるようなこと言いつついきなりお会いしますか?ってどういうやつ?「二番煎じだと一発屋と言っていいわけですか?」と追いかけたら「ずいぶん一発屋にご執心ですね」だって。傷口に塩をすり込んで楽しんでるようにしか見えない。「三上さんは会いましょうと言ったのに境はシカトしてる」って声を読んだけど、こんなキテレツな反応する失礼な人間に会おうなんて思うはずないよ。会いましょうかと言いながら、さらに揶揄ばかりしている。ほんとうに会う気があると思えないよ。というか不気味だよ。

だから「正式な抗議に移ります」と最後に書いたら「Twitterのコミュニケーションだけで一方的な解釈は怖いな。だから私は最初にお会いしてお話しましょうか?と言ったのに」だって。だからぼくは正式な抗議に移ったわけ。

このやりとりは、ご丁寧に三上という男が自分のブログに書いてるから読んでもらうといい。
http://mikamika8375.hatenablog.com/entry/2016/05/18/093652

ここで「ご本人ですか、ちょっと言いすぎました。」とでも言われたら会ったかもしれないよ。でも痛いじゃないかと言ったらさらにグサグサ刺しながらお会いしましょう、って全然わからない。

三上という男は、その後もブログとTwitterでグサグサ刺している。「売名行為」「PV稼ぎ」「今回二発目が出たから」などと侮辱を重ねている。侮辱はひと言ぐらいでは検察がとりあわないのだけど、こうしてどんどん重ねるとわからないよ。最初のひと言からして侮辱は侮辱なんだから。

http://mikamika8375.hatenablog.com/entry/2016/05/21/051636

いやちがうか、これは「なぜここまで激怒したのか」を説明するために書いてたんだった。またヒートアップしちゃったけどそういう話じゃなかった。

できるだけ一般論に高めたことを言おうと思う。批判しても当然いいし、なんだったら侮辱だって受けて立つけど、人が書いたものに何か言うのなら、2つの点に気をつけてほしいと思うよ。

1つはね、ちゃんと読んでよ。二番煎じって、どう見ても1ページ目だけ読んで言ってるでしょ。二年前に書いた「赤ちゃんにきびしい国で・・・」とiRONNAに書いたものはタイトルが似てるだけで全然違う内容なんだよ。まったく二番煎じじゃない。上に書いたように、保育園反対運動への取材からわかったことを書いていて、それはこの一年の取材の成果なんだから、二年前に書いたものの二番煎じにはなりようがないの。二番煎じと言うなら、前のものを一度読み返すぐらいすべきだ。

ちゃんと読んでよのもうひとつは、あの記事は1ページ目に「保育園問題を実感しにくい中高年にこそ読んでほしい」と見出しがでーんとついてるの。つまり二年前の記事を読んだ人に向けては書いてないわけ。対象外の人は読むなとは言わないけど、その見出しをちゃんと読んだら、どうして1ページ目でくどくど書いてるかわかるはずでしょ。三上という男の言ってることはさあ、よく読まないで書いたコメントだってのがありありとわかる。それなのにどうしてああ胸を張って二番煎じと言えるの?

2点目はね、思ったことをちゃんと書けよ、ってこと。1ページ目が長くてイライラしたんでしょ?だったら「1ページ目がこんなに長くてかったるい記事、イライラするよ!」とか言えばいいじゃん。それは「批判」だからさ。的外れでも。なのに1ページ目が長すぎるとどうして「一発屋」って言うの、わざわざ。意味わかんないじゃん。「いいね18万の一発屋」とか書くから「なんじゃこらー!」になるわけ。ZARDからして意味わかんなかったんだけど、なんでそんな変な表現するの?

まあなんというか、ぼくとして予想外だったのはね、ものすごく変わった人に当たっちゃったことだね。とっとと謝ってくれたら個人のほうはすぐに文章差し替えて、NewsPicksに絞った抗議にするつもりだったのに、逆になるとは。

NewsPicksへの抗議は取り下げたけど、三上という男への抗議は取り下げない。取り下げられない。謝るどころか、侮辱を重ねてるから。だから彼に対して、内容証明を送るか、メールで済ますかわかんないけど、ここに書いたことをぐっと凝縮して送り届けようと思う。今度こそ心して受けとめてほしい。

保育園反対運動はまだ、首都圏のあちこちで起こってる。前に取材した80代の、でもかくしゃくとしたおばあちゃんの園長先生がメールをくれた。老骨にむち打ってもうひとつ保育園を開設してがんばろうとしていたら、猛烈な反対運動に悩んでいる。そんな話だ。ぼくからするとお袋みたいな園長先生が、相談にのってくれと言っている。ぼくは市川市のようにポシャらないように、今度こそ役に立ちたいと思う。これまでの経験から、少しは何かできるんじゃないか。いや、いまはわかんないけど。でも今度こそ、と思ってる。

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