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コピーライター→映像製作会社ロボット→広告代理店ビデオプロモーション→再びコピーライター(フリーランス)。 メディアとコンテンツの未来を切り拓くコミュニケーションをデザインします。講演・執筆依頼もお気軽に!

著作権の意義をいま、考え直さなきゃ〜違法ダウンロード罰則化を考える〜

7月15日の境塾でゲストにお招きする小寺信良さん。コラムニストであり映像技術者でもあり。「金曜ランチボックス」というメルマガを発行していて”夜間飛行”というメルマガサービスで購読できる。ePub形式でも読めるので便利だ。

そして小寺さんは津田大介氏とともにインターネットユーザー協会、通称MIAUを設立し代表理事を務めている。このMIAUを設立した背景をお聞きしたことがある。

インターネットでの著作権に関して意見を言うには、個人では受け入れてもらえない。業界団体はいろいろあって彼らは著作権改定の議論に参加できる。すると、業界団体の論理だけが反映されていく。ユーザーの声は反映できないのだ。反映させようとすると消費者団体が関与することになり、消費者団体は主婦の声の代弁者だからネットのことなんかわからない。

だったら自分たちでユーザーの声を代弁した団体をつくろう!

そこで生まれたのが、MIAUだった。

ユーザー団体をつくったらちゃんと、著作権に関する議論に参加することができた。「日本の著作権はなぜこんなに厳しいのか」という本がある。この中に、著作権改定に関する議論のレポートが書かれていて、多様な著作権者側の団体と”闘う”津田氏の様子が出てくる。これを読んでいると、”日本の著作権がなぜこんなに厳しいのか”がよくわかる。権利者団体側がとにかくひたすら”守る”立場を主張するので、そしてそれを全部聞き入れていこうとするので、法律がどんどん頑なな方向に向かっていくのだ。

”違法ダウンロード罰則化”という問題がある。インターネット上にある音楽・映像ファイルの中で違法にアップロードされたものをダウンロードしたら違法になる。これは、映画館で本編上映前に”NO MORE 映画泥棒”というCMで、後半で訴求されている。女の子がニコニコしながらパソコンで音楽をダウンロードしていると”ブーッ”と警告とともにポリスマンが現れる。あそこで指摘されていることだ。

ただ、いままでは違法ではあっても罰則がなかった。今回の著作権法改正で、これに罰則を加えようという条文が入っているのだ。罰則は、2年以下の懲役または200万円以下の罰金。これはマジな罰則だ。

MIAUはこれに対して議員向けの反対声明を発表している。この機にぜひじっくり読んでほしい。このまま法律が通ると、よくわかっていない子供たちが刑罰の対象になるし、濫用されるとパソコンを突然のぞかれたりする、この問題はじっくり議論する必要があるよ、そんなことを言っている。

注意すべきなのは、決して「ダウンロードしてもいいじゃん!」とは言っていない点だ。慎重に議論しようよと言っている。しかしこの法案は、6月15日に衆議院であっさり可決されてしまった。議論は参議院に移っていく。

昨日、6月19日の午後、参議院で参考人質疑が行われ、その模様をニコニコ生放送で中継されていた。たまたまヒマだったので、かなりの部分を見ることができた。見てない人もITmediaのこの記事を読むとだいたいわかる。

記事を読めば、誰がどんな立場で何を言ったかはだいたいわかると思う。反対の側の参考人のひとりが津田氏だった。いつもながらうまく論点を整理してわかりやすく話す。中でも説得力があったのが、「罰則化するとユーザー側が萎縮して音楽を買わなくなる」というもの。確かにそうだろう。萎縮もするし、反発も出るかもしれない。そんなに聞くなってんなら、いいよ、聞かないよ。ぼくの高二の息子なんかそんなこと言いそうだ。

参考人の意見陳述がひと通り終わると、議員からの質問コーナーになった。森ゆう子さんという議員をぼくはよく知らなかったけど、彼女の質問が面白かった。改正案に賛成の立場の参考人として岸博幸という元官僚の大学教授が出ていた。ぼくははっきり言ってこの人が嫌いなんだけど、この日も音楽産業側の立場で話していた。

森議員が岸氏に質問した。「フランスで罰則化が行われていますが、かの国では音楽産業の収益は上がったのでしょうか」これに対し岸氏は「音楽産業のデータは持たないがiTunesの売上はあがっているはずだ」すると森議員「深く調べたわけではないが手元のデータでは数%の減少となっている。罰則化しても売上があがらないのでは意味がないと思う」岸氏は「音楽の売上は様々な要因が作用するので一概に言えない」・・・うーん、岸さん、苦しいよ・・・

そうすると、MIAUの主張である「慎重な議論が必要です」がまったく正しいということだろう。音楽産業がどんどん売上が下がっている、それは違法ダウンロードが横行しているからだ!ぶっちゃけ罰則化のモチベーションはそこにあるはずだ。でも罰則化を先にやっている国で売上が下がっているなら、効果がないと言うことだ。

ことはそう、単純ではないのだ。

いま言える正しい答えは、”慎重に議論すること”なんじゃないだろうか。

著作権とは、20世紀的な概念だと思う。大量生産大量消費と、マスメディアと、そして複製する重厚な設備が掛け算して行く時に必要な概念だった。ポイントは、複製をつくるにはそれなりの金額の設備投資が必要だった。

21世紀のいま、複製は限りなくカンタンになり、コストも限りなくゼロに近づいている。そんな中で20世紀と同じ著作権でいいはずはないのだ。無理があるに決まっているのだ。そして往々にして時代が変わる時、正解は変わる方に一緒に動くことなのだ。”おれたちには権利があるんだ”と言い続けていても、オールドメディアとともに崩れ去るだけだろう。

なんて小難しいことも言ってみたりしつつ、7月15日の境塾に参加して、一緒に考えてみようよ、と呼びかけてみたりもしよう。コンテンツと著作権について考えてこられたお二人にいろいろお聞きしつつ、あなたも考えてみようぜ。お申込はここをクリックして、ATNDから登録してくださいな。待ってるぜ〜!

INTEROPでもソーシャルテレビの足音が聞こえていた

INTEROPという催しが先週後半、6月12日〜15日の日程で幕張メッセで開催されていた。幕張メッセだから大きなイベントだ。正直、ぼくはその趣旨があんまりわかってないんだけど、インターネットに関する技術の展示イベントみたいだ。

大きなイベントだけにその中にはまたいくつか分かれた催しになっていて、IMCというのもある。Interop Media Convergenceの略だそうだ。メディアコンテンツビジネスに関する分科会ということらしい。実行委員にはテレビ局の方々の名前が並んでいる。

で、IMCの中の放送局のブースが並んでいるのが上の写真。実行委員に名を連ねている割にはやや片隅というかあまり”デン!”と構えている感じはない。

今年の展示はソーシャルテレビ花盛り、とまではいかないけど、新技術の中にはソーシャルテレビ関連のものも含まれていた。ソーシャルに限らずスマートデバイス連携の展示が多かった、ということかな。

日本テレビはもちろん、JoiNTV。そして、先日発表したばかりのアプリ、”wiz TV”を展示していた。”wiz TV”はいまリリース中のバージョンにはない、音声認識のデモも見ることができた。放送中の番組をアプリに”聞かせて”あげると、どの局のどの番組かを探し出せるものだ。これは一体どういう仕組みなのかな?

“wiz TV”には明らかにメタデータから拾ったと思われる”番組中に取り上げられた商品”の名前がリストで出てきたりする。これは今後、何らか拡張されるのだろう。うーん、日テレさん、たくらんでるなあ。

NHKは当然、Hybrid Castを展示。技研公開でもたっぷり見せてくれたアレだね。

フジテレビは”テレコアプリ”というのを展示していた。番組の進行に合わせていろんなツールになるアプリ。これも番組で使うのを体験してみたいものだ。


そして、もっとも興味を惹いたのがマルチスクリーン型放送研究会、通称”マル研”の展示だった。これについては1月に一度このブログでも記事にしている。関西キー局を軸に取り組んでいる独自の仕組みだ。

マル研がなんと、デモ用に番組を実際に制作し、その仕組みの新しさを具体的に展示していたのだ。しかも”さわれるテレビ”というサービス名称とキャラクター、マル犬くんも登場している。あれあれ、進んでるぞ、大阪は!

前にも書いたが、このマル研は、スマートテレビ視聴を2画面方式で楽しむ仕組み。放送と連動した画面をスマートデバイスで見ることができ、番組を二十三重に楽しめるし、CMと連動した画面でクーポン取得なんてことも可能。

そしてポイントは。スマートデバイス用のデータを通信ではなく放送で送り届けるところだ。スマート視聴が普及していくと、番組と同時にスマートデバイス上で連動した画面を楽しむ人が増えていくだろう。単純計算でも視聴率1%の番組を見てる人は100万人。その人たちが通信で一斉に番組連動ページにアクセスしたら、すぐにサーバーがパンクすると予想される。

そこでマル研の仕組みは、セカンドスクリーン用のデータも放送で送り、それを視聴者の室内では無線LANで受信する。このやり方ならばアクセス殺到、サーバーパンク、ということは起こらないのだ。送り出し側を全部放送でやっちゃえばOKというもの。

セカンドスクリーン用の受信のための特殊なルーターが必要になるのがネックだが、せえのでみんなが普及させると決めればやり方はいくつかある。

そんな仕組みのために、関西キー局各局の女子アナを動員して数十分の番組を作っている。うーん、これはマジだぜ、ホンキだぜ。

この”とにかくカタチにしてみる”精神はいま、大事だよね。どうなのかなああなのかななどと言ってる間にとにかく具体化して、それ見てまた改良したり、他の人に説明したりする。カタチにすることで周りも巻き込めるし次に進むことができる。

こういう動きは、どんどん、それぞれみんなでやっていかなくちゃね。そしてだんだん、お互いのノウハウを共有して積み上げていく感じ。マル研のこの動きには、みんな刺激されたんじゃないかな。東京も頑張らなきゃね!

7月15日、境塾を開催。ゲストは小寺信良さんと四宮隆史さん!

境塾、という勉強会を去年からはじめている。オープンでやったり、内輪でやったり、ゲストをお招きしたり。

最初はデジタルハリウッドのセミナールームをお借りしてやっていた。途中からはBar境塾と称してテーマをソーシャル×テレビに絞ってVOYAGE GROUPさんの施設AJITOをお借りして何回かやった。

そのあたりの流れは、このブログのVIDEOページを見てもらうと、Ustreamのアーカイブ映像にアクセスできるのでだいたいつかんでもらえると思う。

で、7月にまたデジタルハリウッドをお借りして開催することにした。ソーシャルテレビを離れて、別のテーマでの開催。

というわけで、まずは概要を。

境塾@デジハリ
日時:7月15日(日)14時〜16時
場所:デジタルハリウッド大学大学院・秋葉原メインキャンパス
   〒101-0021 東京都千代田区外神田1-18-13
    秋葉原ダイビル7階
ゲスト:小寺信良氏
     コラムニスト・映像技術者・インターネットユーザー協会(MiAU)代表理事
    四宮隆史氏
     Entertainment & Rights 総合法律会計事務所 代表弁護士
テーマ:デジタルコンテンツ時代の著作権
定員:80名(予定)
申込:ATNDサイトからどうぞ(ここをクリック!)
※終了後、同じ会場にて17時まで懇親会を開催します。こちらに参加の方は飲み物代500円をいただきます。

小寺さんはあちこちでコラムを書いている一方、津田大介さんとインターネットユーザー協会を設立し活動されている。ちょうど先日、『違法ダウンロード刑事罰化』について、議員向けの反対声明を発表した。ネットの時代になって著作権の問題が浮上する中、業界の論理だけで物事を進めないようにと同協会を設立したのだが、この声明にはその姿勢が端的に表れている。いま著作権にはどんな課題があり、今後どんな考え方で捉えるべきかなど、お聞きしてみたい。

四宮さんはなんと、NHKエンタプライズで番組制作をしていた方だ。思うところがあり法律の道へ転向された。だから当然ながら現場もわかっている弁護士だ。エンタテイメントロイヤー(歌って踊れる弁護士じゃないよ)がそもそもこの国には少ない中、現場を知っている四宮さんは頼もしい弁護士だと思う。そんな四宮さんからは、専門家としての見解がお聞きできるだろう。

そんなお二方をお迎えして、著作権について濃くパネルディスカッションをやってみようというのが、今度の境塾の趣旨。何しろよくわかんないしややこしいのだ、著作権は。それがますますややこしくなっている。何より、みんなが守りに入りすぎて事が進めにくい事態に陥っている。どうしたらみんなが楽しくなるのか、この機に探ってみたいのだ。

という、わりとマジなんすけどなイベントでありつつ、わいわいと集まろうぜ交流しようぜな楽しい催しにもしたい。境塾もまたいろんな人たちとの輪が広がっているので、あらためてみんなで集まりたいねとも思っている。

定員は80名。多かったら多少の融通は考えるけど、土壇場でドタバタしたくないので、参加表明はお早めにお願いね!

ノマドという職種は存在しない

安藤美冬という女性が物議を醸しているなあと思っていたら、ついに切り込み隊長のアンテナに引っかかってしまったわけで。

「【号外】安藤美冬女史@ノマド女王がマルチまがい商法のフロントだった件について」と題したブログ記事が話題になったのはとっくに知ってるよね、みなさん。

ぼくはこの女性のことは気になっていて、というか大丈夫か、この子?と危惧していた。

これもみなさんとっくの昔に知ってるぜ、って話かもしれないけど、ぼくがいちばん驚いたのは彼女のブログの中の「フリーランスのセルフブランディング―名刺、住所、服装、場にもこだわろう」という記事だった。

曰く・・・

「クリエイティブな仕事をされているのに、足立区」

なんていうのじゃ、もったいない。

ぼくはこれを読んだ時、ドッカーンと驚いた。これはバブル時代の人の言うことだ。ぼくらは実際に20年前あたりはこんなことを言っていた。90年代まではまだ残っていた感覚かもしれない。少なくともリーマンショックでこんな感覚は業界中から吹っ飛んだ。なのに、いまの若者がこんなこと言うの?!

そもそも彼女の”危うさ”は、「でさあ、君は要するに何者なの?」が終始はっきりしない点だ。”ノマド”としきりと言うのだけれど、ノマドとはワークスタイルの話であって職業ではない。んなのわかってるわよ!と言うのかもしれないけど、彼女の活動をみていると「私は会社に所属せずにフリーランスで生きてます!」ということでしかないみたいなのだ。大手出版社を辞めてフリーランスで生きててノマドノマドと言っているカワイコちゃん・・・そういう人なのだ。そういう人でしかないのだ。何が出来る人なのかは皆目見えてこない。フリーランスの女性の生き方やそのためのコツみたいなことを人前でしゃべったりできます。それが”安藤美冬”から受けとめられる事柄。

まず、ノマドというのは”働き方”であって、生き方や思想ではない。いやもちろん、働き方から派生的に哲学めいた要素は出てくるが、それは副産物であって本体ではない。そこにまず注意しよう。

佐々木俊尚さんの『仕事をするのにオフィスはいらない』という本がある。副題がついていて「ノマドワーキングのすすめ」となっている。クラウドサービスが多様に出てきて、オフィスがなくても働けるようになってきた。これから終身雇用もなくなるだろうし、会社とは契約関係でドライになりつつ、どこでも働けるようなスタイルを身につけた方がいいかもよ。そんな考え方で、ものすごく具体的にそのワークスタイルの実践法が書かれている。

これは『ネットがあれば履歴書はいらない』とセットで、”会社の前に自分がしっかりいればいい”という考え方をベースにした著作だ。ぼくはこれらに強く影響されたし、実際に実践した結果が”境塾”だの”ソーシャルテレビ推進会議”だのだったりする。

安藤美冬も、そうした流れで似た考え方を実践しているようには見える。でも、彼女は手段が目的化しているようなところがある。ノマドワークスタイルで○○○をやります!ではなくて、ノマドを実践しています、どうですか?イケてますか?それだけを主張している。ノマドとなってみんなに訴えていることは「みんなもこうすればノマドになれますわよ」ということでしかないみたいだ。

アラフィフのおっさんがなんでこんなに彼女のことを事細かにネチネチ言うかといえば、”気持ちはわかる!”ってとこあるからだ。だからこそ、浅はかさが見てられない。

ぼくは87年に広告代理店に入ってコピーライターになった。コピーライターになりたくてなったのではなく、何か表現を生業にして会社に所属せずに生きるにはどうしたらいいか、と模索した結果、そうなったのだ。模索はカッコつけすぎか。なんか会社とかイヤだなあ、とぶつくさ言いながらごにょごにょ就職活動した結果、コピーライターになった。なんかこの職種はフリーランスがありらしい、だって糸井さんもそうだしさ!よし!フリーになる!いつか!そのためにはまず、東京コピーライターズクラブ、通称TCCの新人賞ってのをとらないといけないらしい。うん!がんばる!

6年間七転八倒して、92年にTCC新人賞をとった。やた!ってんで、93年にフリーランスになったのだった。

当時はノマドなんてカッコいい言葉はなかった。でもぼくも、フリーランスになることが目標だったのだ。だから安藤美冬をさほど笑えない。

でも、コピーライターとしての下積みと実績はあった。そこはかなりちがう。それから、コピーライターにはフリーランスの人もいるよね、そういう人に依頼することはよくあるよね、という商慣習というか業界文化があった。

そこが圧倒的にちがう。

当時、フリーランスのコピーライターには業界ニーズがあったのだ。業態として”コピーライターがフリーランスで広告コピーを受託すること”が十分成立していたのだ。

フリーの人に発注するのがあり、という業界慣習があって、初めてフリーランスは成立する。そこんとこ、ノマドノマドという若い人にはわかっといた方がいいよ、と言っておきたい。フリーランスが成立する職種ができないと、フリーランスではやっていけない。さらに、何らかの実績がないと、やっていけない。

安藤美冬は、ぼくには「私はフリーランスのフリーランスです!」と言っているようにしか見えないのだ。それは浅はかだった20年前の自分を見ているようで恥ずかしいのだ。だってぼくも20年前に、上に書いたようなことわかってなかったもん。わかってなかったくせに、勢いで会社辞めてフリーランスになって同じ年に結婚し翌年に子供も出来た。・・・よくいままで生きてこれたもんだなあ。

ぼくたちは”大きなおカネの流れ”の中で生きている。おカネの流れがないところでビジネスはなかなかできない。おカネの流れがない場所では、おカネの流れそのものをつくり出すくらいまでやらないと、ビジネスにならないのだ。

弁護士とか、司法書士とか、税理士とか、社会保険士とか、”士”業が成立するのは、それぞれの手続きを資格持ってる人にアウトソーシングするのが普通だよね、というおカネの流れが出来ているからだ。実は、会社設立でも、税務申告でも、社会保険料の算出も、やろうと思えば自分でできる。実際、ぼくは有限会社にしていたので、けっこうな部分を自分でやった経験がある。制度を知る上では勉強になった。そして、あまりにも制度が複雑なので、依頼した方が効率的だとわかった。そういう風に、できているのだ。

広告制作業界も、フリーランスが成立している。WEB関連、システム開発、アプリ開発なども同様だろう。いまノマドが言われているのも、WEBやIT界にそういうニーズができているからなのだと思う。

他の世界では”フリーランス”はなかなか成立しにくいと思う。”起業”になってしまうだろう。とくに日本は、どの業界も”ゼネコン構造”だから。ゼネコン構造というのは、大手が一時受注者となり、その下請け孫請けで業界構造ができあがっている状態を言う。広告は電博かADK、システムは富士通かNECか、そんなことになっている。

アメリカは、ワイデンさんとケネディさんが素晴らしいクリエイティブを提案したので何十億のビジネスをどっかんと発注したりする。新陳代謝が起きやすい文化ができている。

日本は、少し前までは十数社で受注を分けあう談合社会だった。よそ者が入ろうとすると一致団結して排除した。新陳代謝はほとんど起こらず、業界全体、社会全体が古びてしまっていく。それでも排除し続ける。そういう社会だ。

ノマドというワークスタイルはだから、そういう社会へのアンチテーゼではある。何をするにも、会社会社ですか?会社の前におれがいる、ってんじゃダメなんですか?これからはもういいんじゃないですか?やっぱりそういう哲学が副産物としてながら、含まれているのはいるんだ。

アンチテーゼだからこそ、しっかりしてないとまずいのだと思う。芯がないノマド、ノマドのためのノマドになっちゃうと、すぐにへなへなになっちゃう。だから何かにすがりたくなりもするだろう。でもそんなんじゃアンチテーゼにはならない。

会社なんて関係ない。会社の前に自分がいる。だから、会社員でもいいし、そうじゃなくてもいい。本来のノマドとは、ノマドにやっぱり思想があるのなら、そういう姿勢であるべきなのだ。ノマドはワークスタイルに過ぎないのだから、会社員であるかどうかは意味がないのだ。会社に縛られない生き方をするからこそ、会社員でもいいのだ。もちろんフリーランスでもいいのだ。どっちだっていいのだ。

もしあなたが、会社を辞めようというのなら、そこんとこ、もう一回振り返ってみよう。いつかフリーランスになるぞ!と思ってるなら、そこんとこ、ちゃんと自分に聞いておこう。わかってる?何が出来るかわかってる?そこに”おカネの流れ”は見えてるの?そして、会社を辞めるために辞めてない?ノマドをやるためにノマドになろうとしていない?

あれ?えーっと・・・と、自信がなくなってきたら、自分に言い聞かせよう。ノマドはワークスタイルにすぎない、よね?と。若い人はとくにね。じっくりね。・・・いやホント、言えた義理でもないんだけどさ・・・

ソーシャルカンファレンス2012・遅ればせながらレポート

前に予告した通り、6月9日にソーシャルカンファレンス2012に参加してきた。大元隆志さんの知名度と、スタッフの皆さんの努力で、会場は満員となり盛況の催しとなった。大元さん、そして皆さん、ほんとうにお疲れさまでした。おかげさまで、第二部を仕切る身としても、気持ちよく進められました。

詳しい内容は、公式サイトやまとめサイトですでに見てもらってるかもしれない。いや、まだの人はぜひ見てみてください。ソーシャルの多様な現状と今後が、高い知見の登壇者から語られている。ほんとに貴重な催しになったと思う。
(公式サイトはこちら。そしてTogetterまとめがこちら。さらにNAVERまとめはこちら。

さてぼくが担当した第二部は、「ソーシャルとテレビのシナジー」をテーマに据えて、パネルディスカッションを行った。NHKのネット戦略の参謀、倉又俊夫さん、IT情報番組iConのプロデューサーで、JoiNTVを生み出した日本テレビの安藤聖泰さん、そしてご存知アスキー総研の所長、遠藤諭さん。こんな豪華なメンバーに集まっていただけるとは!ありがたいなあ!

ディスカッションでは、前半ではこの一年のソーシャルとテレビの接近状況を振り返った。
題材としてプロジェクターに映したのは、こんな箇条書き。
• 3.11 UstreamでNHK同時配信(ソーシャルメディア浮上)
• 夏 ソーシャルテレビ用アプリ続々
• 8月 反フジテレビデモ
• 秋 ニコニコ動画とテレビ局の連携進む
• 11月 日本テレビ、YouTubeで公式チャンネル
• 12月 ”バルス”事件
• 1月 「おやすみ日本」「News Web24」
• 3月 日本テレビ、iConでJoiNTV
これはもちろん、このブログでぼくが追ってきた出来事。

パッと見ると「それが何か?」と思うかもしれない。でもね、ほんの一年ちょい前、2010年あたりだと、テレビとネットはひたすら反目しあっていた。テレビ局の上層部はTwitterもYouTubeも敵だと言わんばかりだったらしい。それがこの一年で、各局とも何らかの形でソーシャルメディアを活用している。いや、むしろリアルタイム視聴にプラスに働くということで、Twitterを積極的に活用しはじめている。この一年は、こうした事態が大きく転換した一年だったのだ。

この振り返りを出だしにし、お三方+ぼくで多様な話をしていった。何しろ、ついこないだ四人で下打合せした、というか飲んだので、話にどんどん花が咲いた。

とは言え、話が盛り上がるほど時間はあっという間に進むもの。あと5分、のサインも出て、そろそろ終わらなきゃな、というムードになった。

ところが、そこで主催の大元さんが粋な計らいをしてくれた。10分の延長タイムをくれたのだ。それはうれしい!と言いつつも、終わらせるつもりだったので、じゃあ何を話そうかとオロオロ。で、そうだ!とぼくが提示したのが「番組=コミュニティになっていく?」というもの。

JoiNTVの説明をする時、安藤さんが「Facebookをベースにしたのは、小さなコミュニティをたくさんつくりたかったから」と言っていたのが強く印象に残っていた。Twitterをベースにすると、番組を見ているTwitterユーザーが一度に集まることになるけど、誰が何言ってるかわからない。Facebookなら、自分の友達の中で同じ番組を見ている人と盛り上がることになる。その方が、お互いのやりとりが成立する。そういう小さなコミュニティが無数にできる方が、視聴者として楽しいんじゃないか。そういう考え方だ。

そこに感心したわけだけど、もうひとつ、そもそもテレビ制作者が“コミュニティを作りたい”と言ったことにも驚いた。自分の活動を、そういう捉え方しなかったのではないか。一方的に番組を送り出し、視聴率がどうだったかを気にするのがテレビマンだと思っていた。

このぼくの投げ掛けに対し、お三方との議論はぐいぐい発展していった。

番組を通じてできるコミュニティは、どういうものをめざすのか。例えばTwitterによって大きなコミュニティはできる。そして反応がはっきり“見える”。おおー!盛り上がってるぞ、おれの番組。しかしそれはコミュニティなのか?

一方、JoiNTVを通じてたくさんのコミュニティができる。でもそれは制作者にはひとつひとつは見えない。Facebook上での盛り上がりはクローズドなものなので、外側からは見えないのだ。「いいね!」数が計測できはするだろうが。そうすると、制作者はコミュニティに参加はできない。参加できないコミュニティを作るとはどういうことだろう?

“エンゲージメント”という概念がある。送り手と受け手が双方向で“きずな”を持てればエンゲージメントが成立している、などと捉えるわけだ。では、番組を見ながらTwitterでつぶやいている人と、エンゲージメントは成立しているのだろうか?Twitterは見ているけど自分からはつぶやかない、人のつぶやきを見て楽しんでいる人は?

あるいは、Facebookでお友達とやりとりしながら番組を見ている人は、かなり“深い”視聴者だと言えそうだが、その人が熱心に見てくれていることは制作者には伝わらない。これは“エンゲージメント”が成立しているのか?

ソーシャルメディアによって、テレビ番組と視聴者の関係は、もっと深くなる、密になるんじゃないかとぼくはイメージしていた。それは間違いではないと思うけど、単純ではないなあとあらためて感じた。

ソーシャルテレビという現象は、まだはじまったばかりで、つかみ切れないし話し出すと話がつきない。ソーシャルカンファレンスの続きはまた、別の機会にやってみたいなあ。

ソーシャルテレビラボ〜推進会議のWEBサイトができたのだ!〜


今年は元日に”ソーシャルテレビを推進するのだ!”と宣言してはじまった。宣言通り、”ソーシャルテレビ推進会議”を4月に起ち上げたのだけど、その推進会議としてのWEBサイトがこのたびオープンしました。

じゃーん!その名も”ソーシャルテレビラボ”。つまりは、ソーシャルテレビの実験室というか研究所というか。もちろん、そんな施設や団体ができたってことではなく、研究所みたいな気持ちでみんなでソーシャルテレビに関する情報発信していきますよ、という意気込み。

とりあえず起ち上げたものだけど、これがとりあえずのわりにはなかなかよくできている。

まずひとつ目のメニュー、”ソーシャルテレビ最前線”。これはまず、このブログ。クリエイティブビジネス論でソーシャルテレビに関連する記事がソース。そしてTBSメディア総研が運営している”あやとりブログ”とも連携。それからそれから、杉本穂高氏が書いている”Film Goes with Net”からもソーシャルテレビ関連の記事が転載される。

杉本氏は去年の8月のこの記事にも登場する、映像業界で活躍中の青年。海外とこちらの業界を行き来し、向こうの情報も積極的に記事にしているので貴重な情報源だ。

ソーシャルテレビ最前線ではこの他に、一般のニュースサイトからソーシャルテレビ関連の記事もソースにしていくつもり。

もうひとつのメニューが、”ソーシャルテレビデータ”。tuneTV、みるぞう、ピーチク、テレビジン。この4つのソーシャルテレビアプリが定期的に発表しているデータがソースとなっている。先週、もしくは昨日、ソーシャル的に盛り上がったテレビ番組がわかる!というわけ。

このデータ欄も、別のサイトからの情報も加えていこうかと考え中です。

このサイトはこうして見ると、独自の情報ではなく、他のサイトの記事やデータをソースにできていることがわかるでしょう。そう、推進会議への参加者たちが持つソースを自動的に拾ってまとめて見せることで運営していくわけです。なかなかよくできてるでしょ!

さてこのソーシャルテレビ推進会議、ゆる〜い運営ではじめています。参加条件は、ソーシャルテレビに何らか関わることをやっていること、考えていること。興味ある方は、ぼく宛てにメールをください。sakaiosamu62@gmail.comへ。

ソーシャルテレビの定義を考えてみる〜推進会議第二回会合から〜

ソーシャルテレビ推進会議というのをはじめている。4月に最初の会合を持ったことは前に書いた。そして5月29日に、二回目の会合を開催したよ。

いろいろアレなんで、どこの誰が参加したかはここでは書かないことにする。別に隠そうってんじゃないんだけどね。アプリ関係者、テレビ局の人、などなどなどという感じです。

いくつか大事なことが決まって、まず、近々”ソーシャルテレビラボ”というサイトを起ち上げます。そこに行けばソーシャルテレビの最新情報が一網打尽、になる予定。これはもうホントに近々やるので、乞うご期待ですわ。

それから、推進会議としての研究発表的なことをやろうと思います。その成果はたぶん、境塾や近々できるサイトで発表することになるでしょう。けっこう、意欲的だね、この活動。

さて、その会議で議論した中に、”ソーシャルテレビはどう定義すべきか”というお題があった。

例えばWikipediaにはSocial_Televisionという英語のページはあるけど、日本語のはない。我々が作成するべきではないか?という意見が出た。そうかもね。

でも、どう定義すればいいのだろう。

現状、ソーシャルテレビと言えば、テレビ番組をリアルタイムで視聴しながらTwitterでみんなのつぶやきを見たり自分でもつぶやいたりする、そういう行為のことになっていると思う。そういうテレビの見方をソーシャルテレビと呼ぶことに反対する人は誰もいないだろう。

このソーシャルテレビのいいところは、テレビ放送にとってプラスに働くね、という点だ。去年アメリカでニールセン社が「SNSで放送開始前に9%盛り上がると視聴率が1%プラスになる」とほんまかいなな発表をしたのもあり、テレビ局はがぜんソーシャル視聴に大賛成になった。

ソーシャルメディアに関する議論には、皆さんなんだか熱くなって宗教の議論みたいになりがち。そしてソーシャル原理主義者的な人びとは、ソーシャルテレビとはこのリアルタイムのながら視聴に尽きる!と力説する。

でも一方で、レンタルDVDやオンラインのVODサービスを楽しむ際に、ソーシャルメディア上の感想が役に立つよね、というのもある。そして放送局がこぞってVOD市場に番組を出すようになっているので、そういうソーシャルテレビもあるんじゃないかとぼくは考えている。

典型的なのが、このブログでもとりあげたNHKの実験、teledaだ。NHKの番組に絞られてはいたものの、VODサービス上にある番組について、この実験向けに開発したソーシャルメディア上で感想を交換しあった。ソーシャルテレビがソーシャル×テレビだとすれば、これもソーシャルテレビと言える、言えてしまうのだ。

さてソーシャルテレビにはもうひとつのカテゴリーを加えていいのではないか、とここで気づいた。ソーシャルメディアを通じて視聴者と双方向な番組づくりを行うこと。「ああ、NHKのNEWS WEB24みたいなことでしょ?あれもリアルタイムのソーシャルテレビのひとつになるんじゃないの?」としたり顔で言われそうだ。

でも、よく考えるとそれはそれで別のカテゴリー扱いにした方が、ソーシャルテレビが何かがくっきりするんじゃないかな。NEWS WEB24は確かにリアルタイム視聴だけど、こないだ「さんま岡村の日本人なら選びたくなる二択ベスト50!SP」という番組があった。これはFacebook、Twitterそしてポイントライフの3つのソーシャルサービスでみんなの声を”事前に”集めて、その結果をもとに番組を構成していた。リアルタイムではないのだ。

番組づくりにソーシャルメディアを活用することは、リアルタイムとは限らない。スマートフォン向け放送NOTTVでも似たことは起こっている。「AKB48のあんた、誰?」という番組では、AKBメンバーでも無名の娘たちが出演するのだが、ファンたちが次回の放送についてどんどん意見を寄せてきて、視聴者と一体になって番組企画会議を行っている状況だという。これもソーシャル×テレビのひとつの形だ。

と、ソーシャルテレビの話題は尽きない。まだまだあるのかもしれない。もう少し、事例を見つめて議論していかなきゃならないかもね。何しろ現在進行形なのだな、ソーシャルテレビってば。

そうそう、ところでこのソーシャルテレビ推進会議には、いろんな方からお問合せをもらっている。とくに参加資格は問わないけど、ソーシャルテレビと自分の関わりを何らか説明してくださいねとお願いしている。興味あるし、関係してるし、参加したいぜ、という方は、ぼく宛てにメールをください。 sakaiosamu62@gmail.com まで、どうぞ!

ソーシャルテレビラボ

テレビ局が、マジで動きはじめた!〜スマートTVサミットでの日本テレビ・デジタル連携宣言〜

5月25日に日経エレクトロニクス主催の「スマートTVサミット」というセミナーイベントがあった。去年も開催され、ぼくも行ったのだけど、今年はさらに盛り上がっている感じ。300人ぐらいいたんじゃないかな?朝10時から夕方17時30分まで、こってりとメニューが展開された。

ぼくはこの前日、もっと小規模なスマートTVについてのセミナーでしゃべった。この時、前半を担当されたITジャーナリスト本田雅一さんが、スマートTVサミットでもパネルディスカッションでモデレーターをされていた。パネルディスカッションは午前と夕方の2回行われ、NHKの倉又さんが出ていたり、NOTTVの小牧さんが出ていたり。片岡さんが一コマたっぷりとRegzaAppsについてしゃべったりもしていた。なんか境塾と重なる方々なのが面白かった。

さて、こういうイベントに行って、何が収穫だっけ?ってことも多いのだけど、今回はものすごくビッグな収穫があった。大ニュースが発表された、というか。スマートTV新聞、みたいなメディアがあったら、一面で大見出しになるところだ。

「日本テレビ、テレビとネットの融合を本格化!」

そんな見出しかな。これはえらいことですぞ!

午後の2コマ目で、日本テレビの発表があった。最初に大枠の戦略を太田さんという方が話し、後半では3月まで放送されていたIT情報番組「iCon」のプロデューサー、安藤聖泰さんがしゃべった。安藤さんは一度お会いしたことがあり、また6月9日のソーシャルカンファレンス2012の、ぼくが担当する第二部でゲストとしてお招きしている。お友達の登壇をフレーフレーと応援する気持ちでこのコマを見つめていた。

そういう、気楽な気分をまず、前半の太田さんが吹き飛ばした。次世代のテレビ視聴を見据えた施策が必要、とはじまったその話の内容は、テレビとネットを融合した広告メニューを具体化していきますよ、というある種の宣言だった。

これに続いて安藤さんが、JoiNTVの説明をしはじめる。JoiNTVについては3月にこのブログでも書いている。iConの放送と連動した形で、データ放送画面でFacebookにログインでき、番組の中で面白いと思った場面に「いいね!」ボタンが押せる。テレビとソーシャルの融合を実験したものだ。ぼくはこの時JoiNTVを楽しみながらも、ちょっとした実験ぐらいに受けとめていた。それはまちがいだった。

JoiNTVは太田さんの言う、今後を見据えた施策の第一弾だったのだ。iConでの実験の成果をベースに、具体的な広告メニューをつくりあげていこうというのだ。そしてこれは、デジタル部門がこっそりやってみてます、というものではなさそう。企業として今後の重要な施策の一環として取り組む、ということらしい。びっくりだぜ!

テレビ局では、放送とネットの融合はこれまでも実験的にはいろんなことが行われてきた。それらはこのブログでも、見つかる限りレポートしてきた。でも「やってみた」の域は超えなかった。コストも手間も余分にかかるけど収入が増えるわけではないので、好きなひと、やりたい人が無理してやってみることだった。

でも日本テレビはこれから、局として本気で取り組みます、ということらしい。そういう”宣言”を太田さんと安藤さんが言ってのけたのだ。なんというか、一種の革命かもね。

テレビ局がネットと連携できなかった、その大きな理由が、「視聴率が漏れる」ことへの懸念だ。例えば、番組やCM上でネットへの誘導をあまりやると、番組を観なくなるじゃないかそれは困るじゃないか、という懸念だ。それをJoiNTVは解決する、と言っている。「いいね!」を押しておけば、番組終了後にゆっくりネットを観てもらえるのだと。これをこういう公の場で言う、ということは、日本テレビとして納得しているということだ。想像だけど、社内で相当な議論や上からの決断があった末に出てきたことだろう。だから胸を張って言っているのだ。そこがもっとも重要なことだ。

日本テレビのこの”宣言”は、今後大きな波及効果をもたらしそうだ。遅かれ早かれ、他の局にも伝染していくと思う。何しろ、2011年年間視聴率三冠王をフジテレビから奪取した局だ。つまり視聴率競争トップの局だ。その日テレが「これからはネット連携の広告メニューを開発しますよー」と言うのだから、他の局も追随するに決まってるじゃないか。なになに、それなに?どうやったらいいの?浮き足立つにちがいない。

意外に早かったなあ。早すぎて、こういう動きを期待していたぼくでさえオロオロしちゃいそうだ。いやほんとに、のんびりしてらんないわ。

安藤さんの話の中で「JoiNTVの仕組みがTwitterではなくFacebookを使ったのがなぜかと言えば、小さなコミュニティをたくさん作りたかったからです」というくだりがあった。うーん、こういう捉え方、新しいなあ、正しいなあ。

そうなのですぞ、みなさん。もはや、テレビのプロデューサーは番組をつくっておしまい、じゃないんです。番組は最終成果物ではない。番組を軸に集まってくる人たちが形成するコミュニティ。これがプロデューサーの相手になるのですわ。彼らとどうコミュニケーションし、彼らとスポンサーの間をどうとりもつか。

そのことの意義や価値にみんなが気づいたら、テレビはいままでとは別の成長ができるかもしれない。面白いじゃあ、ありませんか!

この国のルールは空気でできている。〜福岡市職員禁酒令と虚構新聞事件〜

皆さんもうご存知だと思うけど、福岡市で職員の飲酒による不祥事が続出し、市長が職員に一カ月の”外出先での禁酒”を要請したそうだ。なんてこった・・・

なんてこった、と呆れ口調で言ったのは、福岡市職員がまたやらかしたことを言っているのではない。市長が禁酒を要請したことに呆れている。

ぼくは福岡市出身で、いまも実家があり母親と姉夫婦が住んでいる。中学から鹿児島で寮生活だったので、福岡市にいたのは小学生まで。正直、あまりよく知らなかったりする。でもいい街だ。食い物がうまいし、適度に都会だし。

一方、筑豊を背中に持ち、福岡はどこか荒くれ男の街でもあったりする。暴力団による発砲事件も多い。下手すると、モラル低いのかもしれない。市の職員も、そういう土地柄を引きずっていると言われかねない。福岡出身者としては、恥ずかしい。

だから謹慎しろと言いたくなるのもわかる。でも、それとこれとは話がちがうと思う。市長が職員に禁酒を言い渡すのは、いったい何が根拠なのか。どんな法律や条例があるというのか。まったくもって論理性に欠ける。発想としておかしい。この国は、法治国家ではないのかよ。

ぼくが職員だったら、市長にそんな権限はない、と声をあげたくなると思う。でもあげられないとも思う。この状況で、職員の立場から不満を言えないだろう。不満の根拠が、酒を飲めなくなるのはイヤだから、ではなく、禁酒を市長が職員に言い渡すのが不合理だから、だったとしても、それを口に出して言えない。

結果として、何ら法的根拠のない不思議な”お願い”が事実上、命令として通ってしまうのだ。

そんなことで、いいの?

少しちがうけど、どこか似てるんじゃないかと思うのが、先週の虚構新聞デマ事件だ。橋下徹大阪市長が、小学生にTwitterとFacebookを義務化した、というニュース。当然真っ赤なウソなのだけど、橋本さんなら言いかねない、ということで、あっという間にバズった。そして信じちゃった人も出てきた。

信じちゃったりもするだろう。何しろ、虚構新聞だ。ウソついてるんだから、信じちゃったら「あれ?信じちゃいました?なは!」てなことだ。これに対し「ちっくしょー!まんまとひっかかっちゃったぜ、虚構新聞め、もう騙されないぞ!」と小気味よく地団駄を踏むところだろう。

だって虚構新聞なんだから。

ところが、中にはマジで怒り出す人もいたらしい。「信じたじゃないか、どうしてくれる!」と鼻息をふん!と鳴らしながら怒っている人がいるという。怒るだけならまだしも、「ネット利用はもうかなり普及しているのだから、デマを発信する虚構新聞などというサイトはあってはならない。時代を読め。わきまえろ」てなことを言う人もいるようだ。

ぼくには、何を言っているのかわからない。虚構新聞はその名前からしてすでに「ここに書いてあることはウソです」とメッセージしている。その虚構新聞に「このウソつきめ!」と怒っても「あ、でも、虚構新聞なもんで・・・」ということだろう。

さらに、「サイトを閉じろ」と言うのは、まったく意味がわからないし、意味がない。法律を犯してるならともかく、閉じろ、と言うのは、根拠がわからない。

日本が太平洋戦争に突入してしまったのは、軍部が暴走して国民はそれを止めたかった、わけではなく、日本中が「鬼畜米英滅ぼすべし!」とう空気で包まれ、誰もそれをおかしいと思わなかったからだ。ヒトラーやムッソリーニみたいな独裁者が戦争へ扇動したのではない。国民同士て空気を形成し、戦争を互いに煽ってきたのだ。

いま、イヤーな空気がこの国を包もうとしている気がする。ルールもへったくれもなく「はい、あんたダメー!」と否定しあう。何かあると、とにかく否定する。ダメ!とカンタンに言ってのける。そんな空気がもあもあと、ぼくらを包みはじめている。

イヤな空気に包まれた国は、イヤな国だなあ。そんなことじゃイカンよね、皆さん!

ソーシャルテレビというテーマが浮上しはじめているみたい

先週の話になっちゃうんだけど、17日(木)の朝日新聞の朝刊1面にこんな記事が載った。
「CM活況 TV局復調 ツイッターやフェイスブック一役」ほほー!

こんな見出しの記事が朝日新聞に載っただけでも驚いたんだけど、それが1面ってのもびっくりだ。日経のメディア欄ならまだしもね。これはこれは、ソーシャルとテレビの関係が一般的な話題になってきた、ということだね。

記事の内容は、キー局の決算が発表になり全社が増収、CM市場は活況で、そこにSNSが関与しているみたいだ、と。例えば、今月のなでしこジャパンの試合でホンダが流した「負けるもんか」のCMがTwitterで話題になりYouTube上のそのCMの再生回数が一気に22万回に達したと。

それから、テレビ番組を観るきっかけにSNSをあげた人が16.8%に達したというデータもとりあげている。

と、内容を読むと、んー、ちょっとどうかなーと言いたくなった。

そしたら今度はJ-Castニュースが明らかにこの朝日新聞の記事を受けてまた記事を掲載していた。
「SNSで番組情報入手」まだ2割弱 テレビとの「相性の良さ」は本当か

なんだか、朝日の記事の正反対なことを書いている。

上智大学文学部新聞学科の碓井広義教授のコメントが記事に出てくる。SNSとテレビの親和性は若者に限定される、と。

さらにNEWS WEB24のようなSNSと連動性を打ち出した番組については・・・
“「視聴者の意見を軽視するわけではないが、匿名で誰とも分からない人の『つぶやき』を流し続けることが『双方向性』と言えるでしょうか」と首をひねる。”
とおっしゃってるそうだ。

そいで、ぼくが思うに、朝日もJ-Castもそんなに結論急がないでくださいよ、と。

まず、朝日新聞の記事はせっかくソーシャルとテレビの関係を盛り上げてくれていていいのだけど、でもCM市場の活況とソーシャルはまだ、ほとんど関係はないと思う。CMがSNSで話題になってYouTubeで再生回数が増えたことと、CM市場の復調は関連性が薄いからね。テレビがネット上のコミュニケーションを活性化させたのであって、その逆ではないのだ。

いまようやく、テレビ放送とネット上のコミュニケーションがお互いに刺激しあうことにみんなが気づいた、というだけだ。

一方、J-Castニュースの記事でこっちから突っ込みたいのは、若者層だけでも、SNSが番組選択に1割だか2割だか影響しているのなら、それはそれですごいことじゃない?ということ。

Twitterが明らかに普及しはじめたのは2010年からだろう。Facebookが一般化したのはつい去年からの話だ。一方テレビ放送は、全国津々浦々の人間が、この50年ぐらいずーっと視聴してきたのだ。日本上陸からたった1年とか2年とかで、メディアの王様テレビの視聴に影響を与えはじめているんだから、これは面白がるべきポイントなんじゃないの?

両方の記事にツッコミいれてるけど、要するにソーシャルテレビが動きとして世間的に明らかなものになったんだなあと、そのことにぼくは感心している。ソーシャルとテレビが今後のメディア接触の核になるぞと、そんな確信を去年から持っていたのだけど、そうなってるそうなってる、とあらためて確信できた2つの記事でした。

ところで5月24日、今度の木曜日の午後、セミナーやってるところに呼ばれて講演みたいなこと、します。「スマートテレビの衝撃〜メディアの新たなビジネスモデルの可能性と未来」と題して、前半がITジャーナリストの本田雅一さん、後半がぼく、という構成。おこがましくも有料セミナーで、気恥ずかしいのだけど、まだぜんぜん空きがあるそうなのでよかったら、どうぞ。

ソーシャルテレビはどうなっていて、どうなるか?〜ソーシャルメディアカンファレンス2012に向けて〜

大元隆志さんという方を知っているかな?このブログの読者の皆さんなら、けっこうな確率でご存知だと思う。IT企業の社員でありつつ、ITジャーナリストとして言論活動もされている。本も出版していて「ソーシャルメディア実践の書 ーfacebook・Twitterによるパーソナルブランディングー 」という本はソーシャルメディア界隈では話題になった。それからそれから、ASSIOMAというブログサイトも運営している。

その大元さんが昨年から「ソーシャルカンファレンス」という催しをはじめた。去年2011年は”スタートアップ×クラウド×ソーシャル”というテーマを掲げ若い企業のプレゼンテーションをメインに、多彩な人びとが登壇した。なかなか盛況なイベントになった。

そのソーシャルカンファレンスが今年も開催されるのだけど、三部構成のうちの第二部を、なんとぼくが担当することになった。大元さんとは去年の初めに知りあって以来、境塾にも参加してもらったり時々飲んだりと、交流してきた。まあだから、今年のソーシャルカンファレンスに”境塾”的な内容を入れてちょうよ、ということなのですわ。ソーシャルメディアがあらゆる分野に関わりを持とうとしている中、テレビ×ソーシャルでイベントやってよ、と。

ちょうどぼくもこのところ”ソーシャルテレビ”をテーマにしてきたし、地デジ化完成からそろそろ一年が経つので、これまでとこれからを考えてみたいと思っていたのだった。

この一年で、ソーシャルとテレビはぐいっと近づいた。思い返してみると、少なくとも2010年まではテレビとソーシャルはとても相容れるものになりそうになかった。なんと言ってもまずテレビ局がソーシャルを拒んでいた。番組にソーシャルを取り入れるなんてありえないことだったし、社員がTwitterやってるのも好ましく捉えられてなかった。NHKやTBSのTwitterアカウントが人気を得ていたものの、全体としては積極的ではなかった。YouTubeなんか完全に敵扱いで、あそこに映像を出すなんて!というムードが大勢を占めていた。

震災がまず、この対立関係を融和に向かわせた。震災直後に、ある中学生がネットでNHKの映像を流した。これを例外的にだがNHKが公認した。ある意味、歴史が変わった瞬間かもしれない。

その後の動きは、このブログで伝えてきた通りだ。途中にフジテレビ抗議デモのような逆流的な現象も挟みながら、大きな流れとしてはテレビとネットは次々に融合を具現化してきた。というより、テレビの側がネットの力を利用すべきだと気づき、それを実際に形にしはじめた一年だったということだろう。

一方で、どうやらこの一年でメディアと個人の関係も大きく変化したようだ。アスキー総研の遠藤所長のコラムで「戦後最大のメディアのイス取りゲームが始まっている」と題した記事があったように、驚くべき変化が起ころうとしている。

遠藤所長はちょうどこの土曜日、5月12日の朝放送の『新・週刊フジテレビ批評』に出演して、さっきの記事で使った”メディアのイス取りゲーム図”をもとに話をしていた。番組の中で、コラムからさらに踏み込んだことを言っている。まず「タブレットの特性はテレビと似ているのではないか」と言うのだ。ソファに座ってゆったり映像を眺める端末、という意味ではテレビとタブレットは極めて近い。これはiPadが発売された頃、ぼくがこのブログで書いていたこととちょっと近い。

さらに遠藤さんは突っ込んだことを言う。テレビのデジタル化は、テレビがネット的な存在になっていくということ。ということは、ネットのようにコストをかけない方向に向かうことになる。その上で、でもテレビ番組はプロが作るコンテンツとして、制作費はかけるべきなのかもしれない。番組の数を減らすなどのやり方もあるだろう。その分、社屋はいらない、とかね、てなことを言う。

無駄な部分への経費は思い切って削り、予算配分にメリハリをつけていく、ということだろう。これもよくわかるなあ。

こうした文化の変換を促すのも、ソーシャルメディアなのではないかとぼくは思う。これは『テレビは生き残れるのか』に書いたことと近い捉え方だ。

話がちょいそれた感もあるけど、ソーシャルカンファレンス2012でぼくが担当する第二部では、遠藤さんをお招きし、テレビのソーシャル化を具現化してきたNHKの倉又さん、日本テレビの安藤さんをゲストに、こうした話を展開していきたいと考えている。

面白そうだよね!たぶん面白いよ!

行きたいぜ!参加したいぜ!って方は、このリンクを押して「ソーシャルカンファレンス2012参加お申し込みフォーム」に必要事項を記入して応募しよう。人数が多い時は抽選になるそうだ。去年より定員が少ないので、ご注意を。

メディアとソーシャルと民主主義〜teledaについてNHK文研の方とお話した〜

4月に行われたNHK放送文化研究所のシンポジウム「そして、テレビにできること〜メディア激動の時代」を見に行ったことをこないだこのブログで書いた。「VOD・SNS時代の”テレビ”と”テレビ視聴”」と題して、NHKで開発したteledaという、ソーシャルメディアとVODを組合せた仕組みの実験の成果を発表するものだった。そしてそのシンポジウムがちぐはぐな内容だったことの不満を記事にした。なにしろすごく期待してたものでね。

そのあと、NHK技研を訪問して、teledaの開発に携わった浜口さんから直接、teledaについて詳しくお話をうかがえた。これもここで記事にした。シンポジウムのあと、Twitterで浜口さんとやりとりしたのがきっかけだった。ソーシャルメディアってこういう出会いも生むんだね。

そして今度は、浜口さんとのやりとりやブログの記事を読んだ、NHK文研の小川さんという方からご連絡をいただいた。小川さんってあのシンポジウムで司会進行をやってた方じゃない?ほほおー、ますます面白い!というわけで今週、小川さんに会うためにNHK放送文化研究所に行ってきたよ。

NHK技術研究所は世田谷の砧にあってぶっちゃけ不便な場所だった。NHK放送文化研究所の方は、愛宕森タワーの中にある。ぼくのいまの会社は赤坂なので、すごく近いよ!

そこで小川さんと、じっくりteledaについて、そしてテレビとソーシャルの未来についてお話して、すっごく面白かった。

teledaに取り組む前提の前提として、「若い世代のNHK離れ」という悩みがあるのだそうだ。若者離れはテレビ共通の悩みなのだけど、NHKとしては、とくに大きな悩みなのだという。

例えば、若い人に「SONGS」について意見を聞いてみた。「SONGS」は音楽番組で、若い人に人気のアーティストもよくとりあげるので若い人も見てもらいやすいのではないか。ところが、若者の反応は、厳しいものだった。「息が詰まる」

音楽番組で息が詰まる、とはどういうことか?この番組の、例えばセットが”完璧すぎる”のだそうだ。民放の番組にはどこか”ゆるさ”がある。”スキ”みたいなもの。NHKには音楽番組でさえそれがない。”スキマ”がない。窮屈?緊張感?NHKにはそういったものがどうしても漂うのだろう。それが若者には逆に居心地の悪さにつながってしまう。

まあつまり、いわゆる”優等生っぽさ”なんだろうね。音楽番組でさえ、しゃっちょこばってる、みたいな。なんとなくわかるといえば、わかる。

この悩みはNHK特有のようであり、テレビ全体のことでもある気がする。テレビは完成されてはいけない、というか。まあ、この件はまたいずれ書こうかな。

若者との距離を縮めるひとつの方策がソーシャルかもしれない。そんな背景があってteledaははじまっている。

それからもうひとつ、NHK文研としては重要な気持ちがteledaには込められている。テレビ放送は民主主義に寄与すべきものである。そして、ソーシャルメディアを番組視聴に活用することで、民主主義を支える”議論の場”が提供できるのではないか。

技研にはなく、文研にはあったteledaへの大きなモチベーションがそこだ。ソーシャルによって”議論”が促される。小川さんは、そんな使命を背負ってシンポジウムの司会進行をしていたそうだ。

なるほどねー!

シンポジウムの中で”議論”という言葉が小川さんから発せられて、そこにパネラーの皆さんが突っ込んでいて話がぎくしゃくしていた。「ソーシャルメディアによって番組を題材にした議論が起こるのではないかと・・・」「議論?ソーシャルで議論が起こるんですか?議論ねえ・・・(鼻で笑う感じ)」

おそらくパネラー側は”議論”ではなく”コミュニケーション”とか言えば別に突っ込まなかっただろう。でも一方で、文研側には”議論”が大事なキーワードだった。それこそ”議論”することの難しさを象徴するような話だなあ。

実際、teledaではドキュメンタリー番組について議論と呼べるような内容の濃いやりとりが起こったそうだ。小川さんとしてはそこは強調しないといけない立場だった。

実際に、議論は起こるはずだし、ソーシャルがそれを誘引するのも起こりえるしソーシャルの重要な効果だとぼくは思う。

メディアはコミュニティであり、マスメディアとは”国家”というコミュニティを支える存在だったのではないだろうか。実際に、例えば明治時代の自由民権運動を当時の新聞は支えていた。新聞を題材にあちこちの街角で天下国家の議論がなされた。

テレビをソーシャルがむすぶと、街角に似た人の集まりがネット上に形成され、議論が起こるのは健全な姿だ。テレビの役割のひとつの部分をしっかり支えることになるのだ。

と、ここで援護射撃的な論を展開したにしても、シンポジウムが微妙な空気になってしまったことは覆しようがない。小川さんは、その話になるといろいろ無念な思いに包まれるらしい。「いや、そうは言っても、シンポジウムにはいろいろ反省があります」と、シュンとしちゃう小川さんが面白かった。シュンとしても暗くならず、見てるこっちは微笑んじゃうのは小川さんのナイスなキャラによるのだと思う。

teledaでソーシャルとテレビの先を見たくなった小川さんはこんな野望も語ってくれた。「teledaのような仕組みを、世界に日本のコンテンツをアピールする窓口にできたらと思うんですよ!」熱い!熱いぜ、小川さん!

でも確かに、想像すると面白い。日本のテレビ番組を視聴できるプラットフォームがあり、ソーシャルな仕組みが載っていて、そしてもちろん自動翻訳で言語を超えてコミュニケーションできる。そうしたら、世界中の人びとと、同じ番組を視聴し、”議論”しあうかもしれない。そんなことが普通になったら、なんて楽しいことだろう。

それは、”地球”というコミュニティを支える議論の場になるのだ。素敵じゃん、小川さん!

それにしても、ソーシャルテレビについて書いたり喋ったりイベントに行ったりしては、いろんな人と出会っている。みんな、熱い!そこに何かの未来を見ようとしている。その上、目先の利益とか考えていない!

また明日は、どんな人と、出会っちゃうかなー・・・