メディアとソーシャルと民主主義〜teledaについてNHK文研の方とお話した〜

4月に行われたNHK放送文化研究所のシンポジウム「そして、テレビにできること〜メディア激動の時代」を見に行ったことをこないだこのブログで書いた。「VOD・SNS時代の”テレビ”と”テレビ視聴”」と題して、NHKで開発したteledaという、ソーシャルメディアとVODを組合せた仕組みの実験の成果を発表するものだった。そしてそのシンポジウムがちぐはぐな内容だったことの不満を記事にした。なにしろすごく期待してたものでね。

そのあと、NHK技研を訪問して、teledaの開発に携わった浜口さんから直接、teledaについて詳しくお話をうかがえた。これもここで記事にした。シンポジウムのあと、Twitterで浜口さんとやりとりしたのがきっかけだった。ソーシャルメディアってこういう出会いも生むんだね。

そして今度は、浜口さんとのやりとりやブログの記事を読んだ、NHK文研の小川さんという方からご連絡をいただいた。小川さんってあのシンポジウムで司会進行をやってた方じゃない?ほほおー、ますます面白い!というわけで今週、小川さんに会うためにNHK放送文化研究所に行ってきたよ。

NHK技術研究所は世田谷の砧にあってぶっちゃけ不便な場所だった。NHK放送文化研究所の方は、愛宕森タワーの中にある。ぼくのいまの会社は赤坂なので、すごく近いよ!

そこで小川さんと、じっくりteledaについて、そしてテレビとソーシャルの未来についてお話して、すっごく面白かった。

teledaに取り組む前提の前提として、「若い世代のNHK離れ」という悩みがあるのだそうだ。若者離れはテレビ共通の悩みなのだけど、NHKとしては、とくに大きな悩みなのだという。

例えば、若い人に「SONGS」について意見を聞いてみた。「SONGS」は音楽番組で、若い人に人気のアーティストもよくとりあげるので若い人も見てもらいやすいのではないか。ところが、若者の反応は、厳しいものだった。「息が詰まる」

音楽番組で息が詰まる、とはどういうことか?この番組の、例えばセットが”完璧すぎる”のだそうだ。民放の番組にはどこか”ゆるさ”がある。”スキ”みたいなもの。NHKには音楽番組でさえそれがない。”スキマ”がない。窮屈?緊張感?NHKにはそういったものがどうしても漂うのだろう。それが若者には逆に居心地の悪さにつながってしまう。

まあつまり、いわゆる”優等生っぽさ”なんだろうね。音楽番組でさえ、しゃっちょこばってる、みたいな。なんとなくわかるといえば、わかる。

この悩みはNHK特有のようであり、テレビ全体のことでもある気がする。テレビは完成されてはいけない、というか。まあ、この件はまたいずれ書こうかな。

若者との距離を縮めるひとつの方策がソーシャルかもしれない。そんな背景があってteledaははじまっている。

それからもうひとつ、NHK文研としては重要な気持ちがteledaには込められている。テレビ放送は民主主義に寄与すべきものである。そして、ソーシャルメディアを番組視聴に活用することで、民主主義を支える”議論の場”が提供できるのではないか。

技研にはなく、文研にはあったteledaへの大きなモチベーションがそこだ。ソーシャルによって”議論”が促される。小川さんは、そんな使命を背負ってシンポジウムの司会進行をしていたそうだ。

なるほどねー!

シンポジウムの中で”議論”という言葉が小川さんから発せられて、そこにパネラーの皆さんが突っ込んでいて話がぎくしゃくしていた。「ソーシャルメディアによって番組を題材にした議論が起こるのではないかと・・・」「議論?ソーシャルで議論が起こるんですか?議論ねえ・・・(鼻で笑う感じ)」

おそらくパネラー側は”議論”ではなく”コミュニケーション”とか言えば別に突っ込まなかっただろう。でも一方で、文研側には”議論”が大事なキーワードだった。それこそ”議論”することの難しさを象徴するような話だなあ。

実際、teledaではドキュメンタリー番組について議論と呼べるような内容の濃いやりとりが起こったそうだ。小川さんとしてはそこは強調しないといけない立場だった。

実際に、議論は起こるはずだし、ソーシャルがそれを誘引するのも起こりえるしソーシャルの重要な効果だとぼくは思う。

メディアはコミュニティであり、マスメディアとは”国家”というコミュニティを支える存在だったのではないだろうか。実際に、例えば明治時代の自由民権運動を当時の新聞は支えていた。新聞を題材にあちこちの街角で天下国家の議論がなされた。

テレビをソーシャルがむすぶと、街角に似た人の集まりがネット上に形成され、議論が起こるのは健全な姿だ。テレビの役割のひとつの部分をしっかり支えることになるのだ。

と、ここで援護射撃的な論を展開したにしても、シンポジウムが微妙な空気になってしまったことは覆しようがない。小川さんは、その話になるといろいろ無念な思いに包まれるらしい。「いや、そうは言っても、シンポジウムにはいろいろ反省があります」と、シュンとしちゃう小川さんが面白かった。シュンとしても暗くならず、見てるこっちは微笑んじゃうのは小川さんのナイスなキャラによるのだと思う。

teledaでソーシャルとテレビの先を見たくなった小川さんはこんな野望も語ってくれた。「teledaのような仕組みを、世界に日本のコンテンツをアピールする窓口にできたらと思うんですよ!」熱い!熱いぜ、小川さん!

でも確かに、想像すると面白い。日本のテレビ番組を視聴できるプラットフォームがあり、ソーシャルな仕組みが載っていて、そしてもちろん自動翻訳で言語を超えてコミュニケーションできる。そうしたら、世界中の人びとと、同じ番組を視聴し、”議論”しあうかもしれない。そんなことが普通になったら、なんて楽しいことだろう。

それは、”地球”というコミュニティを支える議論の場になるのだ。素敵じゃん、小川さん!

それにしても、ソーシャルテレビについて書いたり喋ったりイベントに行ったりしては、いろんな人と出会っている。みんな、熱い!そこに何かの未来を見ようとしている。その上、目先の利益とか考えていない!

また明日は、どんな人と、出会っちゃうかなー・・・

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