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コピーライター→映像製作会社ロボット→広告代理店ビデオプロモーション→再びコピーライター(フリーランス)。 メディアとコンテンツの未来を切り拓くコミュニケーションをデザインします。講演・執筆依頼もお気軽に!

スマートテレビ研究会、いったん終了・・・で、スマートテレビって?

去年の秋から、スマートテレビ研究会に参加してきた。慶応大学のメディアデザイン研究科の中村伊知哉教授が座長となり、大学院の皆さんが運営してきた。多様な事業者から参加者が集まり、月一回の会合が催されてきた。野村総研の山崎秀夫さんや情報通信研究所の志村一隆さんがオブザーバーとして名を連ねておられ、その中にぼくも加えていただいたのだった。

毎回、何らかの発表があって、ある回では放送局の取り組みが、別の回ではキャリア系映像サービスの取り組みが、またある回ではスマートテレビ上での広告のイメージが語られた。自分一人では得難い知識や知見が得られて大変勉強になった。

その研究会も先日の会合で最終回となり、いったん活動が終了に向かう。3月にはシンポジウムが企画中なので、いままとめられつつあるレポートとともに、世間に成果を公開することになる。シンポジウムが確定したらここでも皆さんにお伝えするのでぜひ見てほしい。

さてこの半年、会合を重ねてスマートテレビがだんだんわかってきた。何がわかったかというと、まだまだわからない、ということがわかったのだった。

容易に想像できるし、すでにはじまっているのはVODサービスだ。放送と、自分で録画した番組を見るだけだったテレビで、多様な番組や映画が視聴できるようになる。

はじまっているとは言え、まだまだ見えない部分がいっぱいある。個別課金か定額制か。操作性とインターフェイスの問題。どのプラットフォームが優位に立つのか。日本独自のプラットフォームは伸びるのか。電通仕切りの”もっとTV”とやらはどうなるのか。

でもVODはスマートテレビのサービスの一部にすぎないはずだ。概念上でのスマートテレビとは、iPhoneやiPadがテレビ受像機に乗っかったようなもので、映像に限らず多様なサービスがアプリを通して使えるようになるはず。

例えば天気予報や株価情報が、ワンクリックで見られるようになる。あとは・・・そうだな、グルメ情報とか?交通情報とか乗り換え案内みたいなもの?

そういう、生活に必要な情報を引き出せるコンシェルジェ的なサービスの集合体がスマートテレビ・・・のはず、なんだけど、どうも具体的にイメージしづらい。それに、iPhoneでできることはiPhoneでやればいいんじゃないの?・・・

うーん、どうもイマイチくっきりしてこないねえ・・・

それから、スマートテレビが進むと、これまでのテレビが”なくなる”わけではない。ここにも注意が必要だ。テレビ放送は、スマートテレビの多様なサービスのひとつになる。けれども、いちばん使われるものでもあるだろう。

人間は、自分が何をやりたいかを自分で考え続けるほど、能動的ではないからだ。むしろ、自分がいま何を得ればいいか、何を視聴すればいいか、誰かに決めてほしいのだ。だって自宅のリビングルームでは仕事してるわけじゃないんだから。基本的には、仕事が終わって帰宅してから、あるいは休日の”どうでもいい時間”をのんびりリラックスして過ごしたいのだからね。

“放送”がまったくなくなりはしないだろう。重要な一部、として一定の領域は放送が占めるのだと思う。

えーっと、もう少し整理していこう。次回以降でね・・・

テレビについて語る人びと〜あやとりブログについて〜

Twitterなどで自分で告知したのでもうわかったよ、って人も多いと思うけど、“あやとりブログ”にはじめて原稿を書いて掲載していただいた。「テレビもソーシャルもライブメディアだ」と、かなり強引な論を語ったのだけど、ここではその内容は置いといて、この”あやとりブログ”について書こうと思う。

1月に”調査情報”という業界誌に原稿を載せていただいたことは前に書いた。この時は編集長の市川さんにお声がけいただいたのだった。

この依頼をいただくのと同じタイミングでTBSメディア総研の代表、氏家さんとFacebookでお友達になった。そして調査情報はTBSメディア総研が発行している雑誌だった。氏家さんは市川さんがぼくに原稿依頼したのは知らなかったそうなので、たまたま同じタイミングで調査情報とTBSメディア総研と出会ったわけだ。

氏家さんは”あやとりブログ”の主宰者だ。このブログは前々からぼくも読んでいた。志村一隆さんが時折原稿を書いてらして知ったのだ。ネット上ではっきりと、テレビを中心にしたメディア論を議論している唯一の場かもしれない。

書き手として錚々たる皆さんが名を連ねていて、そこにこの度ぼくも加えていただいて、光栄やら恥ずかしいやら。

と思ってたら、ぼくの次に、西正さんも参加されて原稿が掲載された。

ロボットにいた2006年ごろからぼくはかなり力を入れてテレビに関するメディア論を探し回ったのだけど、意外に数が少なく、いちばんよく読んだのが西さんの本だった。出版されているものはほぼすべて読んだんじゃないかな。テレビメディアに関する基礎知識はほとんど西さんの本から得たと思う。アメリカのテレビ業界の話、70年代から急速にCATVが伸びたことやシンジケーションについても最初に知ったのは西さんの本を通じてだった。

そんな西さんと同じ場に原稿を書くことになるとは。当時のぼくに教えてあげたいね。

『テレビは生き残れるのか』を出版して、そんなに売れたわけではないのだけど、何がよかったかっていろんな方と知りあったことだ。多様な場にいる様々な方々から声をかけていただいたり、何かの場で「読みましたよ」と言っていただいたり。テレビの未来を考えたり実際に具体化したりしている人びとがだんだんくっきり見えてきた。

面白いなと思うのが、そういう人びとは利害関係を超えて共感しあい、連携したくなることだ。競合関係にある会社の人同士でも、テレビの未来を見いだそうとする気持ちは、惹きつけあうもののようだ。そこには、とくにレガシー系の会社の中では理解されにくいから、というのもあるだろう。社内や上層部の反対を乗り切らないと未来は切り開きにくいのだ。

そういう”変えたい人びと”の渦の中に巻き込まれ、いろんな人と出会っていくのは、ドキドキして面白い。そして本を書いたことや、いま大きな会社にいるわけではないことで、ニュートラルな立場で振る舞えるので、なんとなく誰とでも話しやすい。それはとっても楽しいことだ。

このままぼくは、ニュートラルな泳法で、多様な人びとの間を泳ぎ回ってみようと思う。なかなか得難い経験をいま、しているんじゃないかな。

Bar境塾3月1日開催!今度は「視聴率とソーシャルはどう関係するのか?」

Bar境塾と称して、ほぼ飲み会の催しを過去に2回開催してきた。

1回目は「ソーシャルテレビをアプリで語る」。テレBingとtuneTVの開発者の方々に、開発のポイントなどを語ってもらった。

2回目は「TVアプス最前線」。tuneTVの中山さんが海外のTVアプリを調べた成果を発表し、テレビ局のお二方にコメンテイターとして参加してもらった。これも、レベルの高い興味深い内容になった。

そしてこの度、3月1日にまた開催することにした。今回のテーマは、”視聴率とソーシャル”。面白そうでしょ?

日本の”二大ソーシャルテレビアプリ”であるtuneTVと、みるぞう。テレビを見ながらTwitterを使う時にサポートしてくれるユニークなアプリだ。それぞれの開発・運営に携わっている中山理香さん(tuneTV)そして伊與田孝志さんと森健治さん(みるぞう)に参加してもらい、深田航志さん(ビデオリサーチインタラクティブ)にフォローしてもらいつつ、進めていく。

あらかじめ、tuneTVとみるぞう、それぞれのTweetデータと視聴率データを突き合わせておき、そこから透けて見える傾向などを発表してもらうというもの。ソーシャルテレビの最新事情が語られることになるだろう。なかなか重厚な内容になるのかも。


重厚と言いつつ、過去2回と同じく今回も、渋谷にあるVOYAGE GROUP社の受付にある超オシャレなBar空間”AJITO”をお借りして開催。会費500円でビールをぐびぐび飲みながら楽しんでもらえる。これも前回同様、19時に開場してビールで気持ちをゆるくしてもらい20時にイベント開始。早めに来てもらえれば、いろんな方と知りあってもらうことにもなると思う。

Bar境塾には実に様々な皆さんが来てくれて、ぼく自身交流が広がった。テレビ局の方、アプリ開発の方のみならず、多様なクリエイターの方、出版や映像関係の方、ベンチャー系の方など多種多様。そういうところも実に面白い催しになっていると思う。

参加希望の方は、ここをクリックしてATNDというイベント開催ツールから申し込んでください。Twitterなどでログインできる便利なツールだ。いつも当日来れなくなる方もいるので、今回は少し多めの定員枠にしてみている。

というわけで、また皆さん、お会いしましょう!もちろん、この機に境に会ってみたいって方もどんどん来てね!

「家政婦のミタ」40%はテレビドラマ最後のメガヒットかもしれない

このところ、日本映画製作者連盟が1月末に発表した2011年の”映画産業統計”をもとに、映画界の今後について語ってきた。2000年代の映画興行がいかにハリーポッターなどの”メガヒット”に支えられてきたか、そしてメガヒットが興行を牽引する時代が終わるのではないか、と書いた。2000億円の映画興行市場は1800億円水準にがくんと下がり、今後は少しずつ下がっていくだろうと思う。

似た傾向は、テレビドラマの世界でも起こるだろうと思っている。今日はそういう話だ。

2011年はテレビドラマが豊かな年だった。4月クールでは鳴り物入りで「JIN-仁」の2作目が放送され内容的にも視聴率的にも高い評価を獲得する中、ダークホースとして「マルモのおきて」が後半からぐんぐん人気となり、最終回では23.9%にまでなった。一大ムーブメントだ。日曜9時に2つのドラマが同時に話題になるなんてなかなかないことだし、素晴らしいことだ。

そして何と言っても、10月クールで「家政婦のミタ」がまさに台風の目となり、大きな話題となった。最終回は40.0%を獲得し、記録的な大ヒットドラマとなり、日本テレビに年間視聴率三冠王をもたらした立役者だと言われる。

ぼくも初回からずっと見てきた。松嶋菜々子演じる”ミタさん”のびっくりするような言動が毎回楽しみだった。人気を博したのもよくわかるし、40%とってもおかしくない面白さだったと思う。

うん、40%とってもおかしくないよね。・・・40%ね・・・ん?・・・ちょと待てよ、40%?・・・そりゃーいくらなんでもおかしくないかあ???!!!

おかしいと思う。いかに話題になったとしても、ドラマが40%とるなんて!

40%とは、世界への出場権がかかったサッカーの試合とか、紅白歌合戦とか、”国民をあげて観るべき番組”じゃないととれない数字だ。ドラマで言うと”テレビ全盛期”に「積み木くずし」とか「熱中時代」とか、そういう”一時代を築いた”的な作品が40%をとっている。そういうものと並ぶ視聴率になった理由は、論理的に説明しにくい。

「積み木くずし」「熱中時代」より「ミタ」の方が劣ると言いたいわけではない。でもあそこまで歴史に残る何かがあるだろうか。

「家政婦のミタ」は、映画興行におけるハリーポッターや踊る大捜査線なのではないだろうか。何かそう言う、時代の歯車がたまたまうまーく噛みあってある方向に一気に加速したような現象だったのではないか。そしてそれは、時代の最後のアクセルふかしのようなことだったのではないだろうか。もうこのあとは、アクセルを踏んでも手応えなく、ふにゃ〜んとしてしまうんじゃないか。

「ミタ」の40%は、ある意味テレビ制作者たちを勇気づけただろう。なんだ、いいものをつくれば観てくれるじゃないか。テレビ離れはおれたちの努力でなんとかできるぞ!

だが一方で、こんな言われ方もした。「いいものをつくれば視聴率はとれるんだと”ミタ”は証明してくれた。テレビ制作者たちは、頑張ればまた40%とれるのだから、ちゃんと頑張れ」・・・こういう捉えられ方は怖いと思う。”ミタ”の40%はドラマとしていいから取れた、それだけではないのだから。時代がふかせた風がびゅーんと視聴率を信じられないほど押し上げたのだろうから。

「ミタって面白いんだって」「えーそんなに面白いなら最終回ぐらい見てみようかなあ」「なんか日テレ三冠王もかかってるんでしょ?」「へー!それなら見ておいた方がいいかもね」そういう”ミトカナイト”旋風(あれ?ちがう局のキャンペーンワードだ(^_^ゞ)が巻き起こった結果だろう。これは誰も計算できない。

去年、もうひとつ印象に残ったドラマに「それでも、生きていく」がある。テレビドラマが切り込んでこなかった被害者家族、加害者家族を題材に、ていねいに優しく描いたものだった。テレビドラマもこんな世界を描けるんだと感心し、毎回涙した。この2012年1月クールでは「最後から二番目の恋」が出色の出来だと思う。中年の恋愛を楽しくかわいらしく描いている。「運命の人」も素晴らしい。ハードな題材に正面から取り組んで、毎回見る側にも力が入る力作だ。

でもこの三作とも視聴率では苦戦している。

この三作を、「家政婦のミタ」と比べて劣るとは思えない。むしろ、”クオリティ”としてはこの三作の方が上回っているとさえ思う。でも”視聴率”というモノサシでは、ミタの圧勝なのだ。

“ミトカナイト”旋風は今後、この規模では起こらないと思う。だからと言って、テレビドラマが衰退していくと言いたいわけではない。

むしろ、小さな規模での”ミトカナイト”旋風は今後は起こせるのではないか。

上に挙げた三作のような”良作”と呼べるドラマを今後も制作できるような、ビジネスモデルと、プロモーション手法と、番組の指標が必要になっているのだと思う。

うーんと、このあたり、かなり大事なことに切り込もうとしている気がするんだけど、今日はここまででーす。

ところで、3月1日にまた境塾をやる、かもしれないので、このブログやぼくのtwitterを気にしておいてね。突然、発表するかもよん。

たぶん、もう”メガヒット”は出ないんだと思う〜2011年映画産業統計を見て〜

前回の記事で話がそれちゃったけど、もともとは1月末に日本映画製作者連盟から発表された2011年の映画産業統計から思うところを書いてきたんだった。そして前々回は90年代から邦画と洋画の興行収入トップ作品を書き並べて見えてくることを書こうとした。書こうとして、作品を書き並べた段階で眠くなって中身を書いてなかったんだよね。というわけで、今回はその続きから。

でもわかりにくいので、もう一度その”書き並べた”ものを見てみよう。

       邦画        洋画
1990年 天と地と(101億) バックトゥザフューチャー3(110億)
1991年 おもいでぽろぽろ(37億) ターミネーター2(115億)
1992年 紅の豚(56億) フック(46億)
1993年 ゴジラ対モスラ(44億)ジュラシックパーク(166億)
1994年 平成狸合戦ぽんぽこ(52億) クリフハンガー(80億)
1995年 耳をすませば(37億) ダイハード3(96億)
1996年 ゴジラ対デストロイヤ(40億) ミッションインポシブル(72億)
1997年 もののけ姫(226億) インディペンデンスデイ(133億)
1998年 踊る大捜査線(100億) タイタニック(320億)
1999年 ポケモン(70億) アルマゲドン(167億)
2000年 ポケモン(48億) M:I−2(97億)
2001年 千と千尋の神隠し(304億) A.I.(97億)
2002年 猫の恩返し(64億) ハリーポッター(203億)
2003年 踊る大捜査線2(173億) ハリーポッター(173億)
2004年 ハウルの動く城(200億) ラストサムライ(137億)
2005年 ハウルの動く城(196億) ハリーポッター(115億)
2006年 ゲド戦記(76億) ハリーポッター(110億)
2007年 HERO(81億) パイレーツ・オブ・カリビアン3(109億)
2008年 崖の上のポニョ(155億) インディジョーンズ(57億)
2009年 ROOKIES-卒業- (85億) ハリーポッター(80億)
2010年 借りぐらしのアリエッティ(92億)アバター(156億)
2011年 コクリコ坂から(44億) ハリーポッター(96億)
※ハウルの動く城は11月公開のため二年にまたがっている。ちなみに2004年のハウルの次は「世界の中心で愛を叫ぶ」(いわゆるセカチュー)

まずはっきりわかるのは、90年代半ばがいかに危機的状況だったか。邦画だけでなく洋画も大きく稼げず、このままでは日本の映画産業がひたすら衰退していくんじゃないかと不安だった。この頃は、映画のポスター製作をコピーライターとしてやっていたので、すごくよく憶えている。

それが97年、「もののけ姫」のおそるべき大ヒットで救われ、翌98年の「踊る大捜査線」の信じられない大ヒットで勢いづいた。2001年には「千と千尋の神隠し」のわけわからないほどの大々ヒットでイケイケになり、2003年の「踊る大捜査線2」の宇宙がひっくり返る大々ヒットで有頂天になった。

そこから2000年代はずーっと、有頂天だった。有頂天にならなきゃ、例えば「ALWAYS 三丁目の夕日」のような作品に出資はできなかっただろう。いま思えば幸福な時代。

「ALWAYS」は最初の作品が登場後、運良くシリーズ作品になれた。でもそれ以外の作品は、時代のあだ花のように生まれてはウハウハと映画界を潤わせてぱーっと散っていった。そんな作品群が次々に咲くことができたのも、ハリーポッターや踊る大捜査線のようなメガヒットシリーズのおかげだ。メガヒットが映画関係者を安心させたから、他の作品も世の中に出てこれた。

でもなぜか、ハリーポッターはシリーズが終わってしまった。ジブリアニメはもう100億は超えられないだろう。そういう”牽引役”がもう退場しはじめた。

ずいぶん前にこのブログで「メディアの選択肢が増えるとデフレが起こる・カッコ仮説」という記事を書いた。ほぼ同じことは『テレビは生き残れるのか』にも書いた。たぶんこの”仮説”はあたっていると思う。

コンテンツがあらゆるメディアで湯水のように楽しめるようになると、メガヒットが出にくくなる、というのが仮説の要約で、これは音楽業界でいち早く起こった。90年代はメガヒット目白押しだったけど、配信で音楽は新旧合わせて洪水のように楽しめるようになった。ロングテールが足をどんどん伸ばすとともに、トップセールスの作品の頂点は下がっていく。メガヒットが出なくなるのだ。論理的に理由は言いがたいけど、感覚的にはわかるっしょ?

例えばいま、ぼくは映画をCATVの映画専門チャンネルで録画すればいろいろ観れる。もちろん地上波でも頻繁に放送する。CATVのVODサービスにも入っているし、AppleTVでは新旧多様な作品が400円とか500円とかで家にいながら視聴できる。その上、Huluでは溢れんばかりの作品群が見放題だ。HuluはPlayStation3経由で視聴できるので、リビングの液晶テレビでソファに寝転がりながら見ることができるのだ。

そんな中で映画館に出かけて観る理由がどんどん薄くなっている。3Dも正直飽きた。疲れる。よほど鳴り物入りじゃない限り人々は映画館に足を運ばなくなるのだろう。

日本の映画産業は、興行収入2000億円でやってきた。それはハリーポッターとジブリと踊る大捜査線的な作品たちのメガヒットのおかげだ。メガヒットがもう出ないなら、2000億円の水準は1800億円にぐいっと下がり、その後もじわじわと下降線を描くのだろう。そしてそれは不思議と、2兆円水準だったテレビ広告費がリーマンショックで1兆7000億円にぐいっと下がり、そこから下降線をたどりそうな状況と一致している。

メガヒットが出ない。そんな状況についてもう少し語っていきたい。というわけで、まだまだ続くよ・・・

そうそう、ところで今年に入って境塾の活動をまだやってなかったんだけど、3月にちょいと開催しようと思ってます。詳細は、もうじき発表できるんじゃないかな。まあ、お楽しみに!

メディアも局もクロスオーバー〜日本テレビT部長、フジテレビに登場!〜

去年、2011年の夏にぼくも出演させてもらった『新・週刊フジテレビ批評』。その後もぼくはこのブログで同番組は何度かとりあげてきた。宇野常寛氏が出演して「テレビはブースターだ」と言ったのなんかすごく印象的だったよ。

「フジテレビを批評する番組」なので、おのずからテレビ論が取り上げられることが多く、朝5時からという早い時間ながらぼくも目を離せない番組なのだけど、中でも今朝(2月4日)の放送は画期的だった。

まず数日前にこんなtweetが、フジテレビ批評のプロデューサー、福原さんのtwitter上で飛び出てきた。

な、な、な、なんですと!

日本テレビの土屋さん!・・・と言われてすぐにわからない人も、”電波少年のT部長”と言えば”ああ〜あ、あの人ね、タレントに過酷なミッション告げて去っていく謎の男でしょ”と思い出すだろう。日本テレビのバラエティ番組を開拓してきて”電波少年”の他にも「とんねるずの生でだらだらいかせて」(通称:生ダラ)などの人気番組を生み出してきた。

また、第二日本テレビと称してテレビ局としていち早くネット上での動画配信に取り組んできた。言ってみれば、新しい未開拓の場所があれば誰よりも先に飛び込んで掘り起こす、そういうテレビマンだ。テレビ界でもっともテレビとネットの境界を埋めてきた人物かもしれない。

その土屋さんがフジテレビの番組に出るとは!なんとエキサイティング!さらに、福原さんからこんなtweetも飛び出した。

ほほお!ニコ生にも土屋さんが登場するのか!『新・週刊フジテレビ批評』はこれまでにも何度か、地上波放送前にニコニコ動画生放送でネット放送をしてきている。それをこの、土屋さん出演の日にもやって、土屋さんをそちらにも登場させるということだ。面白すぎるじゃないか、ちくしょー!

これは生で観ないわけにはいかないぞ!と意気込んではみたものの、金曜夜は飲み会が予定されていた(しかもフジテレビの方々と指南役さんとの!)ので、仕方ない。ニコ生はタイムシフト予約をし(プレミアム会員だもんね!)、『新・週刊フジテレビ批評』は録画予約しておいた。

それを今朝、ひと通り視聴した。
これがニコ生での「フジテレビ批評批評」。福原さんも出演している。

フジテレビのアナウンサーお二人を挟んで、両金髪が・・・

ここには2つのクロスオーバーがあるわけだ。日本テレビとフジテレビとのクロスオーバー。そして、テレビとネットのクロスオーバー。

このクロスオーバーそのものに、おのずからメッセージが浮き出てくる。「テレビ局がどこがどうとか、そういうの、どうでもいいよね?」ということ。そして「テレビとネットどっちがいいとか悪いとか、そんなことでいがみあっても仕方ないよね?」ということ。そして実際、土屋さんの話も、そういうこととシンクロしていた。

テレビでも、ニコ生でも、テレビの斜陽に対して制作者はどう取り組むかという問いかけがなされ、それに対して土屋氏は一貫した答えをメッセージしつづけた。「面白いこと、やろうぜ!」そうだよな、それにつきるよな。

テレビを切り開いてきた土屋氏が、どうして第二日本テレビでネットに取り組んだのか。新しくて面白そうだったからだ。このところの制作費削減をどう対処すべきか。制限があるからこそ面白いことを考えればいい。

電波少年でどうして永田町や国会を”アポなし取材”したのか。予算がなかったから近いところに行った。遠くにロケに行けないけど、どうしたら面白い番組ができるだろう。政治の世界に突然行ったら面白いんじゃないか。そしてそれをホントにやっちゃう。きわどいところ、ぎりぎりのところに切り込み、切り崩すから、”面白い”が生まれるんだ。

いまテレビが大変だとか、予算が減ったとか、そんな中でも面白いことをめざして頑張れば、十数年後に振り返った時、あの頃は画期的な時代だった、と言われるのかもしれない。おそらくいままでも、電波少年がそうであったように、いろんな画期的な番組が、そんな逆境があってこそ生まれてきたのかもしれない。

そういう、制作者ならジーンと来ちゃう土屋さんのメッセージに満たされた2時間だった。

ただ、面白いなと思ったのが土屋さんが何度か”ビジネスモデル”という言葉を口にした点だ。面白いビジネスモデルを作る、とか、ビジネスモデルごと、とか、そんな言い方をしていた。つまり土屋さんの今の取り組みは、編成された番組枠に自分が企画したものを流す、ということを超えているんだろう。こんなことを、こんな仕組みにしたら、こういうスポンサーのつき方があるんじゃないか。というようなことを考えているにちがいない。

だから土屋さんが面白いことやればいい、と言っているのは、古き良きテレビマンが郷愁とともに語るのとはちがうんだと受けとめねばならない。ビジネスモデルごと面白いことやる、という受け止め方の方が正しいのだと思う。それくらいの俯瞰する力と大きな企画力こそが、いまテレビマンの問われていることなのではないかな。

地上波の放送が終わったあと、ニコ生の方の中継がもう一度”反省会”と称して放送された。その中で土屋さんが「終わってからフジテレビの偉い人から電話があって”あなたの言う通りだ、いいこと言った”って言われたよ。いい会社だねえ」と言っていた。よくわからないけど、フジテレビの上層部の人が番組を見て、土屋さんの「面白い番組つくるしかない」に感動したのだろう。

うん、そういう空気が、テレビ局の上の方にも行き渡っていくといいのかもねえ。

・・・ところで、映画産業統計についての話が、書きかけだったね。忘れてはいないからねー・・・

2000年代はメガヒットのシリーズ作で持ってた〜2011年映画産業統計を見て〜

先週発表された2011年の映画産業統計をもとに記事を書きはじめた。興行収入の大幅ダウンは震災の影響だけではなさそうだ。2010年の史上最高の興行収入(約2200億円)は逆に大きなターニングポイント、ひとつの絶頂だったのではなかろうか。

これからはじわじわと下り坂が続いていくのかもしれない。そんないやな予感がする。二回に分けてそんなことを書いてきた。

前回の記事の中で”2000年代はメガヒットのシリーズ作で興行が持ってた”と書いた。実際どうなのだろう?90年代から、邦画と洋画のランキングトップ作品の数字を見てみよう。ただし90年代までは配給収入、2000年代に入ると興行収入が発表されている。

興行収入は劇場入場料の合計額。そこから劇場側の取り分を差し引いて配給会社に入るお金が配給収入だ。ケースバイケースだが大ざっぱに言えば興行収入の半分が配給収入だ。

やや乱暴だが、90年代の作品は配給収入を倍にした金額にして書き並べよう。

       邦画        洋画
1990年 天と地と(101億) バックトゥザフューチャー3(110億)
1991年 おもいでぽろぽろ(37億) ターミネーター2(115億)
1992年 紅の豚(56億) フック(46億)
1993年 ゴジラ対モスラ(44億)ジュラシックパーク(166億)
1994年 平成狸合戦ぽんぽこ(52億) クリフハンガー(80億)
1995年 耳をすませば(37億) ダイハード3(96億)
1996年 ゴジラ対デストロイヤ(40億) ミッションインポシブル(72億)
1997年 もののけ姫(226億) インディペンデンスデイ(133億)
1998年 踊る大捜査線(100億) タイタニック(320億)
1999年 ポケモン(70億) アルマゲドン(167億)
2000年 ポケモン(48億) M:I−2(97億)
2001年 千と千尋の神隠し(304億) A.I.(97億)
2002年 猫の恩返し(64億) ハリーポッター(203億)
2003年 踊る大捜査線2(173億) ハリーポッター(173億)
2004年 ハウルの動く城(200億) ラストサムライ(137億)
2005年 ハウルの動く城(196億) ハリーポッター(115億)
2006年 ゲド戦記(76億) ハリーポッター(110億)
2007年 HERO(81億) パイレーツ・オブ・カリビアン3(109億)
2008年 崖の上のポニョ(155億) インディジョーンズ(57億)
2009年 ROOKIES-卒業- (85億) ハリーポッター(80億)
2010年 借りぐらしのアリエッティ(92億)アバター(156億)
2011年 コクリコ坂から(44億) ハリーポッター(96億)
※ハウルの動く城は11月公開のため二年にまたがっている。ちなみに2004年のハウルの次は「世界の中心で愛を叫ぶ」(いわゆるセカチュー)

これを見ると一目瞭然だろう。2000年代がいかにハリーポッターに覆い尽くされていたか。パイレーツ・オブ・カリビアンがトップに登場するのは一度だけだが、もちろん他の年でも同シリーズはメガヒットだ。そしてジブリ映画。それから「踊る大捜査線」だ。

興行収入の中でこういうシリーズ作品(ジブリ映画はシリーズではないけど)がいかに大きかったか。

つまりね・・・・うとうと・・・お、いかん、眠ってしまった。ここからいよいよ考えを書くところなのに、上のデータ抜き出しにえらく時間がかかってしまった。

というわけで、また次回ね・・・

劇場収入はじわじわ減りそう〜2011年の映画産業統計から考える〜

興行収入の単位は”億円”

さて前回の記事で書いたように、2011年の映画産業統計が発表された。数回に分けてその結果をいろいろと考えてみようと思う。

すでに書いた通り、日本の映画興行市場は2000億円前後だったのが、2010年にどんと10%増えて2200億円になった。ところが2011年は1800億円にどかんと下がった。その原因は、震災の影響とも言いきれない、というところが考えるべきテーマだ。

そこで、2010年と2011年の興行収入上位30作品を並べた表を作ってみた。日本映画製作者連盟が発表するのは邦画と洋画別々の表なので、一緒くたにしている。一昔前とちがい、いまのシネコンでは洋画も邦画も同じように上映されるので、一緒に並べた方が傾向が見えやすいのではと思ったのだ。

さてこうして2010年と2011年を並べてみるとよくわかることがある。上位作品の興行収入が2010年はケタ違いに高いのだ。

まず2010年の上から3つはともに3Dの洋画だ。どれも100億円を超えている。3D効果と言っていいだろう。言わば”鳴り物入り”で公開されたわけだ。

それから、邦画の上位に、ジブリ作品とは別に海猿・踊る大捜査線という”待望の3作目”が並んでいる。映画を送り出す側もようやく完成!ってことだし、観客の側も”キターーーッ”というムードだった。

つまり、2010年は3Dや人気シリーズ作など、ヒット作に、しかもある意味ヒットが見込める作品に恵まれた。恵まれまくったと言っていいだろう。

なるほどね、結局そういうことだね、コンテンツ次第だよね。そう、考えてみれば当たり前だ。

だったら、また今年や来年で、ヒット作がたくさん出てくれば、興行収入も持ち直すんじゃないの?2010年と2011年は上と下の極端な結果がたまたま並んじゃったんじゃないの?

そうかもしれない・・・いや、そうだろうか?・・・

例えば、海猿・踊るの”待望の”3作目と書いた。そして2011年だって、ハリーポッターやパイレーツ・オブ・カリビアンなど、ヒットシリーズが並んでいるんだ。

2000年代は、こういうメガヒットのシリーズ作で興行が持ってた気がする。そして、今後こういうヒットシリーズは生まれるんだろうか?

ヒットシリーズ自体は今後も生まれてくるだろう。だけど、もう”メガヒット”は出てこないんじゃないだろうか。そういう状況をすぎてしまった気がする。

メガヒットシリーズで華やかになっていた映画興行が、メガヒットを失うとどうなるか。じわじわ減っていくんだと思う。今年は、さすがに去年より少しマシになるとは思うけど、もうこれまでの2000億円前後、という水準は保てないんだと思う。

・・・どうも言ってることが感覚的なので、もう少し考えて整理していくから、ね。

震災の影響、だけではないみたい〜2011年の興行収入、前年比18%ダウン〜

2011年の映画興行に関するデータが発表された。

これは毎年この時期に、日本映画製作者連盟という団体が発表するものだ。このリンクから、最新の統計資料を見ることができる。

去年も同じ時期にこのブログで書いている。「2010年の映画界の統計資料が発表されたよ」というタイトルで書いたこの記事だ。”何らかのターニングポイントな気がする”と結んでいる。2011年の結果は、ある意味その通りだ。とは言えここまでの数字を予想できていたわけではないけど。

何しろ、東日本大震災があったからね。

この数字は、すでに11月にはある程度の見込みが出ていた。ブンちゃんの予測レポートをもとに、このブログでも記事にしている。

さて2011年の数字はどう捉えればいいのだろう。全体の興行収入が1811億円。内訳は、邦画が995億円、洋画が816億円。そこだけ見ても受け止め方がわからないよね。だから、上のグラフを見てみよう。

緑の折れ線、つまり興行収入全体がくいっと下に折れている。それに合わせて、青い折れ線(邦画)と赤い折れ線(洋画)もくいっと折れている。つまり、映画全体がくいっと下降してしまったのだ。

もうちょっと長期的な視点で見ると、緑の線は2001年からずっと大きな変動がなく2000億円を中心に小さく変化していただけだ。それが2010年にくいっと上に折れている。2000億円が2200億円にくいっと10%も水準が上がった。そしてそれが2011年には18%くいっと下がった。

せっかく前の年に水準が上がった気がしてたのに、去年は逆に水準が大きく下がってしまった。これがひとつ目の読み取りポイントだ。

もうひとつ、読み取りポイント。それは邦画と洋画の比率だ。

2001年から2005年の邦画と洋画の関係を見てみると、西高東低、いや洋高邦低。日本映画は外国映画つまりハリウッド映画にまったくかなわない、そんな感じだった。

それが2006年からグチャグチャっとしたあと、この数年は邦画の圧勝だった。それが2010年は差が縮まったのだけど、2011年は共倒れな感じだ。洋邦の差なんてどうだっていいじゃん、どっちも下がったじゃん。そんな感じ。

どうしてこんなにくいっと下がったかといえば、もちろん震災の影響だ。3.11以降、被災した三県では映画館が長期間開けなかったし、東日本全体で点検などで稼働できなかった映画館は多い。くいっと下がるのは当たり前だ。

だが、震災の影響だけでもないようだ。夏休みの書き入れ時も、クリスマスから正月にかけても、ずーっとくいっと下がっていた。今年は年中、2割減だったのだ。

何か大きく潮目が変わったのかもしれない。この15年間、映画界は、テレビの力で新たな局面を迎え、日本映画としての力を持つようになりやがて国内ではハリウッドより客を呼べるようになった。

そんな15年間が、終わったのだ。次の局面を迎えようとしているのだ。

それが何なのか、一度に整理がつかないので、数回に分けて書いていこうと思う。というわけで、また次回ね。

 

高度成長という祭りの社〜「ALWAYS 三丁目の夕日」におけるテレビ

前回の記事に続いて「ALWAYS 三丁目の夕日’64」をネタに書くよ。でも今回はテレビの話。

「ALWAYS 三丁目の夕日」のシリーズを観てきた人なら、この物語にとってテレビが重要だってわかってるよね。とくに第一作では鈴木オートにテレビがやって来たシーンがあった。商店街の仲間たちがテレビを見に鈴木家に集まってくる。この頃は、お茶の間どころか、ご近所で共有するのがテレビの視聴スタイルだったのかな。生のソーシャルテレビ、ってとこだね。

これが今回の三作目では進んだ状況になっている。貧乏作家たる茶川家にも、64年になってようやくテレビがやって来る。でも白黒テレビだ。ところが、その白黒テレビを運んできた電気屋のトラックが、鈴木家にはカラーテレビを運び込むのだ。「もう主人ったら新しもの好きで」と近所に言い訳しながらうれしそうな薬師丸さん演じる奥さんが可笑しかった。

そしてこの1964年は東京オリンピックの年だ。これを、またもや商店街のみんなが鈴木家のカラーテレビに集まってきて応援するのだ。ブラウン管の中でブルーインパルスが五輪を空に描くのを観てみんなで盛り上がる。その時、外に出て空を見上げると、ブラウン管と同じ五輪がいままさに描かれていた。それを見て商店街中で空に向かって歓声を上げるのを上から見つめるシーン。素晴らしいシーンだし、この時代を象徴しているなと思った。

少し前の記事で、1969年に書かれたテレビ論の書籍『お前はただの現在にすぎない』について書いた。テレビとは何かをこれほど言ってのけた言葉もないだろう。

そしてブラウン管の中の”空の五輪”を、実際の空を見上げて発見するこのシーンは、まさしく「お前は現在にすぎない」ことの象徴だと思った。ただし”すぎない”ではなく「お前はなんと素晴らしい現在だ!」ってことだけど。

そしてテレビの役割が、これほど端的に理解できるシーンもないと思う。テレビは”日本”という共同体の気持ちをひとつところに集める壮大な装置なのだ。”日本”という人間集団にとっていま現在、何がいちばん大事で、見つめるべきもっとも大事な出来事が何かを指し示す、それがテレビジョンなのだ。

「おれたちあれを見たよな!」「私たちその瞬間を見たわよね!」と互いに確認しあうことで、「ぼくたちは日本というひとまとまりの共同体の”仲間”だよね」と認めあうことができる。こうして明治以来の新しい日本の建設が達成されたのだ。

だからいま、バブル後の失われた二十年が過ぎたタイミングで東日本大震災が起こり、さらには世界で”先進国”が経済的にダメになりつつあることと、マスメディアが斜陽なムードになり新たなメディア論が語られていることは、必然なのだろう。高度成長がとうに終わった2010年代には、1億3千万人が「ぼくたち”仲間”だよね」と能天気に確かめあうのは間が抜けすぎているだろう。

それよりも「集まるべき人同士で集まろうぜ」というツールであるソーシャルメディアが必要なのだと思う。それが先にある上で、そこにマスメディアがどう役割づけされるかがポイントなのだ。決して「はい、マスメディアは全部いらなくなりました!」ってことではなく、むしろ、ソーシャルの力を引き出す牽引役であり増幅するブースターとして、今までとは別の必要性が出てきている。

一平はその後、鈴木オートを大きくしたのだろうか。淳之介は育ての親を超えて芥川賞を受賞したのだろうか。おそらく両方ともそうなったのだと思う。団塊の世代は結局、成功し続けてきたから。でも彼らの子供たちはこの2012年、団塊ジュニアとして30代半ばになっている。父親達が無垢な心で日本の繁栄を謳い上げたのとはちがい、ジレンマだらけのニッポンを背負って夜中にこっそり集まって、それでもこの国の未来を考えはじめている。

テレビはもはや高度成長の祝祭の社ではない。そんな楽しいものではなく、自分たちが夜中にソーシャルメディアで語り合っている秘かな議論の増幅装置なのだ。増幅しても”日本中”という巻き込み方はできずにいるのだけど。

テレビに求められることは、これから複雑だなあ。でも、役割はあるよ。むしろ、ある。すごく、ある。

テレビと映画と広告の融合、ってことかな?〜「ALWAYS 三丁目の夕日」〜

「ALWAYS 三丁目の夕日’64」が週末から公開されたね。ALWAYSシリーズの三作目だ。元ロボットの人間としてはさっそく観なきゃ、ってことで、21日の初日に観たよ。その感想文的な文章はFacebookノートに書き留めたので、それはそれで読んでみて。でもここでは、映画そのものとは別のことを書くよ。

シリーズ作品の公開時の恒例として、前作がテレビ放映される。今回も、日本テレビ金曜ロードショーで二作目の「続・ALWAYS 三丁目の夕日」が放送されたね。

その放送で、へーと思ったことがある。映画とタイアップしたCMが流れたことだ。映画のシーンを切り取って使用し、昭和の良さにうまく重ね合わせてそれぞれの企業のメッセージに昇華させている。なかなかうまいこと言うねえ、というCMがいくつか流れた。

そんなの前もあったでしょ?うん、そうだね。ALWAYSは一作目がヒットしたので二作目ではいくつもの企業がタイアップしていた。これは当時ロボットにいたのでよく覚えている。ALWAYSの場合、テーマが共感しやすいしとにかくヒット作なので、タイアップがつきやすいのだ。ハウス食品のカレーなんてこの映画のコンセプトとぴったしだしね。

ただ、今回のタイアップはちょっと手が込んでいた。とくにマイクロソフトのCMは映画とかなりがっぷり組んでいた感じだ。同社はいま「かぞくがいちばん」というキャンペーンを展開しているから、まさにこの映画のテーマとどんぴしゃり合致する。

金曜ロードショーの中で、映画のシーンを使うだけではなく、山崎貴監督のインタビューをこってり撮ったタイアップCMが流れた。尺も長くて1分ぐらいあったんじゃないかな。昭和の頃の家族の絆がいままた求められていて、それが最新のテクノロジーを駆使する形になっている、というような内容だった。

さて金曜日に放送を見た翌日、ぼくは映画館で三作目を見たわけなんだけど、本編上映前のCMタイムで、またマイクロソフトのCMが今度は映画館で流れた。それはまた別のバージョンで、「1964・2012」というテーマで、2つの時代の家族のつながりの姿をダンカン主演で見せるものだった。なかなかよくできている。

同じ映像はマイクロソフトのキャンペーンサイトでも見ることができるので、ここをクリックしてみてね。

二作目のテレビ放映と三作目の映画館での上映。そこにからめてのマイクロソフトのタイアップCMを見ていくと、ちょっと新しい広告の見せ方になっているなあと思った。両方にからんでいることで、映画全体が大きなブランデッドエンタテイメントになったような受け止め方になるのだ。これは面白いぞ。

もちろんALWAYSはマイクロソフトのために企画されたわけではまったくないのだけど、たまたま「かぞく」をメッセージするという、映画とわかりやすい接点を持っているため、非常に相性がぴったしカンカンになっている。そこでマイクロソフトがたまたますごくトクしたね、ってことなんだけど、見え方としてとにかく面白い。

テレビと映画がひとつながりになって、広告との境目もなんだかもやあーっとして、不思議な受け止め方になった。ALWAYSだから成立したことではあるけれど、コンテンツと広告の関係のひとつのヒントになってる気がするんだ。

コンテンツと内容的に関係あろうがなかろうが、とにかく人がたくさん見に来るから広告をくっつけて見せちゃうんだ、というのが広告のやり方。でもそれより、コンテンツと広告の内容が強くシンクロしてた方が印象に残るんじゃない?境目が曖昧になって広告の側にとってはいいんじゃない?そんな考え方を具体的にプレゼンテーションしてもらったような感覚だ。

この映画と企業メッセージの組み合わせが良くてたまたま成立した・・・うん、そうなんだけど、これはうまいこと積極的に構築もできやしないかな?そんな気もしたんだよね。

・・・うーんと、実際にはどうすればいいのかな?ちょっと考えてみたいところだなあ・・・

”現在”に向き合い続ける昭和の教養人(毒舌に注意)〜書籍「宇宙の中心は勇気だ」〜

干場さんと知りあったのはいつだったか。つい最近の気がしていたのだけど、ほぼ2年前のこのブログ記事に登場している。iPhoneを買おうかと考えはじめていたぼくの前に、そのiPhoneを手に登場したのだ。ぼくより二回りほど年上の(つまりずいぶん年配ってことだ)その人が、平気でiPhoneを手にしていたので、もはやぼくには買わない理由がなくなった。

電通の友人が紹介してくれたのだった。やはり電通のクリエイティブで仕事をしてこられ、電通アメリカの社長も経験されている。いやその前に、70年代にアメリカ留学してMBAを取得している。

70年代のMBAって、きっといまほど認知度もなかったんじゃないかな。しかもそれを、広告制作の仕事をしている人間が。ものすごく珍しい、いやおそらく日本初の出来事だったのではないかな。

つまり干場さんはそれくらい学があるというか、教養人だ。広告制作界では今の世代でもなかなかいないんじゃないか。

そんな干場さんが本を出版した。「宇宙の中心は勇気だ」というタイトル。同じ題名でブログを書いておられるのは知ってるかな?もっとも、ブログの方は「宇宙の中心は勇気だ」part2、という表記になっている。このタイトルの由来などは、本を読んでもらえばわかる。

教養人・干場英男がブログを本にまとめた。ブログもけっこう読みでがあるのだけど、やはりこうして書籍の形になると、なんというか、”かたまり”になる。干場さんの”教養”がぎゅっと押し固められて凝縮されて机の上に転がっている。この濃度は、ちょっと濃いぞ、比重がすごく高そうだぞ。

干場さんを教養人だというのは、何かそれこそ、広大な宇宙のように知識や語彙が果てしなく広がり続いている、そんなイメージを、干場さんの文章を読むと感じるのだ。

書籍の文章から少しとり出してみよう。

曰く・・・
とても真似のできない新しい日本語のクリエイトに、横っ面にビンタで左頬が腫れ上がった。

曰く・・・
アインシュタイン物理学とか量子力学なども、ずんずん哲学の中に行軍していくのもわかるような気がする。

はたまた曰く・・・
ここにもファイがいう<時間>が飛車筋なのか角筋なのかで効いているのかなって思う。

ここでぼくが何をとり出しているかというと、豊富な語彙を操って繰り出す比喩的な表現だ。面白いのだ、それが。しかも、どうやらすっと出てくるようだ。同じようにユニークな比喩的表現、独特の言い回しがFacebookのちょっとしたコメントにも出てくるのだ。うん、おそらく”すっと”出てくるんだろう。

干場さんの”広大な宇宙”はさらに、取り扱うモチーフや過去の経験の縦横無尽さにもつながってくる。カリフォルニアやパリなどでの体験や向こうでの友人の話が出てくるし、ミュージシャンや作家など多様なアーティストが登場する。

何かの機会に話してくれたことがあった。学生時代に60年安保闘争に参加し、その興奮を持ったまま電通に入社したのだそうだ。ぼくは62年生まれで、20代の若者時代は80年代のバブルと重なっていた。でも干場さんはその20年前、高度成長期に20代をすごしたのだ。

彼の宇宙には”戦後”のほとんどの時代が入っている。その上に、平成もぼくなんかと同じ程度の厚みで入っているのだ。ネットにも早くからアクセスしていたようだし、何と言ってもぼくがiPhoneを買うきっかけになるくらい、そういうデジタル機器に手を出す。ツイッターが盛り上がればツイッターをやるし、どうも今はFacebookだとなればすぐにFacebookに入ってみる。

好奇心旺盛?そうだけど、そうでもない。”好奇心”というレベルよりずっと自然感覚で、変に意気込みもなく最新ツールを使っている。

干場さんは、常に”現在”に向き合わずにいられないんだなあと思う。”現在”にアクセスし続け、どんどん更新していっている。それを60年安保の頃からずーーっっと続けているんだろう。70年安保も80年代のバブルも90年代の失われた十年も、次々にアクセスし続けて今に至っている。だから当然iPhoneだって使うんだよ。そんな感じなんだろう。

ほんものの”教養人”とは、そういうものなんだろうと思う。アクセクして最新情報を必死こいてたぐり寄せ続ける貧しい感じではなく、大した苦労もなく、自然に情報が入ってくるのだろう。そしてそれをひけらかしもしない。ん?だってこれはみんな知ってるんでしょ?てな感じ。

教養人だと強調してしまったけど、そこだけ見て読むとちょっと苦い思いをするかもしれない。美味しいんだ、そうなんだと料理に手を出したら、なんだこれ、苦味もいっぱいじゃん!となるだろう。何しろ干場さんのもうひとつというか、最大のというか、特徴は毒舌!ビートたけしも目じゃない毒の強さに、うかつに手を出すとやられちゃうのでご注意を。まあ、そういうところも”現在”にアクセスし続ける感じで、年配の方なりの落ち着きなんて微塵もないのだわ。

「宇宙の中心は勇気だ」はただいま絶賛発売中!ここをクリックすればアマゾンの街頭ページに飛びます。アマゾンだけで売る方針らしいので、即リンクへ飛ぼうぜ!んで、よくわかんないんだけど、”在庫切れ”表示は気にせず、ポチッとすればいいらしいよ。