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コピーライター→映像製作会社ロボット→広告代理店ビデオプロモーション→再びコピーライター(フリーランス)。 メディアとコンテンツの未来を切り拓くコミュニケーションをデザインします。講演・執筆依頼もお気軽に!

CEATECから(1)スマートテレビではREGZAをおさえとこう!

今週は、幕張でCEATECをやっている。そう言えば、去年のこのブログでも「GALAPAGOSには期待しちゃう」という記事を書いた。実際、去年のSHARPの展示にはコーフンしたんだよねー。でも、皆さんご存知の通り、GALAPAGOSは・・・(‘_;)

それにもめげず、今年も張り切って幕張に行った。今回は”出演”もあったのだ。ISDB-Tマルチメディアフォーラム主催のパネルディスカッションに呼んでいただいたのだ。

というか、ようするにmmbiのデモンストレーション的な催しなのね。

mmbiって何?えーっと、これ説明すると長くなるので、別の機会にじっくり書きます。なんだい知りたいよ、って人は、自分でググってみて。アナログ停波後にあいた電波でドコモの出資した新会社が新しいサービスを始める。蓄積型放送サービスという、新業態らしい。ここではそれくらいにしましょ。

そのパネルディスカッションのために幕張まで行ったのだけど、せっかくだし、いろいろ回った。で、なーんか去年と違う気がした。

そもそも、展示のスケールダウンを感じた。去年はところせましと各ブースが張り切って並んでいて、歩くのが大変だった。今年は、実にスムーズに移動できた。ブースも減ったし、来場者も減ったんじゃないかな。

そして、テレビの展示が減ったと思う。

CEATECは総合エレクトロニクス展示会だから実に多様な事業者が多様な製品やサービスを展示している。でもそんな中、”やっぱりメインはテレビだよね”という空気があったと思う。トリというか、締めというか、花形というか、が、テレビだった。

でも今年は違う。テレビの面積というか割合というか、少なくなった。あ、もちろんテレビもやってますけどね、でもこれまでほどのスターでもないんですね、すみません。そんな感じだった。

いろいろ見ていく中で、東芝のREGZAのブースに行った。おやー?なんだか面白そうだな、スマートテレビと関連アプリ?えーっと誰か説明してくれるかなー・・・と、見回したら、片岡さんがいらっしゃった。

片岡さんは、東芝のスマートテレビ関係の開発の中心人物で、その関連のセミナーなどによく登壇される。そしてこないだ、慶応大学メディアデザイン研究科主催の”スマートテレビ研究会”の会合があって、なぜかぼくも呼ばれ、片岡さんは当然参加しておられた。

大勢の会合でご挨拶できなかったのだけど、つかつかと寄ってきてくださって、説明をしていただけた。片岡さんは相当な立場だと思うのだけど、”説明員”の札をつけてひとりのスタッフとしてブースにいる。うーん、”そういう”方なんだろうなあ。

さすがにREGZAはテレビ、ブルーレイレコーダー、そしてタブレットとアプリ、それらが細かに連携してユニークなサービスを提供している。スマートテレビの中でもいちばん進んでいると言えるかもしれない。

いろいろ見た中でいちばん驚いたと言うか、新体験な気分を感じたのが、タブレットとブルーレイレコーダーの連携プレイ。

テレビ放送を、ブルーレイレコーダーのチューナー経由で、タブレット上で視聴できるのだ。・・・え?タブレットでテレビが見れるのね?・・・それが何か?・・・と、言葉で説明されるとそんな”大したこと”な感じがしないだろう。

でもね、百聞は一見に如かず。実際にタブレット上でテレビ放送を見る、というのは、新鮮で不思議な感覚になるんだ。盲点というか、意外や意外!

そして、ぼくはそこにこそ、”放送と通信の融合”の真の姿があるのでは、と思ったの。タブレット上で放送を視聴し、何か気になったりしたら、ネットにパッと切り替えてWEBブラウズしたりね。これは、発展するとテレビから直接ECサイトに、という流れもできちゃうのだろう。

・・・あ、まだピンと来ないね?そうだよね、わかりにくいよね。・・・そっか、写真でも撮っておけばよかったんだよね。・・・うん、よし!CEATECにはもう一度行く予定だから、写真撮ってこよう、うん!・・・というわけで、次回もCEATECの話になりまーす!

関係ないよで関係あるのが、10月14日開催の、BAR境塾。ソーシャルアプリを開発した方々とトークイベントを行います。申し込みはこちらをクリック。30名の枠が、だんだん埋まりつつあるので、お早めに!

メディアとはそもそも、ソーシャルな存在なのかもしれない

えー、本日2本目の記事です。最近、日々書きたいネタが浮上するんだけど、なかなか書く時間がとれなくってさ。頑張って2つめを書きました!

先週の金曜日、NHKで永六輔さんの番組をやっていた。『永六輔 戦いの夏』というタイトル。78歳でパーキンソン病と前立腺ガンとまさに戦いながら過ごしたこの夏のドキュメンタリーだった。

実はぼくがいまいる会社、ビデオプロモーションは小さな会社ながら歴史があり、創成期に永六輔さんのマネジメントをやっていた。創業者である会長と、永六輔さんの交流はその頃からいまも続いているようだ。

そんな縁もあり、なんとなく見た番組に、どんどん引き込まれた。

永六輔さんというと、いまの若い人はほとんど知らないだろう。テレビが誕生した頃から第一線で活躍した放送作家で作詞家でもある。本も書くし自ら出演するタレントでもあるし、とにかくマルチな才能の人物だ。伝説の『夢であいましょう』や『遠くへ行きたい』『テレビファソラシド』などの番組を手がけている。『こんにちは赤ちゃん』『見上げてごらん夜の星を』などのヒット曲、そしてなんと言っても『上を向いて歩こう』の作詞をした人。

その永六輔さんは話芸の達人でもあるのだが、パーキンソン病でろれつが怪しくなっている。それでもラジオに出演し、あちこちで人と話す。きっとしんどいんじゃないかと思うけど、前に進み続けるのだ。

永六輔さんは毎年、京都の宵々山コンサートを企画してきた。今年はその最終回なのだという。そこで永さんはどうしてもやりたいと、やってのけたことがある。終了後、観客を舞台に上げ、楽屋口から退出させたのだ。

観客と自分たちと、同じ視点にいることを確認してもらいかったのだという。

これはかなり驚いた。テレビの創成期を作り上げた才人が、ソーシャルメディアみたいなことを言うのだ。

翌日の土曜日朝5時の「新・週刊フジテレビ批評」。前半で山口県宇部市の地域FM局の話が出てくる。ローカル局がどこも苦労している中、黒字運営しているというのだ。

やり方を聞いて驚く。20秒CM枠が500円だというのだ。地元のニーズに合わせた料金体系。地域のいろんな企業がスポンサーになる。あるスーパーが提供する番組では、その日の特売情報が”番組の中で”オンエアされるのだという。

普通、放送局は企業からスポンサードを受けても、番組の中では商品の宣伝的なことは言わない。広告と番組は別だ、というのがメディアというものだ。でも、地域に根ざしたスーパーの特売情報は、地域住民にとって重要な情報だ。

さらに後半にゲストで登場したのは宮城で臨時災害ラジオ局「りんごラジオ」を立ち上げた高橋厚氏。東北放送でアナウンサーなどを務めたあと定年退職していたが、震災から十日後にりんごラジオを開始したそうだ。

東北放送はテレビラジオ両方を扱う兼営局だったので、高橋氏はラジオの経験も持っていた。とは言え、高橋氏以外はみんなシロウト。それでも、とにかく地域のために伝えるべきことを、力を合わせて伝えていった。震災前までラジオ放送なんてやってなかった人たちが、ラジオ放送を支えている。つまり、そこには伝える人と受け取る人の区別はないのだ。

そもそもメディアとは、その地域社会のためにある。地域の市民に、地域に根ざした企業も加わり、みんなにとって役立つ情報を伝えるのが、メディアだ。

メディアとはもともと、ソーシャルな(=社交的な、社会的な)存在なのだ。そのための役割を担っているのだ。だから、伝える側と受け取る側は本来、一体のはずだ。伝える側が立場が上、ということではなかったはずだ。お金を出す企業も、そこに一緒になって社会に役立つために存在しているし、広告料を出すのだ。

当たり前のことなんだけど、ぼくたちは忘れてしまいがちだ。ソーシャルメディアが登場してから、メディアがソーシャルなものになったのではない。”ソーシャル”という言葉がなくても、メディアはもともと、みんなでつくるものであり、みんなのために使うものなのだ。

・・・あれ?そんなの言われるまでもなかった?・・・

さて、ここでイベントのお知らせです。10月14日、BAR境塾と題して、ソーシャルアプリを開発した方々とトークイベントを行います。申し込みはこちらをクリック。なんと、ビールなどのドリンク無料でっせ!

50歳近くになって、自分が何者かわからなくなっているんだけど・・・

今日は、豪華2本立ての予定。2本目の記事は夕方配信するよ。

一本目は、このブログとしてはちょっと脇道なお話。

BLOGOSにこんな記事が載っていた。「40歳が「何者かになりたい」と欲求すること」というタイトル。これはその前に別の人の「「きっと何者にもなれない」あなたへ」という記事を受けて書かれたもの。まずはざっと両方に目を通すといいと思う。

さて後者の記事も「んー?」と感じたのだけど、前者の記事にはもっと「そうすかあ?」と感じた。別に反論したいわけじゃないけど、共感できなかった。よくわからんとさえ思った。

40歳は「不惑」と言うくらいで、それぐらいになったら自分はこういう人間だとわかってくるもんだろう、何者かになりたいとかいう年じゃないだろう。だいたいそんなことを言っている。

ぼくは49歳、つまり不惑の40歳どころではない年齢なんだけど、何者かになりたい、どころか、自分が何者かまたわからなくなっているんだけど。・・・それはダメなの?・・・

でも、例えばこの業界、いわゆるマスコミ業界というかな、そこにいて、もう40歳だし自分が何者かわかったから変わらないよ、なんて言ってるとまずいわけで。だってあと10年、業界がいまと同じ構造で続くかどうかわかんない、見えなくなってるんだもん。そんな中で「おれはこういう人間だよ、もうアラフィフだから変わりようがないしね」とか言ってる場合ではないでしょ?

むしろ、自分が培ってきたスキルが5年ぐらいしたら何の役にも立たなくなってる可能性大だし、長年組み立てられてきた自分のキャラクターでさえこの際、再構築じゃない?っていう感覚が、波及しつつあると思う。

かく言うぼくも、その最たる例なわけでね。10年前、ぼくはフリーランスのコピーライターとして頑張っていた。某制作会社からの依頼で某代理店のチームに参加し某大手企業の某系統の商品のCMを毎月毎月つくってた。もう大変だったなー!クライアントの都合や社内政治に振り回されて何度もやり直したり。

それがいまや、コピーなんか書いてない。もう5年ぐらい書いてないよ。じゃあどうしよう、次はおれ何をしよう、と毎日自問自答しているうちに、ブログ書いて本書いて、そうしたらなんだかテレビの未来について語る人になっていた。

10年前のぼくが見たら、あんた何やってんの?って感じだよ、きっと。

うまいタイミングで面白いツールが出てきていろんな可能性が出てきたなと思う。つまり、ソーシャルメディアのことなんだけど。

いまぼくが”言論活動”的なことをしているのは、明らかに、コピーライターの延長線上じゃないんだ。いや、少し違うか。コピーライターのぼくとは別のスタートラインからはじまったぼくが、コピーライターの延長線上のぼくと重なりあって新しいぼくができつつある、みたいな。あれ?わかりにくいか。

んーと、コピーライターだけを素直にやっていたら、本は出してないだろう、って言ったらわかりやすいかも。そしてそういう新しいぼくが育つのに、ソーシャルメディアがすごく作用している。新しいぼくが、新しい土の上で、新しい人たちとの関係の中で育っているんだ。それがないと、ぼくは本を出そうと思わなかっただろう。

40歳は不惑だ、って思ってたら、さっきの日々CMつくってたぼくは変わらなかっただろう。

ある意味ぼくは、日々CMつくってた自分じゃなくなっちゃったのだ。脱皮したのだ。完全変態しちゃったのだ。

同じようなことは、ぼくの周りの人たちにも起こったり、起こりはじめたりしているよ。

そうしないとまずいから、そうしている。そうしないと、つまらないから、そうしている。不惑だなんて決め込んで自分が何者かを考え直さないでいると、どうしようもないんだもん。

そしてこれは、メディア業界だけのことでもないんじゃない?この国の、いや世界中の、40歳は不惑と言ってられないんじゃないかな。

そこを、もう、面白がるしかない。そういう気分が2011年だと思うなあ。

なんてことも含めて、気楽に集まって語らいませんかい?10月14日、BAR境塾と題して、ソーシャルアプリを開発した方々とトークイベントを行います。申し込みはこちらをクリック。なんと、ビールなどのドリンク無料でっせ!

BAR境塾「ソーシャルテレビをアプリで語る」10月14日開催!

しばらくお休みしていた境塾のイベント活動。10月は久しぶりに、開催します。

8月に書いた記事「ソーシャルテレビでテレビを変えろ!」で紹介したアプリ、tuneTVとテレBing。このtuneTVの方を開発したのはジェネシックス社の中山さんという女性プロデューサーだった。いろいろあってお会いすることができ、お話しするうち、イベントやってみよっか、となったのだった。

10月から社名が"ECナビ"から"VOYAGE GROUP"に変わったそうだ

ジェネシックス社は株式会社VOYAGE GROUP(旧ECナビ)の新事業子会社なのだけど、この会社はいろいろ発想が面白い。その象徴が入口にあるBARスペース”AJITO”。受付の後ろにキテレツな空間があって、海賊船をモチーフに造られている。受付の待合空間でもあるし、催し物も時折行われるそうだ。ビールなど飲み物が無料で提供されるとか。なんてステキな!

ここで”境塾”できますかねえ、ということで盛り上がり、いつもとはちがうノリでやってみることにした。

中山さんはテレBingの開発スタッフの方ともお知り合いだそうなので、2つのソーシャルテレビ用アプリの、開発話や今後のビジョンなど、語ってもらおうと思う。ビールも飲みながら気楽に楽しんでもらえると思う。デジハリでやらせてもらってる境塾のカジュアル版ということで、BAR境塾、としてしまおう。

ということで、開催概要です。

BAR境塾「ソーシャルテレビをアプリで語る!」
日時:2011年10月14日(金)19時開場・20時開始
(20時までに気楽に集まっていただき、お互いの交流もしてください)

司会:境 治(メディアストラテジスト・ビデオプロモーション社)
ゲスト:中山理香氏(tuneTV開発・ジェネシックス社)
鈴木慶一郎氏(テレBing開発・マイクロソフトデベロップメント社)

人数:30名
開場の都合上、人数を絞らせていただきます。

参加希望者はこちらをクリックしてATNDのページからお申し込みください。

凝ったインテリアのステキな空間だ!
アプリは今後、ソーシャルとテレビを融合させる重要なツールになるだろう。どんなことがもっとできるかなど、みんなで話すと面白そう。10月の金曜夜、じっくりこってりお話しよう!

10月は、これとは別に、下旬にもうひとつ、境塾のイベントを予定しているのだけど、すんません、そっちはクローズドな呼びかけをしています。だから、ここでは書けないけど、終了後には報告レポートを掲載するので、そっちを読んでもらえれば。

日本映画は生き残れるのか〜モテキのヒットは何かの予兆か?〜

前々回の「配給会社にはカラーがある」の記事に続いてまた映画の話に戻るよ。この記事の最後に「新しい流れがはじまろうとしている」と書いた。それは、『モテキ』の公開が迫っていたからだ。この映画は、その”新しい流れ”のひとつだと感じとっていたのでね。

さてその『モテキ』。公開3日目の25日の日曜日に、さっそく見に行った。高校生の息子を誘ったのだけど、友だちと遊びに行くと振られ、ひとりで。残念だったな我が子よ。面白すぎるくらい面白かったぞ!

『モテキ』の魅力については、他の人のブログに譲ろう。とにかく稀にみる面白さ。ドラマも良かったけど、スクリーンにめいっぱいのエンタテイメントがあふれ返っていた。スペクタクルな映像じゃなくても、映画の楽しさは十分に出せるんだね。

ぼくがここで『モテキ』についてとりあげたいのは、テレビ局映画だけど、いままでのテレビ局映画ではない、という点だ。

興行成績が楽しみだったのだけど、火曜日にいろんなところで発表された。シネマトゥデイのこの記事によれば、「アンフェア the answer」には及ばず2位だったそうだ。ただ、土日の興収2億4,578万円、祝日だった23日からの3日間では3億8,896万だったという。立派な数字だ。「アンフェア」という強敵がいなければ、十分1位に立てただろう。

『モテキ』の映画館では、若者でいっぱい。こんなに若者だらけの座席もなかなかないだろう。でもそこが『アンフェア』を抜けなかった理由。老若男女を呼べないと、ホントのヒットにはなりにくい。

話を戻すと、”いままでのテレビ局映画ではない”と言うのは、テレビ局がテレビ東京だからだ。実写映画ではもっとも実績が薄かったのがテレビ東京。そもそも、ドラマ枠が少ないのだからそれも致し方ない。そのテレビ東京×東宝の作品が堂々のヒット作になった。そこが”新しい流れ”なのだ。

そういう目で見ると、こないだの週末のランキングは象徴的だ。1位が『アンフェア』2位が『モテキ』そして3位が『探偵はBARにいる』。

1位の『アンフェア』。2000年代にテレビ局映画のヒット方程式をつくりあげたフジテレビ×東宝作品。2位は”新しい流れその1”としてのテレビ東京×東宝作品。そして3位は少し前のこのブログで書いた、”新しい流れその2”東映作品『探偵はBARにいる』。日本映画の”流れ”が凝縮されたランキングとなっている。

『モテキ』は日本映画の新しい流れ、という側面だけでなく、コンテンツビジネスの新しいサンプルでもある。ドラマの時点で製作委員会方式をとっているのだ。

製作委員会方式?って頭に「?」が浮かんじゃった人は『テレビは生き残れるのか』を読めば説明が書かれている。いや、本を買えと言いたいんじゃなく、ここで説明すんの大変なんだもん。えーっと、複数のメディア企業が共同で出資してリスクヘッジ+互いの相乗効果を狙った仕組み。映画では普通なんだけど、ドラマでは珍しい。ドラマの場合は、放送時に入る広告収入で制作費をまかなう。そうするとほぼテレビ局だけのものになる。

ドラマを製作委員会方式でつくると、出資した企業みんなのものになる。その際の約束によっては、そのテレビ局やその系列ネットワークに縛られずに済む。系列外のローカル局が放送したいと言ってくれればどこでも放送権を売れる。コンテンツ自体が自由にビジネスできる。

ドラマ『モテキ』はそうやっていろんな局で放送された。テレビ東京は主要都市しかネットワークされてないのだけど、ネットワーク外の局が放送してくれることで認知度が高まった。ドラマの放送が映画のプロモーションになっていったのだ。そこが、新しい戦略。

うーん、むにゃむにゃ・・・もっと書くべきことはあるんだけど、眠たいので、続きはまたそのうちね・・・

スマートテレビはもうはじまっている〜週刊フジテレビ批評とスマートテレビ研究会

8月13日に出演した「新・週刊フジテレビ批評」。土曜日の朝5時からという起きているのが難しい時間なんだけど、自分が出て以来、少なくとも録画して毎回見るようにしている。先日の放送、9月23日の回は”クリティークトーク”でのゲストが志村一隆さんだった。

志村さんって誰?なんてこと、このブログの読者なら言っちゃダメだよ。2010年11月に書いた「AppleTVはこれから起こることのひとつに過ぎない」と題した記事で、志村さんの著書『ネットテレビの衝撃』を紹介している。それから、第三回リアル境塾「アナログ停波まつり」で山崎秀夫さんとともにゲストにお招きした方だ。あらためて少し紹介すると、志村さんは情報通信総合研究所に所属して主に海外メディアの研究調査をされている。スマートテレビ研究の第一人者と言っていいと思う。

その志村さんをゲストに招いた「新・週刊フジテレビ批評」は、もちろんスマートテレビについての特集だった。

前半では日本におけるスマートテレビの現状がリポートされ、後半は志村さんを軸にしたトーク。志村さんは朗らかで快活なキャラクターなので楽しく話は進んだけど、よく考えると民放キー局で扱う内容としてはけっこうラディカルだったんじゃないだろうか。

『テレビは生き残るのか』を手にして出演したぼくが言うのもなんだけど、うわこんなことテレビで言うんだ、と、見ていてドキドキした。いや、こんなことテレビで言う時代に突入したんだな。もちろん、この番組ならでは、福原プロデューサーいればこそ、なのだろうけど。

ドキドキしたのは、「いまのテレビ番組の作り方はもったいない」と志村さんが言ったあたりとか。アメリカのように二次三次の使用に耐えるような質の高いドラマなどを作った方がいい、バラエティはその場で楽しめるだけだし、と。をを、言ってのけたなあ。

そんなこと言われてもね。テレビ局の人たちは反論するだろう。それはもちろん、いまの仕組みだとドラマばかり作っているわけにはいかない。コストをかけて番組を作ってもいまのやり方だと成り立たない。でも、いまのやり方だけではいずれ行き詰まる。いやすでに行き詰まっているのかも。

テレビのあり方がいまこそ、問われているのだ。

一方、少し前にスマートテレビ研究会が発足したというニュースが流れた。慶応大学のメディアデザイン研究科が音頭を取って、多様な事業者が参加するという。これを聞いて、ぼくはなんとか見学だけでもできないかなと思っていたら、なんと連絡をいただいて、パネルディスカッションに参加して欲しいと言われた。なんと光栄な!と、一も二もなくお受けした。

そしたらさっそくリリースがでていて、ぼくの名前もちゃんと書いてあった。なんか不思議。

境塾にお招きした山崎秀夫さんがメインでしゃべるし、ガラポンの保田さんも参加するみたいだ。保田さんも境塾に来てくださって名刺交換したんだよね。

なんか、スマートテレビの旗印の下、新しいテレビをめぐる人たちがだんだん揃ってきた感じだ。ぼくにも徐々にその方々が見えてきた。そいでもって、その輪の中に加えてもらっている。こんなブログ書いてきて、本を出したからなんだろうね。主張し続けてみるもんだ。

そんな風に、スマートテレビはもうはじまっている。これは観念的に言ってるんじゃないよ。電気屋さんに行ってみて。テレビ受像機のセールスポイントはもうネット接続になってるから。もう、”実際に”はじまっているんだ。どうやら、これからテレビを取り巻く状況はすごい勢いで変わるようだ。

ってわけで、みんな、うかうかしてると、置いてかれっぞ!

日本映画は生き残れるのか・・・配給会社にはカラーがある・・・

前回は「日本映画は生き残れるのか・・・映画らしさとか、もやもやと・・・」なんていうもやもやしたタイトルで映画について書いた。これに続いてしばらく映画の話をしようと思う。

『探偵はBARにいる』が興行収入ランキング1位になったのに驚いた。そのことも前回書いたね。なにしろ、東映の映画が、しかも東映の若者向け(少なくとも年配向けでも子供向けでもない)作品がトップに立ったのは、ほんとうに珍しい。

というのは、ここ数年、いや十年ぐらいかな、トップに立つ日本映画はほとんど東宝だった。このあたりは『テレビは生き残れるのか』でも触れなかったことだよ。

東宝の独走は、この十年ぐらいの日本映画の特徴的な現象だ。日本映画製作者連盟という団体が毎年、前年の映画興行のデータを発表している。過去のデータもあるので、とても貴重なサイトだ。そこへ行って、この十年間の興行収入ランキングを見てみよう。毎年、興収10億円以上の作品が発表されている。

2010年は10億円以上の日本映画は29本あった。そのうち東宝配給作品は19本。東映は5本。松竹3本。なぜかワーナーブラザーズが2本ある。ざっと2/3が東宝。

2009年は・・・34本中東宝22本、東映4本、松竹4本(共同配給含む)、その他4本。
2008年は・・・28本中東宝21本、東映2本、松竹4本、ワーナー1本。
これがもう少し前だといくぶんちがう。
2000年だと・・・18本中東宝10本、東映6本、松竹2本。

十年前はそもそも、興収10億以上の作品が少ない。東宝の比率は半分程度。一方近年は、30本前後と増えた中、東宝比率が上がっている。

・・・というか、要するに、東宝だけ伸びて、東映と松竹はさほど伸びていない、ということなんだ。

『テレビは生き残れるのか』の中でぼくはしきりと、日本映画がいかにテレビの力を借りて2000年代に成長したかを書いている。でもそれをもっと詳細に厳密に言うと、テレビの力で伸びたのは日本映画全体ではなく東宝なのだ。

どうして東宝だけ伸びたのか。すべての要因を調べ上げてつぶさに述べられたものをぼくは知らない。印象分析的に言われていることをまとめるならば、東宝の戦略的勝利なのだろう。

例えば、映画館の立地。東京で言えば新宿や銀座から日比谷の辺りのそれぞれの映画館の場所を思い浮かべてみよう。どことなく華やかな場所に東宝の映画館があり、そこから少し離れた、でもなんだかうらぶれた場所に東映の小屋がある。これが、全国の繁華街でほぼ同様。

そもそも、3つの配給会社にはおのおののカラーがある。

東宝は、阪急文化なんだ。阪急や宝塚を生み出した戦前の事業家、小林一三が東宝の生みの親。関西でも”山の手”文化を作り上げた一環で育った映画会社。だから、洗練されていて、華やかで都会的だ。加山雄三の若大将シリーズや、クレージーキャッツの喜劇映画など、現代的で都市のにおいがする映画。

一方、東映は時代劇で一世を風靡し、さらに高倉健のヤクザ映画、これを現代風にした「仁義なき戦い」シリーズ、極道の妻たちシリーズのように、バイオレンスの香りぷんぷん。

松竹は、大船撮影所でつくられてきた人情物語の会社。古くは小津安二郎の家族映画、寅さんシリーズ、釣りバカ日誌シリーズのような泥臭く温かい物語が松竹らしい。

こういうそれぞれのカラーがあるから、東宝は華やかな場所に、東映はちょっとうらぶれた場所に、立地するのがふさわしかった。

ここからは、書きながら考えるのでかなり印象論になるけどね。

東映の映画は、ぼくが若かった頃つまり80年代までは独特の魅力があった。『探偵はBARにいる』にも受け継がれている、カウンターカルチャーの匂いを放つ作品群があったのだ。そしてそれはひとつの映画的な世界だった。80年代の映画青年にとって、映画とは、カウンターカルチャーの最たる存在だったのだ。

でもカウンターカルチャーを走っていてもお金にならない。若い女の子には「ださい」「くらい」と忌み嫌われていた。90年代に入り、映画界はテレビの力を頼りはじめた。東映だって頼ろうとはしたんだぜ。でもテレビ界から見た時、東映の”うらぶれ”は邪魔だった。あまりプラスにならなかったんじゃないかな。

東宝の、現代的で洗練された文化の方が、テレビにはハマった。テレビのメインストリームは、垢抜けていなければならなかったのだ。

かくして、東宝だけが、テレビの力の恩恵を享受した。東映や松竹は東宝にはかけられない作品が回ってきて、東宝が享受した分のおこぼれしかもらえなかった。

日本映画の2000年代の隆盛を、テレビとの関係からさもしい視点で書いてしまうと、そうなる。

そして、この傾向は、いま現在の話にすぎない。これからまた、新しい流れの軸がはじまろうとしている。ただ、それが日本映画にとっていい流れなのかどうかはわからないなあ。いい流れなんかこの先、あるのだろうか・・・と、次回に続く・・・

日本映画は生き残れるのか・・・映画らしさとか、もやもやと・・・

日曜日に『探偵はBARにいる』という映画を観に行った。

中一の娘と、いくつかの映画の予告編を観たら、彼女がこれがいいと言ったのだ。ミステリー好きの娘は、自慢のようだけど目が肥えてるし、鼻が利く。彼女なりに何かをかぎ分けたようなのだ。

そこで観に行った。中年の父親が娘を連れていくタイプの映画ではない。でも、思いっきり楽しんだ。娘も満足した様子だった。

『探偵はBARにいる』はタイトル通り探偵映画だ。日本ではありえない、私立探偵が謎の女の依頼で殺人事件を捜査するという物語。こういうの、すごく久しぶりで懐かしく、また新鮮だった。何に似てるかといえば、松田優作のテレビ映画『探偵物語』にすごく似ている。

『探偵物語』はテレビだったけど、映画だった。そして、その頃、80年代あたりまでは東映の映画には探偵だの犯罪だのが描かれる、垢抜けたような垢抜けないような独特のにおいを放つラインナップがあったもんだ。帽子をかぶった探偵とか、うさんくさいけど協力もしてくれる刑事とか、繁華街のいかがわしい仲間たちとか、どこかに欠陥を持つヤクザや暴力団とか。そして謎の女が電話かけてきたり、麻薬取引の情報が飛び交ったり、拳銃をがんがん撃ちあったり、殴りあいをして血へどを吐いたり、リンチ受けて顔がぼこぼこになったり。

チャンドラー、そしてハメットの小説にかぶれて、日本流にアレンジしたコミカルなハードボイルドの潮流が30年ぐらい前には確かに存在していた。すでに斜陽になって下降線をたどっていた日本映画界にあって、うらぶれてるけど魅力的な香りを漂わせて、一部の、そういうのにかぶれてしまう青少年たちをおびき寄せていたのだ。青少年たちはすっかりかぶれて、サングラスを意味なくかけて場末の小汚いバーでよく知りもしないのにバーボンを注文して飲んだもんだ。

少し大げさに言うと、なんとかそういう探偵みたいな暮らしができないものかと、大企業に入ってネクタイ締めて満員電車に揺られるのではなく、小さくても自分の”探偵事務所”で、いかがわしい仲間たちとやっていけないものかと、そんな欲求の果てが、コピーライター稼業だったかもしれない。

うーん、すっかり80年代のうらぶれた青春時代に浸ってしまった。そんなノスタルジーを書くつもりで書きはじめたんじゃないぞ、今日は。

『探偵はBARにいる』で驚いたのは、これが興行ランキング1位だったことだ。

どうしてそんなに驚くのか。それは、この作品が東映配給だからだ。いや、そればかりか、東映制作で東映配給なのだ。製作は(衣のつく製作とつかない制作のちがいは『テレビは生き残れるのか』参照)製作委員会なのだけど、これは事実上、製販一体の100%東映映画だと言っていい。

そして東映映画が興行トップというのは、大変大変珍しいのだ。

ただし、これはたまたま、トップになった週が”スキマ”だったことが大きい。オープニング2日間、つまり公開した土日の興行収入は1億7千万円だったそうだ。普通、興行トップの作品は最初の2日間で3億円台に至ることがほとんど。

そういう他社作品がなかった。だから、東映作品がトップになれた。

・・・をいをい・・・さっきから黙って聞いてりゃ東映なのに東映なのに、って。東映に何か恨みでもあるのかよ。などと、からみたくなる?うん、ごもっとも!でも、ホントに東映がトップは珍しいの。普通は、東宝なの。東宝と、東映や松竹との間には、もはや超えようがないほど大きな差がついちゃってるの。・・・てなこととか、そうは言っても今年は少し違うかも、ってこととか、また次回ね。

忘れてたけど、少し前の回に、しばらく映画について書く、って言ってたので、これからしばらくはホントに映画について書くよ・・・

「テレビは生き残れるのか」への答えは「テレビは余命7年」ってこと?

「テレビは生き残れるのか」を書きながら、きっと似たような本はいっぱい出てくるんだろうなと想像していた。なにしろ2011年は歴史的転換点である”地デジ化の年”なのだから。そして、似た本がいっぱい出てくれた方が盛り上がっていいよな、と考えていた。

でも、”似たような本”は出なかった。拍子抜けしたし、これじゃあ盛り上がらないじゃないか、とがっかりしていたら、出た出た。ちゃんと出たじゃないか。

それがこの本。「テレビは余命7年」というタイトル。なーんと、ぼくの本よりよほど過激なタイトルだよ。うんうん、盛り上がりそうでうれしいぞ!

著者は指南役、という名前の企画集団ということらしい。あれ?Twitterでフォローしてたような。実際、発売日につぶやいていたのでこの本をぼくも知ったのだった。

内容はというと、ぼくの本よりもずっと”テレビについて”の本になっている。徹頭徹尾、テレビについてだ。各章の見出しをあげていくと「テレビがつまらない」「テレビのビジネスモデル」「テレビのピンチ」「テレビは公正か」「テレビの歴史」「テレビの魔物NHK」「海外のテレビ」「テレビの未来」・・・ね、すべての章に「テレビ」が入っている。徹底したもんだ。

指南役さんは、ホイチョイプロダクションのブレーンとしてなど、テレビの企画の仕事が多かったそうで、いわゆる構成作家のような方のようだ。つまり、テレビ番組づくりに深く関わってきたのだろう。だから、作り手の視点であり、”中の人”の視点で書かれている。でも、たんに番組作りに関わってきただけでは知りえないことにもいっぱいふれている。相当調べて書いたんだろうな。

これを読むと、あーぼくももう少し調べて書けばよかったかなあ、などと少々反省した。

とくに「テレビの歴史」の章ではぼくが知ってたようでそこまでは知らなかったなあという話が満載。テレビ局と新聞社の関係がどうしていまのようになったのか、ここまでは知らなかった。それから、どうして当初TBSが強かったのかについても初めて知ったなあ。

「海外のテレビ」でも、主にアメリカのテレビ業界の仕組みが日本とどう違うか、深いところまで書かれていた。ぼくも少し触れたところだけど、ここまでは知らなかったなあ。

そういう、よく調べたもんだなあという点とは別に、ローカル局の成り立ちやその問題点について深く切り込んでいる。これもすごいよ。なかなかここまで書けない。書く度胸が必要。ぼくにはローカル局の問題は深すぎて何をどう書いたらいいかわからなかったのでまったく触れなかった。そこに思い切って踏み込んでいるよ。

最後の項目の見出しは「汗をかく人が報われる業界へ」というもの。つまり、いちばん最後にいいたいのは、苦労している作り手、現場のみんなにとってよい方向に向かえばいいなという思い。そこんとこは、ぼくも同じだったので、すごく共感できた。

というわけでね、この本、このブログの読者なら、読まないわけにはいかないよ。え?「テレビは生き残れるのか」もまだ読んでない?そりゃあ、いかん!この際、2冊一緒に買っちゃおう!いやホント、読み比べると損はないと思うよ・・・

メディアについて教えに行ったら、メディアについて教わった。

このところ、日々いろんなことがあるのでブログに書くのが追いつかない。とにかく書いとかなきゃ、ってことで、大阪に行った話を書くよ。

先週の金曜日、大阪で学生さんに一日講義をしてきた。へー、本を出すと大学で講義しちゃったりするんだ、と思うだろうけど、実は本を出したことは直接的には関係ない。その大学で教えている方に依頼された、社会人を先生とする催し(研修、って言ってたかな)に、Twitterでの友人たちともども呼ばれたのだった。だから、本を出したから呼ばれたわけじゃないのね。

ぼくの場合はコンテンツ制作の実際などをしゃべってくれればいい、と言われたので、自分の仕事の経験をベースに、そこに『テレビは生き残れるのか』に書いたことも混ぜ込んで講義をした。

メディアについて教えるので、学生さんたちのメディア接触についても教えてもらおうと、12人の学生に簡単に尋ねた。「新聞読んでる人ー!」・・・ひとり、ふたりくらい。まあ、それはそうだろうね。「ラジオをよく聞く人ー!」シーン・・・ありゃあ・・・

驚いたのは次の質問「マンガ雑誌定期的に読む人ー!」・・・シーン・・・ええー???!!!

よく、若者のテレビ離れと言うけど、いまの若い人はマンガだって読まない。これはちょっと衝撃だった。いやちがうか。マンガは単行本で読むのだそうで、雑誌は買わない。ジャンプ買ってる学生もいなかった。

マンガ雑誌ってぼくが若い頃は、週に三〜四種類は買ってた気がする。いまはもう、買わなくなったけど、つい最近まで買っていた。でもいまの学生さんははなっから雑誌は買わないのだ。

マンガ以外の雑誌も、買わない人が多い。野球好きだから週刊ベースボールとか、そういう雑誌は買うけど、いわゆる一般誌やファッション誌は買わない。

さて問題のテレビ。「テレビを少しずつでも毎日見る人ー!」・・・シーン・・・「週に二三回は見るかなーって人ー!」これでやっと3人ぐらい手を上げた。では何を見るか?・・・「何を見ると言うより、ごはんを食べる時に、なんとなくついてるから見るという感じです」なるほどね。「日曜洋画劇場と金曜ロードショーと、土曜プレミアムが映画の時は見ます」これは映画好きな青年。

あれ?みんなドラマとか見ないの?おじさん大好きなんだけど。「・・・見ないですね・・・あまり面白そうなのないし・・・」えー?!あんなに面白いのに。『それでも、生きていく』とか見てみろよー。

ではやっぱりデジタルなんだな。デジタルネイティブとか言われる世代だもんな。「PCをもっぱら見るって人ー!」・・・「はい」・・・あれ?ひとり?ひとりだけ?

「情報源はもっぱらケータイだって人ー!」「はい」「はーい」「はい」「はい」(ほぼ全員)・・・うーん、わかりやすーい。ようするに、ケータイなんだな。・・・「あ、スマートフォン持ってる人は?」「はい」「はーい」えーっと・・・5人ぐらいかな?・・・なるほど。なんだか、調査データ通りだなあ。

まあ、目新しいことでもないんだろうね。若者は新聞読まない、テレビ見ない。ひたすらケータイで、そろそろスマホ。ただ、こうして実際に聞いてみると衝撃だった。そこまでテレビ見ないんだ。

ただ、面白かったのが、午後に出した課題(○○をもっと売るにはどんなコミュニケーションをすればいいか)の中で「あやまんJAPANを起用する」というのがあった。をいをい!テレビ見ないのにどうしてあやまんJAPAN知ってるんだ?

そこにはテレビとネットと若者たちの新しい関係があるんだろう。あやまんJAPANのようなキワモノはテレビに出てくるとネットでも話題になり、ネット中心の若者の興味をそそり、たまたまつけたテレビで現物を見る、というような流れなのだと思うんだ。学生たちに聞いても、きょとんとしながら「え、だって人気ありますよね」と答えるだけ。どういう経路で知ったかもわからない。それくらい普通の情報流通の結果なんじゃないか。

テレビを見ないのは、テレビが嫌いなわけでもないし、テレビで人気なものを排除するわけでもない。ただ、生活習慣の中心にテレビが存在してない。それだけなんだ。

さて一方で。

「mixiやってる人ー!」「はい」「はーい」んーと、7人かな?まあそんなとこね。「はい、では、Twitterやってる人ー!」・・・「はい」・・・あれ?・・・たったひとり。うーん、そうなの?12人いてたったひとり?おかしくない?・・・「じゃあ、Facebookやってる人ー!」・・・・ん?・・・・・・ゼロ?・・・・・・ゼロ!・・・・・・「あのお、先生」とさっきTwitterやってると答えた子。「はい、なにかな?」「あの・・・Facebookってなんですか?」・・・・・・・ええええええーーーー?!・・・・

脳天を金槌で強く殴られたような衝撃を受けた。そんなもんなのだ。いや、もちろんこれから彼らも使うようになるんだろうね。就職活動をはじめたら。それにしても、イメージとしては、いまの大学生はこぞってTwitterやFacebookを使っていると、思い込んでいたのだけど。イメージだった。Twitterで大学生をたくさん見かけたり時にはやりとりしてきたし、そういうイメージを抱くのも当然だけど、十数人の大学生を見かけたからって、全員なわけないもんね。相当新しもの好きで、ネットにもどんどん入っていく若者がいっぱいいるのはいるけど、まだまだアーリーマジョリティ。レイトマジョリティはもっといっぱいいっぱいいるんだね。

なんかさあ、ソーシャルメディアだコミュニケーションの革命だー!と騒いでも、それってまだまだまだまだマイナーな存在で、ほんとに世の中に影響力をもたらすのはあと何年か先なのかもね。そんなもんだろう。

そういう、当たり前のことを、教えに行ったら逆に教わったね、というお話の巻、おしまーい!

○○狩りばっか互いに仕掛ける、哀しい国になっちまった

金曜日は大阪工業大学に行って講義をしてきた。そのことについて、そしてその夜に大阪で出会ったソーシャル友だちについて、などなど書くつもりだったのだけど、それはまた明日にでも書こうと思う。

それより、なんだかすごく哀しい気持ちになったので、そのことを書くよ。

みなさん知っての通り、土曜日に鉢呂経産相が辞任した。

大臣の辞任に慣れきっちゃってる時点で相当哀しいことだと思うのだけど、その顛末を見ていて哀しくなったんだ。

辞任の理由は、これもみなさんご存知の通り、1:福島の原発事故の視察に行った感想として、現地を”死の町”と表現した。これは被災地の方々の気持ちを傷つけた。2:記者達との懇談の中で、防護服を記者になすりつける仕草をして「放射能つけるぞ」と言った。これは原発事故をネタにふざけたと言える。この2つということだ。ただし、1つ目については本人もその日のうちに認めて撤回・謝罪している。一方2つめについては、辞任会見でも言った記憶がない、などとして、認めてはいない様子だった。

そして、この2つの”失言”。まず「死の町発言」はそこだけ取り上げて「あの大臣、原発事故周辺の町を”死の町”って言ったんだぜー!」と言われると「まったくこの不謹慎野郎!」と感じてしまう。でも、実際のこの時の会見を見ると、そんなに悪い発言とも思えない。もちろん何の問題もないとは言わない。よく考えるといい表現とは言えないかもしれないとは思うけど、指摘されて謝ればそれでいいんじゃないだろうか。

それから2つ目の方は、どうもよくわからない。新聞で読んだ時もよくわからなかった。そしてこっちは、その場面をリピートできないのだ。懇談の場、なのでカメラも入っていないのだから。

ぼくははっきり思う。この2つの失言は、失言になっちゃったのだ。いや、少なくとも、失言を”大失言”にマスメディアが仕立てたのだ。辞めるほどでもない、謝れば済んだはずの失言を、「こんなこと言うやつ辞めた方がいいよな、な、な!」というニュアンスで報道しているんだ。

さらにだ。

鉢呂氏辞任の会見のフルバージョンがネットでは見ることができる。詳細な書き起こし記事もある。

BLOGOSのこの記事(元記事はジャーナリストの岩上安身氏)には詳細な書き起こしテキストが掲載されている。それから、このYouTubeの動画を見ると一部始終がそのまんまわかる。動画の7分前後で大臣につっこんでいる記者がいる。その言い方があまりにも乱暴なので驚いた。いくらなんでも、こんなに失礼なものの言い方をするのだろうか。

「説明しなさい」と命令調で言っている時点で相当失礼だなと思うのだけど、しまいには「何を言って不審を抱かせたか説明しろって言ってんだよ」とまで言う。別の記者が咎めたほどだ。

大臣が失言して辞任するなら、社会人としてあるまじき暴言を吐いたこの記者にも何らかペナルティが課せられるべきではないの?いやホントに、こんな言い方をしたら普通はものすごく怒られるんじゃないのかなあ。

ぼくは少し前に「ネットはなぜマスメディアに腹を立てるの?」と題した記事を書いたけど、これじゃあ腹を立てられても仕方ないよ。そんなことしてるから、”マスゴミ”とか言われちゃうんだよ。

などと嘆いていたら目に留まった。「鉢呂前経済産業大臣に暴言吐いたのは馬場茂記者??」というTogetterまとめ。ぼくと同じように暴言吐いた記者に怒ってるんだろう。でも、今度はその記者を特定しようとしている。しかも”馬場記者だ”と決めつけるTweetをばんばん交わして、結局ちがうってことがわかった。

なんだよ、さっそく魔女狩りしてるよ。

ぼくたち日本人は、あんなにひどい災害が起きても秩序正しく生活できる、謙虚でモラルの高い民族だったんじゃないの?こんなに下劣な揚げ足取りばかりをお互いにする哀しい、卑しい国民だったの?もう、ネットもマスコミもないよ、同類だよ・・・

まあでも、@higekuma3がこのブログで書いているように、失言と言われても上手に切り返してればちがったのにね。こういうウィットを効かせられないのも、哀しい国だなあ・・・

広島のラジオに出演して、その音声を東京で聴いた、という話

映画について書くんじゃなかったのか!うん、そのつもりだったけど、ちょっとこれだけ書いておきたくてね。

9月1日の夕方、Twitterで「テレビは生き残れるのか」を読んだ方から話しかけられた。

すすめられて「テレビは生き残れるのか」を読みました。とても多くの気付きを得ることができました。私はラジオ番組を担当していますが、テレビをラジオに置き換えても通用するのではないかと感じています。改編前の今の時期にこの本に出合えたことに感謝です。

おお!ラジオの方から共感していただけたのは想定外的にうれしい!ありがとうございます、ってなことを返したら今度は先ほどの方のお仲間からこんなTweetが・・・

広島のRCCラジオで毎週土曜日朝「週末ナチュラリスト」を担当。7時20分~本を紹介するコーナーがあり、ぜひ紹介したく、、そして無理を承知で書きますが・・・電話インタビューさせていただけませんか?

ええー?!で、電話インタビュー?!うひゃあ!

こないだはテレビに出たんだからラジオの電話出演もなんてことないだろう、と思うかもしれないけど、それはそれでまた緊張した。だって、声しか聞こえないってなーんか不安じゃない?さすがに”生”だと自信がないので、録音にしてもらった。土曜日朝の放送なので、金曜日の夜に電話でインタビューに答えた。

答えたのはいいけど、せっかく出演しても広島のラジオだから東京にいると聴けない。広島には親戚も友人もいないので、どんな放送だったかはわからない。・・・はずなんだけど、わかるんだな、聴けるんだな。

放送後に音声データをWEBに置いてくれていたのだ。火曜日あたりとおっしゃっていたので昨日見てみると、確かに置かれていた。早速聴いたよ、もちろん!

私も聴きたい!という方はここをクリックしてみよう!その音声ファイルのページに飛ぶよ。そのままPC上でも聴けるし、iPodやiPhoneにPodcastとして落としてもいい。

「テレビは生き残れるのか」のテレビをそのままラジオに置き換えてもほぼ同じことが言える。というのは、実は最初に話しかけてきた桜井さんがおっしゃっていたことで、ぼくの方が教わったことなんだけど、そんなテーマでのインタビュー。ラジオはもともとソーシャルメディアだったのだから、その最先端の存在になれるかも、なーんてカッコいいこと言っている。

でも、よく言われるようにラジオはTwitterやUstreamなどと相性がいい。積極的に活用するといいよね。それに、大胆に考えれば、ローカルラジオ局が電波による放送とは別に、ネット上で全国に、いや世界に向けた配信をしたっていいのかもしれない。

ラジオとテレビは置かれている状況が似てると書いたけど、でも圧倒的に違う点がある。それは、ラジオ受信機がどんどん減っていることだ。テレビ受像機は各家庭に1台は置かれるだろう。ただ、そこで放送以外の映像を視聴するようになる。でもラジオを聴くための機械は、家庭から無くなっている。

これはCDを聴かなくなったからだ。CDラジカセがあった時代はラジオもそれで聴いたわけだ。でもみんなCDを聴かなくなり、家庭からそういうステレオ機器がなくなっていっている。すると、ラジオを聴く機器がなくなっていることになる。

Radikoは素晴らしい発明だったと思う。でもWEBでラジオを聴くようになれば、ラジオはラジオでなくなり、もっと自由なものになるはずだ。いろんな可能性があるはずだ。それを見いだしていく作業はエキサイティングじゃないかな。

インタビューでぼくは、Ustreamもラジオのノウハウで積極的にやるといい、てなことを言ったのだけど、番組のパーソナリティ一文字弥太郎さんはとっくにUst番組をはじめていた。「ついツイ生だし広島ラジオ」という、ラジオのノリをそのままUst配信している番組だ。なんだ、もうどんどん先へ行ってるんじゃないですか。

変化は周縁から起こる。だったら、ローカルのラジオ局からも変化が起こるのかもしれない。面白いことが、広島にもきっと起こりはじめているんだね・・・