50歳近くになって、自分が何者かわからなくなっているんだけど・・・

今日は、豪華2本立ての予定。2本目の記事は夕方配信するよ。

一本目は、このブログとしてはちょっと脇道なお話。

BLOGOSにこんな記事が載っていた。「40歳が「何者かになりたい」と欲求すること」というタイトル。これはその前に別の人の「「きっと何者にもなれない」あなたへ」という記事を受けて書かれたもの。まずはざっと両方に目を通すといいと思う。

さて後者の記事も「んー?」と感じたのだけど、前者の記事にはもっと「そうすかあ?」と感じた。別に反論したいわけじゃないけど、共感できなかった。よくわからんとさえ思った。

40歳は「不惑」と言うくらいで、それぐらいになったら自分はこういう人間だとわかってくるもんだろう、何者かになりたいとかいう年じゃないだろう。だいたいそんなことを言っている。

ぼくは49歳、つまり不惑の40歳どころではない年齢なんだけど、何者かになりたい、どころか、自分が何者かまたわからなくなっているんだけど。・・・それはダメなの?・・・

でも、例えばこの業界、いわゆるマスコミ業界というかな、そこにいて、もう40歳だし自分が何者かわかったから変わらないよ、なんて言ってるとまずいわけで。だってあと10年、業界がいまと同じ構造で続くかどうかわかんない、見えなくなってるんだもん。そんな中で「おれはこういう人間だよ、もうアラフィフだから変わりようがないしね」とか言ってる場合ではないでしょ?

むしろ、自分が培ってきたスキルが5年ぐらいしたら何の役にも立たなくなってる可能性大だし、長年組み立てられてきた自分のキャラクターでさえこの際、再構築じゃない?っていう感覚が、波及しつつあると思う。

かく言うぼくも、その最たる例なわけでね。10年前、ぼくはフリーランスのコピーライターとして頑張っていた。某制作会社からの依頼で某代理店のチームに参加し某大手企業の某系統の商品のCMを毎月毎月つくってた。もう大変だったなー!クライアントの都合や社内政治に振り回されて何度もやり直したり。

それがいまや、コピーなんか書いてない。もう5年ぐらい書いてないよ。じゃあどうしよう、次はおれ何をしよう、と毎日自問自答しているうちに、ブログ書いて本書いて、そうしたらなんだかテレビの未来について語る人になっていた。

10年前のぼくが見たら、あんた何やってんの?って感じだよ、きっと。

うまいタイミングで面白いツールが出てきていろんな可能性が出てきたなと思う。つまり、ソーシャルメディアのことなんだけど。

いまぼくが”言論活動”的なことをしているのは、明らかに、コピーライターの延長線上じゃないんだ。いや、少し違うか。コピーライターのぼくとは別のスタートラインからはじまったぼくが、コピーライターの延長線上のぼくと重なりあって新しいぼくができつつある、みたいな。あれ?わかりにくいか。

んーと、コピーライターだけを素直にやっていたら、本は出してないだろう、って言ったらわかりやすいかも。そしてそういう新しいぼくが育つのに、ソーシャルメディアがすごく作用している。新しいぼくが、新しい土の上で、新しい人たちとの関係の中で育っているんだ。それがないと、ぼくは本を出そうと思わなかっただろう。

40歳は不惑だ、って思ってたら、さっきの日々CMつくってたぼくは変わらなかっただろう。

ある意味ぼくは、日々CMつくってた自分じゃなくなっちゃったのだ。脱皮したのだ。完全変態しちゃったのだ。

同じようなことは、ぼくの周りの人たちにも起こったり、起こりはじめたりしているよ。

そうしないとまずいから、そうしている。そうしないと、つまらないから、そうしている。不惑だなんて決め込んで自分が何者かを考え直さないでいると、どうしようもないんだもん。

そしてこれは、メディア業界だけのことでもないんじゃない?この国の、いや世界中の、40歳は不惑と言ってられないんじゃないかな。

そこを、もう、面白がるしかない。そういう気分が2011年だと思うなあ。

なんてことも含めて、気楽に集まって語らいませんかい?10月14日、BAR境塾と題して、ソーシャルアプリを開発した方々とトークイベントを行います。申し込みはこちらをクリック。なんと、ビールなどのドリンク無料でっせ!

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