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コピーライター→映像製作会社ロボット→広告代理店ビデオプロモーション→再びコピーライター(フリーランス)。 メディアとコンテンツの未来を切り拓くコミュニケーションをデザインします。講演・執筆依頼もお気軽に!

『大炎上生テレビ オレにも言わせろ』について、オレにも言わせてもらおうじゃないか!

28日金曜日の深夜、正確に言えば29日土曜日の午前0時45分から、TBSで『大炎上生テレビ オレにも言わせろ』というなんだかラディカルなにおいの番組が放送された。

この番組はTBSのソーシャル大臣、じゃないけど、TBSの人気Twitterアカウントの運営者でもあり、ひとりのプロデューサーでもある山脇伸介氏によるものだ。どんな企画かは、ご自身が”あやとりブログ”で【『大炎上生テレビ オレにも言わせろ!』 やって楽しい!見て楽しい!新しいテレビ体験にできるのか!?】と題した記事を書いているので読んでみよう。なるほどそういうことかと。とくにバスキュールが制作した”サッカー日本代表STADIUM”というサッカー応援アプリに感激した山脇氏が、こんな風にスタンプで参加できる番組ができたらいいな、というのが発端らしい。そのできたらいいな、から2か月でそれを具現化したわけで、そのスピードとエネルギーは素晴らしいなあ。

このところソーシャルテレビ委員長的なことをやってるぼくとしては、この番組が楽しみだった。28日はまっすぐ帰宅し早めに風呂入って準備万端で放送を待った。待っていたら同じ時間にNHK Eテレで『ニッポンのジレンマ』をまたやると気づいて慌てたけど。ジレンマの方は0時からだったので、録画しておいて途中まで観るしかないなとかつぶやいていたらジレンマの丸山さんから残念そうなコメントをもらったりした。すんません、丸山さん!録画したやつまだ観てないっすわ。

そんなこんなで、ジレンマを途中で諦めて0時45分、チャンネルをTBSへ。怪しげなムードで『大炎上生テレビ』がはじまった。

TBSの田中みな実アナウンサーを司会役に、カンニング竹山、アンジャッシュ渡部、眞鍋かをり、鴻上尚史、津田大介、アイドリング!!!菊池亜美、AV女優西野翔というメンバー。それぞれが「オレにも言わせろ!」な問題提議をし、それに対して視聴者の賛成反対の投票を受け付ける、というのが番組の大きな骨子。そこにTwitterを駆使し、新たなシステムを開発した双方向の仕組みが使われる。それが果たして、”新しいテレビ体験”をもたらすのかどうか、というのが見どころだ。

例えばカンニング竹山が「結局、女は顔で男を選んでる」と主張。中身が大事だとかルックスだけじゃないとか言いつつ、結局顔なんやろう!と問いかける。これについて、視聴者は賛成か反対かに投票できるのだ。

この番組でもっともポイントだったのが、この投票だ。PCやスマートフォンで特設サイトにアクセスすると、写真のような画面が出てくる。司会の「さあ投票をどうぞ!」のコールに合わせて投票できる状態になり、投票が済むと「賛成に投票した」ことが表示され、その結果が集約される。

つまり視聴者はこういうダブルスクリーン状態で視聴することになる。ぼくはPCだったが、スマートフォンでもタブレットでもいいわけだ。(※以下、番組やサイトのキャプチャー画面を使っています。問題あったら言ってくださいねー)

そして投票時にはこんな画面。賛成か反対かを選ぶのだ。

投票を締め切ったあと、結果がテレビで表示される。こんな感じね。

ちなみに、ニコ生でも同時に放送していた。でもこっちはほとんど観なかったなー。

へー、そうなんだ。ふーん。と、あっさり受けとめるだろう。でもこれね、けっこう大変なことだと思う。

生放送の進行に合わせて出演者の主張が出てくる。それに合わせてネット側もビジュアルを、主張する出演者と主張内容のテキストに変えていく。投票のタイミングには投票可能な状態にし、締め切ったら投票できなくする。そして結果を計算する。この一連がスムーズじゃないと、シラける。テレビの進行にぴったし合わせてネット側が表示を変える、しかもテレビ視聴者がもたらすものすごいトラフィックに耐えながら。

この番組では、見事に最後まで途切れたりトラブったりせず進行していた。まあ途中で主張する人が突然変わったりしたとこには合わせられなかったけど。でも、投票時に動かなくなったりしなかった。

ここは、さすがバスキュール!というところなんだろう。いや素晴らしいよ、朴さん。

テレビとネットを有機的に連携させようとする時に、必ずトラフィックの問題が出てくる。ネットでは一度に数万人のアクセスでも大変なことだろう。でもテレビの視聴者はその10倍〜100倍の規模で動く。その並外れたトラフィックをこなして為すべきことを為すのは相当な技術と経験が必要ではないかな。

少なくとも今回、大きな問題なくテレビとネットがリアルタイムで同期できていた。うん、やっぱすごいぜ!

そういうテクノロジーの面は満足できていたけど、正直言って内容的には何がなんだかわからないうちに終わってしまった感じは否めない。意外にAV女優がハラハラすることを主張するところがいちばん面白かったかな。主張の幅があまりにも広くて、ふざけたい番組なのか討論させたい番組なのか、はっきりしなかった気がする。竹山的な過激な言論にのっかっちゃうか、AV女優のすれすれな方向に走るか、津田大介のジャーナリスティックな方向に行くのか、はっきりしてた方が良かったんじゃないかな。そして、ネット上の皆さんの言ってることは、ジャーナリスティックな方向を望んでいるように思えた。

そうそう、びっくりしたのは、この番組のハッシュタグ(#炎上TV)を追っていると、滝のようにタイムラインが流れていた。ソーシャルに住む人びとの期待は高かったってことじゃないかな。「オレにも言わせろ!」ってみんな思ってるんだろうね。

でもとにかくこの番組の試みは大胆で意義深いと思う。ソーシャルテレビの歴史に確実にマイルストーンを築いたと言えるだろう。こういう、スピード感、とにかく走ってみよう感こそが、メディアの未来を切り開くんだと思うなあ。

この秋から、ソーシャルテレビ的な試みが増えそうな予感がある。思ったより事態は速いスピードで動きはじめているようだ。ほらほら、あなたもウカウカしてられないかもよ!・・・あ、ぼくもだ!

何かを生み出すって、血へどを吐き身を削る作業なんだってこと、忘れてた〜プロフェッショナル・仕事の流儀<遊川和彦>〜

なんとなく録画した「プロフェッショナル・仕事の流儀」を観た。今回が最終回で、脚本家の遊川和彦氏を取材していた。なんとなく観はじめたら壮絶で、感動して涙がぼろぼろ出て困った。

遊川氏の脚本作品をとくに追ってきたわけではない。TBSで『ママハハ・ブギ』『予備校ブギ』『ADブギ』などを書いていたのをあとで知った。この辺はけっこう観ていた。『十年愛』はちょっと印象的だった。『GTO』も遊川氏だったのだそうだ。

ぼくがはっきり遊川脚本を記憶したのは2000年の『オヤジぃ』だった。田村正和が武骨な父親を演じて共感した。不器用でストイックでちょっと世間からズレた泥臭いキャラクターで、90年代以降のテレビドラマがあまり描かなかったタイプの主人公だった。その泥臭さが”テレビのコード”みたいなものと微妙な違和感を放っていて、それがぼくにはどうにも気になった。

その後、『女王の教室』が話題になり、去年の驚くべき視聴率を獲得した『家政婦のミタ』に至る。

『仕事の流儀』を観て、いくつか驚いた。

テレビのヒット作を生み出す脚本家のイメージは、都心のマンションの仕事場で机に向かって書く姿ではないだろうか。撮影現場にいる職種ではないはずだ。都会的な働き方だというイメージがある。

ところが、『仕事の流儀』では、ちょうど10月からはじまるNHKの朝ドラを遊川氏が書いていて、撮影現場に居る姿が映し出される。こんなに現場にいる脚本家はいないと思う。スタッフや俳優はさぞかしやりにくいだろう。現場にいるだけでなく、演技に対してぶつぶつ言うのだ。時には役者に意見を言っている。演出家はイヤにならないのだろうかと心配になる。

けれど、現場にいるのがなぜかがわかってくる。その場で直すのだ。リハーサルを見て、要らないセリフを削るべきだと感じたり、必要なセリフをその場で考えはじめたりする。すぐさまそれを演出家に話す。また、持ち帰って翌朝まで直しをいれるために悩んだりするらしい。

現場でスタッフや役者と一緒に仕事する脚本家というものを初めて見た。

もうひとつ驚いたこと。『家政婦のミタ』は毎週観ていた。面白かったのだが、最初から気になっていたのが、家族構成と父親のキャラだ。

若い父親に、子供が四人もいる。いまどき四人も子供がいる家族なんてそうとう珍しい。だからといって7人も8人もいる大家族でもない。どうしてよりによって四人なんだ?

それから、父親。いくらなんでも、こんなに父親であることに戸惑い続け、父親であることを放棄しかける男なんて。いびつすぎる。なんでこんな父親なんだ?

答えが、『仕事の流儀』の中で判明する。この家族は、遊川氏の家族なのだ。彼は四人兄弟だったのだ。そして、父親は事業に失敗し、女とともに失踪して家族を捨てた。ドラマの父親は、遊川氏の父親なのだ。

つまり、『家政婦のミタ』はものすごく私的な物語だったのだ。ある意味、彼が自分の家族問題のトラウマと決着をつけるために書かれた物語なのだ。そんなに個人的な想いや過去を、あれほどのエンタテイメントに仕立てるとは。そのしたたかさ、手練手管には脱帽なのだが、あのドラマがあそこまで人びとの心に気になるものになり、大ヒットになったのは、遊川和彦の個人的なものをさらけ出しきったからだとも言える。

創造することとは、こんな風に、血へどを吐きながら、身を削る作業なのだ。忘れていたよ。大切なことを、もう一度思い出させてもらった。ソーシャルだなんだとか言って、作り手と受け手の境界が無くなるとか言って、でもやっぱり創造することは特別な作業だし、そうそう真似できることでもない。そういう作り手へのリスペクト、作る作業への尊敬を忘れるわけには行かない。

番組は、遊川氏が、こんどの朝ドラのヒロインを演じる夏菜を追い込むように演技に納得しない様子を映し出す。追い込むようではあるけれど、それは決して、高いところから見下ろして「ふん、そうじゃないよ」と侮蔑的に言うのではない。遊川氏は若い女優と一緒に悩んでいた。ともに追い込まれていた。役者と一緒にもがくのだ、この脚本家は。そして答えを現場でスタッフとともに見つける。最後に夏菜がとにかく演じてみたらうまくいった。良かったじゃないかと遊川氏が声をかけると涙をこぼす夏菜。

途中で、これまでに遊川作品を演じた菅野美穂と天海祐希が語る部分がある。彼女たちは遊川氏とたたかってきたのだ。遊川氏とともにもがくことは、彼とたたかうことでもあり、それがともに創造することなのだ。だから決して脚本家が一方的に答えを持っていてそれを教えるわけではなく、ともにたたかって現場で答えを見つけているのだ。たたかった苦しさと楽しさを経験しているから、この二人の女優は遊川氏との仕事について語ることができる。

最後に遊川氏は、脚本とは何かと問われて答える。「愛だよ」。それがこの番組を通してよくわかった。伝わった。愛の中身が感じとれた。

血へどを吐いて、身を削って、まだまだぼくたちも何かを生み出そうとしなければならない。そういう勇気を遊川氏からもらった。

素晴らしい映画に、ぼくは100円さえ払えない

ミステリー好きの娘は、面白そうな作品を嗅ぎ分けるようだ。『鍵泥棒のメソッド』という映画に前々から目をつけていた様子。公開日に観たいと言う。ぼくも面白そうだなと思っていたので、こないだの週末にさっそく観に行った。

娘は堺雅人が出るから面白そうだと思ったと言う。この春にフジテレビで放送していたドラマ『リーガルハイ』の効果かもしれない。いや、彼女の好きな伊坂幸太郎の小説の映画化『ゴールデンスランバー』で主演してたのもあるのかな。

『鍵泥棒のメソッド』はその堺雅人が演じる青年、売れない役者が、銭湯で転んで記憶を失った香川照之演じる殺し屋と入れ替わる、というお話。そこに、婚活宣言した生真面目な雑誌編集長、広末涼子がからみ、物語がどんどん転がっていく。こんなに器用に、アイデア満載のストーリーテリングはなかなかない。原作ナシのオリジナル脚本を自ら監督した内田けんじは天才だ。天才ってやっぱりいるんだなあ。

物語の面白さと完成度にいたく感心したぼくは、内田けんじの他の作品も観たいと思った。調べると、『WEEKEND BLUES』『運命じゃない人』『アフタースクール』と過去の作品が並ぶ。まだ4作目なんだなあ。それにしては手だれな映画だった。

これは過去の作品も観たい、観なきゃ、観ないとイライラしちゃいそうだ。そこで、AppleTVで、ケーブルテレビのVODサービスで、過去の作品を探してみたのだけど、ない・・・どこにも入っていないよお・・・

そこで久々に、ほんとに久しぶりにTSUTAYAに行った。AppleTVを買うまでは毎週末通っていたものだが、半年ぶりくらいだろうか。いや今年に入って初めてかもしれない。

「アフタースクール』をさっそく発見。しかもBlueRay版もあったのでそっちを選ぶ。早くみたいといさんでレジに行った。

えーっと、いくらだっけ?400円?新作じゃないから350円?BlueRayって少し高いの?どうなの?まあとにかく500円玉でお釣りがくるだろう。・・・・久しぶりにTSUTAYAでレンタル代を払おうとするぼくに、レジの女性が言ったのは・・・

「100円になります」・・・

ん?あれ?ひゃ、百円?!?!

ああー!そう言えば、TSUTAYAのテレビCMでやってたなあ。旧作はすべて100円になったって。忘れてた。そうだったのか。でもびっくりした。映画一本、たった100円で観れちゃうの?いいの?そんなことでいいの?

レジの女性はそんなぼくの驚きと戸惑いは知らず、さらに駄目押しする。

「ポイント使えますが、どうなさいます?」

なんとなく思わず「はあ、じゃあ使います』

「了解しました。では本日ポイントお使いいただきましたので・・・無料ですね」

む、む、無料?!タダってこと?100円でさえなく、タダなの?すっげえ観たいと思った映画が、タダで観れちゃうの????

いやTSUTAYAはえらい。半年も来なかった冷たいぼくにも、ポイントを忘れずにちゃーんと割引してくれる。さすがだよ。顧客満足を考えてるよ。・・・それはそうなんだけどね・・・

素直に喜べばいいところだが、なぜか納得がいかない、という気分になってしまった。新作映画観てあんまり面白いんで、同じ監督の旧作を電車に乗ってTSUTAYAまで借りに来たら、タダだった。意気込んだ気持ちが価値ナシ!と言われた気分だ。そんなことでいいのか?!

むしろぼくは「この監督の作品は大変面白いので、特別価格1000円になります」と言われた方が納得したのかもしれない。うんうん、そうだろうそうだろう。だって新作すごい面白かったし、どう見ても監督の手腕だしね、ぼくは払うよ、内田けんじの旧作、すごい観たいから1000円払うよ。・・・その方がいいんだ!盛り上がった気持ちにはフィットする。

もちろん無理やり1000円払うなんてことはせず、拍子抜けしながら”タダで”借りた『アフタースクール』を手に家に帰った。娘とじっくり観て、『鍵泥棒のメソッド』に負けず劣らずの面白さに浸った。十分堪能したよ!タダで借りた映画にね!

ぼくが直接お金を払わなかったからといって、この映画の制作者が損したわけでもないだろう。TSUTAYAはレンタル用のディスクを購入してそれで商売しているのだから。

でもなんだか不思議だ。こんな風にしてコンテンツ界にはデフレが続いているのかもしれない。ぼくたちが払うコンテンツ消費料金はスパイラル状に無料に近づいている。その価格を押し上げてくれそうな動きは、いまのところ見当たらない。

ぼくたちがTSUTAYAやHuluを上手にリーズナブルに使いこなすほど、コンテンツ制作にまわるお金が減っていくということなのかな。そう言えば、ブラッド・ピットも、俳優の出演料が下がっていると言ってたみたいだしね・・・

ゴールデンタイムは失われるのか〜うちのテレビを占領するHulu〜

Huluはまったくもって画期的なサービスだと思う。

去年の9月の登場時には1480円だったが、いまや値下げして月額980円。この金額でドラマや映画が見放題なのだ。いわゆるSubscription Video on Demand、略してSVODの開拓者。Huluが切り開いた道を、他のVODサービスも追随している格好だ。

登場時はPCかiPadで見るしかなかった。それがPS3やAppleTVといったSet Top Boxでも視聴できるようになった。これは大きい。だって、リビングの大画面テレビで観られるのだ。1時間のドラマや、2時間の映画は、大きな画面でじっくり観るに限る。それを可能にしたのは素晴らしい。企業努力が感じられる。

うちの娘は中学二年生で、ミステリーが大好きだ。小説を片っ端から読んでいる。本ならいいんじゃないかと親バカなことに、次から次に本を買ってあげる。するとあっという間に読んでしまう。

かなり好みがあって、本を読みだした当初は山田悠介ばかり読んでいた。その次は乙一にハマり、親としてはちょっと心配した。さらに幅を広げ、最近は伊坂幸太郎。なかなか目が肥えてきたなあ。さらに貫井徳郎がいまの最新の好み。サイン会にまで行っている。不思議と、宮部みゆきや東野圭吾は興味がないと言う。涙がにじむような感動は彼女には不要らしい。

そんな娘が、Huluにハマっている。今年の夏休みに入った時、PS3でのHuluの観方を教えたら、さっそくどんどん観はじめる。ハリウッドドラマをとにかくどんどん観ていくのだ。最初は一緒に「WALKING DEAD」を観ていた。だんだんぼくの知らないドラマを知らないうちに観るようになった。小説同様、ものすごい勢いで次々に観る。

ぼくは飲み歩くか、まっすぐ帰っても9時ごろになるので、夕食は妻と子供たちだけで食べる。7時ごろ食べるのだが、テレビはなんとなくついているのだそうだ。でも食事が終わると子供たちはとっとと自室に戻る。妻だけがそのままバラエティなどをだらだら観続ける。そのうち娘は風呂に入る。そして、そのあと8時半とか9時とかになると、おもむろにHuluを観はじめるのだそうだ。2話くらい続けてみる。だから、ぼくが帰宅する頃はだいたいHuluを観ていることになる。いまは、「LOST」シーズン2になったところだ。「LOST」は長いから、これから2〜3カ月は見続けるのだろう。

娘が見終わって自室に戻る頃、11時くらいになるとぼくがチャンネル権を握り、ニュースを見たりする。でもぼくも流れでHuluで「ウルトラセブン」や「刑事コロンボ」を観たりもしている。

ということは、わが家の夜のテレビ視聴は真ん中をすっぽり、Huluに奪われているのだ。まともにテレビがついているのは、7時ごろ、妻子が食事をしている時くらい。しかも、観てやしない。ついているだけ。かろうじて、テレビ世代の妻が観ていると言えば観ている。でもその時間も1時間くらいだ。

ゴールデンタイムとか、プライムタイムとか、テレビ視聴のコアとなるべき時間がある。生活の中では、夕食をとる時、そのあとでリラックスする時、そこでもっともテレビが頑張っている時間だ。でも、ということは一方で、Huluのような新しいサービスが侵食すべき時間でもある。わが家に関しては成功しているようだ。

それはわが家のお父さん、つまりぼくが、今後のメディアについて考える人であり、またテレビや映画が大好きな人間でもあるので、Huluみたいなサービスにとびつくからだ。

ということは、これから数年かけて、Huluに限らず”リビングルームの大画面テレビを狙うサービス”が少しずつ侵食していくということだろう。そしてそれはどうやっても止められはしない。ある程度は侵食されてしまうのだ。

テレビ放送にとってのゴールデンタイムはおそらく、少しずつ失われるのだろう。

そういう前提に立って今後を考えねばならないし、そういう前提に立つということは、大きな大きなパラダイムシフトとなると捉えねばならない。・・・と、ものすごく身近な例から安直に発想しているのだった・・・

”戦後最大のメディアのイス取りゲーム”を実感する日々

”戦後最大のメディアのイス取りゲーム”についてはもう何度も書いてきた。書いてきた上にしゃべってきた。人前で話す機会があると一時期必ずといっていいほどとりあげ、その後もネタに詰まるととりあげてきた。

何か知らない、って人は相当まずいので、もう半年前だけどアスキー総研のこのサイトのこの記事をすぐに読もう。遠藤所長が書いたこの記事は、下の方の「去年から今年、デバイスの利用はこんなに変わった!」の”図”とともにメディアについて語る者どもの間では話題沸騰したのだ。ぼくなんかこの”図”をホントに何度も使った。ついこないだも、TBSメディア総研が発行する「調査情報」というメディア論の雑誌に「ソーシャルテレビの時代へ」と題した原稿を書いた時にも使った。

ついでだから、もう一回ここで出しちゃおう。使うたびに遠藤さんに断ってるけど、今回はお話する時間がない。ので、あとでお許しを願おう。すみません、遠藤さん!勝手に使っちゃいます!
使っちゃうから宣伝もしよう!皆さん、メディアに関する調査やコンサルと言えば、アスキー総研ですぞ!最近では映画についての調査も引き受けたりしているそうです。幅が広いなあ!(ステマじゃないよ汗)

さてこの”戦後最大のメディアのイス取りゲーム”なんだけど、ぼくなりの受け止め方は、やはりソーシャルテレビじゃないか、ということ。デジタルツールはとにかく、スマートデバイスに集約されつつある。きっとこの先はタブレットも伸びるはずだ。

一方、テレビの視聴時間はぐいっと減少してはいるものの、やはり王座には鎮座している。そしてスマートデバイスで使うのはソーシャルメディアだ。ようするに、ソーシャルとテレビでソーシャルテレビ現象が進行しているなあと。自分の興味分野に持っていって受けとめているわけ。でもまちがいではないよね。

話は変わるけど、こないだある大学で一日講師をやった。これは去年も引き受けてその様子をこのブログで書いている。社会人講師を呼ぶ特別な催しをやっている大学の方にお声がけいただいたという次第。

今年は二回目ということで慣れたし、楽しい生徒たちだったのでリラックスして臨めた。そして去年も聞いたのだけど、生徒たちのメディア状況を聞いてみた。そして驚いた。

スマートフォン持ってる人!はーい!・・・全員!・・・なんと、全員スマートフォン所有者だった。

去年は12名中5名がスマートフォンで、ガラケーの方が多かったのだけど、今年は10名の生徒のうち見事に全員!まさしく、戦後最大のイス取りゲームだわ!三回生向けのプログラムなので、去年の三回生と今年の三回生を比較していることになる。

それから、ソーシャルメディアについて聞いてみた。Twitter、Facebookそれぞれ4〜5名ずつ。去年はそもそも両方ともみんなあまり知らなかったのに!そしてLINEは9名!

それから、mixiは3名。だけど、この半年ほどさわってないなあ、そう言えば、という状態。

アスキー総研の”図”の通りだし、スマートデバイスとソーシャルメディアの普及がこの一年でものすごい勢いで進んでいることが実感できた。

もうひとつ、最近仲良くしているウジトモコさんのイベントにこないだ行った。そこで”ハリトレー”という独創的な名刺入れについて教わった。ウジさんがお手伝いしている製品だそうで、いま秘かに大ブレイクしているらしい。詳しくはこのリンクのサイトで説明を見て欲しい。

このハリトレー、ある時テレビでとりあげてもらえたそうだ。そしたらすごい勢いで売れた。そしてどうやら、テレビを見た人がスマートフォンのサイトで検索してさっそく注文してようなのだと言う。年配層がスマートフォンを持ちはじめたタイミングでちょうどそういう導線のプロモーションが成立したのではないか、と推測できるのだそうだ。

これこそスマートテレビ的な現象!”戦後最大のイス取りゲーム”の進行を示す現象だと言える。しかも、マーケティングを動かしちゃいそうな事例だ。

そこに遠藤さんが”戦後最大の”と冠をつけた意味もあるのかもしれない。このメディアの異変は、大きく物事を変えようとしているのだ。ひとつは、世論形成。もうひとつは、マーケティング。それが、業界人とか、メディア論を追求するような特殊な人種ではなく、普通の人びとに起ころうとしている。ホントに世の中が変わるというのは、そういうことだろう。

こういう、”メディアのイス取りゲーム”を具現化しているような現象は、きっとあなたの身近でも起こっているんじゃないかな。そういうのあったら教えてくれないすか?

だってけっこうね、この変化は重要な気がするよ。起こるべきことが、マジョリティの間でも起こりはじめている。そしてそれは何と言っても”戦後最大”の変化なのよ。てことは、メディア構造のパラダイムシフト的な変化だってことなのよ、たぶん。大変なことなんじゃないかな・・・?

集中解説!ソーシャル五輪を掘り下げる(4)〜感情分析チャート(新しい視聴指標のタネ?)〜

集中解説の4回目は、この感情分析チャート。

4つの競技について収集したツイートを分析した結果をレーダーチャートにしたものだ。

さて今回のインフォグラフィクス作成ではいろんな皆さんのお力をお借りしているのだが、このレーダーチャート作成には、テキストマイニングツールである”見える化エンジン”を使わせていただいた。

”見える化エンジン”はプラスアルファコンサルティング社が提供している分析ツールで、いわゆるASP形式。とあるセミナーでこのツールを知ったぼくは、ソーシャルテレビの分析にぜひ使ってみたいとお願いし倒して今回の分析に使わせてもらうことになったのだ。

実に多様な分析が出来るので、他の手法も次回に紹介したいが、まずはこのレーダーチャートについて説明しよう。

競技別のツイート収集のは、何度かレポートを一緒に作成してきた”みるぞう”の皆さんによるものだ。各競技が放送された時間中に、その放送や競技に添ったハッシュタグを含むツイートを収集している。

そのツイートをデータとして”見える化エンジン”に取り込み、分析していく。

最初に、感情項目を設定してみた。「感動・興奮・賞賛・応援・面白・残念」の6つだ。

そして、”見える化エンジン”を使って、それぞれの項目に見合うキーワードをさらに設定していく。「感動」なら「素晴らしい」「涙」「泣」「うるうる」などといった具合だ。すると”見える化エンジン”の方で、そうしたキーワードを含むツイートを「感動』にグルーピングしてくれる。他のキーワードも同様だ。

キーワード設定の作業が済んだら、あとは”見える化エンジン”の多様なアウトプットで分析結果を出すだけだ。この場合では、グルーピングした数をレーダーチャート化している。そんな作業が数回のクリックでできてしまうから、やはりこのツールは素晴らしい!

そうやってできたレーダーチャートが上のインフォグラフィクスのものだ。なでしこジャパンのカナダ戦では、応援と同じくらい賞賛の声もあり、また感動や興奮も高い。開会式では当然ながら応援はほとんどなく、興奮と感動が高い。マラソンだととにかく応援が高い。そんなことが見えてきた。

ただし、実はこのチャートにはズルがある。数値を入れていないのだが、それぞれで水準がちがうのを同じように見せているのだ。

なでしこカナダ戦の「応援」は3.13%なのに、男子マラソンの「応援」は10.22%もある。単位がちがうグラフを並べて見せているようなことをやっているのだ。

その数値を合わせると、マラソンに比べてなでしこジャパンが抑揚のないものに見えてしまう。そこで、数値を合わせるのをやめたのだ。というより、そんなことをしている時点で、不完全なアウトプットだということだろう。はい、そこは認めます。

だからここでは、こういうチャートもあるかもね、というちょっとした実験をやってみせただけだ。

でも、こういうやり方の延長線上には、テレビ番組の”指標”が見えてくるのではないかと考えている。「感動」にあたるキーワードをもっともっと精査していき、そもそもテレビ視聴の評価項目としては感動なのか興奮なのか、という議論も経ねばならない。その上で、一年や二年の試行錯誤も必要だろう。だから試しにちょいと提案してみてます、という程度の話。

とは言えね、・・・あると思うよ、こういう考え方、捉え方って・・・

集中解説!ソーシャル五輪を掘り下げる(3)〜視聴率との対比・調査結果〜

ソーシャルオリンピックのインフォグラフィクスについて集中解説すると言っておきながら2回目で頓挫していた。今週は立て続けに更新していきたいと思う。今さら感がどんどん増殖するのにもめげずに、はい、がんばりまっす!

インフォグラフィクスではオリンピックの競技別視聴率と大会全体のツイート推移を視覚化している。

まず前回の分析に続いて「やっぱりサッカーだね」というのが明らか。何と言っても視聴率上位5つのうち4つまでがサッカー。ツイートの山も、サッカーの試合のたびに盛り上がっている。

ただ、ツイートの最大の山は開会式でできているのだが、視聴率では上位に入っていない。それから、なんとなくツイートの前半の山の高さが大きく、徐々に小さくなっている。

開会式のツイートの山が高いのに視聴率はさほどでもないということは、それだけ観ている人たちが強く盛り上がったということだ。土曜日の早朝4時から起きてテレビを視聴していた人がかなり高揚していたのだと言えるだろう。そしてその高揚は大会日程が進むとともにやや落ち着いていき、サッカーに焦点が絞られていった、と見ることができる。

ただ、サッカーがない日もとにかく深夜になるとツイートの山はできていて、かなりの数の人びとが毎夜毎夜オリンピックを視聴していたということだろう。

残念なのは、テレビ視聴率との対比はこうしてなんとなくながらできるわけだが、今回BSやネットでも多様な競技が中継されたこととツイートとの関係はまったく追えていない。聞いたところでは、初日に自転車競技はネット中継され、ツイッターでもかなり盛り上がったのだそうだ。いつもはスカパーで自転車競技を見ているファンが、オリンピックではそのままの形でネット視聴にやってきて、スカパー放送時に共有しているハッシュタグを使ってみんなでやりとりしていたのだそうだ。

この現象はすごく面白い。コンテンツがコミュニティになり、その中での放送の役割は重要だ、と前に書いたのだけど、まさにその現象を地でいっている。・・・でもここで分析にたるデータ収集はできていないので詳しく語れないわけだ。奥が深いなあ。

さてインフォグラフィクスではその次に調査結果を載せている。

この調査はソーシャルテレビ推進会議によるものとしていて、具体的な作業は深田さんがやってくれたものだ。

なんとなくわかるのは、このオリンピックを契機にソーシャル視聴をする人がぐいっと増えたようだ、ということ。そしてやはりTwitterが中心なのだということ。

それから、思いの外ツイートの内容は応援が中心だということも見えてきた。ネガティブなことを言うのはごくわずかで、基本的にみんなで応援する。またそれによって一体感を得たことを重視している。あまり情報を得るとか結果について語り合うとかは重要ではないのだ。

これこそ、パブリックビューイングなわけだ。開催地に行ったり、スポーツバーなどに行けなくても、テレビを見ながらみんなと一丸となって応援し、勝利には喜びを分かち合い、敗退には慰めあう。そんな視聴方法がオリンピックを機に根づきはじめているのだ。

ソーシャルオリンピックと呼ぶにふさわしい、多くの人びとにテレビとソーシャルメディアの関係を感じさせる絶好の機会がロンドン五輪だったのだと言えるだろう。

「踊る大捜査線」は最初のソーシャルテレビ現象だったのかもしれない

映画『踊る大捜査線 THE FINAL 新たなる希望』がこの週末から公開されている。まだぼく自身は観てないんだけど、映画館はきっと盛り上がっていることだろう。この映画シリーズの制作会社はぼくが去年まで在籍していた株式会社ロボットだということもあり、思い入れもあり感慨深いなあ。

皆さん知っての通り、いまや大ヒット映画シリーズのこの作品、最初はテレビドラマシリーズだった。土曜日の夜に映画の2作目がテレビ放送されたのを観て盛り上がっちゃったので、VODサービスにあるテレビドラマの全話パックを購入してしまい、ドラマ版の第1話、第2話を続けてみたら、やっぱり面白いんだわ!

実はぼくはこのドラマ、放送時には観ていなかった。当時はフジテレビのドラマのポスター制作の仕事をよく引き受けていたので同局の作品はけっこうチェックしていたのだけど、この作品は視野から漏れていたのだ。それに放送時にはさほど視聴率がよかったわけではない。最終回が23%を記録したが、一貫して10%代後半を推移している。90年代の視聴率の水準としては”まあまあだね”という印象だっただろう。

ところが、むしろドラマ終了後に熱烈なファンたちのメッセージが聞こえてきた。どこから聞こえてきたかと言うと、ネットからだ。Wikipediaには以下のような記述がある。

”劇中に出てくる真下正義のウェブサイトを製作者側が削除せずにいたところ、見つけたファンからの働きかけがきっかけとなり、TVシリーズ本放送終了後にインターネットの公式サイトが開始。これを介してドラマ制作側とファン側が直接接触する機会が生まれた。そして、サイトでやりとりされた制作側・ファン側双方の熱意とアイデアが、このドラマを一大ブームへと押し上げた原動力の一つとなった。”

97年と言えばWINDOWS95登場からまだ数年。会社でようやくPCが使われるようになった頃。番組のホームページなんてある方が少なかった。そんな頃に視聴者側がたまたまドラマ終了後にほったらかしのサイトを発見して盛り上がった。それが大きなきっかけとなった。さらにサイト上で制作者と視聴者が”やりとり”をしたのだ。

それって、ソーシャルな現象だと言えないだろうか?

ソーシャルメディアが普及する10年も前に、掲示板上で視聴者が盛り上り、制作者とやりとりまでしていた。ネットの本質にこうした、マスメディアではつながらない”やりとり”が隠されているのだろう。

そしてドラマは再放送され、スペシャル版もいくつかつくられ、満を持して98年に映画版が公開される。ぼくはこの頃はフリーランスのコピーライターだったのだが、ロボットに遊びに行くと当時の社長が落ち着かずに歩き回りながら「もうすぐ公開なんだが、配収15億は行くんじゃないかと思うんだよな!」と興奮を抑えていたのを憶えている。いよいよ公開日、フタを開けたら各劇場に長蛇の列が出来て、史上稀な大ヒット作品となった。配収15億どころか50億(興収では100億)を超える成績を上げたのだ。

確か98年の秋に公開されたのがどんどんロングランとなり翌年まで引っ張ったのだった。そんな日本映画なかったんだよね!

最近は日本映画の方がお客さんが入るのだが、当時は洋画の方が圧倒的に強かった。日本映画はダサくてくらくてつまらないものだった。その常識を変えたのが『踊る大捜査線』だった。テレビの面白さを劇場に持ち込んだらそれまでのイメージをひっくり返せる。みんなにそう確信させたのだ。

映画界の常識を変えたのは、テレビシリーズのファンたちの声だった。彼らと作り手を結ぶネットと言う広場が登場したからだ。

ソーシャル誕生以前のソーシャル現象。そんな視点で今回の最新作(そして最後の作品!)「踊る大捜査線」を楽しんでみてはどうでしょか?

集中解説!ソーシャル五輪を掘り下げる(2)〜選手ツイート数ランキング〜

さてここからは、昨日紹介したインフォグラフィクスのひとつひとつを掘り下げて解説していこう。

インフォグラフィクスのトップは、選手のツイート数ランキングだ。

見ての通り、内村航平がトップだ。ソーシャル上でも金メダル!何しろ、実際の競技でも金メダルとったし、期待度も高かった。一方、予選で調子を崩しハラハラさせたこともツイート数を増やしたかもしれない。もちろん、さわやかイケメンであることも大きな要素だろう。

そのあと、2位3位とサッカー選手が続いている。インフォグラフィクスでは、メダルを取った選手に金銀銅メダルのアイコンを添えてありわかりやすい。すると、メダリストではない選手は男子サッカー選手であることがわかる。テニスで大善戦した錦織が例外的に入っているが、ランキング上位で非メダリストなのは、ほぼ男子サッカー。

このオリンピックは、日本としてはとにかくサッカーだったのだ。優勝候補だったなでしこジャパンはもちろんだが、男子サッカーも思いの外勝ち進んだ。そこに日本人として興奮していたことがこの結果からよくわかる。

それから、Twitterは、やはり若い世代が中心だ。そしてサッカーが好きな若者は多い。この世代的なシンクロも、男子サッカー選手の順位を押し上げているのだと思う。

そして、これはひとつの仮説だが、サッカーはTwitter向きな競技だ、ということもあるのではないだろうか。1時間半の長い競技時間。陸上や競泳のような他の競技は一瞬で終わってしまう。Twitterで盛り上がるのも、一瞬になってしまう。でもサッカーは1時間半の間、盛り上がり続けるスポーツだ。攻め込まれては盛り上り、攻め入っては盛り上り、ラフプレイに盛り上り、もちろん得点シーンで盛り上がる。

ソーシャルメディア登場以前から、サッカーではスタジアムのスクリーンで海外の試合を観て盛り上がる”パブリックビューイング”がしばしば行われてきた。スポーツバーでワールドカップの試合を観ながら盛り上がっていた。もともとソーシャル的な観戦が根づいていたのがサッカーだった。史上初のソーシャルオリンピックで盛り上がらないはずはない。

もうひとつ注目したいのが、なでしこジャパンの澤選手や宮間選手より、男子サッカー選手の方がぐんとランキングが上位にあること。これも検証できてはいないが、予想外に勝ち抜いて決勝トーナメントに参加できた。そのことがファンを熱くさせツイート数を増やしたのではないだろうか。

今回のオリンピックを盛り上げたのはサッカーであり、サッカーこそTwitterにぴったりな、ソーシャルテレビ視聴にふさわしい競技なのだ。

と、いうことがまずわかったね、ってことで、また次回へ続きますよー。

集中解説!ソーシャル五輪を掘り下げる(1)〜インフォグラフィクス作ったんだぜ〜

あ、もう9月じゃないか!そしてなんと、8月はこのブログ、3回しか投稿してない・・・3回?!人によってはぼくのことを”ブロガー”と呼ぶのに、まずいだろう!というわけで、挽回すべく集中的に記事を書いていこうと思うよ。テーマはね、ソーシャルオリンピック。

ソーシャルオリンピックについては、ソーシャルテレビラボの方でけっこう頑張って書いてきた。そっか、そっち書いてたからこっちあんまり書かなかったのか。いくつかの競技のツイートの時間推移をグラフにして解説したりとかね、してた。そうしたら、いくつかの新聞の記者さんから電話で取材を受けたり、「新・週刊フジテレビ批評」で取材受けてちょろりと画面に登場したりした。

そして、先週にはVOYAGE GROUPさんのプレス向けサイトを借りて、ソーシャルテレビ推進会議としてのリリースを配信した。”ソーシャル五輪プレイバック”ということで、オリンピックのソーシャル視点での分析をしてみたわけ。

さらに、ここがポイントなんだけど、インフォグラフィクス化してみたわけ。ほら、これね!

なんかいいっしょ?!いい感じっしょ?!

そうだね、なかなかいいね!・・・でも、今さら感あるけどね・・・

あー!そこ言われちゃうとね・・・

確かに、海外ではオリンピックに関するインフォグラフィクスがもうとっくにたくさんたくさん出ていた。ごめんね、トロくて。

でも、ソーシャルテレビラボは、それぞれ別々の会社に所属する人びとが仕事の合間にやってる活動だからさ。まあでも今さら感がある分、このインフォグラフィクスについて、さらには、ここにはのっけられなかったようなデータについて、解説していこうと思う。8月にこのブログを怠けてた分を挽回するためにもね。できるだけ、立て続けに書いていこうと思う。

最初は、このインフォグラフィクスを作ったプロセスを語ってみよう。

ソーシャルテレビ推進会議には、VOYAGE GROUPのtuneTV、ニフティのみるぞう、アライドアーキテクツのピーチク、そしてアジャイルメディアの福田さんが個人的にやっているテレビジン、この4つのソーシャルテレビアプリの関係者が参加してくれている。さらにビデオリサーチインタラクティブの深田さんも加わって、オリンピックの分析やろうということになった。

ソーシャルテレビアプリをやっていると、基本的にTweetを収集するので、そこから分析できないかなと。でも具体的に考えていくと、データ収集を一定の基準でちゃんとやらないといかんなとなった。ぼくにはいまひとつ理解できてないんだけど、Tweetの収集は意外と手こずる作業のようなのだ。Twitterは基本的に”APIの開放”をしてくれているので、データを取りに行けるのだけど、一定時間の中で収集できるデータには限度があったりする。

そこで今回、データセクション株式会社の皆さんのお力を借りることになった。同社は、前にもtuneTVと紅白歌合戦でのTweet分析を発表している。今回もお声がけをしてみたら、快く引き受けてくれたというわけだ。ソーシャルメディア上のデータの収集と分析ではこの会社!という存在なので頼もしい限り!

さらにもうひとつ、株式会社プラスアルファコンサルティングの分析ツール”見える化エンジン”も協力をお願いして快諾をいただいた。このツールはソーシャルメディアに限らず多様なテキストデータを多角的に分析できる、いわゆる”マイニング”のツールで、その名の通り何でもパッとわかりやすいアウトプットを出してくれる。こちらも特別に協力をしてくれることになり、百人力!

そして、デザインを井上恵理さんにお願いした。フリーランスでグラフィックデザイナーをやっている。もうこれはデザインを誰にお願いしようかと考えてピン!と来たのだった。彼女なら、素敵で知的なデザインを仕上げてくれるのでは?

そんなメンバーで、やろうとなった。とは言え、手弁当チームだし、インフォグラフィクス作るの初めてだし、けっこう行き当たりばったりの進行。オリンピック開始前に集まって大まかな方向を決め、期間中に集まって事後の作業を話しあい、終了後にえいや!と進め方を決めた。

ようやくインフォグラフィクスが完成しリリースにのっけられたのは30日。オリンピック終了から二十日間弱かかってしまった。でもでもでも、なかなか面白いアプトプットができたと思う・・・んだけど、そんなことない?

というわけで、次回から、個別の詳しい解説や、ここにはないデータなどを紹介していくよ!

ソーシャルメディアは、ぼくらとオリンピックの関係を変えようとしている(のかもね)

この18日の土曜日の朝5時から、フジテレビの「新・週刊フジテレビ批評」にちょろっと出演した。

ほぼ一年前、2011年の8月にスタジオ出演していて、この時は『テレビは生き残れるのか』を出した人です、ってんでクリティックトークのコーナーで20分ぐらいしゃべった。メディアストラテジスト(って何だ?)として初出演。その後も何度か、1ウィークトピック(前半の10分程度の特集コーナー)で取材に来ていただいてしゃべったことがあった。そういう場合は30秒〜1分ぐらいVTRで登場するわけ。

18日の放送に向けても、1ウィークトピックでソーシャルオリンピックをとりあげるのでということで、また取材の依頼があったのだ。ソーシャルテレビ推進会議のみなさんと地道に運営しているソーシャルテレビラボの記事も読んでくれていたそうだ。競技でのツイート推移グラフなんか面白がっているそうで。

推進会議の活動の宣伝にもなるしねと、夏休みだったけどフジテレビまで出かけていってVTR取材を受けた。何言ったかわかんないくらいくっちゃべったけど、いろいろ質問されつつ思ったのは、今回のこのソーシャルオリンピックってなんだったのかなーと。意外にそこ、わかってないなあ、おれ。

さて放送を観たのだけど、「ソーシャルオリンピックその成果と課題」と題しての1ウィークトピック、これがなかなかよくまとまっていて、ぼくにとっても良い振り返りの機会となった。ぼくにインタビューした時には、どうまとめたものか頭抱えてます、とスタッフの方は言ってたけど、さすがだなあ、ホントによくまとまってましたよ!

10分ほどのコーナーの内容をかいつまんで書いてみよう。

今回のオリンピックはIOCが選手のソーシャルメディア活用を推奨していたこともあり、たくさんの選手、そして企業がTwitterやFacebookを使った。だからこそ、世界的にも”ソーシャルオリンピック”と呼ばれた初めての大会となった。何しろ、北京オリンピックの頃にTwitterやFacebookをやってる人なんて、ITに詳しいごく少数の人びとだったのが、いまや世界で何億人もユーザーがいるのだからね。

日本選手293人の中でも26%にあたる77人がTwitterを使っており、Facebookで発信している人も6人いたそうだ。大会期間中、各選手のフォロワー数はぐいぐい増加し、競泳の北島康介選手はもともと8万人のフォロワー数が15万人と倍に増えたという。

アジャイルメディアネットワークを率いる徳力さんがやはりインタビュー映像で登場し、いちばん重要なのは選手によるTwitter活用だと思う、と述べていた。確かに、ソーシャルテレビがどうのと言う前に、ここは注目すべきポイントだ。マスメディアを通してしか接することのできなかった選手の生の声が届く。北島康介選手なんか、あのキャラそのままに気さくなコメントをTwitterで発信するから好感が持てるし、個人でメダルが取れなかったあと、メドレーで頑張るんだとつぶやいているのを観れば、応援にもさらに力が入るというものだろう。

Twitterがある意味、選手とぼくたちの関係を変えようとしているのだ。

一方、テレビ視聴との関係はどうだろう。視聴率は意外にも、ここ数回のオリンピックの中でもいちばん低かったそうだ。時差がほとんどなかった北京オリンピックより視聴率が下がったのは当然としても、アテネ大会と比べても1〜2%下がっている。これについてはいろんなことが言えるが、ただとにかく、ソーシャルオリンピックによって視聴率がめきめき上がるわけではないということかもしれない。少なくとも”まだ”ね。

ただ、BIGLOBEの調査では、オリンピック期間中の日本からの深夜のツイート数が25%程度上がったそうだ。どう見ても、オリンピックをテレビで観ながらつぶやいているわけで、今回のオリンピックでソーシャルテレビを楽しんだ人はかなり多かったとは言える。

ただまあ、全体にもやもやとしたことしか言えないのも事実。「2012年、ロンドンオリンピックによってソーシャルテレビはこうなった!」と明確なデータをもとに何かを言えるわけではないね。

だけど、自然と起こったことから、今後こうなるんだろうなという予兆的なことはある。それは、テレビと選手とぼくらと、そしてひょっとしたら”国家”というものの関係が変わっていくんじゃないか、ということ。

話は変わるけど、『ALWAYS 三丁目の夕日』の三作目『’64』は東京オリンピックが重要なモチーフとして登場する。そして鈴木オートのお茶の間にカラーテレビがやってくる。届いたばかりのカラーテレビでオリンピックの開会式を観ていると、ブルーインパルスが空に美しい五輪を描く。気づくと、飛行機の爆音が外から聞こえる。慌ててほんものの空を見上げると、ブルーインパルスが上空を駆け抜けていく。

ぼくはこのシーン、テレビとぼくたちの関係を物語る象徴的な場面だと思う。鈴木家は東京にいるのだからオリンピックはすぐそこでやっている。でも、テレビの箱の中で行われている出来事なのだ。テレビで観たあとで、これが現実に行われていることに気づく。

戦後の日本はテレビという不思議の箱の中にある不思議の国だったのではないだろうか。

ソーシャルメディアが変えようとしているのはそこなのかもしれない。オリンピックへの直接的な接続経路をソーシャルメディアが促してくれる。オリンピックという存在がテレビとソーシャルと2つの経路でつながることによって、テレビの箱の中から外へ飛びだすのだ。映像が3D化されるように、”立体的”になる。テレビ放送で、アナウンサーがマイクを向けて「いま、どんなお気持ちですか?」「この勝利も応援してくれている皆さんのおかげです」というステロタイプにしか見えてこなかった個々の選手たちの気持ちに”ライブで”ふれることができる。

テレビ放送がダメになる、存在意味がなくなる、ということでは決してない。むしろ、オフィシャルな映像と、オフィシャルなコメントを提供してくれる最重要なメディアだ。ただ、ぼくたちにはこれまで、カメラの裏がのぞけなかった。そういう選択肢はなかった。ソーシャルメディアがその選択肢をくれようとしている。若々しい選手たちは、オフィシャルなコメントのあとで、友達に語るように気持ちを吐露してくれるだろう。その本音を踏まえると、放送でのインタビューもステロタイプから進化できるかもしれない。昨日Twitterでこんなことおっしゃってましたね!えー!こっそり書いたつもりなのに・・あれはですねえ・・・テレビの上でもそんな化学反応が起こるかもしれない。ソーシャルメディアによって、テレビ自体も、自身が持つコードから解放されるのかもしれないのだ。

そして、オリンピックとは国家の祭典だ。一方、テレビは国家と何らかの関わりを持たざるをえない存在だ。(少なくとも電波の割当は政府が決めるものだ)オリンピックという国家を代表するスポーツ選手たちの競技を、テレビという国家が許認可を出すメディア事業が、その国家に属する人びと(=国民)に伝える、盛り上げる。そういう構造だった。

そこにソーシャルメディアが加わることで、選手・テレビ・国民それぞれに対し国家が(意図せずとも)めぐらせていた鎖のようなものがだらだらと、ずるずると、ほどけていってしまう。そうならざるをえない。”そうならざるをえない変化”をもたらすのがソーシャルメディアなのだが、オリンピックではまさにそうなんじゃないかと思う。

結局、言ってることがもやもやしているなー。このあたりは別の機会にもう少し骨組みを強くして書いてみたい。けど今日はもう眠いからここまでね・・・

ロンドンオリンピック閉会式は、英国クリエイティブ産業の壮大なデモンストレーションだったんだな

ロンドンオリンピックが終わった。ソーシャルオリンピックとも呼ばれ、メディア論上、近年でもっとも注目すべきオリンピックとなった。ぼくもソーシャルテレビラボの一員として、いくつかの競技でツイート推移を追ったレポート記事をみるぞうのみんなと作成したりした。さらに、大会期間全体を分析して総括する作業も今週から来週にかけて行うので、乞うご期待!

今朝は閉会式。朝食をとり身支度をしながらちらちら観ていたらフレディ・マーキュリーがモニター上に登場してブライアン・メイがギターを弾いたりなんだか面白そうだ。ってことで、夜帰宅してから録画してあったのをじっくり観た。開会式も素晴らしかったけど、閉会式もまた素敵だったよ!

“A Symphony of British Music”ブリティッシュミュージックのシンフォニーと銘打って、次から次に、英国ポップミュージック界のスター達が登場して、よく知っている曲を唄い演奏していった。開会式でも、ポール・マッカートニーが唄ったりしたわけだけど、閉会式はもう100%音楽といった感じ。

ぼくのようなオールドファンにはさっき書いたクイーンが懐かしかった。ブライアン・メイがもうほとんどおじいちゃんになってて、それでもあのオリジナルギターで「We Will Rock You」をガンガンかき鳴らし、ハンサムだったロジャー・テイラーがすっかり太ってそれでもパワフルなドラムを聴かせてくれてジーンと来た。

ジョージ・マイケルもおっさんながら魅力的な歌声だったし、スパイス・ガールズも懐かしい!圧巻は最後の最後に登場したザ・フー!ロジャー・ダルトリーがまったく衰えてない歌声を聞かせてくれて、ピート・タウンシェンドは相変わらず腕をぐるんぐるん振り回してギターをかき鳴らす。あの弾き方、意外に難しいんだぜー。

それにモンティ・パイソンがお決まりの人間大砲失敗を演じてくれたり、スーパーモデル達が勢ぞろいして短いファッションショーを見せてくれたり。きらびやかで華やかで、ゴージャス!スポーツファンならずとも楽しめるショーだった。

・・・と、楽しさに浸っていて、ふと気づいたんだけど、オリンピック閉会式でこんなにエンタテイメント満載なのもなかったんじゃないか?・・・これって国策なんじゃない?・・・

いやもちろん、そもそも英国に世界で通用するエンタテイナー達がごまんといるからできることだ。実際、開会式も含めて、こんなに英国の表現者たちにぼくたちは影響を受けてきたんだなあとあらためて思い知った。ぼくらからすると米国人と英国人のちがいはわからないし、日本にやって来る文化はほとんどハリウッドを中心とした米国なので、いまさら「あれ?この人も米国じゃなくて英国だったの?」というアーティストは多い。

ぼくたちが少年時代にむさぼるように聞いたロックミュージックはほとんどが英国産だ。アメリカの音楽は少なくとも70年代までは意外に最先端ではなく、音楽シーンを切り開いてきたのはビートルズやストーンズからクイーン、そしてピストルズまで英国で、英国ロックの歴史がそのまま世界のロックの歴史だった。

だが一方で、英国は70年代に”停滞”する。産業革命以来の製造業がこぞってダメになるんだ。ダメにしたのはぼくら日本の製造業がのしてきたから。英国病とまで言われ、世界を制した大英帝国は衰退の一途をたどるしかないと思われていた。それが鉄の女サッチャーの大改革で生まれ変わるのだ。古きをバッサリ切り捨て、新しきを育てる。

それを受けて、英国で”クリエイティブ産業”が静かに力をつけていく。90年代に花を咲かせる。映画で言うと、ダニー・ボイルの監督作「トレイン・スポッティング」。世界中で大ヒットした。この作品はシンボルで、他にも続々”英国にも映画あり!”と言わんばかりに多彩な作品が世界に出てきた。英国の強みは、ハリウッドに溶け込めること。アメリカ人だと思ってたら実は英国出身という映画人は多く、今が旬なところでは「ダークナイト」シリーズのクリストファー・ノーラン監督や主演のクリスチャン・ベイルもそうだ。

英国は製造業を諦めて金融で甦ったけど、クリエイティブ産業も重要な経済の担い手となった。クール・ジャパンだって、90年代後半に英国で唱えられたクール・ブリタニアからもらってきているのだ。ブレア政権で掲げたスローガンのひとつがクール・ブリタニア。そういう国策があっていよいよ英国のクリエイティブ産業は発展した。

そうやって考えていくと、オリンピックというスポーツの祭典を利用して、クリエイティブ産業を世界にデモンストレーションしているんだなあと気づかされる。こういうオリンピックの活用法もあるんだなあ。その経済効果は少なからずあると思う。少なくともぼくは、ザ・フーの曲をいくつかiTunesで買ってしまいそうだ。

こういうこともあるんだったら、東京へのオリンピック誘致も前向きに考えてもいいんじゃないかな。ぼくはこの、東京誘致をずっと冷めた目で見ていた。どこか、”あの頃よもう一度、高度成長またおいで”という無理な思いを感じてしまっていたからだ。だが、新しい日本のために、これからの日本の”クリエイティブ産業”のために、というなら話は違ってくる。応援したくなるってもんじゃないか。

・・・どうだろう、関係者の皆さん。ロンドンを参考に、東京オリンピックをエンタテイメントも含めた催しにしていくのは・・・賛同者、増えると思うんだけどなあ・・・