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コピーライター→映像製作会社ロボット→広告代理店ビデオプロモーション→再びコピーライター(フリーランス)。 メディアとコンテンツの未来を切り拓くコミュニケーションをデザインします。講演・執筆依頼もお気軽に!

テレビがファンを育てはじめた〜NHK「仕事ハッケン伝」ブロガー見学会〜

この瞬間をキャプチャするのは難しいんだぞ!

NHKの「仕事ハッケン伝」という番組がある。タレントや俳優が普通の企業に一週間入社して、ガチでその仕事を体験するというもの。”働く”ことの意義を問いたくなるなかなか引き込まれる番組だ。・・・ということを知ってはいたが、ちゃんと頭から最後まで観たことなかった。そのくせ、あれはまあ、なかなかいい番組だよね、と知ったようなことを言っていた。

その番組がまた新たに始まるにあたり、ブロガーを呼んで収録の場を見せる催しがあると言う。ぼくはその番組のプロデューサーや広報の方とお友達なこともあって、特別枠で呼んでもらえた。呼んでくれるなら行かなきゃね、とばかりに勇んで出かけていったよ。

集まったのは30人くらいいたかな?ブログを書いている皆さんらしい。学生向けメディアの記者さんもいた。

ホントは有名だけどそこに触れてはいけない広報マンが、収録が始まる前にみんなに質問したり質問を受けたりした。けっこう鋭いことを皆さんが言う。「どうしてNHKオンデマンドは有料なのか」「受信料はどういうことなの?」いやー、皆さんキッツイなー。

お友達枠で参加していた大元隆志さんがまた切っ先鋭くつっこむ。「自分はテレビは持っているが年に数時間しか観ない。公共放送であるNHKの公共性は例えば手話放送の充実などがあるようだが、手話放送が必要な人と、自分のようにテレビをほとんど見ない人と、どっちにも公共性は考慮されるべきでは。だとしたらNHKのコンテンツをテレビ放送以外でも接触できるようにしないのか」・・・大元さーん、公共放送NHKの、公共性を問うとは、キツイ。キツすぎるよ・・・でも広報マン、たじろぎもせず、切々と答えていた。さすが、いろいろ言われ慣れてるな。

さて番組が始まった。今回は吉木りさがはとバスのツアー企画に挑戦。セットが組まれたスタジオで、司会の中山ヒデちゃんと首藤アナ、吉木りさとアズマックス。そしてはとバスの方が集まってきた。ブロガーたちは、準備の間そのスタジオを見学したのち、別室に移動。モニターで番組の収録を見つめる。

取材をまとめたビデオを観ながら、間の時間にトークが入る。番組は1時間だけど当然、トークとビデオで2時間くらいかかった。あとで編集するわけだ。

正直言って、吉木りさのことをぼくはよく知らなかった。グラビアタレントで歌手でもあるとか。もちろんかわいい女性だが、それ以上何も知らないし興味も持ってなかった。

ビデオが進むとだんだん、引き込まれていった。なにしろ、ガチで仕事をするのだ。戸惑いながら必死でツアーを企画し、その実現に向けて奮闘する。吉木りさのひた向きさ、必死さにぐいぐい惹きつけられていった。

トークの時間ではヒデちゃんがうまく話を進めていく。まー、この人なんて司会が上手いんだろう!話を進めるだけでなく、みんなの気持ちを盛り上げていく。はとバスの人たちもナイスなキャラで、だんだんスタジオのエモーションが高まっていくのがよくわかった。

ビデオの中で吉木りさが苦難を乗り越えてツアーを成功させた。お客さんも満足してくれたのが映像から伝わってくる。東京駅でお客さんを見送った時、はとバスの企画スタッフが彼女をねぎらいに現れた。うれしくて涙する吉木りさ。・・・うぐっ・・・ちくしょー、見てるこっちまで涙がにじんじまうじゃんかよお・・・

無事収録が終わり、再びスタジオにブロガーも移動。質問タイムとなった。吉木りさとヒデちゃん、首藤アナを囲んで若者たちが次々に質問を投げかける。楽しく答える出演者たち。ブロガーたちは、ぼく以上に感動したようで、投げかける言葉も熱い。これに対し、誠実に答える出演者たちがまたグッと来たなあ。ヒデちゃん、いい人だ!テレビからは伝わらなかった誠実さがはっきりと伝わる。吉木りさちゃん、いい子だ!なんて素敵な女子だろう!

・・・おっ!・・・出演者たちの、この番組の、ファンになってるよ、ぼくたちは・・・

プロデューサーの河瀬大作氏は、実は11月にぼくらのイベントにゲストでお呼びした方で、「おやすみ日本」の制作者でもある。途中で少し話した時、彼は言った。「この番組のファンをつくりたいんですよ」うーん、さすがぼくがゲストに呼んだ人だ。なるほどなー。

ちょうどぼくはいま、「月刊民放」という民放連発行の雑誌で”放送局もファンを育てる発想を持つべき”というテーマの原稿を書いている。そこで書いたこととドンピシャで恐れ入った。テレビの未来を見据えて「これからはこう考えましょう」と書いたことを、すでに実践している人たちがいるじゃないの。

”ファンを育てる”という発想は、前回書いた日テレの「ハリーポッター祭り」にも実は流れていた。ハリーポッターファンを、というよりもハリーポッター一挙放送という企画の、ファンを育てつなぎ止めるためにJoinTVを使おうとしているのだ。だからOffAirも大事になるのだ。

ファンを育てる?つったって、ブロガー30人呼んで何の意味があるの?視聴率につながるわけないじゃん。

そんなこと言ってわかったような顔してる場合じゃないよ。ぜんぜんわかってないなあ。

まず、ファンを育てるのは、視聴率のためじゃない。ファンをつなぎ止めることは、つまり番組を愛してくれる人とコミュニケーションすることこそが、これからのテレビ番組の生き抜き方には欠かせなくなるだろう。

そして、それができればこそ、結局は視聴率にもつながっていくはずだ。30%の大ヒット番組にするため、ではない。視聴率にすると8%になればいいよ、くらいなことかもしれないけど、でも確実に見てくれる層、楽しみにしてくれる層を保持することができれば、末長く続く番組にできるというものだ。そういう長期的な作戦が、”ファンを育てる”ということなのだ。

終了後に、大元隆志さんがしきりと感心していた。ファンになったそうだ。ほんとにいい番組だと思ったし、中山ヒデちゃんの人柄に強く惹きつけられたと言う。年に数時間しかテレビを見ない彼が、4月から毎週観るかもしれないのだ。もちろん、大元氏はソーシャルメディアの達人なので、いろいろわかって言っているのだけど、彼が本当にこの番組を毎週観るようになったら、このブロガーイベントには計り知れない効果があったということだろう。(大元さんはさっそくご自分のブログASSIOMAで記事を書いているので併せて読んでみるといいんでないかな?)

そのことの意義、重みをみんな、感じとろうぜ!これはそうとう、テレビの先にあるべきものを象徴する事例だと思うよ!

ソーシャルテレビを具体化する時が来た!〜日本テレビ・ハリーポッター祭りとNHK文研シンポジウム〜

はい、すみません。さぼってましたね、このところ。3月はもう半ばもすぎたのに、ひとつしか記事を書いてなかった。最近、酒飲むとすぐ寝ちゃうもんでね。・・・ってことは飲んでばっかだったのね・・・はい、控えます、少しはね。

書くネタはいっぱいあって、たまってるのを少しずつ。でもずるいので今回は2つのネタをまとめて書くね。ネタの皆さん、恐縮です。

3月14日にワーナーブラザーズの試写室で日本テレビによる「ハリーポッター祭り」の発表会があった。記者さんとは別にブロガーもおいでよ、ってんで、行ってきたことがまずひとつ目のネタ。

日本テレビは今年2013年、映画ハリーポッター全8作を放送するそうだ。それはすごい!ハリーポッターはいま中高生のうちの子供たちがともに育ったコンテンツなので感慨深いものがある。

その話は置いといて、そのハリーポッターはJoinTVをフル活用すると言う。それはまずですね・・・とイチから書くと大変なので、日経ニューメディアのよくまとまったこっちの記事をざざっと読んで。・・・はい、読みましたか?わかりやすいね、この記事!

それからソーシャル仲間の大元さんもASSIOMAで解説的な記事を書いている。これも読むとさらによくわかるね、うん!

人の記事を紹介ばかりしててもダメだね。それでさらにぼくの注目ポイントをあげておくよ。それはね、今回のJoinTVが”Off Air”も大事にしている点だ。これは新しい。そして本質的だ。

これまでのJoinTVは番組を観ながらのものだった。いちばん派手だったのは11月のエヴァンゲリオン放送時のセカンドスクリーンだった。視聴中に手元のスマートフォンで映画に合わせて遊べるよ、というものだった。

ハリーポッター祭りでももちろん、観ながらの遊びは楽しめる。でもそれだけでなく、視聴後にも楽しめる仕組みが出来ているのだ。

テレビ局の人たちは、本能として番組をライブで観てもらうことにしかカラダが対応できなかった。だからこそ、ツイッターでライブ視聴を盛り上げられそうだと言うことでソーシャルテレビに注目した。でも番組が終わったらすぐにまた次の番組のライブ視聴!となるもんで、ネット上に集まった人びとにはある意味、興味を持てなかった。

つまり、テレビ局はテレビの前に集まる人にしか興味がない。テレビの前に集まったひとがスマートフォンを手にその番組について語り続けるのだけど、次の番組が始まったらもうそれはやめてほしいわけ。次の番組に目を向けて欲しい。でも番組が好きだからこそ、もっといま観ていた番組について語りたい。次の番組はそうでもないんだよねー、なんて時にはギャップが起きていた。

ハリーポッター祭りではどうやら、ネット上に”ハリーポッター好き”な人を留めていくらしい。だから”Off Air”という言葉をわざわざ使っている。そして下の図のような循環を引き起こしたいらしいのだ。

これを観た時、ん?えーっと、なんかちょっと似た話がなかったっけ?と思ったら、あやとりブログにぼくが書いた「視聴者はユーザーになる。テレビはフリーミアムをめざそう。」という記事に近かった。もちろんハリーポッター祭りはフリーミアムになってるわけではないし、そもそもマネタイズはないわけだけど、構造が近いと思うわけ。

つまりね、ソーシャルテレビはそっちに向かっていくよ、ということ。

テレビを入口に、スマートフォン上に人が大勢集まる。これをつなぎとめてなんかかんか、しなくちゃね。ということだ。

ハリーポッター祭りの発表会を聞いていてぼくがすごいなあと思ったのは、社内的に良く話を通したなというところ。さっき書いたテレビ局の本能からすると、上の写真の循環は「なんだと?!」ってことになるのだ。「このOffAirってのはなんだよ。視聴者をネットに連れだすんじゃねえよ」なんてことを、誰かに言われてもおかしくない。というか普通のテレビ局の感覚だと「ありえないだろ」になる。

そこを説き伏せたのか、それとももうとっくにそのレベルのコンセンサスは日本テレビではとれているのか、その辺はわからない。ただ、例えば金曜ロードSHOWのスポンサーに何て言うか、という議論はあったはずだ。あるいはそのあとの番組に対してどうするの?という問いかけもあったはず。そこを乗り越えたのだろうから、大したもんだ、すごい勢いだなあと思うんだな。

さて話は変わって今度は3月15日、ハリーポッター祭り発表会の翌日だね。NHK文研のシンポジウムがあったので行ってきた。

はいここで軽く知識として知っておきましょう。NHKには2つの研究所があります。愛宕にあるのが放送文化研究所。主に調査分析を行っている。もうひとつ、砧には放送技術研究所があり、その名の通り技術系の研究所。要するに文系と理系の2つの研究所があるわけね。その文系の方のシンポジウムが開催されたというわけだ。

このブログの読者なら、そう言えばと思い出す記事があるはず。そうそう、「NHK放送文化研究所のシンポジウムに行ったのだけど・・・」というタイトルで書いたアレ。勇んで観に行ったら話がかみ合わずに終わっちゃったよ、というシンポジウムだった。この時、司会をしていた小川さんはそのあとでお会いし、勉強会に参加してくれるようになった。ぼくにとっては、いいオマケがついてきたのだった。

今回参加したのは「ソーシャルパワーがテレビを変える」と題したもの。今年は小川さんは司会ではなく、途中で調査結果を報告していた。テーマとしては相当ソーシャルテレビに踏み込んだものになっている。

議論は、テレビ側としてNHKの桑原さん、そして日本テレビの若井さん。若井さんはJoinTVを送りだしたメディアデザインセンターの長なので、ぼくからすると前日から続いているプログラムという感じになる。このお二人に対し、突っ込む側としてニコ動のドワンゴ杉本社長、メディアに強いと注目の茶髪の大学教授、鈴木さんが登壇した。

議論がかみ合わなかった去年と比べるとぐっと良い内容になった。打合せもちゃんとあったんだなあと思えた上で、けっこうスルドイ切り込みもあって、充実した、それでいてちょっとハラハラもする議論になっていった。

丁々発止もあり、和気あいあいでもありという空気の中、時として滲むのが、やはり既存メディア対ネットの構図。強いメディアの側からネットでも支配権を手に入れたいテレビ側と、そうはさせない、させたくないネット側。そんな構図がかいま見える瞬間があった。

テレビ側は、各局横断的に使えるプラットフォームを持ちたがっているように感じられた。それは必要な気もする。でも無理がある気もする。ただいずれにせよ、ダブルスクリーン前提でいろんなことが進むだろうし、そうなるとダブルスクリーン実際どうする?という悩みが出てくる。途中の地方局の方の質問で、地方ではアプリ作るお金ないのよね、みたいな話も出た。

テレビは番組を見せながら、手元のスマートフォンでどう楽しませるのか。そしてそこでビジネスを展開できるのか。今年はそこを本気で考え、形にしていく必要があるだろう。

ソーシャルテレビは東日本大震災の副産物だと受けとめちゃっていいですか?

東日本大震災から丸二年が経った。いろんなことを思うわけだけど、ここはクリエイティブビジネス論がこのところメインで考えている”ソーシャルテレビ”の立場から考えてみよう。すると、おや?あの震災の良い意味での副産物がソーシャルテレビなんじゃないかな?と思えてくるのだ。

あの震災がぼくたちの心性に及ぼした変化は計り知れない。当時のこのブログを読み返すと面白いのだけど、例えば震災から5日後に書いたこの記事「この終末が終わると、ぼくたちは何かをはじめられるのだろうか」を読むと、震災の衝撃が徐々に効いてきているのがわかる。いきなりではなく、震災当日から少しずつじわじわと変化をもたらしたのだ。だってこの記事には「この一件のまえとあとでは、ぼくたちは何か大きく変わっている気がする」なんていう記述がある。いま思えば、大きく変わったしそんなもん当たり前だろう、となるのだけど。すぐにはわからなかったんだなあ。

ソーシャルメディアとテレビ放送の関係で言うとまず、震災の翌々日まではCMがまったくなく、その後も一カ月くらい公共広告機構のCMばかり流れたことがある。同時に、公共広告機構のCMもそのひとつだけど、とにかくソーシャルメディア上で、マスメディアで流れた情報やコンテンツに関することがものすごい勢いで語られた。

公共広告機構のあいさつCMがネット上で何度も何度も二次創作されたとか、原発の報道についてありとあらゆる言説がテレビとソーシャルの間を共鳴しながら行き交ったりとか、テレビとソーシャルが急にお互いの存在を強く意識しあい、牽制もしあい、そして徐々になじんでいった。テレビとネットの融合、放送と通信の連携が、本当のものになっていった。

3月末には「美しいウソの時代はもう終わったんだね」という記事を書いた。こんなこと書くとはなあ。ぼくはコピーライターとは美しいウソを言葉にする仕事だと思ってきて、そのことは肯定的に捉えていたのだけど、もうそういうことじゃないんだなと確信した。それはぼくの人生にとっても大きな転換だった。

少なくとも、これまでで言う広告は必要がなくなった。震災を機にそうなった。企業のコミュニケーションは、本当のことに迫らなければならなくなった。これも大きなことだと思うなあ。

そのあとでまた「ソーシャルメディアがマスメディアになってきた」という記事。震災から3週間ほど経って友人たちと会ったら話題の中心が”ソーシャルメディア上の出来事”で、ちゃんとみんな知っていた。これもすごい話だなあ。もちろんそこにも、マスメディアとソーシャルメディアの話題の行き交いがあって、だからこそみんな知ってるのだ。斉藤和義の「ずっとウソだった」が話題になったのもこの頃だったな。

ぼくは行かなかったけど、反原発デモなんてのもあった。一方でこれは少しあとの夏だけど、フジテレビ韓流批判デモというのもあった。デモ自体は別に珍しいことではないけど、これまでのデモはだいたい、共産党や社民党やそれ的な旧左翼的つまりちょっとズレた人たちのものだったのが、普通の人も参加するものになった。

テレビとはマスメディアの中心であり象徴だった。それがどうやら、これまでの感覚では、既存の捉え方ではなんだかしっくりいかなくなった。それまで水面下の潮流としてあったソーシャルメディアが急浮上し、テレビと補完関係を示すようになってきた。そんなことが震災のあとに起こってきたんじゃないだろうか。

そう考えると、東日本大震災はぼくたちメディアについて語る者どもに大きな啓示をもたらしたのだと言える。だからこそぼくたちは、2013年3月11日14時46分という時間を、敬けんな気持ちで迎えないといけないのだ。メディアのパラダイムシフトを引き起こし、メディアとメディアとの関係を新たな方向に導いたのが2年前のあの事件だった。この時間、みんなで黙とうを捧げよう。

コピーライターはコピーなんか書いてちゃダメだ、と教えてくれたコピーライター。

ぼくはいま、自分の肩書を”メディア・ストラテジスト”なんてしている。名刺にはコミュニケーションデザイン室、とか書いてある。プロフィールには“元コピーライター”なんてある。

でも本当のことを言うと、ぼくはいまもコピーライターのつもりだ。

もう何年も、コピーと呼べる言葉は一行も書いてない。でも、コピーライターなのだ、ぼくは。自分のアイデンティティはコピーライターだと思っている。コピーライターはコピーを書かなくてもコピーライターなのだ。

そんなふてぶてしいことを胸を張って言うのは、梅本洋一さんのおかげかもしれない。

その梅本洋一さんが亡くなったそうだ。

梅本洋一さんは、コピーライターの大先輩だ。30年前から、大御所的な存在だった。昨日、亡くなったという情報が伝わってきた。聞いた途端、目に水分がぶわっと出てきた。しまった。ぼくは梅本洋一さんにお伝えすべきことがあった。訃報を聞いてそのことに気づくなんて。

25年前、ぼくはI&Sという広告代理店に入社した。気後れがちな映画青年だったぼくは、CMプランナーというものになりたくて、制作職を希望した。クリエイティブ局に配属になったが、コピーライターをやれと言われた。

コピーライターって、あの同級生でもミーハーなやつに限ってやりたいとか言ってた、浮ついた職種だろう?

と戸惑いつつ、やってみた。やってみたら面白かった。なに?おれ、意外に言葉が好きだったの?言葉にもイメージとかあるわけ?面白いよ、これ。

ちゃんと勉強しなきゃと思って、会社の奨学金制度(ケチだから貸してくれるだけ)を利用してコピーの学校に通った。最初は雑誌・広告批評がやってる広告学校に通った。でもそれはあまり実践的ではなかった。2年目に、宣伝会議主催のコピーライター養成講座にまた通った。この教室は歴史が有り昔は”クボセン”と呼ばれてコピーライター界の先輩たちはみんな行ってたという。

大学のゼミみたいに、ひとりの講師について週一回の授業で半年学ぶ。その時、なんとなく選んだのが梅本洋一さんの教室だった。

80年代にコピーライターという職業が浮上した際、糸井重里さんや仲畑貴志さんが世間的に有名になったが、お二人以外にも星のようにきらめく才能たちが素晴らしい表現を生み出していた。梅本さんはそのひとりで、「梅は咲いたか、YMOはまだか」とかサントリーのペンギンアニメCM「泣かせる味じゃん」、それからサントリーホワイトの「いとしのホワイト、ください」などで知られていた。そう、レイ・チャールズに「いとしのエリー」を歌わせたあのキャンペーンだ。あ、若い人は知らないか。

どうせ教わるならカッコいい感じの人に教わりたいな。そう思って、梅本さんの教室に申し込んだ。ぼくは”感性”みたいなものとは無縁で生きてきたので、こういう感覚的にカッコいい感じの書き方を教わるべきだと、大した考えでもない考え方でそうしたのだ。

梅本さんは、間近で見てもカッコよかった。ヒゲを上手にはやしていて、派手なカッコはしないが落ち着いたファッションで身を包んでいた。小柄だけど良く通る、知的だけどエネルギーを感じる声で滑舌良く話す人だった。当時、30代後半だったはずだ。いまだと30代後半は若造だけど、当時は業界自体が若々しく、ベテランの重みを漂わせていた。

その梅本さんが、最初の授業で言った。

「これからのコピーライターは、コピーなんか書かなくていいんだ」

何を言ってるのかよくわからなかった。カッコいいコピーの書き方を教わりに会社に奨学金借りて意気込んで通い始めたらいきなり「コピー書くな」というのだ。

それはつまり、考えろ、ということだった。コンセプトワークしろ、ということだった。コピーライターはいきなりいっぱい言葉を書いて書いて、というのではなく、言葉にする前に考えに考えろ、ということだったのだ。

なんとなくわかった。けど、わかってなかった。

多くの人は、コピーライターとはあのポスターやCMにのっかってる言葉を考える人でしょ?と思っているだろう。当時のぼくもそうだった。でも梅本さんが教えてくれたコピーライター像は、ちがうのだ。

うまく説明できないかもしれないけど、コンセプトメイカーたれ、ということかな。その仕事の、課題となる広告表現の、核になることを考えろ、ということ。

梅本さんに教わらなくても、コピーライターとしてちゃんとキャリアを積み重ねていくと、みんなそれがわかるようになる。みんな、そうするようになる。もちろん「なんかインパクトあるやつ、一発たのむよ、サカイちゃん!」とか言われて、結局は言葉を何十案も考えてひぃひぃ言うことにもなる。だがそれは実は、コピーライターの仕事の本質ではなく、コピーを書くこととはコンセプトを探り出し形作ることであり、最後にそれをひとことの言葉にできればそれでいいのだ。言葉をひねくり回しいじり倒すのは、コピーライターの仕事の派生的な作業に過ぎないのだ。ほんとうに素晴らしいコンセプトを見いだせれば、その結実として「キャッチフレーズは、”ありがとう”です」でいいこともある。

そんなことは、梅本さんに教わったあと、何年も実際に仕事を積み重ねて理解していったことだ。ある時ふと気づいて、「ん?いまこのおれがこの仕事でやったことが、梅本さんの言ってた”コピーを書くな”ってこと?」と悟りを開くようにわかるのだった。

梅本教室は半年で卒業となったけど、そのあとも時々、一緒に学んだ同級生や、梅本教室での後輩たちも加わって、酒を飲んだりした。

そのうち、ぼくはTCC新人賞に応募した。TCCとは東京コピーライターズクラブのことで、新人賞をとるとその会員になれる。いわばコピーライターの登竜門。新人賞をとれば一人前、プロとしてのお墨付きをもらえる、という賞だった。コピーライターになったら誰もが目標にする、大きな意味を持つ賞だ。

審査するのは、コピーライター界の先輩たち、重鎮たち。もちろん梅本さんもそのひとりだった。

新人賞に応募する時、審査員に相談する連中もいた。そこには、少なからず、前もって作品を見せて票を入れてもらう、できれば他の審査員にも喧伝してもらう、という意図もあったようだ。ぼくは考えた末、相談に行かなかった。自分の力だけで受賞した、と言えないといかんのだと思ったのだ。

審査が終わる頃だなあとそわそわしてたら、梅本さんが電話をくれた。「おめでとう!境も受賞してたぞ!」うれしかった。念願の賞を受賞し、それを梅本さんがわざわざ電話してきてくれて知ることができた。うれしくてうれしくてたまらなかった。「境のは最高賞ではなかったけど、票数が多くてその次ぐらいだったぞ。いやー、おれもあの作品を境がやったとは思わなかったよ」と言ってくれた。それもうれしかった。うれしかったけど、ああおれは師匠に義理を欠いちゃってたんじゃないかとも思った。いい作品ができた。TCCに応募しよう。そんな時に、梅本さんに報告に行けばよかったじゃないか。別にせこく賞がとれるような画策なんかじゃなく、これとこれを出品しようと思うんですけど、と相談に行ったってよかったじゃないか。生徒なんだから、尊敬してるんだから、素直に甘えてよかったんじゃないか。そんなことを、電話が終わったあと思った。

その後、ぼくはフリーランスになった。梅本さんみたいになりたかったからだ。仕事を重ねるほど、コピーを書いちゃダメだ、の意味がわかっていった。

さらにそのあと、ロボットに入って経営企画室なんてことになった。いまはソーシャルテレビがどうしたとか言ってる。コピーは比喩じゃなく書いてない。コピーはまったく書いていない。でも、実は仕事への姿勢は変わってない。本質を見抜く努力をしてコンセプトメイカーとなるのだ。ロボットでは経営を進めるためのコンセプトをまとめ、いまは新しいコミュニケーションづくりをするためのコンセプトを考えている。ぼくにとっては仕事の中身はほとんど変わっていないのだ。問題を解決するために、やるべきことを考えて、まとめる。コピーライターの仕事なんだ。

TCC新人賞の時に素直に弟子として甘えられなかったが、その後も結局、フリーになる時も、ロボットに入る時も、相談もしなければ報告もしなかった。梅本さんはどう思うのかなあ、梅本さんに知ってもらいたいなあ、梅本さんに教わったことはコピーの仕事を離れても役立ってます、あの通りやってます、そんなことを言えばよかった。伝えなきゃ、いけなかった。

梅本さん、ごめんなさい。ちゃんと言ってませんでした。25年前に教わったこと、その通りのことを、いまもやってます。教えてくださったことを、ありがたいと思ってました。思ってたくせに、言えませんでした。不肖の弟子です。

ぼくは、せめて、梅本さんに教わったことを、また若い人たちに教えていくことにしよう。コピーライター諸君、コピーなんか書いてちゃダメだぞ!本質を見抜け。解決の核になることを見つけて、カタチにしよう。そのために、考えて、考えて、考えよう。これはきっと、どんな仕事にも役立つから・・・

ソーシャルメディアは料理の世界にも”アラブの春”をもたらした?

料理とソーシャルメディアの関係について考えたことはあるだろうか。ぼくはなかった。なかったけれど、考えないわけにはいかなくなったので考えた。そういう趣旨の催しでしゃべらないといけなかったのだ。

先週、ソーシャルメディアウィークというイベントがあった。月曜日から金曜日まで、あちこちの会場で、多様なテーマで展開されていた。

その中の22日金曜日の最後のコマが「『料理×ソーシャル=大変革がおきた分野!プロって何?習う人、教える人の境がなくなった現場で思うこと。  ~スモー…」という長い長いタイトルで、長すぎて結局サイト上で最後まで表示されなかったほどなのだけど、そういう、料理とソーシャルをテーマにしたもの。これに呼ばれたのだ。

このコマは、山脇りこさんという料理家の方がメインで、彼女が相手役にぼくを指名してくれたというわけ。なぜか、ね。あ、でもなぜかははっきりしている。

山脇りこさんは、山脇伸介さんと夫婦関係にある。

山脇伸介さんは、ほら、憶えてるでしょ?11月にソーシャルテレビ推進会議でオープンセミナーをやった時にゲストで来てくれた、あの山脇さんだ。TBSのプロデューサーで「大炎上生テレビ」を企画・制作し、それ以前にツイッター上でTBS Booboの中の人として活躍し、Facebookについての本も出している。あの、山脇さんだよ。

その奥さん、りこさんは、ブログ・リコズキッチンを書き続ける一方、お料理教室を主宰し、料理本もいくつか出している方。その上に、かわいい!そりゃあ、ソーシャルメディアウィークも声をかけるだろうね、という魅力的な女性だ。

つまり、山脇りこさんにソーシャルメディアウィーク出演の依頼があり料理とソーシャルをテーマにしましょうとなった中、彼女がソーシャルテレビ推進会議で旦那さんのトークの進行役やってたぼくを、今回指名してくれたという次第。

さてそのトークの状況はソーシャルメディアウィークの方でちゃんとUstアーカイブを残してくれているので、それをざっと見てくださいな。なかなか面白い内容になっていると思う。それはほとんどりこさんが用意したもので、ぼくは“話を進める人“をやればよかったので気楽なもんだった。

ところで、料理とソーシャル。考えなきゃいけなくなったので考えてみると、これはなかなか深いものがあった。

そうなの?そんなに関係ある?と言うかもしれないけど、あなたもきっと、TwitterやFacebookで料理の写真あげたり美味しい店を教えあったりしたこと、あるはず。食べ物の話題はソーシャル上で話題になりやすいのだ。何しろ、誰だって入れる話題だからね。

でも、それは話の入口に過ぎない。りこさんの話で初めて知ったのだけど、料理の世界ではブログが大きな潮流となり、人気ブログからレシピ本が生まれて大いに売れた、なんてことが次々に起こったのだそうだ。山脇りこさんもそのひとりではあるけど、彼女からすると自分よりもずっとブログが人気で本もたくさん売れた人がたくさんいるそうなのだ。

では既存のプロの料理家はどうなったかというと、淘汰されたわけでもない。ただ、既存のプロのレシピ本を超えてブロガーたちの本が売れていった。つまり、アマチュアがプロを抜き去ったのだ。りこさんによれば、それはきっと、それまでの料理家のレシピがプロ仕立て過ぎてニーズに合ってなかったのではないか。ブロガーたちのレシピは日常的に料理を迫られる主婦たちに「あ、こういうレシピが欲しかったのよね」と受け入れられたのだろう、という。

少し大げさに言えば、料理家の世界で“アラブの春“みたいな現象が起こったのだ。

ソーシャルメディアが既存の権威を突き崩す現象はあちこちで起こったり起こりつつあるのだけど、料理の世界はそれが早く来た。なぜなら、ブログが効いたからだ。皆さんご存知の通り、まず2005年あたりからブログが非常に流通するようになり、そのあと2009年あたりからTwitterが普及して世の中が変わった。料理については写真とレシピが非常に重要な要素でそれがブログという形式にとてもマッチしていたのだ。

だから、料理の世界では、いろんな変化が先行的に起こってきた。そう考えると、がぜん興味が増してくる。

もうひとつ、重要なのがレシピには著作権がないこと。これも今回あらためて知ったことだった。これが大きかったのは、著作権がないからこそレシピが流通しやすく、結果として料理界のすそ野が広がった、と、りこさんは言う。

言われてみると、ぼくもそれまでより料理をするようになった気がする。オジサンのわりには料理が好きな方だったのだが、このところ土日は必ず料理をする。これも“すそ野が広がった“現象になんとなく巻き込まれているのかもしれない。

レシピは著作権がない。だから料理界のすそ野が広がった。

このことにはすごく重要なメッセージが潜んでいないだろうか。

著作権をとやかく言わない方が、すそ野が広がりその領域が活性化する。これは他の分野でも言えるのではないだろうか。いや、ほぼまちがいなく言えると思う。

料理とソーシャル。これまで意識してこなかった捉え方であり、それなのに日常的に自分も関与してきた領域だ。ちょっとみなさんも、意識してみるといろいろ得るところあるんじゃないかな?

さて山脇りこさんの本、例えば「うちのごはんヒットパレード」はただいま絶賛発売中。まさしく”うちのごはん”と言える。普段着感覚のおいしいレシピが満載。ぼくもつくったよ。いやホントにうまかった!

シンプル鶏飯、鯖の味噌煮、春菊のごま和え。おいしくできた!

テレビ番組の新しい評価軸がつくれるか?〜2013冬ドラマをツイート分析で評価してみる〜

少し前に、“「ビブリア古書堂の事件手帖」はDisられ続けるのか?”と題した記事で、テレビ番組の新しい評価のやり方を、ツイッター上でのつぶやきを分析することでできるか、試してみた。この時は4つのドラマを取りあげたが、この1月〜3月クールも中盤に達したところで、ドラマ全体を中間報告的に分析してみたい。

この分析の手法について、ここでもう一度書き記しておこう。

・各ドラマの放送時間中のツイートを収集。局のハッシュタグ(#ntv #fujitv など)だけでなく、ドラマのタイトルなどもキーワードに使用している。ツイート収集はテレビジンによるもの。
・そのツイートを、テキストマイニングにかけた。ツールは“見える化エンジン”を使用。これはプラスアルファコンサルティング社からこの研究用にアカウントを提供していただいたもの。
・ツイートの中から、“好意好感”を示すワードを含むもの(=いい、素敵、かわいいなど)、”高揚興奮“を示すワードを含むもの(=すごい、面白い、笑など)、“否定“を示すワードを含むもの(=きらい、つまらない、ダメなど)を収集し、全体の中でそれぞれ何%かを算出する。
・その結果をグラフ化するなどで対比してみる。

これにより、好感度が高いもの、興奮度が高いもの、といった特徴分けができたほか、“否定”が多い場合の解釈なども考察した。

興奮度が高いものは、”ヒット作”になる可能性が高い。前のクールの「ドクターX」は興奮度が異様に高く、視聴率としても高い結果になっていた。

さてこのクールはどうだろう。ひと通り調べてグラフ化したので見てもらおう。それぞれの第一話〜第三話の感情分析をして平均をとったものだ。第一話だけでなく三回分を調べることで、始まってから落ち着くまでの間にできた“価値”が見て取れるのではないかと思う。今回は全作品を比べられるよう棒グラフにして曜日順に並べてみた。
クリックすると大きく見える

このクールは、前クールに比べると興奮型が多いようだ。冬はこもりがちで視聴率も高くなりやすいので、この機にとどの局も意欲的な企画をぶつけてきたのだろうか。

グラフを見ても、赤い棒つまり興奮度がどれもこれもぐいぐい伸びている。とくにホットなのが、木曜日から金曜日にかけての3本だ。テレビ朝日木曜21時の「おトメさん」、フジテレビ木曜22時の「最高の離婚」、TBS金曜22時の「夜行観覧車」。

この3本はたまたま第一話を観ている。「最高の離婚」「夜行観覧車」はその後も継続して観ているのだが、確かに刺激的な要素が多く面白く観ている。「おトメさん」は意図的なくらい悪い嫁ぶりを誇張しており、また攻められる姑の側への共感も誘う内容。つっこみたくなる要素も含めてエモーションが高まるドラマだ。

前のクールでは”好感型”がもっとたくさんあったのだが、今回はいま挙げたような”興奮型”か、抑揚がグラフに出ない”ノーマル型”が多い。唯一、「とんび」が典型的な”好感型”だ。これも毎回観ているのでよくわかるのだが、とにかく、ジーンと来る、泣ける内容。”感動型”と言った方がいいかもしれない。

このグラフを見るとドラマの”特徴”は見えるが、視聴率のように指標にはなっていない。でも”好意好感”と”高揚興奮”そして”否定”の3つの数値はあるので、これを足したり引いたりすればいいのではないか。何かが言えるのではないか。

普通に考えると”好意好感””高揚興奮”というポジティブな数値を足して、”否定”というネガティブな数値を引く、とするべきだろう。だが、前のクールで「結婚しない」の反応が否定が多かったのに視聴率は落ちなかったこと、このクールでも「ビブリア古書堂の事件帖」で否定的なコメントをつぶやきながら見続ける視聴態度があったことなどを踏まえると、”否定”も足すべきだと考える。

つまり、ネガティブなことも含めて、ツイッター上で何らかの感情を表明するつぶやきが多いものは、それだけ視聴者の気持ちを揺らして惹き付け続けるのだと考えた方がいいと思うのだ。キライキライもスキのうち、ということね。

それで、3つの数値をすべて足して棒グラフにしてみたのがこれだ。
クリックすると大きく見える

どうだろうか。さっき挙げた”興奮型”の3つのドラマがそのまま上位になっている。他にも「カラマーゾフの兄弟」「泣くな、はらちゃん」なども”興奮型”でそのまま上位になった。
もっとわかりやすく、”ランキング”として並べてみよう。

2013冬ドラマ 感情指数ランキング(第三話まで・暫定版)
1位「夜行観覧車」46.7pt
2位「おトメさん」46.1pt
3位「最高の離婚」44.1pt
4位「カラマーゾフの兄弟」40.8pt
5位「泣くな、はらちゃん」39.4pt
6位「シェアハウスの恋人」37.4pt
7位「とんび」37.3pt
8位「ラストホープ」34.9pt
9位「信長のシェフ」31.8pt
10位「あぽやん」31.2pt
11位「dinner」31.1pt
12位「サキ」30.4pt
13位「ビブリア古書堂の事件帖」29.9pt
14位「ハンチョウ」25.1pt
15位「八重の桜」24.1pt

・・・どうだろう?納得がいかない?うむむ。上位のものは、まあなるほどなあと思うが、あれだけ泣けるのに「とんび」低いなあとか、「八重の桜」が最下位かよとか、自分でもいろいろ言いたくなる。

まあ、あくまで「やってみた」ということなので、マジに受け取らないでね。でも、これを磨いていくと、何かが言えるデータにならないだろうか。この話はもう少し書くことにするので、ちょっと待ってね。

テッドって、おれたちみたいでね?〜コンテンツのぬるま湯にどっぷり浸る時代〜

映画「テッド」がヒットしているそうだ。ぼくも観た。大笑いした。なんでもこの週末で三週目で、興行収入16億円を超えたそうだ。30億円も圏内に入ったとかで、この手のコメディでは珍しいヒットとなった。まあ、面白いもんねえ。ラブコメになってるし、デートムービーにもなるの?でもつきあい浅いと気まずいシーン満載だから気をつけてね。

少年の夢がかなって命を持ったテディベアも、少年が中年になったいま、エロトークとヤクまみれのむさいおっさんになっちゃった、という設定。

さらに面白いのは、このテッド、相棒の元少年ジョンとともに映画大好きの大オタクなのだ。会話のあちこちに映画ネタが出てきてついていくのが大変。核になるのが「フラッシュゴードン」で、これはもともと、1930年代に連載されたマンガだった。いわゆるスペースオペラで、スターウォーズはこの世界観にインスパイアされてジョージ・ルーカスが企画したという。そして80年代には実際に映画化された。「テッド」にはその時主演したサム・ジョーンズという役者が実名で登場する。

映画「フラッシュ・ゴードン」をぼくは観たことはなかったが、クイーンによる主題歌を通じてそんな作品があったことは知っていた。米国では誰もが知っているのだろう。

これに限らず「テッド」には映画ネタ満載。例えば最後にヘンタイにやられて上半身と下半身に分かれてしまったテッドがジョンに言う。「エイリアン2のビショップみたいだぜ」ををー!確かに!

ビショップはアンドロイドでシガニー・ウィーバー演じる主人公に忌み嫌われながらも彼女を助ける。最後に下半身を失っても落ち着いた顔で人間をサポートする。

「テッド」は娘と行ったのだけど(こんな下品な映画に娘を連れていくとはなんて父親だ?)彼女に「エイリアン2は観たっけ?」と聞くと知らないという。中学生の彼女からすると生まれる前の作品だ。でもこんな古典的な作品もないからぜひ見せたい!帰ったらAppleTVで観ようか、と言うと「べつに・・・」と素っ気ない。彼女からすると、そんな古いの、どうだっていい、ということだろう。

「テッド」の物語の骨子は、子供の頃から丸きり一緒に暮らしてきたテッドと、つきあってる恋人と、主人公はどっちを選ぶか、にある。子供っぽさの象徴であるテッドと別れて、一人前の大人として恋人との生活を選び取れるのか?

つまりテッドは自分自身なのだ。自分の、”これまでの居心地の良いもたれ合える感じ”の象徴がテッドなのだ。

想像してみよう。テッドとの楽しい生活を。テッドは人間の親友とわけが違う。まったく同じ生活をしてきたのだ。何より、まったく同じ映画を観て、同じ音楽を聞いて、同じものを食べて育ったのだ。自分自身が親友として一緒に暮らしてるなんて、こんなに楽な友情もないだろう。

自分自身と暮らす居心地の良さを象徴化するのに、一緒に見て育った映画ネタは格好だったのだ。

ただでさえ、高校や大学時代の友人と昔話をするのは楽しいじゃないか。Facebookに浸ってるあなたなら、この二年間に同窓会で仲間たちと十数年ぶりに会ったことがあるはずだ。そして、他人には全くもってどうでもいい話を、高校の裏庭でタバコを吸ったり、体育教師にケツバットされたり、隣の女子高のマドンナにこっそり告白してフラれたことをみんな知ってたり、といったエピソードを、またみんなで話して盛り上がったんじゃないか。

テッドとジョンは、そんな席でのぼくとあなただ。

そしてぼくたちは、育ってきた映画や音楽やテレビ番組の話をするのだ。それは大好きな行為だ。楽しくて楽しくて楽しくて仕方ない。

ぼくらが青年時代、コンテンツはまだまだ少なかった。そしてぼくたちは面白いコンテンツに飢えていた。東京に出てきたら山手線の駅ひとつひとつに一軒以上の名画座があって、ヒチコック特集だの、鈴木清順オールナイトだの、仁義なき戦い連続上映だのをやっていて、毎日うれしくて仕方なかった。ぴあやシティロードを片手に今日は池袋文芸座、明日は早稲田松竹だと名画座を渡り歩いた。

ぼくたちはそうやってずーっと、コンテンツ探しに明け暮れて青年から中年になっていった。テレビではさらに新しいコンテンツが次々に登場し、CDショップに行けば新たなアルバムをいち早く手に入れ、名画座は少なくなったけどTSUTAYAに行くと黒澤明作品がどれだって借りて観れるようになった。

気がつくと、世界はコンテンツにあふれてもはやすべてを見尽くすのは到底無理になっている。その上最近は、VODで気軽に最新映画が観れる。TSUTAYAに行って探す必要さえない。家にいながらにして“検索“できてしまう。おおー、ウディ・アレン作品がAppleTVでかなり観れるんだなあ。どれ観ようかなあ。まあいつでも観れるんだからいつか観よう。Huluには24もLOSTもPRISON BREAKも全シーズン揃ってる。まだまだ知らないドラマもいっぱいあるし、ウルトラマンや刑事コロンボも全部観れる。

このまま年金生活に入って毎日huluの作品を観て夜になったら寝るだけ、なんて暮らしになったらそれは最高に幸せなんじゃないだろうか。

映画「テッド」で、ぬいぐるみの熊は最初、恋人と暮らすより自分を選べ、と言う。こんなに一緒に暮らしてきたじゃないか。映画オタクなネタを言いあえるのはおれだけだぜ。テッドは観客にとって、浸ってきたコンテンツの象徴なのだ。一緒に浸っていようよ、成長なんかしなくていいじゃないか。そうささやきかけてくる。

ところが、途中でテッドは理解する。自分の親友は、自分と決別しないといけないのだと。自ら身を引いて、恋人との生活にジョンを導こうとする。

ぼくたちも、決別しないといけないのかもしれない。コンテンツのぬるま湯に浸っていてはいけないのだろう。いや、最終的にはテッドとジョンと、恋人とで暮らせるようになった。同じように、ぼくたちはhuluを見ながら、新しい何かを、探し続けなければいけないのだ。テッドがぼくたちに言いたいのは、そういうことなのだろう。

ただ、それにしても、コンテンツは増えた。こんなにコンテンツが豊かで、はち切れそうな状態は想定していなかった。考えたこともなかった。家にいながらにして何万もの映画やドラマから観るべきものを探すなんて、そんな贅沢はありえなかった。

なんかとんでもない未来にぼくたちはたどり着こうとしてるんじゃないだろうか?筒井康隆の小説で、時間が滝のように流れ落ちる、という終わり方のものがあった。そんな風に、ある日突然、このコンテンツの洪水を支えきれなくなったぼくたちの時空が流れ落ちてしまう日が来るんじゃないか。そんな末期的な感覚を持ってしまう。

何を書いているかわからなくなってきたけど、テッドは意外にも見終わったあとで考えさせられる映画だったのだった。

テレビはテレビをはみ出していく〜テレビ放送60周年・NHK×日テレ60番勝負〜

日本のテレビ放送は、2月1日、60周年を迎えた。

NHKが日本初のテレビ放送を開始したのが、1953年の2月1日だったのだそうだ。同じ年の8月28日には日本テレビも放送を開始。つまり今年は、公共放送でも民間放送でもテレビ誕生60周年なのだ。

これを記念してNHKでは2月1日当日の金曜日から週末にかけて、記念番組が多数放送された。

2月1日には19:30から、テレビのチカラ「あの人が選ぶ”忘れられない名場面”」、22:00からは「1000人が考えるテレビミライ」。

前者は、鈴木福くんがニュースキャスターとして登場、NHK局内を巡って放送に関わるいろんな部門を紹介しながら、北島三郎や萩本欽一などテレビに深く関わってきた人びとが、もっとも印象に残っているテレビ名場面を紹介するもの。

後者は、糸井重里氏を司会に、日テレ土屋敏男氏やテレビ東京・山鹿達也氏(「鈴木先生」のプロデューサー)脚本家の北川悦吏子氏(映像で初めて見た)などテレビ制作に携わる人びと、そしてドワンゴの川上会長や津田大介氏らによるディスカッション番組。会場の観客や一般視聴者1000人へのアンケートも行いながら、テレビの未来、そこへの期待を探る内容。

これに加えて、画期的だったのが、「NHK×日テレ 60番勝負」だ。2夜に渡る生番組を、1日の深夜にはNHKで、2日の深夜には日本テレビでそれぞれ放送。両局ががっぷり組んで60年を振り返りながら勝負していくという企画。中居正広氏をメイン司会に、両局のアナウンサーが進行し、さらに両局スタッフがスタジオに並んで勝負を繰り広げる。NHKと日テレのスタッフが一緒になってそれぞれの局から放送するなんて前代未聞だ。60年の歴史の中で起こりえなかったことが起こったのだ。

基本的な内容は、様々なテーマで両局のアーカイブ映像を比べて勝負していくというもの。ジャッジをするのは視聴者だ。その手法がなかなか面白い。簡単なやり方としては、テレビのリモコンを使うもの。リモコンの青いボタンを押すと「イィ!」という声がして、投票が出来るのだ。これはなんかに似てるなあと思ったら、「おやすみ日本」の「眠いいねボタン」そっくりだ。同番組の河瀬プロデューサーも関わっているからね。

もうひとつは、スマホを使うもの。下のような画面の「イィ」ボタンを押すと同様に投票できる。スマホだと「イィ」を押したことをソーシャルメディアでシェアできるのもイィ!

「いいね」ではなくカタカナで「イィ」なのは、日本で独自にテレビを開発した高柳健次郎が初めてブラウン管に映した文字が「イ」だったからに決まってるよね。

基本的にはアーカイブ勝負なのだが、いくつか、それとは違う勝負もあった。まず一日目は「交換留学」。日テレのスタッフがNHKに、NHKのスタッフが日テレに“留学“し、番組制作を手伝うというもの。これが意外に感動ものだった。

日テレの女性ディレクターがNHKのど自慢を手伝うのだけど、それを「はじめてのおつかい」ならぬ「はじめてのおてつだい」のタイトルで構成している。「おつかい」のスタッフが制作しているんだろう。ナレーターも近石真介さんで本格的。最初戸惑った彼女がいろいろ克服して見事に仕事を成し遂げる。それも「おつかい」と同じでグッと来た。

そしてNHKの若者が日テレに留学して「欽ちゃんの仮装大賞」を手伝う。この若者、藤本くんがいかにも生真面目、そして不器用なキャラクターで最初から困難が予想された。現場に溶け込めないし要領良く仕事ができていない。それを「プロフェッショナル仕事の流儀」ならぬ「仮装の流儀」と称して、同番組のフォーマットそのままで構成しているのだ。彼の様子を追うために行ったNHKのカメラマンのおっさんが時々彼に説教するのが笑えた。そんな彼も最後にはしっかり本番を成し遂げる。もう涙なしには観れなかった。

もうひとつ、勝負で面白かったのがドラマ制作。一日目の後半で、両局のスタッフが呼ばれて、まったくのゼロから24時間で5分のドラマを完成させるというもの。NHK側はあらかじめ決めてあり、「坂の上の雲」のプロデューサーとディレクターが取り組むことが表明された。ところが日テレ側は、電波少年のT部長こと土屋敏男氏がT部長よろしく、その場でいきなり制作者を指名した。大塚恭司氏は「女王の教室」などを手がけた敏腕ディレクター。突然指名された彼は明らかに困った顔を終始していた。

ところがフタを開けると、大塚氏が制作したドラマが思いの外面白くてよくできていた。こんなものをたった24時間でよくできるもんだなあ。

それから、一日目の最後に、明石家さんまが出演したのも面白かった。NHKの放送の回に出てきたのが重要。というのは、さんま氏は長らくNHKに出演していなかったのだ。なんでも、「面白ゼミナール」に出演した際、20分間鉛筆の説明をする場面があり、あまりに退屈したのであくびをしたのだそうだ。それが翌日、ほとんどの新聞の投書欄で批判され、それ以来出演せずにここまできたという。

そんなさんま氏が出演したのも、こういう記念番組だからだろうけど、タブーを破ってる感じが面白かった。

このタブーを破る感じ、というのは、この番組全体に流れている、ひとつの基本姿勢だったと思う。先に書いた通り、両局のアナウンサーが同じ画面に揃っている絵は、何とも言えない不思議さがある。ぼくたちは、テレビ局をまたがるような絵柄はありえないものだと、コードのようなものを無意識に脳みそにインプットしているのだと思う。そのコードを外してくるから、何かざらざらした感触がある。

さっきの「はじめてのおてつだい」「プロフェッショナル仮装の流儀」といった”セルフパロディ“もそうだ。両方ともそれぞれの局の重要な番組だと思うのだけど、それを自らパロっちゃう。ををー!こんなことやっちゃってるよー!という驚きになる。

どんな表現形式でも、どんなメディアでも、コードを外すような表現はドキドキするものだ。映画を踏み外している映画、小説の常識を壊す小説、なんていう作品にめぐり逢うと興奮する。ただ、映画や小説でそういうものはかなり異端だ。どちらかといえば完成度を求めるのが普通だ。

でもテレビはコードを踏み外すことが面白さの重要なファクターになっていると思う。完成度が低くてもムチャクチャな方がいい、そういう表現の場がテレビなのではないだろうか。

テレビはもともと、テレビをはみ出すことが使命なのだと思う。

「全員集合」「シャボン玉ホリデー」「ゲバゲバ90分」といった往年の番組や、「ひょうきん族」「電波少年」からいまの「ガキ使」「アメトーーク」に至るまで、どこか、何かを踏み外してきたのではないか。

どうしてかをうまく説明できないけど、テレビは自らのコードをふりほどき、解き放ち、新たな野に自分を置くこと、表現の枠組みを壊す方向へ向かう本能を持つようだ。

テレビが持つそういう精神は、いままさにテレビというメディアのフレームを文字通り壊そうとしている。ネットと融合することは、常にはみ出す意志を持つテレビにとって必然なのだ。ついにテレビそのものを物理的にもはみ出すことが可能になりつつある。だったらそこへはみ出していくぞ!と突っ込んでいくのがテレビなのだ。

この番組でも「イィ」ボタンを導入したし、冒頭でふれたディスカッション番組「テレビミライ」でも1000人の視聴者にアンケートをしていた。ネットを通じて視聴者に参加してもらうのも、これからの”はみ出し方”の重要な要素なのだと思う。

日テレはこの60年のためにロゴデザインを変えている。日テレの”日”を”ゼロ”に見立てている。つまり60年を機に日テレはゼロテレになると宣言しているのだ。テレビをはみ出すとはつまり、生まれ変わるということでもあるんだよね。

60歳は還暦。還暦とは一回りしたという意味らしい。一回りしたテレビがどう生まれ変わるか、どうはみ出すか、今年は楽しみだ。

日本映画のすそ野が広がった?〜2012年映画産業統計発表〜

毎年1月後半、前の年の日本での映画興行の統計が発表される。日本映画製作者連盟という業界団体がまとめた結果だ。昨日、その団体のサイトで2012年の統計が発表された。まずはここをクリックして、その概要を見てみよう。見てもらえば分かる通り、興行収入は1951億円だった。内訳は、邦画が1281億円、洋画が670億円だった。

・・・どう思いますか?って言われても、それだけではなんとも言えないよね?そこで、下の表を見てもらおう。

2001年から2012年までの日本の映画興行収入をグラフにしたもの。緑が全体、青が邦画、赤が洋画だ。

これを見ればこの十年で日本の映画興行に何が起こり、またこの三年間が重要なターニングポイントだったことがパッとわかるだろう。

まず2000年代前半、日本映画は洋画つまりハリウッドにかなわなかった。圧倒的に邦低洋高だったのだ。若い人には信じられないだろうけど、もっと前、90年代の日本映画は、暗くてダサくてつまらなかった。と、思われていた。女の子を映画に誘う時、邦画に誘うことは少なかっただろう。2000年代前半まではその傾向を引きずっていた。

それが2000年代半ば、2006年あたりでがっぷり四つで同等になり、2008年にはついに邦画の方が洋画より上になったのだ。ぼくの本「テレビは生き残れるのか」にはこの辺の状況がこってり書かれている。テレビ界が映画を活性化させたのだ。

それが、2010年に新たな局面を迎える。映画興行全体がぐいっと上がった。それまでは邦画が上昇してもしなくても、全体は”2000億円前後“だった。それが2010年にはいきなり10%も上がって2200億円になった。原因ははっきりしている。3D映画のヒットだ。「アバター」を皮切りに、3D作品が次々に公開された。

ところが2011年に東日本大震災が起こり、また3Dがブームだったかのように動員力が減り、1800億円にどんと下がった。

去年、2011年の数字が発表された時、ぼくはこのブログで暗澹たる気持ちになり、このまま映画は下り坂になってしまうのではないかと暗い予測を書いた。だっていい要素がほとんどないと思えたし、VODサービスも伸びてきて家にいながらにして多様な映像視聴ができるようになっている。わざわざ映画館に行く人は減るんじゃないか。

それがどうだろう、去年の数字は!くいっと。グラフがくいっと上がっている。しかも、赤い線の方、つまり洋画は去年の下り坂勾配そのままに去年さらに下がったのに対し、青い線、つまり邦画はくいっと上がっている。邦画がくいっと上がったから、全体もくいっと上がって、もともとの“2000億円前後”の水準にほぼ戻っているのだ。

そしてもうひとつ、重要な傾向がある。また別の表を見てみよう。

※字が小さくて読みにくいよ、って人は表をクリックすると拡大して見られる。

2000年代の映画興行は、メガヒットで保っていた。「ハリーポッター」や「パイレーツ・オブ・カリビアン」のようなハリウッド超大作シリーズ。「ハウルの動く城」のようなジブリ作品。「踊る大捜査線」「海猿」のようなテレビ局が生み出したヒットシリーズ。ほんとにメガヒットで、100億とかいう数字が並んでいる。

去年はどうだろう?相変わらず「踊る大捜査線」と「海猿」だ。・・・だが、数字をよく見ると、前のようなメガヒットと言える興行成績ではない。

一方、興行収入10億円以上の邦画の数は39本と、史上最多。突然数がくいっと上がっている。

つまり、すそ野が広がったのだ。

100億円を超えるようなメガヒット作はなくなったが、”けっこう稼いだ“作品の数が増えたのだ。

ぼくはほんとうに、この先は下り坂を下るだけだと思っていたので、よかったと思う。でもなぜかがわからない。こんなに映像があふれているのに。我が家なんか、AppleTVで、ついこないだロードショー公開されてた作品が観れる。huluでは大ヒットドラマが無尽蔵と言いたいくらい観れる。

・・・あれ?でもそう言えば、ぼく自身も映画館に行く回数は増えたなあ。なんでだろう?・・・うん、そうだ、観たいと思う作品が次々に出てくるからだ。・・・作品のすそ野が広がった、そして同時にエンタテイメントとしての水準も上がったのかもしれない。

面白いことに、去年ぼくが観た邦画で上の10億円以上のリストに入っているのは、39本中、9本。10億円圏外の作品をたくさん見たのだ。

順不同で挙げると、「桐島、部活やめるってよ」「その夜の侍」「鍵泥棒のメソッド」「ポテチ」「夢売るふたり」「希望の国」「黄金を抱いて翔べ」これらは、劇場で観たのだけど、10億円以上のリストに入ってなかった。でも十分に面白かったよ。

面白い映画が増えている。そんな感触はあるなあ。これはどういうことなのかなあ・・・もう少し考えてみるからね・・・

NOTTV「AKBのあんた誰?」には、メディアとコンテンツの未来像が見える!

前回の記事「おかしな風が吹いている〜実際に変わりはじめたメディアとコンテンツの関係」は、思いの外たくさんの人が読んでくれてうれしかった。たぶん、ジャーナリストの西田宗千佳さんがつぶやいてくれたのがきっかけだと思う。いやー、西田さん、ありがとうございます!


その記事ではこういう図を描いてみたのだった。一対一対応だったコンテンツとメディアの関係が、こんな感じになる。複数のメディアをコンテンツが形を変え品を変えて飛び交うようになると。

で、今回はさらに続きを書いていこうと思う。そして、今日取り上げるのはとっておきのネタ、AKB関係だ。このブログでAKBをとりあげるとは、って思うでしょ?

NOTTVで放送中の「AKBのあんた誰?」という番組がある。・・・あれ?NOTTV知らない人いるの?はい?名前は知ってるけど、何かがわかってないって?えーっとね・・・スマートフォン向けの放送局で、最新のドコモのスマートフォンならかなりの機種で対応している。3つのチャンネルでほぼオリジナルの番組を流しているのだ。ドコモや民放キー局などが出資してできた放送局なので、力が入っている。資本力も人材もしっかりあるので、けっこう番組制作で頑張っている。

そのNOTTVで月〜金17時に放送しているのが「AKBのあんた誰?」。タイトルから想起できるように、AKBの中でもテレビなどで名前が出ていない、マイナーなメンバーが出演する。AKBなのにあんた誰だっけ?という意味だね。

この番組について、プロデューサーの方に聞いたのだけど、いろんな面で画期的なのでここで紹介しよう。まさに上の図になっているのですよ。

AKBはGoogle+をメンバーが活用していることで知られる。「あんた誰?」にも番組プロデューサーのGoogle+アカウントが存在する。“yudai takenaka”と名のるそのアカウントは、番組のウォールにもなっている。つまり、番組に関する意見や感想がファンからそのアカウントめがけて書き込まれるのだ。

大まかな流れはこんな感じ。
・番組放送中(17時) yudai takenaka上にいわゆる実況板が立ち、放送を観ているファンが次々に書き込む

・番組終了後(18時〜) yudai takenaka上に今度は感想を語りあうスレッドができる。かなり真剣に、あの子にはこういう魅力があるのでもっとこういう企画などをやるべきだ、といった意見が出てくる。

・次回に向けて(20時〜) yudai takenaka上に今度は翌日の放送に向けての板が立つ。AKBのメンバーは忙しいので次回に誰が出るのかもこのあたりに決まる。ファンたちの意見が飛び交う。

・再放送中(23時) この番組は17時からの放送を23時にも放送している。yudai takenakaに再放送を視聴中の書込みがつらなる。意外にも17時からより23時からの再放送の方が盛り上がるのだそうだ。

・再放送後(深夜) yudai takenaka上で翌日に向けた意見が飛び交っていく

こうしたソーシャルメディア上での書込みを、スタッフはちゃんと読み、ちゃんと受け答えをする。ファンも非常に目が肥えているので大いに参考になるのだそうだ。何しろ彼らはAKBのメンバーをよく知っている。どの子の魅力がどんな企画で生かせるかをスタッフにアドバイスできる。

時にはそこに出演するアイドルも加わる。スタッフと出演者、視聴者が一体となって議論する、これまでのメディアでは考えられない場が出現しているのだ。

さらにこの番組は週に一本をYouTube上の自分たちのチャンネルで放送後に丸々配信している。NOTTV端末を持ってなくても一部ながら視聴可能だ。

もうひとつ、この番組は秋葉原の会場からの中継の形式だ。つまり番組であるだけでなくリアルな場でのイベントでもあるのだ。

NOTTVで放送する番組が第一義的なコンテンツだが、Google+でのファンとのやりとり、Google+でのファンとの会話、そして放送時に開催されるリアルイベントも含めてのコンテンツなのだ。

そうすると、こんなイメージかな・・・

こんな風に捉えると、この番組がいかに画期的な状態になっているかわかる。一定の形がなく、ファンと一体になって番組を作る。というより日々進める。

いきなり”コンテンツがコミュニティに”と書いたけど、まさにそうなのだ。いったいこれはテレビ番組と捉えるべきなのか、わからない。コミュニティと捉えた方が把握しやすいのではないか。

さらに、これはNOTTVの番組だがYouTubeで一部を公開していたり、イベントもあったり、そもそもGoogle+上でも”コミュニケーション”が展開されるわけで、どのメディアの番組なのか、というより番組ではないのか何なのかわからない。

ただ、とにかく重要なのが、出演者と制作者と視聴者がそれぞれの役割で頑張っている。視聴者の方も頑張っているのだ。

CGMという枠組みがあって、もうプロが制作するんじゃないもん、視聴者が自らコンテンツを制作するのさ、ということだった。そうなるとプロの生きる場所はないのか?と困惑する声もあった。

でも「あんた誰?」はCGMとはちがう方向性を示している。制作者は、そして演者は、ファンと”一緒に”コンテンツをつくっていくのだ。というよりコミュニティを運営していくのだ。

このところ書いてきたことに、何か大きなヒントを「あんた誰?」はくれている。そして、もっと前から書いてきた”もう消費はダメになるの?じゃあマーケティングはどうなるの?”というテーマにも答えの道筋が見えてくる気がするんだよねえ・・・

おかしな風が吹いている〜実際に変わりはじめたメディアとコンテンツの関係

昨日のこのブログで、今年は“節目の年“になるようだと書いた。今日はその続きを書こう。

朝日新聞の社長が驚くほどちゃんとメディアの将来を見据えたことを言った。紙の媒体で書くことにこだわっていてはいけない、と。もはや、新聞記事とは紙でもデジタルデバイスでも読めるものだし、それは加速する。いまの若い世代が年齢を経ても紙の新聞を読むようにはならないだろう。

この考え方を図にすると、こんなことだろう。

左側が、これまでのメディアとコンテンツの関係。新聞で言えば、メディア=紙の新聞。コンテンツが記事。記事は必ず紙の新聞とセットであり一体化している。コンテンツは紙の新聞に掲載される前提で生み出される。そこに何の疑問もない。

ところが右側では状況が違う。ひとつのコンテンツ=記事、に対してメディアが複数ある。新聞の現状に当てはめると、ひとつの記事が、紙の新聞にも、PC上の新聞にも、タブレット上の新聞にも掲載されている。そうなると、記事を書くことは紙でアウトプットされるとは限らなくなる。

いやだ!おれは紙の新聞に載る記事を書くためにこれまでやってきたのだ!・・・そんなこと言ってると仕事なくなるよ。朝日新聞の社長はそう言ったわけだ。

そしてここには大きな問題がある。コンテンツがひとつのメディアに載ることが普通だった左の時代は、わかりやすかった。メディアが素直に稼げた。広告が集まったしそれなりの値付けができた。購読料もとれた。

右の時代になるとそこが不安定になった。もともとの紙媒体の価値は下がっていっている。購読料は減少するし、広告媒体としての価値も下がってしまった。一方、デジタルデバイスでは購読料がなかなかとれないし、広告価値もまだまだ低い。このままだと、本来の価値は下がるし新たに増えたデバイス上での価値はそれを補えない。だから、事業としては縮小せざるをえない。

新聞だけでなく、雑誌でも、ほとんど同様のことが言える。テレビメディアでも同じことだ。

ただ、テレビメディアでは米国と日本とでは、少し違う状況にもなっている。

日本のテレビメディアは、メディアとコンテンツと分けた時、メディアの経済価値に重心を置いてきた。コンテンツの価値は曖昧だった。

米国の場合は、メディアとコンテンツが多くの場合、分離して成立してきた。だから、コンテンツそのものの経済価値を重視してきた。二次使用も含めたマネタイズをあらかじめ折り込んでいる。ドラマを中心に、テレビ局の所属ではない制作会社のプロデューサーが中心になってつくってきた。そういう構造だと、右側にシフトしやすい。メディアが増えればマネタイズの手法が増えるとも言える。

日本のように、制作者もメディア企業の所属だと右側に移行した際に身動きがとりづらくなるのだ。

さらに、ことはもっと複雑だ。この図を見て欲しい。

さっきの図の、右側の時代が進むと、さらにこうなる。これまでの、メディアと一対一対応の時代だと、コンテンツはひとつの枠組みの中におさまっていた。テレビでいうと、放送時のパッケージ(30分番組とか1時間番組とか)に添った完成形だった。

でも、それが進むと、コンテンツは形が曖昧になったり、同じコンテンツだけど形がちがうものが複数出てきたりする。それでも、それ全体がひとつのコンテンツなのだ。

テレビ番組で言うと、番組そのものだけでなく、番組のロゴや出演者の写真、WEBサイトで読む情報、宣伝ポスター、最近ではアプリなんてのもある。それも、これも、同じコンテンツ。形違い。

さてこうなると、これまでの番組のスタッフだけでは大変になる。何しろ、番組を毎週制作するのはものすごく大変な作業だ。そのコンテンツの捉え型を広げてあれもこれも考えて企画して完成させる、なんて無理だよ。

そうすると、直接的なディレクターやプロデューサーとは別に、上位概念的なプロデューサーというかディレクター(?)が必要になるのだ。うん、絶対そうなるはずだなあ。でもまだまだ時間がかかるんだろうなあ。

そんなことを考えて、それをブログに書こうかな、などと思いつつ夜になり、会食の席に向かった。某テレビ局のみなさんと、飲み会やろっか、という気さくな集まり。ソーシャルテレビの勉強会で何度もご一緒し、時に熱く語りあってきた仲間だ。

今年何をやるか、などと話しているうちに、中のひとりが言い出した。自分はコミュニケーションデザインをやるつもりだ、と。後輩が担当する番組の、コミュニケーション全体を設計する。自分はその番組の中身には直接関わらない。その周りのコミュニケーションを組み立てる。それはある意味番組の宣伝でもあるが、それだけでなく番組から生まれる様々なコンテンツを、ソーシャルメディアもうまく生かしつつふさわしいメディアに置いていく。そんなことをやろうと思う。

ん?!・・・それはようするに、ぼくがさっきもやもやと考えていたことではないかい?

ぼくはたいそうびっくりした。

別の方が言うには、”おかしな風が吹いている”のだそうだ。コミュニケーションデザインと言い出したテレビマン氏は前々から、それまでの枠組みから外れたことを言い出していた。全然理解されなかった。それでも言いつづけていた。

そうしたら、このごろになって、”じゃあ、やってみてくれよ”と言われるようになった。どうしてみんなの反応が変わったのか、明確な理由はわからない。ただ、“おかしな風が吹いている“ようだ。そうとしか言えない。

おかしな風が吹いているのだ。

どうやらいま、そういうタイミングなのだ。

だって大新聞の社長が、紙の新聞で何十年もやって来た会社のトップが、これからは紙だけじゃダメだ、と言ったのだ。これまでの常識からすると、おかしなことかもしれない。

つまり、そういう風が吹いているのだ。

おかしな風が吹いているのなら、それにのっていこうじゃないか。どうやら、今年はそういう年なのだ。なにしろ“節目の年”なのだから。

もやもや考えていた、同じことを、たまたま飲み会で別の人も考えていた。そちらは、具体的にやろうという状況になっている。うん、おかしな風が吹いている。ぼくもその風にのることにしよう。

もやもや考えたことを、今年は具体化する年なのだ。もちろん、マネタイズも果たさねばならない。実際に成果も出さねばならない。でもそれもなんとか、なるだろうよ。だって風が吹いてるからね。

これまでのメディアにデジタルが加わるのではない。メディアがデジタル化していくのだ。

この土日の間に、”EDIT THE WORLD”というステキな名前の、女性編集者の方のブログの記事がぼくのウォールで話題になっていた。「若者がある日突然、雑誌を読み始めることなんて、ない。」というタイトル。朝日新聞社の社長の新年の挨拶を取り上げていた。

木村伊量という名の社長は、こんなことを言ったのだそうだ。
「デジタル・ネイティブ」と呼ばれるいまの若者たちが社会の中核を担うことになっていくと、彼らに紙の新聞はどこまで読まれるでしょうか。彼らがある日突然、紙の新聞を読み始めることは期待できるでしょうか。
さらに・・・
厳しい言い方になりますが、紙媒体に書くことだけこだわる記者は数年後には仕事がない、くらいに思っていただかなければなりません。
とも言ったと。

うむむ、確かにすごいメッセージだ。大新聞の社長が、若い世代はもう新聞を読まないし、紙媒体にこだわってちゃ仕事ないぞ、とまで言ってのけた。

これを読んで、頭の中で連動して思い出したニュースがある。“電通が早期退職者100人募集”というニュース。それだけ聞くと、ああ、いわゆるリストラね、としか思わないだろう。だって大手製造業なんかもやってるしさあ、と軽く受けとめてしまう。

でも、ちょっと業界に通じてる人なら、”あれ?今期の業界は悪くはなかったのに、なんでこのタイミングで?“と不思議に思っただろう。これからはともかく、少なくとも2013年3月期は、前期が震災で大きく沈んだ反動で、前年比は悪くはないのだ。いわゆるリストラをするタイミングだろうか?

ぼくも、いまいち解せないなあと思っていたら、“電通が早期退職を募る狙い 広告業界のガリバーが直面する構造変化”という解説記事が出ていた。ふむふむ、なるほど。業績が悪いからリストラしたのではなく、むしろ悪くないタイミングで今後に備えるためらしい。そして、広告業界のデジタルシフトに備えてのことらしい。

“従来型のマス中心の広告ではなく、成長分野であるデジタル領域に経営資源をシフト”するため、とある。

さらに・・・
来期は、グローバル化が一気に進み、デジタル領域に強いイージスとのシナジーを追求することで、「ビジネス構造の変化によってもたらされる節目の年になる」(電通経営企画局)。
最大手代理店の経営企画が、2013年度を“節目の年になる“と言っているというのだ。

大新聞の社長が、大手代理店の中枢の人間が、“デジタルシフト”を公式に口にして、対応しようとしている。

デジタルが来るぞ、というのはもう、何年も前からみんなが言っているじゃないか。もちろんそうだ。でもここでポイントなのは、社長や経営企画が言っているという点だ。これまで、マスメディア関係の中でデジタルに携わるのは“周辺の部署にいる変わり者“だった。中心にはいなかったのだ。真ん中じゃなかった。それはそれで、そういうものだと思っていた。変化は周縁から起こるものだからだ。

でも、真ん中がデジタルシフトを唱えた。備えるのだと言った。そういう年になると認識した。これは大きなことだと思う。

みなさん、どうやら今年はそういうことらしいですよ!変化はいつ来るのか、来てはいるがゆっくりしすぎじゃないか、そんなイライラはもうおしまいらしい。待ったなしの2013年がやって来たのだ。

あとは、そうだな。いろんな会社や組織の真ん中の人たちが、正しい認識をして、適切な対応を打ちだせるかどうかだ。そこを誤ると、数年でかなりまずいことになると思う。

“デジタルシフト“を問われて、「うん、そうだね、だからデジタルの部門をつくったよ」とか「デジタルに強い人材を採用したんだ」とか言って満足しているようではダメだ。必要なのは、そういう付け焼き刃な対策ではない。もっと根本的な策を具体化しなければならない。

組織全体が、デジタル化しないといけないんだ。年齢も部署も関係なしにね。一部じゃなくて、全員が変わるんだよ。

そう、正解はこういう考え方。その違いは明らかだろう。デジタル人材をとってつけて安心しているようでは、安心なんかできないのだ。いまアナログな連中も含めて、一切合切デジタル化するのだ。無理があるけど、その無理を押して実現しないと、組織として生き残れない。

なぜならば、これから起こるのは、旧メディアとデジタルメディアが並ぶ存在になるだけではないからだ。旧メディアがほとんどすべてデジタル化していくからだ。朝日の木村社長が言っているのはそういうことだ。電通がリストラするのは、デジタル化できない人は辞めてもらうかもよ、というメッセージでもあり、それによってぶつぶつ言わせずおっさん社員もデジタル化させようとしているのだ。

社会が変わるというのは、そういうことだ。当たり前なのだけど、それが分かってない人は、まだまだ多い。そして今年は、その変化についていけないとまずい状況になるのだろう。パラダイムシフトが起こりつつあるのだからね。