ソーシャルテレビは東日本大震災の副産物だと受けとめちゃっていいですか?

東日本大震災から丸二年が経った。いろんなことを思うわけだけど、ここはクリエイティブビジネス論がこのところメインで考えている”ソーシャルテレビ”の立場から考えてみよう。すると、おや?あの震災の良い意味での副産物がソーシャルテレビなんじゃないかな?と思えてくるのだ。

あの震災がぼくたちの心性に及ぼした変化は計り知れない。当時のこのブログを読み返すと面白いのだけど、例えば震災から5日後に書いたこの記事「この終末が終わると、ぼくたちは何かをはじめられるのだろうか」を読むと、震災の衝撃が徐々に効いてきているのがわかる。いきなりではなく、震災当日から少しずつじわじわと変化をもたらしたのだ。だってこの記事には「この一件のまえとあとでは、ぼくたちは何か大きく変わっている気がする」なんていう記述がある。いま思えば、大きく変わったしそんなもん当たり前だろう、となるのだけど。すぐにはわからなかったんだなあ。

ソーシャルメディアとテレビ放送の関係で言うとまず、震災の翌々日まではCMがまったくなく、その後も一カ月くらい公共広告機構のCMばかり流れたことがある。同時に、公共広告機構のCMもそのひとつだけど、とにかくソーシャルメディア上で、マスメディアで流れた情報やコンテンツに関することがものすごい勢いで語られた。

公共広告機構のあいさつCMがネット上で何度も何度も二次創作されたとか、原発の報道についてありとあらゆる言説がテレビとソーシャルの間を共鳴しながら行き交ったりとか、テレビとソーシャルが急にお互いの存在を強く意識しあい、牽制もしあい、そして徐々になじんでいった。テレビとネットの融合、放送と通信の連携が、本当のものになっていった。

3月末には「美しいウソの時代はもう終わったんだね」という記事を書いた。こんなこと書くとはなあ。ぼくはコピーライターとは美しいウソを言葉にする仕事だと思ってきて、そのことは肯定的に捉えていたのだけど、もうそういうことじゃないんだなと確信した。それはぼくの人生にとっても大きな転換だった。

少なくとも、これまでで言う広告は必要がなくなった。震災を機にそうなった。企業のコミュニケーションは、本当のことに迫らなければならなくなった。これも大きなことだと思うなあ。

そのあとでまた「ソーシャルメディアがマスメディアになってきた」という記事。震災から3週間ほど経って友人たちと会ったら話題の中心が”ソーシャルメディア上の出来事”で、ちゃんとみんな知っていた。これもすごい話だなあ。もちろんそこにも、マスメディアとソーシャルメディアの話題の行き交いがあって、だからこそみんな知ってるのだ。斉藤和義の「ずっとウソだった」が話題になったのもこの頃だったな。

ぼくは行かなかったけど、反原発デモなんてのもあった。一方でこれは少しあとの夏だけど、フジテレビ韓流批判デモというのもあった。デモ自体は別に珍しいことではないけど、これまでのデモはだいたい、共産党や社民党やそれ的な旧左翼的つまりちょっとズレた人たちのものだったのが、普通の人も参加するものになった。

テレビとはマスメディアの中心であり象徴だった。それがどうやら、これまでの感覚では、既存の捉え方ではなんだかしっくりいかなくなった。それまで水面下の潮流としてあったソーシャルメディアが急浮上し、テレビと補完関係を示すようになってきた。そんなことが震災のあとに起こってきたんじゃないだろうか。

そう考えると、東日本大震災はぼくたちメディアについて語る者どもに大きな啓示をもたらしたのだと言える。だからこそぼくたちは、2013年3月11日14時46分という時間を、敬けんな気持ちで迎えないといけないのだ。メディアのパラダイムシフトを引き起こし、メディアとメディアとの関係を新たな方向に導いたのが2年前のあの事件だった。この時間、みんなで黙とうを捧げよう。

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