2011年を振り返る上半期篇を月曜日に書いたら、仕事納めも終わっちゃって、もう除夜の寝さえ聞こえてきそうなほど年末も押し迫ってきた。下半期篇をとっとと書かないと、年を越せないね。さっそく、7月からいこう。
7月
●ビデオプロモーション入社
⇒また少しちがうsakaiosamuになるのでありんす
●『テレビは生き残れるのか』出版
⇒刷り上がったぞ!『テレビは生き残れるのか』16日発売!
●第三回リアル境塾「アナログ停波まつり」
⇒第三回リアル境塾を終えて〜やるべきことは、はっきりしてきた!〜
7月はアナログ停波。テレビ放送50数年の歴史の中で大きなターニングポイントだった。そしてぼくにとっても人生の中での転機を迎えた。ロボットを辞め、ビデオプロモーションに入社。そして初の著作を出版した。24日のアナログ停波当日には、山崎秀夫さん、志村一隆さんをゲストにお招きして境塾のイベントを行った。慌ただしい一ヶ月だったなあ。
8月
●「新・週刊フジテレビ批評」出演
⇒「テレビは生き残れるのか」と言いつつ、テレビ出演で盛り上がる
●フジテレビ抗議デモ
⇒ネットはなぜマスメディアに腹を立てるの?
初めて出版したら、初めてテレビ出演をした。その依頼はTwitter経由だったし、もともと注目していたプロデューサー福原伸治さんからのコンタクトだった。そういった顛末もソーシャル時代ならではだなあ。そして韓流問題を発端にしたフジテレビ抗議デモ。その主張は脈絡ないけど、ネット住民がテレビにはっきり反旗を翻した象徴的な出来事だと思う。この対立を乗り越えたところに何かが生まれると思うなあ。
9月
●hulu日本でVODサービスを開始
⇒Huluで映画とドラマ見放題!VOD市場の破壊というか創造というか・・・
●広島RCCラジオ出演
⇒http://sakaiosamu.com/2011/0907080018/
●映画『モテキ』ヒット
⇒日本映画は生き残れるのか〜モテキのヒットは何かの予兆か?〜
2011年はVOD元年と言っていいと思う。その象徴がhuluの日本でのサービス開始だ。定額制はひとつのキーワードになるだろう。広島のラジオ局から著作に関して出演の依頼があった。これもTwitter経由。そこにはラジオの可能性の一端がかいま見えると思う。そしてテレビ東京で夜中に放送していたドラマ「モテキ」が映画になって大ヒット。これも新しい現象だと思う。
10月
●スティーブ・ジョブズ逝去
⇒製品にメッセージを感じることなんて、もう二度とないんだろうね・・・
●第一回BAR境塾〜tuneTVとテレBing〜
⇒BAR境塾「ソーシャルテレビをアプリで語る」楽しかったよ!
●スマートテレビ研究会に参加
⇒スマートテレビ研究会、盛り上がってきたぞ!
●第四回リアル境塾 福原伸治氏をゲストに開催
⇒”中間”にイノベーションが生まれる〜第四回リアル境塾レポート〜
11月はイベント満載。デジタルハリウッドでやっているリアル境塾には、ぼくを番組に呼んでくれた「新・週刊フジテレビ批評」の福原さんを逆にぼくがゲストに招いた。一方、Bar境塾と称してアプリに関するトークショーを開催。何気なくやってみたんだけど、いま思えばけっこう重要な催しだった。それから、慶応大学メディアデザイン科主催のスマートテレビ研究会にお声がけいただき、その後も参加している。
でもこの月でなんと言っても大きな出来事は、ジョブズが亡くなったことだ。ぼくもショックを受けたが、世の中が大きな衝撃を受けたのは驚きだ。そんなに大きな存在になっていたんだなあ。
11月
●ニコニコ動画、YouTubeとテレビ局の連携進む
⇒テレビはネットをどんどん利用しよう!〜YouTube、ニコ動との連携進む〜
●JapanTimes取材
⇒The Japan Timesからニコニコ動画についてインタビューされたって話
今年後半の動きで突出していたのがニコニコ動画だ。大げさに言うと毎週何らかのニュースが届いた。そしてテレビ局をはじめオールドメディアとの連携が次々に展開された。8月のフジテレビ抗議デモと対比させると面白いのだが、テレビとネットは反目しあいながら手を結びはじめている。その方がトクだからであり、その方が面白いからだ。
JapanTimesから取材を受けた。小さな範囲だけど、メディアの中で知られるようになってきたかな。
12月
●バルス!祭り
⇒バルス!〜テレビとソーシャルの幸福な瞬間〜
12月はなんと言ってもバルス祭りだろう。なんだそりゃって人は上のリンクから記事を読んでみて。2011年の結論がそこにあると言っても過言ではないと思う。アナログ停波と若者のテレビ離れが露呈した今年、悩んできたテレビとネットはバルス祭りで融合点を見いだしたのだ。
そうだ、テレビとネットは、放送と通信は長らく、融合が必要だと叫ばれてきた。でもちっとも融合しなかった。それどころか、反発しあうばかりだった。その頂点が8月のフジテレビ抗議デモだった。でも糸口は見つかった。バルス祭りが教えてくれた。バルスとは、天空の城ラピュタを崩壊させるおそるべき呪文だが、同時にテレビとネットが融合する素敵な呪文でもあったのだ。
こうして振り返ってみると、2011年は苦しくつらい一年ではあったが、光明が見いだせた一年でもあった。1月にFacebookが盛り上がり、12月にバルス祭りで締めるなんてよくできたストーリーになっている。そんな中、境塾の活動を始めて本を出版した、ぼくにとっても新しい道が見えた素晴らしい一年だった。
来年は、はっきりやろうと思っていることがある。それは最初の記事で明確にするよ。楽しみだね、2012年。きっといろんな動きが加速する。あなたもスピードあげないと、追いつけないかもよ!
関連記事