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コピーライター→映像製作会社ロボット→広告代理店ビデオプロモーション→再びコピーライター(フリーランス)。 メディアとコンテンツの未来を切り拓くコミュニケーションをデザインします。講演・執筆依頼もお気軽に!

再生のギョーカイその2〜バブルの延長線上にあるテレビ広告〜

このグラフは前回と少し違う。テレビ広告費と新聞広告費の推移だけでグラフにしたものだ。前回と違うのは、07年以降のデータも加えてあること。09年はぼくがつくった予測値だ。予測だけど、ほぼこんな感じになるだろう。

ここからいろんなことが言える。

まず驚くのは、80年代まではテレビ広告費と新聞広告費の差が少ないこと。1.1対1ぐらいの割合で少しだけテレビ広告費の方が多い。確かに思い返すと、80年代までは新聞広告の影響力はいまよりもずっと大きかった。表現としてもテレビ広告と”競い合っていた”感がある。同じキャンペーンで、テレビCMはこう来たが、新聞ではこんな表現だった、ということはよくあった。

それが90年代になって様相が変わってくる。バブルがはじけたあと、テレビと新聞の落ち込み方には大きな差がある。テレビ広告は新聞広告ほどには落ち込んでいない。と言うより、ほとんど落ち込んでいないと言っていい。90年代後半に広告業界が”持ち直した”のは前回見たが、実際にはテレビ広告が持ち直したのだ。

キャンペーンの中での新聞(というよりグラフィック広告全般)の位置は大きく変化してくる。”競い合う”というより、”テレビCMのフォロー”でしかなくなってくるのだ。テレビCMで決まった表現を一枚絵にしたのがグラフィック広告だ。そんな位置づけになってきた。

つまりテレビの世界では”バブルがはじけた感覚”がさほどなかったのだ。そしていつの間にか、”広告=テレビCM”という感覚になってしまった。大手代理店ほどテレビ広告の比重は高く、ということは、大手代理店とテレビキー局はバブル後も発展してきたのだ。

そのテレビ広告も、2000年前後で明らかに”頭打ち”にはなった。でも結果的にぐいぐい成長した90年代の余韻は続き”まだまだおれらいけるんでねえ?”という危機感の薄さがまかり通った。10年前に総括できなかった”なみはや市”とすごくダブる姿かもしれない。

読者の中には”それは広告業界の話でしょ?おれはアニメ業界だから関係ないよ”と受けとめちゃう人もいたりする?でもね、ことテレビに関しては”メディアコンテンツ業界=広告費”なのだよ。広告費だけで運営するメディアだからね。映画製作がテレビ局主導になっていったのも90年代後半から。これも併せて考えると、こと”映像”については、テレビ広告費の推移とほとんど連動していると言えるよ。

それでぼくが言いたいのはね、テレビは、そしてつまりは映像業界全般は、去年までバブルを引きずってきたんじゃないか、ってことなんだ。”おれたちってまだ、バブルの夢の中にいるんじゃない?”ってこと。20年ほど前、90年代初頭にはじけたはずの、あの狂い咲きの時代の延長線上にのっかっちゃってない?ってこと。

グラフの右端を見てみようよ。去年からびっくりするような急降下がはじまった。2兆円あったテレビ広告費は、少なく見積もっても1.5兆円まで下がるだろう。ついこないだまでの3/4になってしまうだろう。

夢から覚めようよ。目を覚まそうよ。これからの現実を見つめようよ。そいでもって、なおかつ、ぼくたちが何をどう考えていくべきかを見つめていこう・・・新しい夢を探さないと、いけないんだ、ぼくたちは・・・

再生のギョーカイ〜バブルの夢のおしまい〜

上のグラフは何でしょう?「再生の町」の舞台である”なみはや市”の財政だ。いや、ごめん、ちがう。電通が毎年まとめている日本の広告費の推移だ。

単位は億円。85年から06年までのデータ。電通の資料は07年以降、計算領域をかえているので06年までで作っている。

85年に3兆5千億円だった日本の広告費は91年まですごい勢いで成長し、5兆円7千億円になった。たった6年で1.6倍になったということ。すごいね。

それが93年に5兆1千億まで急減し、その後6兆円まで持ち直したあと一進一退。

07年以降はどうなったか。ぼくの試算ではマス広告費は07年から09年にかけて6千億円減ることになる。だとするとこのグラフはこの後3年間で5兆4千億円まで一気に下がるわけだ。

それはつまり90年前後の水準であり、ということはこの国の広告費は90年比0%だってことになるわけ。

いい?20年間でゼロに戻るんだよ。

これはどうとらえればいいか。例えばこんなことが言える。この二十年間でギョーカイで養える人数は増えなかった。つまり、この二十年間でギョーカイ入りした人数から定年などでいなくなった人数を引いた分だけ、いらなくなる、ということ。

これがなみはや市ならぬ”ギョーカイ市”の真実。バブル崩壊後、一度また成長したけど結局行き詰まったのが10年前。”なみはや市”の財政課長はこの時、危機を市長に訴えたがつぶされた。ギョーカイも10年前に何か考え直さなきゃいけなかったはずだけど、それができなかったってことなんだろう。

“ギョーカイ市”の不幸は、ギョーカイがバブルっぽい世界だったことも大きい。なんだか華やかで夢に満ちてて時代の最先端、まるで万博の延長線上に存在するかのような町だった。ずっとバブルの夢を見続けてきた。バブルの夢の中で生きてきた。それがギョーカイだ。

ギョーカイ市の20年はもう一点、特徴的なところがあり、それがバブルの夢を引き伸ばしてしまったのだけど、それについてはまた次回に書くね。

再生の町〜万博の夢の終わりに〜

「20世紀少年」と「官僚たちの夏」について前回ぼくが書いたことに何か感じた人は、「再生の町」もぜひ見るといいと思う。きっと近いうちに再放送されるんじゃないかな。

筒井道隆演じる主人公は、横浜の百貨店で働いていたが、勤めていた店舗の閉店を機にふるさとの大阪に帰る。大阪府の郊外に位置する”なみはや市”の市役所に再就職したのだ。百貨店という華やかな職場を去った彼は、公務員を地味に演じて過ごすつもりだったのだが、市の財政が破綻しかけていることが判明。その建て直しプロジェクトチームに選ばれてしまう・・・

なみはや市の往年の発展時代の象徴として大阪万博が何度も登場する。あの頃は、希望があった。この国も、この町も、未来永劫発展しつづけるとみんなが信じていた。

市の財政再建には、そんな過去の夢を捨て去る必要があるのだが、市政のボスである市議会議長(近藤正臣)は、まだ過去の夢を”ニュータウン計画”に求めている。だがその計画は、過去のしがらみの温床でもあった。急逝した前市長の跡を継いだ現市長(吉田栄作)は、議長とプロジェクトチームの間で板挟みにあい苦悩する。

主人公は少しずつ、町の再生に本気で取組みはじめる。実は、10年前に市の財政課長だった彼の父親は、財政危機を予見してニュータウン計画を止めようとしたが議長たちの圧力で頓挫していた。そのことを知った主人公は、現市長にほんとうの再建を理解してもらおうと奮闘する。

こうした設定が、”日本国”の現状を見事に集約していてリアリティがある物語になっている。

と、ついドラマについて書きすぎたけど、万博以外にもいろんな点が、「20世紀少年」や「官僚たちの夏」と交錯するのだ。

再生のために苦闘する主人公、父親の野望だったニュータウン計画を止めるか悩む現市長は、”ともだち”と闘うケンジたちの姿とダブる。また悪の権化のような市議会議長は、若かりし頃はきっと「官僚たちの夏」の風越たちのように、成長のために粉骨砕身してきた人にちがいない。

いや、しかし、そういう、3つの物語のシンクロニシティを書くことが今回の本題ではない。ぼくが言いたいのは、”なみはや市”はあらゆる組織の象徴だと解釈できる、ということだ。もちろん、この国の全体の象徴であるのが第一だ。あるいは当然ながら、他のすべての公共自治体も多かれ少なかれ同じようなものだろう。

でもそれだけでなく、いろんな業界、いろんな会社も、似たような状態なのではないか。少なくとも、バブル時代を経験している組織は、どこも”なみはや市”なのだと言えるだろう。

メディアコンテンツ業界も、業界まるごと”なみはや市”なのだと言えなくもない。そこには、10年前にやるべきだったことが、まだなしえていないで残りつづけているのだ。

“なみはや市”と、ぼくたちの関係性を次に書こう。そこから、ぼくたちがなすべきことが垣間見えるかもしれない。「再生の町」の主人公が地味に、地道にがんばったように、ぼくたちがやるべきことは、決して華やかなことではないのだろう・・・

「20世紀少年」と「官僚たちの夏」の終わり

なにしろぼくは62年生まれで、「20世紀少年」のケンジたちとほとんど同い年だ。彼らは69年に秘密基地で”よげんのしょ”を書いたわけだが、ほんの数年後、ぼくも山を切り開いて造成された住宅地で秘密基地を作った。

さて「官僚たちの夏」は万博の直前で終わる。60年代後半だ。風越たちの日本産業を成長に導く仕事が一段落ついた頃、ケンジたちは21世紀を”よげん”した。そして大阪万博を迎えたのだ。

”よげんのしょ”は科学空想冒険物語だ。だが、いま21世紀になり、”友愛”を掲げる党首の政党が政権をとった。国際会議で演説して拍手喝采を浴びた。”ともだち”と重なるじゃないか。ケンジたちの”よげん”は当たらずとも遠からず。”空想”はけっこう現実になっている。

”さいきんへいき”で世界を震え上がらせた”ともだち”。ほんものの”地下鉄サリン事件”を引き起こした集団の中心メンバーはぼくらと同世代が多かった。

風越たち”官僚”がもたらしたのは、そうすると、そんなとんでもない未来でしかなかったのだろうか?高度成長の申し子であるケンジたちはそんな未来しかつくれなかったのか?

そうではない。

方向転換が必要だったんだ。風越たちも、ケンジたちも、万博で世界の国とこんにちはしたあとに、別の未来を思い描かなければならなかった。

風越が老人になり、ケンジが大人になった80年代に、その方向転換があるはずだった。そこで、老人中年青年が一緒になって、さあてこのあとどうしよっか、と話しあわなきゃいけなかった。

ところが・・・バブルが起きちゃったんだな!

80年代後半のバブルで、ま、いっか!ってことになっちゃった。90年代になっても、バブルがはじけても、あれ?ま、また戻るよね、と信じつづけた。90年代後半に銀行や証券会社が潰れてやっと、ん?勘違いしてた?ともやもや思った。

そのあたりで真剣に新しい未来を考えるはずが、バブル以降10年ぐらいぼけちゃった頭がなかなか働かない。21世紀になって、ITバブル?とかホリえもん?とか小泉さん?構造改革?とかワーワー言ってるうちになんとなーく景気が良くなって、ま、いいみたいね、となっちゃった。

2008年、リーマンショックによってやっと、うひゃ、結局ぼくたちなーんにも進歩してなかったんだね、と気づいた。いや、気づいた人が出てきた・・・

そういうわけで、やっと、考えるムードは出てきたね。じゃあ何を考えればいいの?

ということで、クリエイティブ経営論の趣旨を離れて、これからしばらく、”日本国”のことを書いていくよ。20世紀少年を卒業した21世紀少年は、何をどう考えればいいのか。関係ないようで、やっぱりクリエイティブ経営論の一部であり、メディアコンテンツ業界の将来とも関係するんだ。

キーワードは、やっぱり”流動化”なんだけどね。あ、しつこい?

【メディアコンテンツ業界への警鐘】流動化とスキルアップ

さて、政治家は”流動的”な人生のるつぼだったりする。ここで書いてきた趣旨からすると、みなさん、えらい、ってことになるのかな?もっとも、二世三世はあんまり”流動的”じゃないけど。でも新首相も研究者から”流動的”な選択で政治家に転身した際は、それなりの勇気が必要だっただろう。ましてや、祖父が作った政党を負かして首相になったなんてそうとうな”流動性”だね。

さて、このところしばらく”流動化”つまり、あなたも変われ、そなたも変われ、と訴えてきたわけだけど、この”変わる”ってのはそれまでのスキルを捨て去る、ってことではない。

ってことなんでしょ?とある人に言われたので、今日はいいネタもらったなと、そこんとこにふれよう。

“流動化”しよう、ってのは、これまでの経験値がまったく無意味になるということでもない。むしろ、自分のほんとうのスキルというか、いろいろ削っても残る価値を生かしていくということだと思うのね。

それは単純にテレビをやってきたから次は映画やろう、ということではないのよ。それはやや、表層的なスキルでね。

例えばテレビ番組の企画をずっとやってきた人が、その企画力を生かして新しいビジネスモデルを企画してみる、とかね。やっていることの”領域”を越えて、それでさらに自分のスキルが別の領域で生かせる、みたいな。

いや、そこまで領域を超える必要もないのかもしれないけど、とにかくある職種で磨いてきた経験値には、いくつか”芯”みたいなものがあるはずで、その”芯”は別の何かに必ず応用が利くはずだとぼくは思う。イノベーションは、そういうところでおきるんじゃないかと思うわけ。

メディアコンテンツ業界で言えば、例えば(前にも書いたかな?)雑誌を編集する、という能力は”雑誌”をとっちゃっても生きるんじゃないか。編集する、って相当な特異能力だと思う。”人びとを”編集するとか、”街を”編集するとか、いろんな編集があるんじゃないか。

テレビ番組を進行する、をやってた人は、意外に”経営改革を”進行するとか、”ベンチャービジネスを”進行するとか、いろいろできるはず。

なんか”転職のアドバイス”みたいなことになっちゃってるけど、人間はそういう連続性が大事で、スキルアップとはそういうことじゃないかと思うんだ。

そう”流動性”はやみくもに変化するということじゃなく、”連続性”がポイント。そう考えると、流動化を前向きに捉えられるんじゃないかしら?

【メディアコンテンツ業界への警鐘】流動化と”弱者救済論”

『再生の町』については別の機会に書くとして、『官僚たちの夏』の”弱者救済こそ美しい”というメッセージは危険だなあ、と思う。このドラマに限らずマスメディアは昨年末の”派遣切り一斉報道”に見られるように”弱者救済こそ我が使命”と思っているらしい。

でもいまはマスメディア従業者こそがその”弱者”になろうとしていて、だから身につまされているのかしら?などと皮肉なことを言いたくなる。

ぼくは”弱者救済はしなくていい”と言うつもりはない。でも、まず”弱者”を分類しないといけなくて、身障者とかお年寄りとか母子家庭とかが弱者だというのと、『官僚たちの夏』の炭鉱労働者が弱者だというのとは、ずいぶんちがうはずだ。

身体が不自由な人は職場さえ見つけにくいから、救わないといけない。でも弱い産業の企業や従業者を”弱者”だとして守りつづけるのはヘンだ。

石炭産業が弱ってきたのなら、他の産業に移ればいい。移るべきなんだ。

”そんなこと簡単に言うんじゃねえよ、他人事だと思ってよ”と言うかもしれないけど、現実を見なきゃね。

実際、ひとつの産業に従事してきた人が他の産業で働くのは並大抵ではないだろう。

でも、もっと問題なのは”そんなに簡単じゃねえよ”がこの国の”固定化”制度に拠るところが大きいのことだろう。

何しろ、同じ産業の中での転職でさえ、まだまだ簡単じゃない。ましてや、他の産業に移るのは確かに並大抵じゃないよね。それは制度的、あるいは社会のムード的、慣習的に並大抵じゃない。

そこが”おかしくね?”とぼくが思うところなんだ。

人生の途中で進路変更をすると、”へっ、志を曲げやがったよ”とか”逃げるんだな、お前は”とか、言われる。言われると、”そうかもしれない、ぼくは逃げてるだけかもしれない”とか思い込んじゃったりする。そういう雰囲気、そして個人の意識がおかしいと思うわけ。

例えばぼくは、3年前までフリーランスのコピーライターだった。で、ある会社の経営企画室長になり、いまはまた営業企画室長だ。コピーライターだった頃は、あやしい格好でクルマで出歩いていたけど、いまはスーツ着て電車で通ってる。抵抗がまったくなかったかといえばウソになるけど、自分が変わることをたのしんでもいたりする。

コピーライターの集まりには最近、あまり行っていない。説明するのが面倒だから。なになになに?どうして?どういうこと?聞かれるのがめんどくさー。

人によってはまさに”ふん、スーツなんか着込んで、逃げやがったな”とか言われそう。業界が厳しくなった今だと、さらに”先読んでやがるな、うまくやったもんだ”とか、思われそう。あーイヤだ。

先読んだ、という側面があるにはあるけど、”コピーライターじゃ食えなくなる”と思ったからじゃないんだよね。そうじゃなくて、コピーライターがコピーライターである続ける必要はないだろ、ってことなんだ。

先読んだな、という視点から言うと、これからは、そういう時代。なぜならば、いままでが”固定化”しすぎてておかしかったから。その修正が一気にやって来る。”流動化”の波が押しよせてくる。

だったら、自分を”流動化”させた方がカッコいいし、新しいし、生きていける。その方が、よくなくなくない?

【メディアコンテンツ業界への警鐘】流動化と自分さがし

福島瑞穂を見ていると、会社社会で”あるべき論”を唱えるキャリアウーマンを想起する。そんなことを言うと女性に嫌われそうだが、ぼくとして実際そういうイメージがあるのよ。

ぼくは男女雇用機会均等法の施行世代だ。その頃、社会に出て行った総合職の女性たちには”自分さがし”ブームがあった。というかブームがあったというほどどいつもこいつもそうだったわけではないが、確かに”潮流として”そういう感じがあった。そしてそれは20代後半で会社を辞めて語学留学する、という形になった。ほんとうにぼくの身近でも”会社辞めるんだ、語学留学するんだ”という同世代の女性が何人かいた。”自分さがし”するんだ、が合言葉になっていた。

ぼくはこの”自分さがし”という概念がものすごくキモチ悪かった。言い逃れにしか聞こえなかったのだ。

キモチ悪かったのは、恥ずかしかった、ということでもある。ぼくも学生時代に”自分さがし”状態だったと言えるからだ。そして、メディアコンテンツ業界に結果入った人種は、多くはこの”自分さがし”の結末だったのではないか。

あ、いま気づいたけど、いつもと文体がちがうな、なんとなく。けっこうまじめなキモチで書いてるからかな?

いま思うに、この”自分さがし”の概念は、”固定的”な世の中の表れだったのだろう。”自分さがし”とは、”自分はただひとつ存在するはずだから探そうよ見つけようよ”という前提がある。考えたら怖い前提だ。人を脅迫する概念だ。何か職業を選ぼうとする時、”それがホントのお前なのか?”と問われることになる。怖いなあ。

よく考えたら、それがホントの自分なのかなんて、悩んでも結論が出るはずがない。なのに、”自分さがし”の概念は”ホントのお前はもっとちがうはずだ!”などと熱く問いかけてくるのだ。そんなこと熱く問われたら”そうだ、ほんとのおれはもっと他にあるはずだ!”などと熱く答えたくなるじゃないか。

それが”固定的”な世の中の罠だったのだ。

とくに”メディアコンテンツ業界”にたどり着いた人びとは、そこに”クリエイティブ”とか”夢”とかのあま〜いロマンチックな調味料が振りかけられているので、”そうか!おれの探していたおれは、ここにあるんだ!”などと熱く答を見つけた感覚に酔ってしまう。酔っぱらったまま十数年過ぎてしまっていまがある。

かくてメディアコンテンツ業界には自分探しの”ドリーム”からなかなか覚めない困ったちゃんがいっぱいだ。

あのね、あなたがギョーカイに入った時のあの”夢の入口にたどり着いたぜ”って感覚。あれね、罠だったのよ。ごめんねー。

いや、でもあの時の”高揚感”をさらに高めることはできる。ドリームをほんものの現実にできる可能性はある。その鍵が、”流動化”だ。自分さがしの幻想を捨てて、今の自分が変わってもいい、ちがう自分であってもいいじゃない、と割切って開き直った時、その時こそ、夢がかなうのだよ。結果的に”じぶん”が見つかるかもしれない。矛盾してるけど、矛盾したまま、素敵な未来が見えてくる。かも。

って意味わかる?流動的になりなさい、と、手を変え品を変え、言っているわけ。でした。

【メディアコンテンツ業界への警鐘】流動化と職人気質

ぼくはこの国の”家業礼賛”って感じがまずいんじゃないかと思ってるんだ。

そんな家業だなんて、私は別に家業を継いでなんかないよ。みんな、そう言うかもしれない。

”家業”は大袈裟かもしれないね。でもさ、なんか”職人気質”みたいなムードがない?日本のいろんな産業に。”これ一筋三十年”みたいな。”家業”になってないまでも、そういう”これ一筋”はえらい!っていう空気がずっと漂ってる気がする。

“職人気質”と言うと”畳職人”みたいな伝統産業の家内制工業の話みたいだけど、製造業にも”職人気質”は漂っている。”自動車組立て一筋三十年”とかさ。おめえ、ドアの組込みやろうなんて10年早いわ!みたいな。

それから、メディアコンテンツ業界にも”職人気質”はある。映画とか典型だし、CMや番組制作でも、グラフィックデザインでも。WEB制作だってあと10年ぐらいしたら、”エンコード一筋三十年”みたいな人が出てくるんじゃないか。

ぼくは(かなり敢えて言うんだけど)そういう”職人気質礼賛”みたいなムードはこれから良くないと思うんだ。

本来、人間はもっと流動的であるべきじゃないかと。その方が自然なんじゃないかと。○○一筋うん十年、が主流だったこの国の戦後はちとイビツだったんじゃないかと。そう思うんだ。

そのイビツさは、この国の制度や精神が”固定的”を重視する方向でできていてからなんだと思う。”流動的”を否定するシステムができあがっていたんだ。ぼくはそう捉えているの。

典型的なのが、雇用制度だ。解雇についてこんなに厳しいのはヘンだと思う。おっと、誤解されそうだな。解雇しやすい方がいい、と言っているのだけど、だからって経営の論理を一方的に言っているわけではない。解雇しやすく、転職しやすい、そういう世の中の方が、結果的には働く側にとっていい、と思っているんだ。

いまはかなり変わってきたけど、ちょっと前までは”転職”ってなんとなーくイケナイこと、ってムードがなかった?会社をどんどん移る人はなんというか、ふしだらだ、みたいな。名のある大企業でずーっと働くことが人生の成功、みたいな、ムードが確かにあった。

いまでも、転職は大歓迎ってわけではないだろう。さらにいまは派遣切りが話題になり、正社員がいちばんだ、非正規社員は不幸だ、ってムードも出てきた。これはいままでよりさらに、不気味だとぼくは思う。

もっと流動的でいこうよ。突然、会社変わってもいいじゃん。職種変わったってかまわないじゃん。昨日までとぜーんぜんちがう会社でちがうことやれたら、面白いじゃん。もちろん、それまでの経験が生きる方がいいけどね。

ほんとの自由ってそういうことなんじゃないかと、ぼくは思う。一生、おんなじことやらないと生きられない社会って、へんてこりんじゃない?息苦しくない?

そんなことない?

【メディアコンテンツ業界への警鐘】成長のキーワードは”流動化”

弱い産業を守るのが官僚だ。確かに、行政にはそういう役割もある。でも、”いまこの時代に”そんな主張の主人公を登場させるのはどうかな?

いま、日本全体が”弱い人たち”になっちゃってる。今度の選挙での民主党の圧勝も”鳩山さんの方が弱い我々を守ってくれそうだ”という票が多分に支えたのかもしれない。でも、どいつもこいつも”わしらこそが弱者なんじゃ”と言って救いの手を待ってばかりじゃ、何にもならんのよ。

強者がいっぱいいる中で少数派の弱者がいるなら、守った方がいいかもしれない。でも、一億3千万人みんなが”わしこそ弱者じゃ”と主張しあっていて、その全部を救おうとしたら、借金が膨らむだけだ。解決を先延ばしにして、後世に、つまりぼくらの子供たちにツケを背負わせるだけだ。気がついたら”一億総貧乏”になっちゃうんだ。

その解決策のひとつが、前回書いた”再編”だ。

弱いとこから、これから強くなりそうな方へ、人と資本を移動させる。

つまり、流動化が大事だ。

ところが、この国は三十年くらい流動化を拒否してきた。あらゆる制度と精神性が物事を流動させない方向で固まっていた。

もっと言えば、三十年どころか、60年間ぐらい”流動させない”制度と精神でやってきたんだ。これを流動化させるのは並大抵じゃないね。

そう言うと、だいたいの人は、”そりゃいかんね、もっと流動化させないとね”と総論賛成なことを言う。ところが、その矛先を自身に向けると”あ、いや、私のところはね、そんな簡単じゃないんじゃよ”と各論反対な態度をとる。

私んとこはね、流動化は無理じゃよ。それにね、いままでこれでうまくいってきたしね。私なんざこれで三十年間やってきて、何の問題もなかったんじゃ。私の後輩や弟子たちにも同じやり方をずっと教えてきた。それでうまくいっとる。それを変えるなんざ無理だ。変えるなら、他をあたってくれ。そんなことを言いだす。

流動化を果たせなかった部分は、こうしてただダメになっていくんだよ。

前回の”再編”の話とつなげるとね。例えば、大きな部署移動とか、部門再編とか、会社の中で考えなきゃ。で、いままでずーっと同じことやって来た人ひとりひとりに考え直させなきゃ。あるいは、いままで採用したことのないタイプの人材を思い切って雇うとかね。しかも何十人も雇うとか。

さらに、ひょっとしたら、会社の名前が変わったり、社長がちがう人になるのも覚悟して、どっかとくっつくとかね。それぐらい流動させないと。

あ、その時には、同業者ってことからどれだけ離れられるかも大事。”規模”も大事だけど、それだけじゃ乗り切れないのがこの時代だ。全然ちがう業態とくっついて、それでどんな相乗効果が得られるか。そこを考えなきゃ。それによって、現業のままでは得られない利益が得られるかもしれない。そんな風に捉えなきゃ。

その時に、いちいち”わしらのやり方”にこだわってると、置いてかれるぞ。”わしら”の村を出るのじゃよ。そんな覚悟があれば、海が割れて道ができたりするからさ。

あなた、そんな、覚悟ある?

【メディアコンテンツ業界への警鐘】コンテンツシフトをはじめなきゃ

おっと。政治のことばかり書いてちゃ”クリエイティブ経営論”にならないね。でもね、政治の世界と実業の世界は常に呼応するもんだ。

つまり、メディアコンテンツ業界にも再編が必要だってことだ。

前回、メディアコンテンツ業界は新たな成長産業になる!てなことを書いた。でもその中身をもう少し因数分解しないといけない。

正しく言うと、メディアコンテンツ業界の成長とは、メディア業界の成長ではなく、コンテンツ業界の成長なんだ。とくに”これまでのメディア”つまりマスメディア業界は、はっきり言って成長しない。あ、マスメディア所属のみなさんごめんなさい。でも、あなたも、わかってるんだよね。もう、認めるしかない。

さて、既存マスメディア所属の人にはクリエイティブだったりビジネス構築ができたりする人もいる。でも大半は、そんな創造性のある人じゃなく、”マスメディアであること”にぶらんぶらんとぶら下がって生きてきた人だ。(あ、もう一回ごめん。でも、そのことも、わかってるでしょ?)

一方、コンテンツ業界は手放しで喜べばいいかと言うとそんな単純ではない。新たな努力をしないとマスメディアと一緒に沈むだけだ。だってコンテンツ業界はマスメディアにぶらんぶらんとぶら下がって生きてきたんだもん。

コンテンツ業界が成長できるのは、そういうぶらんぶらん状態から脱却することだ。ということは、”○○○制作にかけてはこだわりまくりまっす!”という情熱や意気込みだけではアカンっちゅうこっちゃ。

ぶらんぶらん状態から脱却するには、ビジネス構築力をつけないといけない。与えられた予算の中でいいもんつくりまっせ!というだけでは足らないわけ。予算そのものをあの手この手でぶんどってきたり、お金のある人から引きずり出す手練手管が必要だ。

もちろん、いい加減なこと言っててもお金は引きずり出せない。だから、”こうなってああなったらリクープできてさらにそうなったらえらいもうかりまんがな!”と言えないといけない。それがビジネス構築力。

コンテンツ業界としてビジネス力をつけなければいけない一方で、いまメディア業界の側にいる人にもチャンスはある。コンテンツ業界の方に移籍することだ。あるいは、資本面でうまいことやって、コンテンツ業界と肩を組むやり方もある。そうすることで、それまで培ってきたビジネス力を生かすわけ。これはコンテンツ業界にとってプラスじゃんか。

つまり、それがぼくたちの再編。ほら、政治の世界とリンクしてくるでしょ。

これをさらに進めて考えると、メディアの方でもコンテンツの方でも、ビジネス構築力がある意欲的な人が生き残る、価値が出てくる。そうじゃない人は、生き残れないぜ、ってことだ。

メディアコンテンツ業界の中で大きいとこ、小さいとこ、若い人、ベテランの人、名のある人、名も無き人、いろんな人材が渾然一体となってだんだん新しい体制に再編される。それがいま、ぼくたちが考えなきゃいけないこと。

あ、しかもね、こうなると、急がなくちゃね!

【メディアコンテンツ業界への警鐘】はじまりのはじまりがはじまった

自民党のおじいちゃんがかなり消えていく。でも、民主党にもおじいちゃんがいっぱいいるからね。必ずしも年寄りってわけでもない。自民党のおじいちゃんと同じように”旧勢力”が民主党にもいっぱいいるってこと。

まちがいなく。

これから一年以内に大きな政界再編が起こる。

今度の選挙はその”はじまり”に向けてのはじまりだってことだ。

さてここで、確認しておくよ。今度の選挙以降、何が大事になるのかを。

まちがっても”友愛”なんか信じちゃダメだ。と言うか、”友愛”って中身は空っぽだよね。

鳩山さんもそうだし、メディアで発言するインテリのほとんどが大きな勘違いをしている。そこんとこ、よく認識しておこう。

格差の是正、それだけを唱えている人は何もわかっていない。例えば派遣労働を禁止したら、当の派遣労働者がいよいよ働く場所がなくなる。そんなことでは問題は解決できない。

子供手当、そのこと自体はいいかもしれない。でも、その財源をはっきりしとかないと国債増発になり、結局は子供たちにツケが利子分まで増えてまわっちゃう。

そういう”可愛そうな人たち、大変な人たちを助けましょう、お金あげましょう”というのが”友愛”の正体だ。『20世紀少年』の”ともだち”が人類を滅ぼそうとするように、”友愛”の末には破綻しかない。

今の日本でいちばん問題なのは、みんなが”弱者”になっちゃったことだ。”弱者”を救済しましょう、なんて言ってても、”強者”がいないのだから、結局は”弱者”同士でなけなしのお金を回しあうことになっちゃう。そんなことしてても、みんなでどんどん貧乏になっちゃうだけだ。派遣労働を禁止しても、子供手当を給付しても、その先にあるのは破綻でしかない。

ではどうすればいいのか?”自動車や電機製品などの製造業”とは別の成長産業を育てなければならない。”強者”を今までとは違う方向で成長させてあげないといけないんだ。

何が次の成長産業か?もちろんIT産業がひとつだね。それに医療や介護、環境なんかもそうなのかもしれない。

あれ?でも、このブログの読者なら、もうひとつ思いつくはずだ。わかる?・・・

メディアコンテンツ産業だよ。ぼくたちだよ。そうなんだ。ぼくたちの業界はいまはじまって以来の危機を迎えているけれど、同時に成長のチャンスがやって来てもいるんだ。

もし政界再編が起こり、政治が新しい方向に向ってはじまっていくのなら、ぼくたちギョーカイ人もウカウカできない。次の成長戦略をなんとか構築して、新しい政治の波と足並みを揃えていかないと。

ぼくたちにとっても、いま、はじまりがはじまった。うなだれている場合じゃないぞ・・・

【メディアコンテンツ業界への警鐘】あの人たちがダメだってことはみんなわかってる

民主党に入れる人も、民主党がダメだってことはわかっているんだね。

その点も、前回の細川政権誕生の時とはちがうんだと思う。あの時は、期待しちゃったもん。

今回、鳩山さんに期待はしてないよね、みんな。あれはあれでダメだよね、って、みんなわかってる。

鳩山さんが年金問題や財政問題を解決してくれるなんて、みんなこれっぽちも思ってない。ただたんに、”ちょっと、自民が続くのはアレでしょ”と思ってるに過ぎない。日本国民はこの失われた約二十年で賢くなったんだ。

あの人たちがダメだってことは、みんなわかってるんだ。

“あの人たち”は鳩山さんのことだけじゃないだろう。

この国の現リーダー(団塊の世代以上、なんだかんだ言って逃げ切れる世代)はほぼ99%、ダメだ。彼らにはもう解決できない。そのことも、みんな、わかってるんだ。

何度か書いてきたけど、メディアコンテンツ業界をいまのように開拓してきたのも、あの人たちだ。あの人たち(団塊の世代)がこの世界に飛び込んできて、それまでどこか日陰者だったりヤクザっぽかったりしたのを、”まっとうな感じ”につくりかえてくれた。だから、あの人たちはえらい!でもだからこそ、あの人たちはもうダメなんだ。

でもあの人たちが人事権も何もかも持っちゃってるから、どうにもこうにもできないね。しばらく待つしかないんだよ。しばらくっていっても、もう半年とか一年とか、せいぜい三年ぐらいになってきた。

もうすぐだから。もうじきだから。・・・あ、でも、そのあとは、あなたがなんとかするんだからね・・・