【メディアコンテンツ業界への警鐘】流動化と”弱者救済論”

『再生の町』については別の機会に書くとして、『官僚たちの夏』の”弱者救済こそ美しい”というメッセージは危険だなあ、と思う。このドラマに限らずマスメディアは昨年末の”派遣切り一斉報道”に見られるように”弱者救済こそ我が使命”と思っているらしい。

でもいまはマスメディア従業者こそがその”弱者”になろうとしていて、だから身につまされているのかしら?などと皮肉なことを言いたくなる。

ぼくは”弱者救済はしなくていい”と言うつもりはない。でも、まず”弱者”を分類しないといけなくて、身障者とかお年寄りとか母子家庭とかが弱者だというのと、『官僚たちの夏』の炭鉱労働者が弱者だというのとは、ずいぶんちがうはずだ。

身体が不自由な人は職場さえ見つけにくいから、救わないといけない。でも弱い産業の企業や従業者を”弱者”だとして守りつづけるのはヘンだ。

石炭産業が弱ってきたのなら、他の産業に移ればいい。移るべきなんだ。

”そんなこと簡単に言うんじゃねえよ、他人事だと思ってよ”と言うかもしれないけど、現実を見なきゃね。

実際、ひとつの産業に従事してきた人が他の産業で働くのは並大抵ではないだろう。

でも、もっと問題なのは”そんなに簡単じゃねえよ”がこの国の”固定化”制度に拠るところが大きいのことだろう。

何しろ、同じ産業の中での転職でさえ、まだまだ簡単じゃない。ましてや、他の産業に移るのは確かに並大抵じゃないよね。それは制度的、あるいは社会のムード的、慣習的に並大抵じゃない。

そこが”おかしくね?”とぼくが思うところなんだ。

人生の途中で進路変更をすると、”へっ、志を曲げやがったよ”とか”逃げるんだな、お前は”とか、言われる。言われると、”そうかもしれない、ぼくは逃げてるだけかもしれない”とか思い込んじゃったりする。そういう雰囲気、そして個人の意識がおかしいと思うわけ。

例えばぼくは、3年前までフリーランスのコピーライターだった。で、ある会社の経営企画室長になり、いまはまた営業企画室長だ。コピーライターだった頃は、あやしい格好でクルマで出歩いていたけど、いまはスーツ着て電車で通ってる。抵抗がまったくなかったかといえばウソになるけど、自分が変わることをたのしんでもいたりする。

コピーライターの集まりには最近、あまり行っていない。説明するのが面倒だから。なになになに?どうして?どういうこと?聞かれるのがめんどくさー。

人によってはまさに”ふん、スーツなんか着込んで、逃げやがったな”とか言われそう。業界が厳しくなった今だと、さらに”先読んでやがるな、うまくやったもんだ”とか、思われそう。あーイヤだ。

先読んだ、という側面があるにはあるけど、”コピーライターじゃ食えなくなる”と思ったからじゃないんだよね。そうじゃなくて、コピーライターがコピーライターである続ける必要はないだろ、ってことなんだ。

先読んだな、という視点から言うと、これからは、そういう時代。なぜならば、いままでが”固定化”しすぎてておかしかったから。その修正が一気にやって来る。”流動化”の波が押しよせてくる。

だったら、自分を”流動化”させた方がカッコいいし、新しいし、生きていける。その方が、よくなくなくない?

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