【メディアコンテンツ業界への警鐘】流動化と自分さがし

福島瑞穂を見ていると、会社社会で”あるべき論”を唱えるキャリアウーマンを想起する。そんなことを言うと女性に嫌われそうだが、ぼくとして実際そういうイメージがあるのよ。

ぼくは男女雇用機会均等法の施行世代だ。その頃、社会に出て行った総合職の女性たちには”自分さがし”ブームがあった。というかブームがあったというほどどいつもこいつもそうだったわけではないが、確かに”潮流として”そういう感じがあった。そしてそれは20代後半で会社を辞めて語学留学する、という形になった。ほんとうにぼくの身近でも”会社辞めるんだ、語学留学するんだ”という同世代の女性が何人かいた。”自分さがし”するんだ、が合言葉になっていた。

ぼくはこの”自分さがし”という概念がものすごくキモチ悪かった。言い逃れにしか聞こえなかったのだ。

キモチ悪かったのは、恥ずかしかった、ということでもある。ぼくも学生時代に”自分さがし”状態だったと言えるからだ。そして、メディアコンテンツ業界に結果入った人種は、多くはこの”自分さがし”の結末だったのではないか。

あ、いま気づいたけど、いつもと文体がちがうな、なんとなく。けっこうまじめなキモチで書いてるからかな?

いま思うに、この”自分さがし”の概念は、”固定的”な世の中の表れだったのだろう。”自分さがし”とは、”自分はただひとつ存在するはずだから探そうよ見つけようよ”という前提がある。考えたら怖い前提だ。人を脅迫する概念だ。何か職業を選ぼうとする時、”それがホントのお前なのか?”と問われることになる。怖いなあ。

よく考えたら、それがホントの自分なのかなんて、悩んでも結論が出るはずがない。なのに、”自分さがし”の概念は”ホントのお前はもっとちがうはずだ!”などと熱く問いかけてくるのだ。そんなこと熱く問われたら”そうだ、ほんとのおれはもっと他にあるはずだ!”などと熱く答えたくなるじゃないか。

それが”固定的”な世の中の罠だったのだ。

とくに”メディアコンテンツ業界”にたどり着いた人びとは、そこに”クリエイティブ”とか”夢”とかのあま〜いロマンチックな調味料が振りかけられているので、”そうか!おれの探していたおれは、ここにあるんだ!”などと熱く答を見つけた感覚に酔ってしまう。酔っぱらったまま十数年過ぎてしまっていまがある。

かくてメディアコンテンツ業界には自分探しの”ドリーム”からなかなか覚めない困ったちゃんがいっぱいだ。

あのね、あなたがギョーカイに入った時のあの”夢の入口にたどり着いたぜ”って感覚。あれね、罠だったのよ。ごめんねー。

いや、でもあの時の”高揚感”をさらに高めることはできる。ドリームをほんものの現実にできる可能性はある。その鍵が、”流動化”だ。自分さがしの幻想を捨てて、今の自分が変わってもいい、ちがう自分であってもいいじゃない、と割切って開き直った時、その時こそ、夢がかなうのだよ。結果的に”じぶん”が見つかるかもしれない。矛盾してるけど、矛盾したまま、素敵な未来が見えてくる。かも。

って意味わかる?流動的になりなさい、と、手を変え品を変え、言っているわけ。でした。

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コメント

  1. 自分探しって、私より下の世代では男女問わず長期間流行っていて、うんざりした記憶があります。つまり、世の中はずっと固定的、ってことなんでしょうか。

  2. suzukiさん、コメントどーも。世の中がずっと固定的と言うより、人びとが”固定”の呪縛に縛られつづけている、ということだと思います。若い人ほどそうなのかも。”自分=ひとつ”を早く決めないといけない、と相変わらずあるいは今までにも増して、みんなが思い込んでいる。世の中も自分も流動化させないと、世の中も自分も成長して行けないのに・・・

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