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テレビマンは、絶望せよ〜日テレからドワンゴに来た吉川圭三がニコニコドキュメンタリーに注ぐ情熱〜

※この記事は、もともと「テレビとネットの横断業界誌Media Border」に掲載したものです。

ニコニコ動画がドキュメンタリーをはじめたニュースは少し前に聞こえてきた。さらに、そのプロデュースは日本テレビからドワンゴに来た吉川圭三という人物らしいということも知った。

→BLOGOS記事「川上量生会長”客観的な日韓問題の姿を”〜ドワンゴがニコ生でオリジナルドキュメンタリー番組を制作」

”吉川圭三”の名は、ネットでメディアについて論じる身として最近、気になっていた。BLOGOSなどで時折、辛辣で真剣なメディア論を目にする。『世界まる見え!テレビ特捜部』『特命リサーチ200X』『恋のから騒ぎ』『笑ってコラえて』をはじめ日本テレビの人気番組を手がけてきたベテランテレビマンがいま、テレビに危機を感じ将来を憂えているように見える。そんな吉川氏がニコ動でドキュメンタリーを展開するというのはとても興味深い。たまたまお会いできた縁もあったので、お話をうかがってみた。彼の言葉の奥底には、制作者としての熱い想いと、テレビへの愛と苛立ちが静かに流れていた。

ニコニコドキュメンタリーは、ニコニコ動画の中に設けられたひとつのコーナーで、7月にスタートした。ざっとのぞいてもらうとわかるのだが、タイトルを見るだけでなかなかハラハラする。ニコニコ動画のコンテンツには会員限定のものも多いが、ニコニコドキュメンタリーは誰でも視聴できる。当然ながらユーザーのコメントも画面を流れる。最初の作品『タイズ・ザット・バインド』を見ていると、質の高いドキュメンタリーとユーザーの毒々しいコメントの相乗効果に圧倒されてしまう。吉川氏には、この作品についてまず聞いてみた。

niconicodocumentaryニコニコドキュメンタリーのトップページ

ニコニコドキュメンタリーの最初の作品が『タイズ・ザット・バインド』になったのはどういう経緯だったのでしょう?

吉川:ドワンゴに行くことになった時、川上(ドワンゴ会長・川上量生氏)に、こういうことやったらどうかといろいろ提案しました。中には無茶苦茶なプランもあったのですが「外国テレビマンから見た日本及びアジア」というテーマを出したら乗ってくれたんです。『世界まる見え!』で海外のドキュメンタリーをいろいろ見てきました。彼らは視点も撮り方も腕も我々と違う。そして、世界中にいろんな学者や専門家のネットワークを持っているので、そういう人たちに日本について語ってもらうと面白いのではと。ジャパニーズ・サブカルチャーでもいいし日本の田舎の高校生でもいい。それを、カメラアングルとか使っている機材とか編集とか構成とかナレーションとか全然ちがう海外の制作者が作ると新鮮だろうと考えたのです。 そしたら川上が”日韓問題をやりたい”と言い出して、じゃあそれをやってみようと決まりました。

実は最初、既存のコンテンツを買い付けてきたものかと思っていたら、クレジットに「著作:ドワンゴ」と出てきて驚きました。

吉川:『世界まる見え!』の頃からつきあいがあったので、BBCワールドワイドの日本支社に頼みに行ったのです。全面イギリスのスタッフで作りたいと言ったらいい話だと言ってくれました。BBC内部で作る話もあったのですが、一流制作会社ブレイクウェイを紹介されました。BBCワールドワイドとブレイクウェイとドワンゴの三社共同作業なんです。オリエンテーションとして、日韓で起こっていることをまとめてレクチャーしました。近年、日韓関係が色んな意味で先鋭的になってきたことを、東洋の片隅でこんなことが起こっているのだとまとめて、翻訳して送ったらやってみたいと言ってくれて。 イギリスから台本を一度送ってきたのですが少し違うなあと、イギリスに飛んで複雑な現状が伝わる写真なんかも渡したら、彼らもいろいろ調べてくれましたね。全体は日本と韓国は仲良くしようという内容になっていますが、日本の立場に立ったものではない。ニコ動で配信すると反響も多くあったし、コメントでは「もうニコニコなんか見ないよ」なんてのもありました。川上は逆に喜んで「ネガティブな反応は未来への可能性だ 」なんて言ってます。ニコニコ動画でおしまいではなく、地上波クオリティなので海外でも配給させるつもりです。

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既存のメディアにはない切り口で、私も知らないことがたくさん出てきました。よくここまで掘り下げたものだなあと思いましたね。

吉川:通常は2年間はかけるところを8カ月で作ってくれましたね。日本・韓国・アメリカと、2月に行って調査して4月にはロケをして。そして、こんなこともありました。第一回目の荒編が来た時、歴史への誤謬に気づきました。65年の日韓友好条約で日本は韓国に賠償金を払っていますが、経済協力金の名目でした。これについて従軍慰安婦の女性の「あの金は我々はもらっていない」というセリフをつないでいました。従軍慰安婦問題は90年代に浮上した問題なので彼女たちが「もらってない」と言うのはおかしい。ところがこれについて川上と激論になりました。絶対直すなと言うんですよ。イギリス人が見た日韓問題なのだから変えるべきではない、と。私は事前にいろいろな資料で調べていたので、やはりこれはおかしいと主張しましたが、それでも変えるべきじゃないと言い続ける。議論の末、直すことになったのですがこの時、川上の考えがわかりました。イギリス人のドキュメンタリーを日本人に突きつけたいんですね。最初のほうに耳塚という、秀吉の朝鮮出兵の時に武将達が持ち帰った”朝鮮の人たちの耳”が埋められた塚が出てきます。日本ではほとんど知られてませんが、イギリス人はドキュメンタリーを作る際、過去を徹底的に調べます。いまを描くには過去を描かねばならないし、それによって流れを作る。川上はそういうイギリス流の感覚をそのまま日本人にぶつけたかったのでしょう。

今後はどんなドキュメンタリーが見られるのでしょうか。

吉川:我々が買い付けてきた、ヘビーなテーマの作品が続々待機中です。9月はアメリカ在住の映画評論家・町山智浩氏が選んだ3本です。マリファナを1カ月毎日吸ってみたドキュメンタリー。 医療用に合法化されている州もありますが、大麻で人間は変わるのか。これを町山さんに解説してもらいながら視聴します。それと、イラク戦争でFOXチャンネルを通じてメディア王・マードック氏がブッシュに全面協力したことを追った「FOXテレビと戦争」。3つめは、アメリカ人の行動原理であるキリスト教原理主義を徹底的に追うもの。そのあとには『フードインク』が控えています。アカデミー賞長編ドキュメンタリーにノミネートされた作品で、薬品まみれ不法労働まみれのアメリカの食品産業を描きます。さらに『誰も知らない基地のこと』イタリアの米軍基地計画に反対するディレクターが、世界中に700のアメリカの基地ができている様子を追います。 沖縄にも取材していて、日米地位協定も追求している。何故世界中で米軍基地が増え続けているか?アメリカ最高の論客MITのノーム・チョムスキーも出て来てこの構造を解説し愕然としてしまいます。

どれも面白そうですねえ。ニコニコ動画がドキュメンタリーに取り組む意義や目的は何でしょうか?

吉川:問題提起と触れるべきタブーを扱うことです。アンタッチャブルなところに触れていこうと。 ニコ動でしか見れないものを徹底して見せていきたい。 例えば『フードインク』はスポンサーでひっかかって地上波では無理でしょう。 基地の問題も地上波でここまでは触れられない。来年公開予定の『サムライと愚か者〜オリンパス事件の全貌』も大作です。映画館でもニコ動放映と同時に公開する予定です。イギリスのBBC、フランスのARTE 、そしてドイツのZDF等の共同制作です。 日本の企業のいびつさを、ウッドフォード氏と彼を助ける人びとを通じて浮き彫りにします。これも地上波ではできないでしょう。ニコ動では討論会つきで配信します。ウッドフォードを呼ぶか日本の企業人を呼ぶか検討中ですが。 こうしたドキュメンタリーによって、ニコ動というサブカルチャー中心のチャンネルに多様性をもたらすことができます。

●テレビマン吉川圭三が抱く、いまのテレビへの想いとは?

喜々として語られますね。お話をうかがっていると、吉川さんがすごく面白がってらっしゃるのがよくわかります。

吉川:大げさに言えば、テレビマンの新天地です。テレビはいま批判に対してすごく弱くなっています。ちょっとでも何かあると、上から言われるわ、ネットを通してスポンサーに非難が来るわ。組織の中ではそれを過剰に受けとめてしまっています。放送作家の鈴木おさむ氏が言うには、批判を受ける物じゃないとつまらない、批判を乗り越える気概がないと面白い物はできない、と。本来はテレビ局の幹部が表現のために戦うべきなのですが、戦えない事情もあるし環境もあります。コンプライアンスに覆われた環境では言いたいことも言えない。ニコ動へ来て楽しいのは、会議で有害食品やオリンパスなんて問題について話せる。テレビ局では会議室でもそんな話ができないんですよ。ニコ動なりのコンプライアンスもありますが、良識の範囲であれば正しいことを喋ろうで通ります。ただ、なかなか頻繁に超有名芸能人は使えませんよ。テレビ局ほどのギャランティを払えないから。でもタレントにはお金を使えないけど、イギリスにはどんと制作費を出しましたね。ここが川上の面白いところですね。

テレビから来ると”え?こんな作り方なの?”ということもあるのではないですか?

吉川:それはもちろん、テレビではお金をかけて人も大勢使っていますしね。でもネットではまったく違う概念で作っていますから。例えば『23.5時間テレビ』でミジンコが繁殖する瞬間を狙うんですよ。みんなそれを今か今かと待ってくれる。地上波と同じようにお金をかけてタレントさんを呼んでセットを立てて、という映像制作ゲームになったら大変です。そのゲームに行かないために、ひとつ決めた方向がドキュメンタリーというわけです。

テレビマンの後輩にネットでつくってみることを勧めますか?

吉川:後輩達がネットのユーザーが満足できる番組を作れるかはわからないですね。ダイオウグソクムシが五年に一回しか餌を食べないのを追う企画がありましたが、その再生数がすごい。まったく感覚が違うんです。テレビマンがネットに来て番組を作って戻っていくのもいいけど、すべてが違うので。ユーザーの年齢や層や志向も違うし。だからテレビに戻っても役に立つとは言えませんね。いまのテレビは決まった手法で作っているとある程度のものが作れてしまう。タレント集める、ひな壇に並べる、海外ロケに行く、女子アナが喋る、当たり障りのない情報を入れる。テレビ番組の中からテレビを発想するので似たような番組になってしまいます。そして新しい企画を考えて万が一低視聴率なら社内外から非難されてしまう。自分がドワンゴでやろうとしているのは前が見えないので五里霧中の作業です。それがいまはとにかく面白いですね。

吉川さんから見て、いまのテレビマンは何をすべきだと思いますか?

吉川:徹底的に絶望すべきじゃないでしょうか。こんだけセットインユースが下がって、若い人がテレビを見てないと言われる状態で、もはやテレビはメインカルチャーでもサブカルチャーでもない。自分たちは一体、何をやっているのかと。「俺、クリエイター」とか言って業界人ぶって六本木で酒飲んでいても、新しいことを産み出してるのかと言われたら、現状に絶望するしかない。いま放送されているテレビのほとんどを鑑みるに、絶望してとことんまで落ちて、そのうえで新しい物を焼け野原のようなゼロの状態から産み出すしかない。絶望するくらい冷静に、客観的に置かれている状況を見てほしいですね。芸能界と仲良くするのはテレビの宿命です。それは解る。でも、誰々を出したからと喜んでないで、見ている人との関係性を見ながら新しいことに取り組む。相当やばいよ、恵比寿で合コンしている場合じゃないよ(笑)。新しい物を作ってないと難しくなってくるんじゃないでしょうか。失敗でもいいから、新しいことをやってるとワクワクする。お仕着せのパターン化した番組づくりをやめたほうがいいんです。

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吉川氏は50代後半で、定年を考えてもおかしくない年齢なわけだが、話す内容と熱さは、30代の青年と変わらない。絶望せよと言いながら、ご本人はネットという新たな活躍の場を得て希望に満ちあふれているように見える。いやもしかしたら、吉川氏自身が一度絶望したからこそ、こうして喜々として語れるのかもしれないが。つまり「絶望せよ」とは、まだまだ何かを求めて頑張れとの強烈なエールなのだ。

熱いと書いたが、吉川氏の語り口は終始落ち着いていて、エネルギーをまき散らす雰囲気ではない。そのたたずまいがなぜか、修行僧のようなストイックさを醸し出す。吉川圭三の修業はまだまだ続くのだろう。その行く末に何があるのか、このあとのニコニコドキュメンタリーを見ながら追ってみたいと思う。

※筆者が発行する「テレビとネットの横断業界誌Media Border」では、VODをはじめ放送と通信の融合の最新の話題をお届けしています。Netflixはじめ配信事業者の最新情報も豊富です。月額660円(税別)。最初の2カ月はお試しとして課金されないので、ぜひ登録を。同テーマの勉強会への参加もしていただけます。→「テレビとネットの横断業界誌 Media Border」はこちら。購読は「読者登録する」ボタンを押す。

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動画配信には世界をひとつにする可能性がある〜Netflix CEOリード・ヘイスティングス氏にインタビューして思ったこと〜

アメリカからやって来た動画配信サービスNetflixをあなたはもう楽しんだだろうか。これからという人には、オリジナルドラマである『センス8』を最初に観てみるといいと思う。この物語はNetflixの存在意義を”感じる”のにふさわしい。

世界8つの都市で何の関係もなく暮らす8人の若者がいる。シカゴの真面目な警官、サンフランシスコの女性ハッカー、ベルリンの金庫破り、ロンドンの女性DJ、ムンバイの結婚直前のお嬢様、メキシコシティの大人気の映画スター、ナイロビでバスドライバー、ソウルの同族経営の財閥の女性CFO。
KJ2A0158.dng(C) Netflix. All Rights Reserved.

ある時から彼らは、感覚がつながりあう。シカゴの警官のそばに突然ロンドンのDJが現れ同じ場所にいるように会話する。ベルリンの金庫破りの唄をみんなが同時に聴いて踊り出す。ナイロビの運転手を襲う暴漢を格闘家でもあるソウルの娘がなぎ倒す。ハッカー女性が捕まりそうになったらみんなで力を合わせて彼女を逃がす。

そこにインターネットが介在するわけではないが、ネットでつながっているかのように、彼らは助けあい、言葉を交わし、心を通わせる。言語は違うはずなのに、なぜか互いの言葉が理解できる。別々の場所にいるのに同じ場所にいるかのようだ。インターネットは介在しないが、ネットで深くつながりあっている状態のようなものだ。

『センス8』はインターネットを通して世界中で配信されているドラマだ。そう思って観ていると、不思議な感覚に包まれる。いま自分がこのドラマに熱中しているのと同じように、別の都市で熱中している見知らぬ人がいるのかもしれない。『センス8』の主人公たちのように、私はいまこの瞬間、このドラマを通して世界中の何人かとつながっているのかもしれない。そのことにまだ互いに気づいていないだけで。そんな錯覚に陥ってしまう。

そう考えていて、さらに気づく。このドラマはNetflixそのものの物語なのかもしれない。Netflixを通じて私たちは、世界中の人びとと同じドラマを観て、同じ場面に興奮し、同じギャグで笑い、同じセリフに涙する。『センス8』を観たどこかの誰かと私は、何かを共有するのだろう。もっと現実的なところで言えば、海外を旅して出会った人がもし『センス8』を観ていたら、私たちはそれについて語り合うことができる。

少なくとも『センス8』にウォシャウスキー姉弟は、新しいグローバリズム、名もない市民たちが国や文化を超えてひとつになる可能性を込めているのだと思う。主人公たちの中にはLGBTもいるのだが、それも含めて”新しい普遍性”を問いかけているように思えるのだ。

9月2日、Netflixが日本でサービスを開始した日の朝、私は同社の創業者でCEO、リード・ヘイスティングス氏へのインタビューの時間をもらった。

『センス8』にのめりこんでいた私は、上に書いたようなことを熱苦しく語り、Netflixは世界をひとつにしようとしているのかと意気込んで問いかけたのだが、ヘイスティングス氏には「あなたは想像力ゆたかだねえ」と軽くいなされてしまった。

ヘイスティングス氏:いつの日かインターネットTVがより一般的になったらその時にはまさにあなたの言う通りになるのかもしれない。劇場でみんなで観る共有感とはちがって、ネットで個人的に視聴することは、グローバルにみんなで共有する体験に変わっていくのだろう。5年10年先のことかもしれないが。

境:Netflixはまさにそういうことを実現しようとしている。きっとあなたは、創業時にそう言うイメージを持ってたのではないか?

ヘイスティングス氏:今年の我々の目標はとにかく日本の皆さんに満足してもらうことだ。ネットフリックスを使った方がこのサービスを愛してくれることだ。長期的には7年間で3分の1のネット接続世帯をユーザーにしたい。もしそれが達成できたら、そうだね、あなたの言うような世界が実現するのかもしれないね。ただ、ネットワークを少しずつ広げていかねばならないので数年間かかるだろう。ただ、今日はとてもいいスタートを切れたので進展が楽しみだ。
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熱苦しく問いかける私に対し、ヘイスティングス氏はクールに自分たちの戦略目標を示してくれた。日本のブロードバンド世帯は3000万世帯と言われるので、7年間で1000万世帯への普及が彼らの目標だということになる。彼らはいわゆる”数値目標”というものは設定しない。だが、「3分の1」というのは彼らの大きな考え方として持っている数値のようだ。世界中のブロードバンド接続家庭の3分の1への普及を「戦略目標」として掲げている。”世界をひとつにする”ための具体的な数値なのだとも言えるだろう。そしてコンテンツを快適に送り出し十分な利益を出すには、この”3分の1”が必要なのだ。

境:日本ではすでにローカルコンテンツをフジテレビと制作し、配信している。フランスでもドラマを制作中と聞いた。

ヘイスティングス氏:そう、フランスでも、イギリスでも、そしてメキシコでも、ブラジルでも、それぞれの国のドラマ制作が進んでいる。ただ、日本ではサービス開始と同時にドラマ制作もはじめた。これは初めての取組みだ。

Netflixはサービス展開する世界各国で、ローカルコンテンツの制作に取り組む。これはこれまでのメディア企業にはあまりなかった。日本でもアメリカのチャンネルが衛星やケーブルを通して放送されているが、独自のドラマを作る例はなかった。Netflixはこの点がユニークで、新しい。自分たちの国の文化を配信するだけでなく、世界の文化を相互に配信する。ほら、やっぱり『センス8』じゃないか。

ヘイスティングス氏は、テレビやメディアの今後についても海外のメディアでは盛んに発言している。そういったことは私のテーマでもあるので、テレビの今後への意見も聞いてみた。

ヘイスティングス氏:UKでは、BBCがオンラインで人気を博していて多くの人びとがネットで視聴している。USではHBOが、ケーブルテレビだったのに、オンラインでも配信をはじめた。そしてCBSはラジオではじまった伝統的な放送局だが何十年も前にテレビに移行し、いまはネットにも移行している。CBS All Accessというサービスを最近スタートさせた。今日のテレビはインターネットに適応せねばならない。60年前にラジオ局がテレビに適応したように。

境:そうするとテレビ放送は衰退し、配信に置き換わると考えているのか。

ヘイスティングス氏:Co-exist! 共存するのだ。ここから10年〜30年は、固定電話と携帯電話のように共に生きていく。ただし、成長率はインターネット側のほうが大きい。テレビジョンは他のメディアに比べてネットに適用しやすい。だからNetflixだけでなく、他でもたくさんの成功が望める。実際、HBOもhuluも同様に成功している。

境:テレビ局は今後、どうすればいいと思うか。何かアドバイスはないだろうか。マネタイズは広告なのか、課金なのか。

ヘイスティングス氏:まだひとつのやり方に決めるのは早いので、いろいろ試すしかないと思う。Netflixはやらないが、広告も重要なビジネス手法だ。我々もネットで広告展開を行っていて有効だと感じている。ラジオからテレビへの移行は20〜30年もかかっている。そこには世代ごとの習慣も大きい。

境:放送は国単位のメディアだった。配信は国境を越えられる。これは大きな変化で、放送によって国の文化がひとつになったように、配信により多くの国の人びとが文化を共有していくのだろうか。

ヘイスティングス氏:テクノロジーは社会にいろいろな影響を与える。ラジオが最初に国民をひとつにした。テレビ放送はさらに共有感を強くした。だが日本人が同じ文化を共有するようになった分、各地域の人は固有の文化を損なわれたと感じているかもしれない。同じようにグローバルでも日本でフランスの作品を楽しんだりできるが、それぞれの地域で自分たちの物も見られることも大事だ。テクノロジーとはフレキシブルで、多様なグループが文化をそれぞれに楽しむだろう。長期的にどうなっていくかを見定めるのは大変難しい。自動車であれ、電気であれ、インターネットであれ、先はまだ不明解だが、エンタテイメントを楽しむのはとにかく素晴らしい体験だと信じている。
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境:「技術」をあなたは大事にしていることがよくわかった。技術は世界を変えうる。それをどう使うかが大事なのか?

ヘイスティングス氏:すべての企業にとって、技術が人びとをより幸せにすることが大事だと思う。例えば除草剤はある意味非常に危険だが、効果的に使えば素晴らしい。ネットも世界や人びとをつながる点は素晴らしいが、子供に時として有害な情報をもたらす心配もある。でも技術は、社会を面白くする。私たちは、これから一年で日本をもっと学び、人びとが何を好み、サービスをどう楽しんで、エンタテイメントとの関係をどう変えていくのか追求していきたい。あなたとも、一年後にその成果をもとに、またぜひお話ししてみたい。

『センス8』についてくどくど聞いたが、それは私の思い込みだったようだ。だが、ヘイスティングス氏は極めて冷静に自分たちがなすべきことを見つめており、メディアの未来への提言も的確だと思った。放送と配信の関係を、ラジオからテレビへの移行や固定電話と携帯電話の関係になぞらえたのはわかりやすい。その変化が10年から30年かけて起こるというのもリアルだと思う。もちろん30年もかかるから安心だというわけではなく、ストレートにうけとめると30年後には放送産業は消えてなくなるかもしれないとも言えるわけだが。

そして、やはり私は、放送から配信への移行が、国単位から市民レベルのグローバリズムへの移行と相似形だとのとらえ方から離れられない。『センス8』はこれから来る未来の姿なのだと思う。ドラマの中で言語を超えて8人の若者たちが通じ合うように、私たちは他の国の言葉を学ばなくても心が通いあう時代が来るのかもしれない。そのための重要なツールがエンタテイメントなのだ。

そう考えると、放送から配信の流れは、映像文化の大いなる進化なのだ。放送という事業もしくは文化の縮小に怯えたり憂えるより、配信の発展の先に見える面白さやエキサイティングさを想像するほうがずっといい。その楽しさは何も、ヘイスティングス氏とNetflixだけのものでもないだろう。私たちみんなが参加し享受できるはずだ。別のプレイヤーにだってできるのだ。大事なのは、この新しい流れに背を向けることではなく、自らも泳ぎ出すことだと思う。

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Netflixは、やはり黒船だと言わざるをえない。〜この秋、SVOD界の新規乱入と合従連衡がはじまる〜

Netflixは2月に、日本でのサービスを秋からスタートすると発表した。それ以来、いろいろと話題や憶測を振りまいてきたが業界内に限られていた。それが8月24日、今週月曜日にはソフトバンクが販売を行うと発表し、ようやく普通の人びとの話題に上ってきたようだ。

私も自分のブログで、あるいは他のメディアで、Netflixについて何度か書いてきた。

今年秋、上陸決定!Netflixは黒船なのか?VODの進路が日本のテレビの将来を左右するかもしれない(AdverTimes 2月5日)

テレビがテレビじゃなくなるかもしれない状況にテレビはさしかかっている(それにつけてもNetflixは黒船である)(クリエイティブビジネス論 2月23日)

NetflixはVOD事業者として以上にユニークな企業らしい。だからVOD事業者として期待したい。(クリエイティブビジネス論 5月19日)

Netflixとフジテレビの共同制作の先には、テレビの”もうひとつのベクトル”が見えてくる(クリエイティブビジネス論 6月18日)

Netflixについて広告業界が知っておくべき2、3の事柄(AdverTimes 7月1日)

Netflix日本代表、グレッグ・ピーターズ氏インタビュー再録!(Media Border 7月1日)

仮説は持っても、戦略は規定しない。NETFLIX流マーケティングと日本市場の戦略(前編)(AdverTimes 8月18日)

仮説は持っても、戦略は規定しない。NETFLIX流マーケティングと日本市場の戦略(後編)(AdverTimes 8月19日)

並べてみると、ずいぶんたくさん書いたものだ。ちょっとした「Netflix研究者」みたいになってきて、雑誌から取材を受けたりもしている。

いまのリストの最初に挙げた記事で「Netflixは黒船か?」と書いたら、放送業界の人たちの中には勘違いする人もいて、「Netflixがテレビを崩壊させるなどと書くとは!わかってない!」とつっこんでいる人もいたようだ。だがこの記事では「テレビを崩壊させる」などとひと言も書いてないし、日米のメディア事情は大きく違うので簡単ではないだろうと書いていた。

それに歴史上の黒船は、幕府を動揺させたけど直接滅ぼしたわけではない。黒船は、「カイコクシテクダサーイ」と幕府に言っただけで、幕府を倒したのは、結集した国内の勢力だ。

そして、ここへ来て私の元に入ってきた情報をつなぎ合わせると、あらためてNetflixが黒船の役割を果たそうとしているのだと思えてきた。つまり、やはり国内は揺さぶられているのだ。Netflixの9月2日のサービス開始を皮切りに、揺さぶられた国内プレイヤー、幕末にたとえると各藩が、あっちこっちでくっついたり離れたり、連合したりはたまた裏切ったりをはじめそうなのだ。さらには、思いもよらないプレイヤーが突如登場したり、別の海外勢力も乱入したりしていきそうだ。今朝の発表がまさにそうで、Amazonが定額の動画配信事業を日本でもはじめることと、CCCつまりTSUTAYAも郵送とセットでの定額配信をスタートさせると報じられた。まだまだ、それだけではなく、これから続々とSVOD業界に手を上げる事業者が出てくる。

SVODカオスそう、結果として、やはりNetflixは黒船だった。それまでじくじくと水面下であったまっていた革新の気運が、彼らの登場によって一気に沸点を超えるのだ。

そしてほんとうの核となるのは、レンタルDVD事業者だ。なぜならば、彼らは”映像が好きで映画やドラマを定期的にレンタルして視聴する人びと”を顧客として持っている。その人びとは、まだVODがピンと来ていない。お店でパッケージに触れながら選ぶのがいちばんだと思っている。彼らがひとたびVODの便利さ、楽しさに気づくと、そこに新しい市場が形成される。安売り合戦で疲弊し、もう先がなかったレンタル市場が、オセロを裏返すように、大きな伸びしろを持つ輝く市場に変化していくかもしれない。

Netflixも、もともとは97年に創業した郵送によるレンタルDVD事業者だった。それを、07年から配信事業に転換し、顧客を移行させながら新たな顧客を獲得していった。同じ事は、日本のレンタル市場でも可能だろう。成功のレールは、レンタル事業者が持っているのだ。

そうやって、VODという存在がホットになると、ようやく市場といえる状況になる。ああ、そうなの?映像配信って私にも関係あるの?じゃあ試してみようかしら。そんな気分があたりに立ちこめはじめる。もちろん何年かかけての話だが、確実に広がっていくだろう。

Netflixが配信市場に火をつける。そんな話を聞くと即座に、「いやいや日本は無料の放送が強いわけで、映像をお金を払って見る文化は育たないんだよ」と言う人がいる。だがよく考えてほしいのだが、先ほど述べたレンタル事業者はこの十数年大きな市場を育ててきたのだ。いまでも週末にレンタル店に行くと、レジに行列ができている。彼らはまちがいなく映像にお金を払う人たちだ。ただ、ネット経由で同じ作品が見られることに気づいてなかったり、どうやればそれができるのか知らなかったり、自分の生活感覚にピンと来ていなかっただけだ。

あるいは「いやいや日本人は日本のコンテンツが好きなので、アメリカの映画やドラマ中心のVOD事業者は浸透しないんだよ」と言う人もいるだろう。だがNetflixも意外に日本の映画やドラマを揃えている。それに、20年前の映画市場はハリウッド映画が中心で、日本映画は暗いだのダサいだの言われていた。それが2000年以降、すっかり変わってしまったのだ。いまの傾向がずーっと続くかどうかはわからない。

むしろ、大きなパラダイムシフトがいま起こりつつある、という観点に立つべきだ。これから起こることは、これまでの延長線上ではなく、新しい起点からはじまる新しい線なのだ。いままでこうだったじゃないか、という言い方はあんまり意味がないだろう。

SVOD業界の沸点越えが、いまこの2015年という時期に起こっているのは、絶妙のタイミングだと思う。地上波放送が今年に入ってはっきり、新たな困難を迎えているからだ。具体的には、視聴率が全般に傾いており、テレビ広告収入も下がりはじめている。これまでは、じわじわと視聴率が減少しても、広告収入はむしろじわじわ伸びていた。それがいま、両方はっきり下がっている。

だからここで、テレビ局がSVOD業界に対して何をどうするか、戦略性が問われるようになる。去年、日本テレビは見逃し無料配信をはじめた上に、huluを買収した。いまから見ると、先見性が大いにあったと言えるだろう。だが、次のステップもいまや問われる。

私は、結局テレビ受像機だと思う。SVODもどんなにホットになっても、テレビ受像機で視聴できないとほんとうに普及しないだろう。先行するhuluとdTV、そしてNetflixはちゃんとそこを見据えてサービスを整えている。

これをにらんで、テレビ局はテレビ受像機をどうとらえるのか。あくまで放送向けの端末として、放送の比重が減らないようにするのもひとつの戦略だが、配信もテレビ受像機での視聴にテレビ局がどれだけ主体性を発揮できるかが重要だと思う。そのためには、テレビ局の人びとにすり込まれた「放送ってすばらしい!」という感覚を「すばらしいのは映像であって放送でも配信でもいい」というとらえ方に置き換えねばならないだろう。これが実は、並大抵ではないようなのだが。

とにかく、この秋からはじまる。SVOD業界の大混戦がはじまるのだが、それは一面に過ぎず、映像メディアの大きな大きなターニングポイントが、はじまろうとしているのだ。

※筆者が発行する「テレビとネットの横断業界誌Media Border」では、VODをはじめ放送と通信の融合の最新の話題をお届けしています。月額660円(税別)。最初の2カ月はお試しとして課金されないので、ぜひ登録を。→「テレビとネットの横断業界誌 Media Border」はこちら。購読は「読者登録する」ボタンを押す。

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復職のために子供を預けたいのに、先に復職しないと保育園に入れない矛盾。

目黒区の保育園が反対運動で開園延期になった件について取材を重ねて、プレジデントウーマンオンラインに連載している。直近の回は以下の記事だ。

第四回:保育園に反対する理由。わかるようで、わからない?
第五回:保育園は、町のインフラのひとつなのだと思う

第五回では、実際に目黒区に住んでいるママさんに、保育園を探す困難について取材し書いている。この記事では多岐に渡る内容を書いているので、ママさんたちに取材したことをここでフォロー的に書いておきたい。

まず、保育園は増えている。増えているし待機児童は少し減ったけれど、まだまだ、まだまだ保育園は足りない。目黒区でも急激に高まるニーズに対応しようとしてはいるが、追いついていない。

”保活”について知識がある人は、点数制であることはご存知だろう。就業状況や家族状況など、様々な条件を点数化し、高い順に保育園に入れるというもの。認可保育園に入れるためには、点数を”稼ぐ”必要がある。

目黒区の場合これが熾烈で、「すでに働いている状況」じゃないと申請ができない。

ここ、意味がわかるだろうか?保育園に子供を預けたいのは、働くためだ。ところが、子供を預けたいなら、働いてないとダメです、ということだ。矛盾していないだろうか。いや、だろうか、ではなく、矛盾している。

これは「認可保育園に預けるには」なので、認証や無認可なら入れるかもしれない。ということで、認可保育園に預ける権利を得るために、認証や無認可に預けるのが目黒区では保活の「基本戦術」になるのだ。

会社の制度を使うと、1年なり2年なり3年なりの産休育休がとれる。だが例えば、最初は3歳から復職しようと思っていても、認可保育園に入れるために先手先手を打っていくと結局もっと早く復職せざるをえない。そのため認証や無認可も空きが非常に少ない。無認可の中には高度な教育をしてくれるところもある。どうせ預けるならとそういうところを選ぶとびっくりするような高額だったりする。でもせっかく空いてるのだからと、とりあえず入れているうちに認可に入れず、何のために働くのかわからない状態になったりもする。

かくて、保活は驚くほどのテクニカルな戦術が必要になってくる。情報収集も欠かせない。大学受験どころではなく、作戦を立て、保険をかけたり、制度を熟知して効率的な得点稼ぎに走らざるをえない。

そして保活が激化すればするほど、保育園はますます足りなくなる。育休をめいっぱいみんながとれればいいが、育休を続けるなんて悠長なこと言ってられず復職が当初より早まってしまうのだからどんどん保育園が必要になる。なんとも奇妙な状況だ。

目黒区で言うと、他の区よりも「専業主婦文化」が続いていたのが、このところ急に若い世代の人口が増え、「共働き文化」に行政がまだ対応できていない、ということだろう。”子育て”のための施設や施策は充実していて、決して子供を育てにくいわけではないそうだ。ただ、「保育園」というものが長らく必要なかった。それを慌てていま増やそうとしているのだ。

保育園への反対運動も、そういう新旧文化の摩擦だと言えるのかもしれない。だが、取材した中には目黒区での保活を諦めて別の市に引っ越したママさんもいた。「共働き文化」を受け入れないと、目黒区だって「限界集落」的な状態に陥らないとも限らない。

反対運動側の人たちはよく「ここにつくらなくても、使われていないあの施設を使えばいい」と口にするのだが、ここにもそこにも、つくれる場所にはどんどん保育園をつくったほうがいいのだ。つくってつくって、少し定員にゆとりがあるくらいになって、”保活”なんて言わなくてもすむようにならなければ。

そういう社会をめざそう、というコンセンサスができなければ、反対運動は目黒区でなくてもどこでも起こるだろう。そういう働きかけこそが政治だと思うのだが、どうだろうか。

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境 治
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保育園を拒んでいても、町が老いていくだけだと思う。

プレジデントウーマンオンラインで「みんなで子育てできる町へ」という連載を書いている。

目黒区の都立大駅近くに開設予定だった保育園に反対運動が起こった一件を追った記事だ。保育園の事業者、目黒区の担当者、反対運動の中心人物といった関係者に取材してわかったこと、感じたことを書いている。

「目黒区の保育園の開園延期は、誰が悪いのだろうか」

「保育園に反対する理由。わかるようで、わからない?」

続きはまだまだ追っていくつもりだ。そうこうしているうちに、目黒区で別の保育園開園にも反対運動が起こっていると報じられた。

保育園建設:反対運動 目黒区住民、騒音など理由に /東京

こうして次々に反対運動が起こると、目黒区にはもはや新しい保育園はつくれないんじゃないかと疑いたくなる。そこまでではないにしても、保育園増設についての難しさ、ハードルの高さを考えてしまう。

目黒区の件を離れて、取材から感じたことをここで書いておこうと思う。

なぜ、保育園ができると聞くと反対する声が出てくるのだろう。どうやら、保育園についての偏った見方があるようだ。

前にも書いたが、そもそも母親が働くことを蔑んで見ていた時代があった。

「1960年代のワーキングマザー。この国の保育園事情は、そこから進んでいるのだろうか。」

母親は家にいて子どもの面倒をみるのが普通で、働かねばならない母親は貧しいのだと見られていた。その感覚はいまも一部の人びとから抜け切っていないのだと思う。「専業主婦が当たり前とする文化」とでも呼ぶべき文化があって、その中で生きてきた人びとには「本来は母親が働くのはよくない」と感じるDNAめいたものが漂っているのだ。

保育園開設への反対理由の多くは、「子どもたちの声がうるさい」「送り迎えの母親たちが入口にたまっておしゃべりするからうるさい」などといった”騒音”を問題にするものだ。これはまったく偏見だ。

私もいくつか保育園を取材したが、子どもたちの声は思ったほど外に聞こえてこない。園側が気をつかっているのもあるし、二重サッシなどで対策が施されてもいる。それにそもそも、子どもたちの声は気になるものではないのだ。

私の自宅は向かい側に公園があり、近くの保育園からよく子どもたちが連れて来られる。何かに集中していると、来ていることに気づかない。窓を閉めているとそれだけであまり聞こえないのだ。音楽をかけたりテレビをつけたりすると、室内ではほとんどかき消される、その程度の音量だ。

送り迎えの親がたまる、というのも実際にはほとんど起こらない。朝連れて来るのは実は父親のほうが多いくらいなのだが、すぐに出勤しなければならないのでたまったりおしゃべりしたりする余裕はない。お迎えの時間は人それぞれだしやはりすぐに帰宅するのでおしゃべりなんかしない。

保育園に反対する理由はほとんど、イメージから出てきたものなのだ。

そのイメージの出所は、母親が働くことへの蔑みだ。ある意味、階層的に人をとらえてしまっており、働かねばならない母親は下層にいるのだという、なんとも前時代的な感覚がその底にある。反対をいう人たちは、自分の心の奥底に何があるかをよく見つめたほうがいいだろう。働く母親を蔑む心をこそ、蔑むべきなのだ。

そして、反対する人びとは、十年後に近隣がどうなっているかを想像したほうがいい。いま、若い夫婦の家庭は、階層がどうとかではなくほぼすべてが保育園を必要としている家庭だと言っていい。子どもができても大半の母親は仕事を続けようとし、保育園を探すことになる。

ところがせっかく近くに保育園ができると聞いたのに、反対運動が起こっている。あっちも延期になったと思ったら、そっちも反対運動が起きた。これはこの自治体では無理なのだな。待機児童が何百人もいるのに新しい保育園は反対される。ここでの子育ては諦めるしかない。大変だけど、この機に引っ越そう。

実は、ほんとうに引っ越してしまった女性に先日お会いした。反対運動が起きたから、という単純な話ではないが、長年住んできた区が保育園についてあまりに後手後手なので諦めてマンションも売りに出して別の市に引っ越したのだという。

少なくとも、保育園に反対運動を起こす町には、つまり保育園が新しくできないし育児に冷たくしそうな町には、若い夫婦がいつかないだろう。

郊外のニュータウンが老人だらけになって困り果てた話はよくあるが、そうじゃなくても保育園を拒んでいると老人だらけの町になってしまうかもしれない。すると、寂寞とした町になり地価も下がりかねない。

そういう想像を、反対運動の人たちはしてみたほうがいい。十年後、自分はいくつになっていて、お隣さんやお向かいさんは何歳になってるか。老人だらけの寂しい町になってしまった時はじめて、子どもたちの声が宝物だったことに気づくのかもしれない。そうなる前に、考えを変えてみたほうが絶対にいいと思う。

プレジデントウーマンオンラインでの連載は、しばらく保育園の反対運動を取材していくつもりだ。何か情報などあったらぜひ教えてください。

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メディアがわさわさしてきた中「テレビとネットの横断業界誌Media Border」を創刊することにした

このところ「メディアの変化」についてみんなが考えはじめているように思える。

もちろんそれはここ数年つねに取りざたされてきた主題だった。主にマスメディアの危機とネットの台頭という大きな流れがあり、その中でどのメディアがどうなっていき新たなメディアはどうなろうとするのか、そんなことを自分も含めて追いかけて議論してきた。いままでやってきたことじゃないか、ということではある。
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ただ、”このところ”の議論はここ数年つねにあったじゃないか、という議論とどこかレイヤーが違うようだ。例えばAERAが7月6日発売号で「5年後のメディア」という特集を組んだ。ぼくもコメント取材を受けたのだが、非常に近い特集を別の雑誌が準備していてやはり取材を受けた。もうひとつ別の雑誌も控えていて少しインタビューのお手伝いをした。

非常に面白いことに、どれも「NetflixというVODサービスが日本でこの秋サービスを開始する!」という話を入口に、Netflixに限らずメディア全体の変化を語っていくようだ。Netflixは非常にわかりやすい変化のアイコンだが、それだけではない、という趣旨なのが似ている。多様な雑誌が切り口はそれぞれでも、似たストーリーをそれぞれの領域らしい形で語っていくのが興味深い。

メディアの変化を如実に感じるのは、テレビのあからさまな危機だ。この4月以降、目に見えて視聴率が全体的に減少し、なおかつテレビ広告収入も落ちているという。これは目を疑うような現象だ。「視聴率が下がっていれば広告収入も下がるのは当然だろうよ」と言う人もいるかもしれない。だが広告取引はそう単純ではない。むしろここ数年は視聴率の減少とは関係なくスポット枠が売れていた。新聞など他のマスメディアが媒体力を失う中、唯一のマスメディアとしてテレビ媒体の価値は高まっていたのだ。それが下がった。両方下がった。これは、新しい傾向だ。

”新しい局面”が訪れているように見える。それはイヤな言い方をすると、これまで先延ばしにできていたことが待ったなしで急速に進みはじめたということかもしれない。いや、希望を持って言えばいよいよ本当のメディアの夜明けがはじまるのだろう。そうとらえねば面白くはない。

ひとつこの”新しい局面”で注目したいのは、どうも「コンテンツの価値」がパワーを持ちそうな気配があることだ。ネットの時代になって長らく、メディアだのプラットフォームだのの勢いが増し、コンテンツは経済価値を失う一方だった。それが、逆にコンテンツこそが決め手であり、見合った経済価値も得られる可能性が感じられるようになった。もともとぼくがこのブログで懸命にメッセージしてきたのも、コンテンツの作り手もメディアの変化をキャッチして、自分たちの価値を自分たちでつけなきゃね、という気持ちが根底にあった。そういう時代がいよいよ、来るのかもしれない。

”新しい局面”の開始にあたり、新しいコミュニケーションが必要になる気がしている。このブログでは、不特定多数に向けてメディアの変化をある種”訴えて”来たし、そのおかげで思いを同じくする人びとと出会えた。それとは別の”場”を作りたいと思った。限られた人びとと、つまりメディアの変化を強く意識している人びととのコミュニケーションの場。いつのまにかぼくも、多様な情報収集の網を持つことがこのブログを通じてできてきたのだが、その網を活かして得たディープな情報を、本当に欲している人びとに送り届けるメディア。そしてその人びとは同時に情報発信源でもあって、ぼくが取材したり時には原稿を依頼したりすることで、自ら発信してもらえる場。

「業界誌」とはまさにそういう場だったわけだが、ここでぼくならではのコミュニティ形成による新たな業界誌ができるのではないか。そう考えたのだ。

「テレビとネットの横断業界誌 Media Border」と名づけた。

限られた人びとによるWEBマガジンを作るにふさわしいシステムとして、株式会社エートゥジェイが運営するPublishersというサービスを利用している。「本格派ウェブマガジン発行サービス」を標榜する便利なシステムだ。

限られた人びとに読んでもらうために、そしてそれにふさわしい情報を本気で伝えていくために、有料とした。月660円で毎月発行していくつもりだ。最初のふた月はお試し期間なので、無料で読んでもらって気に入ってもらえれば継続すればいい仕組み。

ライフワーク的に、これから頑張っていきたいと思う。

とりあえず読んでみてほしい。→「テレビとネットの横断業界誌 Media Border」 リンクは無料記事。購読は「読者登録する」ボタンを押す。

一方、このブログも継続して書いていくつもりだ。ここでは変わらず、不特定多数に向けた、メディア論、コンテンツ論を展開していく。

ということで、二本立ての情報発信をしていくので、これからも読んでください!

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対談 本編㈰

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Netflixについてわかってきたのは、まだ何もわからないということだ。

謎のベールに包まれていた感のあるNetflixが、いきなり重たい岩戸を開けて情報を浴びせるように放ちはじめたのは先週、6月17日以降だった。日本法人代表のグレッグ・ピーターズ氏が様々な会見やイベントに登場しはじめたのだ。

まず17日にはフジテレビとの共同会見で『テラスハウス』の新作とドラマ『アンダーウェア』の制作を発表した。「共同制作」の触れ込みだが、実際にはフジテレビが制作してNetflixが配信する仕組みだ。

18日の朝には記者を集めてプレゼンテーションが行われている。同じ日の夜には雑誌WIRED主催のトークイベントが代官山で開催された。抽選だったのだが当たったのでぼくも行ってみた。

その時のトークを含めた印象を、WIREDの編集長氏が記事に書いている。

→ぼくらは「Netflix日本上陸」に期待していいのだろうか? いまのところYesと言おう

彼はNetflix制作の第一弾がよりによってテレビ局の、しかも『テラスハウス』だったことがよほど気にくわなかった様子で、実際こんなことを記事中に書いている。

“というわけで、代表取締役社長を招いてのイヴェントは、いきなり不安が立ち込める仕儀となった。”

いやいや、不安を立ちこめさせたのは編集長氏のほうだ。ぼくたちは『テラスハウス』制作をなんとも思ってないのに、あからさまに落胆して場を白けさせたことがホストの態度として適切だったのか。こちらとしてはそんなことは置いといてどんどん聞くことを聞いてほしかった。彼が「しかしテラスハウスねえ・・・」とため息をつくたびに空気が澱んでしまった。

彼自身も記事でも書いている通り、『テラスハウス』は第一弾に過ぎず、これからおそらく続々企画が発表されるだろう。少なくとも、ぼくたちが想像するよりずっと多くの制作者にコンタクトして企画について議論しているらしい。その中には、制作会社や個人のクリエイターも多いようだ。編集長氏が心配しなくても、エッジーなものも早晩出てくるだろう。

さて20日土曜日朝5時の『新・週刊フジテレビ批評』では、グレッグ・ピーターズ氏へのインタビューが放送された。インタビュアーは光栄なことに、ぼくに話が回ってきた。ずいぶん前にゲストで出してもらい、その後はコメント出演程度だったのだが、VODの話ならこいつだと思い出してくれたのだろう。前々からNetflix社にインタビューを申し込んでいたのが、理想的な形で実現した。いい年してさすがに興奮した。

実はインタビューは、17日のフジテレビでの共同会見前に30分間だけ時間をもらって行った。念願のインタビューだったので、番組スタッフとも入念に打合せした上で質問項目も整理し、高揚しながらグレッグに話を聞いた。

ただ、同時通訳を介しての時間が限られたインタビューは想定以上に時間がかかり、用意していた質問は半分程度しか聞けなかった。
対談 本編
そして、「フジテレビとは次々に制作をするのか」「他にはどんな企画が準備中か」「月額いくらで検討しているのか」「共同制作では著作権はどちらが持つのか」そういった核心に触れる質問には「それはいま議論を重ねているところだが、日本のコンテンツは素晴らしい」などとうまくかわされてしまった。

番組を見た人は、それなりに濃い内容と思えたかもしれないが、うまく編集してもらえたからで、けっこう空振りの質問が多かったと思う。近々、別のところでインタビューの書き起こしを読んでもらえるようにしたい。

もう少し聞きたかったなあと思っていたら、さらに別の人たちへのインタビューの機会を設けてくれるとNetflixから連絡をもらった。ちょうど本国から役員らが来るので、彼らの時間をとってくれるという。それが実は昨日、6月25日だった。日本のスタッフと、本国のスタッフ二人に話を聞けて、お腹いっぱいになった。かなりわかってきたぞ、Netflix!

彼らへのインタビューも後日できるだけ全文を読んでもらえる状態にしたい。ただ、ぞんぶんに話を聞いてよーくわかったことがある。それは、彼らはまだ何も決めていないし、彼らもまだわからないことがいっぱいある、ということだ。さっきインタビューで”かわされた”と書いたが、決まってるけど言わずにかわしたのではなく、ほんとうに決まったことがあまりないから言わなかっただけのようだ。

例えば料金。アメリカの料金からすると、日本では1000円程度になりそうだが、まだ決めていないという。どうやらほんとうにいま、議論の真っ最中らしく、アメリカの料金をそのまま為替レートに照らして決めるわけではないようだ。

フジテレビとの今後の制作も、お互いに前向きなのは間違いないようだが、ここまでいっぱいいっぱいで、次々に決まるかどうかはまたこれからなのだろう。噂レベルで聞いた話では、決まった2作もここまでで何度も頓挫しそうになったらしい。

共同制作で著作権はどうなるのか。これもケースバイケースとしか言えず、定型があるわけではないようだ。お金の出し方も、何割かを持ちあう場合、全額Netflixが負担する場合といろいろある。ただ、お金を出したからには著作権を主張する、わけでもないらしい。自分たちに必要な配信期間がいちばん大事で、その後はそちらでご随意に、と渡してくれることもある。フジテレビとのケースがまさにそうなのだし。

それから、ここがポイントだと思うが、日本に満を持してやって来るからには、それがこのレンタルDVDが根づいている上、dTVとhuluという先行者がいる難しい市場であるからには、普及させる具体的な勝算があるのではないかとみんな思っているだろう。ぼくもそう考えていた。

今回のインタビューで感じたのは、「こうすれば普及する」という算段はこれから立てるようだ。別にそう言ったわけではないが、インタビューで伝わってきたのだ。そしてそれを悲観してもいない。「みんなで考えればなんとかなるだろう」そんな空気を感じた。

面白い人たちだ!

それはもちろん、自分たちのサービスに自信を持っているからだと思う。「うーん、そんなにレンタルが根づいているのかあ。・・・まあ、でも絶対我々のサービスは便利なんだから、いずれ使ってくれるだろう」そんな風に感じている様子なのだ。

ということは、彼らは何年も粘るのだろう。一年とか二年やって大してユーザーが増えなかったとしても、撤退を検討、などはしそうにない。成功するまであれこれ策を講じつづけるのだと思う。

Netflixについては過度な反応をする人が多い。地上波の放送事業を脅かすにちがいない!いや、怖れるに足りないちょこざいな存在だ!新たな方向性を映像制作にもたらすのだ!いやいやテレビ局と組むのだから結局何も変えやしないのだ!

何かみんな、この時点で判断をしようとしている。けれども、Netflix自身がまだ何も判断していないし、日本でも成長するのかしないのか、どんなコンテンツを作るのかも悩み中、模索中なのだから何も決めようがないのだ。そしてぼくたちは何も判断する必要はない。いいの悪いのを言うより、「ねえねえ、こういうこと一緒にやらない?」と持ちかける側になったほうがずっといいだろう。

味方だと決めつけて安易な交渉をすると、したたかにおいしいとこどりをされるかもしれない。用心しすぎて疑ってばかりだと、何も進まないかもしれない。とにかく過度に敵視も期待もしない、というのがいま言えることだと思う。

そしてとは言え、彼らの日本進出でいろいろ面白い変化も起こりそうだとも考えているのだが、それはまた別の機会に書こうと思う。

ところで今週、6月27日朝5時の『新・週刊フジテレビ批評』にも出演し、今度はフジテレビのコンテンツ事業局長、山口真氏とお話しするので、よかったら見てね。

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Netflixとフジテレビの共同制作の先には、テレビの”もうひとつのベクトル”が見えてくる

IMG_5878NetflixについてはこのブログやAdverTimesなどで何度か書いてきた。

●今年秋、上陸決定!Netflixは黒船なのか?VODの進路が日本のテレビの将来を左右するかもしれない

●VODにとってテレビが大事だ、ということはどこから市場を奪うか?〜AdverTimesの記事への追記その1〜

●映像業界の「 r > g 」をVODがくつがえすかもしれない〜AdverTimesの記事への追記その2〜

なぜだか知らないが、Netflixについて書くと、テレビ界の一部(あくまで一部)の人たちが妙に感情的な反応を示す。急激に契約者数を増やしているNetflixの日本上陸は脅威に感じるのだろう。だが心配しなくても、日本でも契約者数をどんどん増やせるかというと、そう単純な話ではないだろう。

ただいずれにせよ、いろんな側面で面白い存在だ。ぼくはツテをたどって接触し、新たに開設したオフィスに行ってみたりした。そして日本代表にじっくり話を聞くインタビューを申し込んだのだが、なかなか時間がとれそうにない。ぼくのブログは読んでくれていて、好意的になんとかしようとはしてくれるのだが、何しろ日本の体制を整えている最中なのでスケジュールがとれない様子。

そこへ『新・週刊フジテレビ批評』のスタッフから連絡があった。土曜朝5時という微妙な放送時間だが、地上波テレビで唯一「テレビを中心にしたメディア論」を扱う奇特な番組だ。ぼくは2011年に『テレビは生き残れるのか』を出版した時にゲストで読んでもらい、以来時々コメント取材を受けたりしてきた。しばらくぶりの連絡はなんと、「Netflixの日本代表へのインタビュアーをやってくれないか」との依頼だった。

なんでも、フジテレビとNetflixの共同会見があるので、その合間を縫って日本代表グレッグ・ピーターズの時間をもらえたのだそうだ。もちろんぼくは即座に引き受けた。なかなか実現できなかったインタビューが願ってもない形でできるのだから、結果的にはなんて幸運だろうと思った。

その模様は、6月20日午前5時に放送で見てほしい。残念ながら関東圏だけの放送だが、西山喜久恵さん、渡辺和洋さん、両アナウンサーの助けを借りてインタビューするぼくの高揚した姿が見られるはずだ。

さて、その話はまた放送後に書こうと思うが、共同会見にもふれておきたい。いや、もう6月17日当日にニュースが飛び交ったのでご存知だろう、フジテレビがNetflixで配信される2つの番組を制作すると発表されたのだ。

ひとつは『アンダーウェア』という新作ドラマ。そしてもうひとつは『テラスハウス』だ。

ここで『テラスハウス』が出てくるのがなんとも面白い、とぼくは受けとめた。

説明するまでもないと思うが、『テラスハウス』は無名の男女6人が同じ屋根の下で暮らす日常を番組化したもので、twitterをうまく使って話題になった。放送中に出演者たちもツイートし、視聴者と一緒になって語り合いながら番組を視聴するスタイルができあがった。YouTubeでもどんどん番組映像を流し、再生回数が合計で1億回を超えたという。

新しいスタイルが話題になって若者の間ではブームが起きた。ところが視聴率は結局最後まで10%を超えることはなかったと聞く。若者たちの熱気と視聴率の間のギャップは、それはそれで時代を表すものだと思う。世帯視聴率を動かすには、若者だけでは難しいのだ。

『テラスハウス』は今年2月に映画が公開され、その時まで1位を続けてきたベイマックスを追い落としその週の興行収入トップに立った。最終的には興行収入12億は越えたというからヒット作と言えるだろう。

その『テラスハウス』の新作を、メンバーもネットで募集して制作し、Netflixで独占配信するという。

ここでぼくたちは、地上波放送での視聴率ではヒット作と呼べなかった『テラスハウス』が、Netflixではキラーコンテンツになる可能性があることに気づく。

仮に『テラスハウス』の平均視聴率が5%だったとしよう(あくまで仮にで正確な数字をぼくは知らないのであしからず、高い時はこれよりもっと高かったらしい)。日本の世帯数はざっくり5000万と言われるので、5%だと250万世帯だ。つまり少なくとも250万人がこの番組を平均的に見ていた計算ができる。この250万人の10%くらいが新作を強烈に見たがってNetflixに加入すると、25万、という数字が出てくる。

さてVODサービスではどうやら会員数最多のdTVがこの3月末時点で468万人、huluは3月に100万を越えて話題になった。そんな市場でほんとうに25万が一度に契約してくれたら、Netflixにとってはこんなにいいコンテンツはない、となるだろう。あながちありえなくもないのは、映画が12億円になったことからも言える。映画は入場料の平均は割引なども計算すると1200円程度になる。ということは映画は100万人規模が見に行ったと計算できるのだ。

テレビ放送では250万世帯が見ても視聴率5%のさえない番組と言われてしまう。でもVODではその10分の1の25万人が見てくれたらありがたいヒットコンテンツになるのだ。興味深いことではないだろうか。

それは逆に言うと、視聴率5%のテレビ番組が本来はどれだけすごいことなのか、ということでもある。ただしそれは”熱く”視聴してくれる番組に限る、ということだが。有料課金の世界に入ってきても”熱い”視聴者なら見てくれるはずだから。だらだら見続けるタイプの番組のほうが視聴率の世界では数字を取りやすいのではないかと思う。でもそういう番組がVODのほうで力を発揮するかは別だ。

VODになると、”選んで見てもらう”ことが最重要になる。それはベクトルの違う話だ。VODの活性化によって、テレビはこの”もうひとつのベクトル”を持つことができるのかもしれない。それは、今のテレビ界を”もう一つの世界”に導く経路なのかもしれない。

だから放送にVODが取って代わる、と言いたいわけではない。これからテレビは放送と配信との両立をめざし、バランスをとって運営することになるのではないか。そしてその方が現状の「放送を世帯視聴率をもとにマネタイズする」だけのやり方より、制作者にとっても視聴者にとっても幅が広がり楽しめるのではないか。

Netflixの面白さは、こういう新しいパラダイムを提示してくれるところだ。今後もコツコツ情報収集していこうと思う。

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1960年代のワーキングマザー。この国の保育園事情は、そこから進んでいるのだろうか。

今月から、子育てを取り巻く状況について、新しく創刊したプレジデントウーマンオンラインで「みんなで子育てできる町へ」という連載をはじめた。

保育の状況を支えるのは国家の前に自治体ではないか。そう考えて、町と育児の関係を取材していくつもりだ。

第二回では、90年代に反対運動を乗り越えて開設した町田市のききょう保育園が、待ちの人びとに受け入れられていったプロセスを、当時の園長で現理事長の山田静子さんに取材した。読んでもらえるとうれしい。

→「保育園は、反対を乗り越え、町の一員になれるか。」

山田さんは『保育園大好き 私の山あり谷あり保育人生』(ひとなる書房)という著書に、保育に身を捧げ波乱に満ちた人生を書き記している。記事を書く際に読み込んだのだが、いろいろ発見と感動があった。

Amazonには正規の在庫がないが、他のネット書店にはあるようだ
Amazonには正規の在庫がないようだが、他のネット書店にはあるようだ

彼女は1936年(昭和11年)生まれでぼくの母親の少し年下。実際、ご長男は1962年生まれというから同い年だ。

鹿児島で看護婦をしていたが上京し、こっちで結婚した。当時は生活が大変で出産後も子どもを預けて働かざるをえなかった。つまり山田さんは1960年代のワーキングマザーだったのだ。

前に「ワーキングマザーは互いを発見することで生まれた〜博報堂リーママPJ〜」の記事で書いたように、”働く母親の困難”を社会が、そして母親自身が認識したのは、実はつい最近だ。ましてや1960年代、ぼくが生まれた時代のワーキングマザーは社会的に認められない存在だったろう。『保育園大好き』にはその頃のことが細かに描かれている。

まず0歳児の頃は、預かってくれるところがなかった。区役所に行くと男性職員が「あのね、あんた何考えてるの?」と言い放ったという。福祉事務所なのに、だ。

1歳になりようやく預かってもらえることになった。公立保育園を紹介された。だが保母たちは冷たかった。「あらかわいそうに、まだ小さいわねぇ」「まだ、おむつしてるのよねえ」預けるのがいけないようなことを保母たちが言うのだ。

園長さんは優しくこう言った。「本当は、お母さんが育てるのが当たり前のことなのよ。保育園はお母さんが働かなければ生活できないから、仕方なく預かるところなの。」いまの感覚だと信じられない言い方だが、山田さんはその時「本当にそうだ」と受けとめたという。

そういう時代だったのだ。

別の方への取材でも聞いたことがある。それは70年代の話だが、やはり「保育園は仕方なく預かってあげている、という態度だった」と言っていた。

その後、山田さんは別の町に転居することになり、そこでは公立保育園が見つからず、私立保育園で預かってもらうことになった。前の公立保育園に比べると、ずいぶん貧弱な施設に見えたそうだ。

ところがその保育園の園長さんが驚くようなことを言った。「女性だって人間、能力があるのよ。女が自立するためには、しっかり働くことが大事なのよ。頑張って働いてね」女性が子どもを預けて働くことを肯定的に言う人に初めて出会い、衝撃を受けたという。

山田さんがその後、自ら保育園の園長となり、子どもたちと働く女性たちを支える側になったのは、この経験が大きいのではないかと、取材して感じた。

そして、保育について取材しているとモヤモヤ感じていたことの正体がわかった。保育園に子どもを預けて働くことは、昔は蔑まれていたのだ。本来は父親が稼いで妻も養わねばならないのに、それができない悲しい家だと受けとめられていたのだ。そしてその一種の”差別”はいまもある。保育園開設に反対する声の裏にも、そうした偏見が透けて見える。

その蔑みや差別的な態度が、どれだけ時代とズレているかが、そちらの側の人びとは見えていない、わかっていない。そしてそんな態度こそが少子化の一因になっていることにも気づかない。

父親は満員電車に押し込まれて会社に通い、母親は主婦となって子育てをし家庭を守る。それは実は戦後の工業化の過程で成立した、かなり人類史上も一時的なライフスタイルなのだが、それにどっぷりハマってうまくいった世代、そういう時代の人びとにはそれがわからない。人類は過去も未来もそうするものだと思い込んでいる。

そう考えると、1960年代からほとんど変わってない、進んでいないのだなあとため息が出そうになる。欧米が70〜80年代に大きくシフトしたのに、バブルでぼけて失われた20年の間も過去の考えにすがってやってきたので、いまだに目覚めていない。

山田さんはだから、彼女の世代としてはかなり珍しい存在なのだと思う。1960年代のワーキングマザーだったからだ。ぼくたちは、彼女のような先達をリスペクトし、多くを学びとっていくべきなのだろう。

「みんなで子育てできる町へ」の連載も、そういう方々に学びながら、現状を追いかけていきたい。

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赤ちゃんより経済を優先したら、赤ちゃんが減り経済が衰えている。

赤ちゃんより経済を優先

こないだの日曜日、5月31日のNHKスペシャルは『戦後70年 ニッポンの肖像 豊かさを求めて第2回 ”バブル”と”失われた20年” 何が起きていたのか』というものものしいタイトルの企画だった。土曜日の第1回は高度成長時代の今から思うと信じられない成長を遂げた日本を描いたのだが、第2回では一転、バブルがはじけて奈落の底からはい上がれない日本の今に通じる歴史をたどっていった。

バブルの原因とその経緯があらためてわかりやすく、新たな証言も交えて迫力ある番組だった。コメンテイターとして堺屋太一氏と野口悠紀雄氏が登場。この野口氏はぼくがこのブログで何度か取り上げてきた「1940年体制」を唱えた人だ。

日本の高度成長も、その後の凋落から立ち直れないのも、元をたどれば1940年代に整えられた戦時体制に原因があり、いまだにその体制から日本が変われていないせいだという。

これについては以下の記事で2013年の暮れに書いて、大きな反響を得た。いまの若い世代にも響く話なのだと思う。

日本人の普通は、実は昭和の普通に過ぎない。

番組の中で印象的だったのが、バブルの時代を振り返る中で堺屋氏、野口氏が口を揃えるように「日本はアメリカを超えたと過信したが、アメリカはその頃社会構造の大転換をしていた」と言っていたことだ。

このことは当時から解決できずいま表面化している問題のほとんどが詰まった話だと思う。

つまりは、日本が製造業中心の経済構造から変われないことと、少子高齢化をまったく克服できていないことは重なっているのだ。産業構造と少子化は、一見関係ないようで、実はからみあいよじれあったひとつの問題だとぼくは考えている。

アメリカも、ヨーロッパの多くの国も、大量のモノを大量の人が身体を動かして働いて作る工場を軸にした製造業中心から、企画や発想を価値化する産業中心に社会を変えた。番組の中で存命中のスティーブ・ジョブズが「iPodはソフトウェアだ」というシーンが出てくるのが象徴的。Appleは工場を持たずに台湾や中国の安価な労働力に製造を委託する。モノを作ることに主眼があるのではなく、発想した製品を形にすることに価値がある。

Appleはちとできすぎな例だが、欧米はそういう方向に社会を変えた。一方で女性も働く社会に変えた。これについては先日ハフィントンポストに掲載されたこの記事が素晴らしくまとまっていてわかりやすい。

「共働き社会化」の光と影――家族と格差のやっかいな関係

そういう変化を70年代あたりから長い時間かけてやって来た欧米に対し、日本はバブルで浮かれた80年代で感覚がマヒし、その後も社会構造を変えるより、なんとか今のやり方を維持できないか、成功体験を再現できないかとずるずる先延ばししてきた。

経済構造も変えられなかったし、少子化もほったらかしてきた。そこにある密接な関係に気づかないまま10年20年と時をムダにし、その時間丸々を”失われた”状態にしてしまった。

ぼくはこのことを考えていると奇妙に思えてくる。先延ばしにしてきたのは目先の経済を優先してきたからだろう。ところが、少子化がもたらす今後数十年間の経済的なマイナスは計り知れない。とりもどしようのない経済の衰退を迎えようとしている。

おかしなことだ。目先の小さな経済性を優先してきた結果、将来の大きな経済損失がもたらされようとしている。いったいこの20年間、ぼくたちは何をしてきたんだろう?

だからせめて、いまからでも遅くはないから、ぼくたちの子どもたち、子孫たちのために、ぼくたちは取り組まなければならない。経済構造の変化と、子育てを大事にする社会への変化を、実現しなければならないのだ。

もうひとつ、セットで考えるべき問題がある。雇用の問題だ。個人と会社の関係の問題だ。もう会社に人生を託すのはやめるべきなのだ。

最初に紹介した番組の後半でも、雇用の話が出てくる。ある大企業のトップだった人物がバブル崩壊直後を振り返りながら、「社員の雇用を守ることを最優先にした」と告白していた。何千人かの人員整理をせざるをえなくなった時も「子会社などに回ってもらい、給料が下がったら会社で補填した」のだそうだ。一見すると美談だが、ほんとうにそうだろうか。

人員整理で正社員は収入も守られたのかもしれないが、それに伴い非正規が増えたり、新人採用を抑えたりしたはずだ。大企業が雇用を守ると、より弱い非正規社員や中小企業、若者たちにしわ寄せが行くのだ。

だから非正規を正社員にしよう、と言いたいのではない。企業がそんなに社員の人生の面倒まで見るのはやめたほうがいい、と言いたいのだ。人生の面倒を会社に見てもらうなんて気持ち悪いし、一生を守ろうとするから社員はそのレールから外されないように、朝から晩まで働くのだ。だから男性が育児にかかわれない。また一日中働く男性を守るから、そこまで会社にいられない出産後の女性を排除する。

もっと流動性が高い社会にしたほうがいいのだ。会社の業績が悪くなったら辞めてもらっていい。社会全体がそうなれば、転職がずっとしやすくなるはずだ。いまは転職しにくいどころか、40代になるとかなり難しくなる。40才でも50才でも、会社を移るのが普通になれば、社会の新陳代謝がよくなり、生産性も高まり新しい事業が起こりやすくなる。

そういう世の中のほうが子育てもしやすいのだ。

実際、SHARPの退職者をアイリスオーヤマが雇用しようとしているそうだ。先がないのに延命ばかりしている会社にいつホントにダメになるかわからないのに居続けるより、とにかく経験を認めてくれる会社に移ったほうがずっといい。やっとそういう世の中になってきた。

会社の名前の前に、自分という個人がいるはずだ。会社に人生の面倒なんか見てもらわないほうがいい。これからは、そういう社会になるはずだし、それをみんなで促すべきだと思う。

育児と、社会と、経済は、実は強く関係している。

プレジデント社がネット上に新しく女性向けのメディアを立上げている。縁があって、そこで連載をさせてもらうことになった。

よかったら読んでください。社会と、育児と、そのからみあった様子を書きつづっていきたい。

→みんなで子育てできる町へ「赤ちゃんにきびしい国はどうしたら変わるのか」

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もはや世帯視聴率だけでテレビを測る時代ではない〜新世紀テレビ大学「TVデータ最前線」開催〜

テレビについて語る際、とくにネット上の言論では視聴率がやり玉に上がることが多い。視聴率至上主義でテレビがつまらなくなったとか、視聴率なんてアテにならないんだろうとか。

もろもろ問題点もあるのかもしれないが、参考になる数値なのはまちがいない。ドラマ『家政婦のミタ』が40%を超え、『半沢直樹』がそれを超えた視聴率をたたき出した時は、実際多くの人びとがこれらの作品に熱中していた。40%の数字に見合った反応が、そこいら中にあふれ返っていたと思う。

今クールのドラマもいまひとつだと言われつつ、『アイムホーム』『Dr.倫太郎』『天皇の料理人』あたりは面白いなあと思っていると、ちゃんと視聴率にも反映されているようだ。

ただ、この3作品は10%台前半で、20%にはほど遠い。10%に届かないドラマが普通になっているのは、視聴率の水準がずいぶん下がった証しだろう。するとそうしたドラマはダメなドラマだと受けとめられてしまいかねない。

視聴率というデータにはおかしな点も何もないのだが、世帯視聴率だけでテレビを測ることに閉塞感が滲みだしている気はする。

まずよくわからなくなっているのが、世帯視聴率が10%だと「日本人の1割が見た」と言っていいのか、という点だ。そういうイメージでとらえていたが、そう考えにくくなっている。

不破雷蔵氏が運営するGarbagenewsは様々なデータをグラフ化してわかりやすく見せてくれる。つい最近、テレビの普及率をグラフ化していた。

→カラーテレビの普及率現状をグラフ化してみる(2015年)(最新)

内閣府の「消費動向調査」にあるテレビの世帯普及率についての記事だ。これによると、一般世帯(非単身世帯という意味のようだ)では97.5%と、相変わらず高い普及率であることがわかる。だがこれが、単身世帯になると91.6%とずいぶん下がる。

さらに世代別まで含めてみると、「単身世帯・男性29歳以下」の普及率が76.2%とどんと低い数値で驚いてしまう。

ぼくが子どもの頃は日本人のほとんどが「テレビがほしい、カラーテレビを手に入れたい」と望んでいたものだが、いまは逆に「テレビを家に置かない」層が無視できないくらい増えているようだ。

さらに「世帯視聴率」とはその世帯の誰かひとりでも見ていれば当然カウントされるので、「世帯視聴率10%のドラマは日本人の1割が見ている」とは言えなくなってしまっているとわかる。なにしろ、家族みんなで同じ番組を見る場面はもはやあまりないのだから。

実はビデオリサーチの世帯視聴率はあくまで「自宅にテレビを所有している」世帯のデータだ。これは隠しているわけでもなんでもなく、わざわざ調査のための機械を設置してもらうのにテレビがない世帯を選ぶはずもないのだから、当然のことだし同社はちゃんとそのことを明示している。だから視聴率の母数=日本のすべての世帯、だととらえないほうがいい。

もうひとつ、視聴率データで重要なのが「代表性」の問題。ビデオリサーチの調査対象世帯は、ちゃんと日本の人口分布を反映させて抽出しているのだそうだ。これが手間のかかるところだろう。だから、いまの少子高齢化の状況もきちんと反映させている。

jinkoupyramid
「グラフ:わが国の人口ピラミッド(平成24年10月1日現在)」(総務省統計局) (http://www.stat.go.jp/data/jinsui/2012np/)を加工して作成

これは総務省の人口ピラミッドのグラフ(平成24年現在のもの)に、視聴率の世代区分とその割合を算出して重ねたものだ。これを見ると、F3M3(50才以上)が44%にもなっており、F2M2(35-49才)も合わせると65%を占めることがわかる。ざっくり言えば、視聴率は”おじさんおばさん”に左右されているのだ。そして男性が会社に縛りつけられているこの国の場合、”おばさん”に視聴率を握られていると言っても過言ではない。

だからドラマで言うとおばさんウケするものが視聴率を取りやすい。男性に偏った志向のものや、若者に極端に寄った企画は数字がとれないのだ。このクールで言うとNHK土曜ドラマ『64』は極めてハードな物語で男臭いからか、視聴率はいまひとつだが一部には非常に評価されていた。少し前の日曜9時枠の『ごめんね!青春』は視聴率が悪くて脚本家の宮藤官九郎氏が悩んでいたという記事を読んだ。このドラマはInstagramを駆使して若者たちの熱い支持を受けていたようだが、視聴率には反映されなかった。いずれも”おばさん”が見てくれなかったからだ。

このように視聴率はある意味”わりと年配の女性”に偏ってしまっており、それは人口分布を反映したものだし世帯の視聴率として精緻であるのはまちがいないにしても「それでいいんかい!」と言いたくなる傾向になってしまっている。

視聴率は広告枠を買う際の指標なのだからそれでいいと言えばいい。番組の価値や評価と必ずしも結びついてはいないと認識したほうがいい。

とは言え、別の尺度はないのだろうか。

ビデオリサーチ社自身がその取り組みをはじめている。「TwitterTVエコー」では、TwitterJapan社と協力して、個々の番組がソーシャルメディア上でどれだけ影響力を持ったかを数値化している。

録画した番組の再生も無視できなくなっているということで、タイムシフト視聴の動向調査もやっているそうだ。これは定期的に発表もしている。

だがテレビのデータとはそれだけではない。例えばテレビメーカーはネットにつなげて使われている受像機の視聴データは収集しているという。これにはプライバシーのデリケートな問題もあるが、承諾を得られているデータだけでも何万世帯分もあるわけだろう。これはある意味、非常に正確な視聴データとなるはずだ。ビデオリサーチのデータのような「代表性」はないので取って代わるデータにはならないが、実際にどの番組を見たか、何を録画してその中で実際に再生したのはどれか、などがわかるのだから分析しがいがありそうだ。

また、いまテレビは放送以外にも多様な使われ方をしている。ゲーム端末でもあり、VODの受像機でもある。今後はスマートテレビに進化して多彩なサービスのターミナルになるとも言われる。放送だけでなくどう使われているのか、今後は調べていくべきだろう。

テレビは若者離れが進んでいるとは言え、いまだに多大な影響力を持つメディアだ。そしてリビングルームの真ん中にどんと据えられ、家庭と社会との接点として役割は広がりそうだ。そのモノサシが「放送の世帯視聴率」だけというのは、逆にそのポテンシャルを引き出せない事態になりかねない。

ぼくがお手伝いしているエムデータという会社があり、以前にも記事を書いた。テレビ放送のすべてをデータ化している変わった会社だ。

→テレビとネットの融合の鍵はテキスト化にあった〜エム・データ社データセンター訪問記〜

そのエムデータが主催するカンファレンスイベントが7月10日に開催されることになり、ぼくも企画などを手伝っている。いま書いた、テレビに関するデータの最前線を探るセミナーイベントだ。テレビという端末が今後、新しい価値を開拓できるかどうか、ここで少しでも垣間見えればいいと思う。

興味ある方はぜひご参加を。→http://eventregist.com/e/TVdaigaku2015

TVdaigaku_Yoko

【 プログラム 】
14:00 開場 14:30 スタート
●オープニング ●
  エムデータとTV Rankのご紹介
● 第一部 ●
 ・ビッグデータ解析から見えるテレビの役割、サービスの変化
  横山隆治氏(株式会社デジタルインテリジェンス 代表取締役)
 ・新視聴率測定システムSMARTから探るテレビの価値
  福羽泰紀氏(株式会社スイッチ・メディア・ラボ 代表取締役)
—- 休憩 —-
● 第二部 ●
 ・VODディスカッション「コンテンツとの幸福な出会い」
  船越雅史氏(HJホールディングス社・社長)
  村本理恵子氏(エイベックスデジタル・常務)
  モデレーター:境 治(エムデータ・顧問研究員)
—- 懇親会 —-

データは物事を立体的に見せたり、パッと見てもわからなかった側面をあぶり出してくれる。テレビの知らなかった部分に焦点が当たれば、また面白くなるかもしれない。

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「想いを伝える技術〜メッセージがコミュニティをつくる、広げる」と題して3331AFT講義をやることになった件

「3331アーツ千代田」という奇妙な空間がある。ぼくは何度か行ったことがあるのだが、いまだにどういう趣旨でできた施設でどう運営されているのかわかっていない。

行ったことがあるのはハフィントンポストの編集室がそこにあるからで、行ってみると学校を改造してできた建物が何食わぬ顔で建っている。それは公園のようでもありオフィスビルのようでもあり公民館のようでもありやっぱり学校みたいだ。でも気軽に人びとが出入りしており、のんびり日向ぼっこをしたり中のスペースで弁当を食べてくつろいだりしている。そんな風に、大した用もなく気まぐれで入っていいらしい。

3331

その3331ではArtsFieldTokyoと題したレクチャーを開催しているそうだ。”そうだ”と書いているのはぼくもまったく知らなかったのだが、コピーライター仲間の後藤国弘が電話してきてそう教えてくれたからだ。「それでな、そのレクチャーをおれにやってくれって言われたんだけど、もっと適任がいるって境のことを紹介したら面白そうだって言ってくれたからさあ、連絡いくと思うからよろしくな、じゃあな!」と勝手に告げて勝手に切ってしまった。

ARTS FIELD TOKYOのWEBサイト→http://artsfield.jp/

さっぱりわからなかったが、AFTの担当者、小田嶋暁子さんがやって来て言うには、もともと”アート”に絞って様々な方々に講義をお願いしてきたが、今年はもっと広げてみようとなって多様な方にお声がけしている。後藤さんに聞いたがあなたはブログとソーシャルメディアで多様な活動をしているそうではないか。その手法やノウハウを講義してくれまいか、とのことだった。

日頃はテレビ局など業界相手に今後のメディアはどうなるのでどう考えればいいか、というレクチャーはよくやっている。でも専門はそういう、いわゆるテレビとネットの融合なのでちょっと戸惑った。まあ最近はなぜか子育てと社会についても人前で話したりしているので、専門も何もあったもんじゃないが。

そうですねえ・・・と小田嶋さんにそもそも自分がブログを書いてソーシャルメディアで人とつながった経緯などを話しているうちに、それいいです、それをレクチャーしてください、ということになったのだった。

実際ときどき、ソーシャルメディアを頑張っているのですがなかなかプロモーションにつながらなくて、と相談されることがある。そんな時言うのは、大事なのはメッセージなんですよ、ということだ。

ツイッターが普及しはじめた時、面白いツイートの語り手が話題になり、言い方ひとつでフォロワーが増えて見知らぬ人びとに拡散されるのだ、と言われていた。確かに、非常に人間味あふれるツイートを、当意即妙に繰り出す一部のアカウントが話題になったしフォロワー数を増やしていった。だがそれはかなり特殊な事例だとぼくはとらえている。

ソーシャルメディアの使い方の本質は、佐々木俊尚氏のいわゆる”朝キュレ”だと思う。佐々木氏は毎朝8時に、その日の気になる情報をURL込みでツイートするのだ。もちろん佐々木氏なりの視点がコメントとして添えられていてそれ自体もコンテンツだと言えるのは言える。でもそこでのポイントは、”コンテンツをキュレーションしている”ことだ。

実はぼくのブログが見知らぬ人たちに読まれるようになったきっかけも、佐々木氏の”朝キュレ”にひっかかったからだ。当時は制作会社に所属していて、会社の同僚たちや業界仲間向けのつもりで、今後の制作業界がどうなっていくかを発信していた。その中には、テレビは今後徐々にメディアパワーを失うだろうという要素もあった。そんな生意気なこと、制作会社ごときが言いやがってと目をつけられては会社に迷惑がかかるので、こっそり書いていたのだ。だから一日50人程度のアクセス数だった。

ところがある日、アクセス数が2000に跳ね上がっていて慌てた。何が起こったか調べまくってたどり着いたのが、佐々木氏のツイートだった。当時はツイッターがよくわかってなかったので、その威力を思い知った。

この一件以来、徐々に読者が増えていった。また開き直ってブログで実名をさらし、ツイッターと連繋もさせた。ブログを書くたび「書きましたー!」とつぶやくと、読んだ人が「今日の面白かったですー!」とRTしてくれる。「ありがとうございます!」と返す。中には「今度ぜひお会いしたいです!」なんて人もいるので社交辞令的に「機会あればぜひ!」と返すと、脇から「私も参加したいです!」「じゃあ私も!」と言いだす人もいて引っ込みがつかなくなり本当にお会いするケースも出てきた。

そんな風にソーシャルメディア上で、その延長でリアルでもつながる人たちと、ゆるやか〜なグループが形成されていった。そこから勉強会を開催するようになり、ブログを本にまとめることになり、そうすると業界誌から原稿の依頼が来たりレクチャーをしてくれと頼まれたりという具合につながっていったのだ。

そして今度は「赤ちゃんにきびしい国で・・・」というブログを書いたらそっち方面にまた出会いができていくのだが、いずれにせよ大事なのはメッセージなのだと思う。

漠然と思うところを書いているだけでは、広がらなかっただろう。「テレビとネットが結びつくと面白くなる」そんなメッセージが底に流れていた。だから「おれもそう思ってる」人びとと”つながった”のだ。毎日てんでバラバラのことを書いていたのでは、つながらない。点が線にならない。その時々で話題になっている出来事を題材に書けば、その日その日のPV数は稼げるかもしれない。でも見知らぬ人と”つながり”は持てないだろう。ああ、この人、おれと同じこと考えてる、おれが言いたいことを言葉にしてくれている。だからまた読んでくれるし、”仲間”になる。

メッセージがコミュニティをつくるんだな。小田嶋さんに聞かれて考えてみたら気づいたのだけど、そうなのだ。
message

そしてコミュニティが形成されると、そのコミュニティがさらに発信力を持つ。実際ぼくも勉強会を開催し、オープンなセミナーイベントを開くようになった。コミュニティはまた大きくなり、噂を聞いて参加したいと申し出てくる人も増える。
community
こう振り返ってみると、さっきのツイートの魅力が本質ではない、ということもわかってくると思う。ブログで定期的に一定のメッセージを発信することがいちばん大事で、ツイッターやフェイスブックはそれをお知らせするツールなのだ。もちろん面白かったり人間味あふれる投稿をするに越したことはないが、べつにそうでなければならないわけではない。むしろ、誠実さや礼儀のほうが大事で、あまりそこで面白がらせる必要はないのだ。

というわけで、ここに書いたようなことをもっと立体的に、こってりお話しようと思う。だから、実際にソーシャルメディアなどネットを通じて何か告知したい人にはなんらか役に立ててもらえるつもりだ。美術館やイベントスペースで催しを告知している人、企業のソーシャルコミュニケーションを担当している人、そして、個人でもっと自分の活動を広めたい人などに来てもらえるといいのではないかな。

それから、申し込み時にあらかじめ意見や悩みを書いてもらっておき、後半ではみんなでディスカッションしてみたい。質問にぼくが答えるのではなく、誰かの質問に誰かに答えてもらう、という流れが作れればいいなと思う。そんな参加形式の講義にしたい。

6月4日19時から、3331のB1で開催されるので、ぜひおいでを。申し込みはこちら↓
想いを伝える技術 〜メッセージがコミュニティをつくる、広げる〜
ArtFieldTokyo20150604

ちなみに、ぼくに押し付けたコピーライター後藤国弘も一カ月後に、アートディレクター福島治氏と講義することになったそうだ。なんだよ、人に振っといて。
あなたにもできる、プロボノ 〜職業のチカラを、社会のチカラにする〜2015年07月03日(金)19:00-21:00

最後に、3331アーツ千代田のコンセプト映像も紹介しておこう。この映像にも、メッセージがある。3331自体がそもそも、メッセージからコミュニティをつくるための場所だとも言える。

ではみなさん、よかったら6月4日、3331でお会いしましょう!

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