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ネットに拡張しはじめたテレビを、どうとらえるか?!(3月にセミナー2つ開催します!)

テレビはオワコンだと言われる。テレビはレガシーメディアに分類されている。若者はテレビを見ない。それはまったくその通りだ。

だが一方で、こんな話がある。

ある若者と話していた。彼はテレビを持っていないという。
彼が所属する会社は、テレビの情報をもとに新しい事業を創出しようというベンチャーだった。テレビを見てないのはまずいんじゃない?と、からかう気持ちでこう言った。

「じゃあ、テレビ見てないんだね」ところが、彼は逆にこう言った。
「いや、でもテレビ好きです!『アメトーーク!』毎回見てます!」
「え?だってテレビ持ってないんでしょ?」
「持ってないですけど、テレビ見てます!」と言いながら彼が差し出したのはスマートフォンだった。

P1020118※写真は再現です

私はいささかのカルチャーショックを受けた。スマートフォンを差し出して「テレビ見てます!」と勢いよく言ってのけるのだ。だが彼からすると自然なことなのだろう。彼にとってはテレビ受像機ではなく、スマートフォンでYouTube上の『アメトーーク!』を見ることが、”テレビを見る”ことなのだ。

テレビは見られてない。だがテレビは見られている。そんな不思議な現象がいま起こっている。テレビとはそもそも、テレビ局が製作したテレビ番組をテレビ放送によってテレビ受像機で受信してリアルタイムで視聴するものだった。そのためにすべてが整えられているはずだった。だがいまや、タイムシフトで視聴したり、テレビ放送ではなくネット経由だったり、誰かが違法にアップロードした動画共有サービスだったりで視聴されている。

テレビ離れとよく言われるが、テレビ番組から離れたというより、”放送”という形態から離れたのだ。面白い番組は、録画やネットでかなりの量が見られているようだ。面白い番組は、見られる。だって面白いのだから。

だが難しいのが、テレビ局のビジネスモデルは、テレビ放送によってテレビ受像機でリアルタイム視聴されないとお金にならないようにできている。そこをお金にする仕組みを60年間かけてこってり重厚に築き上げてきた。だからタイムシフトやネット視聴に簡単に対応できない。だが躊躇していると若者にまったくアクセスできない存在になりかねない。だからマネタイズが明確になってなくても少なくともネットには出なければ。この二年間くらいでようやく、そこだけはテレビ放送界で共通認識になったように見える。

そんな背景を反映させたセミナーを、3月の上旬と下旬にそれぞれ私の企画で開催することになった。

まず、SSKセミナー。新社会システム研究所という、多様な領域でセミナーを開催しているところで、私がコーディネーター役となり、パネルディスカッションを3月3日に開催する。題して「テレビは見られているのか?いないのか?」。テレビ受像機でのリアルタイム視聴からはみ出し、ネットなどに拡張しはじめたテレビの有り様を、できるだけ生々しく解明してみたいと考えている。

電通総研、博報堂メディア環境研究所、ビデオリサーチ、インテージ。それぞれ、メディアと人びとの関係についてデータを出したり研究したりしている。それぞれのフレッシュな面々に登壇をお願いした。他のこの手のセミナーではなかなか見ない組合せで、ユニークなセッションが展開できそうだ。

詳しくはこちらで。SSKセミナー「テレビは見られているのか?いないのか?」

もうひとつは、JAM日本マーケティング協会。マーケティング業界を軸に多様なセミナーを開催するJMAと、私が運営するMediaBorderとのコラボレーションで、「MediaBorderプロジェクトセミナー2016」を今年展開することになった。
その第一弾として「拡張するテレビ、動画化するネット〜見えてきたテレビとネット・融合の実際」という企画が実現した。3月25日の開催だ。

詳しくはこちら。Media Borderプロジェクトセミナー2016 拡張するテレビ、動画化するネット「見えてきたテレビとネット・融合の実際」

今年はこうしたセミナーを随時、次々に企画していくつもりだ。みなさん、ぜひ、おいでください!

※筆者が発行する「テレビとネットの横断業界誌Media Border」では、放送と通信の融合の最新の話題をお届けしています。月額660円(税別)。最初の2カ月はお試しとして課金されないので、興味あればご登録を。同テーマの勉強会への参加もしていただけます。→「テレビとネットの横断業界誌 Media Border」はこちら。購読は「読者登録する」ボタンを押す。

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ドラマがあふれ返って、かえって前よりドラマを観なくなっている現実について(そんでNetflix大丈夫なの?)

2015年は動画配信元年だったらしい。だったらしいと他人事みたいに書いてしまったが、動画配信元年だSVOD時代の幕開けだと言いふらしていたのは他ならぬ私自身なので、らしいもなにもないのだが。そんな私が「らしい」と書いてしまったのは、その後どうなっちゃったんだ?と騒いだ本人も感じているからだ。

どうもSVODの話題が一時期に比べると静かになった気がする。

そんなところへ、久しぶりにちょいホットな話題が出てきた。すでに1月にリリースは出ていたが、Netflixローンチ時に『テラスハウス』『アンダーウェア』を制作したフジテレビが、再びNetflixと組むという。『グッドモーニングコール』というドラマをフジテレビが制作し、Netflixで配信される。今日(2月12日)にはあらためて記念イベントが行われたそうだ。

goodmorningcall
人気の少女マンガの実写化で、フレッシュなキャストが主演する。この企画は、アジアでの配信を強く意識しているらしい。なるほど、1月にラスベガスで開催された大型イベントCESではNetflixのCEOリード・ヘイスティングス氏がキーノートスピーチを行い、世界130カ国で新たにサービスを開始すると発表した。

アジアでは中国と北朝鮮以外ほとんどすべての国で展開されることになる。それを受けて、フジテレビ制作のドラマでアジアぐいっと切り込もうということだろう。Netflixにとってもフジテレビにとっても威勢のいい話だ。

動画配信二年目らしい、スケールの大きな話だ、と言えばいいのだろうが、一方私自身は少々SVODにもNetflixにも、前ほどワクワクしなくなっている。

私のテレビにはAppleTVもdTVターミナルもつながっている。AmazonのFireTVも横にありすぐにつながる体制が整っている。そして日々、NetflixとhuluとdTVと、時にはAmazonプライム・ビデオを見て回り、何を観ようか見て回る。何を観ようか見て回った末、何も観ないで終わってしまう。

もうなんというか、洪水なのだ。ドラマの洪水を土手に立って眺めた揚げ句、あまりの水量に腰が引けて入らないまま終わってしまう。

SVODにとってはドラマが重要だ。定額制ということは、いくら観ても料金同じっていいなあ!と思わせたいので、連続ドラマに力を入れることになる。日米のドラマをがんばって取りそろえ、それでも足らないとオリジナルドラマもまたずらりと並べる。どれも面白そうだ。

だがそうやって、それなりに面白そうなドラマが数々並ぶと、どれを見たらいいのかわからないのだ、さっぱり。

その結果、奇妙なことになっている。昨年、『HOMELAND』にハマった。夏だったか、ある人が面白い面白いと言うので、huluで見たらものすごく面白くって一気にシーズン1、2と観終えてしまった。大いに満足したが、調べると続きはすでに次々制作されている。一話数百円払えばシーズン3もdTVで視聴できることがわかったが、躊躇していた。

すると年末だったか、シーズン3がNetflixに入っていた。huluにもdTVにも同時に入っていたのだが、とにかくシーズン3をイッキ観した。驚愕の展開でさらに大々満足した。続きを見たいと思っていたら、年明けにDlifeでシーズン4がはじまったのだ。

かくて、私が今一番楽しみにしているハリウッドドラマは、NetflixでもhuluでもdTVでもなく、SVODではなく放送チャンネルであるDlifeで視聴している。・・・なんだそりゃ?・・・

考えてみると、『ウォーキングデッド』もそうだった。これは一昨年だったか娘がhuluで見るようになり、そこで視聴できる過去シーズンを全部見終わったら最新作をFOXチャンネルが放送しはじめた。かくて、毎年新シーズンの”放送”を父娘で楽しみにしている状態だ。

この観点から捉えると、SVODは面白い海外ドラマの入口に過ぎなくなってしまう。SVODで発見したら、最新作は放送で追いかけるのだ。SVODは補助かよ!元年ってそういうことだったの?

そんな状況で、私の中で割を食った形なのが日本の民放ドラマだ。前よりずっと見なくなってしまった。以前は、気になる新作ドラマはひと通り録画しておき、初回を観て気に入ったものは継続して視聴していた。とくに面白いと思ったものはできるだけリアルタイムで観たものだ。そうでなくても、4つや5つのドラマは続けて録画で視聴していた。

いまは、1クールにせいぜい2つだろうか。いや、録画は続けるのだけど、観ない。観なくなってしまったのだ。だってNetflixやAmazonプライム・ビデオに、なんか気になるオリジナルドラマがあるんだもの。

じゃあそれらを観るかというと、観ない。そのうち観るつもりで、観ないのだ。観るきっかけをつかめないまま、”マイリスト”とかに入れたっきりのドラマが数え切れないくらいある。リストに数え切れないくらい入れていると、その中でどれを観るべきかがもうさっぱりわからなくなる。

で、結局SVODで観るのは”一度観た少し前の映画”だったりする。面白かったのはわかっているし、でも細かいところは覚えてないので、ついつい観てしまう。どこか保守的な選択として”一度観て間違いなく面白かった映画”を選んでしまう。・・・いや、こんなことしたくてSVODに加入したんじゃないはずなんだけどなあ・・・

そうやってちょっとSVODに冷めはじめている。そうなるといちばん危ういのがNetflixだ。だっていちばん売りのNetflixオリジナルドラマを、結局いちばん見なくなってる。

そもそも、ハリウッドドラマは日本人にとって縁遠い存在だ。映画なら役者もよく知ってるけど、ドラマに出る役者はほとんど知らない。そして企画もぱっと呑み込めない。ドラマには国民性や国の文化が反映されている。映画よりもそれが濃いかもしれない。ちがう国のドラマは”わかりにくい”のだ。バンパイアものなんて見る気がしない。ゾンビものにはやっと慣れてきた。それ以外になると・・・醍醐味や見どころ、判断基準などがわからないのだ。

縁遠くてわかりにくい中でも、Netflixオリジナルはとくにわからない。距離がある。ローンチ当初はわりとはっきり”ウリはこれ!”というのがいくつかあり、ウォシャウスキー姉弟が取り組んだ『センス8』とか、マーベルものとしてはヘビーな味わいの『デアデビル』とか観たものだったが、そのあとが続かない。

もっと情報を発信しないと、ダメだよ、Netflixは。ごく一部の海外ドラママニアに受けてるだけで、それ以上にふくらまないよ。そこにはあまりたくさん人数はいないし、ほんとに好きな人はCSチャンネルで最新シリーズを追っている。結果論だけど、つかめている市場が中途半端な大きさしかないだろう。

それでもオリジナルドラマで勝負するのなら、”海外ドラマ好き”というカテゴリー以外の人たちにも魅力を伝えていかないと、広がらないだろう。いまおそらく、huluローンチ時よりはずっと多くのユーザーを獲得できているだろうけど、それを拡大するには、情報発信しないと。

意外にネット上でNetflixの予告映像が出てきたりはするのだけど、海外ドラマ好き以外にはなんだかよくわからないし、届かない。わからない予告編の最後に”Netflix”と出てきても、何も伝わらないまま終わってしまうだけだ。

予告映像より、必要なのは”これおもしろいよ!”という人の声だ。どんな話か、内容を説明されるより、”これねえ、とにかくびっくりするから!ドキドキするから!見たことないから!”と感覚的なことを言われるほうがずっと効く。だから実は、情報ではなく、感情が必要なのだ。インフォメーションより、エモーションこそが、見てみようと思うきっかけになる

そういうとこ、頑張ってよ、Netflix。元年とか騒いだだけのことあったなあ、って思わせてほしいもんだ。

ところで、そんなことも含めてテレビ視聴の最前線についてディスカッションするセミナーを開催します。「テレビは見られているのか?いないのか?」のタイトルで、電通総研・森下真理子さん、博報堂DYMP・加藤薫さん、ビデオリサーチSynapse編集・青山隆一さん、インテージ研究員・田中宏昌さんをお迎えして、テレビ視聴の最前線を探る催し。
詳しくはこちらから→SSKセミナー概要ページ

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『シドニアの騎士』はNetflixを武器に世界と戦う!〜ポリゴン・ピクチュアズCEO・塩田周三氏インタビュー〜

このブログでは、Netflixについて取材を重ね、何度も記事にしてきた。これまでにこんな記事を配信している。

→Netflixとフジテレビの共同制作の先には、テレビの”もうひとつのベクトル”が見えてくる

→Netflixについてわかってきたのは、まだ何もわからないということだ。

→動画配信には世界をひとつにする可能性がある〜Netflix CEOリード・ヘイスティングス氏にインタビューして思ったこと〜

→Netflixでドラマを作ってみたら、地上波にはない自由を感じた〜プロデューサー関口大輔氏インタビュー〜

Netflixを取材していると必ず出てくるキーワードがある。『シドニアの騎士』という、日本のアニメーション作品だ。Netflixの日本でのサービス開始のずっと前から、配信されていた唯一の日本のコンテンツだ。

20160205_sakaiosamu_01(c)弐瓶勉・講談社/東亜重工動画制作局

制作はポリゴン・ピクチュアズ。映像業界にいた人ならその名を聞いたことがあるだろう。80年代にいちはやくCGによる映像制作をはじめて、独自の存在となった。90年代には資生堂のテレビCM用に開発したイワトビペンギンのキャラクターが大人気となったことでいわゆる”ブレイク”した。創業者・河原敏文氏は時の人となったが、ポリゴンはその後事業を広げすぎて一気に凋落してしまう。その言わば敗戦処理を引き受け、焼け跡から会社を建て直してまったく新しい路線を開拓したのが現CEOの塩田周三氏だ。

Netflixと初めて仕事をした日本企業として、塩田氏のお話をうかがってみた。さぞかし戦略的に動いた結果だろうと想像していたのだが、実際にはCG制作会社として七転八倒した末にたどり着いた新たな出発点だったことがわかる。だがその先には、日本の映像制作業界全体のモデルとなる道筋が見えてきそうだ。誰にも見えなかった未来の入口はどう切り開かれたのか、じっくり読んでほしい。

20160205_sakaiosamu_02
まず聞いてみたのは、「ポリゴン・ピクチュアズがめざすものは何か」という質問だ。何か確固たる理念がないと、世界市場を相手にするようなことはできないのではと感じていたからだ。

「ポリゴン・ピクチュアズが32年間存在してきた中で、河原敏文という男が言っていた”誰もやっていないことを圧倒的なクオリティで世界に向けて発信していく”という言葉を、ぼくが社長になってステートメントとして決めました。何をめざすかと聞かれれば、それなのだと思います。誰もやっていないこととは何か。圧倒的なクオリティとは何か。それらは時代によって変わってくるので、その時々でポリゴンはどういう立ち位置であるべきかを検証しながらやってきて、その結果いまがあるということでしょうね」

ポリゴン・ピクチュアズは、2000年代にはアメリカからCGアニメーションの制作案件を受注してきた。

「確かにアメリカの案件をやってきましたが、そこも”流れ”なんです。ポリゴンは90年代半ばにイワトビペンギンで当たってイケイケになって、ソニー、ナムコとの合弁でDPS(ドリーム・ピクチュアズ・スタジオ)を作りました。ところがCG業界でさーっと潮が引いてしまい”CGなんて見たくもない”なんて言う人もいた。でも制作ラインはつくってしまったのでなんとかしなくてはいけない。2000年代になると今度はアメリカでCGの需要が出てきて、テレビでもCG作品を作るようになった。そこで向こうに営業に行って”生き残るために”制作案件をとってきたらうまくいきはじめたということなんです。」

当時の業界では、ポリゴンは次々に海外の案件が来てすごいと噂されていたのだが、”あくまで成り行きだった”という話は、面白い。

「大型のテレビシリーズ案件も取れて評判が評判を呼び、2009年以降は一気に仕事が増えました。『スター・ウォーズ:クローン・ウォーズ』『トランスフォーマー プライム』『トロン:ライジング』と、ボーイズアクションが盛り上がりを見せた時期で高額予算がつきました。ところが、アメリカのアニメはあくまで子ども向けで、『トロン:ライジング』なんかは小さい子にはお話が難しすぎたんですね。視聴数もさほど伸びず、おもちゃも思ったほど売れない。そのうち、コメディにアメリカのテレビが振れていってCGでわざわざつくる必要ないよねとなって、ぼくらの仕事がなくなってきました。ただぼくらは『トロン:ライジング』でCGだけどアニメ調で作る手法を開発し、その斬新さが評判を呼びました。」

「その頃ちょうどGONZOから守屋秀樹という男がうちに来て、彼は日本のアニメ制作の仕組みや人脈をよくわかっている。アニメ調のCGなら日本のアニメの表現もできるんじゃないかという彼の発案ですね。動いてみたところ講談社が検討してくれ、いくつか出てきた題材のひとつが『シドニアの騎士』でした。アメリカでの依頼がしぼみつつあったタイミングで守屋が来てくれて新しい流れができたので、ちょうどよかったわけです。」

『シドニアの騎士』は見てもらうとわかるが、一見日本のセルアニメの画風なのだが、動きは明らかに3Dで新鮮な印象を受ける。アメリカ向けに開発した手法があったからこそ、日本に新たな活路が見いだせたのだ。ではその『シドニアの騎士』がNetflixで配信されることになったのはどういう経緯だろう。

20160205_sakaiosamu_03
「『トロン:ライジング』はさっきも言った通り業界内では評判を得たのですが、Netflixでも配信されたんです。この時に初めて出会って縁ができました。そこから、『シドニアの騎士』の配信につながったわけです。『シドニアの騎士』のクレジットに出てくる”東亜重工動画制作局”は架空の企業名で、ポリゴン・ピクチュアズ、講談社、キングレコードなどによる製作委員会のことです。ポリゴンとしては出資によって北米のライツを確保しました。これまで歩いて北米のマーケットは知っていましたから。で、向こうの放送局はアニメーションを子どもが見るものだ考えているので、テレビには枠がなさそう。可能性は配信ではないかと考え、hulu、Amazon、Netflixにあたりはじめたんです。そしたらNetflixの調達担当がすでに配信している『トロン:ライジング』について、あれはよかったと言ってくれた。意気投合して、『シドニアの騎士』をプレゼンしたらちょうどいいと言ってくれました。その頃は日本進出も視野にあったでしょうから、アニメに対してリーチを広げたいと考えたのかもしれませんね。2014年7月から、50カ国で配信がはじまりました。」

Netflixで配信をやってみて、どうだったのだろう。

「配信権を買って対価をくれるやり方なので、レベニューシェアはありません。でも『シドニアの騎士』のリクープにおいてNetflixからの金額は大きな要素になっています。ぼくらの投資分は配信でリクープできてますし。制作会社としてNetflixとつきあうメリットは、大きかったと言えます。あくまで配信権で、著作権を渡すのではないのでビデオとかマーチャンダイズとかはこちらにあり、活動の幅は保てますね。」

Netflixにとってもよい結果が出ているのだろうか。

「彼らはデータを我々には開示してくれないので視聴数などはわかりませんが、非常に満足していると言ってくれています。だから次の『亜人』にもつながっているのでしょう。」

20160205_sakaiosamu_04(c)桜井画門・講談社/亜人管理委員会

『亜人』は『シドニアの騎士』に続き、Netflixでの配信が決まった作品だ。2016年1月から、テレビで放送され、そのすぐあとにNetflixで配信されている。

Netflixとつきあうことは、これまでのテレビ局などのパートナーと何が違うのだろうか。

「あれだけの組織なのにフラットなんですよね。執行役員クラスの人たちも含めて直接話ができて、権限委譲もかなりされているので、話がめちゃくちゃ早い。顔が見えているので誰とどんな話をすればいいかわかるんです。アメリカのテレビ局はかなりの大企業なので、ヒエラルキーがきっちりしていてひとりひとりの裁量が実はそんなにない。完全にマーケティングオリエンテッドで、この枠に必要なものはどういう年齢層向けの、どんなテーマのどういうジャンルのものなのか、毎年取り決めがあってそれに応じたものを探すのです。」

「Netflixは無限に枠があり、当然彼らは分析をベースに判断するんでしょうけど、いままでつきあってたテレビ局ほどわかりやすいジャンル分けはされていなくて、どっちかというと個人の裁量で決まります。この会社はおもろいと思われたら継続的に案件が続くわけです。アメリカのほうがテレビ局はガチガチです。『シドニアの騎士』のようなものは既存のメディアでは流れなかったでしょうし、流れたとしても放送基準が非常に厳しいので編集しまくらないと電波に乗らない 。配信メディアの場合、視聴者が選択して自ら見に行くし、見る人が何才かなどもわかって制御できるので、見せるものの選択肢がすごく広がった。日本のアニメを生の形で流しやすい場が初めて配信によってできたのかもしれません。」

塩田社長の話からは、Netflixとは互いにとっていいパートナーシップが築けていることがわかる。言ってみればいま、ポリゴンは日本と世界を繋いでいるのだ。

「まあ、Netflixはぼくらが扱いやすいんだと思いますよ。それに海外から見ると、日本のアニメ業界は”けったい”ですから。製作委員会方式だって独特で、海外から見るとよくわからないようです。アメリカで仕事してきたぼくたちはわかりやすいのだと思います。反対に言うとぼくらはどっぷり日本のやり方もできない。我々にとって都合のいいふるまいでやれてます。納期を意識する、過重労働にならないことを大事にしているのもその一環です。アニメ制作は趣味ではなく、予算がありスケジュールがあるわけですから。 常に効率化改善をやって、納期も守れる体制を組んでいます。」

20160205_sakaiosamu_05ポリゴン・ピクチュアズのオフィスはワンフロアに業務ごとにきれいに分かれてデスクが機能的に配置されている。夜10時には強制消灯されるという。

ポリゴン・ピクチュアズは3K職場が当たり前の映像業界の中で、時間効率を高めて働きすぎにならない体制が整っていると聞く。そこからして世界を相手にする姿勢ができているのかもしれない。塩田氏はNetflixとつきあった中で、日本のコンテンツが世界に出られそうな感触をつかめているのだろうか。

「日本のコンテンツは世界に行けると思ってますよ。日本は独特のモノづくりの土壌が確実にあると思う。歴史や文化の裏付けもあるし、幸いにして支配的な宗教も、抑圧的な政治もない。四季もあって自然も豊かで、自由なモノづくりの風土がある。いままで海賊版が見られてきたので、日本のコンテンツの受容性が高まったんじゃないかと思います。これまでは引っ込み思案だったから外へ出ていかなかったのでしょう。いま起こっている変革とは、流通面で国境がなくなったことです。国際下手な日本人が無理しなくてもNetflixが来てくれて、すぐに海外で配信できるようになりました。その代わり、いままでの振る舞いではダメで、海外相手に仕事するならばそれに見合った振る舞いを身につけねばならない。でも海外に合わせるのは不自由でもなく、日本のやり方のほうがよほど不自由じゃないかと思いますよ。」

この取材でいちばん聞きたかったのは、こういう話だ。Netflixとつきあってみた実感として、”世界へ行ける”と感じた、ということ。でももちろん、変わらねばならない部分もある。そういう、勇気と希望を塩田氏から日本の業界に届けてほしかったのだ。期待以上の力強い言葉がもらえたと思う。

映像業界はいま、大きなターニングポイントを迎えている。テレビが放送を開始した時以来の変わり目だ。その時にどちら側に視点を置くかで、個々人や企業の10年後が大きく分かれるのではないか。「誰もやっていないことを 圧倒的なクオリティで 世界に向けて発信していく」この精神に共感する人なら、どっち側に歩んでいくのかわかっているはずだ。ポリゴン・ピクチュアズが切り開いた扉の向こうに、何があるかはそれぞれが探しに行けばいいのだと思う。

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赤ちゃんはみんなで育てるもの。わかってないのは、日本人だけかもしれない。〜NHKスペシャル「ママたちが非常事態!?」を見た

1月31日の夜9時から、NHKスペシャル「ママたちが非常事態!?〜最新科学で迫るニッポンの子育て〜」を見た。10日ほど前に放送を知って、期待していた番組だ。子育てで悩むママたちの状況を科学的に分析し解明する企画。その意図は、あなたが悩むのは、あなたのせいじゃないのだからひとりで抱え込まないで、というママたちへの励ましだったにちがいない。

ぼくもリアルタイムでじっくり見て、いろいろ学びもあったし面白かった。なるほどなーと、うちの子どもたちが赤ん坊だった十数年前を思い出して納得したりした。

3部構成になっていて、「ママたちはなぜ孤独で不安になるのか」「赤ちゃんはなぜ夜泣きするのか」「ママたちはどうして夫にイライラするのか」をそれぞれ解明する内容だった。

ぼくにとってとくに印象的だったのは、ママたちの孤独と不安についてのパートだった。これはこのブログで長らく書いてきたことと大いに関係がある。

そもそも、ちょうど二年ほど前になるが、乗り物に赤ちゃんを連れて乗る母親を責める議論があったことについて、それはちょっとおかしいんじゃないかと、何の気なしに書いた記事が発端だった。

→「赤ちゃんにきびしい国で、赤ちゃんが増えるはずがない」

哺乳瓶にマチ針が刺さったビジュアルも刺激的だったのだろう。
akachan

これがハフィントンポストに転載されたらものすごくバズって17万いいね!になってしまった。→ハフィントンポスト上の記事

いろんな方から連絡をもらって、あちこちに取材にも行った。自分が書いた記事の反響に、自分が巻き込まれたようなものだ。

→「みんな自分の子供みたいに思える場所〜自主保育・野毛風の子〜」

→「保育の理想は”サービス”とは離れたところにあるはずだ〜たつのこ共同保育所〜」

→「保育士さんたちがきっと世界を変えていく〜イベント型保育活動・asobi基地〜」

→「子供たちがのびのび過ごす時間が、ユートピアなのかもしれない〜ごたごた荘とまごめ共同保育所(映像付き)」

→「クレイジーなひとりの女性が、日本の育児を変えていく。〜子育てシェア・アズママ取材〜」

→「そこでは私たちの未来が作られていた〜赤ちゃん先生プロジェクト見学記〜」

さて番組では、ママたちがなぜ孤独と不安を抱えてしまうかを、こう説明していた。

カメルーン奥地のバカ族(この名前にツッコミ入れたくなるがスルーしてほしい)はかなり人類の原初的な生活をしている。ものすごく子だくさんで生涯に11人子どもを産んだ女性もいる。人類にもっとも近いチンパンジーの母親は5年に一人しか産んで育てられないが、バカ族は毎年くらいの勢いで出産する。人類はこれを可能にしたので類人猿より繁栄したという。

チンパンジーの母親は、自分が産んだ子どもを単独で育てる。だからたくさん産めない。一方バカ族では、たくさんの子どもたちの育児を母親がひとりで抱え込んだりしない。気軽に部族の他の女性に託す。人の子どもも自分の子どものように育てるのが当たり前な状況だ。「共同養育」と番組では呼んでいた。みんなで面倒を見るから、たくさん産んでも育てられるのだ。

さて女性は妊娠するとエストロゲンというホルモンを分泌して安らかな気持ちになれるが、出産するとこれが急減する。だから不安になりがちになるのだが、共同養育をしていれば不安はなくなる。エストロゲンの減少は、共同養育に母親をうながす仕組みではないか、と番組では推測していた。

一方ニッポンの子育ては核家族で、夫も働きづめで共同養育どころではない。母親一人で子育てを背負い込むので孤独になってしまう。人類はそもそも、共同養育で子育てをするように進化論上できているのに、核家族はその摂理に合っていない。そんな内容だった。

番組のこのメッセージを、ぼくが取材してきた上記のママさんたちの活動と照らし合わせると、なるほどなるほど!と何度もうなずいて納得してしまった。

ぼくが取材した自主保育も、共同保育も、asobi基地も、赤ちゃんプロジェクトも、アズママも、どれもが言わばそれぞれなりの「共同養育」だったのだ。ひとりで抱え込むと大変だし精神衛生もよくないから、みんなで一緒にやりましょうよ。ひとつひとつ形は違うが、要するにそういう活動だった。

それぞれの参加者のママさんたちの顔を思い浮かべると、みんなみんな、輝いて楽しそうな表情をしていた。エストロゲンの減少なんのその。みんなで一緒に子どもたちを育てればこんなに毎日が楽しい。そんな空気に包まれていた。

そこには、育児の不安も孤独もない。悩んだら仲間に話せばいいし、行き詰まったら仲間に少しの時間でも子どもを面倒見てもらえばいい。

番組を見て、それがいかに生物たる人間として自然なことかがわかった。

いまの日本の状況は、核家族が基本になっているので、そこを見直したほうがいいのかもしれない。あるいは、そこを補う仕組みをもっと社会で用意するべきかもしれないのだ。

加えて言うなら、なぜ日本の子育てだけが孤独なのだろう。以下は番組を離れて、ぼくが考えたことだ。

まず男性が子育てに関われていない状況は大きい。これは男性も子育てすべきという社会教育がまったくないのが主因だろう。それを日本の伝統とするのは思い込みだ。江戸時代は侍も含めて男性も子育てに大いに関わったらしい。伝統のせいにするのは大きな誤解だ。

だがそれも含めて大きいのは、そもそも社会が子育てをないがしろにしているせいだと思う。子育ての価値をきちんと認識せず、それより企業社会の経済活動を優先し、それが当然という顔をして、子どもなんて女房どもにまかせておけばいいのだと、社会全体が考えているからだ。そしてどうやら、そんな国は日本だけらしいのだ。

欧米が日本同様少子化に陥りかけたあと、それを克服しつつあるのはなぜだろう。少子化が顕在化した時、これはいかんと社会の仕組みを大きく変えたからだ。これはいかんとパッと思えたのは、子どもが社会にとっていちばん大事なのだという共通認識があったからだろう。

日本では満員電車にベビーカーで乗るべきではないとかいう議論が巻き起こる。それはつまり、人類みんながわかっている「子どもはみんなで育てるもの」ということが日本だけ常識になってないからだ。人類を繁栄させてきたのは、たくさん子どもを産んでそれをみんなで育てる、というチンパンジーにはない種の文化を持てたからなのに、日本人だけその文化を無くしてしまったのだ。公共の場に赤ちゃんを連れてくるのはいかがなものか。そんなことが大まじめに議論されるのは、日本人が人類としての長所を失ったからなのだ。人口が減るのも当然かもしれない。

子育てを社会の真ん中にすえなければならない。古今東西人類のあらゆる社会は、子育てを中心にすえて物事を考えていたのに日本人だけそうじゃない。そのことをぼくたちは、自覚する時だと思う。

※このブログを書籍にまとめた『赤ちゃんにきびしい国で、赤ちゃんが増えるはずがない』(三輪舎・刊)発売中です。

→取り扱い書店はこちら <三輪舎・扱い書店リスト>
→Amazonでの購入はこちら(Kindle版もあります)

→三輪舎のWEB SHOP(出版社的にはこちらのほうがありがたいそうです

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コピーライター/メディアコンサルタント
境 治
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邦画バブルの終了と、コンテンツ産業海外戦略の彷徨(クールジャパンの次に進んだほうがよくね?)

このブログはもともと、映像制作会社で経営企画をしていた時に、業界が激変するからいろいろ考えようぜ、という社内向けのメッセージのつもりではじまった。その頃いちばん重要視していたのが映画興行収入の統計値だった。毎年1月下旬に、日本映画製作者連盟という団体が発表する、業界の公式データだ。

発表されるとこのブログに記事を書いてきた。最近はメディアコンサルタントと自称して、興味が拡散してきていたので、去年は発表を忘れていた。今年はちゃんと書こうと思う。

ちなみに日本映画製作者連盟の発表データはここで公表されている。

→日本映画製作者連盟「日本映画産業統計」のページ

2015年のデータを含めて、2001年以来の15年間の数値をグラフにしたのがこれだ。
eiga2015※日本映画製作者連盟・日本映画産業統計の過去データからグラフ化

緑の線が、興行収入合計値の推移。これは日本映画興行の不思議なところで、2000億円規模が多少デコボコありつつ大きくは変わらない。2010年に『アバター』はじめ3D映画でメガヒットが出てきて2200億円にふくらみ、ついに2000億円から成長していくのか?と期待したら結局2000億円にまた均されていった。2015年は再び2100円規模にふくらんでいるが、関係者としては「もうだまされないぞ」という気分だろう。

このグラフではそれより、青の邦画と赤の洋画の追いつ追われつの攻防に注目してほしい。

そもそも90年代までは、邦画なんか普通の人は見なかった。映画といえばハリウッド映画で、邦画は地味で暗くてテーマを押し付けてくるださーい存在だったのだ。デートにはメグ・ライアン主演のラブコメが選ばれ、どんくさい邦画は『キネマ旬報』とか好き好んで読むインテリぶった人しか見なかったのだ。

99年の『躍る大捜査線』の、誰も予想しなかったメガヒットで状況が変わった。少しずつ”テレビ局映画”がボックスオフィスの上位を賑わせ、フジテレビを筆頭に各局が映画製作に乗り出した。2000年代半ばについに洋邦が逆転してしまう。2010年頃まではそんな傾向だった。

それがここ数年、また違う局面になってきている。邦画は伸び悩み、また洋画が浮上しはじめているのだ。

もっとも、洋画が浮上しているのはあくまで大作の話で、2015年は『ジュラシックワールド』『ミッションインポシブル』などのシリーズものや『ベイマックス』『シンデレラ』などディズニー作品が主だった。それ以外のちょっとした大作ぐらいだと当たらない。もっと下の”佳作”レベルはとんとヒットしない。

邦画も下がってはいないものの、上位作品は『妖怪ウォッチ』『バケモノの子』などアニメ作品がメインだ。『HERO』がその次に来ているが、実写のボリュームは後退している。

映画全体が難しくなっているのだ。そして、実写の邦画はもうメガヒットを生み出せない空気。

考えてみたらメガヒットはフジテレビ映画だった。しかもドラマの映画化作品だ。フジテレビがテレビのほうで元気をなくしている状態で、映画でヒットを出せるはずがないだろう。

いやしかし、ひところはフジテレビだけでなく、それに続くメガヒットはあちこちから次々に登場していた。フジテレビ作品に引っ張られて、他の実写映画も好まれる土壌ができそうに見えていたが、その土はあっさり地滑りを起こすように流れ去ってしまったようだ。

邦画が勢いを持った2000年代後半は、この勢いがあれば日本の映画産業が海外で市場をつくれるのではないかと期待した。そうなる前にこっちが失速してしまった感がある。

いま、仕事として日本のコンテンツ産業の海外進出の可能性を調べている。調べれば調べるほど、無理じゃないかと思ってしまう。

中国がすごいのだ。もはや映画興行で世界第二の市場になったのだが、アメリカを抜いて一位の市場に向かってものすごい勢いで伸びている。

→「世界第1位」達成予想は3年後、中国映画市場の2015年度興行収入は8160億円―中国

2015年の映画興行市場は8160億円になり、前年の5480億円の1.5倍だ。なんというか、そんな馬鹿みたいに伸びる成長がありえるのかという規模だ。ちなみにアメリカは1兆3300億円だったそうで、中国にはまだ映画館がない都市が何百もあるので、3年後には抜く予想だという。

日本の映画産業は、ほとんど入り込めていない。政策的な制限があり、海外で作った映画をそのまま公開するのは難しい。ただ、人的交流により、うまく合作して役者は中国人、スタッフは海外、というやり方なら行けるそうだが、そのためにはそういう枠に日本も入っていないといけない。だがいま、そういう外交関係にないので無理なのだという。韓国はちゃっかり入り込んでいる。

そうじゃなくても、日本は海外に対して引っ込み思案で、これまでもアプローチをしてなさすぎた。つい最近まで、売ってみてもあほらしいような値段でしか売れないのでやる気になれなかったのだ。でもいま、状況はまったく変化し、高い値段でコンテンツを買うようになった。向こうのエンタメ業界がすっかり経済的に豊かになったのだ。

それから、中国に限らずアジアでは自国のコンテンツを愛する傾向が強いようだ。少なくとも、実写の場合は自国の俳優が出ていないと見ない。アジアでは日本のタレントが人気だ、と言われるがそれはごく一部、台湾でとくに起こっている現象に過ぎない。今後は、ハリウッドの超弩級の大作と、国内コンテンツになっていくだろう。中国がすでにそうだし、他の国々も経済成長とともにコンテンツ産業が発達し、同様の傾向になるのだと思う。

だが日本にやりようはあると思う。それは、アジア各国の人びとと融合しながらコンテンツ製作をすることだ。日本はまだ、レベルが高い。撮影や制作の手法や、物語づくり、演技やアクションなど、学んでもらえる要素はたくさん持っている。それを活かして、アジアに溶けこんでいく。そこにしか日本のコンテンツ産業の海外の可能性はないと思う。

もちろん、アニメは例外で、可能性がある。声さえ吹替えれば、各国で自国文化同様愛着を持ってくれるだろう。

ただ、「だからほら、クールジャパンでしょ!」ということかというと、ちょっと違う気がする。

というのは、”クールジャパン”には問題点がいま出てきていると思うのだ。

ひとつには「言葉としてどうよ」というのがある。これはこの記事が的確な指摘をしている。自分で自分のことクール=カッコいい、ってカッコ悪いじゃん、ということ。

→「ここがダサいよ、クールジャパン」渡辺由佳里氏”アメリカはいつも夢見ている”より

この記事の続き的に言うと、”クールジャパン”にはイメージがつきすぎていて、そのイメージがこれから日本のコンテンツ産業がめざすべきこととズレが生じている点もある。

クールジャパンとは、アニメでしょ、マンガでしょ、ゆるキャラでAKBできゃりーぱみゅぱみゅでしょ、そんなひとつの”世界観”ができてしまっている。オタクっぽくて、かわいくって、アキバっぽい。渡辺由佳里氏も先の記事で指摘する通り、だからって空港がゆるキャラで埋め尽くされてどうするというのだ。

いろいろ見ていくと、実は海外が日本に求めるのはもっと多様で、もっとノーマルだ。キッチュでキテレツなものばかり求めるのではない。そういう層が先行したり目立っていたが、これからは違うのだ。例えば日本のテレビ番組の”よくできた仕組み”なんかにニーズがある。番組名を聞くと「え?それ?」みたいなものを買いたいと言ってきたりしている。というのは、日本のコンテンツは歴史と厚みと技があり、カンタンに真似できないのだ。

『SASUKE』がフォーマット販売されている。よくできているからだ。『シドニアの騎士』がNetflixで世界配信されている。かわいい系でもオタク系でもない、大人にも面白いハイクオリティのアニメだ。『新婚さんいらっしゃい』がベトナムでフォーマット販売されている。司会者が椅子から転げ落ちるところまで真似してくれているのだ。

これらを”クールジャパン”ではくくれない。大人の、普通の、スタンダードの、コンテンツが、日本文化が、お金になる可能性を持ちはじめている。それは、アジアが豊かになってきたからだ。

別にクールジャパン批判がこの稿の目的ではない。新しい局面をめざす時だ、と言っている。そしていまこそ、本腰入れてやらないと、日本のコンテンツ産業は世界との接点を失いかねないと思う。あっという間に、中国文化がアジアを呑み込むかもしれない。そうなってしまうと、ぼくたちにはもう、何もできないだろう。下手をすると30年後、日本のテレビ放送は中国製のドラマだらけになる。そんな悲しい可能性だってあるのだ。動くなら、いましかないと思う。

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メディアの僧はデジタルの虚空を見通す〜朝日新聞・デジタルウォッチャー平和博氏に聞いてみた〜

みなさんは「新聞紙学的」というブログをご存知だろうか。ハフィントンポストに転載されているので、そっちで読んだ方も多いと思う。

ブログの著者は、平和博氏。朝日新聞の記者で、名刺には”デジタルウォッチャー”という肩書が刷られている。記事審査室という、朝日と他紙の記事を読んで社内向けのレポートを書く仕事をしていて、各社と海外のデジタル関係の取組みも社内に紹介していたのでつけた肩書だそうだ。

筆者も、テレビを軸にメディアの行く末をブログ「クリエイティブビジネス論」で書いており、ハフィントンポストに転載されている。新聞メディアの立場から似たようなことをやっているなと、同世代らしいことも含めて気になっていた。

ある催しでお会いして、名刺交換したのが約一年前。またお会いする機会があったらと思っていたら年賀の挨拶をやり取りできたので、この機にお話を聞いてみようと考えた。アポをもらったらタイムリーに「新聞紙学的」にこんな記事が出た。

→新聞紙学的「動画にも”分散型メディア”の波、米ハフィントン・ポストが「ライブ」終了」

これは”分散型メディア”をキーワードに、テレビにとっても参考になる話が聞けそうだ。期待しながらお会いしたら、期待以上のインタビューになった。

平氏は、言葉をきちんと選びながら喋る。ひとつひとつの言葉を、考えて、噛みしめて、確かめるように口にしていくのだ。短髪で落ち着いた風貌のせいもあり、悟りに近づいた僧と向き合っているような気持ちにさせられる。だが話の中身はむしろ、メディアの最先端であるところが面白い。デジタルの虚空から見えてきた、メディアの未来を教えてもらっているような感覚で受けとめた。俗人に知れぬ異界が、この僧には見えているのだ。
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平さんは朝日新聞で”デジタルウォッチャー”をやってらして、ブログ「新聞紙学的」もその一貫なのでしょうか?

平:いえ、あれはまったくの趣味でして。ブログはもう5年前からやってるんですが、新聞紙学的としたのは2012年頃だったと思います。 最初は会社としてのブログを持ち回りで書いてたんです。それが終了した時、せっかくだから自分でやってみようかなと始めたのが「新聞紙学的」の原形ですね。

2003〜05年春までシリコンバレーに駐在していまして、その頃にソーシャルメディアの第一次ブームがアメリカで始まった。その少し前からブログもはじまっていて、それがどうやらジャーナリズムを大きく変えるぞという”うねり”が出てきたんですね。シリコンバレーのジャーナリストが書いた、ブログが起こした変化を描いた本を、翻訳して出版したんですよ。

それがまさにいまブログの原点みたいな感じで。ネットがメディアやジャーナリズムをどう変えてしまったのかをその時から問題意識として持っていて、その関心の中で勉強は続けていこうというのが「新聞紙学的」の最大の目的ですね。

新聞はこれからどうなるのでしょうか?デジタル化するのだという答えがありつつ、日本の中で言うとどれくらいのペースで進んでいくと思われますか?

平:これはなんとも難しいですねえ。まだやっぱり収入の大半が紙からのものなので、もう紙の時代じゃないとは言いづらい。もろとも落ち込むわけには行かないので、紙は紙でしっかりつくろう、と。アメリカと比べると加速度的には行かないと思うし。そして社員の意識改革が絡んでくると・・・これがいちばん時間がかかるんじゃないかと思います。

アメリカの新聞社はすでにデジタルベースの意識になってるんでしょうか?

平:ニューヨーク・タイムズ(以下NYT)が、去年の春ごろだと思いますが一面会議をやめて、まずデジタルのことを決めてからそのあとで紙のことを議論する大転換をしました。これはインパクト大きかったですね。NYTはいよいよ動きはじめたなと。

私なんかでも記事をイメージすると紙の方が浮かぶんですよね。このニュースはどの面のどれくらいの扱いになるかなあ、とイメージすることから抜け出せてないです。

なるほど、デジタルシフトとは、紙より先にデジタルの構成をイメージすることなんですね。

平:そうですね、紙の紙面の記事を考える場合はそうですけど、ブログのテーマを考える時はまた別の脳で、これはどういう見出しにするとリーチするかとか、ワーディングから入ったりとか、どういうアイキャッチにするとこんな難しい話でも読んでもらえるかとか、使う脳みそが違う感じがしますね。ブログの見出しと、twitterで告知する時の見出しは変えてみたりとか、そういう”デジタル脳”を使うわけです。

「新聞紙学的」が、朝日が合弁でやっているハフィントンポストの関係者の目に留まり、一昨年(2014年)の2月くらいから転載されるようになりました。そうすると見に来る人の層が広がったり数が増えたりしたんですが、見られ方とか説明のし方とかをものすごく意識するようになって、紙の新聞を作るのと別の脳みそを使うようになりましたね。twitterとかコメントで、「何書いてあるかわからない」みたいなことを言われて書き方を変えなきゃなあと思いました。変えてそれなりに読んでいただけたほうがいいし。読んでもらえないとカッコ悪いから。

デジタルのほうにそうやってシフトしていくには、それぞれがトライ&エラーをやってみる実戦の中でしかできないですよね。かっちりした教科書があるわけでもないし、教科書を読んでわかるかというと、実際にやってみての肌感覚の積み重ねでしか身に付いていかないんじゃないかと。 個人レベルでも組織でもそうなんじゃないでしょうか。

一方でジャーナリズムがどうなっていくかネットの時代になって難しくなっている気がしていて。 例えばネットの文化に合わせていくと、迎合するような、バズる書き方、バズるネタを拾おうとか、そういう風に傾きがちではないでしょうか。

平:そうですねえ、それはまたメディアの性格にもよるんじゃないかと。

朝日新聞本体であればメインストリームのジャーナリズムを求められているでしょうし。とっかかりやすいチューニングはできるんでしょうけど、ニュースの扱い方まで変えちゃうと、メインストリームのジャーナリズムのフレームが崩れちゃいますよね。

朝日新聞デジタルとは別にwithnews(ウィズニュース)というのがありますけど、あれは別ブランド、切り離したブランディングでやっていて、よりソーシャルを意識したニュース発信をしているようです。新聞社の取材力やデータの堅さはきっちりおさえたうえで、本体とは違うかまえですけど、ネットのユーザー層に合うんじゃないかと。

そんな風に、読んでほしいユーザー層というか、どんなメディアでどんな発信でリーチできるのか、個別にちがうところをきちんと見ていくということじゃないでしょうか。ウィズニュースとハフィントンポストでも違うんでしょうし、(朝日新聞)グループで言うと、CNETはまた違うでしょうし、それぞれ使い分けるんでしょう。

ブランディングという言葉が出てきたのが面白いですね。ジャーナリズムは、あるいはジャーナリストは、自分がどんなメディアで書いているのかを自覚してそのメディアにふさわしいコンテキストで書いていくことがこれからもっと大事になっていくのですね。

平:そうだと思うし、ビジネス的に言うとコアの周りにブランドのバリエーションを持たせてより多くの読者に届けるやり方がありつつ、コアのブランドをしっかり通しておくことも大事だと思います。分散型のメディアの考え方とか”ネイティブ”という考え方もそういうところにあるんじゃないかと思っていて、届けたいユーザーあるいは読者がどこにたくさんいて、そこにいちばん届く出しかた、プラットフォームであればそのプラットフォームに親和性のある出し方、Facebook、YouTubeそれぞれにいちばんリーチしやすい表現方法で出していくことがいちばん大事になるのでしょう。

広告の世界で使われていたコミュニケーションデザインとか、少し前の言い方だとメディアニュートラルとか、そういう考え方をジャーナリズムも意識的にやっていくべき必要がある。だからいまの分散型メディアをメインストリームのジャーナリズム、新聞社なんかも考えはじめているんじゃないかと思うんです。

そうかあ、分散型メディアという概念はともすると分散させればいいから置けるところにどんどん置いていこうとなりかねないですけど、そこをこういう読者に対してこういうコミュニケーションしたいから、こっちに置かない、あっちに置こうとか、そういう考え方が非常に重要になってくるわけですかね?

平:重要でしょうね!NYTはNYTのファンがいて、直接見に来る読者もたくさんいるらしく、そうすると全部が全部よそのプラットフォームに置いとけばいいやっていうんじゃなくて、本体のサイトで読みたいんだっていう極めてロイヤリティの高い読者に対しては、きちっとそこで十分な体験をしていただく戦略をとっているようです。読者がどう読んでくれているのか、どこにいるのか、両方の対応が必要だと思います。データをもとにそういったことをきちんとデザインしていく。アメリカの新聞はそれをやっているようです。

なるほどー、メディアもコミュニケーションデザインを戦略的にやらないといけないんですね。

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ネットメディアで気になるのは、やり玉に挙げるようで申し訳ないのですがハフィントンポストにしても、芸能の話題をけっこう載せていて、そういうメディアだったかなあと。もう少しジャーナリズムっぽかった気がしてるんですけど。

平:いわゆるバイラル系のニュースメディアって難しいというか、複雑というんですかね。ハフィントンポストは、当初はジャーナリズムというより、ブログをいっぱい集めてきてそれがネット上で拡散することでスケールしてきています。BuzzFeedなんかもそうですけど、いわゆるネタ系で規模をとってジャーナリズムにも踏み出すみたいな流れがあったと思うんですよ。なので、ジャーナリズムもやるけれども、ネタもやる、猫もやる、みたいな(笑

それをどうとらえるか、ポータルと考えると方向性としてはあるんだと思います。調査報道から猫までここに来れば全部ありますという。アメリカのバイラル系をみるとそんな感じがありますね。ハードニュースはかなりしっかりしてるけれども、ネタ系はほんとに”しょうもねえな”というのもあります。

BuzzFeedも柔らかいのが大半でちゃんとしたニュースがその中に乗っかってる感じなんですか?

平:そうですね、割合はいまどうなのかわかりませんけど、ハードニュースはかなりしっかりしてますよ。ちゃんとした調査報道のジャーナリストとかどんどん雇ってますからね。それはさっきも出たブランディングを考えてなんだと思います。

あと、イコール広告単価みたいなことも含めて、ハードニュースで信頼度を高めていくと。猫ばっかりのページだったのが、調査報道で政府系もビビるようなスクープ記事も出てくると、信頼度も変わってくるでしょうから、それはビジネスにも直結しますよね。

広告単価を上げるためにはちゃんとした記事が必要だったんですかね。

平:必要だったんだと思います。二、三年前の、ある程度のユーザー数を確保した時点で、その先のビジネスを考えた時、一斉に調査報道とかハードニュースみたいなことに動きました。ハフィントンポストも調査報道記者を入れてピューリッツァー賞をとったりとか、BuzzFeedも海外展開する中でジャーナリストをメインストリームから入れたりしてますから、そこはひとつ局面が数年前に変わっていると思いますね。

デジタルメディアの最新動向の中で、注目ポイントをお聞きしたいのですが、やはり”分散型メディア”は大きなキーワードでしょうか。

平:そうですね。各社がそっちに動いているし、数字的にもそこにユーザーがきちんといるデータがあがってきてるんでしょうね。

日本にBuzzFeedも来ましたし、分散型メディア、そこにネイティブ広告を掲載していくのがこれからのメディアのポイントになるんでしょうか。

平:ネイティブ広告もそうですし、できることはなんでもやりたいというか、今後伸びそうだということであれば、そっちに行くということだと思います。ハフィントンポストがライブストリーミングをやめるのも・・・

ハフポがライブをやめちゃうのは衝撃です。スタジオまでつくって頑張ってたのに・・・

平:中の事情がわからないので言いようがないんですけど、ハフポストライブを引っ張ってきたロイ・シーコフが辞めてしまうようだし。彼が辞めるのと前後して、リズ・ヘロンという、NYTとワシントンポストでまさにソーシャルメディアエディターをやってて、そのあと分散型の震源地であるFacebookでメディアとコンタクトとってた人物を引っぱってきています。

これからはそっちだと腹を決めてるんじゃないかなと。勝手な想像ですが、そういう形で人材を入れ替えて体制をつくっているように見えるので。

シーコフさんがやめるのはライブが成果を上げられなかったからでしょうか。ライブがネットに向かなかったとか?

平:そこはわからないですねえ。放送がネットと親和性があるかは別の議論で、優先順位としてライブよりは分散型が喫緊の課題でかなり速い動きをしはじめているということでしょう。

これはBuzzFeedのほうですがトラフィックの内訳をCEOが話していて、動画のトラフィックが圧倒的にでかいのがFB上で、27%でいちばんだと。それ以外もYouTubeなども含めた外部でのコンテンツ消費が6割くらいだそうです。実態として外部のプラットフォームでのアクセスのほうが本体を上回っているというのですね。

となると、映像メディアも分散型を意識したほうがいいでしょうか。

平:さっきのBuzzFeedのデータを見る限りでは、トラフィックを引っぱっているのは動画ですから、新聞社もそこをめざしていくことになるでしょうし、テレビもでしょうね。分散型が強くなり動画の比重も高まるなら。

あとはスピード感ですね。アメリカと日本では危機感の次元が違うので、日本でも今日明日でやらなきゃいけないかはわからない。アメリカの状況を見極めてからでもいいのかもしれませんね。ただトライアルのようなことはテレビ局も新聞社もやっていって、事例を作っていくのはすごく大事だと思います。

日本のテレビ局も遅まきながら配信をはじめていて、TVerも好調みたいです。

平:そっからどういうデータをとって次に何をするかでしょうね。

そこでいうデータというのはどういうものでしょうか。

平:どういうコンテンツにどういう層がどこのプラットフォームで反応するか。テキストベースでも一緒ですけど、どこでどれだけのエンゲージメントをしてくれてという。単に見られるだけじゃなくて、それがソーシャルにどう広がるかも含めてのデータということでしょうね。

分散型になればなるほど、そこがキモになってきますから。ここにこういうユーザーがこの塊でいるからそこに出す、となるので。ここはこれだけのボリュームだけどここはこんなもん。そういうのが見えてないとリソースの配分もできないですからね。

テレビ局が各局で番組配信をしていますけど、プロフィール登録させないのが普通になってるんですよ。フジテレビはそこにこだわって生年月と都道府県を入れると視聴できる。一方で、TVerは登録させないからこそ大きくユーザーを獲得しています。

平:考え方ですね、ある程度の規模のお客さんをとってからデータを取るのか、最初からデータを取るところからはじめるか。最初はとにかくユーザー数を稼いで、ある時からデータをとりはじめる、というのも作戦次第ですね。

アメリカのテレビ業界はCATVや衛星放送の解約件数が年率10%ぐらいで増加するという地殻変動が起こってますけど、日本はそこまでではない。そういう意味ではそろりとはじめて試してみて、というスピード感でちょうどいいかもしれないですね。ゆとり持って見られるタイミングだからこそ、いろんなことをやってみる、トライアルを重ねることが大事なのだと思います。

トライアルが必要なのは、個人のレベルでも同じじゃないでしょうか。去年NYTの社長にインタビューしたら、これからは記者もプログラミングできなきゃというんですよ。自分でもネット講座でJavaScript勉強したと。彼はBBCの会長からNYTに来た、元々はテレビの人なんですけどね。

え?JavaScriptですか?すごいですね!

平:コンテンツづくりに関しては社内で教えてもらえますけど、それをネットでどう活かすか、プログラミングを使う部分も出てくる。コンテンツとメディアとテクノロジーの3点を考えながら情報発信せざるをえないだろうと思いますね。NYTのトップはまさにそういうことをやってる。

これまでやってきたことにテクノロジーをつなげて考えられるジャーナリストが必要、というかそっちに行くんだと思うんですよ。ジャーナリストも、ネット脳・ソーシャル脳を意識的に鍛えていかないといけない。

新聞社とテレビ局が何か一緒にやるというのもありそうですね。そこにインターネットやテクノロジーも介在させて・・・

平:そうなんですよね、それが日本の場合やりやすい環境にありますよね。可能性あります。そっちに進んでいくんじゃないでしょうか。

アメリカの場合はメディアグループが不採算の新聞部門を分離する傾向があちこちで出ていて、その前は新聞社がテレビ局を買ってという傾向があったのに、逆にテレビとネットで経営的に安定させていく流れが出てきたんですよね。ワシントンポストをグラハム家がベゾスに売ったのもそういう流れですから。グラハムHDはテレビ局とネットと教育事業を残してますからね。

日本はローカルレベルでも新聞とテレビが近いですからネット起点、ユーザー起点でメディアニュートラルな方向に行けるかどうか、行ったら強くなると思います。

まあ正解はなくて、手探りでやっていくんでしょうけど、そういういろんなスタイルがどんどん出て行くといいなと思いますね。

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メディアの僧との対話は、物静かだがその核にははっきりと熱がこもっていた。悟りを開いているようだと書いたが、一方で自分の問題としてもとらえ、まだまだ奥まで見極めようとしている。こちらも修業をまた積んで、再会してみたい。次にお会いするのは、焼鳥のにおいが漂う居酒屋かもしれないが。実は、まったく同い年のおじさん同士とわかったので。

ちなみに平氏はいまはオピニオン編集部に在籍し、またフォーラム欄という、読者の意見を集めてつくるページを担当しているそうだ。

→朝日新聞フォーラム

それから、GQ Japanに今回のインタビューと近い内容の平氏の記事があるので参考に読んでもらうといいだろう。

→GQ Japan「ジャーナリズムが得た新たな表現方法 – 平和博」

※筆者が発行する「テレビとネットの横断業界誌Media Border」では、放送と通信の融合の最新の話題をお届けしています。このインタビューのフルバージョンも配信中。月額660円(税別)。最初の2カ月はお試しとして課金されないので、興味あればご登録を。同テーマの勉強会への参加もしていただけます。→「テレビとネットの横断業界誌 Media Border」はこちら。購読は「読者登録する」ボタンを押す。

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フジテレビはもう、視聴率なんか諦めればいいのに

1月2日にNHKで「新春TV放談2016」が放送された。2009年以来、この時期に毎年放送されているもので、NHKなのに主に民放の番組についてあけすけに意見を言いあい、ほんとうに”放談”なのが面白い。毎年楽しみに見ている。

そしてここ数年、毎回フジテレビが話題にのぼる。ドラマやバラエティの視聴率ランキングを紹介するのだが、いい順位に入ってこないのだ。今回は人気ドラマのトップ20に一本も入っておらず衝撃だった。フジテレビには頑張ってほしいなあ。いつもみんながそう言う。フジテレビが頑張ってくれないとテレビ全体が元気なくなっちゃうんだ。そんな話になる。確か前々回「テレビ朝日のえらい人もそう言っていた」という話も出た。

それくらいフジテレビのことをみんなが気にしているのは面白い。そう、ある年代以上にとっては、テレビとはフジテレビのことだった。80年代以降、フジテレビが先頭を走っていて、他の局がそれに追いつこうと躍起になるのがテレビ界だったのだ。そうやってフジテレビも、他の局も面白い番組を作っていった。90年代は視聴率では日本テレビのほうが上で94年から02年まで三冠王を奪われていた。にも関わらず、イメージ的にはフジテレビが先頭を行っていた。

そして2003年からはまたフジテレビが三冠王となった。2011年に日本テレビが再び三冠王を奪ったのだが、それ以降、急激にフジテレビは調子を落とした。みんなが言っているのはそのことだ。もう一度、頑張ってよ。また先頭を走ってよ。他局のお偉方までそう思ってるなんて、不思議な現象だと思う。

ところでドラマの視聴率ランキングに一本も入らなかったフジテレビだが、例えば『無痛』は個人的には昨年の連ドラの中で断然良かった。テレビドラマって、まだ新しい面白さが切り開けるんだなあ。見ながらそんなことを思った。もちろん『下町ロケット』も毎週見てほんとうに楽しかったが、どちらが新鮮かといえば間違いなく『無痛』だと私には感じられた。去年は『デート』も新しいと思った。

ここ数年、視聴率がダダ下がる中でも、フジテレビのドラマは面白いものが次々に出てきた。『最後から二番目の恋』『リーガルハイ』『間違われちゃった男』『鍵のかかった部屋』『それでも、生きてゆく』・・・それぞれ面白かったし、新鮮だった。クオリティの高さと新しさを感じた。

中でも『最高の離婚』は本当に最高だと思った。日本のドラマの一種の到達点だと評価している。シナリオも演出も演技もある高みに登り詰めていて、その力が理想的に合算されていると感じた。

80年代後半にトレンディドラマと呼ばれていた頃は正直、フジのドラマを馬鹿にしていた。若かったのでメジャーなものを斜めに見ていたせいもあるが、そんなにクオリティが高いものではなかったと思う。そこからものすごく成長したのではないか。視聴率が良かった頃よりいまのドラマのほうがずっとずーっと、質が高いと私には思える。

だがいま挙げたドラマは視聴率的にそう高かったわけではない。『無痛』に至っては初回以降10%を超えなかった。『下町ロケット』の快進撃の陰で、ひっそり放送されこっそり終わった感じだ。それでも、去年いちばん良かったドラマは私にとっては『無痛』だ。

『無痛』は、だがしかし視聴率は取れない。地味だから仕方ないのもあるがいまのテレビを取り巻く環境から言って、受け止め方が難しいこんなドラマは視聴率を取れやしないのだ。不思議なのは、視聴率的にしんどいのにどうしてこんなに数字が取れそうにないドラマをやるのかということだ。でもそこがフジテレビなのだと思う。視聴率なんかとろうとせずに、私がいいと思うドラマを制作してほしい。

ここ数年で、テレビ放送の結論が出た、と私は考えている。それは要するに、テレビ放送の到達点は、日本テレビなのだ、ということだ。これまでのフジテレビは、「テレビとは日テレなり」の結論にたどり着くための壮大な回り道だったのだ。

例えば日曜夜9時、とくに見たい番組もないなあと、久しぶりに『行列ができる法律相談所』を見てみると、超絶的な面白さだったりする。ゲラゲラ笑いながら、どこかデジャブ感に包まれて気づくのは、その面白さが十年前とほとんど変わらないことだ。これは驚愕だと思う。日テレの日曜夜はテッパン、とよく言われるのだが、ほとんどはずっと続いている番組だ。変わらないから保守的だと批判しているのではなく、十数年間同じ水準の面白さを保ち続けていることに凄みさえ感じる。並大抵の努力ではなかったはずだ。それこそが、最終的にテレビに求められることではないか。

テレビにとっていちばん大事なのは、家族の誰もが安心して視聴できることだったのだ。それが結論だった。60年経ってやっと判明した。テレビは昨日と違う画面を映し出すより、毎日同じ画面を映すほうが愛される。視聴率だってとれる。新しいことなんかやろうとしてはダメだ。

フジテレビの困ったところは、例えそれがわかったとしても、できない会社であることだ。新しいことに取り組まないと気が済まない、生きていけない人たちなのだ。だからフジテレビはこの先も視聴率がとれないだろう。

局別プライム帯視聴率
「新しいこと」はなぜ視聴率を取れなくなったのか。震災で日本人が変わったと亀山社長がコメントしたそうだがそれもあるだろう。その前のリーマンショックもあると思う。だが視聴率のダダ下がりは2005年以降の話だ。そしてキー局の視聴率推移を見ると、フジテレビ以外もダダ下がっていて、日テレだけが下がっていないことがわかる。

テレビは、非日常から日常になったのだと思う。新鮮さ、新しさ、上昇志向の発信源だったのが、その役割はネットに移り、テレビには安心や安定を求めるようになったのだ。

20150310_sakaiosamu_0520150310_sakaiosamu_06※NHK放送文化研究所2015年3月フォーラム発表スライドより

例えば関西と関東の人気番組を10年前といまと比べたNHKの調査結果がある。10年前は関西と関東でラインナップがほとんど変わらない。言ってみれば10年前は、関西の人も東京の番組を観たがったのだ。非日常を求めたからではないか。いまの関西の人気番組は、関西出身タレントが中心のものだ。日常を求めるようになったからだと言えないか。

もちろんそこには、高齢化によって年配層が視聴率を動かすようになったせいもあるだろう。別のところで書いた「テレビのおばさん化」が視聴率を保守化したとも言える。

→AdverTimes「テレビのおばさん化がもたらしたテレビ局の深刻な状況を心の底から訴えたい件」

だがテレビに非日常を求めなくなった、という解釈は私自身にも実感としてある。刺激はネットに求める。テレビはむしろ、いつも通りでいてくれよ、昨日のままでいてくれよ、と思ってしまう。情報がネットから大量に押し寄せてくるので、テレビで新しいことを探すのが難しくなったり面倒になったりしたのもあるだろう。昔よりザッピングは減っているのではないか。月曜日の深夜になったら「あ、そうだ”夜ふかし”見なきゃ」と『月曜から夜ふかし』を観る。観ずにはおれない。習慣化している。番組名にタイトルが入っていることはこれから重要かもしれない。

ただ、テレビはつまらなくなったのかと言うと、けっこう違うと思う。なぜならば、テレビは昔からつまらなかった。つまらないほとんどの番組の中に面白い番組を発見するのが楽しかった。だからそこでは「新しい面白さ」は大事だった。つまらない思いをしながら、なんだよ今日も面白いのやってないよ、とブツブツ不平を言いつつも、スイッチを消したりはせずつけたままにしていた。

『進め!電波少年』がはじまった時だって、最初から面白い!と思ったわけではない。なんか、変な番組がはじまったなあ。そんなもんだった。松本明子がものすごくテキトーな合成で変な絵に貼り付けられている。きちゃないなあ、これ、何をするんだろう。よくわからないなりに何をはじめるのか気になり時々観ているうちにアポなし取材とかはじめて「こりゃ面白くなってきた!」という流れだった。当時はそういう、新番組の行く末を見守る余裕があった。

いまはもう、見守ったり探したりしない。レコーダーの番組表で今晩何をやってるかチェックし、なんだどれも興味ないなあ、と即座に決めてしまう。じゃあまあ、これ観ておくか、と知ってる番組を選んでつけておき、スマホでFacebookを眺める。観ていない。観ていないと、妻や子どもたちが「観てないなら消したら?」とプツンとやられてしまう。

つまり昔は、テレビなんかつまんないよねと愚痴りながら観ていたのだ。何か面白い番組はないものかと探していた。探すと見つかったり、だんだん面白くなったりするものが出てきた。つまらないものが多いから探したのだ。だって帰宅するとテレビ見るしかなかったのだから。それがいまは、つまらないと思うと、ちゃんと観ない。油断すると家族に消されてしまう。

テレビよりネットのほうが面白い、と言う人もいるが、これもまた違うと思う。ネットにはコンテンツが無限に存在し、その大半がつまらない。つまらないものはほとんど、私の目の前に登場して来ない。ソーシャルで選ばれてシェアされたものが目の前に出てくる。シェアされたから面白いかと言うと、またそうでもなく、目を通すとしょーもなかったりする。ネット上のコンテンツなんてほとんどしょーもない。ただその中で、けっこうな数の”当たり”もあって、あまたのサイトの中を勝ち抜くことができる。

テレビはつまらないわけでもない。なのにどうして見られなくなっているのか。「放送」だからだ。テレビ番組がダメと言うより、「放送」の形態が時代に合わなくなっているのだ。時間通りにテレビ受像機の前にいないと観ることができない「放送」は不自由なのだ。

だからテレビ番組をネットで視聴できるようにすれば、けっこう観る。いまだってYouTubeやDailyMotionでものすごい数の日本の番組が観られている。テレビ局も気づいてようやく見逃し配信をネットではじめた。出せば出すほどいいと思う。「放送」だと観ない人がネット配信だと観てくれる。

ということは、PCやスマホだけでなく、テレビ受像機でも見逃し配信をやったほうがいい。絶対にやったほうがいい。テレビ番組を観るなら、スマホよりテレビ受像機で観るほうがいいに決まっている。「放送」がめんどくさいのであって、テレビ受像機そのものは嫌われていない。というより、好きとか嫌いとか言う対象ではなくて、映像を見るためのものなのだから、大きいほうがいい、それだけの話だ。

フジテレビの話に戻ろう。

FODというサービスがあって、フジテレビオンデマンド、つまりフジテレビが番組をネット配信するサービスだ。FODのデータを分析してみると、かなりの割合で若い人が観ている。『オトナ女子』という、企画としてはアラフォー女性向け、視聴率の区分で言うとF2向けのドラマを、FODではF1が中心になって観ている。FOD視聴者全体も、若い女性が過半を占める。
f6b61590be634ba5b1b84558482092a8※FOD資料「2015年10月FOD視聴データ」より

若者のテレビ離れと言われるが、FOD上ではそんなことにはなっていない。むしろ往年と同じように若い女性に好まれる番組なのだと、データを見ればわかる。

もう一度言うけど、テレビの視聴率が下がっているのは、「放送」が不自由だからで、ネットで自由に視聴できるようにすれば観てくれる若者はかなりいるのだ。

フジテレビがこれからどうすればいいのか、はっきりしていると思う。「放送」以外に番組と人びとの接点をできるだけ増やして、そこでの視聴をマネタイズするのだ。誰がどう考えてもそういう結論になる。

テレビ番組の見逃し配信をキー局がこぞってスタートさせ、力を合わせてTVerをやってみたら視聴者がついてCM枠が売れはじめている。そしてFODはとくに若い女性に視聴されている。だったらFODの視聴者を伸ばしてそのCM枠のセールスにグンと力を入れるべきだ。

あるいは、Netflixのように定額の映像配信サービスを自分たちで運営し(FODにはすでにそういう側面もあるが)、どんどん番組を出していけばいい。huluに『笑ってはいけない』の過去作品を置いたら記録的な会員増になったそうだ。だったら『めちゃイケ』や『みなさんのおかげ』などいまもやってる人気番組や、少し前の『トリビアの泉』『笑う犬の生活』などをどんどん見せればいい。月数百円で見放題になれば、どんどん見るだろう。フジテレビってこんなに面白いんだね、と若者たちがスマホを差し出しながら言ってくれるかもしれない。

「放送」が時代に合わなくなっているのなら、「放送」以外の勝負どころをどんどん増やせばいい、ということだ。
TVportofolio
すると番組をポートフォリオ的にとらえていくことになる。この番組は放送6割、見逃し4割でリクープできて、その後のVODで利益がぐんぐん上がった」そんな解釈をする。すると「放送」の部分で年配層に合わせる必要もなくなる。「ぼくらの番組は放送はそこそこでも、ネット視聴で若い人にすごく見られるから総合収益クリアできる」そんな感覚になればいい。

このポートフォリオ感覚は、番組単位で具体化しないといけない。ネット配信の部分は別の部署がやるからといって、その成果はプロデューサーの評価にならないようだと何の意味もない。視聴率だけを気にする評価から制作者を解放しないといけないのだ。

そうは言っても現状の視聴率を上げないと。そう思うかもしれないが、視聴率を上げるために企業文化を変えたり番組の作り方を変えたりして、それが実際に効果が出るのに何年もかかる。効果が出はじめたら対他局で勝ってもテレビ全体の視聴率が立ち直れないほど下がっているかもしれない。だからもう、視聴率は諦めたほうが戦略的にトクなのだと思う。視聴率より、番組のネット配信とその先のタッチポイントづくりに人も金も注ぎ込んだほうがいい。経営とは、そういうことを議論して実行することだ。

早くしないと、こういう新しい方向でも日テレにかなわない状態になりかねない。日テレは視聴率競争で勝利している一方で、ちゃんと次のことを”経営レベルで”考えているし、管理職クラスにも浸透・共有ができているように見える。気がつくと、将来のテレビの結論も日テレだということになりかねないのだ。そして相変わらず「フジテレビに元気になってほしいんだけどなあ」と業界内で言われてしまう。もっともそんなことを言う世代はどんどん引退していくだろうが。

※筆者が発行する「テレビとネットの横断業界誌Media Border」では、VODをはじめ放送と通信の融合の最新の話題をお届けしています。月額660円(税別)。最初の2カ月はお試しとして課金されないので、興味あればご登録を。同テーマの勉強会への参加もしていただけます。→「テレビとネットの横断業界誌 Media Border」はこちら。購読は「読者登録する」ボタンを押す。

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ぼくたちの子どもたちは、人口がひたすら減りつづける国で生きていく。

著名ブロガー・ちきりん氏が「次の50年で4500万人 減るということ」という記事を「Chikirinの日記」というブログで書いていた。それに触発されて、私もこのところ考えていたことを書いてみようと思う。

「赤ちゃんにきびしい国で、赤ちゃんが増えるはずがない。」というタイトルでブログを書いてハフィントンポストに転載され、どえらい数の「いいね!」がついたのは2014年の1月だった。たくさんの方から連絡をもらって戸惑いながら取材したことをブログに書き連ね、その原稿をもとに先のブログタイトルと同名の書籍を出版したのがその年の12月。だから、ちょうど一年経ったことになる。

→ハフィントンポストに転載された「赤ちゃんにきびしい国で、赤ちゃんが増えるはずがない。」のページ

その後、プレジデントウーマンオンラインに連載を書きつつ、それを補足する記事をまたブログで書いた。そこでは、新しい保育園の開設に反対する運動を取材した。

→プレジデントウーマンオンラインでの連載記事「保育園反対の声の後ろに、賛成の声が隠れていた」

→連動したブログ記事「保育園を望むなら、反対の声と向き合うしかない。」

本を出したり、保育園反対運動に取材したりしたのは、ブログを書くだけよりもっと社会に具体的にコミットできないかと考えたからだ。ブログで大きな反響を得たのはたくさんの素晴らしい出会いにつながってよかったのだけど、赤ちゃんにきびしい国を変えることにはなかなか結びつかない。もっとはっきりと世の中に関与し、少しでも状況を変えられたらいいなと思った。

だが、反対運動に取材して、いろんなことがよくわかったが、同時にそれを記事にしても何かに関与できたとは言えないこともよくわかった。目黒区で起こった反対運動について取材し記事にしたが、それで何かを動かせたわけでもなかった。その後、別の区での反対運動も取材しようと説明会に行ったものの、保育園側も反対住民側も取材を受け付けてくれず、記事にすることさえできなかった。

ただ取材して具体的なことがよくわかった。反対運動を起こす人は決しておかしな人やエゴイスティックな人ではない。むしろ、落ち着いて分別ある年配の人びとだ。そして彼らが反対するにはそれだけの理由がある。十分な説明がなされてなかったり、その際に何らかの不手際もあったりする。いわゆるボタンの掛け違いが起こっているのだ。一度掛け違うと、時間が経つほど元に戻せなくなる。解決するのはかなり難しい。

一方で、彼らは「保育園が必要なのはわかるし、保育園ができることそのものに反対しているのではない」とも言う。保育園はできてもいいが、自治体が信用できないとか、あの保育園事業者には問題があるのだとか、そういうことを問題視している。

そこには、決定的に欠けている点があると思う。保育園がどれだけいま必要なのかが、伝わっていないのだ。

いま急激に働く女性が増え、いや、女性が働き続ける必要が出てきて、それなのに保育園の数が圧倒的に足りない。足りなすぎておかしな事態があちこちで起こっている。そのことは前にもブログで書いた。

→「復職のために子供を預けたいのに、先に復職しないと保育園に入れない矛盾。」

足りなくて、少なすぎてママたちもパパたちも悪戦苦闘している。その窮状が伝わっていない。そこに空いている土地があり、保育園を作ると手を上げている事業者がいるなら、もう即刻作ったほうがいい。即刻作る!という判断をあちこちで行って、保育園少しつくり過ぎちゃったかな、ちょっと余ってるかな、それくらいになってやっと、ママたちも落ち着いて生活できるようになるのだ。赤ちゃんを身ごもった途端、保育園が見つかるか気が気じゃなくなるいまの状況は、子育てをギスギスしたものにしかねない。そういうところこそが、「赤ちゃんにきびしい国」なのだ。

一方で、保育園の必要性はマクロな視点でもとらえるべきだ。そして、そこもみんなに伝えるべきだと思う。それは、人口の問題だ。

総務省ではこれまでの日本の人口の推移と、今後の人口の減少の予測を数値としてWEBサイトに載せている。

→総務省統計局ホームページ「第2章:人口・世帯」

このサイトにある「人口の推移と将来人口」のエクセルデータをダウンロードし、5年ごとの数字を自分なりにグラフにしてみた。これを見ていると絶望的な気持ちになる。

20151214_sakaiosamu_01
このグラフを見ていると、2015年を境にして、そこまでの人生とそこからの人生が正反対になることを想像してしまい、暗澹たる気持ちになる。

例えば、1935年、昭和10年生まれの人は、今年80才になるわけだが、その人にとっての日本は人口が倍近くに増えた国だった。間に悲惨な戦争を経験しつつも、日本は高度成長を達成し、アジアでもっとも豊かな国になった。明治以来のこの国の悲願が実現した80年だった。

一方、今年2015年生まれの赤ちゃんは、80年の人生の中で人口がひたすら減っていく中を過ごすことになる。2035年、成人する頃には1億1212万人までおよそ1500万人減少し、30才で結婚した頃にはさらに1000万人減って1億221万人になる。2055年に40才になると9193万人、50才では8135万人と、10年ごとに1000万人ずつ減少していく。

60才になる2075年には7068万人で、昭和10年と同水準だ。80才の2095年にはついに5332万人になり、大正時代の水準にまで落ち込む。

日本が昭和に入って築き上げてきたものが平成にはすべてゼロに戻る、という感覚ではないだろうか。

人口と経済を直接関係づけることに疑問を呈する人もいるようだが、人口が倍になる国と半分に減る国と、比べたら後者には大変な困難が待ち受けているのはまちがいないだろう。日本の高度成長は、農村から都市に人びとが移動し核家族を形成することで、豊富な労働力を産業界に提供し、同時に大量消費社会の消費者が猛然と増えていったことが支えた。人口とはすなはち国内市場なのだ。それが半分になる。

高度成長社会は、一生懸命働いていたら気がつくと豊かになっていた。でもこれからはへたをすると、働いても働いても会社の業績が上がらず、収入もちっとも増えやしない。そんな社会になりかねないのだ。

いま起こっている少子化と人口急減を、どう深刻に受けとめても足りないと思う。いちばん欠けているのは、この深刻さの共有ではないだろうか。上のグラフをじーっと見つめて、その中での子どもたち若者たちの生活を想像すれば、いますぐにそこここに保育園を作るべきだ!と誰だって考えるはずだ。

私が「赤ちゃんにきびしい国」を訴えるのも、私の子どもたちのためだ。私の父は昭和四年生まれで七年前に亡くなった。一方私の子どもたちは大学生と高校生だ。私はこのグラフのだいたい真ん中にいて、つまりわが家の三世代はこのグラフを中心に構成されている。グラフの前半を上向きにしてくれた父に感謝しつつ、真ん中の世代の責任としてはグラフの後半の傾きを少しでも変更することではないだろうか。

責任ある世代としては何をすべきか。危機感をきちんと自覚し、互いに共有していくことだと思う。当たり前のように「私たちの国は子育てをないがしろにしてきたね」とみんなで言い合う。知らない人にはそれを教える。いまの子どもたちは、これからこんなに大変なんですよ!そう言ってあげる。そうすることで、保育園に反対する人たちも、「行政も事業者も信頼できないが、とにかく開園は進めてもらう必要がある」と考えてくれるのではないだろうか。

加えて言うなら、政治家は他の何よりも少子化の重大さを認識し、取り組む課題の最優先事項にすべきではないか。だって、どんなに経済対策を講じても、人口が減っては十年後はやっぱりしんどいに決まってる。付け焼き刃の経済対策より、子育てのほうがずっとずっと大事なのだ。

お年寄りのほうが票になるから、政治家は高齢者ばかり優遇するんだ。そう言う人もいるが、ほんとうにそうだろうか。お年寄りに胸を張って、正面切って、いまの少子化の状況を説明すればいい。このまま少子化が進むと、あなたの孫やひ孫たちがしんどい人生になるんです。ちゃんとそう説明して、考えてくれないお年寄りなんていないと思う。

と、こんなことを書くのも、自分がこういうことを訴えることに効力あるのかわからなくて、萎えそうになるからだ。でも自分の子どもたちの未来を思うと、また書かないわけにはいかない。そんな思いでまた書いていこうと考えている。

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Eテレの未来を切り開くEテレ・ジャッジは、テレビそのものの未来を切り開くかもしれない

1110ej「Eテレ・ジャッジ」という番組を知っているだろうか。

ひと言ではその概要を説明しにくいのだが、カンタンに言ってしまえば”2つの5分番組のどちらがいいか、視聴者代表の審査員が選ぶ”というもの。

そのすべての説明をすると、長くなるがこんなことだ。毎週火曜日23:25からの放送で、一カ月単位で4つの番組が対戦する。一週目で、最初の二組から、ひとつを選ぶ。二週目では別の二組からひとつを選ぶ。三週目で残った2つが一騎打ちして優勝作品を決める。

5分番組と言っても一話だけではなく、5話で完成する企画になっている。最初の対戦では第一話を、次の対戦では第二話を見ることになる。あらかじめみんな第二話まで制作してある、ということだ。優勝したら残り三話も制作し5本そろって完成させることができる。優勝できなかった残り3番組は第二話まででおしまいになってしまう。

審査するのは50名で、あらかじめ申し込んでいた視聴者から抽選で選ばれる。毎週、2本を見てまずそれぞれの感想を言い合う。両方見た後でどちらがいいか投票する。票が多いほうが次に進める。

バトルには、毎月インフルエンサーが登場する。番組を見て意見を言う役割だ。投票する審査員はその意見も参考にするが、インフルエンサーは直接審査に関わらない。月単位で二人ずつ登場する。だからインフルエンサーは、出演した月の4つの番組はすべて見ることになる。

さて、どうしてこのブログで「Eテレ・ジャッジ」の話を書いているかというと、2015年11月のバトルにぼくがインフルエンサーとして出演したからだ。どうして呼ばれたのかはよくわからないが、とても面白い体験をしたので、感じたことを書いておこうと思う。

この月のバトルは、一回戦は「閉まる自動ドア」と「ムカレルイカのきもち」、二回戦では「箱庭おじさん」と「おとなりチャットボイス」が対戦した。

それぞれの第一話をカンタンにここで説明しておこう。

「閉まる自動ドア」あるコンサートホールの入口からピアニストが入ろうとすると、自動ドアが開かず逆に閉まってしまう。2つの自動ドアに挟まれてしまい動けなくなるピアニスト。スタッフたちも戸惑うがどうしようもない。ドアの修理にやって来た青年もなす術もなく・・・果たしてピアニストは演奏できるのか?というドラマタイプの企画。

「ムカレルイカのきもち」画面に映るのはイカ。白いバックにイカがあるだけの世界で、出てきた人間の手がひたすらイカの皮を剥いていく。なぜかイカの気持ちを男性のナレーションが独り言のように語っていく。剥かれるたびに「あ〜気持ちいい〜」と喜ぶイカ。・・・というそれだけの企画。

「箱庭おじさん」ある会社のOLが主人公。上司は50代のいかにもおじさんで・・・臭い。悪い人ではないが、とにかく臭う。困っていると、なぜか机の引き出しに小さなオフィスがあって、そこに上司をそっくりそのまま小さくした「箱庭おじさん」がいた。そしてやっぱり臭〜い。そこで彼女は小さなおじさんにあることをしてみると・・・という、これもちょっとシュールなドラマタイプの企画だ。

「おとなりボイスチャット」アパートで一人暮らしの田力くんはおとなりに住む大神さんと壁越しに話すようになる。なぜか決して壁越しにしか話さず顔を見せようとしない大神さんだが、どんな美人か、そして二人の関係はどう進展するのか田力くんは妄想をふくらませていき・・・という変わったラブコメドラマもの。

この4本を、インフルエンサーは放送に先だって視聴し、感想を好き勝手に述べる。放送だけ見るとわからないがディレクターさんが上手に意見を引き出してくれるのでいろんな角度で語ってしまう。

それを番組放送時に、審査の合間にVTRで流して審査の参考にしてもらう、という手法。ぼくは最初の対戦、「自動ドア対イカ」はだんぜんイカがいいと思ったのだが、意外にも審査員が選んだのは「自動ドア」だった。対して第二回戦「箱庭対おとなり」で選ばれたのは「おとなりボイスチャット」だった。

そんなプロセスののち三週目の決勝戦はスタジオにインフルエンサーも出かけて行って生出演とあいなった。司会のお二人とも会えるというので勇んでNHKに乗り込んだ。
IMG_6823

司会は、俳優の鈴木浩介さん。いまやあちこちのドラマや映画、CMに出演する売れっ子だが、『ライアーゲーム』でキノコ頭の福永を演じていた。いま高校生の娘が小学生だった頃から一緒にずっとこのドラマを見ていたので、キノコ頭の役者として強烈に印象に残っている。「キノコ頭と会うんだよ」と娘に自慢してしまった。

もうひとりの司会者は、モデルの秋元梢さん。美しく凛々しい女性だが、実は元千代の富士・九重親方の娘さんであることは意外と知られてないようだ。千代の富士はウルフと呼ばれ、相撲取りのわりに太っておらず精悍で、カッコよかった。彼を破って次の時代をつくったのが若貴兄弟だ。80年代に相撲界の先頭を走り続けたウルフの娘さんと会えるとはと高揚した。

さらに、一緒にインフルエンサーをやったのが宣伝会議の編集室長・田中里沙さんだった。田中さんとはもう十数年前からの知り合いで、ぼくは最近も宣伝会議で原稿を書いたりして接点がある。しばらくぶりに田中さんにお会いできるのも楽しみだった。

決勝では、「閉まる自動ドア」と「おとなりボイスチャット」が戦い、「自動ドア」が勝利した。残り三話も制作されるので、完成が楽しみだ。
IMG_6817優勝した四季涼さん。これぞドヤ顔!
IMG_6820破れた天野悠さん。負けた切なさがにじむ笑顔。

生放送が終わると、四週目の「戦略会議」の収録をする。一週目と二週目で破れた2本の第二話をみんなで視聴し、それも含めて一連の戦いの感想を語り合うのだ。

「箱庭おじさん」は実は第一話を見た時、あまり評価できなかったのだが、第二話で作り手の描きたかったことが見えてきて評価が変わった。おじさんの寂しさ、やるせなさを描いていたのだ。第二話で急にぼくにとっていい作品になってきた。

もっとも期待し、もっとも驚いたのは「ムカレルイカのきもち」の第二話。実は・・・と、ここで明かすのはもったいないので、ネット上でぜひ見てください。(リンクが生きてるかいつ外れるかわからないけど)

→Eテレ・ジャッジWEBサイト内「ムカレルイカのきもち」(ページの最下部に第一話第二話が置いてある)

さてここからがこの記事で書きたかったこと。この番組には「Eテレの未来を切り開け!」というキャッチがついていて、実際集まった作品はどれもこれも、斬新なものばかりで多分、ぼくが関わった回はとくにレベルが高かったようだ。正直どれが優勝でもモンクなかったと思う。

ただまず思ったのは、「Eテレの未来を切り開け!」とのかけ声にいちばん答えていたのは「ムカレルイカ」ではないかということだ。イカを剥く。ただそれだけの行為が番組になるとは。それにこれ、5分番組ならではで、10分とか30分とかの枠だと成立しなかっただろう。イカを剥くってこんなに気持ちいいんだ、イカってこんなに美しくていねいに剥けるんだ。そんな発見はちょうど5分にぴったりだった。

ぼくはテレビや映画を見ることが好きだ。その楽しみにはいろんな要素があるが、いちばんうれしいのは、こんなテレビあったんだ!映画ってまだこんなに新しい感動があるんだ!そんな映像に出会った時だ。

「Eテレの未来を切り開け!」というスローガンには、やはり「新しいEテレの番組を探そう!」という“新しさ“が求められていると思う。イカを剥くだけで番組になる!その発見は、思いもよらぬ興奮をぼくたちにもたらした。そのうえ第二話では!という点も含めて、「ムカレルイカ」には栄冠を授けたい。特別にサカイオサム賞をここで授賞したいと思う!実際、鈴木さん秋元さん、そして田中さんもこの作品には拍手をしていた。みんな同じように感じたのではないだろうか。

さらに加えて、テレビとネットの融合が具体化しつつあるいま、5分×5話、というスタイルは新しい映像視聴のフォーマットになる可能性がある。NetflixやAmazonによる動画配信が本格的に普及していき、一方で民放はTVerという見逃し配信サービスを起ち上げた。番組をネットで視聴することが、普通の人にとって普通のことになっていきそうだ。そうすると、これまでの番組の標準的な時間、30分とか1時間とかいう枠が、あまり意味がなくなる可能性があるのだ。

そもそもどうして30分や1時間だったか。放送だったからだ。放送は時間が重要で、毎週木曜日の9時から1時間、という枠があるから成立していた。時により時間が違うと視聴しにくくなるし、短い枠がたくさんあると何がなんだかわからない。

だがネットで配信する番組は、何分でもいい。さらに言うと、意外に1時間を日常の中でかけるのは大変なのだ。放送は自分にとって生活習慣になっていたから1時間費やすことで逆にリズムができていた。でもネット配信は「いま時間あいたからちょっと見ようかな」という視聴になる。すると、30分とか1時間より、5分のほうが「ちょっとあいた時間」に視聴しやすい。1話とりあえず見て、面白いから二話目三話目と見ることもしやすいだろう。配信には5分×5話とか10話とかのほうが合っているかもしれないのだ。

だからこの「Eテレ・ジャッジ」の優勝番組はNetflixやAmazonで配信してもいいのかもしれない。あるいは、制作会社の皆さんが今後、NetflixやAmazonにそういうフレームの番組を企画提案してもいいだろう。いっそ「Eテレ・ジャッジ」的な5分で競い合う企画を配信サービスで展開すると盛り上がる可能性だってある。

その時、作り手がめざすべきはどんな番組だろう。いつ見てもいいけど、一話見てしまうと次々に見たくなる番組。気軽に見はじめたらその奥の深さ、広がる世界の広さにハマって100話まで続いてしまうような番組。どんな番組かさっぱりわからないが、そんな番組ができたら楽しそうだ。「ムカレルイカのきもち」が見せてくれた新しさのさらに何十倍もの新鮮さに、ひとりの視聴者として出会ってみたいものだ。

「Eテレ・ジャッジ」には、そんなテレビの未来の夢を感じた。次のバトルでは、ひとりの審査員として参加してみようかな。

※筆者が発行する「テレビとネットの横断業界誌Media Border」では、VODをはじめ放送と通信の融合の最新の話題をお届けしています。Netflixなど配信事業者の最新情報も豊富です。民放大会やInterBEEのレポート記事も掲載しています。月額660円(税別)。最初の2カ月はお試しとして課金されないので、ぜひ登録を。同テーマの勉強会への参加もしていただけます。→「テレビとネットの横断業界誌 Media Border」はこちら。購読は「読者登録する」ボタンを押す。

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赤ちゃんにやさしいまちへの連鎖反応が、見知らぬ土地へいきいきと広がっていた〜生駒市訪問録〜

「赤ちゃんにきびしい国で、赤ちゃんが増えるはずがない」のブログを書いてから、いろんな方々からご連絡をいただいた。書いたのは2014年の1月で、さすがにこのところはなかったのだが、久しぶりにメールが届いた。朝日新聞・生駒支局の筒井さんという記者の方からだった。

生駒市の広報誌「いこまち」でぼくのブログを話の入り口に、「赤ちゃんに優しいまちになるために」と題した特集を組んでいるので、そのことを記事に書くのにブログを引用させてほしい、との連絡だった。へー、書いてからずいぶん経つけど、市の広報誌に使ってくれたりそれを新聞で記事にしてくれたり、うれしいなあともちろん快諾した。

「生駒」という地名は、むかーし憂歌団のライブアルバムで「いこまは哀し〜い おんな町〜」という短い曲が唄われたのを覚えている。でもどんな町なのかまったくわからない。ちょうど大阪に出張があり、しかも夜の用事なので、その前に寄ってみようかなと、筒井記者に連絡した。

そんなわけで、新幹線を京都で降り、近鉄で奈良に向かった。関西で私鉄に乗るのはあまりないのでなんだか楽しい。ちょっとした遠足気分だ。
IMG_6601
奈良の手前で乗り換えて、京都駅からほんの40分ほどで生駒駅に到着。京都と奈良、大阪の距離感がようやく掴めた気がする。三つの都市が、関東の感覚よりずっとギュッと凝縮されていて近いんだなあ。

生駒の駅を降りて南側に歩く。ちょっとした商店街があり午前中から賑わっているが、いかにも小都市のたたずまい。1〜2ブロックの商店街を抜けたらもう、住宅街だ。市役所に向かう途中に、大きな保育園があった。立派な建物だし、周囲もゆとりがある。子供の声がうるさいなんていうクレームとは無縁そうだ。こんなに住みやすそうで、「赤ちゃんに優しいまち」にしか見えないのに、広報誌で特集を組む必要あったのかなあ、と不思議な気持ちになった。

市役所で筒井記者と落ち合い、広報誌の担当者にお会いした。大垣さんと伊田さんという二人の女性。写真も撮りますねとiPhoneを向けたら、笑う笑う。自分たちが撮られるとは予想していなかったのだろう。照れちゃって笑い続けるのが面白く、何枚も撮ってしまった。
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さて彼女たちはどうしてこんなに穏やかな町で「赤ちゃんに優しいまちになるために」という特集を組まねばと思ったのだろう。

生駒市は、歴史も文化もある町で、ずいぶん昔から人々が住んできた。だが同時に、戦後にベッドタウンとして発達した町でもある。奈良市から近いだけでなく、最初に書いた通り京都へも大阪市内へも3〜40分で出られてしまう。だからとくに、大阪で働く人のベッドタウンとなっているそうだ。平均収入も近隣より高く、つまり大阪のそれなりの企業で働く人たちが家を持つために移住してきた。そんな流れで数十年かけて最近まで、何段階にも分かれて住宅地が開発されてきたのだそうだ。

昔からずっと住む人も多いが一方で、最近家族となって越してきて子育てを始めたばかりの若い夫婦も多い。そういう人たちにとっては、地縁血縁があまりない土地で孤独に子育てすることになる。子育ての大変さをひとりで抱え込んで、頼る人も少ない状況のお母さんは意外に多いのだ。

そこでそんな悩みを持つお母さんに取材し、特集を組んだ。赤ちゃんに優しいまちにするにはどうしたらいいか。みんなで考えようと呼びかけた。すると、思ったよりずっと多くの反響があったそうだ。私も感じていました。とても共感しました。そんな声が寄せられ、大垣さんたちは手応えを感じている。

この広報誌はなんと、WEBでも読めるのでざっと見てみるといい。広報誌としての賞も取ったことがあるそうで、非常によく編集構成されており、デザインも素敵だ。

→生駒市広報誌「いこまち」のページ

実物はこんな感じ。手に取った感じもいい。
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広報のお二人とお話ししたあと、なんと市長さんも会いたいと言ってくださっているという。歴史ある町の市長さんなら、白髪の年配の方だろうとイメージしてお会いしたら、意外にもぼくよりお若い青年市長だった。小紫雅史市長は、以前は霞ヶ関の環境省で働いていたというのでてっきり出向してそのままいついたのかと思ったら、たまたま副市長の公募があって応募したそうだ。コネも何もなく、純粋に何名もの候補の中から選ばれて副市長になった。数年働くうち、前市長が県知事選に出馬することになり、後任として立候補して見事当選したのだそうだ。

地縁がない分、肩書きにあぐらをかいている感じがない。常に真剣に、改善を考えていることが伝わってきた。小紫市長は広報誌の育児特集について「彼女たちは私に事前に何も教えてくれないでいつの間にかこんな特集組んでたんですよ」と、嘆いているようなことを言いつつ、いいテーマだと思っていることがありありと感じられた。大垣さんのことを「彼女みたいにクレイジーな人が行政には必要なんですよね」と、けなすようで褒めている。”クレイジー”とは、ぼくが前にブログにアズママの甲田恵子さんのことをそう見出しに書いたことをとりあげてくれて言っているらしい。

→クレイジーなひとりの女性が、日本の育児を変えていく。〜子育てシェア・アズママ取材〜

小紫市長は、ぼくの訪問に備えて事前に一通りのブログ記事に目を通してくださったようなのだ。かなりの量なのに、光栄なことだ。

市長と一緒に、障がい福祉課の石倉さんと子育て支援センターの三原さんも同席してくださり、保育だけでなく生駒市の福祉全体の話もうかがった。ぼくが取材しているのは保育関係だけだが、福祉に関わる事柄だけでも多岐にわたる領域があり悩みがあることがよくわかった。行政とはほんとうに大変な仕事だと思う。

せっかくだからと、記念写真を撮らせてもらった。市長にはぼくの本を持っていただいたので、ぼくは生駒の特産品である茶筌を手に持った。さすが、歴史ある町だなあ。
IMG_6609

市役所の訪問はほんの2時間ほどだったが、何かたくさんのものをもらった気がする。東京でMacに向かって記事を書いているだけではわからないこと、東京の保育の取材からは見えてこないことを受けとることができた。

赤ちゃんに優しいまちをめざしているのは、東京だけではない。日本中の町で日々、ママたちが育児について悩み、苦しみ、抱え込んでしまっている。あるいは一緒に乗り越えていきたいパパたちも困り果てている。育児は社会みんなでやるものだ。それを忘れたのは東京だけではない。日本という社会全体が忘れている、ということだろう。

今年、札幌と福岡から声をかけてもらって講演をしたのだが、日本中に育児の悩みがある。そして生駒市の大垣さんたちのように、それを乗り越えるための呼びかけをしている人たちもいる。

ぼくたちはいまやっと、社会として育児に向き合おうとしているのだ。そうしなければならないことに気づくまであまりに時間がかかりすぎ、この国の人口ははっきりと減少をはじめた。

だから生駒でも、札幌でも福岡でも、もちろん東京でも、社会は育児を迎え入れなければならない。社会活動のもっとも重要な要素として、育児を捉え直さねばならない。いちばん大事だったはずなのに、いちばん端っこに追いやってしまっていた。社会全体の問題なのに、お母さんだからやんなさいよと押し付けていた。
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大垣さんが編集した広報誌「いこまち」を開くと、「赤ちゃんに優しいまちになるために」という特集のタイトルが目に飛び込んでくる。ああ、ぼくはあのブログを書いてよかったなと思う。そうやってぼくたちは、影響しあいながら「育児という宿題」を発見し、共有する。共有が拡散して広がっていけば、きっとそれぞれの地域で解決へ向かうのだと思う。

市役所を出てぼくは、ケーブルカーの駅に向かった。憂歌団が唄った昔の色街の跡を見に行きたかったのだ。大垣さんと、筒井記者が案内してくれた。ケーブルカーの駅でお二人と別れ際に写真を撮った。
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ぼくたちがまた会うのかどうか、わからない。でも不思議なことに、ぼくがブログに書いた記事を、大垣さんが広報誌で記事に書き、それを筒井記者が新聞の記事にした。そのことを聞いてぼくは生駒にやって来た。記事が連鎖反応を起こしたから、この写真がある。だからこれは、拡散の証、なのだ。この写真の向こうには、また新たな拡散が広がるのかもしれない。だとしたら、この短い訪問にも先々まで波及する意味があるのだろう。そう考えると、けっこう意義深い写真なのかもしれないね。

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Netflixでドラマを作ってみたら、地上波にはない自由を感じた〜プロデューサー関口大輔氏インタビュー〜

※この記事は、「テレビとネットの横断業界誌Media Border」に掲載したものの短縮版です。フルバージョンはこのリンクを押して登録すると読めます。

Netflixで配信されている日本のコンテンツ、というと、とかく『テラスハウス』に話が行きがちだが、ドラマも制作されている。下着業界を舞台にした桐谷美玲主演『アンダーウェア』がそれだ。この作品をプロデュースをした関口大輔氏にインタビューできた。地上波放送と配信とでのドラマの考え方、作り方の違いをじっくり聞くことができたので興味がある方はじっくりお読みいただきたい。

●気持ち悪い企画と言われても、意地で作った『ウォーターボーイズ』でヒットメイカーに
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関口さんの初プロデュース作品は吹石一恵さんのデビュー作でもある『ときめきメモリアル』ですよね。
関口:懐かしいですねえ。『ときメモ』はなぜかプロデューサーのクレジットにしてもらえましたけど、最初はアシスタントプロデューサーをずっとやっていました。自分でほんとに最初からやったのは『ウォーターボーイズ』からです。

『ウォーターボーイズ』は当初、小品ではないかと言われたら大ヒットしてみんな驚いた作品ですね
関口:企画を出したら、会社からはこんなキモチ悪い作品(男子高校生がシンクロナイズドスイミングをする物語。妻夫木聡はじめ、のちのスター俳優が初々しく出演している)やめろと言われました。ぼくももう30才になるのでそろそろプロデューサーとして一本作りたいんですと言ったら、じゃあ製作費3億を1.5億で作るならいいよと言われました。ほとんどやめろって意味だったんでしょうけど、わかりましたじゃあやります!って言って突き進んだんですよ。

いい話ですねえ
関口:当然宣伝費もなくて、コピーも自分で考えたんですよ「男のシンクロ!?」ってやつ。自分ひとりでやって「このコピーはこの側面から見たらどう思われるか」とか考えて作ったんです。宣伝もお金ないんで妻夫木君たちに夕方電話して、ごはん食べさせるから来てと呼び出して”勝手舞台挨拶”やったりしたらヒット作になりました。

あれがヒットして、矢口作品を続けて作りましたよね
関口:もともと彼は女の子のジャズの映画をやりたいって言ってたんですよ。『ウォーターボーイズ』がヒットしたのでそれやりましょう、となりました。あれは実際に大阪の高砂ってとこにある高校の話がもとなんですけど、東北訛りの女の子たちにしようと、谷口さんと二人でレンタカー借りて回ったんです。地元の高校生の訛りを聞いて回って、たどり着いたのが置賜(おきたま)弁っていって、山形の方言だったんです。それで『スイングガールズ』が生まれました。

『スイングガールズ』の次は『ハッピーフライト』ですよね
関口:ぼく飛行機が好きなんで、『スイングガールズ』の次はそういう映画やりましょうってことになり、そこから二人で二年半ですね。羽田から成田からボーイング社からいろんなところに取材に行って、その二年半の取材をまとめたのが『ハッピーフライト』なんです。二人ですごい悩んで苦しんで作った作品ですね。

『ハッピーフライト』のあと、ぼくはドラマ部に異動になってしまって。矢口さんはまたうちと『ロボジー』って作品やったり、TBSで『WOOD JOB』やってますけど、いまも時々会ったり連絡とりあってます。もう彼は巨匠になっちゃいましたけど、ぼくとは相変わらず友だちみたいな関係です。

●Netflixでは地上波ドラマの制作にはないクリエイティブの自由がある
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『アンダーウェア』についてお聞きします。どういう経緯でNetflixで作ることになったのでしょうか?
関口:ドラマ部に移った後、自分としては映画部時代の経験を活かせる企画がやりたいと思っていました。異動後にすぐやったのが『東京コントロール』という”史上初の3D連ドラ”だったんです。スカパーで放送したのですが、世界唯一の3D連ドラ。それから土曜深夜枠でやったのが、『間違えられちゃった男』。ワンセットシチュエーションで、一話完結じゃない不思議な物語をやりまして、そんな風に実験的なことばかりやってきました。
それをうちの会社の上層部が面白がってくれたようで、Netflixとやる話が出た時に「関口に企画持ってこさせろよ」みたいな話になったらしいんですよ。奇妙な番組ばかり作ってるからってんで。

新しい企画ばかりやってるんで、Netflixでやるんなら関口じゃないかと!
関口:そうなんです。呼び出されて企画を出せと。で、最終的に4本の企画をNetflixさんに出したんですよ。その中で『アンダーウェア』の企画がピックアップされて、4本の中でいちばん自信のないところに来たなと(笑

え?そうなんですか、やりたかったのは?
関口:飛行機ものがあったんですよ。空港って航空行政が難しくて撮影規制がかかっちゃうんですけど、ぼく『ハッピーフライト』やって『東京コントロール』やって『東京エアポート』ってのもやって、JAL、ANA、国交省の人たちとがっつり仲よくなっていて。信頼を得てるので、ぼくだったら誰も知らない撮影ポイントを見つけられる。羽田を相当大規模に使った航空映画が作れる。でもローンチのタイミングで女性のお客さんを獲得したいということみたいで『アンダーウェア』になったようです。

それにしても関口さんがどうして下着業界の話を?
関口:アメリカでビクトリアズシークレットのファッションショーを毎年一回放送してるんですけど、ものすごい視聴率を取るんです。ゴールデンタイムに2時間くらいどんとやる。その映像を観るとすごくきらびやかでいやらしくなくて、そんな派手なショーが出てくるドラマを作ったら面白いんじゃないかと。それが通ったけど下着の知識はまったくないので、慌てて脚本家と監督とトリンプさんに行って下着のイロハから勉強しました。

それって去年の夏くらいですか?
関口:いや今年に入ってからですよ(笑 企画を出したのは年末だった気がしますけど、『アンダーウェア』に決まったのは4月超えてました。もう大変でしたよ。秋にサービスがはじまるなら、どう考えても7月にインしないと間に合わない。その中で企画を起ち上げて本を書き上げて準備してクランクインするまでってほんとに時間がなかったんで、その中で最大限のことをやろうということで、ストーリーを組み立ててました。

桐谷美玲さんの主演はスムーズに決まったんですか?
関口:1話の本ができた時点でオファーして、そしたらわりとすぐ、いいですよとお返事いただけました。

ネットでやると言うと大きな事務所ほど「大丈夫なんですか」とよく言われますよね?
関口:Netflixがこれから主流になるとぼくは思い込んでいるんです。大学がアメリカだったので日米のメディア状況をずっと見てきたつもりですが、日本はアメリカから3~4年遅れてだいたい同じ道を歩むんですよ。アメリカであれだけNetflixが伸びてるのを見ると、日本でもいずれそういう時代がやって来るから、そのいちばんはじめのタイトルに出たほうがいいですよと、自分でも本気で思ってるので熱く語ったら、そこまで言うんだったらやりますと言ってもらえました。

大地真央さんも大物じゃないですか
関口:絶対断られると思ったんですけど(笑 『リッチマンプアウーマン』で一回仕事したことがあって知ってたんで、小さな高級ブランドの社長なんてどう考えても大地さんしかいないと思ったんですよ。でも長期間の連ドラでやってもらえるものかなあと思いつつ聞いたら、たまたまスケジュールが空いてたのと、もっと映像もやってみたいねとマネージャーさんと話してたちょうどその日にぼくが電話したそうで、偶然の一致でしたね。

テレビ放送向けの作り方との違いは、実際どうだったんですか?
関口:今回勝手に、いろんな実験をやってて。一話完結にせずに、二、三話でひとつの塊になるようにしたとか。だから一話だけ観ると不体裁なドラマになってます。あとは一話二話で大地さんが言ってるセリフを、最後のほうで桐谷さんが言ってたりするんですよ。それは、成長していくとだんだん社長の言ってることがわかってきて、むしろ社長が逆に言われちゃったりするみたいなことなんですけど。
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これはNetflixさんに聞いたんですけど、一話観たら二話を観る、二話を観たら三話を観る。そんな傾向だそうなんです。地上波だと、一話を観たら二話三話観なくて四話見るとか普通にあるわけですよ。だから途中を見なくても一話完結で作るのがドラマづくりの定説なんですけど、Netflixの場合は、視聴数は第一話がいちばん高いに決まってる。だんだん下がるんですよね。13話がいちばん低い。だから地上波のドラマみたいに毎回視聴率のでこぼこはないんです。

一話から順に見てくれる。しかも集中して。だったら、けっこう難しく作っちゃっていいのかなと。そういうことを今回トライしています。地上波でよくある”回想”も入れてないんですよ。”あの時あの人がこう言った”って時に、フラッシュバックを入れとこう、なんてことは今回やってない。だからちゃんと見ていただくと、「そう言えばこのセリフってひとつ前でこの人が言ってたな」とか「あの人が気にしてたことがここにひっかかってたんだ」とかわかるはずです。

あとハリウッドドラマでよくあるのが、主人公が主人公ではない回があるんですよ。脇役が主人公になる回。『ウォーキングデッド』のシーズン4でリックが出てこない回が4回あります。ワンカットも出てこないんですよ。『アンダーウェア』でも後半で大地さんが主役になる回を作ったんです。その時は完全に桐谷さんが脇役。そんな風に日本の地上波のドラマでは絶対やらないことを今回やってみて、お客さんがどういう印象を受けるのかを楽しみにしています。

関口さん、すごく楽しんでますよね!
関口:そうですね、地上波で作るよりはるかにクリエイティブの自由がありますから(笑

配信の場合、尺を気にしなくていいみたいですね
関口:それ、サイコーです。いちばん短いので40分くらい。長いのは50何分というのもあるんですけど、監督がこんな素晴らしい環境はないと言ってます。テレビだと放送時間に合わせないといけないので”尺調”と言われる作業をするわけですよ。ほんとはゆっくり使いたいカットも、時間がないと間を飛ばして使ったりするんです。尺を詰めないといけない。切らざるをえない部分が多発する。その呪縛から逃れられるので、こんな素晴らしい環境はないと言ってましたね。監督の希望通りの尺にできる。”泣く泣く切る”ということがなくなる。ただ、自由度がありすぎちゃって、長くなりがちなので、それは自分たちを律しないといけない。

Netflixとの関係についても聞きたいのですが、作っているステップの中で彼らのチェックはあるんですか?
関口:ぼくは不安なので要所要所で送って見てもらってますけど、あんまりどうしろとはないですね。「こうしてくれ」はない。意見として「ここがわかりにくい」というのは出ますが、それをどうするかは任せてくれる。意見が出るのは、日本人以外にわかりにくい、という点ですね。

ではつべこべ言わないし、製作は任せてくれるわけですね?
関口:クリエイティブに敬意を払ってくれる人たちです。わけのわからない押し付けもないし、大人の裏事情みたいなものもないし。だからこそ、こちらもきちんと作らねばならないと思いましたけど、とにかく口出しはほとんどないです。

『アンダーウェア』は海外でも配信されるんですよね?
関口: 海外の方にどこまで理解されるのか、すごく気になってます。例えばアフリカとか、日本のドラマを初めて見る人も出てくると思うんですよ。そういう人たちは我々のドラマを通して日本を知るのかもしれない。そこはすごく考えて作りました。だからほんとうに悪い人はいないものにしています。ぶつかりあっても、それぞれの信念があってやっている設定です。日本を知らない人が見た時に「日本人カッコいいなあ」と思ってくれたらと。あと、わざと寿司屋行ったりおでん屋行ったりさせています。ガード下の居酒屋とか。海外で初めて日本を知る方に日本は魅力あるなあと思ってほしい。

『テラスハウス』は地上波でも放送がはじまっていますが、『アンダーウェア』も放送するそうですね
関口:そうですね、『アンダーウェア』も地上波でもやります。『テラスハウス』も含めて、やればやるほどNetflixにお客さん増えるんじゃないかなあと思ってます。次を早く見たい人は会員になるでしょうから。
テレビと配信ではマーケット規模が全然違うわけですよね。テレビだと10%なら大ざっぱに言って1200万人となるけど、Netflixははじまったばかりですから。テレビでやるとNetflixを知らない方も見る。大きいほうから小さいほうに流れる部分が大きいのではと思っています。

またやってみたいですか?
関口:そりゃあもう!ぜひ違う企画もやってみたいですよ!『ウォーキングデッド』の日本版できないかなと思って。アメリカでああなっている時、日本ではどうなっているのかというドラマです。バルハラエンタテイメント(『ウォーキングデッド』の製作会社)に連絡しようかと、勝手に思ってます。

放送業界の人たちにメッセージをぜひ!
関口:そうですねえ・・・テレビのいいところは、ものすごくたくさんの人が見てくれる点ですよね。でもデメリットもあって。配信をやってみてわかったのは、同じ映像業界だけど全然ちがう。作り方も考え方もお客さんも違う。フィールドが広がるチャンスが来たなと思ってます。テレビが見られない、若者が離れたと言われますけど、面白ければ見るじゃないですか。どんどんトライしないと自らの首を絞めかねないと思います。だからぼくは、Netflixでチャンスがあれば地上波でできないことやっていきたいし、地上波でチャンスがあれば地上波でしかできないことに挑んでいきたいですし。バジェットとかマーケットとか環境が違うわけで、そこに適したソフトを作って行くだけかなと、思ってます。

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ほんの一時間ほどのインタビューだったが、関口氏の情熱に圧倒されてこちらも体温が上がった気がした。あれだけヒットを飛ばしてきたのに、20代の映画青年のような探求心と熱い意志がみなぎっている。関口氏はひょっとしたら、Netflixを舞台に世界中で次々にヒットを生み出すのかもしれない。この飽くなき探求心と情熱なら、全然ありえることだ。配信の時代がもたらしたのは、そういう可能性なのだと思う。

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保育園を望むなら、反対の声と向き合うしかない。

目黒区の保育園反対運動についてプレジデントウーマンオンラインで書いてきた連載が一区切りついた。

保育園反対の声の後ろに、賛成の声が隠れていた

説明会に取材に行ったら、記者(?)は入れないのだと追い出されたものの、参加した方々にあとで取材できたので状況はいろいろわかった。現地に行って驚いたのは、反対のノボリが立っていたことだ。説明会にでていた多くは上品なお年寄りで、ほんとうにこの強烈なノボリを立てたのはこの人たちなのかと信じられなかった。説明会の様子を聞いても、いくら反対でもそんなひどいこと言うものだろうかと感じる発言があった。

いちばんびっくりだったのが、保育園事業者の話をさえぎり「か・え・れ!か・え・れ!」とコールが巻き起こったということ。あの上品そうなお年寄りたちがそんなに激しいことをしたとは信じられないが事実だそうだ。保育園はそこまでして追い立てる対象だろうか。

客観的に見ても反対運動の手法として上手ではないと思う。反対のつもりで来た人にも、ついていけないと引いてしまう人も出てきただろう。

一方で、説明会のそんな空気の中すっくと立ち、「反対する気持ちもわかるが、子供の声が聞こえない町はさびしいのではないか」と言ってのけたお年寄りの女性もいたという。私はいろいろ情報をたぐってその方にお話を聞くことができた。私の母親くらいの年齢の方だが、かくしゃくとしていて、時代が変わる中、この町には保育園が必要になっている。勇気は必要だったが、そのことをあえて言おうと思って参加したと話してくれた。

その方に限らず、実は説明会には保育園開園に賛成だったり、待ち望んでいたりする人も少なからず来ていたのだ。いままで反対の声ばかり聞こえていたが、そのうしろには賛成の声も存在していた。

取材してきて気づかなかったが、反対運動はどうしても、地元の反対する人と、行政もしくは事業者つまり保育園をつくる側の対立の構図でとらえてしまう。そのためなかなか、賛成する人、利用したい人の声が聞こえてこなかった。だが本当に話し合うべきなのは、反対する人と、賛成する人、つまり利用したい人のはずだ。

しかし説明会では、反対する人の強烈な主張が前に出てくる。口調もきつい。ひどい言い方をする人もいる。それに対し、賛成側はひるんでしまう。当たり前かもしれない。怒っている人の前に出ていって反論するのは、そうとうしんどいことだ。

話は変わるが、先日、松田妙子さんにお会いした。”子育て支援”に取り組んできた、社会活動家とでも呼ぶべき存在。だが楽しい空気を周りにも送り込むキャラクターで、気さくでとっつきやすい女性だ。NPO・せたがや子育てネットをベースに、行政ともうまく連携しながら世田谷区のママさんたちのために活動している。

→「NPO法人・せたがや子育てネット」のWEBサイト

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松田さんの活動については、また折りを見てじっくり書きたいが、保育園開園に関して反対の声があがっていることについても最近気になっているという。

「近くで保育園開園に反対の声が出ていると聞いて、仲間に”説明会に行って来て”と送り出したんです。よし!と行ってくれた仲間も、反対の声があまりに強烈で怖くて帰ってきましたと。なかなか”賛成”と言えないですよね。でもチャチャをいれる人を増やしていったほうがいいと思っています」

松田さんも、反対の声に対し、賛成の側、保育園を望む側も声を出していくべき、と考えている。そういう流れがいま、必要なのだ。

保育園は、行政がつくってくれて、それを利用すればいい。何年もやって来た保育園が近くにあれば、そんな考え方でもいいのかもしれない。でもいま、働く女性が急激に増え、それに対して保育園が足りない。行政側も懸命に対応し、次々につくろうとしている。

そんな中には、お年寄り中心の静かな住宅街の中の土地もある。そこに保育園をつくります、と言われてびっくりしてしまう人たちもいるだろう。終の住み処で余生を静かに過ごせるつもりでいたら、なんだと?保育園だと?何を勝手に決めてるんだ!かみつきたくなる気持ちもわからないでもない。

もちろん、法的には問題ない。ある土地を取得してどう使うかは、取得した側の自由だ。

だが、そんなに単純でもないし、単純に済ませるわけにもいかない。

その町の人たちに、保育園を利用したい母親たちは、いや父親たちも、自分たちが困っていることを真摯に説明するべきなのだろう。いまの時代、いまの状況。共働きが必要であること。一度仕事を離れると子どもが育ったあと正社員で戻ることはほぼ不可能であること。保活がどれだけ大変か。父親の子育て関与が、まだまだいかにハードルが高いか。

保育園が意外にうるさくないことも説明するといいだろう。自転車がたまりお母さんたちがおしゃべりすると危惧しているが、実際には朝ドタバタと預けてすぐ出勤するのでたまったりしないことも言ったほうがいい。反対する側が気にしていることは、実はイメージにすぎないことが多いのだ。

いまのお年寄りが子育てをした時代と、いまの若い夫婦の子育て環境はまったく違うことも踏まえておいたほうがいい。大げさに言うと、違う国だととらえたほうがいいくらい違う。専業主婦が当たり前だと信じて何十年も過ごした人たちに、共働きがなぜ必要か、ひと言でわかるはずもない。言葉を重ねて説明しないとわからないし、説明するのは行政の人より、当の本人たちがするのがいちばんだ。

説明しても簡単には受け入れてくれないし、中にはひどいことをいう人もいる。あまりにひどいことを言われたら、怒ったっていいと思う。下手に出ているばかりもよくない。言うべき時には言ったほうがいい。おとなしそうだと思っていた若いお母さんがキリッと怒ると、インパクトがあるだろう。ただし、敬語は絶対に外してはいけない。丁寧な物言いの中ではっきり怒りを伝えるのが効果的だ。

保育園がなかった場所にできて、そこに子どもを預けるのは、その周りに住むお年寄りたちに預かってもらうことでもある。関わり合いにならないではいられない。摩擦や葛藤も必要なのだと思う。それを、しぶしぶでも強引にでも乗り越えたら、時間の問題で温かい関係ができてくるのではないか。

保育園ができて子どもを預けるようになったら、顔を合わせては挨拶するといい。保育園の行事に参加してもらってもいい。そんなことを重ねているうちに、対立していたことなんかお互い忘れて、素敵なお年寄りと、可愛い子どもたちの関係ができていくのだと思う。コミュニティは一緒に育てていくものなのだ。

松田さんの話にこんなエピソードがあった。説明会に行ったら花壇の話が出た。どうやら前回、花壇を造ってほしいとの声が出たようだ。作ることになりましたと保育園側が答えたので松田さんが「その花壇は私たちも一緒にお世話できるんですか?」と言ってみたら、保育園側は「そうなったらどんなに素敵でしょう」とうっとりして言ったそうだ。そうしたら、反対していた人の一部が「え?入っていいの?」と一気に態度が弛んだ。

その保育園、私たちも入っていいの?

反対していた人たちにとって、保育園は自分たちとは無縁の、関わり合いになれない存在で、そんなものが突然終の住み処の近くにできるなんて、と許せなかったのが、自分たちも入っていいなんて。花壇を使っていいなんて。

他愛ないことのようで、地元の人たちには重要なことだったのだ。保育園が自分たちの生活空間を”侵す”のだと思い込んでいたのが、逆に保育園は自分たちの生活空間の一部になるのか。それならうれしい。子どもたちと花の世話をするなんて、素敵だ。受け止め方が変わる。

私たちはお互いに、おっかなびっくりになっていたのかもしれない。定規で線を引くように、侵犯しない線をきちーっと引き合って、ここから入らないで、向こうには入りませんから、そんな風に互いに息苦しくしあっていた。でも線を引くより、線を緩めて、”一緒に”助け合って暮らす方向に踏み出すべきなのだ。意地を張って自分の領域を守るより、助け合うほうがずっと楽しいことに私たちは気づく時なのだと思う。

さて先日、あるお母さんからメールをもらった。保育園の計画が持ち上がったら、そこでも反対の声が上がり、延期になったのだそうだ。しかも、私の自宅のすぐ近くだ。何かアドバイスがあれば、と言うのだが、おれってそういう人だったっけ?と思いつつ、また取材に行ってみようかと考えている。

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コピーライター/メディアコンサルタント
境 治
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