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コピーライター→映像製作会社ロボット→広告代理店ビデオプロモーション→再びコピーライター(フリーランス)。 メディアとコンテンツの未来を切り拓くコミュニケーションをデザインします。講演・執筆依頼もお気軽に!

NetflixはVOD事業者として以上にユニークな企業らしい。だからVOD事業者として期待したい。

昨日(5月18日)発売の週刊東洋経済に、NetflixのCEO、リード・ヘイスティングス氏のインタビュー記事が掲載された。今年のメディアコンテンツ業界の最大のトピックである日本での秋のサービスインを控えた中、業界内インパクトがある記事だ。4月に京都で行われた、全世界から同社のマネジャーが集まる会議の場に、東洋経済が取材を申し込んだようだ。そんな情報をいち早くつかんで独占インタビューをものにした東洋経済の俊敏さにも驚くが、彼らが京都に集まったこともびっくり。つまりそれだけ、日本市場を重視しているということだ。

おそらく日本のメディアがものにした初めてのNetflixのインタビューだと思う。貴重なその内容は、同誌を読んでもらうのがいちばんだ。ここではその中で注目すべき発言を少し取り上げたい。

・日本では5〜10年かけて成長をめざす
・初年度は顧客満足が最重要
・当初は数値目標を設定しない

このインタビューで、ぼくが最重要だととらえたのがこの部分だ。

Netflixがやって来る時、「どれくらい本気なの?」というのが気になった。人によっては「世界中の市場進出をめざす中、日本はそのひとつに過ぎない、そんなに力を入れないんじゃないか」と言っていた。だが日本は世界第二のコンテンツ市場だ。だからあまたの中のひとつ、とはとらえないはずだがと考えていた。かなり本腰を据えてくるんじゃないか。このインタビューから、他の国への進出との比較はできないが、世界レベルの経営会議が京都で開かれたことを併せてとらえても、日本市場をかなり重要視していると見ていいだろう。

それとは別に、上に挙げた箇所でよくよく考えると興味が湧くのが「数値目標を設定しない」点だ。そんなことあるの?とくに外資が。

外資の日本進出とは、よく市場特性を調べもせずやって来て、本国でのやり方を1ミリも変えずに強引に暴れ回って、結局日本にあまり溶け込めず目標達成できんかった!と突然撤退、というのがひとつのパターン。実際、huluもたった3年で売りに出された。日テレというメディアコンテンツ界の有力プレイヤーが買収したから別の展開になってきたが、あっさり諦めたとも言える。

外資ならそれもよくある話。・・・でもNetflixはそういう外資と少し違うようだ。

別に日本に思い入れてくれてるということでもないだろう。そうではなく、NetflixにはVOD事業者としてとは別に、企業としてかなりユニークで合理的な方針を持っているようだ。そんな”噂”は前々から漂っていたのだが、このインタビュー記事からもはっきり伝わってきた。

先日、ある催しで知人が発表した中に、Netflixの企業姿勢についての話が出てきた。米国で、あるイベントで彼らが示したことのいくつか。

例えば、Netflixはユーザーに適切なレコメンデーションをする。作品を解析し、ユーザーの行動履歴と照らし合わせてその人が見たくなる作品、見たら満足しそうな映画やドラマを勧めてくる。レコメンデーションで作品を選ぶのが7割だか8割に達しているという。

そのことに関し、Netflixが言ってたのは「われわれは、もう属性データをとってさえいない」なのだそうだ。

これはちょっとでも分析に関わった人なら衝撃を受けるだろう発言だ。そのユーザーが男性か女性か、年齢層はどのあたりか、どこに住んでいるか。ユーザー分析をする際はそこからはじまるのが通例だ。若い女性だったらとりあえず恋愛ドラマをお勧めしよう。それくらいは誰だって考えるし、リアルな人間関係でも使う基本の基本の考え方だ。

Netflixはそれをやらない。そこを見ない。ということは、純粋にユーザーがこれまでに見た作品からレコメンするのだろう。でも性別くらいは気にしないのだろうか。不思議だ。

徹底的に合理的に考える人たち。この話からくみ取れるのは、そういう雰囲気だ。

実はぼくの旧い知人がNetflixの日本での展開を手伝っていると知り、先日会ったのだが、彼も似たことを言っていた。

曰く「決断がものすごく早くて、その場で立ったまま話し合って大きな結論を出してしまう。余計な気配りや根回しはまったくなくて、合理性だけで決めている。一緒に仕事をしていて実に気持ちいい。彼らはVODだなんだの前に、企業としてユニークで面白い」

そうかあ。Netflixについて書くと放送界の一部の人がなぜか過敏に反応することがあるのも、そうした合理精神を嗅ぎ取って、反応しているのかもしれない。なにしろ、日本の放送界は合理性とかなんとかと対極に行っちゃってるから。

Netflixはそう考えると、VOD事業者としてを越えた面白さがあるようだ。そしてだからこそ、日本のメディアコンテンツ界をかき回せるのかもしれない。

記事の中にも出てくるが、Netflixにとって既存のVOD事業者は敵ではなく、むしろ相乗効果をもたらす味方になるだろう。とくにhuluとdTVと合わせて三つ巴のプラススパイラルを巻き起こすのは間違いないと思う。秋から、例えば家電量販店に行くと店員が熱心にVODについて語ってくるかもしれないし、東洋経済に限らず経済ニュースの重要な題材になりそうだ。

そしてそれは、映画やドラマのファンにとって楽しみな状況をもたらすだろう。三者が競い合って、テレビの地上波放送では見れない新しくて面白いコンテンツを作って見せてくれるなら、こんなに楽しいことはない。それに、制作者にとっても新しい選択肢と未来をもたらす可能性が大きい。これについては、Market Hackが今日、面白いことを書いているので読んでみるといいだろう。

日本の映像コンテンツ黄金時代は、すぐそこまで来ている

これからVOD業界から目が離せない。追い追いまた書いていこうと思う。

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VODはテレビ受像機をめざす!〜dTVターミナルの使用感、VODの市場観〜

dtv&hulu
VODが今年はホットだ。

なんと言ってもNetflixの2月の発表は業界ではちょっとした騒動だった。これについては発表のタイミングに合わせて、AdverTimesに記事を書いた。

今年秋、上陸決定!Netflixは黒船なのか?VODの進路が日本のテレビの将来を左右するかもしれない

ここで「黒船」という言葉を使ったのは刺激的だったようで、さらになぜかNetflixに対してはやや感情的になる人が多い。あんたはNetflixが日本のテレビ局を崩壊させると言っている!という濡れ衣的なことを言われたりもした。よく考えてほしいのだけど、幕府を滅ぼしたのは黒船ではなく薩長だ。国内勢力だ。黒船は国内を揺るがせただけで、つまりこんな騒動が起こってあらぬこと言われたりするのだからまさにNetflixは黒船であり、直接テレビ局を崩壊させると言いたいわけではない。

一方、絶妙なタイミング、4月初めにdビデオが大々的な発表会を行った。これについてもAdverTimesに書いた。

VODは入り口にたどり着いたにすぎない。dビデオのリニューアルから未来は見えるか?

この記事では、自分の体験をベースに日本でのVODのこれまでを振り返っている。NetflixやVODについて書く人は、ユーザーとしての体験があまりないまま書いている例が多く残念だ。長年VODを待ち望み、使い倒してきた視点で、dビデオがdTVにリニューアルされることがいかにエキサイティングなことかを期待を込めて書いた。

さてこの記事で書いた説明会では、参加したプレス全員にdTVターミナルをプレゼントする、という、うれしすぎるおまけがついていた。800人くらいいたと思うので、大盤振る舞いだ。そのdTVターミナルが、dビデオがdTVにリニューアルした数日後に自宅に届いた。それから三週間ほど経ち、いまやすっかりぼくの生活に溶けこんでいる。その使用感を簡単に書いておこう。

dTVを使うには、テレビに接続する必要がある。実はそこが心配だった。ぼくのテレビはかなり前に買ったのでHDMI端子が2つしかなく、すでにBluRayレコーダーとAppleTVで埋まっている。分配器とか使うしかないのかなあ、面倒だなあ、という不安があったのだが、そんな心配はいらなかった。

dTVターミナルにはHDMIの出力とともに入力端子もある。HDMI入力?つまり、別の機器をそこにつなげるのだ。かくして、わが家ではこういう接続になった。
dTV&AppleTV
左側がdTV、右がAppleTVだ。端末の形状はよく似ている。

dTVにはLAN、HDMI出力、HDMI入力それぞれのケーブルが刺さっている。そしてAppleTVにはHDMI出力。この白いケーブルで2つの端末はつながっているのだ。

リモコンも見てもらおう。
remo

左側がdTVターミナルのリモコンで、左上に「HDMI」というボタンがある。これを押すと「HDMI入力」につながっている機器が表示される。この場合はAppleTVだ。こうなると、おのずから先にdTVをつけてAppleTVはあとになる。既存の機器と共存できる上に割って入ることになるちゃっかりした、でもよくできた機能だ。なにより、分配器などが不要なのはユーザーにとってもいい。

dTVターミナルで楽しむVODライフはなかなかこれまでにないものがある。発表時にアピールしていたザッピングUI。VODがテレビ放送と違うのは、番組を選ばないとただ動かない画面が表示されることだ。これはテレビという機械に慣れている者にとっては不思議な時間で、賑やかなのがテレビなのに、じーっと黙りつづけるテレビとしばらくにらめっこすることになる。このにらめっこは、見る番組を決めるまで数十分でも続く。静かで退屈な時間だ。

これが、dTVの場合はとりあえず何かのコンテンツがチョイスされ、予告編が動きはじめる。違うなと思えば、リモコンの横ボタンを押すと次の予告編が、うーんと思ったら次の予告編へ・・・とどんどん違うコンテンツが出てくる。番組を選ぶことそのものがある種の”楽しさ”を持つ。映画館で予告編が次々に流れる時間がそれなりに楽しいのと似ている。

もちろん、一覧表示もできるし、見たいものがはっきりしているなら検索もできる。この検索もよくできていて、「赤」といれるだけで「赤ずきん」「赤と黒」「赤毛のアン」などがリスト表示される。これまでのテレビのVODは検索に難があったのが、dTVは使いやすくできている。

検索もひとつだが、既存のテレビ受像機用のVODサービスは、PCで開発されたものをテレビに流用していたようで、テレビ用にできていなかった感がある。よく言う、リーンフォワードかリーンバックかで、リーンバックつまりソファにもたれてリラックスして見るために設計されていなかったのだ。dTVは明らかにテレビを意識して開発されている。

一方huluはいま、「フールーオン」というキャンペーンをやっている。テレビでhuluを見てもらうために、それが可能になるデバイスをプレゼントするというものらしい。

huluも、テレビ受像機をこれからの主戦場として意識しているのだ。

VODはこれまで、PCで、そしてスマホ用のサービスとして伸びてきた。もちろんそこにもニーズはあった。だがそのニーズはネットを使いこなす層、若者でありその中でも濃いネットユーザーが中心だった。もっと”普通の人”つまりマーケティングで言うマジョリティ層に普及するためにはテレビ受像機で使うサービスにならなければいけない。dビデオはそのためにdTVにリニューアルし、huluも同じ場所に躍り出ようとしている。

それは簡単な道のりではないだろう。奪うべき市場としては、一千万人とも二千万人とも言われるレンタルDVD市場がある。4〜500万で足踏みしていたdビデオが一千万を目指す場所ははっきりしている。huluだって100万人達成で喜ぶつもりもなさそうだ。ただ、レンタルユーザーにVODの話をしても「へー、でもTSUTAYAで満足してますが何か・・・」と言われることが多い。年がら年中面白い映画を探してるぼくなんかあまり一般的ではないのかもしれない。さらには、家電量販店のテレビ売場に行っても4KだらけでVOD訴求なんてほとんどしてない。Netflixボタンがついたテレビあります?と聞いたら店員がしばらく悩んで別の店員を連れてきてやっと説明が聞けた。

つまりテレビ主体のVODサービスは、まだニーズを喚起できていないし販売店もそもそも知識が薄い。誰が買うのか、なぜ買うのか、どこで誰が売るのか、が整っていないのだ。

それが秋までにどうなるのか、だろう。Netflixが9月だかにスタートしていきなりホットになりdTVとhuluもからめて三つどもえで盛り上がるのか、全体的に空振りになるのか。

この際ホットになってほしいし、そのために三社はかなりプロモーションをかけるのだろう。それによって日本のメディア状況が変わるのか、楽しみだ。

使用感をもっと書くつもりだった。また日をあらためて書こうと思う。

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ワーキングマザーは互いを発見することで生まれた〜博報堂リーママPJ〜

ワーキングマザーという言葉がある。ぼくたちはいま、これを普通に使うし、その言葉の後ろに様々の課題や社会的なテーマを自然に想起する。働きながら子育てをするのはただでさえ大変なのに、保育所は足りないし育休制度はやっと整ってきたばかり。そんな事柄がおのずから頭の中にわき出てくる。

だが例えばぼくが結婚して子どもが生まれた二十年前に、ワーキングマザーという言葉がどれだけ一般化していたかは定かではない。別にその頃もあった言葉だろうし、そもそも造語でも何でもないのだから、90年代に「ワーキングマザー」と言われたら「ああ、働いてるお母さんのことね」と中学生でも分かる英語として難なく受け止めただろう。

だがどうやら、ワーキングマザーという言葉が生活の中や、こうしてブログ記事の中に普通に登場し、その後ろ側にある問題を即座にイメージするようになったのは、ごくごく最近のようだ。少なくとも、この5年ぐらいの話ではないだろうか。

それはつまり、この国のワーキングマザーは実はあちこちに困難を背負わされた存在なのだとみんなが認識するようになったのが、それくらい最近のことだということだ。それがあまりについ最近だという事実に気づくと、がく然とする。

それはどういうことなんだろう。例えば50代前半のぼくたちの世代にワーキングマザーはいなかったのだろうか。そんなことはなく、いる。昔の会社の同僚にも、いるし、今も当時同様働きつづけている女性はかなりいる。

ただ、同じ職場で働きつづける女性は今に比べると少ないと思う。大変だから。大変さをこなす女性はスーパーキャリアウーマンで、仕事もチョーできるし、家庭でもチョー頑張っているようだ。つまり働きつづける女性はそういう、「超」がついて頑張れる女性に限られていたように思う。

そしてその頃は、ワーキングマザーという言葉はあまり使われてなかったし、その背景にある課題も浮上していなかったと思う。いま思うと不思議ではないだろうか。

博報堂リーママ・プロジェクトの田中和子さんから話を聞いて、ワーキングマザーという概念の意外な新しさに気づいた。
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この活動は博報堂の社内プロジェクトだが、社外とどんどんコミュニケーションをとって他のワーキングマザー、彼女たちの言うリーママとつながっていき、いろんな問題と意識を共有するために続けられている。「リーママ」という言葉を作りだしているのが広告代理店らしいが、これはサラリーマンを自虐的にリーマンと呼ぶように、サラリーマン・ママをこう呼んで、深刻になりがちなワーキングマザーの問題をもっとカジュアルに、気軽に口に出して語れるようにしようという意図のようだ。

リーママのプロジェクトリーダーである田中和子さんとはランチをご一緒しながらよもやまと話をして盛り上がった。
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彼女の話を聞いて発見したのが、ワーキングマザーは昔からいたけれど、顕在化したのはごく最近だということだった。

田中さんは研究者のご主人と、ごく普通に結婚し、子どもが生まれたあともごく普通の感覚として、博報堂で働きつづけたという。そこには「さあ私はワーキングマザーになるんだ!」という意気込みがあったわけでもなく、育休を取ったりしつつ当たり前のように出産後も復帰して働きつづけた。

しかし、博報堂という会社は、激務の広告代理店の中でもとくに勤勉な会社だ。電通に次ぐ2番手のポジションを、努力と知性で覆そうという企業文化のようなものがある。そんな激務中の激務をこなしながら、家事をこなし、育児にもエネルギーを注いだ。そのことに疑問や不満を感じてもいなかったという。そういうものなのだから、そうしていたのだそうだ。当たり前だと思っていたのに、なんだか大変。でもそんな悩みも一人で抱え込み・・・。と無理をするうちに、ある日、倒れてしまった。

救急車に乗りながら、何を自分の人生で優先すべきかが見えました。まちがいなく、子ども!そして、子どもが持つチカラを信じて育てる。子どもの力を信じながら育て、与えられた仕事にも信念を持って応える。そこさえブレなければ大丈夫!(でも、救急車はもうコリゴリです)
「リーママたちへ 働くママを元気にする30のコトバ」(角川書店)より

この時、彼女の中で彼女にとっての”ワーキングマザー”が芽生えたのだろう。これが目覚めだとしたら、それはいつ実体化したのか。

会社で研修があった。その研修は入社○○年の社員が受けるものなので同世代が集うはずだったが、仕事と家庭できりきり舞いの彼女にはそんな時間が割けなかった。

人事部はそれを気にしてくれて、その研修に参加できなかった社員を「今度はぜひ参加してね」と熱心に勧誘してもう一度開催した。その勧誘が功を奏して最初に出なかった社員がたくさん集まったら、ほとんどが子どもがいる女性社員つまりワーキングマザーだった。研修の中では自分の話をオープンに語る時間もあり、家庭と仕事の両立に悩む話をすると「私も!」「おんなじ!」と似た悩みを持つ者同士がいることがわかった。

ひとりじゃない!自分だけじゃなかった!お互いを発見した時、”ワーキングマザー”が実体化したのだ。

研修後もママ社員で集まるようになり、だったらこれを社内の活動として認めてもらおう、ということで生まれたのが、リーママ・プロジェクトなのだそうだ。”ランチケーション”と称して、忙しいリーママも集まりやすいランチタイムに昼食を囲みながら、情報共有している。他社にいるリーママたちも参加してもらい、輪を広げているそうだ。一人じゃない、一社だけでもない!同じ悩みを抱えるリーママたちがそれを共有することで強くなれる、乗り越えられる。

そうやってリーママ・プロジェクトが活動をスタートしたのは、2012年だという。

ワーキングマザーは85年の男女雇用機会均等法から、いやもっともっと前から存在したはずだ。だがそこに”問題がある”という認識はこの国では薄かった。それがいまようやく、お互いが出会い、お互いがあまりにも大変だという状況を認識しあうことで「私たちはリーママだったのか」と顕在化した。それまでは、なんだか大変だったけど猛烈に頑張ってひとりでなんとかするものだったのだろう。なんとかできてきた先達たちをリスペクトしながらも、超がつく飛び抜けた人じゃなくても、もっと普通の生活感覚でも乗り越えられるようにしたい。それがいまの彼女たちを取り巻く時代状況なのだろう。つまりそれだけ、ワーキングマザーが増えてきて一般化した、マーケティングでいう”キャズムを越えた”ということなのかもしれない。

リーママ・プロジェクトではそういう言葉の力を大事にしている。ランチケーションでのリーママたちとのやりとりから生まれた、困難を乗り越える知恵の言葉を「糧コトバ」として抽出してきた。その糧コトバをまとめてもっともっとたくさんいるワーキングマザーたちへのメッセージとして本にしたのが『リーママたちへ 働くママを元気にする30のコトバ』(角川書店)だ。

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この本には様々な要素があり、タイトルの通り30の”糧コトバ”をリーママたちの日々の暮らしの中で実際に役立ててもらう、というのがメインだが、夫婦が共に育児や家事に取り組む共働共育を訴えかけてもいる。そのための、「新米パパでもできる作り置きできるレシピ」というコーナーもあったりする。

田中さんのご主人も、彼女が倒れたことで家事育児への参加に目覚め、いまではキッチンをわが物として牛耳る料理パパになったそうだ。物事を旧来の常識にとらわれず自由に考える研究者タイプだからかもしれない。

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欲張りなリーママ・プロジェクトは、もう一冊、『リーママザベスがあなたを救う! 働くママの迷いが消える30のコトバ』という本も同じ角川書店から出している。リーママザベスというカワハラユキコさんの描くキャラクターを仲介し、糧コトバを楽しく伝える本だ。これも併せてオススメしておこう。

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博報堂のリーママ・プロジェクトと歩みを合わせるかのように、ワーキングマザーの活動は多様な団体を通じて多様に行われている。そして横でつながり”連帯”をはじめている。ママたちがつながり、パパたちの自覚を呼び起こし、これからは社会全体での子育ての大切さへと広がるタイミングのようだ。

そういう大きな流れに、ぼくも知らない間に巻き込まれているのだろう。だったらその流れに流されて、あちこちを眺めていこうと思う。

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映像業界の「 r > g 」をVODがくつがえすかもしれない〜AdverTimesの記事への追記その2〜

r>g
VODについて先週アドバタイムズで書いた。

VODは入り口にたどり着いたにすぎない。dビデオのリニューアルから未来は見えるか?

その記事で書き足りなかったことを先日ここでさらに書いた。

VODにとってテレビが大事だ、ということはどこから市場を奪うか?〜AdverTimesの記事への追記その1〜

そしてもうひとつ、追記として書いておきたいことがあるので文章にしてみたい。

ピケティという経済学者がブームなのはご存知だろう。ぼくは経済学をちゃんと学んだことはないし、ピケティの本を読んだわけでもない。ただ、要するにこういうこと、という数式のことはぼんやりながら理解したつもりだ。

「 r>g 」というやつだ。

この「r」とは「資本収益率」で「g」とは「成長率」ということで、すっごく簡単に言うと、みんながマジメに働いて経済が成長しても、資本の投資による収益性にはかなわない、ということみたいだ。

日本の映像業界にあてはめると、その通りだよなー、とぼくは思った。

一時期、映像制作会社でなぜか経営企画の仕事をしていた。CM制作を受注した際の制作管理の基準は?とか、映画製作に出資した場合興行収入がいくらだとリクープできるか?とか、そういったことを考えるのも重要な仕事だった。

つくづくわかったのは、映像制作は儲からない。大きなお金が動くので立派に見えるけど、内実は火の車だ。どこでもそうだと思う。規模のメリットがないのだ。大規模な案件は大規模なりにコストも手間も大規模にかかるだけ。逆にリスクがその分増える。

映画作るならヒットすれば儲かるんだろう、と思うかもしれないが、作るだけだと制作費をもらっておしまい。3億円で制作した映画が興行収入30億円のヒット作になっても、制作会社は3億円どまりなのだ。

3億円が30億円になったら誰が儲かるのか。製作した人たちだ。制作と製作は一般的には似たような言葉だが、映像界では丸で違う意味。制作は実際に映像を完成させる現場作業の集合体で、製作は予算を集めてどういう配給をするかとか、どうプロモーションするかなどを決める。実際に現場で汗はかかないが、ビジネス的なリスクを負って冷や汗はかく。3億円が30億円になればいいが、5億円にしかならないと製作的には赤字になるので大損をこく。

3億円の制作費で5億円の興行収入だとなぜ赤字かを説明するとまた違う話になるので、ここではやめておこう。このブログでずいぶん前に書いたと思うので探してもらえばいい。

とにかく制作と製作は違う。制作は直接的に現場を乗り越えていく、クリエイターのような職人のような、そういう作業だ。建築で言えば工務店と大工や職人達。製作は設計図を描いて資金を確保するのとできた建築物をセールスする作業。ネクタイを締めたビジネスマンの作業で、映像の場合は配給会社やテレビ局や代理店などが製作委員会を組成して受け持つ。

制作はあらかじめ決められた制作費以上は手にしない。どんなにヒットしてもリターンはない。リターンがほしいなら、自分たちも出資をして製作者の一員にならねばならない。(もっとも、関係や実績によっては出資をしない制作会社にもヒットによるリターンを得られることもあるのだが)

この制作にはリターンがない仕組みは映画以外でも映像制作界は全般そうで、アニメでもそうだ。テレビ番組も視聴率がものすごく良くても、DVD化されてたくさん売れてもリターンはない。テレビCMを作ったら商品が大ヒットしても同様。お金は増えない。

少しだけ例外があり、監督と脚本家は二次使用には印税的リターンがある。多くの映画ではそれは大した額ではない。日本映画のヒットなんか高が知れてるから。滅多にないが、大ヒットした映画は二次使用も莫大になるので年に一人くらいの監督はリターンといえる額を手に入れられるだろう。

この構造を知った時、出資をしないとリスクを負わないのだから仕方ないのかなあと思った。でもハリウッドの場合、かなり違うようだ。出資とは関係ないリターンが契約で約束されていることが多い。だから一度ヒットを飛ばすと次は自らプロデュースもしつつ作品にお金をかけられる。『ターミネーター』がヒットしたからジェームズ・キャメロンは『タイタニック』をバカみたいな予算で作れたし、それもヒットすると映画史を書き換える3D作品『アバター』を撮れた。

日本ではこうならない。出資をしない限りヒットのリターンはない。そうずっと思っていたが、数年前に例外的な仕組みがはじまった。

2009年に、BeeTVという新しい動画メディアが立ち上がった。彼らは、映像制作会社に十分な制作費を用意してオリジナル作品を作らせた。その時点で新しい傾向だった。それまでのネット動画メディアは、ネットらしい予算しか用意できなかった。そういうものだろうと受け止めて無理して制作したものだが、BeeTVは「ネットは安い」という固定観念を自分たちで覆した。

さらに、彼らは制作を発注する時点で、「ヒットした場合のリターン」を条件に入れた。これがまた驚きだった。映像制作はリターンがない、それは仕方ないとみんな思っていたのに、その常識をひっくり返した。

BeeTVはエイベックスとNTTドコモの合弁事業だ。エイベックスが音楽の世界にいたから制作者へのリターンも自然な考え方だったのだろう。

BeeTVはその後、dビデオに発展したがBeeTVはオリジナルコンテンツのレーベルの形で継続し、いまも作品を作りつづけている。

一方、Netflixは本国アメリカですでにオリジナルのドラマを制作し、質も高くヒットもしている。日本に上陸する際も、当然日本独自にオリジナルコンテンツを作るに違いない。

Neflixがリターンを考えているのかは定かではないが、日本の制作者にも十分な制作費を用意するのはまちがいないだろう。そうしないと作ってくれないだろうから。「ハウス・オブ・カーズ」の例を見ると、Netflixでの視聴期間が終わると二次使用は制作者が好きにやる、ということのようだ。もしそうなら、これも今までにない形。お金を出した人は二次使用も当然もらうからね、というのが常識だったわけで。

今年2015年はVODがほんとうの意味で普及しはじめるかが注目されるわけだが、ぼくは一方で映像制作界の常識が変わるのではないかと期待している。オリジナルコンテンツでは、制作者へのリターンが一般化するのではないか。BeeTVのみならず、Netflixはもちろん、他のVOD事業者もそうする可能性はある。優れた作り手を確保するには必要になるはずだから。

「 r > g 」が当然だった映像業界が変わるかもしれない。不等記号が逆さまにはならないにしても「 r = g 」に近づく可能性はある。

VODがもたらすのは、視聴者にとってだけでなく、むしろ作り手の立場なのだと思う。そのためには、作り手もビジネスマインドを持つ必要があるだろう。

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大阪というカウンターカルチャー〜GALAC5月号「テレビのイノベーションは大阪から始まる」より

放送批評懇談会という団体が毎月出す『GALAC(ぎゃらく)』という雑誌がある。いわゆる業界誌でテレビを中心とした放送業界向けに出版されている。その5月号(4月7日発売)で「テレビイノベーションは大阪から始まる」という特集が組まれ、ぼくも総論的な原稿を書いた。九州出身者なりの大阪文化へのエールをこってり込めた原稿だ。自分としても思い入れがあるのでぜひ多くの人に読んでほしいと思い、編集部とも相談して、このブログへも転載することにした。テレビの話だが、それに限らず地方分権にもつながる内容だと思うので、ぜひ読んでください。
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大阪というカウンターカルチャー
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人生には大阪発の番組と関西文化が何度も登場する
 筆者は福岡出身で、なおかつ62年生まれの典型的テレビっ子世代だ。九州から見ると、大阪は東京同様の異世界であり、なおかつ東京より近しい文化圏だった。東京は下から見上げる存在だったのに対し、大阪は肩を組める等身大の兄貴分。小学生の頃は、半ドンで帰宅するとインスタントラーメンを食べながら『吉本新喜劇』を見るのが土曜日の楽しみになっていた。岡八郎、船場太郎、山田スミ子、桑原和男、チャーリー浜といったスターの数々の名前をいまもパパッと思いだせる。間寛平はまだ若手だった。中でも花紀京はずば抜けて面白く、最高のコメディアンだと思った。
 『プロポーズ大作戦』や『ラブアタック』を大阪のテレビ局がつくっているのは司会者が関西弁の芸人だからわかっていたが、『ルパン三世』も“よみうりテレビ”とクレジットが出てきたし、自分が好きな番組のかなりの部分は大阪で制作されているのだということはなんとなく知っていた。つまり70年代、私がものごころついてから見ていたテレビの中で、大阪は東京と並んで中心にいる存在だった。
 小学四年生の時に、ウルトラマンシリーズとは全くちがうヒーローものがはじまった。不気味な仮面をつけて、オートバイで駆け回る等身大のヒーローに最初子どもたちは戸惑った。「2号」が登場して「ヘンシン!」とやりだしたらみんなこぞって見るようになった。塀からヘンシン!と飛び降りてケガをする子どもが続出し問題になった。カードがおまけにつくスナック菓子が、中身を食べずに空き地に捨てられているのをよく見かけた。社会現象となった『仮面ライダー』が大阪の毎日放送の番組だったのを知ったのはつい最近だ。石森章太郎のマンガが原作だが、その誕生には毎日放送の人びとの意志が少なからず反映されていると聞く。ウルトラマンが巨大だったのに対し、ライダーが等身大であることは、何か象徴的な意味がある気がする。
 80年代になり、大学に入って東京に出てきたころは音楽にのめり込んでいた。ある夜、たまたま足を踏み入れた下北沢の飲み屋はブルースマンのたまり場で、以来通いつめた。関西出身の伝説のバンド、ウエストロードブルースバンドの元メンバーたちがたむろしていた。関西はなぜかブルースバンドが多く、ソーバッドレビューや憂歌団も生み出している。ニューミュージック全盛の80年代に、ブルースの気取らない雰囲気や泥臭さが、関西弁とマッチして心に響いた。
 “大阪”は何度もそうやって筆者の前に登場し、どこかカウンターカルチャーのにおいをさせていた。東京とは別のもうひとつの中心地として、東京に唯一対抗できる地方として、存在感を強く発揮していた。

「もうひとつの中心」から後退していた一時期
 だが80年代から90年代にかけての大阪は、東京に実権を明け渡したかのようだ。「中心を大阪から東京に移す」動きがあちこちで起こり、大企業が宣伝部など重要な機能を東京に移したりした。テレビ放送もその流れに乗っていった。これはそもそも、70年代にテレビ放送が「東京中心のネットワーク」として再整備され、いわゆる「腸捻転」が解消されてからの流れだと言える。70年代からの20年間で、テレビ放送とは「東京から番組を全国に送り届け、それとともに東京の企業のCMを津々浦々に配信する」システムだということになった。
 90年代に“平成新局”が続々生まれることでついにそれは完成された。だがそれは、大阪という“もうひとつの中心”の存在意義をあやふやにした。大阪キー局も“東京制作”のセクションをつくり、その傾向に対応していった。とくにゴールデン、プライムのバラエティやドラマは、大阪局制作のクレジットだが東京で制作しているものがほとんどになっている。タレントの移動の便を考えると、その方が都合いいのだろう。
 それでもたまに大阪に行くと、ホテルのテレビで見る深夜番組は、もうひとつの中心としてのパワーではちきれそうだ。20年前の漫才ブーム以降、東京では見なくなった「ザ・ぼんち」が20年前以上のはじけっぷりで画面を暴れ回っていたりする。去年訪れたいくつかの関西キー局のロビーではいまもポスターに「やしきたかじん」の顔がどーんとあって、彼の冠のついた番組を宣伝している。ポスターから「東京に何もかんも明け渡したらアカンで!」という声が聞こえてくる。大阪はいまも堂々と大阪だし、東京に何も譲っていないことがそこへ行くとわかる。

大阪キー局には、地方代表としての新しい使命があるはず
 これからまた大阪は、筆者が子どもの頃のような存在感をテレビ界で発揮していかねばならないのだと思う。それは、ローカルの意地とかいう精神論の前に、時代の要請が高まるはずだから。大阪自身がもう一度新たなパワーを持つべきだというのもあるが、地方代表として、新しいローカルの有り様の範となるべきだからだ。
 そのための挑戦がすでにはじまっていることは、今号の特集で各記事に書かれている通りだ。大阪というカウンターカルチャーがまた動き出しているのだ。
 それを裏付けるような研究成果が3月3日のNHK文研フォーラム『テレビ視聴の東西差』で発表された。2005年の調査では、20・30代の視聴率上位番組は関東と近畿でかなり一致していた。ところが2014年になると近畿の上位番組が大阪制作もしくは関西芸人が司会する番組中心になった。大阪パワーが地元での具体的な視聴に表れはじめているのだと言える。
 筆者なりに大阪キー局でトライして欲しいと考えているのは2点。ひとつは全国に(そして世界に)発信することと、もうひとつは地域にいままでにも増して密着することだ。
 在京キー局は見逃し無料視聴を共同で行う実験をはじめるようだが、大阪キー局が自社制作の番組をまとまって視聴できるWEBサイトをつくったら、おそらくびっくりするほど再生されるだろう。東京キー局の見逃し配信はCMをつけてかなりの売上を稼ぎだし、出演者にリターンができるようになりつつあると聞く。関西でしか放送されてない番組をネットで配信すれば全国の人が見るようになり、広告収入も収益性が大いに見込めるはずだ。ローカル局の自社制作比率は平均9%だが、関西キー局では30%強が普通。配信できる資産は、日々大量に生み出されているのだ。
 さらにそれを英語と中国語の字幕をつけて配信すれば、世界中からアクセスされる。海外の人びとに関西文化をダイレクトにアピールできるのだ。観光客の関西への誘致に絶大な力を発揮するはずだ。そして日本企業の海外向けのCMをつければ、広告収入も稼げる。中国市場を重要視する日本企業はいまや多く、中国国内で広告を打つより効率的だと感じてもらえるかもしれない。
 こうした外側へのアピールと並行して、地域に新しい形で密着していく内側への努力も重要になる。実はそのためにこそ、マル研のSyncCastのような、番組を見ながら使えるセカンドスクリーンは役に立つ。うまく使えば、地域企業に合った形の情報配信をサポートできるのだ。15秒で商品認知をさせるテレビCMに加えて、事細かな情報をセカンドスクリーンで送り届けることは、地域の企業のニーズにかなうはずだ。
 また、テレビ局だからこそリアルな場での地域との接触や貢献が逆に求められ、効果を発揮すると思う。筆者は先日、イオンモール岡山に一部移転したOHK岡山放送を取材したのだが、そこに見た新しいローカル局の有り様にカルチャーショックを受けた。岡山放送の例を参考にすると、ショッピングモールのような地域の施設との協業や提携は大きな効果をもたらしそうだ。何よりも視聴者から見て身近な存在になることは今後いままでにも増して強く意識すべきではないだろうか。放送局自身が、人びとの生活の場におりていくことがいま必要だと思う。

ブロック圏の放送局のあり方のモデルという役割
 地域との関係に関しては、大阪キー局は別の視点で特別なモデルとなりうると思う。それはブロック圏でのテレビ局のあり方だ。ご存知の通り、近畿地方は広域放送圏と呼ばれ、放送エリアが大阪府だけでなく京都府、奈良県、兵庫県、さらには和歌山県、滋賀県と6つの都府県に広がっている。日本の行政区画として道州制についてよく議論されるが、関西は放送に限って道州制が敷かれているのだとも言える。
 道州制が各地方にとって今後よい方向に働くのではとの見方に立つと、テレビ局も地方ごとにまとまっていくべきなのかもしれない。別に合併だ再編だなどとキナ臭い話でなくとも、放送局が県域を超えて協業や提携していくことは放送の中身でも営業面でもよい効果をもたらすのではないだろうか。その際、関西は先んじたモデルになる。
 また、この1月に出版された脇浜紀子氏の著書『「ローカルテレビ」の再構築』(日本評論社)には興味深い問題提議がなされている。「ローカルテレビ」を地上波局だけでなくケーブル局も含めてとらえ、その連携によって互いの不足点を補えないか、というのだ。これは、讀売テレビのアナウンサーとして報道に携わってきた氏が、広域圏の局では個別の地域の報道や情報がカバーしにくいとの思いから出てきた問題意識だ。(一文削除)
 この論を参考にすると、関西局がケーブル局とも連携しながら、広域圏をうまくカバーしていく姿が思い描ける。そしてそれは、他の地方のテレビ局にとっても力強い連携モデルになるかもしれない。地上波局とケーブル局の拠点が各地域に分散的に存在して役割を果たしつつ、それらをまとめていく基幹局が地方全体にとって重要な役割を果たす。そうした、各地方における複合的な放送局のあり方について、関西局は範となれるのではないだろうか。

 長々と雑多なことを書いてきたが、ようするに関西のテレビ局には今後ますます、在京キー局とは別の道を歩むべくがんばって欲しいということだ。それが必要な時代がはじまっている。そしてその実現には、これまでの常識や習慣を見直したり、場合によっては捨てたりする勇気が必要だ。
 もっと端的に筆者の願いを言うと、小学生の頃に慣れ親しんだ♪プンワカパッパ〜プンワカパッパ〜のテーマソングとともに、あのしょうもない喜劇を気軽に見られるようにして欲しい。インスタントラーメンをすすりながら毎週過ごしたあの素晴らしい時間を、見たい時にスマートフォンで再び体験できれば、何度でも見ると思うのだがどうだろうか。

『GALAC』5月号については、こちら→放送批評懇談会『GALAC』サイト

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VODにとってテレビが大事だ、ということはどこから市場を奪うか?〜AdverTimesの記事への追記その1〜

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AdverTimesの連載で、VODについて書いた。

VODは入り口にたどり着いたにすぎない。dビデオのリニューアルから未来は見えるか?

VODは書きたいことがいっぱいあるので長くなってしまったが、それでも書きそびれた部分があるので、追記記事をここで書こうと思う。追記でさえ2回分にもなる予定だが。

ちなみに、クリエイティブビジネス論はVODについて何度も何度も書いてきた。数えようとしたら何十本もあってあまり多いので数えるのをあきらめた。

興味あったらここから読んでください。

→クリエイティブビジネス論の”VOD”の検索結果

さて書き足りなかった点とは、テレビという端末の重要性だ。

VODで非常にややこしいのが、サービス端末として、PCもあればスマホもあるしタブレットもあってテレビもある点だ。そして今や、どのデバイスでも使えるサービスがほとんどだが、そうは言っても使い勝手はサービスによってずいぶん違うし、テレビで使う際にどういう仕組みかは大きな要素だ。

そして確かにスマホでも見るし、人によってはスマホでいちばんよく見るとか、スマホだから利用しているんだとか、様々だろう。

だが、VODの”本拠地”は結局、テレビになるだろう。dビデオがdTVになるのも、サービスとしてテレビをめざすことを宣言した、ということだ。

というのは、今後のVODはいよいよ、TSUTAYAユーザーを取り崩すことになるからだ。

前にNetflixの記事を書いた時、なまじ「黒船」という言葉を使ったために、「Netflixという黒船がテレビを崩壊させると言いたいのだな」と誤解する人がいたようだ。でも実際には記事の後半で「(日本とアメリカはテレビ事情が違うので)アメリカ同様に普及するかは疑問ですね」と書いているのに。

Netflixがテレビを凌駕するわけがない!とチカラを込めていくつもの論拠を挙げて書く人もいるが、あんまり意味がないんじゃないかなあと思った。だって、どんなサービスかいじれもしないし、プロモーションコストをどれくらいかけるのかもわからない。そしてどうなるか見えるのは何年も先だ。いまテレビ放送にとってどうなるかはわからないとしか言いようがないと思う。huluだって日テレが買うなんて、上陸時には誰も想像してなかったことだ。

テレビにとってどうかを語る前に、ずっと生々しいのが、TSUTAYAなどレンタルビデオ業界への影響だ。初年度から影響が出るとしたら、まずそこに決まってる。そしてだからこそ、テレビが大事なのだ。

TSUTAYAの会員数ははっきり公開している数字は見当たらない。だが、少し古いがこのページの数字から類推すると、3年前には2500万人はいたことになる。

→TSUTAYA年間DVDレンタル枚数過去最高の7億4,224万枚 ~1人当たり年間DVDレンタル枚数も過去最高の28.9枚に~

単純な算数で、7億4000万を28.9で割ると、2500万人overという結果が出てくる。3年間で減少はしただろうけどライバルのGEOや中小事業者も考えると、3000万人くらいはいる市場だと言える。

実際、いまもたまにTSUTAYAに行くと、休日ならレジに列ができるほどお客さんがいる。

ただ、レンタルDVD市場は2007年以降縮小の一途をたどっている。これはGEOが安売り攻勢を仕掛けてきてTSUTAYAも対抗せざるをえなかったからだ。お互いに消耗してデフレスパイラルを自ら作って吸い込まれている。単価は下がったが、一人が借りる枚数は増えた。そのため、利益は減るのに人件費はかかってしまい減益の底なし沼にすっかり入って抜けられなくなっている。

一方TSUTAYA TVつまり彼らのVODは大変残念なことに使い勝手が悪い。これは早く手を付けすぎたために一昔前の技術で構築してしまったからだ。そこで家電販売などいろんな新機軸を打ち出すようだが、この春の二子玉川の出店がどうなるかだろう。かなりきびしそうだ。

そんな弱ってるレンタルビデオ業界の顧客こそがVODのターゲットだ。つまり、テレビでDVDソフトを楽しんでいる人びとが何千万人もいる。その人たちには潜在的にVODを選ぶ可能性があるのだ。

そしてAdverTimesの記事にも書いた通り、テレビ向けのVODサービスがはっきり言って使い物にならなかったので、彼らにアピールできてこなかった。プロモーションもちゃんとできてなかったし、家電量販店でもセールスポイントにしてこなかった。使いにくいしわかりにくいから。

2000万だか3000万だかの潜在顧客がいて、これまでのサービスがふがいなかった。だから新しいVOD事業者はテレビをめざすべき、なのだ。dビデオがdTVに装いを変えるのは、そういう背景だ。

だが、だからと言って簡単ではないだろう。何しろ、VODはわかりにくい。

30代前半の、かなり映画好きの友人はVODを使っていない。どこがどんなサービスをやっているか、ほとんど知らなかったし、MacユーザーなのにAppleTVについてまったく知識がなかった。Netflixで大騒ぎしているなんてごくごく一部の人たちで、普通の人は「ていうか、VODってどうすればいいの?」って感じのようだ。

そして実はもうひとつネックなのが、サービス分類だ。huluはSVOD、NetflixもSVOD、そしてAppleTVはTVOD。

SVODは月額固定料金で、何をどう見ても料金は変わらない。TVODは都度課金で、ひとつの作品を見るのに、300〜500円かかる。

そのぶんTVODには新しい映画がラインナップに並ぶ。いまや、DVD発売と同時にラインナップされるのだ。いまだとAppleTVには「インターステラー」が入っているが、これは2014年11月劇場公開作だ。半年も経っていない。

SVODにはそこまで新しい映画は入っていない。huluは日テレが買収したので戦略的に今クールのドラマを配信しているが、他のドラマや映画は何年か前の作品しか入っていない。SVODは基本的には新しいコンテンツを見るものではないのだ。だから80年代の不朽の名作を揃えたほうがずっといい。

その違いは、しばらく使わないと感覚的につかめないだろう。huluで「インターステラー」を探して入ってないからと腹を立てても仕方ないのだ。

だから、SVODとTVODは両方使うことになる。そしてこれがなかなかややこしい。

ぼくはAppleTVとhuluの両方を使っている。新しめのをAppleTVで探し、見そこねていたものをhuluで探す。ただ時々、AppleTVで300円出して見たものが、よくよく見るとhuluに入っていたりする。AppleTVでお金を払ってみた映画が、次の月にhuluに入ってることもあった。こういう時はすごく悔しい。

実はdTVは、ひとつのサービスで両方ある。月540円で見放題のリストの中に「¥」アイコンがついたものが混じっていて、それは「レンタル作品」と呼ばれ、300円とか500円とか払わねばならない。でも上に書いたようなややこしさはなくなるわけだ。

ここもゆくゆく、ポイントになりそうだ。SVODだけではおそらく多くの人が満足できないので、TVODは誰が提供するのか、ユーザーも事業者側も考えるようになると思う。

ということで、これから五年間ぐらいの間に、テレビ端末を主戦場とした競争が展開される、というのがぼくの読みだ。・・・というか、すでにはじまってるし、間違いないことなんだけどなあ。テレビが大事、と言うと引っかかる人がいるようだ。テレビが大事と書くとつっかかられ、テレビが崩壊と誤解されてイヤなこと言われる。VODの議論はいろいろ逆なでする傾向にあるらしい。

その2も書くから、また読んでね。

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保育園建設に反対する声を「心が狭い!」と責める前にぼくたちが考えるべきこと

ハフィントンポストにこんな記事が載った。

「保育園、住民の反対で開園延期 子供の声による騒音だけでなく、親のマナーも懸念」

目黒区でこの4月に向けて新設中だった「さくらさくほいくえん」が、地元住民の反対で開園を延期したことを伝えた記事だ。「いいね!」もたくさんついているが、まあまずは読んでみてほしい。園側も説明会を7回に渡って開催し、防音対策を約束するなど理解を求める努力はしたが、間に合わなかった。

この記事を読むと、「子どもは宝なのに心が狭い」などと思ってしまう。実際、twitterなどではこの記事について反対した住民側を非難するつぶやきが多い。ぼくもまず、そう感じてしまう。

だが、保育園に反対するのは悪人だと決めつけたくもない。このテーマを扱った去年(2014年)10月のNHK『クローズアップ現代』を見たことがあり、ことはそう単純でないと知ったからだ。

この番組は全文書き起こしで”読む”ことができるので、パパッと読んでもらうといいと思う。

NHK『クローズアップ現代』書き起こし「子どもって迷惑? ~急増する保育園と住民のトラブル~」

番組を見ると、中野区の保育園新設に反対する人びとが出てくる。静かな街に、憩いの場だった公園を潰して保育園を造ることに不安を感じる老人たち。騒々しいんじゃないか、自転車が行き交い事故が起きないか。老人たちは穏やかな生活が壊されないかと、脅えているのだ。心の狭い意地悪な悪人たち、ではない。不安がっているだけだ。

千葉大学大学院の木下勇教授がコメントする。子どもたちの遊び場を、年代を追って調査してきた木下教授が示したのは、住宅街で子どもたちの遊び場の面積がどんどん減っている現実だ。子どもたちと大人の接点がいま、ほとんど失われてしまった。空き地で子どもたちが走り回る姿も、そんな子どもたちに笑って大人が呼びかける姿も、見かけられなくなった。

一方、うまくいった例も後半に出てくる。世田谷区太子堂で保育園新設の話が出て、やはり老人たちを中心に反対運動が起こった。園側は一年間かけて説明会を何度も開いて理解を求めた。住民と保育園の間を取り持つ人物が現れた。まちづくり協議会の梅津政之輔氏だ。「子どもの声のしない町には未来がない」と考えた梅津氏は、話し合いを仲介し、園の建設計画を変更したり、住民達の不安を解消する対処を行った。

当時の園長、栗田怜子氏は「建てたあとに地域の仲間として迎え入れてほしいと、応援をお願いしました」と語る。

こうした園側の粘り強い姿勢と、梅津氏の信念により、住民たちも理解し、受け入れてくれた。

番組の最後に、地域の祭に参加する保育園の子どもたちと、見守る老人たちの様子が出てくる。子どもたちのおかげで町が明るくなり、元気をもらう老人たちを見ると目がじわっとしてしまう。

保育園を建てる園としては、あるいは行政としては、保育園が足りないという声に応えねばならないという使命感と焦りがあるだろう。みんなのためにやっているのに、どうしてわかってもらえないんだ。そう感じてしまうかもしれない。でもその町で何十年も生活を築いてきた人びとからすると、保育園は異界からの侵入者に見えるのではないか。その気持ちはないがしろにできない。侵入者に見えているのを、どうすれば仲間として受け入れてもらえるかを考える必要があるのだ。

そうすると、園や行政だけでなく、子どもを預ける側も含めて、そのコミュニティに入っていく姿勢が必要になるのだと思う。
20141226_sakaiosamu_01
前にもブログで使ったこの図をもう一度見てもらうと、いま、こういう社会構造の変化が必要で、「保育園の新設」はまさにこういう変化に他ならない。つまり保育園を新しく造ることは、コミュニティの再構築を行うようなものなのだ。摩擦が起こるのも当然だし、反対運動も出てくる、受け入れてもらうのに一年かかるのもいたしかたない。

反対する住民は、悪人ではない。そして、反対の声に耳を傾け、騒音の対策はするとしても、ほんとうに大事なのはそうした「対策」ではないのだと思う。壁を高くしたり、園庭で遊ぶ時間を制限したり、そうやって住民達と子どもたちを”遮断”するのではなく、むしろ子どもたちを保育園のある町に溶けこませることが必要なのだ。保育園がその町の一部になることを考えねばならないのだ。そして、子どもたちが駆け回る空き地が失われた中、子どもたちと住民たちの間に交流を生めるかを園や行政は考えねばならない。

最初に紹介した記事では、親のマナーも住民たちが気にすることが書かれていた。それは少しちがうのだと思う。園の前で立ち止まって母親たちがするおしゃべりに、住民たちも加わってもらえるかなのではないか。自転車がたくさん園の前に停まっていたら、住民たちが「あらあら危ないから、そんなとこに停めるならうちに停めちゃって」と庭を提供してくれる、そんな関係づくりをできるかどうかだと思う。

『クローズアップ現代』の最後に木下教授がこう言っていた。「反対の声は問題を共有するきっかけなんです」つまり、反対する声の延長線上には、少子化だけでなく高齢化の問題が見えてくるのだと。反対の声が上がるからより大きな視点での問題点が俯瞰的に見えてくる。ぼくたちはそこで、誰が悪人かを探すのではなく、そこに潜む本質的な問題点をこそ見いださねばならない。

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これからの若い世代のコンテンツ体験は、飛躍的に加速する。〜hulu会員100万人突破〜

うちの娘(高一)はかなり変わった女子高生だ。小説が好きで中学生の頃は伊坂幸太郎などの人気作家のものを読んでいてまだ理解できたのだが、最近は純文学に走っている。芥川賞受賞時にワイン片手にテレビに映ってひんしゅくをかった田中慎也がお気に入りなので十分変なのだが、最近は遠藤周作を買いあさっている。遠藤周作ってあの狐狸庵先生とも呼ばれ違いが分かる男としてゴールドブレンドを飲んでいた作家、くらいしか知らない。もはや父の理解を超えてしまって今後が楽しみではある。

そんな娘は映画やドラマも好きで、やはり変わった趣味嗜好、もはや日本のテレビドラマは見なくなった。いちばんのお気に入りは『ウォーキングデッド』。ぼくも一緒に見て、今回はひときわ残酷シーンが多かったなあと娘に言うと「うん、満足した」と答えたりする。

『ウォーキングデッド』を発見したのはhuluだった。うちはAppleTVがあるのでhuluもAppleTV経由でテレビで見ている。娘はhuluでゾンビものをほとんど見たあげく、『ウォーキングデッド』にたどり着いた。シーズン3あたりまで入っていたのをひと通り見て、ついに放送に追いつき最新話をFOX TVで見るようになった。放送で見るに越したことはないが、何らか見逃してもhuluで視聴できて便利だった。もちろん録画はするのだけど時々忘れてしまう。ある時期からはhuluからdビデオに配信先が移った。こないだ最新話を見逃し、録画もしそこねていたので娘に責められた。そこでdビデオに加入して許してもらった。

『ウォーキングデッド』だけでなく、娘はhuluを利用し尽くそうとしている。ぼくの知らない間にあらゆるドラマ、映画を視聴し倒している。それにhuluのコンテンツは日テレが買収して以来ますます充実していて、メジャーな作品がかなり増えた。

いつの間にか彼女は、スピルバーグやタランティーノなど監督で作品を選ぶようになった。ぼくは一緒に見たいので「これもタランティーノ作品だよ」と勧めて見たりする。彼女はドライなので、「パパって映画のこと詳しいね」などと褒めたりはしないが、心の中ではリスペクトしてくれているにちがいないと勝手に信じている。

高校生がhuluやdビデオであらゆる映像作品を視聴できるなんて、すごい時代だと思う。ぼくは80年代に大学に入って東京に出てきて、東京中の名画座を、ぴあとシティロードを片手にさまよい歩いた。ヒチコック特集、鈴木清順特集、なんてプログラムが組まれると毎日通った。銀座にあった並木座へ行けば小津安二郎や黒澤明の作品が気軽に見れた。

でもお金も労力もかかった。大学時代に何していたかと言えば、名画座で映画を見ていた時間が5割くらいではないだろうか。アルバイト代は映画代と飲み代で簡単になくなった。

そんな努力をしなくても古今東西の映画が観られるhuluやdビデオは当時からすると魔法みたいだ。娘は合計1500円を月々払うだけで、学生時代のぼくより映画通になろうとしている。いや1500円はぼくが払っているからタダだな。

huluの会員数が100万人を超えたという。dビデオは400万人程度いる。JCOMのVODサービスは視聴可能世帯が300万位らしい。光テレビも確か100万世帯は軽くいる。他にもU-NextやAppleTVなどVODサービスは多様にあり、それぞれ数十万は会員がいる。重複は置いとくと、VODサービスの加入世帯は1000万程度いるのだ。

そんな中に、うちの娘は極端にしても、VODを頻繁に利用する若者たちが登場している。彼ら彼女らにとって、コンテンツワールドの入り口はVODなのだ。ぼくが何年もかけて名画座を回って得たコンテンツ体験を、娘たちは家にいながら一年間で獲得してしまう。

コンテンツ体験が加速している。娘たちの世代は、史上なかったほど目が肥えた視聴者になるのかもしれない。そこからどんな未来が見えてくるのか、見当もつかない。

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「言わないとわからないの?」「言ってくれなきゃわかんないよ」

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先週の話になるけど、NHK「あさイチ」で”ガキ夫”というテーマでタレントたちが議論していた。言葉通り、ガキみたいな夫たちのことだ。

ガキ夫とは具体的にはどんな夫かというと、NHKの番組ホームページにはこうあった。

「パジャマは脱ぎっぱなし、家事をお願いしても、やりたくないことはしない、ちょっと指摘するとスネる・・・。アンケートをしたところ、8割近い女性たちが“夫の行動や言動”を“ガキっぽい”と感じ、困っていると回答しました。」
NHKあさイチ「男リアル ガキ夫のなぜ?」より

しかも”ガキ夫”で何が悪い、と男性陣は開き直る。VTRに出てきた一般人の”ガキ夫”座談会でも、自分はガキ夫ではないと主張するより、別にいいじゃないかー、と言っていて、それがまさしくガキ夫だった。

かく言うぼくも、十分に身に覚えがある。その場に妻がいなかったのは幸いだった。

一方、今週最終回を迎えたフジテレビのドラマ「残念な夫」は妻が毎週欠かさず見ていた。コメディだから笑いながら見てもよさそうだが、じーっと笑うでも怒るでもなく、ただ熱心に見ている。子どもたちが赤ん坊だったのはもう十年じゃきかない昔なのだけど、いろいろ思い出しているのだと思う。

時折、ぼくも一緒に見るのだが、これがなかなかいたたまれない気分になってしまう。身に覚えだらけだからだ。黙って見ていることに耐えられず「あはは、いやー男は父親になるのに時間がかかるからねー」と言ったら、「あら、母親だって同じよ」とそっけなく返された。やぶへび。もう黙って見るしかないね・・・。

『赤ちゃんにきびしい国で、赤ちゃんが増えるはずがない』なんてタイトルの本を出したので「このおじさんはおじさんのわりにイクメンらしい」と言われることがあるのだけど、妻からすると「あなたってこういう本を出す人だった?」と思っている様子だ。実際ぼくは、イクメンとは到底言えなかったと思う。

5才上の姉に「男と女は平等なんよ」と言って聞かされて育った。学生時代は、「では男と女は何が同じでちがうのか」とよく考えていた。できるだけフラットな視点で男女を見つめたいと思った。男は働き女は家事だ、という固定観念は持ってなかった。固定観念から自由であろうと思った。

フリーになるのと同時に結婚した。しばらくは自宅で仕事した。妻は勤めていたのでぼくが夕食を作って待つこともあった。料理は好きだったので当初から時折やっていたのだ。あくまで時折。

妻が子どもを身ごもった。出産には、立ち会うことにした。イメージとしては、いきんで苦しむ妻の手を握り、励ましながら一緒に出産する様を想像していた。妻が分娩室に入り「いよいよです」と言われて入ったら、そこは修羅場だった。手を握るどころか、居場所などなく邪魔なだけだった。ぼう然と立ち尽くす間に、妻は一人で苦しんで一人でいきんで一人で出産した。立ち会ったというより、立ちすくんでいただけだった。

赤ん坊との生活が始まり、ミルクを温めたりオムツを替えたりはぼくもやった。それは楽しいものだった。仕事部屋で書いたり考えたりし、行き詰まったら妻と赤ん坊のところに行く。幸福な日々だった。

ある朝、目が覚めると妻が疲れた顔で赤ん坊を抱えていた。何かに怒っている風だった。「どうしたの?」と聞くと、「どうして起きないかなあ、あれだけ泣いてるのに!」と不満げ。夜泣きして大変だった様子。「えー、起こしてくれればいいのに」「起こすのは悪いでしょ!」と怒りながら言う。ええー?!なんだそれ。どうしろと言うのだ。

どうしろと言うのではないわけだ。ただ、自分と一緒に起きてくれればいいのに、なぜぐっすり眠っているのだ、と言いたいのだろう。だからといって、起こすのは忍びない。起こしても、何をしてくれということでもないのだから。むなしい・・・不公平だ・・・そんな気持ちなのだと思う。思うのは、いまこうして思い返すからで、当時は、何がなんだかわからなかった。

赤ん坊を抱いている妻。その脇で、何をしたらいいのかわからず見守る夫。これが「基本構図」だと思う。

妻が買い物に出かけるというのでぼくが赤ん坊をひとりで見ることがあった。妻は心配したが、ミルクもおむつも大丈夫だとうながした。赤ん坊は泣きだした。あやしたり、なだめたりするが泣きやまない。ミルクをあげても飲まない。おむつも湿っていない。だったらなんだ?とにかく懸命にあやす。そこにある、ありとあらゆるおもちゃや道具を使ってあやそうとするのだけど、まったく泣きやまないどころか激しさを増していく。どうして泣きやまないのか。こんなに愛してこんなにあやしているのに、泣きやまない。意地悪か?何かの罰か?悪いことでもしたか?もうイヤだ。もう耐えられない。お前なんか知らない。お前なんかおれの気持ちをわかろうともしない。ひどい奴め!こんな赤ん坊なんか!・・・壁にぶつけたくなって、いかんいかんいかんと思いとどまる。ああ、おれときたら何をいま考えていたのか。こんなにかわいいのに。こんなに愛おしいのに。ごめんな、ごめんな。などとひとりで葛藤していたら、妻が帰ってきた。

この話は前にも書いたことがあるが、ちゃんと書かなかった点がある。帰宅した妻は、よーしよしよしと赤ん坊を抱っこし、ぺろりとおっぱいを出して赤ん坊にくわえさせた。なんと!あっさり泣きやんだ赤ん坊はちゅぱちゅぱ乳を飲みはじめた。ぼう然。なんだよ、それ・・・なんだよ、それ!おっぱいかよ!ミルクじゃダメでおっぱいだったのかよ!悪かったな、パパで!おっぱいついてなくて、悪かったな!

衝撃を受けた。そこに真実を見た気がした。そうか、おっぱいなんだな。おっぱいは母親の象徴であり、父親は絶対に持てないものだ。何か打ちひしがれた気分だった。どうやっても、天地がひっくり返っても、おっぱいにはかなわない。

育児について、女だけのものではない、男も主体的であるべきだ、という声を聞く。「育児を手伝ってます」という夫に「”手伝う”という言葉は、主体性のなさの表れよね!」と責める妻もいるようだ。そんなの理屈で言葉にすぎないと思う。ぼくの実感は、育児とは”手伝う”ものだ。それはそれでいいんじゃないか。だってぼくらには、おっぱいがないんだよ・・・。おっぱいがないのに、育児に主体的になどなれないよ。その哀しさ切なさは、わかんないと思う。

それでももちろん、父親も育児に関与せねばならないし、日本の父親は明らかに育児に関与できていない。働きすぎだからだし、会社に問題があるからだが、それにしても関わろうとしなさすぎだ。ガキ夫と言われて開き直ってる場合ではないだろう。

パパからすると、育児はよくわからないしママのほうが赤ちゃんのことわかってるし。でも意外にママも困ったり途方に暮れたりしているので、そこを”察して”、これはやろうかとか、こうしてみようかとか言ってあげたり、したほうがいいみたいだ。

ママのほうも、かわいい奥さんでいたいとか良妻賢母になりたいとか、思ってもいいけどそのために無理するくらいならやめたほうがいい。やってほしいこと、してもらいたいことがあったら、はっきり口に出して言ったほうがいい。ガマンしてストレスを抱えるより、言いたいことはズバズバ言ったほうがいい。男は鈍感だから、言葉にしないとわからないのですよ。

そうやってお互いをわかろうとしたり、わかってもらおうとしたり、していかないと乗り越えられないことがある。それに、そうやったって、どうやったって、すれ違うし食い違う。こういうところはすれ違うのだなと諦めたり、でも諦めずに言ったりしながら、たがいに父になり母になり、もっと夫になりさらに妻になるのだと思う。

そんなことしてるうちに、ぼくはいつの間にか父親になっていた気がする。自分のために働いていたつもりが、家族のためにがんばらなきゃと思うようになっていた。家族のためにがんばろうと思うと、何だって乗り越えられた。『そして、父になる』という映画があったけど、父親とはまさに、「そして、なる」ものだと思う。あ、しまった、はい、もちろん、母親もそうですよね。

産後の夫婦は戸惑い、すれ違い、食い違うことは多いだろう。なんでわかってくれないの?なにをどうわかれというんだ?ふたりの愛の結実が赤ちゃんなのに、せっかく授かった赤ちゃんがもとですれ違ったままでは意味がない。でもそのすれ違いを乗り越えたら、何だってふたりで乗り越えられるはずだ。どんな苦難も乗り越えられちゃうパートナーこそが、夫婦なのだから。そんなことを妻が寝た後、『残念な夫』最終回をひとりでこっそり録画で見ながら思う50代の残念な夫であった。よかったな、陽一!これからまだまだいろいろあるぞ、がんばれよ!

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あちこちの壁に穴を開けたら、社会は少しずつ変わっていく〜紀伊国屋書店でのイベントに治部れんげさんをお招きした件〜

たぶんあなたはジャーナリスト・治部れんげを知っている。名前を言われてパッと思いつかなくても、彼女が書いた文章を読んだことはあるはずだ。

ぼくが彼女の名前を認識したのは実は最近のこと、この一年以内だ。「赤ちゃんにやさしい国へ」のシリーズを書きはじめてから、いろんなことを探ったりふと目についた記事を読んだりしているうちに、その名に出会い、文章に引き寄せられた、

書籍『赤ちゃんにきびしい国で、赤ちゃんが増えるはずがない』の中にも2回、治部れんげの名前が登場する。ひとつは、ブログでも書いた、保育園一揆の曽山恵理子さんについて調べた時だ。

【赤ちゃんにやさしい国へ】保育園一揆のジャンヌ・ダルクが砦を持った〜曽山恵理子さんのコワーキングスペースbabyCo〜

もうひとつは、書籍オリジナルの文章で、「家事ハラ」について書いた時、下記記事の要約を入れた。

「家事ハラ」、キーワード誤用した企業は原著者に謝罪。真の問題は?

何しろぼくは育児社会論の専門家でもないくせにこの分野に足を踏み入れてしまったので、治部さんの記事は大いに参考になった。文章としてきちんとしているのでわかりやすく、なんと言ってもちゃんと取材してある。ネット上でちゃんとした取材をしてある文章は、こう言っては何だが非常にレアで価値が高い。日経BPでしっかりと経験を積んだからだろう。

また、記事の中では女性の側からの主張を明確に言葉にしてある。ぼくはそれに納得しつつも、会ったら怖いのかなー、ぼくのゆるいとこ指摘されちゃったりするかなーなどと想像していた。想像していたら、実際にお会いすることになった。先月の話になるが、2月15日に紀伊国屋書店新宿南店がぼくの本の出版イベントを開催してくれることになり、書店と出版の中岡くんで相談して対談相手を治部れんげさんにお願いしたいと言って来たのだ。ぼくもお会いしてみたいと思っていたのでそれはいい!と賛成したものの、待てよひょっとしたら怖い女性なんじゃないか、薄っぺらなおれなんか論破されるよ、大丈夫かなと不安にもなった。

対談を申し込んだらOKいただけたというのでとんとん話が進んでしまい、覚悟を決めて打合せでお会いしたら、なーんだ話しやすくてよかったー!とホッとした。それに勝手に意気投合できた気がする。ぼくが気がしてるだけで、彼女がうまく合わせてくれたのかもしれないけど。

治部さんは、日経DUALに「怒れ!30代。」というタイトルで、焔がごおおーっと音を立てている連載をやっている。そのごおおーっの最新回で、そのトークイベントの時のことを書いてくれた。もお!うれしいじゃないか!

日経DUAL「怒れ!30代。 赤ちゃんを電車に乗せるなとか言うから、子どもが増えない」

うれしいのでぼくも当日の写真をここでお見せしちゃおう。
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まず会場の様子。お客さんが来てくれるか心配だったが、けっこう集まってもらえた。赤ちゃんを連れてきてもらってもOKにしたので、家族で来てくれた方も多かった。

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MCとして話す編集の中岡くん。本とともに誕生した第二子を胸に抱きながらの司会。これがいちばんこの日のポイントだったのではないか。左は紀伊国屋書店新宿南店の瀧さん。このイベントを中岡くんと相談して決めてくれた。

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治部さんと並んでしゃべってるおれ。治部さんのほうがひと回りお若いので、こうして見ると完全におっさんと女子だなあ。でも治部さんはぼくのひと言ひと言に真剣に耳を傾け、時にメモを取りながら聞いた上でトークする。そういうところもプロだった。

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終了後にはサイン会ってのを初めてやった。この日のためにサインをつくって練習してきたのだ。こんな感じで、終わってからもしばらく熱気冷めやらぬ会場だった。

イベントが終わったあと、あらかじめ別のイベントに治部さんが誘ってくれていた。やはり女性問題の、また全然ちがう切り口の集まりがあり、来てみませんかと言ってくれるのだ。それはうれしいのだけど、この手の問題に実は奥手のおっさんとしては躊躇してしまう。いい年こいてせっかくの誘いにたじろぐおっさんを、まあまあとにかく行ってみましょうよ、と導いてくれた。結局参加し、それはそれで面白かったし新たな出会いもあった。おじさん、行ってよかったよ!

そのあと、また別の団体による別の催しがあり、そこにも来ませんかー!と誘ってくれた。ぼくは日程が合わなかったのだけど、中岡くんが出ることになった。

ぼくが乗り越えるのが難しそうだとたじろいでいる「壁」に先にどんどん登って、向こう側から穴を開けて「境さーん、こっちこっち!」と手を振ってこっちへ来いといっている。そんなことを治部さんはやってくれているのだと思う。フットワーク軽やかにあちこちのコミュニティに顔を出し、出すからにはちゃんと情報収集して言うべきことを言う。その様子をぼくのようにいろんな分野の人に「こっちの穴から見えますよー!」と呼びかけているのだろう。なぜだか彼女に「おいでよー!」と呼びかけられると「えー?おれなんかが行ってもいい場所なの?」とたじろぎつつ、彼女が開けた穴に首を突っ込んでしまう。向こう側の風景が見えてしまうと、意外に居場所がありそうなので、じゃあそっち行きますわ、ということになる。そういう「強引じゃない巻き込みパワー」が彼女にはあるようだ。
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治部れんげさん著の「ふたりの子育てルール」という本がある。副題は「「ありがとう」の一言から始まるいい関係」。「ふたりの」というタイトルの通り、夫婦それぞれで読めるようになっている。夫の側も「ここからならおれも読めるわ」という、いい意味でのスキがある。「このページに書いてあることは、おれもわかるぞ!」そんな入口を持っている本なのだ。

→Amazonの「ふたりの子育てルール」のページ

家事や育児の話になると、圧倒的に妻の言い分のほうが正しい。共働きだと余計にそうだろう。でも、まだ家庭に向き合えていない夫としては、圧倒的な正論を突きつけられるとただぐうの音も出ない。ぐうの音も出ない状況に相手を追い込むのは、理屈で勝利しても戦法として巧いやり方とは言えない。

「ふたりの子育てルール」はそこを巧妙に構成してある。夫の側にも入口を少なからず用意している。そのおかげで、夫の側にも「だよなー!」とか「これならわかるなー!」と賛同しやすい。これは、夫と妻の間に登場しがちな大きく厚い「壁」に穴をうがつことを考えて書かれているからではないか。一方的に妻の側だけで書くと、女性たちの共感は得られるかもしれないが、本来の目標である融和には至らない。「ふたりの」本にならない。

そういう計算をしてあるし、そのために彼女は穴をあける作業をちゃんとしているのだと思う。

おそらく、これまでに多様な議論を乗り越えて、それでも前へ進むのだというモチベーションが、一枚上の治部れんげを形成したのではないかな。みんなが顔を突っ込んでのぞける穴をあちこちに開けることで、彼女は少しずつ世の中を変えていっているのだと思う。そのプラグマティズムが、実はかなり大事だ。社会に異を唱えるだけではなく、その先を彼女は走っている。

ちょうどこの文章を書いている間に、治部さんからメールが来た。仙台にいて、何やら国連の会議に参加しているという。ああ、仙台でもきっと穴を開けているんだろうなあ。国連の会議なら、海外のおっさんをも、穴へ導いているのかもしれない。想像すると、なぜか楽しくなる。治部れんげとは、そういう女性だ。ジャーナリストだけど、活動家のようでもある。活動家というと政治的な感じになってしまうが、非政治的活動家。治部れんげは明日もどこかで穴を開けているに違いない。

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テレビの中心が東京とは限らない時代になってきた〜NHK文研フォーラム「テレビ視聴の東西差を探る」より〜

毎年春に開催される、NHK文研フォーラム。今年は先週、3月3日(火)から5日(木)の開催だった。全体のプログラムは、このページで見ることができる。

NHK文研フォーラム2015

ぼくは3日のプログラムに申し込み、前々から楽しみにしていた。実はお目当てはプログラムAの「「これからのテレビ」求められる役割とは何か?」という企画で、文研のジャンヌ・ダルクこと村上圭子さんが総務省の渡辺克也審議官に凛々しく突っ込む姿を見に行ったのだ。同じ日のプログラムB「テレビ視聴の東西差」もなかなか面白そうだし、お!コメンテイターとして影山貴彦さんのお名前が!元毎日放送のプロデューサーでいまは同志社女子大で教えておられる影山さんには一度お会いしてみたかった、というやや不純な理由でBにも申し込んだ。そしたら、Aとはまったく別の方向でこちらも面白かったし、いまの興味と近いので、これについてレポートしたい。

最初に発表者として文研の舟越雅さんとコメンテイター影山さんが紹介されるのだが、のっけから影山さんが「舟越さんは今回初の発表ということで、みなさん盛り上げてあげてください!」と関西イントネーションでしゃべると、会場がわっと沸いた。影山さん、さすがだ!やっぱり関西のテレビマンはさっと会場の空気をつかんでしまうんだなあ。舟越さんがんばれ!という気持ちにもなり、空気が最初から和んだ。

NHK文研では、ビデオリサーチ社とはちがう手法で全国の視聴調査を長年定期的に行ってきたそうだ。その中から、主にこの十年の関東一都六県と近畿二府四県の調査結果をもとに分析している。どうして関東と関西じゃなくて、近畿なのかなあと不思議に思ったらすかさず影山さんがそこをつっこんでまた会場を和ませた。

いよいよ本題に入っていくのだけど、まず関東と近畿ではテレビの視聴時間に差があり、さらに細かく見ていくと平日夜にその差が大きいのがわかりました、と舟越さんが発表する。では全国的にはどうかというので出てきたのがこの図だ。

(あ、ここから先は、NHK文研にお願いして当日使われたスライドの一部をデータでいただいてここでお見せしている。文研の皆さんありがとうございます。)

20150310_sakaiosamu_01

これ面白いなあと思ったのだけど、夜間の視聴時間が近畿と、あと北海道だけ長い。北海道は寒いからだろうと言いたくなるが、じゃあ東北は?と考えていくと謎だ。それから中部はなんでこんなに短いのか。とにかく、視聴時間には地域差があるのだ。

「この差はタイガースのせいかもしれませんよ。関西人はいまだにタイガース戦毎日見ますからね。」と影山さんが解説。確かに、関東では巨人戦は昔ほど見られていない。

さらに舟越さんのデータは深いところに入っていく。今度は平日夜の視聴率を世代別に見てみよう。まずは2005年のデータ。
20150310_sakaiosamu_03

ひと目でわかるように、2005年時点では、関東と近畿の視聴率の差はどの世代でもほとんどないと言っていい。これが2014年になるとこうなってしまう。
20150310_sakaiosamu_04
差が歴然だ。どの世代でも近畿のほうが視聴率が高いという結果がはっきり出ている。そしてなにより、若い世代で関東の視聴率がぐっと下がってしまっている。このスライドを見た時、ぼくは声に出して「ええー?!」と言っていた。

影山さんも驚きながらすかさず、「なるほど、近畿の若い人のほうが、テレビを愛してくれてるわけですね。うん、いい傾向ですね!」関西のテレビマンとしての喜びをダイレクトに言葉にしてまた笑いをとっている。いやしかし実際、これは喜んでいいんじゃないだろうか。もちろん、近畿でも若い人の数値が下がっているのは下がっているが、関東が12ポイントも下がったのに対し、近畿は5ポイントダウンに過ぎない。テレビ離れは近畿ではさほど起こっていないとも言える。これはタイガースだけのせいでもなさそうだ。

それがさらに、このリストで見えてくる。今度は、2005年と2014年の視聴率が高い番組のリストだ。まずは関東の若い世代。
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10本中7つがフジテレビというのがまず目立つ。そして10本中9つまで10%以上。それが2014年にはフジ一色ではなくなり、視聴率は10%をすべて切ってしまう。

同様の比較を近畿で行ったのが次のリストだ。これを見た時、またもやぼくは「ええー?!」と声に出してしまった。
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まず2005年のリストを、関東のものと比べてほしい。上位3番組は同じだし、視聴率もほぼ同じだ。それ以降も、順位は違うが同じものが多い。10本中7つが同じ。

ところが2014年になると、今度は同じ番組が少なくなる。2005年と入れ替わる感じで、10本中3本だけが同じ番組。その上、近畿では10%以上のものが4本ある。

それから、近畿の上位番組は『ホンマでっか!?TV』『探偵!ナイトスクープ』『ダウンタウンDX』と、関西のお笑い芸人が司会か、そもそも関西制作の番組か、というもので『ケンミンSHOW』も実は讀売テレビの制作だったりする。「極悪がんぼ」については影山さんがムッヒッヒと笑いながら「関西人は、こういうの好きなんですね」と解説した。

さらに影山さんが言うには「このところ、一度東京に出て成功した芸人が、関西ローカルの番組をはじめているんですね。凱旋番組と呼んでいますけど、さんまさんもダウンタウンも東野くんも、やってるんです」。つまり、関西色が濃い番組を、若い人も好む傾向が出てきている、ということだろうか。

ではもっと前はどうだったのか。ヒント的に舟越さんが見せてくれたのが、1982年のリストだ。
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一目瞭然だが、全然ちがう。「欽ドン」と「ザ・ベストテン」そして巨人阪神戦が両方にあるが、あとはちがうのだ。

ちなみに近畿の10位にある「原始猿人バーゴン」というのが気になる。影山さんが「これは何でしょうねえ?」と舟越さんに振ると、まさかの回答「調べました!」に会場が沸く。影山さんが「川口浩探検隊みたいですねえ」と冗談のつもりで言ったのだと思うが「そうです、川口浩でした」と、まるで漫才みたいなやりとりになって大笑いした。

さてこんな風に、舟越さんの熱心な探求の貴重な成果を、影山さんのおかげで関西特有の状況を解説してもらいながら楽しく聞くことができた。お二人にはほんとうにお疲れさまでしたと言いたい。

一方で、ぼくは強い衝撃を受け、いろんなことを考えさせてもらった。ここから、いくつかの仮説が見いだせそうだ。

実はこのプログラムがぼくにとってタイムリーだったのは、放送批評懇談会が発行する月刊誌『GALAC/ぎゃらく』の5月号が「テレビイノベーションは大阪からはじまる」という特集を組むのだ。ぼくもそこで原稿を書いているので、このところ大阪のテレビ文化について考えを巡らせていた。

「大阪というカウンターカルチャー」というタイトルで、黎明期には東京と並ぶテレビの中心だった大阪が、75年の「腸捻転の解消」以降は「東京から情報と広告を全国一律に送り届ける」装置となったテレビシステムの中、東京に主導権を渡した感がある。でもいままた、独自の存在感を発揮しようとしているのではないか。そんな趣旨で原稿を書いたのだ。

そんな仮説に、奇しくもこの調査が裏打ちをくれた気がした。82年のデータが出てきたが、このころはまだまだ、近畿圏のテレビ文化は独自性を保ち、東西で好まれる番組には差異ができていたのだと言える。

「全国一律ネットワーク」が90年代までに完成し、フジテレビの番組パワーが絶大な集約力を発揮した。だから2005年の高位番組は東西ともフジテレビ・関西テレビのものが大半を占めた。

「一律化」の流れがいまピークを過ぎ、むしろ個別の地域化が起こりはじめているのではないか。関西芸人の「凱旋番組」はその顕著な例だろう。そしていま、ローカル番組が個々の地域で人気を博したり他県で番組販売が成立したりしている。その代表が『水曜どうでしょう』だが、もはやそれだけではない。FBS福岡放送の『発見らくちゃく!』、広島ホームテレビ『アグレッシブですけど、何か?』などが続々秘かな話題を巻き起こしている。

仮に近畿で若者のテレビ離れが関西芸人の番組によって多少なりとも食い止められているとしたら、各ローカル局でも地域に根ざした番組によって若い人にテレビを見てもらえるのかもしれない。テレビ離れとは実は、東京離れのことかもしれないのだ。そう解釈すると、ローカル局が次にどう動くべきか、見えてこないだろうか。

それからもうひとつ、業界は「東京の数字」ばかり見過ぎているのではないか。視聴率はその典型で、関東のほうが若者のテレビ離れが激しいとしたら、関東の視聴率は年配寄りだということになる。年配に偏った視聴率に、全国に流される番組の傾向が左右されていいのか。関東ではこうだったが近畿ではこうだし、中京ではこうで九州と北海道ではこうだ。本来はそういう見方が必要のはずで、少なくとも東京の数字は他の地域とはこれほどちがうのだと認識すべきだろう。

さらに言えば、在京キー局は、もっと足下を見つめるべきなのかもしれない。在京キー局は、キー局である前に、関東ローカル局なのだとも言える。関東の人びとに、身近な若者たちに、どんな番組を提供するべきか。そんな問いかけをもとにテレビに向き合うことで、少しでも多くの若者がテレビに振り向いてくれるかもしれない。そんなことはないだろうか。

「テレビの前にいる人たちは何を求めているのかという想像力、それを持って、番組をつくる創造力、想像力と創造力。それぞれがいま大事だと思います。」さんざん笑わせてくれた影山さんが、最後にそんなグッと来るコメントを言って締めた。憎いなあ。でもホントにそうだ。テレビは、誰のために番組を作っているのか、いま再び見つめるべき時なのではないだろうか。お茶の間、とよく言うけど、それは東京のお茶の間なのか、大阪のお茶の間なのか、いややっぱり日本中のお茶の間なのか。想像して、創造すべき時なのだと思う。

※月刊『GALAC/ぎゃらく』5月号・特集「テレビイノベーションは大阪から始まる」は4月6日発売。お近くの書店で予約しよう!
→月刊『GYALAC/ぎゃらく』WEBサイト

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世界は変えられる。立ち上がれ!と力まなくても、変える方法を知ればいい〜Changemakers Academy〜

「赤ちゃんにきびしい国で・・・」を書いて以来、開設時の趣旨であるメディア論からどんどん外れていくこのブログ。今日はchange.orgのイベントの紹介だ。

そもそも先日、『赤ちゃんにきびしい国で、赤ちゃんが増えるはずがない』の出版記念イベントが紀伊国屋書店新宿南店で開催された。その時、対談相手にお招きしたのが治部れんげさん。ご存知と思うが、例えば日経DUALで「怒れ!30代」という怖〜いタイトルの連載を書いておられる気鋭の女性ジャーナリストだ。

〜日経DUAL「怒れ!30代」バックナンバーページ〜

しかしお会いすると連載タイトルのイメージからは程遠い、気さくで話しやすくまたバランス感覚に優れた女性だった。(紀伊国屋書店でのイベントについてはまた来週あたり書こうと思う)ぼくとしては勝手に意気投合できた気分なのだが、治部さんもぼくを面白がってくれたのか、いろいろ巻き込んでくれるようになり、誘われたのがchange.orgのイベントだった。

この3月22日(日)に「Changemakers Academy プレイベント」が開催されるので、あんたも出ないか、と言うのだ。

「社会を変える第一歩を学ぼう」Changemakers Academy 〜プレイベントのご案内〜

イベントページを見てみると、また美しくも勇ましそうな女性たちが登壇する催しで、こんなおっさんが出ても浮きそうだなあ、でも光栄だしなあ、と悩んでいたらこの日は東京にいないことに気づいた。そこでイベントには書籍の編集者、中岡祐介を推薦することにし、本のアピールの機会にもなるしと本人も納得させることに成功。それにしてもchange.orgってよく聞くんだけど、ご挨拶もかねて行ってみよう!というわけで、中岡くんとともに行ってみることにした。

20150309_sakaiosamu_01
到着すると、change.orgのお二人が迎えてくれた。写真の左が日本代表のハリス鈴木絵美さん、右が広報を担当する武村若葉さん。ほぼ二人だけで運営している。武村さんはおめでたいことに妊娠中で、予定日まであと数カ月だそうだ。真ん中に我らが中岡くんが気恥ずかしげに写っている。見ているぼくも恥ずかしいなあ。

change.orgについてはかなり前からいろんなところで記事になっているので、みなさんご存知だろう。ここでももうあまり説明はしない。

でも、直接お会いして面白いと思った点がある。change.orgの本国アメリカの設立者は、当初新たなSNSのつもりで起ち上げたのだそうだ。結局は署名を集める機能に特化していくわけだが、もともとがSNSだから誰でも使うことができる。使うのに審査はないのだ。change.orgが選んだ署名活動が載っているようなイメージがあるかもしれないが、そうではない。

だからどんな署名活動が始まっても「基本的には削除しない」方針だが、もちろん違法な活動の呼びかけは削除するし、差別的な内容のものも削除する。

〜change.orgのFAQ中の削除に関するページ〜

つまりchange.orgそのものに特定の政治的なメッセージがあるわけではない。メッセージがあるとすればそれは「あなたにも世界を変えることができる」ということだろう。

実際に過去にも、以下のような成功事例があがっている。

●都議会セクハラ野次に9万人が立ち上がる!

●レスリング、復活

●上智大学、休学費を減額

都議会セクハラ野次の件では、驚くほど早く多くの署名が集まったのを憶えている人も多いだろう。change.orgならではのスピードだったのだ。

さて3月22日の催しは5月からスタートするChangemakers Academyのプレイベントだ。その名の通り、社会を変えたいという人に向けた講座を開設するというのだ。

自分の主張を世の中に訴えて具体的な活動を続けるには、どうやって仲間を集めてチームを運営すればいいか、声を大きくするためにソーシャルメディアをどう使いマスメディアとどうつきあえばよいのか。カリキュラムを見るとかなり実践的な内容を学べる講座のようだ。

ぼくがこの講座についていちばん大事だと思うのが、「普通の人」が方法論を学ぶ場である、という点だ。

世界を変える、世の中を変える、というとえらい人にならなければいけない気がしてしまう。スティーブ・ジョブズのように起業しなければ?オバマのように大政治家にならなければ?世界は変えられないのだろうか。

そうではない、とこのプログラムは言っている。

社会を変えたい、という人々の声を、世の中に広め、確実な成果に変えるのは、カリスマ性のあるリーダーではありません。誰もが学び実行できるノウハウを身につけ、普通の生活を送る私たちができることから行動に移すことです。

Changemakers academyのプログラム趣旨には上のような一節があり、ぼくは大いに賛同したい。もちろん、何か偉業を成し遂げるには人生のすべてを注ぎ込まねばならないだろう。でも一方で、穏やかな生活を営みながらできることもたくさんあるのだ。

ぼくの本を通じてメッセージを交わしたある女性が、お子さんを通わせる施設についての要望を、署名を集めて市議会に提出したら、行政側も動きはじめたのだそうだ。これは小さなことだろうか?少なくとも彼女にとっては大きなことだろうし、彼女の思いきった活動に助けられた人もいるはずだ。

世の中を変えることをあまり大袈裟にとらえずに、おかしいと思ったこと、こうなればいいのにと感じたことを、率直に世の中に訴えていけばいい。生活を投げ出さなくてもできることはたくさんあるし、そのための手法を手に入れれば、いまはいろんなやり方があるのだ。change.orgの今回の講座はそのメッセージを形にしていくものだと思う。

ぼくが若いころ、80年代まで「世界を変える」ためには、ハチマキ締めて団結してプラカード立てて「立ち上がれ!」とか力んで言わなきゃいけなかった。それがために多くの若者は「世界を変えるってダサいじゃん」「世界を変える人は変わった人」とシラけちゃって六本木のお立ち台に逃げていってしまった。それから30年、ソーシャルメディアが「世界を変える」を普通にしようとしている。誰だってぼくだってあなただって、おかしいと思うことはおかしいと言えばいい。言うツールはあるし、広めるやり方はあるし、集う手だてはいろいろある。だから、言えばいいのだ。

興味ある人は、このプレイベントだけでなく、5月からのプログラムそのものに参加してみてはどうだろう。踏み出してみることがまず、世界を変える第一歩になるかもしれない。

→changemakers academy 概要ページ(後半に応募フォームへのリンクがあります)

ところでこのブログ、今回から「クリエイティブビジネス論」と「赤ちゃんにやさしい国へ」とページを分けています。こっち方向の文章は「赤ちゃんのやさしい国へ」の記事として扱うことにしました。その作業も、そもそものこのサイトの制作も柴田しゅんめい氏のSTUDIO MOUNTにお願いしました。サイトを見てもらうと、ぼくよりさらに年上のアートディレクターとは思えない若々しさ!ご本人のキャラはいたって普通に森進一の真似とかするおっさんです。

→STUDIOMOUNTのWEBサイト

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