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コピーライター→映像製作会社ロボット→広告代理店ビデオプロモーション→再びコピーライター(フリーランス)。 メディアとコンテンツの未来を切り拓くコミュニケーションをデザインします。講演・執筆依頼もお気軽に!

ビジネスモデルは見えてきたか?〜ソーシャルテレビ推進会議・一周年オープンセミナー6月5日開催!

去年の4月にはじめた勉強会、「ソーシャルテレビ推進会議」。いつの間にか一年経ってしまった。最初は15名ほどで集まってはじまったのだけど、いまや会員数は公称167名。在京、在阪キー局、各地ローカル局のテレビ局の方々やアプリ開発事業者、IT系メディアやベンチャーの方々、スポンサー企業の方々やテレビ機器メーカーの方々と、多様な皆さんに参加していただいている。毎月、クローズドな形で定例会合を開催してきた。

昨年11月には活動半年ということで、オープンな形でのセミナーを行った。100名を越える皆さんに来ていただいて、思った以上に盛り上がったのがついこないだのようだ。その時の様子はこのブログでも記事にした。Ust配信もしてアーカイブを残してある。いま見たらview数が1,120になっていた。ライブでもけっこう見てもらえたと思うけど、終わってからもかなりの数の人に見てもらったんだなあ。まあ、山脇さんが面白いから、エンタテイメントとして見ても損はないと思うよ。
でもあれからさらに半年経っちゃった。半年でイベントやったんだから、一周年でもやらなきゃね、というわけで、またやりますよ、オープンセミナー。

今回はねえ、テーマを掲げます。ズバリ、ビジネスモデルを考える。ソーシャルテレビという領域、盛り上がってるし、あちこちでいろんな試みが行われてきた。このブログでも、「おやすみ日本」「JoinTV」「MAKE TV」「大炎上生テレビ」「マルチスクリーン型放送」「NEWS WEB24」「teleda」「ピーチク」「テレビジン」「SPIDER」「ガラポンTV」「ソーシャルオリンピック」「ソーシャルTV ザ・コンパス」と挙げだしたらキリがないほどいろんな試みを取りあげてきた。もう事件は始まっているのだ。

ただ、まだまだ、でもある。上の画像は”ソーシャルテレビ”で画像検索したものをキャプチャーしている。ソーシャルテレビ界のジャンヌ・ダルク、バスキュール西村女史がいるのが面白いけど、なんか出てくる画像の中に”sakaiosamu.com”からのものが多い。なんだ、オレがひとりで盛り上がってるだけか?

マジックワードは“ビジネス”なのだと思う。ソーシャルテレビ?面白そうだけど、ビジネスになるの?・・・はい、ごめんなさい。誰もその答え、見つけられてません。でも!だからこそ!そこにフォーカスしていきたい。今年は、ソーシャルテレビ推進会議二年目の2013年は、ビジネスモデルをテーマにどんと据えますよ!

さて今回のオープンセミナーの内容は?まだまだ決め込めてない部分もあるんだけど、3部構成で行きます。

ソーシャルテレビ推進会議・一周年オープンセミナー
「ビジネスモデルは見えてきたか?」


第1部:アプリ解放宣言
   モデレーター:中山理香(VOYAGE GROUP)
   ゲスト:交渉中
第2部:テレビ視聴のこれから
   モデレーター:深田航志(ビデオリサーチインタラクティブ)
   ゲスト:遠藤諭(角川アスキー総研)
       土屋和洋(LG Erectronics Japan)
第3部:テレビの未来、開拓中
   モデレーター:境治(メディア・ストラテジスト)
   ゲスト:西田二郎(読売テレビ)ほか

第1部は中山さんの進行で、アプリ“解放“がテーマ。ゲストは、まだ言えないけど、内容的にはびっくりするかも。
第2部は深田さんがご存知遠藤さんをお招きし、例によってのメディアサーベイの結果を見ながらテレビ視聴の最新動向に迫る。
第3部は、読売テレビの西田二郎さんの最近の活動をぼくがお聞きする。「ダウンタウンDX」「ガリゲル」「たまたま」などでソーシャルメディアを活用した番組づくり、というより、ソーシャルと番組で何かやらかしてる、その実際をつぶさに聞いていくつもり。

今回も、前回同様、VOYAGE GROUPのセミナールーム”パンゲア”をお借りする。そして今回は試みとしてお一人様1000円の有料制でやってみることにした。登壇者にささやかな謝礼をというのもあるし、懇親会に多少の飲み物・食べ物なども準備するつもりなので。

PeaTiXというイベント管理システムを使っているので、参加を希望する方はこのリンクをクリックしてください。申込ページにジャンプします。そのページの、オレンジ色の「チケットを申し込む」ボタンを押してください。

当日は、秋に開催するさらに大きな催しについても発表するのでそれもお楽しみに。

では、皆さん、どうぞご参加を!そして、テレビとネットの融合の先にある、ビジネスモデルを考えよう!

(追記)
第2部のゲスト、遠藤さんとあとは”ほか交渉中”としていたけど、決まった。LG Japanの土屋さんに登壇の快諾をいただいた。LGといえば、もっともスマートテレビらしい製品に力を入れている。テレビ視聴のこれからの姿の具体を、お聞きできればと思う。このセミナー、ますます面白そうだね!

ネット選挙で盛り上がる前に、公職選挙法を知っとかなきゃね

4月19日に公職選挙法改正案が成立し、いわゆる「ネット選挙解禁」になったのは皆さん知ってるだろう。けっこう話題になったもんね。

3月にこのブログでも「インターネットは政治を変えられる(ぼくやあなたが参加すれば)」と題した記事を書いたのは、読んだよね?OneVoiceCampaignの旗振り役、江口晋太郎くんの話を聞いた、って記事だった。でもってぼくは、この夏の参議院選挙で、ある政治家の方の活動をお手伝いすることになりそうだ。だから、ネット選挙に取り組むぞ、と意気込んでいる。

また、ネットやソーシャル系のいろんな企業がネット選挙解禁に、ぼく以上に意気込んでいるようで、いろんなことやりまっせというリリースが出ていたり、ニュース番組で試みを取りあげられたところもある。

さてところで、ネット選挙解禁とは言え、具体的には何ができて、何はしちゃいけないか、知ってる?

よく言われるところでは、今回の改正では電子メールは本人か政党以外使っちゃダメになっている。だからいくらネット選挙解禁だからって、自分が推薦する候補をお友達に電子メールで勧めてはいけないのだ。みんな、これは気をつけようね。

それから、インターネット広告を有料で使ってはいけない、というのもある。ネット選挙解禁だからとネットでできる施策をいろいろ使いたくなるところだが、有料広告はダメなのだ。・・・ん?しかし有料広告ってどこまで含まれるのかな?・・・有料だとダメだけど、無料ならいいってこと?・・・などと考えていくとわかんなくなるね。

そこで!ちょっと調べたり、詳しい人に聞いたりした。

例えば、総務省のホームページに「インターネット選挙運動の解禁に関する情報」というページを設けている。そこにはいくつかのPDFが置いてあるので読んでみるといいだろう。ふーん、なるほど、といろんなことがわかるよ。

そのひとつがこれ、「インターネット選挙運動解禁(公職選挙法の一部を改正する法律)のあらまし」。今回のネット選挙解禁のポイントがまとめられている。ざっと読むといいよ。

ぼくはこのPDFを見ながら、詳しい人に解説してもらったり質問したりしてみた。するとね、そもそも的なことがわかったよ。

要するに、こういうことだ。「選挙運動と政治活動は違う。」

そりゃそうだろう的な、でも結局どういうこと?的な、ビミョーな言い方だね。

選挙運動とは、「選挙の特定」つまり例えば「次回の参議院選挙」だとわかるようなものの言い方をする場合。そして「人物の特定」ようするに候補者の何の何某さんとわかるようなものの言い方。そして投票をさせる、あるいは投票に有利になるものの言い方。これらをしちゃうと、選挙運動に当てはまる。

カンタンに言えば、「今度の参議院選挙では、何野何某をよろしくお願いします!」などという言い方。これを行うことが選挙運動。

そしてね、選挙運動は選挙の公示までしてはいけないのだ。

わかるかなー?

ネット選挙解禁の解釈として、TwitterやFacebookをふだんは使ってよくて、これまでは選挙期間中は更新できなくなっていたのが、これからは選挙期間中も使ってていいのだ、と思ってるんじゃないだろうか。これは正確ではない。

選挙期間前は、ネットであれなんであれ、「選挙運動」をしてはならないのだ。期間中になると「選挙運動」をしてもいい。これからはネットでもやっていい。

選挙期間前にやってもいいのは、「政治活動」だ。政治に関わる行動、活動、そしてそれを世の中に訴えたり報告したりするコミュニケーション活動。これはやってもいい。でもその中で「次の選挙は何野何某を!」的なことを言ってしまうと、それは選挙運動になってしまう。

わかりやすく表にするとこんな感じ・・・

ね!わかってきたでしょ!

そして具体的に考えるほど、それってビミョウだなーというのもわかってくると思う。

TwitterやFacebookで発言をしている政治家は多い。中には、次の参議院選挙を意識している人もいるだろう。現職の議員なんか、もういまから戦々恐々としているはずだ。

そんな政治家が、例えば講演会をやってその様子を自ら(あるいは秘書などスタッフが)Facebookでレポートしたとする。その時に、「次の参議院選挙に向けてよろしくお願いします」とか言いたくなるに決まってる。でも選挙公示前に言っちゃダメ、絶対!ってわけ。講演会のレポートだけにしないといけない。

ではこれが「今後も私へのご指導ご支援をお願いいたします!」と最後に書いたらどうなの?・・・うーんめちゃくちゃグレイだよね。

法律は、結局は個別の案件での解釈になってくるので、この講演会のタイミングや状況などを鑑みて、警察や司法が判断することになる。もうすぐ選挙公示だし、この「ご支援をお願い」は投票を促してるのが見え見えだよ、となったらひっかかるのかもしれない。でも解説してくれた「詳しい人」も、グレイなケースについて現時点で想定でいいとか悪いとかは誰も言えないでしょう、と言っていた。

ネットやソーシャル系の人は、政治家向けにサービス起ち上げようとかコンサルしようとかたくらんでるかもしれないけど、ネット選挙うんぬんの前に、公職選挙法そのものを知っておこうぜ、という話。

この件は、またわかったことを書いていこうと思う。気になる人は、気にしておいてね。

コピーライター・梅本洋一さんの追悼イベントを5月25日に開催する、というお知らせ

2月にコピーライターの梅本洋一さんが亡くなった。その時、ぼくはこのブログで柄にもなく感傷的になって、いやはっきり言うと涙をこぼしながら「コピーライターはコピーなんか書いてちゃダメだ、と教えてくれたコピーライター。」という記事を書いた。

この記事にコメントを書いてくれた加藤麻司さんや赤城廣治さんと梅本さんの追悼イベントをやろうとなり、旧知のツルタシゲタカさん、そして若い桑原さんも加わって、みんなでやり方を相談した。

宣伝会議が主催するコピーライター養成講座があり、ぼくたちはそこで梅本さんの生徒だった。80年代は銀座の中小企業会館というビルが講座の会場だった。週に二回だったかな、その場所にぼくらは集まり、梅本先生の授業を受けた。正直言って地味な建物だが、コピーライターのイメージが放つ華やかさとはかけ離れた地味さがかえってよかったのだと思う。地道に知的な技を磨く修業の場のようだった。

追悼イベントはその中小企業会館を特別にお借りして開催することになった。講座に通っていた頃の、地道な修業の場の空気を少しでも思い出し、みんなで吸い込むことで、ぼくたちはあの当時にタイムスリップできるのではないかと思う。時間を超えてあの頃に戻れれば、きっとそこに梅本先生がいて、笑って迎えてくれるんじゃないか。みんなでわいわいやって、調子に乗ったやつが出てきたら、きっと梅本さんが「おいおい、ちょっと境、あいつをなんとかしてやってくれよー」とぼくに言うのだ。

「夜空ノムコウ」という唄があって「あの頃の未来にぼくらは立っているのかな」という部分がある。ぼくはこの唄を聞くたびに中小企業会館での講座を思い出す。梅本さんを中心に近くの居酒屋で飲んだ夜を思い浮かべる。ぼくらはその後、コピーライターになったりならなかったりした。TCCをとって大喜びしたりとれなくて何度も悔し泣きしたりした。恋をして結婚し、子供を育てていたりする。ぼくなんかコピーライターなのかなんなのかわからない人になり本を出しソーシャルテレビだとかのたまい広告は広告じゃなくなるとかコンテンツがどうでメディアがどうだとかほざいたりしている。

これがあの頃の未来なのか、いまだにぼくにはわからない。ただ梅本さんに教わった頃の時間といまはまちがいなくつながっているし、梅本さんに言われた事柄が少なからずぼくの未来を形成している。あの頃の方が幸せだったとか楽しかったとか戻りたいとかは言いたくはないが、ひたすら自分を信じて未来は明るい光が射すのだと疑わなかったあの時代は振り返るとなんと輝いていたのかと思う。その輝きの中に梅本さんはいた。いや今もいる。いまもあの輝きを振り返ると梅本さんはそこにいるのだ。ルークを導くオビ・ワン・ケノービのように中空に浮かんでいる。そして「コピーライターはコピーを書いてちゃいけないんだ」とぼくに教えを説いてくれる。でもぼくは、具体的には何をすればいいのだろう、と相変わらず途方に暮れるのだ。

余計なおしゃべりがすぎたね。ここでは、追悼イベントについて知らせたかったんだった。

これを読んでる人の中で、宣伝会議の講座で梅本さんに教わったという人は、このリンクをクリックしてください。追悼イベントの申込ページにジャンプします。ここで概要を書くと・・・

日時:5月25日(土)14時〜16時
会場:中小企業会館 9F講堂 
東京都中央区銀座2-10-18 Tel 03- 3542-0121

とにかくここに来てください。できればその前に、梅本さんに届ける「最後の宿題」を紙に書いて送ってください。そのあたりも申込ページに書いてあります。

具体的な申込は、ページの右側に「チケットを申し込む」というボタンがあるので押してください。申込フォームが出てきます。「チケット」という言い方になってますがこれはこのイベント告知システムの仕様で、申込時点ではお金は必要ありません。

ただ当日、会場で500円をお願いします。会場を借りるのに少々お金がかかるのでカンパ的に500円を集めたいということです。

わからないことがあったらこのブログのコメント欄に書き込んでください。

そうそう、宣伝会議で教わったわけではないけど、梅本さんをお見送りする催しには参加したい、という方でも来てもらってOKです。梅本さんを敬愛する気持ちこそが、参加要件です。

最後の宿題を、梅本さんに渡しましょう。

企業と人びとのつきあい方が狩猟から農耕になるのではないかと思ったりなんかしてみる

先週、ある宣伝部の人とあるアートディレクターと三人で話していて、示し合わせたかのように三人で同意できたことがあった。

商品の登場時にどかんとメディアを使って広告予算を使いきるんじゃなくて、そこはそれなりに予算投下しつつ、商品登場後もその評判を見ながら臨機応変に施策を企画していくべきだよねー、とそんな話になったのだった。

逆に言うとこれまで、”広告”とは商品が出た時とかリニューアルの時とか繁忙期とかにどかんとやらかすものだった。短期的にいかにマスなインパクトを与えるかが焦点となった。だから俄然、テレビCMが中心になっていた。

もうそうじゃないんじゃないか。

いや、テレビCMがいらなくなったとか言いたいんじゃない。むしろ必要。だけど、意味合いが違う。中心じゃなくて、一部。

とかなんとかもやもや考えていたら、そのもやもやをかなり整理してくれる記事に出会った。ITメディア・マーケティングで連載されている「変わる広告会社」というシリーズ。その中の「テクノロジーが広告会社とクライアントの関係性を変える」という記事だ。

テクノロジーとか、境はそんなのちんぷんかんぷんだろうよ。そう思うだろうか。そこだけとれば、ぼくもそう思うよ。でもこの記事、テクノロジーがポイントではなく、テクノロジーが入口となり広告業界が大きく変わろうとしているよ、というそこがポイントなの。

デジタル広告がテクノロジーを広告界に持ち込んできて、それがデジタルだけでなく広告全体を変えようとしているよ、ということ。記事の中の最重要な箇所が、ここ。
—————————-この部分、引用です——————————
広告会社は、これまでのような「広告キャンペーン型」から「運用型」へその業態を早急に変化させる必要に迫られた。このことは、デジタルテクノロジーに始まった小さい変化が、「クライアントと広告会社」という受発注の関係を変化させ、(ビジネス)ゴールを共有する「ビジネスパートナー」という関係性に変化したことを意味する
————————————————————————–
とくに前半の「広告キャンペーン型」から「運用型」へ、という部分ね。これがさっき書いた、商品登場時にどかーん、から、少しずつ臨機応変にね、という考え方と呼応している。

デジタルが変えたのだろうし、テクノロジーが変えたのでもあるだろう。でも、もうひとつ、少し前にぼくがここで書いた「ぼくたちはどうして消費に冷めてしまったのだろう」の記事にあることもすごく関係すると思うよ。広告キャンペーン型は、消費大好き時代に有効だった。だって「ほら!見て見て!聞いて聞いて!こんな素敵な商品が出たよ!」と大きな声で言うのが「広告キャンペーン型」だからね。それは消費大好き時代には「ほんと?どんな商品なの?へー!よし、買ってみよう!」とさっそく反応があるからすごく効く。

でもいまは「あ、そう、そんなの出たんだ、ふーん・・・え?おれはいいよ、それは。必要じゃないもん」と言われてしまう。

それより、小さく少しずつ優しく柔らかにコンタクトしていくことが重要。さらに、ファンを地道に育ててその人たちから勧めてもらう方がよほど効く。

「運用型」はだからソーシャルメディアも大事になってくる。じわじわ、コツコツ、接触していくのだ。その効果はすぐには出ない。じわじわ、コツコツ、出てくる。ある日気づくと、あれ?なんかたくさんの人がいるね、商品の近くに。そんなことになる。

キャンペーン型と運用型の違いは、日本の歴史でいうと縄文時代と弥生時代ぐらいちがう。キャンペーン型はとにかく短期的に消費者を狩るようなもので、狩猟型と言える。後先考えず、とにかくいま売れる相手に売れるなら売れー!と、勢いだけで掛け声をかける。つまり縄文時代。

運用型は、言わば農耕だ。種を蒔きますよ、苗を植えますよ、暑くなって育ちますね、肥料もあげましょうか、雑草も抜きましょうね、秋になったのでいよいよ収穫ですね、ありがたいですね、収穫のお祭りしましょう。そんな感じ。根気いるけど、計画的でもある。農耕みたいで、弥生時代みたい。

マーケティングはようやく、原始的な狩猟の時代から、文明的な農耕の時代に入ったのかもしれないぜ。

上で引用した部分にはもうひとつ、受発注じゃなくてパートナーにならなきゃね、ということも書かれていて、これがまた大事。重要。

この受発注がね、広告業界の悲哀となっていた。昔、「気まぐれコンセプト」という漫画で広告会社の営業マンがクライアントの靴なめたりもっとすごいとこなめたりする、という話がネタになっていた。あながちウソでもない関係が、クライアント企業と広告代理店の間にはあった。

クライアントから受注されてへりくだる分、発注する立場になると”代理店だぜ!”とばかりに上から見下ろして制作会社とかにえらそうにしていた。

そういうの、もうおしまい。

クライアント企業も、広告会社も、制作会社も、みんなパートナー。対等。そんなスタンスじゃないとお互いダメになっちゃうよ。運用型とは、そういう関係の中ではじめて進められるもの。

そこんとこ、みんなわかっとこうぜ。企業も、広告会社も、そこから仕事を引き受ける多様な会社も、わかっとこうぜ。

わかってる?・・・うーん、わかってない感じの人、多いなあ。それだとやっていけなくなるんだけどなあ・・・

さあ、セカンドスクリーンを本気で考える時が来たぞ!〜Future Of Smart TV by Gracenote〜

このブログの読者ならACRって知ってるよな?なに?知らない?そりゃいかん!ぼくも最近ようやく憶えたところだ。あなたもこの機に憶えよう!

ACRとはAutomatic Content Recognitionの略。つまり、自動的にコンテンツを認識するシステムのことで、最近だとスマホのアプリに仕込まれていて、音楽を聞かせると自動的に曲名を教えてくれたりする。Shazamなんていう有名なアプリがある。自分のスマホでダウンロードして試してみるといい。

これを音源に近づけると・・・

こんな風に曲を探しだしてくれるわけ。

このACRという技術はいま秘かにホットになっていて、様々な人たちが取り組んでいる。そのひとつが、Gracenoteという会社だ。アメリカの企業なのだけど、ソニーアメリカの子会社でもある。このGracenoteがこの4月18日に渋谷でACRを中心にした展示会を行った。それがFuture Of SmartTVだ。

展示会といっても大げさなホールを使ったものではなく、こじゃれたカフェを借りてドリンクなども出してくれるカジュアルなムードだった。

ACRという言葉と共にもうひとつ憶えておくといいのがFingerPrintという言葉。そのまま訳すと”指紋”という意味だけど、ひとりひとり指紋がちがうように、音楽も指紋を読み込むように個別に識別する、そのためのデータをFingerPrintと呼ぶ。

GracenoteのACRはこのFingerPrintが映像での認識もあるのが特徴。これを利用したデモを見せてくれた。


テレビが4台並んでいて、同じ映像が流されている。4台で同じ放送を受信しているというわけだ。それぞれが別々の家庭で視聴中だという想定。それぞれのモニターの下には、男性独身、女性独身、ファミリーなどと、個々の家庭のプロフィールが表示されている。

これがCMになると、こうなる。

4台がそれぞれ別々のCMを映し出している。これは、それぞれのプロフィールにふさわしいCMが個別に表示されているのだ。つまりターゲティングCMというわけ。

テレビ受像機にACRが組み込まれていて、番組中は放送をそのまま映し出すのだけど、CMの時間になると瞬時にテレビ受像機側で映像を差し替える。差し替える映像はネット経由で配信される。この仕組みを図にして説明してくれた。

細かい技術はぼくにはわからんちゃんだが、とにかくテレビCMをターゲティングして配信できるとしたら、よだれが出る話だろう。テレビほどのマスメディアがターゲティングを手に入れられたら鬼に金棒だ。

もっともこの技術を具現化するには、多くの家庭がACRを組み込まれたテレビ受像機を持つ必要があるし、放送局もシステムを整えねばならない。遠い道のりではあるなあ。

もうひとつ、ACRを活用した重要な展示があった。例えばゴルフ番組を観ながらタブレットで番組の音を認識させる。するとその番組専用のセカンドスクリーンが起ち上がるのだ。


我ながらなんて下手な写真かと思うけど、我慢してみて欲しい。このように、ゴルフ番組を観ながらACRに認識させタブレットに登場したセカンドスクリーン。番組の進行に沿って、場面にあった情報や画像を送り込んでくれる。

例えばあるゴルファーが登場すると、彼が愛用するクラブが画面に。そのクラブのスペックなどを調べたり、そのメーカーのサイトに飛ばしたりもできるようになるだろう。

このACRを元に、ソニーグループはセカンドスクリーンアプリを開発中だという。その考え方を図にしたものがこれ。

コードネームはmacaronというそうだ。あの甘いお菓子ね。

中央部分に、そのセカンドスクリーンアプリが持つべき要素が並んでいる。写真だと読めないので書きだすと、EPGつまり電子番組情報・Related Content番組関連の画像や予告映像など・Program Detail番組詳細・Socialつまりは番組についてのFacebook,Twitter。

さらに、Rewards, Social Analytics, Ad/Promotional content, Commerce Opportunity, Syndication, Interactive contentと続く。この中でも、Adつまり広告、コマースオポチュニティつまり物販できるかも。この2つがマネタイズにつながる要素だ。

ぼくは去年からソーシャルテレビに注目し勉強会も運営してきたのだが、今年はそのビジネス化が課題となると捉えているしその大きなファクターがセカンドスクリーンにあると考えている。

大げさに言うと、セカンドスクリーンのプラットフォーム化を誰が担うか、征するか。なんとなくいまもやもやと、セカンドスクリーンを共通プラットフォームで、という動きが出てきそうだなと睨んでいる。

一方で、APIの解放も重要なキーワードだ。テレビ局がAPIを誰でも使えるようにすれば、多種多様なセカンドスクリーンが登場し、それぞれマネタイズに挑戦できるようになる。

ぼくはセカンドスクリーンの共通化を図るより、APIの解放で勝手サイト的にうじゃこじゃ出てくる方が結果的にはビジネス化できてくるんじゃないかと思う。それにその方がネットらしい。ネットらしいかどうかは感覚的な話じゃなく、ネットを軸に何かする際のポイントだと思う。ネットらしいことは重要だ。

とにかくこのセカンドスクリーンがんばるぞムーブメントの一角に、Gracenoteを擁するソニーが名乗りを挙げたということだ。なんかみんなでうまく力を出し合い利用しあって、テレビを面白くしてくれればいいなと思っているよ。

テレビはもっと便利になれるか〜週刊アスキー「テレビちゃん気をつけて」by 遠藤さんを読んで〜

テレビの未来を考える上でいまや欠かせない存在なのが、角川アスキー総研の遠藤諭さんだ。遠藤さんと言えばネット側の人で、ITガジェットを語ったり、ネットの未来を語る人のイメージが強いし、実際根城はそっちなのだろうけど、そんな遠藤さんがネットを語る上でもテレビは外せない要素になっているということだろう。

週刊アスキー4/23号の巻末連載「神は雲の中にあられる」

その遠藤さんは自社媒体的な週刊アスキーに連載を持っていて、最新号でテレビについて書いていた。と、ご本人のつぶやきを見て、さっそく買って読んだ。なにしろ、いまテレビを語る上で遠藤さんの言動は追っておかないといけないのでね。

その中でこんなことを言っている。「テレビが抱える最大の課題は、ウォッチする装置としてのUX(ユーザーエクスペリエンス)が、少しも大げさでなくダメすぎる」その表れとして、角川アスキー総研のデータでテレビ録画に関するものをあげている。最近、テレビがレコーダー機能を内蔵するものが増えている。外付けレコーダーと使い方を比較すると面白い。外付けレコーダーでは世代で格差があり、10代と40代の利用率が他より明らかに高い。ところが内蔵型だとその差異がほぼなくなる。つまり、内蔵型の方が使いやすいので誰でも録画できるようになったと。UXがわかりやすいと利用度が高まるというわけだ。

これをもってして遠藤さんは、テレビは強いメディアなので使いやすくなればもっと見てくれるだろう、というようなことを主張しているのだった。

言われて思い出したのが、BS新局のことだった。去年(2012年)3月から、BS局が一度に7局誕生したのを知っているだろうか。その頃の記事を読めばパッとわかるので詳しくはここをクリックしてください。ディズニーの無料放送DLIFEが話題となったが、他にも有料でスポーツや映画のチャンネルが放送を開始した。そしてDLIFEを含めて大苦戦している。

なぜだろう。まさしく、わかりにくいからだ。

これらのBS放送を観るには3ケタのチャンネルを選ばなければならない。その時点で失敗決定だろう。7つの局の3ケタのチャンネルを誰が憶えると言うのだろう。いや、問題はそこではない。ぼくたちはテレビのリモコンでBS放送の3ケタの数字の入力方法を知らない。IMAGICA BSという映画チャンネルがch252だとメモでもしたとして、リモコンを手にはたと立ち尽くすことになる。ええーっと?この数字をどうすればいいんだ?

さらにさらに、例えば(古巣グループなのでとりあげやすいのだけど)IMAGICA TVは有料で月630円なのだそうだ。その時点で、どんな映画やってるのかもわかんないのに600円も払うもんか!と思うだろう。

さらにさらにさらに、その630円はどう払うのか。スカパーに加入して、スカパーの課金システムを通して払うのだ。なんじゃそら?その上、スカパーの基本料金410円がまたかかる。

つまり、スカパー未加入の人がIMAGICA BSを観るには実質1000円以上かかるのだ。バカにしとるんかい!

放送って恐ろしい事業だ。みんな、放送は儲かると思っている。いまはそんなことないかな、でも少し前までホントにみんなそう思っていた。

なぜ放送が儲かると思ってしまったのか。地上波テレビが大成功したからだ。その特異な例をもってして、放送は儲かる!とみんなが勘違いしてしまった。はじめさえすれば、ウハウハだぜい!と信じ込んでしまった。だから、新しい電波が売りに出されると、ハイハイハイ!と手を上げてしまう。その際、どう課金するか、それはユーザーにとって利便性があるか、検討もしない。だって放送は儲かるからさあ。

放送はかくして、UXとは無縁でチャンネルをどんどん増やしてしまった。はっきり言ってもはや時代遅れだ。せめてUXを考えた方がいいのに。

ところで、遠藤さん率いる角川アスキー総研は、経産省の次世代テレビの施策提言のための調査をかなりこってり行い、提言にも深く関わっているようだ。詳しくはここをクリックしてみよう。このレポートはちょっと深く追ってみたい。何回かに分けて、この中身をぼくなりに読み解いてみたいと思う。

「んなこと言うなら、表へ出ろ!」は正しい!〜やまもといちろう×イケダハヤト・ブログ論争〜

みんな、昨日観た?もちろん観たでしょ?・・・え?なんのことかって?あれだよあれ、ブログ論争だよ、プロレスだよ!

それぞれブログで強烈な記事を書いてる、やまもといちろう氏とイケダハヤト氏による公開討論。アジャイルメディアの徳力さんが仕切り役として間に入って成立した企画だ。

詳しい経緯はここでぼくが書くまでもないので、知らないよって人はちょっとググってもらえばいい。いろんなまとめなどが出てくると思う。まあ、ものすごく乱暴に言えば、ブログ上での論争をしているうちに「よし!そこまで言うなら表へ出ろ!」とばかりに対談で決着つけようとなったのだ。

こういう場合、決着がつかずに終わるものなのだけど、決着というか最後に「ええー?!そういうことだったの?!」というイケダハヤト氏側の発言に、やまもといちろう氏のみならず観客ほぼ全員が驚いて終わった。じゃ、じゃあサンドバッグ役としてどんどん叩いちゃっていいってこと?

そこはともかく、この「表へ出ろ!」的な展開について、ついこないだ前川せんぱいに聞いて印象に残っていることがある。

あ、前川せんぱいは、ぼくも時々原稿を書いているメディア論のサイト”あやとりブログ”の重鎮であり、テレビについての議論のご意見番的存在。でもとっても優しいまなざしでぼくらを見守ってくれている大先輩だ。

ネット時代以前も、雑誌など紙媒体で議論を戦わせているうちに盛り上がると「上等だ!表へ出ろ!」とばかりに実際に会って決着をつけようとしたものだった。それは必要で大事なことなのだ。

前川せんぱいがおっしゃったことを簡易に書くと、そんな感じだった。ぼくはそれにいたく”なるほど!”と納得した。

メディア上で言葉でもって戦ううちに、直接会って”身体で”戦う。それはとっても大事なのだ。

身体で議論する。議論は最終的にはその方がいいのだ。だってまずスピードが違う。紙媒体がネットになりチャット的に議論できたとしても、言葉を交わしあうスピードは生身にはかなわない。相手が切りだしたジャブをよけながらストレートを繰り出し、でも外れちゃった。議論ってそういう行為だ。つまりボクシングだ。

それから、表情とか身振り手振りとか。ぼくたちは言葉だけでコミュニケーションしているわけでは決してない。笑ったり、眉根を寄せたり、ええー?!と驚いてみせたり。相手を指さしたり手を大きく広げたり腕組みをしたり。そんな言葉以外の表現も実は、言葉の一部になっている。その表現力の大きさは言葉の力を累乗的に増やすだろう。だから議論とは同時に演技の場でもあると言える。

紙媒体中心の時代であっても、ネットの時代になっても、最後は直接会って戦う。それはまったく正しいのだ。変わらないのだ。人間の本質なのだ。

直接が、リアルが大事だからメディアなんか要らない、なんてことを言いたいのではない。テクノロジーがほんとの議論をできなくしてる、てなことを言いたいわけではない。

そうではなく、メディアはリアルな場を持つことで強靭になれる、ということを言いたい。テレビにしろ、ネットにしろ、”身体で体験”させることを武器にしたいものだね、ということだ。

ここで少し前に書いた「テレビがファンを育てはじめた〜NHK「仕事ハッケン伝」ブロガー見学会〜」でも、スタジオで収録を身体で感じることで番組というコンテンツが別の魅力を輝かせてくれた。あるいは、先のあやとりブログで主宰の氏家さんが書いた「見るだけじゃない!テレビを体験するブランディング」の記事でもすごく近いことに言及がなされている。

テレビも「表へ出ろ!」とやるといいのだと思う。スタジオでトークしているうちに、「じゃあ次回は外へ出て皆さんと一緒に話そうか!」なんてこと、どしどしやればいい。テレビを身体で感じてもらうことはできるのだ。人前で喋るのは得意ではないのだけど、と言いつつもイケダハヤト氏が表へ出ているのだから、みんなどんどん表へ出て、場外乱闘しようじゃないか。

かく言うぼくもまた、こそこそやってる勉強会の”場外乱闘”的イベントをいま、計画中。もう少ししたら発表するので、ちょっと待ってくださいね。前にやった”オープンセミナー”の第二弾です。たぶん、来週あたり、かな?

TOKYO MX TVの進撃、はじまる!〜アニメ「進撃の巨人」放送開始〜

漫画で話題になっていた『進撃の巨人』のアニメ版がこの週末からテレビ放送を開始した。

ほおほお、どの局で?うん、東京に住んでる人はねえ、MXTVで観れるよ。あの独立U局ね。

・・・独立U局って何だっけ?・・・

日本のテレビ局は基本的に、在京キー局とネットワークを組んでいる。日テレなり、フジテレビなりの番組を各地域で放送する。場合によっては、2つのネットワークの番組を混在させて流す局もある。そんな例外もありつつ、日本のテレビ放送はキー局を軸に同じ番組を全国で流せますよ、という仕組みを売りにしてきた。誰に売るかというと、スポンサーだ。CMを打ちたい企業はだいたいは全国で流したい。そこでネットワークを組むことで、そのニーズに応えてきたのが日本の商業放送システムだ。

そのネットワークに属さないテレビ局がいくつか存在する。そういう局はUHF電波を使うので、ネットワークから独立しているUHF放送局、つまりは独立U局と呼ばれるわけだ。

東京に住んでいると、都内向けのU局MXTV以外にも事実上、TVK(神奈川放送)、テレビ埼玉、テレビ千葉などいくつかの独立U局が視聴可能だ。我が家は地上波をケーブルテレビ経由で受信していて、上記U局もだいたい送信してくれているので観ることができる。

そんなわけで、『進撃の巨人』もちゃんと視聴できた。原作の面白さ、荒々しさ、そして残虐さを損なわずに制作できており、かなりの迫力だった。人間が巨人に食われるシーンを原作通りちゃんと描いていた。怖いなあ。でも面白いなあ。

ところでこの『進撃の巨人』。放送するテレビ局を並べてみると面白い。公式サイトにある「放送情報」を見てみよう。

最初のMBSとは毎日放送のことで、大阪キー局だ。このテレビ局はアニメ番組での先験的な事例が多い。『タイガー&バニー』も、MBSが放送し、それをまたいくつかの独立U局が放送していた。

そしてTOKYO MX。これが東京の独立U局だ。つまり『タイバニ』パターンなのだなと思ったら、よくよく見ると他の放送局はU局ではなかった。テレビ愛知はテレビ東京系列だし、福岡放送は日テレ系、北海道テレビはテレビ朝日系、テレビ大分はまた日テレ系列だ。そしてBS11にニコニコ動画の名前まで並んでいる。

独立U局だけでネットワークを組むことも増えてきていたが、民放がネットワーク系列と無関係に、独自の判断で放送するのだ。これにはちょっと驚いた。でもきっと、これからは”有り”なんだろうなあ。

『進撃の巨人』はアニメファンだけでなく注目度の高い漫画なので、ひょっとしたら人気が過熱していくかもしれない。そうなったら、MXTVがテレビ局としての存在感をぐいっと増すんじゃないだろうか。ただでさえこのところ、”アニメのMX”と言われはじめている。そこには何か、新しいテレビ局としての可能性を感じてしまう。視聴率的に存在感を高めていくこともあり得るのだ。地デジ化で変化は何も起こらなかったように見えていたが、U局の浮上はメディアマップに変革をもたらしはじめている。時間がかかるのだ。もう少しすると、はっきりした変化が巻き起こるんじゃないだろうか。

ヒッチコックはすべての映画青年の先生だった

映画『ヒッチコック』が公開された。言うまでもなく、同名の映画監督を描いた作品だ。1960年に公開された『サイコ』制作の際の物語。アルフレッド・ヒッチコックとその妻、アルマ・レヴィルの夫婦の関係を軸に置いたユニークな切り口が楽しめた。

このブログでは映画そのものについて書くことはあまりやってこなかったが、この映画は特別なので、書いておこうと思った。ぼくにとってヒッチコックは特別な映画監督だからだ。

ぼくらの世代なら、日曜洋画劇場などテレビ番組でヒッチコック作品はいろいろ見ているだろう。淀川長治さんが熱い語り口でヒッチコックについて語ったような記憶がある。

『鳥』を観たのも日曜洋画劇場だったのではないかと思う。小学生の時だった。ものすごく驚いた。もちろん怖かったからだが、明らかな”演出”を感じとったことも大きい。ジャングルジムに鳥が増えていくシーンは、映画を感じさせられた。それと、鳥が人を襲う理由がまったく説明されないのも衝撃だった。

高校生の時、やはりテレビで『北北西に進路をとれ』を観た。下宿の小型テレビに吸い込まれるように見入った。映画を観てハラハラドキドキこんなにするものなのかと大いに興奮した。畑の道で遠くにのどかに飛んでいた複葉機が突然自分に向かって来て機関銃を乱射する。この場面は目に焼き付いた。日常的な風景がいきなり変貌する様が面白かった。

ヒッチコックという監督が撮ったのだと知った。あの『鳥』の監督かあ。映画ってすごいなあ、監督ってすごいなあ。映画という”表現”に強く興味を持った。

大学時代、だから80年代前半にヒッチコックが再びスポットライトを浴びた。1980年に亡くなったのがきっかけだろうか。彼の主立った作品がニュープリントでロードショー公開され、またテレビでも特集放映された。ぼくはむさぼるように観た。

『鳥』や『北北西』の、あのヒッチコックの映画が、次々に大きなスクリーンで観ることができるのは例えようのない幸福だった。人生の中で映画を観る幸福をあれほど浴びることが出来た時期は他にないと思う。『裏窓』でグレース・ケリーのクローズアップがスクリーンに映し出されるなんて!

同じ時期に『映画術』という本が出版されていた。大判の分厚い本で、フランスの映画監督トリュフォーによるヒッチコックへのインタビューをまとめたもので、ひとつひとつの作品について詳細に聞きだしていた。映画のカットも数多く使われていた。

ぼくは映画館で作品を観るたびに、書店へ行ってその本の該当部分をむさぼるように読んだ。作品を見るまでそれについて書かれた部分は読まずに、観た後すぐに読むのだ。映画も面白いわけだが、それについてヒッチコックが語っているのを読んでまたほほー!と感心するのも楽しかった。

ヒッチコックの特集放送の中で『サイコ』も放送された。とにかく怖いらしいというので楽しみにしていた。その頃、ぼくはテレビが故障して友人から小さな白黒テレビを借りていた。たぶん14インチぐらいだったんじゃないか。テレビ台もなく畳の上にそのまま置いて観ていた。『サイコ』はある日の夜中に放送された。

白黒の畳に置かれたテレビの中にぼくの目は吸い込まれていった。あの時の恐ろしさといったらなかった。ぼくはその頃、ホラームービーを馬鹿にしていた。人を脅かすなんて、残酷な場面を描けばいいのだからあまり知的なものだと言えないのではないか。だからホラームービーをあまり怖いとも思ったことはなかったし、わざわざ怖い思いを映画でする意味が分からなかった。でも『サイコ』はそんなぼくの固定観念を木っ端みじんにしてしまった。怖いってすごい!怖いってなんだ?怖いという感情には大いなる謎と真実がある!

観ていない人のために詳しいことは書かないが、「サイコ』は老婆が恐ろしいことをする。ぼくが住んでいた安アパートは大家がお婆さんでいつも話が通じなかった。見終わった後、管理人の婆さんが大きなナイフを持ってやってくるんじゃないかとほんとにおびえた。

さっそく翌日書店に行って、『映画術』の『サイコ』の部分を読んだ。きっと恐怖を描きたかったとか、そこにある人間の真実を描きたかったとか、そんな話が書いてあるんじゃないか。ヒッチコックの話にはそんなことは微塵も書いていなかった。観客をどうしたら怖がらせることができるか。彼の話はまったくそれに終始していた。

ぼくはその頃まで、”表現”とは先に何か言いたいことがあって、それをどう伝えるかが映画になったりするのだと捉えていた。でもヒッチコックが語っているのはそんなメッセージの話ではなかった。作り手と観客との間にある駆け引きのようなことが書いてあった。あるいは映画を通じて語ることではなく、映画そのものを語っていた。そのことがまたぼくをびっくりされた。

ヒッチコックはぼくの映画の見方を根底から変えてしまった。

映画『ヒッチコック』を観て驚いたのは、こんな映画史に残る作品に、映画会社が出資しようとしなかったことだ。そこでヒッチコックは、家を売る覚悟で私財を投じてこの映画を製作している。この時点ですでに60歳になっていたのに。つくりたい映画をつくるためには、破産も辞さない。

というより、どうしても、なんとしても、彼は『サイコ』をつくりたかったのだ。

結果、『サイコ』は世界中で大ヒットし、ヒッチコックは家を売らずにすんだばかりか億万長者になった。そしてそのあと、『鳥』を含めてさらに6本もの映画を彼は作っている。

60歳にもなってすでに大巨匠だったのに、私財を投げうる覚悟までして新しい作品に挑戦している。実際『サイコ』は、当時としては過激だった。最初のシーンでジャネット・リーがブラジャー姿で登場するし、途中でトイレの場面がある。トイレはそれまでのハリウッド映画は画面に登場させるのを避けてきたのだ。実際に映倫がクレームをつけるシーンが映画『ヒッチコック』にも出てくる。

ヒッチコックが撮った映画から、そして映画『ヒッチコック』から、学ぶべきものは多く、語るべき切り口はたくさんある。毎晩の酒の肴にする話題として、軽く一週間くらいは持つと思う。もちろん相手がヒッチコック好きでないと退屈だろうが。

だがヒッチコック好きでなくても、この映画を通じて語れる切り口はある。人は、60歳になっても挑戦すべきだということだ。挑戦し続けるべきだし、やりたいことを我慢する必要もない。ただし、やりたいことをどうしてもやるのなら、私財を投げ打つ覚悟が必要だ。でもそこまでの覚悟があれば、きっとうまくいくだろう。少なくとも大失敗にはならないはずだ。

ヒッチコックはまだまだぼくに教え続けてくれそうだ。映画のことも、人生のことも。

もしヒッチコックのことをよく知らないなら、まず『サイコ』を観てみるといいと思う。その上で映画「ヒッチコック』を観るといい。映画とは何かが少しわかるし、人生とは何かがけっこうわかる。

南相馬の苦悩は終わってない(最前線の医師が託してくれたスライドを公開)

3月29日に福島県南相馬市に行ってきた。その顛末は前回のこのブログに書いたので、読んでない人はできればそっちから読んでください。たった一日で貴重で濃厚な時間を体験できた。

さてその時、友人フルさんが手伝いに行った南相馬市立総合病院。副院長の及川先生がスライドを見せながら当地の医療の現状を解説してくださった。ぼくは衝撃を受け、また自分がこの二年間、いかに被災地の課題に無関心でいたかを思い知らされた。

せめてできることとして、そしてフルさんもそのためにぼくを連れていったのだろうけど、ここで及川先生の話を書きまとめて、少しでも多くの人たちに読んでもらうように努めてみたい。及川先生が、院長の金澤先生のお許しもいただいた上で、スライドのファイルをぼくに渡してくれた。82枚にも及ぶスライドのエッセンスとして、ここでそのうちの十数枚をお見せしながら、ぼくなりに解説をしてみたいと思う。

ぜひ皆さん最後まで読んでもらい、できればTwitterやFacebookで拡散してもらえればありがたい。とにかく、少しでも多くに知ってもらうことからはじまるのだと思うので。

まず南相馬の位置を皆さん知ってもらいたい。

福島県の太平洋側・北寄りにあるのが南相馬市だ。豆知識的に言うと福島県は南北に伸びるふたつの山脈、奥羽山脈と阿武隈山地を境界線に3つの区域に分けて捉えられる。西から会津、中通り、浜通りと呼ばれている。福島に行くと天気予報でもこの3区域それぞれの予報が発表される。天候が分れるだけでなく文化的にも3つは少しずつ違う、別々の歴史を持っている。いま大河ドラマで注目の会津は、南相馬とは違う地域なのだ。


南相馬は一次産業人口が全国平均より高い。一方で年少人口が少し平均より高く、また老年人口がぐんと高い。及川先生によればこれは、三世代で一緒に住んでいる家庭が多いことの証しらしい。核家族だけより、おじいちゃんおばあちゃんも同居していれば子育てもしやすいのだろう。とても素敵なコミュニティであったのではないだろうか。

その素敵なコミュニティは、震災と原発で一変してしまう。

太平洋に接している南相馬は、東日本大震災で震度6の地震に見舞われ、さらに8.6mの高さの津波に襲われた。それだけでも大変だったわけだが、でもそれだけなら3日間程度で医療機関は平常を取り戻せていたはずだ。

事態を深刻にしたのは原発との距離であり、2度にわたる水素爆発だった。

水素爆発が起こったことはぼくも知っていた。でもそれが福島に引き起こした混乱と不安をぼくはまったくと言っていいほど知らなかった。避難しろと言われること、そして指示や命令がころころ変わること、何より真実が見えないことがどれだけ不愉快で不安に陥れられるか。ぼくたちは想像してみなければならないだろう。

そして震災から数日後に2回に分けて”指示”が出された。

及川先生によれば、この”指示”と”命令”とは違うのだそうだ。”命令”は従わねばならないし、だからこそ出す側には責任がある。避難を政府が命令すると、政府は非難する人びとに責任が生じる。ところが指示の場合は、責任は生じないのだそうだ。誰がどんな意図で”指示”にしたのかわからないが、巧妙さを感じざるをえない。

とにかく南相馬には3月15日に「屋内退避指示」が出された。屋内退避?避難ではないのだ。屋内に退避せよ。つまり家から出るなと。いったいそれでどう暮らせというのか。どういうつもりの”指示”なのか。南相馬とこの町の医療が振り回される日々のはじまりだ。

上の図を見ると大いに混乱するだろう。原発20km圏内は避難指示区域だ。指示とは言え、とにかくみんな避難するしかない。一方、南相馬の西側、飯舘村も避難指示が出ている。南相馬の20km圏外であり30km圏内である地域はビミョーな場所になってしまっている。避難しなければいけないわけではない。でも屋内退避しろと言うのだから、なんだか普通には暮らせないぞというモヤモヤした空気に包まれるだろう。

さらに困ったことに、多くの民間企業では50km圏内への社員の立ち入りを禁止してしまった。なんということだろうか!政府はあくまで20km圏内に避難の”指示”を出した。だから20km圏外の南相馬には大勢の人がいる。なのに民間企業が50km以内に入れないようだと、企業が提供するものが一切南相馬に届かなくなってしまう。だからすぐに食料が不足し、みんな困り果てたという。

食料が届かないだけではない。例えば、マスメディアも南相馬まで取材に来ない。及川先生は某全国紙の記者から取材の申込を受けたが、会社の命令でそちらに行けないので50km圏外まで出てきてほしいと言われたそうだ。これにはびっくりした。ジャーナリズムは公器ではないのか。困っている人がいてその窮状を取材するのに、現地に行くなと?そんな命令を出す会社も会社だけど、それに従ってしまう記者もどうかと思う。

また医療関係のスタッフや車両なども南相馬まで来てもらえなくなってしまった。緊急車両が入ってこれない。医師や看護師も来てもらえない。なんとも不条理ではないだろうか。そもそも、避難区域とは別に南相馬が”屋内退避区域”という中途半端な地域指定をされたのはいったいどういう考え方なのだろう。そう思っても問いかける相手もいなければ世間に訴えたくても取材にも来てもらえない。なんとも心細い日々だっただろう。

そんな中、防災大臣がやって来た場での議論で、入院患者の避難が決定したという。

3月19日〜20日には患者の移動が行われた。福島医大を経て、ほとんどは新潟の病院に移されたという。福島県内に移動してまた避難となったら二度の転院になってしまうから、いっそもっと遠くへということだったそうだ。

そんなこんなで、入院患者が転院したのはいいことだが、スタッフも多くが避難してしまった。入院患者はいなくなっても、診療に来る住人はいるので大変だ。

さらに4月11日には新たな政府の指示が発表された。

”緊急時避難準備区域”。なんだろう、この言葉は。こういう言葉を産み出すのはどういう意図なのだろう。何かあったら避難できるよう準備しなきゃダメな区域。避難するか、しないか。どっちかではダメなのだろうか。

自主的に避難するように。子供や妊婦は区域に入らないように。なんと中途半端な。この区域指定は、9月になり解除された。だが半年間もこんなビミョーな区域指定を受けて、南相馬は地域社会として大きく崩れてしまった。

もともと7万人あった人口が、一気に1万人以下になり、いまはまた戻ってきたものの7割といったところだ。さらにその年齢構成の変化に注目したい。

このグラフを見ると一目瞭然だが、子供たちが大きく減ってしまっている。最初に書いたように、南相馬は三世代で暮らす素敵なコミュニティだった。年少人口が平均より多い町だったのに、子供の数が減ったのは、地域の活力と未来が大きく損なわれたに等しい。

「子供は入らないようにすること」そんな中途半端な区域指定を半年間もされてしまった。その間に別の町に住みはじめて友だちもでき、地域に溶け込んでしまうと、そこを離れるわけにはいかないだろう。

地震と津波は南相馬で多くの命を奪い、家や田畑を破壊した。だが原発はさらに追い討ちをかけるように地域社会を一度崩壊させ、その余波はまだまだ続いている。

南相馬にはいまだに精神的な意味での余震が続いているのだ。そしてその余震を引き起こしたのは行政であり、社会だ。

だからぼくたちはどうすればいいのだろう。ぼくにはまだわからない。わからないけど、考えはじめる、ということなのだと思う。

ぼくは南相馬にふれあった。ふれあった縁を大事に受けとめ、少しずつでも考えていこうと思う。このブログを通じて、南相馬について皆さんが知ってもらえればうれしい。

今さらでゴメン。南相馬に行ってきた(そこには原発モンダイ最前線があった)

フルさんは高校時代の同級生だ。三年生の時、同じ下宿で過ごした仲間で、東大医学部に入り研究者として医学の最先端を極めている。と書くと、超エリートで冷徹野郎なイメージを思い浮かべるかもしれないけど、実際には人のよい温かみあふれる人物だ。正直、世渡りも上手そうではない。でもだからこそ、彼に何か頼まれたら嫌とは言えない、そういうキャラだ。

そのフルさんが久しぶりに下宿の仲間で集まって飲もうと言う。自分からそういう催しを言い出すタイプではないので何かあるなと思ったら、南相馬の話をはじめた。医者同士のネットワークを通じて、南相馬の病院への手助けの依頼があり、去年から月に一回行っているのだそうだ。福島の現状を見て、その様子をもっと世間へ訴えられないかと切々とぼくらに問いかける。「境ならいろんな人にメッセージできるんじゃない?」うーん、ようするにぼくに一緒に行って何か書けということらしい。

ぼくは東日本大震災の被災地に行ったことがなかった。ひとりの日本人として、二人の子供の父親として、行かなければならないんじゃないかとはずっと思っていた。実際にどんな光景で何が起こっているのか興味はあったが、何のつてもなく行っても邪魔になるだけじゃないかとか、結局は物見遊山にしかならないんじゃないかとか、ウジウジ考えているうちに二年間経ってしまった。

高校の同級生に縁があって、というのはいい機会かもしれないと感じた。よっしゃ、フルさん!次に行く時、行けるようなら一緒に行くよ!・・・という次第で、3月29日に南相馬に行くことになった。

朝7時半の新幹線に乗ってまずは福島へ。福島からはバスで行くことになる。切符を買って30分ほど並んでいると、いつの間にか長い列がずらーっと出来ていた。小中学生の子供たちとその母親、というグループが多い。あとでわかるのだが、南相馬を離れて暮らす子供たちが春休みなので元の住み家に一時帰宅する姿だったのだ。

9時50分に福島駅を出たバスは、11時30分に南相馬の原町駅前というバス停に着いた。東京駅から丸4時間になる。常磐線がつながっていればもっと早いらしいのだけど、いまはこれが最短のルートだという。

途中、飯舘村を通った時は、人の気配がほとんどなくなったのだが、南相馬に入ると人もクルマも多くて、なんだ、けっこう賑やかで活気があるじゃないか。バス停に、病院から迎えのクルマが来てくれて、フルさんと南相馬市立総合病院に向かった。

病院に着くと、副院長の及川先生が歓迎してくれた。及川先生から南相馬の現状についてレクチャーを受けて、考え込んでしまったのだけど、これについては次回じっくり解説しようと思う。

今回、フルさんは小さな会合に出て医学者の立場からいまの南相馬の安全性について講演をすることになっていた。近くの公民館にクルマで移動する。途中で至るところに仮設住宅があるのが見えた。街の中心からは見えなかった、震災の影響が少し奥に行くだけで見えてくる。

南相馬は普通に生活ができる町だが、さっき通った飯舘村や、原発から20km圏内では昼間は入れても住むことはできない。そういう町の人びとはまだまだ仮設住宅に住んでいる。また南相馬も一時期は避難指示が出ていた地域だ。だからここから出ていって別の町に住んでいる人も大勢いる。被災地の状況はまだまだ大変で、複雑なのだ。

公民館に着くと、皆さんが待ちかまえていた。年齢はおそらく60代70代だろう。10名くらいの方々が揃っていた。畳の部屋にテーブルをロの字型に組んでその周囲に座っている。フルさんは上座に座らされ、軽く自己紹介した後、話をはじめた。

簡単に内容をかいつまむと、南相馬ではいま、1〜2mSVの放射線が測定されている。普通に生活していても自然界から同レベルの放射線を浴びているので、健康に問題が出るレベルではないでしょう。そんなことを、30分くらいかけて多様なデータを見せながらわかりやすく説明した。ぼくもあらためてなるほど、そうなのかと受けとめた。聞いている皆さんもまずは納得し、安心した様子だった。

だが質問タイムになると実に多様な疑問が次から次に提示された。ある女性は、食事に出す野菜を大人用と孫に出すのとでは分けていて、地元でとれた野菜は子供には出さないのだそうだ。先生のお話を聞くと理屈では心配ないとわかったが、だからすぐ大人と同じものは使う気になれないと心情を素直に語ってくれた。

別の女性は除染への不安を語ってくれた。すぐ近くの幼稚園で大掛かりな除染作業が行われた。しかし水で除かれた泥が自分の家の方にやって来る。自分の家のまわりはかえって汚染されたのではないか。

また別の女性が言う。南相馬から避難した人たちは、子供がいる人ほど帰ってこない。やはり南相馬にいるとよくないからではと思ってしまう。そしたら別の人が言う。「子供ひとり当たり一定額の支援金が出るから、帰ってきて仕事がないより仮設住宅にいて支援金をもらった方が生活が安定するからだ」なかなかえぐい意見だ。

フルさんは安心してもらうためにあらゆるデータを調べ上げ、わざわざPowerPointで資料を作って持っていったのだが、南相馬の人たちの不安はそんなレベルでは済まないようだ。当たり前かもしれない。放射線の量は大したことありませんよ。と言われつつも一方で、除染は行われている。やっぱり放射能がたまっているからでしょ?隣の村、南の町はいまだに昼間しか入れない。すぐ近くの町が”住めない”ということになっているのに、自分たちだけ丸っきり安全だなんて信じられるものではないだろう。

「私たちは好きでこの町にいるんじゃないの。仕方なく住んでいるのよ」ひとりの女性が言ったことが強烈だった。こんなに不安を抱えていては、地域社会は崩れかねないだろう。南相馬は震災と津波で被害を受けたが、原発事故がもたらした災厄の方がずっと尾を引いているのだと思い知った。

公民館での集会の後、フルさんは病院でカウンセリングの仕事がある。その間ぼくはヒマになるので、病院の方が津波の被災地に連れていってくれることになった。

位置関係がわかりにくと思うので、上の地図を見てほしい。(この地図は別のサイトで見れるもので、詳しく見たければそっちで見てもらうといい)上の方に南相馬がある。その上下に赤い線があるのは、福島第一原発からの距離が30kmと20kmを示している。南相馬は20km圏外だが、30km圏内ということ。病院のひとが連れていってくれたのは、20km圏内の小高という町だ。

20km圏外の南相馬は人もクルマも多く、一見すると何の変哲もない普通の町に見える。これが、クルマで20km圏内に入ると空気が一変する。急にあの3.11の世界にワープしたかのようだ。2011年にテレビを通じて何度も何度も見てきた被災の光景が目の前に繰り広げられる。

畑の中にがれきが積まれた姿。田んぼの中に取り残されたクルマ。お店の中には人の気配がなく、時間が止まっているようでさえある。

案内してくれた方は、震災まで小高の病院に勤めていたそうだ。津波は免れたが地盤がゆるい土地で、地震で土台がぐにゃぐにゃになった。

地震の後、今度は原発で水素爆発。この一帯は避難指示が出た。慌てて病院を出ていった。その生々しい感じは、いまのいままで患者さんが寝ていたとしか思えない病室の状態から受けとめられる。

壁に掛かるカレンダーは一昨年3月のまま。いま『ウォーキング・デッド』という海外ドラマを見ている。ある男が病室で目覚めると誰もいない。外は彼の知らぬ間にゾンビたちの世界になっていた。小高の病室はあのドラマの1シーンを思い出させた。

そのあと、今度は小高の市街地に行く。そこそこの町なのだが、とにかく人がいない。活気と呼べるものがまったく漂っていないのだ。

忽然と住民だけが消えていったかのような世界。ゴーストタウンとはこういう状況のことかもしれない。それでも少しずつ、重機が入って復興に向けた作業をしている。だがやはり、住民のいない町ではなかなか進まないのだと思う。昼間だけ入っていい、というのは復興には大きなプラスにはならないのだろう。

ところどころに倒れかけた家が残されている。そのたたずまいはまるで、ほったらかされた重病人のようだ。治療法が見つからないまま、生かさず殺さず、二年間そのままにされて、でも誰も近づかない。いっそ殺してくれと建物が呻いているように見えた。

そこから今度は海側に移動していく。小高の街中は津波の被害はほとんどなかったが、ほんの少し海側に行くと津波に呑み込まれた一帯になる。この辺りは津波の高さは岩手などに比べると低いものだったが、それでも家々が呑み込まれ、流されてしまった。

クルマが畑の中に取り残されている光景は、どこか滑稽でさえあり物悲しい。これらのクルマはもう二年間この滑稽な有り様を晒され続けているのだ。もう、どうだっていいよ。動かなくたっていいよ。そんな諦めきったようなクルマたち。彼らはあそこからいつ救い出されるのだろう。おそらくいまは、何のメドも立ってないだろう。

多くの家は丸ごと流されてしまったのだが、残っている家もかろうじて残っているだけだ。一階部分がえぐられて、残酷な姿を晒している。内蔵部分がなくなって向こうが見通せるのに立ち続けている人間のようだ。そんな家があちこちに少しずつ立ったまま二年間取り残されている。

海のすぐそばまでたどり着いた。ただひたすら何もない、荒れ地のようになっているが、がれきがそこここに小さな山を築いている。それぞれが、ひとつの家だったようだ。写真には写っていないが、土台だけ残っていたりする。ひとつひとつのがれきの小山が、家々の墓標であるかのようだ。そうだ、だからここは、家たちの墓場になってしまっている。

丸で怪獣に踏みつぶされたかのように見える。この状態で二年間放置されてきた。復興という言葉ははるか彼方にしかなく、この場所からは見えてこない。この惨状は地震と津波がもたらしたものだが、もっと問題なのは二年間手をつけられなかったことだ。それは原発に近すぎたから。原発の罪とは、こういう”手のつけようのない”ことにあると思う。


手のつけようのない虚しさは、20km圏の外にも広がっていた。この写真はもう南相馬に戻ってきてからの風景だ。田畑だった土地がただひたすら、荒れ地となっている。南相馬でも除染が済んでいない土地では耕作ができないのだ。

何も出来ない農地は今回とにかくあらゆる場所で目にした。その光景はひどく悲しい。ぼくたちの原発に対する無力さを思い知らされるからだ。そして、いったいいつになったらもう一度耕作できるのかまったくわからない。20km圏内だと、何十年も先になるのだろう。原発事故は、この国の一部としての広大な国土をぼくらから奪ったのだ。

二年前の震災で、ぼくたちは津波による悲惨な光景を見た。そしてまだまだ、復興が進んでいないことも耳にしている。だが南相馬、つまり福島第一原発に近い地域にはさらに問題が複雑だ。復興が進んでいないどころか、まったく手がついてない一帯があるのだ。そしてそこに隣接した南相馬にはその複雑な問題がもたらすもやもやがうっ積してきている。

その南相馬の問題について、及川先生から受けたレクチャーの内容を次回は書いてみよう。きっとこれまで報道もされなかった、小さな町の大きな悩みが見えてくると思う。

ぼくたちはもっと、被災地のことを知らなければならない。

インターネットは政治を変えられる(ぼくやあなたが参加すれば)

江口くんの写真を撮って載せるつもりだったのだけど、いまいち上手く撮れてなかったので、一緒に食べた中村玄(恵比寿)の麻辣香鍋の写真でごまかす

このブログで”政治”という言葉が出てくるとは思わなかった?・・・うん、ぼくも思わなかった。というか、話題として避けてきた。

ホントは政治にぶりぶりに関心あるし、メディアとは本質的には政治的なものだ。なのにここであまり政治について語らなかったのは、いまのこの国の政治状況に失望しているから。

でもこれから、政治について書いていこうと思う。なぜならば、インターネット選挙がはじまろうとしているからだ。

少し前の話になるのだけど、3月12日に「インターネットは政治を変えていくのか 〜 ネット選挙解禁にむけて」というイベントがあった。主催はOne Voice Campaignという団体。この団体のことも、この催しの趣旨も、あんまりよくわからずに、でも勇んで行った。ネット選挙解禁は、エポックメイキングだなあと思ったからだ。

One Voice Campaignをちゃんと知らなかったけど、会場に着いたら見たことある若者がマイクを持って喋っている。あれ?江口くんじゃないの。そうなんだー。

One Voice Campaignは若者たちの手弁当活動で、まさしくネット選挙実現のために去年から活動しているのだそうだ。そして法案成立大詰めのこの3月に開催したのが今回のこのイベント。各政党のネット選挙推進のキーマンが集まり、夏野剛さんなどゲストも参加してパネルディスカッションが行われた。

会場には、意外に知ってる人たちもいっぱいいて、ネット選挙解禁への期待の高さが感じとれた。ディスカッションの内容は、各政党が「おれんとこがいちばんえらい」という主張をぶつけあう場面が多く、正直言ってシラけた。アジャイルメディアの徳力さんがツイッター上でしきりと「もっとこうしたら」をつぶやくのだけど、司会の人はどうやらハッシュタグを追ってるわけでもないようで、変わりなく議論(というかちょっとした言い争い)が続いてしまった。

まあでもいいや、議論の中身は置いといて、手弁当のグループがこんな立派なイベントを成し遂げたことが素晴らしい!江口くん、久しぶりだね、ってことで、あらためて時間をもらってごはん食べたのが、冒頭の写真のお店だというわけだ。

One Voice Campaignは江口くんが呼びかけて仲間たちが集まり、活動をはじめたそうだ。それぞれ仕事を持つ若者たちが、それぞれの力を持ち寄って世の中にネット選挙の実現を呼びかけていった。いまはサーバー代さえ払えば、誰でも情報発信できる。だからこうした運動も起こしやすいけど、本気の問題意識がなければ続けられなかっただろう。だから、いい仲間が集まったんだね。

ほんとうは衆議院選挙で実現したかったのだけど、12月に選挙が早まって、間に合わなかった。でもどうやら、夏の参議院選挙までには実現しそうだ。それは結局、安倍首相が決めたから、かもしれないけど、彼らの活動だって少なからず後押しになったはずだ。若者たちが政治を変えた、第一歩かもしれないね。

江口晋太郎くんはユニークな青年で、例えばこのページにもOne Voiceの仲間たちとのインタビューが載っているのだけど、最初は自衛隊にいたそうだ。その頃にイラク派兵などもあって政治や社会に新たな興味が湧き、自衛隊をやめて大学に入ったという。ネットメディアでの企画を本業としつつ、政治関係の活動に携わっている。

江口くんと話していると、若者なのに同じ目線で意見を交わしていることに気づく。ぼくらが何十年もかかってわかってきたことを、もう彼はわかってる感じ。20代の頃のおれって、もっと全然なんも考えてなかったなあ。

彼が特別そうだというのもあるけれど、今の時代感覚は、若者がこうして政治的な活動に手弁当で集まるのを自然に受けとめられている。それは素敵なことだと思う。ぼくら(いわゆるバブル世代)は政治について語り合う空気をついぞ持てなかった。政治を語ることはなんかダサいのだということになってしまっていた。ぼくらは、今の政治への諦めムードに加担してしまってきた。それは罪だと思う。

だからぼくたちは、ネット選挙を通じて、政治に意志を持とう。そうしないといけないと思う。

ネットによって、政治は変えられるのだろうか。インターネットは政治を変えるのだろうか。

この問いかけは、そもそもまちがっている。インターネットには意志はないのだ。意志を持つのはぼくたちだ。だから、インターネットで、ぼくたちは政治を変えられるのか。そう問いかけねばならない。政治を変えるのは、インターネットではなく、ぼくたちなのだ。

そしてこの問いかけへの答えは、はっきりしている。YES! ぼくたちは、政治を変えられる。変える意志があれば、変えられるのだ。

そんな次第でぼくは、ネット選挙解禁を大いに歓迎しようと思う。政治活動をやるのだ。インターネットを使ってね。あ、ぼくが選挙に出るわけじゃないよ。ぼくが応援したい人がいる。彼のために、インターネットを使ってみようと考えているわけ。

それで皆さんの中で、ネット選挙を機にあんなことやこんなことを考えている人がいれば、コンタクトしてください。彼の応援に役立ちそうだと思ったら、さっそく使います。
でもお金はあんまり出せないけどね。

コンタクトはこちら。sakaiosamu62@gmail.comにメールしてください。

みんなで、ネット選挙を楽しんでみよう。そして、この国の政治を変えよう。ぼくやあなたが参加すれば、変えられる。きっとね!