ヒッチコックはすべての映画青年の先生だった

映画『ヒッチコック』が公開された。言うまでもなく、同名の映画監督を描いた作品だ。1960年に公開された『サイコ』制作の際の物語。アルフレッド・ヒッチコックとその妻、アルマ・レヴィルの夫婦の関係を軸に置いたユニークな切り口が楽しめた。

このブログでは映画そのものについて書くことはあまりやってこなかったが、この映画は特別なので、書いておこうと思った。ぼくにとってヒッチコックは特別な映画監督だからだ。

ぼくらの世代なら、日曜洋画劇場などテレビ番組でヒッチコック作品はいろいろ見ているだろう。淀川長治さんが熱い語り口でヒッチコックについて語ったような記憶がある。

『鳥』を観たのも日曜洋画劇場だったのではないかと思う。小学生の時だった。ものすごく驚いた。もちろん怖かったからだが、明らかな”演出”を感じとったことも大きい。ジャングルジムに鳥が増えていくシーンは、映画を感じさせられた。それと、鳥が人を襲う理由がまったく説明されないのも衝撃だった。

高校生の時、やはりテレビで『北北西に進路をとれ』を観た。下宿の小型テレビに吸い込まれるように見入った。映画を観てハラハラドキドキこんなにするものなのかと大いに興奮した。畑の道で遠くにのどかに飛んでいた複葉機が突然自分に向かって来て機関銃を乱射する。この場面は目に焼き付いた。日常的な風景がいきなり変貌する様が面白かった。

ヒッチコックという監督が撮ったのだと知った。あの『鳥』の監督かあ。映画ってすごいなあ、監督ってすごいなあ。映画という”表現”に強く興味を持った。

大学時代、だから80年代前半にヒッチコックが再びスポットライトを浴びた。1980年に亡くなったのがきっかけだろうか。彼の主立った作品がニュープリントでロードショー公開され、またテレビでも特集放映された。ぼくはむさぼるように観た。

『鳥』や『北北西』の、あのヒッチコックの映画が、次々に大きなスクリーンで観ることができるのは例えようのない幸福だった。人生の中で映画を観る幸福をあれほど浴びることが出来た時期は他にないと思う。『裏窓』でグレース・ケリーのクローズアップがスクリーンに映し出されるなんて!

同じ時期に『映画術』という本が出版されていた。大判の分厚い本で、フランスの映画監督トリュフォーによるヒッチコックへのインタビューをまとめたもので、ひとつひとつの作品について詳細に聞きだしていた。映画のカットも数多く使われていた。

ぼくは映画館で作品を観るたびに、書店へ行ってその本の該当部分をむさぼるように読んだ。作品を見るまでそれについて書かれた部分は読まずに、観た後すぐに読むのだ。映画も面白いわけだが、それについてヒッチコックが語っているのを読んでまたほほー!と感心するのも楽しかった。

ヒッチコックの特集放送の中で『サイコ』も放送された。とにかく怖いらしいというので楽しみにしていた。その頃、ぼくはテレビが故障して友人から小さな白黒テレビを借りていた。たぶん14インチぐらいだったんじゃないか。テレビ台もなく畳の上にそのまま置いて観ていた。『サイコ』はある日の夜中に放送された。

白黒の畳に置かれたテレビの中にぼくの目は吸い込まれていった。あの時の恐ろしさといったらなかった。ぼくはその頃、ホラームービーを馬鹿にしていた。人を脅かすなんて、残酷な場面を描けばいいのだからあまり知的なものだと言えないのではないか。だからホラームービーをあまり怖いとも思ったことはなかったし、わざわざ怖い思いを映画でする意味が分からなかった。でも『サイコ』はそんなぼくの固定観念を木っ端みじんにしてしまった。怖いってすごい!怖いってなんだ?怖いという感情には大いなる謎と真実がある!

観ていない人のために詳しいことは書かないが、「サイコ』は老婆が恐ろしいことをする。ぼくが住んでいた安アパートは大家がお婆さんでいつも話が通じなかった。見終わった後、管理人の婆さんが大きなナイフを持ってやってくるんじゃないかとほんとにおびえた。

さっそく翌日書店に行って、『映画術』の『サイコ』の部分を読んだ。きっと恐怖を描きたかったとか、そこにある人間の真実を描きたかったとか、そんな話が書いてあるんじゃないか。ヒッチコックの話にはそんなことは微塵も書いていなかった。観客をどうしたら怖がらせることができるか。彼の話はまったくそれに終始していた。

ぼくはその頃まで、”表現”とは先に何か言いたいことがあって、それをどう伝えるかが映画になったりするのだと捉えていた。でもヒッチコックが語っているのはそんなメッセージの話ではなかった。作り手と観客との間にある駆け引きのようなことが書いてあった。あるいは映画を通じて語ることではなく、映画そのものを語っていた。そのことがまたぼくをびっくりされた。

ヒッチコックはぼくの映画の見方を根底から変えてしまった。

映画『ヒッチコック』を観て驚いたのは、こんな映画史に残る作品に、映画会社が出資しようとしなかったことだ。そこでヒッチコックは、家を売る覚悟で私財を投じてこの映画を製作している。この時点ですでに60歳になっていたのに。つくりたい映画をつくるためには、破産も辞さない。

というより、どうしても、なんとしても、彼は『サイコ』をつくりたかったのだ。

結果、『サイコ』は世界中で大ヒットし、ヒッチコックは家を売らずにすんだばかりか億万長者になった。そしてそのあと、『鳥』を含めてさらに6本もの映画を彼は作っている。

60歳にもなってすでに大巨匠だったのに、私財を投げうる覚悟までして新しい作品に挑戦している。実際『サイコ』は、当時としては過激だった。最初のシーンでジャネット・リーがブラジャー姿で登場するし、途中でトイレの場面がある。トイレはそれまでのハリウッド映画は画面に登場させるのを避けてきたのだ。実際に映倫がクレームをつけるシーンが映画『ヒッチコック』にも出てくる。

ヒッチコックが撮った映画から、そして映画『ヒッチコック』から、学ぶべきものは多く、語るべき切り口はたくさんある。毎晩の酒の肴にする話題として、軽く一週間くらいは持つと思う。もちろん相手がヒッチコック好きでないと退屈だろうが。

だがヒッチコック好きでなくても、この映画を通じて語れる切り口はある。人は、60歳になっても挑戦すべきだということだ。挑戦し続けるべきだし、やりたいことを我慢する必要もない。ただし、やりたいことをどうしてもやるのなら、私財を投げ打つ覚悟が必要だ。でもそこまでの覚悟があれば、きっとうまくいくだろう。少なくとも大失敗にはならないはずだ。

ヒッチコックはまだまだぼくに教え続けてくれそうだ。映画のことも、人生のことも。

もしヒッチコックのことをよく知らないなら、まず『サイコ』を観てみるといいと思う。その上で映画「ヒッチコック』を観るといい。映画とは何かが少しわかるし、人生とは何かがけっこうわかる。

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