「新・週刊フジテレビ批評」出演、いよいよ明日!

こないだ書いたように、「新・週刊フジテレビ批評」に出演することになった。毎週土曜日5時からの番組。朝早ーい!

4時半にフジテレビに行かねばならない。意外にいまかなり真剣に悩んでいるのが、ずっと起きているのか、一度寝て早起きするのか。もうアラフィフなので、徹夜なんて何年もしていない。会社を移って出社時間が早まってからは1時にはもう眠くなる。夜更かしができないカラダなの。

だから早起きする方向で考えていくと、4時半に着くなら余裕みて3時半に家出るとして、3時には起きるのなら、6時間は眠りたいってことで・・・9時に寝よう。・・・いや待て待て待て!9時にベッドに入って眠れるのか?うーむ・・・

まあそこは今晩実際に解決しよう。徹夜は無理だから早寝して早起きするのだろうなあ。

ところで、これも前に書いたけど、出演の話の前に、プロデューサーの福原さんから『テレビは生き残れるのか』を読んでTweetをいただいた。その少しあとにDMで出演の依頼を受けたのだった。これ、よーく考えると面白い流れだなあ。んなことない?

福原さんと「新・週刊フジテレビ批評」は前々から知っていた。番組も時々見ていた。でもそのことと、ぼくがこの度、出版した本を福原さんが読んだこととは、これまでだと結びつかなかっただろう。ひょっとしたらメールで出演依頼がきたりしていたかもしれない。でも読んだ感想をTwitterでつぶやいたり、DMで出演依頼が来たりする、そのフットワークの軽さはソーシャルメディアならではだと思う。ソーシャル以前だとぼくと福原さんの間にあったかもしれない”敷居”を、Twitterが取り去ってくれていたのだ。

ソーシャルがもたらした、そういうフットワークの軽さや、様々な敷居を低くしたことは、今後のコンテンツビジネスや広告ビジネスでも重要なファクターではないかという気がする。

メディアや広告は、これまでとても狭い社会で行われてきた。何をどうしたらどんなメディアが使えるのか、よくわからなかった。プロフェッショナルなものだったのだ。すごく限られた情報と人脈の中でしか接することができなかった。

今後、ソーシャルがその”限られた”情報の壁を突き崩すのだろう。あるいは、そもそも”限られた”感覚がいらなくなるのではないか。もっと気楽で自由で伸び伸びとした空気に変わっていくのではないかと思うのだ。

メディアとはもともとは、王権からの自由を獲得して成立したはずで、市民の自由な言論の牙城だった。ところがそれがいつの間にか利権化し、特権化して自由の牙城ではなくなってしまった。いや、自由の牙城のつもりでコンテンツを送り届ける現場と、特権を守ろうとする上層部(なのかな?)との間に大きなギャップができているのではないか。

フジテレビの韓流押し批判運動は、言ってることの中身は暴論でムチャクチャだが、聞く耳は持ってもいいのかもしれない。暴論の中身を聞くのではなく、暴論に先導されてしまうほどテレビ局を批判したい衝動の奥底に耳を貸すのだ。虐げられたような意識がそこにはあるのではないかと思う。

虐げられた感性が訴えようとしている何かには、次の時代へのヒントがある気がする。だから、彼らと話してみること、韓流押しのことではなく、そもそもどうしてテレビに腹を立てるのかについて、本音を探ってみることには価値があると思うのだ。

なんていうことを夜中に脈絡なく書いていたら、ほうら、もう眠たいぞ、おれ。やっぱり起き続けるのは無理だなあ。うん、早寝早起きだ!

というわけで、みなさん、13日土曜日の朝5時、徹夜して、もしくは早寝して、いや録画して、ぜひ観てくださいね!

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コメント

  1. はじめまして。

    今日、『テレビは生き残れるのか』を買いました。
    そして一気読み致しました。

    僕も表現者の1人なので、読んで、とても勉強になりました。

    今後も境先生のブログを訪問致します。
    よろしくお願いします。

    ヤフーコリアのブログも書いてます(描いてます)。

    http://kr.blog.yahoo.com/kojatetsuya/MYBLOG/yblog.html?pc=5

    古謝 哲也

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