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お正月からテレビはダブルスクリーン!〜リアル脱出ゲームTVと箱根駅伝〜

7日からという人も多いだろうけど、ぼくは今日4日から仕事始め。まあゆるゆるスタートしましょうか。

さてこの年末年始、テレビ三昧だったわけだけど、なんだかテレビ視聴が年末年始の中で“恒例感“を少し失っている気がしてしまった。正直、これ観たい!という番組が少なかった。そして意外にもいちばん面白かったのが「ピタゴラスイッチ」と「歴史にドキリ」という教育テレビもといETVの番組だったのは新鮮だったなあ。

ただひとつだけ、前々から聞いていて楽しみにしていた番組があった。1月1日の夜にTBSで放送された「リアル脱出ゲームTV」だ。

“リアル脱出ゲーム“についてはここで書くと長くなるので簡単に説明するんであとは自分で調べてみてほしい。いま、ちょっと話題。SCRAPというチームというか会社がやっているイベントというかなんというか。推理小説の謎を解くように実際にある場所から脱出するゲームイベント。

このリアル脱出ゲームをドラマにしたのが「リアル脱出ゲームTV」なのだという。もうそれだけでワクワクしちゃう。しかもスマホを使って実際にドラマの謎解きに参加できる。これは観ないわけにはいかないだろう。

ドラマはバカリズム演じる犯人が都内のどこかに爆弾を仕掛けたという設定。これに警視庁チームが立ち向かう。下っ端刑事の木南晴夏が謎の男・斉木しげるにヒントをもらって謎を解いていくストーリー。

犯人は2つのクイズを出す。両方ともネットで視聴者も見れるようになっている。その上、答えがわかったらサイトから送信できる。

写真はiPhoneの画面だけど、タブレットでアクセスするとちゃんとそれ用の画面が出てくる。

クイズはかなり難易度が高い。それが斉木しげるの出すヒントで少しずつ少しずつわかってくる。

テレビ画面にはリアルタイムで参加者の数や解答した人の数が左肩に出てくる。否が応でもクイズを解かねばと煽られる。

ぼくは1問目が解けなかった。うむむと悔しがってると、犯人から2つめのクイズが。慌ててまたiPhoneを見るとこんな画面が。


うーん、当然ながら1問目が解けないと2問目には参加できないのだと書いてある。こういうところもよくできているなあ。

2問目はさらにレベルが高く、参加権ないながら懸命に考えたがわからなかった。解き明かされた謎は、えー!というくらいハイレベル。それにいかにも「リアル脱出ゲームTV」な解答。

ドラマが終わり最後のクレジット画面に、正解者の名前が並んだ。おおー、リアルタイムでこのテロップこさえたんだなあ。そして正解者の数も発表された。

31万人がクイズに参加し、正解者は5000人だったということだ。

これをどう受けとめるか、多いとか少ないとかいろんな意見が出そうだ。30万人は視聴率でいうと1%にも満たないことになってしまうから。でも、双方向のこんなややこしい難易度の高いクイズに、賞品もないのに何十万人も参加したのは素晴らしい成果だと思う。テレビだからと迎合せず難易度を保ったのも見上げた姿勢だ。

なんにせよ、これまで体験したことのないテレビの楽しみ方をひとつ提示してくれたことは大きい。その向こうには何かがあるんじゃないかなあ。

一方、正月の風物詩「箱根駅伝」でも今年、面白い視聴体験ができたのを知っているだろうか。これも、まさしくダブルスクリーン視聴だ。

箱根駅伝はもともと、WEB上での情報が充実していた。それを本格的にスマートデバイス対応させるアプリを起ち上げていたのだ。箱根駅伝のサイトに行くと、スマートデバイスの人はこれ押してねというボタンがあり、ジャンプするとこんな画面になる。

各大学の走者の位置が現在進行形で表示される。右側のメニューからは現在の走者の名前なども確認できる。
上はタブレットの画面だが、iPhoneだとこんな感じだ。

うちの妻は毎年この駅伝を楽しみに観ていて、ぼくもつられて観る。今年はタブレットを膝にしてこれまでとちがう楽しみ方ができた。二人の間での“共視聴”に大いに役立ったのだ。あの選手はどうなのだとか、いま画面に映ってない順位はこうなっているようだとか、話のネタがいろいろ出てくる。テレビ視聴を豊かにしてくれる仕掛けだったと思う。

また、iPhoneで競技を追えることは、テレビを離れてもレースを気になるものにしてくれる。何しろ駅伝は長丁場なので、途中で出かけたり別の用事をしたりとなる。その間も、あたかもテレビを見続けているような感覚になるのだ。当然、帰宅したらすぐにまたテレビをつける。視聴者の気持ちをがっちりつかんで離さない、という効果もあったと思う。

さて、この2つの事例はツイッターが絡むわけではないので、“ソーシャルテレビ“とは言えないのだろう。でも、ソーシャルテレビの議論がどんどんダブルスクリーン視聴に向かう中で、近い領域の話題をもたらしてくれる。そういう分類はまあ、なんでもいいわね。

今年はこういう事例が次々に出てくる気がする。何しろ、ソーシャルテレビ元年に続く二年目が2013年だからね。もうはじまっちゃってるんだから、どんどんやらかしていかなくちゃ。

というわけで、今年はいよいよこうしたレポートも頑張って書いていくぜい!そこんとこ、よろしく!

コンテンツ制作者はもっと政治に近づかないといけない

今回の選挙の結果についてとくに言いたいことはない。投票率が低かったことについてだけ言うと、当然だと思う。もちろんぼくは投票に行ったが、こと今回の選挙では投票しなかった人をとやかく言う気になれない。あの党が勝つのはイヤだけど、だからって他のどこに入れればいいのか。今回の選挙は、この国がいま、ただのカオスになってしまっていることを象徴していると思う。村上龍の「愛と幻想のファシズム」みたいな世の中になりつつあると思うと、おそろしい。

それはともかく、選挙はおいといて、”政治“にからんで経験したことと思う所を書こうと思う。

これは前職ロボット時代の話。別に秘密にすることではないと思うので書いちゃうと、ロボットの社員がアカデミー賞をとったことがある。加藤久仁生というアニメーション作家の「つみきのいえ」という作品が、2009年の米国アカデミー賞短編アニメーション部門で受賞したのだ。もちろんロボットはお祭りのような騒ぎとなり、みんな自分のこととして大喜びした。

ぼくは経営企画室長だったので、外部への対応で毎日大変だった。大変だけど、うれしかったので、大喜びしながら対応に追われるというマゾヒスティックな日々となった。まさか自分の会社の人間が、あの世界的な賞をとるとは思わなかったからね。

世界的な賞をとると、いろんなところが注目してくれて、経産省からも電話があった。加藤さんを大臣に会わせてねと言うのだ。で、当時の阿部社長とともに霞が関まで加藤くんを連れて行った。この時は外国語映画賞の「おくりびと」とダブル受賞だったので、滝田洋二郎監督も呼ばれていた。

招き入れられた部屋は中規模の会議室で大きなドーナツ状の円卓が真ん中にあった。ぼくは事務方としてその周りの椅子に社長と一緒に座った。するとそこへ、またいろんな方々がやって来た。映画製作者連盟を代表して東映の岡田社長、レコード協会、動画協会、などなどお歴々が顔を並べる。うーん、これはなんだ?そこに、当時の経産大臣、二階さんがやって来て、滝田監督、加藤監督と挨拶して握手。大臣はすぐ退席して、経産省の局長クラスとそのメンバーの懇談的なミーティングになった。話の内容は、各業界からの直訴的な。

連絡をくれた経産省の方によると、各業界団体と局長との懇談会の場があって二階大臣も顔を出すので、いい機会だと両監督を呼ぶことになったのだとか。ぼくは、業界団体のロビー活動の場に世界的な賞をとった監督を呼ぶのはいかがなものかと軽くクレームを言った。

ただこの時、業界団体の意味がよくわかった。そういうことなんだな。○○協会とは、インナーより対外的、そして政治的な存在意義があるのだなと思い知った。

さらに一二ヶ月後だったか、今度は首相官邸から連絡を受けた。内閣として、ジャパンブランドを海外へ売り込むプロジェクトがあり、その報告会が官邸であるので加藤監督をお招きしたい、とのこと。経産省の経験があるので、またついでに呼ばれるんじゃイヤだと思い、もっと詳しく聞かせてもらった。今度は会合のゲストとして意見をお聞きしたい、社長もぜひにと言うので、経産省の時よりいい立場で呼ばれるのだなとお受けした。

ロボットを紹介する映像も準備したり、社長が話す内容を官邸の方と下打合わせしたり、それなりの準備をした。

ジャパンブランドについての会合はまたもやいろんな業界のお偉方や政界に強い某出版社社長、高名な大学教授などで構成されていた。その日は、彼らが大臣達の前で進捗を報告し、その中でアカデミー賞受賞を本人から伝えてもらうというものだった。官邸の方とお話して、社長からぜひコンテンツビジネスについて大臣達に語らせたいとお願いした。

加藤監督がアカデミー賞受賞を報告し、授賞式でのエピソードなども軽く話した。そのあとで、阿部社長からコンテンツビジネスについてアピールした。皆さんはテレビ局や配給会社が作っているとお思いでしょうが、実際の現場はその奥にいる我々制作会社が作っています。でも零細企業です。その中から運良く世界的賞を受賞できました。どうぞ我々の存在にも目を配ってください。そんな話をした。ぼくが原稿を用意したのだが、阿部社長は原稿から話がそれてハラハラしたが、でも言うべきことはちゃんと言ってくれた。

麻生首相はマンガ好きでぼくらのバックアップしてくれそうだった。でもあっさりその夏の選挙で下野してしまった。

この頃すでに、ハリウッドと日本のコンテンツビジネスの違いについては認識していた。米国にはフィンシンルールという、制作者を有利にする法律がある。あれはどう見ても、ハリウッドがテレビ局の力を抑えるために作らせたものだ。ロビー活動の成果だ。

経産省や官邸に接してみて、日本でもロビー活動をしなきゃいけないなと思った。だって配給会社やテレビ局はやってるんだろう?プロダクションもやらなきゃ。それも、既存の枠組みの業界団体ではダメなんじゃないか。映画だテレビだCMだの枠組みを越えて大きく結びつかなきゃダメなんじゃないか。

これを痛感したのも「つみきのいえ」の受賞時だった。世界的な賞をとったのに、海外に上手に売れなかった。売り方を知らなかったのだ。賞をとったからさっそく世界で売れるかというと、そんなに単純じゃない。世界中から「うちの国で売るなら、おれだから」というメールが来たのだけど、どの事業者がホントに頼もしいのかわからない。日ごろから情報収集や人脈形成していないと、海外セールスなんかできないのだ。

でも、ロボットは制作会社の中でも大きい方だけど、それ専門の部署なんかつくれない。3年間専念していいから海外販路を開拓してくれ、なんてできないんだ。

もっとまとまらないといけないし、政治の助けも借りないわけにはいかない。そう思って、ぼくはそのあとも、内閣官房や経産省、総務省にも行ってどんな人が絡んでいるのか動いて回った。

でも阿部社長が辞めたり、自分も辞めたもんで、中途半端に終わってしまった。

日本のコンテンツ界の大きな欠点がある。それは、制作者主導じゃないことだ。まず、テレビ局、配給会社という、言わば流通企業が業界の顔になり政治に向いている。その先にいる制作者の視点ではない。これは会社単位で見てもそうなのだけど、会社の中でも、例えば総務省の会合に出るのは制作部門の人ではないだろう。そこで語られるのは、電波利権の確保の話であって、いいコンテンツを作る環境の問題やコンテンツを海外セールスする話にはならないのではないか。

外側の話だけを行政として、肝心の内側、アンコというか具の話は政治の話になっていない。ほとんどなっていないと思う。

制作者がもっと表に出て、政治の話やビジネスの話をしないといけない。そうしないと、制作者が生み出したものの価値を高める議論にならないのではないだろうか。

テレビのソーシャル化は誰が費用を持つのだろう?

前回の記事「消費に冷めたぼくたちと広告じゃなく共告だってこととソーシャルテレビについて書いてみる」では、このところ書いてきたことの集大成をやろうとして、話が途中で終わってしまっている。まだまだ書くべきことがあるのだけど、うまくまとまりきれてないので、あっちゃこっちゃ話を飛ばし横道にそれながら書き進めてみるよ。

さて、くどいけど11月22日にソーシャルテレビの勉強会の半期報告と称してイベントをやった。何度もここで書いてきたけど、せっかくなのでUst中継の映像をアーカイブで観てくださいな。最後の40分間だけでも見ればとりあえず笑えると思うよ。

そのイベントでは懇親会もやった。その時に、某公共放送の若い人たちと話をした。ソーシャルテレビの勉強会に来るくらいだから、自分たちの番組のTwitterやFacebookにも果敢に取り組んでいる頼もしい若者たちだ。だが彼らは悩みでいっぱい。

テレビ番組のソーシャルメディア活用の中で、実際の作業は誰が担うのだろう。多くの場合、番組のディレクターやプロデューサーといった制作スタッフが担当するようだ。

いまどきどの局にもデジタル部門やコンテンツ部門があって、場合によってはその部門の人たちが担当することもある。けれどもほとんどの場合では、制作スタッフが担っている。

これが、大変なのだそうだ。

まず不思議と、テレビ制作に携わる人たちはアナログ人間が多い。これはほんとうに不思議だ。推察するに、あまりにも日々忙しいために、デジタルガジェットやアプリケーションを試すゆとりがないせいではないかな。とにかく、さほどデジタルツールが得意ではない人が多いのだ。だから、まずTwitterだのFacebookだのをそもそもやってない人が多い。

まあそれでも、なんとかやり方を習得したにしても、さあFacebookページを運営しましょう!と意気込んで実際にやるのは相当大変なのだ。

かく言うぼくも、境塾(SAKAIjyuku)というFacebookページがあるのだけど、ちゃんと運営できていない。このブログを書くので手いっぱい。ブログを書くと勝手にFacebookページで告知するようになっていたのだけど、それがこのところちゃんと働いていなかったようだ。なので、活動してないFacebookページになってしまっている。

Facebookページを運営するなら、チームを編成して誰が何をやるか担当分けをし、何曜日に誰がどんな記事を書き込むか決めないといけない。そしてそれに沿ってコンスタントに投稿していく。できれば写真も添えて投稿したいし、だったら少しでもいい写真を撮りたいし・・・などと言っているとホントに大変だ。

実際には、プロデューサーとディレクターが自分で続けるのはかなりの負担だしかなり無理がある作業となる。ほんとうは、予算か人か、あるいはいっそその両方が必要なのだ。予算つけてもらって、そういう専門のスタッフを組むとか、アルバイトでいいから人をひとりつけてはりつけるとか。指示はプロデューサーが出すにしても、人がいないと厳しいのだ。

でもそんな予算は出てこない。

某公共放送の場合、予算は天変地異でも起こって番組ごとにソーシャル予算が組まれれば別だが、そうでもしない限り大義名分がつかないだろう。

では民放はどうか。これも同じだ。例えばスポンサーに「番組を盛り上げるためにFacebookをやるので、提供料とは別にソーシャル予算をください」と言ったら激怒されるだろう。高い提供料を払わされている上にそんなお金が出せるはずはない。だいたい番組のFacebookページは宣伝活動だろう。番組宣伝は局が自らの責任と予算で行うことで、我々の知ったことではない。まちがいなくそう言われてしまう。そして、確かにそうなのだ。

番組制作の現場は、とくに毎日とか毎週とか放送されるレギュラー番組の現場は常に、“回す“のがそもそも大変なのだ。放送というのは腕によりをかけて作る手の込んだ料理、というわけにはいかない。毎日毎日ルーティン化していく作業の中で素材の選び方や調味料の使い方を定型化して“日々こなせる”状態に持っていかねばならない。そしてそのために手いっぱいの予算や人材しかつかない。つまり、毎日いっぱいいっぱいなのだ。

そんな中でソーシャルメディアをうまく活用するったって、無理。でも予算を誰も余計に払ってはくれない。

ぼくは前回の記事でこの点は能天気に書いている。だが実際に、書いたことを具現化するには、その第一歩で途方に暮れることになるのだ。番組のコミュニティは誰がどうやって運営するの?

ぼくが描いた青写真がうまくいけば、スポンサーがその分を出してくれるかもしれない。でも卵が先か鶏が先かで、まあ先に出してくれることはないだろう。だからと言ってテレビ局として予算をつけようとすれば上司に却下されるに決まっている。

自分で書いたことを自分で机上の空論だと否定しちゃうようなことを書いているね。でもいろんな意味で、ソーシャルテレビには、テレビのソーシャル化には高いハードルが待ちかまえている。

うーん・・・どうやって乗り越えるんだろうね?・・・・・・

消費に冷めたぼくたちと広告じゃなく共告だってこととソーシャルテレビについて書いてみる

11月22日にソーシャルテレビ推進会議の活動報告ということでオープンなセミナーを行った。その時、いちばん最初に“ソーシャルテレビの構造”と称して見せた図をここでちょっと見てもらおう。

この図について解説すると、ソーシャルテレビは何が画期的かと言えば“視聴者を可視化したこと“だと思う。テレビの前で番組を見ている時は、”ひとり”なのだ。一対一。放送は一対多なのだけど、視聴者側からすると、一対多ではなく一対一でしょ?孤独な行為なんだ、本来は。

放送する側から見ても、視聴者は見えない。見ている人がどう受けとめたかは、視聴率の数字とか、他のメディアの反応とか、電話かけてくる人とか、最近はホームページにご意見をわざわざ書き込んでくる人か、だったしそれも時間差があった。見ている人の反応はダイレクトにはわからなかった。

ソーシャルメディアは視聴者の存在を目に見えるものにした。しかもライブで。放送がライブハウスみたいになったのだ。面白いかーい?と問いかけたらイエーイ!と返してくれたりもする関係になった。

これはものすごく大きい。

さてこのところ、ソーシャルテレビの概念は少しずつ注目されるようになってきた。でも、それはまだ、この図で言うと左側の捉え方。ライブで見るよね、というフロー型の捉え方だ。テレビ局にとっては、視聴率に結びつきそうでよだれが出ちゃうんだろうね。

でも右側のストック型の方も、今後は大事になると思う。図ではVODとあるけど、実はVODに限らない。放送にとってもストック型でソーシャルテレビをとらえることが重要になる、必ずそうなると思う。

それは、このところ書いてきた消費の時代が変わろうとしていたり、広告から共告になるだろうということと強く関係してきそうなんだ。

そのややこしい話をぼくはここで上手く書けるのかな、ちょっと自信ないんだけど続けていくね。

すごく好きなテレビ番組があると、ぼくはしばらく語り続けたい。放送を観ながら番組についてツイッターなどでつぶやくのも楽しいけど、落ち着いて語れない。本当は放送が終わってからじっくり語りたいと思うんだ。“右側”のストック型はだから、VODじゃなくても必要な空間になる。いわゆるコミュニティだ。

テレビ番組がコミュニティをしっかり持つことがこれから重要になるはずなんだ。

例えばだけど、そうだな、温泉に関する番組があるとしよう。そして放送後にその番組について語り合うコミュニティがネット上に作れたとしよう。温泉が好きな人が集まってくるだろう。

温泉が好きな人に商品を売りたいスポンサーが上手く見つかれば、そこに”共告”が芽生える可能性がある。わかりやすく、旅行会社や鉄道会社などが考えられる。旅行会社はまずその番組に“提供する“だろう。温泉が好きそうな人に「旅行するならうちでプランを」と旅行会社としてのブランド認知を図る。場合によっては「いまなら3人以上で1割引キャンペーンやってます」などと販促情報をCMの最後に告知してもいい。

でも、消費に冷めてる人たちにはそれでは効かない。あるいは、よし行こう!と思ったら、ネットで検索するのだろう。CMやってた会社が1割引ならネットでもっと安くてもっと質も高そうな別の会社を探すのだ。

だからその番組に提供するのは意味がないのかな?CM流すだけだとそうかもしれない。でも番組が好きな人たちのコミュニティがあって、そこにもスポンサーとして関与できたら?話はぐいっとちがう展開になるだろう。

そのコミュニティにスポンサーとしてバナー広告を置く?うん、それもいいけど、それだとCM打つのとあまり変わらないよね。そうじゃなくて、旅行会社としてそのコミュニティを“サポートする“もしくは“一緒に参加する“ということ。それが”共告”のひとつの形になるはず、とぼくは考えている。

もちろんそこからが問題で、具体的な解答はまだぼくもはっきり言えない。たぶんこれから模索していくのだろう。それに、効果はすぐには出ない。一年ぐらいかかるはずだ。

ただ、そのコミュニティはうまく活用すれば、トリプルメディアのすべての要素を兼ね備えたものになる可能性がある。ペイドメディアなのだけど、ソーシャルメディアでもあり、オウンドメディアの機能を持てる。少なくともオウンドメディアにすぐ導ける。

さっきの温泉番組の例で言うと、旅行会社がコミュニティでやることはいろいろ考えられる。旅行会社として温泉という文化にいかに力を注いでいるか、情熱を傾けているか、愛しているか、伝えていくこともできるだろう。温泉の思い出を旅行会社のバックアップで募集するのもいいだろう。もちろん、いい温泉ツアーを告知していくのも欠かせない。

コミュニティの一員として溶け込みながら、無理なくイヤミなくみんなと接していく、伝えたいことを伝えていく。そうやってだんだん旅行会社として“好きだな、いいやつだな“と感じてもらう。温泉旅行の相談するなら、あいつがいちばんだよ。そんな風に思ってもらう。

それはソーシャルメディアのノウハウだよね、もう知ってるよ。そうそう、もちろんそうです。

でもポイントはマスメディアと組合せることなの。だってぽんとFacebookページ起ち上げて半年でやっと1000人ってこと、普通にあるでしょ。テレビでちゃんとコミュニティに誘導したら、数万人はさほど苦労せずに集まるはず。だからソーシャルゲームはテレビCMばんばん流すわけでね。WEBサイトはどの番組も持ってるけど、番組内ではっきり告知する例は少ない。ちゃんと告知したら、ちゃんと視聴者は来る。だって手元にスマートデバイス持ってるからね。さっきの例だと、旅行会社は温泉が好きな見込み客数万人と労せずしてコンタクトできるわけ。

んーと、まだまだ上手く書けてないし、書くこともまだある気がするけど、とりあえずそんな感じ。この方向、考えていくといろいろ面白いと思うんだよね!

盛会でした!ソーシャルテレビ推進会議・半期報告オープンセミナー

今年の4月からはじめた勉強会”ソーシャルテレビ推進会議”。半年経ったねということで、いつものクローズドな会合とは別に、誰でも参加できるオープンセミナーをやろうということになった。その告知はこのブログでも行った。境塾でも使ってきたATNDで申込を募集したら、80名の定員枠に告知から一週間で100名の申込があってビックリ。幸い、お借りするVOYAGE GROUPのセミナールーム”PANGEA”がかなり広い場所なので、150名に慌てて増やしたら、さらに190名までふくらんだ。

考えてみたら、推進会議のメンバー自体が90名近くになっているし、それぞれ影響力のある方々なのでメンバーの皆さんが触れて回って情報は広がったのだろう。とは言え、ゲストが誰かさえ明らかにしていなかった当初からぐいぐい申込が増えたのは、ソーシャルテレビの分野への関心が高まってきた証しだと思う。

さて当日のメニューとゲストは以下のようなこと。

報告:ソーシャルテレビ推進会議活動報告
第1部:TVアプス大集合
 モデレーター:中山理香(VOYAGE GROUP)
 ゲスト:原浩生(日本テレビ)、西村真里子(バスキュール)、伊與田孝志(ニフティ)、野村亮介(GREE)
第2部:スマホ&タブレットコンテンツの最新動向
 モデレーター:深田航志(ビデオリサーチインタラクティブ)
 ゲスト:矢島聡(NHN Japan)
第3部:あいつに言わせろ!ソーシャルテレビ
 モデレーター:境 治(ビデオプロモーション)
 ゲスト:山脇伸介(TBS)、河瀬大作(NHK)

起ち上げメンバーであるぼくと中山さん、深田さん、それぞれのスタンスでのコーディネイトでアプリ開発と動向分析、番組制作と、3つの角度からソーシャルテレビを見ていこうという趣旨。このちがいもよくできているなあと我ながら思ったり。

当日は、Ustream配信も行った。これは、推進会議のメンバー木下浩一さんのおかげです。少しだけご紹介すると、木下さんは今年の春まで関西キー局・朝日放送を辞めて独立。ラテラルという新規事業会社を起ち上げた。その事業の一環として、フリーランスのテレビマンをネットワークして映像製作の依頼にリーズナブルに応える仕組みを始めた。そのプロモーションということで、今回配信をやってもらえた。いやー木下さん、ありがとうございました!

Ust映像はアーカイブされているので、ここをクリックして見てみてください。長いけど、充実していると思うよ!

爆笑シーンをピックアップしているだけで、マジメなトークもちゃんとあります

さっき190名の申込があったと書いたけど、実際の来場者は100名ほどだった。椅子が足りるかなどとキンチョーしたのは杞憂だったね。まあ無料の気軽なイベントなのでそんなものかな。補欠になった方も来ていいよと告知したのが遅かったのもあったかなと反省。

それでも、100名ほどがひとつの部屋に集まるのはかなり空気が盛り上がる。会場からも”熱気”が漂っていた。そんな中、3つのパートそれぞれ面白い内容になったと思う。

ぼくが担当した第3部は、その前より出演者の平均年齢が高いのだけど、逆に熱いというか暑苦しいというか、そんな空気だったかもしれない。でもこの手のイベントとしては笑いが多く、楽しんでもらえたのではないかな。笑えたのはほとんど山脇さんのおかげなのだけど。

終了後、そのまま会場で懇親会。このオープンセミナーでディスカッションと同じくらい重要だと思っていたのがこの懇親会だ。ぼくはソーシャルテレビを考えていく上でいちばん大事なのは業界の垣根を越えた意志共有だと思っている。

これまでぼくたちは、各分野に閉じこもって生きてきた。分野を超える必要があまりなかったからだ。各業界の各分野が”完成”されていたからだと思う。”マスコミ”の分野でもテレビと新聞と出版とはそれぞれ交じり合うことは少なかった。そればかりか、テレビの分野でも番組制作と広告制作は交わらずにやってきた。あるいは、スポンサー企業と番組制作者は交流がほとんどなかった。番組制作はスポンサー企業が出す広告費が原資だったのに、だ。あるいは、テレビ局同士で話す機会も少なかったのではないだろうか。

テレビ創成期がそうだったように、ぼくたちはもう一度、垣根を越えて喧々諤々やらなければならない。テレビというメディアを”もう一度生み出す”必要があるし、ソーシャルとの関わりを”探検”するのだ。それはワクワクする作業だと思う。ソーシャルテレビ推進会議は、そのための場のひとつとして、機能させていきたいと考えている。

そう、だからここであらためて呼びかけよう。この勉強会はふだんはクローズドなメンバーで集まってやっています。興味あるなら、まずはぼくにご連絡を。sakaiosamu62@gmail.comまで!

さてこのオープンセミナーは、また半年後あたりでやろうと思う。今回参加できなかった方は、次回を待たれよ。このブログなどで告知するから、見逃さないでね!

ダブルスクリーン視聴はもうすぐそこに〜Inter BEEでマル研デモを見た!〜

今年の1月に”マルチスクリーン型放送研究会”についてこのブログで書いた。関西キー局を中心に推進している実験で、IPDCという仕組みを使っている。詳しくはこの研究会のサイトを見てもらうといいと思う。テレビ放送とスマートデバイスを連動してコンテンツを送り届ける仕組みだ。

放送とスマートデバイス上のコンテンツを連動させようとする際、画面が同期できるかの問題が出てくる。さらには、ネット上のトラフィックに支障がないかも課題となる。テレビのようにマスの人数を相手にしている場合、ネット上のトラフィックがものすごい量になりトラブルが起こりかねない。

マルチスクリーン型放送では、電波を使ってテレビモニターに映しだす通常の番組と一緒に、スマートデバイス用のコンテンツも送ってしまう。だから、完全に同期できるしトラフィックの問題もまったく起こらなくなるのだ。ただし、各家庭に特殊なルータが必要になるのだが。

同研究会では、6月のINTEROPでもちょっとしたデモを作成して展示していた。番組とスマートデバイス上の画面が同期して、面白くて見たことないコンテンツ体験ができた。

先週、11月14日〜16日に開催されたINTER BEEでは、さらに本格的なデモが展示され、パワーアップしていた。これはかなり驚いた。

関西キー局に加えて東海や九州など地方局も参加し、各局が独自のデモ番組を制作していたのだ。INTEROPでは合同でひとつのデモだったのが、十数種類のデモが体感でき、マルチスクリーン型放送の可能性がぐっとリアルに味わえた。そこで、いくつかをここで紹介しよう。

(関係者の皆さん、著作権や肖像権などで問題あったら言ってくださいね。)

まずこれは大雨を伝えるニュースのデモ。

手前のiPadを見ると、大雨の詳しい情報が配信されているのがわかるだろうか。

そしてこの画面ではわかりにくいが、地域ごとに異なる情報を配信している。雨が強い地域にはその詳細を地域に合わせて送り届けているのだ。

それから次は、テレビ大阪の人気番組「やすとものどこいこ!?」をベースにしたデモ。東京で言えば「もやサマ」に似ている、街歩き番組なのだそうだが、その中で買い物をする。

手前のiPadでは番組の中に出てきた商品が次々に並んでいっている。

拡大すると、こういう状態。

商品で気になるものがあったら、iPad上でタップする。そうすると、個別の説明画面になる。ここで”おとりおき”しておくとあとで購入までできてしまう、という設定のデモだ。

テレビはいずれ買い物が出来るようになる、ということはスマートTVの概念が出てくるずっと前から言われてきたが、地上波を前提にした具体的なデモは初めて見たかもしれない。(CATVやIPTVではすでに可能だったりするが)

同様の仕組みはCMでも可能だ。ニッセンのCMでタレントが着ている服をECサイト同様、いきなり購入できる。

いままで認知させるしかなかったテレビCMが、直接売場になるかもしれないというわけだ。ファッションショーを見ながらケータイで服を買うのが最近ありになっているなら、これもありだろう。

最期は競馬。放送とは別のアングルの映像を映したり、オッズなどの多様な情報をiPadで見れたら便利じゃないか。

この研究会は去年の12月に起ち上がったばかりで、まだ一年に満たないのにここまで具体的なデモを作成しているのはすごいスピードだと思う。正直言って、この手法は特殊なルーターが必要になるので実際に普及させるハードルは高いと思っていたのだが、ここまで具体的なデモを見せられるとひょっとするかも、という気持ちになってくる。そういう狙いでここまで頑張ったのだろう。

テレビ放送の新しい価値付けが必要だと言われている中で、こういう”お金になりそう”なものを見せつけられると、人は動くというものだ。マル研の行く先が見逃せなくなってきた。ルーターの機能はテレビに内蔵することも可能でそういう機器も展示されていた。数年後には、テレビはこうなっているのかもしれないなあ。

ぼくたちはどうして消費に冷めてしまったのだろう(あるいは、なぜあんなに消費が楽しかったのだろう)

テレビCMが効かなくなってきた、という声がけっこう聞こえてくる。

どうして効かなくなってきたのだろう。と考えると、気づいてみれば自分自身もそうじゃないかと思った。ぼくだってそもそも、最近テレビCMを見て、商品に興味を持つことはほとんどない。Apple製品くらいじゃないだろうか。

テレビCMの仕組みは、よく考えると矛盾を背負っている気がする。人はテレビ番組を観るためにテレビをつける。よし、CM観るぞ!といってテレビをつける人はあまりいないだろう。でもテレビは番組を観ることではなく、CMを観てもらうことに経済価値がある。番組はCMの”エサ”みたいなものだ。広告そのものがそうなのだけど、テレビCMの場合はそういう広告の矛盾が凝縮されている。新聞や雑誌はまだ”購読料”もある。駅貼りポスターは歩いている時に目に入るもので、わざわざスイッチオンするものではない。テレビはわざわざスイッチを入れさせたりチャンネルを選んだりさせるのだけど、番組の間に経済価値がある。

かなり奇妙な構造だと思う。

ぼくたちはこれまで、番組を観るためにテレビを視聴し、その”間”に、ある意味図々しく入ってくるCMをけっこう前向きに受けとめていた。へー、そんな商品あるんだ。買っちゃおうかな!今度スーパー行った時、ちょっと手に取ってみるかな。そういう気持ちに素直になったものだ。

あれはどうしてかと言うと、基本的に消費に前向きだったからだ。

消費に前向きな人に対しては、観るつもりなく観てしまったCMでも効いていたのだ。けっこう効いていた。

それがどうだ、いまは。相変わらず番組を観るためにテレビをつける。CMが強引に目に入ってくる。・・・なんとも思わない。商品に興味がない。買っちゃおうかな!なんて思わない。すべて、ふーん・・・という感じだ。

いったいぼくたちはどうしちゃったんだろう?!

バブルの頃、ぼくたちはほんとうに消費が好きだった。仕事をしながら今度の週末は何を消費しようかとか、新しい彼女ができたからカッコいい消費を見せてあげようとか、いままでより格が上の消費が楽しめるようになったおれはホンモノがわかってきたのだなとか、そんな風にとらえていた。消費は豊かさの証しであるだけでなく、自分の精神性の高さの裏付けでもあり、自分のスタイルを表現する一種のツールだった。

消費が好きだったと書いたが、好きとか嫌いとかでさえなく、高校から大学あたりでPOPEYEやBRUTUSなんかに教わった行為で、現代人としては呼吸と同じようなものだった。現代人として生きるからには消費は当たり前なのだ。消費しない生活なんてありえなくなっていた。

バブルがはじけた時、いや正確に言うとバブルがはじけた数年後にあれは”バブル”という現象でそれが”はじける”という現象が起こったんだよ、と知った90年代半ばあたりで、ぼくたちはそうとう考え方を変えた、はずだった。なんだおれたち馬鹿だったよな。いや、でも当時はぼくは若者だったからあんまり関係ないかな。団塊の世代はマンションをとんとん買い替えたり、NTT株をわけもわからず買ったりしてたけど、あんなことには意味なかったよな。おれはやらなかったけど。

いま思えば、考え方を変えたのではなかった。間違った考え方をしていたらしい上の世代や、金融機関や、世の中の自分より上の方にいる人たちが考え方を変えるべきで、自分自身にはさほど反省すべき点はなかった、と思った。自分はあんなに享楽的なお金の亡者ではなかったもんな、と他人事として見ていた。

結局、バブル後の90年代から2000年代前半まで、ぼくたちは相変わらず消費に邁進してきた。無闇に高いものを買おうとしなくなっただけで、でもなんだかんだ言って消費が生活の中心にあった。スーツは伊勢丹で買うものだったしフレンチやイタリアンの店を探したしクルマは必須で外車を持つべきと思っていた。

テレビCMから放たれる新製品の情報は重要だったし素直に受けとめていた。番組の間に流れるCMをそれなりの集中力で観て、あれが欲しいしこれも欲しいと購買意欲をかき立てられていた。次の週末にはショッピングセンターに家族で行く姿を、CMを観ながら思い浮かべた。

リーマンショックがそんなぼくの消費への意欲に殴りかかってきて打ちのめされた。一発KOでしばらくリングで立ち上がれなかった。ぼーっとした頭でなんとか立ち上がったところへ、東日本大震災がとどめのアッパーカットを食らわせた。ぼくの中で消費への欲望がノックアウトされてしまった。

気がつくと、消費なんてものはどうでもよくなった。場合によっては軽蔑するようになった。

毎晩帰宅すると玄関の前にプジョーが置いてある。よりによって3000ccだ。妙にデカい。馬鹿みたいだ。毎晩家にたどり着くと、周囲に”この家の主人はこんな馬鹿な消費をしてしまったマヌケ野郎でーす”と言いふらしているような馬鹿なモノが置いてあるのだ。月に一二度、川崎のショッピングセンターに行く時ぐらいしか乗らないのに、”走りのいい3000ccの外車”。ホントにこの家の人、バッカじゃないのか。

もともと料理は好きだったが、週末はいつも料理するようになった。外食に連れて行くよりずっと美味いものを家族に食べさせられるからだ。伊勢丹にはもう年に一度くらいしか行かなくなったしそもそも新しい服を買うことに興味がなくなった。何か着るならユニクロで十分じゃないか。ビックリするくらい安いユニクロの価格を見てももうビックリしなくなった。

CMが効かなくなったのは消費意欲が消えうせたからだ。これは気分だが、はっきりした裏付けがある。このグラフは日本の名目GDPの推移だ。

このグラフは、ぼくが上に書いたことをそのまま表している。ぼくの気分はGDPの推移とほとんど連動しているのだ。バブルがはじけても他人事ととらえて消費を続けてきたぼくの気分と同じく、GDPは97年まで上昇し続けていたのだ。その後は上には向かないが、下にも向いていない。だらだらだら〜っと同じ水準が続いている。

それが2008年以降、雪崩を打つように下っている。はっきりとした下り坂だ。2012年の推計値は去年と比べて少し持ち直すけど、91年と同じ水準になるそうだ。ぼくたちは二十年かけて積み上げてきたものをがらがらっと崩してしまったのだ。この二十年は結局、何の意味もなかったってことかよ!

断言するけど、下り坂は続くだろう。家電メーカーを見るまでもなく、もう一度上る要因なんてほとんどない。

下り坂にあって、CMがいままでのような効力を失うのは当然だろう。消費にシラけている時に、商品を強引に知らしめるだけでは買いたい気になるはずがない。逆に言うと、いままでは何か買いたくて仕方ない気分だったので、興味を持てば買いたくなったのだ。商品を知れば購買意欲のベースができた。いまはそうじゃない。

CMは基本的に認知しかできない。よく言われる通り、認知を稼ぐにはもっとも効果的で単価は高いけど値段だけの効果はある。それはいまもある。でももう、認知だけでは買わないのだ。お腹が空いてる人間には、何か食べ物をあげればすぐ食べたがるだろう。一方でお腹いっぱいの人には、美味しそうなものを見せるだけでは食べたいとは言わない。

ものすごく後ろ向きなことを書いているように見えるだろう。実際そうなのだけど、後ろ向きなつもりはない。現実を書いている。

それでも世の中にマーケティング活動があり、そのためのコミュニケーションが必要なら、やり方を変える必要がある。そしてテレビもそれに伴って何かを考え直すべきだろう。

そういう、続きをまた書いていくからね・・・

テレビは第2のステージへ〜ビデオリサーチがTwitterをもとに指標整備に着手〜

今日飛び込んできたニュース。ビデオリサーチ社が驚くべきリリースを発表した。

ビデオリサーチ Twitter上の指標整備に着手

な、な、なんと!

ちょいとだけ引用させてもらっちゃうと・・・

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最初の取り組みとして、「1分あたりのツイート件数」とその「前四週平均」を番組別に算出し、番組全体を量的に捉える指標として研究を開始します。
この指標により、日々放送されているテレビ番組がTwitter上でどれだけ話題となったのかを網羅的に簡単に確認でき、過去の放送や他番組あるいは同ジャンルの番組と比較することが可能となります。

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つまり、視聴率と一緒に番組ごとのツイート数を調査していく準備をしていますよ、ということ。なんて画期的な!

何に驚いているか、わかるかしら?

そもそもビデオリサーチ社が何をする会社か、知っているかな?・・・そう、視聴率を調べる会社だ。

1953年に日本でテレビ放送がはじまった。もちろんその段階では視聴率という概念はなかった。だってテレビがある家庭がほとんどなかったのだから。

その後、ぐいぐいテレビは普及した。1962年には、テレビの普及率は80%近くになった。たった10年で8割。すごいね!そしてその年にビデオリサーチ社が設立され、視聴率調査が始まった。

以来、テレビは視聴率と戦い、味方につけ、抗い、憤り、それでも従ってきた。高い視聴率は制作者に自信をもたらし、会社としての局の収入を上げる。そしてその逆も起こる。そんな数値になっていった。

視聴率はあてになるの?そんな風に疑問を呈する人もいる。視聴率ばかり追いかけていいのか。そんな批判をぶちまける人もいる。

どんなに疑問を持ち、批判しても、視聴率は堂々とテレビの唯一の物差しであり続けた。テレビというメディアは面白いことに、100%広告収入で運営する。だから視聴率をとらないわけにはいかないのだ。NHKをのぞいては。

2000年代に入り、視聴率は増えないことが見えてきた。その上、日本の産業が全体的にも右肩下がりになるのもわかってきた。広告費は減少するしかない。高度成長を支え、GDPとともに反映してきた広告業界とテレビ局はうなだれた。

視聴率とは別の指標が必要になってきた。ちょうどいいタイミングでやって来たのがソーシャルメディアだった。

視聴率はなくならないし、なくす必要もないが、それとは別の指標を持つことは、うなだれるしかなかったテレビ局に別の可能性をもたらすかもしれない。その可能性の中身はまだまったく見えないのだが。

ビデオリサーチ社がツイート数を指標として調査し発表する。そのことの意味は大きい。これが別の機関だと、弱い。ああ、そういう見方もあるんだってね、最近。よくわからないけど。それでおしまい。

でもビデオリサーチ社が出すのなら、視聴率とは別のこのツイート数、これはどう受けとめればいいのかな?そんな空気が形成される。ツイート数の方も、数を見て、何らか解釈をしたくなってくる。だって視聴率の横に別の物差しの数値が入っているんだもん。

その上、ツイートの分析は、ツイート数だけではない。いろんな見方が出来る。ツイート数だけだと、視聴率に比例するんだね、で終わりかねない。あとアニメって基本的に多いよね、というオマケぐらいはつけられる。

でも視聴率の推移とツイート数の推移を見る。そんな分析から何かが見えるかもしれない。

あるいは、ツイートがどう広がっていったかで情報のリーチ力、拡散力を見出すこともできるのだろう。

さらには、ぼくたちがロンドンオリンピックでやってみたように、テキストマイニングでもっと込み入ったことも言えるのかもしれない。

例えば、ある新番組のツイートを感情分析することで、その番組がどう受けとめられているかがわかる。それが次回の番組づくりに生かせるかもしれないし、番組のプロモーションの参考にできるかもしれない。スポンサー企業からすると、その番組に提供する意義が見えてくるかもしれないのだ。

視聴率だけで番組を捉えていた頃より、番組の見方に幅が出来、その価値を高める議論ができるのではないだろうか。だとしたら、テレビは視聴率一辺倒だった時代から、次のステージへ向かっていくのだと言える。

面白いじゃん!

まったく話は変わるのだけど、11月22日のソーシャルテレビ推進会議のオープンセミナー、定員をぐんと増やしました。定員を超えちゃったので諦めていた人も、参加してもらえるよ!あらためて、申込ページを確認してみてくださいね!

ソーシャルテレビは”お茶の間の再現”ではない、と思うんだよね

先週の月曜日にこのブログで”ソーシャルテレビ推進会議・オープンセミナー”について告知した。4月からはじめたソーシャルテレビについての勉強会の中間報告会的な催しだ。そうしたらびっくりした。一週間で100名を超える応募があったのだ。これまでに”境塾”として勉強会を何度かやってきた。多くて80名の定員の設定で、開催まで数週間で定員達成、ということがほとんどだった。それが今回は一週間で100名だ。ソーシャルテレビへの関心、高いんだね。

80名の定員は超えてしまったけど、会場はけっこう広いので定員を増やすつもり。今週、そういう検討をするので、行きたいなって人は、このリンクのATNDから申し込んでおいていいよ。たぶん、もう少し入れるんじゃないかな。

ソーシャルテレビが盛り上がるのはいいんだけど、皆さんソーシャルテレビって何かわかってるかしら?そうだね、テレビを見ながらTwitterやFacebookでつぶやきあう。それがソーシャルテレビの第一歩。ぼくとFacebookやTwitterでつながってる人なら、ぼくが時々、意味不明のつぶやきを連投することがあるのを知っているだろう。あれはたいてい、テレビ番組を観ながらつぶやいているわけ。ぼくが面白そうに観ているもんで、同じ番組をみるようになっちゃったよ、って人もけっこういるんだぜ。

ソーシャルテレビにはもうひとつ、テレビ番組をVOD視聴する際、感想を共有する、というのもあるとぼくは思っているのだけど、VODがまだあまり普及していないので、それは置いといていいだろう。

さてところで、ソーシャルテレビについて語る時、”お茶の間の再現”という言い方をする人がけっこういる。これは比喩としてわかりやすいからね。お茶の間でテレビを観ながら家族と四の五の言いあってた、あんな様子が再現されるよ。ソーシャルテレビを説明しやすいし、なんだか価値がありそうでいいんじゃないかということなんだろう。

実際、テレビはそもそもがそういう”ソーシャル性”を持っていた。家族や同級生に共通の話題を与えていた。それがソーシャルによって同じような価値をもたらすのだと。そういう時に決まって”お茶の間”という言葉が持ち出される。それにぼくは前から違和感を持っていた。

”お茶の間”で家族揃って同じ番組を観て、何か言いあったりした、というのは経験としてあるにはあるけど、そんなに日々起こることだったかなあ。そんなに”家族みんなで”観た番組なんてたくさんあっただろうか。それから、”家族みんなで”同じ番組を観たのは、ごくごく短い時間だったんじゃないだろうか。

小学校まで、じゃない?そんなの。そして、小学校までなら、けっこういまも同じ番組を観てるんじゃない?

何を言いたいかというと、お茶の間お茶の間という言い方には、過去を必要以上に美化する気持ちが入り込んじゃっているんじゃないかと。

ソーシャルテレビはそう言う、過去に戻る現象ではないと、ぼくは思ってるんだ。

ソーシャルテレビが面白いのは、むしろ、新しい人間関係を構築するところにあるんじゃないかと思う。

まったく見知らぬ人と、Twitterを通じて同じ番組で盛り上がって少し交流したり、なんてことはよくある。

顔見知りになったけど、まだあまりよく知らない人とFacebookで番組についてちょっとした感想を共有して急に相手のことがわかったりする。

家族や友達と感想を共有するのが昔のテレビの楽しみ方だった。ソーシャルテレビはむしろ、血縁地縁を超えたつながりをバックアップする。視聴率がさほどでもない番組でも共有できるのが、ソーシャルテレビだったりする。みんなが観ている番組である必要はないんだ。

ソーシャルテレビについてぼくが見出したいのは、テレビの昔懐かしい姿ではなく、テレビの新しい価値、可能性。そして確かに、そこにはありそうな気がしている。

勉強会では、そういうところも含めて、みんなで考えられればいいな、と思っている。

そんなオープンセミナー、皆さんも未来を一緒につくるつもりで、どうぞ参加してくださいな。

日本テレビという名のベンチャー企業〜JoinTV カンファレンスに行ってみた〜

16日は日本テレビのJoinTVカンファレンスというイベントに行ってきた。13時開始18時終了という午後いっぱい使う催しで、日本テレビの本気を予感させられた。それにJoinTVは登場以来、その面白さを追ってきている。3月6日のiConで初お目見えした際には、データ放送でスマートTVを具現化する発想の面白さに感心して写真付きで長々と記事を書いている。さらに、5月末の”スマートTVサミットでのJoinTVの今後のビジョンの発表にはこれまた輪をかけて驚いて記事を書いた。JoinTVがネット関連部署のゲリラ的実験ではなく、局として会社として本気で取り組むプロジェクトだとわかったからだ。今日のカンファレンスは、つまりその続きにあたるのだろうと受けとめた。ただ5月の時とは違い、自分たちがイベントを主催しての発表だという点が大きくちがう。なんだかちょいと、ワクワクしたよ。

催しの構成はプログラムを見てもらえばわかる通り、LINEのNHN Japan、mixi、Facebook、Twitterという、代表的なソーシャルメディア企業それぞれの方が登壇し、各サービスとテレビとの関連について語った。その時点で十分カンファレンスとして面白いのだけど、やはり聞きたいのは16時からの日本テレビ自身による”ソーシャルと連動した3つの新展開の発表”、とやらだ。当然ながらJoinTVでまた新しい計画があるんだろう。なんだろうね、ワクワク。

ところで、ぼくは仕事上で少しだけせっぱつまったことがあってドタバタとMacを開いたり閉じたり席を立って隅っこで電話したりしてたのだけど、慌ただしく過ごしつつ、会場でずっと「えーっと、うんと、なんか変だな」と感じていた。”変”というか、奇妙な感覚にとらわれていたというか。でも不快なわけではない。

うーんうーんと考え込むうちに、ハタと気づいた。この空間のこの空気は、老舗テレビ局っぽくないぞ!ぜんぜん!どっちかというと、ネット系のベンチャー企業(ただし上場済みのある程度の規模の)みたいなんだわ、このにおいは!

ここで突如画面が暗転してセピア調になったかの如く、昔へ時間を巻き戻してみると。

ぼくは20年前、中堅広告代理店のコピーライターとして日本テレビの仕事をしていた。ちょうど巨人戦の視聴率が下り坂にはっきりなった頃で、20%を切ったぞ何とかしなきゃ、ってことになっていた。いま思えば20%切ったぐらい、いいじゃないか、という感じだが当時の日本テレビにとっては一大事だったのだ。

巨人戦の担当として新たに着任したプロデューサーに、ぼくは企画書を持っていき、「お父さんのチャンネル権を取り戻させてあげましょう!」と、頑固オヤジ代表の星一徹がちゃぶ台をひっくり返して「巨人を観ずに、めしが食えるか。」というコピーを提案した。二つ返事で採用になりたまたまとれた夕刊ラテ面10段のスペースで展開した。スポーツマスコミの間ではちょっと話題になった。東京コピーライターズクラブ、略称TCC新人賞をとってぼくは念願がかなった。

そんな勲章をくれた日本テレビなので、当時の雰囲気はよーく憶えている。そして、当時の日本テレビは体育会系な空気だった。

いやもちろん、ぼくがスポーツ中継の仕事をしたから特別そう記憶しているのだとは言える。また、テレビ局は意外にも全体的に体育会系な気風なのだ。比較するとTBSは文化系っぽかったかなとか、フジテレビは軟派かもねとかのちがいはありつつ、基本的には体育会系。これはCM制作会社もそうで、映像系は体育会系になる傾向がある。チームワークで仕事するからかな?

そんな中でも日本テレビは典型的体育会系な空気を放っていた。もちろんそれは良くも悪くもであり、だからダメだったというつもりはない。とにかく体育会系。まあ昭和の企業はみんな多かれ少なかれ体育会系だったと言えなくもないかな。

いまはもう体育会系ではないだろう。でもJoinTVカンファレンスで感じた空気は、体育会系の要素はまったくない。微塵もない。そして漂うベンチャーっぽさ。IT企業みたい。そりゃあJoinTVだのwiz TVだのってIT技術を駆使した仕組みなんだから当たり前だろうって?いや、そうだけどね。

話がそれちゃったな。そんな不思議な空気を感じながら聞いた日本テレビの発表は、期待以上の驚くべきものだった。

発表の概要を箇条書きで書くと・・・

A) LINEに日本テレビの(局としての)公式アカウント登場
B) JoinTV4つのリニューアル

  1:セカンドスクリーンに対応(つまりスマホでも使える)
  2:Twitterでも参加可能に
  3:HTML5への対応でWEBで簡単に参加できる
  4:JoinTVのチームにバスキュールも参加
  ⇒エヴァンゲリオンとTOYOTA CUPで新しいJoinTVが楽しめる
C) wizTV に、盛り上がっている話題を追うインタレストチャンネル機能追加(例:エヴァンゲリオンch)

あれー?箇条書きにするといまひとつ、インパクトが薄いなあ。
というわけで、JoinTVリニューアルの部分のスライドを写真で見せよう。




こんな感じで巨大なスクリーンにひとつひとつのポイントが映し出された発表を見ると、こちらもぐいぐい気分が高揚してくる。

とくにJoinTVのバージョンアップは驚いた。データ放送を使うのは面白いけど、やっぱり面倒は面倒。とくにテレビをネットにつなぐのはかなりハードルが高い作業だ。それに、スマホでのダブルスクリーンはこれから当たり前になっていくだろう。そんなニーズと状況に、見事に対応した。このバージョンアップは登場一年後の来春でも決して遅いとは言われなかっただろう。登場から半年あまりでこんなに使い方を広げるなんて、他のサービスでもなかなかないんじゃないだろうか。テレビという縛りやしがらみの多い世界でよく一気に変えられたものだ。

そういう、発表の内容に感嘆しつつも、一方でさっきふれた”不思議で奇妙な空気”の話にまた戻りたい。

もともと体育会系な気風だったはずのテレビ局としては似つかわしくない、まるでベンチャー企業のサービス発表会のような空気は、そのあとのパネルディスカッションも続いていく。壇上には、このブログには何度となく登場している角川アスキー総研の遠藤所長、少し前に同じセミナーで講演したITジャーナリストの本田雅一さん、バスキュールの朴社長、そして日本テレビのプロデューサー中西太氏。中西氏以外はぼくもお付き合いある方々で、なんだかなじむ人選だった。

このメンバーがそもそも、テレビ局らしくない。ベンチャー企業のイベント感だ。とうとう最後まで、テレビ局らしからぬ空気で催しは終わった。

それでぼくは何を言いたいのかというと、このイベントから、”企業が本気で取り組むイノベーション”というものを感じとった、ということだ。本気で会社を変えるなら、新部署をどすんとつくって、しかもそれは端っこに置かないで、中枢に近いところに置く。そして三年間ぐらいは成果を問わない。予算も過不足なくつけて使うことに四の五の言わない。日本テレビは編成局にメディアデザインセンターという部署を置き、ちゃんとイノベーションに取り組んでいるのだ。

他の局だとどうだろう。視聴率だ。番組にソーシャルを絡める?いいけどさあ、もうネットは敵だとか言うつもりはないけどね。視聴率につながるならいいよ。・・・なに?やってみたら視聴率は伸びなかったの?じゃダメじゃん。意味ないじゃん。・・・そんなことになるだろう。それが普通だ。テレビ局とはそういうものだ。

カンファレンスのいちばん最初に、小杉さんという偉い方が出てきてしゃべった。「”家政婦のミタ”をね、当時はwizTVがなかったからtuneTVで見てたんですが、ツイッターでドラマの本筋とは関係ないツッコむ人がいるんですよ。その時、ソーシャルに取り組まなきゃ、って思いました」こんなことを言う偉い人がいることに驚いた。

終了後の懇親会で、また別の偉い人がおっしゃっていた。「視聴率に結びつくかはわからないですけどね。でも人が集まってくれば何かができると思うんですよ」つまり、視聴率のためにソーシャルに取り組むのではなく、視聴率とは別の価値を見出すためにソーシャルをやるのだ、とおっしゃっている。

それは、正しい。

ぼくが今年に入ってソーシャルテレビに取り組もうと決めたのは、そこに”新たな価値”があると感じたからだし、コミュニティができれば何かできるはずだという、根拠はないけどはっきりとした確信を持ったからだ。

と、カンファレンスに感心したのはいいけど話をどう収拾つければいいかわからなくなってきた。あ、そうだそうだ。さっきの4つのスライドとは別に、この催しでもっとも衝撃を受けたスライドをお見せしよう。

JoinTVをどの番組で活用するかを検討する際、このチャートが役立ったそうだ。日本テレビの番組の中で、ソーシャルなどで盛り上がる度合いを調べていくと、金曜ロードショーが熱くなりやすかった。これを”ソーシャルパワースポット”と名づけたそうだ。

んんんんん!なんだか面白い!・・・こういう、役に立つかどうかわかんないけど調べてまとめると面白いこと。そんなことにエネルギーを注げる環境づくりが大切なのだ。恐るべし、日本テレビ。とんでもないベンチャー企業だ!期待しちゃうし、他の局も頑張ろうぜい!

※長いわりにまとまりのない記事になってしまったので、不満だよ、という方のために@maskin さんこと増田さんの書いたTechWaveの記事を紹介しよう。ここをクリックしてみてください。このよくまとまった記事を彼は会場で書いてカンファレンスの最中にアップしていた。うーん、さすがプロのジャーナリストだ!

11月22日、ソーシャルテレビ推進会議・オープンセミナーやります!

4月から”ソーシャルテレビ推進会議”と名づけた勉強会をはじめた。その時のことは、このリンクの記事に書いている。”ソーシャルテレビ”に何らか関与している、あるいは関心がある、そういう皆さんに集まってもらって知見を共有したり、今後について議論したりしてきた。

設立時のさっきの記事を読むと、最初の会合に集まったのは十数名だったとある。そういえば、そうだった。ソーシャルテレビ用のアプリを開発している人たち、テレビ局でソーシャルメディアとの融合連携を図ろうとしている人たち、そうした動きをキャッチアップしていこうという人たち、という感じの十数名ではじまった。それがいまや、気づいてみると参加表明してくれてる人が76名になっている。毎月定例会合をやっていて、だいたい30名強が集まってくれる。けっこうな人数になってきた。

ソーシャルテレビラボという名称でサイトを起ち上げた。これにはTBSメディア総研のあやとりブログも提携している。またメンバーのブロガー杉本さんの“Film Goes with Net”との連携もある。

それから、日本のソーシャルメディアをリードするlooops社が運営する“In The Looop”にも連携してもらいその中に”Social TV”というコーナーを設けてもらってぼくらの記事を転載してもらったりもしている。さらには、やはり日本のソーシャルメディアシーンの一角を担っているアライドアーキテクツ社がやはり運営している情報発信メディア“Social Media Marketing Lab”にもソーシャルテレビのカテゴリーを作ってもらえて、いくつかの記事が転載されている。ぼくらの活動もそこそこの波及力を持つようになってきた。

一方で実際にテレビ番組にソーシャルメディアを活用した事例や、そのための新しい仕組みも続々登場している。NHKのNewsWEB24、日本テレビのJoinTV、BSフジのSocialTV ザ・コンパス、そしてつい最近のTBS大炎上生テレビと、追いつくのも大変なくらいだ。

こうして振り返ると、半年でソーシャルテレビを巡る状況はずいぶん活性化してきた。そうなるだろうとは思っていたものの、実際のスピードは当初のぼくのイメージを超えている。現実は、常に想像を上回って進んでいくものなのだろうね。

と、前置きが長くなったけど、そんな半年が過ぎたね、ってことで、ここでこれまでの活動を総括する催しをやろうと思っている。いつもはクローズドなメンバーで知見を寄せ合っているのだけど、このタイミングで誰でも参加できるオープンセミナー的なことをやろうと思ったの。興味はあるけどメンバーとして申し出るほどでもないかなーと思っていた人など、気軽に参加してくださいな。

概要は、以下のようなことで、まだ詳細は詰まってないんだけど、日時と場所は確定している。
ソーシャルテレビ推進会議
半期報告オープンセミナー「テレビは炎上してるか」

日時:11月22日19時開始(18時30分開場)
会場:株式会社VOYAGE GROUP 8Fセミナールーム
定員:80名
<プログラム>
報告:ソーシャルテレビ推進会議活動報告
第1部:TVアプス大集合
第2部:ダブルスクリーン視聴最前線レポート
第3部:あいつに言わせろ!ソーシャルテレビ
終了後、AJITOにて懇親会


「テレビは炎上してるか」はこないだの「大炎上生テレビ」からいただいてるのね。そういうゲストをお招きするし。
各パートの詳細やゲストが決まったらまた発表します。とりあえずこういう現状です。

例によってATNDで参加者を募るので、どうぞみなさんご参加を。いまのところ無料の予定。ここをクリックすれば申込フォームにジャンプします。

会場はAJITOの奥のセミナールームを、VOYAGE GROUPさんのご好意でお借りします。けっこう広いので、定員はもう少し増やせるかも。

ということで、さー盛り上がっていきまっせ!

ぼくたちは、マイホームに回帰する〜新ドラマ『ゴーイングマイホーム』

昨日の夜は急いで帰宅した。9時からのドラマ『ゴーイングマイホーム』をリアルタイムで観たかったからだ。

この秋のドラマの中でも注目のこの作品。本来は10時放送なのだが、2時間スペシャルでスタートということで、初回だけ9時放送だった。

何が注目かというと、是枝裕和の脚本・監督作品なのだ。

コレエダって誰?という方には『ビューティフルライフ』『誰も知らない』『奇跡』などの作品で知られる映画監督だとまず説明しておこう。

ただ、是枝監督が独特なのは、テレビのドキュメンタリー出身であることだ。だから”映画監督”と定義して良いのかわからない。もっとゆるく”映像作家”とした方が適切なのかもしれない。

彼の作品を観ると、”テレビのドキュメンタリー出身”であることが「なるほど!」と思えてくるだろう。不必要な抑揚がなく、淡々としたタッチ。その場での役者のアドリブ的な演技を大切にしているらしい。だから自然な空気がたちこめる。

そんな作風だから、地上波のプライムタイムのドラマに起用されると聞いて驚いた。そしてワクワクと期待した。

はじまったドラマはある意味想像通りであり、また想像以上に是枝作品の空気感を帯びていた。カメラが、照明が、音声が、演技が、そしてセリフが、構成要素のひとつひとつが、よく観ているドラマとまったくちがっていた。

新鮮!

ぼくはプライムタイムにこの作品を持ってきたフジテレビ(じゃなくて関西テレビ?)の英断にも感心した。どこか、テレビの転換期、ターニングポイントの象徴なのかもしれないとも思う。

ツイッターのタイムラインを眺めながらドラマを観ていたのだけど、案の定、賛否両論飛び交っている。「退屈だ」「飽きちゃった」「意外につまらない」そんな”否”のツイートもけっこう見かけた。一方で、「こんなドラマなかった」「面白い」という肯定的なツイートももちろん多い。視聴率競争で王座を奪われたフジテレビ(関西テレビだけど)があえて賛否両論飛び交うドラマを企画に選んだことは素敵だと思う。ひとりの視聴者として喜ばしい流れだ。

ツイートの中に「映画みたいだ」というものも多かった。

これは面白いことだと思う。普通の視聴者が、ドラマを観て、テレビドラマらしいと感じたり、映画みたいだと受けとめたりするのだ。非常に感覚的な、でも正直な感想なのだろう。

そもそも、ドラマらしいとか、映画っぽいとか、どんなちがいがあるのだろう。

日本のテレビドラマは、映画へのコンプレックスと意地ではじまっているのだ。

米国のテレビドラマは、事実上ハリウッド、つまり映画人が作ってきた。映画界はテレビを味方にすることで新時代を乗り切ろうという戦略をとったのだ。だから米国のテレビドラマは、大昔の『ローハイド』であれ、最近の『プリズンブレイク』であれ、映画みたいだ。

一方日本の映画界は、テレビを拒んだ。生まれたばかりのテレビ界を突き放し、スタッフも貸さないし役者も使わせないのだと宣言した。そういう戦略・・・というより感情を選んだのだ。

その結果、テレビドラマは自分たちで試行錯誤して製作方法を作り上げるしかなかった。「私は貝になりたい」という、最近映画としてリメイクされた物語は、テレビドラマ黎明期に初めて”テレビでも素晴らしいドラマが作れる!”と自信をもたらしたエポックメイキングな作品なのだ。

以来、テレビドラマはTBSを中心に進化していった。70年代まではTBSがドラマというジャンルをリードしていった。

そんな中、フジテレビが80年代後半からドラマ界のリーダーに躍り出た。”トレンディドラマ”などと称され、TBSとはまったくちがう手法と空気感を持つドラマを作っていった。90年代にはそれが確立され、他の局にも影響を与えた。

だから、80年代前半までとそれ以降とでは、テレビドラマが持つ空気感はまったくちがう。70年代と90年代のドラマはかなりちがうが、90年代といまのドラマはほぼ同じ空気を持つ。

『ゴーイングマイホーム』を観て”映画みたいだ”という人は、90年以降のドラマと比べているのだろう。

是枝監督のドラマを観て”映画みたい”という人は、彼が映画界の人だと知って言っているのかもしれない。でもさっきも書いたけど、是枝氏はテレビマンユニオンという、番組制作会社の出身だ。テレビマンユニオンは、日本のテレビ史上初めて設立された制作会社で、この会社の設立以前は制作は社内で行うものだった。同社によって”外注”システムが生まれたのだ。

是枝氏はそんな、テレビ番組制作会社のど真ん中みたいなところでキャリアを開始し、映画に進出した。だから、彼の映画は当初、映画界でも違和感を放っていた。それまでの映画とちがう!と言われた。

そう考えると、このドラマを観た人が”映画みたい”と評するのは不思議なことではあるまいか?

頭の中を整理せずに書いているので話がどこへ向かうかわからないのだけど、もうひとつこのドラマで大事なのは、”マイホーム”がテーマになっていることだ。主人公はCMプロデューサーというばりばりに都会的な職業に就いている。彼の父親が実家で倒れるところから物語がはじまるのだが、どうやら彼が故郷に回帰する話なのだと第一話で予感させる。

いま、ぼくたちは故郷に回帰しはじめている。リーマンショックから立ち直るためなのか、去年の津波で打ちひしがれたからなのか、原因ははっきりしないしどれもこれも原因なのだろうけど、そういう潮流がぼくたちを覆いはじめている。都会に住んでなにやってんだ、おれ。そんな気分にぼくらは包まれている。そんな気分をぽわーんととらえて物語が動こうとしているのだと思う。

故郷に回帰する物語であることは、このドラマがソーシャルな匂いをこっそり撒いていることでもある。ここんとこはもっと解説が必要だな。でも解説はそのうちまた書こう。とにかく、故郷回帰とはソーシャルな気持ちなのだ。

いろんな意味で『ゴーイングマイホーム』は興味深い。このあとも追っていこうと思う。