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コピーライター→映像製作会社ロボット→広告代理店ビデオプロモーション→再びコピーライター(フリーランス)。 メディアとコンテンツの未来を切り拓くコミュニケーションをデザインします。講演・執筆依頼もお気軽に!

決め方のヘタな人びと〜意思決定は想像力だ:その1〜

田母神さんが書いた論文を直接読んではいないけど、かなり無茶苦茶な内容ではあるらしい。張作霖事件も、蘆溝橋事件も、日本軍以外の陰謀だとか、日本を日米開戦に追い込んだ”ハル・ノート”はコミンテルンの策略だとか。どれもこれも、極端な価値観で書かれた推測の域を出ない論者の文章をベースにしている。

こうした極端な変な右翼的言説は、けっこうネット上で若いブロガーが書き飛ばしているのと似ている。国の成長性が失われたので、”日本は実は悪くなかった”と主張して自分自身にハリボテの自信をまとおうという心性の発露だ。

まあ、田母神さんの主張の内容は置いといて、問題は政府の対応だ。

問題が発覚したらちょうど定年になったもんで、定年退職させちゃった。

そしたら今日、国会に呼ばれた。でも今や彼はただの民間人だ。もはや何を言ってもペナルティを与えられない。だから好き放題しゃべっちゃった。その痛快さにエールを送りたくなった人は多いだろう。

定年退職にしちゃったら、彼の責任を問えなくなったわけだ。

その意思決定が大きな問題だったのだ。

ポイントは、後先を考えなかったこと。うわ、なんか問題になっちゃった。どうしよう。え?ちょうど定年?じゃあ、とっとと退職させちゃえーい!・・・うろたえたあげく、ものすごくまちがった意思決定をしてしまったわけだ。

「定年退職にしないと、辞めさせるのにものすごく時間がかかるので、定年退職にした」と政府は言い訳している。この言い訳自体が、また目茶苦茶だ。ルール無視だ。時間がかかろうがかかるまいが、この場合はきちんと彼の責任を吟味すべきだった。降格にしたら定年が下がるから、降格させちゃえ定年退職させちゃえ。あー、問題児がいなくなった。これで責任逃れができる。そう考えての判断で、責任を問われているのだ。

なぜ、想像しなかったのだろう。これで強引な理屈で定年退職にしたら、そのあと、どんな展開があるのか。世間はどう反応するのか。

冷静に想像すれば、いくつかのシナリオが読めてきたはずだ。最悪の場合、民間人の状態で責任を問われることなく好き放題発言しちゃうぞ、という想像はできたはずじゃない?

退職金を返納させるとか言ってるけど、これもまた目茶苦茶だ。責任を何も明確にせずただ定年退職させといて、いまさら退職金を返せなんて、ぜんぜん理屈に合わない。これも、退職金満額払ったら世間がなんか言うかも、と想像できてなかった。でも、ちょっと考えたら想像できた。

意思決定では、想像力が問われる。という話を書いていくよ。これから。

テレビ局が赤字になっちゃった〜メディア事変その36〜

えーっと、画像はこれで見れるのかな?

あ、見れるみたいね。数字も読める?

表にするとこんな感じ。

あ、まずフジテレビはよくわかんないね。これね、放送認定持株会社に移行したからね。なんかわかんない。他の局と並列な比較がしにくくなったわけ。

あと、おや?TBSは営業利益が他局に比べて落ちてないぞ。えらいなあ。うーん、これもねえ、TBSは赤坂サカスに移って不動産事業をおっぱじめた。その利益がぐいと全体を押し上げている。

日テレ、テレ朝、テレ東は激しく利益を落としてるね。悲惨だ。

それから、この数字は”連結”数字だ。テレビ局の本業以外のいろんな子会社の数字も含めてのもの。他に”個別”も発表していて、その数字の方が”テレビ局”そのものに近い。これを見ていくとびっくりする。

”個別”だと日テレは6億の赤字だ。テレ東なんか11億の赤字だ。

それからね、各社”通期予想”も発表しているんだけど、テレ東は通期でも”個別”で13億の赤字になりそうです、と発表している。

なんか、いったいどうなっちゃってるんだろう。

テレビ局は”永久に不滅です”だと思ってなかった?学生の就職ランキングで常に人気企業だった。なんか面白そうで給料良くて、いいなー、みたいな。

それが赤字。

うーん、世界的な不況も深刻ですなあ。って、あなたこのブログの読者?そうじゃないでしょ?ちがうでしょ?

テレビ局の一部に赤字の会社が出てきたのは、世界不況のせいだけではない。かと言ってそれぞれの経営者が無能、ってことでもない。企業努力が足りないから、でも当然ない。

ただ、そういう時代になったから。それだけ。

もう少し詳しく言うと、大量のモノを製造して不特定多数に認知されれば事業になる、という時代が終わっちゃったから。あるいは、そういう事業がこの国の中で占める割合がぐーんと減ったから。それよりも、限られた層のニーズをとらえてその層に届くコミュニケーションでうまくモノを売ることを考えないと、売れなくなってきたから。そして、そういう時代が来た時に、うまいことインターネットが普及しインフラも整い、”限られた層”に向けたコミュニケーションができる感じになってきたから。

つまり、四字熟語で言えば”栄枯盛衰”。テレビはついこないだまで”栄えて””盛り上がって”いたのが、今年を境に”枯れて””衰える”業種になったわけ。

時代なんて、パッと変わる。

むかーし、そんなコピーがあった。これをもっとリアルに翻案すると、時代なんて、何の前触れもなく、誰かの意志でさえなく、パッと変わっちゃう。

テレビ局が赤字になっちゃった。そうすると、何が起こる?これ、考えてみよう・・・

人件費でビジネスしよう〜メディア事変その35〜

広告業界が歴史的転換点だってことは、例えばこのページを見れば感じられるよ。
http://www.dentsu.co.jp/ir/zaimu/uriage.html

電通の月次売上高のグラフ。え?なんだかわかんない?よーく見て。赤い折れ線が今期なんだけど、9月が6月と同じ山の高さになってるでしょ?他の年は6月より9月が高い。前の年のピンクの線と比べるとわかりやすい。ピンクの線は、9月の山が明らかに6月より高いね。

広告業界は、クライアント企業から広告費を受け取ってやってきた。多くの企業は3月決算で、9月は半期終了の月。だから、上期の予算をドーンと使うのが9月だった。そうやってできるはずの”山”ができなかったんだね。

そういうことになっちゃってるわけ。

もはや、クライアント企業は予算枠があるからってドーンと使いきったりなんてしない。余ったらそのまま余らせておくようになった。

それくらい、お金の使い方が厳しくなってきた。もうパイは増えないんだ。

パイが増えないってことはただやせ細っていくのか?まあ、そうなんだけど、待て待て、あくまでドーンと使ってきたのはメディアコストだ。企業が広告費をまったく使わなくなるわけじゃない。

前に、クリエイターは媒体費のオマケで食べてた、って書いたでしょ。何億ものメディアコストを払う中で、コピーライターの100万のギャラを捻出するのはさほど難しくなかった。

あるいは、テレビCMも、とにかく予算枠3000万、などと先に”バジェット”が決まっていた。その中で、美術費だのスタジオ費だのをやりくりして、00%などと利益率を決めてお金を残していけばなんとかなっていた。

これからは、3億円のうちの100万円とか、3000万円で利益率がどうのとか、そういうことじゃうまくいかなくなる。

てことは、儲からなくなる?いやいや、そうじゃないってば。

お金のとり方を、バジェットからフィーにシフトすればいいの。

具体的には、その作業にかかる人件費をきちんと割り出して、見積に入れて、きっちり請求していけばいい。利益率はあまり意味がなくなるんだ。人件費と会社の運営コストにみあったフィーを確保すればいいの。

なーんて簡単に言うなよ?もちろん、簡単じゃないよ。でも、そこんとこ、シフトしないと、生き残れないんだぞ。

・・・この話は、もう少し続けよう・・・

束ねるところがいらなくなる〜メディア事変その34〜

ええーっと、ダイレクトにその人のメールから引用しちゃう。いいよね?K3さん。

”「垂直統合」は商品やサービスを市場に供給するために必要な業務や工程の段階を社内に取り込むこと、あるいは既存の事業者に比べて取り込みの範囲が広い事業者のビジネスモデルのことを言うのだと思います。基本的には一つの経営体としてのことです。”

あ、そうか。昨日書いたみたいに、代理店と制作会社のように別々の経営体で”取り込んで”はいない状態は”垂直統合”とは言わない、ってことだね。こりゃ失礼しました。

だからあれか、広告代理店が制作子会社を持つとか、制作会社を買収して子会社化するとか、そういうのが”垂直統合”、ってことか。だって”統合”だもんね。

さてちょっとまちがっちゃったけど、そういう川上と川下というか、代理店がクライアントの窓口を一手に引受け、制作会社だのイベント会社だのに発注する状態から、変化するんじゃないかと、いう話ね。

たぶん、すごい勢いで、”代理店が束ねる”状態がなくなっていくと思う。

何しろ、”束ねるチカラ”の源泉であるマスメディアの媒体力がどんどん失われているわけだからね。

代理店が提案する”戦略”も、たぶんに”マスメディアの使い方”だったし。

じゃあこれからどうなるかって言うと、”購買に結びつくコミュニケーションノウハウ”を組合せてクライアント企業が使いこなそうとするわけ。

でね、おそらくクリエイティブはそういう”様々なノウハウのひとつ”になるのだろう。

つまりね。いままでは、マスメディアとそれにのっけるクリエイティブ、をセットで売っていたわけ、広告業界は。そしてその価値の大半はマスメディアにあったわけだね。

これからは、クリエイティブが”ツール”のひとつになる。あ、マスメディアも同じだ。それらと、口コミのノウハウとか、WEBテクノロジーとか、イベントとか、そういったものを様々に組合せるんだ。クリエイティブがあまり重要じゃない組み合せもありえる。意外にマスメディアが重要なパーツになることもありえる。

企業と消費者をつなぐコミュニケーションに、いろんなやり方が出てくるわけ。

そうすると、誰かが束ねるって感じじゃなくなるんだと思う。”広告代理店”はいらなくなりはしないけど、いままでのように一方的に束ねる立場とは限らなくなる。口コミが得意な事業社がクライアントから受注し、マスメディアも必要だってんで広告代理店があとから参上つかまつる、ってことも出てくるだろう。

そうとうのびのびした業界環境になる、とも言える。複雑で何がなんだかわかんない状態になる、とも言える。

ま、そこんとこはさ、前向きにとらえようじゃありませんか・・・

垂直統合から水平分業へ〜メディア事変その33〜

”メディア事変その30”で、いろんなところと組んでみる、と書いたね。

ここポイントでさ。”組んでみる”って書いたでしょ?そう。これからはね、”組む”って感じになる。

いままではさあ、クリエイティブを事業とする会社は、こと広告制作の場合は代理店との関係が重要だった。その場合、”組む”じゃなかったでしょ?なんつうか、はっきり言っちゃえば”仕事させていただく”感じだった。あなた様が発注者で、こちとら受注者です、出入りの業者です、ってことだった。

いやおれはちがったよ。と言う人もいるかもしれない。だっておれはね、高名なクリエイターでね・・・なーんてさ、一所懸命えらいつもりで言ってもさ、実体はやっぱり受注発注だったじゃん?えらそうにしてても、”使われてた”ことに代わりはない。そこ、まず、認めとこ。

そういう仕事の流れはね、”垂直”だったわけ。

そしてそれは、いままでの日本(だけじゃないけど)のあらゆる産業で、そんな構造だった。ゼネコン、でも、電機、でも、IT、でも、そうだった。

そういう仕事の受発注の流れ、どっか大きい会社が元締めやって、そこに中小企業がぶら下がるのを、垂直統合、という。

これからね、変わるんだよ。そういうのは、流行らなくなる。あらゆる産業で。

21世紀は、”水平分業”になってくる。これ、時間の問題。

どこが元締め、ってことでもない、みたいな。みんな元締めで、みんな受注者で、みたいな。それが、水平分業。

いろんなことできる会社が、ゆるくつながってる。そういうやり方が、合理的になる。

いろんなところと組む。その組み方のヒントが、”水平分業”にあるわけ。わかる?(これは『次世代マーケティングプラットフォーム』とも関係があるんだぜ)

グーグルにできること、と、クリエイティブにできること〜メディア事変その32〜

山手線がGoogleだらけ、というのはつまり、車内広告を買いきって広告展開していた、わけね。

あれ?Googleが交通広告というメディアを使って広告しているって、おもしろくね?

広告の世界に”メディア使わなくてもいいんでね?”と問いかけているはずのGoogleが、”でも使ってもいいんでね?”とばかりにメディア展開をしている。別に矛盾してるわけではないけど、現象として興味深い。

Googleに、できること。というメインコピーで、こっちの中吊りではこの機能、あっちの額面ではその機能、という具合に、まさにGoogleにできることを具体的に説明していた。

ぼおーっと眺めていて、うむむむむ、とうなってしまった。

それらの社内ポスターには、ぼくが知っている”クリエイティブ”とはおよそかけ離れた世界があった。

まず、”コピーライターが書いたコピー”というムードがかけらもない。メインワードの”Googleに、できること”もそうなんだけど、機能を説明するコピーのひとつひとつが、ほんとうにただの説明文なのだ。レトリックとか、表現を凝らした要素がまったくない。

ビジュアルは、イラストだ。それも、携帯電話の機能説明には、携帯電話のイラストが並んでいる。べつに特別なイラストではない。ちょっと絵がうまければ描けそうなタッチ。

クリエイターが趣向を凝らして”表現”された形跡がないのよ。手だれのクリエイターが、”Googleにふさわしいトーン&マナーは、表現しないことだ”などと考えた、ってわけでもなさそう。とにかく”電車に乗ってる人にわかりやすく伝える”ことだけを考えた、おしまい、って感じだ。

メディア抜きで広告事業をやってるGoogleが、メディアを使って広告しているのだけど、中身はおよそいままでの”広告クリエイティブ”ではない。

なんだか、あっちこっちに向かういくつかのベクトルが、結局最後はひとつにまとまっているような、そんな不思議な感覚を持った。

『次世代マーケティングプラットフォーム』に書かれていた”広告クリエイティブはなくならない。しかしその重要性は低下せざるをえないのだ”という一節をまさに目の当たりにした気がしたよ。

低下しちゃうの?やっぱり?

すげー本が出た〜メディア事変その31〜

『次世代マーケティングプラットフォーム』というこの本。湯川鶴章というメディアの最先端のことを書いてきたジャーナリストの著書だ。彼が何者かは、ちょっとググればいろいろ出てくるのでここでは割愛。

なにが”すげー”か。

例えばサブタイトルは・・・”広告とマスメディアの地位を奪うもの”

あるいは帯には・・・”広告の「周縁」が「終焉」を加速する”とある。

内容は、広告、というか、ものを売るための最新のコミュニケーションテクノロジーをアメリカで取材したもの。でも彼は、そういう”ほらこれが新しいよ”と紹介したくて書いているのではない。彼がこのレポートに込めたメッセージは、”はじめに”に集約されている。

”取材を終えて確信に至ったのは、「広く告知する」を意味する20世紀型の広告はいずれ消滅するということだった”

おおー、ふむふむ。

”それは広告というより販売促進に近いコミュニケーションになり、クリエイティブよりテクノロジーが重要になるということだ”

うんうん、なるほど。

”企業は、広告、広報、マーケティング、カスタマーサポートといった部署間の垣根を払い、企業全体としてコミュニケーション戦略に取り組んでいかなければならなくなる”

へー、ほおー。

なんか、このブログでぼくが書いてきたこと、これから書こうともやもやと頭の中で混とんとしてることを、一気にまとめて書かれたようで、びっくりして、感心したよ。

で、最終チャプターまで読み進むと、こんどはショックを受けた。

■広告にクリエイティビティは不要になるのか、という見出しで書かれたパートの最後は・・・

”クリエイティブな広告はなくならない。しかしその重要性は低下せざるをえないのだ”

ガーン!重要性は低下するのかあ。言われちゃったよ。重要性が低下したクリエイティビティは、ちっともクリエイティブな気がしない。

その上で彼が言うには・・・

”今までのメディア産業とは一線を画す、新しい「表現のビジネスモデル」を構築するしかないのだと思う”

のだけど・・・

”既存メディアのビジネスモデルが崩壊する前に、新しいビジネスモデルが確立するのかどうかもわからない。既存のビジネスモデルの崩壊の方が先かもしれない”

・・・そうですなあ。まさに今年、”既存のビジネスモデルの崩壊”が”先に”起こっちゃってるのだよねえ・・・

うーん、ねえ、そこのあなた、どうする?

いろんなところと組んでみる〜メディア事変その30〜

さて前回、いままでの広告代理店は宣伝部だけとのおつきあいだった、いろんな部門からコミュニケーションの予算が生まれつつある、と書いた。

なるほど、だったら、クライアント企業に直接売込みに行こう、と考えたかもしれない。それはひとつ、正しいのだけどね。

でも、クライアント企業を直接開拓するのは並大抵ではない。広告代理店のシステムがここでもよくできてたと感心する。例えばあなたが50名くらいでやってる会社でクリエイティブを生業としていたとしよう。そうか、ぼくたちも直接クライアントを開拓しよう、って言ったって、カンタンじゃないぞ。

ドアをノックすればすぐに仕事が生まれるってわけじゃない。既存の広告代理店だって新規クライアント開拓は大変だっただろう。ましてや、ネクタイ締めてビジネスマンです、ってキャラでもない人間が、広告クリエイティブのご用はありまへんか、って言ったって、あんた誰どすか、一見さんはお引き取りあそばせ、ってことになる。

ええー?うちの会社は広告業界でも名を知られてまして、私はこんな広告で賞もいっぱいとってます、って、そんな賞、どないなもんどす?とか言われちゃう。

ぼくたちは、せまーい村で生きてきた。大きな街の市場で田舎もん丸出しで商売できない。いきなりはねー。

だから、組もう。誰かと。あらかじめ企業とのパイプを持つ誰かと。コミュニケーションの出口が宣伝部とは限らなくなってる。だったら、販促費の受皿であるどこかの企業と組む。印刷会社かもしれない。人材派遣業者かもしれない。はたまたコンサル会社かな?

そっから先は自分で考えて欲しいんだけど、企業とのパイプは、広告業界を越えたところにいっぱいあるもんだ。調べてみよう。そして、組む。組むからには、組む相手にもメリットがないといけない。そこも自分で考えてみて。あるから、考えてみれば。

垂直統合から、水平分業へ、という流れが、実はあらゆる産業に起こりつつある。やるのよ、水平分業を。・・・わっかるかなあ?・・・

新たな受注経路をつくる〜メディア事変その29〜

クリエイティブは経営活動の一環だと。さて一方でね、広告代理店のシステムはよくできていたけど、欠点もあった。つきあう窓口が宣伝部だってところだ。

もちろん、いままではそこが長所だったし、それで十分だった。じゃあなぜいまは欠点になっちゃうか。

宣伝部が何をするセクションか。もちろん宣伝を取り仕切る部署なわけだけど、業務の根っこには”マスメディアの媒体費を仕切る”ってことがあった。いい?必ずしもクリエイティブの中身を仕切る、ってことでもないの。いままではマスメディアの媒体費にクリエイティブがオマケとしてくっついてたけど、これからはそうでもなくなる。ここがポイント。

クリエイティブに関係する部署が拡散していっているんだ。前に書いた”販促費”は宣伝部仕切りじゃないことが多い。むしろ”売り”に近い部署、営業本部にくっついていたり、マーケティング部門が予算を持っていたりする。いまはブランド意識は高まっているから、個々の商品に責任を持つブランドマネージャーみたいな人も予算を割振りする。

もっと言えば、ウェブコミュニケーションはシステム関連の人じゃないとわからないってこともある。そういう人が宣伝部に来てネット広告を仕切っていたりする。広報部なんてのもある。少し前までは会社のサイトを細々と広報予算で仕切ってたのが、ウェブは大事だってんでいつのまにか予算が増えたりしている。

人事部は採用のためのコミュニケーション予算を持っている。不況だからこそ優秀な人材確保は大事だってんで、いろんなクリエイティブのニーズが出てきている。

コミュニケーションに関わる部門と予算が拡散し、宣伝部だけとつきあっていればいいわけでもなくなっているんだ。

クリエイターは、企業との接点を持たないと仕事ができない。でもその接点が、多岐に渡ってきている。ヘタをすると、もっとマネジメントに近い経営企画みたいなセクションが鍵を握っているかもしれない。だったら、広告代理店とは別の経路をつくってクライアントとの接点を持てばいい。

企業の予算はどこにあるのか。そしてそういう人たちとどう接点を持てばいいのか。そう考えていけばいいんだ。

いいんだって・・・でもどうやって?いやだから、そこをみんなそれぞれ考えていこうよってことだよ・・・あれ?たいへん?・・・

クリエイティブは経営活動である〜メディア事変その28〜

まず、どこから考えていけばいいか。広告クリエイティブとはそもそも何なのか、ってとこからはじめようじゃないか。

答えはね、シンプルだよ。広告クリエイティブとは、経営活動の一環なんだ。

いままでの広告クリエイターは、そこんとこをあまり考えずに済んでた。それは、いままでのシステムがそれはそれでよくできていたから。

企業は、広告宣伝をどうしようか、と考えたら、まず広告代理店に相談すればよかった。すると、広告宣伝に使うメディアとセットで、あれやこれやサービスを提供してくれた。広告代理店も、マスメディアを売ることさえできれば、他のこともサービスで提供できたわけ。そのサービスの顕著なものが”クリエイティブ”だった。

いま、そこが壊れはじめてる。なぜなら、マスメディアが企業のコミュニケーションの中でいままでほど重要じゃなくなったから。”いままでほど”で、まだ重要なんだけど、いままでほどドカーンとマスメディアを使うべきじゃなくなってきた。もっと細かなメディアも駆使しないといけなくなってきた。ROI(投資効率)を考えてメディアを使わないといけない。いや、メディアを使わなくてさえよかったりもする。自社のウェブサイトがメディアだもん、ってことさえ起こってきた。

広告代理店は”マスメディア”だったからこそ、つまり、一回一回のメディアの売り買いでけっこうな金額になるからこそ利益がでていた。利益がけっこう出るから、クリエイティブはサービスでよかった。メディアが”マス”じゃなくなったり、そもそも企業が自分でメディアを持ったりするもんで、ビジネスモデルの核である”メディアの売り買い”で利益が薄くなっちゃった。

いま起こってるのはそういうこと。

クリエイターにとっての”ピンチ”は、マスメディアの売り買いの金額が大きかったからこそ、そのオマケ部分で食えたのが、そこが薄くなってる、ってことにある。

一方で、そこには”チャンス”もある。マスメディアがいらなくなっても、経営活動の一環としてコミュニケーションは欠くべからざるものなんだ!クリエイターの力は、企業にとって絶対に必要なんだ!

そう書くと、なんだかうれしい?なーんだ、ぼくたちは要らなくなってるわけじゃないんだ。基本はそうだよ。

ただし!いままで広告代理店がドカーンとマスメディアを動かしていたからこそクリエイターは”甘えて”いられた。ざっくりした言い方だけど、”小難しいこと”考えずに済んだ。

でもこれからは、”経営活動の一環としてのコミュニケーション”を提案する、そういう意気込みが必要だ。勉強することが増えるぞお。

あ、ちょっとビビった?

まあとにかくね、いま混とんとしちゃってるから、しばらくつらいとは思うよ、クリエイターは。でも忘れないで。マスメディアが要らなくなっても、コミュニケーションは永久に不滅です!そこには必ず、ぼくたちが生きる道がある!

そこをこれから、切り拓いていく、それが”次のこと”のベースのキホン。ね、大きな視点では明るいの、ぼくらの未来は・・・そこは、まちがいなく、信じていいよ・・・

広告と販促が交錯してきた〜メディア事変その27〜

90年代の半ばあたりから、日陰者だった”販促”がちょっと注目されるようになってきた。アバブザラインとビローザラインという言葉が業界で飛び交うようになってきた。こういう新ワードがいきなり登場し、あっという間に日常的に使われるようになるのが業界だ。

アバブザラインとは”Above The Line”。ビローザラインとは”Below The Line”。それぞれ、線の上と下という意味だ。マスメディアと販促の間には”Line”があった。その上(=マスメディア)をアバブザラインと呼び、下の方(=販促)がビローザライン。”販売促進略して販促”という、地味な言葉で語られていたのが”ビローザライン”と片仮名で呼ばれるようになるとなんだかカッコいいことに思えてくるから不思議だ。それも業界。ビローザラインも大事だよね、ということになった。

最初に反応したのはアートディレクターたち。それまで、ポスターや新聞15段(1ページ)が彼らの花形舞台だったのが、突然、店頭のPOPなんかを熱心につくりはじめた。

アバブザライン、つまりマスメディアだけでは単純に人が動かなくなってきた。店頭も重要じゃないか、ほんとうに”買わせる”力を持つのはBelow The Lineじゃないか、ってことで、販促物でもそれなりのデザイン費がつぎ込まれるようになってきたのだ。

さらにThrough The Lineなんていう言葉まで登場し、アバブとビローを一貫させるべきだ、なんてことも言われるようになった。やがてアバブザラインはエーティーエル(ATL)、ビローザラインはビーティーエル(BTL)とアルファベットで略して呼ばれたりもするようになった。

90年代後半以降のそんな動きは、考え方のひとつの定番になっていた。ただし、CMは例外だった。映像をビーティーエルの世界で流すのは、店頭のモニターなどであるにはあったが新潮流でもなかった。

インターネットで動画が当たり前になって、ちょっと、いや、かなり話が変わりはじめた。それがいま。

これまで販促部の人たちは、映像は管轄外な気がしていたのが、いや、ネットで動画流せるじゃん、ってことになってきた。映像を多くの人に送り届けるには、テレビ媒体を買わなければいけなかった。販促部の人たちの範疇ではなかった。ところが、ネットなら、媒体費はいらない。意外に映像を流すにはサーバー代がけっこうかかるが、とにかく、映像を流せるぞ。

映像にもビローザラインが選択肢のひとつになってきた。

映像も販促だ!これが、”今後”を考える大きな鍵になるんじゃないか。・・・疲れたので、また次回ね。

広告と販促は分化して再統一へ〜メディア事変その26〜

ウハウハ新製品を出してマスメディアで告知するシステム=広告は、その新製品を売るための仕組みだけど、実際に売るにはもう一押しが必要だった。それが販促とかSP(Sales Promotion)とかの呼び名でよばれる分野。これがよく考えると不思議な分化のもとに発達してきた。

販促と言うのは、例えば店頭で具体的にモノを売るシステムのこと。家電量販店の店頭に行くと、いろんなSPツールがごちゃごちゃーっと置かれている。CMに出てくるタレントの顔が載ってるPOPとか。分厚いカタログとか。ああいうヤツ。CMでは上品なビジュアルとキャッチコピーだったのが、いきなり泥臭く、「薄さ5cm!」だの「どこでもお手軽!」とか、赤や黄色の派手な書体でビックリマーク使いまくってアピールしてくる。

客は別に”下品なコピーだわ”などと軽蔑したりせず、”そうかあ、5cmかあ”とか”どこでもってのは便利だなあ”などと感心して、他の商品と比べたりして、”よし!これ買うぞ。あ、すいませーん”と店員に声をかける。

販促は大変だし、頑張っててえらいんだ。でも、マスメディアを中心とした広告の側は、なぜか販促のことを”ふん、SPかよ”と軽蔑してきた。ぼくが若い頃いた広告代理店でも、クリエイティブ局という”広告”の方を企画する部署とは別にSP局などの名称の部署もあって、そこにはクリエイティブの最前線を引退したおじさんたちがいた。

広告代理店はクライアントに頼まれると、半ば”仕方なく”SPもやりますとも”と心にもないことをいいながら引受けていた。なぜ仕方なくなのかと言えば、SPはマスメディアを使わないので、広告代理店にとって大きな利益にならないのだ。

不思議と、クライアントの中でも、宣伝部と販促部は分化していた。宣伝部は独立した存在で、使う予算も莫大なのに対し、販促部は営業本部や事業本部の下位部署で、なんだか申し訳なさそうな存在だった。予算もそこそこ持ってるんだけど、小刻みに、大事に大事にお金を使う。

同じ”デザイン”とか”コピー”とかの作業でも、宣伝部が発注する領域の仕事は値段も高い。一方、販促の領域は安い。安いから、ヘタすると印刷会社がサービスでデザインも提供したりしていた。

この分化は、そして実際に売るチカラは販促にあるのに、広告からさげすまれているムードは、90年代に入ると少しずつ話がちがってきた。

あれ、短く済むはずが長いじゃん、このテーマ。そっかあ、この話は奥が深いんだなあ。・・・ってことで、続きは明日ね。もう眠いし。明日は早いんだよ・・・