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じゃ、ヨーロッパはどうなってんのかな?〜日本映画産業論その8〜

『アバター』に刺激されてアメリカの話ばかり書いてきた。市場も収益構造も違うぞ、と。

ではヨーロッパはどおよ?

これがまた、アメリカとぜんっぜんちがうんだ。

こないだもとりあげたこのサイトをもう一度みてみよう。いちばん最後の表だけみればいいよ。

フランスの興行市場は約1500億円だ。なんだ日本より小さいじゃないかって?フランスは映画館の仕組みを生みだしたリュミエール兄弟の国。そしてヌーベルバーグの国だ。そのわりには日本よりずいぶん小さいねと。

ところがどっこい。フランスは人口が約6,000万人なんだ。日本の半分だね。

日本の産業を考える時、この人口には注意しないといけない。前にも書いたけど、日本の1億2千万人ってのは多い方なんだ。世界で10番目。しかもベスト10の中にG7に参加するような経済大国はアメリカしかいない。日本が世界第2のGDPを誇ってきたのはこの人口のおかげだ。てことは、さほど威張れたもんでもない。

それは置いといて、フランスは日本の半分の人口。なのに映画の興行市場は3/4もある。

さらに!さっきの表をよーく見てみよう。フランスの平均映画入場料は781円とあるでしょ。日本は1214円だ。フランスは映画を日本の2/3の値段で見ることができる。

つまり、フランスはやっぱり映画大国だ。もし日本と同じ人口で、入場料も日本と同じだったら、世界第2の映画市場はまちがいなくフランスだ。まあ、それにしてもこの表を見ると、日本の映画料金がいかに高いかがよくわかるね。

それからそれから、同じ表を見ると、国産映画占有率は45%とある。残りはなんだ?そうだ!もちろんハリウッドだ!

フランス人は自国文化に誇りを持っているしアメリカなんか田舎だと思ってるからハリウッド映画など見ない、かっていうとぜんぜんそんなことなかった。ハリウッド映画と国産映画とほぼ半々なのは、日本と似てるね。

ことほどさように日本と似ているフランスの映画産業。いやしかーし!決定的にちがうことがあるよ。それはね、何かって言うとね・・・教えてあげない、今日は。・・・一度に書くと次に書くネタに困るからさ。だから、次回ね・・・

『アバター』を日本が追いかける方法〜日本映画産業論その7〜

『アバター』には日本の映画界は追いつけない、と前に書いた。それはホントにそうだ。市場の問題、収益配分の問題。日本映画界の現状を突き合わせると、あー無理だー!と打ちのめされるしかない。

そうやって、一度希望を捨てよう。もうダメだー、と心底落ち込んじゃおう。

それでも、やはり希望を見出したいかい、お前ら?

イエー!

この国のコンテンツ業界の希望を探したいのかい、エブリバディ?

イエー!

よーしじゃあ、新しい希望について考えてみようじゃないか!

日本映画は市場が小さい。収益モデルも作り手に不利。

だったらそこをちがう考え方にしていけばいいのさ。

市場が小さいって?だったら大きくすればいいのさ。ということはつまり、世界市場に打って出るんだ。

収益モデルが不利?だったら有利にしていけばいい。ということはようするに、資金集めを自分たちでやるってことだ。

世界市場に打って出る。これには二通りが考えられる。ひとつは言うまでもなく、アメリカでの興行をする方向。なんと言っても世界一の市場、日本の5倍のマーケット。しかも、アメリカで興業が成功すれば、世界中で成功することにつながる。リターンがいちばん大きそうだ。

もうひとつの方向、そしてこれこそ考えるべきなのが、中国市場だ。アメリカは人口3億で世界一の市場。中国は13億人だ。そのうちの3分の1が映画市場の対象になったら、アメリカ以上の市場になる可能性は限りなく100%だ。どうやら去年はGDPで日本を抜いて世界第2位になるらしいし、映画市場の成長はまちがいないだろう。それに、中国を起点にアジア全土に拡大するかもしれない。アジアは21世紀の成長市場だ。アメリカを核に欧米市場を狙うより、中国を軸にアジア市場を狙う方が今後はいいのかもしれない。

さて、アメリカを狙うにしろ、中国を狙うにしろ、ポイントは最初から、企画の段階から向こうと組むこと。これをやらないと、絶対に海外での興行なんか成功しない。

日本の自動車産業や電機メーカーが海外に進出できたのは、向こうに駐在員を置いたり現地で人を雇ったり、また現地の企業と組んだりして彼の地の市場をふまえた製品づくりを行ったからだろう。またそれをあまりやらなかったケータイ端末ではガラパゴス化した。日本のコンテンツ界もガラパゴスだ。だって市場を知ろうとしてないんだもん。

アメリカの消費者はどんな日本映画を観たいのか?中国の中産階級は、日本と中国合作の映画って言われて何を望むか?そんなことを考えないといけないんだ。

収益モデルを変えることだって、ちゃんと考えて動けば可能だ。我々コンテンツ業界の最大の欠点は、大きなメディアから大きなお金をもらって制作することに慣れきってしまっていることだ。お金を準備するのは、そういう大企業の人たちなんでしょ?ぼくたちはそういう計算とかが苦手だからこういう業界にいるわけでしょ?

もう、そういう感覚は捨てよう。自分たちの頭でファイナンスのことも考えて、金融機関の人たちともちゃんと話せる姿勢を持って、事業としてコンテンツ企画をとらえるの。儲かる可能性があるのなら、お金の出し手は必ず出てくる。あとは、出し手と自分たちとでどう収益を分け合うか。きちんと交渉して決めればいい。

世界市場に出るのだから、配給側、興行側ともちゃんと交渉する。そうすれば、アメリカのように興行収入からのパーセンテージも獲得できるかもしれない。最初が無理だったとしても、次から、次の次から、有利な契約ができるかもしれない。

端的にまとめると、「世界とお金に強くなる」。これが、ぼくたちの新しい希望のキーワードだ。

オウケイ!じゃあ行こうぜ!3年間ぐらいかかるけどな!

『アバター』はオタク精神の結晶〜日本映画産業論その6〜

『アバター』をネタに書いてきた。書いてたら暗い暗〜い話ばかりになっちゃった。こりゃいかん。『アバター』をネタに、日本映画にとって明るいことも書くからね。

2つ前の記事に”まる3”さんが面白いコメントをつけてくれた。『アバター』には日本のアニメの影響がいっぱい隠れてる!そうだね、きっとジェームズ・キャメロンは宮崎アニメもエヴァンゲリオンも見てるね、まちがいなく。賭けてもいいよ、1000円ぐらい。

日本のコンテンツ界にとって明るい材料がそこから見えてくる。

キャメロンに限らず、新しい映画にはオタクっぽさがある。ジョージ・ルーカスなんか若い頃の写真を見るとオタクそのものだ。分厚いメガネをかけたカッチョ悪い青年だった。そんなオタクだからこそ、あの壮大な世界を創造できたんじゃないか。

『マトリックス』もオタクの塊みたいな作品だった。ウォシャウスキー兄弟が日本のアニメ大好きなのは有名だよね。

もともと映画というものは、あるいはクリエイティブな作業というものは、オタクっぽいんだ。クリエイターはみんなオタクなところがある。何しろディテールにこだわることこそがクリエイティブのクオリティに関わるからね。

これからの映像表現には、いよいよましてオタク精神が必要になるんじゃないか。オタク精神こそが次の表現のモチーフや物語世界を生みだせるんじゃないか。だったら世界に冠たるオタク大国日本こそ、21世紀の映像表現のメインストリームを生み出せるのかもしれないじゃないか!

オタクの可能性にはもうひとつある。

キャメロン監督が『アバター』に必要なテクノロジーを開発したことは前に書いた。そしてこれからの表現にテクノロジーは欠かせないのだ。テクノロジーを駆使することで、次の表現が生まれるんだ。

テクノロジーと新しい表現は、実は常にセットだった。古くは『月世界旅行』などで史上初のSFXを編み出したジョルジュ・メリエスの作品もそうだ。トーキー映画の誕生によってミュージカルというジャンルが生まれた。

そしてオタクはテクノロジーが大好きだ。不思議と、理系の人間でなくてもクリエイターは新しいメカだの、デジタルツールだのをいじり倒す。そこには、3Dでスペクタクルを映像化する、なんて大袈裟なレベルじゃなくても、テクノロジーによる小さな表現革命がそこいら中で起こる可能性があるのだ。

そして、も一度言うけど、日本こそがオタク大国だ。オタク先進国だ。

少し前に、同人誌を舞台にアマチュア漫画家が活発に活動しているのに加えて、同人音楽、という運動も起こっていることを書いた。だったら、同人映像、も起こるはずだ。いやすでに起こりはじめている。

その中から、21世紀の日本のキャメロンが登場するのかもしれない。

『アバター』を世界中でヒットさせる。それはハリウッドにしかできないのだろう。そうだろう。でも『アバター』とは別のレイヤーで、『アバター』のような革命が、日本のあちこちで、きっと起こるんだ。それが21世紀のクリエイティブビジネスの源かもしれない。そういう動きをいかにビジネスにできるかが、ぼくたちに問われるのかもしれない。

うん、希望というものは、そうやって見つけていくものなんだね・・・

『アバター』を追いかけられない日本〜日本映画産業論その5〜

『アバター』はすごいねと書いた。確かにそこには、映画のこれからに対するひとつの答えを見た気がする。

でも、ではそれは日本映画も共有できる答えなのかといえば、そうではないなあと思う。というか絶望してしまう。

日本映画には3Dなんか無理だよ。ハリウッドとのあまりにも大きな差に落ち込んでしまう。

『アバター』の製作費はある資料では230億円だとあった。まあ、それぐらいかかるだろうなあ。そしてそれをリクープしてなおあまりある収益を生み出しているだろう。

230億とはいかないまでも、3Dのスペクタクル作品ならとにかく製作費がかかるだろう。10億円でも十分大作の日本映画界で、数十億円の製作費なんてありえない。儲からなくていい、という覚悟でもしない限り、3D作品なんてつくれないんだ。

どうしてそんなこと言うのか?それはもちろん、このところ書いてきた映画の収益の仕組みから言えるでしょ。でももっと別の背景もあるよ。日本映画の市場は、世界第二の規模である。でも大作をつくるには小さいの。小さすぎるの。

具体的にはどう書こうか、と悩んでいたら、ちょうどいいサイトがあった。このリンク先を読んでみて。読むのが面倒なら、ページの一番下の表を見れば一目瞭然。

表の2段目に「興行収入」という数字が並んでいる。これが各国の映画の市場規模。(DVDのことは置いといた話ね)世界第2位。だけど世界第1位のアメリカと5倍ぐらい差がついている。ハリウッド映画はその上に、海外の市場がある。というか、この表の日本(1948億円)やフランス(1481億円)の数字にもハリウッド映画が入っている。

つまり、方や国内だけの2000億円の市場、もう一方は国内で1兆円近く、海外はそれ以上で合計2兆円以上の市場。もうぜんぜんかなわない。

日本映画産業は、そういう背景で、3D作品なんか作れないの。作っても市場として元がとれないの。

映画の未来は3Dにあるよ、とジェームズ・キャメロンは教えてくれた。ぼくたちは、そうだね、と答える。でもね、それはあんたたちの国の話ね、とつづける。私たちの国ではそんなの作れないのよ、あれ?だからぼくたちの国の映画には未来はないってこと?教えて、キャメロンさん・・・

ね、絶望するでしょ?・・・・

『アバター』を産める国の強さ〜日本映画産業論その4〜

3D映画に対してぼくは懐疑的だった。疲れるし。でも『アバター』は疲れなかった。ああ、3Dってこういうことなんだ、と思った。これまでの3D映画が、ちょっと勘違いしてたんだ。3Dの価値は、飛び出すことじゃなく、奥行きにあったんだ。

3Dによる映画の描き方のほんとうの意味での指針をこの作品は提示している。目の前に映像が飛び出してほら、すごいでしょ、というのは子供だましだった。(実際、これまでの3D映画は子供向けの作品が中心だった)そうじゃなくて、画面の奥行きがある映像、そこに3Dの価値がある。だからこそ、ディテールに凝る意義もある。最後の戦闘シーンのスペクタクルも、奥行きがあるからこそ新しい見応えになった。

ストーリーもね、『ダンス・ウィズ・ウルブズ』や『ポカホンタス』の焼き直しだという人がいる。その通りだ。その通り、侵略される側の立場で戦争を捉えた物語で、それはこの2作と同じといえば同じだ。

でもぼくが注目したいのは、この世界中で大ヒットを狙ったであろう娯楽大作で、そういうアメリカ史(ひいては旧西洋近代的価値観)へのアンチテーゼになる物語を選び取ったことだ。そういうお話は、賞はとれても大ヒットはしないものだ。それが大大ヒットなのだよ。

つまり『アバター』は、3Dという形式でも、物語の形式でも、それまでのハリウッド映画に対する新しい流れを宣言し、見事に興行的に大成功を果たした、エポックメイキングな映画なのだとぼくは思う。新しい映画づくりに”挑戦”し、結果を出したのだ。

そういう作品評はこれぐらいにして、このブログでぼくがポイントにしたいのは、3Dという新しい潮流を産みだしたのがやっぱりアメリカという国だったということだ。アメリカはちゃんと新しい作品づくりに”投資”できるのだ。

ジェームズ・キャメロンは『タイタニック』以来12年ぶりの公開作となった。その間ぼーっとしてたわけでもなく、ドキュメント作品をつくったりしていたらしい。だがインタビューなどで彼が言っているように、この作品は90年代に構想された。彼は10年待つことができた。

技術が進歩するまで待ったのだという。待ってただけでなく、3Dの手法について研究開発していた。リアリティ・カメラ・システムというこれまでの3D撮影とは別のカメラ・システムを自ら開発したそうだ。そればかりか、新たなパフォーマンス・キャプチャーやデジタル・クローズアップという役者の表情をキャプチャーするシステムも自分で作ったそうだ。これらは役者の演技を緻密にCG化するためのものだ。

それだけではなく、パンドラという星そのものを生態系も含めて創造し、住民であるナヴィの言語までつくった。マジで。一から。キャメロンはそのために何人もの学者を動員したという。

クリエイターが次回作のためにいろんな”開発”をしたのだ。

12年間も新作をつくらずにそんなことをしていた。なんでそんなことできるの?

『タイタニック』は全世界で18億ドルの興行収入を稼いだ。前に書いた記事で『トイストーリー』の契約ではピクサーが興行収入の15%を得る契約をしたらしいと書いたでしょ。『タイタニック』でも同じような契約だったとしよう。少なく見積もって18億ドルの10%がキャメロンの制作会社ライトストームエンタテイメントに入ったとする。1.8億ドルだ。大ざっぱに1ドル=100円とすると180億円だ。

180億円!

それだけあったら”開発”できるよね。いろんなことに投資できる。

ハリウッドの産業の中心は作り手だ。そういうシステムができあがっている。だから作り手に収益が還元され、それを元手に次回作への投資ができる。開発もできる。『アバター』はそういう産業としての土壌から産まれた。

映画監督やプロデューサーが多額の収益を手に入れられる。開発もする。そんなの夢みたい?でもよーく考えてみよう。作り手が収益を手にして次の開発投資をする。そんなの、当たり前じゃない!

ホンダはなぜ二輪メーカーから四輪自動車に脱皮できたの?開発したからだ。トヨタはどうやってハイブリッドエンジンを開発したの?投資したからだ。メーカーは、収益を得て、それを元手に投資し、新たな開発をする。当たり前でしょ?

日本のクリエイターは残念なことに、産業じゃない、メーカーじゃない。だから投資できない。開発しない。

そこにハリウッドとの決定的な差ができてしまったのだよ・・・

長い長い終わりがつづく。はじまりはまだ、はじまらない。〜2000年代の暮れに〜

去年の暮れや今年の初めに書いたことは、なかなか厳しいけど、光明が見えるような、明るいトーンを帯びていた気がする。今年一年を終えてみて、そういう明るい気分は持てなかったなあ。

メディアコンテンツ業界の住人たちは、次に何をすればいいのか。さっぱりわからないよ、というのが今年の結論だった。

痛感しているのは、いままでのシステムがいかに、野放図に大量のお金を循環させてきたかということ。テレビ広告費だけに絞っても2兆円。それがこの二年でたぶん4000億円ぐらい減ったのだと思う。その減り方、急激さにはものすごいものがある。あれだけ能天気だったギョーカイ人たちを一気に気弱な人たちにしてしまった。あるデータによれば、いま会社を辞めたい度合いがいちばん高いのが、マスコミ広告関係の社員なんだとさ。

4000億円、つまり5分の1が急減し、その代わりにこうすれば穴埋めができる、というモデルがない。イメージさえつかめない。さらに、これから数年間、減る傾向はつづく。ほぼ、まちがいなくね。

いやもちろん、インターネットだしケータイで穴埋めするに決まってる。でも具体的な埋め方がどうも見えない。その上、どうやったって埋まらないことがはっきりしてきた。ぼくたちが、とくにクリエイティブな制作物にかけていたお金は、どうもいままでと同じでは絶対にこの先いかないみたいなんだ。

ここでやらないといけないこと、考えないといけないことはたくさんある。

でも、どれもかなりハードルが高い。

例えば、商習慣を変えていかないといけないだろう。どう変えるべきか、ひとことでは言いがたいけど、既存の大きな組織が束ねる仕組みを変えるべきだろう。それはもう、その大きな組織の側も認識しているはずだ。ところがそれは変えにくい。大きな組織みずからも変えにくい。

あるいは、これからはいわゆるクリエイティビティの経済価値を高めないとまずいだろう。だがこれも一筋縄ではいかない。なにしろ「ここにお金がかかります」という要素にみんなで寄ってたかってマージンのっけてきた世界だ。クリエイティビティ?そんなあやふやなもんにお金なんか払ってたまるかよ、と言われてしまうだろう。

業界の大きな再編も必要だろう。ところがこの国はそういう動きへの抵抗が限りなく強い。新陳代謝を起こさないためのシステムが張りめぐらされている。聞くところでは、アメリカでは5700万人がいままでの職を離れ、そのうち5100万人が新しい職に就いたそうだ。600万人があぶれたのだけども、それくらいダイナミックに人材というリソースが動くと、新しい何かもぐいぐい動くのだろう。この国はそういうわけにはいかない。

ただひとつ、救いかもしれないことを言うと、動きは遅いけど、必ず変化は起こる、ということ。政権でさえ変わったのだ。業界だって変わるはずだ。

でも政権がこれから数年混とんとする気配が早くも漂っているように、業界も混とんがつづく。混とんとしながら、煙が微風に乗って結局はある方向に流れるように、かならず動く。あるべき方向にまちがいなく動いていく。

ぼくたちがなすべきは、その煙の動く先を読んで、いちばん出口に近い流れに泳いでいくことだ。

その読み方は、日々の作業になるだろう。毎日アンテナを張りめぐらして、あっちだ!と光をめざしていくことだ。

そのためには、大まかに光の方向を頭に入れておかないといけない。

あなたのそんな動きに少しでも役立てばと、そして自分自身がその光に少しでも近づこうと、ぼくはまだまだ、このブログを書いていこうと思う。

というわけで、みなさん、よいお年を!

つくる行為が資産なのだ(アメリカの場合)〜日本映画産業論その3〜

アメリカと日本では映画産業の中での作り手の地位や立場がちがうらしい。そうとう、根本的にちがうみたい。それは、映画とテレビの歴史のちがいによるみたいなんだね。

はい、ここで話が早い別のページを読んでください。あの池田信夫先生が少し前に書かれた論文『ネットはテレビを飲み込むか』を読んでみましょう。

・・・読んだ?・・・

・・・読んだね。・・・

いまのはぜひ全文を読んでね。それから続いて、こっちの論文も読みましょう。『テレビに明日はあるか』を、こっちはかなり長いので流し読みでけっこう。

“ハリウッド対テレビ”と、その次の”日本の映画産業と放送産業”ぐらいまででもいいから読んでね。

・・・読んだね?・・・

これでだいたいわかったはず。

日本とアメリカでは、映画とテレビの発達史がちがう。

つまり、アメリカでは映画界がテレビを取り込もうとたくらんだ。フィンシン法とプライムタイムルールなどどいう、強引な法律までつくって、映画界がテレビ局に「いいようにはさせないぞ」と闘った。

いやその前に、アメリカでは製作配給と興行が分離させられていた。これも大きい。

アメリカがすげえなあと思うのは、どこかが利権化しようとすると、硬直性を排除しようとする動きが出てきて、しかも認められる。常に変化を強いるような社会性国民性があるんだ。まあ、それはここでは置いておこう。

とにかく、アメリカでは配給と興行が分離していた上に、テレビというプラットフォームを映画界がとりこんだ。

つまりね、アメリカの場合、作り手がビジネスモデルの中心だという前提があるわけ。それにそれは正しいんだ。

ハリウッドの映画会社を、”スタジオ”と呼ぶでしょ。そこに彼らのスタンスが表れている。撮影をする場所、が核なわけ。つまり、つくる現場が中心だと。

日本の映画界は60年代から70年代にかけてテレビが力を持ちはじめた時、ただひたすら排除しようとした。テレビの人たちもきっと、映画界を頼りたかったにちがいないのに、映画界がそれを拒んだ。テレビ界は仕方なく、自分たちでスターを育て、自分たちでコンテンツづくりのノウハウを貯めていった。それがその後の”差”になった。

アメリカのドラマは昔からフィルムで撮影されたものが多い。日本のドラマは時代劇だけがフィルムだった。水戸黄門もつい数年前までフィルム撮影だった。日本の場合はテレビ局が自分でドラマをつくらなきゃならなかったから、自分たちのビデオカメラで撮影していた。

それからもうひとつ、アメリカは国土が広すぎてネットワーク化が不完全だったり、早くからケーブルテレビが発達して多チャンネル文化ができていた。だから番組流通市場ができていた。

そうしたことが重なり合って、アメリカでは放送による広告費で稼げる以上のお金を番組制作にかけ、そのリクープ二次使用の市場でなんとかなった。

そして番組の主体者はテレビ局ではなく、プロデューサーだった。そうなっていった。

日本の場合は、映画界に拒まれたし二次使用の市場がぜんぜん育たなかったから、番組はテレビ局のものになっていった。

そこがちがうの。決定的にちがうの。

そしてその影響は計り知れない。日本のコンテンツ産業のすべてがテレビ局を中心に回るようになったんだから。

というあたりで、また次回ね。なんとなーく、わかってきたでしょ?・・・

興行収入と作り手(アメリカの場合)〜日本映画産業論その2〜

アメリカの場合、興行収入から直接作り手に還元されるらしいんだわ。

これをはっきり知ったのは『メイキング・オブ・ピクサー』という本を読んだ時だった。

この本はすごく面白くって、ピクサーという会社の生い立ちをかなり生々しく語っている。スティーブ・ジョブズがアップルから追い出されたあとで経営していた会社だと伝え聞いてはいたでしょ。でもちょっとちがう。たまたまジョブズが買ったらしいの。そんなに期待してたわけでもなく、CGアニメーションが伸びるって理念を持ってたわけでもない。何度も売ろうとしていたらしい。

ピクサーは、ジョブズの会社になったりしながらも、「いつの日かCGアニメーションで世界中を楽しませたい!」と信じつづけたオタクたちの努力の結晶なんだ。信じつづけるところがえらい。

それはともかく、この本の中で『トイストーリー』の企画がようやく日の目を見て、いよいよディズニーと契約する箇所がある。この本はいま人に貸していて、正確な記述をここで書けないのだけど、だいたいこんなことが書いてあった(はず)。

”『トイストーリー』についてディズニーと交わした契約は決していい条件ではなく、興行収入の15%がピクサーに入るというものだった”

ほんとにうろ覚えなんだけど、そんなことが(たしか)書いてあった。びっくりしたのでよく憶えているのだよ。

えええーーー?!と思った。興行収入の15%!

前に書いたこと、憶えてる?制作側は出資してないとリターンはない。それが日本ルール。『トイストーリー』では制作費はディズニー持ちだとも書いてあった。制作費を負担しないのにリターンがあるの?資本主義の国アメリカで、そんなことが許されるの?

でも、どうやらそうらしいことは前々から噂では聞いていた。だからぼくはこの本で、はっきりそれを記述として確認したのだった。

前に書いたシミュレーションでは、製作費5億円、興行収入20億円だと、劇場公開の段階ではリターンはゼロだったでしょ。でももし、興行収入の15%がリターンされるなら、3億円!えー?!そんなにもらっちゃっていいんすか?

日本映画でもこの方式だと、そうとう状況は変わってくるね。3億円のリターンがあれば、手弁当で参加していたスタッフにも、つまり脚本や監督だけでなく、照明さんとか衣装さんとかにも還元できるね。そしたらさあ、また次がんばっちゃおうかなって気になるでしょ。働きたいって人も増えるんじゃないかな。

制作会社は半分の1億5千万くらいは残して、次の企画に投資もできるね。落ち着いて企画ができるよ。やみくもに小説を映画化したりなんかしないで、オリジナル脚本を練りに練って仕上げられる。あるいは、才能ある若者に企画料渡して開発させられる。なんか全然状況が変わるんじゃないかな。

・・・うーんしかし、どうしてアメリカと日本はこんなにちがうのだろう。この方式の違いが産業としての興隆のちがいにつながっているんじゃないか。

それはもちろん、そもそも文化がちがうから、なわけだけど、産業としての歴史、そしてマーケットの規模のちがいが作用しているらしい。らしい、ってのはぼくもはっきり解明できてないってことなんだけど、知ってるなりのことをまた書くね・・・

興行収入は作り手にどう還元されるかの補足〜日本映画産業論その1.95〜

前回のシミュレーションの例は、製作費が5億円、興行収入が30億円だった。

これはものすごく幸福な例だ。どれくらい幸福なのかというと。

日本映画製作者連盟という団体が毎年1月末に、前の年の日本映画のデータを発表している。例えば2008年で興行収入が30億円を越えた作品の数は?・・・11本だ。ではその年に公開された日本映画の数は?・・・418本だ。

つまり日本映画の大半は、こないだ書いた例ほどには儲かっていない。

興行収入20億円でトントンだったね。では2008年で20億円以上30億円以下の映画は何本か?・・・4本だ。

ものすごく大ざっぱに言えば、もしすべての映画が製作費5億円だとすると、残りの400本以上の作品はトントンにもならなかったってわけ。

もちろん、すべての映画が製作費5億円ってわけじゃない。

興行収入が20億とか30億の作品は、製作費5億円では済まない、ことが多い。ヒットを狙う作品はスターがいっぱい出たり、スペクタクルな映像にどうしてもお金がかかる。製作費が多くかかる作品はもとをとるにも興収のハードルが上がる。

そこまで狙わない作品はまた、製作費を5億円もかけない。3億円、2億円、いや平均とると1億円ぐらいじゃないのかな?製作費のデータはないのでわからないが、けっこうそんなところだろう。製作費が低いと、制作会社が残せる利益も当然少なくなりがちだ。

つまり、大半の作品は作り手が制作利益で儲けにくい。というか無理して作っている。ヒットを狙うものは製作費はかけるけどその分、興行収入からのリターンは得にくくなる。

どっちにしろ、作り手はあんまり儲からない構造になってしまっているのだ。

そこをDVD販売で補っていた。DVD販売はシミュレーションしにくいのだけど、まあ何億かは委員会に入る。大ヒットすると7億とか8億とか。まあまあだったね、だと2億とか3億とか入る。ヒットしそうな作品はビデオ販売会社がMG(ミニマムギャランティ)を出してくれる。すると、数億円があらかじめ約束される。

興行収入でトントンだったなら、DVD収入から5%とかの成功報酬が入る。3億だと1500万だね。出資もしていればその分も追加で入る。10%なら3000万か。

これも、大ヒットだねとか、まあまあだったね、の話で、そんなにDVD収入が見込めるのはやはり、興行収入が10億円くらいまで。それは2008年だと30本程度。残りは、DVD収入もごく僅かだ。

その上、このところ急激にDVDが売れなくなってきている。かなり激しく。映画のDVD化で入る収入が、これまでの8割とか7割とか、になってきている。

てな感じで、作り手は儲からない。あんまり儲からないんだよ。

てことを理解してもらった上で、じゃあ日本と世界は何が違うの?という話に移っていこう・・・

興行収入は作り手にどう還元されるか完結編〜日本映画産業論その1.9〜

興行収入はなかなか作り手に還元されないぜ、という話を書いてきた。

しかし書いている事例が悪いんじゃないの?うん、それはある。トントンじゃあねえ。

じゃ、こうしよう。思いきって、興行収入が20億じゃなく30億円になった。その前提で考え直そう。

前に教えたでしょ、公式。みなさんも計算できるんじゃない?えーっと・・・
興行収入30億円ー15億円(劇場取り分50%)ー4.5億円(配給手数料30%)ー2億円(A&P料)=8.5億円

製作費が5億円だったから、8.5億円ー5億円=3.5億円

あ、これはなんかいいぞ。まず元とってまだ利益が残ってる。・・・30億円の大大ヒットなのにA&Pが2億円ってのはちょっとありえないか。ま、そこはおいとこう。シミュレーションだから。

とにかく3.5億円も利益が残った。そこから作り手にはいくら還元されるの?

うーん、まず基本的に、この利益は製作委員会が手にするものだ。え?そうなの?そうなの!だから作り手が製作委員会に参加していないと、つまり出資していないと、還元されない。余計な利益は手にできない。そうなの?ひどーい。

ってんで、最近は作り手(=制作会社)に成功報酬が契約で設定してある場合も多い。これは5%とか10%とか、さまざまね。30億ぐらいのヒットがあらかじめ見込める作品だと、5%くらいかなー。

というわけで、3.5億円の5%=1750万円が作り手に還元される。これはうれしいね。ボーナス出せるね。少しはね。

あれ、でも残りはどうなるの?まず幹事会社つまりいちばん多く出資して責任をいちばん負ってる会社が幹事手数料を持っていく。これもケースバイケースで、だいたいはテレビ局が幹事となり、少ない時は2%、多い時は10%とる。この場合、3%だとすると、1050万円、よかったね。

3.5億円から1750万円と1050万円を引いた残り3億22百万円。これを出資比率に応じて分ける。50%出した(と仮定して)テレビ局は1億61百万円。さっきの1050万円と合わせると1億7150万円だ、おめでとう。30%出した配給会社は9660万円だ。配給手数料と合わせて約5.5億だね、すごいねー。あとは出版社と広告代理店とビデオ販売会社が残りを分け合ったんだって。みんな儲かって良かった良かった。

・・・おや?なんかさー、テレビ局や配給会社が何億も利益出してるのに比べて、作り手代表の制作会社は?1750万円?これでおしまい?何言ってるんすか、あんたのとこは5億円渡したじゃないすか、5億円。それで好きなことやってスーツ着なくて良くて現場楽しそうで、いいじゃないすか。えっと、でも5億円は9割方使っちゃって、いちおう5000万粗利出してるけど、この3年間のこの作品の人件費と会社経費を差引くと・・・いや、だから成功報酬1750万円ももらえたじゃない、いいじゃなーい。ええ、うれしいっすけど・・・

てことで、最近は制作会社が出資する動きも出てきた。もしいまのケースで10%出資していれば、成功報酬と合わせて5000万の利益にはなる。まあ、これなら3年間費やして準備して脚本書いてもらって委員会で揉んでまた書き直してキャスト交渉してスタッフ集めてセット組んでCG制作して撮影してロケ場所確保して人止めてエキストラ集めて音入れして仕上げて完成披露やって公開にこぎつけた苦労も報われる・・・のかな?

まあ結局、資本主義社会なのだし、出資を大きくしないとね、リスクとらないとリターンも薄いわけで仕方ないんじゃないすか?まあ、もちろん、そう。基本はそう。ぼくも資本主義賛成。むしろ市場原理主義賛成。友愛反対。それはそうなの。

そうなんだけど、なんだろう、この徒労感は・・・

そいでね、調べていくと、これは少し、世界の常識とは、ちがうらしいんだな・・・てわけで、いよいよ日本映画産業論その2へ進もう・・・

興行収入は作り手にどう還元されるかのつづきのつづき〜日本映画産業論その1.7〜

興行収入で20億円のヒットとなった、というケースを例に語ってきた。言っとくけど別にこれ、特定の作品じゃないからね。あくまで一般論。

製作費は5億円と仮定した。そうすると劇場からの収入では出資者である”製作委員会”にはお金は残らずトントンだと。でも作った人たちには製作費5億円が支払われている。5億円!だったらいいんじゃない?って気になってくるよね。

でもね、映画ってお金がかかるんだ。すげえかかるんだ。

この製作費は映画制作に責任を負っている会社、つまり制作会社とか制作プロダクションとかいわれる会社に入るわけだ。そこには制作を実際に進行するプロデューサーがいて、彼がそのお金を使って制作を進めていく。

はい、ここで豆知識。いま”映画をつくる”ことに関して”製作”と書いたり”制作”と書いたりしたでしょ。これはランダムに変換しているわけではない。製作と制作を使い分けているの。

製作、つまり”衣”のつく方は、出資する人を軸にした作業を言う。そして制作、つまり”衣”のつかない方は具体的な映画づくり、脚本を進めたりスタッフィングをしたりスタジオをおさえたりスケジュールを管理したり、そういう時に使う。

いつからかは知らないけど、そういう使い分けを映画業界ではしているらしい。はい豆知識終了。

で、とにかく5億円は”制作”側が使う。5億円もあったら余裕綽々でつくれそう。でも意外にそうでもないんだな。

映画は”絵”を作る作業だ。いろんなところにいろんな方向のお金がかかる。

いちばんお金がかかるのは広義での美術費にかかる。ようするに、セットやCGだね。

映画はセットをこさえて作るんだ。なにげに各場面に出てくる街並みだの家の中だの、なんとなーくみてるとわかんないだろうけど、その場所そのものがつくりものだ。未来の町、昔の町、そして現代の町でも、セットだったりする。そしてそこには莫大なお金がかかる。

だって考えてみて。家を一軒だけ建てるのに何千万円かかかるわけで。それが並んでる。いわゆる書割りで裏が平べったかったとしても、見応えのある映像にするにはかなり作り込まないといけない。

実際につくるのにはお金がかかりすぎるね、というので最近はCGがかなり使われる。コンピュータ上の絵だから実際に作るよりはそりゃ安く済む、っていったって、やっぱりスクリーンでどーんと見せてリアルにするには細かな動きまで、結局はつくりこむ。CGでもかなり時間とお金がかかってくる。

映画にはそんな風にあちこちに意外にお金がかかる。そしてまた人件費には意外にお金をかけられない。

例えばメインのスタッフ、監督とか脚本とかカメラマンには3百万とか5百万とか1千万とか、まあその人のランクによっていろいろだけど、そんなとこ。監督に5百万って高いと思う?でもね、映画監督ってすごい長丁場の作業なんだ。2年とか3年とかかかる。撮影前もなんだかんだ準備に時間とエネルギーをとられる。撮影に入ると2ヶ月とか毎日やることがある。仕上げまでにまたやることいっぱい出てくる。

次から次にこなしたとしても、多少は複数案件を走らせたとしても、5百万円は決して高くはない。でも何千万も払えない。

そんな感じで、人件費にはあまりお金をかけられないとかいろいろありつつ、5億円は決して法外ではない。かけ過ぎではない。

だから、5億円の製作費で、作り手たちは四苦八苦しながらなんとか乗りきる。制作会社はもちろん利益を残して使うだろう。でもなかなか多くは残せない。例え10%の5千万残せたとしても、2年とか3年とかの人件費だなんだかんだを考えると、ちっともウハウハじゃないわけ。

もっと言えば、5億円はいい方だ。3億円とか2億円とか、それぐらいの方が多い。

というわけで、5億円で作った映画が20億円の興行収入になっても、作り手には大して還元されないんだ。

ここまでは、あくまで劇場での収入はね、という話だった。この先にはまだ奥がある。奥まで行っても、結局は作り手には大して還元されないんだけど、もう少し奥まで語るね。あ、でもそれは次回にね・・・

興行収入は作り手にどう還元されるかのつづき〜日本映画産業論その1.5〜

前回、20億の興行収入の映画が、そのあとどうなるかを書いた。製作費に5億円かかってたとしたらプラマイゼロだぜ!

実際にはDVDで利益が出たりはするので、がっかりしなくてもいいよ。あくまで興行収入、つまり劇場公開でどうなるかを書いたのだからね。

ところで、本題は、興行収入は作り手にどう還元されるか、だったね。前回は製作委員会にお金がいくら戻ってくるかを書いた。製作委員会と作り手は同じなの?ちがうの?

正解は、同じといえば同じだけど、ちがうといえばちがう。あ、ぜんぜん意味わかんないね。

作り手=製作費を出した人たち、と考えると、同じってこと。でも、作り手=実際に映画をつくる作業を担った人たち、と考えると、ちがう。

製作委員会とはそもそも何なのだろう?これは一種の匿名組合なのだ。匿名組合とか言うとますます意味が分からないので、いくつかの事業者が少しずつお金を出し合って組成された集団、と書こう。

一般的なのは、テレビ局と配給会社がまず2大勢力だ。これにビデオ会社が加わったり、原作小説の出版社も参加したり、広告代理店も手を上げたり、いろいろ入る。最近は主演俳優が所属する芸能プロダクションも加わったり、Yahoo!も入ったり、プレイヤーの種類は増えている。

で、製作費を出し合うわけ。テレビ局がいちばん多く出す傾向が強い。配給会社もその次ぐらいの出し手。この2社で7割ぐらいは出すことが多い。残りは参加プレイヤーでそれぞれ1割とか5%とか。

いちばん多く出資した人が幹事会社になる。幹事は主たる責任を負うし、お金の管理もする。匿名組合で会社をつくるわけではないので、幹事会社の口座でお金を管理するわけね。テレビ局がかんでる映画は、テレビ局が幹事の場合が多い。

製作委員会に戻ってきたお金は、幹事会社の管理のもと、出資比率に応じて分け合う。これはビジネスなんだから当然だろうね。

ん?をいをい。じゃあ作り手はどうよ。

映画の作り手って誰でしょう?これがねえ、いっぱいいるよね。みんなすぐ監督だ!って思うでしょ?それからプロデューサーとか脚本家とか・・・あとは?・・・ふつう、それくらいまでしかイメージできないよね。でもカメラマンとか照明さんとか助監督とかプロデューサーの下とか、何しろ一本の映画のスタッフは何百人にもなる。

ぼくが言う作り手は、そういう人たち。

彼らには興行収入は還元されないの?

ベーシックな答えは・・・還元されません・・・

えー?そうなの?って思った?いや、思って欲しくて書いてるんだけど、そうなのです。

映画の興行収入は狭義の作り手(実際に作る作業をした人たち)には還元されない(基本的には)。

そ、そんなあ!あ、でもちょっと待ってね、この映画は製作費5億円。つまり、興行収入は還元されないけど、5億円の製作費がスタッフ(だけじゃないけど)に支払われている。

なーんだそうか、安心した。ホッとした。だったらいいじゃない。だって製作委員会にはそもそも戻ってこなかったわけでしょ?お金を出した人たちは、トントンになったんだから損はしてないし、ほんとの作り手にギャラは支払われているし、めでたしめでたし、じゃないの?

うんそうだよ、そうなんだけどね、ぼくが言いたいのはそのもっと奥の話。でもまた長くなっちゃったから、続きはまた次回ね。ごめん、長くって・・・