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コピーライター→映像製作会社ロボット→広告代理店ビデオプロモーション→再びコピーライター(フリーランス)。 メディアとコンテンツの未来を切り拓くコミュニケーションをデザインします。講演・執筆依頼もお気軽に!

息苦しいのは、互いに首を絞めあっているからだ。

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大学時代、というのはぼくの場合もう30年も前の話だけど、キャンパスには政治セクトが跋扈していた。それらはほぼすべて左翼系で、ひところはけっこう過激な活動もしていたようだが、80年代にはそこそこ穏健な団体になっていた。彼らを通して、全共闘時代の学生運動の残り香のようなものを嗅ぎ取ることができた。でもそれはすでに”歴史”の一部であり、ああ、ああいう感じの活動が盛んだったんだなあと遺跡を見るように眺めていた。

それでも、彼らは立て看板にラディカルなメッセージを書いてはキャンパスのあちこちに立てかけて、存在感を示そうとしていた。そこに書かれた文字は”立て看文字”と呼ばれ独特の、めいっぱい血圧の高いゴシック体のような書体だった。書体からあふれかえる時代錯誤ぶりが面白かった。

立て看板は、政権が替わるたびに「打倒!○○政権!」などと書かれていた。「米帝の手先○○首相を粉砕!」というお決まりのパターンで、要するにどの政権でもまず批判するのだ。批判することが彼らのアイデンティティ。権力がいてそれに抗うことではじめて彼らの主張が成立する。そういう、結局それって主張なの?と疑問を呈したくなる主張を繰り返していた。普通の学生は、立て看を見てあきれ返ったり苦笑いを浮かべたりしつつ、その5メートル以内には近づかないように遠ざけていた。

政治セクトはそういう左翼なのだが、それとは別に、ある宗教団体の学生組織もひとつの勢力をなしていた。これが宗教団体なのに政治色も持っていて、旗印は反共。つまり、左翼系学生団体と主張が対立していた。彼らはよくキャンパスで揉めていた。

とくにハチマキやヘルメットなんかもまとわず、わりと普通に鈍くさい学生らしい格好をしているのだけど、ちょっとした小突きあいをして揉めたりした。左翼系の方が7〜8名で、3名ほどの反共宗教団体を取り囲み、「あー!君たちはいまぼくの腕をつかみましたね!」となにやら非難していた。押され気味の宗教団体側は追い込まれたもので苦し紛れに左翼系のひとりのメガネを奪ったりする。奪われた者は必要以上に大袈裟に「こら!メガネを返せ!みなさん、いまこの男が私のメガネを奪いました!彼は暴力を振るいました!」と非難する。周囲のぼくたちに訴えているのだ。メガネを奪った側は「いまもう、返したじゃないですか」と防戦。でも左翼系は「君は暴力を振るいました!学内から出ていってください!」と何の権限もないくせに息巻く。

そんな感じの小競り合いがけっこう起こっていた。でもまあ、暴力といってもこの程度なので大したことないのだ。見ているぼくたちは、なんてどうしようもないことかと冷めて見つめていた。

朝日新聞が従軍慰安婦報道や吉田調書報道について誤りを認めたり社長が謝罪会見を開いたりしたのには驚いた。ぼくの中で学生時代のひたすら反権力しか主張しない左翼系セクトたちと朝日新聞はつながって見えていた。30年前からずっと左翼系の言説に中身は感じられず、反権力という立ち位置以上でも以下でもないとしか見えなかった。権力を批判することのみに生き甲斐を感じている人たちだと思っていた。

朝日はそうした左翼的言論の象徴的存在だったが、どのマスメディアにも反権力アイデンティティを多かれ少なかれ感じていた。みんな弱者似寄り添い庶民の味方だという。でも結局、何が主張なのかわからない。いまいろんな番組にご意見番的に出てくる新聞社や通信社のOBのおじさんたちも、ぼくには朝日とそんなに変わらないようにしか見えない。日本のジャーナリズムを乱暴に括ると弱者に寄り添い反権力を標榜すること以上には何も言ってない人びとだったと思う。

その代表選手である朝日は絶対に非を認めない、はずだった。なのに謝ったことが驚きだった。そうせざるをえないくらい部数の減少に歯止めがかからないのだろう。

謝罪後に朝日新聞の記者達のツイートを追ってみると、真摯に反省し悩んだり改革を唱えたりする人が多くそこには救いを感じたが、何人かは驚くことに何を反省すべきかわかっておらず、相変わらず政治セクトと同じだなあと思った。反権力や弱者の味方に力点を置きすぎたことが誤った記事を生んだのに、「それでも反権力を」的なことを言ってるツイートを見てますます幻滅した。

そんな朝日に対し他のメディアが包囲網をしくようにタッグを組んで総攻撃している。どこかで見た風景だと思ったら、さっき書いたキャンパスでの左右団体の小競り合いだった。「みなさん!彼は暴力を振るいました!」とマヌケな主張をしていた学生と同じようにこぞって「みなさん!朝日はこんなことをしでかしました!」と世間に訴えている。

五十歩くらい譲ると週刊文春だけは声高に言うのも有りだとは思う。長年はっきり朝日と戦ってきたから。鬼の首をとったような気持ちになろうというものだろう。

でも総じて、くだらない小競り合いをしているだけで、朝日を非難すればするほど、”似たようなやつら”扱いされてしまうだろう。朝日は今回大きく信頼を失ったが、その朝日を非難する他のメディアも、喝采を浴びているわけではなく「そういうあんたもどうでもいいよ」と思われてしまうのに気づいた方がいい。

いまこの2014年という時に、新聞雑誌の紙をベースにしてきたジャーナリズムがいよいよ危うい状況になっている。雑誌をわざわざ書店で買う人は減り、新聞はとっていたとしてもスマホで読んじゃう人が増えている。それはメディアの信頼とはまったく別の、利便性の問題でそうなっている。そこに加えてくだらない小競り合いをしていると、一時的に部数が増えたとしても、やがて引かれる。もういいよ、あんたたち。勝手に揉めててよ。そう言われてしまうだろう。

そしてさらに広げて考えると、非難しあい小競り合いばかりしているのはメディアだけでなく、ぼくたちみんなだ。お互いのあら探しばかりして、少しでも見つけたら「あー!みなさん!この男はこんな失礼なこと書いてます!」と鬼の首をとったように指摘する。今日は非難する側だったが明日は非難される側になるかもしれない。そうやってぼくたちは、お互いに首を絞めあっているのだ。なーんだか最近息苦しいなあと思ったら、自分があいつの首を絞め、あいつが自分の首を絞めているからだ。

ネットが整い、ソーシャルが普及して、ぼくたちは何について何を言ってもいいしそれが見知らぬ人に届くこともあるようになった。そんな素晴らしく自由なはずの言論環境ができ上がって、ぼくたちがやっているのは罵り合いだ。30年前のキャンパスのセクトの連中や、朝日とそれを突き回すメディアと大して変わらない。その結果、自分自身の呼吸が息苦しくなっている。

ぼくたちはもっと建設的な議論ができるはずだ。罵り合いではなく、まっとうな主張を積み上げあうような、そこから新しい理念や制度が生まれるような場を、どうしたらつくれるのか。30年の不毛な議論のあとで、ぼくたちがめざすべきなのはそこだと思う。

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仕事のための仕事が、大仕事になっている。

shigotokaidanこのところ育児について書いているのだけど、母親の育児のしんどさを考えていき、それに加えて父親が育児に参加できてないのはなぜかなどと考えていくと、ワークライフバランスの話に行き着く。

例えば家事ハラの議論が出たり、逆に男もつらいって話も噴出したりするにつけても、男性の働き方がそもそもおかしいんじゃないかという論になっていく。

それもこれもあれも、すべての問題は、日本の会社と会社員の関係のイビツさに行き着くと思う。簡単に言えば、日本の男子は会社に長時間居すぎるのだ。会社からかんたんに帰れないから、毎晩9時10時11時果ては午前様では、育児に参加できるわけがない。それが日本の子育てを息苦しくし、ややこしくしている。

少し前にハフィントンポストに載った靴屋さちこさんの記事「午後4時に退社? フィンランド人が徹底的に効率よく働く理由とは」では、フィンランドのビジネスマンが残業しなくてもかえって効率的に働いている様子が描かれていた。それと比べてしまうと、日本人は働き方が効率悪いということになる。

個々人の働き方もあるが、日本の会社という集団が持つ文化が効率性や合理性を著しく欠いているからだと思う。そう、かなり”文化”の問題なのではないだろうか。

会社という集団には、仕事と同じくらい、仕事のための仕事が多い。

例えば仕事を進める上で、”決める”というプロセスが必要になる。何度も何度も必要になる。そのたびに、”決める”ための仕事が発生する。これに、本来の”決める”のに必要な時間とエネルギー以上が費やされることになる。

何より、決めるための決め方がはっきりしていない。ある業務の、ある決定事項を、誰が決めるのか決まっていないのだ。

担当者が決めれば済む。でも自分一人で決めるわけにはいかない、ということで、所属チームのみんなの意見を聞く。担当者より下位の人間の意見も気にしたりする。意見を聞けば聞くほど、決まらなくなる。スケジュールが一週間延びる。

ようやくチームの決定が出るのだが、担当者がちょっと待てよと思いとどまる。上長にも意見を聞いておくかとか言いだす。聞いてしまう。いまそこを聞かなくてもあとで全部まとまってから聞いてもいいことでも、つい聞いてしまう。聞かれた上長も、勝手に進めてくれればいいと思っていたのだが、意見を聞かれたもので「かくかくしかじかじゃないか」などと思いつきで言ってみたりする。言われた担当者は何しろ上長が言ったことなので真芯で受け止めて意見を反映させようと差し戻す。それで作業が増えスケジュールが一週間延びる。

上長の意見を反映させたもので進めようとするがそこで担当者は待てよ、とうっかり考えてしまう。この案件は間接的にあっちの部署にも関わるぞ、意見を聞いておかないとあとあと何かあるかも、などと気を回してしまいあっちの部署にも聞いてしまう。聞かれたあっちの部署でもまた聞かれた担当者がチームのみんなに聞き、上長にも聞いたりと同じ経過で時間がかかり、新たな意見を言ってくる。これを最初の担当者がまた真に受けて意見を反映させる。また作業が増えて一週間遅れた。

でもこれで決定だなと進めればいいのにさらに担当者がリスクヘッジでいちおう進捗を簡易に報告書にまとめて上長に渡す。あとあと誰かに何か言われないようにと考えてのことだ。渡された上長も、渡されたからには報告しておいた方がいいなと担当役員にそれを渡してしまう。担当役員はたまたま類似案件を前にやったことがあるのでそこそこ詳しい領域だったりする。なんだなんだこのやり方はなどと意見したくなってしまう。

報告書に担当役員の意見が添えられて担当者に戻ってくる。あちゃー、これ反映させないわけにはいかんやん、とさらに一週間作業が遅れてしまう。

ここまでで一カ月遅れてしまい、納期がもう延ばせなくなってきたのでチーム全員で毎晩残業してしまう。

そうやって苦労して納期延期してやっと終わったと思っていたところに、社長の意見が下りてきて・・・と、もはや終わりが見えなくなってしまう。ようやく完了した時には、誰の意志で何をめざしていた作業か、担当者にもわからなくなっている。

かなり誇張して書いているが、多かれ少なかれあなたの会社にも起こっていないだろうか。

日本の会社は万事そんな感じなので、その組織の中で話を通せる、調整できることがひとつの能力として認識されている。ここでの調整力とは、その組織の中で誰が重要で、どんな話を着地させる時に誰に話を通しておけばいいか知っていることだ。ものすごく組織に依存したことで、一般性のある能力とは言えない。でもその組織の中ではとても重要視される能力だ。明文化すれば共有できるのだが、あまりにそれぞれ微妙なので明文化できず個人に依存した特殊能力になる。

そんな仕事のための仕事が上手な人はほんとに多いし、評価もされている。・・・でもそれって何なの?どうなの?それは一般的な意味で能力と言えるのだろうか。

会議なんてのも、半分は組織運営上必要だが、半分は仕事のための仕事に陥っているだろう。会議には議論して物事を進めるために行うものと、情報共有のために定例的にやるものとがある。

情報共有なんていまやグループウェアや社内SNSがいろいろできていてしかも安い。だから会議を減らしてそういうツールで代用できる。ところが、そういうやり方に拒否反応を示す人が多い。うーん・・・でもやっぱりコミュニケーションは顔を突き合わせてだなあ。もちろんそうだ!だから直接会うのとITツールをうまく組合せれば断然効率的になる、ということなのだが、なぜか拒否反応側の人はすぐ、ITを導入すると直接のコミュニケーションがすべて代替されるのだと極端に受け止める。

かくして、グループウェアを導入するかについて、会議が何度も何度も行われることになる。

物事を決める会議も、その会議の運営者や責任者が曖昧になることが多い。よし、あいつとこいつとそいつで集まって会議しよう!あいつを呼ぶってことは、上長のA部長はどうしましょう。うーん、じゃあAさんも声かけてくれ。こいつとそいつを呼ぶなら、B部長とC部長も呼ばなきゃな。ABC部長が揃うのに、X本部長は呼ばなくていいですか?もちろん呼べ!

かくて4人で済むはずの会議が、会社のえらい人がけっこう揃っちゃう十数名の会議になる。会議を招集した人はとにかく集まればいいと考えていた。4人の会議ならそれでよかっただろうが、十数名が集まると、進行役がしっかりしてないと進まない。ところがその会議で突然「じゃあ山田進行役やれ!」てなことを突然言われるもんで山田が「ええー?!」とビビりつつアジェンダ設定抜きで会議が始まる。だがなにしろ、部長が3人いて本部長までいるのでみんな意見が言いにくい。それでも頑張って出てきた意見に対し、A部長が「それはだなあ」と言いだす。こうなると部長級しか意見が出せなくなり、最後に本部長がそれまでの議論をまったく無視したことを言うもんで、2時間費やして出た結論は、担当チームで議論して決めたことを次回の会議で検討する、というもの。だんだん、何を議論して何を決めるべきだったのか、わからなくなってくる。

こういった非効率な会社の文化は、二十年前からある。90年代から日本中の会社がだいたいこんな感じだった。

そして驚くべきことに、二十年後の今も、だいたいこんな感じだ。社員が何万人もいる一流大企業でも、その中でも上層部のエリート部署でも、だいたいこうだ。二十年の間に上場して立派な企業になったようなとこでも同じ。そして厄介なのは、上場企業ほど、コンプライアンスだガバナンスだのをめんどくさく解釈しちゃって、こんな感じが増幅している。コンプライアンスだガバナンスだが、上場企業の効率性を下げている。本末転倒ではないか。

こうした非効率な企業文化を変える手だては、ちょっとした書店に行くと山ほどビジネス書があってそれぞれ納得の処方せんが書いてある。でも書いてあることをそのまま会社に持ち込もうとしても、ウザがられるだけだ。会社のトップもしくは実力者が本気で「このままじゃいけない」と思わないと変わらないのだから。あれ?そうすると、だったら変わらないという結論になってしまうなあ。

ということは男性はこれから先も会社に縛られつづけ、育児に関われない状態も変わらないのだろうか。

どうしたらいいと思いますか、みなさん?

見出しをコピーのように書き、ビジュアルも企画性のあるものを作るシリーズ。ちょっと間があいてしまったが、そのやり方での久しぶりの記事となった。BeeStaffCompanyのアートディレクター上田豪氏と取組んできた。この手法で広告の仕事もやってみたいんだけどなあ。興味ある方いたら、連絡ください。

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「おれが食わせてやってる」時代はおしまい〜AERA特集「男がつらい」勝手に連動記事〜

「仕事が面白かったってだけなのかなあ」

1998年、『あ、春』という地味な映画が地味に公開された。佐藤浩市・斉藤由貴が小さな子を持つ夫婦の役で、バリバリ働く証券マンと育ちのいい専業主婦。そこに、山崎努演じる不気味なじじいが現れて、おれはお前の父親だと言いだした。幼い頃に亡くなったって聞いてたのにどういうわけさ・・・というお話。相米慎二監督の、地味だったけど名作映画で、キネ旬ベストワンに選ばれている。うまくいってると思ってた家庭が、不気味な親父の登場で揺れちゃってという、辛辣だけど温かい物語。じわっと来ます。

冒頭のひと言は、佐藤浩市が斉藤由貴に、あなたは私たちのこと見てないじゃない、と問いつめられてぼそりと言ったセリフだ。

下の子どもが生まれたばかりだったぼくは、これを聞いて、そうかあ、そうだなあ、言われてみるとその通りだわ、となんだか痛いところ突かれた気がした。言われてしまった感じ。

男は、家族のために仕事を頑張ってるんだ。家庭を省みろと言うが、お前たちのためなんだ。そんないつもの言い草に対して自問自答した答えが「面白いから・・・かな?」というものだった。おれはつらいけどお前たちのために耐えてるんだぞ、と言うのは言い訳に過ぎないかもしれない。だって仕事は、うまくいかなかったりチクショー!と歯がゆい思いをするところも含めて、面白いよな。

今週のAERAで「男がつらい」という特集記事を読みながら、ぼくはこの映画のこのセリフを思い出した。他のどのシーンよりもこのセリフをよーく憶えていて、時々頭をよぎるのだ。

いま「男がつらい」のだそうだ。のだそうだと言うと他人事みたいだが、そうだな、そうだろうなと強く思う。特集記事に出てくるのは仕事も家事も育児も完璧に頑張ろうとして、かえって空回りして上滑りし、妻にも会社にも冷たい目で見られてしまう若いイクメンたちだ。うーん、わかるけど、完璧めざさない方がいいよー、と思ってしまう。

一方、後半には”ゼロメン”の話も出てくる。ゼロメン?それはイクメンに対して育児も家事も何もやろうとしない家庭参加ゼロのメンズのことだそうだ。意外にゼロメンは、若い層にもいるらしい。育った家庭の父親がゼロメンだと、息子にも連鎖していくのではといういささか心配しすぎに思える記事だったが、そういう傾向があるのは否めないかもね。

女性の力を社会に生かそう、という動きがここへ来てどんどん出てきて、それはいいことなんだけど、その流れは「共働きなのにあなたは家事やらないわけ?」と男性に矛先が向いてきた。そこで前向きにイクメンを胸張って言う男性が増えてきたのはいいけど、すんなりとはいかない。それがこのAERAの特集となった。

実は前に取材に来てくれたAERA小林記者からこの特集に取組んでいることは聞いていて、「NHKに先にやられちゃいました、ちっ」と悔しがっていた。そう、NHKクロ現ことクローズアップ現代で7月末に「男はつらいよ2014」という、クロ現らしからぬタイトルで非常に近いテーマを扱っていた。複数のメディアがこのテーマを取り上げるのは、そういうタイミングなのだろう。

男は仕事頑張ってなんぼだろ、という旧来の価値観と、いきなりここ数年で家事や育児も頑張らなきゃダメ男だ、みたいなことになって、相反する男像の板挟みになってる。

家事や育児もやった方がいいに決まってる。さすがにゼロメンはもうありえない。でも一方で、働き方の常識が変わらない限り家事や育児に十分関わりにくい。会社という24時間男たちを拘束する、もはやイビツと言っていいシステムがいまのままでは、男性の板挟みは続くだろう。ぼくは、いまの家庭生活の問題点のほとんどが、この会社と男性の密すぎる関係にあると思う。

ではこれから、男たちが家庭にどこまでどう関わればいいか?正解はないとぼくは思う。どこまで行っても男は女にごめんなさいだし、女は男に納得できないんじゃないだろうか。どうして察してくれないの?と叱られつづけてるくらいの方がいいんじゃないかな。何かあったら、すかさず謝る。「女と男じゃ、男が悪い」のだ。

ただひとつだけ、男が噛みしめるべきなのが、冒頭のセリフ。家族のためにつらいのを我慢して仕事してるなんて考え方は、やめておこう。ウソだから。仕事は、面白いからやってるんだよ。

おれが食わせてやってるんだ。そんな意識はもう捨てよう。それは年功序列で終身雇用だったから言えたにすぎない。この先いつかしんどくなる。食わせてやってると思うから、会社にしがみつかなきゃならなくなる。不本意な何かを受け入れざるをえなくなる。そして何より、食わせてやってるんだと言ったところで、妻からの信頼や尊敬はまったく得られない。そんなことより、家族と一緒の時間を大事にする方が、信頼されるし喜んでもらえる。

プロ野球でアメリカから呼ばれた助っ人大リーガーが、家族に何かあるとペナントレースをほったらかしてとっとと帰国することはよくある。アメリカの男は、家族と仕事とどっちがだいじか問われたら、家族に決まってる!と考えているのだろう。シーズン途中で無責任な!というとらえ方が変なのだ。

男らしさ、というものはぼくなりに必要なものだと思っている。家族を守るのは男の務めだと思う。ただ、家族を守ることは、おれが食わせてやってる、ことではない。家族のために頑張ってるのだから、家族のことには関わらないのは仕方ないだろう、というのはよく考えると本末転倒なのだ。

なんてカッコいいこと書いたのをぼくの妻が見たら、あら?あなたそんなに家庭に関わってくれてたかしら?と突っ込まれそうだ。はいすみません。もう少しは頑張ります。

※この記事は「赤ちゃんにきびしい国で、赤ちゃんが増えるはずがない」の関連記事です。このシリーズのFacebookページをつくりました。興味があったら下をクリックしてください。
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テレビ広告にもアドテクの時代がやって来るのか、どうなのか?〜SocialTV Conference2014へ向けて〜

ACRという技術について、何度かこのブログでも書いてきた。

Auto Content Recognitionの略で、”自動的にコンテンツを認識する仕組み”という意味だ。代表的なものではShazamというアプリがある。

スマートフォンでダウンロードしてもらえばすぐわかるのだが、音楽が聞こえている時、Shazamを起ち上げて聞かせると、誰のなんという曲かを教えてくれる。

指紋を読み取るようにあらゆる音楽を記憶しているサーバーがあり、聞こえてきた曲と照らし合わせるのだ。だからそういう技術の総称を”Finger Print”と呼んだりする。

Shazamと同じくらい世界的に知られているACR技術がGracenote社のものだ。アメリカの企業だが日本にもブランチがあり活動している。

GracenoteのFingerprintはテレビにも使える。さてここからが本題なのだが、テレビのACR技術を駆使することで、テレビCMにターゲティングの手法を加えることが”理論上”可能となる。ただしそのためには、多くの家庭のテレビ受像機にGracenoteの技術があらかじめ搭載されている必要がある。家庭のテレビの側で番組の音声認識をするのだ。

詳しくは、去年の春のこのブログの記事を読んでもらうとわかりやすい。
さあ、セカンドスクリーンを本気で考える時が来たぞ!〜Future Of Smart TV by Gracenote〜

CMの時間になったらACRが認識し、外部サーバーに入っているCM映像をテレビ受像機別に送り込む。仮に自動車メーカーのCMを出すにしても、独身の男性若者にはスポーツカーのCMを、子どもがいる家庭にはRV車のCMを、初老の夫婦には高級セダンのCMを、それぞれ送りだすことが可能なのだ。

去年の春にデモンストレーションされたこの仕組みは、今年、実際にアメリカの数百世帯をサンプルに実験運用をしている。どんな進捗か、気になるというものだ。

ぼくたちの勉強会”ソーシャルテレビ推進会議”が主催する8月28日のSocialTV Conference2014では、最初のセッションでGracenoteの西川氏が来てくれ、まだ詳しい結果は出ていないものの、実験の概要や途中経過を教えてくれる。それに対し、スポンサーの立場での意見をいただくべく、カゴメの重友氏にもご登壇していただく。

今回のカンファレンスには谷口さんや眞鍋さんなど派手な人が出るので、この最初のセッションは一見地味に見えるかもしれない。だが実は、いちばんラディカルな内容になるだろう。楽しみにして欲しい。

SocialTV Conference2014
【プログラム】
19:00-19:10
1) 活動報告と提言 境 治
提言:TVアプリのこれから

19:10-19:50
2) 2020年のターゲティング広告
モデレーター:深田航志
パネラー:西川正樹(Gracenote)
     重友大樹(カゴメ)

19:50-20:30
3) コンテンツがメッセージになる・ネイティブ広告
モデレーター:手島湖太郎(インフォバーン)
パネラー:谷口マサト(LINE)
     嶋瀬宏(アウトブレインジャパン)
休憩(10分)

20:40-21:20
4) 映像の冒険者たち
モデレーター:境 治
パネラー:眞鍋海里(BBDO J WEST)
     瀧 祐夏(東京倉庫)
   合田知弘(テレビ東京)
歓談(約30分)
22:00終了予定

テレビでターゲティング広告、なんてホントに可能なのだろうか。理論的には可能だが、Gracenote搭載のテレビが普及し、テレビ局側もちゃんと参加しないとできない仕組みだ。来年とか再来年にいきなり実施できるものではない。

ただ、十年先くらいにはもっとリアルになっているかもしれない。

テレビでターゲティング広告をやるについては、異論反論オブジェクションがひしめきあいそうだ。「テレビ広告のよさは、自分に関係ないCMでも接触できることで世の中全体のトレンドが把握できることだ。テレビでもターゲティングしてしまうと、そういうメリットが失われてしまう。」反論のポイントはこんなところだろう。

ぼくも少し違う立場から、テレビでのターゲティング広告は落ち着いて見守るべきだと思う。

アドテクって、すべてがほんとに効果あるの?と最近思うからだ。みんな経験している通り、一部のサイトを一度でも訪れると、別のサイトを見ている時に、先のサイトのバナー広告が出てくる。それが、もういまでは頻繁に起こるので、不快にさえなってきた。

あるいは、年齢や性別、経歴などに合わせた広告が目の前にどんどん出てくる。それがなんだか、的外れなのだ。50歳越えてるからって、性的な意味も含めたエナジー商品がどんどん表示される。かえってその商品を嫌いになってしまう。いったいアドテクって効果あるのか?

それでも、テレビにはいずれターゲティング広告をはじめアドテクが押し寄せてくるだろう。時代の流れというやつだ。どうしようもない、とお手上げになるか、だったらこんなことできないか、と新しい考え方を巡らすか。後者の方がトクをするのだろうとぼくは思うが、どうだろうか。

さてSocialTV Conference2014のお申し込みはこちら。
まだ少し席があるのでお早めに。

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【赤ちゃんにやさしい国へ】子育てコミュニティには、寅さんが必要かもしれない〜まごめ共同保育所(その2)〜

【赤ちゃんにやさしい国へ】のシリーズでは、待機児童の問題の裏でひっそり進んできた、新しい保育活動を取材している。自主保育と共同保育には、行政に頼らないこれからの保育のモデルが見いだせる気がして、とくに取材してきた。最後に行ったまごめ共同保育所では、ユートピアのイメージを重ねて記事を書いた。

【赤ちゃんにやさしい国へ】子供たちがのびのび過ごす時間が、ユートピアなのかもしれない〜ごたごた荘とまごめ共同保育所〜

取材の中で”からあげ”という人物がさかんに登場した。からあげ?どうやら男性で、保育の仕事をしていたらしい。定年で退職したのだそうだ。

2009年に制作された写真集がある。保護者で力を出しあって完成させた重厚な印刷物で、ボランティアで制作した保護者達の、共同保育への熱い気持ちが伝わってくる。その最後を飾るカタチでからあげのコメントが写真とともに掲載されている。真打ち登場といった感じだ。どうやら重鎮的な存在だったのかな?
からあげin写真集
前回の取材では代表の松井さんにお会いできなかったこともあり、再度取材をお願いした。もちろん、からあげさんも呼んでくださいとお伝えした。日にちを調整する中で、2009年の写真集を中心になって制作した保護者の方も参加することになった。

取材には前回同様、三輪舎の編集者・中岡祐介と、映像ディレクター・山本遊子も同行した。

当日、代表の松井妙子さん、”からあげ”こと渡辺勝美さん、そして保護者OBで写真集制作をした早川昭仁さんに集まっていただき、座談会的にいろいろお話をお聞きした。

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左から、代表の松井妙子さん、からあげこと渡辺勝美さん、保護者OBの早川昭仁さん

からあげさんは、先の写真から武骨な職人さんみたいなイメージを持っていたのだが、実際にお会いすると穏やかでいつも微笑んでいる優しそうなおじさまだった。

1時間半ほどの間に、お三方からたっぷりいろんなお話をうかがうことができた。全部書くとえらく長くなるので、ポイントと思う部分を書き出していこう。

●共同保育所が必要だった時代
まごめ共同保育所は75年にスタートした。当時は三歳以下は親の手で育てるものだという世の中の風潮で、働きながら子育てをする母親たちは肩身の狭い思いをしていた。預ける先も圧倒的に少なく、数少ない公的保育所も”預かってあげる”という姿勢だった。四角四面で融通がまったく利かず、働く母親の立場での要望など受け付けてくれる雰囲気はまったくなかった。
自分たちの手で自分たちに合ったやり方で保育所をつくりたい、そんな思いを共有する人たちが集まって、馬込に保育所をつくろうと動き出した。
松井さんは、そんな母親たちから保育士役をやって欲しいと頼まれ、そのために資格を取った。親たちが集まって親たちが職員を集めて、まごめ共同保育所は誕生した。
似た動きは首都圏のあちこちで起こり、ごたごた荘もたつのこ共同保育所も同じ頃できている。当初から連携をとり情報共有して助け合っていた。
馬込に作るつもりが場所が見つからず、ようやく見つけたのが大田区中央だったが名前は”まごめ共同保育所”とした。そこは二年半で出て、大田区山王に移った。二軒続きの長屋で隣はやくざの家庭だった。そこにも若い母親と幼子がおり、まごめで預かった。母親は徐々にとけ込んでくれたがやくざである旦那はそれを嫌い、仲が悪くなったので別の場所を探した。
同じ山王に、別のいい場所が見つかった。からあげが参加したのは三軒目に移った翌年だった。

●ハワイの美容師が、なぜか日本で保育者に
渡辺勝美さんはハワイで美容師をやっていた。もともと、美容師と保育士が高校時代からの夢で、保育の仕事もやろうと美容師を辞めて向こうで試験を受けたら落ちてしまった。それで日本に戻らざるをえなくなり、こっちで保育士の勉強をしていたらたまたままごめに勤める女性保育士と知りあい、募集していると言うので面接に行った。
当時まごめは毎週運営会議を行い、終わったら父親たちが酒盛りをしていた。そこに面接に行き、面食らう中、言われたのが「うちは資格なんていらないよ。学校から教わるんじゃなく子どもたちに教わって育児をするんだ」ということ。なるほどと思い、結局保育士の資格はとらなかった。
採用されて初日に行ったら子どもたちが彼の髪形を”刈り上げ”と言えずに”からあげ”と言った。以来みんなからからあげと呼ばれ自分でも気に入っている。子どもたちも本名を知らないだろう。
保育士の資格は昔は男性はとれなかった。資格が取れるようになり男性が保育士になったあともなかなかなじめなかった。子どもたちは男性にそもそも慣れていないので時間がかかる。男性は足手まといになりがちで、採用があまり進まなかった。共同保育は全般に早くから男性を受け入れていて、なじみやすかった。

●父親たちも自然に参加する雰囲気
設立して間もない頃からまごめには男性の保育士がいた。それが、父親も参加しやすい雰囲気をつくったようだ。からあげの参加でますますそんな空気になった。からあげは遊びが上手で、子どもたちの人気者だった。男性の保育士がいると遊びがダイナミックになるし父親たちも参加しやすくなる。
保育所に入る時、”ここはいろんなことを自分たちでやらなければならない”と説明をする。そのため、入る時点で父親も”育児に参加する”気持ちができている。
からあげがはじめた”遊び塾”というイベントが年一回開催される。夏休みの好例なので、今年ももうすぐだ。卒業したあとも子どもたちは大勢参加し、保護者も一緒に参加している。早川さんも長年参加してきたのだが、今年はお子さんが中学受験で参加しない。自分だけ参加することにしたら、子どもはあきれているが、これからもずっと参加したいと早川さんは言う。

ここに書いたことだけでもいろいろと発見があり、考えさせられることがたくさんある。

自主保育や共同保育を取材してきて、どこも30〜40年前あたりからはじまっているのが不思議だった。少なくとも90年代以降にスタートしたものはない。その理由がよくわかった。保育所がどうしようもないほど少なかったのだ。男女雇用機会均等法以前の時代、女性が働きつづけることがそもそも社会的にまともに扱われていなかった。この時代のことはもっと調べてみたいものだ。

それから、「男性と保育」について考えさせられた。男性が保育士にいると、いろんな効用がある。男性だから遊び方が広がる、という側面。そして一方、男性がいると父親たちも参加しやすい、という側面。男性が育児に向いてないわけでもないし、育児が嫌いなはずもない。そういう雰囲気を作り、男性なりの参加を促したり役割を与えれば生き生きと入ってくる。それにより、育児を取り巻く空気が大きく変わるようだ。

遊び塾について語る早川さんは、こう言っていた。「損得で言うとトクするから参加してるんだと思います。面白いし人生が豊かになる」そんな気持ちを、男性が育児について素直に言える環境は素晴らしいと思う。この国の育児についてもっとも欠けているのは、父親が楽しく参加する環境ではないだろうか。男女が平等かどうか、とか、女性の社会進出が進んでいるかどうか、という話とは別に、子育てが楽しい!と父親たちが感じとる機会が必要なのだと思う。

おそらく、そういう雰囲気を、からあげさんが作ってきたのだろう。彼が持つ、のびのびと自由な雰囲気が、父親たちの心を開放したのだ、きっと。彼は、ずっと独身で、退職した今も子どもたちの家庭を訪ねており、親も含めて大歓迎しているそうだ。

前回まごめ保育所について”ユートピア”と書いたが、大袈裟に言うとこれからの日本のモデルがそこにはある気がする。ぼくたちが近代化と都市化の中で失ってしまった、失うべきでなかった大切なものがここにはある。そしてそれは情緒的なものでは決してなく、システム化できるはずだ。こうすればいいんじゃない?まごめ保育所は何かをぼくたちに教えてくれようとしている。

帰りの電車の中で、映像ディレクター・山本遊子と感想を語りあった。どうしても話題はからあげの話になる。自らも子育て真っ最中の彼女が、ぼそりと言った。「からあげさんは、寅さんですよね」

ああ、そうか!確かにそうだ!

寅さんは根無し草で自由で、責任も負っていない。時にはみんなに心配や迷惑をかけるが、自由な存在だからこそ何かを解決したり、人びとの心にゆとりをもたらしたりする。そういう”立場”を持たない人が、実はコミュニティにとってとても有益だったりする。まごめでも、からあげさんはみんなから愛され、のびのび振る舞うことでみんなを呼び寄せた。リーダーとは別の立場でコミュニティのムードを作ってきた。

”自由な立場の男性”が子育てコミュニティには必要なのではないか。そしてそこには、男性の育児への関わり方のヒントがある気もする。

さて今回も、取材を映像にしてお届けしよう。お三方の話を凝縮したものだが、その空気を感じてもらえればと思う。

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取材サポート・中岡祐介(三輪舎)
映像制作・山本遊子(Uguisu Production)
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ネイティブ広告はコンテンツ制作者に新たな道を示すのか?〜SocialTV Conference2014へ向けて〜

ネイティブ広告の概念は、去年の後半あたりからよく耳にするようになってきた。今年の初めにはこのブログでも2つの記事を書いている。記事を読んでくれて、東京FMの「タイムライン」という番組に呼ばれてネイティブ広告について解説したりした。

●広告はメディアが背負う原罪なのか?(あるいは広告とコンテンツは融合できるか?)
●ネイティブ広告の議論は、広告の本質の議論でもある

これらの記事を書いた今年の1月あたりは、まだ「ネイティブ広告って言葉を最近聞くけどなんなの?」という雰囲気だった。ところが春以降、トレンドワードになってきた気がする。実際、ネイティブ広告をテーマにしたセミナーなどもあちこちで開催されている。

ネイティブ広告と言えば記事広告でしょ?いやそれもひとつだけどそれだけでもないんだよね、という議論もまた定番になりつつあるけど、キリがないのでここではふれないことにする。

ぼくにとって興味があるのは、ネイティブ広告がコンテンツの作り手にとってひとつの光明になるのではないか、という前向きな視点だ。そしてその視点で見つめた先にいま必ず登場するのが、谷口マサト氏だ。

1月の記事でもふれたけど、谷口氏とはAdvertimes上で対談をしている。

境治さんに聞きに行く!「広告とコンテンツ融合の可能性」

この対談は谷口氏の連載の一環だったのだが、これは一冊の本にまとめられ、ちょうど今月発売になる。本日(8月18日)時点で予約受付中なのでいっそいまクリックしちゃおう。↓
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谷口さんは作っているものから変人をイメージするかもしれないが、実際にお会いするといたってマジメな青年だ。こんなにマジメな人がどうやってあんなへんてこりんな企画を考え出すのかと不思議になる。

いや、だがしかし、わかる人にはわかっているはずだ。谷口氏の企画にはマジメな思いが常に隠れている。広告って何なの?コンテンツって何だろう?それがいっしょくたになってもいいんじゃないかな?そんなストイックとも言える深い思考があってあのユニークな企画が生み出されているのだと思う。

ぼくが彼の企画を面白がったのは、”ちゃんと作ってる”点だった。正直言って、ネット上のコンテンツには”ちゃんと作る”意志が見当たらないことが多い。谷口氏と同じように企業の依頼で広告的な目的で作られているコンテンツは他にもある。だがそれらはどれも、手間もヒマもかけていないのが見え見えだ。予算も時間も少ないから仕方ない、と言うかもしれない。でもそんなことやってたらずっと予算も時間も増えない。

大切なのは「これちゃんと考えたので面白いし効果あります。だから予算も時間もかかります」と胸を張ってプレゼンすることだ。ということは、けっこうちゃんと考えないと胸を張れない。今後、ネットがコンテンツ制作の舞台になっていく時、このポイントの重要性を認識した方がいい。認識した人は、だんだん予算も上がっていくだろう。

谷口さんはネットの中では手間もヒマもかけて制作している。予算を獲得できているのだと思う。

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例えばこの最新作は、一枚一枚の画像がやばい。もうスレスレすぎてハラハラする。まさかの落とし込み先もびっくりだ。

ぼくがネイティブ広告に期待するのは、コンテンツに予算と時間をかける道筋が見えてくるのではないか、という点だ。そんな方向のヒーローに谷口氏はなるのかもしれない。

8月28日にソーシャルTV推進会議で開催するカンファレンスでは、2つめのセッションで谷口マサトさんに登壇してもらう。インフォバーンの手島湖太郎氏がモデレーターで、アウトブレインジャパンの嶋瀬宏氏の参加も決まった。

どんな話が展開されるか、楽しみにしてほしい。

プログラムはこんな内容。

SocialTV Conference2014
19:00-19:10
1) 活動報告と提言 境 治
提言:TVアプリのこれから

19:10-19:50
2) 2020年のターゲティング広告
モデレーター:深田航志
パネラー:西川正樹(Gracenote)
     重友大樹(カゴメ)

19:50-20:30
3) コンテンツがメッセージになる・ネイティブ広告
モデレーター:手島湖太郎(インフォバーン)
パネラー:谷口マサト(LINE)
     嶋瀬宏(アウトブレインジャパン)
休憩(10分)

20:40-21:20
4) 映像の冒険者たち
モデレーター:境 治
パネラー:眞鍋海里(BBDO J WEST)
     瀧 祐夏(東京倉庫)
   合田知弘(テレビ東京)
歓談(約30分)
22:00終了予定

こんな企画、見逃す手はない!ってことで、いますぐここ↓から申し込もう!
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メディアの責任、おれの責任、あんたの責任

スタジオジブリが映画制作から撤退するらしいという情報が飛び交っていたら、NHKあさイチに鈴木敏男氏が出演して「いや制作体制を変えるだけです。宮さんも短編は撮るんじゃないか」と打ち消したりと、ホットな話題になっていた。

そしたら、ソーシャルメディア上に妙な記事が出回って、けっこう多くの人がシェアしていた。こんな見出しだった。

ジブリがアニメから撤退 事実上の経営破たん:世界のニュース Nile_Amen

この見出しがニュースキュレーションアプリNewsPicksでピックアップされ、何人かのコメントもついていた。「知らなかった」とか「そうだったのか」とか「良記事」などとみなさんがコメントしている。

をいをいをい!んなわけないだろう!日本の映画興行の数字を塗りかえてきたジブリが経営破たんするほど儲かってないなら誰も儲からないじゃないか。ぼくは映画を作る会社に一時期いて、いくらで作って興行収入がこれくらいいけば儲かる、という計算をする立場だったので、ジブリが経営破たんだなんてありえないと直感的に思った。

Nile_Amenというサイトで元記事を読んでみた。驚いたのは、”それなりの内容”だったことだ。”それなりの”とは、何の根拠もなくバズりそうな見出しだけ書いて中身は3行です、という記事ではなく、”それなりに”調べて”それなりに”信憑性がある文章に見えていたことだ。興行収入の何%を映画館がとり、さらに配給手数料も引かれて興行収入の何%ぐらいしか制作会社に戻ってこないとか、各作品の製作費と興行収入を並べていたりとか。部分的にはまちがってないし、情報を集めてもいる。

ただ、全般に中途半端な知識で書かれていて、アニメ映画の製作費は5000万だと、テレビアニメのよく言われる制作費から単純に類推して書いているなど、いい加減だ。それに制作会社と製作委員会の関係などもまったく知らずに書かれている。ジブリの正確な収益は知らないけどこの記事がでたらめだらけなのはわかる。なのに、”識者”のみなさんがNewsPicksで「良記事」などと書いた上で拡散されている。

ひどいことだと思った。

この記事がシェアされてるのを見るたびに「こんないい加減な記事を鵜呑みにしちゃダメですよー」と書いていたのだが、この記事のネガティブパワーの拡散力には、はるか及ばない。むなしい気持ちになっていた。

そしたら今日になって反証が出ていた。

経営破綻とかデタラメ言われてるスタジオジブリは危ない企業どころか健全な企業だった

という見出しで、「市況かぶ全力2階建」というサイトに記事と言うかまとめなのかな、が出ていた。ジブリの決算公告を誰かが見つけてきて、それをもとに@massinaのアカウント名の方を中心に、冷静にツイートしたものをまとめたものだ。

『ポニョ』や『風立ちぬ』などのヒット作が出るとちゃんと数十億円の利益が出ているし、狭間の年も手堅く利益が出ているのは旧作の版権だろう、という分析。いやホントその通りだと思うよ。

それでね、ここからが今日の本題。

Nile_Amenはほんとうにひどい記事を書いたもんだと思う。よくわからないのが、それなりに調べてきてそれなりに推論とかしてそれなりの労力をかけて記事を書いている。狙いは何なの?ジブリが実は経営破たんだと書けばバズってPV上がるから生半可な知識でわざと”経営破たん”と書いたのか、それとも生半可だけど一定の知識を基に考えたら「おお!これは経営破たんなのだ!」とマジで書いた記事なのか。

そこはこの際、どっちでもいいので、とにかくいい加減な記事を書くなよ、と言いたい。いい加減な記事を書いた自覚があるらしいのは、元記事がNile_Amenから削除されてることに表れている。でも「バレちったよ」と薄ら笑いで舌出してるのか、「ぼくは間違ったこと書いてしまったー」と猛省しているのかはわからない。まあ、前者なんだろうね。後者ならちゃんと訂正記事なり謝罪コメントなりを書くべきだ。

Nile_Amenはそもそも、誰が何を目的に作ったサイトかもわからない。わからないけど、その後もせっせと新しい記事が掲載されている。でもいい加減な記事を出して謝罪的なこともないので、ぼくは以降、このサイトは信用しないし見に行かない。

そんなサイトが増えた。ほんとにひどい記事だらけのサイトが多い。PV数を上げることしか考えていないのか。その上、悪意も感じるなあ。とにかくやたらとどす黒い意志ばかり表明して、他者を攻撃して、正義感めいたものを振り回して、そのわりに書いていることがいい加減。モラルが低い。いい加減なことしか書く気ないなら、文章を書くなと言いたい。

あれ?でも、そうだっけ?ネットでいろんな人の文章を読むのって、いい加減なことを書くな、って姿勢だったっけ、おれ?多少いい加減でもいいから、知らない意見、マスメディアに見えてこない主張や気分が発見できるから面白い!って思ってたのにな。

ブログと言うツールが出てきて、そこにソーシャルが加わって、誰でも主張ができるし、いいこと言うとソーシャルでばあーっと拡散されて伝わってくる。それが素敵だったはずだ。テレビや新聞では拾いきれない知見が、目の前をどんどん次々に流れて行くので、それをひょいっと読むのが面白くて仕方なかった。知的興奮を覚えた。

ところが最近、ひどい記事がほんとうに増えたと思う。え?!と感じた見出しは「待てよ・・・これおかしくないか?」とすぐ疑うようになった。簡単に信じなくなった。とくに、すでに頭の中にリストされているサイトだと、「あー!あすこか、読むのやーめた!」と瞬時に判断する。

ただ、そういうサイトがどんどん増えるので、いささか食傷気味だ。なんか、結局新聞やテレビの方がいいんじゃないの?

情報発信のすそ野が広がって、お金目当てでいい加減なこと書く人も増えて、全体にネット言論のクオリティが下がっているのだろう。少し前までは「ネットの人たちの方が頭いい!」って感じだったのが最近は平均とると明らかに旧マスコミの方がずっとまともなのだと思う。

でも、じゃあ、やっぱり旧マスコミ万万歳!ともならない。つい先週も、某日本の良識大新聞が、何十年も前の記事を「あれは誤報でした」と言ってるし。

もう誰も信用できない、ってことか?

などとエラそうに言ってる場合でもない。ぼくだって信憑性を保ってるのか、最近は自信がないのだ。

もちろん、このブログの元々の路線であるメディアはこれからどうなるか、については自信がある。少なくとも、間違った事実は書いていない。ぼくはジャーナリストでも何でもないけど、ある程度の基準を持って書いているつもりだ。

ところが最近、赤ちゃんや育児について書くようになって、不安が出てきた。この分野は丸きりシロウトで、生半可な知識しかない。もちろん、けっこう取材したり調べたりはしてるが、育児関係のことを記事として書くなら最低限把握しておくべきこと、みたいなものはまったく欠けている。

だからこそ、書く意義がある、という側面もある。育児のシロウトで、いちばん大変な時期は過ぎちゃったおじさんが育児について書いているから新鮮、ということらしい。でも書く側としては、勉強不足は否めないのだ。

そんなこんなで、このところブログの更新頻度がめっきり減った。前みたいに、ちょっと寝る前に書くか、さっき気になったあのことでも書くか、そんな気楽なものでもなくなってきたからだ。まっとうなこと書かないと、ハフィントンポストやBLOGOSを通じて誤った情報が伝わってしまう。

そういう、責任感めいたことを、感じるようになってしまった。ブログを書くことは息抜きで趣味みたいなことなのに、責任だけは重たい。なんだろう、これは。

さらに最近の現象として、ここで書くことの主体性みたいなことが、ぼく自身の心持ちとは関係なく、不安定になっている。だって自分のブログ上より、ハフィントンポストやBLOGOSで読む人の方が圧倒的に多いのだから。取材に行くと「ああ記事読みました。ハフィントンポストの記者の方なんですね」と言われることもある。アグリゲーションの概念を知らない人に、「ぼくは自分のブログに書いてまして、転載されることになってまして・・・」と説明するのは大変だ。さらにさらに、”ハフィントンポストに載った記事がスマートニュースに表示される”なんてこともある。知らない間にあやしいサイトに転載されたりしている。いったい誰が書いた記事なんだ?

最初にふれたNile_Amenだって、サイトを見ても誰が書いてるのか、さっぱりわからない。名前もはっきりしない人が書いたいい加減な記事と、ちゃんと氏名を明示してまともなつもりで書いたブログ記事と、マスコミ上でプロの記者が書いた記事と、ぜんぶごちゃまぜになってキュレーションアプリで拾われ、日本中のスマホを飛び交っている。

そんなニュースとその解説と個人的な印象みたいな言説が、言い方悪いけど津波の濁流のように何もかも呑み込んでガレキのような状態になってしまって、毎日すごい勢いで目の前を流れて行っている。ぼくたちはその中から目についたものをひょいっと拾って、感じたことをコメントとしてくっつけて流れに戻す。見送るとその話題はどんどんふくらんでいっている。たくさんの人が何の気なしにつけたコメントで体積が増し、すぐに大きくなるのだ。

こんな状況では、ニュースをどう受け止めるか、読む側もいまや責任がある。そのまま信じて「みんな!大変だぞ!」ってコメントしたらどんどん信じるから。ぼくたちはもはや、ニュースをそのまま信じてはいけないのだ。「ん?!この記事は怪しいぞ!臭うぞ!」そう感じたら拡散しないようにしないといけない。そうするうちに、いい加減な書き手やサイトは淘汰されるはずだ。いや淘汰されないといかんと思う。

なんとややこしい世の中になったものか。これは過渡期なのか、ずっと続くことなのか。・・・まあ、自分なりの判断で情報を受けとるのは、いつの時代でも必要だとは言えるけど・・・

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“攻めてる”テレビ東京が、ネットに攻め込んで何をたくらんでいるか気になる〜SocialTV Conference2014へ向けて〜

ぼくはかなりのドラマ好きなのだがこのクール(2014年7月〜9月)は不作だ。これと言って観たいものがない。多くの人も同じ気持ちなのか、視聴率も冴えないようだ。初回はともかく第二話、第三話と続く中で10%を切るものが続々出てきた。月9『HERO』だけがヒットドラマの面目を保っているが、どうもこの先失速しかねない空気が漂っている。

ところが、そんな中で毎週楽しみにしているドラマがある。『アオイホノオ』という、80年代の大学を舞台にした青春ドラマ、と言ってしまうと普通のようだが、かなりとんでもない。『逆境ナイン』などの漫画家・島本和彦の自伝的な漫画が原作で、実際に島本が大阪芸大に入学し、同級生だった庵野秀明などのちのガイアックス関係者を意識しながら、過剰なまでの根拠なき自信にあふれる主人公が創作に七転八倒する姿を描く。面白くて面白くて深夜に声に出して笑いながら観ている。そしてこれはテレビ東京の金曜深夜”ドラマ24”の枠だ。

このドラマ24は『モテキ』『勇者ヨシヒコ』『まほろ駅前番外地』と注目すべき作品を送りだし、前クールの『大川端探偵社』もかなりよかった。それに続いてこの『アオイホノオ』も傑作になりそうで、すっかり一部に評価される枠になりつつある。

”攻めてる”テレビ東京を象徴する枠のひとつになってきた。

このところ、テレビ東京が”攻めてる”ことについては、みんな異論はないだろう。それは今年の春の開局記念番組にはっきりと表れていた。『50年のモヤモヤ映像大放出』と銘打たれたこの開局50周年番組では、他のキー局とは明らかに一歩下がったところにある自分たちのポジションを逆に武器にし、徹底的に自虐しながらも「これ以上落ちない場所にいますんで、もうなんでもやっちゃいます」という姿勢を明らかにしていた。この番組の中心人物は、タイトルに”モヤモヤ”とある通り、「モヤさま」の伊藤Pだったようだ。

”攻めてる”テレビ東京を引っ張っているのがその伊藤Pであるのはまちがいなさそうだが、それだけでなく、伊藤Pに続く人材が出現し、新たな戦線を自ら見つけて”攻める”テレビ東京の最前線に躍り出てきた。

例えば高橋弘樹氏は『ジョージ・ポットマンの平成史』『家、ついて行ってイイですか?』などで、お笑いタレントやグループアイドルが出てこない、企画勝負の深夜番組に挑んでいる。そればかりか、NHKのサイトで対談までやってしまっている。→今、テレ東が面白い理由―低予算が生む違和感とガチ感:高橋弘樹

高橋氏は8月限定の実験的な番組『吉木りさに怒られたい』にも取り組んでいる。公式サイトの番組内容の瀾には「数分間、吉木りさに怒られるだけの番組です。」とだけある。自ら「怒られるだけ」と言ってのけてしまっている。思わず、そういうことでいいの?とツッコミたくなる企画だ。

この番組はどうやら、新しい手法のPRの企画のようでもある。番組とセットで、吉木りさが毎回いろんな商品を紹介しているのだ。番組の内容とどこか接点がある商品だ。このあたりにもたくらみが潜んでいそうだ。

さらに、この番組は地上波とネットが連動している。地上波で金曜深夜に『吉木りさに怒られたい』が放送されたあと、テレビ東京の動画サイト・テレ東プレイでは『新・美しい人に怒られたい』が配信される。吉木りさとはまた別の女性タレントが、放送されたネタとは別の”怒り”を表明するのだ。地上波からネットにうまく視聴者を誘導している。このテレ東プレイもまた、”攻める”テレビ東京の最前線を形成しているわけだ。今後も地上波と連動した様々な試みが展開されると期待したい。

8月28日に、ぼくたちが運営する勉強会・ソーシャルテレビ推進会議の主催でセミナーイベントが開催される。そのSocialTV Conference2014には、”攻めてる”テレビ東京を代表して、テレ東プレイを仕掛けている合田知弘氏が登壇する。前回のブログで紹介した、「雪道コワイ」のBBDO J WEST眞鍋海里氏、「全くエロくないユニクロ」の東京倉庫・瀧祐夏氏とのセッションで、ディスカッションしていただく。ネットで”攻めてる”お二人に、テレビ×ネットで”攻めてる”テレビ東京として、がっつり対抗してもらうつもりだ。

こんな企画、見逃す手はない!ってことで、いますぐここ↓から申し込もう!
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「テレビはおっぱいを映しだせるか?」の問いかけへの答えかもしれない”攻めてる”映像〜SocialTV Conference2014へ向けて〜

少し前に「テレビはもう一度おっぱいを映しだせるか?」のタイトルで記事を書いたらけっこう読まれた。もちろんタイトルがずるいからだが、それなりにマジメな気持ちを込めて書いたものだ。

→テレビはもう一度おっぱいを映しだせるか?〜エンタメはテレビとネットで交錯する〜

動画配信システムの会社、ブライトコーブ社のカンファレンスイベントで、”電波少年のT部長”こと日テレ土屋敏男氏が、テレ東「モヤさま」伊藤P、フジテレビ+「世界一即戦力な男」の狩野氏とともに登壇した際、「テレビはいつからおっぱいを映さなくなったのか」と問いかけた。それはおっぱいが見たい!ということではなく、テレビが自らコードを課してしまったことへの問題提議だった。際どいところに切り込んでいたはずのテレビが、それをやめてしまっていいのかという訴えを、まさに切り込んできた土屋さんが言うので力強い主張となった。

しかしやはり、地上波テレビではおっぱいは映しだせないだろう。もう後戻りはできないのだ。

切り込んでいく場はやっぱりネットかもしれない。そう思っていたら、見つけた。おっぱいに切り込む映像を。いや、”そのもの”を映し出しているわけではないのだけど、明らかに公然と、”おっぱい”に切り込んでいるのだ。

少し前にバズっていたのを見たかもしれない。ユニクロのCMをあからさまにパロディにしている。ただし吹石一恵の立派なプロモーションとは打って変わって、という映像だ。

打って変わっているのはもちろん、吹石一恵とはその、プロモーションがつまり割合が、かなり、いやまったく違う。しかも臆面もテレもなく堂々と演じている。自信さえみなぎっている。すごいと思った。切り込んでいる・・・

調べてみると、東京倉庫という会社だった。ネット用の映像制作を請け負う、新進プロダクションだ。彼らは自分たちの存在を示すため、自主制作の映像を定期的にアップしている。その中には「涼子の育乳」というシリーズがあり、またユニクロパロディCMの女性が出演している。そのひとつが、この「おっぱいのキュウリ割り」だ。注意事項として会社の女性の同僚や家族とくに奥さんや娘さんがそばにいる場合は再生を控えた方がいいだろう。

切り込んでいるのがわかっただろうか。もうギリギリだ。これ以上進むと、崖からまっさかさまに落ちてはい上がれなくなりそうだ。そんなエッジに挑んでいる。エッジでふんばっていられるのは、涼子さんがほどよく美人だからだろう。それも計算した上での挑み方をしている。

いてもたってもいられず、会いに行ってみた。東京倉庫は瀧祐夏さんが率いる会社で、去年できたてなのだそうだ。お話を聞くと、前は某テレビ局系列の制作会社でテレビ番組を作っていたのだそうだ。なるほど、と納得した。ネットで視聴される映像だが、どこかテレビの延長線上のものを感じたのだ。実際、テレビではできないことがネットならできるのではと東京倉庫を立ち上げたのだという。

”育乳”の涼子さんにもお会いできた。実際にお会いするとなぜだかテレてしまった。映像で見るよりさらに美人でうれしかった。

切り込んでいるのは彼らだけではない。きっとあなたも「雪道コワイ」は見たことあるだろう。九州のタイヤ通販会社のプロモーションのために制作された映像だ。世界中で900万回再生されたという。

→「雪道コワイ」

「いきなりBAN」も同じタイヤ通販会社のWEB CMだ。これがまた驚きなので、じっくり見て欲しい。途中まで、見ていていいのだろうかという気持ちになるが、とにかくそのまま最後まで見てください。

この映像はホントは、このサイト上で見た方が意図が理解できる。
http://www.autoway.jp/cp/ban/

さてこのオートウェイの映像を企画制作したのは、眞鍋海里さん。BBDO J WESTという福岡にある広告会社のクリエイターだ。彼については最近も、いくつかのサイトで記事になっている。ハフィントンポストにもこんなインタビューがあった。

「広告やめませんか?」-800万再生の動画を生んだ企画書とは/眞鍋海里氏インタビュー

福岡にいる広告制作者が全国的に話題になるのもめずらしい。やったことがネットで体感できるのも大きいだろう。
さて眞鍋氏の最近の作品がこちら。西日本新聞のプロモーション映像だ。

馬鹿なことやるなー、と見ていると最後に、全部ひっくり返してしまう。

さてこの眞鍋氏にもお会いしてみたくなった。ちょうどセミナーイベントを企画していたので、そこに来てもらえないかと連絡をとってみたら、快諾してくれた。

というわけで、ぼくが運営する勉強会、ソーシャルテレビ推進会議が主催で8月28日に開催するSocialTV Conference2014に、東京倉庫の滝氏と、BBDO J WESTの眞鍋氏が登壇してくれます。眞鍋氏はもちろん、福岡からはるばるイベントのために来てくれる。なかなかない機会だと思うので、参加しませんか?

興味ある方は、下のバナーをクリックして、申し込んでください。お二人が出るセッションだけでなく、テレビとネットの融合を考える、豪華な企画です。
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テレビとネットが一緒に遊びはじめている

東洋経済オンラインでブランドコンテンツの原稿を書いた。

動画革命進行中!の大見出しで、「動画革命進行中!」と題した記事だ。

もし「まだ読んでない」と言う人がいたらぜひ読んで欲しい。この手の対談記事としてはなかなかない面白さだと思う。→東洋経済オンライン・ブランドコンテンツ「動画サイトこそブランディングだ!〜テレ東プレイとコクヨチャンネルが次に目指すもの」

ブランドコンテンツとは、東洋経済がつくった新しい広告枠。この記事で言うと、ブライトコーブ社の広告枠、ということになる。確かにタイトル部分に「東洋経済とブライトコーブが考えた」と入っていて、記事の中身もブライトコーブ社の主業である動画配信についてだ。ただ、ブライトコーブのサービス内容に触れた部分はほんの少しで、文章の中に無理のないカタチで企業名が登場する程度。こういう手法はネイティブ広告ということになるのだろう。

それはともかく、そういう土台の上に、テレビ東京で「モヤさま」のプロデューサーとして活躍中の伊藤隆行氏と、コクヨで動画サイトを運営する佐藤詠美氏の対談という、けっこう画期的な企画が実現した。この記事を読むだけでも十分面白いと思うが、記事では伝えきれなかった事柄を、書いた本人として解説的にブログに書いておこうと思う。

まず、”攻めてるテレ東”というのがある。その象徴的存在が”モヤさま伊藤P”だ。自分の番組で顔出しもするその存在感は、”電波少年T部長”こと日テレ土屋さんを彷彿とさせる。”攻めてるテレ東”では、伊藤Pに続いて面白い制作者が出てきていて、もやもやとムーブメントが起きつつある。

“攻めてるテレ東”の”攻めてる感”はもうひとつ、テレ東プレイという動画サイトを立ち上げたことにも表れている。「TVチャンピオン」や「ギルガメッシュ」など、テレ東らしさを形成してきた番組をネット上で復活させている。その時点で”攻めてる”のだが、どうもそれだけでは終わりそうにない感じを漂わせていて油断がならない。

→テレビ東京オリジナル無料動画サイト・テレ東プレイ

そんな”攻めてるテレ東”の象徴である伊藤Pに、文具メーカー・コクヨのマーケッター佐藤詠美氏を対談相手にお願いしてみたのは、全然縁遠いお二人に見えて、がちゃんことぴったりハマるにちがいない、と読んだからだ。なぜならば、佐藤氏が運営するコクヨチャンネルも、文具メーカーの動画サイトとして十分”攻めてる”からだ。

ぜひ見て欲しいのだが、コクヨチャンネルには例えば「コクヨGメン」というシリーズがある。そこには、立派なお笑いタレントであるケンキ氏がキャスティングされているのだ。ケンキ氏はR1グランプリで準決勝まで進んだ実力の持ち主。

→コクヨチャンネル・コクヨGメン

しかし対談の中では・・・

伊藤 「ザ・コクヨGメン」がやっぱり面白くって。この方はタレントさんですか?
佐藤 そうです。ケンキさんといってサンミュージック所属で。
伊藤 サンミュージックならカンニング竹山さんの後輩?
佐藤 いや先輩なんですけど(笑)

というくだりがあって、つまり伊藤Pが知らなかったことも笑えるポイントになっているのだが・・・。

そういう、”攻めてるコクヨチャンネル”なのだから、佐藤氏は伊藤Pときっと意気投合してくれると確信していたのだが果たして、対談はぼくの想定以上に盛り上がった。最後のフォトセッションではこんなポーズまで・・・
_DSC0274もちろん東洋経済のカメラマン氏にたき付けられたからだがそれにしても、ここまでやってもらえるとは。

さて盛り上がっていく対談の中でひとつポイントだなあと思った部分がある。

佐藤 テレビ的なものとネット的なものの違いってどこにあるんでしょう?
伊藤 ぼくが思うのは・・・プロの仕業だなというものがありありと出ることは確信を持って避けた方がいいと思っています。

伊藤Pがさらりと答えたように見えるだろうが、実際にはけっこう間があった。佐藤氏の質問にしばし考え込んで出てきたのがこの言い方だったのだ。そして「プロの仕業だなというものがありありと出ることは確信を持って避けた方がいい」という箇所はわかりにくい表現かもしれないが、大事なひと言だと思ったので伊藤Pが言ったそのまんまを文章にしている。

テレビは完成度が求められる。番組の収録や生放送の現場に立ち会うと、ほんとうに完璧だなと思う。何から何まで、すべてが完璧だ。

例えば、「生放送を10時53分ちょうどに終わらせる」のは簡単にできることではない。60年の歴史の中でそれが普通にできるように最適のスタッフィングと体制とワークフローが組まれてきたのだ。ある人に聞いたのだが、中国の放送は時間通りに進まないことが多くて愕然とするそうだ。

ネットで流す番組にはどう取り組むのか。ネットでは10時53分に終わらせる必要は多分ないのだ。でも、テレビマンたちはきっと、完璧に決められた時間に終わらせようとするだろう。そういう、自分に設けた枠を意図的に外す必要がある、と伊藤Pは言っているのではないか。

テレビマンたちが、テレビマンとしてのプロらしさは保ちながらも、自分が培ってきた枠から自由になれれば、これまでにない面白さに出会えるのかもしれない。

それからもうひとつ、最後の「YOUはどう使うこの道具?」という見出しで描かれたやりとりが面白かった。

伊藤 あと、突然頼んでもないものが届く番組ってどうでしょう?

佐藤 文房具が突然届くんですね?

伊藤 そう大量に入ってる。「これどうしたらいいの?」って悩んでるのを番組にするんです。

佐藤 あたしも似た企画を実は考えていたんです。外国人にコクヨの商品を渡してどう使うかっていう企画。空港で外国の方を待って商品を渡して・・・

伊藤 「YOUは何しに日本へ?」みたいな?「YOUはどう使うこの道具?」

なにやら企画会議のような展開になったのだった。横で聞いていて可笑しくて仕方なかった。もちろん冗談なのだが・・・

いや、冗談なのだろうか?いますぐには無理かもしれないが、ゆくゆくそういうことが起こるんじゃないだろうか。

つまり、コクヨチャンネルの番組を、テレビ局のスタッフがつくる、ってことはゆくゆく起こるかもしれない。あるいは、テレビ局が放送する番組にスポンサーの社員が企画を提供するとか。放送が難しければ、テレ東プレイで流す番組にコクヨが提供して制作するとか。

あれ?コクヨが提供してつくったテレ東プレイの番組をコクヨチャンネルでも放送する、なんてこともありなのかな?

ぼくたちが予感すべきなのは、そういうことではないだろうか。いままでは、テレビはテレビ、ネットはネットだった。広告は広告、番組は番組、だった。でもこれからそこは垣根がどんどん低くなってどこからどこまでがこっちとそっちなのか、わからなくなる、どうでもよくなるんじゃないだろうか。そういう姿に向かっていく前提でぼくたちは、これからメディアとコンテンツをとらえるべきなのだろう。

そんなテレビとネットの未来を見据えるために、ソーシャルテレビ推進会議主催のセミナーイベントが8月28日に開催される。3つのテーマでのセッションには、まさにメディアとコンテンツの最前線で活躍する多彩なゲストが登壇。きっと盛り上がるよ!

って・・・この記事も広告なのかなんなのか、わかんなくなってるかな・・・?

申込は、ここをクリック!
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ソーシャルテレビは、ビジネスをめざす段階に来た?〜ソーシャルテレビアワード2014レポート〜

先週、7月23日〜25日に開催された日経BP主催のモバイル&ソーシャルWEEKと銘打たれたイベントで、ソーシャルテレビアワードが発表された。このアワードは今回で三回目。ずっと気になっていて、今年はようやく見に行けたので、レポートしておこう。

モバイル&ソーシャルWEEKというイベント自体は、いわゆるデジタルマーケティング全般をテーマにしたもので、ちょっと小難しいムードがある。そんな中で、ソーシャルテレビアワードは異彩を放っていた。なにしろ、華やかなのだ。取材も多く、23日の贈賞式翌日にはいろんなメディアでニュースになっていた。

ⒸToshio Kuramata
ⒸToshio Kuramata

ここでは、まず各賞を紹介しよう。

【大賞】…『THE MUSIC DAY 音楽のちから』(日本テレビ)
【日経デジタルマーケティング賞】 …『王様のブランチ』(TBSテレビ)
【日経エンタテインメント!賞】 …『テラスハウス』(フジテレビ)
【特別賞】… 『おやすみ日本 眠いいね!』(NHK)
【特別賞】… 『トーキョーライブ24時 ~ジャニーズが生で悩み解決できるの!?~』(テレビ東京)

この賞の対象期間は、2013年6月~2014年5月に在京キー局で放送された番組。大賞の「音楽のちから」は2013年7月の放送に対しての授賞だ。

『音楽のちから』については去年このブログでも「テレビはすでにインタラクティブメディアなのだ」と題した記事で書いている。年に一度のイベント的な音楽番組のクライマックスで嵐が歌を披露した際に、スマートフォンなどで曲に合わせてゲームを楽しめるインタラクティブな仕掛けが行われた。参加者は130万人を超えるなど、大きな話題を呼んだことに対して大賞が贈られた。

『テラスハウス』はこの一年ですっかりソーシャル型テレビ番組として成長した。無名の出演者がシェアハウスで暮らす中での出来事を追っていき、放送中に出演者達がtwitterでつぶやく。視聴者は出演者にからんでつぶやけるので、強い参加感が得られる番組だ。

この番組から巣立って人気タレントになった出演者も多く、いまでこそ人気番組だが、ソーシャルの活用は最初から考えられていたわけではない。最初視聴率で苦戦する中、若者への興味喚起手段としてtwitterを使ってみたら見事に功を奏したのだ。即視聴率につながったわけではなく、その効果を信じて地道に使っているうちに徐々に視聴率につながった。もちろん番組そのものを楽しくする努力との相乗効果だろう。

その努力が結果的に新しい視聴スタイルの番組として育ち、今回の受賞となった。ソーシャル活用には根気強い努力が必要だという好例だ。

『おやすみ日本 眠いいね!」は、このブログの2012年1月の記事「NHKがどんどんソーシャル化している件について」でとりあげている。数カ月おきに思い出したように放送されるゆるい番組で、終了時間が放送中に決まるという無茶苦茶さ。放送中にリモコンの青いボタンを押すと「眠いいね!」という声が出る。テレビからリモコンで声を出せるという、よく考えたら画期的な仕組みだが、番組のゆるさに紛れてその革命性に気づかないまま過ごしてしまう。ぼくは大好きなので、自分のイベントにプロデューサーの河瀬氏を呼んだこともある。

『トーキョーライブ24時』はこの春に一週間だけ放送された特番。深夜12時から日替わりでジャニーズのタレントが登場し、生放送で視聴者の悩みに答える。ぼくも何夜か観たが、生で何が起こるかわからないまま、なんというかもうハラハラしてしまった。意図的に段取りを決め込んでおらず、「じゃあ、次どうするの?」と聞きながら進行していく。そこにLINEを使ったのが受賞理由だが、それも含めて全体的にニコ生をテレビで放送しているようなソーシャル感に満ち溢れていた。

さてひとつ受賞番組を跳ばしていた。日経デジタルマーケティング賞に輝いた『王様のブランチ』の受賞について紹介したい。

この番組の受賞理由は、アプリ「TBSぶぶたす」の活用による。これはセカンドスクリーン用のアプリとして画期的なものだ。

『王様のブランチ』は19年続く、土曜午前の情報番組だ。谷原章介と本仮屋ユイカの司会で、週末のための様々なエンタテイメント情報が紹介される。

screen568x568こういう情報番組を見ていると、紹介された事柄についてもっと知りたくなることがある。スマホを持っていると検索したりする人も多いだろう。でも番組を見ながらだとなかなか大変な作業だ。「ぶぶたす」はそれを解決してくれる。

screen568x568-2放送中にアプリを立ち上げるとこんな画面になる。

番組の中に出てきた書籍や映画、お店などがタイムライン的に並ぶ。放送画面に出てきたらリアルタイムで各情報が出てくる。

それぞれをもっと詳しく知りたいなと思ったら、それぞれのバナーを押すと、詳細な情報ページに跳ぶのだ。

例えば映画コーナーの進行役であるLiLiCoが履いている靴が気になったら、そのバナーを押すと、その写真が出てくるのだ。もし欲しいと思ったらその商品のECサイトにもつながって、その場で購入できる。

同様の仕組みは広告にも応用でき、CM放送に連動させてアプリ上でバナーを出すことも可能だ。うまくいけば、テレビ局にとって広告収入がプラスになるかもしれない。

このアプリで重要なのは、その存在をきちんと告知していることだ。毎週、番組中に「ぶぶたす」の楽しみ方と入手方法を、きちんと時間をとって告知している。

番組のためのアプリをせっかくつくっても、放送で紹介しないと意味がない。スマホ用のゲームソフトは、テレビCMで告知される。それがいちばん効率的だからだ。そのためにゲーム会社は何億円も払ってCMの時間を買う。

テレビ局のアプリは、コストをかけずに告知できる。だからその番組で告知するのがいちばんだ。

ところがせっかくのアプリを番組で告知しないことが多い。制作スタッフと、アプリのスタッフの意志疎通が薄いからだ。何のためにそのアプリを世に出して、それが番組にとってどんな効用があるのか、ディスカッションできてないと、告知も薄くなる。

「ぶぶたす」はそこをしっかり意志疎通できているようだ。きちんと告知しているので、ダウンロード数は30万を超えたそうだ。それだけの数があると、放送に付随した様々な付加価値をもたらすかもしれない。

英国発のテレビサービスでzeeboxというものがあり、米国と豪州にも広がっている。最近その名称をBeamlyに変えた。そのBeamlyはこの「ぶぶたす」に非常に近いサービスで、ちがうのはソーシャル機能があるのと、特定の局ではなく全番組横断のサービスであることだ。

※zeeboxあらためBeamlyについてはこの記事を参照してほしい→テレビとネットは広告で融合できるかがポイントだ~All About zeebox(3)~

そしてこのBeamlyでは、CMに連動した広告サービスで付加的な収入を得ている。去年、BeamlyのCTOであるアンソニー・ローズ氏を、カンファレンスで日本に来てもらったのだが、その時にCM連動サービスについて聞いてみた。ひとつの番組で連動広告を出すといくらになるのかを聞いたら「3million dollars!」と言っていた。ざっと計算して3億円だ。それが月々なのか、放送ごとになのか、詳しく聞かなかったが、とにかく3億円。

だったら、同規模の収入になる可能性が「ぶぶたす」にもある、と言えるのか?それはともかく、Beamlyでよくわかったのは、テレビというマスレベルで人びとを集める装置は、大いなる可能性を持っているということだ。その可能性が、ネットの活用でふくらむ、はずなのだ。

ソーシャルテレビは、これまで「放送とネットの融合で何ができるだろう」を試してきた。これからは、その先にあるビジネスの可能性を本格的に探る時期だろう。それは、テレビというメディアが、テレビの枠を超えた存在価値を示せるかもしれない、ということなのだとぼくは考えている。

さて、この記事では久々に”ソーシャルテレビ”を題材にしたが、そもそもぼくはこのブログでメインに扱ってきたのがソーシャルテレビであり、その勉強会も二年続けてきた。

半年に一回くらいのペースでオープンなセミナーを開催してきたのだが、8月28日に久しぶりにやることにした。詳しい告知や応募方法などは近いうちにこのブログで発表するので、期待して待っててくださいね!

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【あやぶろ】テレビは視聴率以外のモノサシを手に入れられるか

この記事には【あやぶろ】というシリーズタイトルをつけている。

「あやぶろ」はもともとは、「あやとりブログ」だった。テレビ界唯一の”総研”であるTBSメディア総研の代表だった氏家夏彦氏が立ち上げたブログで、テレビを中心にしたメディア論が多彩な書き手たちによって展開されていた。氏家氏がTBSメディア総研の社長職退任にあたり、名称を「あやぶろ」に変えてリニューアルさせた。
あやぶろ(http://ayablog.com/)

ぼくは前々からあやとりブログに寄稿してきた。いちおう”寄稿”なのでオリジナル原稿をお送りしていたのだが、リニューアルを機に自分のブログと同時掲載の形にしようと思う。その第一弾記事が、以下の文章だ。
——————————————————————————————-
P2215602-514x360ビデオリサーチ社がタイムシフト再生視聴についてのデータを発表した。これについては氏家さんがすでに「ついに公表された録画視聴率で遊んでみた」と題した記事をあやぶろで書いている。

このタイムシフト視聴の調査と視聴率の調査は母数がちがうのでそのまま足しても正しいデータとは言えない。そう断った上で、大まかなことを見るために遊びとして数字をいじって連ドラの視聴率とタイムシフト視聴のデータを足すと、少し前の視聴率感覚に近づく。テレビ離れと言われるが、実は録画によってリアルタイム視聴が減ってしまっているだけで、録画再生も含めればまだまだテレビは見られているのかもしれない。

アメリカではC3と呼ばれるデータがあり、放送の3日後までの視聴データの合計が広告効果の指標として受け止められている。さらに7日後まで含めるC7もある。今回のビデオリサーチ社のデータは7日後までの再生数だから、アメリカのC7を基準にしたらどうなるかを試しているのだろう。

日本でもC3やC7が正式なデータとして採用されるかどうかはこれからの議論だ。アメリカでやってるから日本でも、とは簡単にはいかないだろう。それに企業が出せる広告費には企業ごとに限界があるのだから、C7を採用したら一気に録画分が”上乗せ”になるかは微妙だ。

ただまちがいないのは、録画再生視聴の分だけその番組は多くの人に見られている。そのことに何らかの価値付けをするべきだということに異論はないのではないか。

だが、広告主の側からはこんな意見が出るかもしれない。「録画再生する時、CMは飛ばされるので広告価値は上がらない」

この点をテレビ局側は踏まえるべきだろう。録画視聴の際100%CMをスキップするわけではなく、3割程度はCMを観るらしいというデータを聞いたことがある。それはあるにしても、さらに何らかの策を考えるべきだ。

いや、すでに策は試されている。

『半沢直樹』と同じく池井戸潤原作で話題になったTBSのドラマ『ルーズヴェルト・ゲーム』。二番煎じだのイマイチだのと罵声も浴びたが筆者個人はかなり楽しんで毎週観ていた。物語が佳境に入ったある回で、かなり驚いたことがあった。あのドラマ枠は名だたる企業がスポンサードしているが、そのCMでの話。

まず、東芝が『ルーズヴェルトゲーム』の物語にふさわしい野球ネタのCMを流した。このドラマは青島製作所という地味な企業を舞台に、その経営陣と実業団の野球部の2つのレイヤーで物語が展開する。観ているうちに企業における野球部の存在がいかに大事で素晴らしいかが伝わってくる。

東芝も野球部を持っている。CMは、東芝の野球部をモチーフに、製品や企業の強みをアピールするもので、ドラマへの感動と重なってちょっとグッとくるものになっていた。やるなあ、東芝、と感じた人は多いだろう。

そしたら今度は、日本生命がさらに踏み込んだ手法のCMを流した。日生にも野球部があるのだが、ドラマの登場人物たち、具体的には野球部の監督とキャプテンが、青島製作所の対戦相手である日本生命野球部について語るのだ。これがまた、ドラマにのめり込んでいる視聴者からするとジーンと来てしまう内容で、よくできていた。

広告の新しい手法で”ブランデッドエンタテイメント”と呼ばれるものがあるが、このCMはその好例となった。細かな部分まで、よくできていたと思う。

※このCMに関するTBSのリリースはこちら
原作・池井戸潤 TBS日曜劇場『ルーズヴェルト・ゲーム』で人気急上昇中の沖原和也役の工藤阿須加と青島製作所野球部員たちがコラボCM第2弾に出演!
オリコンの記事はこちら
『ルーズヴェルト・ゲーム』コラボCM第2弾 名門野球部・日本生命と対戦!?

企業の野球部を題材にした感動的なドラマがあり、野球部を持つスポンサー企業がドラマの延長のようなCMを流して、ドラマ同様視聴者を引き込むことができた。企業イメージがグッと上がった。

さて、もしこのドラマを毎週観ている人が、たまたま見逃した回を録画視聴したとしよう。CMの時間になってもドラマの登場人物がそのまま出てきて企業のことを語りはじめたら。そこにドラマの世界観と強い関連性があったら。その人はかなりの確率でCMをスキップしないのではないか。

つまりここで言いたいのは、録画データをカウントする時代になったら、CMを番組と関係させた企画にすれば広告効果もある!と主張できるのではないか、ということだ。

もっとも、そう簡単に行くのか、という懸念はある。ドラマの登場人物がCMでも登場する例は『ルーズヴェルトゲーム』がはじめてではない。そしてこれまでの事例は正直、うまく行ってないものが多い。ドラマの世界に無理やり商品を出している印象が強く、見ている側も白けてしまうのだ。

『ルーズヴェルトゲーム』の場合は、東芝と日本生命という野球部に力を入れている企業が”たまたま”スポンサーになっていたから無理がなかった。企業のブランド資産とドラマの中身がこれほど濃く結びつくのは奇跡のような話なのかもしれない。

いや、奇跡や偶然ではなく、恣意的にこの手法を実現するやり方はある。番組の趣旨を前もって知っておき、それが企業の活動や商品の特性と接点があればその番組のCM枠を買うようにするのだ。そうすれば、番組とのコラボレーション的なCMは制作できるだろう。もちろんこれまでもある程度、スポンサーが番組の趣旨を理解し賛同するからCM枠を買うことはあった。そこに「録画視聴でも飛ばされないCMにしましょう!」とさらに強い意識でCM枠をとらえることが今後必要だということだ。

ここで振り返ると、そもそもテレビ黎明期は番組とスポンサーの関係はもっと強かった。いまも『日立 ふしぎ発見』や『ソニー THE世界遺産』などの番組に残っている。昔は『LOTTE歌のアルバム』や『花王名人劇場』など企業名が冠につく番組は多かったのだ。テレビ黎明期はスポンサーとテレビ局が一緒に番組を育てようとの共生意識があったのだ。

録画の時代になってテレビはもう一度、そこに戻るのかもしれない。

さてビデオリサーチ社は、この録画視聴とはまた別に、Twitter TV視聴のデータも調査していくとずいぶん前に発表している。視聴率というテレビの指標の王道を守る立場のはずのビデオリサーチ社が視聴率以外のデータに取り組んでいるのは一見不思議かもしれない。だが、そこには大いなる問題提議を視聴率の会社自らがしている意志があるようだ。「”視聴率だけ”でいいのだろうか?」テレビ界のど真ん中から発せられたこの問題提議にぼくたちは耳を傾けるべきだろう。

そこにはまだ結論はない。だが少なくとも、視聴率以外の物差しを持つべきだ、という答えはいまや誰もが賛同するところだろう。試行錯誤を重ねて、答えを見つけるべき時がやって来ている。

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