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コピーライター→映像製作会社ロボット→広告代理店ビデオプロモーション→再びコピーライター(フリーランス)。 メディアとコンテンツの未来を切り拓くコミュニケーションをデザインします。講演・執筆依頼もお気軽に!

テレビがテレビじゃなくなるかもしれない状況にテレビはさしかかっている(それにつけてもNetflixは黒船である)

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汐留の地下道から日本テレビが入っているビルの受付に上がっていくエスカレーターがある。そこにはドラマの番宣など日テレの宣伝ポスターが掲示されているのだけど、いまは写真のようなポスターが掲げられている。これは正月の新聞広告でも使われたビジュアルで、これを見た時、「ををー!」と声に出して驚いた。

説明するまでもないと思いつつ少し解説すると、”日テレ”のロゴマークがテレビ受像機だけでなく、タブレットやスマートフォンなどありとあらゆるモニターを通して見えている。象徴的なビジュアルで、つまり日本テレビはテレビ受像機だけでなくあらゆるデバイスでみなさんと接点を持っていきますからね、とメッセージしているのだ。この企画でよく社内通ったもんだなあとか、他局の人はどう受け止めたのかなあとか、あっちの局やそっちの局だと絶対通らないだろうなあ、などと妙にインナーなことを考えてしまった。実際、誰がどう見てもマルチデバイスで先んじている日テレだからできるアイデアだと思う。

「テレビ」という言葉には3つぐらいの意味がいっしょくたに詰め込まれている。コンテンツとしてのテレビ番組のことであり、電波を使うテレビ局のことであり、映像を映しだすテレビ受像機のことだ。それがいま、ちょっと解体されつつある。必ずしも電波を使わないかもしれないし、テレビ受像機ではないデバイスで視聴できることもある。では何がテレビなのかというと番組なのだろうけど、テレビという言葉は電波による映像放送システムのことであり、それを受信する受像機の名称だったはずで、結局何がテレビなのかいま、わからなくなってしまいつつあるのだ。このポスターを見ていると、そんなことまで考えてしまう。

日テレがそういう表現を企業広告で行う2015年に、Netflixが日本にやって来るのはタイミングとして実に絶妙だなと思う。テレビとは、テレビなのかテレビじゃないのか、という禅問答をかき乱すのなら、今年しかなかっただろう。

Netflixについては、AdverTimeにこんな記事を書いたので、参考にしてもらいたい。

「今年秋、上陸決定!Netflixは黒船なのか?VODの進路が日本のテレビの将来を左右するかもしれない」〜AdverTimes ビデオコミュニケーションの21世紀〜

また西田宗千加氏がAV watchに書いたこの記事は、Netflixがアメリカで成功した要因と日本への影響を考察している。

Netflixは日本の映像ビジネスを変えるのか? 対応TVも〜AV Watch 西田宗千佳のRandomTracking〜

また同じAV Watchに、Netflixの”中の人”と、対応テレビをいち早く発売した東芝の方のインタビュー記事が出ていた。これもNetflixの姿勢がよくわかる記事だ。

Netflixに聞く日本参入の勝算。日本から海外展開を支援〜AV Watch〜

さてAdverTimesのぼくの記事には「黒船なのか?」という表現がある。これはもちろん、危機感をあおるために「黒船」と意図的に書いているのだが、まんざら誇張でもないつもりだ。

だからといって、Netflixが国内のテレビ局やマスメディアを駆逐するなどと言いたいのではない。よく思いだして欲しいのだけど、ペリーの黒船は徳川260年の眠りを覚ましたけれども、彼らが幕府を滅ぼしたわけではない。条約を結んだあとは領事館で日本の行く末を見守っていただけだ。Netflixを黒船になぞらえたからといって、やつらが国内事業者を滅ぼすと言いたいのだな!と受け取るのは早合点というものだ。

Netflixは国内メディア関係者を大いに刺激するだろう。そしてそこから業界が大きく変化するだろう。ぼくが言いたいのはそういうことだ。そしてそれは、むしろいいことのはずだ。少なくとも、コンテンツ制作者にとってプラスに働くと思う。

実際にぼくが得た情報では、Netflixはすでにオリジナルコンテンツ制作に向けていくつかの打診をはじめているようだ。そして同じ動きを、既存の国内VOD事業者がはじめたそうだ。つまり、VODのためのコンテンツ制作がこれから活発になるのだ。しかもテレビ番組並みの制作費がちゃんと出てくる。(ここが重要!)

「日本のコンテンツメイカーは結局テレビ局なのだ」とよく言われる。これはその通りだけど、それだけではない。テレビ局主導で作られるケースがほとんどだが、テレビ局だけではすべてを制作できない。専門の制作会社が数多く存在するし、脚本家や構成作家は基本フリーランスだ。ディレクターも、テレビ局所属の人もいれば制作会社の社員もいるし、もちろんフリーランスの人も多い。

テレビ局社内の制作者のほうが、ビジネス面では長けているし、マーケティング感覚もある程度ある。制作会社やフリーの人は職人気質でレベルも高いが、ビジネス感覚が弱い。そんな傾向はあるにせよ、VOD事業者の依頼に応えられるのはテレビ局だけではないのだ。テレビ局社内の制作陣に依頼するには、テレビ局そのものとの交渉になり、作ってもいいけどこれこれな条件でどうか、と複雑な交渉になるのに比べ、制作会社やフリーランスだと、純粋に作るかどうか、予算が見合うか、だけの交渉になる。話は早いだろう。

そういう交渉がもうはじまっているし、これからあちこちで具現化したり、一般化したりするのであれば、それは喜ばしい事態だと思う。そういう時代になるのを待ち焦がれていた制作者は多いはずだ。

つまり、コンテンツの流通事業者がいいバランスで増えるので、コンテンツの価値が高まり、制作できる会社や人材の価値も高まる。「いいバランスで増える」というのが重要で、ネットみたいに一気に増えると何でも安くなってしまうのだけど、BtoBのプレイヤーが増えることにより作り手にとって好ましい状況が出てくるということだ。蛇口の数が倍くらいに増えると、水を確保するためにコストを使おうとするので水の価値が高まるわけだ。水の質も問われ、おいしい水が確保できるなら蛇口の利用者も増えるので、おいしい水にはお金も払う。

長くなるので詳しくは書かないが、日本とアメリカは制作者の立場や収益性がまるでちがうのだけど、少しだけアメリカ側に近づくのだと言える。ただ、そうなると制作者にはビジネスマインドがいままでよりずっと必要になる。作りたいもの作ればお金のことなんてどうでもいいっす!とカッコつけててその実めんどくさがってたのが日本の制作者だけど、そんなんじゃ置いてかれるだけだろう。

テレビ局はダメになっていくかというと、そう単純ではない。むしろこれからも、最大の蛇口としての役割は必要なはずだ。ただ、これまでと比べると、放送システムより制作陣営のほうが重要になる。テレビ局の制作者が、Netflixだけで流れるドラマを作る、というケースも出てくるだろう。テレビ局を辞めた優秀なディレクターがVOD事業者の間で奪い合いになることもありえる。テレビ局としては、そうした制作能力をうまく利用して総合的なコミュニケーションの中で優位を保とうとすべき、という時代になると思う。ただし、そういう戦略的な動きが”局として”できればの話だ。キー局であれ、ローカル局であれ、戦略がないと地位は下がっていくばかりになるかもしれない。世帯視聴率は今後も上がりっこないからだ。

最後にこれは希望的観測で具体的事象は薄いけど、この傾向は映像制作界だけの話でもないと思う。ぼくたちのようなテキストの書き手やグラフィカルな制作者(デザイナーや写真家)にも近い傾向が出てきて、制作者の価値は高まると信じている。これは”予感”にすぎないので、そのうちまた考えをまとめて書こうと思うけど。総じて、世の中は悪くない方向へ向かっているとぼくは思っている。

※筆者が発行する「テレビとネットの横断業界誌Media Border」では、VODをはじめ放送と通信の融合の最新の話題をお届けしています。月額660円(税別)。最初の2カ月はお試しとして課金されないので、ぜひ登録を。→「テレビとネットの横断業界誌 Media Border」はこちら。購読は「読者登録する」ボタンを押す。

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赤ちゃんにきびしい国は、赤ちゃんにやさしい国に近づいている。

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※ビジュアル制作:BeeStaffCompany

気がつくと今さらだったのだけど、「赤ちゃんにきびしい国で、赤ちゃんが増えるはずがない」と題した記事を書いてから一年が過ぎていた。ハフィントンポストに転載されたものが15万いいね!を越えてぼくにとっての大騒動が起こったのが2014年の1月23日からの一週間ほど。

ハフィントンポストでの「赤ちゃんにきびしい国で・・・」の記事

たくさんの反響にしばらく戸惑っていたような記憶なのだけど、2月10日には「赤ちゃんにやさしい国へ」のシリーズタイトルで”赤ちゃん先生プロジェクト”の取材記事を書いているので、二週間ほどの間で自分の中で急激にいろんな展開があったのだと思う。

【赤ちゃんにやさしい国へ】お母さんはメディアになり、赤ちゃんは先生になる〜赤ちゃん先生プロジェクト〜

この取材を皮切りに、ずいぶんいろんな人とお会いした。振り返ると、いろんな活動があるものだ。(それぞれの項目に、それぞれの活動を紹介したページへのリンクがはってあります)

・赤ちゃん先生プロジェクト
・自主保育野毛風の子
・たつのこ共同保育
・asobi基地
・子育てシェア・アズママ
・ごたごた荘
・まごめ共同保育所
・ママメディ
・映画『うまれる』
・コワーキングスペースbabyCo

最初のブログのメッセージは「子育ては社会みんなで支え合って行うべきだ」というものだったのだが、それを実践している人たちがこんなにもいたのだ。ぼくが知らなかっただけだった。ひとつひとつの活動が確実に世の中に影響を与え、社会を変えていっていることが、取材を通じて実感できた。

ぼくは最初の記事をほんとうにたまたま、なんとなく気になったので書いたのだけど、そういうことをこんなおっさんがブログに書いてしまうような、そんな流れがいま、あるのではないかと思う。ぼくは知らず知らずにそんな流れに乗っかっていて、たまたま思いつきで書いたように見えて、その流れに書かされていただけかもしれない。

それはつまり、ぼくの言い方で表すと、この国は「赤ちゃんにやさしい国へ」はっきりと向かっているということではないだろうか。

子育てをしやすい世の中にしよう。そんなメッセージが、気がつくと世の中を飛び交っている。あるいは、いつの間にかそういう気持ちになっている人も多い気がする。

それはもちろん、少子化がいよいよ深刻になり、人口の減少が実際に起こりはじめているからだろう。去年は国全体の人口の減少だけでなく、消滅する地方自治体が出てくるのだという踏み込んだ議論が巻き起こった。あの村は何年後に無くなるかもしれないとか、日本の人口が数十年で3分の2になるとか聞けば、その原因をなんとかしないわけにはと誰しも考えるだろう。

政府が「女性が輝く社会」うんぬんと言いだしたのも大きい。いかにもとってつけたようなかけ声だし、女性閣僚の顔ぶれを見ると疑問も多い。でもそのことを批判するより、自民党が「女性が輝く」などと言いだしたことはエポックメイキングだととらえた方がぼくはいいと思う。「だって女性が輝く社会をめざすわけでしょ」と大いに利用すればいいのだ。

子育てについては国の施策も大事だけど、地方自治体の施策のほうがずっとずーっと、重要だと思う。これについても、ぼくがまだ知らないだけで、どうやらいろんな自治体で多様な取組みがはじまっているらしい。「会社ムラから子育て村へ」というのが一年間のぼくの取材の結論なのだけど、これからその具体例として、地方自治体を取材してみたいと思っている。

世の中をほんとうに変えているのは、ニュースを日々にぎわす著名な政治家ではなく、各自治体で地道にがんばる名もない議員や職員たちではないだろうか。少なくとも、子育てについてはそうなのだと思う。実はこないだ「月刊ガバナンス」という雑誌の取材があった。地方自治体で読まれている媒体だそうだが、記者の方から子育て支援に奮闘する自治体の話を教えてもらったのだ。そうか、やってるところはすでにあるんだな!自分を取材に来た相手から、新たな取材のネタをもらえた気がした。

自治体の努力と同時に、ほんとうに変えた方がいいのは、働き方だ。とくに会社との関係。会社に縛られるから長時間労働になり、家族のために稼ぐには家庭より会社を大事にせざるをえないという、本末転倒な状況に陥ってしまう。

これについても、すでに多くの方たちが発言してきている。”ワークライフバランス”という言葉はすでに一般的になっているのではないだろうか。”流れ”ができている。働き方を見直そう、会社漬けになっていてはいけない。そして効率的な働き方をめざしたほうが経営効率上もいいのだ。そんな議論はすでにあちこちで起こっている。

サイボウズが自社メディア”サイボウズ式”で働く母親のストーリーを映像化して公開し話題になった。一作目は共感を得たけど二作目は女性たちの不評を買ってしまったようだが、内容の評価はおいとくと、企業が自分たちの事業とは直接関係ない映像を制作しただけでも画期的だと思う。あれは西田尚美さんの出演も含めてちゃんとつくられたドラマだ。そんな予算をかけて議論を巻き起こしたのは面白い現象だった。

極め付けは、いま放送中のドラマ『残念な夫』だ。産後に一変した妻と、それに対応できない夫。これをドラマの主題に持ってくるなんて、まさしく”流れ”ではないだろうか。ドラマは時代を映す鏡だとよく言われる。「いまこのテーマはどうでしょう?」という制作者から視聴者への話題提示になっている。そのテーマに”産後の夫婦関係”が選ばれたのは、まさにいま、「育児」に注目すべき時代である証しだろう。

いま”育児”は時代をつかんでいる。トレンドをつくれている。5年後か10年後かわからないが、子育てをしやすい施策を自治体の多くが整え、遅くまで働くより家に帰って家族と過ごす人間のほうが尊敬される、そんな社会になっているかもしれない。そういう方向に、世の中は向かっている。ぼくはそう、確信する。

そんな”流れ”の中、もしあなたが日々の育児で困ったり悩んだりしているなら、あなたにもできることがある。あなたにだって”流れ”はつくれるし、”流れ”を後押しする方法がある。

それは、言う、ことだ。

口に出して、言う、こと。

育児についてあなたが抱えている悩みを、いま直面している困った事態を、口に出して言うことだ。あなたが家族にして欲しいことを、口に出して言うといい。周囲の人びとや会社の中で、こうさせてください、と明確に発言するといい。電車など公共の場所で、誰かにして欲しいことがあるなら、どなたかこうしてくれませんかと、口に出して言うといい。

口に出すには勇気がいる。でも言った方がいい。家族は理解してくれないんじゃないか。そうかもしれないけど、言った方がいい。言われたら考える。その時は拒んだとしても、言葉を人は受け止める。公共の場で他人に頼るのは迷惑じゃないか。いや、迷惑のひとつくらい、かけたっていいんだ。こっちが思うほど、迷惑とは思わず、はっきり言ってもらえたら親切もしやすい。

少し前までは、言わないほうがよかったのかもしれない。言っても何も変わらなかったかもしれない。でもいま、”流れ”はできている。以前とは違う空気が、育児を取り巻く世の中に漂いはじめている。言っていい状況が、いま生まれつつあるのだと思う。

だからその悩み、その不満、その思い。口に出して言ってみよう。ケンカや摩擦を生むかもしれないけど、いいじゃない。少なくともそれがあなたのエゴじゃなく、あなたの赤ちゃんのためになるなら、そしてこれから生まれてくる赤ちゃんとその母親のためになるなら、それでいいのだと思う。

※2月15日(日)14時から、紀伊国屋書店新宿南店(南口サザンテラス)で『赤ちゃんにきびしい国で、赤ちゃんが増えるはずがない。』(三輪舎)刊行記念「境治×治部れんげトークイベント」開催します。

詳しくはこちらのページへ。→紀伊国屋書店イベント告知ページ

※このブログを書籍にまとめた『赤ちゃんにきびしい国で、赤ちゃんが増えるはずがない』(三輪舎・刊)発売中です。

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プログラミングは、伝えたい情熱を増幅する。〜ジャーナリズムイノベーションアワードが文化祭みたいで面白かった件〜

1月24日(土)にジャーナリズムイノベーションアワードが開催された。この催しが何かについては前に書いたし、イベントのサイトを見ればわかると思う。

●ジャーナリズムとは何か。もう一度、根本からとらえ直す時だと思う。〜ジャーナリズムイノベーションアワードについて〜

●ジャーナリズム・イノベーション・アワード〜みんなでつくる、次世代のジャーナリズム〜

ぼくは主催者ではないが、途中で行われるパネルディスカッションのモデレーターを頼まれたので、早めに会場に行ってみた。

このイベントの大きな特徴は、”ジャーナリズムのイノベーション”というもやもやしたテーマで出展を募集したことだ。そして、ネットを中心にした活動を、イベント会場で”展示”する点だと思う。

どんな催しになるのかイメージがつかめてないままだったのだが、会場に行ってよくわかった。開催されたのは法政大学のホールで、小中学校の”講堂”のような空間。そこに展示会のように机が並べられ、それぞれボードに模造紙などを貼って自分たちの活動を説明している。
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来場者はそれぞれの展示に近寄っていく。出展者は展示会の説明員よろしく、「ご説明しましょうか?」と話しかけ、はいともいいえとも答えないうちにぐいぐいプレゼンテーションをはじめる。「ぼくたちの展示は○○○をテーマに取材した内容を・・・」と熱く熱く語ってくれる。
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基本的にはどれもWEB上で展開している企画なので、ノートPCや大型モニターを持ち込んで、実際にそのサイトを見せている。かなり大きなモニターを持ち込んでいるチームもあり、大画面の迫力で説明してくれる。

WEBサイトでの活動をこうして展示会形式で説明するってなかなかないことではないだろうか。それがかえって面白く、WEBからは伝わりにくい個人の情熱がそのまんま押し寄せてくる。いや、ほんとにみんな熱いなあ。

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ヨッピー氏と有限会社ノオトによる「悪質バイラルメディアにはどう対処すべき? BUZZNEWSをフルボッコにしてみた」も出展されていて、ひそかに注目していたのだけど、彼らなんかはWEBで見せるのをあきらめ、そのページを出力した紙を並べていた。あとは本人たちが”話す”という展示。ヨッピー氏は日頃も自分で実際にやってみたことを記事にしているけど、その手法で展示もやっている感じだった。

出展者は、朝日新聞や毎日新聞、NHKといった大きなジャーナリズム組織もあれば、Yahoo!やJ-Castなどネット上の大きなメディアもいる。でも多数を占めるのは、もっと小さなメディアやNPO法人、まったくの個人などだ。何度か見たことあるサイトもあれば、この場で初めて見たものもある。その幅の広さに驚いた。募集を始めた12月中は、応募が数点しかないと主催側は不安だったそうだが、最終的には38点も集まった。”新しいジャーナリズム、求む”と言われてこんなに集まるなんて素晴らしいことだ。しかも、クオリティもかなり高い。ひとつひとつ、へえー!と感心してしまった。

個人的にいちばんそそられたのが、「ドラッグストアとジャーナリズム」というブログサイトの展示だ。
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薬剤師であり編集者でもあるKuriさんが、ドラッグストアで働いた経験から、「薬の売られ方」にある知見と問題意識を啓蒙する活動で、去年の12月に起ち上げた。表立って言いにくいことも書いているので本名は出していない。白衣を着てマスクをかぶっていたのだけど、それは顔を出すとまずいからだということで、腕だけ写真に登場してくれた。

薬の売られ方なんて考えたこともなかったし、個人でやっている点にはシンパシーを感じた。どこかにじむユーモラスな感覚はご本人が愉快な方だからではないかな。

この催しはアワードだ。来場者は展示を見て回り、どれかに投票する。ここがまた面白いなあと思ったのだけど、投票はアプリをダウンロードしてスマホで・・・なんてことではなく、ボードにシールを貼るのだ。
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この丸いシールが多かった5チームが、ステージであらためてプレゼンテーションを行い、もう一度最終投票を行って最優秀賞を決める、というやり方。

一次投票ではヨッピー氏が最多得票で、このまま彼がグランプリをとってしまうのか、でもかなり変化球の企画なのでそれはそれで第一回として大丈夫だろうか、などと心配していたら、最終投票では“首都大学東京 渡邉英徳研究室”による「台風リアルタイム・ウォッチャー」が最優秀賞を受賞。一方、得票数2位の“沖縄タイムス戦後70年取材班”による「地図が語る戦没者の足跡」にはデータジャーナリズム特別賞が贈られ、第一回にふさわしい受賞作となった。

催しをひと通り見て、模造紙や熱く話す展示形式、シールによる投票など、なんだか既視感を覚えたのだけど、最後のほうで気づいた。

これは、文化祭、だ。

ジャーナリズムに携わる人たち、あるいはジャーナリズム的な試みに挑む人たち、多くは若い人だがベテランもいる、そんな人たちが、自分たちの活動を来場者に向けて熱くぶつける。ネットでの淡々としたクールな活動なのだけど、実際に会うとほとばしるほどの情熱を湧かせている人たちが、ここぞとばかりに言いたいこと、表現したかったことをプレゼンテーションしている。その手法が意外にもアナログであること、手づくりの文化祭のような雰囲気が、かえってみんなの情熱を引きだし、際立たせていたと思う。

だってジャーナリズムなんて、伝えたい!という情熱がないとできないだろうから。携わろうと思わないだろうから。

少し前に「ジャーナリズムに、正義はいらない」というちょっと冷めたことをブログに書いたのだけど、ほんとうは熱い思いはジャーナリズムに必要だ。正義はいらない。でも情熱は欠かせない。どうしても伝えたいことがある、なんとしても言いたいことがある。それでいいのか、このままではいけない!だからジャーナリズムに人は向かう。

ジャーナリズムはいま、デジタルという武器を得た。次世代のジャーナリズムとは、デジタルを武器に胸に潜む情熱を世の中に解き放つことかもしれない。プログラミングによって、伝えたい情熱は増幅できる。このアワードがぼくたちに教えてくれたのは、そういうことだと思う。

文化祭だと評したことの価値はもう一つあり、ネット上で新しいジャーナリズム的な活動をしている人びとが部分かもしれないがリアルな場で集まった、その価値は素晴らしく大きい。新聞社の中でも新しい活動をしている人、個人ブログで新たなメッセージを発信する人、それぞれなんとなく名前を記憶していた人たちと、顔を合わせて言葉を交わした。ぼくのブログも意外に読んでもらえているようだった。ぼくの前に突如、新たなコミュニティが出現し、大事にしていきたい仲間と出会えたことには、大きな大きな価値を感じた。

さてぼくが進行役を担当したパネルディスカッションにふれてないが、こちらに素晴らしいまとめ記事があるのでぜひ読んでください。

●「アルゴリズムか編集者か」「個人か組織か」~ジャーナリズムの未来は?

スマートニュースの藤村厚夫さん毎日新聞の小川一さんフジテレビの福原伸治さんにお集まりいただき、ぼくのつたない司会を大いに盛り上がるディスカッションにしてくださった。あらためて、ありがとうございました。

それぞれ貴重なパネラーの皆さんの発言の中でひとつ、ここでピックアップしたいのが、藤村さんの発言。「1920年代のアメリカでも”ニュースかビューか”という議論が起こった。これは普遍的なテーマだし、いま問われているのもそこかもしれない。いまあまりに、”ニュース”をないがしろにしたジャーナリズムが多いのではないか」だいたいそんな趣旨だった。

”ニュースとビュー”。つまり、ニュース(=取材した事実、情報)とビュー(あるテーマに対する意見、見解)とがジャーナリズムの要素としてあり、報道とはニュース、すなはち事実を伝え、時としてそれにビュー、見解を発信するものだ。本来はニュースがベースで、その上にビューが成り立つものだろう。

ところがいま、ニュースをなおざりにしているジャーナリストが多いのではないか。ビューを言うためにニュースを集めたり、中途半端なニュースをもとにビューを発信したりしている。

朝日新聞が謝罪した件も、ビューのためにニュースを作ったと言えるかもしれない。ネット上に氾濫する記事も、驚くような見出しでよくよく読むとニュースにあたる部分がいい加減な情報だったりする。

ニュースがあって、ビューが書ける。ビューのためにニュースを勝手に作ってはいけない。そんな意味だとぼくは受け止めた。

そんな風に、さまざまな知見に満ちたこの催しに関われたことはとてもうれしく感じた。主催した日本ジャーナリスト教育センターの皆さん、お疲れさまでした。次回があるか未定だと思うけど、ぜひ、今後も続けてくださいね。そしてこの”文化祭感覚”を大事にしてください!

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【赤ちゃんにやさしい国へ】会社社会主義から子育てコミュニティ主義に世の中を移行させねば(後編)

前編の記事を書いてから一週間経ってしまったので、書こうとしていたことを忘れてしまいかねない、ってことで、続きを書こう。前編を読んでない人は、ぜひそっちから読んでください。

【赤ちゃんにやさしい国へ】会社社会主義から子育てコミュニティ主義に世の中を移行させねば(前編)

何を書いていたかと言うと、この図の説明だったのだった。

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今の社会システムは会社中心にできていて、子育ては主従の従に置かれている。だからベビーカーが会社ムラにやって来ると時として疎まれる。ところがどうやら、そんなのは日本だけらしい。他の国では欧米でもアジアでも、ベビーカーには無条件で手を貸すのだそうだ。それは、子育てを主従の主に置いた社会だからなのではないだろうか。

これは、宇宙の問題なのだ。

私たちは、文化を共有する民族ごとにそれぞれの宇宙で生きている。古代のインドでは宇宙は亀の上に乗った像が大地を支えていると信じられていた。現代人はそれを笑うが、当時のインド人は大まじめでそんな宇宙を頭の中に持っていたはずだ。ガリレオが登場するまでの人々にとっては、大地が動かずすべての天体が地球を中心に動いていた。面白いことに、天動説をベースにした天文学がそれなりに発達して、太陽や星々の動きがほとんどそれで説明できていた。正しいはずの地動説は、ガリレオが唱えはじめたころはまだ未熟で、説明できない部分がたくさんあった。お前の地動説ではあの星やこの星座の動きが説明できないではないか、と問い詰められたガリレオが言ったのが、「それでも地球は動いている!」だった。あの有名なひと言は追いつめられての開き直りだったのだ。

ことほどさように、宇宙は民族や時代で異なる。宇宙がちがうとたがいに全く理解できない。

二十年だか三十年前だかに、詳しくは忘れたけど日本にやって来た大リーガー選手が、大活躍してチームに貢献している最中、子どもが病気になったので突然帰国してしまったことがあった。デッドヒートを繰り広げているペナントレースをあっさりほったらかしてしまった。ぼくたちはたいそうびっくりした。チームより家族を大事にしちゃうんだ!日本のマスコミの受け止め方も、やっぱりアメリカ人は個人主義だよな(つまりわがままだよな)という空気だったと思う。しょせん出稼ぎに来てるから日本のチームなんか簡単にほったらかすんだよ、あいつらは。でもその大リーガー選手にとっては、家族はかけがえのないものであり、何の迷いもなく仕事より重視した結果だったのだといまは思う。

つまり、大リーガー選手が住んでいる宇宙では、そうなのだ。仕事や所属する組織より、家族を大事にするのが当然なのだ。もし迷っている友人がいたら「ヘイ!何を迷っているんだい?家族より大事なものなんかこの世にないじゃないか!」と言うだろう。

地味すぎて例に出しても知らない人が圧倒的に多いだろうけど、少し前のアメリカ映画で『プレイス・ビヨンド・ザ・パインズ/宿命』という名作がある。ライアン・ゴズリング主演なので女性ならそのイケメン優男ぶりを見るだけでも価値があるだろう。その男は向こう見ずなスタントライダーで女性にもいい加減。明日も知れぬ気ままな生き方の男の前に、いつ会ったかも名前も忘れた女がやって来て、あなたの子どもができた、と告げる。途端に男は風来坊をやめて父親になろうとする。女はすでに別の男と暮らしているのだが、それもかまわず、自分が父親になるんだと言い張る。

これに似たことはアメリカ映画でよくあって、物語の中で男たちは父親であろうとする。好きになった女とは意外に簡単に離婚して別れちゃうくせに、父親であることにはこだわり、子どもと会えないとびっくりするくらい寂しがる。子どものために培ってきたキャリアを捨てたりする。アメリカの男は家族がいちばん大事だと思っている。

彼らは宇宙がちがう。いや、こと家族との関係で言うと、ぼくたちの宇宙がおかしいようだ。そういうことだ。たぶん、ぼくたち日本人だけ宇宙がちがうんだ。しかも、戦後のこの70年くらいの間だけ。イビツな宇宙を、40年体制のあらゆる制度が構築してしまったのだ。

そのイビツな宇宙は、世界史上まれに見る経済成長と、その反動である急激な少子化をもたらしている。

ひょっとしたら先進国はある時期、少しずつそれなりにイビツな宇宙になっていたのかもしれない。工業化が家庭と職場を引き離し、急激な都市化と人口集中でこの図の会社ムラに近い状況を生み出した。鉄道に長時間揺られて、住まいから遠く離れた会社で働く。そんなことをこの100年間くらい、人類は初めて体験した。住処と職場が遠く離れているなんてこれまでの人間の生活にはありえなかったのだ。

欧米は、70年代くらいにそのイビツさに気づき、宇宙を見直したのかもしれない。だが日本はこのイビツさから抜け出せない。その原因が、会社社会主義だ。会社を中心に制度を網の目のように張り巡らしたために、全部を見直さないと修正できないのだ。

この見方で大事なのは、ということは、宇宙を変える際に「会社に人生を預けない」ことが重要な鍵を握る点だ。いま雇用の議論になると全員を正規雇用にするべきだ、と主張する人が多い。ほんとうにそうだろうか。

正規雇用を求めると言うことは、会社に人生を捧げるということなのだ。図の会社ムラの住人になるのが正社員で終身雇用の真実だ。だからこそ、女房子どものために残業もいとわず働き、会社に忠誠心を示して辞めさせられないようにして、女性の進出を拒んできたのではないか。会社ムラの論理から逃れるには、正社員正社員と叫ばないほうがいい。会社に人生を委ねるのは、人生の主体性を喪失することにほかならない。子育て村中心の社会にしていくことと、正社員主義は相反するものだと認識すべきだ。重たいけれど、そのことにぼくたちは気づかねばならない。

人生はもっと柔軟にできないものか。

正社員主義は雇用を固定化する。労働を流動的にしたほうが子育て村にはかなうと思う。男性も女性も育休産休でいっそ退職して一年暮らしても、復帰する時には仕事が容易に見つかるようになればいい。夫がある時、もう一度勉強したいと会社を辞め、主夫しながら大学院に通う間、収入は妻が稼ぎ、夫は博士号を得てまったくちがう分野で頭脳労働者になる。落ち着いたら今度は妻が小規模な起業をするために退職して技術を学ぶ専門学校に通う。それくらい出たり入ったりの職業人生が過ごせてもいいと思う。

子育て村を中心にした世の中に変えていくとは、そういうことだと思う。これを実現するには、社会が「あんたたちの子育てになんかあったら社会がバックアップしますから!」というメッセージを発し、それに伴う制度を整える必要がある。「子どもを作ったのはあんたたちが望んだからで自己責任でしょ」ということでは、少子化は止まらず社会は衰えていくだろう。

ではどうやれば変えられるのか。そこはぼくには、まだ明確にできていない。ただ、すでにこの一年間だけでも、ずいぶん世の中は変わったと思う。例えば、ぼくがここで書くまでもなく、少子化と長時間労働には密接な関係があることを、すでに多くの人が言及している。みんな気づいている。三年前、そんなことはごく一部の人しか認識できてなかっただろう。

それから、世の中を変えるのに国がやることはあんまり関係ないというか気にしなくていいと思う。世の中を動かしてきたのは、少数の権力者ではなく、多数の名もない市民だ。ぼくたちはこれまでも世の中を変えてきたのだ。

あまり国をアテにしても仕方ないし、国への不満をぶっても世の中は変わらない。でも、ぼくたちにできることは必ず有り、それを積み重ね、広げることで変わっていく。必ず変わっていく。そんな中で、自治体の助けを借りたりしたほうがいいと思うし、国に制度を作ってもらう必要もあるだろう。国に求める前に、ぼくたちが何をすべきか考えることがずっと大事だ。

とは言え、具体的なやり方も少しずつ考えていきたい。ポイントは行政の活用だと思っているが、それはまた別の記事で。

ところで、ここで書いてきたことを本にまとめたのだけど、インディペンデントな出版社の無名の著者の本なのでなかなか書店に置いてもらえない。置いてくれるところはどんと置いてくれるけど、そうでもない書店はそうでもないのだ。みなさん、お近くの書店に「赤ちゃんにきびしい国で、赤ちゃんが増えるはずがない。」を仕入れてよと頼んでください!

※このブログを書籍にまとめた『赤ちゃんにきびしい国で、赤ちゃんが増えるはずがない』(三輪舎・刊)発売中です。

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ジャーナリズムとは何か。もう一度、根本からとらえ直す時だと思う。〜ジャーナリズムイノベーションアワードについて〜

1月24日に日本ジャーナリスト教育センターが主催する「ジャーナリズムイノベーションアワード」というイベントが開催される。”イノベーション”と呼べるような次世代を切り開くジャーナリズムの事例を集めて、みんなの投票でアワードを決める、という趣旨だそうだ。いま、このタイミングで開催されるのは非常に意義深いと思う。ぼくはその中で行われるパネルディスカッションの進行役を務めることになったので、ここでみなさんに告知したい。

→ジャーナリズムイノベーションアワードのサイト
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出品作品も続々集まってきているようだ。個人的には、よっぴー氏がBUZZ NEWSとケンカした件は注目している。

ところで、ぼくは12月にこんなタイトルでブログ記事を書いた。

「ジャーナリズムに、正義はいらない。」

もちろんジャーナリズムには権力に対する監視機能が必要だ。でも朝日新聞が謝罪会見をした一件は、反権力の姿勢が行き過ぎていたからではないか。だったら、”ジャーナリズムは、一度その正義を問い直した方がいい。正義感なんか忘れて、純粋に事実を調べて伝えることに徹した方がいいのだとぼくは思う。”というようなことを書いたのだ。

ジャーナリズムの権力監視機能を重要視するのは、20世紀的なのではないだろうか。もっと重要なことを模索してもいいのではないか。それよりも大事なことを、ジャーナリズムは持てるんじゃないか。そういうことを考えるタイミングなのだと思う。

そもそもジャーナリズムとは、近代国家の成立とマスメディアの誕生とセットでとらえられるものであり、つまりは新聞社や雑誌、テレビ・ラジオなどとほぼイコールだった。そこでは権力監視が最重要だったのも当然だろう。ジャーナリズムは国単位で存在し、輪転機や放送設備を持つ特別な組織で取り組むものだったからだ。ジャーナリズム活動ができない一般の人々に対し、権力監視は大きな使命でもあった。

ネットが登場しソーシャルメディアによって誰でも情報発信できるようになった。事件の最前線から誰もが情報を発信でき、それが世界にも届けられる。誰もがジャーナリズムに近い活動が可能だ。実際、御岳山の噴火が記憶に新しいところだが、普通の人の情報や映像が日本中、世界中に配信されている。

一方、誰もがジャーナリズムに意図せず参加してしまっている。BLOGOSには誰かよくわからない人の書いた記事が掲載され、職業ジャーナリストの記事と並列で扱われる。普通の人が個人的に書いたつもりのブログがキュレーションアプリによって新聞社の記事と区別なく拡散され多くの人の目に触れる。

面白い状況だと思う。ひとりの意見が世間に知らしめられるのは素晴らしいことではある。

でもおそろしい状況でもある。

何の気なしに書いた記事が、大きな誤解や思い込みを含んでいても、何かのはずみで拡散され新聞社の記事や専門家の意見と同等に読まれ、信じられ、人びとの気持ちや認識に大きな影響を与えてしまうことがある。そんなことを実際に何度も見てきた。

ネットに突然登場した新しいメディアで、記者としての教育も受けず経験もない書き手が、あやふやな情報をかき集めて自分の言いたい方向に歪曲した事実を書いて、これもまっとうな記事として受け止められ、誰かが悪者にされたり批判されたりする、そんなことも日常的に起こってしまっている。

いまやもう、既存のマスメディアも含めて、誰も信じられなくなっている。大新聞だから100%記事を信じたりもせず、さりとてネットの方が実は知見があるとも思えず、記事に接するとまず疑って検証したくなってしまう。何度かおかしな記事を配信したメディアは、もう記事を読もうとしなくなった。一部のマスメディアは相変わらず正義感が強すぎる気がするので、その分を割り引いて受け止めている。メディアごとに受け止め方を変える複雑なリテラシーが頭の中を渦巻き、かえってわけがわからなくなっている。

例えばデータジャーナリズムは、そんな中、必要な方向性なのだろう。ねじ曲がった意図を持つ文章よりも、純粋なデータだけで物事を語る方が真実に近づける気がするからだ。これはジャーナリストの次世代のひとつの解を提示している。

ぼくたちが考えたいのは、そういうことかもしれない。新しい手法や、姿勢や、書き方で、この混とんを乗り超えられないか。そこに、未来のジャーナリズムの有り様が浮き出てくるのではないか。

PC中心だったネットへのアクセスが、スマートフォン中心にシフトすることで、いまメディアをめぐるすべての状況にパラダイムシフトが起こっている。その中で、ジャーナリズムの存在意義にも変化が起こるのなら、もっとも重要な変化なのかもしれない。

ジャーナリズムの外にいるぼくたち読者こそ、そこには注目しなければならないのだと思う。

1月24日のジャーナリズムイノベーションアワードでは、新しいジャーナリズムの姿の片鱗が見えるかもしれない。そんな期待を胸に、多くの人が集まってもらえれば楽しいだろう。

※このブログを書籍にまとめた『赤ちゃんにきびしい国で、赤ちゃんが増えるはずがない』(三輪舎・刊)発売中です。

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【赤ちゃんにやさしい国へ】会社社会主義から子育てコミュニティ主義に世の中を移行させねば(前編)

年末に、小室淑恵さんのプレゼンテーション「人口構造から見るゲー­ムチェンジの必要性」―人口ボーナス期から人口オーナス期へ」が話題になっていた。

※ 日刊読むラジオ at http://www.yomuradio.com/archives/4827

非常に説得力ある内容で、全面的に納得した。

そしてその論旨は、このブログを書籍化した「赤ちゃんにきびしい国で、赤ちゃんが増えるはずがない。」の最後のほうで書いたこととシンクロしている。

書籍にはこんな図を載せた。いまこうなっちゃってるのを、これからこうした方がいい、というものだ。
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まず現状認識。いま、この国がどういう状況かについては、2013年の暮れに書いたこのブログにまとめている。この記事は「赤ちゃんにきびしい国・・・」ほどではないが、かなり読まれて転載されたハフィントンポストでは7000くらい「いいね!」がついた。

「日本人の普通は、実は昭和の普通に過ぎない。」

ここで書いたことは、簡単にひと言で言うと「会社社会主義」と呼ぶべきものだ。日本のシステムは、会社を軸とした一種の社会主義だったのだ。戦時中、1940年代に戦争のために整えられた制度が戦後もずっと継続している。それは、会社を単位に国民を庇護してその力を国家のために十分引きだすためのものだった。

日本人の人生は、会社にものすごく依存してしまう。

新卒一括採用で入った会社にずっといるのが人生の前提で、30代後半を過ぎると転職のハードルもグッと上がる。そのまま定年まで勤めあげると多額の退職金がもらえて、さらには企業年金まであったりする。長くいるほどインセンティブがあるのだから、いやな事があっても我慢してしまう。我慢強いのではなく、我慢する方が得なのだ。

さらによくないのが、長時間会社にいた方が残業代がついて収入が増える。残業した方がもらえるお金が増えるなら、長くいようとするに決まっている。やることがなくても居残る傾向になるインセンティブが働いているのだ。そのうえ、長く会社にいるとなんだか褒められる。がんばって働いていると言われるし、会社や部署への忠誠心があると受け止められる。

さらに同じ会社にいる一体感を重視する。会社を家族に例えて精神的につながろうとする。毎日長く居て、それを定年まで続けるのだから、どうせなら一緒にいて気持ちいいととらえた方が精神衛生上いいのだ。

さらにさらに、会社は税金の計算をしてくれる。社会保険も代行して払ってくれるしなんだったら住宅ローンも世話してくれる。もう人生の一から十まで面倒見てくれるのだ。この制度に乗っからない方がおかしいというものだ。いいとこづくめ、得だらけ。

ただし、会社が面倒見てくれるのは、人生を会社に”捧げて”くれる人間だけだ。出産した女性は会社より育児を優先するのは当然だと会社は見ているが、ということは捧げてくれないので冷たい。働きたいならそれはそれでいいけど、絶対に出世させないし給料は何らかの理由で安いままだ。どんなに優秀でも、捧げてくれないので評価しない。

男性は夫になり父になっても、相変わらず人生を捧げないといけない。転勤も我慢するし管理職になって残業代がつかなくなっても遅くまで会社にいる。残業する部下を残して帰宅なんかできないし、上位の管理職がやはり捧げる事を求めているからだ。毎晩遅い夫を妻がなじると「お前たちのためなんだ」と怒る。それは言い訳でもあるが、ウソでもない。そうしないと出世できないだけでなく、あの人は忠誠心が足りないと批判されるからだ。

それが会社社会主義の実態だ。

その中で妻はひとりで育児を背負わされる。子育てについては会社のことではないので関心を持ってくれない。ましてや働く女性には、それはあんたの選んだ道だからとすべてを押し付ける。子どもを誰が担うのかは、会社には関係ない事だ。

会社がすべての中心なので、会社が育児を担うつもりがないと子どもが減る。少子化の真実はそういうことだと思う。

だったら会社が育児の面倒も見るべきだろうか。それに越したことはないし、今後、会社は育休産休を充実させるだろう。それも会社にとってプラスだと気づきはじめたからだ。男性の育休もこれからは積極的になるし、大企業だけでなく中小企業にも波及すると思う。

会社が育児の面倒まで見てくれるならいちばんだね。・・・そうだろうか。それはいいことに違いないが、解決策だとは思わない。それより、会社が人生を決めてしまうことのイビツさから、ぼくたちはもう離れていくべきだと思う。なぜならば、これからの会社は人生の最後まで続かないだろうから。そこに人生を預けるとかえって大変なことになる。

ぼくたちは、会社と人生を切り離すべきなのだ。会社が人生のすべてになり、税金の計算までしてくれるのはそもそも、おかしかったのだ。それに会社と人生がべったりな社会は変化できない。いまの日本はまさにそうだ。身動きが取れない。会社がいろんなものを背負いすぎていて、ヘタに動くと大勢の人生が大変なことになるからだ。

流動的になった方がいい。個人も、事業体も、流動的になって、仕事はちょくちょく移るし、会社も生き長らえようとするよりダメになったらすぱっと買収されたり解散したりできた方がいい。

会社ってのはたんに収入を得るためのシステムに過ぎないのだ。もちろんそこには自己実現もある。達成感がある。能力が磨かれたり、チームワークがもたらす高揚もあったりする。だからと言ってそれのみにならなくていい、ということだ。ぼくたちは会社に重きを置きすぎ、ともすると自分より会社を大事にしてきた。そういうとらえ方はもうやめたほうがいい。

会社社会主義の説明を書いていたら、長くなってしまったので、後編に続く。

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【2015年のご挨拶】年が変わるたび、ぼくたちは生まれ変われる。

新年明けましておめでとうございます。

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このブログの、2015年最初の記事は年賀の挨拶にさせていただきます。ですので、文体もふだんとはちがいていねい語で書いていきます。

上の年賀画像に書いた通り、昨年末に『赤ちゃんにきびしい国で、赤ちゃんが増えるはずがない。』という本を出しました。できたばかりの出版社、三輪舎によるいわばインディペンデントな出版。それにしても、メディアとコンテンツのこれからを考えてきたこのブログ・クリエイティブビジネス論で育児社会論を書くようになるとは、そしてそれが本になるとは、一年前には思いも寄りませんでした。

一度死んで生まれ変われる。私たちは観念的にはこれを人生の中で繰り返しています。成人式とはそういう儀式だし、結婚もそうです。そしてもっと言えば、私たちは毎年生まれ変わっているのだと思います。去年の自分と今年の自分は、自分で意識しないうちに、一年前に想像しなかった姿に変わっているものなのです。

どうせなら、生まれ変わることを驚いたり、喜んだり、前向きに受け止めた方がいいのだと思います。きっとそれは、少しだけかもしれないけれど進歩したのでしょうから。

そんな気持ちで、今年の抱負を、今年の世の中の動向を踏まえて書き記しておこうと思います。ややこしいことも書いてますが、どうぞお読みください。

1)メディアにおけるパラダイムシフトが起こる

もう言うまでもなく、スマホがメディア状況のすべてを変えようとしています。これまでのネットはPCを入口にした独立した世界で、マスメディアとの連携は薄かった。そのせいで、旧メディアを”変える”には及ばなかったと思います。マスメディアとは別にネットという場ができたという感じでした。
ところがスマホはこれまでのネットも含めて吸い込もうとしている。マスメディアも根本からの変化を余儀なくされています。乱暴かもしれませんが、メディアと接触するデバイスは今後、スマホとタブレット、そしてテレビに収斂していくと思います。テレビはそこでスマホを活用できないとメディアとして老いていくでしょう。でもスマホを取り込むことで新たな存在感を勝ち取ることも可能なはずです。
私としてはこれについて「ネットとテレビが一緒になった具体的な仕組みの考察」を今年のテーマに据えます。

2)新しい広告のカタチが求められる

スマホがもたらす最大の影響として、新しい広告の有り様が問われはじめるでしょう。ネイティブ広告の議論はその一端です。広告とコンテンツの線引きがこれまでのメディアの必要条件だったのが、それも含めて問い直されることになります。どうあるべきかの答えはまだどこにもありません。それを見いだすのが今後の大きな課題になるでしょう。これについては「ネイティブ広告も含めて新しい広告のカタチの具体化」を自分のテーマにしたいと思います。

3)ジャーナリズムの意義が根本から問われる

スマホはあらゆるコンテンツをフラット化してしまう。そこでは、権威ある大新聞も、名もない青年が書き飛ばしたブログも並列です。この傾向はいままでもありましたが、スマホはメディアのブランド力を激しく縮小してしまうので、傾向が加速しています。そして新聞の部数が急減する中、大新聞の権威が失墜し、旧来型のジャーナリズムが大きく揺らいでいます。一方ネット上に新しいジャーナリズムがはっきりと勃興しているわけでもありません。私はジャーナリストではありませんが、だからこそひとりの読者の視点で「ジャーナリズムへの読者視点での問いかけ」を今年のテーマにするつもりです。

4)育児と社会の関係は、会社と個人の関係に進む

『赤ちゃんにきびしい国で・・・』の議論の発端は、育児と社会の摩擦でした。だが、なぜそこで摩擦が起こってしまうのか、摩擦がはらんでいる問題点が見えてきました。それは、戦後の日本社会がとりこぼしてきたものであり、突き詰めると日本独特の会社文化のイビツさに至ります。育児と社会の関係を見直すことは、会社と個人の関係を変えることにたどり着くのです。だからこそ、育児と社会の関係を深堀りし、あるべき社会の像を明確にしたいと考えています。どうすればいいかを実際的に見いだしたいと思います。

こうして書いていくと欲張りすぎで、広がりすぎな気もします。ですが、育児社会論の一連の記事を書きながら気づいたのは、赤ちゃんの話とメディアの話はつながっているということでした。すべての問題はバラバラなのではなく、根っこはつながっている。

だからと言って、上に挙げたすべてで美しい結論を導きだせるとは思っていません。なんというか、がんばります、としか言えないですが。

ただ、「赤ちゃんにきびしい国で・・・」への反応で自覚したことは、自分にはみんなが言いたいことをわかりやすく言う、そういう役割があるのだということでした。メッセージをつくりあげるのが一種の使命であり、そのメッセージとは私が自分で編み出したものではなく、いろんな人たちの思いをすくい取り、洗いだし、構成し、組み立てたものなのです。私のメッセージは、みなさんのものなのでした。

ですから、私にとってみなさんとコミュニケーションして思いや意見をもらうことがますます大事なのだと思います。

今年も、仕事を通じて、リアルな集いで、ソーシャルを通して、とにかくいろんな場で、交流させてください。みなさんの言葉が、私の栄養源です。

さて上記(3)に関連してお知らせです。1月24日にジャーナリズムイノベーションアワードという催しがあり、その中で行われるパネルディスカッションでモデレーターを務めます。詳しくはまたブログに書きますが、まずはこちらをご覧ください。
→ジャーナリズムイノベーションアワードのサイト

ではみなさん、今年一年もまた、よろしくお願いいたします。

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【赤ちゃんにやさしい国へ】赤ちゃんを通じた男女の出会いは、いちばん自然かもしれない〜赤ちゃん婚活パーティ〜

このところ書籍化の話ばかり書いていて、ずいぶん前の取材を記事にしていなかったので、いい加減書こうと思う。

ここでも何度か記事にしてきた赤ちゃん先生プロジェクト。書籍「赤ちゃんにきびしい国で、赤ちゃんが増えるはずがない」の中でも重要な位置を占めている。

→お母さんはメディアになり、赤ちゃんは先生になる〜赤ちゃん先生プロジェクト〜
→そこでは私たちの未来が作られていた〜赤ちゃん先生プロジェクト見学記〜

その赤ちゃん先生プロジェクトの理事長・恵夕喜子さんからご連絡をいただいた。婚活パーティを赤ちゃん先生がお手伝いするので、取材に来ませんか、というお誘いだった。

・・・ん?婚活パーティと赤ちゃん先生?最初はよくわからなかった。だが、当時仕上げに入っていた書籍の中にもほんの少しだけ近いことを書いていた。うーん、これは行ってみなくては!

というわけで、11月のある土曜日、代官山まで出かけていった。

その婚活パーティ、場所がまず興味深い。chano-maという”子どもにもママにもやさしい”をコンセプトにしたカフェで、ママと赤ちゃんが一緒に参加できるイベントも開催されている。

→代官山Chano-ma

赤ちゃんと過ごしやすそうなふわふわと柔らかな空間だ。そこに婚活中の独身男女が十数名ずつ集まっている。

ノッツェという結婚相談所の会員の方々だそうだ。

→結婚相談所NOZZE(ノッツェ)

ノッツェでは会員のためにいろいろな婚活パーティを開催するそうで、その中での新しい試みとして赤ちゃん先生プロジェクトとのコラボレーションが成立したそうだ。

カフェが区切られて控室的な空間ができており、そこでは赤ちゃん先生とママ講師たちが準備中だった。
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一方、仕切の向こうの会場では、参加者たちがイベントの開始を待ちかまえている。こんな会場だということがこの写真でわかってもらえるだろう。
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いやしかし、赤ちゃんの参加で果たして婚活パーティが盛り上がるのだろうか。もちろんそういう募集に応じて集まった人たちなのだから、子ども好きなんだろうけど。でも女性はともかく、男性が赤ちゃんを見て高揚するのだろうか。ましてや、初対面の女性と一緒に赤ちゃんの世話をしたりするの?

集まっている男性たちを見渡すと、正直言って見た感じからして子ども好きだとは思えなかった。この青年たちが、赤ちゃんを抱っこできるの?

いざスタートすると、ぼくのそんな心配は杞憂だとわかった。いくつかのグループに分かれて数名ずつでひとりの赤ちゃんを取り囲むのだけど、それぞれが湧いている。むくつけき男子たちも、なれないなりに赤ちゃんにふれたりあやしたりしている。

こう言うのも失礼ながら、神戸に取材した時の小学生たちとそんなに変わらない。人間は、赤ちゃんに高揚するのだ。赤ちゃんには人を和ませる不思議な力があるのかもしれない。

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赤ちゃんのお世話をする時間はやがて終わり、そのあと参加者のみでのパーティとなった。なるほど。赤ちゃんの世話を通して打ち解けたあとで、あらためてゆっくり話をするのだ。なかなかよくできてるんじゃないかな。ふつうの婚活パーティでいきなり会っても打ち解けにくいだろう。赤ちゃんがいてくれることで自分を出しやすく、話しやすいムードができる。

終了後に、赤ちゃん先生プロジェクトの恵さんと、ノッツェの社長・須野田珠美さんに時間をもらえた。パワーあふれる女性二人のエネルギーに負けそうになりながらお話をうかがった。
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赤ちゃん先生がキューピッド役を務めると婚活パーティが盛り上がるんじゃないか。試しに九州の結婚式場でやってみたところうまくいった。カップルの成立率が3倍くらいになったそうだ。そこでノッツェと赤ちゃん先生プロジェクトで協力してあちこちでやってみているのだという。

もともとノッツェでもいろんなタイプの婚活パーティをやってきている。参加者からすると、短い時間でお互いを知るのは大変で、人柄をかいま見えるようにする企画は重要だ。ノッツェの登録者には一見すると地味だけど、ちゃんとおつきあいすると人柄のいい人が多い。そんな人たちが互いに自然に人柄を見せるのに、赤ちゃんは格好の仲介役なのだそうだ。

須野田社長にとって、ノッツェの事業を通じて女性のライフスタイルをサポートしたいとの思いがあるそうで、恵さんとは意気投合しているとのこと。お二人が力を合わせてできることは、まだまだあるのかもしれない。

赤ちゃんと婚活の組合せは意外なようで、実は自然なことなのかもしれないと思う。都市で出会ったカップルがイタリアンを食べながら見えているお互いの姿は、それはそれでウソではないだろうけど、カッコつけてる時の二人だ。自然に振る舞う時の姿は、赤ちゃんを前にした時に出るかもしれない。大泣きする赤ちゃんに舌打ちなどせず、戸惑いながらもあやそうとする男性は、一緒に家庭を持つ姿が想像できるだろう。おいしい店を知っていることより、ずっと重要なことだ。

子育ては核家族ではなく、大きなコミュニティで引き受けるべきもの。「赤ちゃんにやさしい国へ」のシリーズの中でぼくが一貫して感じていることだが、男女の出会いもその子育てコミュニティの中でもたらせるのではないだろうか。独身男女にも子育てに参加してもらい、その共同作業を通じて飾らない姿を知りあう。

ノッツェと赤ちゃん先生プロジェクトが連携することで、そんな自然な出会いが可能になった。こう言うと怒られそうだが、恵さんと須野田社長は”おせっかいなおばちゃん”なのだと思う。そういう役割の女性が、社会には必要なのだ。結婚が難しくなっているいま、”おせっかいなおばちゃん”が求められているのではないだろうか。いまの若い人が不器用だから結婚が減っているのではなく、そういう、必要な仕組みが失われているのではないか。

おじちゃんだって必要だろう。寅さんみたいに必要ないのにしゃしゃり出てかき乱しつつも若いもん同士をひっつけちゃうおじさんとか、健さんみたいにムスッとしながら若い二人を後押しするおじちゃんとか。

そういう失われてしまったコミュニティとその中での”仕組み”が、ここでは取り戻されようとしている。だとしたら、できることはもっとあるのかもしれない。ぼくたちがコミュニティを形成し、その一員であることを自覚することで、何ができるのかは見えてくるのではないだろうか。

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【赤ちゃんにやさしい国へ】無謀な書籍化、その記念イベントの報告、そして店頭に並ぶかどうか

「赤ちゃんにきびしい国で、赤ちゃんが増えるはずがない。」がいよいよ出版へ向かっていると、前回の記事で書いた。

→無謀な書籍化に、長野智子さんから推薦文をいただいたこと、出版記念イベントのことなど

イベントの方は12月13日に無事終了。まず、そのかんたんな報告を記しておこう。

五反田のコワーキングスペース、Contentzを借りて開催したこのイベント。Ustreamで生配信を行った。日本Ustream界の旗手、ヒマナイヌの川井拓也氏に頼み込んだら即引き受けてくれた。その映像はアーカイブになっているので、そちらで軽く見てもらうといいと思う。

→出版記念イベントライブ『赤ちゃんにきびしい国で、赤ちゃんが増えるはずがない。』

司会は、三輪舎・中岡祐介くんの大学時代の後輩だという、繊研新聞の佐々木遥さんにお願いした。当然本職ではないし、司会は初めてだったそうだが、堂々と務めてくれた。

さて、前回も紹介したけど、イベントのメニューはこんな感じ。

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まず中岡くんが、ぼくと出会ってこの本を出版することになった経緯を説明した。ほんの前説ですと言ってたくせに、長いんだよな。まあ彼なりに話したかったんだろう。
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そして、哺乳瓶のビジュアルをつくってくれて、この本の装丁も担当してくれたBeeStaffCompanyの上田豪さんが登壇。つづいてハフィントンポスト編集部の久世和彦さんも駆けつけてくれて、見る見るいいね!が増えていった時の話をしてくれた。久世さんも赤ちゃんのお父さんで、「赤ちゃんにやさしい国へ」のシリーズはまさに自分ごととして見つめてくれていたそうだ。
(写真の右が久世さん、左が上田さん。奥にいるのが佐々木遥さん)

それから、自主保育・野毛風の子の東市文恵さん。知人である彼女がブログを読んで、久しぶりですとメールをくれたことから、一連の取材がはじまった。さらに、たつのこ共同保育の有薗愛さん。彼女をこういう場に連れだすと楽しいだろうなと、出版を決めた時から想像していた。人を巻き込むパワーのある女性だ。
(写真左が東市さん、右が有薗さん)
→みんな自分の子供みたいに思える場所〜自主保育・野毛風の子〜
→保育の理想は”サービス”とは離れたところにあるはずだ〜たつのこ共同保育所〜

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続く後半では、こどもみらい探求社の小笠原舞さん、コワーキングスペースbabyCoの曽山さん、子育てシェア・アズママの甲田恵子さんに登壇していただいた。
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小笠原さんは保育士であり、仲間たちと保育士の新しい活動としての自由な保育を実現している。こどもみらい探求社で取組む活動を、これまで何度か取材させてもらった。
→保育士さんたちがきっと世界を変えていく〜イベント型保育活動・asobi基地〜

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杉並の保育園一揆でジャンヌ・ダルクと騒がれた曽山さんはいま、フリーランスで働く母親のためのコワーキングスペースを運営している。babyCoに行ってお話をうかがったことを記事にした。
→保育園一揆のジャンヌ・ダルクが砦を持った〜曽山恵理子さんのコワーキングスペースbabyCo〜

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子供を預けたい人と預かりたい人を結びつける子育てシェア・アズママの甲田さんは、ぼくはブログの中でAppleのCMからもじって「クレイジーなひとりの女性」と呼ばせてもらった。
→クレイジーなひとりの女性が、日本の育児を変えていく。〜子育てシェア・アズママ取材〜

そんな、それぞれパワフルに活動する女性を三人も集めてしまったものだから、後半のディスカッションはぼくはひたすら振り回されすぎないようにたずなを握りしめるので手いっぱい。モデレーターのパワー不足で決して議論がスマートに進められたとは言えないが、それぞれのお話は濃く参考になるものだったと思う。

そうそう、それから、赤ちゃん先生プロジェクトからも、神戸にいらっしゃる代表の恵夕喜子さんの代わりに、何名か来てくれていた。その中のひとり、池田美砂子さんにも少しお話をしてもらった。
→そこでは私たちの未来が作られていた〜赤ちゃん先生プロジェクト見学記〜
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ちなみに↓これはぼく。うしろに子どもたちが遊んでいる。Contentzは脇に人工芝が敷いてある素敵空間なのだけど、このイベントは子供連れてきてオッケーだったので、その人工芝がおあつらえ向きの遊ばせスペースになった。だから、子どもたちの遊んでいる姿が映りこんでいるのだ。
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このイベント全体としてぼくは”コミュニティ”をテーマに掲げた。自主保育・共同保育にしても、後半の三人の活動も、子育てのためのコミュニティを形成するものだ。それは、子育てを核家族単位に、母親ひとりに押し付けないで、社会みんなで引き受けるべきだという、書籍の主張とリンクするものだ。なにしろ、みなさんの活動を取材することで、ぼくは自分のこうした考えをふくらませることができたので、当たり前なのだけど。皆さんの話はきっと、コミュニティを作り運営する上で役立つ内容だったのではないかと思う。

イベントの様子は”ウートピ”というサイトも取材に来てくれレポート記事をあげてくれているので、併せて読んでもらうといいと思う。
→17万いいね!獲得のブログ本『赤ちゃんにきびしい国で、赤ちゃんが増えるはずがない。』が提案する育児とは?

さて無事にイベントが終了し、本は出荷され、週明け15日から書店に並ぶという。できたばかりの出版社・三輪舎にしては、順調に物事が運んでいるじゃないか。ということで、今週はさっそく移動のたびに書店に寄ってみて、本が置かれているのを確認しようとしたのだけど。

(ちなみに三輪舎の書籍取扱店はこちら→http://3rinsha.co.jp/?page_id=284)

・・・置いてないぞ?・・・そんなにたくさん回ったわけではないが、月曜日から水曜日にかけて3〜4店回っても置いてない。置いてある状態を確認できない。

あー、そうなんだなあ、と、ぼくは思った。やっぱり、できたばかりの出版社がいちばん最初に出す本なんて、書店がかんたんに置いてくれるわけないよなー。中岡くんは、11月になると各書店を回って、いわゆる営業活動をしていた。そのたびに、あそこが置いてくれることになった、そこも扱うと言ってくれたと、収穫を報告してくれていたのだが、扱うから店にどんと置くとは限らないもんな。いちおう仕入れてはずみで空いた棚にでも入れるか、そんな程度だったんじゃないか。あーあ、なーんだ。やはりもっと立派な出版社と組むべきだったよ。

中岡くんに、置いてないぞ、どうなってるんだ、と不平を言った。いやでも、各書店にはとっくに届いてるはずなんですが、おかしいですね。ほらー、そんな悠長なことだから、書店の人にかわされちゃったんだよ。でも紀伊国屋書店の新宿南店からは4面で置いたと連絡いただきました。ホントかよ・・・

もう完全に疑いながら、新宿に行ってみた。南口の再開発でできた高島屋の向こう、代々木寄りに紀伊国屋書店の大きなビルがある。その4階に置いてあるという。

・・・行ってみたら・・・え?これ?こんなに?・・・こんなにどかんと、確かに4面つかって置いてくれてる。えー、でもそんなにドカンといいんですか、大丈夫ですか?
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にわかには信じがたいので、近寄ってよくよく見ると、まちがいない。これは確かに私が書いた本、「赤ちゃんにきびしい国で、赤ちゃんが増えるはずがない。」だ。長野智子さんのお顔もちゃんと載っている。
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いやー、なんだ、中岡くん、やるじゃないか。でかしたぞ、中岡!こんなにどかんと置いてもらうなんて、一年目の出版社なのに大したもんだ。えらいぞ、信じてたぞ!うん、きみと組んでほんとによかった!

ただ、また別の書店に行くと置いてなかった。まだこれからなんだな。よくよく見ると、”これから棚に入れるところです”という感じで、たくさんの本と一緒に脇に置かれていた。

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みんな、「早くぼくたちも棚に置いてくれないかなー」と待っているように見える。彼らがぼくには仲間たちのように思えて切なくなった。みんな、あと少しだ!きっと週末にはたくさんの人の前にデビューできるね!

一方で、Amazonではまだ「扱ってません」と表示される。これも、中岡ぁ、どういうことだ!と問い詰めたら、何やら長々と説明されてよくわからなかったのだけど、ようするに、来週あたりから取り扱いされるらしい。苦肉の策として、いまマーケットプレイス扱いで買える状態になっている。お急ぎの方は、ここから購入してみてください。あ、もちろん三輪舎のサイトで直接も買えるそうです。
※その後、通常の取り扱いがはじまりました。いまは普通に購入してもらえます。

→Amazonでの購入はこちら

→三輪舎のWEB SHOP(出版社的にはこちらのほうがありがたいそうです

というわけで、無謀な書籍化もなんとか店頭に着地しつつあります。みなさんぜひ、読んでくださいね!

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ジャーナリズムに、正義はいらない。

朝日新聞の社長が交替した。木村伊量社長が辞任し、渡辺雅隆取締役が新社長に就任したそうだ。
それを報じた朝日新聞の記事がこちら↓

「スピード重視して改革進めます」 朝日新聞渡辺新社長

9月に朝日新聞が謝罪会見を行った時、このブログでこんな記事を書いた。

息苦しいのは、互いに首を絞めあっているからだ。

さらにそのずいぶん前、2013年の1月にはこんな記事を書いている。

これまでのメディアにデジタルが加わるのではない。メディアがデジタル化していくのだ。

この時は、朝日新聞の社長が、「紙媒体に書くことだけこだわる記者は数年後には仕事がない、くらいに思っていただかなければなりません。」と言ってのけたことを褒めぎみに取り上げた。デジタルの時代に対応するには紙にこだわってちゃダメだと、天下の朝日新聞の社長が言ったのは素晴らしいと思った。この時の社長が、木村伊量氏だったのだ。けっこう、時代を読もうとするポジティブな意志を持つ人だったのではないか。この時の記事を読み返すと、木村社長の辞任は残念な気もする。

とは言え、今回の件で社長が辞めるのはいたしかたないのだろう。

ただ、渡辺新社長の就任挨拶の記事を読むと、どうなんだろう?と疑問を呈したくなった。

改革のために掲げた5つの具体策と指針として、挙げたのが以下だ。

■車座集会を全国各地で開催します。
■言論の「広場」機能を強化します。
■誤報を防止する仕組み、訂正報道のあり方を抜本的に改革します。
■健全な批判精神を堅持します。
■調査報道をさらに強化していきます。

ぼくが疑問に思ったのは4つ目だ。「健全な批判精神を堅持します。」ここでいう”批判精神”とはようするに「反権力」のことだ。解説文の中に・・・

「報道機関にとって、健全な批判精神を持ち、権力監視を担うことは、存在意義にかかわる重要な役割です」

とある。そうなのだろうか。誤った報道により交替した新社長が、これをまたあらためて大事だとする必要があるのだろうか。

9月の謝罪会見の時、ぼくは朝日新聞の記者のツイートを追ってみたのだが、多くが「身を引き締めねば」との率直な反省だった中に「だが反権力と弱者への寄り添いを忘れてはならない」というのもあった。ぼくはあぜんとした。「反権力と弱者寄り添い」が行き過ぎて今回の問題になったのではないか。つまり行き過ぎた正義感が、誤った報道につながったのではないのか。

正義は容易に悪に転じる。

ジャーナリズムは、一度その正義を問い直した方がいい。正義感なんか忘れて、純粋に事実を調べて伝えることに徹した方がいいのだとぼくは思う。

そんなことを考えていたらこんなことが話題になった。

麻生財務相:子ども産まない方が問題…社会保障費巡り発言

あー、またやっちゃったのかな?と一瞬思ったが、いやだが待てよ。この手の政治家の揚げ足取りはそのまま信じちゃいけないかもしれない。それはこの数年で学んだことだ。

そしたらこんなTogetterが出ていた。

麻生氏「子供を産まないのが問題」が各新聞で様々な表現をされている件

報道では「子どもを産まない方が問題」となっており、麻生さんが子どもを産まない若い世代がいかん、と言っているように受け取れる。だがTogetterで麻生さんの発言全文を読むと「(若い世代が)子どもを産まない(という現象)のが問題」だと言っているのだろう。

そこまで理解してもなお、ぼくはこの演説が高齢者に気に入られようと若い世代をダシにしているのがいやだなと思うし、「子どもを産まない」という言い方をしてしまうのはいつもながら不用意だと思う。

ただ、報道では「子どもを産まない方が問題」とした上で、記事の中で「批判が出る可能性がある」と第三者の言い方をしている。だが記者自身が批判しているのは明白だと思う。

これが誤報とまで言わない。でも、反権力たろうとする基本姿勢が記者の目を曇らせ、事実を少しずつゆがめてしまっていないだろうか。実際、この報道は憶測や識者のコメントもついてばーっと広がった。

もうジャーナリズムに、正義はいらない。反権力の姿勢をいったん忘れて、ほんとうにあったことは何か、きちんと調べて伝えることに徹してほしい。

それは朝日新聞などの旧マスコミだけの話ではない。ネット上に次々に登場するメディアについても同様だ。キュレーションアプリなどの新しい仕組みや、ソーシャルメディアを通してぼくたちは莫大なニュースに接することができるようになった。だがその大半が、あまりにもがさつで信頼できないものだと思えてきた。ろくに調べもせず、あやふやな情報を元に断言する書き方の記事が多い。ほんとうに多い。

信頼できないジャーナリズムは、いつか消え去ると思う。朝日新聞はそういう危機にさらされているのだろう。でもそれは、新しいネットメディアも同じだ。ジャーナリズムは新旧まぜこぜになりながら、その役割があらためて問われているのだとぼくは思う。

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【赤ちゃんにやさしい国へ】無謀な書籍化に、長野智子さんから推薦文をいただいたこと、出版記念イベントのことなど

「赤ちゃんにきびしい国で、赤ちゃんが増えるはずがない。」の無謀な書籍化。無謀にも今週入稿が完了した。もうあとには引けないじゃないか。

そもそも何を書籍化してるの?という書き込みが前回の記事の時にあったので、そういう方は以下のいくつかの記事を読んでください。

1月に書いたこの記事に「17万いいね!」がつき・・・
赤ちゃんにきびしい国で、赤ちゃんが増えるはずがない。

成り行き上、取材を始めることになり、それをもとに書籍化へ向かってしまった。
「赤ちゃんにきびしい国で、赤ちゃんが増えるはずがない」を本にしようという無謀な試み〜ソーシャル出版とでも呼んでみる〜

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本を作るのは二回目なのだけど、装丁を身近でやってもらっていることもあり、”つくっている”実感が得られている。つくるにあたってのひとつひとつのプロセスが、すぐそこで行われているのだ。装丁をお願いしているBeeStaffConpanyはいつもブログのビジュアルをつくってくれてもいる、上田豪氏のデザイン事務所で、ぼくはデスクを借りている。

束見本(中身は真っ白で紙質やページ数の実感を得るための見本)が出来てきて、カバーを試しに出力してかぶせてみると、あら、もうできあがったみたい。うん、これは”本”だなあ。カバーはもちろん、このシリーズの象徴的なビジュアルとなった、マチ針だらけの哺乳瓶。一見やわらかだけど、マチ針に気づくときつい、不思議な写真だ。

帯も製作中。そこに入れるために推薦文をどなたかにお願いしよう。だったらハフィントンポスト編集主幹の長野智子さんに書いていただけないものか。長野さんは最初の「17万いいね!」に一緒に驚いてくれていたし、そのあとも「赤ちゃんにやさしい国へ」のシリーズをよく読んでいたみたい。いやー、でも著名人だしやっていただけるものなのか?まあ、お願いするだけやってみよう!

お願いしたら、即、引き受けてくれると返信が。そのあと、事務所からも正式に承諾の返事をいただいた。なんと!ありがたいやらうれしいやら!

長野智子さんはもちろん、フジテレビにいらした頃からテレビで観ていた。その頃の飛ぶ鳥を落とす勢いのフジテレビで「おれたちひょうきん族」の中の「ひょうきんベストテン」というコーナーで島田紳助氏とともに司会をしていた。やっぱフジテレビはアナウンサーもこういうこと軽々こなすんだなー。感心しながら見ていたものだ。

その後、長野さんはフジテレビをやめたと思っていたら、いつの間にかニュースキャスターとして活躍していた。もはやジャーナリストといっていい存在だ。器用だなあ、華麗だなあ、と思っていた。

数カ月前だが、AERAの「現代の肖像」で長野さんの記事を読んだ。「ひょうきん族」では思い切りが悪く芸人たちが認めてくれず、ある時吹っ切ってやっと仲間になれたこと。辞めたあとも悩んだり迷ったりしながらキャスターの道を歩みはじめたことなどが書いてあった。ずーっとテレビで見てきたのに、まったく知らなかった一面だった。同い年なこともあり、勝手に親近感を持つようになった。

その長野智子さんが、推薦文をくださった。

高度成長を支えた古いルールとシステム。日本の抱える閉塞感の正体がここにある!編集部員も目をこすって確かめてしまった「17万いいね!」の秘密は、私たちみんなが笑顔になるための答えでした。

なんか、じーんと来た。長野さん、ありがとうございます!

発売日は12月15日なのだが、出版記念イベントを12月13日にやることになった。場所は五反田のコワーキングスペース、Contenzだ。ここもぼくは利用している。なにしろ利用料がリーズナブルなのだ。個人なら月9900円!

Contenzは、宮脇淳氏率いるノオトが運営している。品川経済新聞を発行する編集プロダクションで、少し前にハフィントンポストに宮脇氏の記事が出ている。

記事をパクって楽しい?手間をかけてネットメディアを育てるメリット

宮脇氏に相談したら、イベントに使わせてくれるという。ありがたい!赤ちゃんを連れてきてもいい催しにしたいと言ったら、授乳スペースも確保してくれた。みなさん、ホントにいい場所だよ!

Contenzはこちらのサイトで→http://contentz.jp/

イベントのプログラムはこんな内容。これまで取材した方々に登壇していただける。

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ハフィントンポストの久世さんは、【赤ちゃんにやさしい国へ】の記事をぼくが書くと転載の作業をしてくれ、それを伝えるメールの中でいつも素敵なコメントを添えてくれた。ハフィントンからの依頼で書いているわけではないが、一人でコツコツ書いているので、やはり”編集者”のそういうメッセージが励ましになっていたのだ。

東市さんはいちばん最初に取材をした自主保育のメンバー。昔仕事をした知人だ。彼女がメールをくれたことがその後の取材を始めるきっかけになった。有薗さんはものすごく熱いメールをくれて、共同保育を教えてくれた。このお二人は「普通のお母さん」だ。そんな方が登壇するイベントって、面白そうでしょ?

自主保育野毛風の子の記事
→「みんな自分の子供みたいに思える場所〜自主保育・野毛風の子〜」

たつのこ共同保育の記事
→「保育の理想は”サービス”とは離れたところにあるはずだ〜たつのこ共同保育所〜」

曽山さん、甲田さん、小笠原さんはそれぞれ保育をサポートする活動をしている。三人ともパワフルなので、ぼくはうなずいているだけでいいんじゃないかな?

曽山さんの記事
→保育園一揆のジャンヌ・ダルクが砦を持った〜曽山恵理子さんのコワーキングスペースbabyCo〜

甲田さんの記事
→クレイジーなひとりの女性が、日本の育児を変えていく。〜子育てシェア・アズママ取材〜

小笠原さんの記事
→保育士さんたちがきっと世界を変えていく〜イベント型保育活動・asobi基地〜

でもこのイベントの趣旨は、えらい人の話を聞くことではなく、みんな同じ立場で集まって、考え、共有することだ。最初の記事にはじまり、取材しながら考えて書いてきたことを、分かち合うこと。そしてそれをどうしたらもっと世の中に発信していけるか。そんな集いになればいいと思っている。

イベントは参加費500円で、トークセッション終了後に歓談の時間をもうけて軽く飲み物をみんなで飲みながらわいわい楽しみたい。気持ちを共有するもの同士で集まるだけでも、素晴らしい時間になると思うので、みなさんどうぞ参加してください。

行けないけど参加したい!そんな方には、Ustream配信をするのでネットを通して参加してもらえる。日本のUstream第一人者、ヒマナイヌの川井拓也氏が中継を快く引き受けてくれた。これまたありがたい!UstのURLなどは追って下記サイトやFacebookページでお伝えします。

ということで、いろんな方々のお力を借りつつ、12月13日のイベントを開催しますよ!

イベント参加の申し込みはこちらからどうぞ→http://akachan-event.peatix.com/

※「赤ちゃんにやさしい国で、赤ちゃんが増えるはずがない。」は12月15日発売。こちらで予約注文できます→三輪舎WEB SHOP http://3rinsha.theshop.jp/

※「赤ちゃんにやさしい国へ」のFacebookページはこちら↓
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「赤ちゃんにきびしい国で、赤ちゃんが増えるはずがない。」の無謀な書籍化、ほんとに実現?!発売日は12月15日らしい。

20141126_sakaiosamu_01「赤ちゃんにきびしい国で、赤ちゃんが増えるはずがない。」を書籍にするという無謀な話。原稿をまとめたり打合せを進めたりしつつも、これはどこかで行き詰まったりするんじゃないかと怪しんでいた。現実のこととはなかなか思えない。

それが今日、三輪舎の中岡祐介が印刷会社の方を連れてきて、装丁をしてもらうBeeStaffCompanyの上田豪さんと関口美樹さんとの打合せにぼくも立ち会い、表紙の紙をどれにしたらどうだとか校正をどうするとかの話をぼーっと横で聞いていたら、なんだかこれはホントに出るらしいぞとやっと思えてきた。

カバーの印刷見本なんかが出てきたりすると、これは決してPCのモニター上の話ではなく、書籍という手にとってさわれる「物質」ができていくのだと真実味をにわかに帯びる。

そうかー、出ちゃうんだー、おれが書いた育児の社会論の本。・・・えー?!ホントなの?ホントに?この中岡祐介という青年が今年起ち上げたばかりの出版社から?出るの?いいの?大丈夫なの?おれの前の本は『テレビは生き残れるのか』というメディアの将来を考える書籍だったんだけど、まっっったくつながってないよー。

これはつまり、ぼくがまだ戸惑っているのだ。だってほんの一年前まで、育児と社会の関係を論じた本を出すなんて考えてもみなかったことだから。一年前のぼくに、あんたはねえ、一年後に赤ちゃんが増えるはずがない、という本を書くんだよ、と言っても、は?何言ってんすか?そんなわけないっしょ!とケンカ腰で言い返されるだろう。
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だってね、「赤ちゃんにきびしい国で・・・」の記事を書いて以来、いろんなところに取材に行ったり、さらにこのテーマの意見をブログに書いたりしたのは、ぼくの意志というより、みなさんの意志だ。ぼくが書いたというより、みなさんに書かされたという感じ。「集合知」という言い方があるけど、「集合意志」みたいなものがソーシャルメディアとハフィントンポストを伝って集まってきて、ぼくを動かしてきたのだ。

シャーマンという存在がある。あるいは、依り代という役割がある。そのコミュニティのみんなの心を受け止めて神との間を仲介する。そういうポジションが人間集団には昔からあった。そんな役割をぼくがみなさんからもらったのかもしれない。

表現というのは、表現者個人の中のみにある言葉や音階を表出したもの、だけではないとぼくは思う。その人と何らか接する人々みんなの意志を言葉や音階にしたのが表現なんじゃないか。だから、表現をする人はシャーマンに近い。コンサートはどこか宗教的な行為だ。それは、そこに集まる人々の意思の受け皿をミュージシャンが引き受けるからだ。

そう考えると、ぼくは戸惑ったりせず、もうジタバタしないでみなさんの気持ちを受け止める役割に静かに身を置くべきなのだろう。そうです、あなたが言いたかったことが、つまりあなたが書いたも同然の本が、ぼくの名前で世に出ます。
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みなさんから送ってもらった赤ちゃんの写真も、こんな感じでレイアウトされていますよ。メッセージは一部ちょっとはしょったりしちゃってますが、掲載してます。

打合せでスケジュールもいよいよ固まってきた。発売日は12月15日と書け、と中岡くんが言うので、そうお伝えしておきます。書籍の発売日は、書店に届く日がまちまちだったりするので、言い方が難しいらしいよ。

すでに予約がはじまっていて、三輪舎のサイトで申し込めるそうです。いまの時点でけっこう予約してもらってるみたい。書展さんからの注文も来はじめているそうで。ありがとうございます。→三輪社WEB SHOP

そうそう、発売を前に12月13日に記念イベントをやろうとなってます。詳細は、Facebookページでお伝えするとのことなので、ここから↓見に行ってくださいね。
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というわけで、12月15日を楽しみに!

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