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コピーライター→映像製作会社ロボット→広告代理店ビデオプロモーション→再びコピーライター(フリーランス)。 メディアとコンテンツの未来を切り拓くコミュニケーションをデザインします。講演・執筆依頼もお気軽に!

2009年の初めに〜変わることをたのしもうぜ(自分も)〜

休暇の間ずーっとマスメディアは派遣を切られた人びとを追っていた。日比谷に集合したりしたもんで、メディアの格好の題材だ。

マスメディアは派遣切りされた人をかわいそうだあわれだと言わんばかりの扱いで、切った各企業はひどいヤツらだと言っている。

をいをい。派遣制度を利用して自分たちは高給取り、派遣された人たちは薄給でこき使っているのは他ならぬあんたたちマスメディアじゃないのよ。

いや、そんな他人のことはどうでもいい。

派遣労働者が不幸になっているのは、企業の経営者が悪いのだ、とは一概に言えない。硬直的なこの国の労働制度が彼らを不幸にしているのだよ。

この国は正社員を過剰に守ってきた。そのしわ寄せが派遣労働者の不幸につながっている。

正社員の流動性を高めれば、つまり解雇しやすくすれば、そもそも”ハケン”なんていう制度に頼らなくてすむんだ。

なんてひどいことを言うのかって?経営サイドのモノの見方だよなって?そう言うあなたは、うーん、この国のシステムに侵されているよ。

世の中はもっと変わっていいんだ。人生の中で会社をどんどん変わっていいんだ。一度正社員として入社したらカイシャに一生守ってもらいたい?それは弱者を装った保身的姿勢だ。

そんなことしてたら、この国がみーんな共倒れになるんだよ。全員でどんどん貧しくなるだけなんだ。

この国に決定的に欠けているのは、流動性だ。

変わっていい、という意志がなさすぎなの。みんな変わることを怖れすぎている。

変わることをたのしもうぜ。昨日とちがう明日にワクワクしようぜ。自分でも気づかなかった自分の可能性を見つけていこうぜ。

考えてみればぼくたちは、”自分のやりたいことを見つけろ”と言われすぎていた。自分の生きる道はひとつしかないと思い込まされてきた。

そんなの、まやかしだった。自分が何がやりたいか、ではない。自分が何をやるべきか、が大事なんだ。いま、目の前にある、自分がやるべきことを、真摯に見出そうとする意志こそが、大切だったんだ。

変われるよ、誰だって。何だってできるようになるよ、やらねばならないのなら。

世の中は、変わる。わりと、意外にカンタンに変わる。

そしてぼくたちも、変われる。ひょいっと。ちょっとした勇気と向上心さえあれば。

変わるのが怖いと、嫌だなと、面倒くさいと、ウジウジしている間に、世の中の方がぐいぐい変わっていく。そのことが去年はっきりした。だから、変わらないわけにはいかない。

どうせ変わらないといけないのなら、たのしもう。おもしろがろう。ワクワクしよう。

そうしたら、2009年はサイコーにエキサイティングな一年になる。きっとね。

さあ、じゃあはじめるよ、2009年を。

アー・ユー・レディ?

マスメディアよ、お前はただのインフラに過ぎない〜メディア事変その46〜

さて今年、はっきり起こったね。メディアの大政奉還が。明治維新の大政奉還はマツリゴトを帝にお返ししたのだけど、メディア維新の大政奉還は、メディアをクライアント企業と一般視聴者にお返ししたんだ。

試算してみたのね。

前に、09年までの広告費減少額を試算したけど、そのつづきもやってみたわけ。いまの勢いでマス広告費が減少したとしたら2011年には?ざっくり言って、テレビ広告費は2兆円から1.5兆円に減る。新聞広告費は1兆円から0.5兆円に減る。

つまりこれから3年間でテレビと新聞の広告費が1兆円減るんだ。

テレビ局と新聞社はすごい勢いで力が弱くなり大リストラをはじめる。

一方、広告代理店業界は?電通と博報堂DYグループとADK(大手代理店5社)の売上高を合計すると約3兆円らしい。

さっきの1兆円は、この5社で大ざっぱに推測すると7割ぐらい影響するだろう。だとすると3兆円は2.3兆円に減少する。

大手代理店もすごい勢いで力が弱くなり大リストラをはじめる。

これから大変なことになっていく。

マスメディアや代理店にぶら下がっていたクリエイターは3年間の暴風雨に堪えなければならない。そしてそれらにぶら下がっていなかったクリエイターなんて存在しないんだ。大手所属も、一流も、中小所属も三流も、みんな、一様に暴風雨。

暴風雨が去ったあと、周りを見回すとなぎ倒された木々、崩壊した街、ひっくり返ったクルマ、てな光景になる。

その時、暴風雨が去ったあとを見越して準備をしてきたやつらが、せっせと新しい街づくりをはじめる。

マスメディアはどうなっているだろう?ただのインフラになっているんだ。クライアント企業と一般視聴者を結ぶインフラ。電話線とか上下水道とか、そういった事業になっている。

もう、何やら大衆を啓蒙しようとする傲慢な意志や、自分たちこそが時代をつくるのだという野心や、クライアントを牛耳っているのはわしらじゃという強引さは持ちえない。こっちのクライアントさん、いいですか?あっちの視聴者さん、問題ないすか?じゃあ、情報を流しておきますね。そういう役割になる。その役割に限定すれば、けっこう安定した事業になる。高い成長はしないし、社員は高給取りじゃないけど、安定はする。なくなりはしない。だってインフラってそんな存在でしょ?

マスメディアよ、お前はただのインフラに過ぎない。

奇しくも40年くらい前のテレビ創成期後半に、テレビの時代をきり開いた先輩クリエイターたちが似たことを言っている。「テレビよ、お前はただの現在に過ぎない」そう、もともと、マスメディアは”現在”というインフラに過ぎなかった。ただ”現在”というインフラが有り余る価値を持ちえたんだ。近代化と高度成長の余韻が残っている間は。

メディアが力を持とうが、ただのインフラになろうが、コンテンツは必要だ。ただのインフラになったらますます、コンテンツを生み出す能力がある人間の価値は高まる。ただし、高い能力には高い価値がつき、低い能力にはあまり価値がつかなくなる。

コンテンツを生み出す人間は、だから強い意志を持たねばならない。

いままでは、インフラの立場が強く、要望をしてきた。クライアント企業や視聴者の意志はメディアがわかっているんだ!だからこうつくってくれ、と要望してきた。コンテンツ側は、はいはいわかりました、と、その要望に沿って生み出せばよかった。

何しろクリエイターは、とにもかくにも何かを生み出して毎日暮らせれば幸せだと感じてしまうお人よしだ。マーケットだのニーズだのビジネスモデルだの、考えるのめんどくさいから、お絵描きだけを毎日できればうれしいいいい!ってんで、至福の日々を過ごしてきた。

でもこれからは、自分で考えなければならない。消費者のニーズだのマーケットだのを調べて考えてクライアント企業に自分で提案しなければいけない。ビジネスモデルの創出しなきゃってことで、3年分の損益計算もしないといけない。

だけど、ひとたびそういうノウハウを身につければ、自分の生み出したコンテンツがメディアを自在に駆け巡る。クライアント企業からお金を引き出し、複数のメディアを闊達に駆け抜ければ二次収入をもたらしてもくれる。

よく考えたらそれは、二十世紀にハリウッドの連中がやってたことと似てるじゃないか。なーんだ、あいつら、こうやってたんだ。

終わろうとしているのは、あくまでマスメディアがすべてを握っていた時代であり、はじまろうとしているのは、コンテンツがすべてを指揮する権利を持つ時代なんだ。

これから2011年まで、いよいよ激しくなる暴風雨を乗りきろう。2011年まで準備しよう。それが2008年メディア維新の年の終わりに、このブログの読者のみんなに送るメッセージだ。アジテーションだ。

アー・ユー・オーライ?

編集部と広告部のファイアウォール〜メディア事変その45〜

前回のネタとなった編集者の友人の、また別の話。

彼が言うには「ぼくたち紙メディアの会社にはねえ、ずーっと編集と広告の間にファイアウォールがあったんだよ」えー?そうなの?

言われてみると、そういえばと思い当たることはけっこうあった。雑誌の記事の方に広告的なことを求めるのはすごく難しかった。広告の仕事で出版社の広告営業部の人と話すと、”いや、編集にはそんなこと言えないですよ”と言われることがそう言えばあったんだなあ。

新聞社や出版社にとって、収入の中に占める広告費がどれくらいかちゃんとは知らないけど、よく聞かされたのは”大まかに言って半分は広告収入”ということ。あるいは、雑誌の制作費を広告収入でトントンにできれば、購読収入分が利益になるとも聞いた。

だから、広告費の影響はやっぱり紙メディアでも大きいんだ。

でも、編集と広告の部署の間に”ファイアウォール”は存在した。

ぼくの友人はそのことに気づいて危機感を持っているのだけど、そういう危機を自覚する人はまだ全然少数らしい。

編集者にとって、広告収入を意識することは、魂を売るような気持ちなんだろう。それはわかる。それぐらいの気概が、とくにジャーナリストには必要だと思う。

しかし問題なのは、マスメディアに所属する”ジャーナリスト”は自分では魂を売っていないつもりでも、現実としては商業主義に乗っかって生きてきた、そのことを自覚しないのは恐ろしい、まずい。自覚がないのに、とくに”大新聞社”や”大出版社”の名刺を持つことで”錯覚”してしまっていた。ほんとうに独立した存在として”ジャーナリスト”足りえていたかどうか、はなはだ疑問だ。

あ、いかん、”この国のジャーナリスト”を批判するのがここでの本題ではないか。

とにかく、編集者が広告とのファイアウォールを気にせず、あるいはそういうものとして過ごしてきた。そこにあった矛盾がいま、彼ら自身に対して噴出しようとしているのだ。

広告収入を生業とするメディアであるからには、自分が偉いから存続できるのではないと知らねばならない。そこにあるのは、クライアント企業と読者の接点だということでしかない。インターネットによって、単なる接点は意見や主張を持つ必要なし、という事態が起こりつつあるわけ。中途半端な人材は、意見だの主張だの持たないでよ、ってことになりはじめたわけだ。

新聞界や雑誌界で誇りを持って生きてきた人たちには、にわかには認めがたいことだろう。

だけどね、そこを前向きにとらえれば、面白いことが引き起こせると思う。これからのメディアのヒントが、”クライアントと読者の接点にすぎない”ことに潜んでいる。あるいは、そのファイアウォールをとっぱらっちゃえば、ものすごくユニークなことができる。

”接点”にすぎないのなら、いかに魅力的な接点になればいいかを考えればいい。どれだけ便利な接点をつくればいいかを悩めばいい。

あっっっっっ!と思った?

そう、そこにはものすごく革命的なものが見えてくるでしょ?

これは、紙メディアだけでなく、メディアやコンテンツの世界に住む人たちにとって、共通する突破口だ。そして、それを前向きにとらえれば、こんな面白いことはないだろう。

え?

あっっ!って何が?って感じ?

そうか、じゃあ次回でもう少し語るね。

No Editors, No Journalists〜メディア事変その44〜

No Editors, No Journalists.この英語は、今年起こっているマスメディアを取り巻く状況をあっさり言ってのけていて面白い。べつにぼくが考えたんじゃないよ。ある一流雑誌社の友人が教えてくれたの。

アメリカに視察に行ったんだって。あっちの紙メディアはどうなってるのかな、って。あっちの方が進んでいる。進んでいるのは進化していてすごいって意味じゃなくて、マスメディアがネットに凌駕されてる状況が進んでいる、と。

その時、アメリカの紙メディアの人が教えてくれたのが、No Editors, No Journalists.

教えてくれたアメリカ人も、もちろんEditorかJournalistなわけで。

だから、”日本のきみ、これからはこうだよ”と誇らしげに言ったわけではなく、”なんかさ、こういうことみたいよ”と自嘲的に言った、わけだ。

編集者も記者もいらねえよ、のココロは、つまりWEB2.0的というか、CGMのこと。

あれ?CGM、ってなにそれ?って感じ?

Consumer Generated Mediaのことじゃない。”消費者自身が創り出すメディア”って訳せばいいのかな?

わっかりやすーい具体例。

株式情報のWEBメディアがある。人気のコーナーは、株を買うべきか売るべきか。

そこでは、著名なアナリストが”A社の株は買いだね、なぜならばね・・・”というコラムを書いている。

一方、別の経済学者が”いやいや、B社の株は売りだよ、だってね・・・”と反対のコラムを書く。

ん?それならいままでの紙メディアでもやってたじゃん。

いや、そこからがちがう。

そのサイトでは、”買い”のアナリストのコラムにつづいて、一般読者のコメントが自由に書き込めるんだって。もちろん、”売り”の意見のコラムにもコメントがつけられる。で、読者のコメントがずらーって並んでいる。

すると、読者は著名人のコラムを読み、さらに読者のコメントも拾い読みする。買いの意見も、売りの意見も、両方をいろんな角度で読めるわけだ。

その上で、読者がその株を買うのか買わないのかは、自分で決めればいい。

うーん・・・なるほど。No Editors, No Journalists.確かに、そうなってる。

実際、そのコーナーは人気らしい。

読者からすると、確かにねー、そりゃ合理的だねー、いいシステムだ。

でもジャーナリストにとっては、”僕って何?システム開発の人?”と自問自答してしまうだろう。

うーん、なんか、示唆に富んだ話、じゃないかい?

『24』や『LOST』並みのドラマが日本でもつくれる?〜メディア事変その43〜

フィンシンルールって知ってる?

アメリカで70年代から90年代まで続いた、テレビ放送に関する法律。

これがねえ、日本の感覚ではアバンギャルドというかすげえ法律なんだ。

3大ネットワーク(日本で言えば民放キー局)は外部制作番組の配給・販売・所有権を持っちゃいけない。また自社制作番組を放送後一定期間で市場に放出しなければならない。

もうひとつ、プライムタイムアクセスルールってのも同じ時期にあった。

月〜土のプライムタイム(4時間/日)のうち1時間は外部制作の番組を流さねばならない。

うへー。

さすが自由の国アメリカ?放送は許認可事業だからそれによって得た利益を自分たちで独占するなと。そういうアメリカらしい理念的なルールと言える。

一方で、肥大化しはじめたテレビ局の力をハリウッドが封じ込めようとしただけかもしれない。

とにかく、この法律によって番組を作る側の権力がある程度担保された。

だから、アメリカの大型ドラマシリーズは、制作側が資金を集めてつくる。主体が制作側にあるわけ。日本の映画と同じ、委員会方式だと言えばそうだね。もちろん、資金の出し手はプロデューサーやその所属プロダクション、ハリウッドのスタジオ、といった”業界”の面々。足りない分はファイナンスで補っていただろう。

このルールはいまは消滅したけど、そのおかげでつくり手たちのイニシアチブは残り、『24』のように映画スターが出演し制作費も多大なドラマがつくれるわけだ。

日本にはフィンシンルールはない。

でも、マスメディアに広告費が流れなくなった。そしたら制作費を抑えたいテレビ局が委員会方式の番組製作もありだよと言い出した。

フィンシンルールはないけど、いま、番組製作に新しいルールが生まれようとしている。

テレビ放送界でプロダクションがいかに虐げられていたかは、『あるある』報道の中でも語られていた。

これからは、ちょっとちがってくるぞ。いい企画立てて、いい役者おさえて、資金を集めれば、日本でも『24』がつくれるんだ。

そういう時代がはじまろうとしている。2011年には、そういう新しい秩序がつくられるだろうね・・・

テレビ放送は斜陽産業になっちゃった〜メディア事変その42〜

日経広告研究所はググればすぐ出てくるからさっそく読んでみれ。

途中にこういう箇所がある。

”’08年度下半期の広告費見通しは世界的な景気悪化のためさらに落ち込む。上半期は前年同期比5.8%減だったが、下半期は10.3%減と二ケタ台のマイナスとなる。”

うわ、そうすか。前回の発表では下期は前年比3%台の減少と言ってたんすけど。

まああのリーマンショックは世界を変えて、日本の広告業界も変えたんだね。

そいで、もっと落ち込むことも書いてある。

”媒体別に広告費の動向を見ると、新聞、雑誌、テレビ、ラジオのマス4媒体の広告費は’05年上半期以降、前年割れが続いている。’08年度下半期の落ち込みは11.3%減と最も大きい。”

10%以上落ち込む、のだそうだ。壊滅的だ。

で、さらに来年度上期の予測も出している。

”’09年4〜6月期の広告費合計は前年同期比5.8%減と落ち込み幅はむしろ拡大する。同7〜9月期は2.8%減とマイナス幅は減少するものの、’08年度下半期の落ち込み幅が大きい事もあり、低迷から脱するのは難しい。この結果、’09年度上半期の広告費は4.3%減と予測する。”

低迷から脱するのは難しい、んですと。マイナス幅が減少したくらいじゃ喜べんっちゅうことですわ。

さらにその内訳も書いてある。

”このうち、マスコミ4媒体合計は同7.6%減。新聞11.9%減、雑誌9.7%減、テレビ6.2%減、ラジオ2.4%減。非マスコミ4媒体は1.8%減の見込み。”

うわー!!!名指しで書かれると悲惨な気分倍増だね。こりゃ立ち直れないぞ。

少なくとも来年までこの氷河期みたいな状態が続くってことだ。いやこの分だと、2010年まで寒い寒い日々が続くんじゃないかな?

さてこうなると。

テレビ各局は前に書いたように原価を減らし販管費を減らそうとしている。でもいまの減らし方じゃ追いつかないだろう。第2四半期の短信には通期予想が書かれているけど、下期の広告費が前年比11%だという前提に立った計算ではないはずだ。その上、来期はまた減るんだよ収入が。

ほんとに氷河期になるんだ。そして今ニュースでやってるみたいに、減らす方法は人件費ってことになってくる。まず外注先に発注額を減らしたいと言うだろう。つまり番組制作会社に、ごめんね、制作費減らすから、と言う。抵抗はあるだろうけどある程度呑まねばならない。制作会社はただでさえ薄給なのは知られているところだ。さすがに辞めたり、辞めざるをえなくなったりするだろう。

制作会社にお願いするにも限界がある。するとやっぱり、自分の社員を減らそうとする。退職金上乗せするからとか言って、人件費の高い中高年の肩を叩いていく。子会社に行ってと頼んだりする。

それを見た若い社員たちは、こりゃおれたちこのままじゃ未来はないじゃん、ってんで優秀なヤツほど辞めていく。

というわけで、テレビ放送界からすごい勢いで人材が流出していくってわけ。

そうするとあとには何が残るのだろう。ん?何も残らないだろうって?そりゃそうだ。

でもよーく目を凝らすと、新しい芽がそこに伸びはじめるのが、そんな将来が、あなたには見えますか?見えるんだよ、うん。

オンデマンドがテレビを変える〜メディア事変その41〜

話は変わるけど、iTunes Store上で”国”をUnited Statesにすると、どえらい数の動画が売られているのを知っているかな?Moviesもラインナップが豊富だけどTV showsにもLOSTや24など最新ドラマがメニューにズラリと並んでいる。

それから、HULUやJoostといった日本のGyaOみたいな動画サイトが人気を呼んでいる。ただGyaOとまったくちがうのは、やはり最近のテレビ番組が無料で視聴できること。

アメリカではテレビ番組のネット配信がぐいぐい進んでいるんだ。

だからNHKオンデマンドは進んでいるアメリカに日本も追いつけって現象。なんだけど、いちばんノリが民放じゃないってとこがなんつうかかんつうかだね。

他の局もやるのやらないの?って聞く前に、ネット配信と前々回に書いた”テレビ番組も映画と同じように他の事業者と共同製作になるかも”ってこととは深い関係がある。

テレビ局は”垂直統合”にこだわってきた。だから動画配信も、垂直統合思想のままだと自社サイトのみでやりたがるだろう。でも共同製作が常態化すると話がちがってくる。

そして、アメリカでLOSTや24がガンガンいろんなサイトやiTunesで配信されているのは、それらが共同製作だからだ。

テレビ局が”動画配信は弊社のサイトに限ることにしたいのよ”と主張しても、他の出資者が”何言ってんの、流せるとこあったらどんどん配信しないと元がとれないでしょ利益出ないでしょ”と言うだろう。と言うか、そういう契約になるはずだ。

だから、テレビのネット配信は、これから進むわけ。前々回とつなげて整理すると・・・テレビ広告費が急減する⇒放送事業の利益が薄くなる⇒テレビ局が原価負担を軽減したくなる⇒番組制作費をよそから調達する⇒テレビ番組は映画のように共同製作になる⇒テレビ局のサイト以外でも番組がどんどん配信される・・・こういう流れで物事が進むだろう。

かくて、著作権のせいにされて進まなかった”通信と放送の融合”が現実になっていくのだ。情報通信法より何より、状況を変えたのは”テレビ広告費の急減”だってわけ。世の中を変えるのは、経済なんだね。

いや、もっと簡単に言うと、世の中はおカネが変えていくんだ・・・

テレビ再編はどう進む?〜メディア事変その40〜

情報通信法って何かって?試しに検索してみれ。

これについては、なに?ネットを規制するための法律?そりゃけしからん、という言説が飛び交って、そのためだけの法案に見られてるみたい。確かに、自民党の一部がネット上の自由を規制するためにこの法律を使おうとしている。

でも本来は”放送と通信の融合”をめざしたもので、今後の日本にとっては推進するべきものなんだ。

簡単に言うと、現状は放送局はそのための法律、ネットはまたそのための法律、って縦軸の分かれ方なのを、放送であれネットであれ、”メディアのための法律”とか”コンテンツのための法律”とか、横軸で分け直そうというもの。

で、この法律のコンセプトにピュアに沿うと、テレビ局は”放送事業”と”コンテンツ制作事業”とをひとつの会社でやってるけど、別々の会社にしないといけないね、となる。例えば日本テレビ放送網株式会社は、放送だけやる。それとは別に、汐留バラエティ株式会社、とか、読売ドラマ制作株式会社、とか、制作機能は別になりなさい、と。

”メディアが解放される”方向性なのは、この法律でも同じなのだよ。

もっとも、あくまでピュアに沿うと、であって、ほんとにそういう法律になるかどうかはこれから。来年か再来年に法案として俎上にのぼって、施行されるのは2011年という段取りらしい。

もうひとつの認定放送持株会社の方は、すでにフジテレビがフジメディアホールディングスという持株会社をつくっているね。TBSも近々持株会社をつくることを発表している。

この制度のポイントは、いままでは放送局はひとつの資本が独占できないようになっていたのを、ある一定のルールでオッケーにしたこと。

一定のルールの鍵は、”ひとつの資本が持てる放送局の数を12局にします、ただし在京キー局は7局とカウントし、在阪キー局は6局とカウントします、つまり東京と大阪のキー局は同時に持てません”というところにある。

東京と大阪のキー局が同じ資本になると強大になっちゃうから、それはやめてね、というわけ。

そうすると考えられるのは、キー局が系列のローカル局を6局事実上の傘下に入れる、というやり方。でも、それがあながちいいとは言えない。

ローカル局は、今期の嵐が吹く前から、デジタル投資で採算が悪くなりつつあった。在京キー局はみんな上場しているので、財務状態が悪い会社を傘下に入れると株主に怒られる。だから、キー局がローカル局を、ってことにはたぶんならない。

もっと現実的なのは、ローカル局同士が同じ資本になることで助け合うやり方。だけど、それは例えば九州の同系列でやるべきなのか、それともこれを機に系列を越えた経営統合をしていくのか、まだ誰もいちばんいいシナリオを描けていなさそう。

というわけで、広告費の急減とは別に、二つの環境変化がテレビ局を覆いつつある。

ってことは、結局何がどうなるの?ますますわからないね。

でもやっぱりポイントは、”メディアは解放されていく”ってことなんだ。

テレビ局のことはも少し語るね。

テレビ局は”配信システム”になっていく〜メディア事変その39〜

例えばテレビ東京。中間決算の数字は前に表で見せたよね。決算短信の奥にはもっと細かな情報が書かれている。”放送事業”の売上高が503億円とある。テレビ局はいろんな事業をやっているけど、その中のコア事業である放送事業の収入が半期で約500億円だってこと。

そしてその営業利益は42百万円だった。・・・おいおい、ちょっと待て。売上が500億もあるのに利益が42百万だって?

スポット収入が10%減っただけで、利益が薄ーくなっちゃったってわけ。

ちなみに去年の中間期は営業利益が18億あった。その前の年は23億。

それがこの中間期は42百万円。

突然、儲からない事業になったんだ。

さてこの営業利益を、売上が増えない中でもう一度増やすにはどうしたらいいだろう?

販管費を減らすのがひとつだね。でも、販管費は減らしにくい。人件費を減らすしかない。

いやもうひとつは売上原価を減らすことだ。テレビ局の売上原価は番組制作費だ。

というわけで、テレビ局は人件費と番組制作費を減らしはじめるだろう。

人件費のことはナマナマしいから置いといて、番組制作費をどう減らすか。出演料を減らすつまりタレントや役者のレベルを下げる。美術費などを減らす。うわーそうすると番組のクオリティが下がっていきそうだぞ。

そこで!

番組のクオリティを保ちつつ、制作費を減らすのは難しいなら、制作費を他の人から調達すればいい!

つまりね。テレビ局はいままで、自分たちで制作費に投資してきた。いままでは、儲かってたからそれができた。でもそれができなくなってきたなら、誰かと組んで制作費を出し合えばいい。

考えてみれば映画ってそうやってつくってる。というか、映画産業が斜陽化した時、映画会社は制作機能を減らして外部を頼るようになった。

同じことが、テレビ産業でも起こるんだ。

あるテレビドラマを、いくつかの会社と組んで制作費を調達し、放送してスポンサーをつけて広告収入を得る。ドラマの2次使用や関連グッズ販売で制作費を出してくれた他の人びとに還元する。そういうことが普通になる。

前回の最後に書いた”メディアが解放される”ってのは、このことなんだ。

これは、ちょっと革命だよん。

これから何が起こるのか〜メディア事変その38〜

なにげに書いたけど、メディア事変、として書きはじめたこのシリーズも、メディア維新と書きたくなってきた。それくらいのことがいま、起きようとしている。

グラフを作ったんだよ。

これは何かと言うと、まず07年の数字は電通が今年の2月に発表した”日本の広告費”のメディア別の数字だ。上から、テレビ・ラジオ・雑誌・新聞・インターネット・プロモーションの順番。

そして、08年と09年は日経広告研究所のサイトで今年の7月に発表された”08年度の広告費予測”から導き出したもの。新聞15%減、雑誌6%減、ラジオ0.4%減、テレビ5.7%減とあるので、08年はほぼそうなると言えるでしょ。09年もまったく同じだと仮定して計算式を入れてでき上がったグラフってわけだ。

インターネット広告費は別のところで予測値としてあった25%増、プロモーション費は3%増としてみている。

そうするとね、テレビ広告費は07年1兆9981億円だったのが09年には1兆7768億円になる計算。同じように、新聞広告費は9462億円だったのが6836億円になるし、雑誌広告費は4585億円が4051億円になる。インターネット広告費は6003億円が9008億円になる。

あくまで試算だよ。

でも、来年も今年と同じような傾向になる、って感じはする、でしょ?

とは言えただ数字見てもわかりにくいね。じゃあテレビ広告費の07年と09年の差額を見てみよう。2200億だ。

テレビ東京の今期の売上予想は1182億円。テレビ朝日は2515億円。

つまり、テレビ東京2年分、テレ朝でも一年分の売上げが消えうせる計算ってこと。

同じように、新聞広告費の07年と09年の差額は2626億円で、日本経済新聞社の年間売上高は約2000億円、朝日新聞社は約5700億円だ。日本経済新聞社1年分強、朝日新聞半年分の売上がやはり消えうせることになる。

早合点しないでね、テレ東やテレ朝がなくなるとか、日経がなくなると言いたいわけじゃないよ。ただそれくらいの金額が2年間で減少するってこと。

民放キー局や全国紙がなくなりはしないけど、それぞれの業界で弱いところがどんどん弱っていくだろう。

そして大手マスコミも、やっぱり力が弱くなる。体力が弱まる。

マスコミの力が弱まると、そこに頼っていたいろんな会社も困るだろう。いろんな会社の中には、クリエイティブを生業としていた会社も当然、入る。

つまりね、メディアとクリエイティブに関わるみんなが、みーんな、困ったことになるわけ。

もはや、電通もフジテレビも講談社も朝日新聞も、そしてCMプロダクションもデザイン会社も、フリーの大御所も、ない。だからと言って、新進気鋭の制作集団も、若手クリエイターも、ない。みんな、同じように、サバイバルだ。

いや、しまったな。”これからどうなる”を書くつもりが、”サバイバルだ”みたいな曖昧なこと書いてちゃいけないよな。もう少し具体的に書かなきゃ。それと、明るいこともね、書かないとね。

それは次回。少し予告編を書くと、”これからメディアは解放される”のだよ、うん。

業界決算、出そろう〜メディア事変その37〜

はい、数字見える?

まず、”メディア事変その36”でテレビ局の決算を表にして掲載したけど、ひとつまちがいがあった。日テレの営業利益を2900にしていたけど、それまちがってた。

日テレはあの時点では決算短信をまだ出してなくて、業績予想の修正、というカタチだった。その時、”修正前”の数字が2900だったの。実際の修正予想の営業利益は1300百万だった。

で、この表では日テレの数字は決算短信のもの。つまり予想値ではなく実績数値。1286百万だった。

あれ?前年度の上期営業利益は10458百万だったよね。それが1286百万・・・なんじゃこりゃあ!?!?

100億あった営業利益が13億切ってるよ!9割近く減ってる。そんなことってあるのかね?

さて、電通博報堂ADKの広告代理店3強の数字も悲惨だ。博報堂DYは第1四半期は赤字だった。引越で販管費がかさんだからなんだけど、それを差引いても営業利益7割近くダウンですか。そうですか。ガーン!営業利益率が1%を切っている。

テレビ局や大手広告代理店は、もはや人もうらやむ高給で華やかな仕事、ってことじゃなくなっちゃった。この先はただ・・・落ちていくだけなのかな・・・

玉虫色の決定はマイナスを産む〜意思決定は想像力だ:その2〜

定額給付の是非についてここでは長々とは語らない。ただ、みんなの不安は今の生活より将来にあるのに、一人1万2千円あげるから使ってね、そしたら景気刺激になるから、というのは白ける策だと言っておこう。ここで言うまでもないけどね。

さてこの定額給付は高額所得者ははずすべきとの議論が起こった。当初は一律でいくと行っていた麻生首相も、その論に押されていった。麻生首相が言っていたのは、高額所得者には辞退を促すべきで、所得制限はしたくないということ。

もう、この議論そのものが不毛だ。とくに、”辞退を促す”という曖昧なことを平気で行政の最高責任者が言うなんて無責任すぎる。給付金くれと手続きに来たら”あ、あなた収入高いから辞退してはどうですか?”と言うことになる。いろんな意味で失礼ではないか?

”あなたは人より収入が高い”と言われるのはなんとも不愉快だろう。そして給付金くれと言いに来たのがものすごく図々しい行為になってしまうだろう。お金を国民全員に配るという政策を決めておいて、一定層には辞退を促すなんて、そんなもやもやした話があるだろうか?

さらに、この議論は、辞退を求めるかどうかは市町村にゆだねることで落ち着いたそうだ。なんか目茶苦茶だ。こんなの政策ではない。立派な経歴を持つ政治家たちが意見を出し合い、出た結論は、結論を出さずに自治体に委ねる、というものだったわけだ。無責任の度を超えている。

玉虫色の決着が大好きな人たちがいる。この人たちは、玉虫色の結論は結論でも何でもないことがわかっていない。そして、玉虫色の結論に人びとがいかに戸惑い、迷い、不愉快になるかが想像できないのだ。

始末の悪いことに、この国の多くの組織の意思決定をになう層(団塊世代以上)ときたら、玉虫色の決着が大好きときている。

玉虫色の決着とは、決着を先延ばしにしただけで、マイナスの効果しか生まない。そのうえ、みんなの気持ちを萎えさせる。”そんな結論なら最初から議論しない方がマシだよ、トホホ”という気分にしてしまう。

玉虫色の文化から抜け出さないと、その組織の”次”はないよ・・・