編集部と広告部のファイアウォール〜メディア事変その45〜

前回のネタとなった編集者の友人の、また別の話。

彼が言うには「ぼくたち紙メディアの会社にはねえ、ずーっと編集と広告の間にファイアウォールがあったんだよ」えー?そうなの?

言われてみると、そういえばと思い当たることはけっこうあった。雑誌の記事の方に広告的なことを求めるのはすごく難しかった。広告の仕事で出版社の広告営業部の人と話すと、”いや、編集にはそんなこと言えないですよ”と言われることがそう言えばあったんだなあ。

新聞社や出版社にとって、収入の中に占める広告費がどれくらいかちゃんとは知らないけど、よく聞かされたのは”大まかに言って半分は広告収入”ということ。あるいは、雑誌の制作費を広告収入でトントンにできれば、購読収入分が利益になるとも聞いた。

だから、広告費の影響はやっぱり紙メディアでも大きいんだ。

でも、編集と広告の部署の間に”ファイアウォール”は存在した。

ぼくの友人はそのことに気づいて危機感を持っているのだけど、そういう危機を自覚する人はまだ全然少数らしい。

編集者にとって、広告収入を意識することは、魂を売るような気持ちなんだろう。それはわかる。それぐらいの気概が、とくにジャーナリストには必要だと思う。

しかし問題なのは、マスメディアに所属する”ジャーナリスト”は自分では魂を売っていないつもりでも、現実としては商業主義に乗っかって生きてきた、そのことを自覚しないのは恐ろしい、まずい。自覚がないのに、とくに”大新聞社”や”大出版社”の名刺を持つことで”錯覚”してしまっていた。ほんとうに独立した存在として”ジャーナリスト”足りえていたかどうか、はなはだ疑問だ。

あ、いかん、”この国のジャーナリスト”を批判するのがここでの本題ではないか。

とにかく、編集者が広告とのファイアウォールを気にせず、あるいはそういうものとして過ごしてきた。そこにあった矛盾がいま、彼ら自身に対して噴出しようとしているのだ。

広告収入を生業とするメディアであるからには、自分が偉いから存続できるのではないと知らねばならない。そこにあるのは、クライアント企業と読者の接点だということでしかない。インターネットによって、単なる接点は意見や主張を持つ必要なし、という事態が起こりつつあるわけ。中途半端な人材は、意見だの主張だの持たないでよ、ってことになりはじめたわけだ。

新聞界や雑誌界で誇りを持って生きてきた人たちには、にわかには認めがたいことだろう。

だけどね、そこを前向きにとらえれば、面白いことが引き起こせると思う。これからのメディアのヒントが、”クライアントと読者の接点にすぎない”ことに潜んでいる。あるいは、そのファイアウォールをとっぱらっちゃえば、ものすごくユニークなことができる。

”接点”にすぎないのなら、いかに魅力的な接点になればいいかを考えればいい。どれだけ便利な接点をつくればいいかを悩めばいい。

あっっっっっ!と思った?

そう、そこにはものすごく革命的なものが見えてくるでしょ?

これは、紙メディアだけでなく、メディアやコンテンツの世界に住む人たちにとって、共通する突破口だ。そして、それを前向きにとらえれば、こんな面白いことはないだろう。

え?

あっっ!って何が?って感じ?

そうか、じゃあ次回でもう少し語るね。

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