ソーシャルテレビは死んだのか?(あるいは次の段階に向かっているのか?)

(今回の記事は”ソーシャルテレビ”と言われて「は?それナニ?」という方にはあんまり面白くないと思うのでそのつもりで。でも読んでたら面白くなるかもしれないけど)
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『白ゆき姫殺人事件』という映画が公開されていて、面白く観た。地方都市で起こった殺人事件について、テレビとソーシャルメディアが呼応しながら情報が錯綜する。twitterで盛り上がればテレビがとりあげ、それがまたtwitterで増幅していく。フィクションだが、すでに現実はこうなっているのだと思う。

ソーシャルテレビとは、この映画が描いたようなコミュニケーションの呼応を捉えた概念だ。そしてそこには、テレビとネットが融合する接点が見えている。映画のように、事件の噂を暴走させる負の側面もあるが、テレビとそれにまつわるコミュニケーションをもっと楽しくする可能性も秘めている。

ぼくはこのソーシャルテレビに、メディアとコンテンツの次の姿が見えるのではと思い、“ソーシャルテレビ推進会議”という勉強会を運営している。いまの自分にとってもっとも注力している活動だ。

そのソーシャルテレビに関して先週、ショッキングな記事が出現した。

野村総研の山崎英夫さんはメディア論界隈で尊敬する論者の一人だ。SocialNetworking.jpというブログで、海外のメディア関連の記事を紹介している。先週、こんな見出しで記事を書いておられた。

ソーシャルテレビアプリサービスの整理淘汰の中でZeebox がBeamlyにブランド名称を変更、勝ったのはツイッター!!

な、なんと!このzeeboxとは、昨年11月にソーシャルテレビ推進会議主催でカンファレンスを開催した際、英国からそのCTOであるアンソニー・ローズ氏を招いた会社だ。

テレビを見ながら使ういわゆるセカンドスクリーンアプリとしてもっとも成功していると言われるzooboxが名称をBeamlyに変更したというのだから、何かうまくいかなくなったのか?とやきもきしてしまう。山崎さんが引用した元の2つの英文記事を辞書を引き引き頑張って読むと、zeeboxの話は意外にカンタンに名称の変更を伝えてるだけで、別に危うくなったということでもないとわかる。でももうひとつの「Let’s face it: social TV is dead(直訳すると「直視せよ:ソーシャルテレビは死んだ」となる)」には長々と、ソーシャルテレビアプリはことごとくうまくいってなくて再編の波がやって来ていると語っている。これは気になるなあ。

いろんなTVappsが登場したけど、結局はみんなTwitterやFacebookを使うのだとか。だから「勝ったのはツイッター!」ということなのだろう。

zeeboxの記事は他にもいくつか出ていて、名前を変えたひとつのポイントは、”zeebox”だと男性のギークっぽいのが問題だったということのようだ。ドイツ製のXboxみたいなもの?と誤解されたりしたとか。女性が増えてきたしもっと一般性のあるアプリにしたかった。そこでBeamlyに名前を変えたそうだ。

zeeboxがBeamlyに名称変更したことについての記事は他にもいくつか出ている。

TV App Zeebox Changes Its Name to Beamly, and Hopes to Grow by Getting More Social

Social TV app Zeebox relaunches as Beamly to lose ‘male geeky’ image

Zeebox Becomes Beamly to Focus on Social TV

これらを拙い英語力で頑張って読んでいくと、zeeboxが次の段階に入ったことがわかる。”Getting More Social”あるいは”Focus on Social TV”と見出しにあるようにソーシャル色を強めたアプリになったということだ。またそれによってか、その前からか、より若い層(16-24才)の女性ユーザーが中心にシフトしてきた。

ソーシャル色を強めた、というのは、具体的には「テレビ番組をフォローする」あるいは「出演者をフォローする」「他のユーザーをフォローする」ことを促す。そして(これはもともとあったのだが)「TV room」という番組ごとのチャットルームでおしゃべりできる。番組ごとだけでなく、テーマごと、エピソードごとにroomがつくれる。好きな番組の好きなテーマで語り合いたい人と語れるのだ。

これによってユーザーは番組に接する頻度が高まる。そこがポイント。番組をフォローし、出演するセレブや同じ番組が好きな人をフォローすることで、”来週も観ようかな”と自然と思うようになるのだ。

つまりBeamlyとは、テレビを媒介にした大きなソーシャルネットワーキング装置なのだ。テレビを軸に、人とつながるアプリだ、ということだ。

さて海外のソーシャルテレビ状況をざっと見たところで、日本の状況はどうだろう。

日本のセカンドスクリーンは、ずいぶん進んできた。海外の事例よりずっと進んでいるし、見たこともない仕掛け、聞いたこともなかった企画が次々に登場してきた。このブログでもたくさん紹介してきたし、より高度なことができるようになっている。

だがしかし、あえて提言するのだが、ここでもう一度、振り返った方がいいのではないだろうか。ソーシャルテレビとは本来何なのかを。

セカンドスクリーンの仕掛けがある番組と聞くと、欠かさず見てきた。アプリを落としていじってみた。ボタンを押したり投票したりしてみた。それはそれで面白かった。

だけど・・・・・・飽きた。

この頃はそういう番組と聞いても、観ようとしなくなってしまった。アプリを落としたりしなくなってしまった。

別にネガティブなこと言って喜んでいるのではなく、こういうことだ。

特番で特別な仕掛けをやる時期はもう終わっていいのだと思う。

では何をすべきか。・・・定期的に観る番組で、みんなとしゃべりたい。・・・このニーズに応えることがいま必要なのだと思う。

zeeboxあらためBeamlyの考え方は納得がいくものだ。TV roomこそがぼくたちには必要なのだと思う。

ここには、大きな考え方の転換が必要だと思う。ソーシャルテレビは、あるいはセカンドスクリーンは、番組の視聴率を即座に上げるものではない、ということだ。それを目的にしてもほとんど意味がないということだ。

それよりも、番組のファンを増やす、そのための仕組みだととらえるべきだ。だってソーシャルってそういう概念だったでしょ?

番組と語り合う。番組の出演者と交流できる。番組が好きな視聴者と出会える。そういう場が必要であり、そういう場があることで、ファンが増えていく。結果として、視聴率にもつながっていく。この”結果として”というところが重要。すぐには視聴率につながらない。でも結果として、コツコツ努力したら必ず影響するだろう。

テレビの人は、どうしても、”その場でわーっと面白いことやる”のに頭が行きがちだ。テレビ番組はそう言うメディアだからだ。そこで、セカンドスクリーンも”わーっと面白いことやる”の一端ととらえがちだろう。でもそこに視聴率への効果を期待するには、ネットは小さいし向かない。

その場より、番組の前後、番組と番組の間の時間をどう視聴者と共有できるかが大事なのだ。そのための作業をコツコツ積み重ねて得たファンは、揺るがない。

わかりやすい例が『水曜どうでしょう』だ。北海道テレビのローカル番組なのに全国的な人気番組に成長した。これはコツコツ視聴者と気持ちを共有してきたからだ。ディレクターの藤村忠寿氏は「ファンが10万人いる」と力強く言っていた。それは、確かに万単位の人たちと交流をしてきたから自信を持って言えるのだ。”祭り”と称してリアルイベントも行うことが、その確かな実感を支えているのだろう。そして彼は、ソーシャルメディアが登場する前から、番組掲示板を通してファンと交流してきた。文句を言われたら本気で怒ったコメントを返したりしたそうだ。本気でファンと付き合ってきたからこそ、ファンは増えたし離れないのだ。

特殊な才能の人の特殊な事例だろう、と言うのなら、『テラスハウス』も例にあげよう。いまでこそ、若者の間でひとつのムーブメントを引き起こしている。でも、ほんの数カ月前までは視聴率もさほどでない、マニアックな番組だった。若い視聴者を引きつけられないかとツイッターを積極的に活用しはじめた。出演者にも、放送中につぶやいてもらった。それを続けていくうちに、視聴者が根づいていき、ホットな番組として注目を集めていったのだ。テラスハウスのハッシュタグでつぶやくことが、BeamlyのTVroomのような空間をぼんやり生み出したのだと言える。いまやテラスハウス出演者はセレブになっている。

先日、総務省の「40代50代のテレビ視聴時間が大幅に減少」という調査結果が発表され驚いた。去年から始まった調査で2回目なので鵜呑みにしない方がいいのだろうけど、”テレビ離れ”は若者だけの話でもないのだろうか。それは自分の生活を振り返っても実感がある。

そんな中で「視聴者とのつながり」は今後ますます重要になるだろう。ソーシャルテレビを、お祭り騒ぎの一端ではなく、つながりをつくり保つための概念だととらえ直すべきではないだろうか。

そのために必要なのは、「つながりたい」という意志だ。気持ちだ。番組を放送することは、自分の創造性を披露することではなく、コミュニティにとって必要なコミュニケーションをとりむすぶことが本来的意義のはずだ。視聴者と真摯に向き合い、つながりたい!という思いを持つことを原点に、そのためのツールとしてのソーシャルテレビととらえたい。あらためて、そう思うのだ。

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