“イカ”と”とんび”には誰も優劣がつけられない、はずなのに・・・

やはりこの連休は大雪とイカだった。

まあ大雪はこのブログとして語る題材でもないので置いといて、まずはイカだ。ダイオウイカだ。

きっと皆さん観たはずだ。いや観なくても何やら日曜9時にNHKでダイオウイカの番組を放送したらしいという情報は耳にしただろう。NHKスペシャル「世界初撮影!深海の巨大イカ」がそれだ。10年間、研究チームとNHKが力を合わせてダイオウイカを追い求めて、ついにその姿をカメラにおさめた。それを放送するというのだからワクワクするじゃないの。

ダイオウイカと言えば、どうやらいるらしいということで、マッコウクジラと戦う姿が図鑑のイラストに描かれていたりした。ディズニー映画「海底2万哩」ではノーチラス号に巻きついてネモ艦長と戦った。あのダイオウイカが、生きた姿でテレビで観れる。これは見逃せないよ。

ところが同じ時間、TBSでは日曜劇場「とんび」が初回2時間スペシャルで放送される。うーん、これもぜひ観たい!ついでにフジテレビのドラマ「dinner」も観ておきたい気がするし、日曜洋画劇場では「アバター」を放送するという。なんて悩ましい日曜日だ!

まあしかし、焦点はやはりイカと、とんびだ。とんびか、イカか。イカか、とんびか。悩んだ末に、結論は、イカを生で観て、とんびは録画であとで観る、というものだった。

これは決して、イカがとんびに勝ったわけではない。ライブで観るならイカ、という考え方だ。

イカを観ながらソーシャルメディアが盛り上がることが容易に想像でき、その面白さはぜひとも体験したかったのだ。逆にとんびは、あとでひとりでじっくり観るのがいいと考えたわけだ。絶対泣くだろうしな、おれ。

さて、9時になりイカがはじまった。予想通り、ソーシャルメディアはイカで埋め尽くされた。いや予想以上だなあ、これは。例えば、ソーシャルテレビ用アプリemoconではいきなりこんな感じで盛り上がった。

はじまったらいきなり、こうだ。

#nhkとは別に#イカ、というハッシュタグもつくられ、そこも盛り上がった。


こういうタイムラインを見ながら番組を観ると、もう俄然楽しくなるのだ。

やがてクライマックスでダイオウイカに出会う。ツイッターのトレンドも、いよいよこんな状態だ。

オーマイガー、とは、ダイオウイカを目にした時のニュージーランドの教授の発した言葉だ。

ぼくも「オーマイガー」と真似しながら、大いに番組を楽しんだ。いやー、ほんとに日本中がイカに夢中になったのではないかな。

さて、イカ視聴が終わると、風呂にも入って落ち着いてから録画してあった日曜劇場「とんび」を視聴。70年代の瀬戸内とおぼしき田舎町を舞台に、運送屋に勤める父親・ヤスと、その息子・旭の物語。母親・美佐子と三人で暮らすささやかな家庭の幸福に、自分の家族との生活を誰しも重ね合わせるだろう。

幼い頃の旭を演じる子役がびっくりだ。3歳でこんなに演技ってできるものなのだろうか。いやあれは演技というより、あのドラマ世界にほんとうに棲んでいる子供なのではないか。とまで言いたくなるほど天使のような純粋さで演じていた。第一話の最後に起こる事件に、涙が止まらなかった。これは毎週かかさず観ることになるだろう。素晴らしい作品だ。

・・・そんな素晴らしい日曜日の夜を過ごしながら、テレビ放送とは何かをあらためて考えてしまった。

さっき書いた通り、ライブでイカを観て、とんびは録画でじっくり観た。”録画でじっくり観る”という視聴スタイルは、もはや確立されたものだ。どこの家庭でもそうだろう。ビデオテープがHDDになり、ハイビジョンになり、ライブ視聴と変わりない高画質で録画視聴できる。考えようによっては、腰を据えて観ることができる時にこそ、録画したものを観る。それだけ期待し、評価した番組だからこそ録画で観るわけだ。

ところが、テレビ局のビジネス構造からすると、そういう視聴スタイルは困るのだ。視聴率にならないからだ。視聴率はあくまで、ライブ視聴を集計したものだ。そうじゃないと、CMを観たことの指標にならないからだ。

しかしここには、大きな矛盾が生じてしまう。腰を据えて観たいような評価している番組ほど、録画視聴される確率が高まる。これはドラマに顕著な傾向だ。だが、ニュースでもバラエティでも同様ではある。ぼくもWBSとアメトーークは録画してある。放送に間に合わないと、腰を据えて録画で観るのだ。その際は当然ながら、CMをびゅんびゅん飛ばしてしまう。

録画視聴でも、意外にCMも観るものだ、というデータもあるようだ。それもそうだろう。確か、70%のCMは観られるんだったと思う。それでも、30%はCMが飛ばされる。広告価値は下がる。

テレビ放送は、いまや理屈に合わなくなりつつあるのだ。番組の中に、番組と番組の間に、広告枠がありそれを売っている。番組を売っているのではないのだ。一所懸命作るのは番組なのに、その間にある時間を広告代理店が売ってくれることで商売になる。

その構造からすると、ぼくの家を舞台にした戦いで、とんびはイカに負けたのだ。ライブで観てもらえない限り、とんびに付随する価値は下がってしまうのだ。ぼくがどれだけ涙を流しても、そこに経済価値はない。なんだろう、これは?おかしくないだろうか?おかしすぎないだろうか?

辻褄が合わなくなってきている。

そうだ。だからぼくたちは、新しい辻褄を作らなければならないはずだ。辻褄をごまかすのはもう通用しない。

テレビ放送がマーケティング装置であるのなら、マーケティング装置としての設計図をもう一度作らなければならないのだと思う。

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