つまり“数“以外の価値をつけられるか〜『5年後、メディアは稼げるか』を読んで(その2)

ローカル局さんに呼ばれて社内レクチャーをするのにいい資料がないかと思っていたら、ちょうど出版されたのが『5年後、メディアは稼げるか』。かなり勉強になり衝撃も受けたので、何回かに分けてこの本について書く、ってことで“その2“行くよ。読んでないって人は“その1“も読んでくださいね。このリンクを押してみて

さてこの本のいちばん大事なところは第3章の「ウェブメディアでどう稼ぐか」の部分。これはホントにローカル局さんでのお話に使わせてもらいたい箇所が満載。

”その1”にも書いた通り、この本で言う“メディア”は基本的に新聞雑誌、つまり紙メディアのことだ。でも、読めば読むほどテレビメディアにも応用できる内容だ。それは要するに、新聞雑誌もテレビも、ウェブメディアになっていくから、「ウェブメディアでどう稼ぐか」が同じように参考になるということだ。この”みんなウェブメディアになっていくから”ってところはまた別の機会にじっくり書くので、ちょっと待っててね。

その最重要な第3章の見出しだけでもここでネタバレしてしまおう。

どうすか?この大サービスな感じ!そそられるだろう?

この見出しをざっと見るだけでも、なんだか役立ちそう。ものすごく具体的なので、ページをめくるたびに、うんうん!そうですか!と感心したりメモりたくなったりする。

さらにさらに!現状のメディア企業のマネタイズの手法は8通りあるという。1広告、2有料課金、3イベント、4ゲーム、5物販、6データ販売、7教育、8マーケティング支援。これはそれぞれ、世界のどこかのメディアが実際にやっているのだそうだ。

そしてこの中で、現時点で柱となっているのは1広告と2有料課金だということで、そのあとはこの2つの話になっていく。

結論的には広告と有料課金をうまく組合せようぜ、ということになっていく。広告はマネタイズしやすいが、それで利益が実現できるかはかなり難しい。莫大なPV数を獲得できないと十分な広告費も得られないからだ。これが実現できるのは、日本ではYahoo!ぐらいだろう。

そこで有料課金との組合せになる。これも簡単ではない。読者層はどんな層かとか、メディアとしてのブランド力とかをクリアしないといけない。

とは言え基本的にこの本は、メディアは広告+課金のフリーミアムモデルでやっていくのだと言っているようだ。さらに、上記の3〜8の手法も含めて多様なマネタイズを組合せようということ。そのヒントこそが、ネット企業にあるのだと言っている。

ここからはぼくの解釈だけど、つまりすべてのメディアはこれまで培ってきたマネタイズ手法をもう一度見直さねばならないということだろう。メディア企業はこれまで、できるだけたくさんの読者もしくは視聴者を獲得し、購読料と広告費を稼いできた。電波媒体の場合は広告費だけだ。いずれにせよ、できるだけ数を獲得する必要があった。

でももう数は増えない。問題はようするにそこに尽きるのかもしれない。

数が増えなくても、これまでの数百万、数千万人という単位が数万人になってもメディアを運営できる手法を、広告にしても購読料にしても、考え直さねばならないのだ。

ぼくがソーシャルテレビについて懸命に語るのも、ソーシャルの力を得ることで、これまでとちがう広告メニューや、新たな課金の手段が開発できる可能性があると思うからだ。ネットへの取り組み、ソーシャルの研究を、メディア企業の保守的な人びとは、自分たちの権益を脅かすように受けとめる傾向があるのだが、そうではなく、これから生き残るために、ひいては新たな成長を目指すために、ソーシャルを取り込もうということなのだ。

話が本からそれたので、もう一度内容について書くと、この第3章で「ブランドコンテンツという新しいマーケット」という項目がある。ここは、いまもっとも考えるべき分野だと思う。いまギョーカイ一部で話題になっているAdvertimesでの谷口マサト氏の連載はこのブランドコンテンツに近い話だ。彼の仕事に「大阪の虎ガラのオバチャンと227分デートしてみた!」という記事があってとりあえず読み物として面白い。これが映画「ライフ・オブ・パイ」の広告として制作されているのだ。もちろんステマではなく最初から広告だとして書かれている。

またコカコーラ社が自社サイトを大幅にリニューアルしその中に“ストーリー“というコーナーが誕生した。コカコーラについて、プロの編集者や学者が内容の濃い記事を書いているのだ。これもブランドコンテンツの一蹴だろう。

ブランドコンテンツの考え方は、ある意味これまでのメディアビジネスにはない発想でできている。コンテンツはメディアがスポンサーとは独立して制作されて読者(視聴者)はそれを楽しむ。広告はそうしたコンテンツの間に差し込まれ読者(視聴者)はそれを“目にする“ものだった。

ブランドコンテンツは、広告だとわかっていつつも、記事として読まれる。記事としての面白さが問われる広告だ。

ここまで考えた時、ぼくは、おやー?と思った。80年代、ぼくがコピーライターになった頃にあった一部の広告は、ブランドコンテンツ的だった気がする。西武百貨店の企業広告は糸井重里さんがひとつひとつ書いた、社会に問いかける内容だった。「おいしい生活」のような派手なキャンペーンもそうだが、新聞広告シリーズの中で丁寧に書かれたメッセージは、売らんかなのものではなく、独立したコンテンツとして楽しめた。

もっと商品寄りでも、仲畑貴志さんがサントリーの角で書いていたコピーは面白い読み物だった。その上ちゃんと角が飲みたくなるのだ。

なにかこう、ブーメランのように一度遠くに行って戻ってきてるような気がする。もちろんここで言うブランドコンテンツは80年代の広告と同じものというわけにはいかないだろう。でも大いなるヒントがそこにあるのはまちがいないだろう。

メディアの未来は、ウェブに習うとかソーシャルだとか言うと、よくわからない、数値的なものに捉えがちだが、もっと素朴なことなのかもしれない。ぼくたちがたどってきたアナログな時代の道筋にこそヒントがあるかもしれないと思うと、また面白くなってきたじゃないか。

コミュニケーションディレクター/コピーライター/メディア戦略家
境 治
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