視聴率という名のパンドラの箱は開けられるか?

13日土曜日早朝の「新・週刊フジテレビ批評」に出演したことは書いたよね。

この時、事前の打合せでは最後にこれを言おうとなっていたことがあり、実際には他のネタをしゃべりすぎてふれられなかった。そりゃまずい。無念。マヌケ。へたくそー。

そこで、このブログの中で取り上げようと思う。

ついでに言うと、ぼくは決めたね。今年のぼくの言論活動はとにかくひたすら、「テレビは生き残れるのか」を追求する。あの本で書いたことを解説するし、書き足りなかったことを補足する。さらにあの本で書いたことの先を追っていく。そんな方針で、このブログや、境塾のイベントも考えていきたい。

話を戻すと、番組で言おうと思って言えなかったのは、視聴率の話。

テレビを語る上で忘れてはならないのが、この視聴率だ。テレビ放送は、視聴率で収益性が決まるんだ。視聴率が高いテレビ局ほど、収益性も高い。(たぶんお給料も高い)だから、テレビは視聴率に走ってけしからんといくら批判しても仕方ない。自動車会社にクルマを売ることばかり考えやがって、なんて批判しても意味がないわけでね。

テレビ放送のビジネスとしての危機は、長期的な視聴率の低下にある。視聴率がじわじわ減ると、広告収入もじわじわ減る。テレビ放送という事業は広告収入だけが売上の源泉なので、それがそのまま収益性に影響が出るのだ。

前にも書いたし番組でも言ったけど、テレビのいまの危機は「信頼されなくなってきたから」では毛頭ない。そこんとこ、気をつけてね。

この視聴率はじわじわ低下してきたのだけど、リーマンショック以降、そして東日本大震災以降、広告収入はじわじわどころかぐんぐん低下している。視聴率の落ち方以上に広告収入の落ち方は激しい。つまり、視聴率と言う商品そのものの価値も下がってきているってことかも。

このままでは、事業として「もう無理!」ってことになりかねない。

さて一方で、テレビ放送の経済価値は視聴率というモノサシでしか測れないのか、という議論もある。「視聴質」のようなモノサシもあるのではないか。

実際、テレビ番組の視聴には「つけてあるだけ」という状態と「熱心に見ている」状態とあるはずだ。前者の方は、CMも見過ごされるかもしれない。後者の方がCMもつい熱心に見ちゃうだろう。だったらスポンサー企業からすると、熱心に見る番組、つまり視聴質の高い番組に提供する方がいいのかもしれない。

でも残念なことに、いま視聴質を測る手法は存在しない。何しろ「熱心に見ている」という状態は数値化しにくい。視聴率は、見ている世帯の数を数えればいい。それに対し視聴質は測りようがないのだ。

ただ、もうそんなこと言ってる場合ではなくなってきた。テレビ放送は、それこそ生き残りをかけて、視聴質を測る手法も確立しないといけない。このまま視聴率がじわじわ下がる一方だと、事業として成立しなくなりかねないからだ。

だけど、それは簡単ではない。視聴質の概念を導入してしまうと、それを境にテレビ局の事業性は急降下してしまう。なーんだ、視聴率20%だけど、熱心に見てる人はそんなに少ないの?だったら値下げしてよ。そんなことになってしまう。まちがいなくなってしまう。

視聴率を疑うのは、パンドラの箱なのだ。開けてしまうと恐ろしいことが起こるのだ。

でもね。

もはや時間の問題だから、手をつけた方がいいと思うよ。そうするしか、もうないよ。

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