反対は、上手になった。正解は、わからなくなった。

『ニッポンのジレンマ』という番組がある。NHKで不定期に放送している討論番組で、70年以降生まれの論客が集い、この国の課題を議論する。これまでの討論番組よりずっと建設的で60年代生まれのぼくも大いに共感してしまう。

記念すべき第一回は去年、2012年の元旦深夜だった。その中で印象に残った言葉がある。確か荻上チキ氏が言ってたんだと思う。

「ネガ出し、ポジ出し」

ネガ出しとは、こういう討論番組でも会議の場でも、誰かが意見を言うとまずネガティブな意見が出てくる。そのことをネガティブな意見を出す、つまりネガ出しと言っている。

荻上氏が言うには、いまネガ出しばかりしたがるし、ネガ出しが上手になってる。でもネガ出ししてると何も生まれない。だからむしろポジティブな意見を出していく、ポジ出しが必要なんじゃないかと。

いやー、その通りだなあ、共感するなあ、と思ったものだ。

実際、仕事上の会議ではだいたいネガ出し大会だ。ほんとうに、みんな反対することが上手だと思う。しかも頭ごなしではないのだ。「いや、その意見、わかるんだけどさあ。一理あるとは思うよ。たださあ・・・」と気を遣った感じではじまるんだけど要するに反対しはじめるのだ。

反対意見をうまく発言してなんだか満足げだ。な?おれの言う通りだろ?おれ頭いいだろ?とでも言いたげに、えっへん、てなもんだ。

こういうやり方があるんじゃないか。こういうことに取り組めばいいんじゃないか。そんな提案をしてもとにかく潰されるのだ。徹底的にやり込められるわけでもなく、わかるけどねーなどと言われながら。だから傷つかずにすむといえばすむけど、提案をする気はなくす。意欲をそがれる。

いや、これはまだいいかもしれない。ネット上で情報収集するようになって、社会的な課題についての見方が、もっとよくわからなくなっている。

あちこちのメディアにいろんな人が意見を書いている。ブログでは誰だかよく知らない人の意見も読める。それぞれ読んでいると、何がなんだかわからなくなる。

あるテーマについて、Aさんが自分のブログで意見を書く。ぼくがよく知らない分野なのに、Aさんは驚くほど知識があり、読むとなるほどなー、そういうことなんだなー、と思う。

するとBさんが別のメディアで記事を書く。ネット上でこれこれこういう意見が出ていたが、とAさんのブログをあげつらう。あそこがまちがいで、ここがちがう。そうじゃなくてこうなのだと反対意見を書く。それを読むと、えー?そうだったの、だったらAさんまちがいじゃん、Bさんの意見、わかりました。勉強になりました。

そこにCさんが登場する。Aさんがこう言ってたのに対しBさんはこう言ってるが、それぞれこれこれで、まちがい。実際にはかくかくしかじかで、だからこうなの。なんと!そうだったのか!だったらCさんの意見が正しいのかなあ。

そんなことが繰り返されるうち、何がなんだかわからなくなる。Cさんに続いて登場したDさんやEさんの意見も説得力があり、その前にそもそも、その段階になると何の話だったかがわからなくなっている。あちこちの意見に目を通した末、ぼくの答えは、ハイ先生!わかりません!

最初の意見への反対意見に納得し、それに対する反対意見に感心し、さらにそれへの反対意見に説得され、しまいには何が正解かがよくわからなくなる。そうなってしまったテーマがいくつもある。TPPに参加すべきかしないべきか。消費税は上げていいのか。途中でわかったつもりだったのに、自分として判断できなくなった!

みんなよく知ってるなーと思う。ブログを読むようになって、世の中にはこんなに物事に精通した人がいるのか!と驚き、感心した。マスメディアに登場してしたり顔でしゃべる人よりずっと、信頼できる、納得できる。そういう人をひとり、ふたり発見した頃はよかったが、いまはもうそういうすごい人が何千人もいる。ある課題についてそれぞれ、正しいことを言っている。うん、実際、それぞれ正しいんだ。だから自分では何が正しいかがさっぱりわからなくなる。

こういう現象に対して、どうすればいいか。どうすれば自分にとっての正解が見いだせるか。・・・とりあえずそれは考えないことにしておこう。だってここで試しに考えて書いても、いやその正解の見いだし方はちがう!正解の出し方の正解はこうだ!って誰かに言われて、さらにそれにまた、その正解の出し方の正解はここがまちがっていて、ほんとうの正解はこうだ!って続いていきそうだから。

いや、こんな受動的な姿勢はまずいな、ってことだけは正解かもな。

※この記事は、先週はじめた実験。ブログを書いてから挿し絵的にビジュアルを探すのではなく、キャッチコピー的な一行を先に書き、それをビジュアルとともに一枚のメッセージとして完成させてから文章の中身を書いている。写真とビジュアルは、いまぼくが居候しているデザイン事務所、BeeStaffCompanyのアートディレクター、上田豪氏の手による。ネット上では一枚の写真が拡散する。見出しのひと言が流通していく。だったら最初から言葉とビジュアルを組合せておいたらいいじゃないか、という実験。そしてこの作業は、一昔前に新聞広告でコピーライターとアートディレクターが頭を寄せ合ってうんうんうなりながらやっていた作業と似ている。ネット上で、これまでの広告制作のノウハウが生かせないかという実験でもある。ぼくか上田氏がネを上げない限り、毎週続けていこうと思っている。

コミュニケーションディレクター/コピーライター/メディア戦略家
境 治
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コメント

  1. 正解が有れば簡単ですよね。見る位置や場所で正解なんて変わるので、最大公約数的なことになるのでは。社会は1+1が2にすらならないことばかりなので

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