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コピーライター→映像製作会社ロボット→広告代理店ビデオプロモーション→再びコピーライター(フリーランス)。 メディアとコンテンツの未来を切り拓くコミュニケーションをデザインします。講演・執筆依頼もお気軽に!

テレビはテレビでなくなっていく〜メディア事変その1〜

なんとなーく、タイトルを変えてみた。はっきりさせた方がいいかなー、と思ってさ。”日本のシステム”について書いてきた「愛と責任のブログ」なんだけど、茫洋としてたので、くっきりさせた。クリエイティブ関係の企業を改革するためのもろもろを書いていく、ことに、突然決めました。

さて、テレビだね。

テレビはいま、変態だよ。あ、やらしいことする変態、ではなく、メタモルフォーゼの方。

テレビがどうなるのか、ずっと気にしていたんだ。インターネットの時代が来た!という10年くらい前、あ、じゃ、変わるのかなテレビは、と思ってたら、全然そんなことなかった。2000年代になってITの世紀だ!ってことになったので、そっか、これから、変わるのか、と思ってたら、あんまりそんなことにならなかった。

ところがここへ来て、あれ?どうやら変わるみたい、って感じになってきた。インターネットだ!とか、IT世紀だ!とか、そんなチカラ入ってないのに、変わりそう。

鍵はね、広告費だったんだ。いま思えば、当たり前なんだけど、気づかなかったなあ。結局、おカネの流れなんだ。おカネの流れが変わると、物事が変わる。時代!とか世紀!なんていうかけ声じゃなく、おカネの流れ。

え?広告費?とか悠長な反応してる場合じゃないよ。広告費がね、メディアを変えはじめている。今度こそ。はっきりと。

というテーマで、しばらく、語る。いい?

社員にどんどんオープンにする〜改革の開放〜

少し時事問題にふれてから書いた方がタイムリーでブログっぽいかなと。

Jパワーの株式をTCIとかいう外資ファンドが買い増したいと申請したら経産省が却下した。却下してもいいような気もするが、理由がよくわからない。”TCIは5年程度の短期的投資を目的としている。そうすると高い配当を要求してくるから必要な経費を削らねばならないかもしれない”てなことを、経済産業大臣が公式に言ってのけた。すごいなあ。厚顔無恥だなあ。

時の大臣が株式会社の仕組みを知らないんじゃないかというコメントを堂々と発表する。恥ずかしすぎるじゃないか。

こういう不透明な状態はまったくもってよろしくない。企業改革も同じだ。

改革を進める際、その背景や情報を経営陣だけとか管理部門だけとか、一部の人たちだけでクローズしているのはよくない。よくないのは民主的じゃないとかいう甘っちょろい話じゃなく、そんなことしてたら改革が進まないのだ。

若い社員だってアホじゃない。なぜいまこういう変革をしているのか、社員には理解できないんじゃないか。そんな社員をバカにした態度ではいかんのよ。それに”なんかいまさあ、役員たちがさあ、ごにょごにょやってるらしいぜ”てな陰謀めいたムードを醸し出してしまう。

ここはどーんと大きく構えてオープンに行くべきだ。改革をするとなると、いままでの経営陣にまずいとこがあったからと思われないか、などと悶々とするからクローズにしたくなる。でもね、別に経営陣は神様じゃないんだからまちがいもするよ。いままでこんなとこがまずかったから、みんなで変えていきたいんだよ。そんな感じで大きく構えて、どんどんオープンにするべきなの。そうしたら、みんなついてくるってば。

誤解を怖れず、あけっぴろげに進めましょう。まちがいは素直にさらしちゃおう。その方が、気持ちいいよ。ぜったい。

情熱をぶつける〜改革の実行〜

帰宅して何気なくNHKを見ていたら『プロフェッショナル仕事の流儀』という番組がはじまってそのままぼーっと最後まで見てしまった。しかも最後には目がうるうるしてしまった。

今日は山田日登志という工場再建請負人の話だった。詳しくはまた再放送でも見てね。

採算割れになりかけた工場を、あらゆる知恵を出して高採算に仕立て上げる。作業効率の見直しや設備の配置を再検討するなど、地道な作業が中心だが、結局は人間なのだとわかってくる。

この人は90年代に話題になった”セル方式”をあみ出した人だ。流れ作業の分担方式を、数名から一人で製品をつくりあげる方が効率が上がると発見した。それは”やる気”がでるから。やる気が出ると、自分でもっと効率のよいやり方を考える。結局は、それがいちばん効率を高めるというのだ。

番組の最後の方で、彼が70年の伝統を持つ家具工場の改革に取組む。何度か失敗してきたらしい。背水の陣で臨んだこの日、彼は家具職人たちをこきおろしにかかった。「そんなこと70年もやってきてるから会社がおかしくなったんだよ」黙っているがきっと職人たちの心の中はメラメラと悔しさの炎で燃えていただろう。

だがやがて山田氏の指導により効率的なやり方の模索がはじまる。リーダー格の職人が言う。「あ、わかったわかった、こうすればいいんだ」彼は自分自身のアイデアでもっとも効率的なやり方を見出す。さっきまでくさりかけていた職人が、輝かしい顔で山田氏と向き合う。

自分で考えたから職人は何十年も続けてきたやり方を変えることができた。しかもそのことで新たな誇りさえ手に入れたようだ。

彼を変えたのは山田氏の情熱だ。「そんなこと70年も・・・」と言った山田氏の胸のうちはきっとドキドキしていたのだろう。誇りある職人にこんなこと言っていいのか?いや、今日は鬼になるんだ。絶対に変えてやるんだ。そんな決意で言ってのけたのだろう。

最後は、情熱だと思う。最初は”ふん、あいつ何言ってんだよ”と思われたとしても、とにかく懸命に、身を呈して言いつづければ、理屈を越えた部分で人はわかろうとしてくれる。”とにかく、あいつがあれだけ一生懸命に言ってるんだから、ひとつやってみるか”そう感じとってくれるはずだ。

情熱。これを持ち続ければ、企業は変えられる。みんなわかってくれる。ようするに、そういうことなんだぜ。

何度も何度も説明する〜改革の理解〜

なんだか急に長期高齢者医療制度とかいうのが問題になっている。野党が演説してこんな悪い制度はなくすと息巻いている。今さら何を言っているのか。国会ではガソリン税の話ばかりで議論も何も巻き起こさなかったじゃないか。

政府側も「説明不足でした」などとカンタンに言っている。説明不足な制度を導入してしまっているのはどういう責任感だ?

企業改革でも説明は大事だ。新しい制度やシステムを導入する際は、導入の前にも、導入した後でも、説明する必要がある。

管理部門の人間はついつい「説明しましたよね」と言ってしまう。確かに一度説明していたりもする。だが、新しい制度は一度だけ説明したのでは説明したことにはならない。何度も何度も説明しないと理解してもらえない。ライン部門にとって新しいやり方を理解するのは大変だ。何度かやってみてはじめて理解できる。理解してもらえないと説明したことにはならない。そう言えるまで、何度も説明するのだ。

説明の手法も大事。よく、Wordに文章を書き並べたもので説明したつもりになっているが、それでは伝わらないのだ。最初は概論的に長い文章でもいいかもしれないが、みんなPC使っていればPowerPointぐらい入っているはずだ。PowerPointで、うまく見出しを立てたりチャートをうまく使ったりしたわかりやすいマニュアル的なものをつくった方がいい。

せっかくPowerPointが入っているのに使い方を知らない人も多い。ちょっとツールをいじれば、カンタンにチャートが作成できちゃう。一時間だけでいいから、いろんなツールを試してみればいい。それだけで、立派なパワポ遣いになれるだろう。

何度も説明する。わかりやすく説明する。そういう作業を、根気よくやっていくのだ。

説明したのにみんながわかってくれない。それは、みんなのせいじゃなく、自分のせいだ、と思うくらいの寛容さが必要なんだよん。

他人の知恵を借りる〜改革の更新〜

サラリーマン生活をして気づくのは、とくに経営管理的なことに取組む人には”自分がいちばん頭がいい”と思っている人が多いことだ。そう思わないと怖いのかもしれない。企業改革に取組もうなんて考えている類いの人間はとくにそうなるだろう。

だがまちがってはいけない。自分の知っているやり方がいちばんだ、なんて思い込むと痛い目にあう。だってこの国の経営管理はこの十年ぐらいでどんどん変わっている。すごい勢いで変化している。すべての領域で最新のやり方を把握している人間なんてそうそういるわけはない。いま分かってるつもりでも、半年後には旧い手法になったりしている。なのに、自分の知識がいちばん、なんて思わない方がいいわけだ。

別に謙虚になりましょう、などときれいごとを言っているのではない。シンプルに、どんどん他人の知恵を借りた方が早いということだ。

世の中には多岐に渡ってアドバイスをくれる人種がいる。会計士だの社会保険士だのコンサルだのファイナンシャルナントカだの。そういう人たちは、それぞれの領域で”へえー!”という知恵やアイデアを持っている。そんな人たちと張り合ってもしょうがない。むしろ”じゃあこういうこと?”とどんどん知恵を吸収すればいいのだ。

”自分がいちばん頭がいい”と言わんばかりの人は頭が悪い。頭のいい人は相手から何かを取り込もうとする。頭が悪くていいじゃない、と思ってるくらいの方が頭がいいということだね。

別の見方をすると、絶対に正しい、なんてものはないってことだ。ある局面ではAさんの言ってることがあてはまるし、別の局面ではまったく正反対のBさんのやり方がうまくいく。ケースバイケースってこと。

だから自分の知恵なんて浅はかだと思って、他人の知恵をどんどん借りましょう。そうしたらほら、いつのまにか、頭が良くなるよ。

上手に歩み寄る〜改革のペース〜

福田・小沢の党首論争を見て、子供のケンカみたいだと思った。自分で自分のこと「かわいそうなくらい」とか大人が言うのだろうか。小沢も小沢で周りが見えていない。国民が「もうそこどうでもいいよ」と感じているのがわからんか。

安易に妥協するのは大人としてまずいが、うまいところで歩み寄るのは大人として重要だろ。企業改革でもそうなんだ。

もちろん、一気にあなたの理想の形に持っていければいい。でもそうカンタンじゃないんだ人間は。頭でわかったからって明日からすべてをチェンジできない。わかってくれてるだけでも喜ぼう。「君の言ってること、わかるんだ。でもなかなかそこまで、私も部下も一気には変えられないんだよ」そう言ってくれたらもういいじゃない。だったらまずは”半分”で譲歩しよう。

わかってくれてる。と言ってくれてる。そこで満足しよう。それが大人だ。とりあえずは変えてくれるところだけ変えてもらって、その次の段階へは半年後なり一年後なりでまた進めればいい。

あ、勘違いしないでね。あくまで”わかってくれてる”から歩み寄る。分かってくれてないのに「じゃあ半分だけでも」ではダメだよ。それは妥協。

もし分かってくれてないのなら、説明の方法を変えてもう一度話す。分かってくれてないのに半分だけとか妥協しちゃうと、一年後に次のステップに進めないよ。

大人のさじ加減も難しいね。でもそんな感じで、一歩一歩、進めていくのさ。

ロードマップを更新していく〜改革の遂行〜

まだまだあるなあ、企業改革の手法。

ロードマップを持たずに業務を遂行してしまう人が多い。これは、かなりまずい。

企業改革には二年とか三年とか平気でかかる。しかも、あっという間に時が過ぎる。その際に、いくつかのロードマップを頭の中に持っておくことは必須だ。

”いくつか”と書いたのは、企業改革においては複数の改変を並行して進めざるをえないからだ。しかもそれぞれの改変は相互に絡み合って機能する。だから、こっちで進めていることと、あっちで進めていることを同時にコントロールしていかねばならないのだ。

さらに、最初に描いたロードマップ通りになんて美しくは進まない。こっちは途中でこんな困難が浮上し、あっちではあんな厄介が巻き起こったりする。その度に、ロードマップを書き換えていかないといけないのだ。そこはもう、臨機応変に更新していかないと、うまくいかなくなる。

もちろんロードマップは時折書面化して行った方がいい。無難なのは、四半期ごとなどにタームを分けてきちんと整理しておけばいいだろう。視覚化すればいろいろはっきりする。

ただ、”頭の中で描いて持っておく”感覚が大事だ。頭の中で描いておいて、それを時々紙にする。紙の上だけだと臨機応変にできないのだ。あっちをこう進めて、そっちはこう、あれ、でもこっちがこうなっちゃってるから、あっちはこう早めなきゃ。そんな感じで考えられるようにしておかないと、パッと対処できないのだ。

生の組織では教科書通りになんてまず進まない。機転を次々に利かせるためには、頭の中にもっておいてどんどん更新していく必要がある、ということだ。

企業改革は落ち着いて考えながら進めるシミュレーションゲームなどではなく、次々に進む画面に合わせてやっつけていくシューティングゲームなのだ。だから、毎日ドキドキするんだぜ。

愚痴を聞いてあげる〜改革の浸透〜

なんとなく企業改革の”コツ”みたいなことを書き続けている。こうなったら、思いつくだけ書き続けよう。

コミュニケーションが大事だとか、みんなの味方になるとか、書いてきた。もっと地道なレベルまでかみ砕くと、”愚痴を聞いてあげる”のも大事だ。すごく重要。

改革者は美しい理念が書かれた旗を派手に振りかざす。でもそれだけじゃダメなんだな。もっと、泥臭ーい、ジミーなこともやらなきゃいけない。愚痴を聞いてあげる。これだって、改革を推進する際にやらなきゃいけないことだ。

美しい理念を掲げて、それは理屈では分かってもらえたとしても、企業内ではもっと素朴なことでみんな悩んでいる。困っていたりする。改革者はそういうことだって解決できる、という姿勢でいないといけない。だから、愚痴は聞いてあげないとね。

誰だって、愚痴はある。それぞれ、大したことないようで、その人にとっては重たい問題だったりする。長年のこじれた人間関係だったり、あの人がどうしても苦手だったり。そういうこと、ひとつひとつ聞いてあげる。女性を口説こうと思えば、彼女のよき理解者でいないといけない。その原点が、悩みを共有できることだったりする。同じように、理解者にならないといけない。そうすれば、こっちの理念も理解しようとしてくれる。

経営トップであれ、事業部門のキーマンであれ、長年管理部門で頑張ってきた人であれ、愚痴はある。かなりの立場だから好き勝手やってるように見えて、立場があるほど愚痴はあるのだ。

そして彼らの愚痴から、改革を現実にする際のヒントが見えてきたりもする。改革が改革であるからには、そういう悩みの解決にもつながるようじゃなきゃ意味がないのだ。

聞いてあげる。とにかく聞いてあげる。そしてうなずいてあげる。なるほどなるほどわかるなあ、と言ってあげる。言ってあげるだけでなく、心から共感しなきゃダメだけど。

そんな他愛もないことが、改革の推進に大いに役立つ。試しに、やってみれば?

コンセンサスの自分流体系を持つ〜改革の推進〜

でもって、企業改革の要領のつづき。まだまだあるもんだなあ。

組織の中で”新しいやり方”を推進する際、コンセンサスをいかに得るかが重要だ。ここで言うコンセンサスとは、いわゆる職務権限だの稟議体系だのとはちょっとちがう。もっともやもやした、人間関係の中での話だ。

これから当社では、○○○についてはこうしましょう。そのためのコンセンサスと言うなら、稟議書を出して職務権限に添って承認を得て、場合によっては取締役会で承認を得ればいいじゃないか。そういう人もいるだろう。だがことはそう単純ではない。あるいは、そんな風に単純に捉えていると、決めたことが、決めたことにならない。

例え社長が発令したことだとしても、組織の中でコンセンサスが得られていないと、着地なんかしない。あるいは、みんな納得せずに導入したことでは見えないところで反発心が醸成されてしまう。それでは意味がないのだ。

実践的には、いわゆる根回しをする。根回しというと後ろ暗いようだけど、これは企業改革でものすごく重要なことだ。そして、それぞれの組織で、それぞれのコンセンサスの体系と言えるものが存在する。存在するというより、体系を作っていく必要があるのだ。

こういう案件は、あの人と、この人と、その人の理解を得ていればうまく定着するぞ。こんな場合は、えーっとあの人とその人に説明しとかなきゃ。

それがいかに正しいことで重要だったとしても、そういう体系を経ずに決めてしまうと、”なんでおれの知らないところでそんなことが決まっちゃうんだよ”という人が出てきたりするのだ。職務権限表には載ってない、その組織独自のコンセンサスの体系があるのだ。それを見出して頭の中で持っておく必要があるというわけ。

もちろん、そんなにきれいに整理できるものでもない。結局は、その時々で頭をめぐらせて体系を構築するのだ。

最終的には、正式決定を月末の会議で落し込みたい。そうすると、その前の週にはAさんとBさんに話しておかなきゃ。てことは、さらに前の週にはXさんとYさんにも話しておくべきだな。そんな順番を頭の中で張り巡らすのだ。

きちんとコンセンサスの体系をふまえておけば、いよいよの会議で問題なく決まるだろう。もちろん、その会議で最終的な議論になるかもしれない。いずれにしろ、ちゃんと手順を踏んでおけば、自分の決めたい方向で決めてくれるはずだ。なぜならばその提案はその組織にとって有効だから。あ、つまり、そこがやっぱり大事だけどね。正しい提案じゃないと、どんな手順を踏んでも通らないよ。

いやー、人間って、ビミョーだね。

コミュニケーションあるのみ!〜改革の共有〜

まだまだつづく、企業改革のポイント。

改革を推し進める際、一にも二にもコミュニケーションが大事だ。管理部門発の場合、まず管理部門内のコミュニケーションを図る。これが意外とできないものだ。

管理部門、つまり総務や人事、財務や経理、そして経営企画などが一体とならねばならない。企業改革では新しい管理システムを導入することになるが、例えそれが会計システムであったとしても、財務や経理だけの問題ではない。ほぼまちがいなく、全管理部門に関係してくる。それを財務や経理だけで納得して他の管理部門が新しいシステムを把握できていないと必ず齟齬が起こる。

さらに、システム変更に伴い、ライン部門にも新たなプロセスが増えたり手続きが増えたりする。何をしてもよくて何はダメかなどが変わったりする。これに対しライン側から出た質問に、管理部門によって回答がちがったりすると混乱や不満が巻き起こるのだ。

ひとつの管理部門での変更ポイントも各管理部門で共有して齟齬が起こらないようにすべきだ。そしてそこでは、管理部門のヘッドに必ず説明し、承認もしてもらっておく。責任体系も明確にしてそれに添ってすべてを決めないといけない。

管理部門ひとすじでやって来た人には、コミュニケーションができてない人が多い。霞ヶ関の官僚と同じように、その人の独断でそれまで回ってきたから、勝手に決めていこうとする傾向がある。同じ会社でずっと管理部門にいたりすると、自分が権限を越えて独断していることに気づかなかったりする。これはいわゆるガバナンス上、そうとうやばいわけだ。ましてや、新しいシステムをその人が本質的に理解してなかったりすると、あとあと致命的になったりもする。ずっと同じやり方でやって来た人は、新しいシステムをわかった気になって全然わかってなかったりすることも多いのだ。

重層的にミーティングを行い、情報と意志の共有に漏れがないようにしないといけない。

コミュニケーションの必要性は、まだまだあるので、これだけで何回か書くね。

みんなの味方となる姿勢〜改革の伝搬〜

組織改革の手法について語ることにしてしまった。ということで、昨日のつづき。

改革者が陥りがちなのが、”みんなのための改革”であることを忘れてしまうこと。正しいことを言い続けるのが大事と書いたけど、その”正しさ”とは”みんなのためになる”という確信のはずだ。ところが、その”みんな”にわかってもらえないと、みんなを敵視してしまいがち。おれは正しいことを言っているのに、みんなわかってくれない。あいつらは敵だ!と考えはじめると、何のための改革なのか、本末転倒になってしまう。

ぼくの言ってること、いまのみんなの常識とちがうかもしれないけど、必ずみんなのためになるから。その気持ちでいないといけない。その気持ちを保ち続けて主張すれば、論理を超えて”こいつの言ってること、いまいちわかんないけど、どうやらおれたちのために言っているようだ”と必ず受けとめてもらえる。

結局は、誠意、なんだね。情熱、なんだね。

つまりほんとうに大事なのは、主張の中身や正しさの前に、こころ、なんだ。それを忘れなければ、いますぐじゃなくても、いつか必ずわかってもらえる。わかってもらえなくても、一所懸命やっていれば、きっと理解しようとしてくれる。

”とにかくこいつの言うようにやってみるか”そう思ってもらわないとはじまらない。

そういう理屈を超えた部分がね、いちばん大切だったりするの。

あ、もちろん、ぼくもそんな聖人のような姿勢をやすやすととれるわけじゃないよ。どっちかというと、すぐに短気を起こして”もういいよ!”と感情的になっちゃう。

人間って難しいね。でも、だから面白いんだけど。

正しいことを正しく言い続けること〜改革のキホン〜

昨日書いたことと矛盾するようだけど。

結局、組織を変えるためにまず必要なのは、正しいことを言い続けることだ。

大事なのは、”言い続ける”こと。一回言ったからいいでしょ、ではダメなのだ。機会あるたびに、言い続ける。同じことを、言い続けることが大事だ。

一回正しいことを言う。それだけでは異論反論が押しよせてくるだろう。強く反発する人もいる。

だが思うより人は誰かの言ったことを聞いている。憶えている。気にしてくれている。そしてそこで大事なのは”正しさ”だ。正しい、と感じてもらえるように言わないとダメ。と言うことは、中途半端な論理ではいけない。きちんと論理の筋道がついていないといけない。つまり、正しいことを、正しく言うことがとても重要。

機会があったら前と同じことを二回、三回と言い続ける。論理に裏打ちされていれば、相手は前回も気にしていたので、さらに気にする。どうやらこいつの言うことは正しいようだ。反発しながらも、実はそう受けとめてくれている。だから、二回目三回目で変に意見を曲げたり、妥協したりしてはいけない。”歩みより”ならいいが、妥協はいけない。妥協が見透かされると、見くびられる。軽蔑される。軽蔑されたら、正しいことが、正しいと感じてもらえなくなるんだ。

ぼくが若い頃から進歩したかもしれないのはこの点だ。粘り強くなった。諦めたり、いじけたり、しなくなった。辛抱強く、言い続けられるようになった。

まあ、少しだけ、なんだけどね。