sakaiosamu のすべての投稿

sakaiosamu について

コピーライター→映像製作会社ロボット→広告代理店ビデオプロモーション→再びコピーライター(フリーランス)。 メディアとコンテンツの未来を切り拓くコミュニケーションをデザインします。講演・執筆依頼もお気軽に!

テレビとネットは仲良くできないの?

もうみなさんご存じかもしれないけど。

ネット上の一部ではいま、かなりおぞましい言葉が飛び交っている。俳優の(そして宮崎あおいの夫)高岡蒼甫が、フジテレビの韓流ドラマ放送を批判するようなTweetをしてしまい、所属事務所を辞めた。これをきっかけに「フジテレビは韓流押しをしていてそこには裏があるのだ」という主張がネット上を駆け巡っているのだ。

このブログあたりを読むとだいたいの事情がわかる。また、Twitterで”フジテレビ”と検索すると生のTweetが読めるはず。ルサンチマンの塊みたいな痛々しい言葉が滝のように流れている。

そこにはいろんな想いが渦巻いているのだろうけど、感じるのは、ネット住民のマスメディアへの強烈な敵愾心だ。怨念とも言える。もともとマスメディアをマスゴミ呼ばわりしていたわけだけど、そこに”韓国がらみの陰謀”というネトウヨ的心性を刺激するモチーフも加わったもんで、かけ算というか累乗というか、爆発的なパワーを持ってしまった。攻撃対象が、”マスゴミ”の中でもっとも成功しているフジテレビだというのも、感情を逆撫でどころか何百回も掻きむしっている。

それにしても見ていると、ネット在住のみんなはそこまでテレビが嫌いなんだな憎いんだなと感じた。(それと、ソーシャルメディアは落ち着いたコミュニケーションの場だ、というのももはや過去の話なんだとも感じた。@higekuma3によれば震災後Twitterは2ちゃん化したのだとか)

さて一方、昨日ものすごく驚いたニュース。「民放5社が新たなインターネットテレビを来春に実用化、専用テレビも同時発売」ええええー?!な、な、なんですと!

テレビと大手広告代理店はネットを敵視し、また馬鹿にしてきた。ネットなんてあんなのメディアじゃない、と言っていたし、ネット上のコンテンツも、アマチュアが作るもんだと言っていた。それがどうも、大きく劇的に変わりそうだ。

テレビはスマートテレビを拒んでいたはずだけど、むしろ自分たちで作ろうと考えを大きく転換したのだろう。ネットに肩を貸すとテレビ放送の視聴率が奪われるという不安が彼らを脅かしていた。その不安は正しい。でも、どうやってもこうやっても、テレビはネットに視聴率を奪われる。だったら自分たちで考案した方が被害が少ないんじゃないか。そんな発想なんだろう。

なんにせよ、レガシーメディア側が新しいアプローチで挑んでいこうというのは、素晴らしいことだと思う。さあ、みんなよーいどん!で競争だぞ!そんな気分。

ところがね、記事をよーく読んでいくと、あれ?とも思う。このスマートテレビは、スマートじゃない。スマートテレビはネットにつながるのがミソだけど、このテレビはネットにつないでわざわざテレビ放送用のコンテンツしか視聴できないのだ。番組の二次市場を自分たちで作るのだけど、番組しか売らないからね、というスタンス。しかも”売る”わけ。

よーいどん!で競争・・・する気はやっぱりないんだな。おれたちの権益はおれたちが守り抜くぞー!という頑なさが相変わらず見える。これは決して、マスメディアとネットの融合、ではないな・・・

結局マスメディアはネットが嫌いなんだね。

ネット在住の”マスゴミ”論者は、2011年になってもやっぱりテレビを攻撃し続ける。対するマスメディアも結局はネットに泳ぎ出そうとはしない。お互いに閉じてしまっているようだ。

それではいかんのだよ。マスとネットが手を組むことで、それぞれの価値も拡大するの。だから君たち、仲良くしないといかんのよ。

・・・仲良くできないやつは、廊下で立ってなさい!・・・なーんてね・・・

インターフェイスが変わりました

gooブログから、このsakaiosamu.comに引越してきたわけだけど、さらにリニューアルしたよ。したよ、というか、もちろん今回もアートディレクターの柴田しゅんめいさんにデザインしていただいた。いや、ちがうな、もっとだな。ぼくの方でだいたいこんなことになったらいい、と言ったのを受けて、考えて作っていただいた結果がこれ。

いちばん大きいのは、前に書いた記事も読んでもらえるようにしたい、とお願いしたら、人気記事を何らかの基準で押し出したり、ランダムに過去の記事からピックアップしたり、という機能を加えてくれた。柴田さんはアートディレクターでありつつ、WordPressの様々な機能も把握していて、ぼくの希望をこうすればかなえられるな、と実現してくれた。アートディレクターとして十分な経験を持つ上に、WordPressによるサイト構築を理解している人はそうそういないと思うよ。

あ、もちろん、このサイトを作ってもらったので、少々上乗せして褒めてるけどね(^_^ゞ

前に書いた記事も読んでもらいたい、と思ったわけだけど、ブログってそういうところがかねがね不満だった。つまり、まったくもって新しい順だけしか並べられないでしょ?カテゴリーってのがいちおうあるけど、カテゴリー分けしても結局そのあとは新しい順。

だから、昔の記事はそう簡単に浮上しない。それに自分でも探せなかったりするんだよね。この点は、きっと今後、新しい捉え方のツールも出てくるんじゃないかな。

というわけで、これからは”Pickup’s”の記事も読んでね。けっこう面白い記事が埋もれてる、はずだから。

では、あらためて、よろしくです!

テレビに欠けてるのは信頼・・・ホントにそうなの?

テレビについて、前回の記事に続いてもう少し考えてみたい。

このところのテレビ批判の中に、こんな言い方がよくある。「テレビのことを視聴者が信頼しなくなっている。少し前にも番組の情報がいい加減だったと話題になったが、震災後はとくにひどい。政府側の発表をそのまま伝えているだけだ。ネットには政府の見解を批判するブログなどがちゃんとあるのに。テレビは視聴者の信頼を取り戻す努力をしないとまずいだろう」・・・こんな感じ。

政府の発表をそのまま伝えちゃうのはよくないと、ぼくも思う。大本営発表とあまり変わらないからね。でも一方で、こうも思うんだ。「んーっと、でも、ぼくはもともと、テレビのことを信頼していないし、信頼できなくてもぼくはテレビ大好きっすけど・・・まずいすかね?」

テレビが、昔は信頼できるメディアだったのに堕落したから信頼できなくなった。そんなこと言う人がいたら、ぼくはホントに聞きたい。あなたはそんなに信頼してたんですか、テレビのこと。だって、テレビですよ!

テレビの信頼を脅かす事件はこれまでもいっぱいあった。何度も起きてた。ぼくは、テレビが犯した最大の罪は、松本サリン事件の時の無実の人を犯人扱いしたことだと思う。あれはホントにひどかったし、テレビはその無実の人にろくに謝ってもいないと思う。

だから、テレビを信頼できなくなったという人は、松本サリン事件の時はどう思ったのか聞きたいな。

テレビが考えるべきは、信頼を失ったとか取り戻すとか、そんなことじゃないと思う。それより、テレビはもっとムチャクチャなことできないのか、って考えた方がいい。世の中を騒がせるのがテレビなんじゃないの?

80年代のテレビは、スゴかった。ムチャクチャだった。象徴的なのは、フジテレビの「笑っていいとも」や「ひょうきん族」といったお笑い番組、それに日本テレビの「元気が出るテレビ」とか「電波少年」などのバラエティだ。

これらの番組は、テレビの限界みたいなものに挑戦していた。はじまって数年間の「笑っていいとも」は、言葉は悪いけど、非芸能人の中からフリークスを抽出して電波にのせていたようなもんだ。もう、見ていてハラハラしたし時には不快でもあった。下品きわまりない場面もいっぱいあった。何というか、世の中の”たが”みたいなものをどんどんはずしていた気がする。

ドラマだってね。いまでこそフジテレビのドラマ制作のレベルは高いと思う。でも80年代前半のドラマはホントにひどかった。そしてそのひどさが面白かった。

テレビはまともじゃないメディアだった。だから面白かった。そこが最大の魅力だった。新聞ほど知性はないし、映画ほど上質でもない。その中途半端さがよかった。質なんていいよ、いらないよ、そんな姿勢だからこそエキサイティングだった。

前回の記事では、テレビは20年前と変わらないと書いたけど、ひとつ変わった点をあげるとすれば、まともじゃないのが魅力だったテレビが、まともな態度をとろうとするようになったこと。あれ?テレビってそんなにえらかったんだっけ?そんな感じ。

テレビはもう一度信頼を取り戻す、なんてやらなくていいよ。それより、もう一度ムチャクチャやろう、って考えた方がいい。そのムチャクチャの方向性のひとつが、ネットを利用すること。ネットやアプリと番組をどう組み合わせるのか。ムチャクチャなこと考えて欲しいな。

なんだったら手伝ってもいいよ。ムチャクチャなこと、やろうよ、やってよ!

テレビはむしろ、変わってない。変わったのは、ぼくらとの関係だ。

地デジの日から一週間経った。つまり、アナログ停波から一週間ってことだね。

さて、テレビは変わったのだろうか?より進化したのだろうか?それともパワーダウンしたのだろうか?・・・まだその変化についてはとくに伝わってこない。いやむしろ、7月24日の前とほとんど同じ姿で、テレビはぼくのリビングルームに鎮座している。は?先週ととくに変わりありませんが、何か?そんな顔をしているね、テレビは・・・

実際、この20年くらい、テレビは変わっていないんじゃないかな・・・

テレビのパワーダウンについて、「面白くなくなってきたからだ」とことさらに言う人がいる。「だってどのチャンネルを見ても、同じようなお笑いタレントが出てきて、同じようなクイズ番組やってるじゃないですか。視聴者が飽きちゃいますよ」そんなことを言う。

でも、ちょっと待ってね、とぼくは言いたくなる。テレビはつまらなくなったの?ホントにそうなの?ぼくはそうは思わないけどなあ・・・

皮肉たっぷりに言えば、”同じタレントが出てきて同じような番組やってる”のは、20年前と同じだよ、と。民放キー局が5つもあって、視聴率が唯一の指標だと、同じような番組になってしまう。同じような番組をやると、視聴率がとれるからだ。だから、本質的にテレビは、同じような番組を作ってしまうんだよ。

同じような番組になったから、視聴率がとれなくなったんじゃない。視聴率をとろうとすると、同じような番組になっちゃうんだ。同じような番組になったことと、視聴率を関係づけて、テレビ局の連中は堕落したんだ、とか言うのはあまり意味がないんだ。

ぼくは、20年前から、テレビは同じような番組をやっていると思う。そしてそれは、テレビの嫌いなところだった。そして同時に、テレビは本質的に同じような番組を作ってしまうのだ。

じゃあテレビは何がピンチなの?じわじわ視聴率は下がってるわけでしょ?そう、それもまちがいない。テレビの視聴率は下がり続けている。でもすごくゆっくりとね。

原因は何だろう。ぼくが思うにね・・・

テレビがつけっぱなしじゃなくなってきたからなんじゃない?

小学校の頃、家にカラーテレビが来た時のことをぼくはいまでも記憶している。すごくうれしかった。ぼくの世代ほどのテレビっ子世代もないんじゃないか。物心ついたら、テレビはあったのだ。

テレビがうれしくて仕方ないから、ぼくはテレビをつけっぱなしにしていた。何十年もそうしてきた。朝起きると、テレビをつけた。家に帰ると、テレビをつけた。友達や彼女が家に来ても、テレビをつけていた。とにかく、家にいる時=テレビをつけている時、だった。

そいでね、そうやってつけている間、必ずしもテレビを見ていたわけではない。テレビをつけている状態と、テレビを見ている状態は、相当ちがう。つけている時は、見ていない時でもあったりするのだ。

そしてこの頃、ぼくの家のテレビは、必ずしもつけっぱなしじゃなくなってきた。

子供たちが消すのだ。

高校生と中学生の、ぼくの子供たちは、物心ついたら家にHDレコーダーがあった。彼らはテレビに対してすごくドライだ。見たい番組は録画して、CMなんかどんどんスキップ。自分が見たい番組が週にいくつか決まっていて、それだけはリアルタイムに視聴する。それを見る時は、集中して見ている。でも終わったら、さっさとテレビを消してしまう。

ずっとつけっぱなしにしない分、彼らはケータイを肌身離さず持っている。その上、PSPや3DSでゲームをしている。

だからテレビは、ケータイやゲームに負けたのだ。・・・そうか?ホントにそうか?やっぱり少しちがうとぼくは思うんだ。テレビはつけたままで、ゲームやったってよかったんだもん。

なのに彼らは、テレビを消してしまうんだ。(–;)変わったのは、そこだと思う。

ぼくらがつけっぱなしにしていたテレビを、子供たちが消してしまう理由は、よくわからない。説明できない。でも、感覚的には理解している。それはもうねえ、物心ついたらテレビが唯一の娯楽機器としてお茶の間にあった世代と、物心ついたらHDレコーダーがあってゲーム機やケータイやPCに囲まれてきた世代との、各メディアとの距離の差、でしかないのだと思う。

なんとなーく、わかるでしょ?・・・

なんていうぼくの文章に共感したとか、意見言いたいとか、反論したいとか、ある人は、このリンクからFacebookページに飛んで書き込んでってください。・・・あ、単純に下のコメント欄に書くのもOK!

第三回リアル境塾を終えて〜やるべきことは、はっきりしてきた!〜

24日に開催された第三回リアル境塾「アナログ停波まつり」には皆さん、参加してもらえたかしら?会場に来なかった人も、Ustreamで視聴できたんだけど、見た?え?見てないの?じゃここをクリックしてアーカイブ映像を見なきゃね。噂のパンナムの人の大活躍も見れるよ。

山崎さんが思いの外エネルギッシュだったとか、志村さんも意外にアジテーションするんだなあとか、そういう感想もあるかもしれないけど、たぶん持ち帰ったものは人それぞれだろうね。

もちろん、ぼく自身もぼくなりに持ち帰った。そうか、そういうことかもなあ、ってことがあった。そしてそれは、第一回、第二回とも関連していて、ぼくなりにストーリーが組み立てられているつもり。

既存メディアは今後、じわじわ厳しくなる。すると、コンテンツの作り手が活躍できる場所の面積がじわじわ小さくなっていく。そこで、どうするか。

まず、課金モデルに取り組むしかない。そこから先は、正反対だけど補完関係もある2つの方向がある。

課金モデルに取り組むしかない。挑まざるをえない。何しろ、ぼくたちはテレビが集める広告収入に依存してきた。これは『テレビは生き残れるのか』でも再三ふれていることだけど、日本の映像ビジネスは何らか、民放キー局の広告を集める力にすがって生きてきた。だからそこがしぼむと、もうどうしたらいいかわからなくなる。

課金モデルで儲かるのかよ、と言ってる人もいるらしいけど、それはこれからそうなるはずだ!と根拠なく言いきるしかない。みんなで取り組んでそういう状況を作るしかないんじゃないかな。

そこから先の2つ、のうちの1つは、志村さんのおっしゃっていた海外進出だ。日本のコンテンツには優位性がある。クオリティでは他のアジア勢には負けていない。その優位性があるうちにアジア市場で確固たるポジションを獲得するのだ。

もう1つは山崎さんが言っておられたマイクロコマースだ。個人が自分の表現を自分で売るのだ。これについてはぼくも本の中でふれたと思う。Me to Meのエコシステムを構築する。その中で流通し価値を持つようなコンテンツを制作する。だから大規模なものではない。コストもさほどかけられない。そんなスタンスで地道に表現をしていくのだ。

マイクロコマースについては第一回で佐々木さんがおっしゃっていたこととかなりリンクすると思う。小さな規模でもコンテンツビジネスは成立する、そんな時代になってきたのだ。

そして、あとは、もうそれぞれでやるしかない!今年はもう、そんな年なんだ。今年だけじゃなく、あと5年ぐらいの間にそうとう変化しているんだろう。今年はその元年なのだ。

志村さんもおっしゃっていたよね。「もうやるべきことの方向性ははっきりしているから、あとはやるだけだと思います。やるしかない!ってことだと思います。」そう、そういうこと!やるしかないよ!ぼくもやっていくからね・・・・

なにをやるべきなのか、いまひとつわかんない?うーん、そういう人は、この本を読むしかないね。『テレビは生き残れるのか』(ディスカヴァー携書)もちろんぼくが書いた本。あ、でも答えは書いてないからね。ヒントが見えるかもしれないってだけ。でもやっぱ、読んどいた方がいいなー、きっと。

第三回リアル境塾「アナログ停波まつり」Ust中継もあります!

さあ、いよいよ本日、第三回リアル境塾「アナログ停波まつり」の開催です。

『スマートテレビで何が変わるか』の山崎秀夫さんと『ネットテレビの衝撃』の志村一隆さんをゲストにお招きして、地デジ後のテレビを、そしてもっと広く言えばこれからのメディアと人の関わりがどうなっていくかを語っていきます。

”インタラクティブな勉強会”をめざす境塾は、会場だけでなく、ソーシャルメディアを通して皆さまからのご意見を集めていきます。

Ustream配信のサイトはこちら!クリックすればそのまま飛ぶよ。あるいは、www.ustream.tv/channel/sakaijyuku/を入力しよう。


このUstream中継は、デジタルハリウッド大学院の荻野健一教授のプロジェクト、<トウキョー・キュレーションTV>の一環として行われます。

トウキョー・キュレーションTVについて知りたい方はこちらをクリック。

というわけで、夕方16時から、お茶の水の会場か、Ustream中継でお会いしましょう。いろんな形で、参加してください!

『テレビは生き残れるのか』ここまでの反応とか

ぼくの初の著作『テレビは生き残れるのか』が発売されてから一週間経った。

16日の土曜日に発売されてすぐ連休だったので、あちこちの書店を回ってみた。編集の千葉さんの話だと、金曜日に書店に届いて土曜日になってから棚に並べはじめるのだそうだ。とは言え、連休中は置いてある店もあれば置いてない店もあるといった感じで、少々不安だった。

休みが明けてから書店を見てみると、けっこう置いてあるし、なかなか目立つ陳列をしてくれている。

会社の近くの文教堂。TBSも近いし、博報堂DYもすぐそこ。さすがにメディア企業のお膝元だけあって、もともとレジ前にメディア関連の書籍のコーナーがある。そのメディアコーナーにどーん!と、平積みされていた。三列分だし、一列はぐいっと減っている、つまり売れている感じ。素晴らしい!

さらに、第三回リアル境塾でゲストにお招きしている山崎秀夫さんの『スマートテレビで何が変わるか』が隣に並んでいる。斜め奥には同じくゲストで来ていただく志村一隆さんの『ネットテレビの衝撃』も置いてある。極め付けは縦の棚に佐々木俊尚さんの『キュレーションの時代』まであるぞ。なんて理想的な陳列だろう!\(^-^)/


さらに金曜日に六本木ミッドタウンに行ったらTSUTAYAの書店があり、ちょい奥の新書の棚に、どどどどどーっとこれでもかってぐらい並んでいた。ちゃんとディスカヴァー社のPOPも脇にある。

さすがにここまで並んでいると、ちょっと引いたかな。そこまで押し出すほど一般的な本じゃないんだけど、と。かえってハラハラしちゃった。

まあしかし、さすがディスカヴァー社だなあ。各書店にぐいぐい売り込んでくれていることが感じられた。コンテンツだって商品なのだから、流通への営業力とか大きいってことだね。

それから、いくつかブログ記事を書いていただいたり、Twitterで感想をいただいたりした。

まずカワテツさんこと川上徹也さんがブログ(カワテツの「出版プロモーションの裏側、全部見せます」)の中でさっそくレビューを書いてくださった。メディアの本はいろいろ出ているけどこの本はリアルだと思ったそうだ。「それは何よりお金の話がよく出てくるからです。」あ、そうだね。確かにお金のことはいっぱい書いた。お金の話をぐいぐい出さないといけないと思ったから。

それから、この本の出版社であるディスカヴァー社の干場社長もブログでとりあげてくださった。自分の会社の本なら当然だろうと思うかもしれないけど、ちゃんと読んでちゃんと書いているんだよ。映像業界の話を出版界と比べることで、自分の問題に引き寄せて書いてくださった。そう、映像界の話は、すべてのマスコミ界の話と共通項があるはずなんだ。

土屋夏彦さんという方がCnetでブログを書いておられて、そこでもとりあげていただいた。地デジ化について概論的に語りながら、途中でぼくの本を紹介してくださっている。

感激したのが、ブログ:マーケティングエッセンスを書いておられる大西宏さんが、同ブログでとりあげてくださったこと。ぼくはこのブログの長らくのファンで、更新されたら必ず読んできた。「マーケティング」というタイトルながら、取り扱う題材は幅広く、それでもちゃんとマーケティング的な視点で書かれていて、いつも啓発されるのだ。

そういう、自分が毎日のように読んでいるブログに自分の本が登場するのは不思議な気がした。もちろん献本したからなんだけど。編集の千葉さんが、影響力のある方にはどんどん送りましょうと言うので、面識もない大西さんにも図々しくお送りしたのだった。

Twitterでいただいた感想で感激したのが、フジテレビの福原さんのTweet。「週刊フジテレビ批評」などで何というか、”内なる改革者”といった活動をしている方だ。その福原さんが・・・

境治さん @sakaiosamu の「テレビは生き残れるのか」を一気に読破。面白い。これ、いま実感していることが書いてある。実感しているとともに、いまいろいろ社内外で動いている方向性が間違いではないと確信する。まあ、楽しみにしておいてくださいな。テレビはまだ大丈夫。

と言ってくれた。

うーん、うれしいなあ!「いまいろいろ社内外で動いている方向性が間違いではないと確信する」少し福原さんの気持ちを押せたということかなあ。はいはい、楽しみにしてますよ!実際、この本を書いている最中に、テレビ局側がぐいぐい新しい動きを見せはじめたもんね。

一方で、アマゾンにはかなり辛口なレビューをもらった。うーん、これはこれで心して受けとめなきゃなあ。でも励ましのレビューもいただいたので、プラマイゼロ?

ブログをずっと読んでくれてる人からすると、ちょっと物足りないらしい。それはそうだな。ブログを本にしたものだから。いやそれにしても、ブログ読者のためにはもう少し、書いてないことを入れ込まないといけなかったんだろうな。それと、ブログでやってるアジテーション的なムードがないのもつまんないのかもね。これも意図的に、ブログではジーンズはいてリラックスしてしゃべってるけど、本ではやっぱね、初対面だしね、ってことでYシャツぐらいは着ている。アジテーションもほとんどしていない。初対面のおじさんにはね、あおれないよね。

このあたりはしかし、反省要素ではあるかな。

あ、あなたはどうだった?よかったら、下のコメント欄で書いてってね。FBアカウントないと書けないけど・・・

まだ読んでないよ、って方は、この際だ!アマゾンでポチッとしちゃおう!このリンクをクリックしてみて!

スマートテレビはぼくたちを自由へとみちびくか

はい、みなさん。『テレビは生き残れるのか』は、もう読んだかな?・・・なんですと?まだですと?それはいかん!いますぐここをクリックして、アマゾンで注文しよう!いまならきっと、すぐ届けてくれるよ!もちろん、そこにあるネガティブなレビューからは目を背けようね!

さて、一方で第三回リアル境塾「アナログ停波まつり」の申し込みはもう締め切っちゃった。でもUstreamで生中継するので、会場に来なくても参加できるよ。デジタルハリウッド荻野教授のプロジェクト、トウキョー・キュレーションTVのご協力による。チャンネルはこちら。ブックマークしておいて、24日16時を楽しみに待とう!

それでその「アナログ停波まつり」のお打合せということで、境塾の事務局3人とともに、今回のゲスト山崎秀夫さん、志村一隆さんとごはんを食べた。昨日の夜にね。

お二方のお話は想像以上に楽しく、刺激的だった。そしてこないだここで書いたように、お二人がメディアの進化を研究していることと、ぼくたちの自由について考えることは近いものだった。と言うより、個人が自由を目指すことを強く意識して、お二人はメディア研究をしているのだ。

強く印象に残ったのが、山崎さんのこんなお言葉。
「テレビが、時間に縛られる放送から脱却し、自分でコンテンツを選ぶスマートテレビに進化することは、個人が時間の使い方を自分で考える、自立を促すものなのです。組織から個の時代になることを、テレビのスマート化が促進させるのです。」

なるほど!この捉え方、面白くない?

確かにテレビ放送って人を受動的にしてしまう。ぼーっとさせてしまう。それは、製造業の発達に合わせて、人々が大きな企業に所属し、身を会社にゆだねる姿とリンクしているのかもしれない。定時に始まり一斉に会社に向かい、帰宅したらテレビを見て、寝る。そんな生活の一環にテレビ放送は加担してきた。

それがいま、個の自律的な生き方がむしろ求められている時代に入ると、テレビも能動的なものになるべきなのだろう。適当にリモコンいじってなんとなくだらだら番組を見るのは、いままではむしろよかった。でもいまやもう、そんなことじゃダメなんだよな。

なんてことを言ってると、そんな方がゲストに来るこんどの境塾に参加したくなっちゃわない?このページの下の方にあるフォームへのリンクをクリックして必要事項を書いてもらえればいいのね。まだ間に合うことにしちゃおう!

ということで、今日はここまでね・・・

メディアについて語ることは、自由について語ることだ

前回の記事でさほどの気負いもなく「メディアについて考えることは、自由について考えることに近いんじゃないかと思うんだ。」と書いた。そしたら24日にリアル境塾にお招きしている志村さんからコメントが。

「表現とメディアは、自由と制限と言い換えてもよかったと​思います。今までは。個人と組織、趣味とビジネスとも言​えます。ネットでは自由な表現が可能だけど、あとはそれ​をメディアが受け入れるか、しないのか、どちらを選択す​るか。(以下略)」

そんなことを書いてくださった。

つまり、いままでのメディアとは、表現に関して制限付きだった。でもこれからはもっと自由になるのかもね、と。あるいはそういう自由さを既存メディアが受け入れるのかがポイントだ、と。

そうやって考えていくと、これまでのメディアって表現の場として不思議な面を持っていたことに気づく。

そもそも、メディアは表現の受け皿だ。そしてその”表現”とは、本来的には自由に行われるべきものだ。実際、誰かが何か問題になるようなことを言ったとしたら、その責任はその発言者が問われるはずだ。

ところが奇妙なことに、テレビ番組の中でゲスト出演者が”不謹慎な発言”をしたら、その出演者本人ではなく、局のアナウンサーが謝る、でしょ?これはよく考えたら変なことだったんじゃないか。表現の受け皿なのだから、ゲストの発言はゲストが発言したことです、と言えばいいのに。

でもなぜかいままでは、それが言えなかったのだ、

そんなことで、例えば○○○や△△△のような言葉は使ってはならなくなった。(○○○や△△△には適切な猥褻語や差別用語を入れよう)

もちろんここで言う”自由”とはそんな「言ってはならない言葉が言えるかどうか」なんていう小さな問題ではない。

例えばここでぼくが好き勝手に書いている、自由、のようなことだ。ここでぼくは、何文字書いたっていい。誰かの批判をしてもいい。政治的な発言をしてもいい。

ぼくはこの場で何をどう言ったっていいのだ。そしてぼくがもし不謹慎なことを言ったとしても、誰かが代わりに謝ったりしなくてもいい。読んだ人の中ですごく怒った人がコメント欄に書き込んできてもいいし、ぼくはそれに反論しても、ほっといてもいい。なんだったら削除もできる。

ただし、ぼくがここでただ書き散らかしたり無神経なことを書いたりしたら、コメント欄が炎上したり誰も見に来なくなったりする。自分のしでかしたことには、自分に報いが来るのだ。

こういう感覚は、既存のマスメディアにはない。問題になるようなことは避けるのだ。だから事前にチェックする。チェックするのは表現の自由に制限を加えるためではなく、何か問題が起こらないようにするためだ。マスメディアとはそういう存在になってしまっている。

既存メディアはこれから、ネットの力を取り入れなくてはならないだろう。そしてそれはなんとなくメディア側の人たちも感じているはずだ。でもそこで、ネットが持つ”自由性”をも取り入れられるか。

これからそこが問われる。

この話、面白いのでもう少し続けるね。

しつこいけど第三回リアル境塾「アナログ停波まつり」もうすぐだしUstもあるし

昨日は著作『テレビは生き残れるのか』(ここをクリックすればアマゾンのページに飛びます)について書いた。

もうひとつ、しつこいけどお伝えしておきたいのが、第三回リアル境塾「アナログ停波まつり」を7月24日16時から開催するよ、というお知らせ。『スマートテレビで何が変わるか』の山崎秀夫さんと『ネットテレビの衝撃』の志村一隆さんをゲストにお招きし、三人で地デジ完成後のテレビについて語ろうというもの。

この連休で締め切っちゃうので、このページの案内を読んで、下の方から申し込みフォームをクリックしてください。

このイベントの内容としては当然、テレビについての話なのだけど、うまく盛り上がればもっと話を広げてもいいかなと思っている。

メディアについて考えることは、自由について考えることに近いんじゃないかと思うんだ。

メディアというのはビジネスの場、マーケティングの場である前に、表現物の受け皿、掲載場所なんだ。文章であれ、写真やイラストであれ、そして映像であれ、何らかの表現物を置く場所であり、それを楽しむコミュニティでもある。その表現というのはそもそも、自由の発露なんだと思う。

山崎さんも志村さんも、その著作やご発言のスキマから、もっとぼくたちが自由であるための場所としてメディアを捉えておられるように感じられる。自由な表現の場としてのメディアに、エールを送っているように見受けられる。

だからこそ、”新しいメディア”であり、”もっと自由な表現の場”になりそうな、スマートテレビ、ネットテレビを研究しているんだと思う。

今回はUstreamをもっと生かして、ストリームで出てきた皆さんのご意見や質問などを積極的にピックアップしていこうと考えている。もちろん、会場での発言、質問もどしどし受け付けたい。雲の上の人が壇上に上がっていてそのご高説をありがたく拝聴しましょう、というのではなく、みんなでこれからのメディアについて考えよう、話そう、楽しもう、という催しだ。それこそがまた、自由な表現の場としてのイベントにもなっていくんじゃないかな。

なーんて聞くと、面白そうでしょ!ほら、やっぱり申し込まなきゃ。当日来れない人も、Ustでぜひ参加してね!

くどいけど『テレビは生き残れるのか』の話

ブログを引越したところで、いまのぼくの活動(言論人としての?)を整理してご紹介しておこう。

まず、『テレビは生き残れるのか』と題した書籍をディスカヴァー・トゥエンティワン社から出版した。(ここをクリックすればアマゾンのページに飛びます)

この本は、このブログ「クリエイティブビジネス論」で書いてきたことを、映像メディアが今後どうなるかを軸にまとめたもの。”まとめた”と言っても結局、ほとんど新たに書き起こしたのだけどね。

目次と内容を紹介すると・・・

第1章 映像ビジネスはビジネスだったか
この章では、映画やアニメーション、番組制作、CM制作といった映像ビジネスがどういう状況でどういう課題を抱えているかを説明。映画のビジネスモデルの解説もしている。そして日本ではどの映像ビジネスもテレビ広告費を原資としてきた点を指摘している。

第2章 20世紀は映像メディアの世紀だった
日本のテレビ放送ビジネスが高度成長とともに発展し、だからこそいま重大な転機を迎えていることを語っている。ということは、放送だけでなくすべての映像ビジネスが危機に陥っているわけだ。

第3章 ソーシャルとスマートデバイスが映像ビジネスを変える
ソーシャルメディアとスマートデバイスが今後の映像ビジネスを構想する上でいかに重要なファクターかを語る。ここ、ソーシャルやスマホを使っていない人にはなかなかわかりにくいことなのね。

第4章 ミドルメディア時代の映像ビジネス
マスメディアオンリーの時代から、ミドルメディアという捉え方が重要な時代になっている。その中で映像ビジネスは何をどうできるのか、語っている。

第5章 ソーシャルクリエイティブとでも呼ぶべきもの
ある意味、いちばん重要な章。クリエイターとはそもそも何なのか、これから何を考えていくべきなのかを考察。作り手の今後の有り様を想像しているのです。

終章 テレビはこれから生き残れるのか
で、結局テレビは生き残れるのか。生き残れるけどいままでとは大きく形や発想を変えなければならない。変える軸はどういう点かをけっこう経営視点、俯瞰の視点で書いている。

つまりテレビはどう変わるのかについてを書いている。ここで言う”テレビ”には実は2つの意味があるのがミソ。

”テレビ受像機”という意味と、”テレビ放送”という意味。これまでの受像機はほとんど放送を視聴するための機器だった。テレビ放送を視聴するために生まれたのがテレビ受像機で、これまではそれをワンセットで”テレビ”と呼んでいた。

そしてこれから起こる変化とは、受像機に映すものの中で放送の割合がどんどん減る、ということだ。これまでだってゲームやDVDを映せるようになっていたけど、これからさらに多様なコンテンツが映せるようになる、ということ。それを象徴的に語るキーワードが”スマートテレビ”だ。

それは楽しくなりそう。可能性がふくらみそう。創造の場として豊かに広がりそう。・・・ところが、ぼくたちはこれまで、あまりにもテレビ放送に頼って生きてきた。テレビ放送に大量の広告費が集まり、それを分配する形でやってきたのが映像業界なのだ。

だから、楽しい未来の前に、しんどい現在がやって来ようとしている。しかもそうとうしんどい!

それでもぼくたちが、創造することに向き合っていくのなら、何をどうすればいいのか。そんなことを書いているのです。

さあ、みんなで考えなきゃね。そしてそれを、実行しなきゃね!

新創刊!もういちど、はじめまして

みなさん、こんにちは。境 治です。
ここではじめて言葉を交わす皆さん、はじめまして。
前々から読んでくださっているみなさん、もういちど、はじめまして。

兼ねてから考えていたのですが、ブログを引っ越しました。2008年から3年間運営してきたgooブログから、自分の名前のドメインを取得してオリジナルサイトでのブログを新たに開設しました。パチパチパチ!

既存のブログサービスを検討もしたのだけど、独自ドメインでやった方がいいかなと思っていたところへ、アートディレクターの柴田しゅんめいさんがWordPressでの独自ドメインによるブログ立ち上げを勧めてくださった。

ブログの引越は、けっこう大変で前にトライして挫折したことがある。あっちとこっちのフォーマットの違いとか、そもそもこれまでのブログの素材をきれいにとり出すのが難しい。これについては、柴田さんが朝之丞さんを紹介してくれ、彼のブログコンバートサービスをお願いした。この引越作業などについては追い追いまた書いていこう。

柴田さんには、この7月16日になんとか間に合わせていただいた。というのは、ぼくの初めての本がこの日に書店に並ぶからだ。


アマゾンで買ってやるよ、って人は、ここから買えますよん。

本が出たこと、ブログを新創刊したこと、それから最近転職も果たした。いろんなsakaiosamuがまた新しくはじまるんだ。

そうだな、だから自分自身にも言おう。もういちど、はじめまして、sakaiosamuくん。新しい日々をまたご一緒に。

このブログではもちろん、いままで通り、いやいままで以上に、メディアとコンテンツの未来について、作り手側の視点で書き連ねていきます。ますますのご支援をよろしくです!

コメント欄がFacebook連動になったので、ソーシャル度が高まった。みなさん、どんどん、書き込んでくださいね!