スティーブ・ジョブズは神様になってしまった

なんだ、おまい!またジョブズの話かよ!もう二回も書いたじゃないか。それにいまやそこいら中のブログがジョブズ讃歌で埋め尽くされてるんだよ!ジョブズ、ジョブズ、ジョブズ!もう聞き飽きたよ!

・・・てなことを言われてしまうのは承知で、すんません、もう一回だけ書いちゃうの。


というのはね、また銀座のAppleStoreに寄ってみたわけ。そうしたら、先週亡くなった日のような騒然とした空気はもうなかった。むしろ、粛然としているというか。何しろ、ショップの前に大量の花がきちんと整理されて置かれている。人が大勢どやどやいるわけじゃないけど、通りすぎる人々はただ通りすぎるわけではない。みんなしばし足を止め、花の置かれた様を見つめたり、お店の中をのぞいたりしている。ぼくの隣でおばさんが「ジョブズね、あー、ジョブズね」とお友だちにつぶやいている。

それにしてもガラスのウィンドウの前に人々が手向けた花や肖像が整然と置かれている様子は、不思議なムードを醸し出している。うーん、これ、なんかに似てる。どこかで見たことある感じ。

そうだ、祭壇だ!あー、そうか、これは祭壇なんだな。

ジョブズは死んで神様になったんだ。

そう言えば思い出したんだけど、ぼくは大学で宗教学科だった。学生時代は教室にいるより映画館にいる時間の方が長い不勉強な生徒だったのだけど、うっすら憶えてはいる。

宗教の定義は、教祖と、教義と、教団があることなのだった(確かね)。

教祖は・・・もちろんジョブズだ。教義は・・・ジョブズのメッセージ。Stay hungry, stay Foolish. だの、Think different. だの、いっぱいあるよね。それこそ、ジョブズが発したメッセージが教義。そして教団は・・・Apple社員・・・かな?

いや、ちがう。社員だけじゃない。ユーザーだ。Apple製品の素晴らしさを信じてやまない良きユーザー達が、世界中に何億人もいる!

教団の構成員たる信者たちは、教祖が死してさっそくさらなる布教に精を出している。ぼくがいい例だけど、あちこちのブログで、あんたそうだったの?そんなにMac好きだったの?って人たちがここぞとばかり、布教活動で名を上げたいのかというくらい、ジョブズ信仰を書き連ねている。

人間が神になるのはおかしいって?いやいやいや、日光東照宮は徳川家康を神として祭っている。日本の神社でそういう、人間を祭っているものはいっぱいあるよね。

欧米は一神教だから人間は神にならない。けれども、人間が”聖人”と呼ばれることはあるでしょ。あれは結局、東照宮と同じことかも。

人間は時として、死ぬと神様になるんだ。

ぼくは卒論に高円寺の阿波踊りの調査を題材に選んだ。商店街の賑やかしにと戦後はじまったもので、神社はまったく関係ない世俗的なイベントにすぎない。でも、徐々に神社の祭りのように宗教性を帯びていっている、そんなテーマだった。

ある連(阿波踊りのユニットを連と呼ぶ)は、すでに創始者が亡くなっており、祭りの当日は朝、創始者のお墓の前で踊ることからはじまる。これは阿波踊りの創始者が神様扱いされようとしている証しなのだ。と、論文に書いたわけ。

あるコミュニティがあり、そのコミュニティをはじめた人、強い影響力を持った人が亡くなると、そのコミュニティの神様になる。会社の創業者が銅像になったりするのもほぼ同じことだ。

ジョブズは神様になった。だから、この先もAppleは続いていく。キリスト教も、イエス・キリストが亡くなったあとに世界宗教に発展していった。教義を、教団が守り続ければ、ジョブズ教は長い間つづいて歴史を刻むのかもしれない。

何百年後かにまで、2011年は語り継がれる年になるのかもしれないよ・・・

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