世の中は、変わっていないようで、すごい勢いで変化している

今日は明確なテーマがないまま書き始めているので、あまり面白くないかも。日記でさえない、雑記的なことを書くのだと思うので、まあひまつぶしに読んでくれれば。

先週(10月3日〜6日)はCEATECが開催された。ぼくは2010年から行くようになったので、今年で三回目だった。

すでにいろんなレポートが出ているのでみなさん知っていると思うけど、なんだか盛り上がらないイベントだった。何より、家電の王様テレビが、もう王様じゃなくなっている。王様が大臣くらいになった、どころでさえなく、その他大勢の家来のひとり、くらいの存在感。

東芝だけは気を吐いていた。全録をさらに進化させ、全録された番組の中から多様な手法で”番組を選ばせる”機能を取りそろえていた。ぼくのようなテレビ好きには目の毒。欲しくてたまらくなったよ。

それはいいのだけど、はっきり言ってテレビの進化に取り組んでいたのは東芝だけだ。他のメーカーはもう、はいはいいちおう弊社もテレビ取り組んでますよ、てな展示。”いちおう”感丸出しだったよ。

2010年のCEATECについてぼくがここで書いた記事には、未来があった。”電子書籍”の概念が家電業界を突き動かし、SHARPが鳴り物入りでGALAPAGOSという電子書籍端末を展示していた。この時のSHARPのブースはまぶしかった。いまも目に焼き付いているよ。けっこうな面積に方やAQUOS、そしてGALAPAGOSと2つのブランドが並んで、SHARPの未来はこの2つでーす!というムードだった。GALAPAGOSには人だかりができていて、みんな目をギラギラさせながらマシンをいじっていた。

ぼくもギラギラさせながらいじった一人で、XDMFとかいう独自の形式は悩ましいけど、これが日本の電子書籍端末の標準になるんじゃないかと、何しろ当時のSHARPにはそういう勢いと意気込みがあったので、大いに期待した。当時はロボットに居たのだけど、会社で仲間に熱く語り、コンテンツを乗っけられないかと相談したものだ。

あの時、GALAPAGOSがこんなに早く消えてしまうなんて、誰が想像しただろう。いやそもそも、SHARPが経営難で中国資本の出資が必要になるなんて。当時の人びとにタイムマシンで説明しに言っても、あんた何言ってんの、バッカじゃないの、と一蹴されるだろう。

日々を漫然と過ごしていると世の中はなかなか変わらないなあとぼやいてしまうが、実際に2年前を思い返すと、たった24カ月ですっかり世の中は変わってしまったものだと気づかされる。

スティーブ・ジョブズが亡くなってから一年が過ぎた。これも去年、ぼくはこのブログに書いている。銀座のAppleStoreの前に行くと人だかりがしていてぼくもじわっと着たことを書いている。さらに、NHKのBIZスポという番組のキャスター、堀潤氏からマイクを向けられ、通り掛かりのMac信者としてインタビューを受けた。

当時、ジョブズが亡くなったらAppleの勢いは失われるのではと推測する人もいた。一年経ってどうだったかは説明するまでもないだろう。失われるどころか、ますます勢いづいている。iPhone5の発売でスマートフォン市場でのAppleのポジションはさらに盤石になったと言える。いまや女子高生がもっとも欲しいガジェットになってしまった。ここまでの事態もちょっと想像できなかった気がする。

時代に追いつけとばかりにぼくは”ソーシャルテレビ推進会議”と題した定例勉強会を起ち上げた。我ながらえらいぞ、と思うのは、今年の元日に、このブログでその設立を宣言している。「ソーシャルテレビ推進宣言」などと大見え切っている。この宣言を受けて準備を整え、4月にはちゃんと宣言通り、”推進会議”を設立している。すごいじゃないか、おれ。有言実行ってことだね。

この勉強会、構想した時は、ソーシャルテレビってのもまあきっと来年あたりで盛り上がってくるだろうから、一年間ひっそり有志でいろいろ共有しよう、といういま思えば悠長な気持ちでいた。ところが、ソーシャルテレビ的な事象は次々に起こっている。ん?!なんかこれも、想定を超えているぞ!

そもそも、テレビ局はつい2年前あたりは、ソーシャルなんかよくわからないし、とにかくネットは敵なんだかんね!という態度だった。少なくとも、表に見えてくるのはそういう声だった。実際には、ネットを面白がり、ソーシャルで試している人たちは2010年にはけっこういたのだけど、メインストリーム感はなかった。

いまや、ネットを武器にせよ、ソーシャルの力を活用せよ、ということになっている。2年前の空気からすると、驚きだ。びっくりだ。先日の『大炎上生テレビ』はとくにわかりやすい事例だが、そこまでじゃなくても大なり小なりのネット活用はどの局もやっている。視聴率の順位が下がったフジテレビなんか、11時台のバラエティではYouTubeなどネットを活用すると宣言している。2年前、フジテレビが局としていかにネットに理解がないか、ソーシャルを知らないか、聞かされたものだったのに。

ぼくたちは、世の中がいかに変わらないかを嘆いてしまう。自分の周囲が自分に比べてどれだけ旧態依然としているかを愚痴ってしまう。だが実際には世の中も周囲も変化している。社会とはそういうものだし、だから”歴史”というものが刻まれていく。変わらない変わらないとぼやいているだけでは、自分の方が変わらないし、世の中の方がいつの間にか先へ進んでしまうかもしれない。

どうせ世の中は変わるのなら、自分も変わる方向の流れに乗って、変わる方向へオールを漕げばいい。それ自体がどれだけ変化を加速させたかはわからないが、自分も変化を後押ししたと実感できれば充足感があるはずだ。

変わる流れを見逃さないようにしよう。どの流れが次の大きな潮流になるか、選び取る目を養っておこう。なーに、基準はカンタン。大きな潮流になるのは、いちばん面白そうな流れに決まっている。それならほら、あなたったら面白いかどうかを見出すのは得意だったでしょ?!

さて、そんな変化の渦の中、ソーシャルテレビ推進会議も半年すぎたねってことで、ここで節目のイベントをやろうと計画中。オープンなイベントとして、誰でも参加できることにするので、告知したらぜひ参加してね。見逃さずに早めに申し込まないと、席が埋まっちゃうかもよ。何しろ、ソーシャルテレビは盛り上がってるからね!

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コメント

  1. 変わるのならもっと深い意味で変わらないと意味がないと思うんですが。
    私は思うのですが、人類が生まれて人類の作り出したツールは進化してきているのかもしれませんが、人類自体はどうですか。
    古今東西ちゃんとした知者というのはそれを嘆き続けているというか、これじゃ人類はああいった人たちの予言通りになってしまう。というよりもうなってますよ。
    もうAIにも抜かれるんですし、環境破壊は地球壊滅的なものにまで至っているんだし、いつ核戦争だって起こるかもわからないんだし、いつまでも同じ歴史はもう飽きました。
    なぜ、この世には深みのある人間がこれほど少ないのだろう。
    どうせ死ぬのに。増えるったってこんなに増えてどうすんだよ、しかもよろしくないものがいっぱい。なんでこんなのに満足してられるんだ、ソクラテスは今の世を見てどう思うだろう。老子は、仏陀は、ガンジーは、ニーチェは、竜馬は、賢治は、人類はそりゃ出来の良くない種族ですよ。彼らだって初めから出来の良かった人間だったわけではありません。だから、人間は変われるということなんです。変わるのはベクトルが変わるんです。東大出てても、ものすごいカリスマ社長でもスーパー人気アイドルでも、絶対的な独裁者でも、本当にこういうことをみえていない人が多すぎる。そのまま死ぬのもある意味幸せだが、なんなのでしょうこのやるせなさは。
    あなたは賢い人なはずですから、その気になればわかるはず、ただ変に彼らの上で成功してしまうとその分背負うものが多すぎて逆にこっちにこられない。自負もあるし、また持ち上げるものもいる。世の中は彼らだけで成り立っているわけでもなく、むしろそれ以外の宇宙の方がはるかに広く真実なのですが。
    だってああいった知者たちはああいったものを完全に超越してしまっているじゃないですか。スピノザなんて物凄いじゃないですか。
    私はなんの大した権力も財力もあったものではないのですが、切にこの世が本当に変わってほしいと願います。たぶん、人類全体が急に変わるなんて無理だろうけど。
    もうじきAIさんが我々のご主人様になりそうですしね。

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