広告制作業は限界があった〜メディア事変その8〜

広告業とはメディア費だ、結局、と書いたね。そうすると、クリエイターがいる”広告制作”とはどんな事業か、ということも考えたくなる。あれならない?なってよ〜。なったとして、話を進めるよ。

広告制作とはバジェットのビジネスだった。前回書いたように、例えばクライアント企業がある商品に5億円使います、ってことになると、その1割が制作費だった。その大半、例えば3000万ぐらいをテレビCMに使おうね、となったとしよう。

なったとしよう、というか、そんな順番で制作費が決まるわけ。大まかに言っちゃうとね。少なくとも、4000万をポスター制作に使おう、とはならないの。だって5億円の9割つまり4億5千万円を媒体に使うわけでしょ。そしてその大半が、例えば3億5千万円ぐらいがテレビCMの媒体費に使われる。そうすると、制作費も大半をCM制作費に使いたくなる。人間そんなもんだよ。

3000万円、とかのCM制作費の枠があらかじめ決まっちゃうの。そこでどんな企画出しても3000万円の枠は変わらない。アラスカに1カ月ロケする企画出しても、だったら7000万円出しましょう、とはならない。

そこにね、広告制作業の安定感もあったけど、限界もあったわけ。先に枠が決まっちゃうの。3000万という売上は、その仕事を獲得した瞬間に約束される。そういう仕事を3つ、4つと獲得すれば億単位の売上にはできる。

でも、どうやったって、何かのはずみとかでひとつの仕事が10億円とか100億円になったりはしない。「ヒットCM」といういい方を時折目にするけど、どんな大ヒットCMをつくっても、最初に決まった3000万円より売上は増えない。

広告制作全体を請負うプロダクションにしろ、その仕事で企画に関わるクリエイターにしろ、3000万円の枠は絶対に越えられないわけ。

同じクリエイターでも、例えばゲームクリエイターだと、ちょっと話はちがうかもしれない。自分が制作したゲームが大ヒットしたら、契約次第で10億円の売上をもたらす可能性はある。でも広告制作業にはもともとのビジネスモデルとして、そんな可能性はないわけ。

だから、とてつもない才能を持つクリエイターが登場して、一代にして巨大企業をつくりあげる、なーんてことは起こりえないの。

そういう、限界枠が、広告制作という業態にはあからさまに存在するのよ。

あれ、なんだか哀しくなってきた?まあ、そこをどうとらえるかは、人それぞれだよねー。

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