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sakaiosamu について

コピーライター→映像製作会社ロボット→広告代理店ビデオプロモーション→再びコピーライター(フリーランス)。 メディアとコンテンツの未来を切り拓くコミュニケーションをデザインします。講演・執筆依頼もお気軽に!

正しいことを主張する難しさ〜改革をうまく着地させるには〜

昔から、組織に上手くなじめない。

ぼくは自分で言うのもなんだが、かなり”正しいことが言える”人間だ。”言える”には二つの意味があって、ひとつには”正しいことを見出して主張を形成できる”こと。これ自体は、けっこうたくさんの人ができるだろう。問題を発見する能力と、解決策を導き出す能力とがあればいい。

問題は、もうひとつの方だ。ヒエラルキーに臆せず、正しいことを実際に口に出して主張できる、という意味の”言える”だ。これがいいところなのか悪いところなのか。自分でもよくわからない。

とにかく相手がどんな権力者であったとしても言えてしまう。昔はそれを、後先考えずに口に出していた。そして”みんなどうして言わないんだろう?”なんて思っていた。みんなが気にする、とくに上との人間関係を、ぼくはほとんど気にしないのだ。そういう人間は珍しいようだ。逆にぼくには、なぜそんなにヒエラルキーを気にするのかいつもわからない。

大学を出て最初に入った会社では、それがちっとも受け入れられなかった。味方になってくれる人もいたが、なんとなく”浮いて”いたようだ。最近、その会社の元上司先輩に会うたびに”お前はホントにケンカばっかりするヤツだったなー”などと言われる。

正しいことを主張するのは難しい。言い方やタイミング、相手をまちがうと、せっかくの正しい主張も生きない。だからと言って言わないでいるとその組織がただただ悪い方向に行ってしまうだけだ。

20代の頃よりもずっと言い方が上手くなったつもりだが、やはりまだまだ下手くそだ。

”損するぞ”とよく言われる。確かになあ、とそのたびに思う。

だがぼくはしょせん、組織に長くいる人間ではない。変わっていく自分が面白くて仕方ない、と考えるクチだから。

残念なのは、その組織にとってほんとうに正しいことを主張して、受け入れられずに、そこがダメになってしまうことだ。せっかく問題点とその解決策がぼくにはわかったのに、上手く伝わらずにその主張が無駄になってしまう。”言ってることは正しいがその言い方は何だ!”と叱られたりする。そして、その叱った人は組織にいつづけて、困ったことになったりするようだ。

なんだかもったいないのだ。結局、損するのは、その人だったりするわけだ。ぼくの方は、短期的には損しても、長期的には損はしない。だって別にその組織にいなくても生きていけるからだ。むしろ得難い体験をしてまた問題解決の能力値が上がる。結果的にはぼくは得してしまっているわけだ。

そんなパラドックスめいたこと言って満足してもしょうがない。ぼくにしても、組織を改革したくて主張しているわけで、空しさだけが残るのだから。

ああ、ぼくはどうしたらいいのかね?誰か、”正しいことが言える”ための正しい方法論をぼくに教えてくれないだろうか・・・

ジャグァの買収と少年の殺人〜希望を失った社会〜

インドのタタモーターズがアメリカのフォードからイギリスのジャグァを買収した。テレビのニュース番組でその報道を見た。

同じニュース番組で大阪の少年が岡山で人を突き落として殺したことも知った。

このふたつの出来事には遠いつながりがある。

ジャグァはイギリスの高級車ブランドだった。私も昔は憧れたものだ。それがフォードに買われ、ついに新興国インドに買収された。そのことをイギリス国民はどう受けとめているだろう。無念、ではないはずだ。イギリスはとっくの昔に、製造業中心の産業構造を変革したからだ。もともとイギリスのブランドだったジャグァをインドの会社が買収したことは21世紀の動きの象徴的な出来事だ。製造業の中心が、もとの先進国から新興国に移ったのだ。

イギリスは製造業を捨てて金融業で立国するのだと決意して、金融ビッグバンを断行し、見事に再生した。国家に、戦略があった。ビジョンが明解だった。だからジャグァを懐かしむ人はいても、イギリス没落の証しだと落ち込む国民はいない。ビジョンを立てて旧事業を捨て去る。新しい事業に取組む。そこには心地よささえあるだろう。

岡山で人を突き落として殺した大阪の若者は、成績は優秀だったが家が貧しく、大学進学を断念したという。貧しさが彼を荒ませた。それはまちがいないが、問題なのは、大学に行けないことで彼がそこまで荒んでしまった点にある。

昭和の、高度成長期の日本にも、貧しい若者はいっぱいいた。中には大学進学を断念した人も数多くいただろう。だが彼らは荒んだ気持ちになって人を殺したりはしない。

社会に希望があったからだ。

この国が次のビジョンを打ち立てることなく、製造業にしがみつき続けているだけでは、社会に希望は生まれない。貧しい若者は荒むばかりだ。例えばタタモーターズが今度は日本の自動車メーカーを買収したら、日本中が落ち込むだろう。インドにお株を奪われちまった。おれたちはどうすりゃいいんだ。そんな気分が蔓延するにちがいない。

今のこの国には希望が見えない。国家戦略がない。相変わらず製造業中心でしか産業を捉えられない。だから新興国からただ奪われていくしかない。ますます貧しい人が増え、絶望の縁を漂う若者が増えていく。

奪われていくだけ。そんな状況から脱出しよう。付加価値のある国にしないと、殺人者が増えていくだけだ。

クリエイティブ・クラスの時代がはじまる〜付加価値を産み出す個人へ〜

円高も株価も、少し持ち直してきた。ホッと胸をなで下ろしている人も多いだろう。

でも、これは、小康状態に過ぎない。”行き詰まり”は変わっていない。この国は(そしてあなたは)製造業中心の産業構造から進化しないといけない。別に製造業をみんなやめよう、と言いたいわけでもない。ただ、単純に最新の技術を開発して大量生産する、というやり方は見直した方がいい、ということだ。それは、この国が50年前からずっとやってきたことだ。

クリエイティブ・クラスという言葉がある。何冊か本も出ているので、詳しくは読んでみるといいけど、いわゆるクリエイターのこと、ではない。

クリエイティブ・クラスとは、言ってみれば”付加価値の高い人”ということだ。付加価値を創り出せる人。クリエイティブな仕事とは、必ずしもデザインとか映像とかに限ったものではない。あるいは、そういう業種の人でも、付加価値があんまりない人はクリエイティブ・クラスとは言えないだろう。

中国みたいに大量に人がいる国が工業化をはじめたら、”誰でもできる仕事”の価値はどうしても低くなる。その上、”誰でもできる仕事”の範囲が広くなってもくる。

”私にしかできない仕事”ができるようにならなくちゃ。そこでは、スキルや知識も問われる。でも、もっと大事なのは、理念だ。”おれ理念”を持っていれば、そしてそこに経済価値があれば、”私にしかできない仕事”が生まれる。それが見つかったあなたは、クリエイティブ・クラスの仲間入りだ。

付加価値の高い人を目指そう。ひとりひとりがそうなった会社は強くなる。ひとりひとりがそうなった社会は(例えば国は)強くなる。

クリエイティブ・クラス。言葉の響きもいいよね。そんな人に、みんな、なろうぜ。

もたれ合う時代のおしまい〜成長が止まっちゃった〜

日銀総裁はついに空白決定。すごいね。意思決定できない政治は、ついに”決定しない”という究極の決定をしてしまった。明らかに機能不全だ。システムを変えなくちゃ。

日本の戦後はいろんな要素が絡まって、もたれ合うシステムができあがった。でも70年ぐらいまではいい意味でもたれ合う世の中だった。助け合うと言ってもいいかな。

日本は助け合いながら成長してきた。そして産業の中心を農業から製造業に移していった。そこは助け合ってうまくいった。

農村から都市へどんどん人が流入して、製造業を支えていった。ホワイトカラーにせよ、ブルーカラーにせよ、一致団結して工業化を支えた。農村はどんどん力を弱めたけど、自民党と農協とがタッグを組んで、都市の税金を地方に回した。まあ、それはそれでうまくいっていた。

こうして工業化が完成した時、助け合いはもたれ合いになっていった。90年代まではそれでもなんとかなった。世界経済はアメリカが中心で、それに寄り添って工業製品を大量生産していれば相変わらず世界の工場でいられたから。工場そのものが中国に移転したりしても、工業国でいられた。

でも2000年代になり中国や韓国やインドが自分たちの工業化を本格軌道に乗せはじめると、日本の立場がなくなってきた。

ポイントはそこなの。これからどんどん、日本は世界経済の中で立場を失うんだ。いまのままじゃね。

わかりやすいのが自動車産業と家電産業。欧米ではすでに淘汰が進んでいる。特化したブランド力がないと生きていけず、新興国に売られたりしている。IBMはもはやコンピュータ製造会社ではない。日本でもTOYOTA以外の自動車ブランドは危うい。東芝も日立もSONYもどうなることやら。

サバイバル時代なの。もたれ合いはもう終わろうとしてるの。

もうちょっと書くから、またね。

もたれ合う生き方→自分の足で立つ生き方〜新しい不況がはじまる〜

それでまあ、昨日の続きなんだけどね。

なぜサバイバルな時代になるかというと、人生はそもそもサバイバルだから。そして、この国は高度成長が完成した70年代からこっち、人生はサバイバルじゃないかも、という大きな誤解の中でやってきたわけ。

大きな誤解でこの三十年くらい大丈夫だったのは、もたれ合うシステムを作っちゃったからなの。

それは間接金融と株式持ち合いと企業内労働組合と終身雇用と年功序列制に支えられていた。これらはすべてもたれ合いそのものでしょ。株式持ち合いなんか典型だしね。

このもたれ合いシステムに対し、バブルが崩壊した時、”あれ?いけないのかな?”という機運がはじめて芽生えた。もたれ合ってるとみんながやっていけなくなるのかな?と一瞬みなが感じた。だから、”護送船団方式”をやめようということになった。金融ビッグバンとかはじまった。

でももたれ合いはなかなかやめようとしない。だって既得権にぶら下がるのはラクだもん。誇りさえ捨てちゃえばこんなにラクチンな人生はない。だからみんな、他人の既得権は目を吊り上げてけしからんと言うけど、自分の既得権になるとさらに目を吊り上げて権利を奪うなと叫ぶ。

それがね、もう持たない。もたれ合いではもう持たないねと。はっきりしはじめているわけ。

あ、もう少し続きを書くから、また明日ね。

企業も個人もサバイバル時代〜ドルは95円、株価は11,000円台〜

1ドルが100円を切ってびっくりしていたら、今度は95円台になった。さらに株価は11,000円台に。

前のブログでも新年から”大変な年になる”と書いていたのだが、その時想像していて以上にほんとうに大変な年になってきた。

はっきり言って、今年から不況になるだろう。しかも、10年前並み。いやあれ以上かもしれない。少なくとも、10年前の”金融不況”とはちがい、あらゆる分野で激動が起こると思う。各業界で生き残る数社と、どうしようもなくダメになるその他の会社、という風になるだろう。本気で競争力が問われる。問われて答を出せないと、生き残れなくなるのだ。

それは個人レベルでも同じこと。生き残れるヤツと、そうじゃないヤツではっきり明暗が分かれるだろう。もうお気楽なこと言ってちゃダメなんだ。自分のビジョンをはっきり持たないと、価値がないねと烙印を押されかねない。

あれ、なんか陰惨な文章になってしまった。いやね、カンタンなことなんだよ。自由になればいいんだから。つまらないしがらみだの、カビの生えた既得権だの、古くさい価値観だのを投げ捨てて、一度すべてをゼロから見直す、くだらないことから自分を解放して、自由に物事を考えればいいの。そうすれば、生き残れるから。

でもね、そうできないと、生き残れないよ。ほんとだよ。なんでかって言うと、ってのは少しずつ書いていくね。

民主主義とガバナンス〜何も決められない議会を見て〜

経営において、最近はよく”ガバナンス”という言葉がよく使われる。

辞書を引くと”統治・運営・管理”とある。つまり企業統治というような意味で、”その会社の意思決定にはガバナンスが働いていますか”などと使われる。誰かが勝手に決めるとか、こっそり自分の利益になるようなことしてないよねとか、そういうニュアンス。

英語では”governance”という。類似語に”government”があり、これは”政府・統治・政治体制”と訳される。

企業も国家も、どう統治するかがガバナンス、という言葉で表現されるわけ。

いまの国会の無力ぶり、何も決められない様を見ていると、民主主義の限界、あるいは誤解を感じる。

できるだけみんなの声を聞こうね、という趣旨で、二院制になっている。議院内閣制ができている。でも、全然まともに物事が決められないじゃん。

企業におけるガバナンスは、誰が何に責任を持つのか、をはっきりさせることだ。取締役は会社の経営に責任を持つ。だから、重要な意思決定ができるんだ。その決定が利益をもたらせば、褒められる。失敗すれば、責任を問われる。ひどい時には、株主が取締役を承認しない、つまり解任されたりもする。

例えば、もしこのまま日銀総裁が決まらなかったら。道路特定財源どうするかが決着しなかったら。いったい誰の責任なんだろう?民主党?自民党?政府?首相?内閣?・・・まちがいないのは、それぞれが責任を押しつけ合うだろう、ってことだね。そして確かに、誰が悪いのか、規定できない。強いて言えば、みんな悪い?でも誰も制度上まちがったことしてるわけでもないから、誰も悪くない?・・・なんだそりゃ?

どうやらこの国の制度は、誰が何に責任を持つのか、はっきりしていないようだ。ガバナンスが効かないガバメント・・・そんなのあり?

島国を出よ〜ドルが100円を切った!〜

帰宅して夕刊を読むと”1ドル100円台へ”の見出しが躍っていた。びっくりしてテレビをつけたら、ニュースで”夕方にはついに100円を切った”と報じられていてさらにびっくりした。前にも書いたんだけど村上龍の『半島を出よ』で描かれていた日本の状況を思い出した。経済的にダメになった日本は世界から見放される。だから某国が攻めてきてもアメリカも誰もほったらかしにする。村上龍のシミュレーションは当たりかもしれない。

日本経済の没落は、『半島を出よ』では”ドルが急激に下がる”ところからはじまるのだ。

ドルが下がる。円がしばらく上がる。今度はドルと入れ替わるように円が下がる。

つまり、いままさに起こっているのは、円が強くなっているのではなく、ドルが弱くなっているのだ。そして円高によって(しかもいまは円高なのに海外からの材料費や原油が上がっている)打撃を受けると日本経済が弱くなり円が下がる、ということだ。それって十分起こりうるシナリオだ。

『半島を出よ』では、さらに国債が、そして株価が暴落する。株価はすでに暴落とは言わないがだんだん下がってきている。国債までほんとに暴落したら日本はおしまいだ。

それなのに、国会は日銀総裁を決定できない。永田町の中で物事を考えているからだ。

小さなところで物事を考えていてはいけないのだ。日本が暴落するからだ。会社のことを、会社の中のことばかり気にしながら考えていては、会社が暴落しかねない。日本企業が日本の、つまり島国の論理だけで物事を考えてばかりでは日本経済が暴落するということだ。

社内のAさんの立場やBさんの肩書のことばかり気にしていては、会社全体が暴落するんだ。

そういう島国根性は捨てようよ。そうしないと、あなたも、あなたの会社全体も、不幸になるよ。ほんとなんだぜ。

経営と政治におけるスピード〜日銀総裁人事〜

日銀総裁人事が参院で否決されたそうだ。

自民党も民主党もあまりに鈍感であきれてしまう。もはやたぶん新橋あたりで飲んでるおっさんでさえ、どっちの党も何やってるんだ!とくだを巻きたくなる事態に陥っている。

これだけ株価が落ちて”日本売り”などと言われている中、日銀総裁が空席になるかも、なんて状況は国益にマイナスに決まってる。マイナスに決まってる状況で漫然としているだけ(にしか見えない)政治家は海外からも国民からも失望を買うだけだ。どうしてそんなカンタンなことに気づかないのだろう。自民党が武藤とかいう人を推す立場もわかる。これに対し反対する民主党の気持ちもわからないでもない。

でも、そんな状態ではイカン!となんとかするのが政治ではないのかい?

水面下で駆け引きして落とし所を見出すのが大人じゃないのかい?

決定的に欠けてるのは、スピードだ。

スピードが遅い国になってしまった。政治もそうだけど、経営でもそうだ。立場とか面目とか建前とかに拘泥して、スピードが必要な時に停滞してしまう。そんなことやってる場合なの?って時に、面目も建前もへったくれもないのだ。そんなことにこだわってる間に、”損失”がふくらんでいく。

”それじゃ遅いよ”という対応は、ほんとうに損失を招くのだ。今そこに増えつつある損失になぜ目を向けようとしないのか。

責任感が欠けているのか、とにかく鈍感なだけなのか、そういう人種の心性がぼくにはよくわからないが、ほんとうにそういう人種は世の中に多い。

・・・なんなんだろなー・・・

NHKスペシャル:社員みんなで会社を買った 〜地方発 “EBO” の挑戦〜

“愛と責任のブログ”を前のエキサイトブログからgooブログに移転した。

エキサイトブログって機能が薄いんだもん。

そのあたりはまた別で語るとして、今日見たNHKスペシャル「社員みんなで会社を買った」に、いたく感動したのでさっそく書こう。

カンタンに番組のあらすじを書くと・・・

福岡県大牟田市にある太陽電池工場。それなりのレベルだったのだが、会社が中国外資に買われて生産を本国に集中させるため工場閉鎖・リストラの憂き目に遭った。社員たちはEBO(従業員による会社買収)で工場を自分たちの会社にした。だがこれまでのブランドも販路もゼロからのスタート。始動していきなり困難が押しよせ反目も起こるが、心をひとつにして頑張ったら活路が見えてきた。

あらすじだけ書くと、ああ、そうですか、って感じだけど、見たら大感動するよあなたも。

いちばん感動したシーン。
品質を上げようと、いままでより薄い素材を使ったらハンダ付けの際に素材が割れちゃう。一度、みんなさじを投げた。だがある社員が、シートを一枚かませれば割れにくくなることを発見した。これを語る社員が言った。「このままでは、何のためにここにいるのか、って思ったんですよ・・・」

技術革新だの経営改革だの、そんな小難しいことの原動力は、そんなシンプルな想いなんだ。自分がここにいる意義をなんとか見出さなきゃ。そのためには、昨日できなかったことを、明日できるようにしなきゃ。

会社を変える、世界に立ち向かう。そんな壮大な挑戦は、結局は「おれがここにいる意義」を問うことからはじまる。問うことで、できないと思い込んでいたこともできるようになる。すげえよ、人間って。すげえ・・・

てな感じで、前のブログに引き続き、小難しいテーマで書き連ねていきますよん。