「言わないとわからないの?」「言ってくれなきゃわかんないよ」

11063402_10202663889718107_1546565843_n

先週の話になるけど、NHK「あさイチ」で”ガキ夫”というテーマでタレントたちが議論していた。言葉通り、ガキみたいな夫たちのことだ。

ガキ夫とは具体的にはどんな夫かというと、NHKの番組ホームページにはこうあった。

「パジャマは脱ぎっぱなし、家事をお願いしても、やりたくないことはしない、ちょっと指摘するとスネる・・・。アンケートをしたところ、8割近い女性たちが“夫の行動や言動”を“ガキっぽい”と感じ、困っていると回答しました。」
NHKあさイチ「男リアル ガキ夫のなぜ?」より

しかも”ガキ夫”で何が悪い、と男性陣は開き直る。VTRに出てきた一般人の”ガキ夫”座談会でも、自分はガキ夫ではないと主張するより、別にいいじゃないかー、と言っていて、それがまさしくガキ夫だった。

かく言うぼくも、十分に身に覚えがある。その場に妻がいなかったのは幸いだった。

一方、今週最終回を迎えたフジテレビのドラマ「残念な夫」は妻が毎週欠かさず見ていた。コメディだから笑いながら見てもよさそうだが、じーっと笑うでも怒るでもなく、ただ熱心に見ている。子どもたちが赤ん坊だったのはもう十年じゃきかない昔なのだけど、いろいろ思い出しているのだと思う。

時折、ぼくも一緒に見るのだが、これがなかなかいたたまれない気分になってしまう。身に覚えだらけだからだ。黙って見ていることに耐えられず「あはは、いやー男は父親になるのに時間がかかるからねー」と言ったら、「あら、母親だって同じよ」とそっけなく返された。やぶへび。もう黙って見るしかないね・・・。

『赤ちゃんにきびしい国で、赤ちゃんが増えるはずがない』なんてタイトルの本を出したので「このおじさんはおじさんのわりにイクメンらしい」と言われることがあるのだけど、妻からすると「あなたってこういう本を出す人だった?」と思っている様子だ。実際ぼくは、イクメンとは到底言えなかったと思う。

5才上の姉に「男と女は平等なんよ」と言って聞かされて育った。学生時代は、「では男と女は何が同じでちがうのか」とよく考えていた。できるだけフラットな視点で男女を見つめたいと思った。男は働き女は家事だ、という固定観念は持ってなかった。固定観念から自由であろうと思った。

フリーになるのと同時に結婚した。しばらくは自宅で仕事した。妻は勤めていたのでぼくが夕食を作って待つこともあった。料理は好きだったので当初から時折やっていたのだ。あくまで時折。

妻が子どもを身ごもった。出産には、立ち会うことにした。イメージとしては、いきんで苦しむ妻の手を握り、励ましながら一緒に出産する様を想像していた。妻が分娩室に入り「いよいよです」と言われて入ったら、そこは修羅場だった。手を握るどころか、居場所などなく邪魔なだけだった。ぼう然と立ち尽くす間に、妻は一人で苦しんで一人でいきんで一人で出産した。立ち会ったというより、立ちすくんでいただけだった。

赤ん坊との生活が始まり、ミルクを温めたりオムツを替えたりはぼくもやった。それは楽しいものだった。仕事部屋で書いたり考えたりし、行き詰まったら妻と赤ん坊のところに行く。幸福な日々だった。

ある朝、目が覚めると妻が疲れた顔で赤ん坊を抱えていた。何かに怒っている風だった。「どうしたの?」と聞くと、「どうして起きないかなあ、あれだけ泣いてるのに!」と不満げ。夜泣きして大変だった様子。「えー、起こしてくれればいいのに」「起こすのは悪いでしょ!」と怒りながら言う。ええー?!なんだそれ。どうしろと言うのだ。

どうしろと言うのではないわけだ。ただ、自分と一緒に起きてくれればいいのに、なぜぐっすり眠っているのだ、と言いたいのだろう。だからといって、起こすのは忍びない。起こしても、何をしてくれということでもないのだから。むなしい・・・不公平だ・・・そんな気持ちなのだと思う。思うのは、いまこうして思い返すからで、当時は、何がなんだかわからなかった。

赤ん坊を抱いている妻。その脇で、何をしたらいいのかわからず見守る夫。これが「基本構図」だと思う。

妻が買い物に出かけるというのでぼくが赤ん坊をひとりで見ることがあった。妻は心配したが、ミルクもおむつも大丈夫だとうながした。赤ん坊は泣きだした。あやしたり、なだめたりするが泣きやまない。ミルクをあげても飲まない。おむつも湿っていない。だったらなんだ?とにかく懸命にあやす。そこにある、ありとあらゆるおもちゃや道具を使ってあやそうとするのだけど、まったく泣きやまないどころか激しさを増していく。どうして泣きやまないのか。こんなに愛してこんなにあやしているのに、泣きやまない。意地悪か?何かの罰か?悪いことでもしたか?もうイヤだ。もう耐えられない。お前なんか知らない。お前なんかおれの気持ちをわかろうともしない。ひどい奴め!こんな赤ん坊なんか!・・・壁にぶつけたくなって、いかんいかんいかんと思いとどまる。ああ、おれときたら何をいま考えていたのか。こんなにかわいいのに。こんなに愛おしいのに。ごめんな、ごめんな。などとひとりで葛藤していたら、妻が帰ってきた。

この話は前にも書いたことがあるが、ちゃんと書かなかった点がある。帰宅した妻は、よーしよしよしと赤ん坊を抱っこし、ぺろりとおっぱいを出して赤ん坊にくわえさせた。なんと!あっさり泣きやんだ赤ん坊はちゅぱちゅぱ乳を飲みはじめた。ぼう然。なんだよ、それ・・・なんだよ、それ!おっぱいかよ!ミルクじゃダメでおっぱいだったのかよ!悪かったな、パパで!おっぱいついてなくて、悪かったな!

衝撃を受けた。そこに真実を見た気がした。そうか、おっぱいなんだな。おっぱいは母親の象徴であり、父親は絶対に持てないものだ。何か打ちひしがれた気分だった。どうやっても、天地がひっくり返っても、おっぱいにはかなわない。

育児について、女だけのものではない、男も主体的であるべきだ、という声を聞く。「育児を手伝ってます」という夫に「”手伝う”という言葉は、主体性のなさの表れよね!」と責める妻もいるようだ。そんなの理屈で言葉にすぎないと思う。ぼくの実感は、育児とは”手伝う”ものだ。それはそれでいいんじゃないか。だってぼくらには、おっぱいがないんだよ・・・。おっぱいがないのに、育児に主体的になどなれないよ。その哀しさ切なさは、わかんないと思う。

それでももちろん、父親も育児に関与せねばならないし、日本の父親は明らかに育児に関与できていない。働きすぎだからだし、会社に問題があるからだが、それにしても関わろうとしなさすぎだ。ガキ夫と言われて開き直ってる場合ではないだろう。

パパからすると、育児はよくわからないしママのほうが赤ちゃんのことわかってるし。でも意外にママも困ったり途方に暮れたりしているので、そこを”察して”、これはやろうかとか、こうしてみようかとか言ってあげたり、したほうがいいみたいだ。

ママのほうも、かわいい奥さんでいたいとか良妻賢母になりたいとか、思ってもいいけどそのために無理するくらいならやめたほうがいい。やってほしいこと、してもらいたいことがあったら、はっきり口に出して言ったほうがいい。ガマンしてストレスを抱えるより、言いたいことはズバズバ言ったほうがいい。男は鈍感だから、言葉にしないとわからないのですよ。

そうやってお互いをわかろうとしたり、わかってもらおうとしたり、していかないと乗り越えられないことがある。それに、そうやったって、どうやったって、すれ違うし食い違う。こういうところはすれ違うのだなと諦めたり、でも諦めずに言ったりしながら、たがいに父になり母になり、もっと夫になりさらに妻になるのだと思う。

そんなことしてるうちに、ぼくはいつの間にか父親になっていた気がする。自分のために働いていたつもりが、家族のためにがんばらなきゃと思うようになっていた。家族のためにがんばろうと思うと、何だって乗り越えられた。『そして、父になる』という映画があったけど、父親とはまさに、「そして、なる」ものだと思う。あ、しまった、はい、もちろん、母親もそうですよね。

産後の夫婦は戸惑い、すれ違い、食い違うことは多いだろう。なんでわかってくれないの?なにをどうわかれというんだ?ふたりの愛の結実が赤ちゃんなのに、せっかく授かった赤ちゃんがもとですれ違ったままでは意味がない。でもそのすれ違いを乗り越えたら、何だってふたりで乗り越えられるはずだ。どんな苦難も乗り越えられちゃうパートナーこそが、夫婦なのだから。そんなことを妻が寝た後、『残念な夫』最終回をひとりでこっそり録画で見ながら思う50代の残念な夫であった。よかったな、陽一!これからまだまだいろいろあるぞ、がんばれよ!

※このブログを書籍にまとめた『赤ちゃんにきびしい国で、赤ちゃんが増えるはずがない』(三輪舎・刊)発売中です。

→取り扱い書店はこちら <三輪舎・扱い書店リスト>
→Amazonでの購入はこちら

→三輪舎のWEB SHOP(出版社的にはこちらのほうがありがたいそうです

※「赤ちゃんにやさしい国へ」のFacebookページはこちら↓
FBpageTop

コピーライター/メディアコンサルタント
境 治
What can I do for you?
sakaiosamu62@gmail.com
@sakaiosamu
Follow at Facebook

[`evernote` not found]
Pocket

トラックバック用URL:

Facebookアカウントでもコメントできます!

コメント

  1. 2ヶ月半の母親です。「どうして起きないかなあ、あれだけ泣いてるのに」今朝、全く同じ事で喧嘩をして、互いの言葉に傷つきあったところでした。私は、子供がちょっと声をあげただけでも気付くのに、何故夫は気付きもせず寝ていられるのか、理解ができなかったのです。夫の返答は、境さんのそれと全く同じでした。
    出産後、やたらと夫にイライラし、情緒不安定にメソメソと泣いてしまう自分を情け無く思っていました。しかし、境さんの記事に心がふっと軽くなり、救われた気持ちです。やがて、なる。焦らず、夫が「なる」のを後押ししていきたいと思います。多分、そうして私も母・妻となる、のですね。
    取り留めのない感想ですみません。どうしても、コメントを送りたくなってしまいました。素敵な記事をありがとうございます。

    1. 明日香さん、コメントありがとうございます。
      このブログは2年前のもので、自分でも忘れかけていたものでしたが、それがこうして、ママとなったばかりの明日香さんの気持ちを和らげているのなら、嬉しくてたまりません。何人に読まれたかより、一人の心を軽くできたことを、光栄に思います。
      ぜひ夫さんにもこれを読んでもらうといいと思います。今はまだ、なんでぼくのかわいい妻がこんなに機嫌悪いのかと戸惑うばかりでしょうけど、そこを思いきり寛容になって、包み込んであげようと、無理にでも考えてもらえればと。そうしたいるうちに少しずつ父になり、あらためて夫になるのだと、感じてもらえればと思います。
      大変な時期ですけど、二人で信じ合って頑張って乗り越えてくださいね!

      1. 子供が産まれたのに親としての自覚を持てないのは夫の身勝手。愚かさ。
        突然ふってわいたわけでもなく、子作り行為があって徐々に腹が膨れていく様子も目の当たりにしているだろうに。
        何故「無理に」「思いっきり寛容に」なって包み込まなければならないのか。
        出産という大仕事の後に、夫という赤ん坊まで包み込み親の自覚というものを教え込んでほしいなんて、甘えが過ぎる。
        おっぱいがないから主体となって育児できないなんて、臆面もなくよく言えたものだ。これで父親の自覚があるつもりなのか。信じられない。

        …失礼致しました。どうしても、気になりまして。

        1. 愛知さん、落ち着いて最後まで読んでください。ぼくがここで書いたのは、父親になれない夫を包み込もう、ではなく、抱え込まずに言いたいこと言うといいですよ、ということです。
          ひょっとしたら今育児で大変な時期でしょうか?ぜひ夫さんにきっちり不満をぶつけて、よく話し合ってください。

          1. 返信頂けるとは思いませんでした。ありがとうございます。
            記事をもう一度読み返しました。子育て開始期の父親の役に立たなさ配慮のなさを正当化されたように感じあまり冷静ではありませんでした。読み違えていたようで非常に申し訳ありませんでした。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です