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コピーライター→映像製作会社ロボット→広告代理店ビデオプロモーション→再びコピーライター(フリーランス)。 メディアとコンテンツの未来を切り拓くコミュニケーションをデザインします。講演・執筆依頼もお気軽に!

輸出企業になる、のではなく〜クリエイティブ維新その6〜

例えば今の日本。2000年以降、日本経済が持ち直したかに見えたのは、輸出が伸びたせいで、世界市場、とくにアメリカが冷え込むと身動きとれなくなってしまった。

それは結局、日本企業が輸出してた、という構図だからだろう。

グローバル化って、そういうことじゃないんじゃないか、などと大上段に言ってみたりしたい。

コンテンツ産業で考えてみよう。わかりやすく映画に絞ろう。

ジャニーズの人気絶大な誰かが主演の恋愛映画、という企画があったとする。テレビドラマで視聴率を稼いで、映画にする、というスキームをくんだとする。そうすれば、日本では興行が見込める、よね、となる。

うん、いいねえ、じゃあコンテンツ産業は世界に飛躍しないといけない、さっそく海外に輸出しよう・・・

えーっと・・・それ、海外で売れるかなあ・・・興行収入が見込めるかなあ・・・

日本のマーケットでの成功だけを考えていても、コンテンツ産業は”世界に飛躍”なんてできないだろう。文化的、メディア的に特殊な市場に特化した商品開発をしても、世界では売れない。

携帯電話の端末について、よく”ガラパゴス市場”だと言われる。世界の進化から孤立してるもんで、独特の種として進化してしまった。だから圏内でしかビジネスが成立しない。気がつくと、世界の携帯端末はノキアやサムソンが制覇していて、日本の機器メーカーは太刀打ちできなくなってしまった。

同じようなことが、コンテンツ産業でも起こっている、と言えないかな?日本の映画市場は世界第2のマーケットだ。だから、その中だけで秀でた存在になれば、そこそこ食べていける。だもんで、世界市場を視野に入れずに育ってきちゃった。

つまりね、世界に打って出る、とは、グローバル化、とは、日本市場で売れるコンテンツを輸出することじゃないと思うわけ。世界市場に向けた企画を立上げることなんじゃないかと。でもって、世界市場にローンチさせるためのパートナーと組むことじゃないかと。

輸出をめざすのではなく、存在そのものをグローバル化しないといけない、と思うわけ。

存在って、何のかって?クリエイターの存在を、だよ。クリエイティブ業界全体の存在を、だよ。ぼくや、あなたや、みんなの存在を、だよ。

グローバル化しよう。自分自身を。周りのみんなを。知恵と勇気といくつかのツールがあれば、できないことじゃないってば!

コンテンツのグローバリゼーション〜クリエイティブ維新その5〜

えーっと、まずその知らない間に批判されてた、そのコメントを引用するね。

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「おくりびと」「つみきのいえ」共にアカデミー賞の「外国語部門」のオスカーですよね。
そのことだけで、アメリカ映画を駆逐して日本映画が席巻したという彼の論は詭弁の類にしか映らないのですが。
(ほとんどのオスカーはアメリカ映画の手中にあることを見ていない……)
———————————————————-
まず単純にまちがいがあって、「つみきのいえ」は外国語部門じゃなくて短編アニメ部門ですな。

それから、なんでこういうこと書くかなー、”アメリカ映画を駆逐して日本映画が席巻したという彼の論”ってそんなこと書いてないじゃんか。

でもって、”ほとんどのオスカーはアメリカ映画の手中にあることを見ていない・・・”って、見てるってば。

仮にもぼくはけっこうヒット映画を出している映像制作会社の経営企画室長なのよ。”見ていない”ようなシロウトじゃござんせん。「わーい、日本映画がオスカーを席巻したぞー、これから日本映画がアメリカ映画を駆逐するぞー」と言いたかったわけじゃないの。

日本映画が海外に本格進出するきっかけになるかもしれない、って言いたかったの。

きっかけ、って言うとちっちゃな、謙虚な話みたいだけど、大胆にしたたかに考えている。

で、上のコメントの人はたぶん、ハリウッドが”ローカルプロダクション”に意欲を見せはじめていることを、”見ていない・・・”

知ってる人は知ってるけど、例えば『デスノート』2作はワーナーブラザーズが配給したの。ワーナーは他にも日本映画に手を出していて、邦画市場に意欲的。

なんでかわかる?

アメリカ映画が、すこーしずつ、海外で売れなくなってきたからなのよ。

日本市場はその典型。世界第2の映画市場で、ハリウッドは苦戦している。ハリーポッターとか、スパイダーマンとか、超のつくA級作品は大ヒットするけど、その次のポジションの作品、A級B級の映画が、ひところほど興行収入を稼げなくなってきた。

え?そうなの?と思う人は、”日本映画製作者連盟”のウェブサイトを見てみよう。そこでは興収10億以上の作品リストが毎年分並べて見れる。

興収10億以上の作品は、2008年は邦画28,洋画24だった。
2007年は邦画29,洋画22。2006年は邦画28,洋画22。
2005年は邦画26,洋画39。2004年は邦画20、洋画31。
2003年邦画18、洋画29。2002年は邦画17、洋画31。
2001年は邦画15、洋画30。2000年邦画18、洋画30。

どお?なんか”激変”って感じでしょ?

2005年と2006年の間で、何かが変わった。何かが起こりつつある。

でもってこれは、世界的な現象らしいのじゃよ。ドカーン、バコーン、ズゴーン、にみんな(世界中が)飽きはじめている。

あくまで飽き”はじめている”のであって、まだまだ、ハリウッドは産業として巨大なんだよ、もちろん。でも陰りが見えはじめている、のは確か。

そして、したたかなハリウッドは”国産品”にはこだわらない。儲かるなら何でもやる。貪欲にとりこもうとする。

そこで、”ローカルプロダクション”の動きがはじまった。日本市場で邦画が儲かるなら、おれたちも邦画やっちゃうもんね、ってわけ。もちろん、あわよくばその企画を世界向けに作り直してもいいしね、という魂胆もありありなわけだ。

”世界に目をつけられよう”って書いたのは、つまりそういうこと。

ふーん、じゃあ、みんなでハリウッド資本に食われるわけね、それでいいのね、って思う?うーんとね、ちょいとばかりちがうことが言いたい。

ありゃ、もうこんな時間。ではまた次回ねー。

普遍性を獲得する、ということ〜クリエイティブ維新その4〜

一時期ね。

”クール・ジャパン”とか言われてたでしょ。いわゆるオタク文化みたいなものが世界で評価されだして、いままでのエキゾチズム一辺倒の日本文化の評価のされ方が変わってきて、そんな現象を”クール・ジャパン”と言っていた。

”クール”って”イケてる”みたいな言葉だから、イケてる日本、いま風の日本、ということだったのかな。

でもクールなんてもてはやされてるわりには、日本のコンテンツ産業の海外進出はさほど進まなかった。

なんでじゃろ?

”クール”だったからだと、ぼくは思う。

つまり、とんがっちゃってた、と言うか、一部の人たちだった、と言うか。

わかってる人だけわかってくれる。そんな意外に小さな現象だったんじゃないか。

ジャパニメーション、とひところ言われて、クール・ジャパンの象徴になっていた。『マトリックス』の時には『アニマトリックス』なんていう、日本のアニメ作家によるスピンオフ作品も生まれた。見ると、なかなか”イケてる”作品だった。

今回のアカデミー賞受賞作品。『つみきのいえ』は、クール・ジャパンじゃない。ジャパニメーションでもない。”イケてる”かっていうと、そういう感想を持つ作品じゃない。表現形態はヨーロッパのアートアニメの風合いで、手描きのイラストにコンピュータで色着けて動かすという、ちょっとだけデジタルだけど本質的にはアナログな手法で制作された。

あんまり”最先端”じゃない。

でも受賞したよ。なんでだろう。

普遍性があったからだ、とぼくは思う。

あ、これをもう少し簡単に言わなきゃね。

誰が見てもわかるものだったからだと、思う。

誰が見ても、アメリカ人の審査員が見ても、ドイツ人のおばあちゃんが見ても、ブラジル人の子供が見ても、わかる。しかもセリフ無しで。

しかも、海面上昇という、みんなが興味ある事柄が物語の下地にある。(ただし、地球温暖化に警鐘を鳴らすために考えたんじゃないみたいよ。観た人がどう思ってもいいわけだけど)

そこが大事。

誰が見てもわかる、と書くと、ああ、じゃあ普遍性って小難しい言葉使ってるけど、わかりやすい、ってことね?とか言われそうだけど,そこはちーっとちがうけんね。

だから普遍性、と言っている。普遍性を獲得できるかどうか、あるいは、自分の表現を普遍的にもっていけるかどうか。それが”世界をめざせ”のとっても、たいへん、すっごく、大事なポイントになってくる。

この話、もう少し続けるね。

世界へ羽ばたけ!〜クリエイティブ維新その3〜

まあこのブログはぼくを知ってる人も読んでいれば、まったく見知らぬ人も読んでいるだろうから、基本姿勢として何者かはっきりさせてこなかった。けっこう際どいこと書いてるしね。

まあ、細かいことはいいとして・・・

クリエイティブ維新その1の最後で、一度死んだら世界めざそう、って書いた。書いたすぐあとにアカデミー賞ダブル受賞ですぞ。タイミングよすぎ。世の中がイメージ通りになってきたのかもしれない。

世界をめざせ、ってのはちゃんと根拠があるんだとも書いた。今回はその根拠を少し書こう。

まずおっきなとこから行こう。あのね、20世紀はアメリカの世紀だったんだ。

前に近代化について書いた。近代化とは農村から都市に労働力が移動して経済の中心が農業から工業にシフトする現象だと。それと並行してマスメディアで商品が家庭にプレゼンテーションされる。都市労働者となった人びとは、自身が生産者であり消費者でもある状態になり、マスメディアでプレゼンテーションされた商品を購入した。それが経済全体を急速に押し上げた。それが近代化の正体だ。

この図式は、アメリカが震源地なんだ。

T型フォードが大量生産による安価な製造の原型になった。マスメディアと、それを支える広告の仕組みもアメリカが原形をつくった。映像で力強く人びとを惹きつける手法もアメリカで開発された。

20世紀的なものはほとんど、アメリカで生まれた。そしてアメリカがその先行者利益によって大発展した。

21世紀は、アメリカの時代じゃない。でもまだ、どこの時代かわからない。中国かもしれない。

とにかく、アメリカが世界の中心と言えなくなってきた。これが、”世界をめざせ”のおっきなレイヤーでの根拠。

もう少し小さなレイヤーで語ろう。でもこれは、おっきなレイヤーと関係する。

今回の”ダブル受賞”のバックグラウンドには、映画という、アメリカが生んだ最大の文化形態が、アメリカ中心では行き詰まっていることの象徴的な現象だといえる。

それは例えば、日本の映画興行で去年洋邦が完全逆転したこととリンクする。

つまりね、ぼくたちはもうアメリカ映画に飽きつつあるんだ。

言っておくとね。ぼくはかなりの映画好きで、でもって”結局はハリウッド映画にはかなわない”と思っているのよ。(その話は長くなるから別の機会にね)

でも明らかに、ハリウッド映画はつまらなくなっている。ドカーン、バコーン、ズガーン!そんな映画はもういいよ。と言うか、そんな映画はもう過去にいっぱいある。TSUTAYAに行ったらドカーン、バコーン、ズガーンのすごい作品が2枚よりどり2,000円とかで売ってる。すぐ見れる。

そういう映画はもういいのよ。もういい、っつうか、出尽くした。

『おくりびと』は納棺というなんとも地味な題材だ。『つみきのいえ』なんて、おじいさんが過去を振り返るこれまた地味な物語。でもすばらしい。ドカーン、とかなくてもすばらしい。それがいま、新しい。たぶん世界では。

世界では新しい。アメリカでは生み出せない何かがある。そこにアメリカが目をつけた。

世界に目をつけられよう。あるいは、世界が目をつけるようになってきたの。わが日本のクリエイティブにも。オウ!エキゾチック!とかいう段階はもう終わってて、アメリカ人でも世界マーケットでも、”ふつうに”楽しめる作品として、注目される時代になってきたの。

だってもう、21世紀じゃん。

日本のふつうのクリエイターが、世界をめざすのはあり、そういうことなの、21世紀は。

あ、もちろん、そこには”踏まえるべき”ポイントはあるのよ。

てことで、”その4”につづく・・・

広告代理店第3四半期決算〜クリエイティブ維新その2〜

広告代理店の第3四半期決算、というのは正確ではない。

電通と博報堂DYグループの第3四半期決算と、ADKの通期決算の数字が出揃った。つまり、ADKは決算が12月なので、ちょっと期間がちがうわけね。

ここでは、広告業界から今期いったいどれくらいの数字が失われたかを書いてきたので、その総決算的な表を作った。電通、博報堂DYの通期見込数字と、ADKの通期決算数字をまとめたのね。電通博報堂は08年度の見込数字、ADKは暦年の08年の実績数字というわけ。

2兆円を超えていた電通の連結売上高が1兆8千億円台になっちゃったのを筆頭に、どこものきなみ売上高が減少している。合計で8%ダウンだ。売上減に応じて、営業利益も4割ダウン。

さて、3つの代理店グループ全体で売上がどれくらい落ちたか。表の中にある数字”-302,352″ってこと。つまり、マイナス3千億円。

うっひゃあー!3千億円。この数字の中には、各グループの海外子会社や純粋な広告代理業以外の売上も入ってはいる。でも大ざっぱに言ってこの国の広告業界から3千億円ものおカネが失われたのだ。

この3グループ(電通、博報堂、大広、読広、ADKの代理店5社)で3千億円。これが広告代理店の半分強のシェアを占めているらしいので、全広告業界で6千億円が失われたと言えるかも。

何言ってるの。大したことないじゃない。電機や自動車業界は1社の営業利益だけで何千億円も減っちゃってるんだよ。なーんて、他の業種から言われちゃうかも。

でもやっぱり、ぼくたちにとっては大事だ。一大事だ。およそ一割のおカネが業界から消えちゃったんだ。一年でだよ、しかも。

さらにおそろしいことに、この傾向は08年だけでは済まないとみんなわかっている。わかっているのに、どう手を打てばいいかわからない。手の打ちようは、ないね。どうしようもない。途方に暮れるしかない。

ただひとつ、言えることは、変えねばならない、変わらなきゃいけない、ってことだ。それは例えば、広告代理店がすべてを一括受注してそこから受注していれば安泰ってことではないということ。だからと言って”じゃあ代理店にペコペコすりゃあいいってもんでもないね”などと能天気なことも言えない。ペコペコしてれば受注できるってんなら、そんなお気楽な状態もないよね。

考え方とか、働き方とか、生き方とか、やり方とか、変えるしかないんだ。変わるしかないんだ。考えて、走り、走りながら、考えて、時には立ち止まり、そしてまた走り出す。そんな日々をぼくたちは生き抜いていかなければならない。

そうなんだ。ぼくたちは、生き抜こう。そういう覚悟がまず、何よりも必要なんだろう。

雇用を守りすぎると死んでしまう

内定を取り消した会社が続出してニュースになったわね。けしからん、ってんで。

もちろん、基本的にけしからんとは思うよ。

でも、わざわざ採用活動して一所懸命選んだ学生の内定を取り消すのは、当然のっぴきならない事情があったからだよ。迷惑料を請求していいと言えばいいけど、じゃあ内定取り消す会社に入りたい?

日本綜合地所の内定取消された学生が”じゃあ取消したことを取消すから入社してください”って言われてたら、どうなってたんだろう。迷惑料を払ってそのあと破綻したってんだから、日本綜合地所さんはけっこういいヤツだったんじゃないか。あるいは、もう破れかぶれだったんじゃないか。

派遣切りが話題になって、マスコミはこぞってけしからんの大合唱だ。企業は利益を内部留保にまわすなら雇用を守るべきだって、メディアの経済部のおじさんたちが真顔で言う。その人たちは、日本綜合地所のケースを見てどう思ってるんだろう。

内部留保は株主配当にも使われるけど、投資にも使われる。将来に向って何かの手を打つための資金なわけ。

投資よりも雇用をとにかく優先するかどうかは、相当悩ましいところのはずだ。そしてひとつ、みんなわかっとかなきゃいけないのは、投資より雇用を簡単に優先してたら、数年後破綻するかもしれないってこと。そしたら身もふたもないでしょ。

雇用の問題を感情的に語りすぎてる。しかも、経済記者なんて肩書の立派なジャーナリストが真剣に”とにかく雇用”と言い放つのに驚く。経済のことわかってる?

マスコミで感情的な”とにかく雇用が大事だぜ”論がまかりとおってるもんで、善良な国民の皆さんも”そうだそうだ”と大合唱だ。そりゃあね、日比谷に集まって炊き出しをもらってる人たちを見ちゃったらね、かわいそうだろ、という感情が先に立っちゃうんだろうなあ。

会社に守ってもらわないと生きていけない、ってみんなが思っちゃってる。でも会社たちはこないだまで立派だったはずなのに、のきなみうん千億円の赤字を発表している。赤字出してる会社が社員を守れるわけはないじゃない。

雇用を守りすぎると死んでしまうの。この国そのものが。

雇用を守ってばかりだと、新しい産業に労働資源が移動しないの。そしたら成長性の薄い大企業(大きい企業だって成長しないと死んじゃうかもしれないんだぜ)から人がなかなか出て行かない。そしたら新しい産業もなかなか成長できなくって、国全体の成長が立ち行かなくなる。すると、国がお金をあまり生み出せなくなるの。

つまり、雇用を守ってばかりだと、短期的には失業者があまり出なくて安心。だけど長期的には国全体が貧しくなってある日突然、大企業が次々つぶれたり縮小したりして、大勢が失業しちゃうってこと。

それくらい日本の既存の産業構造は行き詰まっているんだぜ。トヨタやソニーが10年後も存在し続けられるか、誰にもわからないんだもん。GMやフォードはもう、延命注射受けないと死んじゃうんだから。10年前は、誰もそんなこと予想してなかったでしょ。

いまマスメディアで”雇用を守れ、内部留保こそ悪だ”と平気で言ってるおじさんたちを、信じちゃダメだよ。

自分の中の”枠”をはずそう〜クリエイティブ維新その1〜

”クリエイティブ維新”とカッコよく題したものの、はっきりあてがあるわけじゃないよ、もちろん。考えながら走る。走りながら考える。そんな感じだから、まあご容赦を。

さてみなさん、死んだ?生まれ変わった?オギャーッって元気に産声あげた?

じゃあ、まずクリエイターは生まれ変わったらどうするか。生まれ変わったとは言え、いままでの記憶はあるわけだから、また同じことやりかねない。同じことやっても悪くはないけど、やっぱり生まれ変わったんだから、変わらなきゃね。

それは、自分の中にあった”枠”をはずすことだ。

すっごくわかりやすいこと書くね。

クリエイターは”業界”に住んでいる。例えばデザイナーです、ってんで、代理店のクリエイティブの人たちとつきあって仕事受ける生活してたとする。

そこで”枠”をはずそう。

クリエイター同士でつき合っていままでは仕事になってたけど、これからは仕事にならないよ。クリエイターの仕事が減ってるからさ。

だから例えば、代理店の別のセクションの人とつきあおう。

ああ、じゃあ営業の人とかでしょ?って、まあ、それもいいけど、もっとはずそうよどうせなら。

代理店にもいろんなセクションがあるよね。例えばメディアの部署の人とつきあう。仲良くなる。悩みを知る。未来を語る。共感する。

そんなところからデザイナーの行く先がひとつ、みつかったりするかも。けっこう、ありだと思うよ。

デザイナーだと、出版社の雑誌の編集の人とかつきあってたかもしれない。ここでも、枠を外そう。なんかわかんないけど、例えば出版社には”ライツ事業部”のようなセクションもある。そんな人とつきあってみなよ。なーんか、あるかもよー。

いやいや、そんな”枠”の外し方、ちっちゃいちっちゃい。しょせん”業界”でしょ?もっと行こうよ。どんどんはずそうよ。

金融界とか、コンサル系の人とかどお?彼らは、いろんな企業とつきあっている。えー?金融?コンサル?クリエイターとは180°ちがう人たちじゃん。話しあわないよ。そんなこと言ってちゃダメだってば。人にもよるけど、金融(銀行より証券系がいいかな)の人たちって意外に好奇心旺盛だよ。いろんなこと知ってる。

そして彼らは身近に”クリエイター”がいない。だから、興味持つと思う。コンサルの人たち。彼らも、好奇心すごい。貪欲。どんどんつきあっちゃおう。そのうち、なーんか、出てくるよ。

そんな感じでね、どんどん枠を取っ払って、どんどん知り合う。つきあう。そんな中にクリエイティブが生かせる何かが埋まってたりする。

果ては、世界。世界目指そうよ、次は。せっかく一度死んだんだから。

世界はね、根拠あって言ってるんだよ。そんな途方もないとか、おれ英語しゃべれないしとか、尻込みする必要なんかない。だっていま、あなたはこのブログ、インターネット経由で読んでる。つまり、いま世界とつながってる状態なんでしょ?

どうせつながってるんなら、ぐいぐいつながっちゃえ。

世界の根拠はね、次回もう少し語ろうかな。

テレビ局3Q決算〜メディア事変その50〜

大変なことに、と煽っておいて、意外に、少なくとも製造業ほどには赤くないぞ、って話なんだけどね・・・

各社の連結業績予想を並べてみよう。

フジメディアHD  売上高:5585億円 営業利益:171億円(△29.8%)
日本テレビ放送網 売上高:3225億円 営業利益:75億円(△67.5%)
東京放送(TBS)  売上高:3700億円 営業利益:165億円(△20.0%)
テレビ朝日    売上高:2475億円 営業利益:8億円(△92.0%)
テレビ東京    売上高:1183億円 営業利益:4.5億円(△85.2%)

・・・というわけで、どこも赤字にはなっていない。

あ、なーんだ、って安心した?

もちろん、テレビ朝日やテレビ東京の利益を見ると寒くなる。売上が1000億とか2000億とかあって、利益が8億とか4億とか。営業利益率で見ると1%にもなっていない。そう言う意味では赤字も同然かな?少なくとも、こういう状態だとキャッシュフローが相当悪化しているはずだ。

とは言え、かろうじて赤字はまぬかれそう(あくまで”予測”だからまだわかんない)な民放キー局。よかったよかった・・・いやいや、そう簡単ではない。

まず問題なのは、来期。前に書いたように、テレビ広告費の減少は今期より来期の方がすさまじいだろう。確実にタイム枠が売れなくなる。本格的な価格ダウンをしないわけにはいかなくなるはずだ。なにしろ、今期はスポットが10%減少して大騒ぎだった。来期、タイム枠が売れなくなったらその影響は計り知れない。

もうひとつ、重要なポイントがある。テレビ局はリストラクチャリングやりようがない業態なのだ。

この正月に話題沸騰だった派遣切り。テレビ局は自分自身では派遣労働者をほとんど雇っていない。その代わりに制作会社をこき使ってきたわけで。

製造業が派遣を切ったのは、工場の稼働率を下げざるをえず、労働力が余ってしまうからだ。でもテレビ局は稼働率を下げられない。あまり視聴率のとれない昼間の放送を大幅にやめるなどの大決断でもしない限り、朝から晩までいままでと同じように番組を放送せざるをえないのだ。

また製造業は売上げが減ると、工場を閉鎖したりする。売り払ったりできる。さらには、工場でつくる製品を別の事業に転換することで事業の再構築ができる。

テレビ局は、テレビ放送を続けるしかない。別の事業なんて、放送から派生する事業しかできないんだ。

正社員をちょっとやそっと辞めさせたり給料を下げたりしても、大きなリカバーはできない。テレビ局の社員数は数千人で、”切る!”ってほどの人数じゃないんだ。

できるとしたら、売上原価、つまり番組製作費を下げることぐらい。これも、限度がある。これ以上下げると、各制作会社がやっていけなくなるから、それはそれで困るだろう。

つぶしの利かない事業、それがこの国のテレビ放送事業なんだ。

あ、TBSのように不動産事業とか、まったくちがう業態に手を出す、という手はある。でもこれは本末転倒だよね。テレビ放送を続けるために、不動産業をやる。だったら不動産だけやってれば?と言われちゃう。

もはや、にっちもさっちもいかなくなった。テレビ放送は完全に衰退産業だ。かつての石炭産業みたいなものだ。

・・・なんてことになるとは、たった一年前でも、夢にも思わなかったよね・・・

ところで、あまりおおっぴらなことにしてこなかったこのブログ。トラバも避けてきたし、おそらくぼくのことを知っている人間だけが読んでたと思う。

ところが、この一週間、そしてこの数日、訪問者のIPが急増している。

誰か、言いふらしてくれてるのかしら?

クリエイターは二度死ぬ〜メディア事変その49〜

メディア事変というサブタイトルの裏には、だからこれから、コンテンツが主役になるよ、クリエイターがほんとのイニシアチブとる時代だよ、という明るい意図があった。

だけど、どうもそんな能天気な話ではなかったようだ。

クリエイターは、今年、死ぬ。

そういう覚悟が必要なんだとわかってきた。

死ぬ。そして、生まれ変わる。

それがぼくたちにとっての2009年ということなんだ。

いままでのクリエイターとして生き続けようとすることはムダだ。たぶん、そんな意志には意味がない。そんな過去にしがみつこうとしていたら、死ぬ。そしておしまいだけが待っている。生き返ることはできない。

死んでいいんだ。一度。死ぬぞ、という覚悟が必要なんだ。

覚悟があれば生まれ変われる。よし、おれは一度死ぬぞ、という前向きな意志があれば、クリエイターは他の何者かとしてもう一度生きることができるはずだ。

もちろん、生まれ変わったら、またクリエイターと呼ばれるのかもしれない。だがそのこと自体に意味はない。ただ、いままでクリエイターとして大事にしてきた何かをしっかり握りしめているかどうかだ。それがあれば、ようするに何者にだってなれるだろう。

あ、言ってること、わかってくれる?

クリエイティブも陥落?〜メディア事変その48〜

前回ぼくが書いた中に”1社平均30億のタイム枠を100社が削ると、3000億円のマイナスになる”という箇所があったでしょ。

あとで読み直して、さすがに乱暴な試算だったかなあと思った。3000億円って、さすがにそんなことにはならないでしょ。そこまでじゃないっしょ。

東洋経済の記事の中に”広告宣伝費トップ100”という表があった。日本の企業の有価証券報告書をチェックして、前年度の広告宣伝費に多く費用を使っている順に企業を並べたもの。当然、トヨタがトップで、連結ベースだと(つまりトヨタグループ全体だと)4845億円の広告宣伝費を使っている。さすがだね。(トヨタは宣伝費を1000億円使っているとよく言われるけど、あれは単体だということかな?)

そのトヨタが広告宣伝費を半分に削減するという噂がある。記事の中で、大手新聞役員のコメントとして”09年度は半分に減らすと聞いている”という部分が出てくるのね。

仮にホントだとしたら、4845億円の半分、つまり2400億円が広告業界から失われる。

どっひゃー!

さらに、その広告宣伝費トップ100の企業を見ていくと、100位の日本ハムで118億円とある。

118億円も使っていれば、30億ぐらい減らすかもしれない。だって”100年に一度”だからね。

この国で広告宣伝費をたくさん使う企業は100社では済まないだろう。

うーん、そうすると100社が平均30億円ぐらい広告宣伝費を減らす、つまり3000億円が広告業界から失われるという試算は全然乱暴じゃないし、もっともっともっといろんな企業がとにかくひたすら削減するんだろう。

電通と博報堂、大広、読広、ADKの大手代理店の売上を足すとざっくり言って3兆円だ。(これはそれぞれ”単体”の数字、つまり純粋に広告代理業の売上ね)

このうちADKを除く4社の4月から12月までの売上高が前年と比べていくら減ったかを調べてみたら、1100億円程度だった。(ADKは12月の売上高を発表してないもんで4社で調べたわけ)

大手代理店の売上が3Qまでで1000億円減っただけで、業界に嵐が吹き荒れている。

もし来期、さらに3000億円じゃ済まない宣伝費の削減が行われたとしたら・・・

嵐どころの騒ぎじゃないぞ。広告業界、メディア業界をカトリーヌ級の巨大ハリケーンが襲うんだ。しかも一年間ずーっとハリケーンの雨風に見舞われる。

ニューオーリンズが壊滅的な打撃を受け、家を失った人びとが路頭に迷ったように、ギョーカイが壊滅するのかもしれない。

クリエイターは嵐が通り過ぎるまで持ちこたえよう、次の準備にこっそりいそしもう。ぼくはそうこのブログで書いてきた。

そんな考えは甘っちょろいのかもしれない。

テレビ新聞というマスメディアが”陥落”すると、やっぱりクリエイターも一緒に陥落するのかもしれない。

持ちこたえるんじゃなく、一回死んで生き返れるか、ということなのかもしれない。

あれ?暗い?暗すぎる?・・・

テレビ・新聞陥落!なんだってさ〜メディア事変その47〜

勝手に中吊り広告のJPEGを貼り付けよう。

見出しを眺めているだけで泣きそうになるね。

例えば”トヨタ広告半減の衝撃”とある。もちろん、トヨタが来期の広告費を死ぬほど下げる、ってことだろう。

どこをどう下げるのか、読んでみないとわからないけど、来期の広告費はトヨタでなくても死ぬほど下がるだろう。

まず、マス広告費の打撃が顕著になりはじめた08年度上期。何と言ってもテレビスポットが下がった。10%ぐらい。

下期に入ってどうなったか、まだ集計できていないのだけど、とにかく9月に起こった”リーマンショック”以来、世界中で大変なことになっている。つまり、上期より下期の方が広告費の落ち方も激しい。例えば電通の月次売上高は11月12月連続して前年比86%とか87%とかになっちゃっている。

そしてそういう100年に一度の大騒ぎによって、いま来期の予算を組立てている各企業はどどーんと経費を減らす。ということは広告宣伝費も減らす。100年に一度の気分で減らすわけ。

そうするとね、テレビ広告も、いよいよタイム枠を減らすことになる。

スポットとタイムのちがいは前にも説明したよね。番組と番組の間に流れるのがスポットCM。番組の途中に流れるのがタイム枠。

まちがいなく、各企業がタイム枠を死ぬほど減らしてくる。これはまた影響が大きい。ゴールデンタイムのタイム枠だと1番組あたり月5000万とかする。年間だと6億円。これを1つとか2つとかのレベルじゃなく、半分とか、全部とか、すごい勢いでカットするだろう。そうすれば、たくさん広告費を使ってきた企業が、広告費をたくさん減らせるわけだ。10番組のタイム枠に提供してきた企業が半分やめる。すると、30億円減らせる。そんなことを、どの企業もこの会社もやってくるんだ。

30億円タイム枠を減らす企業が100社ぐらいの単位になるかもしれない。3000億円減るってことだね。

軽く書いたけど、うわあああああ!って状況。

じゃあクリエイティブ企業はどうしよう?そう、新しい畑をつくるしかない。でも新しい畑は耕すのに時間がかかる。

これから2年間ぐらいの中で、畑をつくれるか。収穫までに至れるか。もう、秒読みだよ。

って気分を、たのしもうぜ。言っとくけど、畑をつくる条件は、自分も変わること、だからね。変わることを、たのしもうぜ。

会社に頼る発想では、共倒れになっちゃうよ

まず、ニュースなどで出てくる雇用データは、その取り上げ方に誤解を生みかねない。

このサイトを読んでみれ。

GarbageNews

わかった?ニュースでは20−24歳の非正規雇用者は4割を超えている、と言っているけど、その中には大学生のアルバイトも入っているわけだ。25−29歳の非正規雇用者は3割だね。多いように思える。でも、その中の”派遣労働者”は5%だ。

ところが、ニュースでは”派遣切りはケシカラン”と言うメッセージと、若者の非正規雇用は3割4割になっている、というデータをセットで伝える。

そうすると、派遣労働者が若者の3割4割になっていて、次々に切られている、と錯覚する。実際、みんなそんな錯覚をしちゃっている。

実際は、3割4割には学生のアルバイトも入っている。派遣労働者は5%である。若者層に非正規が増えているのは、就職氷河期の影響と、働き方の多様化が作用している。派遣だけの問題じゃない。そういう事実を前提に話そうよ。落ち着けよ。

それからね、いま政治家が製造業の派遣労働を禁止するとか言っている。あるいは、派遣を切る時は派遣先企業が就職の世話をしろと言っている。

いま製造業の派遣を禁止しても、意味ない。もう切っちゃったんだから。いまからそんな規制したら、その新法が施行される前にもっと大量の派遣切りが行われるよ。派遣の人を正社員にする気なんてないんだもん。正社員にしなくていいから派遣を雇ってるんだもん。増収基調の時ならともかく、いま禁止しても、かえって不幸が増えるだけだ。

派遣先企業が就職の世話をしろってのも本末転倒だ。正社員が辞める時だって世話をする義務はないよ。事実上やってるとこもあるけど大企業だ。中小企業にそんな義務を負わせるのは殺生だよ。そんなゆとりないよ。社員が辞める時に次の世話をするって、そのこと自体ヘンだろ?

会社をあてにすることが、そもそもおかしいんだ。会社なんてあてにしちゃダメなんだよ。大企業だって潰れたりする。そのことを、ぼくたちは90年代後半に学んだんじゃないのか。

雇用を守れの大合唱。オウケイ。そうしよう。いま派遣切りしてる自動車産業、電機メーカー。日本を支えてきた製造業は、日本を支えてきたんだから、これからも日本を支えなさい。だから雇用を守りきりなさい。正社員から派遣まで、一人も切っちゃダメです!

・・・そんなことやってたら、みんな倒産するぜ。アメリカでビッグ3を守るかどうかなんて言っている。日本でも自動車産業や電機メーカーが永久に不滅ってわけでもない。長期的には、製造業は中国やインドに主役を奪われるんだ。そんな産業に雇用をすべておっかぶせても無理なんだ。共倒れだ。

どうなの?美しく滅びたいの?この国は。

雇用を守れ、みんな全員、死ぬまで一蓮托生だ、たとえ成長できなくても。だから、ワークシェアリングで雇用原資を分け合って、みんな少しずつ収入を減らしていこう。弱虫同士、身を寄せあって生きていこう。そうやって、清く正しく死んでいこう。

派遣切りはケシカラン。雇用を守るのは企業の責任だ。そんな、親方日の丸を責めてる間に、親方日の丸まるごとだめになって、全員玉砕。雇用を守れの大合唱の行く先にあるのは、そんなシナリオだ。

考えたらわかるんじゃないの?

この国は、なんて後退的な発想しかできなくなっちゃったんだ。明治維新を成し遂げて、戦後は奇跡の高度成長を達成したのに、いつまでも派遣切りはケシカランと言ってるだけだなんて。

ぼくたちがいまやらなきゃいけないのは、”次”を考えることなんだ。しんどいけど、前向きに明日のことに取組むことだ。

誰が悪いか、って犯人探しにやっきになっていても、何にもならないんだよおお・・・