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コピーライター→映像製作会社ロボット→広告代理店ビデオプロモーション→再びコピーライター(フリーランス)。 メディアとコンテンツの未来を切り拓くコミュニケーションをデザインします。講演・執筆依頼もお気軽に!

Twitterは燃えているか(というか、ソーシャル度の減退について)

第二回・リアル境塾を一週間と一日後に控えているけど、ぜんぜんちがう話ね。

最近、Twitterに費やす時間が明らかに減っていることに気づいた。原因はとてもクリアで、その分Facebookに時間を使うようになったから。じゃあソーシャルメディア総体に使う時間は同じだろう、と思いたくなるけど、そこは少しちがう。

その前にね、Facebook以前のソーシャルメディア生活を思い返すと、そりゃあもう毎日ホットだった。ぼくの場合、ブログとの関係が大きいのだけど、とにかく更新するたびTwitterで何か意見をもらって、それに対してぼくも反応して、っていうやりとりがほぼ毎日あったね。

さらに、そうやって誰かとTweetを交わしているうちに、会いましょう!てな話によくなった。さらにさらに、会いましょう!って言ってるとまた全然ちがう方向からも参加の声があがり、よくわからない会食が頻繁にあった。

Facebookをはじめてから、そういう”出会い系”的なはしゃぎがなくなった。カッコよく言えばセレンディピティが減ったってことかな。だってFacebookはお友達としか会話しないしね、基本。ブログへのコメントもFacebookページ「境塾」で書き込んでもらえるようになったので、落ち着いてやりとりできる。でも「あんた誰?」みたいなことがあまり起きなくなった。

Facebook中心になってから、もうひとつ別の副産物的な現象も出てきた。

iPadをなんとなくいじる時間が減ったのだ。

だってiPadでFaceboookって使いにきぃんだもん。これはホントに問題だと思うほど。

Twitterの場合はサードパーティのアプリがすごく充実してる。WEB上で使うよりずーっとTwitterが楽しく使えるので、iPadいじってると、とにかくTwitter使ってた感じだった。

ところがFacebookのアプリって全然ダメなの。MyPadとかFriendlyとかいろいろあるけど、なんかダメ。Facebookの機能の多さをうまく受けとめられないのだろう。それに機能は前置きなしに追加されたり変わったりするしね。

じゃあWEBで使えばいいじゃないか、ってんでSafariでFacebookを使うとこれがまたダメ。反応が悪いしポップアップで表示されたものがぐちゃぐちゃになっていったり。

そうすると、Facebook使うのは結局、PCで、ってことになっちゃう。前に書いたけど、小さな小さな書斎にこもってMacBookでFacebookする。

かくして、iPadを買って以来根づいた、帰宅したらリビングでごろごろしながらiPadいじってTwitter中心に誰かと話したり、教わったURLをたどってWEB見たり、テレビ見ながらTwitterしたり、というソーシャルメディア生活が崩れた。リビングでTwitterいじったかと思えば書斎でFacebookながめて、という慌ただしく一貫性のない感じになってしまった。

で、結局ソーシャルメディアを使う時間が減ったと思うんだな。

Facebook中心になって”出会い系的”はしゃぎが減ったのも、なんだかなあと思う。Facebookって、「実際に知ってる人とだけお友達になりましょう。無闇にお友達を増やすのははしたないわよ!」という啓蒙がなされている。その感覚が気持ちを支配しちゃうもんで、Twitter上でも無闇に見知らぬ人としゃべらなくなった気がする。

なんかそういう、寄せては引いてしまう”波”のような傾向があるのかね?来年の今ごろは、またちがうソーシャルメディア生活になっているのかしら?

そんな落ち着きつつあるソーシャル生活をホットにするために、Facebookページ「SAKAIjyuku」をのぞいて、コメントでも書いてってくださいね。

「テレビは生き残れるのか」というタイトルにしてしまった

そいで前回書いた通り、ぼくが書いた本が出るよ。その話の続きをば。

タイトルが決まったんだよね。・・・と言うか、決めていたつもりのタイトルを変えたのだった。

「第一回・リアル境塾」に来てくれた人や、Ustで粘り強く最後まで見てくれた人は、ぼくが本を出すことを発表して、タイトルが『テレビの次はテレビだろうか』だと聞いたと思う。あの時は、と言うか、書き始めた時からこのタイトルのつもりだった。

いよいよ入稿が近づいて、うーんちょっとレトリックに酔ってる?と思い直した。タイトル変えた方がいいかなー。そこで編集の千葉さんに、代案をいくつか送って、検討してもらうようお願いした。

千葉さんから返信があって、元のタイトルも含めて社内でダメ出しでてしまったと・・・・・・しまった・・・・・・こんなことなら代案なんか出さなきゃよかった・・・・・・

という展開で、急きょまったく新たな案を考えねばならなくなった。しかも一晩で。うーんうーん・・・ああでもないこうでもない、と頭の中で何人かのおれが大激論を展開しはじめた。おや?なんかこの感覚、懐かしい。そうだ、コピーライターやってた頃は、毎晩のように何人かのおれが大激論だった。久しぶりだなあ・・・

ということがあり、決まったのがこのタイトル。『テレビは生き残れるのか』・・・うわー、キツー!なんかテレビ局のお友達に嫌われそうだ。

言い訳すると、ここで言うテレビは、必ずしもテレビ局のことではない。戦後からいままでのマスメディアの時代、その代表選手だったのがテレビだ。だからテレビは生き残れるのかとは、マスメディアは生き残れるのか、を言い換えたものだ。

それからテレビとは要するに日本の映像ビジネスの象徴的存在だったりする。多少強引に言えば、映画だってテレビという存在に集約できる。日本ではそう言える。だから、映像ビジネスは生き残れるのか、というタイトルでもある。

もっと言うと、テレビという言葉に、クリエイティブ関連の業態すべてを集約しているつもりだったりもする。だからこのタイトルは、クリエイティブは生き残れるか、という問いかけでもある。

テレビは、マスメディアは、映像ビジネスは、クリエイティブは、生き残れるのか。あるいは、それらが生き残るには何をどう考えてどうすればいいのか。そのすべてに答えているとはさすがに言いがたいけど、そのヒントは書いたつもり。だいたいこう考えていけばいいんじゃないかなと。

タイトルを書き始めた時と変えたのは、書き始めた時より内容がヘビーになっちまったから。ヘビーになっちまったのは、書き始めてしばらくしたら、東日本大震災が起こったからだ。ほんとに、あの大災害のせいで、当初より深刻で悲観的な内容になった。だってこの業界の状況が悲観的にならざるをえないものになっちまったからさ。

うーんそれにしても、ちょっとキツ過ぎかなあ、このタイトル。テレビは生き残れるのか。あそこは生き残れるのか。こっちは生き残れるのか。ぼくは生き残れるのか。・・・あなたは?あなたは生き残れるのか?・・・

「クリエイティブビジネス論」が書籍になるのだ

「第一回・リアル境塾」の最後の方で言ったので、そこまで見た人はもう知ってることだけど・・・

7月に本を出版します。なぬ?!

このブログ、クリエイティブビジネス論がいよいよ、書籍になるわけね。

・・・あ、でもそれは正確ではないか。このブログの書籍化、ではないのだった。そうではなく、このブログで書いてきたことをもとに、新たに書き起こしたのだった。と言うか、もう少しこのブログで書いた文章を生かせるのではないかと都合のいいこと考えてたんだけど、実際に書きはじめると、もうほとんどいちから書いてた、のでした(^^;。

本とブログはちがうんだろうなあ、と思ってはいたけど、やっぱりそうとうちがうものだった。もう全然ちがった。ブログはね、こうして夜中に思いついたことを思いついたままに書いてて許されちゃうし、そういう書き方だからこそ面白い文章になるのだろう。

読む側としてもきっと、短い時間でパパパッと読むでしょ?ブログを本腰入れて3時間かけて読む、なんてのはあってもいいけど、実際にはない。

本はまずプロットを作ったからね。全体像を自分なりに組み立ててから、文章を書きはじめる。そうしないとそもそも書き始められないからね。フルコースメニュー全体を決めておかないと前菜をつくれない。そんな感じ。

面白かったのは、編集の方が”整理原稿”ってのを作ってくれたこと。自分で書いた時はWordに横書きで書いてたものが、縦書きで、行替えとか、足りない小見出しとか、つけてくれる。あ、編集してもらえてキモチいい!みたいな。マッサージしてもらうのに似てるかな。ああ、ほぐれるぅ〜。

さて今日はほんのお知らせってことで、これから少しその内容にもふれていくよ。もっちろん、本のプロモーションのため、にね!

「第二回・リアル境塾」はサロン・ド・サカイ、てな感じで・・・

こないだ @boku さんとずいぶん久しぶりにお会いした。@bokuさんとは一年ぐらい前にTwitterでやりとりして、そのあとで、「宇宙と未来のニューヒーローを目指す」会社のあの人だと気づいたのだった。

@bokuさんとのtweetのやりとりから考えて、こんな記事も書いている。「ソーシャル化で変わろうとしていること」これはけっこう重要な記事だったなあ。

ソーシャルから集合知が生まれる、とよく言われる。ホントだなあと思う。このブログも、書いているのはぼくだけど、書いていることはぼくがまったくオリジナルで考えたことでもない。あの人や、その人や、ひょっとしてあなたが言ったことがぼくの頭の中で融合したり化学反応を引き起こしたりして、何らかの文章になっているのだ。この文章にだって、どこかにあなたからの影響が含まれているのかもしれないよ。

さて話は変わるようでつながっているのだけど、「第二回・リアル境塾」を6月26日(日)に開催します。今回は、ゲストをお招きするのではなく、みんなで議論する催しにします。もともと、境塾を冗談半分に生み出した @tamarinco は「20〜30人でインタラクティブな勉強会」をやるのだとつぶやいたのだったのね。それ、やってみよう、と。

で、とりあえずその趣旨をFacebookのノートに書いた。ここをクリックすれば読める。あれ?Facebookにアカウント持ってなくても読めるのかな?

とにかくぼくと3名ぐらいの人とでパネラー役をやり、30人ぐらいで議論しようと。そんな進行がうまくいくか、わかんないし絶大なる自信もないのだけど、まあとにかくやってみようぜ、ってことで。今回はだからUstもなしで、少人数でみっちり、とやります。

議論の前提となること、基本的なメディア動向の把握やデータなどは、少しずつぼくからFacebookページ上で提供していきます。

この「第二回・リアル境塾」に参加したい人は、ここから参加表明を。ただ、Facebookユーザーじゃなきゃ参加表明ができないからね。今回のはたくさんたくさん集まってくださーい、というものではないので、よく考えてちょうだいね。

そんな催しを考えていたら、あの有名なソーシャル青年・イケダハヤト氏がブログでこんなことを書いていた。「情報それ自体は価値が低下しており、本当に読者にとって価値があるのは情報が生み出す「コミュニティ」にある」ふーん、なんか少し関係あるぞ。

つまりね、「境塾」も、このブログを軸に生まれつつあるコミュニティなんだよね。勉強会、なんだけど、おとなしく席に座ってご高説を賜るのではなく、みんなでわいわい、あーでもないこーでもないと話しあう場。ブログを書いてて面白くなってきたのも、TwitterやFacebookを通じていろんな人の声が聞けるようになったから。それが「集合知」になっていっている。

だから境塾は塾とは言え、コミュニティであり、喫茶店のような宴会場のような。Bar Sakaiであり、サロン・ド・サカイなんだよね。

そんなつもりでね、第二回はお気楽に、でもそれなりに真剣に、議論の場をつくれればいいな、と、思うわけでした。

リアル境塾に参加しない人も、Facebookページ「SAKAIjyuku」はのぞいていって、「いいね!」ボタン押してってくださいな。

ロックンロールは年老いてしまった〜iCloud発表を横目に〜

いま、午前2時半。AppleがiCloudを発表するというのでPCの前で粘ろうと思ったのだけど、海賊的なUstでしか見れないし眠たくなってきた。だからちゃんと着地する文章が書けるか自信ないけど、書き進めてみるよ。

今日ぼーっとテレビを見ていたらユニコーンが出てきた。去年だか再結成したんだよね。47歳なんだって。ほぼ同い年じゃないか。

ユニコーン、そして解散後の奥田民生の曲はぼくの人生と重なっていて、会社員だった頃、カラオケで”会社とは何だ人生とは何だーーーーーっ!”と「ヒゲとボイン」を唄いながらいつ辞められるかを考えた。会社をホントに辞めてフリーランスで働き出したら「イージューライダー」を唄った。生まれたばかりの子供を前に「息子」をギター弾き語りで唄って聞かせた。

そんな奥田民生が47歳なんだって。奥田民生がぼくと同世代のいいおっさんなんだから、ロックンロールの神様たちはもう老人になってしまった。

高校生の頃、ロックンロールだリズム&ブルースだと躍起になってた頃、ロックンロールがいつか年老いることは想像だにしていなかった。でもいまやミック・ジャガーとキース・リチャーズは70歳手前だし、エリック・クラプトンも60代半ばだ。老人になっても元気にシャウトしたり、でかい音でギター鳴らしたりしているのはいいのだけど。

でもロックンロールを老人がやるようになるなんて夢にも思わなかった。

ずいぶん前に「Rockの矛盾、Macの矛盾」という記事に書いたけど、ロックンロールは明らかにその出自からして反体制の思想が織り込まれている。

でもロックンロールは、資本主義まみれの20世紀と一緒に、年寄りになってしまった。もう、アンチテーゼをシャウトする意味がなくなりつつある。

こないだ出たセミナーで池田信夫氏が言っていたこと。いまはクリエイターが増えすぎたのかもしれません。18世紀とか19世紀なんて頃は、音楽だけで生計を立てられる人はいまよりずっと少なかったのです。モーツァルトのような大天才が宮廷に召し抱えられるぐらいで、大多数の音楽家は音楽では食えなかった。それが20世紀になるとマスメディアの発達で音楽家にしろ小説家にしろ、19世紀より格段に多くが食えるようになった。「プロのジャーナリスト」も成立できた。

マスメディアに流れていたお金が細っていくと、音楽で食える人は少なくなるでしょう。プロのジャーナリストも成立しないかもしれない。

でも、別のことで生計を立てながら、多くの人に自分の音楽を聴いてもらう手段は逆にいま増えている。ジャーナリストもプロでなくてもよければ、ブログなどでいくらでもレポートを世に伝えられる。それはそれで悪くない状況かもしれませんね。

この池田信夫氏の話は、先週佐々木さんの話から書いた「モジュール論」とどこか近いかもしれない。

ロックンロールは年老いてしまった。そしてその役割も天寿が近いのかもしれない。もう、一昔前ほどの数の音楽家は、世の中が養えないのかもしれない。

だからiCloudなのかもしれない。

もはや、ロックンロールを後生大事にCDのようなパッケージメディアで”所有する”意味はあまりなくなってしまったのかもしれない。ビートルズのホワイトアルバムっておれ、CDで持ってるんだっけ?いやいや、こないだiTunesで買ったからiCloudからとり出せるんだった。よしiPhoneで呼び出そう。あれ?ちがった?買ってなかった?おかしいなあ、記憶違いか・・・ま、いいか、いつでも聴けるよな・・・

ロックンロールはその程度になったのだろう。

iCloudが音楽の価値をおとしめているのだ、なんてことを言ってるんじゃないからね。あえて言えば、音楽そのものがすでにもう、価値が下がっちゃってるんだ。この50年ぐらいかけて、下がっちゃった。だってもう、ギター弾けるヤツなんていっぱいいるんだもん。

Twitterを眺めていると、どうやらすごい発表があったみたいだ。次のiOSにはあらかじめTwitterが内蔵されているとか。そりゃすごい!

でもごめん、もう眠たいわ。何が発表されたか、起きてから聞くから、誰かまとめといてね。よろしくー

あ、忘れるところだった。Facebookページ「境塾(SAKAIjyuku)」もよろしく。「いいね!」押してってね。

番組なのか広告なのか

少し前、連休中に「終わりと始まりは同時に起こる」という記事を書いた。このところ急にテレビ関係の新しい動きが出てきたね、という話。今日はその続編的に、ちょっと絞ったことを書くよ。

フジテレビで日曜日21時から放送中のドラマ『マルモのおきて』観てるかな?ぼくは毎週観て、毎週だらだら泣いている。エンディングテーマ曲が「♪マルマルモリモリ〜」という子供たちのかわいい歌声で話題を呼んでいるのは聞いたことあるんじゃない?主演の子供たちが人気出ているのか、他の番組にもどんどん出ている。ドラマの視聴率も上がっているみたいだ。

さて、その『マルモのおきて』を観ていて最近ものすごくびっくりした。主演の阿部サダヲと子供たち二人が、ドラマの設定のままで「アタックneo」という洗剤のCMをはじめたのだ。えええええ?!

んー、それが?って思う?だってこのドラマは花王の一社提供だからそんなこともあるんじゃないの?うん、確かにそこはするどいけどね。

でもこれまではありえなかったんだ。

そもそも番組に提供するってどういうことなのか。番組の途中で流れるCMの枠を買うわけだね。でもCM枠の代金と、番組の制作費と、項目としては2つの要素にお金を払っているわけ、スポンサー企業は。テレビ局は、企業から宣伝のためのお金をもらって番組を作ったり運営したりしている。何でもかんでも、企業からお金をもらわないとできない。

でも一方で、番組の中身にスポンサー企業が口を挟むことは許されない。いや、まったく許されないわけでもない。でも基本姿勢としては、許さないのだね。メディア企業は、スポンサーの意向に寄って作ってしまうと視聴者から支持されない、信頼されない、という考え方を持っている。スポンサーの意見なんか聞かないぞ、という理念で動いている。だから口を挟めないんだ。・・・でも時々、口を挟まれるし、時々、言うこと聞く。言うこと聞いちゃって圧力かける上司とかは馬鹿にされる。さげすまれる。

そういうとジャーナリズムの話みたいだけど、ドラマもおんなじ。スポンサーに口挟まれないぞ、というのが基本姿勢。例えばクルマメーカーがスポンサー企業の場合、画面に出てくるクルマは基本、そのメーカーのにしてねとかね。それはありだけど、「そのクルマ画面に出すなら、いちばんいいアングルはこう斜め45度でね・・・」なんてことは言えなかった。

だから例え物語と分けた世界にしたとしても、ドラマの設定で、しかも出演者まで出てきてあからさまにCM映像を流すなんて、あり得なかったわけ。

阿部サダヲは花王のクイックルのCMに出演しているので、話がしやすかったのかもしれない。でもそれにしても、何がどうなったらこうなるのかわかんないなあ。

それから、さらにびっくりなのが、『マルモのおきて』の中だけでなく、まったくちがう時間帯でもこのCMが流れたこと。ドラマの時間内だと、まあサービスですわ、って話になってもまあわかる。それが全然ちがう時間に流れるのはもう、どういうルールなの?って感じだ。

ただ、このCMがよくできている。まったく嫌みがない。阿部サダヲと子供たちだから、なのかもしれないけど。成功していると言っていいのかもしれない。

これと似た例がテレビ朝日の番組でもある。土曜日18時半からの『二人の食卓』。毎回、男性タレントが仲の良い女性タレントに料理をつくって感謝するという番組で、ぼくは料理好きなので毎週観ている。パナソニックの一社提供で、IHクッキングヒーターだのを番組の合間に流れるCM枠で紹介している。

これがまた、司会の八嶋智人が登場するCMを流すのだ。ただこちらの方はスタジオで撮影する番組だし、番組のセットをそのまま生かして簡易に撮影しているので、「サービスね」で済む感じがあった。

ところがこないだ山手線に乗っていて驚いた。JRトレインチャンネルという、車内映像で流れる番組の中で、この八嶋智人が出演する『二人の食卓』CMが流れたのだ。テレビ朝日の別の番組や時間帯でというならまだわからないでもないでもない。でもトレインチャンネルってまったく別のメディアじゃんか。いいのかね、テレビ朝日として・・・まあ、いいですよ、ってことで流れてるんだろうけど。

ちょっと前にあるクライアント企業が愚痴っぽく言ってたことがある。「ドラマにスポンサードしてて、うちの商品が出る場面でも、こちらの意見はほとんど聞いてもらえないんですよね。でもあのドラマの制作費は、うちが出してるわけですよね。どうして?って思いますよ」

広告による無料放送には、もともとこの問題は潜んでいたのだ。話題になった本『FREE』で読んだのだけど、ラジオ放送黎明期に、放送の運営を広告費で賄って無料にするのはどうかと言われたら、多くの聴取者が「放送内容が企業寄りになってしまうのではないか」と怖れたそうだ。メディア企業の側は、だからこそ、スポンサー企業から自由でいるよおれたちは、という意気込みだった。お金をもらう相手に媚びたりしないよ、と。でもお金を出す側からすると、忸怩たる思いが残るだろう。制作費も、あいつらの高い給料も、うちの会社の宣伝費だよ、と。

広告と番組は分けて考えてきた。くっきりと線が引かれていた。ぼくは、その境目が薄れていくと思う。薄れていくと、スポンサー企業の言うがままじゃないかあ!とその流れに抵抗するのではなく、広告と番組の境目がなくなったらどんなことになるんだろう。どんな面白いことできるだろう。そう考えていった方がいいのだと思う。

広告と番組をくっきり分けていたのは20世紀の常識にすぎない。分けていたことにはどこか矛盾があったのだ。21世紀の、広告と番組の関係を作り上げればいいんじゃないかな?

えー、毎度お伝えしてますが、Facebookページ「境塾(SAKAIjyuku)」もよろしく。「いいね!」押してってね。

それから「第二回・リアル境塾」を6月26日に開催。今回は人数絞り目で行きます。まずはこの趣旨説明を読んでみて。

原子力とマスメディア、そこからの自由の代償

今朝更新した「原子力とマスメディア、その抱える原罪」の続きを、夕方にまた書くという珍しい展開。前回のを読んでない人は、ここクリックして読んでから戻ってきてね。

さて前回はそのアゴラブックスのセミナーの内容にはほとんどふれずに正力松太郎の話ばかり書いたので、ここでは田原総一朗氏と池田信夫氏の対談にふれていくよ。

田原さんがしきりと言っていたのが、「日本では原発が危険かどうかの議論をほとんどしてこなかった」というもの。原発は安全だ、という前提ができていて、いやそうなの?という見方は避けられてきた。原発という略し方は最近で、戦後当時は「原子力発電」とうやうやしく言っていた。池田氏によれば「原発」という風に「原爆」を想起しやすい略称は反原発派の意図によって80年代以降になって流布したものらしい。

原子力発電を正力松太郎が導入すべく奮闘したのも、日本が世界に遅れないためだった。原爆とちがい、原子力発電は科学の成果であり人類の進歩の象徴だったのだ。そう言えば、鉄腕アトムの動力は原子力だ。だから「アトム」なのだ。明るい未来のヒーローである鉄腕アトムに対してぼくたちは「でも原子力で動くってどうよ?」などと疑問視することはまったくなかった。「♪そ〜ら〜を こ〜えて〜」と素直にすこやかに唄ったものだ。

池田氏はTwitterなどでの言動から原発推進派だと誤解されているが、と本人が言う。池田氏だって原発はもう先がないと感じているという。安くて安全な発電だったはずなのに、安全ではないし、今回の補償などを見るとちっとも安くはない。リスクが高すぎて経済性が見合わないと今回はっきりしてしまったのだと言う。

池田氏が批判するのは、だからと言って感情的に自然エネルギー信奉に流れる風潮。池田氏によれば、自然エネルギーでは経済的にうまくいかない。補助金を政府がどんと出す前提じゃないと事業として成立しないのだと。

いま注目されてるのは天然ガスなのだそうだ。最近、北米で安価な天然ガスが豊富に掘り出されるようになった。自然エネルギーよりも経済効率では、天然ガスだろう。ただその場合、CO2の問題がまた浮上する。原子力は事故さえなければ圧倒的にクリーンなエネルギーだった。天然ガスはまた化石燃料に戻るということで、CO2出すけどどうしようとなってしまう。もっとも鳩山さんの25%宣言はもう白紙になったも同然だろうけどと。

それからもうひとつ、いまの電力事業の地域独占の仕組みを再検討すると、発電と送電の分離という議論になる。分離して発電を自由化するのはひとつの考え方だが、だから料金が安くなるかというと必ずしもそうでもないのだそうだ。むしろ、安定供給に不安が生じる。電力需要が高まったからここは発電ぐいぐいしてくださいと送電側が言っても、発電側が経営上今日はこれ以上タービン回せないんだと言われたらどうしようもない。

アメリカでは一年に延べ3時間程度の停電はある、という前提でみんな生活しているのだそうだ。だから突然電気が止まった時に備えて、工場などでは自家発電設備を持っていたりする。自由化の代償とはそういうものなのだと。

なるほど、そういうことなのか。

地域独占はよろしくない。今回の事故だって東京電力が競争相手もなくあぐらをかいてきたからいけないのだ。それはそうかもしれない。自由化すべきかもしれない。でも自由化ってのは、電力の場合でいうと停電も覚悟しなきゃね、ってことなんだ。別の見方をすると東京電力は地域独占で発電も送電も一括して担っていたから電力供給の全体に責任を持って取り組むことができた。あぐらをかくより、皆さまのために安定供給頑張るぞ、って意気込みでわりとまじめにやってきたんじゃないだろうか。

だから自由化はまずいよね、と言いたいわけではない。ぼくたちには覚悟が必要だ、っていうことだ。

正力松太郎みたいな巨大な怪人物が日本の未来のために奮闘するのを指をくわえてぼーっと見てた。鉄腕アトムの未来には安直に憧れていた。そこにはどんな危険が潜んでいたか、調べようともしていなかった。

なんだ!早く教えろよ、ウソつきめ!原発ってこんなに危なかったんじゃないか!だいたいなんであいつらが独占してたんだ!許すまじ独占!自由化すべし!・・・そうやって大騒ぎして自由化したあと、もし停電が起こったら、そしたらそしたでぼくたちは、誰かを攻撃しちゃうんじゃない?停電するとは何たることか!って。

自由化はいいと思う。自由化すべきだと思う。いままでの仕組みを変えた方がいいと思う。でもその代償を払う覚悟はしないといけない。覚悟なしに自由とかウソつきとか言っちゃいけない。

巨大な怪人、正力松太郎がつくったもうひとつの装置、テレビ局、マスメディア。これも自由化、ではないけど、その既得権の解放は必要だろうし、起こるのかもしれない。でもそれは、ぼくたちがマスメディアの利権のおこぼれで生きてきたことの代償も払うってことだ。

その代償の支払いは、けっこうきついだろう。そうとうしんどいだろう。

その時になって「何事だ!」って怒っても仕方ないんだよなあ・・・・

原子力とマスメディア、その抱える原罪

昨日、6月2日の夜はアゴラブックセミナーってのに行った。田原総一朗の「原子力戦争」という35年前の本がアゴラから電子書籍で出る記念ということで池田信夫氏と田原氏が対談する催し。・・・正直、どうしてこれに申し込んだんだっけ?5000円も払ってまで!って感じ。まあ、6月はヒマだからいろいろセミナー行くぞ、って意気込みだったんだろうなあ。

どうして申し込んだか忘れたくらい、さほど興味なく行ったのだけど(雨もけっこう降ってたし前もってお金払ってなければ行かなかったかもしれん)、行ったら行ったで面白かった。

田原氏はそんな本を出してたほどだし、池田氏もブログで盛んに原発について発言している(そして物議を醸し出してる)くらい取材してきているようで、原発関係の知識は豊富。当然ながら正力松太郎の話も出てくる。

若い皆さんは、それ誰?って感じだろうけど、このブログの読者ならこの機会に知っておこう。正力松太郎は読売グループを今日の姿に押し上げた実業家だ。日本ではじめて民放テレビ局を起ち上げて日本テレビ放送網という会社にしたのも正力松太郎。そして、原子力発電所を日本ではじめて作ったのも正力だ。

だから今日のセミナーでもその名前が挙がったわけ。最近見つかった資料から、正力はCIAのエージェントだったという、映画みたいな嘘っぽい、でも本当だったらしい事実もわかっている。つまり、正力がテレビ局と原発を興したのはアメリカの意図が背景にあったと。日本テレビの社名が「放送網」と「網」がついているのは、テレビ局だけでなく電話やファックスも含めた放送と通信を融合させた情報”網”を作ろうとしていたからだという。それをスパイ活動の情報収集ツールにしたかったってことね。

日本を反共の砦にしたかったアメリカと正力の意気投合があった。なぜなら正力は元々警察官僚で、徹底的な反共産主義の意識があった。

佐野眞一というノンフィクション作家が書いた『巨怪伝』という本がある。これが正力の人生を徹底的に取材して書いたもので、素晴らしくよくできている。日本の昭和史としても読める興味深い本だ。メディアについて考えたい人なら読んでおくといいと思うよ。分厚いけど。時間かかるけど。

巨怪伝〈上〉—正力松太郎と影武者たちの一世紀 (文春文庫)
クリエーター情報なし
文藝春秋
巨怪伝〈下〉—正力松太郎と影武者たちの一世紀 (文春文庫)
クリエーター情報なし
文藝春秋

ぼくは昔ハードカバーで読んだけど、文庫本で上下巻に分かれて出てるのね。上巻1100円、下巻900円って元々いかに分厚い本だったかわかるよね。

20年近く前に書かれたもので(1994年だって)古いようでまったく内容は古びていないはず。とにかく面白いのは佐野さんの手によるものだからだけど、それ以上に正力の人生が面白すぎるから。CIAとか原発とかいうと陰謀だらけみたいだけど、タイトル通り巨大な怪人物の不思議な生き様の物語だ。

東大を出て警察官僚になったがある事件の責任をとって辞職。ここでなぜか後藤新平が登場し、当時はあまたの新聞社のひとつだった読売新聞社を正力に託す。数万部の新聞社をあの手この手で成長させ、あっという間に大新聞に育て上げる。あの手この手のひとつが、読売巨人軍の創設だ。日本にプロ野球リーグができる前に巨人軍は誕生している。なんと、アメリカ野球と戦うためだ。だから巨人”軍”なわけ。巨人軍がアメリカ野球と戦う姿を新聞でレポートし大いに拡販に役立ったと。

野球でアメリカと戦うチームを作ってそれを新聞拡大に役立たせる。すごい発想でしょ?そういう人なの。

そんな勢いで新聞と野球とテレビ局と原発と遊園地とプロレスとサッカーと・・・ぜーんぶ起ち上げた。まさしく”巨怪”だ。

そんな巨大な怪人がはじめたのがテレビ局と原子力発電所なんだね。CIAの意図があったとは言え、正力としては日本の今後に必ず役に立つという思いで起ち上げたんだろう。

だから原子力とテレビ局は同じように戦後の発展への意図が込められており、だからこそ同じ”原罪”を背負っているとも言える。日本の高度成長に両方とも大いに役立ったのだ。ぼくたちがいま、いかに原発を疑問視し、一方でテレビ局を”マスゴミ”などとくさしたとしても、ぼくたちが原発とテレビ局の恩恵にどっぷり浸って生きてきたのはまちがいない。生きてきただけでなく、その二つがもたらす享楽に浮かれて楽しんできたのだ。

ぼくたちはあらゆる電気製品の利便性に囲まれて生きてきたし、どうでもいいタレントばっか出てるぜとけなしながら一日数時間もテレビをつけて生活してきた。

原発が抱えてきた”原罪”は、ぼくたちもまちがいなく共有してきたのだ。

ここまですでに長くなっちゃった。まだまだ話は終わらないしセミナーの内容にもふれてないので、続きはすぐ書く、明日書くよ・・・

ちなみに「巨怪伝」についてはこの松岡正剛氏のブログをざざっと読めばだいたいわかるよ。

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「第一回・リアル境塾」セルフレビューおまけ「毎日つくるブランチ」

なんかセルフレビュー3がそこそこバズったみたいなので(佐々木さんがつぶやいたからだけど)気を良くして「おまけ」を書こう。

会場であるいはUstで見た人はいきなり料理の話が出てきて、何やってんの?って思ったかもしれない。

ぼくは最近ヒマさえあればFacebook開いてるんだけど、お昼過ぎに毎日「今日の(夫が作った)ブランチ」という投稿が登場する。佐々木さんの奥様、松尾たいこさんのFacebookページのコンテンツなのだ。

松尾たいこさんはいま超がつく売れっ子イラストレイターで、少し前のNHK「トップランナー」にも出演していた。本の装丁のお仕事も多く、例えば横山秀夫の「クライマーズハイ」のカバーイラストも松尾さんの手によるもの。もう終わっちゃったけどこないだ銀座で個展もやっていた。

松尾さんの絵はとっても個性的で、ちょっと真似できないと思う。くっきりとしたフォルムで絵を構成していき、色使いがまた独特の淡い感じで、面白い。風景だけだろうと思ってたら個展では人物が出てくる作品もあって面白かった。

興味がある人は「松尾たいこブログ」を読むといいよ。

あと、Facebookユーザーなら「松尾たいこファンページ」を「いいね!」すべきだね。(http://www.facebook.com/taikomatsuo)

話を戻すと、その「松尾たいこファンページ」から毎日、その日の食事の写真が投稿される。それを毎日作っているのは佐々木俊尚さんなわけ。ブランチを毎日、そして晩ご飯もけっこうな割合で作っている。

これがぼくは不思議で仕方なかった。佐々木さんが毎朝こってりキュレーションTweetを飛ばしているのはみんな知ってるでしょ?だいたい朝8時台だと思う。前にご本人から聞いていたのは、そのあと毎日ジムに行くこと。そいで毎日ブランチ作って奥さんと食べている。

料理ってけっこう大変でね。ぼくは土日どっちか毎週料理を作るのだけど、その日は午後イチから頭の中は大騒ぎ。んーと何作ろう、あれにしようかこれにしようか。よし、桜海老のかき揚げにしよう!桜海老を買いに行ってレシピはどこに載ってたかなみそ汁も作ろうかなそうだ野菜も揚げよう野菜は何にしようか・・・そんな感じで、もう料理のことで頭がいっぱいになっちゃう。他のことなんかできやしない。

なのに佐々木さんはキュレーションやってジム行って、その上ブランチを作っている。美人の売れっ子イラストレイターの奥さんに「今日もおいしかったわ♡」などと言われている(想像)。

そんな時間が午前中にあるの?どんだけ濃厚な時間の使い方なの?そんな中で、ぼくが日曜日の午後いっぱいつぶして作るような料理を作っちゃえるの?

それだけ午前中にやったあと、午後に原稿を書くのだそうだ。なんとストイックなんだ。ぼくには真似できそうにない。

という、ややどうでもいい内容の「おまけ」でした。すんまそん。

さて、そんなこんなで無事終了した「第一回・リアル境塾」。当然ながら、第二回、第三回と続いていくよ。

第二回は、6月下旬に早速開催。ただし、この第二回はゲストをお招きしたりはしない。人数も絞っちゃうつもり。その上で、わりと「議論する参加する」場にしてみたい。

第三回は、またゲストをお招きし、第一回同様の感じで開催したい。7月の後半のどっかね。7月の後半というと、2011年の7月というと、何か思い出しませんか?そう!地デジ完成が7月24日だよ!と言うより、アナログ停波が7月後半だ。

実はぼくは、2000年代前半からこの、アナログ停波の日を意識してきた。どうやらその日を境にメディアコンテンツ界の様相が大きく変わるようだぞ。備えねば、考えねば。このブログも、そんな危機感と想いで書きはじめたんだ。

だから今年の7月はエポックメイキングなはずだ。そんな時に「第三回・リアル境塾」を開催するとは。これはちょっと、頑張らねば。ゲストもそれにふさわしい方をお招きせねば・・・って実はもうご出演をお願いし、快諾をいただいたんだよねー。どなたに?それはまだ、教えてあげなーい。

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「第一回・リアル境塾」セルフレビュー4「垂直統合のおしまい」

「第一回・リアル境塾」の自分レビューを書いてきたけど、一週間過ぎちゃったしそろそろ終わりにしないとね。

もっとも、話は尽きないのだけれど。セルフレビューに書いてきた流れで言うと、結論として出てくるのは「メディアコンテンツ業界で、垂直統合の時代はおしまいだね」ということになるのかも。

どうしてマスメディアがビジネスとして難しくなるかと言うと、垂直統合だからだ。成長期は、つまり20世紀は垂直統合だからこそ伸びてきた、発展してきた。

テレビ局で言うと、番組制作の部分と電波でそれを送り届ける部分と、一緒にやって来たからよかった。でもこれからはそれだと逆にしんどいね、ということ。アメリカは70年代にそこ、分離したんだよね。

制作と配信を分けると、テレビ局として残るのは配信の方だね。制作は、あまたの制作会社と対等に並ぶ立場になる。制作と配信はだから、別の会社になるだろう。TBSはすでにそうなってる。でも同じHDにぶら下がるグループになってるのがかえって中途半端なのかもしれない。

話は戻るけど、そういう垂直統合が崩れると出てくるのが、モジュール型。プラットフォームとモジュール、というセルフレビュー1の話に戻るわけ。テレビ放送で言うと、配信がプラットフォームで制作はモジュールのひとつになるよ、ということ。

これまで垂直統合だった。だからメディア企業=コンテンツ企業だった。テレビ放送があるから、番組制作があった。新聞メディアがあるから編集者や記者が記事を作った。でもよーく考えたらそこ、分けて考えてもよかった。本質的には別もんだった。でもこれまでは新聞記事ができたら新聞に載せるに決まってたから、一緒でよかった。

インターネットが”メディア”と少しちがうのは、そこんとこ崩しちゃったこと。何でも乗っかる。だから、新聞記事は新聞にもネットにも載るようになった。テレビ番組はテレビ放送にものっかるけどインターネットで流すことも可能(理論上)。そんなこんなで、あれ?ってことになった。テレビ番組ってテレビ放送で流すに決まってる・・・とも言えないよね・・・となってきた。だったら分けて考えた方がいいの?←イマココ、という状態。

「いいの?」がイマココなので、もんのすごい過渡期だってことだね。たぶん5〜10年ぐらいかけて「いいの?」が「いいの!」になっていくんだろう。

前回、テキスト以外でポートフォリオは成立するの?ってとこで終わっちゃったけど、その5〜10年ぐらいの間に「成立するの!」になっていくのだと思う。インターネットがコンテンツを無料にした、のではない。インターネットがコンテンツを無料にした時代を経て、有料もありだね、になっていく。絶対そうなる。なぜならばぼくたちはコンテンツが必要だからだ。必要なものには必ず経済価値がひっついてくるからだ。

ただ、時間がかかるし、ぼくたちがそれまで持ちこたえられるの?ってのはある。10年経ったら、日本人が楽しむコンテンツの7割はハリウッドか中国産だ、なんて可能性も十分にあるだろう。

・・・「リアル境塾」のレビューからずいぶん外れちゃったね。なはは・・・

さて、このレビューとは別に、「第一回・リアル境塾」では反省点や、もっとこうしてみようか、って部分がいっぱいある。決して進行が抜群によかったとは言わない。何しろぼくが緊張した上に、佐々木さんリスペクトが出過ぎた感はある。用意したスライドと時間を気にしまくっちゃって、結果的にはグッドな進行とは言えなかった。そこは猛省。

一方で、もうちょっと参加感あるやり方、あるよなあ、と感じた。質疑応答が短かったね、とも思ったし、全編質疑応答でもいいのかもしれない、とも思った。

今後のやり方とか、そもそもの境塾の理念とか、これからFBページも使ってみんなにも伝えていくので、要チェックだぜ。非常に重要なことに気づいたのだけど、Facebookで漢字で「境塾」と検索しても出てこない。ローマ字で登録してあるわけなので、「SAKAIjyuku」で検索してみて。というか、このリンクをクリックすればいいのだけどね。せっかくだから、「いいね!」ボタン押してってね!

「第一回・リアル境塾」セルフレビュー3「ポートフォリオで生きていく」

一週間前の「リアル境塾」のセルフレビュー3回目。もう一週間経ったんだなー。ホントはこのレビュー、この一週間毎日書こうと思ってはじめたんだけど、ちょっとそうはいかなかった。

でもその分、第一回の反省や、今後どうしていくかを仲間たちと話しあったりした。その結果はもうすぐ発表するので、ちょっと待っててね。

さて佐々木さんとのお話のつづきだ。ミドルメディアはビジネスとしてどう成立させられるか。前もって書いてもらった質問の中で、ある方のものをとりあげた。「ミドルメディアでは広告費ではなくて課金モデルになっていくのか」というような質問。

これに対し佐々木さんは「広告費による収入を否定することもないと思う。ポートフォリオじゃないでしょうか」と言っていた。

ポートフォリオってのは「分散投資」って意味なんだけど、この場合は「分散収入」と受け取ればいいのだろう。これについては、佐々木さんがこないだ食事した時に言ってたことがわかりやすい事例かもしれない。いま、佐々木さんの収入源は、本の出版とメールマガジン、そして講演依頼の3つが軸なのだそうだ。

これを解析すると、ミドルメディアのビジネス化が少し見えてくる。セルフレビュー1でとりあげたプラットフォームとモジュール論も組み合わせるとわかりやすい。

つまり佐々木さんはいま、書籍出版、メールマガジン、講演の3つをポートフォリオ的に組み合わせて収入源としている。書籍出版というプラットフォーム上で「ジャーナリスト・佐々木俊尚」というモジュールが活動している。他も同じ。

さて佐々木俊尚が書籍出版上で対象とする人数は何人でしょう。「キュレーションの時代」は最初の一か月で4万5千部売れた、という記事を読んだことがある。書籍出版上では5万人ぐらいということだろう。

メールマガジンはおそらく、数百部から1千部ぐらいではないだろうか。講演は一度に多くても数百人だろう。

こうしてみると、”佐々木俊尚”モジュールが各プラットフォームで対象としているのは数千から数万人なのだ。ミドルメディアの定義で出てきた人数と近いでしょ?”佐々木俊尚”自体がミドルメディアなのだと言える。そしてそれぐらいの対象人数で十分に”メディア”として機能している。

すごいヒントにならないかな?

ぼくは佐々木俊尚さんをリスペクトしまくってるけど、80歳のぼくの母親はまったく知らないだろう。東京でメディア界で働いてる人だって知らない人はまだまだ多いだろうし、名前は知ってるけど文章や本を読んだことはない、って人もいっぱいいる。でも”佐々木俊尚”というミドルメディアはビジネスとして十分成立しているのだ。

数万人だけを対象にしても、ビジネスが成立している。これまでの”メディア”の感覚からするとあり得なかったことだ。

ただし、”佐々木俊尚”というメディアビジネスで支えられるのは佐々木さんひとりなのかもしれない。この点も佐々木さんは何度も言ってたところだ。「これからのメディアは儲かりはしない。けど一人くらいなら食っていけますよ」それは何より、佐々木さん自身のことを背景に語っていたのだと思う。

ただし、一点気をつけないといけないのは、佐々木さんの表現形態はテキストだということだ。メールマガジンはネット時代に珍しく”お金を払うことにさほど抵抗がないコンテンツ事業”なのだ。しかも仕入原価はゼロ。使うのは脳みそだけだし、人手も書く人たった一人でいい。

現状、ビジネスとして成立させやすいテキストコンテンツだからいいのだ。でもテキスト以外は、成立しにくい。動画なんか全然無理だ。

とは言え、”いまのところ”だけどね。これから変わってくるとぼくは思う。テキスト以外のコンテンツにお金を払う習慣がこれからでてくると思うよ。

てなところで、今日はおしまい。セルフレビューはあと一回だけ書こうかな・・・

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「第一回・リアル境塾」セルフレビュー2「マスのビジネスは成立しない?」

前回に続いて、「第一回・リアル境塾」の続きを書くよ。

ミドルメディアの定義から入って、その周辺の言葉を挙げてみた。前々から佐々木さんに確かめてみたかったの。

ずいぶん前に聞いた講演で「スワンプ」という言葉を使っていた。「湿地・沼地」のような意味。それから『キュレーションの時代』の中では「ビオトープ」という言葉も使っていたでしょ。「生物生息空間」と訳される。

これらはね、いずれも、生き物たちがひっそり生きてる場所、っていうイメージがあるでしょ?

この2つの言葉とミドルメディアは、何がどうなの?と聞いてみた。

佐々木さん曰く「メディアという言葉はどうしても上から目線で捉えた感じになってしまう。もっとその場所にいる側からの言葉として使ってみた」のだと。

ふーん、なるほど。それで「生き物」の言葉になってるんだな。

つまりね、上からじゃなくそこにいる側から、だから生き物の言葉。でも、マスメディアみたいにどどーんといっぱい生き物がいるんじゃなく、それぞれの分野ごとにひっそりいるから、湿地とか生息空間とか、そういう意味の言葉を使った、ってことみたいだ。なるほどねー。

鉄道マニアには鉄道マニアが生きている「スワンプ」がある。ドールハウス好きにはドールハウス好きなりの「ビオトープ」がある。そういうこと。そして彼ら向けのメディアが成立したら、「ミドルメディア」だということになるんだろう。

それから、ミドルメディアとビジネス、のような話になった。ここで佐々木さんが力強く言う。「もうマスメディアはビジネスとして成立しないじゃないですか」

こういうことを断言するのが佐々木さんの強さであり、多くの人を惹きつけるところなんだろうなあ。言いにくいことをズバッと言う。前にリストラブログで話題になった”たぬきち”さんが佐々木さんのことを”剣豪”と表現していたけど、まさしく!

ただ、「マスメディアは成立しない」と言い切ることは、佐々木さんなりのパフォーマンス、とも言えない状況だ。少し前に「もはや、問題は生き延び方になってきた」のタイトルで書いたように、ホントにビジネス的に危ういのが2011年だ。少なくとも、いまの規模は成立しなくなるだろう。

いまの規模というのは、各分野のマスメディア企業と、そこから連なる制作会社などが、現状の会社の数とか、働く人の数とかを、支えられなくなってしまう、ということだ。ぼくがこのブログを書きはじめたのも、境塾でみんなで学ぼうと考えたのも、その荒波をどう乗り切るかを模索するためだ。そこんとこ、今年はいよいよホンキで考えないわけにはいかなくなった。

テレビや新聞や出版社が、いきなりすべて無くなってしまうわけではない。そんなはずはないけど、いまの数は支えられなくなる。そこはもう、秒読みと言っていいんじゃないかな。

などとあらためて危機感をあおりながら、さらに続くよ・・・

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