sakaiosamu のすべての投稿

sakaiosamu について

コピーライター→映像製作会社ロボット→広告代理店ビデオプロモーション→再びコピーライター(フリーランス)。 メディアとコンテンツの未来を切り拓くコミュニケーションをデザインします。講演・執筆依頼もお気軽に!

24日「アナログ停波まつり」に向けて~テレビ番組のビジネス構造が変わる?~

ぼくの初著作であり、このブログ「クリエイティブビジネス論」をもとに書いた本が、いよいよこの土曜日には書店に並ぶ。

アマゾンにももう出ている。このブログの読者のあなたなら、ここで迷わずオーダーするしかなかろう、ふっふっふ。

さて一方で、第三回リアル境塾も迫ってきたね。アナログ停波と同じ7月24日だよ。何度も書いているように、『スマートテレビで何が変わるか』の山崎秀夫さんと『ネットテレビの衝撃』の志村一隆さんをゲストにお招きし、「アナログ停波まつり」と題した催し。できるだけみんなにも「参加」してもらえるようにするし、今回もデジタルハリウッド大学院の荻野教授のご協力でUstream配信もあるから、会場に来れなくても見ることができる。

次の連休までは申し込み可能なので、このページの案内を読んで、下の方から申し込みフォームをクリックしてください。

さてその催しの準備運動として、テレビは誰のものかについて前回語った。アメリカでは70年にできたフィンシンルールで、テレビ局ではなく番組制作者のものになったと書いた。

これは一見すると、誰でも番組を作れる自由の国アメリカらしい施策に思える。でも実際にはハリウッドのスタジオが、番組の権利を自分たちのものにするために強引に作った法律だということらしい。実際、『ツインピークス』『ER緊急救命室』の時代から、『24』『LOST』の最近まで、ドラマ製作者と映画製作者は重複している。

テレビ放送と、番組制作はよーく考えると分割可能なものだった。

テレビ放送は、番組を調達し、その番組の視聴者数や番組の内容に添った企業からCM放送を請け負えばいい。ものすごく大ざっぱに言えば、30分の番組の放送権を1000万円払って獲得し、それを放送する際にCM枠を企業に1500万円で売れば500万円儲かる。

一方番組制作者は、2000万円かけて制作した30分番組を、最初の放送権料を1000万円で売り、次の放送権料を500万円で売り、DVDになったら1000万円が手に入るようになればいい。そうすれば500万円儲かる。

アメリカでは、フィンシン法で放送と制作を分けた。日本でも事業として分けるかはわからないけど、同じような考え方にシフトしていくだろう。制作と放送を分けないと、最初の放送で入るお金で制作費を賄おうとしてしまう。すると、制作費に限界が出てくる。そこへ来て広告費の縮小でどんどん厳しくなり、番組制作ができなくなりかねないのだ。

そういう大きな変化が起こるだろうね。このことと地デジ化は実は直接関係ないけど、大きなきっかけになりそうだ。デジタル化完成したし、いままでと考え方変えるべき?そんな空気になっていく。

意外に加速しちゃうんじゃないかなあ・・・

24日「アナログ停波まつり」に向けて~テレビ番組は誰のもの?~

24日のリアル境塾「アナログ停波まつり」はまだまだお席に余裕があるよ。

このページの案内を読んで、下の方から申し込みフォームをクリックしてください。

さてその「アナログ停波まつり」に向けてまた頭の準備運動をしておこうね。

みなさん、テレビ番組って誰のものだと思う?

もちろんまずは視聴者のものだ、という優等生な答えがあるね。これについては誰も否定も反論もしないだろう。もちろんそうです、お客様は神様です、と。

視聴者のことは置いといて、もう一度聞きます、テレビ番組は誰のもの?

そりゃあ決まってるよ、テレビ番組はテレビ局のものだろう。はいそうですね、そうに決まってますよね・・・と納得していると、いろーんな人たちがちょっと待った!と手を上げているよ。

番組はテレビ局だけで制作するものではない。番組にもよるけど、多かれ少なかれ番組制作会社がからむ。実際の制作の現場はほとんど制作会社がやっている場合もかなり多い。だから、番組制作会社の人たちは「テレビ番組は制作会社のものです!」と言いたいだろう。実際にそういう主張がけっこう出てきているんだ。

一方、番組に提供しているスポンサー。彼らは実質的に番組の制作費を負担していると言える。そうすると、「提供している私たちのものではないんですか?」と言ってくるかもしれない。

いやいやいや!ちょっと待ってくださいよ。と、タレントさんや役者さんが手を上げる。この番組はうちのタレント○○○あってのものでしょう。そうすると、この番組はうちの事務所のものじゃないんですか?

ことほどさように、テレビ番組の主体性はよくわからない。

現状は、「テレビ局のもの」というのが主流の解釈だ。テレビ局のコケンにかけてその主体性を守ってきた。でも一方で、著作権とか、著作隣接権とか、著作者人格権とか、いまの著作権法からすると、多様な権利が成り立つ。

だからテレビ番組は誰のものか、という問いかけには、一義的にテレビ局のものだと答えつつ、ちょっと待った!を言い出したら切りがない。答えがよくわからなくなる。

テレビ番組は誰のものかが問われるようになったのは、二次使用ができるようになったからだ。テレビ放送が始まった頃は、一回放送したらそれでおしまい。だったから、誰のものかが問われることはなかった。

これは日本では、って話。

アメリカはちがうんだってさ。70年代あたりから、すでに番組の二次使用があったし、それにあたって番組は誰のものかをはっきりさせてきた。なんと、テレビ局のものじゃないんだ。番組制作者のものなんだ。

そういう法律、フィンシンルールを70年につくったのだ。つくったのは議会だけど、どう見てもハリウッドの差し金なんだな。この法律によって、キー局が流す番組の権利は製作者のものです、ってことになった。ものすごく強引なことを法律で強引に決めたのだ。

ここには、日米のテレビと映画の成り立ちや企業文化がちがっている、という背景がある。

って話は、つづきがいっぱいあるんだけど、また書くからね。もちろん、24日のリアル境塾でもこのあたりの話はでるんじゃないかな。ほら、やっぱり、行かなきゃね!

もう一回書くけど、このリンクのページから申し込んでね!待ってるよん!

刷り上がったぞ!『テレビは生き残れるのか』16日発売!

こないだからお伝えしているぼくの初めての著作『テレビは生き残れるのか 映像メディアは新しい地平へ向かう』が刷り上がったというので、編集担当の@chibama氏が会社に持ってきてくれた。

ぼくはこれまで、ポスターを作ったりパンフレットを作ったりCMを作ったりしてきた。思い返せば初めてコピーライターとして仕事をして店頭に置く小さなパンフが刷り上がったのを見た時は感動したもんだ。でもそのあとは、いちいちでき上がるたんびに感動したりはしなかった。慣れたんだね。

でもこの本が刷り上がった感動は、最初の仕事同様、いやそれ以上の感動だ。だって、ぼくの名前が入ってるんだぜ!

・・・そして、帯を見ると、おっ!って思わない?そう、佐々木俊尚さんに推薦文を書いていただいたのだ!

それはいいんだけど、佐々木さんの名前がえらく大きくない?・・・うーん・・・まあ、実は入稿直前でこうなったのね。出版社的には佐々木さんの推薦をせっかくもらったのだからそれで売ろうということなんだろう。でもさあ、いまひとーつ情けないような。けどこれで少しでも売れるならやっぱりうれしいような・・・ビミョーな気分ね・・・

まあそれにしても、「テレビは生き残れるのか」というタイトルと言い、砂嵐の装丁と言い、そして佐々木さんの推薦文の「テレビの栄華は終わり・・・」というフレーズと言い、過激だなあ。実際の内容は、メディア界を愛しているからこそ危機感を訴えている内容なんだけどね。

発売は7月16日。来週土曜日には店頭に並んでいるはず。もちろん、7月24日のアナログ停波を意識してのタイミング。

そしてこの発売の勢いで、24日の第三回リアル境塾「アナログ停波まつり」になだれ込むからね。ゲストでお招きしている志村一隆さん、山崎秀夫さんにも告知をお願いしたら、志村さんは何度もつぶやいてくれたし、山崎さんはブログで書いてくれた。

なんか、盛り上がってきたなあ!

ということで、第三回リアル境塾「アナログ停波まつり」に参加希望の方は、このリンクから案内ページに行ってみよう。ページの下の方にあるフォームから申し込んでくださいね!

第三回リアル境塾「アナログ停波まつり」の予習をしよう

昨日も書いたように、7月24日に第三回リアル境塾を「アナログ停波まつり」と題して開催するよ。今回はゲストをお二人もお招きするというぜいたくな催し。山崎秀夫さんは野村総研で新しいメディアについて多様に研究されている方。著作は多数で、最新作『スマートテレビで何が変わるか』については4月にこのブログでもとりあげたばかりだ。もうおひとかたの志村一隆さんは情報通信総研で主にテレビについて研究されている。『ネットテレビの衝撃』は去年11月にでてやはりブログでもとりあげた。

アナログ停波の日に、テレビの最新事情に強いお二人をお招きするので、「アナログ停波まつり」という悪乗りなタイトルをつけてみた。

さてしかし、このアナログ停波とはどんな意味があるのだろう。

まずどうして地デジ化をすることになってしまったか。これについてはブロガーズネットワーク翼にmugendaiさんが詳細に書かれているので読んでみるといいよ。

簡単に言うと、アメリカが日本のハイビジョンの技術にビビっちゃって、それがアナログだったので、いやいやこれからはデジタルだよ、という次世代テレビのイニシアチブ競争みたいなことがはじまりらしい。そしてなぜか日本は、アナログでの高精細テレビ=ハイビジョンを捨てちゃったんだよね。

そのあたりは置いとくと、とにかく次世代テレビはデジタルだし、そうすると電波も効率的に使えるね、ってんでいつの間にやら世界的に「時代はデジタル、これはもう規定路線ね」ってことになっちゃった。

デジタルにすると電波が効率的に使えるのは確かにそう。これだけケータイが増えてきて重要になると、電波を効率的に使うことはすごく大事かもしれない。でも、実は地デジ化完成後にあいた電波をどう使うかは、はっきりしていないらしい。鳴り物入りのマルチメディア放送に使われるのはひとつあるけど、それ以外はもやもやしてるんだって。

そうした電波行政、電波利権的なところも興味深いのだけれど、クリエイティブビジネス論として気になるのは、メディアコンテンツ業界にどんな影響が出るのか。これがまたもやもや、もこもこしていてはじまるまでわからないことが多すぎる。

一部の声として、地デジ対応機器が普及しきれないんじゃないかという危惧がある。去年12月時点で、地デジ化に対応済みの世帯は94.5%だったという。ところがこの数字には80歳以上の高齢者世帯は入っていないぞどうなんだ、とクレームをつける人がいる。どうやらホントにそうらしい。

それから、94.5%は全国平均で、東日本大震災で被災した東北三県は90〜95%だという数字がでている。その三県は、被災して地デジ化が進められないよというので、特別に延期措置がとられた。でも東北三県で90%ってとこがあるなら、他の地方でも90%ってとこはいっぱいあるんじゃないか。都市部だけ進んでいて地方では進んでいないということは容易に想像できる。

そして、その94.5%が、半年で100%になるなんて到底ありえないだろう。そうすると、1%とか2%とか、地デジ化できない世帯が出てくる。そうすると、視聴率にマイナスの影響をもたらすのではないか。とも思えるし、一方で、地デジ化に対応しない世帯はもともとテレビをさほど見ていない世帯なのだろう、だったら視聴率に影響は出ないんだよ、という見方もあるだろう。

もう一点。視聴率は調査世帯にテレビが複数ある場合、ちゃんとそれぞれカウントしている。リビングのメインのテレビで何が視聴されているかだけでなく、17歳長男の部屋に置いてある14インチのテレビで夜中にこっそりあらびき団とか見ていても、夫婦の寝室で昼間に奥さんがワイドショー見ていても、ちゃんとカウントされるわけ。

そしてそういう2台目3台目のテレビは、「あんまり見ないから地デジ化しなくていいんでない?」となっちゃう可能性はかなり高い。すると、そういう、夜中とか昼間とか、そういう薄い時間帯の番組の視聴率は大きくマイナスになるんじゃないか、という説も出てくる。そしてこれについても、もともと3%とか4%とかのレベルの視聴率だから大きな影響は出ない、という見方も成立するわけだ。

とにかくそれぐらい、アナログ停波後はわからない、見えていない。ただとにかく、ゴールデンの時間帯の番組を首都圏の人が見る視聴率はあまり大きな変動はないだろう。地方の人とか、夜中とか、周縁のテレビ視聴ががくんと下がるはずだ。それが全体にどれくらい影響するのか、ということだと思う。

アナログ停波にはいろーんな意味と意義があるので、24日当日までに少しずつ語っていこうと思う。

さてその第三回リアル境塾。お申し込みはこのリンクから「第三回リアル境塾のご案内」に飛ぶので、いちばん最後の「フォーム」から申し込んでください。昨日、ある方から指摘があって、Facebookアカウントもってないと見れなかったのを修正したので、誰でもこのページは見れるようになりました。よろしくねー

7月24日:第三回リアル境塾はゲストお二人で「アナログ停波まつり」!

今日はまた、イベントのお知らせです。

7月24日に、第三回リアル境塾をやることになりました。

今回はまた第一回と同じように、ゲストをお招きして100人規模でやりたいと思ってます。

で、今回ゲストでお招きするのは、山崎秀夫さんと志村一隆さん。

お二方とも、テレビのこれからについて著作をお持ちの方々だ。

山崎秀夫さんの著作については、今年4月に「明日に向かって走れ!〜『スマートテレビで何が変わるか』」と題した記事を書いている。

それから志村さんの『ネットテレビの衝撃』については、去年の11月に「AppleTVはこれから起こることのひとつに過ぎない」というタイトルで記事を書いた。

そしてぼくも『テレビは生き残れるのか 映像メディアは新しい地平へ向かう』という初の著作を7月に出す。

ということで、日本のテレビ最新事情研究の双璧と言っていいお二方に、テレビの未来像についていろいろお聞きしようと言うのが今回の境塾だ。それから、ただ三人で喋るだけでなく、会場やTwitterでの意見や質問もどんどん取り上げて、インタラクティブな催しにしたいと思っている。

そいでね、これはあとで気づいたんだけど、たまたま日にちを24日に決めたら、ちょうどこの日はアナログ停波の日だったんだね。そこで、「アナログ停波まつり」という悪乗りなタイトルをつけてみた。

アナログ停波がどういう影響をもたらすのか、なかなか見えないけれど、悪い影響も出てきそう。それを暗ーく受けとめずに、幕末の”ええじゃないか”みたいにみんなで騒いで見つめていこう、という気持ち。

お申し込みは、Facebookページ上から。河合くんがご案内ページを作ってくれてると思うので、いちばん下の申し込みフォームに記入してください。楽しみだね!

どんどん便利になると、なんだか不便になる

ここんとこの話題と関係ない、脈絡のないことを今日は書くね。

会社を変わったので、定期も変わった。今度の会社は、定期を会社で買ってから渡してくれる。定期代分を現金で渡すと、その分課税所得が増える可能性があるから、なのだそうだ。

そこで、もらった定期を払い戻したりしてSuicaで使うなど、みんな工夫するそうだ。ぼくも同じことをやろうと思った。

ぼくはケータイでSuicaを使っている。おサイフケータイってやつ。

これは便利なんだよ!ケータイ上でアプリ操作すれば定期が買える。クレジットカードを登録しておけば、Suicaの残高が少なくなってもアプリの操作でチャージもできる。

ぼくはモバイルSuicaを使いはじめてから、お金の持ち方がまったく変わった。現金を銀行から引き出す頻度がものすごく少なくなり、小金を使う買い物はほとんどSuicaになった。Edyも併用しているから、どっちかを使える店はどんどん増えている。現金をサイフから出すのは、飲み代を割り勘で払う時くらいじゃないかな?

もちろん、Suica本来の使い方も便利だ。定期で通う路線に乗り、途中からもっと遠くまで行っても、降りる時に勝手に精算してくれる。首都圏を動き回る分には、切符を買う手間がまったくなくなった。

おサイフケータイはホントに便利・・・だったのだけど、ここで大きな問題点が出てきた。

今度の会社は、私鉄→JR→地下鉄、という路線になる。そういう買い方は、Suicaではできないのだ。発駅か着駅のどちらかがJRじゃないと、Suicaの定期は購入できない。ケータイアプリでそう表示された時はショックだった。

えーっと、会社にもらった定期は地下鉄で買ったものだから、私鉄地下鉄連合のICカード、パスモならいいんじゃない?ってことで、ケータイ上でパスモを探すんだけど、・・・あれ?ないの?んなの、困るんだけど・・・Twitterで思わず質問したら「モバイルSuicaでだいたいのことはできるからモバイルパスモはないんですよ」と教わった。

そうなのだろう。だいたいのことはできるんだろう。でもね。ぼくに必要なことはできないの・・・

仕方ない。諦めて、ケータイではなくICカードのパスモを手に入れるか・・・

ところで、ぼくはDoCoMoのケータイとiPhoneの2台持ち状態だ。そうなった最大の理由がおサイフケータイだった。ケータイは定期券であり電話として使う。iPhoneは電話以外の機能をフルに使う。

ぼくがポケットに入れて持ち歩くのは、だから2台の携帯機器と、サイフだ。この3つをそれぞれ別々のポケットに入れて通勤する。夏になるにつれ、わずらわしくなってきた。サイフはカバンに入れて持ち歩いたりしていた。

でも、パスモというカードを定期として使うことになったので、それはサイフに入れる。すると、サイフはパッと出しやすいようにポケットに入れる。電話はケータイにかかってくる。iPhoneでTwitterを見る。

なんかおかしいなあ。

全部まとまってもおかしくないはずだ。スマートフォン1台で済むはずだ。理論的にはそうなんだけどなあ・・・

便利になると、不便になるじゃないか。

おかしいなあ!と苛立ちながら、サイフとケータイとiPhoneをポケットに入れて、スーツで汗だくになりながら会社と家を往復する。それがIT時代というものなんだろうなあ。合理的な製品に囲まれて不合理な状態になってしまっている。アホちゃう?・・・

なんて話とは関係なく、Facebookの境塾ものぞいてみて。「SAKAIjyuku」で検索するか、いっそ、ここをクリック!この土日で、第三回境塾についての重大発表があるぞ!

また少しちがうsakaiosamuになるのでありんす

えー、私、境は2011年6月30日をもってロボットを退職しました。

2006年4月に経営企画室長として入社して以来5年間お世話になりましたが、また次のステップへ進むべく、辞めることにした次第です。

実は2006年に社員になる前の一年間、自分の会社OS zeroとしてコピーライター業をやりつつロボットにデスクを置かせてもらっていたのです。言わば、居候していた。その期間も合わせると、6年間ロボットにいたことになるわけで。

最初に入った代理店も6年間いて辞めたので、同じくらい長くいた会社ですね。というか、「会社に所属してました」というのはこの2つだけなんだな。

それにロボットでは制作の現場は直接的には離れて管理部門がほとんどだったので、すごく自分の人生の中で大きな6年間だった。人間的にも成長した、はず(笑。

そして7月1日からは株式会社ビデオプロモーションの境になります。

ビデオプロモーションは広告代理店です。でも少し変わってます。独特なスタイルでやって来た会社で、歴史も古く創業50年以上。

創業者は藤田潔氏。テレビ創世記から活躍してきた伝説の人です。鉄腕アトムをハリウッドに売り込みに行ったとか、11時にはニュース番組流しておしまいだった時代に『11PM』を企画して成立させたとか、マスターズを夜中に生中継して成功させたとか、とにかくすごい実績!

詳しくはこちらの本を読んでみて。

テレビ快男児—あの凄い番組をつくった男の50年
クリエーター情報なし
プレジデント社

今は二代目の藤田大輔氏が社長を継がれています。その藤田氏とは7、8年前からのおつきあいで、この度「うちでやってみませんか」と相成った次第。

いまも『the 世界遺産』『食彩の王国』『美の巨人たち』などなどなど、多数の番組を担当しているのです。

そうしたマスメディアでの企画を着地させる力に、ソーシャルメディアの力を加えることで新しい仕組みができないか、というのがぼくの考えていること。テレビとネットを融合させようというタクラミ。これは、今度のぼくの本でもこってり書いているテーマです。

つまり、今後は本を出版したりブログに書いたり境塾で議論したりという言論活動と、そこでの考えを実際に形にするビデオプロモーションでの活動と、両方をやっていこうというわけです。そんなに簡単にはいかないだろうけどね。でも、こうしたらいいんじゃないか、ってことを、実際にやってみたい。だから、どんどん実験していこうと思ってます。

もちろんロボットは円満退社なので、ビデオプロモーションで企画したことをロボットと形にする、なんてこともあるかもしれない。

そういう意味では、いままでと気持ちは変わらないんだな。

まあでも、とにかくいままでとまた少しちがうsakaiosamuのはじまりです。みなさん、あらためてよろしくです!

あ、それから、近々、このブログも変わります。いま、準備してもらってるの。

どんどんね、変わっていくからね。だってみんなも、「アタラシイ方を選ぶ」時みたいだからさ・・・

AnimeTunes Vol.2 HDが出た!でもって部門1位獲得!

境塾だなんだかんだとはまたぜーんぜんちがう話。

AnimeTunesのiPadアプリVol.2が出た。

それから、当然ながら、同じアプリのiPhone版も同時にリリースしたのよね。

ずいぶん前、2010年の12月に「AnimeTunes Vol.1 HD発売しました」と題した記事を書いた。憶えてくれてますかい?

AnimeTunesとは、ロボットの新事業的取り組みとして、マルチプラットフォームでのVODをやってみている、そのブランド名だ。こないだからの話で言うと、複数のVODプラットフォーム上で展開するモジュール的な試み。

ロボットにはアニメーション作家陣がいる。リーダー的存在が野村辰寿(@GonNomura)。彼はストレイシープ・ポーの作家であり、NHKのキャラクター”ななみちゃん”の生みの親でもある。あまり持ち上げると本人が恐縮するので言わないけど、日本のアニメーション作家界でそれなりの存在。

AnimeTunesはその野村辰寿を”キュレーター”として、日本の優れたアニメーション作品を作家ごとに紹介していくVOD配信レーベルだ。アニメーション作品と言っても、マンガ雑誌連載のものをテレビで毎週放送、というたぐいのものではなく、真剣にアニメーション制作に取り組む作家たちによる、クオリティの高い作品。そう決めているわけではないけど、短編が中心になっている。

作家たちとか、クオリティがとか言うと、ハイブローな難解な作品と思われがちだけど、決してそんなことはなく、むしろ短い時間で楽しめるエンタテイメント性あふれるものが多い。ああ、アニメーションってこんなに豊かで多様なんだなあと、自分自身毎回楽しみにしている。

そのAnimeTunesは最初はアクトビラで配信を開始。これはアクトビラが視聴できるテレビかHDレコーダーが必要。その後、iPhone/iPadのアプリとしても配信し、いまはPC上でもVidexというVODサービスで視聴可能。そんな感じで少しずつ、視聴できるプラットフォームを増やしていく作戦。でもこの作戦は根気が必要で、そうそうビジネスにならない。まず存在を知ってもらうのが大変。というかプロモーションコストかけられないので、無理。だんだん知ってもらえるまで頑張るしかない。

それがこの度、ようやく出た2つめのiPadアプリがランキング上位に来た。iPadアプリのエンタテイメント無料部門で1位獲得!やた!

・・・もちろん、それだけでウハウハのビジネスになるわけではない。ただこれを機に花を開かせていきたいなということだ。もう少ししたら、Androidでも視聴できるようになるから、iPhone持ってないよって人は、待っててね。

そうそう、このアプリはダウンロードは無料。でも個々の作品は230円で販売してます。無料のものもあるし、有料のものは1分程度プレビューもできるので、面白そうな作品から楽しんでくださいな!

報告:「第二回リアル境塾」盛り上がらないはずはなかった

「第二回・リアル境塾」を昨日、6月26日に開催したよ。佐々木俊尚さんをゲストにお招きして100人近く集まってもらった第一回とは打って変わって、30人限定の少人数で議論する催し。

お題については前にこの場でも書いたように、地デジ後のメディア状況はどうなるかを大テーマに、「ソーシャルメディアはマーケティングの場になるのか」「コンテンツで商売できるメディアは生まれるのか」「ジャーナリズムはなくなってしまわないか」の3つのお題を用意した。

さて30人で議論する、というのはいったいどうなるのか、見当もつかない。いちばん心配だったのは、意見が活発に出てくるのかどうか。必ずしも顔見知りでもないメンバーが集まって、「議論の場」になるのだろうか。

そこで、3人の方にあらかじめ”パネラー”をお願いしておいた。ぼくのイメージでは、パネラーたちとぼくとで話すうちに、だんだん他の皆さんも参加し出して、「30人で議論する」状態が生まれる、のではないかと。

・・・全然ちがった。・・・なんだ、心配しなくてもみんないきなりどんどん喋るじゃん。・・・

まあ、考えてみたら、このメンバーがせえので一堂に会すのは初めてだったけど、部分的には会っていた人々。あの人とこの人は前に会ってるね、その人とこの人はこないだ会ったらしい。そんな面々だったから、あまり気を使う必要もなかったのかも。

だから、あらかじめお願いしていたパネラーのお三方には申し訳ない感じになってしまった。パネラーを設定する必要がなかったのかも。強いて言えば、各お題の最初にいきなり発言を振れたのはやりやすかったけど。

それから、お題を3つに設定したのも、こうなると計算ミスだった。2時間も議論するのに、ひとつふたつのお題では足りないんじゃないかと。そんなことなかった。ひとつひとつのお題が深みがありすぎて、話は尽きなかったんだよね。

2時間でひとつでも、十分だった。

お題の設定もちょっとまちがっちゃったかな。

最初のお題、ソーシャルメディアはマーケティングの場になりえるのか。あまりいいお題とは言えなかったかもしれない。というのは、TwitterもFacebookも、まだまだ普及段階なので、いまマーケティングの場にできるのかは議論しづらい。それから、特定のメディアに関してマーケティングの場になるかどうかは、やりようじゃない?ってことなので、議論しにくい。ちょっとお題としては失敗だったかな?

でも、このお題で出たいろんな意見は、参考になるものがいっぱいあったよ。何らか有効な反応が得られるのは、フォロワー数が10万人になった段階だ、とか。ソーシャルメディアでの表現とマスメディアでの表現と、結局考え方は同じかもしれない、売らんかながモロに見えちゃうと、マス広告だって引いちゃう。ソーシャルでも同じでしょ、とか。

一方、ふたつめのお題、コンテンツで商売できるメディアは?という議論。これは深かったなあ。これ一本で行くべきだったかなというのが最大の反省。メディアやコンテンツについて考える中で、もっとも重要ポイントがこのお題なのかもしれない。

そして、この議論はもっといくつかのレイヤーや方向性に分けて議論すべきかもしれない。

例えば、買いやすさの問題。電子書籍でいえば、売場が乱立していて、自分が電子版で読みたいものが、どこに行けば読めるかがさっぱりわからない。電子書籍に限らず、各企業が本気出すほど売場が増えていって、ユーザーからするとわけわからなくなる。クレジットカード情報をいちいち入力させられる時点でイヤになる。そういう問題。

映像コンテンツでいうと、これまでの番組制作の舞台として、テレビ放送はなくなりはしない。でも規模は縮小していくだろう。その時、世界市場を目指すべきではないか。

一方で、ローバジェットで制作するコンテンツを二度三度と使い回すやり方はあるのかもしれない。「水曜どうでしょう」も例にあがった。

さらに、コンテンツの制作と放送は分けて考えられる。ハリウッドは70年代にそこを強引に分けて制作側が主体性を握った。同じようなことを日本でも考えるべきかもしれない。

このあたりについては実は今度のぼくの本の中でも出てくる話だ。境が書いた本の内容と、境塾の議論の内容が重なってくるのは面白いなあ。

そんな感じで、ひとつのお題の中でもいろんなサブテーマが錯綜して、収拾つけられなかった。もともと、結論を出すつもりはなかったのだけれど、それにしてもお題が大きすぎたのと、こんなに議論が活発になるのなら、何らかやり方を考えないといけないなあ。

それと、せっかく今回参加してくれた”お初”な方々に、発言を振るべきだったなー。いや、そうしようと思ったんだけど、みんな次から次に発言するもんでね。だからやっぱり30人って多いんだろうな。荻野先生はグループ分けしたらと最初からおっしゃってたのだけど、30人集まった上で10人ぐらいに分けるとか、そういうテクニカルなやり方を考えた方がいいみたいだ。

そうそう、3つめのお題として準備したはずのジャーナリズムについては、時間の都合でまったくとりあげることができなかった。今後のメディアとジャーナリズムの議論は、コンテンツビジネスと似てはいるけど別扱いで重視すべきだと思っている。別の機会にぜひやってみたい。これのためだけの回を設けた方がいいんだろうなあ。このテーマのためにとくに燃えて参加したというNさん、ごめんね。今度こそね。

さてこのリアル境塾、少人数版はまた近いうちにやります。今回参加した方もできなかった方も、ぜひご参加を。

議論の続きはFacebookページ境塾で展開してもいいかもね。みなさんのぞいてってね。「SAKAIjyuku」で検索するか、いっそ、ここをクリック!

ハリウッドの「スーパー8」は日本映画の「奇跡」になる

先週の週末は『奇跡』を観た。そしてこの土曜日は「スーパー8」を観た。どっちも素晴らしい映画で、よく似た物語だった。

『奇跡』は九州の少年少女の話だ。鹿児島と福岡で離れ離れに暮らす兄弟が、”新幹線がすれ違う時、願いを言うとそれがかなう”という奇跡を信じて、仲間たちと冒険に出る。

『スーパー8』はアメリカの小さな街の少年少女の話だ。夜中にこっそり映画撮影に出かけたら列車の大事故に遭遇。回り続けた8ミリフィルムに驚くべき映像が映っていた。さらわれた少女を助けに、少年たちは冒険に出る。

どちらも子供たちの冒険の話なのだ。『スーパー8』を観ながら、ぼくの頭の中のスクリーンでは『奇跡』のシーンが重なって映し出された。子供たちが親に隠れて日常を抜け出し、特別な体験をする。わくわくするモチーフだ。両方ともにそんな胸を熱くする種から生まれた映画だ。だから似てるんだ。同じ物語だ。

とは言え、二つの映画はまったくちがう。『スーパー8』はとにかく、驚くべき映像だ。最初の列車事故のシーンを見るだけでも映画館に行く価値はある。それだけでなく、全編VFXのオンパレードだ。いったいいくらかかっているか、見当もつかない。メジャーな役者がひとりも出演していないのは、その分CGにこってり予算をかけたかったからだろう。

一方、『奇跡』はお金がかかっていない。セットは一切使ってないだろう。全編ロケだと思う。是枝監督がそういうドキュメンタリーっぽい演出をめざす監督だからでもあるが、日本映画だからだ。それにどうやらテレビ局もついていない。テレビ局のついていない日本映画は、予算が少ないのだ。

『スーパー8』と『奇跡』がよく似たモチーフを扱っているのに、表面上まったくちがう映画であることは、ハリウッド映画に対し日本映画が進むべき姿のヒントになるかもしれない。

映画を作ろうという時、ハリウッドというシステムがそこにあれば、「子供たちの冒険』を、いかにエンタテイメントとして広げるか、という発想になるだろう。実際J.J.エイブラムズは当初、8ミリ映画に夢中な少年たちの映画を作ろうと思っていた。でもそれだけだとなあ、ということで、別の企画で考えていたモンスター映画のプロットを合体させたのだそうだ。

一方、是枝監督は、九州新幹線を題材に子供たちの映画を作ろうと考えた。オーディションをしたところ漫才師まえだまえだの兄弟に出会った。こいつらはすごい!ってことで、鹿児島と福岡で離れ離れの家族の物語に変えたのだという。

プロットを膨らませる方向がまったく違う。

映画の方向も正反対だ。子供たちの冒険を、J.J.エイブラムズが徹底的に空想にしていく。ありえない物語、起こりえない映像を作り上げていく。

是枝監督もファンタジーを描いている。でもひょっとしたらあり得る話だ。それに起こりえない事件は勃発しない。宇宙からも地底からも謎のモンスターは現れない。そればかりか、『奇跡』の演技は、これはほんとうに演技なのだろうか、というスタイルだ。とくに子供たちの芝居は、芝居には見えない。『奇跡』は決してドキュメンタリーではないし、これはこれでウソなのだが、ホントに見えてしまうウソだ。

日本映画はこっち行くべきなのかも。ぼくはそう思った。ハリウッドには、お金のかかるウソの映像化ではかなわない。到底かなわないのだ。そんな勝負してはいけない。

でも、少年たちの冒険というモチーフを、お金のかからない、ウソに見えないホントみたいな映画にすることはできる。できあがった映画の価値は、かかった予算に比例しない。『奇跡』がぼくにもたらした感動は、決して『スーパー8』に対して劣らないのだ。それぞれ、いい!という感じ。

ただ残念なことに、『奇跡』は興行ランキングにはまったく入ってこない。そこが課題だなあ。テレビ局のバックアップ抜きでは、映画はなかなかヒットしないのだ。

『奇跡』のラストで、まえだまえだ演じる兄弟は、離れ離れのままでもいいと感じたらしいことがわかる。『スーパー8』の少年は、亡くなった母の形見のペンダントをあえて手放してしまう。母親がいない状況を認めたのだろう。

”家族は絶対に一緒にいなければならない”・・・ってわけでもないのかもよ。2つの映画とも、そんなラストになっている。これも面白い点だなあ・・・

Facebookページもあるのでのぞいてってね。「SAKAIjyuku」で検索するか、いっそ、ここをクリック!

普通じゃないから、アタラシイ方を選ぼう

Tくんとは10年ほど前に知りあった。メーリングリストが縁だったと思う。当時彼はまだ学生で、コピーライターになりたいんです!と熱く語っていた。でもぼくは彼に素っ気なく言った。「やめた方がいいって。コピーライターなんてこの先いらなくなるんだから」

だけど彼はコピーライターになった。それなりの会社に入り、それなりのステップを踏んで、なかなかの外資系代理店に入った。

少し前、彼が相談にきた。「会社から、もう契約しないと言われました」

うーん・・・だから言ったじゃないか・・・

業界全体で、人がいらなくなってるんだ。代理店で、人がいらなくなってるんだ。広告クリエイティブで、人がいらなくなってるんだ。そして・・・コピーライターが、いらなくなってるんだぜ・・・

ぼくのこれからの動きでなんとかできないかとも考えたけど、人の人生を背負える状態でもない。とにかくアドバイスとして、ソーシャルメディアでの仕事を考えた方がいいと伝えた。ずいぶん大ざっぱなアドバイスだなあ。

だがTくんは自らの道を、自ら見いだした。

ゲーム界の精鋭が集まるベンチャーに参加して、プロモーションを担当することになりました!と電話してきたのだ。ソーシャルメディアを中心にしたコミュニケーションをやってほしい、とのことで、と。

実は、他の代理店からの打診もあったのだそうだ。でもそっちは選ばなかった。これまでと同じ道は選ばない方がいい、と考えたのだそうだ。

他の代理店を選んだ方が、「コピーライター」でいられるし、これまでの経験値がそのまま生かせるし、会社としても大きいし、いいはずだ。普通なら代理店を選ぶだろう。

だがTくんは、別の道を選んだ。学生時代、あれほどなりたかったコピーライターをあっさりやめた。そして不安定な方を選んだ。

あれ?そう言えば、つい最近、すごく似た話があったぞ・・・

似ているのは、大手代理店女子のYさんのことだった。ある人に会わせてやるよ、ってんで、久しぶりに会ったら、いきなり「ご報告があるんです」と切り出した。「実はこのあと、上司に辞めるっていうんです」「ええええ?!何すんの?」「ベンチャーのスタートアップに参加するんです」「ほおーっ!」

彼女はつい最近、話題になった仕事ができたとほくほく喜んでいたのだが。でもやはり、見えないけど、未来があるかもしれない方へ行ってみたいと思ったのだそうだ。普通なら、いまの会社は辞めないだろう。

ということはつまり、いまは普通じゃないんだな。

テレビ局を辞めた友人もいる。

テレビ局は辞める会社ではないはずだ。飛び抜けて給料のいい業態で、マスコミの中でももっともパワーがあって華やかなのがテレビ局だ。業界の頂点だ。普通なら、辞めない。でも、彼は辞めたのだ。

普通なら辞めないよな。

あ、そうか、つまり、いまは普通じゃないんだよ、やっぱりさ。

普通じゃないから、普通は選ばない方を選ぶんだね。アタラシイ方を選ぶんだ。そういうことだ。

ただハラハラしちゃうのは、三人がそれぞれ「クリエイティブビジネス論を読んでいると・・・」「こないだの境塾でそうだ!って思って・・・」「境さんと話していると・・・」なんてことを言う。ちょっと待てよ!ぼくの影響だって言うのかよ?!

いやー、ちがうな。それは影響ではないな。きっかけにすぎないな・・・だってみんなもう決めてるんだよ。アタラシイ方を選ぼうって、決めているんだ。

だってアタラシイ方角を見つめていると、ワクワクしてくるからさ。未来って、見えないと不安だけど、見えちゃうと、つまんないもんね・・・

第二回リアル境塾・ディスカッションのための問題提議

えーっと、いよいよ26日つまり今度の日曜日に第二回・リアル境塾を開催するよ。

漠然と、さあ議論しよう!と言っても無理なので、あらかじめぼくから問題提議をしてFacebookに置いといた。でも境塾の本拠地たるこのブログにも置くべきかもね、ってんで、下にその文章を置いておくね。

—————————————————————-

●議論を楽しむために、脳みその準備をしましょ
第二回リアル境塾では、30人程度のメンバーでインタラクティブな勉強会をします。メディアの今後について議論するわけですが、議論と言っても明確な結論を出そうとは思っていません。だから、みんなで脳みそを持ち寄ってゲームを楽しもう、という気持ちで。休日に仲間で集まってフットサルで汗をかく、みたいな軽い気持ちで集まりましょう。ゲームを楽しむためにも、前もって脳みそに準備運動をさせておきましょう。ここでは、準備運動のための問題提議をします。メディアの今後について、マーケティング・コンテンツビジネス・ジャーナリズムの3つの角度で考えましょう。

●今後のメディアとマーケティング:ソーシャルメディアはマーケティングの場になりえるのか?
フットサルの試合のように議論を楽しむために、あえてアンチテーゼ的なことをここで言ってみます。「ソーシャルメディアはほんとにマーケティングの場になるの?」と言ってみる。
「トリプルメディアマーケティング」とよく言われますよね。ペイドメディアと自社メディア、そしてアーンドメディアつまり評判を獲得する場としてソーシャルメディアが3つ目です。実際にTwitterやFacebookでの事例がセミナーなどでよく紹介され、生活者とのエンゲージメントを結ぶことが大事であり、ソーシャルメディアがそのための場所になるのだと言われます。
しかし、エンゲージメントってほんとに結ばれるものでしょうか?TwitterやFacebookでも結局実際に行われるのは、認知の獲得や、ブランドをあらためて認識させる、その程度ではないでしょうか?マーケティングに、と言って実際にはセールスの告知を狭い対象でもできるようになった、その程度なのではないの?
などという、あえていまのトレンドに逆らうようなことを言ってみました。どう反論する?それとも、同意したりして・・・(^^;

●今後のメディアとコンテンツビジネス:コンテンツが商売になるメディアは今後生まれるのか?
テレビがつまらなくなったと言われます。実際、同じようなタレントがでる、同じような企画の番組だらけかもしれません。先週は、某テレビ局プロデューサー氏の「ゴールデンタイムが全局で視聴率一桁になった」というつぶやきが話題になりました。
テレビという場ではもう、魅力的なコンテンツは生み出せないのかもしれません。・・・でも、テレビに限らず、旧来型のメディア以外で、コンテンツはビジネスとして成立するのでしょうか?よく言われるように、WEB上のコンテンツは無料だ、という人々の認識はすっかり定着してしまいました。ケータイはうまくサイト運営ができればビジネス化できてきました。でも、スマートフォンになってケータイコンテンツ事業者は困り果てています。androidマーケットは、Googleがやる気を見せてくれず、あまりにも野放図な場になってしまっています。
また、スマートフォン用のアプリ市場ではゲームが主流になっていき、これまでの感覚のエンタテイメント、映画やテレビ番組のようなものはふさわしい商品ではなくなるのかもしれません。その結果として、ハリウッドの生み出す映画やドラマさえあればよくて、他の国はコンテンツビジネスが消滅してしまうのかもしれない。
そんなことないのでしょうか?いや、そんなことない!こうすれば将来のメディア構造にふさわしいコンテンツビジネスが成立するはずだ!なんて勇ましい意見、あります?

●今後のメディアとジャーナリズム:ジャーナリズムは必要なくなりはしないだろうか?
コンテンツビジネスと大きく分けると近いけれども存在意義がかなりちがうのが、ジャーナリズムでしょう。そしてジャーナリズムこそがメディアの原点かもしれません。
19世紀から20世紀の、いわゆる近代民主国家の成立と発展にとって、新聞は大きな役割を担ってきました。市民が誰でも政治を語ることができ、参加できるようになったのは、新聞をはじめとするジャーナリズムのおかげです。もっと言えば、革命などが起こって民主国家が成立し国民がひとつになる上でも、新聞は重要でした。
ところが新聞はそのビジネスモデルがどうやら時代に合わなくなっているようです。新聞だけではなく、雑誌やテレビでもジャーナリズムは存在意義が感じられなくなりつつあるようです。
でも一方で、最近よく言われるように、「一次情報」としてのマスメディアは重要です。ニュース価値のある情報を集めたり、ニュースとなるかを判断したりする、信頼性のある機関は必要なのです。もちろんそれはネット上でも作れますし、ニコニコ動画は最近ニュースに力を入れています。でもジャーナリズムはもともとお金が儲けにくい分野で、存続可能かどうかわかりません。とくに「調査報道」は難しいでしょう。
果たしてジャーナリズムは今後、残っていくのか。残るのなら、どんな形態なのか。いやそもそも、ジャーナリズムそのものがもう、必要ではなくなっているのでしょうか。・・・あなたは、どう思いますか?

・・・3つの分野、それぞれちょっと書きすぎた気もしますが、以上はぼくの意見というより、あえてある角度で考えを述べたものです。実際、人間はひとりの中でいろんな角度の意見を持つものだと思います。だから、当日は「今日はこういう立場でしゃべってみようかな」という感じでいいと思います。最初から特定の意見に凝り固まって、その立場が負けたら馬鹿にされる、ということではないと思います。だから、ゲーム。今日は青組でプレイする、次回は赤組?てな感じで、いいのではないかな?

—————————————————————-

このディスカッションはUstはしないけど、何らかの形でFacebookページ「SAKAIjyuku」などでサマリーを置くなどするので、いまのうちに「いいね!」」しといてね。