週末から昨日まで、木曜日に書いた「赤ちゃんにきびしい国で、赤ちゃんが増えるはずがない」がハフィントンポストに転載され、驚くべき数のいいね!に達したことで、頭がいっぱいになっていた。コメントもたくさんついたし直メールも数件もらった。10万以上のいいね!がつくなんてもう人生で二度とないんじゃないか。
気分はすっかり”にわか育児専門家”になっていたのだけど、本来のこのブログに戻して、メディアの未来を語らねば。
あー、でもなんか、せっかく前回ぼくの記事を読んでくれたママさんがこのタイトルを見たら「え?ネイティブ広告?知らないし、難しそう」と思うよねー。すんません、本来はこういうことを書いてる人なんです。とか言い訳する必要もないのだけど。
さて、昨日(1月28日)の夜、ぼくは東京FMの番組「タイムライン」にゲスト出演した。この番組は平日19時から日替わりのキャスターによりその時々の時事的なテーマを掘り下げる、言わばニュース解説のFM版。火曜日は元通産官僚で慶応大学教授の岸博幸氏がキャスターで、昨日のテーマは「ネイティブ広告」だった。
少し前に書いた「広告はメディアが背負う原罪なのか?」と題したブログ記事を読んでくれたらしい。その中でネイティブ広告についてふれているのだ。
ネイティブ広告はアメリカの業界で使われはじめた新しい概念で、ホントはぼくもちゃんとわかっているわけではない。ADKにいる友人が去年からネイティブ広告を熱心に研究しているので、前もって知識を仕入れて番組に臨んだ。だからしゃべったことはけっこう、その友人からの受け売りだったのだ、実は。
そのにわか知識をここで説明しよう。
ネイティブ広告は、”メディアやサービスに自然になじむデザインや機能で表示される有料広告形式”、と定義される。例えば記事広告、つまり新聞や雑誌の記事の体裁で作られた広告。あるいはTwitterやFacebookのタイムラインに友達の投稿とは別に企業のFBページなどが表示されることがある。よく見ると”広告”と書いてある。これも、それぞれのサービスの形式に添って見せるネイティブ広告の一種だ。
去年、ワシントンポストがネイティブ広告を導入し、向こうの業界のトレンドワードになった。”Brand Connect”と称して、企業のための記事の枠を設けたのだ。このあたりはTHE PAGEの記事「賛否両論「ネイティブ広告」って何? それは記事か、広告か」を読むとわかりやすい。
これは日本人の感覚としては「記事広だよね」と、何も新しいことでもないのだが、アメリカには記事広告の文化がなかったのだそうだ。ジャーナリズムの意識が強いのか、記事の編集と広告の掲載はまったく分けられていて、融合することはなかった。日本ではジャーナリズム然とした全国紙でも「それはそれ」といった感じで記事広告を受け入れていた。掲載面には<広告>とか<PRページ>などと、はっきり企業のタイアップ企画であることを明示する。読者の側もある程度、ああ、これは企業の宣伝の記事でしょ、と理解していたと思う。
だからアメリカでネイティブ広告がホットになるほどには日本ではなってない気がする。
ただ、日本でもあらためてネイティブ広告は注目されそうだ。というのは、アメリカでホットになったのも背景にこれがあるのだが、”バナーブラインドネス”と呼ばれる現象がある。WEBページを見る時、記事の上や横にあるバナー広告を視野に入れない傾向がある。皆さんも言われてみればそうではないだろうか?さっき見たWEBページのバナー広告をまったく憶えていない。それはそもそも、視界に入れようとしていないのだ。そういう巧みな読み方を、自然にみんなするようになった。だからWEBメディアの広告の価値が問われているのだ。
さらに、スマートフォンの圧倒的な普及。スマホの画面ではPCを想定したバナー広告はほとんど効かない。小さくなってしまうし、タップするだけで記事が拡大され、バナーは画面から外されてしまう。
WEBメディアでの広告枠の表示が不可能になりつつあるのだ。
だったら、広告を”広告枠”ではなく記事の中で表示した方がいいのではないか。ネイティブ広告が浮上しているのは、そんな背景がある。
ゲスト出演したタイムラインでもこうした基本的な説明をしながら、ネイティブ広告の是非や今後についての話になっていった。キャスター役の岸さんはもともとメディア業界に詳しい人なので、ぱぱっと話を展開してくれてぼくもしゃべりやすかった。メディアには広告が欠かせないからコンテンツを楽しんでもらうためにはネイティブ広告も有りですね、とポジティブな反応をしてくれた。
ネイティブ広告ではどんな表現ならよいのかが問われるので、送り出す方としては難しくなりそうですね。と岸さんがおっしゃった。それはそうです。でもそこは前向きにとらえて、広告の本質をもう一度考え直すと面白いと思う、と答えた。
「広告はメディアの原罪なのか」でも谷口マサト氏のコンテンツとしても面白い広告企画について書いた。それが典型的な例だが、広告なのかコンテンツなのか、境界線の曖昧な領域に新しい手法や表現形態が出てくる可能性がある。そこでは、広告とは何だろうとその本質を問いかけながら、試行錯誤が行われていくはずだ。
実は、「赤ちゃんにきびしい国で・・・」などのシリーズで試しているのも、ネイティブ広告のひとつの手法に進化させられないか、という意図があるのだ。
一緒にやっているアートディレクター上田豪氏が制作したビジュアル。マチ針だらけの哺乳瓶。これに見出しコピーが入っている。
ここに例えばベビー用品メーカーのロゴが入っていたらどうだろう。あるいはベビーフードメーカー、もしくは赤ちゃん向けのアパレルブランド。
そうすると、そうしたメーカーのメッセージとしての記事になる。
それが今回のように10万いいね!を集めたとしたら。絶大な拡散力を持つ広告になる。通常の広告枠を買うより多くの人に伝わり、その上共感も得られるなら、そのブランドを支持してくれる人が増えるかもしれない。こんないいこと言ってくれるブランドなら、信頼できる、と理念を評価してもらえるブランドになるかもしれない。
もっとも、今回の多大ないいね!はひとりの男が母親の気持ちを汲んで書いた文章だから支持された、という側面が多分にあるようだ。”ひとりの男”が”ベビー用品の○○”になったらそのまま支持してくれるかはわからない。それに、反論やネガティブなレスをくれた人も多い。強い表現だから支持も多かったわけだが、強い表現だからこそ反論も強まる。企業のメッセージだったらもっと強い拒否反応が出たかもしれない。
いろいろ見えないことも多いが、とにかく作ってるぼくらとしては、この手法を広告に応用できないかなと考えながら制作している。もし企業のためにこの形式の記事を作成したら、一種のネイティブ広告と言えるだろう。
ネイティブ広告について考えはじめると、コンテンツと企業の微妙な関係にたどり着く。メディア上のコンテンツの制作費はどこから出ているか、たどっていくとほとんどの場合、企業の広告宣伝費にたどり着く。ではコンテンツは誰のものなのか。企業のものなのか、メディアのものなのか、作り手のものなのか。
広告費がないと成り立たないメディアの本質を、ネイティブ広告はこれから際立たせていくのかもしれない。
コミュニケーションディレクター/メディアコンサルタント
境 治
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