「赤ちゃんにきびしい国」のつづきとか補足とか〜12万いいね!の理由〜

kibishii

23日に書いた「赤ちゃんにきびしい国で、赤ちゃんが増えるはずがない。」という記事がどえらいことになった。転載されたハフィントンポストでみるみるいいね!がつき、27日午前の時点で12万6000いいね!を超えている。びっくりだ。

12月に書いた「日本人の普通は、実は昭和の普通に過ぎない」の時も5,000いいね!でずいぶん驚いたものだが、それをはるかに上回る。ハフィントンポストは去年の5月にスタートし、ぼくは7月からブログを転載してもらってきた。去年後半からはっきりアクセスが増え、いまや月間読者数が500万とか600万とかになっているそうだ。ハフポがメディアとして急成長する上昇気流にぼくの記事も乗れているのかもしれない。

ただ、12万いいね!はちょっと考えられない。ハフポの成長性だけでは説明がつかない。

Twitterで検索すると誰が反応しているのか、わかってきた。

RTしてくれてるのは女性が中心だ。現役の赤ちゃん子育て真っ最中の方をはじめ、お母さんたちが賛同してくれてるようだ。時折、「よく言ってくれた」とか「励みになった」とか「癒されました」などのコメントがついている。中には「読んでいて涙が出た」というようなコメントもある。こっちまでうるうるしそうだ。あと「男の人が書いている!」というのもあった。

そうかあ、と思った。育児に追われるお母さんたちが、「男のあんたがよう言うてくれた!」といいね!をくれたのだろう。ほんとはみんな、言いたい。訴えたい。訴えたいけど、女性が自分たちで言ったら叩かれるだけかもしれない。でも、ホントにホントに大変なのに。そう感じている女性がいかに多いか、ということなのだと思う。そして、そういう状況を理解している男性も共感してくれている。

一方、反論的なTweetもあった。コメント欄にも反論はけっこう出ている。冷静なのから、辛辣なのまでタッチはいろいろ。多かったのが「満員電車にベビーカーで乗ってくるならそれなりの態度を示すべき、そしたら手助けもするだろう」という類いのもの。うーん、あんまり伝わらなかったんだなあ。そういうお互い様だろ、を超えた姿勢を主張したかったのだけど。

「満員電車にベビーカーで乗り込んできて周りも気にせずスマホいじってる母親がいる」というような指摘もあって、確かにそりゃいかんぜよとは思う。ただ、母親がこうだったらいいけどああだったらダメ、というのは、わかるけど、そこをええい!と乗り越えてあげられないかと思う。

ベビーカーで子供を連れ歩くことを、そんなに申し訳なさそうにしなければいけないの?と思うのだ。いつもいつもお母さんは、赤ちゃんや幼児が迷惑かけてすみません、と、謝りつづけなければ外出できないのだろうか。なぜ赤ちゃんを連れて出かけるのか、と言う人もいたけど、預ける人がいないと連れて行かざるをえないわけで。

満員電車に乗せることがいかに赤ちゃんにとって危険かを理路整然と語る人もいた。飛行機に乗せることが赤ちゃんの身体に良くないのだと知識をご教授してくれる人もいた。ご説ごもっともだし、そういうことを考えない、思慮不足なママもいるかもしれない。でも、好き好んで満員電車や飛行機に乗せたくはない、けれどどうしてもそうしなきゃいけない、困ったなあ、というケースが多いんじゃないだろうか。だって、満員電車だの飛行機だのに乗せて泣き出したらみんなに迷惑になっていたたまれなくなる、と容易に想像できるわけで。それでも、乗せなければならないことが数年間の子育ての間に数回くらい出てくるだろう。

そんな時、気を遣いつづけ、配慮しつづけ、泣き出したらごめんなさいごめんなさい、じゃなきゃダメなの?満員電車に乗せる時、赤ちゃんを抱えながらもう一方の手にはオムツとか入った大きな荷物もありつつ、ベビーカーをきちんと畳まないと乗るな、ということ?

いろんな反応があった中、海外赴任を経験した友人が言っていた。アメリカでは子育てしやすかった。あちこちで声をかけられた。乗り物でベビーカーを見るとすかさず数名が寄ってきて手伝ってくれた。同様の話を、英国で暮らした経験のある人、イタリアで子育てした人からも聞いた。総合すると、欧米ではとにかく手伝ってくれるようだ。その際に母親の態度を問う、なんてことではない。子育てに対する社会の姿勢が違う、ということのようだ。ぼくは欧米がいい!というつもりもなく書いたのだけど、結果的にあちらの姿勢は参考になるみたい。

お母さんたちが賛同してくれていいね!くれつつ、けっこう強く反論する人もいる。このギャップは何だろう。先のアメリカ赴任経験の友人は「向こうは子育てと接する機会が多い」と言う。ベビーシッターを学生がやるのはそのひとつ。日本にはそういう文化がない。それこそ核家族化で失われたままだ。補うシステムも文化もない。

経験の有無は大きい。かく言うぼくも、最初の子の時に強烈な体験をした。

ぼくは結婚と同時にフリーランスになり、最初の6年間は自宅で仕事をしていた。だから上の子が産まれた時は基本的に家にいた。もちろん仕事場で作業するので子育ては基本的に妻がするわけだが、かなり手伝えた。普通のお父さんより接する時間は多かっただろう。「子育てに積極的なパパ」という自負心めいたものがあった。

ある日、妻が買い物に出ると言うのでぼくが面倒を見るからと言った。妻が出てすぐ子供が泣きはじめた。それなりにあやし方もわかっていたつもりだった。だが泣きやまない。ミルクも何度もあげてきたので温めてほ乳瓶をくわえさせてもダメ。ありとあらゆるあやし方を試みるのだけど、何をしてもダメだし泣き声が大きくなるばかり。数十分間あの手この手を尽くしても泣きつづける赤ん坊。なんだか自分を完全に拒まれたような気持ちになっていった。そうなると気持ちがささくれ立ってきて、赤ん坊の泣き声が心に突き刺さるようになる。もう限界だ。もういやだ。もういい。こんな存在はいらない。いなくなってもいい。そういう気持ちになっていき、赤ん坊を壁にぶつけてしまいたくなった。・・・・・・実際にはそうしなかったし、そうこうしているうちに妻が帰宅した。妻が「ああ、よしよし」と抱きかかえたら、一瞬で泣きやんだ。ぼくがあれだけ手を尽くしても泣きやまなかったのに、妻が抱っこしただけで泣きやむなんて。

それにしても、愛してるはずの子供を壁に叩きつけたい衝動に駆られるとは・・・。それでも父親なのか・・・。

この時ぼくは、子育てパパの自負心を木っ端みじんに打ちのめされながら、何か大きなことを知ったのだと思う。赤ん坊は泣きやまない時には泣きやまないのだ。理屈ではない。理論的な話ではない。何かでスイッチが入ると、もう回路をつなぎなおせない。そんなことがよくあるのだ。

いまの話では、妻が抱っこしたら泣きやんだが、それはたまたまで、母親が接していても泣きやまないことはある。ぼくはその時くらいだったが、お母さんたちはきっと、赤ん坊を育てる数年間の中で何度も何度もこんなことがあるはずだ。その度に、壁に赤ん坊をぶつけたくなったりする。もちろんしないし、こらえるのだが、赤ん坊を育てることはそんなことにさいなまれながら、それでも愛しているはずの赤ん坊との愛憎の戦いなのだ。こんなに世話をしてあげているのにどうして泣きやんでくれないのか。私は母親として何か欠けているのか。そんな葛藤に多くのお母さんはたったひとりで苦しみながら、終わりの見えない子育てに向き合っている。

母親だから赤ん坊を泣きやませることができる、ということはない。赤ん坊が泣きやまず、途方に暮れることは母親だってしゅっちゅうある。そういうことだ。

12万いいね!は、それを重々知っているお母さんたちであり、それぞれなりの育児参加でぼくに近い経験をしたお父さんたち。あるいは奥さんから聞かされてよくわかったお父さんたち。そんな皆さんの共感の数だろう。

さっきのギャップは、ここにあるのだと思う。「赤ん坊が泣きやまないことは普通にある」。そのことを知っているか、知らないか。体験したか、してないか。誰かに教わったか、教わってないか。・・・体験してないと「母親なら赤ん坊を泣きやませろよ、それが母親の責任だろう」と考えてしまうのだろう。

このギャップは、埋めようがあるのだろうか。子育てに対する世の中の”空気”をもっと柔らかで温かくしていった方がいい、とぼくは思うのだが。

今年の初めに「明日を変えていくメッセージをつむぎたい」という記事を書いた。ビジュアルからつくるこの少し社会的なメッセージのシリーズを通じて、「明日を変える」ことがほんとうにできないかと考えている。この12万いいね!をもらったテーマは、本気で考えたいと思う。たくさんのいいね!をもらえたのだから、それは可能なんじゃないかな。

具体的に何をどうすればいいのかはまだよくわからない。少しずつ考えて、また書いていきたいと思う。

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コミュニケーションディレクター/メディアコンサルタント
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コメント

  1. 自分は恋愛にも結婚にも一生縁が無い人間なので、どうしても育児関係の話を聞いたり読んだりすると
    「所詮セックスできるリア充のお戯れじゃないか」というルサンチマンが頭をもたげてくるんですよね。
    ネットではそういう層の人間が結構多いので、話の理屈にかかわらずまず叩きが起こります。

    まあ、自分のような人間が育児に対してまったく何の想像力を有してないのと同様に、
    ごく普通に恋愛や結婚ができるみなさんに自分のような人間が何を考えているかは想像できないでしょうし、ただただ存在自体が不愉快かとは思いますが。

    1. kiya2015さん、コメントどうもです。でもずいぶんネガティブで引いちゃいますね。
      いまおいくつか知りませんが、恋愛に一生縁がないなんて、決めつけてるから縁が去っていっちゃうんじゃないですか?
      これだけぼくが力を入れて書いた文章へのコメントが「リア充のお戯れ」だなんて、失礼にもほどがある。でも、じゃあ、あなたはどうして不愉快かもしれないと言いつつコメントを書き込んだのでしょう?それは、この議論に加わりたかったからではないかなあ。それは、リア充方向への意欲が実はあるってことだと思うけど。
      自分はこれこれな人間だなんて決めつけないで。ぼくだってリア充なんて言えない。こう見えて必死なんだよ。みんなねえ、必死なんだぜ。

  2. 子供に優しい社会であるべきいうのは大賛成ですが、40過ぎの独身子育て経験なしの女性の立場からすると、残念な思いも感じる記事ですね。
    子育て経験がなければ分からんって言ってしまってはダメですわ。壁作って、はい、おしまい。子育て中の人と子育て経験のない人の間にコミュニケーションが生まれません。一方的に、子育て経験のない人の側に壁があるように言われることが多いけれど、結構、子育て中の人の方から壁を作られる経験ってありますよ。独身でいいわね〜なんて言葉に結構痛い毒があったりします。
    そもそも、子供にやさしくできるかどうかは、子育て経験の差じゃないと思います。
    甥っ子姪っ子でも、友達の子でも、子供に触ればおもしろいし、かわいい。でも、最近の子供は大事に囲われているから、怖くて触れる機会も話しかける機会もありません。
    経験の差というならば、狭い意味での子育て経験の差ではない。
    小さい頃に年上の人(大人でも子供でも)にどんだけ構ってもらえたか、大人になる過程で、どんだけ年下の子の面倒みたったか、そういう差だと思います。
    子育てはあんたらには分からんくらい大変なのよって言われても、子供もなく一人で老いることの大変さとどちらが大変かなんて、誰にも判断できません。
    でも、子供の時から、大きい人は小さい人の面倒みるもんやでー。ほれ、面倒くさいけど、おもしろいこともあるやろーって近所の人に触らせてもらってたら、抱っこの重さとか知ってたら、自然と子連れの人に優しくなれると思う。小学校中学校でも高校大学でも同じ学年の子供ばっかで固まらず、面倒をみられ、みて、って経験をもっとできるようにするべきなのではないでしょうか。
    地域と離れたところに通勤してたら、地域の行事に参加する時間もありません。自然、子供と触れ合うこともありません。でも、そういう人が、子供の行事でお休みする子育てパパママのフォローをすることだってあるでしょう。
    自分の子育て経験の枠じゃなくて、もっと広く見渡せば、みんなが子育てに参加するためのヒントがもっとたくさん拾えるのでは?

    1. sakaiさん、ですか?同じ名字ですね。

      ぼくの書き方が悪かったみたいです。ぼくとしては「経験」には親戚など身近な子供と接する機会も含んで、というつもりでした。アメリカ赴任の友人のベビーシッターの話もそうで、何かと子供と接する機会を社会が用意しているのだなあと。昔は地縁血縁が身近にあったので、おとなになるまでに自然と赤ん坊や用事と接して世話をする環境だったのに核家族化でそれが失われてしまったのだと思っています。

  3. 7才と5才の2人の息子がようやく歩けるくらいになったとき、帰省先から自宅へ帰るために初めて親子3人で新幹線に乗りました。周りの乗客に「すみません、子どもが小さいので煩くてご迷惑おかけするかもしれません、出来るだけ気をつけますので」と挨拶して回りました。「大丈夫ですよ」と返事をもらっても心配でした。迷惑かけないように、子どもたちに本を小さい声で読んだりあやしたり食べさせたりもう2時間半、周りの視線が気になって生きた心地がしませんでした。気をつけてはいたのに乗客の男性から「もう少し静かにできませんかあ?」と面と向かって言われたときは「…すみません」とうなだれるしかありませんでした。泣きたかったです。
    大声を出したわけでも、走り回ったわけでもなかったですし、細心の注意を払ってこれか…と思うと二度と長距離移動はやめようと思ってしまいました。実家が遠方なので好きこのんで乗ったわけではなかったのですが。
    姑から「子ども2人くらい母親が面倒見なさい、新幹線で帰るくらいできなきゃダメ!」と言われて本当に嫌で嫌で仕方なかったです。ヨレヨレのヘロヘロになり東京駅で降りる直前、年配の女性が「ぼくたち、長い時間よく頑張ったねえ、偉いよ〜。」と仰って下さったときは泣いてしまいました。
    降りたあと、何度も頭を下げて女性を見送りました。その後ホームまで迎えにくる予定の夫が遅刻してきて怒り爆発でした。母親がどんな思いで乗り物に乗って帰ってくるのか育児にかかわらない男はダメだし使えない、とこのとき痛感しました。
    お父さんたち、子どもから逃げてませんか?
    みんながみんな、ではないでしょうが。
    その後、夫と4人で乗ったときにクレーム言う人はいませんでした。
    女性は軽く見られてる、そう思いました。
    女性だから、子どもを立派に育てて当たり前。女性だから、母親だから子育ては義務。
    違う!早変わりで産んだらすぐ母親になれるわけでもないし、どんなにプレッシャー背負って子どもと向きあってるのか、知ってほしいです。当たり前、ではないんです。
    車内の男性乗客も子どもが嫌いだったのかもしれません。私は気をつけてたつもりでも、うるさかったのかもしれません。でも、忘れてませんか?みんな、赤ちゃんだったんですよね。泣いていた時代がある。色んな人の手を借りて今がある。育てられたのはお母さんだけじゃないはず。
    ゆっくりでないと歩けない人に舌打ちする人、自分も歳を取ればそうなることをわかってない。息子を育てて知ったのは母親が乳幼児をコントロールすることはできない。もちろん、おかしなことは叱るけれど泣いている赤ちゃんを泣きやませるなんてできない。泣かれて煩い人の気持ちもわかるけど、身を縮ませてあやしてるお母さんの気持ちも考えてほしい。泣きそうになってますよ。
    私は今、夫の転勤で九州に住んでいますが兄弟が3、4人いる家庭がすごく多いです。地域全体で子どもを育てる意識が強い土地です。近所の大人に叱られたり褒められたり、当たり前にあります。転勤したころ、店で子どもがはしゃいで「すみませんッ!」と急いで周りの大人に謝ると「えっ?子どもはそういうもんでしょ?」と不思議そうな顔をされました。同じ日本でこんなに違う…知り合いもいない場所は不安でしたが、今では子どもを連れて出ることにストレスを感じなくなりました。
    お母さんを非難しても解決にはならない。みんなで助けよう、みんなで育てようという余裕が少しでもあれば、私みたいに乗り物に乗るだけでストレス感じなくて済むかもしれません。あんな思い、どうしてしなきゃいけなかったのか。子どもを泣きやませるマジックを持つ立派な母親を求めるのはやめてほしい。
    子どもにやさしくない国に子どもは増えません。話してわかる年の子どもなら、「僕たち、ちょっと静かにしてくれる?」って自分で叱ってもいいと思います。もちろん笑顔でね。乗り物のなかで赤ちゃんや子どもに怒ってる方、自分がどんな赤ちゃんだったのか、周りに聞いてみてください。泣かない赤ちゃんなんていたのかな?お母さんを責めるのではなく、助けてあげてほしい。それができる男の人も女の人も、私は尊敬します。

    1. 本当にそう思います。
      自分もファミレスで我が子が暴れ泣き始めた時、それまで色々工夫して泣かないように、暴れないようにと気遣った努力を踏みにじられた気持ちになりました。なぜファミレスに入ったのか?後悔しまくりました。
      2人目妊娠中悪阻真っ最中で、ご飯を作りたくなくてつい入ってしまったファミレス。以前は大人しく食べていたから大丈夫かと思ったのです。
      なんて、周りから見たら言い訳です。恥ずかしくて申し訳なくて、顔から本当に火が出そうに居た堪れなく、急いで連れて帰っている途中、子どもへの腹立ちを抑えるのに必死でした。
      自分の思い出を長々と申し訳ありません。ただ、その時の思いを思い出して涙が溢れました。
      色んな人が居るように、色んな母親が居るのです。見た感じ雰囲気の悪い母親だってそりゃあ居ますし、自分も自覚無くそう見られてる時があるのかもしれません。でも母親をしている人たちの大勢が子育てに対し努力をし、居た堪れなさを感じた事がある筈です。
      周囲の方々に、境さんのように思ってくださる方が居らしたらどんなに有難いか、赤ちゃんに厳しい〜の記事には私もとても勇気を頂きました。

  4. 一度、どうしようもなくて、朝一の新幹線で東京に、それも大きなトランクをかかえていったら、ちょうど通勤ラッシュ。通勤ラッシュが収まるまで乗せてもらえず、用事には遅刻しました。私の場合は、なにかやりようもあったと思います。あの状況で、車椅子とか、ベビーカーとか、多分、無理だろうとその時思いました。そんな時間帯に移動するな、と。
    この間、フランスで大晦日、電車は遅れ、来ても満員。ベビーカーに赤ちゃんを乗せた大きな黒人夫婦、何台かは、見送るものの、ちょっとだけましな混み具合の電車になんと無理矢理ベビーカーを押し込み、当然とばかりに巨体のお父さんも乗り込みました。かなり時間もかかり、何人かは降りましたが、ヤジなどは一切ありませんでした。同じことが日本ならどうでしょうか?
    私は大晦日に、錦市場で買い物をします。前は、普通に自転車を押して、買い物が出来ました。最近はそれも出来ません。観光客が増えたからです。それでも最初のうちは自転車を押して行ってましたが、非常識だよね。なとの心ない言葉をあびせられるので、やめました。自転車とベビーカーは違いますが、他人に冷たいのが日本人だと、つくづく思うのです。

  5. あさきゆめみしさんの憤り、よく分かります。
    私の子どもはもう大学生と高校生になり、辛かった「幼い子どもを抱えての新幹線・飛行機での長距離帰省」が今となってはほろ苦く懐かしい思い出ですが、「日本社会は子どもと母親に対して冷たく、不条理だ」と度々感じた記憶は消えていません。

    ただ、ではその新幹線の男性は、なぜわざわざ頑張っている礼儀正しい若いお母さんを攻撃したのか。
    なぜ、みなかつては子どもだったのに、母親に育てられて大きくなったのに、その恩恵を還元せず、子どもと母親に冷たく当たる大人が多いのか。

    おそらく、精神的にゆとりがないからです。
    不況で、仕事がうまくいっていないのかもしれない。
    家庭でトラブルを抱えているのかもしれない。
    何か根が深い、「自己中心的になる要因」があるのではないでしょうか。

    議論から外れてしまうかもしれませんが、「人を思いやる」ということは、「子ども連れの家族に優しくある」ということでもあり、また同時に、「子どもに冷たい人にも、それなりの事情があるのではと考える」ということでもあるのではないでしょうか。

    かつて、母と二人で、姉(当時まだ20代)の主治医から、「余命は3ヶ月です」と宣告された日、足取りのおぼつかない母は、駅でベビーカーをひいた女性たちのグループの一人とぶつかりました。
    すぐに母と二人で謝りましたが、相手の方はお友達と一緒に「子どもに危険が及ぶところだった」と大変な剣幕でした。
    同じ母親として、とても悲しかったです。

    「どんな人にも、それぞれの事情がある。それをふまえた上で、強制ではなく、出来るだけ、子どもたちや若い世代に優しい社会であろう。」
    私はそんなふうに望んでいます。

  6. 前記事と本記事から、あなたが反論を全く理論的に聞かないタイプの人であること、メディアに関わる物書き業でありながら真意を伝える術に決して長けてはおらず、伝わっていないことを公の場で嘆く程度の人間でしかないことを看破したうえで敢えて言います。

    私は喫煙者です。世の中にはタバコを嫌いな人が居るのは理解してます。まだまだ足りないと言われるかもしれないけど喫煙マナーには気をつけています。歩きタバコなどもってのほかです。タバコ吸える飲み屋でもカウンターの隣の人に「タバコ吸ってよろしいですか?」と必ず聞きます。断られたら、店主に酒をもう一杯おかわりして店を出ます。そのくらいやっすいですが、矜持です。帰りの電車では、あ、このジャケットヤニ臭いかな?と少し申し訳ない気持ちにはなります。
    喫煙者を目の敵にしてまるで人非人かの如く攻撃する嫌煙者が居ます。しかしそういう人達は喫煙者の敵ではありません。立場の違いによる相入れない意見を持ってる人であるだけです。真の敵は、歩きタバコポイ捨てなんでもござれの喫煙者です。お分かりですよね、彼らのような存在が私たち喫煙を楽しむ人間の肩身を狭くします。

    同様に、子育て親の真の敵は、あなたような子持ち子育て無罪な意見を押し通そうとする人です。どれだけ子育て親の肩身をあなたが狭くしたかお分かりではないでしょう。

    一つ、進言します。
    物書き業やめなさい。

    1. 魚弱さん、あなたにとって赤ちゃんとタバコは同列なのですか?

      最後の「物書き業やめなさい」は失礼すぎますね(^_^;)

      1. そう言うと思っていたらやっぱり案の定。
        いいですか、本質は子育てを難しくしているのは理解のない周りではなく同じ子育て親の立場でありながら子育て親の肩身を狭くさせているあなたのような声だけ大きな人です。
        タバコと子育てはもちろん同列では語れません。が、状況は同じなのです。公共マナーを守る普通の喫煙者を世間の普通の子育て親、マナーのない非常識な親をあなたの記事と置き換えてごらんなさい。
        ずいぶん都合の良いお耳をお持ちのようですが、あなたの記事で非常に肩身を狭くされた子育て親のみなさんも多くおられるのです。これだから子連れは常識がないと責められたのです。
        そこに想像がいかないようなら、物書きとして世間に発信するにはあなたは想像力がなさすぎるので進言したまでです。

        1. タバコと子育ては同列で語れないけど状況は同じだ、というところ、論旨がわかりません。結局、同列で語っていますよね。(^_^;)

          タバコの話は関係ないのでこの際、言及しない方がいいと思いますよ。

          ぼくの記事のせいで肩身を狭くしたり不当に責められた方の話は聞こえてこないのですが、あなたがそうだったのですか?あるいはお知り合いにそういう方がいるのでしょうか?

      2. 前後しますが、失礼な発言も含め苦言を公開してくださったことに感謝します。
        あなたの発言は決して肯定的な理解だけではなく、あなたの発言によって理解のない周囲に不当に責められた親御さんも多くおられることを理解していただきたかったのです。
        そしてその状況は、嫌煙者から人でなしの如く責めたてられる喫煙者と状況的に全く同じなのです。興味深いことに、理解のない周囲から責められる人の中には喫煙者を理解なく責める人も多いのです。結局、人間は自分の立場でしか物を語れません。であればこそ、発信する人は想像力を働かせるべきなのです。あなたが発信者としてより豊かであられるよう、願っています。

        1. 失礼な発言だったとご自分でも思ったのですね?

          あんな失礼なことを、ぼくは言われたことがありません。ちゃんと議論したいのなら、よほどのことがない限り、あんなことは言うべきではないと思いますよ。

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