いろんなことが、同時に起こっている。忘れていたけど、今年に入って起こっていることは、関係があるんじゃないかな。
何しろ、ソーシャルメディアについて考えないわけにはいかないことが次々に起こっている。
それは、ソーシャルメディアについて考えろと言われているのではなく、もっと根源的な何か、革命とか、価値観とか、政治とか、ロックとか、そして絆とか、ライフスタイルとか、そういったことのすべてを考え直せよ、というメッセージなのかもしれない。
だいたい、今年になってこのブログでとりあげてきたこともね。映画『ソーシャルネットワーク』を見てロックンロールだなどと言ってみたりね。そのあと、それまではなんだかわかんなかったFacebookにどんどんハマっていったりね。週刊ダイヤモンドが『2011年Facebookの旅』なんて特集組んだりね。みんなが「境塾」のFacebookページつくってくれたりね。干場先生とUst対談やってソーシャルと近代の話をしたりね。佐々木俊尚さんが新著『キュレーションの時代』を発表したりね。・・・そいで、地震が起こっちゃってさ・・・ソーシャルメディアの価値が急に浮上したり、ものすごい終末感に日本中が覆われたり、斉藤和義がゲリラみたいに唄ったり、都知事選の結果が不満だったり・・・
これらはすべて、ぜんぶ、関係してるんじゃないかな。いやこうして並べてみると、関係してるよ。ありありだよ。こういったことが、年明けからこれまでの間に一緒くたに起こっているのは、偶然じゃないんだろう。必然なんだろう。
考え直せよ、って言ってるんだ。誰が?わかんないけど。誰かが。
ソーシャルメディアはメディアの一つだし、システムに過ぎないんだけど、そこには強烈な何かがある。政治的なメッセージが入っている。
いやよく考えると、メディアは本来、政治的なシステムだった。新聞がそうだし、雑誌がそうだし、こうした活字メディアは黎明期の国家にあって、人々の“言論”を育てる場所になってきた。ラジオとテレビは、成長期の国家にとって人々の言論だけでなく“気分”をひとつにする装置だった。そして、人々をどんどん消費したくなる気持ちに導く装置でもあった。
国家の黎明期から成長期にあって、マスメディアは民主的な政治を支える役割をしてきた。
ではソーシャルメディアは?・・・たぶん、国家ではないんだ。いちど”国家”にむすびつけた個人を、もう一回”個”に解体し、その”個”同士を結びつけるツールなんだ。
”国家”でみなさん結びついたところで、もういいっしょ?一回ばらしましょうよ。んで、今度は国家を超えてみましょうか。そんな呼びかけをしている。
さらに、国家の成長のためには、消費でしたね。でもさあ、消費も一回見直してみましょか。ほんとに必要かどうか、考えてみた方がいいっすよ。
そんな風に、次々にぼくたちに根源的な問い直しを突きつけてくる。それがソーシャルメディアだ。
全部ね、意味があるんだね。ひとつのところに、つながっていってるんだね。やっぱりどこかの誰かが、ぼくたちに何か伝えようとしているとしか思えないな。そういうことって、あると思わない?
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