なんだか、書く意欲が湧いてこない。ぼくの中にはまだ津波の映像が渦を巻いていて、ちょっとした被災地のニュースで目頭が熱くなったりする。それでいて、ボランティアに参加さえしてもいない。なんとも情けないよ。
さて前回、「スマートテレビは、ソーシャルテレビ!」のタイトルで記事を書いたら、そのあと、Facebookページ上でえらく議論が盛り上がった。
盛り上がったというか、例によって干場さんがからんできたわけだけど。干場さんがからんで、それにぼくがからみ返すのは別に仲が悪いわけではなく、美しい師弟愛だから心配しないでね。最後の方では @higekuma3 も参加して沸騰していた。ブログで投げた話題がFacebookページで展開していくのはいかにもソーシャルメディアな現象で面白いね。
さてその中で、干場先生が制作会社(テレビ番組もCMプロダクションも両方含めての話だろう)について、3K的な職場になってそれがテレビ局の高額給与の源泉になっているとか、制作現場が体育会的になっているとか指摘しておられた。これらの指摘はほぼ正しい。
ただ、こうした状況をどう改善するかというより、こうした状況も一切合切崩壊しようとしているのがいま、だと思う。だから2011年テレビ消滅は表現には誇張があるけどまちがってはいない、とぼくはとらえている。この大震災でそのスケジュールが早まった。
一切合切崩壊、というのは、もう大手も中小も一流も三流も会社も個人も、すべてがガラガラガラガラ〜ッと崩れていくんだと思う。こういう比喩はあまりに生々し過ぎて悲しくなるんだけど、黒い水がこの業界をどどーっと覆っていくんだと思う。すべてを押し流していくんだと思う。
だったらそのあとのことをぼくたちは考えはじめた方がいいんだろう。
それはいま東北の被災地復興の議論で、単純に元に戻すんじゃなく、この機にまったく新しい方向へ進むべきだという、それと同じように考えるべきなのだと思う。
具体的に言うと、メディアの巨額な売買金額をあてにしない、そこに頼らない、ということだ。テレビ番組もテレビCMも、そしてほとんどすべての制作物の価格が、テレビの巨額のメディア価格をもとに決まってしまっていた。逆に言うと、制作物オリジナルの経済価値は誰も定義できなかった。そこをなんとかしないとまずい、ということだ。
そういう、価値の再構築をこれから数年かけてやらねばならない。取組まねばならない。そして一方で、ぼくたちが長らく住んできたこの村(業界という名の村)を、黒い水が去ったあとで建て直さないといけない。それは、それまでの区画を再整理することであり、再編するということだ。
再編というとどこか他人事だけど、ぼくたち自身も再編しなきゃいけないんだ。自分たち自身の価値から再構築しないといけない。
うーん、大変そうだなあ。しんどそうだ・・・その大変さを思うと、いまひとつモチベーションが湧かないんだよ。
変化を楽しもうとぼくは何度も書いてきたけど、変化って、楽しむなんて、そんな悠長なもんじゃなかったんだね。厳しい時間がしばらく、続いていきそうだ・・・
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干場さんの返答、大変興味深かったです。公開ありがとうございます。結局「プロダクションの人間なら、自分とこの職場の現状を改善してからソーシャルうんぬん言いやがれ」ということだったのかなと受け取りました。売り場がどこに変わろうと豆腐屋ならまず、旨い豆腐作れ、ということかなと。私はフリーランス、しかも瀕死の地方でTVに関わっています。正直いまは「自分の家族の食い扶持を改善するのが先決」です。で、やっぱり答えは旨い豆腐作るしかないのです。内心「材料の大豆さえ供給されなくなる恐怖」をかかえながら。
斉藤さん、コメントありがとうございます!干場さんの真意はわかりませんが、目の前にあるやるべきことをがんばる、というのは確かにそうですね。大豆が供給されなくなる恐怖、ほんとに来かねない状況だと思います。お互いがんばりましょう!